ときどき日記 02/01(前)


02/01/16(水)

 8割方、復活。
診断によると、何だか消化器官が弱っていたようだ。
痛みがあったんだけど、弱っていただけなんだろうか?という疑問も無いではないが、まあいいや。
 ストレスによるモノなのかなあ?
いい加減に生きてるもんで、ストレスなんか溜まっている自覚はなかったが。
 まあ他にも、デタラメな生活時間、滅茶苦茶な食生活、吸い込みっ放しの排気ガスと浴びまくりの電磁波って訳で体に負荷を掛け続けている為、どんな病気が発症しても不思議はないか。

 皆様も体だけは大事に。
体調が悪いと、何も楽しく感じられないから。


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『Hellsing』13.「Hellfire」

 戦闘シーンへのこだわり方はなかなか。
飯田馬之助コンテによる、ハッとさせられる絵作りが多用された。
それを支える作画の良さも素晴らしい。
 アーカードにより顔面に撃ち込まれた弾丸を、隈取りを残して顔そのものを消し、受け止めてみせる化け物・インコグニートには、意味はよく分からないけども(笑)、「おお」と思わされてしまう。

 と、いう所で誉められる部分は終了。
 ええと、何だか「アーカード最後の戦い」と言うよりは、原作者小中千昭の『古き神々』クトゥルー趣味という感じ。
セトを乗り移らせてどうこうと唐突に言われても対応に困る。
 それにアーカードが勝利を収められた理由も不明だし。

 セラスが、今更ながらにアーカードを「人間じゃ、ない」と表現してみせる心の内側が理解不能。
アニメ版としてはかなりメインの位置に据えてきたはずの彼女なのに…
 うーん、うーん、困っちゃったね。

 インコグニートに血を吸われてしまったように見えたインテグラも、どうなったんだか?
 内紛劇の後始末、人造吸血鬼の顛末に至っては、テロップのみで処理かあ…
 「やり逃げ」を予想したナチスの出番は、結局 最後まで無し。
 …というか今回、カットがうまく繋がってないような印象で、「は?」と思わされた所があちこちあった。

 最後の戦いの最中、集まった群衆の中にアンデルセンを混ぜた無理解さは度し難い。
 このキャラであれば、「薄汚れた吸血鬼」共が戦っているのを ただ漫然と見物などしていられないはず。
勝てるかどうか、状況が今どうなっているのか、とかの計算もなく、飛び込んでいかなければ。
 そうすると物語がややこしくなる、という事ならば、いっそどこにも出さない方が良かった。
 「最終回だからサービスに顔見せ」という考え方を否定する気はないが、キャラクターを殺してまでやる必要はないだろう。

 結局何の為に作られたのか、よく分からないアニメ。


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『おねがい☆ティーチャー』01.「教えてティーチャー」

 思いっきり導入部だけの第1話で、お話としてはどうこう言えないが…
 美人で巨乳でメガネで(笑)ちょっとボケ気味な宇宙人の先生、主人公に好意を持っている風情な同級生の女の子、高校生にしてはチビで『ナデシコ』のルリのような冷静な突っ込みキャラになるのであろう子、などなど、なんかこう居心地が良さそうな世界を作り上げた手腕には感心。
 予想視聴者層…少なくともオレには(^ ^)感情移入しやすい、「線が細くて女の子のような男の子」を主人公に据えた判断も正しい。

 ここから何とでも出来る第1話。
逆に言うと、スタッフによっては全然面白くないアニメになる危険性もあるが…
 黒田 洋介氏が脚本、という事で、期待してもイイのだろう。きっと。



02/01/14(月)

 ちょっと更新さぼり。
それは、シャレにならない程忙しいから、というのもあるけど、体調不良の方が大きな原因。

 土曜ぐらいからヘソのすぐ上辺りが痛み始めて、断続的な痛みがずーっと続き、少々の発熱もあり、寝込む。
お腹を壊している訳ではなく、原因不明。

 仕方なく翌 日曜日、かなり痛みが緩和されてきて何とか外出 出来そうだったので、近所の休日診療をしている救急病院へ行く。
 30分程待たされ、ようやく担当の医師に診てもらえたのだが…その内容は。

「どうしました?」
「あ、あの、昨日からお腹が痛くてですね、特にお腹を壊している訳でもないんですけども、それが…」
「はいはい、じゃお腹を出して」
言われるままに服をまくり上げると、医師は掌でちょいちょいと触り、
「うーん、今、痛みは?」
「ああ、今は大分マシで…」
「それじゃあ分からないな、また痛みが酷くなった時に来てくれる?」
何じゃそりゃあ?
痛みがマシになったから歩いてきたんだよ!ヒドイ状態では救急車かタクシーでも呼ばなきゃ来られないじゃないか!
「痛み止め出しとくから、それ飲んで、通常の診察している火曜日にでもまた来て」
それでもう終わり。

