ときどき日記 02/11(前)

2002年11月14日 木曜日

『オーバーマン キングゲイナー』10.「アスハムの執念」

 賭けボクシングでお金を稼ごうとするゲイン。
変装(女装)してそれを見守るゲイナー。
彼女(彼)に「キャサリン」などといい加減な名前で呼びかけるゲイン。
 もう、いきなり冒頭から飛ばしていて大笑い。
 前回、ちょっと落ち着いた話を見せたと思ったが、今回はまたアクセル全開な内容。

 サラたちが所属している部隊を「ガウリ隊」と呼んでいたが、これまでは隊長であるガウリの活躍は目立っていなかったと思う。
しかし今回はもう、ヤーパン・ニンジャの本領発揮で、やりたい放題の大活躍。
 トロッコ(?)に縛り付けた砲を撃って加速し、先行する列車に追いつく「忍法火炎車(その場で考えたネーミングだろうなあ)」とか、「忍者」の設定に悪ノリした行動がムチャで凄い!

 「メガネメガネ」、「ぬいぐるみでは、上手に遊ぶんですが」、「この鉄仮面が冷え切って頭痛がする」、「キサマに兄と呼ばれるいわれなどは、まだ無い!」、ラストの楽しげなゲインとガウリの立ち回りなどなど、いい感じにズレたセリフや展開が山盛りで、最後まで楽しく見られた。
 とにかく疑問など感じる暇を与えず、キャラもストーリーもアクションも、パワーで見せ切ってしまう力強さが素晴らしい。



『灰羽連盟』04.「ゴミの日・時計塔・壁を超える鳥」

 ここまで、一人ずつ、ゆっくりと登場キャラクターを紹介している。
街には、「灰羽」という特殊な存在に対して偏見を持ったり迫害したりする人は居ないが、変に優し過ぎる人もまた居ない(全体に好意的ではあるが)。
 この辺りのバランス感覚が、ふわふわとしたこの作品に説得力を与えているんだろう。

 お話らしいお話は無いし、作品世界には幾多の謎があるのだが それを推察して解明したいという気持ちにもならない。
 「ここがこう面白い!」と他人に説明できる所はないのに、どこか引きつけられる魅力があるのが不思議。


2002年11月13日 水曜日

『キディ・グレイド』05.「Day/Off」

 これまでの話でずっと感じていた「詰め込みすぎて消化不良」、という難点は無かったように思う。
 悪いヤツらが顔を突き合わせているのを「インサイダー取引」と言うのは、どーだろ?という気がするけど(^ ^)。

 エクレールとリュミエールの休日の様子が、ちょっとだけ描かれた。
そうそう、任務の描写だけで一杯一杯になり、キャラクターの彫り込みがおろそかになりがちだったので、こういう話はもっと早くにも欲しかった所。
 ただ…
残念だったのは、視点が2人のどちらにも定まっていなかった事(エクレール気味ではあったが)。
2人をここで公平に扱っては、どちらも活きなくなってしまう。

 エクレールは、前回の逃走劇であるとかで少しは内面描写が出来ているため、ここはやはりリュミエールをメインに。
 休日を、豪邸で一人過ごすリュミエール。
リッチな、お嬢様な暮らしと、しかし休日を誰と過ごす当てもない、特異な能力を持った少女であるが故の孤独。
 その辺がちょっとあると、オペラ会場の植え込み陰で泣いていた同年代(?)の少女を見た時、彼女が示す無防備な行動がより栄える。
 あと、せっかく誘拐された子供達と一緒に行動するんだから、リュミエールが発揮する能力に的確な驚きのリアクションを示してくれる子供…男の子がいいかな…を付けてくれると良いかも。
「君はダレなの?」
「今のはどうやったの?」
「どうしてそんな事ができるの?」
「君のパパやママはどうしたの?」
という質問を男の子に投げかけさせれば、彼女がそれに、答える・答えない、どちらの対応を取ってもキャラを彫り込める。

 ほとんどのワルモノを制圧するリュミエール。
だが、電子機械に寄らない攻撃に、追いつめられる。
 そこに、エクレールが登場。
理由は、元の話通り「関係ない所から事件に巻き込まれて」でもいいし、「たまには遊ぼうかなーと思って誘いに行ったら行方不明だってんで、心配して探してたら…」というリュミエールの孤独に呼応する形を取ってもいい。
ここで孤独が癒されるなら、途中出会った男の子はひたすらリュミエールの力にビックリするばかりで、仲良くならない方がイイかな。

 今回も、やたらパンツを見せたり、シャワーシーンがあったり、リュミエールが わんわんウソ泣きをしたりで、絵的に「見て良かった」と思わせる仕掛けは機能していたのだが。
あとは、お話の充実を。



 冬コミケ、無事受かりました。
 3日目・東館・ヌ-15 白昼書房
です。
 何の本を作るのか、今に至っても決まっておりませんが…
これから必死でやりたいと。
 ご来場の折りには、お立ち寄りを。


2002年11月11日 月曜日

『ぷちぷり*ユーシィ』06.「もしかして!?出会いは突然やってきた」

 『新世紀エヴァンゲリオン Air』で監督・演出を務め、問題作『フリクリ』の監督だった鶴巻 和哉が演出したお話。
 さすがに冴えていて、殊更に不安定なアングルを多用する所とか、ケルベロスが3つの頭からそれぞれ異なった炎を吐き出し、それを王子…いやアルクが剣一本で防ぐ所など、非常に面白かった。

 すっかりユーシィを可愛く見ていたオヤジの目からすると、彼女に対し無神経な言動・行動を取るアルクは大変 腹の立つ存在で、「キサマなんかに娘はやらん!帰れ帰れ!」という気持ちに(笑)。
まんまと制作者の術中にはめられてる。



 スーパーチャンネルでずっと放送されていた『スタートレック/ディープスペース・ナイン』が終わる。
 元々 連続性の強いシリーズだったが、最後の10本ばかりは全部で一つの話、と言ってもいいぐらいに繋がった物語になっていた。

