ときどき日記 02/06(後)


02/06/29(土)

 アメリカって不思議だなあ、と思うのは。
作を重ねると、時間的には「戻る」作品が入る場合がある事。

 『ハムナプトラ』シリーズの番外編的扱いである『スコーピオン・キング』は、『2』で登場した敵キャラクターが、人間形態で大活躍していた時代を描いた。
 まあ、ザ・ロックというお兄ちゃんの人気にあやかって、という事なんだろうけど、単に一キャラとして見ると、下半身サソリという情けない姿になって現れショボイ最期を遂げた男が、実は昔はこんなに凄いヤツでした、なんて話には余り興味が持てない気が。

 『スター・トレック』の最新シリーズ『エンタープライズ』もまた、『ネクストジェネレーション』『DS9』『ヴォイジャー』と進んできた宇宙歴を一気に遡り、カーク船長やスポックが活躍した時代より100年ほど前のワープ航法実験艦の大冒険を描いているそうだし。
 見た目よく分からないけど、『インディー・ジョーンズ』シリーズも、一作ごとに時代は戻って行ってるらしい。
だから、『最後の聖戦』が一番古い時代な訳だ。
ハリソン・フォードの顔を見ていると、とてもそうは思えないが(笑)。

 日本では…
 アニメだと、例外的に『機動戦士ガンダム』がOVA『0083・スターダストメモリー』で、時代を戻って作品と作品の間を埋める、という事を行っており、『装甲騎兵ボトムズ』の同じくOVA『野望のルーツ』で主人公キリコの過去を描いたりしてるけど…
まあ、余り無いよね。
 先の時代が分かっているだけに「主人公は死なない、世界をひっくり返すような事件も起こらない」のが明らかな物語は、少々面白味に欠ける気がするから。
 それに、「このキャラは昔こうでした」よりも「この後コイツはどうなる?」の方に、より強く興味を感じるし。

 浅〜い解釈だと、「歴史を持たないアメリカ人は、フィクションの中での歴史やキャラクターの出自に こだわるようになった」って感じだろうか(^ ^)。


 それはともかく、時間を戻って行くシリーズとして代表的なモノが『スター・ウォーズ』。
 Episode 4〜6を最初に作り、遡って1〜3を描いていくという不思議な構造を持つ。

 という訳で、『スター・ウォーズ Ep.2/クローンの攻撃』を、先々行上映で見る。

 『Ep.1』の時は、新宿の劇場へ上映時間の5時間前ぐらいに出掛け、並ばされた劇場屋上で持参した本を読んで時間を潰していたモノの、照明も無い場所で、日が落ちて次第に暗くなっていったため遂に活字が追えなくなり、ただぼんやりと2時間ばかり街のネオンサインを眺め続けていたような悲惨な記憶がある。
 今作は、席を指定した入場チケットを前日に販売しているシネコンで見る事にし、既にチケット入手済みだったため、悲壮感無く出掛けた。
 意外に…混んでない。
場内にはパラパラと空席まである騒ぎ。
 う〜〜ん、まあ、こんなもんかなあ。

 映画。
 ええと、とにかくオレは『Ep.1』が面白くなくて
面白くないというか、退屈したというか、腹が立ったというか、とにかく最低の映画だと思った。
 監督もルーカスのままだし、どんなもんか…と不安を抱きつつ見ると…
 ああ、まあ結構 楽しめる。

 とにかく色々な事が起こり、舞台もポンポン変わっていくため、飽きずに見続けられるのが有り難い。
 シリーズのファンに対するサービスが多いのも嬉しい所。
後の展開に対する伏線…いや、既にそれは作品化されているのだから、前の描写を受けている、というべきか…がアチコチに出てくる。
役立たずかと思われたムニャムニャは驚くべき有能さを見せるし、面白げだったキャラクターの前世代が出てくるが やっぱりかなり見かけ倒し(^ ^)。
ジェダイ騎士団の大活躍には、歴代ライダー大集合、という気分になった。
 いやまあ、あんまり書くとネタがばれるか。

 逆に困った所は。
 これまでのシリーズをちゃんと見ており、惑星・キャラクターの名前や用語を覚えていないと混乱する恐れが。
「ダース・シディアス」「メイス・ウィンドゥ」「通商連合」「ナブー」「コルサント」「パダワン」…全部何だか分かる?
 ゴメン、ちょっとオレは怪しい所があった(^_^;)。

 とにかく物語の語り口が巧くなく、さほど込み入ったストーリーでもないのに、見ていると何をやっているのか分からなくなってしまう部分も。
 今回のメインであるらしい恋愛の所なんか、余りに下手でベタな演出に笑ってしまった程。
幼児期から全然遭っていないアナキンを、再会後いきなり好きになってしまうアミダラって、一体?
 他にも、不自然な暗殺方法、アナキンに降りかかる大きな事件の無理加減、戦いに臨むジェダイのデタラメな迂闊さなど、首を捻る所が一杯。
 『ジェダイの復讐』でのバイク・スピーダー・チェイスを思わせる、シーンとしては面白いんだけど、物語全体から見ると、何故こんな追っ掛けっこを延々見せられているのか分からなくなるアクションも。
いや お話の流れは分かるんだが、どーせ最後はパターンで こうなるに決まってるのに…と思っていたら、やっぱりその通りだった訳で、結果的にバランスからすると長すぎ。

 まあ、ルーカスにカッチリしたお話を求めても無駄なんだけど。

 CGによる背景・メカニック・キャラクターは、凄く高いレベルのモノから『F.F.』のかなり前段階でのムービーレベルまで様々。
ILMも一枚岩ではないという事か(^ ^)。
 印象に残るシーン、面白いアクションが多々あり、爆笑かカタルシスか賭けみたいな場面すらある。
 「お話」として求める面白さを、『Ep.1』よりは随分マシ、程度で納得できるなら、絵作りの凝り方だけでも十分 入場料分の価値があるのではないだろうか。


 でも、やっぱり…
 どんなにアナキンが格好良い青年姿を見せてくれても、後に青白いハゲのオヤジになり皇帝のパリパリしたショボ目の雷撃にやられて死んじゃった挙げ句に息子の手でカブト焼きにされる愉快な末路が分かっている訳で、イマイチこう、物語的興奮に欠ける気がしてしまうんだよね。
 賞金稼ぎ・ボバ・フェットも、背中のロケットをやられてバタバタ飛び回りアリ地獄みたいなヤツに飲み込まれてゲップの一つも出されてしまう情けない姿が目に浮かんで、どーにも。