 余りにも何の情報も与えられなかったので、つい、
「あの、ここが痛いんですけど(痛む場所を指さして)、ここら辺りというと臓器では何に当たるんでしょうか?」
と聞くと、
「ええ?まあ腹の中には色んな臓器が入ってるからねえ、分からないねえ、はっはっはっ!はい、次の人」
何じゃそりゃあ?
多少でも患者の心理的負担を軽くしてあげよう、とかいう気持ちは無いのか?

 救急病院であり、休日の診療でもあり、「心臓が止まってます」クラスの病状でなきゃ来るなよ、自力で歩ける程度の人間診てられるほどオレぁ暇じゃねえんだよ、という事だったのかも知れないが。
 「ちゃんと診てくれた、だから安心だ」という気分にカケラもさせてくれなかった為、腹の痛みが「全然大した事はない、普通に生活してればそのうち治るモノ」なのか、「悪化の恐れがあるので安静に寝ていた方が良いモノ」なのかも分からない。
とても不安。

 この、2、3分間程度の診察(と言えるのかね?)で、診察費は1950円。
痛み止めの薬は、外部の調剤薬局で買って帰るように、という指示の紙をもらっただけだったので、純粋にこの2、3分間の診察の価値が1950円だった事になる。
 家で寝ていた方が良かった

 疲労感と共に帰宅。
そのせいかまたお腹が痛んできたが、もちろん病院に向かう気力など無く。
 もらった薬飲んだけど、全然効かないし(泣)。

 ええと、今そういう状態です。
明日、かかりつけの町医者にもう一度診てもらおうと考えていますが。
 皆様はご心配なく。
 もしかここを読んでいる編集さん、すいません、そういう訳で仕事が全然進んでません、今月は、いつもの事だけどいつも以上の悲惨なスケジュールになりそうです。
先に謝っときます、ごめんなさい。
 あ、あの、今回は仮病じゃないですから。
「今回は」、って言うと語弊があるなあ(笑)。



02/01/11(金)

『フィギュア17』01.「今の自分は好きですか」

 元々はパーフェクTV、AT-Xチャンネルの目玉となるべきオリジナルコンテンツとして制作されたアニメ。
レンタルでソフトが出回らない限り見る事は出来まいと思っていたのだが、どういう事情に寄るのか、いきなり地上波・テレビ東京で第1話が放送された。
とてもラッキー(^ ^)。
 元が月イチ放送という変則的な方式をとっていたので、テレ東ではどうなるのか判らないが…第2話以降も継続して放送されるといいなあ。

 内容。
 まずはアニメ『To Heart』でも印象的なキャラクターを見せてくれた千羽由利子 描く、主人公・つばさが、作画だけを取っても、とにかく可愛い。
 1話1時間の作品である事を最大限活かし、前半30分、普通のアニメなら第1話丸ごとに当たる時間を全て、つばさの「日常」描写に費やした思い切りがスゴイなあ。
 おかげで内向的である少女のキャラクターをじっくりと描けている。

 例えば、父親から「転校する事になってもいいかい?」「本当は北海道に居るのが嫌なんじゃないかい?」という質問を受けた時、結構長い間考え込み、内心の激しい葛藤、「本当は絶対イヤ!」という気持ちを無理矢理に抑え込み、父親の為に笑顔で「いいよ」「そんな事ないよ」と応える。
 30分で色々な事を描かなければイケナイ普通のアニメではなかなか取れない「間」。
考え込むこの「間」が、雄弁にキャラクターを物語る。

 つばさは「内気」であり、「行動が少々スロー」であり、「投げ出したいような嫌な事でも、すぐ自分が背負い込んでしまう優しい性格」である事。
 もっと言えば、「これだけ分かり易い感情表現をする娘の気持ちに気付いてやれない父親」の性格付けについてさえ、読み取る事が出来る。

 母の死を「無理して自分を産んだから」という罪の意識で捉え、それ故に何に対しても強硬に自分の権利を主張することが出来なくなってしまった つばさ。
 約束した授業参観に、結局間に合わなかった父親への態度も そう。
その失意の上に、クラスメート達と上手く折り合えない哀しさも抱え、降りだした雨にずぶ濡れになりながら歩き始めた時、ようやく学校に駆けつけた父親と対面した少女は、一言も責める事無くその体に抱きつき、「来てくれて嬉しい」と言うのだ。
こんなイイ子が この世に居るかあ(暴言)
 いやもう、弱い所 突かれまくり。
俺なら原稿落としても参観に行ってあげるけどなあ、などとつい考えてしまい感情移入度400パーセント。