 うーん、映画でも見た事がないような規模の艦隊戦があったり、非常な緊張感を最後の方まで維持したり、という辺りは見応えがあったが…
 「物語性が強かった」が故に求められた、ラストの盛り上がりや謎の解明、一部を除くキャラクターへの決着の付け方など、視聴者の期待に応えられるレベルだった、とはお世辞にも言えない出来。
 あれだけもの凄い戦乱状況にありながら、その終わらせ方は……
まあ、『スタートレック』シリーズ全般に、前後編の話で、前半は大変に面白い事が多いが、後半、物語を収束させる部分になると途端にショボくなってしまうからなあ。
 『スタートレック/ヴォイジャー』の最終回も、「なんでこうなるの?」という疑問や不満が山積みで、とてもじゃないが納得できなかった。

 これまで「きちんと終わる」といった考え方そのものが希薄だった米テレビ界に、「最終回」を作るケースが増えてきた事をこそ、評価すべきなのだろうか。
 そういや『ロズウェル』も、呆気にとられる形ではあったけど最終回を作ってたなあ。

 途中には多くの面白いエピソードがあったのだし、オドーとクワークの微妙な友情は大変に好みだったから、いいか。

 それにしても。
 「知性派」なシリーズである『スタートレック』でも、艦隊戦ってまだ、多数の戦艦同士が正面からぶつかり合って最終的に残っている数が多い方の勝ち、という「非・知性的」なモノなのね。
 『銀英伝』とまで言わないけど、もうちょっと戦法を考えても良いかと。
戦術レベルでどうこう、どころか、各艦の通信・連携すらロクに取れておらず、寄せ集めのサバイバルゲームでバラバラにバンザイ突撃を敢行する人々を見ているよう(笑)。
 確かに、『スタートレック』は戦いの面白さを味あわせるのが目的のシリーズではなく、逆にそれを否定しているような所もあるんだけど。
 でも、ねえ。

 いや、あんまり詳しく言うと良くないか。
 関東地方の地上波では、最終回を見られるのなんかまだ数年後だろうから(;´д⊂)。



 入れ替わりに始まる、『スタートレック』サーガ最新作、『スタートレック エンタープライズ』1、2話を見る。

 とにかくCG含む画面効果が素晴らしい!
エンタープライズNX−01の宇宙ドック繋留・発進シーンなんか、映画第一作『スタートレック THE MOTION PICTURE』での同様シーンに感銘を受けた(全体には眠い映画だったけど)身としては、まさかテレビでココまで出来ようとは、ダグラス・トランブルだのジョン・ダイクストラだの往年の名特撮マン達がメチャメチャ予算をつぎ込んで ようやく映像化を成し遂げたあの努力は何だったんだ?と隔世の感。

 お話は…
『ネクストジェネレーション』も『DS9』『ヴォイジャー』も、第1話はあんまり面白くなかったからなあ。
キャラクターが馴染んできて、ようやく面白味を感じられるようになる訳で。
 それにしては、まあまあ。
船長含むクルーの「大人でなさ(人類の、種としての若さ)」は割に良く感じられた。

 事件は…
結局 何も解決せず、謎だけ残して終わってしまった。
 未来から来たという謎の敵の正体は?
ここでボーグとかドミニオンのような、全く新しい強力な人類の敵、を設定すると、後の時代を描いたシリーズとの間に矛盾が生じてしまうから、扱いが難しい。
 「実はご存知、ロミュランでした」ぐらいに止めるか、「実は人類自身でした」という意外性を狙うか。
正体不明なまま終わる、ってのが一番簡単だけど非難ゴウゴウだろうし。
時間を操れるのなら、事件が解決した時点で、「事件そのものを歴史から抹消してしまう(何も無かった歴史に変える)」という解決もアリか?やっぱり非難されそうだけど。

 とりあえず今後に期待。
 もうね、あんまりスタトレ歴史への整合性を気にしなくても良いと思うんだけどね。
ボーグと出会ったり、ウルトラ・フェーザー砲を開発したりしても、それで話が面白くなるならオレは気にしないが。
 これまでのシリーズでは無かった形として、「未来」にタイムスリップし、カーク、ピカードなどの時代に紛れ込み、その進んだテクノロジーに驚嘆し、艦橋にいるウォーフにビビる、ってエピソードは絶対ありそうだなあ(^ ^)。


2002年11月10日 日曜日

『りぜるまいん』18.「修学旅行、西へ… 魅惑のバトルスワッピング!?」

 人間を意のままに操る操縦機は『鉄人28号』で、指令を受けた時の「ま!」は『ジャイアントロボ』。
サブタイトル(『ウルトラ警備隊 西へ』より)通り『ウルトラセブン』のネタも使い、何故か『めぞん一刻』の名ゼリフ「響子さん好きじゃあ〜っ!」を絡めてみせるパロディーネタの連発ぶり。

 「やっぱり凄いわ、硬くて最高」
 女同士で胸と胸をくっつけての入浴。
 間違えて操ってしまった犬がスカートの中に顔を突っ込んで来て(バター犬?)…それに加えて女の子3人組のムチ・ロウソク・ロープを使ったプレイ(コレは見せなかったけど)
 「恥ずかしいけど…脱ぎます」
 引き続いてスタッフにはエロアニメ野郎!というか、エロネタ満載の大馬鹿アニメ野郎という言葉を贈りたい気分で、大笑いしてしまった。



『おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!』40.「どれみと魔女をやめた魔女」

 何度か出てくる印象的な五叉路は、ここで必ず皆 別れ別れになる所からも、どれみ達5人それぞれの異なった行く先を表しているのかな?
 あ、ハナを入れると6人だけど…
ハナは(補習のため)関先生に連れ去られた、という事で、かつて予想されていた「実は関先生が現・妖精界の女王」(^ ^)って読みからすると、これまた暗示的。

 そういった訳で、『どれみ』では初の、細田 守演出の話。
 氏は、テレビアニメを何話か演出した後、「怪獣映画」の興奮を味合わせてくれた99年の『デジモンアドベンチャー』で劇場映画の監督に。
 翌年の映画『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』は、今のところ氏の最高傑作だと思う。
 『デジモン』映画2本をカップリングしたDVDが出ているので、ゴチャゴチャ言うよりも実際に見てもらった方が早いな。
 最近は、ジブリで『ハウルの動く城』という劇場用アニメの制作準備をずっとしていたはずだが…降板されて、監督は宮崎御大に替わったという話。
 作画や背景美術等に非常に高度な要求をする(そうでないと意図が達成できない)タイプの監督さんなので、ジブリ、という日本でも最高峰の環境を使って どれほどのモノを見せてくれるのか とても楽しみにしていたのに…残念。
 降板でスケジュールが空いたからこそ、こうして『どれみ』にも参入できた訳で、フクザツなんだけど。

