ときどき日記 03/01(後)

2003年1月30日 木曜日

『.hack//黄昏の腕輪伝説』04.「七夕の夜」

 本気だな。
本気で「妹がヒロイン」路線で行くつもりだなスタッフ。
む、その意気や善し(笑)!
 願わくば、実は両者とも連れ子だったので血の繋がらない兄妹なのよん、とかいう萎える設定は無しにしてもらいたいもんだ…いや、一般視聴者層にはその方が喜ばれると思うけど。

 ネット世界での七夕イベント。
にしては、河を渡って織姫の所に一番に辿り着いたプレイヤーの勝ち、というような(妨害モンスターは設定されているにせよ)ヒネリの無いモノではあった。
 まあ、まだシリーズ始まったばかりだからね。
いずれは、数百人が参加しての、難攻不落なモンスター城攻略戦、なんてイベントも組まれるのだろうか。

 渡河レースでの各キャラのエゴが出た行動は楽しかったが…
主人公の動きに見るべきモノが無かったのは残念。
 別に特殊能力もなく、肉体派でもないため、普通に泳いでいては絶対に勝ち目がないのは当然。
ここには、僅かでもアイディアをかけて欲しかった所。
 溺れかけた少女を助けて川岸に引き返すという 本来なら勝負にとりマイナスにしかならない行動によって、河全体を一度 俯瞰で見る事で有利な渡り方を発見するとか、仕組まれていた増水イベントに巻き込まれないで済むとか、モンスターの襲撃で死屍累々となった河を「因幡の白ウサギ」のように浮かんだプレイヤーを踏みつけて(笑)渡る事が出来たとか、善意が報われる形にするのはどうか。

 今回の冒頭で剣技の修行をする姿を見せたというのに、モンスターは結局 腕輪のパワー頼りで倒した、というのも不満。
コレで勝てるなら、修行なんか必要ない訳だから。
 腕輪を剣に変え モンスターを斬りつける事でデータを吸い取る、という形にでもして、もっと主人公自身が持つ能力が活かされるようにした方がカタルシスがあると思う。

 でもまあ、コレは妹だって主人公が言ってるのに、「関係ありません」とキス・イベントを強要するゲーム主催者=アニメ制作者の悪ノリぶりが楽しかったから、妹萌え作品としてはオッケーかな( ^_^ )。



 気になったニュース。

 万引き中3死亡事故で嫌がらせ電話、書店閉店へ?

 これは…別に書店の責任じゃないだろ?
 嫌がらせの電話やFAXを送りつけた連中は、何を言いたいの?
「漫画本をたかが6冊程度 万引きしたぐらいで警察に通報するなんて、将来のある中学生に対して配慮が足りな過ぎる
って?

 アホか!
 書店なんて元々 そう儲かるモノではない上に、アマゾンなどインターネット通販業者の台頭で経営はますます苦しくなっている事に加え、最近の万引きの増加でポコポコ潰れてるっちゅーねん。
甘い対応を見せていたら、「あそこの店は狙い目」という噂になり、ますます被害が増えていく恐れがある。
 別段 中学生に暴行を加えたとか何とかで直接 死に至らしめた訳じゃなし、被害を受けた書店側が警察に通報した事に、どんな問題があったというのか?

 それは、結果として起きてしまった事については残念だと思うが…
 記事に寄れば、中学生の両親は「子どものせいでこんなことになってしまい申し訳ない」と述べているらしいのに、第三者が直接的に非難をするなよ。
言いたい事があるなら、陰でコソコソ言え!



『出撃!マシンロボレスキュー』04.「祭りだ!ドリルロボ」

 ちょっと無理あるなあ、と思ったマシンロボと子供達によるレスキューチームの設定だが、4回も見ると すっかり慣れてしまって不自然に感じなくなってきた( ^_^ )。

 これまで、「災害にあった人々の救出」と「謎の敵ロボットとの戦闘」が分離した話になっており、災害現場に出動したマシンロボ達を追いかけて敵が現れているようにも見え、彼らが居ない方が被害は少なくて済むのでは?という疑問すら抱きかけていたが…
 今回は、敵ロボット自体が引き起こした災害に対してマシンロボが出動する。
そうそう、コレでいいんだと思う。
ようやく物語に一本筋が通ったような。

 現在、数が多く、ほとんど小学校の一クラス分ぐらいにはなるレスキュー隊の子供達 一人一人にスポットを当てて、キャラクターを立たせている所。
 キャラ立ては、悪く言えばパターンに乗っ取っている部分もあるけど、だからこそ性格の差が非常に分かり易く、この子は熱血、この子は生真面目、というのが把握しやすい。

 今回のメインになったのは、弱気・控え目で自分に自信が持てない男の子・大地。
 その性格故に上手く実力が発揮できないもどかしさを見せ、彼と正反対の 陽気でお祭り好きなドリルロボと絡める事で対比の面白さを出し、特殊能力である空間把握能力を日常の身近な形で紹介、弱気さを押し切って彼が出動せねばならない状況を作り、戦いのアドバンテージとして空間把握能力を有効に活用して、勝利を収める事で一つ成長する様を見せる。
教科書にもなりそうな程、良く出来た構成の話だった。

 うん、イイねえ。
いっそ、熱血暴走タイプの太陽じゃなくて、この大地を主人公に据え、少しずつ成長していく様子を描くシリーズにしてもイイぐらい。
まだ、母親との関係とかイロイロ転がせる設定を持っているようだし。
 まあ、少年向け作品としては、能動的に動いて他のキャラとも積極的に絡み、物語を引っ張ってくれる主人公の方が作りやすいだろうけど。