 小さなエピソードを積み重ねて細やかに少女の心情を追う脚本と演出、柔らかさや体温まで感じられそうなほど丁寧な作画。
それらがあって初めて、アニメ版『北の国から』(^ ^)と言えるような前半の日常描写に視聴者を引き込む事が出来る。
 そして、か弱く、儚い存在である少女が、これまでの人生で想像した事もない恐ろしく異質な物に直面するからこそ、視聴者もその驚きを自分のモノとして感じる事が出来、彼女に迫る危機に対し、手に汗を握って見守る事が出来るのだ。

 SF的なお話自体は、ゆうきまさみ先生の『鉄腕バーディー』であり、もうちょっと古くは『ウルトラマン』でもあり、原典としてはハル・クレメントの『20億の針』って所だろう。
 でも、主人公である少女のキャラクターを丁寧に描いて彫り込む事によって、「そういう少女が見る状況」としては全然問題なく、よくあるパターンだ、と醒める事無しに見る事が出来た。
 巧いもんだ。

 今後は、SF色もアクション色も強くなるんだろうけど、それよりももっと、孤独で悲しい少女の心が救われていく(自ら強く、成長していく)物語として展開して行って欲しい。
 いやいや、面白い第1話でした。



02/01/10(木)

 新番組が始まって行ってるが、何しろ時間がないので短く。

『キン肉マン||世』01.
 特に面白いとは思わなかったが、悪い部分もなく、普通の第1話。
「富士山に突き刺さるロケットパンチ型宇宙船」「再び地球に危機が訪れた時のため、自主的に公園の片隅のボロ小屋で十数年間のコールドスリープに入っていたミートくん」「相変わらず、相手よりか自分の方にダメージが大きそうな必殺技・筋肉バスター」など、笑うべきなのかどうなのかといったシーンが連続する所は、「普通」でもないか(笑)。
 旧作の経験により、この作品の魅力は勝ち抜き戦に移行した所からしか発揮出来ないと分かっているはずなのに、何故こういう面白味のない導入部にしたのか?
人間性の紹介なんか後回しにし、とりあえず試合から始めて、順次回想シーンを挟んで過去を説明、というやり方の方が良かったような。
 うーーーん、無理して見続ける必要はないかも。


『Hellsing』12.「Totally Destruction」
 女王は一応、状況を誤解している訳ではなかった。
…だったら、ヘルシング部隊の隊長(?)が射殺される前に何とかしてやったらどうなのか?
「試練の時」だから少々の人死にぐらいは我慢しろって?
 ラスト前にしては物語が盛り上がってないような…というか、余り真面目に画面を見てなかったんだけど。今、お話は何処に向かっているの?
 コンテは才人・飯田馬之介だったのになあ。


『アクエリアンエイジ』01.「深青の序曲」
 アバンタイトル(オープニング前のドラマ)に全然意味がなかったのは残念。
「それが、平凡なぼくが、平凡に生きていられた最後の日だった(それなりな人気ミュージシャンみたいだから平凡でもないのか?)」というナレーションに続いてOPに持っていき期待感を煽るとか、出来たろうに。
 この第1話では、まだはっきりをした事件が起こっていないので何とも。
まるで「ミュージシャンを目指すお兄ちゃん達の青春群像」を描いたアニメ第1話、みたいでさえあった。
 それはそれで、「主人公の両親が経営するコンビニのレジを手伝う換わり、期限切れのおにぎりとおでんを要求する友人」とか「引いた おみくじをお守り代わりにするべく、車のアンテナに結びつけようとする友人」なんていう日常的リアリティーの捉え方が実に的確だったりして、感心してしまった。


『ロングラブレター・漂流教室』01.
 少年期に読んだ原作は、オレの心にしっかりとトラウマを形成してくれた(笑)。
そのドラマ化という事で、期待1%不安99%な気持ちで第1話を見る。
 あーー、やっぱり。
気合いが抜けきった『GTO』というか何と言うか。
 異世界を描く前に平凡な日常を描くのは約束事なんだけど、この日常が余りにも工夫の無いつまらないシロモノで、見ていられない。
 キャラクターにも魅力を感じないし…もう見なくてイイかも。
 『漂流教室』って、大林宣彦による映画版にしてもそうだし、どうしてこう映像化すると「駄作」になってしまうのかなあ。