 本編に戻って。
 お話のパターンは、ゲストキャラクターと どれみが絡むタイプだったのだが、これまでと異なっている点は、今回登場した魔女・佐倉未来(『エスパー魔美』の佐倉魔美と似た名だなあ)は 必要以上に深くどれみと関わらない、という所。
 普通だと、今回30分の話を前半15分ぐらいに詰め込んで、後半に「かつて縁のあった男性と再会する事をためらう未来を、どれみが後押しする」とか何とかいうドラマティックな要素を入れそうなモノだが、それは無い。
 彼女は、どれみにどうにか出来るような問題など、何も抱えていないからだ。

 転々と引っ越しを重ねて来たという未来。
何故かと尋ねるどれみに、
「それはね、同じ人間と居ると、色々不都合があるからよ」
と答え、不都合の意味を重ねて問われると、
「だって貴方もこれから魔女になるんなら…」
とまで言いかけて、やめる。
 未来は、「魔女で居る楽しさ」「魔女として生き続ける悲しみ」、そのどちらも語らない。
まだ魔女でないどれみに、「魔女になった方がいい」「魔女にならない方がいい」どちらも勧めない。
 それらは、魔女になったら分かる事、だし、魔女にならないなら知る必要のない事、だから。

 なかなか描けない境地で…
お節介でもないし、他者に無関心な訳でもない、恐らくは長い長い間生きているうちに、魔女である事を「当然」と感じ、「喜び」を味わい、「悲しみ」「苦しみ」もしかすると「絶望」をも通り越して、ようやくやってきた「平穏」な心境を感じさせてくれる深さ。
 普通、思い出話を長く入れる事で「老成」を伝えようとしてしまうものだけど。

 本当に、彼女は語らない。
 「ここも、いつか引っ越しちゃうの?」
と、恐らくは彼女の人生中で様々な人から何百回、何千回と聞かれたであろう疑問を口にする どれみに、「そうよ」という真実も、「いいえ」という嘘も答えず、ただ くすぐって笑わせる孤独の昇華の仕方にはトリハダ。
 悩み事を打ち明けられても、「いいじゃん」と言うだけで、直接的な慰めやアドバイスを与える訳ではない。
それがまた、かえって、推し量る事の出来ない彼女の心の深淵を伺わせてくれる。
 そういう彼女が、どれみをベネチアに誘ったのは…
「優しさ」だったのかも知れないし、かいま見えた「弱さ」だったのかも。

 彼女が書き残した「また逢いましょう 未来」という言葉が印象的。
どんな「未来」で、どれみは未来と逢う事になるのだろうか?

 いや、良い話だった。
作画も背景も、キャラクターの心理を表す「間」の使い方まで素晴らしかったし。
 原田 知世の声優慣れしていない(といっても彼女は『少年ケニア』『幻魔大戦』で声の仕事を体験済み)演技が、良い味を出していたと思う。
 でも、小さな子供にとっては、どれみが未来を理解しきれなかったのと同様かそれ以上に、「??」と思う話だったろうなあ。
いつか大きくなって、もう一度この話を見返す機会があれば良いけど。


2002年11月9日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED』06.「消えるガンダム」

 「有能な敵よりも、無能な味方の方が、よほど厄介だ」
と、『銀河英雄伝説』調なセリフを呟きたくなる程にダメダメな要塞アルテミスの指揮官達を「敵」に見立てる事により、バラバラで何を中心軸にしたいのか分かり辛かった物語にまとまりが生まれ、ずいぶんと見易い話になっていた。
 彼らが「無理解」「愚か」である事を強調しておけばおくほど主人公達の活躍にカタルシスが増すので、もっと徹底的に絶望的な状況まで追い込んでも良かったかな。
 アルテミス側が同じ軍の新兵器情報を手に入れて何をしたかったのか?が分からないのはマイナス。
敵に売り渡す気だった?
地球側の状況が明らかになってくれば、彼らの行動も理解できるようになるのかなあ?
 見た感じ、「悪役にしたかったので悪役的行動を取らせた」ようにさえ見えてしまう。

 パイロットを捜す司令達に、あっさりと主人公を売ってしまうフレイは…
キャラの行動としては別に悪くないけど、今回 視聴者の苛立ちを受ける対象はアルテミス一派に限定しておいた方がスッキリ見られたと思うな。

 助けを求めに入ったアルテミスに、「姿を消して近づけるガンダム」の存在を報告しなかったアークエンジェル搭乗者達の行動は、どーだろ?
要塞上層部は腐っていたから「当然の報い」を受けたと考えられても、何も知らない下々の兵士達の命まで失われた様子で、報告を怠った職責を問われても仕方ない所。
 …同じ軍の人間にも極秘だったから、知らせられなかった?
でもなあ、既にストライクは見られている訳で、しかも敵に奪われたガンダムの事をナイショにしても意味がないような。

 そしてまた、アークエンジェルは捉えられ、要塞守備隊は無能モノ揃いといった所に、姿を隠して奇襲攻撃をかけ、ガンダム3機がかりで なお目標を撃ち漏らすザフト軍コーディネーターの役立たずぶりにもビックリ。
 逃走するアークエンジェルをただ見送ったのは何故?
もう電源が尽きかけていたから?
 彼らが頑張らないもので、主人公達の行動に、巧くカタルシスが生じてくれなかった。

 今回、主人公がストライクにかけたプログラム・ロックをアルテミスの人間達が総掛かりで突破できない、という事で「コーディネーターの知能の優秀さ」を強調したのだと思う。
 だったら、コーディネーターぞろいのザフト軍は何故 ザクもどきにもっと優れたプログラムを載せていないの?
 モビルスーツそのものにしても、ガンダムより強力な兵器を開発できてないのが不思議。
 戦略・戦術的にシロウト以下みたいな行動しか取れないのは何故?(透明ガンダムは、前回の襲撃の際にも姿を消していれば良かったのでは?)

