ときどき日記 03/02(前)

2003年2月15日 土曜日

『ガンパレード・マーチ』02.「勝手にしやがれ/Going My Way」

 戦闘がメインだった第1話目とは逆に、学園ドラマのみで展開された第2話。
 全体に丁寧な作りで、悪くない。

 戦時下での学園生活、という所にこの作品ならではのテイストがある訳で、物資の窮乏とか、他の部隊の全滅を知らされるとか、ノンビリしている中にも緊張感のようなモノがあると良かったかなあ。

 今回の内容は、転校生である芝村 舞の視点で語られた。
 彼女自身が常識人とは言えない存在なので何だけど…
せっかく、前知識が無い視聴者と同じ視点で世界を眺められる転校生を出したんだから、もっとこう、学校の状態やクラスメート達の行動に的確なリアクションを返す事で、特異な世界を より際立たせて欲しかった。
 プレハブの校舎はこの世界では「普通・貧乏くさい・比較的優遇されている」。
 悲壮感のない生徒達の姿は「普通・異常・死を恐れぬ様子が尊敬に値する」。
 どれなのか?
舞のリアクションがあれば、世界をもっとリアルに感じさせられたのでは、と思い、惜しい。

 ゲームをプレイした人間はともかく、登場キャラの名前も顔も知らない視聴者にとっては、絞り込むことなく全員 割と均等に描いてしまった今回の作りは、若干不親切かも。
舞の気持ちが分かり辛い事もあり、誰と同調して作品を見れば良いのか混乱してしまう可能性があるので。
 やはり、舞と、取りあえず主人公であろう速水、この二人が互いに強い関心を抱き合う事を中心に据え、その関係に対し「舞を奪い取ろうとする・速水に近づく舞にヤキモチを焼く・誉める・貶す・友達になろうとする・うっとおしがる・マイペースで無関心」等々の行動を示す事で周辺のキャラを立てていった方が、分かり易かったのでは(この後は、恐らくこうなっていくんだろうけど)。
 最初から群像劇にしてしまうと、取っつき難いからなあ。


2003年2月13日 木曜日

『キディ・グレイド』17.「Look/Back」

 最初の方、何が何だか分からず混乱してしまった。
冒頭、「死にたい」とエクレールが嘆いている所が現在で、その後、のどかな日々は全て回想シーンな訳か(最初から全部回想なのでは?というご意見を頂きました。うわ、また読み違い)。

 今居る何度目かのエクレールは、記憶喪失の状態から始まっているらしい事を含み、色々と分かった事もあるけど…
 今、視聴者が最も興味を持っているのは「本部崩壊の後、エクレール・リュミエールの二人はどうなったのか、そしてこれからどうするつもりなのか」なのであって、それと直接結びつかない昔話を見せられても「?」という感想しか持てない。

 確かに、展開をお預けにする事で より興味をそそる方法はある。
ただ、それには「それはともかく」で語られるストーリーもまた面白いモノである事が条件。
 もっと先の方まで見ていけば意味を持ってくるんだろうけど、今回だけを見た場合、「何で今、こんな話を?」と思われかねない内容にしてしまったのは、危険な判断では。
 鬱な展開が続いており、主人公達が逆転勝利する事への期待を頼りにストレスを感じる視聴を続けている客に対して、この気持ちの逸らせ方は有効かどうか?

 まあ、やたら頬を赤らめる二人組の表情、しばらく聞いていなかった「ぢゃっぢゃ〜ん」というエクレールの決めゼリフ(?)にシャワーシーンのサービスと、息抜きとしてはそれなりに機能した話なのかも知れないが。



『出撃!マシンロボレスキュー』06.「緊急!大隊出場」

 行方不明の猫を探すのに、子供達が全員出動した上、マシンロボ達まで駆り出されるコミカルな話。

 メインに据えられたメガネっ子・水前寺小百合の「イイ子」なキャラクターの掘り下げは勿論、大きな事件にしなかったため他の子供達まで生き生きと動かす時間が取れており、大変に面白く見られた。
 お約束で現れた敵ロボットをみんなで「邪魔者」「障害物」扱いにしてしまうのは、スポンサーへの挑戦か(笑)?

