2002年12月31日 火曜日 |
『おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!』47.「たとえ遠くはなれても」
おんぷ、ももこが離れていく事が明らかになる、なかなかにジーンと来る話だった。
あと、はづきも遠い専門の学校へ、あいこは大阪に、ハナは魔女界へと帰る事になり、どれみ一人が残されるのか。
離れてしまった友達と頻繁に会うには、魔女になる必要があるそうだが…
でも最近は魔法の使用に制限が一切かかってないので、魔女になろうがなるまいが好き勝手に魔法は使えるのでは?
それはともかく、魔女になり、他の人間達とは違う時間の流れを生きる事など…
芸能界で活躍し、衆目に晒される おんぷには絶対不可能では。
いや、確かに成長が異様に遅い安達 ○実という おんぷのモデルが現実にいるけども(笑)。
家族と共に居たいという気持ちが強い ももこ、あいこも無理、いずれ音楽関係に進もうと考えている
はづきも難しい。
残る どれみも、家族や他の友達を捨ててまで魔女になる事は選べないだろう。
…というのが順当なため、納得の出来る展開を用意した上で どれみが「魔女になる」事を選択したなら感心するなあ。
でもま、それではこのアニメが描こうとしたテーマからは遠く離れてしまうので、あり得ないか。
『ギャラクシーエンジェル』25.「ポンコツラーメン替え玉有り」26.「押しまくり★おしるこ」
前半は…うーん、かなり無理気味に新登場の男の子2人を絡めており、そのために内容が薄くなっていたような。
ヴァニラの偽物ロボットの暴走も、予想の範囲内に収まって今ひとつ。
後半。
徹底して自己の欲望に忠実で自分勝手なエンジェル隊の特長を活かした お話。
ああ、ああ、確かに こういう意味ありげなボタンって押してみたくなるよね。
それにより手に入れられる欲しいモノ、代償はそれに見合った(?)年月の寿命。
うん、面白い。
このキャラクターフォーマットに こういうアイテムを絡ませれば、そりゃ面白くなるに決まっている。
アイディアの勝利。
望みのモノと引き替えに、すさまじい代償を奪っていく、W・W・ジェイコブズ作の短編『猿の手』辺りが元ネタだろうか。
オレも「望みを叶える代わりに相手の寿命から相応の時間を差し引き、その時間を自分の寿命に足し続ける事で永遠を生きていく魔女(?)」ってえネタでマンガを描いた事があるんだけど、誰も覚えてないよねえ。単行本未収録だし(;´д⊂)。
「古今東西ありとあらゆるアンティークの銃を!」
「最高の着ぐるみ、誰も見た事のないコスプレ衣装を!」
「地位・名誉・お金・そしていい男を全てアタシに!」
自らの寿命を賭けてロストテクノロジーに挑んだフォルテ・ミント・蘭花。
その姿は馬鹿馬鹿しくて笑えるモノであったが、中途半端ではなく突き抜けていたため感動的とも言えた(^
^)。
でも、このアニメの傾向からして そういう賭けに良い結果が出るはずがなく、全員あえなく討ち死に。
夢に挑んで命を落とした、という事では、確かに顔に笑みが残る程 満足な人生の終わり方だったのかも知れない。
しかし、望んだもの、廊下には届いてなかったみたいだが(笑)。
蘭花の願いなんて、お届け物の形でどうやって叶えれば良いんだか。
「∞」マークに笑った。
毎度 投げっぱなしの終わり方だったけど、確かに、きちんとオチを付けた前半の話よりも
こちらの方が『ギャラクシーエンジェル』らしい。
泥のように眠り、ようやく体が動くようになりました。
でも、年寄りの疲れは翌日とか翌々日に出てくるモノですから、油断せず居ないと。
早いもので、今年も残す所 今日一日。
最近、「一年」という単位の経過がアッという間です。
ふと見れば、ここのカウンターが240万を超えておりました。
凄ええええぇぇぇぇ!
これもひとえに御贔屓にして頂いております皆様のお陰、ありがとうございます。
何度も書きますが、こんなにたくさんの方に訪れて頂けるような価値のあるページかどうかには我ながら疑問があるんですけど…
閑話休題。
この前、TSUTAYAに行った時、アニメのコーナーなど眺めていると、見ている棚の向こう側の通路から話し声が。
別段聞くつもりはなかったのですが、声が大きいので嫌でも耳に入ってくるのを聞き流している内、ひときわ大きな声で一人が
「いやぁ、宮さんもブッちゃんも、俺から見りゃあ監督として一緒さぁ!」
と。
み、宮さん(『千と千尋』の宮崎 駿監督に対し、ごく親しい人のみが使う呼び方)て!
ブッちゃん(『ラーゼフォン』の出渕 裕監督に対し、ごく親しい人のみが使う呼び方)て!!
監督として一緒、て!!!
余りにショッキングな内容のため腰が抜けそうになりながら、もしかしたらアニメ界のエライ人が発した言葉かも知れないと思い棚を回り込んでみると、そこにはごく普通の若干オタクっぽい高校生が二人。
君ら、君ら、君ら、誰やねん?
