ときどき日記 03/03(後)

2003年3月31日 月曜日

『ギャラクシーエンジェル』51.「Final dish REBECCA」

 うーん、シリアスで30分通したのは良いとしても、割とアリガチな物語・謎の解明になってしまったのは残念。
 馬鹿ばっかりやってきた「投げっ放し」シリーズの締めとして大真面目な話を持ってくるのは確かに「手」だが、今期は途中、各キャラに絡んだシリアス気味のエピソードを何本か挟んでおり、ギャップを活かす結果にもなっていないような。

 レベッカの実体に迫っていくドラマで「タメ」が出来ていたのだから、ラスト10分間程度で突然ギャグ方向にすっ飛んでいかせ意外性の「解放」を設けるやり方もあったのでは。
それは、そんなバカな〜というレベッカの正体でもイイし、「レベッカなどという人間はそもそも存在していない」という押井 守的物語を広げて「じゃあエンジェル隊なる非常識な組織は本当に存在したのか?」まで加速するとか、物語はいつも通り投げ出して 以前やった崖からぶら下がるような展開で無責任に終わるのもアリだったと思う。
 きちんと物語をして、責任持って結末を付けた事で、かえって文句を言われるってのも因果な話か。

 「…to be continued」だったけれど、とにかくこの作品のギャグは破壊的であり、キャラや設定は壊し終わって、今期ではついに物語構造まで破壊してしまったため…
確かに続きをもっと見せて欲しいという気持ちはあるんだけど、この後、同じ世界で、笑えるレベルのギャグを展開させるのは、不可能ではないだろうが至難のワザだろうな、とも思うので、微妙。



『満月をさがして』52.「満月をさがして」

 最初で最後の大きなコンサートを終え、伝説のカーテンの向こうへ去っていくフルムーン。
 シリーズを通して描いてきた事にきちんと結末を付けるべく、出来る限りの事は全てやっており、盛り上げ方も納得のいくモノになっていたと思う。

 タクトを生き返らせる必要があったのかどうか…英知を亡くしてしまった満月への「希望」という位置づけなんだろうけど。
 タクト×満月よりも、×健気な めろこの方に気持ちを入れて見ていたため、めろこと二人で天使のコンビを組んで今後とも頑張る、という終わり方をしてくれた方が個人的には嬉しかったなあ。

 しかし、死んだ、とは言われていたモノの、何らかの形(死神になって・天使になって・思わぬ人間にその姿を変えて)で英知はドラマに絡んでくると予想していたのだが、結局それは無し。
意外。
 まだ連載が続いているのであろう原作漫画では、もしかしたらこの先 姿を現す可能性もあるのかな?
 死を知らされ、気力を全て失ってしまう満月、という事でドラマ上大きな役割を果たしたイベントではあるが…「死神」が普通に存在する世界なんだから、必ずしも死をシビアに永遠の別れとしない手もあったかと。
まあ、これも個人的な好みの話だけど。



『東京ミュウミュウ』52.「地球の未来に、ご奉仕するにゃん!」

 気合いが入った作画のせいもあり、前回はかなり盛り上がったが…最終回は「妥当」という程度の出来。
 元気いっぱいで お馬鹿で真っ直ぐな歩鈴は可愛かったし、キャラクター個々のドラマや、「恋」の気分を伝えてきた いちごと青山の関係など、確かに面白い所もあったけれど、最後まで見終わってみると「『セーラームーン』の縮小再生産」という印象に留まってしまう。


2003年3月30日 日曜日

『.hack//黄昏の腕輪伝説』12.「伝説のはじまり」

 こんなもんかなあ、という終わり方。
別段酷く破綻している訳ではないけども、取り立てて感心する程でもなく。

 番組開始時テーマ(?)にしていた「兄妹による過剰らぶらぶ」が、中盤以降あまり表に出なくなってしまった事が惜しまれる。
 ゲーム世界でのファンタジー物、という設定の物語は昨今さほど珍しくなく、その中で他キャラクター達と織りなすドラマにしても…面白い所はあったモノの全体的に見ると ごく普通な出来。
 唯一、ヒーロー・ヒロインが兄・妹であり、二人の間にあるものが単に兄妹愛ではなく もうちょっと行き過ぎたものであるかのような描き方は、パターンのドラマから はみ出した要素として非常に面白い味を出していたのに。
 まあ、確かに見る人によっては拒否反応さえ出されかねない所ではあるけど(笑)。
作品として、賭けるなら ここだろう。

 現実の世界では会う事も出来ない妹、という辺りはもっと巧く使えたんじゃないだろうか。
 ネット界の事件をきっかけに家族関係が修復される、って展開もアリかなあと思っていたけども…特にナシ。

 とにかく、惜しい。
ぱんつを見せるなど絵的な えっちはNGとされているテレビ東京で、視聴者をドキドキさせるのに、「兄妹なのにイベントでキスを強要されてお互い困っちゃった」という背徳的展開で一発喰らわせてやろう!なんて目論見は、かなり有効だったと思うのだが。
 『シスプリ』も超えられる逸材かと期待したけど、そこまでは行かず(逝かずに幸い?)。



『THE ビッグオー』26.「The Show Must Go On」

 ドリルプレッシャーパンチ(笑)を受け止め、何じゃそりゃあ?の最終兵器を発動させるビッグオーはなかなか格好良かった。
 が、うーん、やっぱりこういうオチかあ。
説明が圧倒的に不足しているし、色々解釈してみても、なるほど!と腑に落ちるような内容ではないし…