『花田少年史』17.「おばけ桜の下で」

 主人公、一路のクソガキさ加減に、番組開始当初は見続ける気力を失いかけた事もあったけども…
ドラマの動きがキャラクターの「アク」を乗り越えた辺りから、俄然面白くなってきた。
 物語は奇をてらわず、非常にオーソドックスであり、今日的には若干古いタイプかも知れないと思うが、それ故に分かり易く、力強く、感情に訴えてくる。

 今回の話も 多分最後はこうなるんだろうなあ、という所に収まった感じなんだけど、ラスト、頑固で厳しく 余りにも不器用に生きてきた先生の人生が救われていくシーンでは、何だかアホみたいにいてしまった。

 これ、演出や作画のレベルが もうちょっと低かったら、見るに耐えず「下らない」と結論づけてしまう作品になった恐れが、十分にある。
「萌え」も「カタルシスのあるアクション」も、「意表をつく展開」も無いため、視聴者が「○○ちゃんが可愛いかったからオッケー」とか「メカ戦がある限りは見続ける」とかいう方面では許してくれないから。
 高い「物語る」実力が要求され、それに見事に応えている作品。
イイ。


2003年1月28日 火曜日

『キディ・グレイド』15..「Break/Down」

 本部での、既出なESメンバー総登場(あ、美形お兄ちゃん2人組が居ないか)による激闘。
アニメスタッフとしても「総力戦」と言って良いと思う気合いの入った内容で、見応えがあった。
 惜しむらくは…
これまで、様々な任務に協力者として絡ませる事によって その能力を紹介して来た他ESメンバー達だが、まだ足りなかった というか…
彼ら彼女らの力が「加速装置」とか「炎使い」のように絵として分かり易くなく、「手をかざすと爆発」「手を向けると壁消失」「電子操作」といった、それはどういう攻撃で、与えるダメージはどのくらいで、それに対抗したのはどういう能力だったか、などという状況が見ている人間に把握し辛くて、素直に盛り上がれない部分があった。

 本部を破壊し、仲間達を手に掛けてまで戦った結果が、自分たちの意志に寄らない局長の射殺(?)、という事で、なかなかにシビア。
 局長と対面した所で、「私の本意は…」みたいな裏舞台の説明をトウトウと聞かされるモノだと思っていたため、意外でもあった。
 いや彼女、どーせ生きているとは思うが。
 先はますます読めなくなったなあ…どうするんだろ。

 ところで、ただ突っ立ったままで若干 宙に浮き足も動かさずに移動するエクレールを見て、『神聖モテモテ王国』のファーザーを思い出し、何だか笑ってしまった。



『オーバーマン キングゲイナー』18.「刃の脆さ」

 人心の不安を煽り立てるオーバーマンが登場。
何というか、よくこんな変な能力を考えるなあ(笑)。
 『ジョジョ』のスタンドのような、科学的裏付けとか気にしない、面白さ最優先のアイディア。

 残念なのは…ここ3回ほどオーバースキルを撃退する方法が、「主人公達による、お馬鹿さんなほどの力業」に寄っている事。
まあ、心の声が聞こえたり不安にさせられたり、といった精神面への攻撃に対抗するには他に手がない、というのも確かだが。
 今後 物理的なパワーでの攻撃が加えられてきた時には、アイディアのかかった戦いぶりを見せてくれると嬉しいなあ。

 今回は、ゲイナーの両親を手にかけた(?)ガウリの葛藤がメインだったが…
少々レベルダウン気味の脚本・演出と作画によって、何だかピンと来ない内容になってしまっていた。
 かなり大事な話だったんじゃないかと思うのに…こんな扱いで良いのかどうか。
というか、作品の傾向からして、どうしてもこの重い設定を使わなければならなかった、とは思えないのだが。
 次回以降のフォロー次第かな。
この話はこれっきり、にしてしまいそうな気も。



『WOLF'S RAIN』04.「荒野の傷跡」

 非常に高品質な演出と作画には感心するけど…
 未だ、「お話」としては面白いと思えない。
キャラクターの描き分け、彫り込みが出来ていってるから決して無意味ではないものの、シリーズの流れの中で、今回のお話がどのような意味を持っているのかも分からないし。

 画面として、軍事用ロボット(戦車?)の迫力ある描き方には驚かされ、その銃撃に追われて 大きな月をバックに斜面を垂直に駆け上がっていくキバの姿は、鳥肌が立つほどに格好良く、美しかった。
このクオリティーは実際 驚異的だと思う。
 後は、お話が腑に落ちてくれば「最高だぁ!」とか叫べるようになると思うのにな。



 こちらが、
http://members.jcom.home.ne.jp/r-hiryu/index.html
 での新しいHPになっております。

 何しろ急な引っ越しでしたので、現在 見られないページが相当数、存在しております。
ぼちぼちと不都合を解消していきたいと思います…ご不便をお掛けして、すみません。
 今後ともよろしくお願い致します。


2003年1月27日 月曜日

『ギャラクシーエンジェル』33.「特級イシモチのつみれ」34.「バラバラ湯の花せんべい」

 前半。
 んーー、エンジェル隊が自分のシアワセしか考えていない女郎共の集まりだという事は既に明々白々な訳で、「あの石」を守った事も どーせそういうつもりでしょ?って事ぐらい視聴者は誰だって読める訳だから、必死の防衛戦とのギャップで笑わせようというのは無効気味。
デジコがもう、少々の毒を吐いたぐらいでは笑いが取れないキャラになってしまった様なモノで。
 客は、同じ刺激にはすぐ慣れてしまう。
だからギャグは難しい。
 巨大戦艦、巨大イカ着ぐるみ、巨大ヒロインに変身、と各員メチャメチャな対抗手段で仲間割れする辺りは ちょっと面白かったが…
 「あの石」に、割ときちんとした設定を付加したのは失敗じゃないだろうか。
こういう形でマトモなオチを付けようとすると、スピード感が死んでしまうので。
これなら、最初から仕掛けを知っていたが あくまでエンジェル隊を信じ続けようとしたウォルコット中佐の期待が裏切られてズタズタにされていく様子を彼の視点で全編描く、とかにした方が。

