02/09/15(日) 『サイボーグ009』47.「地下帝国「ヨミ」編(5) 魔神、発動」 ええと… きちんと仕上がっている部分は決して低いレベルの作画ではなかったと思うが、とにかく、出来ていない所は驚くほど何も出来ていなくて、無理にアップにしたため荒れたキャラの顔映像にセリフを被せたり、ただ背景を映すばかりだったりで… 「今日はちょっと絵が悪いなあ」という段階ではなく、「お話がよく分からない」所まで作品を落としてしまった。 本当に制作が間に合ってないんだなあ。 今回のエンドクレジットで作画には大量の人名が記されている。 かなり広範囲に作業をばらまいた様子。 上げられた人は きっちり良いお仕事をしたが、上げられなかった人は もう「原画が途中までしか渡せなかった」とかいうのを越え、「まるっきり何も渡せなかった」のでは? 漫画で言うと、「トーンを貼ってない」「ペンが荒れている」「下描き鉛筆画をそのまま載せている」という段階を越え、「飛び飛びで何も描いていない、真っ白なページが出来てしまった」まで行ってしまったような。 009と004の戦いが唐突に終わったり、いつの間にか精神支配が解けていたり、知らないウチに仲間と合流してたり…というのは、作画の問題とは違い、演出か脚本の責任…? で、来週は「ヨミ」編の総集編。 まだ5回しかやっていない時点で、何故 総集編を? ううううーーん、大丈夫かなあ? 「ヨミ」編のラストを華麗な作画で決めたいがための お休みなら、納得するけども。 『朝霧の巫女』とか、『東京ミュウミュウ』とか。 ここの所、悲しくなるほど作画が荒れている作品が多いような。 いや、逆に、人件費が安い海外に動画を投げてしまい、新しい人材が国内ではマトモに育っていない現状で、しかもアホほど大量のアニメが毎週毎週 放送されている中、「今まで、よくそこそこのレベルをキープ出来ていたもんだ」と感心すべきかも。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『オーバーマン キングゲイナー』02.「借りは返す」 シベリア鉄道警備隊が異常な武力を持っているのは何故か、と思っていたが、はあ、地の果てまで物資・人員を運搬する権益を独占的に持っているため、恐らくは流通に関して暴利を貪っているから、か。 「エクソダス」によって、人間達がドーム都市を逃げ出すのを阻止しようとするのは、それが自分達の鉄道を利用しない旅だから。 利益が上がらないから、かな。 じゃあ鉄道を利用して余所に移り住むのは良いかというと、多分、僻地に多くの人間を分散した状態で住ませる事で間をつなぐ鉄道が大きな力を持てる訳だから、ドコか一カ所に人間が集中するのは嬉しくないだろう。 なるほど。 ……分かったような分からんような(^_^;)。 警察とか政府組織とかはどうなってるんだろう? 「正義」「悪」という単純な分類をしないのは富野 作品の昔からの特色だったが、『ブレンパワード』『∀ガンダム』からは、対立し合っている勢力同士が必ずしも、「殺す」か「殺される」か、といった極端な対立関係にない…場合も多い。 だからといって緊張感がない訳でもなくて、何と言うか、変わった関係にあるとしか。 そういう所が確かに面白いんだけど(^ ^)。 キャラクターそれぞれの行動やリアクションが的確で、かなり設定を詰めている事が分かる。 ラストシーンで、もの凄い規模であるエクソダス・キャラバンの全容が見せられた。 せいぜい百数十人ぐらいが参加している程度かと思えば…数千人単位? スケール、でかいなあ。 作画は2話目も非常に良好。 各社、力のあるアニメーターを激しく奪い合っている現状で、どこまでこのレベルをキープできるのだろうか。 お話の全体像はまだ良く分からないけど…来週はどうなるのか、どうするつもりなのか、興味深い。 02/09/13(金) レンタルでOVA『戦闘妖精・雪風』の1巻目を見る。 神林 長平によるSF小説が原作。 発刊当時に原作本を読んだ。 「未知の異星体・ジャム 対 人類」という対立構造だったモノが、効率的な戦闘に向かない邪魔な人間を切り捨てた「未知の異星体・ジャム 対 人類が作り上げた機械」へとシフトしていく、神林作品らしい「冷たさ」が強く印象に残っている。 …とは言っても、細かい所はほとんど忘れてるもんで(^_^;)、原作との差異はあんまり言えないんだけど。 OVAの感想。 『青の6号』のGONZO作品らしく、3DCGを効果的に使った空戦シーンの画面はなかなか、と思う間もなく… 機体に損傷を受け、ケガをして基地に帰投した主人公・零が、しばらくその辺でダラダラと過ごす辺りで、一気に見ているこちら側のテンションが落ちてしまった。 主人公の内面を描くエピソードを挟む事は必要だろうが…実質、「内面」など描けていないし。 このダラダラが、次の出撃に何ら影響を与えていない事も不満。 これなら、「死神」と呼ばれ嫌われている主人公と、基地内の他のパイロットとの確執でも描いた方がずっと良かったような。 異星での戦況もサッパリ分からないのに、ジャム側の偽装人類機が出てきた、と言われても、それがどれほどの意味を持つのか理解出来ない。 全体を主人公の視点から描き、彼自身が戦況にも他のパイロットにも一切興味を持っていないので画面にも出てこない、という事でも良いが、それならそうで、「雪風」にだけは異様なまでに拘る、その執念を(出来れば理由付けのようなモノも含めて)もっと感じさせて欲しかったなあ。 せっかく途中から新人の相棒が機体に同乗する訳だから、彼を「こんな任務、不本意だ」とか「僚機を援護に行こう、例え命令違反になっても」とか言い出す人間らしいヤツに設定し、主人公との差異を際立たせた方が良かったのでは。 