 この作品は、キャラクターの面白さと、画面へのこだわりが生み出す独特の雰囲気を魅力としていた訳で、メモリーがどうこういう「謎解き」には、正直さほど興味を持っていなかった
個人の内面に入っての精神世界オチか、映画『ダークシティー』や板橋しゅうほう先生の傑作漫画『アイ・シティ』のように、何者かによって作られた人工空間の中で住人はそれと気付かずに生活させられていた、という風にでも持って行く以外には、比較的合理的な説明を付ける手が無いはずなので。
 「結末」を見せようとしたのが良くなかったのかな。
設定をきちんと作ってある「フリ」をしながら、実のところどうやっても整合性の取れない思わせぶりな描写を積み重ね、謎が解かれていきそうな期待感だけを持たせて最後まで説明はせず、愉快なキャラ描写と迫力あるメカアクションを主眼として貫いてくれれば良かったのに。
 第一期の、盛り上げるだけ盛り上げて放り出した終わり方、ああいうのがこの作品のエンディングとしてはふさわしかったのかも知れない。

 でも、とにかく短気なネゴシエイター・ロジャー、低血圧ロボット少女・ドロシー、これこそ執事の鏡・ノーマンと、心に残るキャラ造形が出来ており、今期 皆苦しめられた作画レベルの致命的な低下も無く、毎度 巨大ロボット・アクションの醍醐味を味合わせてくれたのだから、文句を言う筋合いではないかな。
 十分、面白がらせて頂きました。


2003年3月28日 金曜日

『魔法遣いに大切なこと』12.「魔法遣いに大切なこと」

 タイトルにある「魔法遣いに大切なこと」って、結局「何」だと、この作品は言っているのだろうか?
「心を込めて」遣えば、それで良い、という事?
 それなら、ユメが東京に出てきた当初から普通に思っていた事では?
彼女は、東京での研修を経て、何も変わらなかった?

 ここ数回の鬱展開を見るに、ユメは何かを学び取り、それを魔法を遣う上での「覚悟」として持って物語を終えるんだろうと思っていたが…
 サッカー少年は自分の意志でクラブに戻らなかったのだし、自殺未遂かに見えた婆さんに至っては「不注意の失火」を起こしただけで、どちらもユメの勘違い。
魔法は有用に遣えていたのだ。
 彼女の魔法が無効だったのは、僅かに「ガラスを直したけど、またやられた」という事件においてのみ。
 これじゃ、成長できないだろう。
どうしてこんな話にしたのかなあ?

 例えば…
 サッカー少年は戻らなかったのではなく、戻「れ」なかった事にして、その要因を、「日常的な生活や趣味の範疇での運動はともかく、激しいサッカーの試合に耐えられる程には足が治されていなかった」という所に求める。
追加して魔法をかけようとするユメに、少年は、
「どこまでならやってもらえるんだ?元通りの足にしてもらう事か?俺が、試合で大活躍出来る足が欲しい、元々そういう足だったはずと言い始めたらどうする?世界一のストライカーになれる強力な足にしてくれと言ったら、ユメはどうする?……もう一度、魔法に頼ったら俺はきっとどこまでも甘えてしまう。だから、これだけでいい」
と語り、拒否する。
 この辺で、万能(この作品中では)の魔法がもたらす危険さと、厳しい枷をはめていく魔法局の存在理由が描けるだろう。

 婆さんは、やっぱり自分の意志で死を選んだ、とした方がドラマティックであり、物語にとって得る物も大きいと思う。
 自分が魔法を遣った結果として人が亡くなる所だったが、魔法は満たされぬ懐古の念に苦しめられ続けた老婆の晩年中、最も幸せな瞬間をもたらしており、そのまま死ぬ事が彼女の強い望みだった、と(漫画版は ほぼこの解釈で、老婆が亡くなっている)。
 魔法を遣う事で失うものと、遣わない事で失われゆくもの。
全てを満たす方法はなく、ただ「覚悟」を持って魔法を遣い続ける自分の人生があるだけ、という重い・潔い方向に結論を持って行く方法もあったかと。

 ユメが小山田に見せた、恋人の姿。
これは何だったんだろうなあ?考えられるのは…

1.実際に死者の魂を呼び戻して会話させた
 これだと余りに魔法が万能過ぎる…このアニメにおいては今更だけど。
死さえ乗り越えられるのでは、本当に何でもアリだなあ。
 それが出来るなら、小山田がこれまでに自分で呼び出して直接 謝っていても良かった訳だし。
やろうと思えば出来たが、怖くて今まで自発的には出来なかったのかな?

2.ユメが自分の意見を代弁させるべく作り出した幻
 むぅー、人間的にダメダメなユメに行わせるには僭越すぎる行動。
「私が生き残っていたら、今頃は結婚して幸せに生きている」なんて事、第三者であるユメの考えで勝手に言わせていたとしたら、酷すぎる。
 一応、ミリンダから「魔法で伝えて」という依頼(?)を受けた形にはなっているが…

3.既に小山田自身が、心の深い場所では理解していた事を見せた
 これが一番 納得しやすい考え方だと思う。
 長く赦せなかった自分自身を赦せる気持ちに、そんな風に自分をしてくれたユメが遣った魔法である、という理由もあって、ようやく彼は なれたのだ、と。
 ただ、これを活かすには彼女の死の原因が余りに偶発的すぎ、小山田が自分を赦せる・赦せないという所に魔法が関わってない事もあり、物語として弱い。
 今回冒頭で、「結局 ネコの命を助けられなかったユメ」というシーンがあり、「どうしてすぐに動物病院に連れて行かないのか?」と疑問に思った。恐らくは、魔法でどうにかしようとしたがダメだった、という事かな。
 それと対比して、小山田も、瀕死の状態にあった彼女を魔法で救おうとした、が、失われゆく命は救えなかった、とする。
もしも瞬間移動等ですぐに病院に運び込んでいれば、あるいは助かったかも知れないのだが、魔法に対する過信が判断を誤らせてしまう。
そこから彼が導き出した苦い教訓が、「魔法で出来る事なんて僅か」。
 そういう彼が自分を赦せるようにする事で、ユメも自分と自分の魔法を赦せるように持って行く事も可能だったかと。


