ときどき日記 03/05(後)

2003年5月31日 土曜日

 映画を見たのに感想を書いてなかったので、まとめて。
 以下全て、内容に触れているため、未見の人は気を付けて。

『デアデビル』

 監督は『サイモン・バーチ』(未見)のマーク・スティーヴン・ジョンソン。
主演がベン・アフレック。
 前評判として、ダルいとかショボいとか眠くなるという悪い話ばかりを聞いていたせいか、そこそこ退屈せずに見られた。
 確かに、デアデビルは街のゴロツキを倒す覆面暴力自警団員で、「ヒーロー」の格好良さは不足しているが、それはそういうモノと割り切ってしまえばマイナス要因になる程でもない。

 目が見えなくなってから、他の感覚が異常に鋭敏になった主人公。
特に、聴覚は「レーダーセンス」と表現される程で、高精度なソナーのように周辺の物体の位置から形までキャッチ出来る。
 この能力がある事でのプラスとマイナスがきっちり表現されているのには感心。
暗闇でも支障なく活動でき、視覚外から襲う攻撃にも対処可能だが、大きすぎる音を受けるとエコーが発生し、しかも鋭敏すぎる聴覚に負担がかかるため苦悶して行動できなくなってしまう。
 液体を満たした金属の棺桶のような物に入り、外界の音を完全にシャットアウトしないと眠れない。
ここで表される「孤独感」が何とも言えず、イイねえ。
 この辺りの説得力は、長いコミックシリーズを通じて様々な描写が積み重ねられており、映画がそこから 面白げな所をピックアップして映像化した事により、出せた物だろうな。

 敵となる、「投げる」能力が突出した殺し屋、ブルズアイも面白い。
デアデビルとの、両者の能力を生かした戦いの組み立ても、よく考えられている。
…決着が少々力業なのは残念だが。
 それに比べると、ボスであるキング・ピンは魅力に欠けてしまう。
パワーだけしか能力がないし。
戦い方は大雑把で、決着にも納得がいかない。
これを最後に持ってきてしまったのも、評価が低い一因じゃないかなあ。

 エレクトラや新聞記者なんかは、もう少し気を配れば全然面白いキャラクターに化けたと思う。
 『バットマン』と比べても、スーパーメカニックの爽快感が無い分、画面的に地味でカタルシスに欠けているのは確か。
 でもまあ、さほど期待せずに見るには悪くない出来だと思う。
「テレビシリーズの、2時間スペシャル形式をした第1話」だと思えば、良くできている方。
 レンタルで見るぐらいな価値はあると思うな。



『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

 監督・スピルバーグ、主演・ディカプリオ。
 うーん、思っていたよりは面白かったけど、「映画館で見る」意味はほとんど無い作品。
 『スティング』のように「詐欺」の面白さで見せていくのかと思えば そうでもなく、結構な時間を主人公が「詐欺を働くまで」の描写に当てている。
それでいてなお、その人生には説得力が無く、ひどく楽しそうに人を騙す彼の姿は、苦悩の人生を送ってきた事から生じるはずの「影」とは乖離して見えてしまう。
 「詐欺」の楽しさ、あるいは詐欺を働くに到った「人生」の重さ、どちらかに焦点を絞って描いた方が、見応えのある物が出来たんじゃないかなあ。

 実話を元にしているから、というのは この際関係ない。
切り取り方と、力の抜き入れを調整する事で、言わんとする事はもっとはっきりさせられたはず。

 でも、詐欺シーンのいくつかでは馬鹿馬鹿しくて笑ってしまい、楽しかった。
飛行機から逃げ出そうとする場面で、実際あんな事が出来るのかどうかはともかく、見事な「詐欺」を見せてくれるし。
 レンタルで見る程でもないかな。
テレビで放送される物を見たなら、割と面白かった、ぐらいの評価はもらえるだろう作品。



『サラマンダー』

 監督は、見たはずだけどサッパリ印象に残っていない『X-ファイル ザ・ムービー』のロブ・ボウマン。
主演は、『太陽の帝国』で少年役を演じていたのが もうこんな大人に…のクリスチャン・ベイル。『アメリカン・サイコ』が代表作みたいだけど、見てないから。