小説なら、主人公の内面を次第に描いていく事も出来るけど、時間が短いOVAで色々と感じ取ってもらうには、多少パターンに流れても「分かり易く」見せて行く事が肝要。 「何を考えているのか分かり辛い主人公」だからコレでいいんだ、ってのは間違いで、「分かり辛い」性格をしている事を「分かり易く」描かなければならないんだけど。 最後まで見終わって。 主人公に対し魅力を、プラス方向にもマイナス方向(ムカツク、とか、早く死なないかなあ、とか)にも感じられなかった。 今後、彼がどうなっていくのか見続けたい…とは思えない。 「雪風」のメカニックな魅力も描けていないし。 前述したように3Dを使った戦闘シーンは綺麗だが… どういう意味を持った戦いか(戦略・戦術的な事ではなく、主人公がどの様な気持ちで その時の出撃に臨んでいるか、とかも)見ていて分からないため、画面に感心するだけで、ドラマとしては何も感じ取れない。 雪風がパイロットからコントロールを奪い取り、飛行中に180度回頭し、後ろ向きになって跳び続けつつ機銃を撃つシーンが、非常に分かり辛かった。 OVAで初見の人だと、「未来の戦闘機はイロイロ便利な飛び方が出来るんだねー」と思ってしまうだけでは? 良い読者とは言えないオレでも覚えているほど、原作では衝撃的であり、痺れるほど格好良くもあったシーンだったのに、こんな映像化かあ… 原作の色々なエピソードをブツ切りにして詰め込んであるため、お話の全体像がよく分からない。 いっそ世界観のみ そのままでオリジナルな話、例えば、配備された最新鋭機・雪風に初めて乗った主人公の初出撃と任務の過酷さ、やむを得ず臨む戦いのみを描くとか、そのぐらいでも良かったような。 戦いに人間がスポイルされていく神林テーマは確かに魅力的だけど、どうせ短い時間では描き切れないのだから、スッパリ切り捨てて「空戦シーンを最高に面白く見せる」方向に特化するとか、割り切る事も必要。 って、これ、全部で5巻も出す予定のシリーズなのか! だったら尚更、こんなに急いで原作を消化しようとしなくても。 2巻目も見るかどうかは、微妙。 これと同じぐらいの出来なら、もうイイや。 02/09/11(水) 『あずまんが大王』23.「かんだ」ほか 基本的にガサツな行動ばかり見せている神楽が、珍しく自省して意外にもナイーブな内面を見せる、体育祭用テントをふざけすぎて倒してしまうエピソード。 こういう「普段は分からない、弱い部分」を見せるのは、そのキャラクターに好意を持たせる手段として有効。 そういう やり方が巧いなあ、この作品。 大阪だけは、最後まで「弱い部分」を見せないのもイイ。 まあアレは全面 弱い所だらけで、「強い部分」が無い、とも言えるか(笑)。 神楽のシーンは、ちょっと演出のテンポが、原作を読んだ時の自分のリズムと違ったため不満が残ったが… 原作よりも、「ちよちゃんに声をかけられ、一緒にテントを立てる時の神楽の嬉しそうな顔」を強調しているのは、卒業時に先生に言われる「大丈夫、もうあなたは持ち帰っているのよ…」というセリフをより活かすためかな。 リレーの自分の順番を必死な走りで終えた ちよちゃんが、苦しそうに咳き込んでいるのがリアル。 肺活量の少ない子が頑張って走ると、こうなるから。 ちよちゃんを笑う男子生徒に、珍しく「怒り」の表情を見せる榊。 先を行くランナーを次々ブチ抜いていく場面は、原作中でも珍しい、カタルシスに溢れている所。 で、格好良いまま終わらせずに、続く先生の行動で全てをパアにしてしまう落とし方がまた、巧いんだよなあ。 体当たりをしてコケてしまうシーン、アニメではちょっと分かり辛い気がしたのは残念。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『オーバーマン キングゲイナー』01.「ゲインとゲイナー」 …は、先行放送で見ており、内容については何も言う事無いんだけど… 本放送版で初めて見られたオープニングでの、キャラもメカもとにかく踊りまくる映像と、「キング、キング、キングゲイナー」と繰り返す歌詞が脳裏から どーしても離れず、やたら見返してしまう(^_^;)。 ううう、麻薬的。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『天地無用!GXP』24.「ぱられ・ル…… !?」 『デュアル〜ぱられルンルン物語〜』とクロスオーバーか… しかし、何で? いや、ロボットの無敵さ加減は気持ちよかったし、個人的に『デュアル』は好きだったし、原典を知らなくても特に問題ない構成にはなっていたけど。 うーーん?? ところで、西南の「不幸」の理解に、ライターによってなのか都合に合わせてなのか、「西南自身を不幸にする」というものと、「周囲の人間を不幸に巻き込む」というものがあるような。 今回、ロボットに乗り込んで以降の西南自身は、不幸でも何でもなく大活躍だった訳で。 敵側に結構な数の死傷者を出したであろう事が、「周囲の人間を不幸に巻き込」んだという事かな? …まあ、「不幸」という設定は非常に面白いけれども、常に意識したままでお話を作るのは困難だろう、とは思う。 都合良く巨大メカが星に眠っており、戦艦と合体して超パワーを発揮出来た、なんてのは行き過ぎぐらいに「幸運」な気も。 人が持つ「運」の総量は誰であっても変わらない、という仮説からすると、西南は通常、超絶に「不幸」でいる事で、プラス方向に働く「運」の貯金を行っており、いざという時には莫大な量の「幸運」を一気に放出できる、とか(^ ^)。 02/09/10(火) 『ラーゼフォン』最終話.「遙か久遠の彼方」 この作品は…全然 巧く行っていなかったが、綾人と遙の関係をメインに据えているのかと思ったのだが… 妹とのよく分からない会話の末、よく分からない決心を持ってVTOLで綾人の元へと飛び立つ遙。 