 きちんと作ってあって、面白いなあ、コレ。


2003年2月12日 水曜日

 うー…まだ仕事が終わらない。
というか、これから佳境。


 大手商社・日商岩井のボーナスが0円、年収も20%前後カットになりそう、という事。
…こんな状況下では、雑誌も単行本も売れる訳ないなあ。
 コミックZIP休刊、とても残念。


 『千と千尋』が本家アカデミー賞の候補に挙がった、という事で、ワイドショーなんかでは内容の一部が流されていたけど…
 その画面が赤くないのは、何故?
 米劇場公開版であり、まだDVD用に調整をしていないモノだから?
 でもねえ、テレビ局側で色調補正を施してでも、きちんと赤い色にして放送すべきだよね。
それがジブリの意図する色なんだから。
 向こうで発売するDVDも、日本と同じ色合いにして出す気なのかどうか。


2003年2月9日 日曜日

『明日のナージャ』02.「怪盗黒バラの夜」

 ずっと暮らしてきた孤児院を離れる辛さとか、旅芸人一座に入ろうという事への躊躇(別に下賤だからとかでなくて)とか、怪盗を目の当たりにした衝撃とかいう、かなり重要であろう部分が段取りっぽく省略され気味なもので、少々味わいに欠けてしまった第2話。
 旅立つシチュエイションに早く持っていきたいんだろうけど、ここを焦ると、後々祟ってしまいそう。

 今回の見せ場であったろう、ナージャが披露する踊りの場面がショボい。
恐らくは実際に誰かが踊って見せたものを参考に、あるいはトレースする形で描いたモノと思うが、足の動きが床に合ってなくてフラフラ浮かんでいるように見えるし、全身を見せるために非常に客観的な引きの画面が多くなっていて、アニメとしてのハッタリや派手さに欠ける。
 オモチャのバトンを売るために、「子供がマネしたくなる楽しい(加えて、割に簡単な)踊り」を主役に披露させなければならなかったのかも知れないが…
これじゃ、逆効果じゃないかなあ。

 関係ないけど、「明日のナージャ」って題字のデザインは誰がやってるのかね?
オレが書く字のようにえらくヘナヘナなんだけど(笑)、あれは故意に?
 今後、様々に展開される商品パッケージ等にも使われていくデザインだろうに、あんなんで大丈夫なのだろうか。



『機動戦士ガンダムSEED』19.「宿敵の牙」

 アークエンジェルがいつ襲撃されるか分からない状態下で、主戦力であるキラを、有効かどうかも分からない生身でのボディーガード役として(結果としては超絶に有能である事が証明されたが)外出させるか?
それはまあ、「主役だから」って事だろうが。

 制作者は、砂漠の虎を有能に描きたいのか無能に描きたいのか。
 遊び人風の格好でフラフラ外出している様子は、『パトレイバー』、シャフトのスーダラ課長・内海を彷彿とさせた。
が、内海が内に秘めていたような危険さ、次に何をし始めるか分からない事から生じる期待感、なんかは全然感じ取れない。
 今回、敵のパイロットであるキラを、一度は手中にしながら解放してしまう。
内海が虎の立場なら、どうしたかなあ。
自身に寄る所が大きい失策で部下の命を喪っているので、その加害者を前にしては「まあいいや」と放免はさすがに出来ないだろう。
かといって、「部下の仇だ、殺してやる!」と叫んでしまってはキャラクターが台無しになってしまうし。
 次に戦ったら確実に勝てるような方策を立てていたなら、戦場でこそ勝利するべく帰す可能性もアリか。
 いや、内海みたいなキャラにする意図があれば、そもそも物語として「彼の責任が含まれる形で部下を喪うような失敗は絶対にさせない」だろうな。
部下が死ぬなら、それは部下自身の勝手な行動が原因でなくては。
内海はあくまで必死にならない、なる必要がないポジションに置き続けないと。

