ときどき日記 02/03(後)


02/03/31(日)

『デジモンテイマーズ』51.「夢みる力こそ僕たちの未来」

 実は、加藤ジュリが おかしくなってしまった辺りから、うざったくなってしまったもんで余り真面目に見ていない。
最近、「ラストの感動に至る助走として、シンドイばかりのマイナス展開をガマンしてください」というのに耐えられなくなって…
まあ、トシのせいかね(笑)。

 このアニメ、「加藤ジュリを助け出す お話」だったのか?それで良かったのかどうか。
 最後も、最終回だから、この方がパターンとして話が締まるからと用意したお別れ、なのが露骨で醒めてしまう。
 負担の大きい、限界を超えるパワーを発揮させる事で、大好きなデジモン達との別れが その後にすぐやって来てしまう事を知りながら、それでも友達・ジュリを助け出すための戦いを続ける子供達、という風に持って行ければ、最後の別れにも説得力が出たと思うんだけど。


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『ギャラクシーエンジェル』17.「ツキなし月見そば」18.「誰も見たことのない謎のカルパッチョ」

 前半。
いつものラッキーの揺り返しとして、ほんのちょっとのストレスにあっても、周囲にアンラッキーな迷惑を掛けてしまう日が訪れるミルフィーユ。

 アイディアとしては大変に面白かったが…
道無き道をクラシックなバスで激走する所には、もっと悪戦苦闘な様子が欲しかった。
それが無いもんで、ガミラス総統府(反射衛星砲?)そっくりなデザインのGA砲で山頂に建築中の建造物を吹き飛ばす悪ノリ(^ ^)はともかく、その後の僅かな時間でお花畑を再現してみせる他メンバーの壮絶な努力に繋がる勢いが付ききってない印象。
 ここいらは、苦労すれば苦労する程 笑えると思うんだけど。

 ミルフィーユにストレスをかけないために周辺のあらゆる事物を破壊・改修して彼女好みに変えていくエンジェル隊を見せ、その目的は災厄から皆を守る事だったが、実は隊の行動そのものの方が余程 大きな災害だった、とするのはどうか。
 最後…自力で四つ葉のクローバーを見つけてラッキーな状態に還った訳だけど、その瞬間に最悪の運周りである24時間が終了したから そうなった、という事をはっきりと描けばカタルシスにも持って行けたのでは?
ラッキー復帰までのカウントダウンを行うとか。
 別に悪い出来ではなかったが、もうちょっと演出のテンションが高いと、もっと もの凄い爆笑ネタにも出来たのでは、と思うと惜しい。

 後半。
 何だろうなあこの話は?
「最終回だというのに、新制服の投入とか便利な超能力の目覚めとかいったテコ入れとしか思えない展開をブチ込んだ後、スパッと終わってみました」というギャグなのか?
それなら、全員が搭乗するメカも新型機に変えて欲しかった所。
 でも、ラストシーンが記念写真を撮影した時間に戻っていたのは…
超能力の目覚めとかは全て一炊の夢だった、という事?
カメラが見せた幻?
 うーん何にせよ、超能力の見せ方への悪ノリも足らず、イマイチ食い足りない最終回だった。

 今回に限った事じゃないけど…
 例えば、後半アタマのカレールーのかけ合い。
ここで、その真ん中にぼんやり突っ立っていたクセに全くルーを被らないミルフィーユ、といった絵を見せる事で、「強力なラッキーの遺伝子を持っている」彼女のキャラクターを継続的に描いて欲しかった。
巨大メカの破壊活動により降り注いできたビルの破片、他メンバーがそれから逃げまどう中、ミルフィーユだけは ぼーっとその場から動かず、岩の方が彼女を避けるように落下してくる、とか。
 こういう積み重ねがあって初めて、前半のアンラッキー方面揺り返しネタが生きる。
 それに、彼女の「のほほ〜ん」なキャラクターは、この強力なラッキー遺伝子によりケガも病気もせず 人からの悪意も受けた事がないため、生まれてこの方 怒る・憎む・疑うなどマイナスの感情を持った事がない、という経歴から来ている、とした方が ただ「天然だから」よりも楽しいと思うんだけど。

 全体に。
 基本的には面白いシリーズだったが、開始当初のテンションの高さは、続いていくウチに段々落ちていったようで残念。
 18話、実質9回では短すぎる、と思ったけども…制作者への負担が厳しいギャグもの、ここいらで終わっておく判断は賢明だったのかも。


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『サイボーグ009』24.「アルテミス」

 そうかそうか、陽動作戦にしてはドルフィン号が何もしてないのは何故か疑問だったが、実は彼らも陽動で、007ただ1人を侵入させるために行動していた訳だ。
視聴者までも だますネタで、大変結構(だまされたのはオレだけ?)

 下僕のようにアポロン達に仕える 生み(改造)の親・ガイア博士の行動の謎については、自らが作り上げ、(自分の考えでは)「余計」な人間時代の記憶を消し、「神」として生まれ変わらせたサイボーグ達に仕える事で、歪んだ自意識を満足させていた、という事なのかな。
その理想に沿わない者には容赦しないようだけど。

 まあ、まあまあ悪くない展開。
 アポロン達が発揮する超絶の能力は、島の地下に据えられた巨大な装置から供給されるエネルギーに寄っている?
なら、それを破壊する事で彼らと互角以上に戦えるようになる、という流れに持っていくのかも。



02/03/29(金)

『おねがいティーチャー』12.「もう一度ティーチャー」

 むー。

・やっぱり関わった全員から宇宙人テクノロジーで自分に関する記憶を消去していたのか みずほ。
しかし、自分が居ないと成り立たない事件…ふられる小石とか、停滞の事を桂に打ち明ける苺とか、失恋の痛手がきっかけでムサい教師に好意を抱く小石などについては どのように処理したのだろうか?
 また、一体何のために記憶を消したのか?