 本当に、コーディネーターは「プログラマーとして優秀」になるべく遺伝子をいじられただけで、それ以外は常人以下の能力しか持っていないの(パイロットとしても普通人以下なのを、優秀なプログラムでようやく「普通」にまで引き上げている、とか)?という疑問さえ感じてしまう。
それならそうで、武力行使で戦わなくても、地球側のコンピューターをハッキングすれば楽に勝利を収められるんじゃないの?とも思うけど。
それじゃオモチャが売れないか(笑)。
 あ、いや、『ロックマン』とか『グリッドマン』(うわ!)みたいに、「電脳世界において、プログラムとして組み上げたガンダムで戦う」って展開に出来たかも。
それが面白いかどうかはともかく。



『満月をさがして』32.「素顔の円」

 うーーん、ラーメン屋のレポーターなんかやりたくないと、職場放棄してしまう円の態度は非難されてしかるべきモノだと思うが。
 マネージャーも、優しく受け入れるのはイイけど、それはまず頬を一発張り飛ばしてからの話でなければ。
 「歌を歌いたい」「その言葉を待ってたの」という、マネージャー自身からしてレポーターの仕事を軽んじているような態度を見せるのだって、どんなモンだろうか。

 …まあ、無防備な姿を見せる円はなかなか可愛かったし、ふわふわした内容のアニメでもあるから、細かい事はいいのかな。



『東京ミュウミュウ』32.「お嬢さま対決、お金じゃ買えない正義の味方」

 「おーっほっほっほっほ!」
と高笑いしながら現れる典型的ライバルお嬢様が登場。
 みんと をやたらと敵視するが、本心は「だって、お友達になりたかったんだもん」という、まあ何というかこれまた典型的パターンながら、オレはこーゆーキャラが好きなんで問題なし(笑)。

 ただ…
展開を急ぎすぎたなあ、とは思う。
 この手のキャラは、威張って、むかつく行動を取って、ギリギリまで意地を張る事で、それが崩れる一瞬が輝く訳だから、全部を1話で済まそうとすると どうしても無理が出てしまう。
今回も、何だか薄いキャラになってしまっていた。
 ヒロインが5人もいる上、ただのラブコメではなく戦うシーンを入れなければならないアニメなため、ゲストキャラに割ける時間は限られてくるのだろうが…
 みんとエピソードには必ず絡める、という形にしてでも、もう少し長いスパンで取り扱いを考えた方が良かったかなあ。
 もったいない。



『プリンセスチュチュ〜卵の章〜』13.「白鳥の湖」

 「私と一緒に踊りましょう」
で、踊る事によって相手の気持ちを引きつけるべく戦い、共に踊る事でその心を解放していく、なーるほど、こう描けばバレエは十分魅力的な表現となり得るのだ、というのを実地に見せられ、ただ感心するばかり。
 特に、枚数制限の厳しいテレビアニメでありながら、「相手」を想定してパドドゥ(2人での踊り)を1人 舞って見せるチュチュの姿には息をのむ迫力があった。
 さすが天才・佐藤 順一のコンテ!

 物語的には…
 もっと、お話の語り部・創造者に逆らって、自分の運命を切り開いていくキャラクター達の力強さを見せてくれるものと思ったが、チュチュとクレールの戦いはあくまで物語の予定調和内に収まってしまった。
 僅かに、操り人形であるエデルの姿の中に、「逆らっている」所が見られるかな。

 いや、でも十分 面白かった。
 キャラクター達が個性的・魅力的で(特にネコ先生は素晴らしい!助演男優賞モノ!)、ギャグとシリアスの配合が絶妙。
 失礼ながら、最近少々失速気味だった佐藤 順一監督の実力が、久々に遺憾なく発揮された!と思える。
 良いアニメだった。

 …と思ったら、15分枠になってまだ続くんだ。
だ、大丈夫かね?お話としては一応コレで終わってると思うが。
 まあ、クレールが可哀想すぎるとか不満点もあるので、それを補う形ではアリかな。
更に面白いモノを見せてくれる事を期待したい。


2002年11月8日 金曜日

 映画『THE RING』を見る。
 鈴木光司の小説『リング』をハリウッドで映画化したモノ…というよりは、日本映画版『リング』のリメイク。
映像的表現として、まるっきり同じじゃん、と思えるシーンが余りにも多いので。
 監督は、『マウス・ハント』『ザ・メキシカン』のゴア・ヴァ―ビンスキー。

 日本映画版を2、3回は見ているので、どんなもんだか不安を感じつつ見たが…
ああ、割に面白い。
 ハリウッド的にお金をかけた画面作りだし、凝った音響も効果的で、ビクッ!とさせられる事も。
 何より、かなり原典に忠実にリメイクされている事で、日米の感覚の差、というようなモノが感じられ、それが非常に興味深い。

 日本版は、「実態の見えない、理不尽な恐怖」だったが、米版はもうちょっと恐怖が具体性を帯びており、全体像が把握しやすくなっている。
 アメリカはねえ、ジェイソンとかフレディーなんかだと「うまく反撃すれば倒せそう」な恐怖対象だし、屋敷に取り憑いた実態が見えないはずの霊が相手な『ホーンティング』でさえ、超自然現象で動き出した石像をお姉ちゃんが鉄棒でバッカンバッカン殴って倒してしまう。
 本当に分からない恐怖、というモノを、ハリウッドは描けないんじゃないかと思う程。
 この映画では…あ、一応、以下は未見の方は読まない事をお勧めします。


 貞子…サマラの設定。
日本版ではちゃんと親が居る人間の娘だったが、米版では数十回の流産の末に、生まれた…んだっけ?何だか超自然的方向にもっと寄った感じの設定になっている。
 『オーメン』ダミアンぐらいに、「悪魔の子」っぽい。
 そうなると、いきなりサマラが理解しやすい…悪魔だからどんな行動を取っても仕方ない、と思えて腑に落ちやすい…キャラになってしまう。
 物質を、変質させるのか焼いているのか、といった分かり易い超能力を持たせたのもどんなもんか。