 やっぱり、個人的には、先が分かった物語であるEp.1〜3よりは、どうなっていくのか分からないEp.7〜9の方をこそ作って欲しかったと思うけど、ルーカスが「作らねえよ、オレは他にやりたい事が一杯あるんだよ」(って、何だろう?『ハワード・ザ・ダック 2』?)なんて言ってるからには無理だよなあ。

 いや、別に忙しいならルーカスには抜けてもらっても構わないかと。
『Ep.1』なんかより全然 面白い『スター・ウォーズ』小説を書く作家が何人か居る訳で、彼らに新たなサーガを作りだしてもらえば…と思っても…ルーカスが許す訳もなく、まあ思うだけ無駄か。



02/06/28(金)

 えええ、『ウルトラマンコスモス』事件、もしかして冤罪…というか、こんな大騒ぎをする程の内容ではなかったかも知れないって?
もう何が何やら…(汗)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 『フィギュア17』に続き、『七人のナナ』、『アベノ橋魔法☆商店街』が最終回を迎えた訳だが、それぞれ作品テイストにあった終わり方をした。

 「嘘」なSF世界の設定を加えながら、あくまでキャラクター心理の「リアル」を追求した『フィギュア17』では、ヒカルは消え去り、クラスメート達と別れるというドラマの「リアル」が求めた必然に従い、主人公・つばさは最後に、シリーズを経る事できちんと成長した姿を見せてくれた。
 ラブコメがメインである『ナナ』は、片思いの成就で当初の目的を果たしているため、正直 他6人のナナについては「消えてもらい、ナナの成長を促す」「全員残してぬけぬけとしたハッピーエンドを迎えさせる」どちらでも構わなかったと思う。
本編では「ハッピーエンド」方向を選んだ訳だ。
 世界を破壊し続けた『アベノ橋』は、まあ なんちゅうーか「やりたい放題」な最終回だった(^ ^)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『七人のナナ』25.「合格発表 !! 心の丘に花の咲く?」

 「敵」として存在したブラック・ナナの勝利宣言を前に、ナナは最後の力を振り絞って彼女に逆転の一撃を喰らわし、倒す…という熱血バトル方向ではなく、その存在を受け入れ、優しく抱き締めた。
主人公を女の子に据えた意味が生きる、なかなかキレイな展開だったと思うな。

 シリーズを通して必死で勉強し、志望校への合格を目指し続けた訳だが、その結果を実にアッサリと「不合格だった」というナレーションのみで片付けるのが、かえって気持ちよい(^ ^)。
そう、「受験」は、この作品にとっては、好きな男の子に少しでも近づこうとする努力が行動に現れた、というだけのモノであって、合格・不合格という結果には大した意味はなかったんだよね。

 個人的には、他のナナ達の想いを全て抱き締めて、1人になったナナはこれからの人生を意味有るモノにすべく歩んでいく、という終わり方の方が好みだったけど、コレでお仕舞い この先は存在しない物語、としては十分アリなラストだったと思う。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『アベノ橋魔法☆商店街』13.「甦れ!幻の陰陽師☆」

 このアニメの主題は、各話完結のバラエティー・ショウにあった。
ばらつきはあったが、かなり高いレベルのギャグや動きを見せてくれた回もあり、当初の目的は十分に達成出来たのではないだろうか。
 だから、この終わり方について、シリーズを一本の物語として見るとどうこう、と語るのは筋違いなんだろうなあ。

 聖志の家のジイサン、血の繋がらない息子(聖志のオヤジ)の父親として生きてきたのだろうに、その息子からは「他人」と呼ばれ、嫁さんは死後に至っても清明を追い回すばかりで、恐らくはジイサンの事など思い出しもしない。
「死」から救うべく聖志が必死の努力を払った雅ジイとはエライ違いで、何だか可哀想だった(雅ジイを救いたい、というよりも あるみを悲しませたくない気持ちが強かったのかも知れないが)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 WOWOWで放送していた映画『ザ・セル』を見る。
 監督も主演も全然知らない人達。
 捉えられた連続殺人犯の心の中から、誘拐状態の女性の情報を得るために、臨床心理医の女性が決死のサイコ・ダイビングを試みる、という話。

 TVのスポット等で流されていた、馬がスパッと輪切りにされるシーン。
どういう流れで出てくるのか楽しみにしていたのだが…あんまり意味は無いなあ。
 浅〜〜い心理学的解釈をすると、馬を男性器と考えてみて、それを切り刻むっちゅーのは性的なモノに対する恐れか嫌悪か、大人の馬だったから、父親に対する憎しみとか そーゆーのも読み取れるのかも。

 MTV出身監督らしく映像は全編に渡ってなかなか綺麗に撮れており、イメージ等 ハッとさせられる事も多いが、純粋にお話を見ると色々疑問が。
 結局 誘拐された女性の手がかりを見つけだしたのは主人公ではなくて刑事だし、そこで既に意味が無くなっているのに主人公は再度サイコ・ダイビングを強行、挙げ句の果てに…
 主人公 存在の意味は薄く、行動に感情移入出来ないのが、とにかく痛い。

 犯人が連続殺人を犯した理由、が割とカッチリ描かれているのは、昨今のこういうジャンルものとしては異例か。
 水につけて鳥を殺した幼少時の行動が、悪意ではなく全くの善意からであった事。
彼にとって、「水」は「安らぎ」の象徴であったのかも。
 そう考えると、最後に主人公が彼を「水」の中に帰して行くのは、優しさだったのかね。

 少女漫画で昔よく見たような、キャラクターの周りにイメージとして お花がワッと飾り付けているような絵、あれをCGで、動きを付けて再現していたのに笑う。
 うーん、まあ面白い絵を見たい人は、見ても良いかも知れない。
 でも、殺人鬼モノが好きな宇佐木 恵(^ ^)はイマイチ不満そうだったので、そういう方向を期待して見ると失望する恐れが。



02/06/26(水)

『フィギュア17』最終話.「優しさをおぼえていますか」

 えーとね、うーんと、絶賛モードにも、ちょっとだけ言わしてモードにも なれる最終回だったなあ。

 取材記者のオジサンは、ほとんど出た意味がなかった。
恐らくは、つばさ・ヒカルの正体に肉迫したり、全くの人間としてマギュアの脅威に直面したりする役割を振られるはずだったのではないかと予想するが…
 突然なフィギュアへの変身には度肝を抜かれたモノの、それにさえ さしたる意味づけは無し。
うーん…

 フィギュアを作り出す、リベルス。
てっきり もう存在しないのかと思えば、記者のオジサンとオルディナの分、2本もあった。
 だったら、これまでの戦いでも、オルディナは着用していて良かった気が。
彼女は直接、肉弾戦に参加しないにしても、フィギュアになる事で反射神経・肉体の防御力が上昇するのだろうから。