 ファースト『ガンダム』でも、アムロとランバ・ラルが町中で顔を合わせ、ラルはアムロを解放してくれるが…
それは、ハモンがアムロを気に入っていたからであり、後をつけさせてホワイトベースの場所を突き止めようという策略があったからでもあり、何よりも、目の前の少年が部下の命を奪ったガンダムのパイロットだとは思いも寄らなかったから、だろう。
 正体を知っていたら…殺していたかも。
そうでなくても、拘束して情報を聞き出し、ホワイトベースを撃破するまでは戦線に復帰させないぐらいの事は絶対にしたはず。
自分の趣味嗜好のため部下の命を危険に晒すようでは、尊敬される上官には決してなれないから。

 虎を、「部下から嫌われている役立たず司令官」というキャラクターに描こうという意図があるなら今のままで構わないけど、そうでないなら、描き方をもっと考えた方が良かったかと。

 今回の話は「キラに、敵兵(敵将)の顔を見させておきたい」という狙いだったのかな?
でも、ファーストと違って親友アスランが敵側にいる時点で それは無意味、という気がしないでもないが。
 見せるだけなら、ファーストから引いてくるとすると、ぬかるみにはまったアムロの車をシャア・ララアが助けてくれる、ああいう一瞬の邂逅だけでも良かったんじゃなかろうか。



 昨日は、20回目の(…虚しいウソ)ばーすでーでした。
でも、そんな事は何の関係もなく悲惨なスケジュールでのお仕事が継続中
 アチコチから怒られて凹みっぱなし(;´д⊂)
全て自分が悪いのですけども。


2003年2月8日 土曜日

『魔法遣いに大切なこと』05.「エプロンとシャンパン」

 見返して気が付いた。
今回登場した幼女の父親って、死んでないんだね。
 てっきり、父親と自分を結ぶ思い出の落語だから止めたくないんだろう、と思い込んでいたみたい。
 …でも、その方がスッキリ見られるような気もするけど。
物語として、父親を生かしておく意味は無いし。
思い出、以外の父親の存在はまるっきりスポイルされている話でもあるし。
 母一人子一人、パートで働きながら子供の面倒も見て…という生活にすれば、一杯一杯になっている母親の心情も伝わりやすい。

 今回のお話は、分かり易い「ちょっといい話」系で、それは確かに、特に「スレていない視聴者」には有効。
 …というか これまでの話も全て「ちょっといい話」だったんだと思うが、魔法の使い方などが災いして「無茶な話」という印象しか残していないので。

 「魔法遣いに大切なこと」は、順当な所では「安易に魔法を遣わないこと」であり、「奇跡の力、魔法で出来ること・出来ないことを知ること」だろう。
だから、魔法で今回の事件(家出)は解決しない、と判断したのは正しいんだけど、これまでの積み重ねが…
 魔法で勝手に人の足を治したり、という行動を善い事と、主人公も、制作者自身も感じているように思えたからなあ。
そんな彼女が突然に正論を吐いても、戸惑うばかり。

 コレまでの流れからすると、「疑問も感じずに魔法で母娘を会わせてしまう」かと。
あるいはもっとすっ飛んで、「娘を寄席の舞台に、母親を客席に瞬間移動させ、落語を一席演じさせて芸を認めさせる」とか(笑)。
 この作品だと、上記解決法でも何となく上手く行かせてしまいそうで怖いけど…
常識的には、遣われた魔法そのものでは母娘の抱える問題は解決しない。
それを知ったユメが自分の力の限界を理解して、ワンステップ成長する、そういう話にした方が自然だろう。

 う〜ん、一人で脚本を書いているシリーズにしては、キャラクターが今どこまで到達したか、どこまでまだバカか、という大事な事を認識出来ていないような。

 あと、仕事中に勝手に酒 開けて、お姉ちゃんと今回出た母親が乾杯しているシーンは意味不明。
いや、意味としては、もしかしたらこの「オトナに与えられるご褒美」という概念を描きたくてスタートした話なのかも知れない、とさえ思うけども、とにかく唐突で物語に織り込む事が上手くできていないから。
 例えば、「善人を殺した事で、皆から褒め称えられる悪人」って結果を描き出したいとすると、これを納得してもらうには物語やキャラクターをどう持ってくれば良いか、とアレコレ頭を捻るのが作家というモノで。
 ただポンと、イキナリ魔法の限界を知っている主人公や、職場で乾杯、といった まだ思いつき段階のものをお話の途中に置いていくだけでは…