2体のラーゼフォンが争い合っている ど真ん中に何の警戒心もなく現れ、アホみたいな笑顔で綾人ラーゼフォンに手を振った瞬間、その攻撃に巻き込まれて消滅。 ???何考えてたの、この女? 「愛は盲目」というより、「頭おかしい」としか思えない。 呆れた。 25話かけて描いてきた…薄っぺらだったが…キャラクター描写を。 綾人に対する遙の想いを、「無」にしてしまった訳だ。 行動がまるで理解出来ない 制作者の人形であり制作者「自身」でもあろう綾人に対し、まだしもいくらかは理解しやすい遙の方に視聴者は気持ちを入れていたと思うが、そういう彼女の意味不明な「死」は物語に、怒りも哀しみも喪失も、何の影響も与える事はない。 何しろ、その消滅を綾人は、「今誰か居たような気がしたけど気のせいかな」程度にしか認識しないのだから。 そして、突然に訪れる「救い」。 久遠という幼い娘を持ち、綾人(?)と結婚している遙。 エピローグで示される、その出会い。 何の事やらサッパリ分からず…理屈があるのかも知れないが特に興味もない…感じ取れるのは、作者が持つ「神の力」でキャラクターを幸せにしてやったぞ、という強烈な自己満足のみ。 言ってしまえば、物語は全て作者の「神の力」でコントロールされているものなんだけど…それを露骨に感じさせないのが「物語る力」ってもので。 「あのねー、遙ちゃんドカーンって死んじゃったのー。でもねー、大丈夫で、その後はすっごい幸せに暮らすんだよー」 というコドモが考えたオハナシを聞かされてたって、「そうなんだー、そりゃあ良かったねー」ぐらいしか感想の述べようがない。 何故死んだのか、何故生き返るのか、それら過程を経たキャラクターの心情はどう変わるのか、そこに込めた作者の気持ちはどんなものか。 そういったことが読み取れて初めて、出来が良い悪い、作品として好きか嫌いかが言えるのであって、それ以前の作品について言える事は…やっぱり「そうなんだー、そりゃあ良かったねー」。 最終回だったので、全体的に。 「謎」が一杯残ったまま終わってしまったが、その事について全然、全く、これっぽっちもフラストレーションを感じなかったのは驚き。 表に見えている部分にさえ魅力を感じないのに、隠れた部分に興味を抱ける訳がないか。 大好きなキャラクター達の運命を左右するかも知れない「謎」だから、その真相を知りたいのであって、生きていても死んでいても どっちでも構わないキャラしか出ていない作品では… ロボットが2体に増えようと、世界が破滅に瀕しようと、人生のやり直しが行われようと、実はラーゼフォンなどというモノは最初から存在していなくても、舞台としている星が本当は地球ではなく火星であっても、全ては人類が滅びた後の地上で巨大コンピューターが見ている「夢」であっても、同じ。 「そうなんだー、そりゃあ良かったねー」。 結局、全体を通して、何が描きたかったんだろう? せっかくメカデザイナー氏が監督を務めたのだから、「メカニックとしてのラーゼフォンの見せ方(整備・運用や発進シーンの格好良さなど)には細心の注意を払った」とか。 「綾人はイイ男だから好きだ!と客に思ってもらう」 「恋愛関係の移り変わりにヤキモキさせる」 「毎回、趣向を凝らした敵ドーレムとの戦いに見入らせる」 あるいは 「美少女キャラに萌えさせて人気を取ってやれ」 だけでも良い。 とにかく、絞り込んだテーマを、一つだけ、持つ事。 キャラクターをどっさり出して、メカもちょいちょい出して、人間関係を入り組ませて、謎も絡めて、戦闘シーンもあって、アレも見せてコレも見せて… とすると、結局何も描けないまま終わる事が多いから。 でもなあ… 作品制作にかかる前に、誰かがこのアニメの設定資料を半分 消し去っても、放送スケジュールが倍に延びて総作品時間に余裕が出来ても、今のままでは面白くなどなるまい。 綾人と遙の、最終回での描かれ方を見ていると、ね。 結局、さしたる意味も感じ取る事が出来なかった一色達の昔話のようなモノが増えたり、苛立つ主人公の鳥頭ぶりを彫り込むだけに終わっただろう。 最後に、フォロー。 何と言っても、これが監督第一作目なのだ。 肩に力が入りすぎる。 アレもコレもと欲張りすぎる。 今の自分に出来る事と出来ない事とが分からなくなる。 それは、仕方ないだろう。 手に余るほど色々なモノを作品に突っ込もうとした、処理能力を超える「凄いもの」を見せようとした(だから描き方が分からず、お手本からそのまま引き写した「絵」を見せてもしまったが)。 でも、「何かやろうとした」意欲は、買えると思う。 ここからスタートで構わない。 26話のシリーズに、アニメ界でも屈指な才能の持ち主達と多額の資金を投入して無駄に消費し、貴重な、大変に貴重な経験を積んだのだ、という事を認識。 それを今後に活かしてくれれば。 一番 最初の仕事から、圧倒的な才能を見せる事が出来た人は少ない。 「主人公がよく分からない性格をしていると言われるけど、自分の描き方の方がリアルなはずだし、狙ってやった事だから問題ない」などという妙な理論武装で失敗を糊塗(こと)しようとせず、失敗に学び、次回作はこれよりステップアップしたものを見せて欲しい。 …って、来春劇場版公開かあ(絶句)。 そこまで某作品を追い掛けなくても、ねえ。 TVシリーズ再編集にしても、完全新作にしても、この作品に劇場にかける価値があるかどうかは疑問だけど。 予想を裏切る、面白いモノが出来る事を期待する…って事にしとこう(^ ^)。 02/09/09(月) WOWOWで放送されたモノを録画して置いた映画『ギフト』を見る。 