 期待したのは、デジタル技術を駆使して描く、摩天楼へと飛来するドラゴン対 人類が生み出した最強の現用兵器群、という物だったんだけど、人類文明なんか冒頭5分、しかもナレーションのみで崩壊
ガッカリ。
 その後は…
迫力のない『マッドマックス』、お金がない『ウォーターワールド』みたいな世界に、舞台が移ってしまう。
多分、この方が安く上がるし撮影も し易いんだろうなあ。

 主人公達が暮らす砦の状況がもう一つ上手く描けておらず、全体を把握し辛い。
そのために、サラマンダーが「大事な場所や人」を破壊しにやって来る、という緊張感に欠ける。
 砦への侵入者達の本心が不明な間は ちょっとドキドキしたが、それも、明かされてみれば さほど面白い物ではないし。

 見所であるサラマンダーが出てくるシーンが、期待したより遙かに少ない。
たまに出てきても、撮り方が余り上手くないと思うな。これじゃハラハラ出来ない。
お金が無いから特撮を減らしてドラマ重視で見せようとしたのかも知れないが、正直ドラマは退屈で、キャラクターにも魅力が薄いからねえ。
 軍人崩れ達の戦い方が、不合理ながら僅かに面白かったけど…
 人の知恵 対 怪獣なら、平成『ガメラ』福岡ドームでの対ギャオス戦、あの短いシーンの方が、遙かにアイディアに溢れ、緊張感に満ちていた。

 人類滅亡の危機を収束させる、サラマンダーが置かれた種族的状況に、ポカーン。
そんな安易なシナリオ的解決法、アリか(笑)?

 途中の所々と、ラスト10分間の、「サラマンダー大暴れ」な見せ場だけは楽しかった。
 とにかく大画面でサラマンダー…ドラゴンが見たければ劇場へ。
そうでもないなら、ビデオで十分かと。



『成恵の世界』08.「地球からのメッセージ」

 香奈花の家で、キャロットケーキを食べながら、母親の事を話す成恵。
 原作では、成恵と父親だけで母親の墓参りに行く、その道中で父親が話す昔話を聞く構成だった。
 香奈花と和人にも、銀河系人だった父親と、地球人の母親のなれそめを知ってもらう、という意味では アニメの変更は悪くない。
 原作の、昔話の進行と並行して監察官に対する成恵の気持ちが、「うざったいばかりで嫌い→父親から聞かされ監察官の見知らぬ面に触れる→態度が軟化して一緒に墓参りをしようと彼に呼びかける」、と推移していく所をもう一つの見せ場にする構成は、その犠牲になってしまったが。
 行動的な母親と、のんびりした父親の関係を、バチスカーフの「なんだか、和人様と成恵様みたいですね」というセリフにより重ね合わせる事で、ただ設定紹介ではなく現在に活きる意味を持たせた辺りは、アニメの巧さ。

 よく、宇宙人が人類を客観的に語る際には、
「お前達は同じ種族同士でさえ憎しみ合い、殺し合う。野蛮で危険な生物だ」
と、見下げ果てられた評価を下される。
 が、この作品においては、
「星々の間では争いが絶えない。多種多様な種族が暮らしているというのに、地球の文明は、何故 滅びないでいられるのか」
と、不思議がられる程「上手く行っている」…「何とか成り立っている」ぐらいかな?…と評価され、その秘密を知りたいとさえ言われるのだ。
 誉められるとは思わなかったなあ( ^_^ )。
 これが作者の認識なのではなく、「こうあって欲しい」という「願い」なんだろうね。

 若き成恵母の本棚に、「細田 守(演出論の本?)」「話の話(ユーリ・ノルシュテインの切り絵アニメ)」「だから、僕は(実在する富野 由悠季監督の著書)」などが並んでいた。
一昔前はこういう「遊び」みたいな物が本編中によく入った物だけど、最近は珍しいような。
 中に、「KISAKU」ってタイトルも見えるんだが、これはエロゲーの『鬼作』?(笑)
スゲエ一生を送った玉井喜作という人が居たので、お母ちゃんの波乱の人生に合わせるなら こっちかも。