・銀河連盟規約では、現地住民と必要以上の接触をしてはならず、テクノロジーの使用も含めて「極刑」にも値する重罪だと判決を下される みずほ。
…そんな重要な違反を犯している態度を取ってたか?
確か みずほはエリートだという設定だったような気がするが(それは妹の欲目で、実際はバカだった?)、「極刑」クラスの違反を、何ら痛痒を感じることなくガンガン重ねていっちゃイカンだろう。

・結局 地球に帰ってくる みずほ。
「極刑」はどうしたんだよ(笑)
別段何の罪にも問われなかった様子なのも変だけど、それだけ大きな違法行為を行った女性に対し、行動の自由を規制せず、またも うかうかと保護すべき星・地球への侵入を許してしまうとは…銀河連盟もバカ?

・記憶が消去されたはずなのに、どうにも上手くないきっかけで全てを思い出してしまう桂。
盛り上がらないもんで、「愛の奇跡」とは とてもとても感じられず、「いい加減な記憶操作技術だなあ」と思うのみ。

 …まあね、これら全て、実はそれほど致命的な事ではない。
物語に視聴者の気持ちを「巻き込む」事に成功していれば、まあまあ、許せてしまう程度のいい加減さだ。
 が、このアニメは、途中から破綻した展開を見せ、客の感情をまるで置いてきぼりにして、制作者が望む方向に強引に行ってしまったからなあ。
そうなると、細かい事まで気になってしまう。

 ハッピーエンドなのだろう最後も、キャラクターに愛情を感じていなければ、全てヒトゴト。
どうなろうが、知った事じゃない。
オレに関係ない話だし。

 開始当初、強力な「萌え」アニメとして大きく成功していくのではないかと期待していたが、中盤からの「シリアスにしてみたい」という制作者の思惑だけが暴走した展開により、かなり多くの視聴者を振り落としてしまったのではないだろうか。
非常に、残念。
 真の最終回・13話はセルソフト専用として制作・公開するそうだけど、もう興味ないや。



02/03/28(木)

『ちっちゃな雪使いシュガー』24.「あたしはここにいるよ」

 実に綺麗にまとまった最終回だった。
取りこぼしたモノはなく、余計なモノも付け加えない、理想的な終わり方。

 街中に、これまでは見えていた季節使い達の姿が無くなってしまったのは、やっぱりサガが一歩成長して「大人」になってしまったから、なんだろうなあ。
ちょっと切ない感じ。
 最後には、もしかして成人したサガが、発明バカの男の子と結婚して出来た 娘が出てくるんじゃないか、などと思いつつ見ていた。

 街に帰ってきていたシュガー。
その姿が見えなくなってしまったサガに代わり、シュガーを見つけ、話をする娘。
 娘「お母さん、どうして泣いてるの?小さなお姉ちゃんも泣いてるよ。あ、泣きながらお母さんのホッペにチュッチュッて いっぱいキスしてる。見えなくなっても、もうお話しできなくなっても、ずーっとずーっと大切なおともだちよ、って」
とか。
 サガのピアノと、シュガーとで、久々の演奏セッションをし、窓の外に降り始めた雪を見ながらサガが「雪なのに、暖かい。お母さんみたいな雪使いに なれたんだね、シュガー」で終わらせるという手も。

 …などと勝手に色々な妄想(^_^;)をしてしまったが、本当の話、こんな事をしては「蛇足」になってしまっただろう。
 本編ラストシーン、幻とも本当にすぐ側に帰って来ていたともつかぬシュガーの、「やあねえ、ここにいるじゃない」というセリフ、そこから、しっとりとしたエンディングにではなく 元気の良いオープニングに繋げる制作者のセンスには鳥肌が立ってしまったから。
巧い!正味の話、巧いっ!

 番組開始当初、余りにも地味で起伏に欠ける展開に、「あんまり面白くないなあ」などと失礼な事(汗)を思ってしまったが、最後まで見終わってみると それは予定通りの事であり、ハデハデな大事件や人の激しい感情を描こうとしている作品ではなかったのだ、という事が分かる。
 ごく小さな事件を通して、僅かに落差が生じていた人々の気持ちが溶け合い、より仲良くなっていく過程を、丁寧に丁寧に、昨今見られない程 繊細に描こうとしている作品だった。
 言えば、古き良き時代の「世界名作劇場」が目指したものに近いだろうか。

 オレの考えだと、グレタは当初、もっとワガママで強欲でひどいヤツでなければならない。
その彼女が、サガとの交流を通して次第に心を開き、素直になっていく様子を描いていかなければ。
 でも、本編ではグレタは最初から、悪い子じゃなかったよね。
少々困った所はあるにせよ、他人を侮蔑したり見下したりする訳ではなく、皆から露骨に嫌われている訳でもない。
 そんな彼女がサガと仲良くなれたからといって、面白いエピソードになるとは思えなかったが…最終回、サガに誉められて頬をピンクに染めるグレタの姿にはジンと来た。
それは、オレがこういうヒネ気味のキャラクターを好きだという関係もあるけども(笑)、愛情を持って描かれ、シリーズを通して育てられてきたキャラの、ほんの少しの変化でも客に感じ取らせ、しかもその変化を嬉しく感じさせてくれる制作者の腕の冴え故、だろう。