 細かい事だけど、宇宙に出、母船に激突したマギュアへの対抗策を指示するシーンで、DDとオルディナが ずっと、坑道の出口辺りに待機したままなのが、ちょっと。
シャトルの到着を待っていた、という事なんだろうけど…
 僅かでも合流を早めようと、シャトルに向かって疾走する必死さが欲しかった所。
シャトル到着後も、指示を出すのみで自分達は宇宙へ向かおうとしないし。
 そりゃあ作品のテーマとして、最終決着は つばさ・ヒカルが付けるべきだし、2人がゆっくりと地表に降りていくシーンもイメージとして綺麗だったので迎えの船は要らなかったけども。
 大事な大事な最終回なのだから、全員が出来る限りの事をしたが、それでもこうなってしまった、という描き方であって欲しかった。

 翔の死…に、多少はフォローがあっても良かったかと思うが…
 イベントとして活かされた訳ではないけども、それを踏まえ、深い悲しみの底から這い上がってきた経緯があって初めて、つばさは、ヒカルとの別れの辛さに心を潰されないで済んだのだろうから、君の死は無駄じゃなかったぞ翔、って事で。

 文句はその程度かな。
でもまあ、この程度の浅い意見は、ここの監督コメントを読むと全て予想済みだろうなあって気がして恥ずかしい(^_^;)。

 いや、何のかんの言いながら、泣いたのは事実。
マギュアとの戦闘シーンは これまでで一番濃厚だったが、別れの描き方は全般にあっさりで、あっけないとさえ言えたのだけれど。
 ヒカルとの別れ、DD・オルディナとの最後の会話、クラスメートの見送り、どれも もっと大泣きさせられる所だったと思う。
「ココでこうすれば客は泣く」という理屈、分からないスタッフではないはず。
 だから、「泣く事」のカタルシスで、ただ気持ち良く見終わってもらう方向を選ばなかった、もっと他に伝えたい事、感じ取って欲しい事があった、って事だろう。

 「ヒカル」という名前を聞いて、その記憶を消された つばさ父が不思議そうな表情を見せ、それにまつわる話を語り出した時、オレはてっきり、「つばさは、母親のお腹の中に居た初期の頃、双子だった。だから つばさとヒカル、という2人分の名前を考えてあったが、胎内で成長するうちに1人が消え、つばさだけになって産まれてきた」と言われるものかと思ってしまった。
 双子の1人が胎内で消えるのは、そんなに珍しい事ではない、と、確か何かで読んだ気が(^ ^)。

 ヒカルというのは、最初にマギュアに襲われた時、つばさが助けを求めた「お母さん」のイメージだったのかも知れないし、思い描いていた「あるべき、何ものにも負けない自分」だったのかも知れない。
 そう思うと、フィギュアとして成人化した姿は、強い「母親像」で、消極的な合体を続ける限り、つばさはまだその「胎内で守られている」存在、という事だったのかも。

 楽しかった事・悲しかった事を何一つ忘れず、翔の優しさと、ヒカルの強さを心に受け継いで、これから つばさはイイ女になっていくんだろうな。

 シリーズを通して、1人の弱々しかった女の子の精神的成長を描ききる、なかなか見られない程に完成度の高い作品だった。
 見られて良かった。
 オタクで幸せだ。

 制作関係者の皆様、良い作品をありがとうございました。
次回作も期待しております。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 WOWOW放送の映画『レッド・プラネット』を見る。
 監督は知らない人(初監督作品?)。
 主演はバル・キルマー。

 アイディアが薄く、緊迫感に欠け、ドラマの語り口も巧くなくなってしまった星野之宣 作品、という感じ。
 SFにしようとイロイロ考えたらしき跡は見えるのだが、どれもこれも「お見事!」と感心させてくれるまでは行かない。
 何よりも、わざわざ火星まで行ったっちゅーのに、自分達が地球から持っていったロボットの故障したヤツに襲われ続けるサスペンスのアホらしさに、どうしても乗れなくて。

 特撮はキレイだったし、印象に残るシーンもいくつかあるけど…まあ正直、見ても見なくても構わない程度の映画だなあ。



02/06/25(火)

『ラーゼフォン』19.「ブルーフレンド」

 前回、下手したら死んだかも、と思った程に出血していたはずの朝比奈の肩傷が、完治したらしい のみならず服の血染みまでキレイに消えてしまってる事に、???
 東京ジュピターを出た事で、時間の歪みによって…とか、元々彼女がケガを負った事そのものが幻想というか、ムーリアンによる何らかの陰謀に基づくモノだった、とかならともかく。
 …何となく、ケガを負わせたままだとイロイロ面倒だから、って理由じゃないかという気が。

 「母親」だと思っていた人が実は他人だった。
って事がそんなにショックか?
 一緒に暮らしたこれまでの日々が全部作られた記憶で、「母親」などそもそも存在していない、というならまだしも。
義理にせよ お母ちゃんは「母親」らしい対応を自分に対して取ってくれていたらしい訳で。
「血の色が青いから気持ち悪い」のは綾人も同様だから、拒絶の理由にしては弱い。
 もうちょっと話し合って、疑問を解消するなり騙された怒りを表すなりするのが人間らしい反応じゃないの?
 シビアになりそうな現実と向き合うのが怖くて精神的に逃げている、という事?
だから、比較的「どうでもいい」存在であるはずの朝比奈を守り抜くのが今の自分の最優先事項だ、と、テストの前日になると普段はしない部屋の掃除をしたくてしょうがなくなる学生みたいに、逃避をしてる?