 後半。
 みんなで温泉に入りたいというミルフィーユの願い。
妄想中のほのぼのとした絵柄が可愛かった。
 山彦が元の言葉を忘れて ぼやく所、蘭花に求婚すべく現れる男達が何故か『聖闘士星矢』(懐かし〜)風であったりなど、小ネタは面白かった。
 が、今回メインは、ミルフィーユの 小さなシアワセを願う心が、大きなシアワセを手にしようとしていた皆の希望を無惨にも打ち砕く、この一瞬にあった訳で、幸福の絶頂から不幸のどん底への落差をもっと極端に、ドラマティックに描いて欲しかった所。
全員「お湯で流されました」では、画面としても弱い。
 そういえば、昔話で傘地蔵がお礼に持ってきてくれた米俵その他モロモロのモノって、地蔵がサイババのように(笑)もしくはキューティーハニーのように空中から何でも取り出す能力を持ってるんじゃなければ、もしかして盗品?
品物をもらった主人公はシアワセだったかも知れないが、盗まれた家や店は不幸もイイ所。
「幸せは犠牲なしでは得られないのか」(『ジャイアントロボ』)。


2003年1月26日 日曜日

『仮面ライダー555』01.

 新しい仮面ライダー物語の開幕。
 いかにも主人公っぽい、人が良さそうな好青年が、2年の眠りの末に「怪人」(?)になって目覚めてしまうのは意外だった。
『アギト』のパターンからすると、こういうイノセントな青年は正義側でありそうなモノだが。
この辺は、ミスリーディングを狙ったのかな?

 携帯電話を使用した変身システム。
どうしても違和感は感じてしまうが、もっと格好悪いモノになると想像していた事もあり、まあ許容範囲だろうか。
 変身後、急に青年が戦闘プロフェッショナルのように戦えたのは不思議だったけど…スーツにバトルの基本プログラムが入っていて、装着者をガイドしている、とか?

 うーん、ワクワクする最高の第1話、とまでは言えないにせよ…
悪くはないのだし、スタッフへの信用で見続けよう。



『おジャ魔女どれみ ドッカ〜ン!』51.「ありがとう!また会う日まで」

 ここまで、仲間達と進路を違えていく事について肯定的に捉えていた どれみが、急に卒業式を拒否して立て籠もり。
ん〜?と思ったけど、「ずいぶん無理をしてきた」という事なのかな。
 実務的には、これまで出てきたキャラクターの主要な所に一言ずつセリフを与えて、散漫にならず盛り上げるには こういう事件を設定するのが有効でもあるか。
 ドラマ『熱中時代』(古!)のように、ただ一人ずつと対面して思い出を語って行く構成にも出来たが、対象年齢を考えると、それでは飽きられてしまう恐れがあるし。
 テーマとしての意味を求めると、これまでは「どれみが色々な相手の心を開いていく」物語だったが、最終回に来てその構成をひっくり返し「皆が、どれみの心を開く」話になっていた訳だ。

 さすがに長年に渡る放送話数の積み重ねは「力」であり、この話自体の出来に加え、「長く親しんできたキャラクター達と、別れる時が来た」という事実から来る感慨が、感動を深く、重くしてくれた。
 なかなか、良かったんじゃないだろうか。
 ラスト、イキナリ浜辺で告白している どれみには「???」と思わされてしまったけども。

 全体として。
 面白い話もあったし、つまらない話もあった。
シリーズを通しては、先々代女王のネタが やたら長かった上に上手く機能していなかったり、フラット4の男の子達は不遇な扱いだったし、ハナを成長させる意味も…あったのかどうか、など疑問が多い。
 しかし、登校拒否児童の問題など、普通のアニメではなかなか正面切って取り上げ辛い題材にも果敢に切り込んだりして、多岐に渡る物語を入れられる構成の余裕がプラス方向に働いている事もあったと思う。
 継続は力なり。
学校生活を中心にした少女アニメで、これほどの「継続の力」を発揮できた作品は かつて無く(『セーラームーン』はバトル中心なので別。あ…『ちびまる子ちゃん』は…いや少女向けじゃないし)、今後またいつ出て来られるかも分からないなー。

 まあとにかく、スタッフの皆様、お疲れ様でした。



 『ペンギンクラブ』が都条例に引っかかったらしいです。
 都条例というのは…えーと、まあ、連続で引っかかると本 自体の存続にも関わる規制の事だと思って頂ければ。
 おかげで、締め切りギリギリで内容の描き直しが入り、地獄を見てしまいました。
 うー、もう勘弁して下さい(;´д⊂)。



『機動戦士ガンダムSEED』17.「カガリ再び」

 むー、何だかメリハリの無い話。
ダラダラとキャラやゲリラの状況を描写した割には、地上の戦力分布や連合とゲリラの関係はもちろん、カガリが再会の瞬間なぜキラの頬を張ったのか、さえ理解できないし。
 ほとんど今回はあっても無くても良い、と言うよりも、ハッキリ無い方が良い話ではないかと思っていたが…

 ラストで急転。
おー、こういう手で来るとは!
 強烈に主人公を「イヤな奴」にした訳だよね。
現状、ほとんど「自分で戦いを選んだ」事になっているクセに、その苦労を他の人間が分かってくれないと逆ギレ。
しかも、自分以外の人間は苦労していないような言い様。
友達の彼女を奪い取って(?)おいて それを全く自省しないばかりか、友達に暴行を加えた上でコーディネーターの優位を誇る。
 うはははは、サイテーだ。

 これまで、まるっきり失敗していたにせよ、意図としては「キラの視点で物語を見てもらう」事を目指しているモノと考えていたが、こんなにも手前勝手な馬鹿さ加減を晒してしまっては もう感情移入させるのは不可能。
 今後は、最低さをガンガンとレベルアップさせて行き、キラという変わった生き物を見せる「見せ物」としての面白さを追求する。
もしくは…
かなり難しいと思うけど、今回の事件を超えるインパクトを持ったイベントを組む事、あるいはこれから毎回 納得できるキラの心の動きと行動を示してフォローを入れ続ける事により、じわじわとキラの最低さを視聴者が「赦せる」方向へと導いていく事、かな。
 …ここまでキラにまともなキャラクター性さえ付加できなかったスタッフに、可能な事かどうかは知らないけど。

 キャラクターデザイン以外は重なっていないというのに、何故だか『リヴァイアス』に似た、イヤな雰囲気を醸し出してきたなあ。
 『ガンダム』というブランドに、こういう事は期待されているのだろうか?