混乱したこちらに気付かず、話を続ける彼らがトドメを刺すように大声で発した言葉は、
「俺はまだ、押井 守を許してやるつもり 無いから!」
誰やねん、誰やねん、誰やねん、君ら…
それ以上聞いていると体を悪くしそうだったモノで、慌ててその場を離れました。
話を戻して。
ココに書いてある文章も、彼らの発言に負けず劣らず「誰やねん」です。
そこいら承知の上で、そういうモノを楽しめる余裕と心臓の強さ(^ ^)がお有りの方のみ、継続してのご愛顧をお願い致します。
…という事ぐらい、長くお読み下さっている方なら先刻ご承知でしょうが。
区切りですので、一応。
では、良いお年を。
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2002年12月30日 月曜日 |
コミケ、全日程終了。
知る限り大きな事故もなく、無事に終わったようです。
うちのサークルにお越し下さいました方、ありがとうございました。
「頑張って下さい」とお声をかけて下さる方も多く、大変 励みになりましたです。
今回の同人誌が予想していたよりも遙かに早く売り切れてしまい、昼過ぎからお越し下さいました皆様には誠に申し訳ない事になってしまいました。
残るぐらいだと思っていたので…すいません。次回からはもっと気を付けます。
いやー、イロイロ凄く楽しかったですが、やっぱり疲れましたので今日はもう寝ます。
参加なされました皆様も、平気だと思っても疲れは体の内側にみっしりと着いているはずですから、よく休んで、体調など崩されませんように。
では、お休みなさい。
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2002年12月29日 日曜日 |
『忍風戦隊ハリケンジャー』45.
大葉 健二が出るという事で、大変に楽しみに見たのだが…
あああ、本編は単に総集編か。
しかも、大葉 健二の出演シーンがまた、短い事 短い事。
「成敗!」とか、ちょこちょこと懐かし嬉しいネタも入っていたし、僅かでも元気な姿を見られた事で喜ぶべき、とはいえ…
トホホホホ。
凄く楽しみにしていただけに、正直、全然 物足りない(;´д⊂)。
やっぱりこれ一回だけの出演で終わりそうなのも寂しい。
彼の魅力を満喫したいのなら、『宇宙刑事』DVDを買え、という事かな。
コミケ、2日目が行われております。
ぼくの参加は明日。ヌ-15・白昼書房です。
ええと、断っておきますが、最近は記憶力の減退が著しく、人様のお顔とお名前がまるで覚えられません。
昨日会ったばかりの方のお顔も思い出せないくらい。
ですので…出来ましたらお声をかけて頂ける際には、最初にお名前を教えて下さいますと助かります。
そうでない場合には、もう何度も会っているというのに初対面の人のように扱われても、ご勘弁下さい(汗)。
トホホ、情けない。
弱った脳の代わりをしてくれる外付けハードディスク、早く出ないかなあ。
確かSONYがVAIOの未来機種として そういうモノを考えているという情報を、以前に聞いた事があるような。
ところでコミケ、うちのごく近所であるヌ-22bのサークルカット、最近お仕事を目にしなくなってしまった篠原哲生
先生の絵に非常に似ている気が…もしかして ご本人?
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2002年12月28日 土曜日 |
『機動戦士ガンダムSEED』13.「宇宙に降る星」
大気圏突入エピソード。
主役機は単体でも突入が可能であり、摩擦で破壊される船体もありで、オリジナルを彷彿とさせるお話。
まー、このシチュエイションで そんなにパターンを大きく外す内容は思いつけないが。
それにしても…連合、弱っ!
戦艦がゴミのように落とされていく。
見た限り連合に相当な数の優位があるようだったが、そんなモノは何の役にも立たない。
ああ、ザフトからまるで相手にされない、オトナと子供のケンカより酷い戦いしか見せられない程の実戦力の差があるのでは、そりゃ
こっそり破壊工作もしたくなるだろう、連合。
勝てねえ、こりゃ勝てねえよ。
もう、ザフトに降伏した方がいいと思うなあ。
…という圧倒的に不利な戦況を何とかすべく開発したのが、ガンダムか。
しかしそれも、フェイズ・シフトなど新機能を盛り込む事は出来たモノの、OSが貧弱。
プログラムを改良した所、皮肉にも コーディネーターであるキラしか乗れない機体と化してしまう。
奪取されたガンダムはアッという間に解析され、データを抜き取られて「もう必要なし」扱いされるし。
もう「戦争」じゃない訳だね。
戦いは一方的。
同じ人類ではなく、オーバーテクノロジーを持つ異星人が攻めてきた、ぐらいの理解で良いのでは。
キャンベル星人に対抗するコンバトラーV、ボアザン星人と戦うボルテスVに当たる、地球人最後の希望がガンダムとアークエンジェル。
うーん、しかし、一応ザフト軍機体にだって攻撃が当たればダメージを与えられるようなんだけど…
その命中率が連合側だけ変に低いのは、ハードの性能差と、乗員の才能の差、どちらに
より寄ってるのかな?
フラガが大活躍してる所を見ると、パイロットの差が大きいのだろうか。
キラの心を支配すべく体を売る(いや、体は売ってないか)フレイ。
元の彼氏はどうするつもりなんだろう?