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『七人のナナ』01.「ナナ×7=ナナ?」

 同じ顔をした7人の女の子が主人公、という事でつい『おそ松くん』なんかを連想し、今時そんな設定でどーやってお話を作るのか、と思っていたが…
なるほど、そこで監督であり第1話では脚本と絵コンテ(…と声の出演)も兼ねた今川泰弘の起用が生きる。
 とにかく派手ハデ
コピーナナが誕生する所なんか、どういう原理で生まれたのかはよく分からないんだけどもシーンとして、何も無い空間から生み出されて来るナナ、その瞬間 雪が降りしきる上空の重い雲がパアッと開け、一枚の葉も付けなかった桜の巨木に花が咲き乱れ、落ちた花びらが町中に舞っていく、この画面のパワーだけで押し切られてしまう。

 何の力なんだか、屋根を跳び越え文化財を破壊し空を自由に飛行さえしてしまう7人の超能力。
速いテンポの画面切り替えと、第1話とはいえ、テレビとは思えないほど動きまくる作画が気持ち良い。
 『ジャイアントロボ』でもお馴染み、数人が声を合わせ、あるいは一つのセリフを分担して喋るという演出を連続する事で、無理矢理テンションを上げていく手法も健在。
 吉崎観音 先生の絵を、見事再現して見せた作画の頑張りも素晴らしい。
股下1センチぐらいのミニスカートなのに、絶対にその中を覗かせないのが12チャンネル規制。ちょっと不自然なぐらい。
全てのカットでパンツを見せようとした『ナジカ』とは対照的。

 ハデな大暴走でストレートに盛り上げる、という手はそうそう何度も使えない。
この後はどういうお話にして見せてくれるつもりなのか。
 マンガ版とはかなり違うモノになりそうなので、楽しみに見たい。



02/01/08(火)

『フルメタルパニック』01.「気になるあいつは軍曹」

 このアニメについてまず語られるのは、「アメリカの航空機テロのため放送が延び延びになっていた不遇なアニメ」という事ではないかと思うが、ウチもそれで行く(笑)。

 ああ、結構オモシロイや。
まだ何も始まっていないが、始まる「予感」と、キャラクターの楽しさだけで30分見せられてしまった。

 お淑やかで優しげな外見を持ちながら、実は結構ずけずけモノを言い気に入らない相手には容赦しない意外性を持ったヒロイン。この設定が巧い。
 それと絡む主人公は、軍人バカで日常的な知識などが大きく欠けている。
パイプ椅子に、後ろ手に手錠を掛けられた格好のまま学校からアジトまで帰って来、「駅で切符を買うのに苦労した」と無表情に話すシーンには笑ってしまった。

 第1話を見た限りでは、テロに配慮しなければならないシーンなんて ドコにも無かったが…今後そういう展開を迎えるのか?
 ふと、漫画版1巻を購入。
勢いがあって、これも面白い。
 ははあ、何だアニメ版は、単行本1巻目のほとんど最後の話から始まってるんじゃないか。
 「妄想軍人バカの男の子に迷惑をかけられっぱなしの女の子、という図式でギャグ漫画としてずっと進んでいくモノかと思えば、実は…」っていう仕掛けの驚きが、アニメでは無くなっている。
勿体ないなあ。そこ「も」凄く面白いのに。



02/01/07(月)

 テレビで『ドラえもん・のび太と翼の勇者たち』を見る。
 …でもほとんど何も言う事はない。
最近の劇場ドラえもんとして「普通」と言う以外に無いなあ。
途中で画面への集中が途切れて仕事したりしていたので、お話が所々よく分からない。
 最初に鳥人の警備員に会った際、彼らが自分を「ネコ」と呼んだのにドラえもんが感激し、「タヌキって言われなかった〜」と言って泣いていた小ネタは おかしかった。
 鳥人レースは、『SW・エピソード1』のポッドレースのイメージか。
のび太が早々にリタイアしてしまった事もあり、こんなに長い間見せる必要はないんじゃないか、と思ってしまったが。

 これよりも、同時上映だったはずのジャイアンのショートストーリーが見たい。


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『ぱにょぱにょデ・ジ・キャラット』01.「さいしょのおはなしにょ」

 衛星・アニマックスのアニメ情報番組内で始まった短編アニメ。
そのままでもかなり縮んだキャラだった でじこ達が、更にSD化した姿で登場する。

 うーん、音楽に乗せてミュージカルのようにキャラを跳ね回らせる楽しく軽快な演出とか、それはそれなりに良い出来なのだが、桜井 弘明 監督版でじこの破壊的なギャグを期待していると肩透かし。
というか、元々『デ・ジ・キャラット』という素材は、こういう ほのぼのとした形式でアニメになる事が当然であったのでは、最初のアニメ化が異様すぎたのでは、ってえ気分にもなった。
 もちろん、オレは桜井版が好きなんだけど。