 見られて幸せな、出来の良い作品でした。
木村『HAND MAID メイ』真一郎 監督他、スタッフの次回作にも期待したい所。



02/03/27(水)

『はじめの一歩』75.「さらなる一歩を」

 男は、誰でも大抵 強くなりたいもんだよね。
『刃牙』風に言うと、「男なら、誰でも一度は世界最強を目指す」という事(^ ^)。

 強くなって何をするかというと、そりゃムカつくバカ野郎をブン殴ってやりたいと思う部分もあるけど、実は具体的な目的は特に無く、「強くなる」という強烈な手段のために目的を忘れてしまう、という所が大きいような。
もちろん、強くなってお金持ちになりたいとか思う人も居ていいけど。
 「強い」って、それだけで価値があるんだよね。
「アイツと殴り合ったら、オレの方が勝つな」っていう気持ち、それだけあればイイんだよね。
男ってまだサルから大して進化していない、馬鹿な生き物だからね(^ ^)。

 そういう「強くなる」事の嬉しさ、自分より強いかも知れない相手と殴り合う不安と恐怖、それを乗り越える歓びと感動をきちんと描いた、砕いて言うと、相手の拳が自分に命中する痛さ、自分の拳が相手の体に めり込む充実感、自分が倒される悔しさ、相手を殴り倒した高揚、それらを あたかも見ている人間まで一緒にリングに立っているかのように、確かな手応えを持って感じさせてくれる素晴らしく出来の良い作品だった。
 当然、高度な完成度を誇る原作の面白さに寄る所が大きい訳だが。
それを損なわず、パワーアップして見せてくれたスタッフにも拍手を送りたい気分。

 最終試合となった千堂武士との勝負も、試合運びの見せ方の巧さ、戦いにかけるアイディアの量、それぞれのキャラクターへの深い洞察と理解と愛情が感じられ、「強いって、何ですか?」と一歩が会長に問う辺りから ほろほろと泣けてしまった。
男はねえ、そういうモノなんだよね。

 まだ未映像化の原作もかなり残っているのだから、いずれ機会があれば、アニメを再開して見せて欲しいもんだ。


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『Kanon』最終3話

 …………絶句!

 そもそも、このアニメに於いては、せいぜいで標準的重要度のキャラという扱いしかして来なかった あゆを、突然にメインヒロインに据えようという時点で無理無理。
あれほど関わりを持った魔物退治少女も、哀しい定めのキツネ少女も、常に影から見守り続けてくれた同居少女・名雪の事もすっかりと忘れ、イキナリあゆ一筋になって「好きだ」などと言い始める主人公に、感情移入する事など不可能!
 なので、人形に奇跡を起こす力がある(祈る心が起こす奇跡?)という設定は巧いなあ、とは思いながらも、あゆエピソードは最後まで「他人事」であり、哀しい別れにも「ふーん」という以上の感慨は抱けず。

 それでも…泣ける人は泣ける展開なのかなあ、と思いながら見てたけど…
 最終話、視聴者の同情を誘うよう、わざわざ「可哀想」に描き続けて来た名雪に対し、あくまで冷たい主人公にイライラ。
おまえ前回、「名雪は大事な人だ」とか言ってなかったか?
 それでもラスト10分程で、彼女との未来へ希望を残して終わる気かと思えば…
 あゆは生きていた!
ビックリ!
これじゃ羽まで はやして空に上っていった、感動シーンが台無しじゃないか!?

 そして、幼い頃に、差し出されたその掌から雪ウサギをなぎ払って壊し、心を傷つけてしまった名雪を相手に、成長した今になっても 差し出された「心」をなぎ払って壊してしまう非道さを発揮、何だか転校も何もかもウヤムヤにして あゆと楽しく暮らす未来を選択し、更には傷心の名雪が待つ家に あゆを連れ帰って、名雪母に たい焼きを作ってもらおうと言う、おおよそ「人」の範疇を越える無神経さを見せつける主人公に、また絶句
何じゃこりゃあ?

 なんといえばいいのか…見終わった感じは実に不快
それは、名雪ヒイキに大きく傾いていたオレの心理状態も原因としている訳だけど(笑)、それを除いても、誰の視点で、誰と誰をくっつけるためのシリーズか という主題への煮詰め方が甘く、全てのキャラクターに向けた制作者の視線に愛情も暖かさも感じられない、という不出来さによる。

 ああ、もういいや。
もう どーでもいいや。



02/03/26(火)

『ファイナルファンタジー:アンリミテッド』25.「風」

 実は途中からほとんど見なくなってしまったので、内容について詳しくどうこう言える立場にない。
 双子って何だったの?とか、リサが作品中に存在していた意義は?など疑問が色々残ったのではないかと思うんだけど、もしかして途中で納得出来る展開があったのかも知れないし。
 ラストの尻切れさ加減は壮絶
打ち切りにしても、もうちょっとどうにか出来そうなもんだが…
キレイにまとめよう、という気など最初から無い、という事か?
 最後に来て、作画は大変に頑張っていたようだ。


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『ラーゼフォン』09.「時の祠」

 謎の上に謎を重ね、思わせぶりのスパイスを振りかけた形の展開。
主人公しか操作出来ないはず(なのかね?)のラーゼフォンに近づく根性悪博士、主人公と電波少女を神隠しにあわせる遺跡、以前に神隠しから帰って来た(?)二人の少女などなど。
 謎が多すぎ、主人公をラーゼフォンの操縦から遠ざけようとする政府のお兄ちゃんは、ただ単に後先考えないバカなのか、敵側のスパイで それも何かの計画の一部なのか…分からないんだけども もう考えるのも面倒臭い、という気分に。
『エヴァンゲリオン』あたりまでは、謎の考察が楽しかったのに、トシかねえ。