 全体的に。
 大人向けの『どれみ』であり、ドラマ色を強くした『魔法使いTai!』、現代風で魔力の強い『魔女の宅急便』という狙いは良かったと思う。
 ただ、物語を構成する力が弱いため、「何でも出来る便利な魔法」という要素に負けて(逃げ込んで)しまい、色々な所に無理が出てしまっていた。
強い作劇能力さえあれば、「神の力」に等しい「魔法」を遣う者の孤独や限界、背負う宿命などを面白く描き出せたかも知れないが…やっぱり普通、制限無く何でも出来る力、は扱い辛いだろう。
 せっかく、ライバルであり友人として出したはずのアンジェラが、ユメの成長に何ら影響を及ぼさないのも難点。
彼女がやって見せたように、あらゆる問題を、ユメの「恋」のパワーで無理矢理乗り越えてしまう、という手もあったかと思うが( ^_^ )。

 結果としては、残念な出来、としか言えず。
 ただ、まだ新人である脚本家氏は、普通ならイヤでも流されてしまう物語のパターン・お約束を無視して話を作る才能があるので(嫌味ではなく、これは得難い才能だと思う)、もっと書き慣れ、このまま腕力で話をまとめる事が出来るようになれば、見た事もない面白い話が作れるようになるかも知れない。
 取りあえず、次回作に期待。


2003年3月27日 木曜日

『ストラトス・フォー』12.「ENGAGE!」

 当初 提示されていた「宇宙を目指す少女達の『ライトスタッフ』」という方向とは、全然違う展開を迎えてきた。
 これには、ちょっと残念な所もあって…

 カッチリ作られていると見える世界設定、個性的なキャラクター配置があるのだから、少女の成長にテーマを絞っても十分見応えのある作品が出来たと思う。
 思わぬ方向にどんどん展開していくため、主人公・美風が葛藤を乗り越えるドラマとしては喰い足りず、少女チーム全体の成長も中途、慢心による美風の失敗・その非を問い査問委員会にかけられる辺りも納得のいく物にならず。
 これらを押さえていく事で出来たであろう、SF方向に過剰に振れないドラマを想像すると、勿体ない気分に。

 でも。
 とにかく客の意表を突き、「侵略SF」へと物語が変貌していくドキドキ感は、確かに描き出せていた。
 今の話を面白くしようと、出来る事は何でもやっている懸命な姿勢が心地良い。
今回のお話にしても、飛行機で目的地まで直接 飛んで行かせれば済む所を、燃料切れで落ち、トラックをヒッチハイクした後 船をチャーター(無断借用?)するというロード・ムービー(笑)的展開を見せ、その途中で、何でも出来る便利な資格マニアである静羽のキャラクターを消化、警備船との追撃戦で盛り上げ、脳天気な解決法を提案する美風で息抜き、救世主・彩雲が危機一髪で現れるカタルシスを最後に用意、と、アイディアを惜しまずに詰め込んである。
 彼女達を助けるオタク男4人組が好きだな。バカで。
『Xファイル』でも、こんなヤツら出てきたよね。

 美風達を追ってくる上層部の狙いは?とか、不明な存在は何故 隕石に偽装して地球への来訪を続けるのか?とか、そもそも今行われている事は「侵略」なのかどうかとか、謎は色々。
 残りわずかの話数で、キレイに締められるんだろうか。


2003年3月25日 火曜日

『ギャラクシーエンジェル』49.「新鮮 鯛づくし」50.「糸ひき禁止の糸ひき納豆」

 前半。
 戦隊モノに対する愛とに溢れたパロディー。
 『ナデシコ』からスピン・オフ(?)したOVAで、同様にロボット物のパターンを短く並べていく『ゲキガンガー3 熱血大決戦 !!』を思い出してしまった。
 仲間が死んだり代変わりしたり脳死に至ってなかったり、強敵が現れたかと思えば心意気にうたれて仲間に加わって死に、新メンバーが出てまた死に、裏切ったと見せて実はウソ、役者が事故で一時 代役に交代、などなどパターンを皮肉る。
 延々と続く戦いの因縁話を、「ああいう込み入った設定って、見ている方はノリ辛いのよね」という一言でブチ切ってしまう非情さもイイ。
 敵大ボスの、シリーズクライマックスに昔は大変良く語られた「人類こそが宇宙のガン」的な誹謗中傷(笑)もまた、途中までしか聞かないで倒してしまう。
 宮内タカユキの熱唱(コレだけのためにまたCD買わなきゃ〜)も心地良く、久々に楽しく見られた一本。

 後半。
 「投げっ放し」を身上とする…事にして開き直ってきた最近の『ギャラクシーエンジェル』としては珍しく、オチがキレイに決まった話。
小林 靖子氏は真面目だなあ。