 まあともかく、キャラクターの感情描写が全然弱い(各話でつながっていない)もんで、ナニをどう受け取ったらいいモノかサッパリ分からないなあ。

 が、今回は、ドーレムとシンクロしている(?)朝比奈がラーゼフォンから与えられた機体ダメージを自分の体にもそのまま受けてしまう所、電気を操れるらしく町中の電飾を使って心の叫びを表現する所(街に広がる「サヨナラ」なんか、巧いよなあ)など、「絵」としてはかなり面白いシーンを見せてくれた。
いや、どちらも「お話」としては活きてないんだけど、イメージだけは、ね。

 これからも「お話」には期待できそうにないが…面白いイメージがある事だけを楽しみに見続けよう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 パーフェクTVで放送していた映画『ガンドレス』を見る。
 激烈に未完成な状態で劇場にかけた、という事で、公開時 大変な話題を呼んだ作品。
 さすがに劇場版は放送出来なかったらしく、見たのは完成版。

 で…
ええと、「見た」と言って良いモノかどうか、冒頭の突入作戦を見終わった辺りで全体のレベルがだいたい分かったもんで、残りは仕事しながら何となく音を聞いていただけだったからなあ。

 せっかく士郎正宗を設定協力に起用したのだから、せめてその漫画の1冊ぐらいは読んでから制作に臨んではどうか、スタッフ。
突入作戦に、緊張感もプロフェッショナルらしさも全然ない。
そういうのが抜群に上手い士郎漫画から、学ぶなりパクるなり すれば良かったのに。
 演出は凡庸、作画は、全体に絵が入ったこの状態でも、とてもじゃないが劇場でお客様に見せられるようなシロモノではない。
 どうせなら こんな程度の「完成版」なんて作らず、「壮絶劇場公開版」のメリハリの効いた作画(笑)を売りにし続けた方が、まだしもマイナスの価値が発生したのではないか。
だから、DVDには「劇場版」が収録されているんだろうけど。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『あずまんが大王』12.「ちよちゃんの1日」ほか

 飛び級でイキナリ小学生から高校生になってしまった ちよちゃんは、果たして幸せなのだろうか?っての、原作を読んだ時も思った。
 頭は良くても精神年齢がそれに伴っているとは限らない訳で、周囲の同年齢な友達と他愛もないお喋りをしたり遊んだり、という事が出来ないと、人格形成に影響があるのでは?というか、何の計算も無くバカが出来る学生時代が実質的に短くなってしまうのって「損」だよね、と思えて。
 そもそも、ここで行われた飛び級は、本人の意思なのか、学校・両親など周囲の配慮なのか。
いやまあ原作者の思惑だろう、って楽屋の話はおいといて(^ ^)。

 かつての同級生達と話をする ちよちゃんの姿に、いっそう「損」したのでは、という気持ちが強くなったのだが…
 ああ、巧いなあ。
「縄跳び」をキーワードに、ほんの少しは寂しさを感じていたのであろう彼女の心を、高校の仲間達の存在で埋めてあげる構成の確かさと優しさが嬉しい。

 まあ、「しっかりした小学校高学年」と「ぼんやりした高校生」との間には、さほど精神的距離が無いような気もするから(笑)。
 両者で最も大きな差が付くのは、「異性に対する意識の有無、もしくは強弱」だろうが、この作品では、高校生ぐらいの女の子にとって最重要事項であろう「男の子達への関心」が綺麗にスポイルされており、そうなると皆、ちよちゃんと本当に変わらない精神状態になる訳で。
 何でも勝負にしてしまう智なんかは、はっきり小学生以下の精神年齢だしなあ(^ ^)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 うわあああ、『十二国記』録画失敗!
痛ぇぇぇぇぇ(;_;)!



02/06/24(月)

 レンタルで『劇場版∀ガンダム・地球光』を見る。
 監督は、言わずと知れた富野 由悠季。

 んーーー、まあ、いわゆるTVの再編集劇場版。
 特に冒頭部、ロランが地球に降りてきて お屋敷に厄介になるまで辺りは もの凄い端折り方をされており、前知識ゼロで見てしまった人は、ここいらで壮絶に疎外感を味わってしまうだろう。

 この作品は、細部…キャラクターのちょっとしたリアクションとか、毎回かなり考えられた組み立てを見せてくれた戦闘シーンに大きな魅力があったので、とりあえず筋は追えるけど細かな所はバッサリ カットされた内容だと……
まとめて見られて嬉しいという気持ちよりも、「アレもアレも無くなっている、残念」という方が遙かに大きい。

 新作画はどの程度あったのだろうか?
 元々のTVシリーズの作画レベルが劇場並みに高かったため、初代『ガンダム』とは違って新作画のありがたみは余り感じられない。
スクリーンに写し出しても十分映えたであろう作画を、TVで毎週見せてくれていた事にこそ、感嘆すべきなのかも知れないが。

 多少なりとフォローを入れるなら、「不幸な出会いから、戦いを通じて誤解と理解を繰り返して行く人の愚かさと、その果てに見えてくる強さ・優しさ・気高さ」といった大筋のストーリー・テーマは、色々な情報が盛り込まれていたため見失い勝ちだったかも知れないテレビシリーズよりも、ハッキリしていると思う。
 ウィルゲム離陸を巡っての激しい攻防戦、核弾頭 爆発の迫力などは、大画面・大音響の映画館では より強く感じられただろう。

 …でも、やっぱりコレを見るなら、時間が許す限りテレビシリーズを見た方が良いと思うなあ(^ ^)。
 後編、『月光蝶』は…まあ、いいや。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 劇場版『ウルトラマンコスモス』は、主演のお兄ちゃんが出ているシーンを全て代役で撮り直す事で、無事公開される運びになったらしい。
 とりあえず目出度い、のだろう。

 今回の顛末、あと10年ぐらいしたら、成長した子供達の思い出話の中で、「なんかイキナリ主役が出なくなってメタメタなままで終わっちゃったウルトラマンあったよね。当時、オヤジからは『彼はウルトラの国に帰ったから、出られなくなっちゃったんだよ』と言われて、うっかり信じてたなあ。そう、『サンタはオヤジだ』と気が付いた、そのちょっと後くらいまでは」などと懐かしそうに語られるのかな。



02/06/23(日)

 レンタルで映画『エボリューション』を見る。
 監督は、大ヒットした『ゴーストバスターズ』、割と好きなシュワちゃん主演の『キンダーガートン・コップ』、そして個人的に好きな映画ベスト10に入るほど お気に入りな傑作・大統領替え玉映画『デーヴ』のアイバン・ライトマン。
 主演は、『Xファイル』のデビット・ドゥカブニーと、『ハンニバル』のジュリアン・ムーア。

 うううううううーむ、下らない映画
同じ「下らない」映画でも、愛すべきモノと愛せないモノがあるが、個人的にこの映画は後者。

 登場人物、どいつもコイツも頭の悪いヤツらばかりで、見ていてイライラするばかり。
特に、ドゥカブニーがレストランで別れた恋人に対して酔っ払いみたいに絡み、彼女の新しいカレシである警官に「彼女はねえ、別れる時にボクのシャツを持って出て行っちゃったんですよお、こういうのって窃盗罪じゃないのかなあ、ねえ、返してよお、どうなの、ねえ」なんて事を延々言い続ける辺りで もうすっかりウンザリ。
 宇宙生物をやっつけるアイディアだって、ロクな根拠も無い いきなりの思いつきだし、さしたる盛り上がりもなく倒されてしまう生物の根性無し加減にもガッカリ。

 まあ、巨大なマシュマロマンを相手に、一体どうやって戦いを挑むのかと思いきや、いつも使っているビーム装置をクロスさせてみたら意外にアッサリ倒せました、という超絶拍子抜けなクライマックスを見せた『ゴーストバスターズ』のアイバン・ライトマン作品としては、まだしもナニガシか盛り上げようと頑張っていたとさえ言えるかも知れないが。
 オレは、あの映画も好きじゃないからなあ。

 特撮は、綺麗に撮れているとは思うけど、昨今のレベルからすると「並み」という印象に留まる。
 『ゴーストバスターズ』が大好きで、シモネタに大笑い出来る人なら、暇つぶしに見ても良いかも知れない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『仮面ライダー龍騎』21.