『死霊のはらわた』1と2、『ダークマン』『キャプテン・スーパーマーケット』辺りではキワモノ監督のイメージが強かったが(オレはこの辺が大好き)、『シンプル・プラン』『ラブ・オブ・ザ・ゲーム』でマトモな映画を撮って見せ、『スパイダーマン』で大ヒットを飛ばした、サム・ライミ監督作品。 主演は、『ロード・オブ・ザ・リング』で透明感のあるエルフ族女王を演じた、ケイト・ブランシェット。 3人の子供の母親であるアニーは、不思議な霊感を持っており、占いをする事で生計を立てていた。 彼女の元には様々な人間がやってきて、言葉を求めていく。 そんなある日、恐ろしい事件が… まあ、地味な話。 実際、起こる事件は大したモノではないし、その真相もアッと驚くほどのモノではない。 もっとサスペンスを盛り上げるべく…ヒロインに強烈な疑いが掛かったり、街を追われかけたり、「悪魔狩り」にあったり…という事はあっても良かった気がするが、そういう抑揚は弱い。 でも、白けてしまうような馬鹿馬鹿しい所が無く、シナリオはきちんと出来ている。 短気な乱暴者の役でキアヌ・リーブスが出演。 一生懸命 演じているとは思うが、どうしても固定化した彼自身のイメージに合わず、無理を感じてしまった。 ケイト・ブランシェットは、ちょっと生活に疲れた様子でありながらも、強さ・優しさ・美しさを失わない母親役を見事に演じている。 実際、このお母ちゃんが良いから映画全体が締まっているような。 サム・ライミらしからぬ優しさ(^ ^)が感じられたラストには、ちょっとジーン。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』32.「いい子だって悩んでる」 「ファンタジー」の域に達してしまうほどのイイ子・さちこが登場。 いい歳したオッサンの目からすると、こういう子が娘だったら良いだろうなあ、とは思うけど… 子供達からするとどうなのかね? さちこは、子供達の「共感を呼ぶ対象」に成り得たのか… 「自分もこうありたいという憧れの対象」としても、特に最後で見せる初めてのワガママが拍子抜けするほど大人し過ぎてカタルシスを感じさせてくれないため、今回の話自体を「面白かった」と感じ、我が身に引き付けて考えられたのかどうかは、疑問。 ハジケてお馬鹿さんなハナとの対比、を目的として出しているキャラクターだから、マイナス方向に極端な方がいいのかなあ? どうにも「親の視点」からの満足度を優先しているようで、ハーレム系作品に出てくる女性キャラクターは「男性側視点」を最優先にしているため、それを見ている女性は ちっとも気持ちを入れられない、という事態と同じような事が起こっていないだろうか?とか考えてしまった。 いや、ハーレム系作品なら女性客は あるいは削ぎ落とすのもやむを得ない対象だけど… って、それはまあ、メタ的な、余計な事で(^_^;)。 お話そのものはハナと、「親」である どれみ達、両方の僅かばかりな成長を描いた、胸に染みるモノだった。 02/09/08(日) 特に疲れている訳でもないのに、やたら眠くて眠くて、耐えきれず馬鹿ほど寝てしまう。 ううううう、仕事も詰まってるのに… ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 土曜日3本はまとめて。 『満月をさがして』23.「お引っ越しパニック」 家事勝負に連敗し、キレたマネージャー・大重の、 「だいたいイイお嫁さん目指して生きてないもん、私!いいもん一生独り身で通してやるわ!親不孝者と言われても、職場でお局様と呼ばれても、あこぎに給料溜めて、厚生年金もガッポリぶん取って、近所で嫌味ったらしい評判のババアとして生き抜いてやるわ!」 という長ゼリフには笑ってしまった(^ ^)。 『東京ミュウミュウ』23.「恋は突然!乙女のハートをうけとめて」 いちごの親友の1人・みわの声が金田朋子で、どーしても『あずまんが大王』ちよちゃんのイメージがチラチラ。 ちよちゃんは当たり役だったと思うけど、強烈なイメージが付いてしまうと、それはそれで声優さんも後々 大変かも知れないなあ、などと余計な心配。 『わがまま☆フェアリー ミルモでポン!』23.「リルムの妖精占い」 描いた事が本当になってしまう占いカードの話。 パターンなストーリーだと思うけど、料理の仕方が巧かったので結構笑ってしまった。 カード合体魔神とかは、もっと演出的悪ノリがあると爆笑ネタになったと思うけど…まあ、上々の仕上がり。 しかし、松竹は「大金持ちライバル」のイメージを覆すほど、素直で一生懸命で可愛いねえ(^ ^)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ぴたテン』23.「ハイキングの楽しみ方」 キャラクターが皆 生き生きと動いており、「ケンカと仲直り」というメインの話を綺麗に活かす構成を取っていて、面白かった。 お話がカッチリ組み立てられすぎていて、「実際には男の子同士の仲直りなんて、もっとグズグズなモンだけどなあ」などと贅沢なケチまで付けてしまうぐらい(笑)。 作画が非常に良かったのも嬉しい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ WOWOWでかなり前に放送されていた映画『ミリィ/少年は空を飛んだ』を見る。 印象深い公開時の予告編を覚えているのだが、これまでずっと本編は見た事がなかった、1986年の作品。 監督は、CG映画としては先駆け的な作品で、宇宙中から集められた腕利きのファイターが戦いもせずに やられてしまうシーンが印象的だった『スター・ファイター』(勇ましいテーマを含め、好き)のニック・キャッスル。 『E.T.』のエイリアンを、自閉症気味の少年に置き換えたような物語。 思ったよりずっと、シナリオがしっかり出来ている。 