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『ガイスターズ』14.「ナムソスの裏切り」

 「混沌とした状況」を描こうとしているのだろうが、「混沌とした話」になってしまっている。
都市側も、周辺部族側も同じく内部で権力闘争…というか仲間割れというか、が起きており、物語の中心にあるべきガイスターズ隊も仲間割れでバラバラ。
 その相争う状況を楽しませようという意図にしては、その為に必要な「各勢力が何を求め、そのために何をしようとしているか」という情報が上手く与えられて来ない(都市側もまだ未整理なのに、加えて部族側状況までも描こうとされては…)。
 仲間割れした勢力が再び統合、もしくは排除されて行き、元の秩序だった状態に戻る瞬間を目指す物語、として見る為には「元の状態」の価値をこれまでに描いている必要があるが…最初からこんなモノだったしなあ。
 ガイスターズ隊についてでさえ、「メンバーがバラバラになってしまって悲しい」という気持ちなど全く起こらない。
元々メンバーに隊に対する帰属意識が薄く、チームワークも、勿論 友情などというモノも存在していないため、「隊復活への希望」が見ている側に起こらないのだ。

 それでも、キャラクターさえ きちんと立っていれば、まだ楽しく見続けられるのだが…
 主人公(であろう)ディーンの心の無さには驚く。
部族側に迎えられた彼は、祭りの演舞の中に隕石衝突から現在に至るまでの世界の(部族側から見た)真実を知っていくのだが、それについて何の感情の動きも示さない。
 都市の守護部隊として命をかけ最前線で働いていた彼らは、「都市の正義」を信じていたはずで、それが目前で否定されていった、物語の大きな転換点と言っても良いような重大なシーンだったのだから、「ウソだ!デタラメだ!」ぐらいは叫んで、暴れても良かったはず。
というか、「ふーん」という顔でタダ聞いているお前ナニモノだよ、という気分に。

 せめてシャイが「驚かないのか?」とか何とか聞いて上げると、キャラを彫り込めたのだが。
 そのシャイも、今回、村がクリーチャーに襲われる、という状況に直面したのだから…彼女の両親がクリーチャーによって殺された、という過去とオーバーラップさせて、もっと半狂乱になり、判断力を失い、鬼神の如き表情で戦いに臨むべき。
取り乱せば取り乱す程 キャラの魅力が増すようなシチュエイションにあるというのに、何だか、余りにもいつも通りで(シナリオ段階では もうちょっとやる気な様子があるのだが、画面では本当に普通に戦っている)拍子抜け。

 ディーンとシャイは、ボケとツッコミ、攻守を入れ替えながら互いのキャラを立たせていく手だろう。
が、2人とも相手の事には余り興味を持っていないようで、どうにもこうにも。



02/01/06(日)

『コメットさん』40.「輝きをなくしたケースケ」

 帰って来たケースケは、すっかり やる気を失ってしまっていた。
…と言っても、これはケースケ本人ではない、というのがバレバレだが。
 まるっきりの別人なのか、本人の体に誰かが寄生する形を取っているのか。

 しかし…タンバリン星国の姉弟、彼女らも黒幕の一部だとするなら、以前コメットにさんざ世話になった恩を仇で返す行動。
偽ケースケが星国の王子だったとしても、それを立ち直らせるためとはいえ、コメットのみならず藤吉家の人々までも苦しめ悲しませている訳で…余程 説得力のある理由付けが無くては納得出来ない気分。

 うーん、最後に来て意図が読めなくなってきたなあ。


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『サイボーグ009』12.「なぞの無人島」

 廃棄されたブラックゴーストの基地で、取り残された管理用ロボットと006との奇妙な友情が生まれる…という話だったのだと思う。
でも、余り上手くいってない。

 同じブラックゴーストに作られたもの同士、しかし「心」のある006達と、単にプログラムに従うだけのロボット。
この確実に違う二者の対比と、「たまたま」なのか もしかしたら006が示した優しさ故に目覚めたのか、あたかも「心」がある人間と同じであるかのように振る舞うロボットの行動を描いていく事、そしてそれを見つめる006の気持ち、が、今回のテーマだろう。
 が…ロボットは「基地を管理する」という指令に葛藤もなく いきなり反しても006達を助けるし、ラストの別れに際しても どちらも大した感慨を抱いてない。
 何だかこう、「今回は何を描いた話だったの?」という気持ちになってしまった。



02/01/05(土)