 面白いなあバトル・ロワイヤル。
たった1人生き残った者のみが全てを手にする、って事では『ハイランダー』かな。

 13人、殺し合うために選ばれた運命のライダー達。
本来は選ばれる予定になかったイレギュラーの真司が、ゲームの鍵を握るジョーカーというかユダというか、な役割を果たしていくのだろうか。

 神崎士郎の目的は?
多分、妹が関係しているんだろうなあ。
 優衣は実は、もう死んでいるってのはどうだろう。
仮に与えた命を本物にするため、ライダー同士の殺し合いによる「死」が、何故だか必要になっているとかね。

 他のライダーをつらつらと考えてみる。
 ごく普通の妻子持ちサラリーマンというのはどうか。
穏やかそうに見えながら、心の底に怖いモノを隠している。
「失うモノ」を持っているライダー。
 オープニングに出てくるガキみたいなのは どういう位置付けなんだろう?
ポケモンのブリーダーの如く、モンスターに対して「倒す」「契約する」以外の接触方、「仲良くなり、自分の味方にする」特技を持つ、とか。
でもま、複数モンスターと契約できるって設定があっては無意味か。
 女性ライダーも、いずれは必ず出てくるだろう。
 他は…医者のライダー…は『アギト』でやっちゃったし(^ ^)。
 高校生ぐらいで族の、文字通りライダーとか。
 アイドル、もしくは実力派シンガー(尾崎豊のように若者のカリスマでも)。
 モデラー・芸術家は…ゲスト的に扱うならともかく、レギュラーにするには扱いが難しいかなあ。
 意外な所で、神父。
丁寧な言葉遣いをし、倒す相手への神の加護を祈りながら戦う。
 政治家・教師・警察官。
 プロレスラー・武闘家・傭兵。
 職業じゃないけど、双子のライダーってのも絵としては面白いかも。

 漫画家ライダーで、でっかいペン軸型のリーダーにカードをセットし、ファイナルベントは そのペンでサラサラと絵を描き、それが実体化して相手を襲う…
間抜け過ぎ(笑)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『りぜるまいん』12.「オトナへの扉!初めてのC !?」

 りぜるが一瞬、大人モードに変身したのには驚いたけど、その他にはさしたる盛り上がりもないままスラっと終わる最終回。
 第2シーズンが予定されているから、って事だろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『サイボーグ009』35.「風の都」

 石森章太郎っぽい、虚しく悲しい後味が残る話。
 今回は大筋 原作通りなんだけど、原作版が最終的にイシュキックを死(破壊)によって運命のくびきから解き放ったのに対し、アニメの方では、他の人の前に姿を現す事が もう二度と出来ない状態で、自己修復機能によって永劫の時間を一人きり生きていかなければならないという、死よりも遙かに辛い定めを背負わせて終わった。

 巨大ロボットの首に開いた穴へとミサイルを撃ち込もうとする004が、一度ロボットに弾き飛ばされ、しかし宙で身をひねる抜群の反射神経を発揮し、再度狙いを定めミサイルを正確に叩き込むシーンでは、「死神」の名に恥じぬ凄さを見せてくれた。

 しかしアレだね、島本須美の声で「私も連れてって」みたいなコトを言われると、ついつい心がグラリとしてしまうのは、深層意識に刷り込まれた条件反射と言うべきかね(* ̄ー ̄*)。



02/06/22(土)

 レンタルで映画『陰陽師』を見る。
 監督は、『コミック雑誌なんかいらない!』『病院へ行こう』の滝田洋二郎。
 主演の安倍清明 役は、野村萬斎。

 うーーん、安っぽい映画。
特に小道具やCGがチャチで…ヒドイ造形の鳥、誰なんだ?と思わせられる程 全然似ていない作り物の真田広之など、昨今のハリウッド映画を見慣れた身には結構シンドイものが。
 清明の野村萬斎は、意地悪そうでなかなか面白い味を出しているし、源博雅を演じた伊藤英明の不器用で優しそうな所はイメージにピッタリ。
特撮が絡まないライブシーンの方が見易かったなあ。

 お話にも無理がありすぎ。
松の木に瓜の実がなったのなんか誰も食べないだろうに(笑)、無駄な呪いだなあ。
道尊の行動が段々と変な方向に流れていく所なんて、真面目にシナリオを作ってるのかどうか疑問になる程。
 「泣かせ」をちょこちょこ入れてくるのもナニだが、これは女性向け映画と割り切れば、理解 出来なくもないかな。

 その道尊を演じた真田広之の過剰な、滑りまくった熱演と、それに見合わない間抜けなストーリー、レベルの低い特撮が相まって、後半は爆笑につぐ爆笑の連続となって行く。
この辺は、ある意味 見応えがあると言えるのかも(^ ^)。
 …真田広之、分かってて出たんならいいけど、自分が「道化」というよりもむしろ「アホ」を演じていた事については、どう思っているのだろうか?