2003年5月29日 木曜日

『宇宙のステルヴィア』09.「いってきます」

 シリーズの流れとして、弱気になったり傲慢気味になったりした後、また今回は弱気になる志麻を「揺れ動く等身大のキャラ」と捉えるか、「描き方に一貫性が欠けており感情移入が し辛いキャラ」と見るかで、評価が大きく変わりそうな話。

 グレート・ミッションにしても、これまでは割と「お題目」っぽい扱いだったのに、いきなりシリアスでシビアで、更には こんなにも間近に迫った物として描かれても、戸惑ってしまう。
 いや、シリアスでシビア…と取って良いのかどうか。
ミッション説明で述べられた、「諸君こそ地球における人類防衛の最後の盾なのだ!」という言葉と、甚大な被害を残したらしい以前の大災厄よりも更に大きな危機が太陽系に迫っている、という設定からすると、これ以上はない程 重要で、万が一の失敗も許されない作戦であるはず。
 に、しては、またもマトモに機体が操れなくなった志麻を、貴重であるらしい宇宙艇に乗せてしまう。
予備人員的な扱いで活躍はほとんど期待されていないらしいし、経験を積ませる事が目的だそうだが…そんなに余裕のある計画なのか?
 機体は余っているが乗員が足りない『インデペンデンス・デイ』の人類大反撃的シチュエイションならともかく、ステルヴィアだけでも志麻より「安定して」任務を遂行出来る人員がもっと居るはずで、あくまで彼女をメンバーに残す意味に疑問が。
 『学園戦記ムリョウ』のように、街の人間ほとんどが異能力者であっても、敵意ある宇宙人がやって来ても、ギリギリ緊張と緩和のバランスを取っていた作品と違って、グレート・ミッションはきちんと「緊張感」を持って見て欲しい意図があると思うのだが、それにしては「のほほん」な所が後を引いており、ちぐはぐな印象を受けてしまう。

 でも。
 今回は、1話以来の登場、志麻の家族との関わりが実に良かった。
 屈託のない弟を相手に、不安な心情を覗かせまいと わざと強気を装う志麻。
 志麻の本心を理解してか、眠っている父親を起こして電話口に出すと言い始める弟。
姉の不安を受け止める相手には、弟である自分ではダメ。自分相手には姉は決して弱音を吐かない・吐けないと理解しているのだろう。
 最適な電話の相手は、包容力のある父親。
それが眠っていて無理である限りは、次善の策は母親を出す事だが…
 これが、絶対素直に出ないであろう事は、顔をプイと背ける母親の態度を見るまでもなく賢い弟には既に分かっており、もしかすると「母さん、電話に出てよ」と再度強く自分が呼びかける事で、「嫌よ!私は別に話したい事なんて無いんだから!」という、姉にとっては最悪の言葉を母親から引き出してしまうかも知れず、ためらう。
 恐らくは、「無理矢理」電話口に出されてしまう事を望んでいたのであろう母親は、子供っぽさから意地でもそれを表に出せない。
イスの背もたれ越しに電話の様子を見守る所、電話を切ったのを見届け、待ちかねたように「志麻ちゃん、元気だって?」と問う所などの母の「可愛さ」( ^_^ )を含め、家族の心理が非常によく描けている。

 今回の主題は、「志麻は、幸せだ」かね。
 元気が出ない志麻に、アドバイザー・ナチュラルの能力を全開にして勇気づけようとするアリサ。
言葉で足りなければ、デコピンも駆使して(笑)。
 少しだけ元気を取り戻す志麻の表情の変化が素晴らしい。

 それでもまだ緊張状態にある志麻。
深夜、彼女の心を最も安定させてくれた「家族」にすがるように、ひたすら その記憶へと繋がるコンペイトウ菓子を口に運び続ける。
 母親のメッセージを瓶の中に見つけ、その思いもがけない優しい文面に涙を流す志麻。
…いつの間にか文を声に出して読んでおり、寝たふりのアリサと りんなまで もらい泣き、ってシーンは感動しつつも ちょっと可笑しい( ^_^ )。
自身、両親の安否を気遣う りんなにとっては、他人事ではなく染みる内容だったろう。
 メッセージを読み終えて、母親を「ちゃん」付けで呼んでいた志麻が、初めて「お母さん」と口に出す所、巧いなあ。