父親が自殺をしてしまった事で、ヒロインの母親は余裕を失い、弟は何事にも勇気を持って立ち向かえなくなってしまっていた。 それを、少年が空を飛ぶ、という奇跡が救っていく。 少年は本当に飛べるのか、父親の死のショックがヒロインにもたらした幻なのか、なかなか明らかにならないのがイイ。 ファンタジー色を取り払って、普通に青春映画としても成り立つドラマ性やキャラクターを持っていると思う。 ラストは… 爽やかな感動で悪くないが、ちょっとだけ不満が残ってしまった… 「この映画を見るべき時期」というものがあるのかも知れないなあ。 高校生以下であれば、何の不満も感じずに済むかも。 トシ取ってしまうと、映画が元々描こうとしていない所にまで「現実」を持ち込んで、勝手に不満を感じてしまう所があるから。 今、『E.T.』を見たなら、「政府の行動の妨害をしてしまった子供達はこの後どんな罰を受けるんだろう?」とか余計な事を思って、感動に水を差してしまうかも。 02/09/06(金) リンクさせて頂いた、りなも様の萌え萌えアニメ日記。 アニメーション作品の詳細なデータ(実は、ウチの日記に書いてある作品のサブタイトルやスタッフデータなどは、ほとんど全てこちらを参考にさせて頂いてます)と、それぞれに対する愛情を感じられるレビューが素晴らしい! お忙しいお仕事を持ちながら、毎日更新される情熱はもう、凄い!としか。 一度、御覧になってみては? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『藍より青し』19.「膝枕〜ひざまくら〜」20.「癒〜いやし〜」 何週間か放送をお休みしておいて、明けると2話ぐらい連続放送。 フジテレビの変則放送スケジュールは何とかならないのかなあ? 今回、前半は「可愛い小学生・ちかと入浴」、後半は「葵・ティナ・妙子・繭が次々コスプレ衣装に着替える」で、サービス過剰気味の、目に嬉しい二本立てだった。 しかしアレだね、前半では、先に入浴していた主人公が嫌がっているというのにスクール水着姿の ちかが無理矢理 入って来、後半では じっとしているだけの主人公に対し葵が積極的に唇を寄せる。 ここでは、男の子はドコまでも受動的。 せめてキスの主導権ぐらいは…と思うが。 でも、こういう「萌え」中心のハーレム系作品では、なかなか主人公を女性に対して能動的性格に設定出来ない部分が。 積極的な主人公、例えば『うる星やつら』の諸星あたるや、『シティーハンター』の冴羽遼なんかは、見ている側にマネ出来ないほどの行動力を持っており、「感情移入の対象」「同一化して作品世界を楽しませてくれる存在」には成り得ない。 「困ったヤツだなあ」「これからどうするつもりなんだろう?」という、「観察対象」になってしまうのだ。 キャラクターが強烈な個性を発揮し行動する事、は、物語を面白くはしてくれるけれども、「見ている自分とは違う部分」がどうしても現れてきてしまうため、「同一化」させる事を目的としていると、障害になる恐れが。 だから主人公をアクの無い、出来るだけプレーンなキャラクターに設定する事で「同一化」し易くするのが、特に、擬似的にモテるシチュエイションを楽しませる作品、「萌え」を第一義とする作品においては、絶対的条件。 同じくハーレム系の作品である『円盤皇女ワるきゅーレ』の和人も、『天地無用!GXP』の西南も、強烈に能動的な性格を持たない、周囲の女の子達の積極性に振り回されるキャラになっている。 また、「女の子の方からムリヤリ迫ってきたので断り切れなかった」とすると、主人公と同一化している自分の「不実」「浮気者さ加減」を認識しないで済む、という利点も。 更に身も蓋もなく言えば、主人公が強力な意思を表明し、ヒロインへの愛情を告白、それ以外の女の子を拒絶してしまうと、「話がそこで終わってしまう」んだけども(笑)。 いや、まあいいや。 この辺りは書いていると果てが無いし。 『藍より青し』は良く出来ている、正しい作品だという事。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ WOWOWで放送されていた映画『ドリヴン』を見る。 監督は…『ダイ・ハード2』を例外として、あとは箸にも棒にも掛からない映画ばかり撮ってきたレニー・ハーリン。 ああ、個人的には、99年のサメ・パニック映画『ディープ・ブルー』のB級丸出しテイストも好きだったが。 主演はシルベスター・スタローン。 CARTレースの世界を舞台にした話。 スタローン扮する引退した名レーサーが、才能はあるが実力を発揮しきれない若いレーサーを導くため、呼び戻される。 予告で流れていたような、カーレースのクラッシュ・シーンにはさすがに迫力があるけど… とにかくドラマ部分の退屈さは酷く、見ていて飽きてしまう。 ライバルレーサー2人が1人の女性を奪い合う下りなど、早送りしたい気分で一杯。 かなりブランクがあったはずのスタローンなのに、レースに復帰した直後から素晴らしい走りを見せるのにも、「?」。 これだけ走れるのなら、若いレーサーをクビにして自分がトップレーサーに返り咲けばイイじゃないか。 シナリオもスタローン自身が書いているらしいので、本来は「縁の下の力持ち」たるべき自分の役を、ついつい度を過ごした「凄いヤツ」にしてしまったのでは。 もういっそリミッター全開なスタローンのオレ様映画にしてくれたのなら、それはそれで楽しく見られたかも知れないが…所々に変な理性が働いて抑制してしまっているため、そういう方向でも満足出来ない。 うーーん、まあレニー・ハーリンらしい映画、としか言い様がないか(^ ^)。 02/09/04(水) このHPを置かせて頂いているホスト、J−MAC様の都合により、近々アドレスが変わるそうです。 