 全体に、つまらない訳ではないし一生懸命作っているのも分かるが、好きになれる程のキャラクターも、目が離せないドラマも、手に汗握るアクションも見当たらず、食い足りない印象。


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 レンタルで映画『デンジャラス・ビューティー』を見る。
サンドラ・ブロック主演のコメディー。

 ガサツで乱暴者なFBI捜査官・グレイシーは、爆弾魔から参加者を守るため、自らも参加者を装ってミス・アメリカ・コンテストに潜入する…というお話。
 内容は、以上の文章を読んで「こんな感じかな?」と予想した、その通りのモノ(^ ^)。
わざとオトコ女な雰囲気を醸し出していたサンドラ・ブロックが、専門スタッフ達の手を借りて美しく変身していく辺りが見物。

 大分変形した『マイ・フェア・レディー』かなあ。
美容コンサルタント役のマイケル・ケインが非常にイイ味を出している。
 他のコンテスト出場美女達が持つ悩みや夢など内面を彫り込み、サンドラ・ブロックとの対立と友情の成立をきっちり押さえてくれれば、もっと感動的な内容にも出来たんじゃないか、と思うと惜しい。
 分かったような分からんような…な爆弾魔の正体について無駄に考察する時間を削ってでも、そちらを優先すべきだったろう。

 まあでも、固い事を言う必要もないお気軽お天気な可愛らしい内容で、何も考えずに見れば 時間一杯 十分楽しめる。
サンドラの「オレ様映画」色が強いので、ファンの方は特に満足かと。
 ちょいと、カーク船長ことウィリアム・シャトナーが出演しているのが嬉しい。

 あ、あと、日本語吹き替えで見たんだけども、サンドラ・ブロックの声を担当している川原亜矢子という女優さんの演技が どうにも下手で、感情移入への かなりな障害になっている。
話題になればそれでイイ、という考えで演技力の有無を問わず話題の人間を起用しがちなテレビ放送版とは違い、お金を払って見てもらうセールス・レンタル用の吹き替えなのだから、しっかりした技術を持つ人に演じて欲しかった所。
残念。



02/03/24(日)

『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』08.「バレちゃった!?ハナちゃんのひみつ」

 マンガの中で、王女ハナを助けるために働く下忍・あいこ達5人(4人と1匹)に、「行け〜やれ〜ハナちゃんのためを賭けて戦うのだ〜!」と臆面もなく言えてしまうハナの、自他の未分化具合というか無神経さが いかにも幼児らしくて笑う。

 今回は、正体がバレないように、ハナが魔法を使う事を厳しく戒める5人だったが、サングラスのシークレットサービスとか、忍者の格好で街を歩き回る どれみ達の魔法使用法の方が余程 正体露見の危険性があるような気も。

 漫画世界での戦いには、どれみロボが出現した以前のお話ぐらいの悪ノリが欲しかった所。
ちょっと大人し目だったのが残念。
 林野では悪役として実力不足だった?


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『ギャラクシーエンジェル』15.「新鮮とれたて驚異の舟盛り」16.「禁断のムニエル魅惑の山かけ」

 前半。
 映画『ジョーズ』に対するオマージュ、というか…釣り竿に ごく僅かな反応があり、吊り上げるためにフォルテが船に体を固定するなど色々な準備を行っていく所なんて、まるっきりそのまんま。
多分、このシーンの参考資料として映画を見直したんだと思うな。
もしかすると、映画のビデオ以外に参考資料を用いていない恐れも(^ ^)。
 お話は、少々食い足りない印象。
『ジョーズ』にするのならもっと徹底的に、助けを呼ぼうとした無線機をフォルテが自ら壊してしまうとか、最後はマストに上って巨大魚との一騎打ちもして欲しかった。

 後半。
 お話は、まあともかく(^ ^)。
 エンジェル隊が見せる、職務への忠誠心とかプライドの徹底的な無さが気持ちいいなあ、という事と、ほとんど言葉(鳴き声)も発しなかったマンボウモドキの声優に井上喜久子を使っている100%無駄な豪華さが印象に残った。
そういやあ井上喜久子は、前世がマンボウだとか出来るなら半魚人になりたいとか、キテレツな事言ってるんだっけ?


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『サイボーグ009』23.「そびえ立つ神話」

 むー?
演出テンションの差なのか、戦いに今ひとつ緊迫感が足りなかったのは残念。
 戦闘性能としては009よりも上であったろうアキレスの体が、チビなパンの一噛みで破損してしまったのは、丁度そこが「アキレスの踵(アキレス腱)だったから、って事かな?バカ正直に神話になぞらえて弱点を設定する設計者は何考えてるんだか(笑)。
 陽動のために乗り込んだ009達が死闘を繰り広げているというのに、移動するそぶりがないドルフィン号も謎。

 今回一番の疑問は、アポロンの圧倒的戦力を目にした009が、隠された能力存在の有無を問われた時に答える、「あとは、勇気だけだ!」というセリフ。
格好いいんだけど、そのすぐ後にパシューンと撃たれて倒れちゃあ、何だか『パトレイバー』の、
「俺達にはまだ武器がある、知恵と、勇気だ」
「言ってなさい言ってなさい そうやっていつまでも」
という かけ合いみたいに、恥ずかしいセリフにツッコミを入れられた、というギャグに取れてしまうぞ(笑)。
 これは、「ミュートス編」のみならず、『009』全体を象徴するようなセリフのはずなんで、もうちょい考えて欲しかった所。