2003年1月24日 金曜日

 テレビで『千と千尋の神隠し』が放送された。
 かった…という感想は ありとあらゆるサイトに書かれているから もうどーでも良いとして(笑)。

 もう何度も見てるんだけど、やっぱりストーリーは あちこちチグハグだと思う。
 千尋の成長の物語としては、働き始めてから ほとんど段階を踏まずイキナリ湯屋に馴染んでいる事で、意味を成さなくなっているし。
 途中から、「ハクを助けるために銭婆の所に行かなければならない千尋」と「暴走するカオナシが起こす騒動」という2つの大きなイベントが、互いに無関係に平行して起こり、相殺効果を起こしている。
 また、助けるために命がけの決心で千尋が行動しているのに、瀕死のハクは そういう彼女の行いとは関係なく全快。
 千尋とハクの過去の因縁は「なるほど!」とは思えない かなりあやふやなモノだし、最後に両親を見分ける所も、そう出来た理由がよく分からない。
 お話としては、疑問だらけ。

 これでは普通、全く面白くない作品になってしまいそうなモノだが…
見てみると内容にグイグイと引き込まれ、キャラクターが好きになり、まんまと笑わされ、泣かされてしまう、猛烈な面白さ
 浅い論評の仕方では まるっきり歯が立たない。
 ああ、これこそ「天才」の仕事なんだなあ、と、ただただ感心するばかり。

 例えば…陸上100メートル走なんかでは、かなり「走る上での理論」が確立しているんじゃないだろうか。
スタートはこう、走る姿勢はこうで、手の振り方は、足を上げる角度は、歩幅は、と、効率的な走りの技術は かなりな所まで定まってるんじゃないかと思う。
 普通の人間は、そのベースに乗って、自分なりのアレンジを加える程度にするのが無難。
 でも、その人が「超絶の脚力」を持っている場合は…
そんなルールを守る必要はない。
自分独自の走り方でも、常人が及ばぬ奇跡的な成績を残せる。
いや、自分に合わない常識的ルールなら、守らない方が良い場合さえ。
 この映画には、そんな印象があるんだよね。

 放送前のスペシャルで流されていた幻の作品、という「ユキの太陽」…
 旧『ルパン』っぽい作画の雰囲気があるんだけど、その時代のモノ?
 嬉しすぎるとシャベルで人を殴る、ってえ設定はどんなもんか(笑)。
 せっかくだから完成作品として見てみたかった気もするが、パイロットを見る限り『コナン』ほどは自由な事が出来なさそうな雰囲気で、傑作!…にまでなっていたかどうかは分からないな。



『らいむいろ戦奇譚』04.「名探偵更紗 !?」

 普通に見られたお話。
 更紗は、お金持ちお嬢様のキャラクター。
ただ、その「お金持ち」というのが怪しくて、舶来品だという手持ちの品が実は国内・大阪製であったり、コレまでどういう教育を受けてきたのか学校的成績面でも余り宜しくない点数しか取れなかったりしている。
 いわば、『サクラ大戦』神崎すみれ のパロティー風な扱い。
 自閉傾向を持つ綸子は割に良くいるタイプのキャラなので、彼女単体で話にせず、更紗と絡めたのは巧い。
両極端な性格をしているため、対比でドラマが作りやすいし。

 そうは言ってもまだ『サクラ大戦』の後追い、という所からは抜け出せていない。
大ヒットした『サクラ』の半分でも当てられたなら、企画の規模からすると大成功、かも知れないけど。
 この後、「ならでは」の展開を期待したい所。



『魔法遣いに大切なこと』03.「最高のニュース」

 依頼人である女性。
事務所ではやたらに横柄な態度を取り魔法遣いを馬鹿にするが、実は自分の欲しいモノを諦めても子供達の募金箱にお金を入れる、優しい女性である。
 なーるほど。
「まず、反抗的な面を見せる」のは、キャラクターを印象づける基本的な方法の一つ。
でも、それならそれを活かしたキャラクター作りを その後も心懸けるべきであり、主人公が同じ東北の人間である事を知るだけで、イキナリ態度が柔らかくなってしまい、その後は普通に「イイお姉ちゃん」然として行動させてしまうのでは、拙い。
何というか、「手法の企画倒れ」みたいになってしまうから。
 主人公達の魔法が失敗する、というストーリーに絡めるべく、その原因を「頑なに心を閉ざし続ける依頼人」に求め、その心が開かれ主人公と交流する一瞬をクライマックスに設定しても良かったはず。
 …というのは、オレもよく編集さんに注意される事だから言えるんだけど(笑)。

 原作単行本を読んだが、今回はかなり構成を変えてあるなあ。
しかも、必ずしも良くない方向に。
 上記の部分も、原作では もっときちんと描いてある。

 原作、今回の依頼にアンジェラは出てこない(というか、単行本収録分には全然出てない。オリジナル?)。
 これ、意図的に変えて彼女を物語に絡めたいのなら、ユメとアンジェラの性格の違い、「温度差」のようなものを彫り込むべき。
どちらも依頼人に同情的であり、しかも同様に(?)魔法を失敗してしまうのでは、単に両者の印象を二分して弱くしてしまうだけでは。