 細かく言えば、ここまでずっと「友達」がクローズアップされてきた訳で、志麻の成長としては「家族」よりも「友達」の存在が最終的に力を与えてくれた、という形にして欲しかったような気は、する。
 志麻が母親を認めるのが、彼女の心理的成長に伴うものでは「ない」のも気になる。
 しかしまあ、必ずしも成長しなければドラマにならない訳でなし、どうでもいい事かな。
 それに、1話での別れが家族ベッタリではなくケンカ別れだった事からすると、家族の絆よりも強い友情を見つけていく、という描き方で「成長」を表せるのかどうかも疑問だし。

 ロボットの存在意義が、作業用とか異星人の襲来に備えて、といった平和(?)なモノではなく、いつか起こる外惑星居住者との「人類同士の戦い」に備えて、というのがシビア。
 戦争が起きる理由を数え上げる教官に、拒否反応を示す光太。
それを「大人の理屈」でねじ伏せる事なく、「ああ、そうだな」と同意してみせる教官。
何でもない所だけど、イイねえ、大人だねえ。
 老教師2人の会話で出た「もし、人類がその文明の真価を問われる時が来るとすれば、それはこの試練を乗り越えた『後』でしょうな」という言葉と、オーバースペックであるらしい対人類戦争用ロボットの姿が重なり、深い。
 「全てが終わった後、ネルフはエヴァをどうするつもりなの?」か。

 今回は作画も非常に良好で、特に女の子達の「腰」辺りの肉感的な描き方が巧く、パンツとか見えなくても十分に色っぽかった。
 大変だと思うけどクライマックス、このレベルをキープして欲しい。



『ガドガード』06(07?).「空を飛べたら」

 「お尻は小さいけど、他のところはそれなりだと思います」というアラシのセリフ。
キャラクターデザインとして、太もものラインを見ていると、その上に想定されるお尻が小さいとは思えないんだが…
 って、あれ?先週も同じ事を書いたような…デジャヴュ(笑)?

 本編にやたら回想シーンが挟み込まれるとか、4週連続総集編とか、スタッフの能力を超える本数のアニメが作られている今日、皆イロイロと格好悪い対応を取らざるを得なくなってはいるが、「先週放送した内容を今週もまた放送する」などという、ここまでの不祥事は初めて見た。
何があったんだろうね?
 噂によると途中の話を1話、飛ばして放送しているらしいので、これを機会に無理にでもそれを流してしまえば良かったのに。
 そうでなくても、せめてまだ記憶に新しい先週の話ではなく、「全ての始まりとなった第1話をもう一度見てみよう!」という形にするとか、もうちょっと体裁を整える事は可能だったかと。

 古くは『コンバトラーV』で、「来週はリクエストの多かった第何話を再度放送します」と予告して製作の遅れをカバーしていた(子供心には、「誰だよ余計なリクエストしたのは?先を見せろよ!」と思ってしまったモノ)。
 『ナジカ電撃作戦』でも、衛星と地上波の歩調を合わせるためなのかどうか、一度 再放送が挟まれている。

 しかし『ガドガード』は、それらに比べても遙かに非常事態っぽい。
なりふり構わず、ただ穴を開けないために、手近にあったフィルムを放送するしかない程 酷い状態だった?
 真相は…関係者の内部告発でもなければ、分からないだろう。
 秋からは、限界突破状態の今より更にアニメの放送本数が増えるそうで、まだまだ様々に悲惨な事が起きる危険性も。
え〜と、がんばれ。
もう、それしか言い様がない。


2003年5月28日 水曜日

『ウルトラマニアック』02.「Boy meets girl」

 掲示板で、なぎ さんから頂いた情報によると、このアニメの実質上の第1話はイベントで上映され、それがそのまま全員プレゼントのOVAにもなっていた、という事。
 雑誌購読者はそれでも良かろうけど…放送される内容だけを見る視聴者にとっては、やはり不親切な作りと言わざるを得ない。

 OVAをそのまま、あるいはチョイとだけの手直しで「第1話」として放送すれば、昨今どこも逼迫しているはずの製作スケジュールに僅かながら余裕が生まれるので、制作側にも一般視聴者にも嬉しい事だと思うが。
それでは わざわざイベントに足を運んでくれたファンや、プレゼントを申し込んでくれた読者に申し訳ない、という義理を通した形なのかな?