彼女の謀略のために否応なく戦火に身を投じさせられるキラ、としたいのかと思ったが、今回ガンダムパイロットがシャトルを撃墜する事で、キラにも立派に戦う理由が出来てしまった。
被ってるような…次回以降、キラの気持ちをどう処理していくか、によるか。。
あのパイロットが死んでしまえば、怒りも終わった事になるのかな。
『カスミン』38.「ポトポット、パパになる」
ディズニーアニメ『美女と野獣』に出てきたような、ティーカップの子供がポトポットを「パパ」と慕うお話。
「パパにお茶を入れてあげる」と言う子供、ついつい親バカモードが全開になってしまうポトポットなど、実にほのぼのとする内容だった。
ちょっとホロリと来てしまったのは、トシだからか(笑)?
ふらっと映画を見に行く。
まず、『とっとこハム太郎・ハムハムハムージャ!幻のプリンセス』。
入るのがちょっと遅れてしまい、冒頭5分程を見逃してしまった。
各回入れ替えなので、もう一回見直す事も出来ず…まあ、そんなにまでするアニメじゃないんだけど。
悪い魔法使いに狙われたお姫様を守るべく、ハム太郎他の仲間達が奮戦する内容。
城でのドタバタ劇とか、どことなく東映動画の名作『長靴をはいた猫』を思い出してしまった。
ひたすら姫に思いを寄せるワルモノと、その思いに全く答えようとしないお姫様、という図式も一緒だし。
前回の劇場版と同じく、次々と事件が起き、目先が変えられていくので見ていて飽きない。
いい加減な王様と、輪をかけていい加減なお姫様も良いんじゃないかと思うが…
ハム太郎が頑張って勝ち取った成果を、横から第三者が何の抵抗も感じずに奪取していくのが、ちょっと。
それなら、その第三者ももっと戦いに絡んできた方が良かった。
あくまで主人公はハム太郎である、という事で割り切ってしまったのだろうか。
でも、ここはあと少し考えて、ハム太郎の方が「より頑張った」のだが、それは完全には報われなかった、というぐらいにしておいた方が。
そんな事 子供は気にしない、と言えばそりゃそうかも知れないけど、子供が見るモノだからこそ、筋は通しておいた方が良いと思うんだよね。
「筋が通らなかった」事を活かしたギャグにしたいのでなければ、だけど。
でもま、ミニハムズの歌のノリも軽快で気持ちよかったのだし、細かい事を言う作品じゃないかな。
で、本命の『ゴジラ×メカゴジラ』を見る。
監督は前々作『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』の手塚昌明。
これがねえ、実にこう、驚いた事に、マトモ。
見ていて特に訳の分からない所や苛立つ所のない、ごくごくまっとうなドラマとして評価できる内容。
いや、そんなにレベルが高いとか素晴らしい内容とか絶賛する程ではないんだけど、取りあえず見てる人間を意味もなく苛つかせる馬鹿キャラクターとか、「戦いの最後まで、ここから中継を続ける!」と言い放った途端に中継どころじゃない状況に陥る女性キャラクターとかの 物語的に展開がおかしい部分が、特に目立たない、というだけでも大変な進歩。
今回は、「怪獣映画」というよりも「ロボットアニメ」としての色合いが濃い。
もっと言えば、ゴジラ版『エヴァンゲリオン』だよね、どう見ても。
メカゴジラ開発にも、その運用にも、存在の利点にも難点にも、「ゴジラ映画として」のリアリティーを付加すべく努力した跡がある。
女性パイロットには、戦うべき動機があり、乗り越える心の傷があり、仲間との葛藤も、怒りも交流も成長もある。
どれも、感心するほど良く出来ている訳ではないが、どこかに致命的な欠陥が生じないよう、全体に気を配って構成する事が出来ているのはとても良い事だ。
シナリオは、三村 渉という人。
誰だっけ、新人?などと迂闊にも思っていたが…何と、この前の『メガギラス』もこの方のお仕事?
アレはかなりガチャガチャな内容だったけども……
えええ、駄作の『ゴジラ2000 MILLENNIUM』も柏原 寛司と連名でクレジット?
途中で眠くなった93年の『ゴジラVSメカゴジラ』も、昨日 酒飲んでて思いついたみたいな話だった『ヤマトタケル』も、そう?