02/03/23(土)

『カスミン』24.「カスミ、扉を開く」

 鍵を手に入れようと、カスミに迫る霧の者達の姿が不気味でなかなか。
どっかで見たなあ、と思っていれば、今回コンテを切った本郷みつる監督の劇場作品、『クレヨンしんちゃん・雲黒斎の野望』に出てきた下っ端忍者に雰囲気が似ているんだった。
 この緊張感溢れる展開を切り抜けるのに、カスミが取った対抗策が「自分を可愛いと3回言わせる事」(笑)。
 仕方なく、非常に義務的に「カスミン可愛い・カスミン可愛い・カスミン可愛い」と3回言う下忍。
気持ちがこもってない、などと難癖を付け(確かに、アレじゃ嬉しくなかろうけど)、何度も言い直しを強いるカスミ。
 単なるコメディーシーンかと思えば、時間を稼いで龍之介に鍵を渡すためだったとは…なかなか、策士だなあ(^ ^)。

 追い詰められた龍之介が見せる「龍王の息子」らしいパワー。
それにしては直後の行動が間抜けていたりするのがまた、子供らしくて結構。
 今回は「玉」状態になってコロコロ転がってみせたり、龍之介の見せ方にも凝った話だった。
さすが本郷みつる、と言うべきか。


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『トリック2』

 放送終了。
 元々そう、と言えばその通りなんだけど、すっかりと「推理」よりか「ギャグ」のほうのウエイトが増えてしまい、正直 謎解きとかどーでも良かったりする(^ ^)。
 最終回も、色々と無理気味に謎を解いてはいたけども「アチコチの毛が伸びる」謎については触れずじまい。
これにはトリックが無かったんだとすれば、この山は十分に「呪われた山」だと思うぞ。
…いや、笑ったから野暮は言わないが。

 『2』も面白かった。
 で、劇場版へ?
『ケイゾク』と同じパターンだなあ。
そうすると、劇場版は駄作になってしまうのか?



02/03/22(金)

『フィギュア17』11.「守りたいものはありますか」

 内気で弱気で内向的な つばさ。
学芸会の主役にヒカルと並んで「双子」という事で抜擢しようという案に、「出来ません」と答えてしまう。
 でも、ココがスゴイ所なんだけど、これまでのシリーズの積み重ねから、以前の通りの つばさなら皆の期待に応えない事が出来ず、自分の意志を殺して「分かりました」と言っていたはずで、はっきり自分の気持ちを伝えられた というだけでも彼女の心の大きな進歩を感じ取らせてくれる。
マイナスから ようやくゼロになった、というか(^ ^)。
 とてもとても難しい、極端に内向的な少女の成長を、丁寧に丹念に、バトルシーンを削ってでも(笑)描き続けた成果が見事に出ている。
 「出来ません」と言えるようになった少女の変化に、きちんと気が付いて誉めてあげられる担任教師の存在も嬉しい。

 これまでで最強の敵マギュアとの激戦。
強化したエアバイク(?)の武装に加え、母船からの砲撃でも倒せず、フィギュア2体がかりで至近距離から何十発と携帯ビーム砲を打ち込んでも まだ活動を止められない。
 伸びてきた触手に首を絞められ、右足の腿を毒触手で貫かれて絶体絶命の つばさ&ヒカル。
 「つばさちゃん、あたし、もうダメかも…」
いつも戦いをリードしていくヒカルが吐く初めての弱音。
合体状態を解除して、つばさだけでも逃げさせようとする。
 つばさの周囲から消えていくスクリーン表示。

 「イヤだ、そんなのイヤだよ!」
強制合体解除に至ろうとしたその時、つばさは自分の方から、強い意志を持ってもう一度「心」を繋ぎ直す。
 復活するスクリーン群。
 いやもう、握り拳に汗が滲む緊迫したシーンの連続。
 弱っていくヒカルのため、必死の戦いぶりを見せる つばさ・フィギュアは、顕わになった敵マギュアの弱点にビームを撃ち込み、遂に四散させる。
 「出来ません」では済まない命懸けの戦いを通じ、成長を見せる つばさのけなげさにホロリ。

 戦いが終わり、合体を解くと、強く互いを抱き締め合った姿になっているつばさ&ヒカル。
 その後、学芸会の主役を引き受ける つばさにまたホロリ。
ああああ、頭なでてやりてぇぇぇ(阿呆)

 繊細なシナリオ、愛情を感じる演出と並んで、基本的に同じ顔をしているといういうのに こっちが つばさでこっちがヒカル、としっかり分からせてくれる作画もまた、本当に素晴らしい。


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 ケーブルで放送していた『ブラックマジック マリオ M−66』を見る。
1987年発売当時、レンタルで一度見ていたが、見直すのは今回が初めて。
 士郎正宗が同人誌時代に描いた原作を、自身が監督、脚本、絵コンテを手掛けてアニメ化したもの。
 共同の監督、及び構成・キャラクター・デザインに『BLOOD THE LAST VAMPIRE』監督の(くりぃむレモン『ポップチェイサー』の?)北久保弘之。

 輸送機の墜落によって予期せず起動してしまった新型対人ロボット兵器・M−66が、標的として仮にインプットされていた開発者の孫娘を捜し、町へと出ていく。
それを、特殊部隊とルポライターの女性が追い、壮絶な戦いが繰り広げられていく。