 今回の内容。
男の子の魔法使いが魔法王国から新たにやって来て、亜由にちょっかいを出すが…
 まずまず、無難な出来で悪くないけど、「第1話」が無かった弊害、主人公である亜由が憧れる男の子・哲士のキャラが「テレビだけを見ている視聴者にとって」まだ明確ではないのに、それなり以上の性格付けが成された男子キャラクターを新たに出しては、印象がゴチャゴチャしてしまう。
 魔法エリートである男の子と対比するには、ダメ魔女っ子・仁菜の魔法下手さ加減を表す描写が少なく、この方面でも時期尚早、効果的だったとは言い難い。

 ダブルヒロインそれぞれに彼氏候補が居る事を早めに見せておきたい意図もあろうし、魔法男の子と絡む事で亜由の性格付けがくっきりとしたため、大きく問題にする理由はないんだろうけど…
どうにも、最初のボタンの掛け違いが気になってしまう。
 やっぱり早い内にOVA「第1話」の内容を、回想の形ででも きちんと見せた方がいいんじゃないだろうか。


2003年5月27日 火曜日

 昨日、東北地方を中心に大きな地震があった。

 その時、ペットショップにいた。
宇佐木 恵の希望で、犬猫の顔など眺めに行った訳だが…こういう店でケースに入れられている生き物は、たいがいグッタリと寝ているか せいぜいでウロウロと落ち着きなく歩き回る、程度の行動しか見せないのではないだろうか。
 それが、行った店では犬も猫も異様な興奮状態にあり、上体をケースに預けるようにして後ろ足だけで立ち上がり、何か訴えかけるような必死のアピールをこちら側に見せていた。
 やたら元気だなあ、と思っていたら…

 地震。
デパートの最上階にある そのペットショップは、かなり大きく、長く揺さぶられた。
 地震が収まり、しばらくして気が付いた。
 おお!
これがアレか、噂に聞く動物の予知能力ってヤツか!
不思議な直感によって地震を予測、それで興奮状態にあったんだな!



 …と感心していた所で、餌の時間になる。
 店員のおねーさんが各ケージを回る間、全ての犬猫がさっきよりも激しい興奮状態
ありゃ?
 よく見ると、店員さんが前を通り過ぎるだけで、喜んでなのか餌クレなのか知らないが、大騒ぎで立ち上がってしまっている。

 あー…別に「予知能力」じゃなかったみたいだな(笑)。

 友人宅では、地震直前に、飼っている犬が急に側に寄ってきた、という事だけど、あそこの犬は用が無くてもやたらに人間の側に寄ってきては「なでろ」と要求するので、特に日常と変わった行動でもないような。
 こういうのは、「動物が意味のある行動を取っている」というより、「動物の行動に後付けで意味を読み取っている」という方が多いのかも知れないなあ。
 サンプルケース2件で結論づけるのもナニだが(笑)。



『LAST EXILE』07.「Takeback」

 タメにタメた後、一気に弾け、悪い奴をブチのめすカタルシスで締める、娯楽を目指す お話としては文句の付けようがない程 良くできた内容。

 競技スタート直前だというのに眠りこけている「ねぼすけ」な競争鳥(チョコボ?)を、「力を溜めている」と評し感情を入れて応援するラヴィ。
鳥の姿を、疲れから眠り続けるクラウスに重ねての、あけすけで微笑ましい好意表明。
 彼女と絡む、危うく忘れてしまう所の(笑)、シリーズ開幕当初 印象的に登場していた一兵士・モラン。
それなりには自由に行動しているシルヴァーナの乗員達と比べ、彼は、理不尽な扱いを受けても黙って耐えるしかない。
 シルヴァーナ側、そして彼が、それぞれ若干違う方向で酷い目に遭わされる事により、視聴者のフラストレーションを多層的に重ねていくのが巧妙。