新しいアドレスは、 になります。 02/09/03(火) 『あずまんが大王』22.「ナイスですよ」ほか オレは…大学受験を控えた高校3年の夏も、それなりに遊んでいたような気がするなあ。 「遊んでいて大丈夫なのかどうか」悩みながら、でも結局は遊んでいた訳だけど、そういう時に ともみたいなヤツが居て、「遊んでていいわけねーじゃん!でも遊ぼうぜ!」と、超越した意見を言ってくれたなら… オレも「おまえはスゲーな」と応えてしまっただろう(^ ^)。 今回は大畑 清隆がコンテを切っていて、繰り返しを巧く笑いに結びつけてあり、感心。 ゆかり先生を起こしに行った大阪が、フライパンと間違えて手に包丁を持っている 危険なギャグも、さらりと流している原作に対し、アニメでは非常に大袈裟にしているのが効果を上げて、笑ってしまった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『十二国記』15.「風の海 迷宮の岸・一章」 キャラクターが増え、場面も時系列もポンポン変わっていく展開で、しかも個人的事情として仕事をしながら見てしまった事により、よく分からないシリーズ再開第1話となってしまった。 お話の中身は面白いので、子供にも分かり易い、パターンに流れたドラマにする必要はないと思う。 が、難しい漢字が充てられているキャラクターや土地・設定の名称などについては、登場のたびに毎回 画面下テロップで見せるとか、特殊な設定はドラマ中で手を変え品を変え何度も説明するなど、出来るだけ理解してもらいやすいよう努力をした方が良いような… 子供は、付いてきてるかなあ? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『G-onらいだーす』09.「メイド衣装は誰が着る」 無理矢理にメイド衣装(?)を着せられるパオ。 猫耳、メイド服、メガネ(おまけに命令に服従する幼女)という、「萌え」なアニメとしては正しい(^ ^)キャラクターになってしまった。 パオは小学生なのかな?ランドセルで登校していたが… オタク連中が無理矢理に言わせる「ご主人様」「(お玉を持ってモジモジしながら)お料理焦がしちゃいました」「メイっぱい頑張ります(楽屋オチ)」というセリフ。 なるほど、ツボ。 「はわわ〜」もあると更に良。 女生徒全員がメガネっ子、という狙いすぎるほど狙っている基本設定を持ちながら、「萌え」の売り方に叶わないストーリーを見せてきてしまった このアニメだが、終盤に来て良くなってきた。 マコの命令で、アイ・パオに被害が出る事も構わず、攻撃にやってきたアンドロイド・ゼロ。 これまで全く無表情で作戦の失敗確率を計算し、パオ達がケガをしないように回収して帰る事を主な任務としていた。 そういう彼女が「感情」に目覚める、という展開はもちろん大方の視聴者の好みに合うモノなんだけど、もうちょっと段階を踏んで変わっていくと良かったかなあ。 イキナリ過ぎで。 今回、セーラにこき使われるパオ、彼女の漏らす不満にオロオロするアイ、裏切りを許せないマコらロリベーダース、そしてゼロのドラマが主役側を完全に喰っていた。 ユウキ達 主人公側には、キャラクターを立たせるような設定もドラマも用意されて来なかったため、今更 影が薄いのを不満に感じる事さえないが。 本来はユウキ達をもっと面白く見せなければならなかったと思うけど…まあこの際、「誰か面白くなった」だけでも めっけ物。 今後も、一朗を巡っての女の戦いの決着と、彼がユウキにパンツを返せるかどうか、といったかなり弱いイベントしか主人公側には組まれていないと思うので、ロリベーダース側を実質的に主役に据え、葛藤を彫り込んだ方がイイと思う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ BSで放送されている黒澤 明映画特集から、『蜘蛛巣城』と『影武者』を見る。 「超」が付くほど有名な映画で、ずっと見たいと思っていたのだが、これが初見。たはははは。 映画論やら黒澤映画の流れとしての位置付け、総論などは、既にアチコチで偉い人達が語り尽くしているだろうから、略。 『蜘蛛巣城』 とにかくラストシーンの迫力が凄い! アレはどうやって撮ったのだろうか? 本当にやっていたのだとすると、下手したら三船 敏郎が死んでいた可能性も…(^_^;)。 だからこそ、恐怖にのたうち回る三船の表情に、「嘘」が無い、と言えるのだが。 『影武者』 陳腐な言い方だけど、カメラワーク、配色、光の取り入れ方など、どのカットを取っても正しく「絵」になっている。 安っぽさがまるで無い、「本物」の画面が生み出す説得力と迫力だけでも、3時間強、目が離せない。 本来、信玄は勝新太郎が演じる予定だったそうで… 実際の映画では仲代達矢が演じており、もちろん迫真の演技で引き込まれるんだけど、信玄の時はともかく、影武者の盗賊役になった時に、役者本人が持って生まれた「品」のようなモノが滲み出てしまい卑しいイメージになり切ってない。 勝新なら…は言っても仕方ないか。 全体の3分の2ぐらいまではドラマとして、文句なく、最高に面白い。 影武者である事がバレるかバレないか、でハラハラさせ、危機一髪 乗り越えていく展開が、素晴らしく良く出来ている。 でも… 物語としてのクライマックスであるはずの、影武者と判明してしまうイベントが余りにもあっけなく、満足行かないモノであり、しかもそこを過ぎて武田家の没落原因となる長篠合戦がまだ延々と描かれる辺り、「?」。 見ている側の興味は「影武者」1人に集中していたはずで、武田家がその後どうなったかなんてのは どうでもいいんだけどな(歴史の教科書で習った通りだし)。 