 「完璧な作画」のアニメと覚えていたのだが、ハイ・クオリティーな作画作品が数多く作られている現在、見直してみると、結構「そうでもない」(^ ^)。
 いや、演出意図を実現するに十分ではあるんだけど。
枚数も掛かっているし。

 単純化されたストーリーのこの作品で、最も求められるのはアクションの演出力。
これが…驚く程出来が良い。
 特にM−66が見せる超絶の体術。
「人間では、ない」という設定を生かし切った動き。
 手で、足で、回転する関節部を用いて繰り出してくる必殺の攻撃。
人型をしているが故に余計に感じてしまう四つんばいで這い回る姿の違和感(エヴァンゲリオン完全暴走時の元ネタ?・笑)。
標的の破壊、以外は一切 意に介さないその行動。
時に狡猾に、時に愚かな程真っ直ぐに、標的に向かってタダ突き進んで来る恐怖。
 年代的に、このアニメ版は84年公開の『ターミネーター』の影響下にあると思うけど、それとはかなり違う、アニメならではのハデなアクションを盛り込んでおり、見応えがある。

 対する軍人達の行動。
これはもう、士郎正宗の十八番ってえもんで、実に有能に描かれている。
 捉えられたルポライター女性が、見張りの軍人が背中を見せたスキに渾身の力でその首筋に拳を振り下ろすのだが、相手は「大人しくしていろ!」と言うだけで そんな攻撃など全然堪えない所とか。
 娘が殺されるのを待ち、M−66が信号に応じるようになってから安全に回収するつもりではないか?という博士の不安をヨソに、必死の戦いぶりを見せる軍人達。
 軍隊をなじる博士の娘に、「軍だって一生懸命やってるんだ」と諫めるルポライター女性など、軍人びいき(「右」だとか言うんじゃなくてね)が前面に出た作り。
 アニメ化された『アップルシード』での部隊行動が、まるっきり「シロウト以下」にしか演出 出来ていなかった事を考え合わせると、やっぱりこの辺を説得力を持って描くには「愛」が必要なんだなあ(^ ^)。

 あと、このアニメで覚えているのは、設定の異常な細かさ。
 主人公、ルポライター女性だけで、右肩が左肩よりもずっと張っている(いつもカメラを構えているため筋肉が発達した)とか、左手の薬指に日に焼けてないラインが(結婚か婚約の指輪を最近外した)とか、シャーロック・ホームズならば 当該人物を見ただけで色々推理出来てしまうだろうというぐらいに細かく設定してある。
 その辺は士郎正宗の良い面と悪い面で、画面の奥深くまで作り込まれた世界に陶然となる事も出来るが、一見さんお断りの敷居の高さにもなっていると思う。
 このアニメに関しては細かい設定など何も知らなくたって問題なく楽しめるけど、『攻殻機動隊』辺りになると…オレ程度の読解力とか知識ベースでは、お手上げな部分が多い(^_^;)。

 横にそれた。
 『M−66』は、全編に溢れるアクションと、アクティブなキャラクター描写で、ちょっとシニカルな後味を残すエンディングまで目を離せない傑作。
 未見の方は是非。



02/03/21(木)

 もう桜が満開状態だそうで。
本当に早いなあ、今年は。
 吉祥寺、井の頭公園に花を見に行きたいけど、今年はまた花粉症症状が重くて余り外に出たくない気分でもある。
 甜茶飲んでもヨーグルト食べても さほど症状が改善された様子は無し。
目がショボショボして鼻水が出てクシャミが止まらない。
やっぱり鼻の奥の粘膜をレーザーで焼くしかないのか?

 花は見たい鼻は辛いという この時期結構な頻度で耳にするダジャレで落としてみようかななどと思った訳ですが如何でしょうかダメですかそうですか。


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『おねがいティーチャー』11.「せんせい」

 主人公が「停滞」現象を起こすようになった原因は、姉が自殺する瞬間に立ち会った事にあった。
…と言われても、「なるほどなあ」という気分にはなれず、「そういう設定をここからはくっつける事にした訳ね」と思うだけ。
 それは、姉の自殺、という大きな事件を経たはずの主人公の反応が、ちっともそれらしくないから。
 もっと、女性恐怖症になるとか(少なくても年上の女性に対しては拒否反応が出て良いはず)、噂される姉弟相姦関係が本当ならば 性的なモノを拒否するようになるとかした方が、「停滞」なんていう見るからに「ウソ」な設定が入った物語の「リアル」を演出するには良かったかと。
その辺がこれまでに押さえられてきていれば、「なるほど」と思える度合いはグッと上がっただろうに。

 「目の前で誰かに自殺された」事が「停滞」の引き金になった、という事ぐらいはシリーズ開始当初に視聴者に知らせ、ここでようやく「その誰かとは、実の姉であった」と分からせても、十分に衝撃は残ったのではないかとも思う。
なんかねえ、唐突なんだよねえ。
 自殺の影響での「停滞」によりマイナスに落ち込んだ精神状態から、みずほに出会い、その強引なお色気攻勢と、年上なのにまるで頼りにならない彼女のために自分がしっかりしなければ、という思いが、主人公を否応なく成長させていく。
その過程で、引きずられ続けていた「止まる」事を選んだ姉の幻影に対し、はっきりと「みずほと共に進み続ける」事を告げ、決別していく、という風に出来れば良かったのではないかと。