 満員のエレベーター内で体を張って女性乗員を庇い、「男の子」を見せるクラウスがイイねえ。
それに、頬を染めて謝意を述べる女の子もイイ。

 唯一、シリーズの流れとして惜しいのは…
この話は、前回の話と入れ替えた方が良かったんじゃないかな?
 「無敵戦艦」と言われても、前回 船がボッコボコにやられる姿を見ているため、その称号に素直には同意出来ない。
今回を先に見せて、通常の戦艦相手には全くの無敵を誇るシルヴァーナ、それよりも遙かに強力な謎の敵の機体…という風に、順を追って強い物を見せて行った方が効果的だったかと。
 シルヴァーナにまだ馴染んでいないはずのクラウス達が命を賭けて戦った事にしたって、一緒にケンカをした経験が先にあれば、仲間意識が芽生えたという事で納得してもらいやすいだろう。

 とにかく、今回の話が面白く、キャラクターにも親しみが持てるようになったお陰で、作品全体が随分と見易くなったと思う( ^_^ )。
 シリーズとしてのクライマックスも、これぐらい気持ちの良いモノだと嬉しいなあ。


2003年5月26日 月曜日

『ウルトラマニアック』01.「Ayu & Nina」

 CSで放送が始まった、魔女っ子もの。
ドジな魔女の女の子が、人間界にやってきて失敗したり成功したり、という まあ王道な内容。
ちょっと違うのは、見たところ視点が、魔女の女の子・佐倉仁菜よりも、普通の人間少女・立石亜由をメインにしている部分。
毎回、彼女が迷惑を「掛けられる」のを中心にした話になっていくのだろうか。

 キャラは明確だし、コミカルな部分の出来も悪くないんだけど…
とにかく、イキナリ第2話から始められたような不親切さが気になる。
登場キャラクターは当然のように既知である何らかの事件が、この第1話以前にあったらしいのだが、視聴者には詳しく知らされないので若干 仲間はずれにされた気分。
 確か、『円盤皇女ワるきゅーレ』の第1話も こんな感じの作りだった。
 前置きとして退屈な日常や、事情説明が長く必要な作品では、派手なシーンをまず先に見せて客の心をつかんでおいて、後から そこに到る過程をゆっくり見せていく、という方法も確かに、ある。

 が、このアニメの場合、想定される第1話も今回の内容も「派手さ」や「見せ場の有無」はさして変わらないように思えるし、対象視聴年齢層を『ワるきゅーレ』よりも更に下で アニメ慣れを期待しない一般子女に絞っているように見受けられるので、こんな分かり辛い手法を使う意味は感じられない。
 先行してパイロット的な内容の物が作られており、この第1話はそれに続く内容になっている…という話を聞いたから、そのためだったのかなあ。

 まあ、「魔女っ子物」のパターンに照らし合わせば分からない所など無い、ヒネずに真っ直ぐ作られた内容なので、別段問題にする事柄ではないのかも知れない。
次回以降、順次説明が入っていくのだろうし。
 しばらく見続けよう。



『ASTRO BOY 鉄腕アトム』08.「ロボット超特急」

 地底ロボット超特急・ネオンライツ号のお話。
ま、『マリン・エクスプレス』(笑)?

 乗客を気遣い、とっさの判断力に優れ、危機に際しては自らの機体を犠牲にする事さえ ためらわない、「人間が出来た」ネオンライツ号のキャラクターが素晴らしい。
終着駅で待機していた駅員ロボット達も、列車が突っ込んできたら爆発に巻き込まれて まず助からないというのに、忠実に職務を果たしていた。
 ロボット法第一条「ロボットは人間を幸せにするために生まれたものである」を堅持する、けなげなロボット達の姿に、ちょっとホロリ。

 スピードを落としたら爆発、って辺りは『スピード』からのイタダキかな。
『スピード』自体が、「一定以下に高度を落としたら爆発する爆弾を抱えた飛行機のパニック映画(タイトル失念)」を元ネタにしているんじゃないかと思うが。
(掲示板でヨコヤマ さんから、元ネタは『新幹線大爆破』では?というご指摘を頂く。ああ!そういえば!『スピード』だけでなく今回の『アトム』の内容も、『新幹線…』の方に近いや!迂闊、結構面白いと思った映画なのに忘れてた)
 演出のテンポ良さ、作画の頑張りにより、スピード感がよく表されていた。
車体を支えるべく周囲を飛び回るアトムとの対比で、その速さを表現するのが秀逸。