『ぷちぷり*ユーシィ』25.「最後のセーヌ!プリンセスの選択」26.「いつか大人になる私へ」

 「泣き」に集約していくのがとにかく巧くて、特に25話は泣かされっぱなし。
 ヒネくれ娘・グレンダがこの回では、一番の儲け役だった。
 王子の命と5つの世界を取るか、4人の友達を取るかで、精神的に追い込まれ逃げ出してしまったユーシィ。
そうさせた謎の魔法使いに対し、「ユーシィに何すんのよ!」と怒りを爆発させ、誰の制止も聞かずに持ちうる限りの魔力で攻撃をかけるグレンダ。
 謎の魔法使いが こういう事態に追い込んだ訳ではないのだし、グレンダの行動は相当に「八つ当たり」なのだが、これまでユーシィと張り合うばかりだった彼女の、友達を思うが故の逆上にはジーンと来てしまう。

 ユーシィを元の世界に送り返す、エンディングの歌に乗せての別れのシーンがまたイイ。
 永遠の別離となる辛さに、グレンダが自ら張った魔力の壁まで走り寄り、
「あんた、単純でお人好しだから騙されないようにしなさい。それから、王子を大切にするのよ。あんたみたいなガキを相手にしてくれる男なんて、そうそう居ないわよ。それから、そのうっとおしい前髪も何とかしなさい。それから…それから…その優しい所だけは忘れないようにしなさい」
と語る所で ほろほろ泣く。
 シリーズを通してのグレンダとユーシィの関係、「反発」「否定」「憎まれ口」そして「そんな仲だからこそ育めた、誰よりも深くお互いを認め合える友情」がこの一連の言葉で全て表されており、実に巧い。
 オレがヒネくれキャラ好きだという個人的事情(笑)を除いても、ずっと見てきた人間なら誰しも涙腺を緩ませてしまっただろう、圧巻のシーン。

 …という所で少々無粋なツッコミをすると、ユーシィってそんなにみんなから認められるぐらいに「優しい」キャラだっけ?とは思う。
 ワガママなグレンダ、マイペースなエルミナ、最初は対立関係にあったベスの3人はともかく、ココルーはユーシィよりももっと「良い子」として描かれてきたため、彼女とは替わっても良かったような…
もっとシリーズを重ねて、『セーラームーン』うさぎのように、彼女の存在そのものが皆を繋ぎ、心を癒していく存在だった、という風に持って行けると良かったかな。
 あと、エターナルティアラに関わる真相が少々分かり辛く(設定は分かるのだが、かなり唐突な説明で実感に欠ける)、別離と4人の消滅、更にはその復活に至る経緯に説得力が足りなかったのは残念。

 しかし、「心の内側にあった大事なモノ」を無くした上、何を無くしてしまったのかさえ認識出来なくなってしまうという、最悪の喪失感を抱えて ただ街をさまよい歩くユーシィなど、この最終2話の構成は最大限 効果的に出来ている。

 「大きすぎるお友達」には、度肝を抜かれるような反則気味ゲストの登場もあったし(笑)。
 世界を救えなかった責任を感じ、長く後悔と懺悔の中にいた彼女。
 そういえば、ファースト・ゲームは結構 一生懸命プレイしたような記憶があるが、結局彼女を王妃にして上げられたのかどうか、覚えてないなあ。
ゲーム後、「親」の手を離れて後に こんな苦難の道を辿っていたとは…などという勝手な思い入れにより、一気に感情移入度が上がる。
 …最終的に、彼女は魔法使い界と共に消えてしまったのかな。
可哀想な気もするが…滅びた世界が元通りになり皆 幸せになりました、では逆にあんまりで安っぽくなってしまうから、これで良いのか。
 世界の全てから責められていると思い込んでいた彼女と、そうではないと伝える術を持たない(閉ざされた彼女の心を開けない)皆、その壁を取り去り理解し合わせる事で、なれなかった・ならせて上げられなかった本物の「プリンセス」に彼女は変わり、満足してその世界と運命を共にしたのだ、と思えば幸せだったとも言えるのだろうか。

 物語のラスト、入学当時に逆戻りで元通りか、と思わせておいて、未来に「成長」の希望を残して終わる、なかなかに綺麗な締め方だった。
ガイナックス製テレビシリーズとして、これまででベストの終わり方をした作品では?(あ、『ナディア』も終わり方としては悪くなかったか)
 とにかくヒイキだったグレンダをもう見られないのが辛い(;´д⊂)。
他のキャラもそれぞれ、別れを悲しく感じさせてくれる程よく描けており、良い出来の作品だった事を今更ながら実感。
 いやー、面白かった。



『オーバーマン キングゲイナー』26.「ゲイン オーバー」

 んー。
冷静に言うと、不満な点が割と、ある。
キャラの扱いもだし、色々と設定等を語り尽くせない(尽くさない?)ままだというのも、アクションにだって この流れならもっと圧倒的なカタルシスを用意出来たと思うし、何より目的地であったヤーパンに着かないで終わってしまったのが痛い。

 でも。
面白かった。
 理性は「難あり」と判断しているのだが、感性は「オッケー!」と叫んでいる、不思議な感じ。

 結局、オーバーマンとは何だったのかとか、どうしてオーバーテクノロジー気味なスキルを駆使出来たのかとか、キングゲイナーの「何でもあり」なスキルの正体は…とか「謎」の多くは解明されないまま。
 普通、こーゆーのは不満なんだけどなあ。
結構大事な部分だったのだと思うから。
 しかしまあ、『キングゲイナー』とはそういうアニメで、細かい事は説明する気が最初ッから無い、矛盾もご都合主義も気にしない姿勢があきらか。
 制作者のパワーで作品をブン回し、面白くなるなら何をしても良い、基本設定が障害になるなら その場で変えてしまって構わない、ノリを大事にして勢いが着いてきた所はガンガン伸ばす、つまらない説明はすっ飛ばす、「最終的にはココまで行き着きたい」目標に達しなくても気にするな。
「今」「今回」が面白い事、そのテンションを最後まで保てる事、それを一番に考えて作られているように思える。