 ユメが次々に魔法を使い、失敗していく様をギャグタッチで描いたシーンがアニメでは省略されている。
それも、「失敗した」らしい結果は見せられるのだが、「どういう風に失敗したか」という課程が省略されているため、意味不明なシーンになってしまった。
 ここは多少なりと失敗の様子を見せなければ、落ち込む2人の気持ちに同感できなくなってしまうんだけど…

 結局、彼女達に替わって依頼を叶える形になってしまう小山田。
 原作では「依頼人を助けて上げて欲しいと必死で頼み込むユメのため」に行動しているが、アニメでは「自発的」に動いているように思える。
 この辺、あくまで主人公はユメであり、物語は彼女を中心に動いていく事をハッキリさせるべき。
アンジェラを出した事もそうだけど、最初から複数の人間を描こうとすると、大抵は上手く行かないから。

 原作の描き方でも、「魔法」というのはかなり微妙なモノ。
作品世界では ほとんど「神の力」にも等しい無制限なパワーであり、物語中での扱い方を間違えると読者(視聴者)の反発をすら招きかねない。
 …というか、個人的には既に馴染めない部分が。
前回、望まれた訳でもないのに勝手に足を治し(?)サッカーが出来るようにして「あげた」のには、納得できなくて…それは「神の傲慢」じゃないの?

 そんなデリケートな部分を含む原作を、確たるヴィジョンも無し(…と思える)に付加・省略、改変しては、失敗する可能性が高くなってしまうような…

 と、思ってよく見れば、アニメの脚本は漫画の原作者自身が書かれているのか!
 あー、あー、うーん。
困っちゃったな(^_^;)。


2003年1月22日 水曜日

『十二国記』33.「風の万里 黎明の空 十章」

 高校生の頃、何かの話題の時に同級生女子から「一国の王様になりたいと思うか?」と聞かれた事がある。
 ちょっと考えて、「余り気が進まないなー」と返事をした。
 彼女は意外そうな顔をして、「どうして?王様になれば何でも出来るんだから、楽しそうと思わない?」と重ねて問いかけて来る。
 「王の子供として生まれたのなら、個人の考えなんか関係なく『いずれ王になるもの』と決まっている訳で嫌もヘッタクレもないけど、今、この考え方を持ったままで王、という立場に立ちたいかどうか?と問われるなら、それは嬉しくない。酷く不自由そうだし」
 「それなら、不自由じゃない、何をしても許される凄く強い力を持つ王様になら なる?」
 「それは余計悪い。最悪だから、絶対にそうは なりたくない」

 こんな感じの会話を交わしたと思う。
その時は、「何故そんなに王になりたくないのか?」を上手く説明する事が出来なかったんだけど、このアニメを見ていると、非常に良く「権力者のシンドさ」が表されていて、「ああ、こういうのがイヤだったんだ」と納得する事しきり。

 民の事を思わない王はダメダメだが、思いやりすぎて大局を見失う王もダメ。
 威張りすぎる王は嫌われる、親しみ易すぎる王は舐められる。
 私腹を肥やす官吏を放っておく事は出来ないけども、締め付けすぎて集団で反抗されると 王一人では何もなし得ない訳で国政が滞る。
また、官吏の悪行を断罪するには確たる証拠が必要だし。
証拠もなく、超法規的に処分をできる王なのだとしたら、その王が間違えた時に断罪できる者が居るのかどうか。居ないとしたら、それはもっと恐ろしい事。
 難しい。
 どんなマツリゴトを行おうと、誰かからは「殺してやりたい」という程に憎まれる。
 「正義を行えば、世界の半分を怒らせる」(『紅い眼鏡』)って訳で。
 「正しい事をしたければ、偉くなれ」(『踊る大捜査線』)というのも事実だが、それには強〜い精神力が必要。
 ヘナヘナした心しか持ち合わせない人間は、ただ下から上を見上げて あーだこーだ文句を言ってるだけの方が、気楽。

 …という、シビアーな事を、この作品は考えさせてくれる。
 子供がハガキにキャラクターのイラストを描いて送ってくる番組の内容としては、厳しすぎるような。
『ユーシィ』での王家ぐらいにライトな描き方が、正しく子供向けとは思うけど…これが 見ていて、非常に面白いんだよね。

 鈴と祥瓊という、陽子と同年代で、僅かずつ重なる部分を持ちながら全く違う人生を歩んでいる二人を平行して描いていく事で、ドラマを重層的にし、世界を広げてみせる構成が見事。
 最終的にはみんなシアワセになれるといいなあ。
 完全連続モノなので たまにしか感想は書かないけど、目が離せない凄い作品。


2003年1月21日 火曜日

『キディ・グレイド』14.「Steal/Heart」

 主人公側がプログラムを乗っ取る話は割とよく見る。
セキュリティーの突破にしても、アニメ・マンガそれから映画なんかで、「ペンタゴンのデータベースに侵入した」「FBIの指名手配を書き換えた」っていうセリフを、そこいら場末のお気軽ハッカーが普通に吐いているぐらいだから「簡単」なんだろう、きっと。
 でも、主人公側がハッキングを受けて自分の機体に裏切られ、エライ目に遭うパターンは、そう言えば珍しい。

 出来る事なら、現実的なドンパチの前に、リュミエールとトゥイードゥルディのハッキング・バトルが見たかった所。
…だけども、今回は、「光明の見えないESメンバー同士の戦い」の中で、更に「エクレール達と自機の戦い」という、負けてはならないが勝っても嬉しい事の無いバトルを描き、二人を精神的に一気に追いつめて、逆襲に転じようとする気持ちを視聴者に納得してもらうのが目的だろうから、出来るだけ「息抜き」が無い方が良いのかな。