うううう〜む、その人がこの『メカゴジラ』みたいなシナリオを書けるとは…
いや、良い話が作れるようになったのなら、喜ばしい事か。
監督、手塚氏の演出は、『メガギラス』もそうだったが、格好良い所が沢山あるんだけど、それは「なんじゃそりゃあ?」と思わず笑ってしまうような馬鹿馬鹿しさと紙一重、でもある。
今回もかなりアチコチ笑ってしまった…でも何にせよ、パワフルなのは良い事かな。
戦闘用兵器の塊であろうメカゴジラがいきなり格闘戦をしてしまう辺りなど「何故ー?」なんだけど、見た目が面白いからオッケー。
ゴジラ・メカゴジラの死力を尽くした対決の組み立て方は、ゴジラ映画の中でも屈指の出来ではないだろうか。
主演の釈由美子もよく頑張ったと思う。
演技はまあ、ムニャムニャだけど、一生懸命やっていて。
屈強な男達に混じっても一歩も引けを取らない体力の持ち主、という設定なのに、彼女はビックリするぐらいの撫で肩、という不思議はあるが(笑)、これも「綾波レイなんだ」と思えば納得できるかな。
うん、でも久々、悪くないと思えたゴジラ映画だった。
84年以降のシリーズ中では、一番マトモな出来かも。
色々と考えて、バランスを取って作られている分、小粒な印象を残す可能性もあるが。
取りあえず、これをベースに。
骨組みとしてコレで問題ないから、後はどこを膨らませてどこを削るか、キャラクターの内面をどのように掘り下げていくか、を考えていけば良いかと。
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2002年12月27日 金曜日 |
『陸上防衛隊まおちゃん』26.「今日もゆるゆる防衛です」
実に「ゆるゆる」の最終回だった。
謎(?)など明らかにならず、根本的な事件も解決せず、特に盛り上がりもしない終わり方。
でも、それがテーマだったんだよね。
「盛り上がらせない」というのも、思えば結構大変な事。
実際この最終回も、ちょっと気を抜くと盛り上がってしまいそうな要素が結構な量、含まれていた。
それを、意図的に、努力して、「ゆるゆる」というテーマに内容を沿わせるべく回避していた訳だ。
常識を知らない人間に非常識は演じられないように、盛り上げる手練手管を知り抜いていない限り、ワザと盛り上げない事など出来ない。
そういう意味では、大変な実力を持ったスタッフによる作品であった、と言える。
…スタッフが頑張って目標を達成したからと言って、その作品を見た人間が感心したり賞賛したりする義務はないが。
極論、目標が「見ている人間を嫌な気分にさせる」「見続ける気力を奪って中途挫折させる」というものであるケースさえ考えられるのだから。
「ゆるゆる」は…
うーん、どうだったんだろうな。
同じようにゆったりした作品として作られていた『ココロ図書館』には「癒し」があったし、『ラブひな』には強烈な「萌え」があった。
そういう商品価値の付加が、『まおちゃん』には ちょっと足りなかったような…
『朝霧の巫女』26.
こちらも、最終回。
最後は忠尋と柚子のドラマとして盛り上げたかったみたいだけど…
途中はほとんど『美巫女戦士・シャーマニックムーン』的展開が中心になっていたもんで、何かこう、イキナリな感じがして違和感。
一回15分という時間的制約と、『まおちゃん』とは違って流れを感じさせなければならない物語とが、最後まで合わなかったような。
富野監督によるこのコメントは、某 赤いDVDを売りつけたままで放りっぱなしの某ジブリとか某監督への挑戦だろうか(笑)。
何だか最近、このHPの表示がやたらに重い。
皆様、申し訳ないです。
トップページだけでも他に移す事を検討すべきかなあ…
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2002年12月26日 木曜日 |
『シスター・プリンセス Re Pure』13.「ピュアクリスマス」
お終い。
これまでバラバラに語られてきたエピソードを使いこなして…とまでは言えないけど、それなりに伏線っぽく使いながら、ラストを締めた。
「クリスマス・エピソードで終わり」というのは、物語を終える時にはかなり強力に有効な手段で、どうやっても、余程
先鋭的(笑)なお話にしない限りは何とか格好が付いてしまう。
ラストのクリスマスソング大合唱は、ファンならそれはそれで心に染みただろうか。
どーにもこう、最後に妹達から「いつまでも一緒に居たい」と らぶらぶの告白をされる対象が、実態を持った「兄」というキャラクターであって、画面を眺めている「自分」ではない、というのは弱い気が。
「兄」がまた完璧超人であり、感情移入の対象たり得なかったもんで、彼にどれほどの好意が向けられようとも他人事で「ふーん」という感想しか持てない。
これがゲームであって、「兄」=「自分」という視点で見られたなら、この終わり方で十分満足のいくモノであったかも知れないが(あ、いや、結局は誰ともくっつかなかったのだからバッドエンドになるのかな?)。
いつもの、30分2話の後半、妹1対兄1のお話パターンにはかなり出来の良いモノがあったので、どうせならあちらを30分に拡大する形で終わってくれた方が嬉しかったなあ。
でも、12人それぞれにファンが着いているのだろうから、誰か一人だけにスポットを当てる形式で終わる訳にはいかないか。
『りぜるまいん』24.「最終話」
うーーーん、悪くない、キレイに締めた終わり方だったとは思うが…
友紀が病院のベッドでりぜるとの出会いを思い出す、圧巻に盛り上がったエピソードと比べると、感動も小粒。
何しろ、りぜるの気持ちは既に友紀に受け容れられている事が明らかになっており、「二人は上手く行くのだろうか?」というドキドキはないのだから。
デートコースの予定表通りに街のアチコチで りぜるを待ち続ける友紀の態度も、よく分からない。
パパ達と連絡を取る手段はなかったのか?