 この「面白い」「つまらない」の判断が難しい所で、容易に「作ってる本人だけが面白い」「客の見たいモノをちっとも見せてくれない」といった「独りよがり」なエリアに突入してしまう。
 老練・老獪な監督の力があって初めてなし得る、かなりアクロバットな作り。

 熱くなっているようだけど冷静な所があり、馬鹿馬鹿しいようだけど合理的でもある、何とも語り辛い、「変」なアニメだった。
 登場したどのキャラクターよりも、「こんなモノを作ってしまったスタッフ」に思い入れがあって、次の話はどんなキテレツな反則技で攻めてくれるのか楽しみにしていたのに…これでお終いなのは残念。

 続編が作れる終わり方だけど、多分もう作らないんだろうな。
 同スタッフ、特に脂が乗ってきた(あのお歳で!)富野監督の次回作に期待したい。



 『千と千尋』米アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞。
 快挙!
日本人としてアニオタとしてこれには「おめでとう」を言うから、赤くないDVDを出し直せこの野郎!

 アメリカ版の画面は赤くない、という話を聞くに、なおさら。
 日本版DVDが最高のクオリティーを追求した結果 赤い画面になったのだとすると、米版は「最高ではないクオリティー」で作られている、って理屈になる。
訴訟大国アメリカ、この言い掛かりで誰か訴えを起こしてくれないかな。
 なんて、つまらない事を思わないで済むように、早く何とかして欲しいんもんだ…でも、もう無理か(;´д⊂)。


2003年3月23日 日曜日

 俳優・天本 英世さん、逝く(毎日新聞)
77歳。
 早すぎる、とはいえない お歳だが、大往生にはまだ早い。

 年齢を増す毎に味が出て良くなっていく俳優さんだったのに、残念。
100歳ぐらいまでは頑張って、ますます妖怪じみていく様子を楽しませて欲しかった。
 偉大なる死神博士に、黙祷。



『機動戦士ガンダムSEED』25.「平和の国」

 とにかく、いきなり戦闘シーン、しかも圧倒的にアークエンジェルが不利な戦況から始まるのに驚いた。
前回の話を見逃したんだっけ?と思うぐらい。
 これまでアークエンジェルは文字通りの無敵戦艦であり、今回のようなガンダム4機に更に戦艦等を加えたような戦力に対しても、全く被害を受けずに来たというのに、一体何が起きてこんな劣勢に…?

 分かるのは、「苦境に立たせたかったから立たせた」という制作側の都合に合わせた意図のみ。
 せめて、アークエンジェルのバッテリー(かな?とにかくエネルギー源)が故障して特殊装甲が使えない状態にあり、機動性も落ちて「射撃の的」状態にあった、とか何とか、それらしい理由を付けてくれれば良いのに。
 カガリの護衛役であるお兄ちゃんが、オーブ領土近くを飛行中だという事を知り、姫様を無事自国に帰すため?艦内で破壊工作を行ったのがその原因、というイヤな理由付けでもイイかな。
…そんな大事なカガリ姫を砂漠ではゲリラの真似事させていた事に矛盾があるけど、まあ、このシリーズに今更(笑)。

 オーブ連合首長国、という架空の国家が登場した。
 一応は現実の延長上にある作品世界なんだと思っていたが、一体何があったなら「姫様」なんてモノの君臨する国が、どこかから独立して・元の政権を打ち倒して新たに・海上に人造の領土を構築して、どれだか知らないが、地球上に存在しうるのかなあ。
 これはアレだよね、みんな思っただろうけど…
森岡 浩之先生・著『星界の紋章』に出てくる「アーヴによる人類帝国」が元ネタになっているのでは。
日本を基盤とする高度な技術を持つ国家で、お姫様の存在も一緒。
 高貴な生まれと知り、今後どう対応すべきか戸惑うアークエンジェルのクルーに、「これまで通り、カガリと呼ぶがよい!と言ってくれたら完璧だったのに( ^_^ )。

 「アークエンジェルは無敵」という、制作者側から(結果的に)提示された「約束事」を、確たる理由付けもなく勝手に破って、弱い戦艦にしてしまった…という点を除けば、それはそれなりに面白く見られる お話だった。
 そこそこ緊張感のある戦闘、ガンダム各機も(よく分からなかったけど)一応はそれぞれ特色を生かした戦いをしていたのでは?
 自国の姿勢を曲げないままにアークエンジェルを救出しようと、オーブが見せる「腹芸」
 落ち込んでいるのを慰めようと肩に手をかけたフラガに対し、「やめて下さい少佐、セクハラです!と、意外にキッパリ拒絶の意思を表す艦長。セリフ、巧い巧い。
 同じオーブ人でありながら、「姫」としての歓待を受けるカガリと、迎えてくれる人もないフレイの温度差。それにより更に深まる互いの感情的対立。

 ここ数話は、かなり普通に見られる。
実は、主要スタッフが交代している、と聞かされてもそんなに意外ではないぐらい。
 今回、唐突な始まり方をしたのも、「これまでの話は無かった事として、ここから新しく始めたい」という意思の表れ、とかね(笑)。

 カガリがお姫様という事は、ファースト『ガンダム』に照らし合わせると、仮面のクルーゼが兄?
 中立国であり続けるために、我が子をコーディネーターとして誕生させてしまった両親。
それにより向けられた好奇と差別の目に耐えきれず、彼は国を出、ザフト軍に身を投じて…とか。