 井戸への対応。
日本版ではお父ちゃんとお母ちゃんが渾身の力で水を汲み出し、泥だらけになりつつ遺体を見つけ出そうとするが、米版では、中に落ちてしまうお母ちゃんはまだしも、お父ちゃんはほとんど役立たず。
 この辺、「あんなに一生懸命頑張ったのに殺されちゃうのかー」という原典の理不尽な恐怖に比べ、「そりゃお父ちゃん大した働きもしてないから、殺されても仕方ない」と客が納得しやすいように変えられた、とも考えられる。

 全体に合理的。
 「呪いのビデオ」の内容にしても、日本版でも「何気なく撮っては絶対に映らない」映像(文字が動いたり)が多少は入っていたけど、米版はもっと露骨に全編「お金をかけて撮った」画面になっている。
だから…何というか、「えっ?たったこれだけのモノを見た事で、死ななきゃならないの?」と思えた不可解さが無く、「コレは確かに見たら死ぬかも知れない内容だなあ」と思えてしまう。

 一番の「売り」であるラスト近くのシーン。
 気持ちの悪い「目」だけがアップになり、顔全体を見せない事でより不安感を煽った日本版に比べ、米版は…とにかく全部見せてしまうため、「特殊メイクのリック・ベイカー、頑張って働いてるなあ。でも何だか『エクソシスト』っぽ過ぎるよ」という冷静な感想が生まれてしまい(笑)、怖くない。
 こういう、はっきり見せない、想像させる恐怖、ってのは日本の風土から生まれた独特のモノなのかね。
何でもズバズバ口にするヤンキー気質には合わないのかも。


 全体に。
 まあ、見ても損ではない程度には面白い。
 前の方の席に座っていた男子高校生の集団は、
「うおー、怖ー」
「オレ、夜道、帰れないっすよ」
などと大騒ぎしながら出て行ってたし。

 中田秀夫監督の作品なら。
『女優霊』の方が、『リング』より怖くて好きなんだけど、もっとずっと意味不明で理不尽な恐怖に充ち満ちた内容だから…米的合理主義でリメイクすると、怖さが大幅に減少しそうだなあ。



 往年の米テレビシリーズ『宇宙家族ロビンソン』で、ドクター・スミスを演じていたジョナサン・ハリスが亡くなったという報。
 『ロビンソン』という番組は、SF者…というか不思議なモノ好きの心に訴えてくる何かはあったものの、正直しょーもないシナリオと、驚く程 安っぽいセットしかなく(「宇宙地雷だ!」と言い張る、半分地面に埋めただけの風船には泣いた)、本来 見ていられないぐらい子供っぽい内容になりそうな所を、この、裏切り寝返り何でもアリ、イライラさせられながらも何故か憎めないドクター・スミスというキャラクター一人が引っかき回す事で、とても面白くしていた(あ、ロボット・フライデーも楽しいキャラだったか)。

 彼の…というか、吹き替えの熊倉 一雄のだが…「今日はアタシ、特にデリケートで」(だから働けない、みんな優しくして)というセリフは、今でも仕事がシンドイ時、よく使わせてもらってる。

 87歳。
大往生というお歳ではある。
 個人的には、劇場版『LOST IN SPACE』に、ちょい役ででも顔を出してくれると嬉しかったなあ。

 シリーズでは最後まで到着できなかった目的地、アルファ・ケンタウリ第三惑星に辿り着けるといいね。
 いや、ドクターはそんな目的なんかどうでも良くて、ひたすら故郷・地球に帰る日を夢見続けていたんだっけ(^ ^)。
地上で生を全うできて、幸せか。
 ご冥福を。


2002年11月6日 水曜日

『シスター・プリンセス Re Pure』
06.「あにぃとボクのマグカップ」「鈴凛」

 前半。
 ここまでもかなり苦しげな所の見られた作画だが、とうとう以前のシリーズ並みに落ちてしまった。
ううーん、これじゃあソフト化した際の売り上げも…どうだろうか?
 お話は、まあ相変わらずだけど。
 それにしてもココで出てくる「兄」は色々気が付きすぎ。
12人もいる妹達のご機嫌を損ねないように尽くして尽くして、自分の命さえも磨り減らす程に尽くし抜いている
 ハーレム系作品に出てくる主人公の男の子が、しばしば女の子達に対して非常に無神経であり、見ていて「どうしてこんなヤツがもてる?」と思わせられるのと真反対。
気を遣いすぎ(俯瞰で見ると、「超絶の八方美人」とも言えるかな)。
 この作品中に存在する「兄」とは、妹達が持つ「憧れ」の象徴。
実在する肉体を持った「人」じゃないんだろうね。
 12人の使徒を従えた「救世主=神」であるって解釈も、ギャグとしてはアリだと思うけど。
いやー、でも前半のサブタイトルの後ろに出てくるゼンマイ仕掛けの銅版画(?)に、以前、救世主の誕生を告げる「東方の三賢者(マギ)」らしきものが描かれていた事もあり、スタッフは意識してるのかなあ、と思えるフシも。
 まあ、『シスプリ』こんな風に考察してもなー(笑)。

 後半。
 うってかわって、作画が大変に良好。
絵コンテ・演出・作画監督を一人で務められた柴田 由香という方の作家性が強く出ているのではないかと思う。
 お名前を存じ上げなかったので調べてみると、この方、『千と千尋の神隠し』に動画でクレジットされており、『アベノ橋魔法☆商店街』にも参加なされていた様子
ははあ、『ぴたテン』のアイキャッチ、『まほろまてぃっく』エンディング作画もそうだったのか。
 指先にまで気を配ったアニメート、悲しさ・切なさ・うれしさを捉えてドキッとさせられる程 良く描けた表情、街に黄砂を降らせる「風」の表現、そして まるでプライベートフィルムを見ているような気分にさせる可愛いエンディングまで含め、素晴らしい出来!
 お話自体は取り立ててどうと言う事もないモノだが、演出・作画が変わるだけで こうも違って見えるものか。
 疑いようもなく、『シスプリ』の最高到達点だ!
 頑張れば、ここまで出来るんだなあ。