まあ、実質的には前述の感動エピソードでこのアニメの物語面は決着が着いており、そこからは、ひたすら暴走するテレビ放送コードギリギリのエロエロなギャグを楽しむ作品になっていたのだと思う。
それは大成功していた。
本当、アニメでの下ネタギャグ作品としては史上最高の出来だろう。
エンディング。
犬とお風呂に入って何だかヤバイ事になっている あおい、ダンナさんにウインナーを食べさせ自分はダンナさんのウインナーを「いただきま〜す」してしまう先生、馬鹿みたいに増殖した
りぜる量産型。
「はじめて・しましょ」を「はじめ・・・ましょ」に変えるラストカットも気持ちよく決まる、好き放題やった事が全て良い方向に出ている、楽しいアニメだった。
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2002年12月25日 水曜日 |
『WITCH HUNTER ROBIN』26.「Time to tell」
途中数回、まともに見られなかったせいか、その後は全く物語に入る事が出来なくなってしまった。
誰と誰が、何のために何と戦っていたのか、どうもよく分からない。
筋としてはともかく、納得がいかないと言うか。
うーん。
クリスマス、終了。
コミケの準備のため、ドタバタしていたので楽しく過ごすという訳にはいかなかったけども、取りあえずモスバーガーのチキンを2本程食べ、近所のケーキ屋で買ったブッシュ・ド・ノエルをパクパク食べられたのだから、まあまあだろうか。
イブの夜は、恒例である不幸自慢番組『明石家サンタ』を見ていた。
決定的に面白い不幸話が無くて、残念。
意外に寂しいクリスマスを過ごしている芸能人達からの電話は面白かったけど。
自分にも何かネタになる不幸話が無いか考える。
どうにも「事実」は浮かばないので「ウソ話」を考えてみて、割と面白いのが出来たと思ったのだが、宇佐木
恵に話した所、笑いは取れたモノの不評。ちえっ。
まあ確かに、多少不穏当な思想を含んでいたからなあ。
なのでネタ公開は自粛。
でも、そういう話の方が面白いんだよねえ。
あ、何とかコミケに同人誌は出そうです。
ただ、メタメタな時間不足のため、内容がお馴染み「ゲーム批評」原稿の再録とかイラスト線画集とかだったりするので、「買って下さい!」とは強く言えない部分が。
大手を回り終わってお時間を持て余しました方は、お帰りになる前にチラッと立ち寄って内容等
確認して頂けますと嬉しいです。
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2002年12月22日 日曜日 |
『忍風戦隊ハリケンジャー』44.「御前様と凶扇獣」
見るより先に掲示板でのヨコヤマ さんの書き込みを読んで知ってはいたが…
わあっ!本当だ。
次回は大葉 健二が出るんだ!
…と言っても知らない人は全然知らないだろう。
『バトルフィーバーJ』のバトルケニヤ役、『電子戦隊デンジマン』のデンジブルー役などを経て、往年の名作『宇宙刑事ギャバン』では主役・一条寺烈を演じた人。
リアルタイムで見ていたファンに残した印象は強烈で、続くシリーズで主演を務めた渡
洋史、故・円谷 浩も心に残ってはいるのだが、どうしても『宇宙刑事』というとまず大葉
健二の はにかんだ笑顔が浮かんでしまう。
この人主演で、全く大人向けの『宇宙刑事』映画を作って欲しかったなあ。
今なら、周辺の状況は可能かも知れないけど、大葉氏の年齢的に…
それと、ビジュアル系を重視する最近の傾向には合わないお顔かも知れない。
オレは凄く好きで、「漢」の顔した人なんだが。
今、47歳ぐらいのはず。
でもまあ、ロジャー・ムーアなんか50歳過ぎても平気で007をやってたんだし(笑)。
この際、ボイサー(ギャバンの父親、千葉真一が演じた)役になってもいいや。
取りあえず、是非是非、次回は大活躍してくれる事を期待したい。
最終回までレギュラーになってくれてもイイぐらい(^ ^)。
『おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!』46.「さらば、魔女ガエルの呪い」
うにゃ〜。
皆が自分のように不幸になってはイケナイという思いから、魔女ガエルの呪いをかけて魔女達に より酷い不幸をまき散らしていた先々代女王。
だいぶ冷静になったはずの今でさえ、その呪いを解く事に抵抗を示すとは…本気でその正義を信じていた訳ね。
なんちゅーか今 日本を崖っぷちに追い込んでいる政治家を見せられてるようで、どうにも。
こんな苛立つモノではなく、もっと視聴者が納得しやすい呪いの動機付けを考える事も出来ただろうに。
どれみ達の魔女への試験をポンと飛ばしてしまう現女王。
ぽっぷやハナまで、もう面倒だから一緒に魔女にしちゃえ、という実にいい加減な姿勢。
バラエティー番組で良くある、四問目までのクイズの配点は各10点ずつだったが、
「最終問題である五問目は一気にジャンプアップで正解者には1億点差し上げます!」
と言い出した司会者に参加者が、
「今までの問題は一体 何だったんだ〜?」
と突っ込む「お約束」を思い出してしまった。
今回、とても大事な話であったろう割には、延々と風景を映す上に同じ動きを繰り返す先々代女王をかぶせる意味不明なシーンや、適当な止め絵での回想など、??と思わせられる演出が散見され、テンションは下がるばかり。
魔女界でのエピソードよりも、人間界での皆との別れの方にウエイトを置いている…んだろう、きっと。