『パタパタ飛行船の冒険』01.「バクストン家の三兄妹」

 WOWOWで始まった新作アニメ。
アニメーション制作に『カリオストロの城』のテレコムを迎え、恐らくは世界名作劇場の正当な後継者を目指すべく作られた作品。

 で、内容は。
むー、普通。
 『ハイジ』や『三千里』の頃のレベルの高さは望むべくもないが、晩年 駄作を連発していた時期の名作劇場と比べれば、マシな仕上がり。

 とはいえ…無駄なカットやエピソードが目立ち、その割には必要とされる描写が抜けていたりで疑問が残る出来。
 冒頭、出先から屋敷に戻ってくる主人が、途中 交通の渋滞にあってイライラし…なんてシーンは必要ない。出産を控えた妻の手を握って励まし、気遣わしげに産室を出て行く所から始めて問題ないはず。
いっそ新しい母親を迎える日をファーストシーンにしても。
 ジェーンを探して屋敷中を駆け回り、釣り竿を振り回して甲冑をひっくり返す執事の芝居も要らない。面白くないし。
 いや、時間の余裕があるなら無駄な事をするのもいいんだけど、ジェーンの実母…は まあ、キャラクターが無くても良いが、継母の方はその「死」を衝撃的にするためにもうちょっとぐらいエピソードを積み重ねないといけないのに、それが入れられないぐらいキツキツな30分だったんだから。
削れる所は削るべき。

 無闇にひねくれた次男が、もしかしたらお話を面白くしていってくれるかも知れないのと、一応はジュール・ヴェルヌ作品をモチーフにしているようなので いずれ「SF」になってゆく可能性がある事(変な機械を出したらもうSFってんじゃなくて)、そこに期待してしばらく見よう。


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 レンタルで『バンパイアハンターD』を見る。
勿論、今頃見るのだから85年の芦田 豊雄 監督版のはずはなく、01年・川尻 善昭 監督作品の方。
 菊池 秀行の代表作である同名シリーズから、第3巻『妖殺行』を映像化したもの。

 とにかく美麗な作画と背景美術、容赦なく枚数をかけたアクションには見とれてしまう。
「闇」が支配する世界を駆け抜ける美しいハンター、Dの世界がほぼ完全に表現出来ている。
オリジナルで入れたエピソードも、原作を良く理解しているようで違和感なく、より深い物語に出来ているぐらい。

 ただ…
 Dは超絶無敵の戦士であるため、「もしや負けるのでは?」なんていう危機感は全編まるでなく、めっきり安心して見てしまった。
だからこそ、D以外のまだしも「人間」なハンター達を より危ない目に遭わせ、見ている側に緊張感を感じさせる構成を取っている訳だが。

 Dの声はどうしても芦田 監督版・塩沢 兼人のイメージがぴったりし過ぎていて、今回演じた田中 秀幸も悪くはないが…やっぱり「違う」と感じてしまった。
いや、言っても仕方ないんだけどね。分かってるんだけども……(泣)
 いっそ英語版で見る、という手もあったんだろうけど、左手の声は永井 一郎で聞きたいし。
チョイ役で青野 武を使う、なんて贅沢も嬉しかったからなあ。

 ラストの締め方は実にキレイ。
「それはそんな微笑みだった」の映像化も文句ない。
 ファンは 難しい原作世界の映像化に満足し、原作未読の人なら(少々設定に分からない部分があるかも知れないが)物語とキャラクターの行く末にハラハラする。
 見て損のないアニメな事は、間違いないだろう。



02/01/04(金)

 コミケ疲れから引き続いての正月突入で、何となく自分に言い訳が立ってしまった為 お仕事が滞っている。
まずいなあ、そろそろ本格始動しないと。


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 地上波で夜中に放送していた映画『ストレイト・ストーリー』を見る。
 監督は、『エレファント・マン』『デューン 砂の惑星』『ツイン・ピークス』のデヴィッド・リンチ、主演はリチャード・ファーンズワースっちゅーお爺ちゃん。

 タイトルだけ聞いた時は「ストレートな話」なのかと思っていたが、「ストレイトさんのお話」なのね。
 73歳になるアルヴィン・ストレイトお爺ちゃんは、ケンカ別れして以来 長い間疎遠になっていた兄が病気になった事を知り、もう一度会う為に、自分の唯一の乗り物であるトラクターに乗って遙かな(といっても車なら2日程の距離なのだが)旅に出る。

 これが本当にデヴィッド・リンチ監督作品なのか?と思ってしまう程に、最近のリンチのイメージからは かけ離れた印象の映画。
不条理も悪趣味もなく、老人の旅を淡々と、優しく描いていく。
 トラクターに乗った、時速8キロのロード・ムービー。