 爆弾犯人は、『七色いんこ』?
手塚作品ではさほど珍しくないんだけど、このスター・システムがまた、『マリン・エクスプレス』を連想させる。
 そういえばその『マリン・エクスプレス』を、ちょっと前に衛星で放送していたので、久々に見返した。
 …うーん、部分部分を見れば面白いんだけど、全体的に見るとグダグダ。
一本の作品を、パニック物でありロボット物にし、時間テーマに環境テーマを詰め込み、統一感のないバラバラな話に仕上げてしまっていた。
だんだんと、主題であったはずの「マリン・エクスプレス」とは関係ない話になっていくのだから。
 誰か優秀な「編集者」にあたる人がシナリオやコンテをチェックしていれば、ずっと面白い作品になったろうと思うと、勿体ない。

 『アトム』に話を戻して。
 乗客親子のセリフ「この列車は、大勢の人が知恵と技術を出しあって作った最高のロボットなんだ。どんなピンチもきっと切り抜けられる!人間と、ロボットの力を信じるんだ!」にシリーズ全体のテーマを乗せ、危機また危機の設け方が巧く、それを切り抜ける方法にもアイディアがかかっている(アトムの活躍を絡める事を忘れないのも素晴らしい)。
 前回、アトラスの破壊活動によって人間に広がっていた「ロボット不信」、それを列車に乗り込む乗客達の態度で示し、ネオンライツ号とアトムの懸命な努力がその心を変えていく、という風に出来ると、更に良かったかなあ。

 ラスト、乗客を迎えに戻ってくる列車の職務への忠実さに、鉄道員(ぽっぽや)の誇りまで見える、実に良い出来のお話だった。


2003年5月25日 日曜日

『妄想科学シリーズ・ワンダバスタイル』08.「FLY ME TO THE MOON」

 義理と人情の板挟みに苦しめられるみっくすJUICE。
 ごくまっとうな物語で、マッドな所が魅力になっている このアニメ独自の面白さは、ほとんど感じられなかった。
 メンバーを引き抜いていく花形の行動にもっと悪どいノリでもあれば、印象は変わっていたかも知れないが。

 シリーズのラストに到る「タメ」に入っているのだろうか?
それにしても…ドラマで興味を引ける作りにはなっていないので、余り長くこんなテンションの低い展開を続けると、視聴者を逃がしてしまう事にもなりかねない。



『成恵の世界』07.「プール !?危機三髪」

 ドタバタコメディーの色合いを強くしようと思ったのだろうが、残念ながら繰り出してくるギャグやアクションの質がさほど高くなかったため「滑って」いる印象が強く…
 原作の特色である「日常の中のSF」という部分は、大事にした方が良かったのではないだろうか。
作られた、大仰に構えた「SF」にして、しかもオリジナリティーはさほどでもない、となると、ある程度こういうパターンのアニメを見慣れた人間にとっては、「どこかで何度も見た よくある話」になってしまう。

 成恵の危機に、泳げない身も省みず激流に飛び込む和人や、ラストで巨大な頭をもたげるバチスカーフの強烈な「絵」は なかなか面白かったのだが。



 うわっ!『プリンセスチュチュ〜雛の章〜』の、よりにもよって最終話を見逃してしまった!
 あぁ〜…(;´д⊂)仕方ない、放送予定を見ると6月にもう一度放送があるみたいだから、その時には忘れずに、という事で。


2003年5月24日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED』33.「闇の胎動」

 常人を超える能力を持っている事が明かであるコーディネーターを、医務室に放置、監視も置かず部屋を無人に、いい加減な所に銃まで放り出したまま…と、致命的なミスを幾重にも重ねる艦長。
しかしナタルも、責めてばかりいないで、こんな雑多な処理は自分が率先して行っても良かったんじゃないか?不始末の最終的な責任は艦長に行くのだろうが、ここまで細かな指示を「艦長」が出さなきゃならんものかね。

 というか制作者、ここはこんな風に触れない方が良かったんじゃなかったかなあ。
トボケ通せば良かったのに、責任の所在とか言い始めると、艦長及びアークエンジェルの乗員が、厳しかった戦いをくぐり抜けたというのにコーディネーターの恐ろしさも戦場の緊張感も何一つ学べなかった、驚く程のバカに見えてしまう。
 ドラマとして欲しかったので、リアルに考えると無理のあるこういうシーンを設けたのだろうから、その責任はキャラではなく「制作者」が負ってやってはどうか。