2003年2月6日 木曜日

『ガンパレード・マーチ』01.「プレイバック/The Visitor」

 根強い人気を持つプレイステーションの同名ゲームを原作とするアニメ。
 オレも、一応は遊んでみた事がある。

 アニメ。
 第1話は、戦闘がメイン。
作画はなかなかに良好だったが…
 とにかく第1話では、「この作品はこれからこういう方向で面白くなります」という事をきっちり提示するのが先決。
ロボットによる戦いが一番の魅力、と思ってもらって良いのかどうか。
 ゲームでは、個人的に戦闘シミュレーション部分には感心しなかったもんで、なおの事 疑問。
 そのために、キャラクターに魅力を発揮させるべきシーンがかなり犠牲にされているのも、どうだろうか?

 アニメでの戦闘。
 画面が薄暗くて何をしているのか分かり辛い。
 突然、爆撃機が味方のヘリに銃撃され、撃墜される所。
恐らくは幻獣にヘリが乗っ取られて…という事なんだろうと想像は出来るけど、初見の客にコレで分かってもらおうというのは無理すぎ。
 ゲームをやっていても、幼い少年少女が起動させる、凄い破壊力を持った爆弾は何なのか分からなかった。
 芝村が登場し、危機一髪の速水達を救うシーン。
機体の見分けが付かない事もあり、何が何だか。
これじゃ「うつけもの!」というセリフも生きてこないや。

 ゲームファンにとっては、馴染みのキャラクターが喋って動き、プレハブ校舎が出てくるだけでも嬉しいポイントなんだろうけど、もっとこう、予備知識を持たない視聴者も引き込む魅力のある第1話であって欲しかったなあ。
戦闘メインにするのなら、このアニメならではの特色ある戦いぶりが見たかった所。
 ゲームと同じように速水の転入から始め、一見ごく普通の学園ドラマのように見せながら、それにそぐわない違和感(緊張感)のあるセリフ・状況を混ぜ込んでいき、緊急の出撃が決定する辺りまでを第1話としても良かったかと。

 でもまあ、別に悪い・酷いという出来じゃない。
次週も見る事に、裏番組として『.hack//黄昏の腕輪伝説』『松本紳助』が重なっている事を除き(くわー)、ストレスは全く感じないし。
 主人公達が生まれるずっと前から戦争が続いており、それもほとんどが負け戦で、人類絶滅の最終局面に向け、死人が出る事など日常的な風景になってしまっている世界。
この、想像も付かない世界の「空気感」を上手く出せれば…上手く誤魔化して客を納得させられれば(笑)、「戦争から帰って来ると、ほのぼの学園ドラマをやっている」強烈なミスマッチの魅力が出せそうに思うんだけど。
言うのは簡単でも、実際作るのは至難のワザか。
 ここから どう展開させて行くかにかかってる。


2003年2月5日 水曜日

『ストラトス・フォー』05.「GO AROUND」

 色々と「謎」な事が起こってきた。
 地球に落ちてきている隕石の正体とは?
 査問会での質問が、何かを言わせたい風だったのは?
組織全体の機構的問題ではなく、個人またはせいぜい島の人間達までの薬物使用などによる失敗だった、という事にしたいのか?
単なる隕石の動き方ではなかったため撃墜に失敗した、という事実を無かった事にしたいのかな?とも思える。

 前回、美風が見せた「常識的には正しくない行動」が、査問委員達の腹黒さが覗ける強力な「非常識さ」により、すっかり薄められてしまった。
彼女、僅かなミスが大きな被害を生み出してしまう迎撃要員としては難のある行動を何度も見せているので、ここでは「正論」によって徹底的に叩きのめされ、職を辞する寸前までいった所から立ち直る、ぐらいにした方が良かったような。
 宇宙要員・コメットブラスターの傲岸不遜な言動・行動も、会場に乱入してきた整備班長の姿でかなり薄められてしまったし。
 この方が確かに見ている間の心理的負担は少なくて済むのだが、腹の底の方には釈然としない、消化不良なモノが残ってしまって…

 いや、面白いんで、文句言う事はないだけどね。



『仮面ライダー555』02.