 俳優さんのファン以外の人にとっては、お金を払って見る程の価値は無いので、テレビ放送を待つのが吉。
 『2』も作るそうだが、今度はもうちょっとシナリオに気を遣い、予算をかけて撮ってはどうか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 同じくレンタルで『スパイキッズ』を見る。

 監督・脚本は、大馬鹿ガンアクション映画『デスペラード』、大ボケ ヴァンパイア映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』、ホラーかと思えば怪獣映画になっていく『パラサイト』などのロバート・ロドリゲス。
 主演はお子様2人。
オヤジ役でアントニオ・バンデラスが出ている。

 正直な所、お話は かなり致命的にダメ
無駄にバタバタしている印象があり、メインとなるストーリーが…「さらわれた両親を助けるために子供2人が頑張る」というだけの単純なモノなのに、整理 出来ていない。
 悪役が途中で変わってしまうのは どうかと思うし、そのどちらにも魅力がないのがまた痛い。
 改造されたオヤジを簡単に元に戻しては意味が無く、逆襲の際それだけの効果しか生み出さない改造を悪役に施して安心してしまうのも意味不明(その後 案の定 逆襲される)。
 逆転の鍵となったはずの、ロボ・キッズ達に打ち込んだプログラムも、何だか分からないまま…

 でもま、細かい事は考えないで「お子様にレベルを合わせたファミリー映画」と割り切れば、次々出てくる発明品の数々や派手派手なアクション、全体のコミカルな雰囲気などで、最後まで楽しんで見られるのは確か。
 ラスト、弟が、自分をいじめていたガキ共に反撃するシーンが入っていれば、更に気持ち良く見終えられたかと。
それは、既にかなり出来上がっているらしい『2』で、なのかな。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『ウルトラマンコスモス』「特別総集編1」

 番組冒頭、ウルトラマンの言葉として、
「いつもウルトラマンコスモスを応援してくれてありがとう。ムサシが急に番組に出られなくなった。彼がいつ、またみんなの前に姿を見せる事が出来るようになるのか、私にも分からない。そこで、今週から2回に渡って私とカオスヘッダーとの最後の戦いを見てもらう事にした。じっくり、見て欲しい」
と語られた。
 「神」にも等しい力を持つウルトラマンにさえ、人の行いまでは予測 出来なかったらしい。

 これ、本当は何回分の話だったのだろうか?
スタッフ、恐らくは断腸の思いで、苦労して撮影したシーンを しかも僅かな時間で切り詰め切り詰め、この総集編を作ったんだろうなあ。
 何だかもう可哀想すぎて、ご苦労様です、以外には かける言葉もない。

 それだけを見て何か言うのも気の毒だけど…
 見た感じ、やはりダイジェストで、「こうなって、こうなりました」という事は問題なく分かるが、「面白い」とか「つまらない」とか言う以前のモノになってしまっている。
 やっぱり『コスモス』は、「ムサシの物語」だったんだなあ。
 時間と予算が許すなら、人間の姿を持たず、本当に正体が謎に包まれた、「地球の守護者」であるウルトラマンが、主人公であるチーム・アイズと共に力を合わせてカオスヘッダーと戦う話、として再構成する事も出来たかも知れないが…

 取りあえず、次回、最終回も見てみるか。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『アベノ橋☆魔法商店街』12.「大逆転 !?アベノ橋☆ハリウッド商店街」

 とにかく暴走する作画が素晴らしかったもので、シリーズ構成的には全く意味が無い話にも関わらず、楽しく見られた。
演出・作監が今石 洋之でなかったら、目も当てられなかった可能性はあるが。

 『ターミネーター』やら『物体X』『北北西に進路を取れ』『ゾンビ』なんかはハリウッドだけど、小津安二郎は違うと思うなあ(笑)。
『ロボコップ』はともかく、『電人ザボーガー』も違うし。
『スペクトルマン』はDVDボックスが出た記念かね(^ ^)?
 途中、木こりになりたかったと語るジイサンの元ネタは何だろ?
この後 変な歌を歌い出したら『モンティ・パイソン』なんだけど。

 思いつきっぽいネタの連続を、気持ちの良い動きの作画で強引にまとめ上げて笑いに昇華さえして見せる、今石 洋之ってえ人は大した才人だなあ。



02/06/21(金)

 今頃になって、映画『スパイダーマン』を見に行く。

 監督は、1983年のグチャグチャ・ホラー『死霊のはらわた』で強烈なデビューを飾り、映像パワーをレベルアップした『2』では 「怖さ」が突き抜けると「お笑い」になってしまう事を実証し、『ダークマン』で新時代のヒーローを作り上げ、『キャプテンスーパーマーケット(死霊のはらわた3)』で時間を超えて旅立った主人公による かなり「変」なヒロイック・ファンタジーを見せてくれたサム・ライミ。
いや、シャロン・ストーン主演の『クイック&デッド』(個人的にイマイチ)とか、映画ファンに評判が良いらしい『シンプル・プラン』(未見)なんて映画も撮ってるんだけど、やっぱりこの人はパワフルなジャンル・ムービーでこそ生きる才能を持っていると思うので。
 主演は、『サイダーハウス・ルール』のトビー・マグワイヤ。
『プラトーン』のウィレム・デフォーが、悪役として出演している。

 ええと、うん、面白かった。
 放射能グモ(映画では遺伝子操作グモ)に噛まれた事がきっかけで超能力を手に入れ、垂直の壁を登り、手首から糸を出して(原作は手首の機械装置からだが、映画では体内から分泌する事になっている)悪と戦うヒーローに変身する、という、まあアメコミらしい無理矢理気味の設定を、地味な青年の心情を細やかに描く事と、「なんでやねん!」と突っ込むスキを与えない怒濤のサム・ライミ演出で押し切ってしまうのが見事。

 スパイダー・スーツの制作過程など、クリプトン星の布から作ったスーツを着るスーパーマンや、金にあかせて何でも出来ちゃうバットマンとは違って、貧乏な主人公がどうやって?と思って見ていたが…
 完成品を見せる前、プロレス興業に出演した際に手作り丸出しの安っぽい服装を見せて、笑いのワンクッションを置く事で、何となく納得させてしまうズルさ(^ ^)が巧いなあ。
物語上は、プロレスの賞金で素材を購入した、という事にでもなってるのかね。

 この映画、『スーパーマン』に非常に構造が似ているというか、ある程度オマージュを捧げているように思う。
 走りながらシャツの胸をはだけ、内に着込んだスーツを見せる所とか、ビルから落ちかけた所を救うのがヒーローとヒロインが接近する切っ掛けになる所、オバサンは主人公に「あなたはスーパーマンじゃないのよ」とまで言うし(^ ^)。

 ただ、基本的に悩まないスーパーマンと違い、スパイダーマンには苦悩の連続な道が待っている。
 敵は、自分の才能を認めてくれた 親友の父親だし、デイリープラネット(クラーク・ケントが働く新聞社)と違ってビュークル新聞社の編集長は、有能ながらヒーローへの不信と悪意に満ちている。
親友にスパイダーマンを憎まれ、ヒーローであるが故に ずっと好きだった女性とも別れなければならなくなる(悲しい別離は、『ダークマン』のラストを思い起こさせた)。
 実に悲惨。