 本編では特に、主人公の成長が感じ取れないもんで、姉との会話に説得力がない。
 何たって前回は、危うい精神状態にある「停滞」仲間と、一度ふっておいて 好きでもないのに付き合う真似事をしようとした女の子を 再度傷つける事も構わず置き去りにして、先生を追い掛けていった訳で。
死んだ姉よりも、生きてやらせてくれる先生を選んだだけじゃないの?」という気分にしかなれない。
 その考え方もまた、猪突猛進やりたい盛り色ガキ高校生としては、正しく「前進」と言えるのかも知れないけども(笑)。

 今回最後のシーン、オレはまだ主人公がインナー・スペース遍路の旅を続けていて、「姉が自殺した瞬間」から「みずほと出会うまでの日常」に移ったものだとばかり思っていたんだが…
 アレはもう現実に帰ってるの?
全員の、自分に関する記憶を消した訳?
それにしちゃあ未練がましく主人公のポケットにポッキーの箱 突っ込んであったりして、バランスを欠いている事おびただしいな。何がしたいんだ?
 とにかく、次回 最終回を待つばかり。



02/03/20(水)

 社民党、辻本議員の秘書給与疑惑が発生。
 …まあ事実関係はじきに明らかになっていくんだろうけども、それよりか、この件についてコメントする自民党の野中とか福田官房長官とかの表情が、隠しても隠しきれない程に、というか隠すつもりもないんだろうが、凄く嬉しそうで笑う。
 ここしばらくは鈴木のオッサンの疑惑へのコメントを求められるばかりで、苦虫をまとめて100匹程 噛み潰したような顔ばかりしていたからなあ。
久々に晴れ晴れとした気分なんだろう。


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『Kanon』09.「笑顔の向こう側に」10.「冬の花火」

 前半。
 今回のメインは、不治の病を患っているらしい栞。
病弱、という設定にしては、まだ雪が積もる町中を、肩をはだけたミニスカート姿でふらふら出歩いていたりして「元気じゃん」などと思わないでもないのだが。
 今時 病弱だからって、大きな屋敷のベッドに伏せっぱなしで窓から外を眺めるのだけが楽しみ、とする訳にもいくまいし、寒そうな格好をしているデザインにしても、「心臓病の手術をした」設定の女の子の胸に「どうにも美しく描けないから」という理由だけで傷痕を描かないで済ませてしまったオレに何か言う権利はないかな(笑)。

 お話。
 単なる難病物にせず、姉妹のお話にしたのは工夫。
が…とにかく時間が短かったため、死を目前にした妹の諦観と明るさ、そんな妹を愛していながら その愛がいつか断ち切られたように終わってしまう事への恐れの余り、妹の存在そのものを否定しようとする姉、といった非常に難しい関係の姉妹を、説得力を持って描ききるには至らなかったような。

 後半。
タイマー設定を間違えてしまい、ラスト5分間程が見られていない(;´д⊂)状態での感想。
 むむむ…
こちらはより顕著に「時間が足りない」影響が表れている。
 謎の存在だった真琴は、実は主人公が昔 飼っていた(?)キツネが変化した少女であり、しかもその変身によって次第に記憶を失い、最後には命さえ失ってしまう(のだと思う。そこまでは見てないけど)という定めを背負っていた。
…というかなり強引な設定を矢継ぎ早に紹介されても、困惑してしまうばかり。
 今回30分だけで全部どうにかしようと思わず、ここまでのシリーズを通して僅かずつ設定を消化していくべきだったのでは?

 記憶を失い体も弱り、「くぅぅ〜ん」とかしか喋れなくなってしまった真琴は、保護欲をかき立てる存在として なかなかに可愛かったし、その行く末に「死」を睨んだストーリーは栞エピソードと並んでそれなりな切なさを醸し出してもいたが、とにかく時間がないため展開を端折りすぎており「感動」には至らない。
下手すると「電波」とも思われてしまう恐れが。

 例えば『エヴァンゲリオン』綾波の設定を30分に詰め込む。
 主人公と出会った無口無表情な少女は、自分がクローンであり大勢の中の1人に過ぎないとイキナリ語る。
 下校途中、事故で死んでしまった少女、だが次の日彼女は何事もなかったかのように登校してくる。
少女は呟く「多分私は3人目」。
 そして彼女は実は、主人公の母親のクローンである事が明らかになるのだった。
 …というのを短い時間で見せられたら、キャラの良さなど感じられる訳もなく、「訳分からん」「電波」という評価しかされまい。

 ちょっと冷たい感じのクラスメート少女と、何らかのイベント(主人公と共に文化祭実行委員に選ばれるとか)を通じて仲良くなるけれども、最後に彼女は転校していってしまう、という位のお話なら30分1回だけで十分に消化しきれると思うが…
 凝った設定を説得力を持って描くには、それなりに時間が必要、という事。
 今週の両エピソード共に、そういう意味で惜しい。
いくら良いキャラを出しても、それぞれの存在が各個の魅力を描き出す時間を削り取る役にしか立ってないのでは、逆効果。
大幅に設定を変更(真琴を、たまたま名雪の家に遊びに来ていた従姉妹、ぐらいに描くなど)するか、いっそ登場キャラクターの数を絞り込むかすれば良かった、と無責任な視聴者としては思うんだけど、恐らくはオトナの事情が絡んでいるんだろうな。
 ゲーム版では、もっときっちり描けているのだろうか。