 うん、今回は なかなか面白かった。
コレで、自機を無事取り戻せた上、前回のように敵対した二人組まで なし崩しに仲間っぽくなってしまった日には、少々先の読めるパターンになってしまい、緊張感が途切れてしまっただろう。
 早くも局長と対決か?という持って行きようも、意外で大変結構。
 ただ、ストレスを強いる内容になってきたため、ボチボチ転換が欲しい所ではあるかな。

 今回は、脚本を『スプリガン』の たかしげ宙 先生が書かれていた。
アニメは初めてでは?
シリーズ前半、構成の縛りが緩い各話バラエティーの展開を見せていた所に入れるべく、好き放題書いて頂いた話を見たかった気が。
 アイキャッチは、同作品作画の皆川亮二 先生。
毎回の事だけど、よく引っ張ってこられるなあ。


2003年1月20日 月曜日

『THE ビッグオー』16.「Day of the Advent」

 病弱で日中、外で遊んだ事がない少女と、パラダイム・シティーに堕ちてきた「天使」。
 意味ありげな対比が上手いし、人々を救うモノではなかった「天使」が、ビッグオーにより破壊された破片(搭載物?)の光によって少女に「救い」をもたらしたような格好になる、両者の絡め方なんか絶妙。

 エンジェルの「正しい峰不二子」的キャラクター、武器を持たない主義を 実力で裏付けるロジャーの機転、何があろうと動じない超然とした執事・ノーマンには『バットマン』のアルフレッドや『ダイターン3』のギャリソン時田を思い起こさせられる。
もちろん、ドロシーは魅力的だし、ビッグオーのアクションにも非常に迫力がある。
 面白い、面白いなあ、このアニメ。
もっと人気が出て良いと思うが。

 ところで、結局 落ちてきたのは何だったのかね?
スペース・コロニーにしては小さすぎるので、何かの衛星?
 大気圏外から落ちてきた物体をパンチ一発で止めてしまうのは、現実にはさすがに無理だと思うけど、パワフルな演出と作画で無理矢理、見ている人間を納得させ、カタルシスに変えてしまった。
いやー、大したもんだ。



『らいむいろ戦奇譚』03.「軍人として、教師として」

 悪くない、けど、取り立てて良くもない。
堅実に作ってあって破綻はないが、ココが面白いから次回も必ず見よう!と思えるような所も無い…ああ、パンツがあるのか(笑)。
 3話目にして早くも、スタンド能力の進化が見られた。
そもそも、この特異な力がまだ物語に馴染んでいないため、別段「強くなった」カタルシスは得られなかったが…連載が始まったばっかりで、悟空がスーパーサイヤ人になったようなものだから。
 うーーーん…キャラクター及びお話が面白くなってくるまでは、何とも。



『オーバーマン キングゲイナー』16.「奮戦、アデット隊」17.「ウソのない世界」

 16話。

 今回メインであるアデットとゲイナーの関係。
パターンとしては、敵であったアデットと同居する事にゲイナーが抵抗を示し、互いに信用できず反発しあい、なし崩しに僅かばかり仲良くなり、何らかの事件を契機として大きな仲違いが生じた後で、初めて今回のような物語を配置するモノ。
 それが実際は、何となく同居してしばらく経っただけ。
感情的な交流も反発も、まだ弱い。
 そんなんじゃ面白かったり感動できたりする訳がない
ある訳ない。
絶対 無理。
 でも、今回、ちょっとホロッと来る程 イイ感じの話に上がっていたのだから不思議。

 制作者側がキャラクターを非常に良く把握して(愛情を持って描いて)いるのだと思う。
だから、画面上では足りてなくても、彼ら彼女らの心の動きが納得できる。
 後はもう、毎回 驚くほど高い脚本・演出・作画のテンションがなせるワザ、かな。
力業、というヤツ。

 アデット。
目立ちたがりの勝手な行動かと思いきや、オーバーマン奪取に異常なまでにこだわっていたのは、自分がそれに乗れれば「ゲイナーだけに戦わせるなんて、情けない事しないで済むんだ!」という気持ちからだった。
 うわ、イイ女だ。
惚れる惚れる。
 「あなたは、ブキッチョで、ガサツで、ワガママで、本当にどうしようもない人だけど、でも、ぼくの家族なんでしょ !?」と、自分を受け容れてくれたゲイナーの言葉への驚きと嬉しさに、思わず無防備な可愛い顔を見せてしまうアデット、萌え。

 アデットの内面を理解しようとせず、彼女が外面に見せる「幻」への好意だけで彼女を自分のモノにしようとするケジナン。
彼の乗るオーバーマンの能力もまた、「幻」。
 この辺、幻を見せて実体を隠すオーバーマン能力が、そのまま「外見と違って、実態は優しく可愛いアデット」に重なっていく構成が実に巧い。

 ケジナンの「卑怯だろうとハッタリだろうと中身が無かろうとなあ、勝ちゃあイイのよ世の中はぁ!」なんてのは、分かり易すぎて笑ってしまう(^ ^)。
 果てしなく作られていく幻を超高速で打ち破って、実体に肉薄していキングゲイナーのパワフルさが素晴らしい!
 本体を見せたオーバーマン・メックスブルートが、部屋の隅にうずくまった情けない格好をしているのにも大笑い。
 戦いの見せ方が、とにかく気持ち良い。
これが、カタルシスというもの。

 でもねー、本当の本当は、少なくても設定段階から制作初期には、アデットは こんな内面を持つキャラじゃなかったんだと思うな。
 『未来少年コナン』のモンスリーのように、『宇宙戦艦ヤマト』の「サムライ」デスラーのように、物語の進行に伴ってキャラが成長していったんだろう。
 その方が、魅力あるキャラクターになったりするんだよね。