 ゆっくりと、本当にもどかしい程にゆっくりとしか旅は進まない。
 途中で出会う、行く先を見失い佇み続ける少女、ハイスピードで 恐れを知らず突き進む若者達の自転車レースなど、その旅も、出会う人々も「人生」そのものを体現する。

 若者とお爺ちゃんの会話。
 「歳をとって良かったのは何?」
 「いい事などありゃせんが、それだけ経験を積めた、という事かな」
 「じゃ、歳をとって悪かったのは?」
 「若い頃を覚えている事」
 何だかこう、オレが「若い者」と「年寄り」の中間ぐらい(言い過ぎ?もうジジイ?)にいる今だから、ようやく分かるこのセリフの重さと深さ。

 でも、その旅の果てに出会った兄と、「あのトラクターに乗ってここまで来たのか?」「そうだ」、たったこれだけの会話で長い間のわだかまりを全て溶かし 二人並んで星を眺められるようになったのはやっぱり、「歳をとる事」による魂の熟成だけが可能にしてくれた事で、「歳をとって良かった事」

 深く見ようとすれば、果てしなく深く見られる映画だと思うが、オレにはこの程度が限界。
 大きな仕掛けもないし、泣けるような話でもないが、ジンと心に染み通る静かな優しい映画。



02/01/03(木)

 今年はしかし、例年にも増してオレが興味のある正月番組が少ないような気がするなあ。
おかげで積み重なった録画済みテープが消化出来て嬉しいと言えば嬉しいんだけども。
『メタルギアソリッド2』も多少は進められたし。
 レンタルビデオ屋に行くと、めぼしい新作ソフトは軒並み貸し出し中だった。
みんな結構、テレビはつまらないと思っているのかも。


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 CSN1で放送していた映画『ブレイド』を見る。
 一度、劇場で見ているので、二度目の鑑賞。
 監督はスティーブン・ノリントンという知らない人。
主演はウェズリー・スナイプス。

 公開時に見たっきりであるという事と、最近の鋭い忘却力のお陰で、特に細部はすっかり記憶に無くなっており、楽しめた。それはお得な事か損な事か。
 冒頭、ヴァンパイア達が、密閉された空間に生け贄を誘い込み、スプリンクラーから血のシャワーを浴び狂喜している様子は、やっぱり『デビルマン』で飛鳥涼が用意した地下サバト会場を思い起こさせる。
 真っ赤に染まったヴァンパイアの集団の中に忽然と現れる、黒い肌に黒一色の衣装をまとったウェズリー・スナイプス、この色彩の対比がイイよねぇ。
「いかにも」なヒーロー登場、のシーンで。

 主人公が馬鹿みたいに強いのが気持ちいい。
気持ちはいいけど、単なるヴァンパイア・ハーフ、ダンピールに過ぎないのに何故?とは思う。
 『ヴァンパイアハンターD』のように、そこら辺のにわかヴァンパイアや純血種よりももっと強力な力を持つ「始祖」が母親を咬んだから(『D』の場合、それが「父親」だっけ?)、というのならまだ納得がいくが…全然そうじゃないみたいだし。
 「お前達とは鍛え方が違うよ」って事かな(笑)?
マーシャル・アーツをやってるヴァンパイアも珍しかろうから。

 しかしまあ、バトルのスピーディーさとケレン、死ぬと砕けるヴァンパイア(最後は必ず爆発する日本の「怪人」みたい)が醸し出すカタルシスの度合いは、この手の映画の中でもトップクラス。
 最後まで生き残り、宿敵っぽかった悪役ナンバー2のサングラスお兄ちゃんが、復活したスナイプスに0、2秒ぐらいで瞬殺されるのには笑った。
その扱いはあんまりじゃないか、とも思うんだけど、続いて勢いのまま踊るように攻撃を繰り出し、無数のザコ・ヴァンパイアを片付けていく格好良さに見惚れてしまい、すぐ気にならなくなる。
 付いた勢いは、敵ボスに対しても止まらず。
伝説の力を手に入れたボスだが、それで得られた特性は、死なない、というだけのモノで、戦闘力自体は上がっていない。
だからウェズリー・スナイプスにボコボコにやられるばかりで、「弱っ!大した力じゃないなあ」としか思えないのが何とも。
いや、それはそれで楽しいんだけどね。
 噂されるパート2も是非見たいと思わせられる面白さだった。

 関係ないけども、『アギト』でギルスお兄ちゃんを主人公に映画を撮ると、この『ブレイド』みたいになるんじゃないかなあ、などと思った。


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 がはぁぁぁっ!『ナジカ』最終回の録画に失敗していた!
ああああ、レンタルか衛星再放送待ち。悔しい。