 ところで、予想はしていたが、見事な程に先週までこだわり続けていた魔物ハンター少女・舞の存在を忘れた話になっていたなあ。
たいやき「うぐぅ」の あゆも出てこないし。
 恋愛シミュレーションゲームでいうと、別キャラクターの攻略ルートに入った状態なので、仕方ないとも言えるかね。

 この後は、残った あゆと名雪の攻略に入るのかな。
あと3話では、またまた消化しきれないまま終わりそうで不安…



02/03/19(火)

『しあわせソウのオコジョさん』24.「コジョピー、野性に還る」

 随分、久しぶりに見た。
 「野性に還る」というタイトルだったが、「野性」と言うよりは、「稼ぎの少なさを嫁さんに なじられるサラリーマンの悲哀」みたいなモノが感じられるお話。

 雌のオコジョと出会い、いきなりその生活の面倒を見る事を当然のように強制されるオコジョ。
「食料を取ってくるのが遅い」だの「たまには変わったモノも取ってきて」だの好き放題言われる姿が哀れを誘う。
 でも、メスが発した「アンタの子供を産んであげてもいい」というような言葉を見ると、オコジョはアッシー君やらメッシー君(共に死語)としてのみ使われていた訳ではなく、「家族」を構成した際、皆を養う生活力が発揮できるかどうかを試されていたのかなあ、という気も。
だからといって、この後はメスも一緒に食料を探しに行ってくれるとか贅沢を言わなくなるとか いうつもりは、無さそうだけどもね。
 いやあ、メスってしたたか(笑)。


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『ラーゼフォン』08.「凍る聖夜」

 むーーん、よく分からん。
 この作品は、ワザとなのか そこまでの実力しかないのか、キャラクターが考えている事をぼやけさせて描く傾向にあるようだ。

 科学者・樹が、敵の体表面から採取したクリスタル状の物体をペンダントに仕立て上げ、自分に好意を寄せてきている小夜子にプレゼントする。
 コレ、「ここまで危険な事態を引き起こすとは予想していなかった」のか「危険を承知で、最悪彼女の『死』も想定した上での行為」なのか。

 前者だとすると、その迂闊さバカさで科学者としての能力を視聴者に疑われる事になるし、後者だとすると、自分も含む基地施設人命等が危機に陥る可能性もある上、最悪の事態発生後に彼女がまだ生きていた場合「殺意」を疑われてしまう危険さえある訳で、やはり迂闊でバカ、という印象を残す事になる。
 科学一筋なため、実験の前後に起こる事など想像もしないキャラ、なのかも知れないが…

 MUが送り込んでくる敵兵器、状況に応じて進化(変化)できるの?
 小夜子を取り込んだのは、盾として利用できるという考えから?
それにしてはその存在を有効に利用したとは思えないが…
 小夜子自身のトラウマがクリスタル状物体に影響を与え、あの巨大な姿を形作った、とか?
 最後に彼女が助かったのは、自らの心を解放(トラウマ克服)できたから?
でも何故?そもそも、どんな傷を抱えてたの?
 どうにも分かり辛く、難解なストーリー部分を乗り越えるパワフルな演出が見られる訳でもなかったので、見終わった気分はイマイチ。



02/03/17(日)

 ううう、死にそう。
もうちょい寝させてもらわないと、もちません(;´д⊂)。


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『ギャラクシーエンジェル』13.「機内食(具沢山弁解カレー)」14.「愛と疑惑のもんじゃ」

 前半。
 任務終了後、帰投途中の各自の宇宙船間の通話のみで、どういうミッションがそれ以前に成されたのか、そして現在背後の宇宙がエライ事になっている責任の所在はドコにあるのか、という事を描いていく、なかなかにトリッキーなお話。
 スウィングバイで加速とかいう概念が突然出てくるのに驚く。
しかし、すっかり忘れていて1人加速を行わなかったミルフィーユの宇宙船の方が、スピードが速かったりしたようだが(^ ^)。いや、仲間達は加速を諦めて追い掛けてきたのかな?
 結局大惨事の責任は誰も取らない事に決定したみたいだけど、チョイと調べてみれば最後にロストテクノロジーに接触したのはエンジェル隊であるという事など すぐバレそうなもんだ。
そこはミルフィーユの強運でカバー、という事?
 宇宙を漂いつつ会話のみで物語を展開、という事では、『火の鳥・宇宙編』を思い出してしまった。
 ミントが自己弁護するセリフで「ボーイスカウトも泣いて這いつくばる程の奉仕の心」を自分は持っている、といったのが おかしかった。
何で基準が「ボーイスカウト」やねん。
「マザーテレサ」にするとかさあ(実名はマズイ?)。

 後半は、無表情に悪党の後を追い続けるヴァニラが『ターミネーター』しており、不気味で可愛く なかなか。
 欲を言えば、演出のテンションがもっと高ければ、更に爆笑のネタにも出来たのでは、という気もしないでもなかったが。


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『サイボーグ009』22.「神々の来襲」

 久々に石森テイストが溢れる高レベルの作画が見られ、満足(^ ^)。
 次々に現れる神々の「強さ」がきっちり演出されており、正直、ブラックゴーストとの最終戦よりも遙かに危機感が盛り上がった。

 しかし、このTVシリーズの最終章として予定されているはずの「天使編」と少々被る感じでの「神」エピソードの登場。
今回がコレだけテンションが高いと、最終章でそれ以上のモノを見せられるのかどうか、期待と不安が高まるばかり。
 「神にケンカを売れるのは、俺達ぐらいしか居ないじゃないか」というセリフが素晴らしい。
この作品全体のテーマに肉迫する名ゼリフだと思うな。



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