2002年11月5日 火曜日

『超重神グラヴィオン』04.「塔の中の姫君」

 うん、大張アニメにしては分かり易い。
 一人だけ謎だったグラヴィオン・パイロットの正体が明かされる流れにも、さほど無理がないし。
…そもそも、これなら最初から正体を隠す意味が無いのでは?という基本的な無理はともかく。

 負けず嫌いのエイジに対し、オールマイティーでありながら「常識」「感情」に欠ける面を持つ斗牙、という対比がなかなか。
 大量の女性キャラクターに対しても、性格を描き分けていこうとする意志が感じられ、好印象。

 戦いは…
進化を遂げてくる敵に対して、前回出した武器が次では通じなくなる、というパターンを毎回繰り返していくのだろうか?
『スーパーロボット大戦』に出演する際には、使えるメカになりそうだなあ(笑)。
 まあ、全く違った武器を毎回出す必要はない訳で、今回効果ナシのロケットパンチ(怯えるメガネっ子搭乗者がおかしかった)にしても、腕をグルグル回転させ遠心力を加えて撃ち出す「大車輪ロケットパンチ」、腕の横から出した刃物により破壊力を増す(?)「アイアンカッター」などのバリエーションで、敵の意表をついて倒すパターンでも良い…かな?

 主人公達の基地であるお城の塔の四方に それぞれ「謎」があるらしいとか、監督のお好きな『エヴァ』方向に流れそうで不安を感じる部分もあるが、今のところは問題なく、気楽に見られる作品。



『ヒートガイ ジェイ』06.「欲(よく)−MONEY−」

 アニメやら特撮に登場する悪の組織が行う悪事にも色々あったけど、「相場を操作して株および先物取引で大きな利益を上げる」という計画を実行しようとしたのは、知る限りではこのアニメが初めてではないだろうか。
 なんでこれまで そういう事が行われてこなかったかというと、やっぱり「説明が難しいから」だよね。
そりゃあ、銀行を襲い、札束をワシ掴みにして逃げていく方が遙かに分かり易い。

 劇中で、必要最低限ぐらいの解説は成されていたが…タダでさえ分かり辛い先物取引を、あの程度で理解できるとは…いや、何となく分かればいいんだけど。
深夜枠であればこそ出来る、子供を切り捨てたエピソード。
 どうせなら、マフィアのキチガイお兄ちゃんと共に、にわか投資家の皆様も大損害を被るラストにして、「シロウトが先物取引で儲けたいぃ?眠たい事言うな、ボケェ!という教訓(笑)を残して終わらせても良かったかな。

 アップでこそ頑張っていたモノの、作画は少々ヘタレ気味。
いずこも苦しくはあるんだろうけど、頑張って欲しい。



『キディ・グレイド』04.「High/Speed」

 むー、むむむ…
毎度毎度の「詰め込みすぎ」でもあるんだけど、ちょっと「整理が付いてない」とさえ思える話だった。

 少女時代、貧困に耐えかねて友達を売ってしまった「傷」を持つ女性が、体に何だかを移植されて(希望して埋め込んでもらって)強くなる代わりに、その「何だか」のプロモーションをしていた…のかな?
 彼女は、「強ければそれでいいんだ。力さえあればいいんだ」とタイガーマスクのような考え方で、格闘技チャンピオンになって賞金を得る事により、自分と同じ境遇にある子供達を助けようとしていた。
 …という、まあそこまでは良いんだけど、彼女を改造した男(何だか、ナベシン監督に見えたな)は彼女を騙していたのかどうか、とか、エクレールに恨みを持つサイボーグ(ロボット?)達とか、試合に負けたのを根に持ってエクレールを追うレスラー・ロボとか、本筋とは関係ない、不必要な要素が未整理のまま提示されている。
そのため、「深い悲しみを背負った彼女の心情」や「エクレールとの心理的交流・分かり合い」といった、今回の主題であるはずの部分が弱くなってしまった。

 また、お話が所々「飛んでいる」印象で、イキナリ口にテープを貼られてケースに入れられている改造お姉ちゃんとか、エレベーターシャフトで何故か空を飛ぶエクレール(無重力?)、突然にルージュ・リボンでぐるぐる巻きにされているロボット、何がどうなったのか記憶を失ってチャンピオンになっている改造お姉ちゃんのラストなど、??と無駄に混乱させてしまう描写が多い。

 頑張ろうとしている意欲はとてもとても高く評価したいんだけど、これでは「パンツを見せる事だけを売りにしているアニメ」と取られる危険性が。
 同じ「パンツ見せアニメ」でも、『ナジカ』は、無駄なモノを切り落とした構成力と、主役2人の強いキャラクター性のおかげで、ずっと楽しんで見られたのだが。



 コナミの食玩「謎の円盤UFO」。
再入荷されたみたいで、コンビニ等に結構な数、積んであるのを見かける。
 発売日周辺、騒いで探し回ったのが嘘のよう。
初回出荷のみ、少なかったって事か?
地方に出荷されたモノが、都市部に帰ってきているという話もあるが。
 これで、店頭に売れ残ってしまうとなると…コナミの読みはまだ甘かった、もっと製造数を抑えても良かったぐらい、という事になってしまうなあ。
 次回、「キャプテンスカーレット」はどうなるんだろう?


2002年11月3日 日曜日

『オーバーマン キングゲイナー』09.「奮闘!!アデット先生」

 食糧不足を解消しようと、アデット先生に導かれ、シベリア鉄道貨物車に急襲をかけるゲイナー達。
 うーーん、まとも
 何というか、これまでの話は「客を置いてきぼりにするかどうかギリギリの所を突っ走っている」感じだったが、今回は非常に無理のない、理屈の通った話になっている。
 これまでの「飛び方」に慣れてしまったため、それはそれで不満に感じたりして、人間って難しい。



『ギャラクシーエンジェル』05.「ぼったくりサラダバー」「エンジェルバナナのたたき売り」

 前半。
 訪れる人もほとんど居ない花一杯の惑星上、人間に見捨てられ、朽ち果てたような店を一人守り続けるロボット・ウェイトレス。
しかも、「美少女型」ではなく、単純化された一応は顔に見える程度のモノが付いているだけで、プログラムに無い会話は出来ないという、さほど高い機能を持っていないロボット。