『ギャラクシーエンジェル』23.「重々焼肉食べ放題」24.「ギラギラガーンのミックスジュース」
前半。
次々に移り変わっていく世界のバリエーションはまあ、予想の範囲内だったが、世界を渡り歩くミルフィーユの代わりに元の世界には異形のミルフィーユがポコポコと現れてきている、というSFなアイディアは非常に面白かった。
巨大ミルフィーユの出現で終わる、いつも通り事件が解決しない投げっぱなしのオチに、ヴァニラのDJ風コーナーを付け加えてセルフツッコミを入れる機転。
「時間が余った」という事にして、更に「物語をいい加減に感じさせる」アイディアもお見事。
後半。
途中まではダレた話になりそうで不安を感じていたが、王様ゲームが始まった所から一気にハジケた。
「1番が6番を、改造」
「3番が8番を、目覚めさせる」(何か凄いモノに目覚めていくミルフィーユとミント)
辺りには大笑い。
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2002年12月21日 土曜日 |
『機動戦士ガンダムSEED』12.「フレイの選択」
相変わらず戦場での生死のリアリティーはゼロ。
でもまあ確かに、ここまで「生きるか、死ぬか」といった極度の緊張感がある戦況に追い込まれた事が
そうはないから、アークエンジェルに残る=死の危険に直面し続ける、という実感を持てないのも無理なく、そういった意味では世界観の統一は成されているとも言えるかな。
物語をリードしていくのは、やっぱり フレイとラクス。
フレイの謀略が介在する事により、キラ達が戦う(戦わされる)のに、しっかりとした理由付けが出来た。
その分、フレイは今後も視聴者の憎しみやら苛立ちを一手に引き受ける事になるだろうが、悪役の方が役柄としては美味しいと言うし、いいのかな(^
^)。
全てを巻き込んでいく戦争の恐怖と、軍隊組織の理不尽さや矛盾を、フレイという少女キャラ一人に背負わせてしまって良いのかどうか、とは思うけど。
『カスミン』37.「プリン太次郎、しゃべる」
ウイルスにより別人格が生まれ、言葉を発する事も出来るようになったプリン太次郎。
その他者を見下したような態度に、周囲は戸惑い、彼を疎んじるようにさえなっていく。
「カスミン、キミの根性だ根性、は、口先だけじゃないのかなあ?」
という余りにも酷い言い様には驚き。
これじゃ忠告や毒舌とかでさえなく、単に言いがかりの悪口だよ。
といった所までは他人事として笑って見ていたけど、他者を厳しく批判する事には長けたモノの、換わって自分自身の本来の機能が発揮できなくなっているプリン太次郎の姿を見て、ビシビシと身につまされてしまう。
あうあうあう、ヘビーだ。
誇りを持って、本来の自分に立ち返る事を選択する彼には、泣けた。
一時的に進んだ知性(余計な知能?)を手に入れ、そして失う。
要は今回、プリンターヘナモン版『アルジャーノンに花束を』だったのかな。
コンビを組むデジガメと共に抱いた夢も心地良い、胸に染み渡るような良い話。
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2002年12月20日 金曜日 |
『シスター・プリンセス Re Pure』12.「お兄さまのレストラン」「咲耶」
後半。
イメージの背景画を多用してキャラクターの内面描写に使う、どこか『彼氏彼女』っぽい演出。
作画枚数の制限から来た苦肉の策かも知れないが、これが非常に巧妙に効果を上げている。
スカーンと抜けた青空の下、屈託のない笑顔で駆け回る少女期の咲耶と、どんよりとした曇天から雨が降り出す中、物憂げな表情で街をさまよう現在の姿の対比が素晴らしい。
好き=いつまでも一緒に居たい=結婚=幸せ
と、何の疑問もなく信じていられた無邪気な時代の終わり。
恋愛、結婚への障害・障壁は、昔と比べて格段に少なくなったと思う。
身分違いの恋、ってのは昨今余り耳にしないし。
距離が離れていても、交通・通信手段の発達によって、関係を維持する事が比較的楽になった(それでも、これはかなり大きな障害だが)。
国籍・人種の差に対する偏見も、次第に緩やかになってきていると思う。
「同性」、「肉親」に対して抱いてしまった恋愛感情の成就。
これが、現代に残っている最も大きな「困難な恋愛」パターンかも知れない。
叶えられて当然と信じていたのに、それが実はどうあがいても叶えられない願いである事に気が付いてしまった哀しさ。
懸命に手を差し伸べるが、遙か自分の手の届かない所へ落ちていく花嫁のブーケ。
布をかけられ姿を見せない教会の像は、「神からの祝福を得られない恋」の象徴か。
「お願いです神様(お願い) どうかどうか(お願い) ずーっと(お願いだから!) お兄様の側に(お兄様の側に) 居させて下さい(居させて…) お願い(お願い)」
幸せを信じていた少女期の声と、気が付いてしまった現在の涙声が続けて発せられる構成が抜群に巧い。
いやー、泣ける。
咲耶、可愛いねえ。愛しいねえ。
これは人気あるのも当然。
オレの漫画世界に来てくれれば、いくらでも、「実は血の繋がらない兄妹でした」なんてえ白ける言い訳ナシに、恋愛関係を成就させて上げるんだけどな。
あ、汚い手で咲耶に触るなですかそうですか。
『灰羽連盟』12.「鈴の実・過ぎ越しの祭・融和」13.「レキの世界・祈り・終章」
終わった、かあ…
実に、地味で静かで、しかし息が詰まる程に盛り上がったクライマックス。
うーん、うーーん、うーーーーーーん、ダメだ見終わった感想が上手く言葉に出来ない。