 「悪の組織」が存在してるのかあ。
今のところ切り口が戦隊シリーズ等の、首領が居て幹部が居て…というのとはかなり違っている事もあり、印象は別物だけど、うーん、この微妙な描き方を最後まで通せるのかどうか。
 企業としての悪の在り方を追っていくのかな?
『メタルダー』のネロス帝国みたいに( ^_^ )…あれは「企業」としての存在感よりも、組織内の人間(?)関係が面白かった訳だが。

 主人公側にイマイチ感情移入が出来ないのは、オッケー?
周囲に感心がない男、という事で、「自分は何に変わっているのか」とか「襲ってくる怪生物たちは何者か」とかに疑問を抱かない(表明しない)ため、基本的設定に全然説明が入れられない。
ヒネくれた脚本だなあ(笑)。
 そのヒネ方は、2話までだと必ずしもプラス方向に働いておらず、分かり辛い、物語に入り辛い、というマイナスの力も発生させているように思える。
 少しぐらい入り辛くても、平成『仮面ライダー』ブランドへの信用で見続けてくれれば すぐに面白くなってくるからね、という事?
 う〜〜ん、前作とかの正当な続編でない以上、毎回ゼロから始めるぐらいの気持ちで居た方が良いような…

 キックの時などに辿るプロセスが うざったい。
これからは簡略化もされるだろうし、そのうち格好良く思えてくる…のかな?
 まあ、強烈だったライダーの顔も既に見慣れたのだから、人間 何にでも慣れられるか。



 衛星で『機動新世紀ガンダムX』が始まったので、見る。

 かなり忘れていたんだけど、冒頭はまるっきりファースト『ガンダム』そのままだったんだなあ。
独立戦争とか、コロニー落としとか、どうもジオングくさいモビルスーツさえ画面に見える(笑)。

 で。
1、2話は割に面白いんじゃないかと思う。
 1話冒頭から、ナレーションで世界の基本設定を延々と語ったりという「ありゃりゃ」な部分も散見されるけど。
 2話までかけて、アクティブであり生命感に溢れた主人公のキャラを立て、主役メカ・ガンダムXの強さを理解させていく、ロボット物としては非常に正しいと思える構成には感心。
特にキャラクターについては、ガロードとティファ以外は完全に「背景」扱いで、「今はまだ見分けて頂く必要もありません」というのが分かり易く、視聴者への負担が少ない。
 …こういうのは『SEED』にも見習って欲しい所だったなあ。

 『ガンダムX』、残念ながら物語は進んで行くに従ってグダグダになって行き、打ち切りの憂き目を見たとはいえラストの酷さには目を覆った覚えが。
 でもま、せっかくだから出来るだけ全部見直してみるかな。



 うあー、やってもやっても、お仕事に終わりが見えない…


2003年2月3日 月曜日

『明日のナージャ』01.「ナージャ、運命の扉 !!」

 男の子に勝るスピードで木を登っていくナージャの姿と、競り負けた男の子の「やっぱりナージャには敵わねえや!」という言葉で、お転婆…は死語か?…ナチュラルにアクティブな性格である主人公をまず紹介。
 次に、彼女達が暮らしている場所が孤児院であり、もうじきにナージャは13歳になり、そうすると院を出て行く事になっているらしい背景事情を説明。
 そして、今回 後半で事件のキーになるアイテムである胸のブローチをさりげなく見せ、ナージャがそれを大事そうに抱え込む動きを見せる事で視聴者に印象づける。
 主人公が、活発な女の子であるばかりではなく、十分に可愛い・美しい姿をしている事を絵として「輝き」を加える事で強調して見せ、更に親切には、彼女の姿を見て頬を赤らめる男の子達により、この作品世界の価値観においても彼女は美人の範疇に入るのだという事を(2人の男の子が寄せるナージャへの気持ちも込みで)理解してもらう。

 シリーズ開幕となる第1話の冒頭として、お手本になるぐらいに巧みな構成。
さすがにベテランの脚本・金春智子と、演出・五十嵐卓哉は上手いなあ、と唸らされるばかり。

 もう少し孤児院の内部…暮らしぶりとか、他の子供達との関係とか、をゆっくり描いても構わないような気がするが、上記紹介が終わった時点で早くもナージャ宛に届けられたトランクが登場。
中身は、彼女の母親が着ていたものだというドレスと日記帳。
 更に急激な展開として、彼女の母親は亡くなっている訳ではないと、存命の事実が告げられる。
…この辺はちょっと早すぎて、「孤児じゃなかったんだ!」と驚くナージャほどには視聴者は驚けない。