 見るからに「カワイソー」であり、ややもすると「優しい話」「いい話」に陥ろうとする所を、ギリギリで「馬鹿話」から「ホラー」にまで持っていく力ワザが素晴らしい。
 哀しいロボットに対する安易な同情心を拒否する。
ええ話系の物語を作る・喜ぶ人たちに対する、容赦のない「悪意」が感じられる、やたらにおかしい話だった。



『りぜるまいん』17.「修学旅行、西へ… 魅惑のW不倫!?」

 飲ませると、最初に見た人間に惚れてしまう薬を用いたドタバタ。
 2話程前で、主人公とりぜるの間にあった「くっつくかくっつかないか」というハラハラが無くなってしまったため、後は蛇足になるんじゃないかと思ったが…
ネタの暴走が始まり、かえって面白くなっている。

 特に今回、惚れ薬を誤って飲んでしまった先生が主人公に迫る所。
セリフや描写がもう、テレビ放送コード一杯って感じ。
「人妻のテクニック、見せてアゲル」
「まあ、こんなにしちゃって…本当、男の子って元気がいいんだから」

 …このあたりは、ズボンを脱がしたけれども、実は ほころびを人妻の「裁縫」テクニックで直して上げる、というオチだったが、軽く「何か」を握った形にした手を上下にしごき上げて見せながら、
「そしてこれが、夜のテクニック」
と言うのには、ギャグのフォロー無し(笑)。
 更には、駆けつけてきて現場を目撃した あおいが、誤解だと叫ぶ主人公に、
「分かってる、先生はいつもの先生じゃないの!飲んじゃったのよ!(惚れ薬を)」
と言うのに対し、
「まだよ!それはこれから!」
と、先生が言うのは…何を飲むつもりだったのか?

 いいぃヤッホー!
凄ぇや!やりたい放題かよ!
 正直、そこいら辺の正当えっちアニメを見た時よりも、ずーっと血圧が上がってしまった。
スタッフを、「このエロアニメ野郎!」と褒めて上げたい気分(本気で褒めてるつもり)。

 他にも りぜるの くまカボチャぱんつがチラチラ見せられたり、中腰になり続けた りぜるが「腰がガクガクだもん」と語ったりとかあったんだけど、ンなものは大した問題じゃない!
色気もないし(笑)。
 見逃してしまった方は、ネット放送で(11/6より)、是非。
って、期待して見ると、さほどでもなかったりするかな?


2002年11月2日 土曜日

『ナースウィッチ小麦ちゃん マジカルて』02.「恐怖!メイド魔法少女降臨・お台場頂上決戦!」

 1話目は見逃してしまった…というか、『アニメTV』ってえ情報番組の中で不定期に放送されているなんて、普通気が付かないと思う。
 作画は非常に高品質。
ギャグは…若干滑り気味だったけど、楽しげな雰囲気には出来ていたから問題ないだろう。

 連発するメタな楽屋落ちがこの作品の持ち味なのだと思う。
1話目では、「2ちゃんねる」的なネタが多用されたとか。
 今回は、「コミケ」がネタ。
 ビッグサイトが変形して巨大ロボットになる、というのは、建物の異様な形状からコミケ参加者なら誰しも一度は考えるネタだと思うが、アニメーションで本当に見せてくれたのは…これが、初めて?
 その変形シーンに、
「勝利だ!ビッグサイトロン」作・編曲 渡辺宙明/歌 串田アキラ
という無駄に豪華な布陣で、ノリの良い歌を聴かせてくれるのにはビックリ。
笑った。
 ここが今回のキモであり、悪ノリは突き抜けている程 価値があるので、手間暇かけてこだわったのは大正解だと思う。
 どうせならフルバージョンで聞きたかった!
CDを探さなきゃなあ。

 ビッグサイトロンの武器は、会場内の敷地に突き刺さった形になっているオブジェのノコギリ。
ああ、ああ、やっぱり。
アレ、抜けそうな気がずっとしてたんだ(笑)。
すごく納得。

 対抗して小麦がバード・チェンジで飛ばして見せたのは、船の科学館に展示してある飛行艇だったのかな?
 ビッグサイト変形ロボを『テッカマン』のペガスに見立てているので、タツノコプロつながりで『ガッチャマン』ネタにした訳か(『小麦ちゃん』自体も制作がタツノコ)。

 悪くないけど、「コミケ」に特化するなら、ビッグサイトに対抗するにはやはり、今は無き晴海のガメラ館(東館)が炎を噴き出し回転しながら飛来して欲しかった。
オールド コミケ参加者達が持つ、有明館の使い辛さへの不満がガメラ館を蘇らせたのだ!とか何とか言って。
 最新鋭のビッグサイトロンに対抗すべく、幕張メッセロボ、東京流通センターロボ、大田区産業会館ロボ(この時代はオレも知らない)など歴代の会場が変形して次々に駆けつける暴走はどうか?



『機動戦士ガンダムSEED』05.「フェイズシフトダウン」

 全編 戦闘シーンであり、主人公機がエネルギーの切れたバックパックを、攻撃を受けるギリギリで交換するシーンには非常な緊迫感があり、良かった。
 ただ…全体的には構成への疑問点が多く、乗り切れない。

 実戦に4機もの最新鋭ガンダムを投入、更に戦艦2隻がそれを援護しているというのに…それが主人公のガンダムに退けられるならまだしも、ほとんど戦闘機型モビルアーマー一機に翻弄され打ち破られていくのは……どうだろ?
ガンダムは全機廃棄しても、このモビルアーマーを量産すれば戦いに勝てるのでは?