「こういう作品だった」と一言で言い表すのがとても難しい内容。
「敵と戦って勝った」訳では勿論ないし、「主人公の成長を描いた」ってのも…無いではないけど、それだけの作品と言うのは
しっくり来ない。
見終わって感じた気持ちは、「嬉しい」でもあり「哀しい」でもある。
「寂しい」でも「楽しい」でも「苦しい」でも、連帯でも孤独でも旅立ちでも帰還でも、死でも再生でもある。
「そのためにコレがあるのよ。言葉ではなく、気持ちを伝えるために」
「言葉じゃ説明できないもの」
ヒカリが、無言で手渡す鈴の実の説明をしたセリフだが、これはそのまま、この作品を表している言葉ではないかと思う。
言葉で表して済むなら、アニメにする意味はない。
映像作品には、「物語」を伝えようとするものと、そこに込められた制作者の「想い」を伝えようとするものとがある。
『灰羽』は、後者。
基本的に個人作業である漫画・小説・音楽などと違い、多数の人間の手を経なければならないアニメーションで、ここまで「想い」を描き、伝えられた作品は珍しいだろう。
最近だと、『ほしのこえ』(これは、個人作業に近い環境から出たものだが)を見た時に、同じような感慨を抱いたなあ。
レキは何だかとても可哀想だった。
「偽善」であっても「善」は「善」。
それで救われる人間にとっては、その裏側に潜む本心がどんなモノであろうが、基本的には関係ない。その本心を、知らせさえしなければ。
「無関心」や「露悪趣味」よりは、余程 善い行為なのだし。
無私の心で善行を積める人間など、そうそう居るものではない。
自らの「偽善」に苦しみを感じる人間が積む善行なら、それはもう純粋な「善行」と変わらないのに。
自分の行いを「偽善」であると口にしないではいられないレキの気持ちが、泣ける程 可哀想で。
そういう彼女を受け容れ、赦すラッカの姿には、救われた気分になってしまう。
ここに込められた制作者の「想い」の全ては、一度見ただけではとても受け止めきれない。
嬉しい時・悲しい時・好きな人を得た時・大事な人を喪った時、その時々に見返すと、違った様相を見せてくれる作品だろう。
こういう有り様の作品が商業アニメーションとして存在した事実そのものが、大きな収穫かも知れない。
期待の『ターミネーター3』の予告編が公開された(短縮字幕版はこちら)。
監督が、『2』までのジェームズ・キャメロンから、『ブレーキ・ダウン』『U−571』のジョナサン・モストウに替わっている。
うーーん、予告しか見ていない時点での判断は早いと思うけど…
女ターミネーターが車に飛び乗る所の撮り方が非常に安っぽいし、目がキラーンと光る安易な合成にも萎え。
アクションも「おおっ!」と思わせられる所が無いどこかで見たようなモノばかりで、ジョン・コナー役者が見目麗しくない人に変えられてしまったのもキツイ。
何よりも大事であろう女ターミネーターの能力が…
今回の新味は「無数の武器を内蔵」だけ?
片手からなにやら撃ち出している所なんか見てると、何故だか大馬鹿ロボット教師映画『クラス・オブ・1999』を思い出してしまうんだけど(笑)。
液体金属の見せ方で客の度肝を抜いてくれた『2』と比べると、ひどく弱い。
まあ、『U−571』も、予告を見ている限りあんまり面白そうには感じなかったからなあ。
新監督は、全体の流れに乗せてドキドキ・ハラハラを演出するのが上手い人であり、一発ビジュアル勝負なタイプではないので、本編を見てない時点での判断は危険か。
女ターミネーターの能力にだって、まだ見せていない部分があるのかも知れないし。
予告に出てくる飛行メカが、実は彼女の変形したモノだったら面白いかも。
飛行機や車、最終的には自身が強大な破壊力を持つミサイルに変わって攻撃を仕掛けてくる、とか。
それじゃ『宇宙鉄人キョーダイン』か(古)。
『3』は、やっぱり凶悪な殺人ターミネーターになって帰ってきたシュワちゃん(質より量で、複数の機体が迫り来る)に対抗するため、今度はロバート・パトリックのT1000がジョン・コナーを守るべく送り込まれて来たらどうだろ、などと考えていたんだけどな。
もう誰が味方で誰が敵なんだか(笑)。
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2002年12月19日 木曜日 |
『おジャ魔女どれみドッカ〜ン!』45.「悲しみのイバラよ、消えて!」
今頃、見た。
内容とは余り関係ない、雑感。
なんでこう、年齢を経た魔女って「バカ」なのかね。
何年経っても年老いていかない自分が周囲の人間からは奇異に見える事ぐらい、いくらなんでも分かりそうなもんで。
魔法で年老いた姿に偽装変化して行き、『からくりサーカス』にあったように一度死んで別の人間(親類縁者とか)として新たに現れて見せる、ぐらいの知恵はあっても良さそうだけど。
また、そういう特異な存在である自分の近くに孫達を置いておきたい、と思うのもどうか。
老成した知性があるなら、孫達の方が「近くに居たい」と言ったとしても、それによって生じるマイナス要素の多さと彼ら自身の人生を思い、自ら遠ざけて(遠ざかって)良いぐらい。
「私が寂しくなるのは嫌だから、みんな何が何でもココに居るべきよ!」では、単なるクソババアだろう。
この作品中においては、魔女はだいたい精神的に未熟な存在として描かれている…事が多い。
以前に出た、結婚を約束した相手の男性をそのまま十数年も待たせておいて、待ちきれずに他の女性と結婚した彼の事を執念深く思っている魔女とか。
マジョリカはどれみ達と同じようなメンタリティーしか持っていない。