 17話。

 心の声を外側に伝えてしまう能力を持ったオーバーマン・プラネッタが登場。
サトリの化け物か、『サトラレ』か。
 本来、この力だけでは お話にし辛いと思うが、エクソダス・キャラバンにガンガランからの難民が大量に乗り込んで来ている この時点で登場させる事により、非常に「活きて」いる。

 そもそも居住スペースにも食糧事情にも余裕があった訳無いのだし、そりゃ不平不満が出るのが普通。
オーバーマン能力を絡める事で、かえってイヤな生々しさが無くなったのは良かったかと。
 その対立を解消した(解消し切れたのかどうかは分からないが、取りあえず最悪の事態を回避できた)のは、これまたオーバーマンの能力による『サトラレ』現象。
広域に渡って伝えられた、ゲイナーが抱くサラへの想いがもたらした「微笑ましさ」「馬鹿馬鹿しさ」
 ああ、なるほどね、と、非常に腑に落ちる お話作りの巧さで、ただただ感心。

 みんなが困惑している中で、互いの想いを上手く伝えられなかったママドゥとリュボフは かえってオーバースキル攻撃に助けられてしまう。
 また、幼いアナ姫に対してムニャムニャな妄想を抱いたヨゴレ野郎は居なかったらしく、彼女は「(心の声が聞こえるから)寂しくなくって楽しいです」と喜んでさえ見せる。
 エクソダスの障害になるモノを排除できないのなら自分自身でさえ放り出されかねない実情を知るゲインや、過去には かなりシビアなモノを抱えているらしいガウリの心を僅かに知ってしまうサラなど、心が知られるプラスとマイナスを織り交ぜてストーリーを組み立てる手腕が素晴らしい。

 あー、オレもアナ姫に耳掃除して欲しいなー。
でも、そうしたら汚れた妄想がポコポコ湧いて出て、その罰に鼓膜 突き破られそうか(笑)。



 ええと、
>J-Macサーバの緊急メンテナンスのため,サービスを停止します。
>再開後は http://j-mac.netjoy.ne.jp/ でのアクセスができなく
>なります。

 …という事ですので、もしかアドレスを変更なされていない方は、ご迷惑をおかけします、
http://j-mac.manga-fan.com/m-pot/
に変更をお願いしますね。


2003年1月19日 日曜日
『.hack//黄昏の腕輪伝説.』02.「カイトの腕輪」

 おおー、妹萌えー(笑)。
「現実にはなかなか会えない状態」であり、「別れる前にも互いに仲は良かった(両親の離婚で引き裂かれる事により、互いを求める気持ちが加速された?)」であろう訳で、それが「現実の姿とはまるで違う、しかも美少年・美少女キャラクターになっている」という条件が重なれば、仲の良い兄妹、よりも進んだ心理状態になってしまって不思議はない。
 他の女の子をパーティーに加える事に抵抗を示し、人狼女性のお色気攻勢から兄を守ろう(独占しよう)とするレナが、実にラブリー。

 腕輪の力を受けたレナが、急に「お兄ちゃん大好き」モード全壊…じゃなくて全開状態になったのは何故だったのかな?
 他のキャラもステータスに異常を起こしていたようなので、現実界からの妹による操作が効かないようになっていた?
「ゲーム」という事で付加された能力・自分が付けたキャラクター性 等がはぎ取られ、素のままの自分が出てしまった、とも考えられる…かな?

 妹萌え以外にも、幼女萌え、ケモノ萌えまで混入。
凰花が「私を飼いたいんだろう〜?」と迫る辺り、なかなかにゾクゾク来るモノが(^ ^)。
商売、上手いねえ。
 実はネカマでした、ってのはリアルだが、ガッカリなんでレギュラーキャラではやらないようにして欲しいなあ。



『ギャラクシーエンジェル』31.「サインはブイヨン」32.「演じるエンジェル潮汁」

 前半。
 肩が触れた程度で、もの凄い弾き飛ばされ方をし、息絶えるミルフィーユ。
…もう今更だけど、「ラッキーの遺伝子」なんかありゃしない(^ ^)。
今回は、何度も死んでは生き返っていたから、そういう意味ではラッキー?死ぬ事自体がアンラッキー?うーむ。
 炎が獣の姿に変わる常軌を逸した必殺サーブを見せ(最終的には生物に「進化」までしていたみたいだけど)、寿命を縮めるワザを発揮する前に携帯で彼氏に電話をする蘭花。
『少林サッカー』じゃねーか!
 きぐるみにより、自らの形態を変え、ネットタッチで崩れ落ちるミント。
 009的「加速しちゃう装置」の酷使により燃え尽きてしまうフォルテ。
 何だか知らないけど立ったまま死んでいるヴァニラ(彼女の供養のため一緒に棺桶に入れられ、「確かに麗しい習慣とも言えますが、この場合は果たして適切な処置であるかというと…」と言いつのるノーマッドがおかしい)。
 勝手に燃え上がる彼女達の闘争本能と、どうも会話が通じていない様子な美女軍団(『ショムニ』?)の対比に大笑い。
このシーズンの新キャラは、男の子2人ではなく、こんな感じの有能高飛車 美女軍団にした方が、使いやすかったのかもね。
 最後に出た盗作とギリギリの挿入歌も それ自体は悪くなかったが、悪ノリ演出の暴走を止めてしまったようで、ちょっと残念。

 後半。
 蘭花の姪が基地にやってくる。
 あー、あーあー、昔のドラマによくあった、「田舎の親に、出世した・恋人が出来たなどウソの手紙を書いてしまい、信じた親が上京してきたので、周囲に必死で頼み込んでウソをホントにしてくれるよう協力を求める」パターンね。
 最初の方の、エンジェル隊メンバーについてメチャメチャな設定を作って手紙に書いてあったらしく、それを信じた姪の言動によりドタバタが…という辺りは、かなり面白かった。
 この辺をもっとエスカレートさせて行けば良かったように思うが、怪盗コンビーフとか、オチ要員として出ただけの男の子へのつまらない評価とかで、悪ノリにストップがかかってしまった印象。
 「投げっぱなし」がこのアニメの身上なんだから、何かしらのオチ、しかも比較的ほのぼのしたようなオチを付けようとする必要は無かったんじゃないかなあ。



『仮面ライダー龍騎』最終話.