 でもま、暗くなるばかりではない。
 「そんなに大量に放出して大丈夫なのか(^_^;)?」と思わせる程の糸を次々と分泌し、ビルの谷間をターザンの如く猛スピードで移動していくイメージはとても爽快。
CG技術進化の恩恵だよなあ。
 予告で見られた、ツインタワーの間に張った蜘蛛の巣でヘリコプターを絡め取る印象的なシーンも DVD化の際には是非、収録して欲しい。

 映画で残念だったのは、グリーン・ゴブリンが「2つの顔を持つ」キャラクターではなく、「悪」が主で「善」が従と はっきり別れてしまっていた事。
もうちょっと苦悩があっても良かったような…まあ、スパイダーマンが苦悩続きな訳で、両方ソレでは滅入ってしまうか(笑)。
 あと……ヒロインが、ええと、余りヒロインらしくない容姿をしていた事。
ブサイクだという訳ではないが、整った顔立ちをしている主人公やその親友が奪い合うには ちょっと…
 戦いのシーンには迫力があったが、サム・ライミらしい悪ノリ(『死霊のはらわた2』で、カメラの前に主人公をくっつけ、そのままドコまでも爆進して行くような)が見られると更に嬉しかった。
 後は、巨大ロボット・レオパルドンが出てこなかった事、ってのは、特撮ファンの90%以上が言うボケなんだろうなあ(^ ^)。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『フィギュア17』「思い出はのこりますか」

 来週、1時間スペシャルで最終回らしい。
最後の感想は、それを見てからにして…

 ここまでで一番の疑問は、やっぱり「何故、翔を殺したのか」という事。
 いや、例えばゲームの『F.F.』なんかだったら、取りあえず殺しちゃうのが定番だから死に疑問なんて持たないんだけど(^ ^)、このアニメは丁寧に丁寧に、キャラクター1人1人に深い考察を加え、非常な愛情をかけて描き込んでいるもんで、「何故?」が気になってしまう。
 つばさを精神的に追い込むため、ではあろうが、だからって安易に「死」を選択するスタッフだとは思えない。

 男の子の「死」を物語で活かす方法は、色々と考えられる。
 例えば、「死」の原因をマギュアの攻撃によるものとし、その際に採集された細胞片の情報を基に、マザー・マギュアが翔の姿となって現れる、とか。
 もしくは、「死」から期間をおかずにヒカルとの別離を設定しておき、翔の生命活動をもう一度甦らせるため、そして大好きな つばさの側にずっと居続けるために、その体内にヒカルは融けて行く。
「ヒカル」という存在は消えてしまったが、優しい翔の瞳の奥にその痕跡を つばさは感じ取る、とか。
もうちょっと妄想(笑)すると、ヒカル、という存在を媒介として2人は更に強く結びつき、将来に渡ってもその絆は切れない。
いつか産まれてくる2人の子供には、「ヒカル」という名が付けられるだろう事を暗示して物語は終わる、などなど。

 勝手な妄想はいくらでも出来るんだけど、この作品は よくあるパターンを踏まないようにしていて、これまで露骨に作為的なドラマが起こっていない。
 だから…上記のような安っぽい(^_^;)消化方は使わないものと想像してるんだけど…そうなると、どうやって決着を着けるつもりなのか。

 来週の放送を待とう。



02/06/20(木)

『ラーゼフォン』18.「青き血の絆」

 東京ジュピター内でのドラマは進む。
 日常が非日常に変容していく展開は好みなんだけど、そもそも作られた「日常」の印象がまるで弱いからなあ。
 誰も映っていないプロ野球中継を流し続けるTVなんか、壊れた日常として、もっとずっと効果的に使えた小道具だと思うが、見ているのが茫然自失状態の綾人では…無効。

 遙、実に何気なく、自分が以前 綾人と同級生であり、その頃には好意を感じていた(今も感じている)事を告白。
なるほど、「アニメージュ」誌でのインタビュー通り、これは「謎」でも何でもなかったらしく、全く盛り上がらない真相の発露となった。
 …だったら最初から、伏せる意味も無かったんじゃないかと思うが。

 ドラマとして格好悪い事を色々やっているのはワザとなのかなあ?

 「帰るのを待ってる」と言いながら、結局 後を付いて来る格好になってしまった遙。
 それなら、泣いて喚いて頼み込んででもラーゼフォンに同乗させてもらえば良かったのでは?
 別離は遙が、信じて待つしか出来ない無力な自分を自覚するのと、他人にも「自分にも」隠そうとしていた綾人への好意が表面に出てくるための期間として、必要だったと思うのに。
 これなら、遙を綾人の出立に立ち会わせないようにして、待とうなどという殊勝な気持ちを最初から起こさせず、イキナリなりふり構わず追い掛けて来させた方が自然だった。

 「守る」と樹に約束しておきながら、すっかりと久遠の事を忘れて逃げ出す綾人。
 危機一髪だったのでやむを得ず、とか演出でフォローするならともかく、どちらかというと重傷を負った(死んだかと思ったのだが、予告では生きてるなあ)朝比奈を助けるべく どこか病院にでも急行するべきで…

 物語が停滞していた頃よりは ずっと見られるようになったけど…
もっと 面白くなりそうな要素をびっしり含んだアニメだと思うのになあ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『天地無用!GXP』12.「守蛇怪大破」

 ひたすら海賊船につけ回される悲惨な状況を、食糧不足となり、乾パン一個とコップ一杯の水を挟んで向かい合うクルーの姿でコミカルに実感させるのには感心。

 自分の欲望に忠実で、簡単に裏切るNBには、『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスを思いだしてしまった(^ ^)。
ワタナベシンイチ監督の独特で無責任気味な声が、また何とも言えない。

 西南争奪戦に、正式にリョーコが参入。
壮絶な戦闘者としての霧恋を前にした回で見せた、西南の「強くなりたい!」という気持ちが ずっと継続されていれば、もっと彼に「奪い合われるだけの価値」を認められるんだけど…
まあ、「こんな阿呆のドコがいいんじゃ?」と思わせられる程 ダメ男には描かれていないので、モテる事に抵抗は感じないが。

 魎皇鬼の登場には、思わず「おお!」と声が出てしまった。
シリーズのファンには嬉しいサービス。
 でも、この『GXP』しか見ていない人にとっては、かなり唐突に感じられたかも。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『十二国記』10.「月の影 影の海 十章」

 陽子への理解者が増え、随分と気楽に見られるようになってきた。
特に、どこまでも人が良い楽俊には、心救われる気分(^ ^)。
 ただ、原作小説を読んでない身には、脳内で瞬時には変換出来ない漢字の概念が よく出てくるのに戸惑ってしまう。
おハガキコーナーにイラストを送ってきているような子供に、分かるのかなあ?