現女王でさえ、人間界で苦心惨憺しているどれみ達の事情を知っていながら、限界を超えた頃にようやく増援を出す事を検討し始めるという
お役所仕事ぶりで。
もちろん、細田守演出回の魔女のように驚く程のオトナだって居る訳だけど…
人間、何年生きたか、という事と、精神的に成長するという事は、決してイコールではない、って事かな。
そういう訳で、先々代女王の話は ちーとも可哀想だと思えないもんで、一連の話が早く終わってくれないかと思うばかり。
『キディ・グレイド』10.「Reverse/Slave」
鬱な展開。
それは構わないんだけど、その前段として「エクレールの過去を知りたい」という気持ちに視聴者をならせていたかどうか。
興味のない昔話を聞かされても困ってしまうから。
また、その昔話そのものが意図的にかなり理解困難な描かれ方をされているのも…
ここは「分かる人にだけ分かれば良い」という所ではないと思うが。
サッパリ分からない、と思ってしまった人にとっては、エクレールというキャラクター、ひいては作品そのものへの興味すら削がれる結果になっては しまわなかっただろうか。
何を一番の魅力として訴え、作品中のどこを楽しみに思わせて来週も見てもらうのか。
設定か、ドラマか、SF作品としての雰囲気か、アクションか、キャラクターか。
「パンチラが多い」という事だって構わない(^ ^)。
その辺を、もっとよく煮詰めてからシリーズを始めた方が良かったような。
制作陣に何でも器用にこなせる能力がある事が、ここではマイナスの働きをしているように思えて。
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2002年12月18日 水曜日 |
『オーバーマン キングゲイナー』14.「変化ドミネーター」
他のアニメが、優秀なスタッフと時間の不足による作画レベルの低下に苦しまされている中、これはまた、すったまげる程
高いクオリティーの回。
今回登場の、ちょっと使徒っぽい外観をしたオーバーマン・ドミネーターの能力は「変幻自在」というもので、その力を見せきるには演出と作画の能力値が高い事を求められる。
それが、驚くほどに高い高い。
変形を活かした戦闘シーン組み立てのアイディア量は、1話で見せるには勿体ないほど。
限界まで伸ばした両手を駆使して氷上をもの凄いスピードで疾走するドミネーターの迫力には、トリハダ。
ゴレームの関節をはずし、湖底に沈んでいかせる(乗員を圧死させる気?)ドミネーター・パイロットの冷徹さも素晴らしいし、キングゲイナーを食べてしまう巨大な口に変わるユーモアも良い良い。
やたらに動き回る作画の手間がまた、テレビシリーズでは割が合わないと思うくらいに凄い。
動く事で何かを伝える、アニメーションの原点に立ち返ったような出来。
いやー、見られて幸せな回だった。
『超重神グラヴィオン』13.「しろがねの牙」
ああ、終わっちゃったかあ。
どうやっても、僅かな残り話数では物語に綺麗には決着を付けられないであろう展開を見せてきていたが、予想以上に「すーっ」と終わった感じ。
「第一部完」という程の盛り上がりもない、淡々とした締め方。
うう〜ん、最終二話こそ連続放送にして、最強の敵に苦戦するグラヴィオンの姿と、タメにタメた挙げ句ようやく登場し恐るべき破壊力を発揮する剛剣「しろがねの牙」のカタルシスをじっくりと味あわせて終わり、とした方が良かったような。
何だか全然、終わった気がしないぞ。
全体に。
いや、なかなか面白い作品だった。
訳が分からずイライラするような所の無い、ちょっと大人(大きなお友達?)向けに作られた「勇者シリーズ」という趣が最後まで貫かれていて。
特に後半の話、エイジが家出(?)して帰還するまでの顛末など、キャラの行動様式・お話の展開が分かり易すぎて、不満にも感じられる程。
巨大ロボットアクションによる「燃え」と、可愛い女の子がやたら多数 登場する事による「萌え」。
戦いには、一度使った必殺技が次には敵に通用しなくなるという工夫を加え(必ずしも有効に機能している設定ではなかったが…)、女の子達には、「その他大勢」に過ぎない『花右京メイド隊』風メイド達にまで口癖やキャラクター的背景を考えてある事が伺えるなど、とにかく一生懸命に作っている気持ちはよく伝わってきた。
両セールスポイントを視聴者にきっちりアピールできた事は、評価に値すると思う。
「絵」で見せるウェイトの高い作品であったため、途中に作画レベルの落ちる回が入ってしまったのは残念。
前も書いたけど、これは作画にこだわる大張監督自身が、誰よりも無念であったろう。
是非とも、出来る限り同じくテレビベースでの続編・完結編の放送を望みたい。
でも、平野監督による『破邪巨星Gダンガイオー』も中途で終わったままだし、どんなもんだか不安な部分も。
うー、何とか生還です。
年内の商業誌のお仕事は、取りあえずお仕舞い。継続してやらなきゃならないモノとか年明けすぐ締めのモノとかもあるけど、それはそれとして。
年末の お仕事内容。
現在発売中…のはずの宝島社「コミックサークル」というムック本に、カラーイラストを描きました。
発売日聞いてないなあ…多分 年内に出るでありましょうワニマガジン社の雑誌「HIP&LIP」にマンガを描きました。
あとは、毎度お馴染み「ペンギンクラブ」でお仕事。
宜しければ書店等でご確認を。
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