歴史考証無視を徹底して、ニセモノとバレて後、最後の合戦に臨み、戦場で「信玄」として雄々しく死ぬ、ぐらいな終わり方で良かったのでは? 『乱』もそうなんだけど、アンハッピー過ぎる終わり方が個人的に気に入らず…凄い映画だし面白いと思うが、もう一度見返したいとは思わない。 映画とは直接 関係ない話。 放送がNHKBSだったんだけど、「めくら」「気違い」など、放送禁止用語をカットせずそのまま流していた、この英断には拍手。 ドラマ『ER』で、問題になりそうと勝手に判断した2話を、地上波で放送しないというヘタレぶりを見せた局とは思えない(BS組のみ根性が座っている?)。 02/09/02(月) 『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』31.「パオちゃんはおジャ魔ゾウ !?」 演出も作画も良く、キャラのリアクションが大変に上手く描かれており、大笑い。 アイドルのイメージがあるため、「ウンチ」なんて言えない!と言いながらもつい言ってしまう おんぷがおかしい。 子ゾウ、パオがレギュラー入りか。 これは…活かせるキャラクターなのかな? 食べ物の好き嫌いなどワガママを言うけども、お金を稼ぐ(生み出す)から誰も文句言わない、っていう扱いも子供向け番組としてはどんなもんか、という気がしないでもないけど、まー人間じゃなくて動物だから仕方ないや。 これで、「口に何か入れたら、お尻からビーズが出てくるオモチャ」を出すつもりなのだろうか(笑)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ぴたテン』22.「運動会の燃え方」 町内大運動会の話。 なんで学校の運動会じゃないのかと思ったが、学年を越えて(含む執事のジジイ)チームを組むためと、豪華な賞品を設けるためか。 クライマックスに運動会の華・リレー競争を据えてあったため、いつもより分かり易く盛り上り、「見た」気になるお話だった。 もうちょっと盛り上げるには… リレー、という事を活かすと、「自分達のチームワーク(または選手の体調)に問題を抱えている」「強力なライバルが存在する」というような要素を入れるのがパターン。 ライバルとしてのジジイチームが強力な事は、物語中でチョコチョコ描いてあったのだが、それと主人公達が「何となく」イイ勝負をしてしまう辺り、「?」と思わされ、今ひとつ。 2つに分けられた主人公チーム、双方のみがライバルで他は敵にならない、とするか、全員一まとめにしてチーム内の葛藤のみを見せ場にしても良かったと思う。 せっかく真面目に悪魔をやろうとしているクロネコ・ニャーが居るのだから、その魔力によって他の参加チームを操作し、主人公達に足を引っかける体当たりをする道具を用いてインチキを行う等々、反則ワザを使わせるとか。 妨害工作のため紫亜がケガを負ってしまい、それを見たニャーが複雑な反応をすれば、悪魔とは思えないほど人がいい紫亜のために、苛立つばかりだったはずのニャー自身さえ変わりつつある、という内面も描けたのに。 妨害工作に対抗しては… ニャーと敵対する早紗が登場し、天使の力で反撃しても良いし、色々な妨害を それぞれの個性…天は才能で、小星は体力で、美紗はボケがたまたま良い方向に働いて、とか…で乗り越えていくとしても良い。 いやまあ、必要以上に盛り上げず のほほんと進めるのが、この作品の持ち味と言えば持ち味なんだけど(^ ^)。 欲しかった優勝賞品とは実は… 意外だけど非常に納得がいくラストは、巧い! ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『サイボーグ009』45.「地下帝国「ヨミ」編 (3) さよなら、ドルフィン」 うううーん… サイボーグ達の「家」とも言えるドルフィン号が最期を迎える話だったが、イマイチ緊張感に欠けてしまったのは、納得のいかない所が多々あったため。 ビーナとヘレン姉妹。 テレパシーで結ばれている姉妹があと3人も敵側にいる、という事で…004が信じられないと言い出すのは当たり前だと思うなあ。 他の姉妹の命をタテに脅迫されれば、協力せざるを得まいし。 なのに、作戦もなく突っ込んでいくのは…どうだろう? まあ、009達が実は周到な作戦を立てており、それを姉妹にも知らせずにおき、「敵を騙すには、まず味方からさ」と言って大笑いしてはイメージ台無しだけど(笑)。 海底での戦いの際に、せっかく改造・強化された008が その戦闘力を見せず。 ドルフィン号にサイボーグマン達が乗り込んできた時、009は加速装置を使わずに もたもた戦うばかりだし。 射出装置の故障が明らかになったなら、せっかく船内に残っていた008がサッと行けば済んだ事なので、ビーナが出て行くのには無理を感じる。 沈み行くドルフィン号からの生身での脱出にしても、呼吸がもつかどうかのハラハラがなく、それどころか水中のシーンにモノローグを被せる演出のため、緊張感がゼロになってしまっている。 そうだなあ… やっぱり水中戦では008が颯爽と出撃、サメロボット達を次々に撃沈する。 が、数に押され、取りこぼしてしまった魚雷及びサイボーグマンの攻撃によりドルフィン号の船腹に穴が。 船内に侵入してくるサイボーグマン達。 そちらに一瞬、気を取られた隙に、破損したサメを盾代わりにしたサイボーグマンが008を捕らえる。 ドルフィン号内部、動力炉に爆弾を仕掛けるサイボーグマン達。 加速装置を用い、彼らに攻撃を仕掛けて破損させ、爆弾を全て回収して海中に放出する009。 危機一髪、爆弾が大爆発。 「作戦は、失敗だったようだな」008の言葉に、「いいや」と応えるサイボーグマン。 003が絶叫を上げる。「逃げて008!