 うーむむむ、こんな終わらせ方かあ…
いい加減な、とも、無理矢理な、とも、優しいとも言える終わり方。
 井上 敏樹がメインだったら、多分こうはならなかっただろう。
小林 靖子らしい…『タイムレンジャー』もこんな雰囲気あったし…ラスト。

 これまで、さんざ悲惨な展開を見せてきたのだから、最後の最後に「無かった事」にする必然性は無いと思うんだけど。
 ライダーは全員死亡、でも、最後まで生き残ったナイトの願いにより真司が生き返り、命を移されて再生された優衣と共に、死んだライダー達の分まで価値のある人生を送っていこうと誓う…くらいでも良かったのではないかと。

 表面を見ると「無理なハッピーエンドだなあ」と思えるが、よく考えると、どうしても叶えたい願いがあるライダーだって居た訳で、それを超常的に実現する可能性がゼロになったまま、彼らは残りの人生を送っていかなければならない、という意味ではアンハッピーとも言える。
 何にせよ、良かった良かった…だけでは済まない話かあ。

 シリーズを見終わって。
 いやあ、大変に面白かった!
こんなに夢中になって見た作品も珍しい。

 最後まで、明かされなかった不明点とか、きちんと機能しなかった伏線とかが多かったと思う。
実際、設定されたライダー全員はテレビ画面に登場すらしなかった訳だし(どこかで病死したり交通事故にあったり、ひっそり朝倉に倒されたりしていたのか?)。
 大学教授ライダーの役者さんのインタビューにあった、「予定されていたよりも登場回数が伸びた」という言葉、この辺が原因なんじゃないかと思う。

 この作品には、かっちりしたシリーズ構成は無かった。
いや、最初は作ってあったのかも知れないが、実際にはそれに従って作られてはいないだろう。
 ちょっと懐かしい言葉で言うと、「ライブ感覚」で作られたのではないだろうか。
 出したキャラクターに思い入れてしまい、つい描写が長くなり、全体のバランスを崩す。
漫画家なんかが非常に良く言う「キャラが勝手に動き出した」という感じで、コントロールが効かなくなってしまったんじゃないかと。

 巧くすれば、こうなると、キャラクターが驚く程に面白くなる(力の足りない制作者がこうなった場合、最悪の自己満足状態に陥る事もある両刃の剣だけど)。
 マンガなら、それで人気さえ出れば連載を伸ばしてもらう事も出来るが、枠の決まったテレビシリーズではそうもいかない。
それが、不幸と言えば不幸。

 ただ、この作品の最大の魅力は、強烈な個性を持つ個々のキャラクターにこそ あったと思う。
 そのキャラクター描写を削って、カードとは何か、ライダーとは何かを語り、優衣の能力に納得できる説明を加えても、それで今より面白くなったのかというと…そうは思えないなあ。
 欠点(不足な点)を埋めていくのも大事な事だけど、イキオイに乗って長所をどこまでも伸ばす事だって大事。

 力のあるライター2人のアドリブ気味なセッションと、熱演する役者陣、脂の乗ったスタッフによって、奇跡的に(もちろん実力の裏付けが合っての事だけど、こんなにまで巧く行くのは「奇跡的」)出来上がった面白い作品。
 『クウガ』『アギト』に続いて、『仮面ライダー』サーガは、また一つ大きな財産を手に入れた。
これもまた、長く語り継がれる、「自分のベストワン特撮モノはコレ!」と言う人も多く出る作品になるだろう。

 今はただただ、イイ物を見せて頂いて ありがとうございました!と思うばかり。


2003年1月18日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED』16.「燃える砂塵」

 ランバ・ラル登場…?
 戦闘がメインであり、主人公も一応は能動的に動いた、という事で、見易くはあった。
そりゃ、疑問も不満もあるけども。
 前回の出来が酷過ぎただけに、印象としては余計、良かったように感じられる。

 ただ…
その、能動的行動の動機付けになっていると想像されるのが、フレイと○○○…という関係になった事だろうと想像されるのが何とも(テレ東なら監督のクビが飛ばされかねない描写だったなあ)。
 「正しい」ドラマとしては、主人公の初めて、と言っても構わないような獅子奮迅の戦闘が、一人の少女の歪んだ目的意識に支配されての事、ってのはどうかなー。
『リヴァイアス』的に、ドラマ自体が「歪んだ」方向を目指していくのであれば、問題ないけども。

 どのキャラもみんな影が薄いもんで、タダ一人 強烈な個性を発揮しているフレイがすっかり物語を支配して、「喰って」しまった。
 そりゃ「何一つ面白い所がない」よりは遙かに良いけども、フレイの魅力は主にマイナス方向に発揮されているモノなので、そういう彼女が一番目立つ位置に居続ける事により、視聴を継続するのをウザったく感じる人たちが出てくるかも知れないと思うが。
フレイのマイナスにカウンターを当てる、プラス(陽)のキャラクター性を持ったヤツが居ない事もあって、更に。

 第二話以来…じゃないかな?
キラがプログラムを書き換える姿を見せたのは。
 戦闘中にチョチョイと書き換えるのが可能なら、これまでさんざ苦戦させられてきた他ガンダムのデータを入力して、行動特性とか回避パターンを先読みした攻撃プログラムを組んでいれば、もっと有効に戦えたのでは?とか思ってはしまうが。

 ともかく、このぐらいのレベルは保ってくれるように願う。


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