 考えてみると、これでキラにアスラン、両者とも、お姫様(ラクスとカガリ)と繋がりが出来てしまった訳だ。
その辺を巧くドラマに活かしていく事が出来るかどうか。


2003年3月21日 金曜日

『ぷちぷり*ユーシィ』24.「卒業…… 胸に秘めた思い」

 ユーシィが、見事プラチナプリンセスとなれるよう期待を込めて、大人用ドレスを贈る父。
 が、自分のためではなく、苦しむ王子・アルクのためにこそ願いは使うと心に決めていたユーシィ。
 父親の期待に応えられない事を謝るユーシィだが、父は、
「立派になったね、例え子供のままの姿だったとしても、ユーシィは世界一のプリンセスだよ」
と微笑みかける。

 あー、泣ける。
こういうのはイイよねえ。
 現実の親子関係では使えそうにない言葉だけど。
「○○ちゃんは、パパにとって世界一のプリンセスだよ」
なんて口に出そうモノなら、真顔で
「オヤジ、気持ち悪ぅ〜い」
とか言われそうだ(笑)。



『魔法遣いに大切なこと』11.「折れてしまった虹」

 ユメ、未だ立ち直れず。

 今回は、指導教官である小山田が抱えるトラウマについて語られた。
 しかし…居眠り運転か何かのトラックを避けようとして自分の車が砂浜に転落、打ち所が悪かったらしく同乗の女性が死亡した、ってだけなら、「魔法」に起因している事態じゃないのでは。
魔法力が足りなかったのか どのみち手遅れだったのか、彼女を助けられなかった事を反省するのであれば、「より強い力が欲しい」という方向に考えが行かないかなあ?

 ここから、「魔法で出来る事なんて僅か」「依頼者に思いを残してはいけない」などという諦観には発展しない…んじゃないかと思う。
いやまあ人間心理は複雑で矛盾に満ちたモノだから、どの方向に転ぶ可能性だってある訳だが。
ドラマとしての説得力は弱いかと。

 過去のエピソードとしては…
例えば、心臓麻痺で倒れている人を見つけ、緊急事態のため仕方なく規約を破り自分の魔法でその命を救ったが、彼は爆弾魔であり、命長らえた事により本来は仕掛けられなかったはずの爆弾に、小山田の彼女が巻き込まれ、亡くなった、とか。
 でも、それだと「規約を破る」事に厳しい性格になっていなければ おかしいかあ。
 魔法使用に厳しい訳でも おおらかな訳でもなく、積極的に人を助けたい様子を見せるでも、冷たく事務的なだけでもない小山田の過去を設定するには、このぐらい あいまいな方が矛盾は生まれ辛いのかも。
 ドラマティックさが足りず、食い足りなくはあるが。

 次週、最終回。
常識はずれな所も多かったこの作品は、どんな終わり方を見せてくれるのだろうか。


 物語とは関係なく。
 どんな職業に就いていても、相手を死に至らしめた責任を感じさせられる事態は起こり得る。
 ロープを売ったら、それを使って首を吊るかも知れない。
 車屋が車を直しても、それで崖から飛ぶかも知れない。
 子供にショットガンを売って「引き金はこう引くんだよ」と教えた、という程アホな事でさえなければ、職務を遂行して、その結果から派生しているとはいえ誰かにより意図的に起こされた事件・事故にまで、責任を感じる必要はないだろう。
 それにさえ負い目を感じるのは、「責任感が強い」のを通り越して逆に「傲慢」とさえ言えるかも。

 いや、婦女暴行的事件が起きた時、「漫画を筆頭とするエロなメディアの責任」を問われる事が多いって事実への泣き言を含む雑感(笑)(泣)。



『キディ・グレイド』23.「Annihilation/Zero」24.「As Time Goes By」

 壊し甲斐のある超巨大戦艦を出し、クライマックスは集団でそれにひたすら攻撃を仕掛け、戦力を削いでバラしていく。
ESメンバー達の戦艦が持つ特殊攻撃が次々と画面に展開され、破壊の面白さと、綿密に作ったのであろう戦艦能力の設定を使い捨てて行く贅沢さ( ^_^ )は、出せていたように思う。

 ただ…
 最終的なボスはアールヴになった訳だが、それで構わないシリーズ構成だったかどうか。
 倒すべき「敵」なら、実質的にはノーブルズがそれに相当したと思うのに。
…まあ、間接的にその支配を打ち砕く結果になったとはいえ、アールヴやエクレールがそれを計算していたとは思えない。

 アールヴがノーブルズを含む全てを激しく憎悪するようになったのには、それなりの理由付けがあったモノと思われる。
しかし、画面上では「何か辛い事があった」という程度の説明に留まっているため、感情が入れられない。
「そんな事があったのなら怒るのはもっともだ」とも「そりゃ逆恨みだろう」、どちらとも思えないのだ。
 そのため、「悪い事をする役割だから悪い事をしている」ようにさえ見え、深みの感じられないキャラになってしまった。
 ここは、大事な所だと思うのになあ。

 作品のテーマは何だったのか?
最初は「パンツを見せながらの爽快なアクション」であり「新世代の『ダーティーペア』」だと思っていたが、中盤の鬱展開以降は大幅に印象が変わってしまった。
 最終的に描こうとしていたのは…「虐げられた人々の反逆」ではないので……「永遠を生きる人間の気持ち」かな?
 そのテーマなら『超人ロック』という先駆的作品があるのだから、そこから「永遠を生きる人間心理」の難しさについて、「巧い描き方」と「巧く描かないやり方」を学習した方が良かったかも。