 そして、どう見ても今後 深く彼女と関わっていく旅芸人の一座が登場。
 ババアが意味ありげに占いを語り、主人公を見張る不審な男達を画面に出して、前半が終わる。

 後半はもっと怒濤の展開で、男達の孤児院への侵入、火災の発生、消火活動に協力する旅芸人達、大事なトランクを回収すべく炎の中に飛び込んでいくナージャ、危機一髪 脱出した彼女を狙う男達、ブローチの中から現れる指輪、為す術もなく指輪を奪われていくのかと見えた時どこからともなく現れる「王子様」。
 めまぐるしく物語が動いていくため、全く飽きることなく見ていられる利点はあるが…
余りにも内容を詰め込み過ぎで、もっと余裕があれば凄く面白く出来そうなのに、惜しいなあとか勿体ないなあとか思ってしまった。
 ちょっと前の少女アニメの3話分ぐらいを、1話にギュッと濃縮した感じ。

 始まる前は、『キャンディキャンディ』みたいな内容なのかと思っていたが、次回 謎の怪盗なんかが出てくるみたいだし、なかなか、読めない。
 指輪に隠された謎の真相をどのぐらいなモノにするかで、リアルな話にもファンタジー寄りにも出来そう。
 取りあえず、次回を楽しみに待てる出来。



『機動戦士ガンダムSEED』18.「ペイバック」

 前回の対応を引いて、キラを、「傲慢な嫌われ者」にするつもりなのか「どうしてあんな事をしてしまったのかという内省モード」に入らせるつもりなのか、という興味で見たが…
 今回メインに描かれたのはゲリラ達であり、キラ、フレイ、そしてサイの心情にはほとんど触れられなかった。
一回肩すかしをする、というやり方も無いではないが、ここは間を空けずに3人の関係を詰めていった方がイロイロな意味で面白くなったと思うな。
やっぱり、シリーズ構成が有効に機能しているのかどうか疑問。

 町を焼かれたゲリラ達の怒り、無謀な復讐戦と無惨な戦況、ヒーロー然として救助に現れるストライク、といった流れは自然で、話の筋としてはおかしくないけど…
 ちょっと周辺に目を向けると、どうして砂漠の虎はゲリラの本拠を知っているのなら今までに こうしようとしなかったか、とか、町への襲撃で弾薬等かなり消耗していたであろうに(見る限り関係ない風ではあったが)どうして追撃に備えてさっさと帰投する もしくは伏兵を配するなど対応策を取らなかったのか、とか、キラのハイパーモードは 絵的には格好いいんだけど 現在彼が感情移入の対象になっていないので その活躍を素直に見られない、とかアレコレある。

 三角関係のドロドロには、次回スポットが当てられるようだから、それ待ちかな。



 スペースシャトル爆発。
いい加減なチェックで飛ばしていた訳ではないと思うのに…何とかして事故を防げなかったものか、と残念で残念で。

 宇宙開発に命をかけた人達に、黙祷。


2003年2月1日 土曜日

『魔法遣いに大切なこと』04.「夏の夜と魔法遣い」

 あー、うーんうーん、この作品に何か言うと、原作者でありアニメの脚本家でもある女性の考え方とか人生観にケチを付ける事になってしまいそうだから(他の作品を語る時でも ある程度はそういう部分がある物だが、この作品の場合、作劇技術の巧拙より何より、「作者のその考え方はどうだろう?」という所への疑問が大きいので)、もうイイや。

 でも、ちょっとだけ(笑)。
客観的に作品を見られる人…漫画版なら編集者、が、「劇中でどれだけキャラクターが納得しても、世間的常識に合わない事なら読者は納得してくれない」、ってえ至極 当たり前の事を指摘するべきじゃなかったかと思うけども。

 BSの番組に監督が出た際、アニメ制作開始前に、「この世界では3階から人が落ちたら死ぬのかどうか」をまず尋ね(「死ぬ」との事)、それを世界観作りの基本にした、という考え方を述べており、非常に面白いと思った。
 ただ…残念なのは、リアル方面に振れる作品世界を描くアプローチとして、「背景がロケハンに基づいておりウソがない」という所は見て取れたが、「物語やキャラクターをリアルに感じ取ってもらえるよう努力する」方面には向いていない気がすること。
 それから、この「死ぬ」という答えを出したのは、原作者ではない、らしいこと。
というか、そういうやりとりがあった事さえ知らなかったようで…原作者であり脚本家なのに??