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『フルメタル・パニック!』24.「イントゥ・ザ・ブルー」

 終わりかあ。
 まだまだ、学園で浮いている宗介の姿を ひたすらギャグにして描く事が出来たし、かなめと艦長との恋愛バトルも始まったばかり。
もちろん本業の戦闘プロフェッショナルとしても もっと凄みのあるシーンを作り続けられたはず。
 何だか勿体ない。
 それだけ、色々なモノが入る構造に作られた、原作の完成度に感心するべきだろうが。

 あちこちデコボコとしていたし、多少、食い足りない印象も残ったけども、真面目に面白いモノを作ろうとしているスタッフの熱意は強く感じられるシリーズだった。



02/06/18(火)

 掲示板でMATS さんが教えて下さった(ありがとうございます)情報によると、『ウルトラマンコスモス』、主役役者抜きで、総集編的にまとめる形にして放送するらしい。

 数千通にのぼる、内容に決着を着ける事への要請が届いた、という事。
それでも、そんなに人気があったんだなあ。
意外…と言っては失礼か(^_^;)。
 とりあえず、「本当に作ろうとしていた形」に到達させるのは難しかろうが、最悪の事態の中で何とか物語として完結出来るようになったのは喜ばしい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ああ、負けちゃったか、ワールドカップ日本。
 サッカーにほとんど興味がないオレでも、ここしばらくは にわかサッカーファン、えせナショナリストとして、日本を応援してしまった。
 日本中がこの話題で持ちきり。
誰と話しても、サッカーの話題が出ない事がなかった。
 オリンピックだって、こんなにも国内の意思統一は計れないのでは?

 楽しいお祭りだったよね。
また、4年後を待ちたい。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』20.「ももこの夢さがし」

 将来の夢、という題材で作文を書かされ、ももこは「夢が多すぎる」事で、クラスメート・菊地は「特別な存在にはなれそうもない自分」を必要以上に自覚する事で、悩んでしまう。

 ああ、書かされた書かされた「将来の夢」。
 小学校低学年時点で、クラスメートは「パイロット」「看護婦さん」「プロ野球選手」などと大きな夢を作文に書く中、オレは「小さい本屋の店長」とか書いていた。
理由は「カウンターの奥でずっと漫画を読んでいられて楽そうだから」
「小さい本屋」なのは、「大きな本屋だと忙しそうで ゆっくり本が読めなさそうだから」
 先生から真顔で「もっと大きな夢を持ちなさいね」と言われたのを覚えている。
オレの夢じゃ、放っといてくれや(笑)
 いやまあ、現職書店経営者の方々には失礼な、舐めた考え方であったとは思うけど。

 「鉄道マニアってのは、一番役に立つ趣味なんだ」というのは、伊集院光ラジオの構成のお兄ちゃんが言っていた言葉だっけ?
 鉄道事故により時間通りに空港へ着く事が絶望的になったオジサンに対し、一時的に反対側方向に向かい、その先で乗り換える事で時間内に目的地へ到達出来る、といった奇策(^ ^)を提案する菊地。
なるほど、実用的だ。
 ここから、列車の運転士を志すものと思ったけど、それを陰で支えていく人間になりたい、と随分オトナな考えを表明する菊地。
それを力強く肯定する関先生の言葉が嬉しい。

 マジョモンローと一緒に店を開く、叶わない本当の「夢」を見る ももこにジーン。
 もうしばらくでシリーズを終え、大人に近づいていく事になるキャラクター達に優しい視線を投げる、気持ちの良いお話だった。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『サイボーグ009』34.「ファラオウィルス」

 元々はマスコミによる ねつ造であり、それらしい事実は存在していないらしい「ファラオの呪い」を題材にした話。

 特に大きな問題がある訳ではなかったが…
 欲を言えば、せっかく語ったファラオとアンケセナーメンの愛、これが003に強く影響を与えた、という事を もっと物語に巧く織り込めると良かったかなあ。
どうにも、いつもは前線に出ない003が張り切る理由付けが弱い気がして。
 幼くして夫を亡くしたアンケセナーメンの想いと、自分が、いつ倒れてもおかしくない戦いに臨んでいる009に抱く気持ちがシンクロして…とするとか。

 ワルモノ達、人知れずウィルスをばらまいたならワクチン独占で大儲けも出来たろうが、既に「彼らが実行犯」という事実を押さえられている訳で、それじゃ「細菌テロリスト」「極悪犯罪者」扱いされるだけで儲けるどころか逮捕されるに決まっており、あくまでウィルス投下を強行する意味がないって気も(^ ^)。
 まあ、悪人ってのは、逆上して目的を見失うモノだけどね。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『満月をさがして』11.「危険なレンズ」

 番組冒頭でいつも前回のあらすじを語る めろこを、座布団ごと引きずっていって「分かったな」と言うタクト、ショボンとした顔で「はい」と返事する めろこ。
 呆れられそうだが…これ、ずっと意味が分からなかった。
偉そうにコメントを述べる めろこに、タクトが怒っているという図式なのかと思っていたりして。
 違う。
これは、「TVはお部屋を明るくして、画面から離れて見てね」というテロップに従わず、直前で画面を見ている めろこを、タクトが力ずくで引き離していた訳だ。
 あーーーー。
分かりづらい(^_^;)
子供向け番組なんだから、「そんなに画面に近づいちゃダメだって言ってるだろ、分かったか?」ぐらい懇切丁寧なセリフを喋ってもイイのでは?
 いや、分からなかったのはオレだけか。

 お話は、スクープを狙うカメラマンに つけ回されるフルムーン・満月の困惑を描いたモノ。
 『クリィミーマミ』にも同様のキャラが出てきたが、そこでは結局マミと仲良くなっていた。
 このアニメでは、脅した挙げ句にカメラマンを辞めさせ、実家に帰らせてしまったかあ…フルムーンの歌が、カメラマンに「本当になりたかった自分の姿」を思い出させていくとか、感動的なお話にも出来たと思うけども。
 まあ、別に悪い訳じゃない。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『東京ミュウミュウ』11.「信じる心、五人そろって東京ミュウミュウ」

 お話は妥当なラインって所だが、驚いたのは、5人の姿がマスコミを通じて全国に流れてしまい、今後は多分「みんな知ってるアイドル戦士」的な方向に行くのであろう事。
 『セーラームーン』も『ウエディングピーチ』も、世に知られずに悪を倒す形だったのだが…一気に有名人に、か。
 5人で、劇中でも歌を歌ったりするのかな?



ときどき日記・目次へ

01/06月前半の日記を読む