 記憶を封印されていた間のエクレールは、まるっきり少女のメンタリティーで構わない。
が、記憶を取り戻した後は、長い時間を生きてきたが故の「孤独」「厭世」「絶望」あるいは「多くの人々と時を過ごしてきた喜び」「深い、人間への理解」「人類に対し抱く希望」、そんなものを示させた方がそれらしい。
 画面的に美少女キャラが色気を振りまく事での「萌え」と、実はその少女は数十年、数百年の時を生きてきた存在であり、引き取った子供を母親のように育てた事さえある、というSF的超越存在の設定とを巧く共存させる事が出来なかったのではないだろうか?
数百歳の老婆な内面を持つ女性がパンツを見せて、果たして視聴者が喜んでくれるのかどうかに確信が持てなかった、とか。
 だから、記憶がどうなろうともエクレールは「ぢゃっぢゃ〜ん」と言い、パンツを見せ、見た通りの可愛らしい戦闘少女として以外の行動は取らない。
 それでは「永遠の時」を、とても実感させられないのは当然。

 面白い作品にしたい一心で、大量の設定を作り上げたのだと思う。
このシリーズ中ではとても消化しきれない程、大量に。
 設定は、作る事もだけど、「せっかく作ったのに使わない(捨ててしまう)事」が一番難しい。
そういった判断が上手く下せず、特殊な設定を理解してもらうために必要な前段階としての設定紹介を現在どこまで終わらせているか見失い、結果として物語の足が取られてしまう事態にさえなったのだと。

 エクレールって結局どういう存在だったのか、どのくらい前から生きてきたのか、リュミエールとの始まりはどうだったのか、ESメンバーになった理由は?
 ノーブルズはどうして巨大宇宙船を建造したのか(移住のためではあるらしいが何故 支配者が)?
 エクレール達に処刑命令を出したり助けたりする局長の心理の不可解。
 力を失っていたのに、リュミエールが突然、最終奥義まで使える状態になったのは何故?
 最後に出てきた赤ん坊は誰?
 どうしてエクレール達はラストでまた姿を変えたの?

 恐らくは全てに設定の裏付けがあるものと思われるが、画面から読み取れなければ、意味が無い。
 意味が無いどころか、視聴者に「物語からの疎外」を感じさせるマイナスの力をさえ、発揮してしまう。

 最後まで崩れる事無く保たれた作画クオリティーを含み、決して悪いシリーズではなかった。
 スタッフによる様々な努力が上手く噛み合えば、十分「傑作!」にもなり得ただろう。
 後藤 圭二氏にとっては初監督作品であり、シリーズ構成の きむらひでふみ氏にしても、『ジェネレイターガウル』ぐらいで まだメインを任された作品は少ない。
 そういう「若い」スタッフが、安易に何かをパクるのではなく、自分たちのオリジナリティーを感じられるシリーズにしようとして肩に力が入りすぎたとしても、それは構わないと思う。
 何故だか、憎めない作品だった。
 この経験を生かした次回作に期待。


2003年3月20日 木曜日

『出撃!マシンロボレスキュー』11.「旋風!ジャイロロボ」

 アメリカで活躍していたジャイロロボは、攻撃的であり、大雑把で少々の被害は「二次災害、おおむね無し」という言葉をもって あっけらかんと済ませてしまう、実に何だかタイムリーな性格を持っていた。
 いや、米の人間達からも その乱暴さを持て余されていたようだし、元々は日本製であるという事からしても、何の含む所もない設定なのは当然だけど。

 レスキューロボは優等生的な性格を持つタイプが多いモノで、アバレ者というこのロボは異色。
 レスキュー隊員である少年の、命をかけても人名と財産を守ろうとする勇気に感化され、少年を自らのロボマスターにふさわしいと認めるまでが今回描かれるかと思ったが…
暫定的マスターとしただけで、そこまでは到達せず。
 登場一回目で性格を丸くしてしまっては、乱暴で「異色」な面白さが死んでしまうからか。

 今回は、被害にあったダムの制御室で働くオジサン達が、実に良かった。
 大きな責任を負う職務にどこまでも忠実で、自分がケガをしても意に介さず「俺よりもダムを守れ!」と言い得る漢っぷりが素晴らしい。
 子供に見せたい、正しい大人の姿。



『ボンバーマンジェッターズ』25.「明かされた真実」

 シロボンの兄の死、という事実を、何話もかけて丁寧に、周囲のキャラクターのリアクションを的確に用いて、シロボンにも視聴者にも受け容れさせていく。
 子供向けだからと(だからこそ)、「死」をいい加減に扱わない態度には感服。

 …でも、やっぱり実は兄=MAXなのでは。
 いやいや、ここまでやってきて、その肝心な所を安易に済ませるとは思えないし……読めない。
 この先の展開が、気になる気になる。



 海の向こうで戦争が始まる。
「海の向こう」…かな?



『オーバーマン キングゲイナー』25.「氷の中で」

 ラスボスである「敵」はシベリア鉄道・キッズ・ムント総裁…が、普通はなりそうなモノだけど、ラストバトルの最中、早々に画面からさえ脱落。
 シリーズの途中から出てきたロンドンイマ・アスハムが、声優さんの熱演により最終ボスに変容していくのかとも思ったが、これまた、そこまでにはならない。
 結局、キッズ・ムントが持ってきた冷凍オーバーデビル、そしてそれの支配により表面化するシンシアとゲイナーの「悪意」が最後の敵になるのだろうか。

 取りこぼした要素とか、もうちょっとでずっと深く面白くなったであろう惜しい部分など、不満もない訳ではないが…
 そんな些細な事を弾き飛ばす、猛烈な疾走感が全編に溢れている。
はしる、走る、趨る!