02/01/02(水)

 『笑っていいとも』のテレフォンショッキングに、何の因果だかピザ屋の社長さんが出た事がある。
 不況下にあって経営は非常に厳しい、と語る社長さん。デモを兼ねてスタジオからアルタ最寄りの自社店舗に電話を掛け、僅か10分足らずでメニューにあるだけ全てのピザを配達させていた。
 出演者、特に香取慎吾なんかは大喜びで届けられたピザを旨そうに もりもり食べ、見ているこっちまで何だかピザが食べたくなる騒ぎ。
…という意味では、ピザ全メニューの代金だけで、ある程度の宣伝効果を上げたと考えられ、社長さんも ほくほくで帰られたのではないだろうか。

 そういう事があってから、『いいとも』ではタイアップ企画として、経営に困っている社長さんを「社長版テレフォンショッキング」的に連続して呼び、その会社の商品を配達してもらってスタジオに並べる、という事が恒例化された。
 ある時、かなり真面目に困っている社長さんが次回出演者として候補に上げられたのだが…その会社は、身障者の補助器具を扱っていた。
お昼の番組としてはなかなかに取り扱いが難しい商品であり、しかも全国展開の店舗を持っている訳でもないので「放送時間内に商品を配達してもらう」といったアクティブな企画にも向いてない。
 やむを得ず、それ以外の社長さんを紹介頂く、という事になってしまった。

 「テレビ向き」なモノってのは、確かにある。
 『たけしの誰でもピカソ』のコーナーである「アートバトル」。
面白いんで好きなんだけども、これにも明確にテレビに向いている・向いていないアートの題材が存在する。
 動きのある像や模型、人体を使ったパフォーマンスなんかは画面に映える。
でも、真面目に地道に風景画を描き続けている、なんて人の作品は、こういう企画としてテレビに映すには、本当に向いてない。
とにかく地味で、ぱっと見た目、まあまあ上手くとも「それで?」という感想にしかならないから。
 そういうアーティストばかり呼んでいては、コーナーそのものが存続出来なくなってしまう。
で、派手だったり動きがあったり珍妙だったりするアートが多くなる。

 「テレビ番組」を面白くするために、多くの「テレビ向き」で無いモノが切り落とされている。
それは、バラエティーに限らず、報道だってそう。
 テレビばかり見ている人…特にオレのように起きている時間中 途切れなくテレビ画面を眺めているような人間(汗)は、「テレビ向き」で無いモノの価値を、ともすると見失ってしまう事もあるのではないだろうか。
 そういう事も、常に心の片隅に置きながら生きていかないとなあ。



 ……という初夢を見た(笑)
いや、何だそれ?と言われても、起きた時にこういう考えが頭の中に残っている夢だったんだから仕方ない。
 何せ夢だから、文章が飛躍してて付いていけない所があるかも知れないけど、ご容赦。
 ちなみに、『いいとも』の下りは全部 夢。
ピザ屋の社長が番組に出た事あるかどうかなんて、知らない。

 どーだろうなあ、これは良い夢なのか良くはない夢なのか、今年は一体どういう年になるのか、夢占いの本にはこういう事例は載っているのだろうか?
 まあ多分、今年も締め切りに追われながら、色々な事を理屈っぽかったり屁理屈っぽかったり電波っぽかったりな思考でグダグダと考えて ここに書き散らす一年になるのだろう。
それはそれでまた楽しからずや。
 よろしければ、お付き合いを。



2002/01/01(火)

 2002年
あけまして おめでとうございます

 昔はヒネくれていたので、「明けたらしいからおめでたいと言われているようです」とか「明けましてもめでたいとは限らない」とか年賀状に書いて送ったりしていたもんですが、さすがに最近は穏やかになったもんで毒気も抜けて脂っ気も生気も抜けてもうすっかりカサカサですよ正味の話。
 旧年中は大変お世話になりましたが、今年も大変お世話になると思いますので、よろしくお願い致します。
もうイヤでも何でも容赦なくお世話になってしまう運命なのですから、出来れば笑顔でね。

 初夢の内容を書こうと思ったら、初夢って「元旦の夜から2日の朝にかけて見る夢のこと」なんですな。
じゃあ今朝方のは関係ないのかあ。
 一応書いておくと、翌日朝イチで渡さなければならない原稿の最中、眠くて眠くて仕方なくなり、お願いだからちょっとだけ寝させて、仮眠させて、と言って机の下の床に横になった途端に熟睡してしまった飛龍 乱、果たして原稿の行方はいかに、というリアルすぎて泣きたくなるような内容でした。
 本当の初夢は、もうちょっとマシなものを見たいもんだ。



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