彼らの体内には…」 008を捕まえていたサイボーグマンが轟音を上げて自爆する。 強化された皮膚のため致命傷は受けなかったものの、意識を失い海中を漂う008。 003からの通信を受け取った009達の周囲で、サイボーグマンが次々と火球になって弾け飛ぶ。 動力炉が破壊され、やむを得ず船を捨てる決断をし… ビーナと004を船に残したいならそれは活かして、んー、その後を印象的なシーンにするべく。 海中に数分間は出ていなければならず、女性の弱い心肺機能ではその間 呼吸を止めていられそうにないため、サイボーグの人工心肺に溜めた酸素を分け与える事で もたせる。 要は、「口移しで酸素を送る」というのはどうだろうか? ああ、『未来少年コナン』の同様シーンは出来れば忘れてもらえると嬉しい(^_^;)。 水圧がどうだとかムズカシイ話はともかく、そのまま水中に出るよりは いくらか説得力があろうし、睨み合っていた2人の関係の変化を絵的に分かり易く示せたと思うな。 02/09/01(日) 『円盤皇女ワるきゅーレ』09.「秋菜小変身」 宇宙人の円盤が地球のアチコチに墜落してきて、その度に何か事件が起こる、というのがこの作品の基本的骨格らしい。 またもライネの円盤が墜落。 ハイドラを子供に変える時に使う自分自身の霊力の逆流により、地球人・秋菜が子供化してしまう。 この作品の一番大きな個性は、「大人(とは言えないかも知れないけど、少なくても幼児ではない者)が子供になる」という基本設定にあると思う。 子供が成長を見せる「魔女っ子もの」の真反対、というか。 今回のお話が、原作にあるのかどうか知らないが… 「子供」である事で、どんな失敗をしても「可愛い」と言われて許され、抵抗無く和人と一緒に、手さえつないで帰る事が出来、成長した姿の時は「オトナ」として胸の奥に止めて置いた 和人を独占する子供ワルキューレに対する怒りと嫉妬を、ためらい無くぶつける事まで出来た。 「魔女っ子もの」が、成長して「可愛い」から「キレイ」と表現される容姿に変わり、夢の職業に就いて責任を負う立場になって行く事の、やっぱり、丁度 反対。 ここでは、背負ったモノからの解放、が描かれている訳だ。 姿のみならず魂までも子供になる事で、全ての責任を放棄してしまうワルキューレ。 余り変わらないように見えるハイドラさえ、今回、長時間 大人の姿に戻る事で、やたらと秋菜の世話を焼く立場へと変わる(これは「責任」を負ったと言うより、イジメ返してるんだろうけど)。 成長に伴ってイヤでも増えていく責任、幼い姿に戻る事による それらからの解放。 テーマ、というか、作品の個性を制作者がとても良く理解しているようで、唸る。 生きている限り誰でもゆっくりと「大人」にはなれる(なってしまう)けど、「子供」に戻るには、宇宙人とか円盤とか霊力とか、たくさんの嘘を必要とする。 物語の最後で姿が戻り、秋菜は元通りの生活を送れるようになった。 しかし同時に、和人との間には「意識」による壁が、再び出来てしまう。 元に戻る事で、取り戻したものと、永遠に失ってしまったもの。 イイ歳をした人間には胸に ほろ苦い後味さえ残る、いい話だった。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 『ドラゴンドライブ』08.「戦いの始まり」 2、3回見逃しているウチに、「ヴァーチャル・リアリティー・ゲームもの」から「異世界冒険もの」に変わったようで、その辺の事情はよく分からないが… 関係なく、内容は面白い。 キャラクターの足場を固めるべきシリーズ開幕当初の段取りをすっ飛ばし、とても勝てそうにない強敵とのバトルをイキナリぶつけて来ていた。 まさしく「ジャンプ」的。 ググッと興味を引き付けるその戦いを通じて、キャラの性格や他人との関わり方などを彫り込んでいく手腕が見事。 事務的に基本設定の紹介ばかりをしても、焦って、絵として派手ではあるけど誰が誰かも分からない状態でバトルを連続させても、特に「ジャンプ」的お客様には「つまらない」と思われ、離れられてしまうから。 原作漫画を読んでいないので、どこまでが原作者の手柄なのかは分からないけど… この辺のバランス調整の巧さが、他の漫画からアタマ一つ抜け出してアニメ化されるに足る実力、という事なんだろうなあ。 根性の曲がった幼い兄妹が面白い。 安易に性格を改善させず、しばらくこのまま楽しませて欲しいもんだ(^ ^)。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ WOWOWで放送されたモノを録画しておいた映画『ショコラ』を見る。 監督は、『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』『サイダー・ハウス・ルール』のラッセ・ハルストレム。 主演はジュリエット・ビノシュと、『スリーピー・ホロウ』のジョニー・デップ 閉鎖的な村にやってきたチョコレート売りの母娘が、次第に村人達の意識を変えていく、という お話。 なかなか、面白かった。 もっと生活に根付いた内容かと思えば、意外にもファンタジー色が強い。 母娘は完全なファンタジー世界の住人で、『笑うせえるすまん』喪黒福造のごとき超然とした存在か、と思えば そうでも無かったり、だが。 ちょっと謎めいた お母ちゃんのイメージがとても良い。 変わっていく人々のドラマ…頑固者の孤独な婆さんと優しい孫の交流、冷え切った仲から愛情を取り戻す夫婦、暴力的な旦那にいいようにされていた立場から自立していく女性、これらも皆、良いんだなあ。 ちょっと人間の心情変化の段階を飛ばしている所があり、都合が良い話と感じられるかもしれないが……シンドイ気分になった時 見ると、ほわっと救われたような気持ちになれるだろう映画。 |