 相変わらず年齢不相応に、というにしても余りに立派なアナ姫の言動と行動。
 自分の気持ちがゲイナーに届かない事で無力感に捕らわれてしまうサラ。
彼女を強く励まし、心を奮い立たせようとするリュボフ(愛を得た女は強いね)。
その言葉を受けてサラは、生まれたばかりの赤子のように、美しく「ない」泣き顔を見せてしまう(見た目良く整えた記号的な所が無い、心に染みる「生」っぽい泣きはもう、ただ凄いとしか)。
 格好良く「ない」本音を叫び合いながら、ゲインとアスハム、因縁の対決。
この辺りの みっともなさとか生々しさが富野アニメの真髄!
 いきなり現地を訪れている二人の争いの出発点(かな?)、カリン。
 「ヤーパン忍法」を駆使していたガウリが、オーバーデビルに意識を奪われた途端、「デビル忍法」と名乗るワザを使い始める この土壇場に来ての馬鹿馬鹿しさ(笑)。
それに対抗して、「女教師忍法・縄抜けの術!」と叫ぶや上着(?)を脱ぎ捨てて相手の束縛から逃れ、シリーズ開始当初のえっちな格好に戻って、これこそ女教師忍法の極意か、キス一発でガウリをオーバーデビルの支配から解き放つアデット。

 油断していると置いて行かれそうなスピードで、登場した幾多のキャラクター達と様々なドラマに対し、フォローを入れエピソードを追加しピリオドを打つ。
 見てると脳内にアドレナリンが湧きだして来、些末な事など気にならなくなり(気にならなくさせられ)、やたらにテンションが上がってしまう。
 こんなの、アリなんだあ。
 並の人間には真似出来ない、老いて(失礼)なおパワーを失わず激走する富野監督と、もちろん力のある大勢のスタッフならではの荒技。

 残り1話でどういう終わり方を見せてくれるのか。
 結局ヤーパンには辿り着けないのかな?「ほら、あれがヤーパンだ」ぐらい遙かにその姿を見せてお仕舞い?
 期待しつつ、放送を待ちたい。



 16日に書いた『機動戦士ガンダムSEED』の感想中の、
「やれば出来るじゃないか」
という表現は、自分を高みに置いて評価を下しているようで不適切では?と、某漫画家の先生より ご指摘を頂く。
 そんなつもりなど全然 無かったが…読み返してみると、確かに、そうとしか読めない。

 ええと、ここに「何故そういう表現を使ってしまったか」についての言い訳を書いてみたけども、どうしたって単なる言い逃れになってしまうので割愛。

 「良くない」と思った作品については もっと失礼な表現をさんざ使っているが、「良かった」と思い誉めたつもりのモノについてでも、言葉の選び方次第では非常に失礼な内容になってしまうという事。
 気を付けます。
 何かお気付きの点がありましたら、皆様も ご指摘よろしくお願い致します。


2003年3月16日 日曜日

『機動戦士ガンダムSEED』24.「二人だけの戦争」

 おー、地味な話でモビルスーツ戦闘も無いのに、ドラマだけで30分もたしてしまった。
ビックリ。やれば出来るじゃないか。

 全体に「甘い」と文句を付けようと思えば付けられるが、アスランもカガリも甘い目のキャラクターなのだから、その二人が出会い、過ごす話としては十分に妥当。
 アスランからは、甘いだけに留まらず、譲れるギリギリの境界線を一歩でも乗り越えたなら「殺す」という厳しい意思表示が見られたのも良かった。

 島の夜に「仕込み」を終わらせ、懐妊疑惑のフレイと並んでカガリからもコーディネーター×ナチュラルの子供が生まれる、というのも面白かったかも。
 カガリは、ザフト側に移籍して出産させれば、あくまでコーディネーターへの復讐を誓うフレイと対照的に扱える。
 シリーズの終わりは、『銀河英雄伝説』のラストシーン、ラインハルトの子とミッターマイヤー(実際はロイエンタール)の子が手を取り合うシーンのように、両陣営が和解する未来を二人の子供に暗示させて終わる、とか。



『魔法遣いに大切なこと』10.「魔法の行方」

 これまでよりずっと納得のいくストーリーだった。
落ち込む辺りの心の変化も実に分かり易かったし。

 しかし…ガラスにイタズラをされた商店街のその後は、根本的原因が何も解決していなかった訳で、再度被害に遭うに決まっていたようなもんだが それは想像しなかったのかな。
 魔法遣いはガラス修理屋じゃないのだから、単に直すのではなくて犯人を突き止めてやっても良かったのでは。以前使った、ガラスに過去写ったモノを呼び戻す魔法でも遣って。
それじゃ警察の仕事もなくなってしまうから、というので、魔法局はワザと魔法遣いにつまらない単純労働を押し付けようとしているのだろうか?(でも、ガラス屋の仕事は奪っている)

 不自由な足を治してもらったお兄ちゃんは、多分、この後 救われる方向でもう一度出てくるんだろうな。
自分が競技に参加するよりも、子供達にサッカーを教える事に喜びを見いだしていた、とか何とか。
 「ガラスにイタズラしていた犯人、実はこのお兄ちゃん」にすると話はまとまるし意外性もあるけど、救いは無くなるよね。


ときどき日記・目次へ

03/03月前半の日記を読む