『L/R』04.「慟哭の銃弾/Tear drop」

 「格好いいアニメにしたい!」という制作者の意気込みだけが壮絶に先走りして、中身がビックリする程ついて来ていない作品。

 狙撃された人間が涙を流す、という銃弾の設定の意味は?
 プロの殺し屋だと分かっている男(顔が割れているのに変装もせず、オマケに娘連れ)が入国したのだから、何とでも理屈を付けて拘留すれば暗殺は防げるのでは。
 間近に仕事を控えているというのに、幼い娘に屋外での自由行動を許しているプロ意識のカケラもない殺し屋 萎え。
 密かに潜入して行動しているのだろうに、わざわざ相手の正面に立ち、タバコの仕込み針を使って敵を倒す 回りくどい主人公の行動。
 生業として暗殺を繰り返している男を、「捕まえるのは自分たちの仕事じゃないから」と、反省心の有無も確認せず無罪放免してしまう主人公達の、まず人としてどうよ?なラスト。

 うん、困ったもんだ(笑)。
 古くは『0011ナポレオン・ソロ』、日本なら『あぶない刑事』のようなバディ(仲間、というか)物で、アニメでは『ルパン三世』とか『カウボーイ・ビバップ』のような「粋」な作品にしたいんだろうけど、今の作劇能力じゃ無理無理無理。
 しかし…
こうも「意あって力足らず」が極端だと、かえって微笑ましいというか可愛らしいというか。
作画と演出の一部が頑張っている事もあって、何だか今のところ嫌いになれない( ^_^ )。

 もうちょっと、主人公2人に魅力が出てくると、ずっと面白くなると思うんだけど…
でもなあ、この監督のアニメ『WILD ARMS』なんかだと、「あと一歩踏み込めば面白くなりそう」という段階のままで最終回まで行ってしまったような記憶が…



『THE ビッグオー』18.「The Greatest Villain」

 またまたベックの登場で、ネゴシエイター・ロジャーが誘拐されてしまうという番外編的な内容。
と言うか、これまでシリーズを見てきた人間に対する「ご褒美」みたいな羽目を外しきった大バカ話で、全編大笑い。
いやぁ、最高だ!

 猛スピードで自転車をこいで行くドロシーの勇姿には、笑った後、人間離れした「人間らしさ」を感じてしまった。
 ロジャーを取り戻そうと自らネゴシエイター役を演じるドロシー。
その全くのポーカーフェイスは、ロジャーよりもずっとネゴシエイター向きカモね( ^_^ )。
 「悪人にまんまと捕らわれてしまったのでしょう?私の愛する人が」とロジャーに語りかけるドロシーは、「冗談よ、雰囲気を和ませるための」と続けるが、相変わらずの無表情からは本心を伺い知る事が出来ない。

 電磁石に引きつけられ宙を舞うドロシーを必死で追うロジャー、策士 策にはまるベックの苦悶劇、やられメカのクセに無駄に凝っている3体合体ベックロボ(格好イイ!)、などなど、こんな話でも(こんな話だからこそ)手を抜いていない非常に高品質な演出と作画が面白さを倍加する。
 シリーズとして謎を追う話も大事なんだろうけど、真面目な顔をしてアホな事をする、こういう回もタマにはあって欲しい。

 今回 舞台となった日本人街に溢れる偏った日本イメージは、海外で人気が出て続編制作となった事に応えるサービスかな?
しかし、「日本人が作ったアニメでこういう描き方をされていたのだから、コレが正しいのだ」と思われては困るような気も…まあ、いいかあ(笑)。


ときどき日記・目次へ

03/01月後半の日記を読む