 主人公が乗るガンダムが強くない。
それは、必ずしも主人公の技量不足によるもの、という描かれ方をしていないため、元々弱いメカなんじゃないかって気がしてくる。
 その弱い主人公機に苦戦…という訳でもないが、有効な攻撃を出来ない4機のガンダム。
お前らも大した事はないなあ。
 モビルアーマーが一番強力に見える。
 「ガンダムの強奪」というのがこの物語の起点であり、今後の戦局を左右する争点にならなければならないのに、そのガンダムそのものの価値が物語の中で否定されてしまっているのだ(ザフト軍は、もうガンダムの機体には価値無しと考えているし)。
 「連邦のモビルスーツは化け物か!」ぐらいに描いて良いと思うのに。

 フェイズシフトには時間制限がある事ぐらい指揮官のお姉ちゃんは知っているのだろうに、それを警告してやらない不親切さも、どうかなあ。
 敵ガンダムだって、ストライクにもアークエンジェルにも実弾は通じないと分かっているはずなのに、なお実弾兵器を持って出てくる神経が分からない。

 「戦争」にしては余りにも軍規が緩く、緊張感がないのも、ちょっと。
 命令違反をいくつも重ねたアスランは、さすがに何らかの処分が成されるべきでは…
と言っても、シャアもどき指揮官そのものからして、コロニーを破壊しておきながら「大した事じゃない」みたいな甘えた認識しか示さないので(そういう組織なのかと思ったが、上層部からは責任を問われそうな所を見ると、シャアもどきが単にアホなだけらしい)、無理か。

 途中、主人公が捕獲された際、いっそこのまま敵陣に連れ去られてしまえばファースト『ガンダム』とはかなり違った展開が期待出来る、と思ったんだけど…そうはならず、やっぱりルナ2入港となってしまった。



『プラトニック・チェーン』05.「やけぼっくいに点火」

 余りにも壮絶なオチには、笑ってしまう。
 3Dのアニメ部分も見慣れれば悪くないし、意外に面白い番組かも。



『満月をさがして』31.「学園祭の秋なんです」

 フルムーンの純潔(清純イメージ)を守ろうと必死なマネージャー・大重が、水にどれだけ顔をつけていられるかというキスを賭けたゲームに挑むタクトに対し、
「2、3時間息しなくったって死にゃあしないぞぉぉ〜っ!」
とメチャメチャな事を言い始める所がエラく おかしかった。
 マネージャーとしては自分が受け持つアイドルを守るためには何でもする(何でも「させる」)べきだろうが、人間として、その発言はどうなんだ(笑)?


2002年11月1日 金曜日

 レンタルで映画(?)『ミニパト』を見る。
 『WXIII 機動警察パトレイバー』と併映公開された、押井 守監督の最新作…一応。
一応、というのは、監督は『人狼 JIN-ROH』の演出で『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』でも監督を務めている神山 健治氏であり、押井氏は脚本にクレジットされているだけだから。

 そうは言っても、全編押井色バリバリな内容。
 銃器に対する愛情だけで作ったような第1話、千葉繁の暴走早口ゼリフが実に楽しい第2話。
第3話は、特車二課の悲惨な食糧事情を描いたOVAの一本「特車二課壊滅す!」、そこから生まれた状況改善への苦肉の策・ハゼ漁の顛末を描く「こちら特車二課」「火の七日間」をメインに、セルフパロディーをちりばめた内容になっている。

 高度なデジタル技術を駆使して、アナログ切り絵劇を再現する、という非常にヒネくれた画面作り。
 ちょっと、アニメ『彼氏彼女の事情』の、これは全編アナログなウルトラ切り絵 実験作(崖っぷち制作スケジュールのため?)「14DAYS・1」を思い出してしまう。

 あちこち笑ったし、面白く見た。
 …が、とにかく押井色が強くて、楽しんで見るには「『パトレイバー』という作品への興味と愛情」と同じかそれ以上に、「押井 守という監督に対する以下同」が必要。
 リボルバーカノンの呼称がどうだの、銃口径がこうだの、ごく普通の観客ならポカーンとしてしまいそうな事ばかり語られているので。

 こういう作品が作られるのは、『パトレイバー』の懐の深さの証明だし、押井 守が、ソフト売り上げの実績からか治外法権扱いを受けている事の証明でもあるかな(^ ^)。



 衛星で放送していた映画『天使がくれた時間』を見る。
 監督は、『ラッシュアワー』のブレット・ラトナー。
 主演、ニコラス・ケイジ。

 ビジネスマンとして成功した人生を送っている独身のジャック。
彼はある日、不思議な黒人により、別れたはずの彼女と結婚、2人の子供を持つ、家庭人として成功した人生の中に放り込まれてしまう。

 えーと、全然つまらない訳ではない。
一人だけ、主人公を「父親じゃない」と見抜く自分の娘との微妙な関係とか、なかなか良いし。
 が…とにかく、同意できない部分が多くて。

 仕事だけ一生懸命やっちゃあアカンのかい!
独身で頑張って働いているモンよりか、家庭人の方がエライ、みたいな価値観は どーだろ?
 まあ、アメリカ的「正義」はそういう方向にあるらしいけども。

 バリバリ働くばかりな人生と、家庭人として完璧な人生を体験した後で選ぶべきは、仕事は必死でやりながらも土日は家族のために尽くす、といったバランスの取れた人生だと思うな。
「仕事第一、家庭なんかどうでもイイ」というのと、「家庭第一、仕事なんか知った事か」というのは、同じぐらいに間違っているだろう。
 しかも…最後に振り捨てて行くのが自分の仕事人生だけ(昇進のチャンスを棒に振るとか)ならともかく、後ろに多くの会社員達の生活を背負った仕事だった様子な訳で、「そんなモノより家庭が大事」と決断されても…
自分以外の人間も家庭を持っている事を忘れてないか?ワガママ勝手な事してるなあ、としか思えない。

 「仕事を選んで彼女を捨てた」男が、「家庭もイイなあ」と思った途端、「家庭を諦めて仕事に頑張っている昔の彼女に対し、仕事よりオレを選べ!みたいな事を言い始める」って、こんな話には、どうにも感情移入できない。
 彼女の方も、主人公と同じようなパラレルワールドを見ていた、という、歩み寄り・お互い様の救済方法を設けてあればまだしもだったが。

 でも、「あり得たかも知れないもう一つの人生」を考える契機としては、悪い映画ではない。
 今の人生が、考え得る他の人生より幸せなのかどうか、幸せの度合いが劣るとしたら より良い人生の姿に近づけるにはどうすればいいのか、たまにそーゆー事を思うのもイイかなあ、と。
 オレは多分、どこでどういう選択をしていても、結局 今の しょーがねえ自分になってるだろうな(笑)。


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