 内容としては、見飽きるほど見せられたシーンを またも見せて頂き、少々うんざり。
総集編的な部分を除くと、ストーリーそのものはほとんど進展していないし。
 無能・傲慢・嫌味な軍上層部の描写は割と楽しかったが。
アークエンジェル側の失策をあげつらう事で、何の手も打たなかった自分たちの失点を帳消しにして責任を押し付け、更にはフレイを利用して戦意高揚を狙う辺り、嫌われる官僚としては「有能」、とも言えるのかな。
 もっとムカつく発言の時間を伸ばせば、総集編的な画面を短くできたんじゃないかね。
「認めたくないものだな、自分自身の…」なんていうセリフと顔アップだけで秒数を稼いだ、オリジナルを見習ってはどうか。

 キラが出てくると、ドラマとしては途端に精彩を欠いてしまうのが不思議。
ドラマの矛盾点を一身に抱え込んでいるキャラだからなあ、どんな行動を取っていても、説得力を感じない。
 キラが居ず、フラガも転属という事で、アークエンジェルはどうなるのかね?
大変な戦力低下だと思うが。
それでも連合の他戦艦達と比べれば、無敵装甲と強力な砲があるだけ全然マシ?
 キラは、ザフトの新型モビルスーツをラクスから「もらい受けて」戦線に戻るのかな。
どうもラクス、作品中で最も腹黒い女に見える…


2003年5月23日 金曜日

『宇宙のステルヴィア』08.「わたしですか」

 あー、なーるほどね。
と、思える「このアニメの見方」あるいは「望ましき視聴姿勢」を、親切にも示した話。
 志麻達と同年代の人、もしくは同年代の気持ちになりきれる人なら、そのまま見てもらって構わない。
 が、もう少し年長であったり、感情移入しきらないで見る人には、老齢の教師が語っていた「今の内はうぬぼれと落ち込みを繰り返して、そうやって自分の器を大きくする。彼ら、若いんですから」という言葉に表される、若干引いた視点から、頑張りも落ち込みも、成功も大ポカも「微笑ましく」見ていて欲しい、という事なんだろうな。
 前回は、志麻に「入りすぎて」見てしまったのが失敗(笑)。
若いモンの莫迦さ加減は、赦して見るのが年寄りの功ってもので。

 無重力訓練の様子は、ちょっと『エンダーのゲーム』の同様模擬戦を思い出してしまった。
 今回 後半で見られた りんなとのバトルもそうだが、全体に「目で見て分からせる」画面作りがイマイチ上手く行っておらず、ギャラリーのセリフや「多分、こういう事かな?」という視聴者の想像に志麻の実力判断を任せているため、どうしても盛り上がりに欠けてしまう。
もっと分かり易く、出来ない事はないと思うが…
 りんなを助ける志麻の操船、これは珍しく分かり易かったので、ここを基本として更に面白く見せられるべく努力して欲しい所。

 ウチの掲示板で教えて頂いたとおり、本当、ステルヴィアには、頑張る いいヤツしか居ない。
 上級生を追い抜いて大抜擢される志麻に、ドラマの常道としては、羨んだり憎んだりする生徒が絡んできて おかしくないと思うが。

 余りによく出来る志麻を前に、ライバル心やコンプレックスから距離を置こうとし始める仲間達。
それを寂しく思う志麻だが、現れた天才少女・りんなの活躍を目にする事で、のほほんとした彼女に初めて、自分でも戸惑う程の敵愾心が生まれ、子犬のようにじゃれついてくる りんなを邪険に扱ってしまう。
自省の念に悩まされる志麻。それによってようやく仲間達が自分に抱いた気持ちを理解する。
そして、危機一髪の事故を前に、りんなを救うべく皆の気持ちが一つになり…
 という辺りが、パターン通りのドラマ作りだろう。
 こう、何というか、薄汚く、嫌なモノになりがちな心理にまで あえてキャラを落とさない事で、このアニメは、明るく、優しい肌触りを得る事が出来た。
 それは同時に、「波乱」とか「ドラマ性」「大きなカタルシス」を求める人達にとっては、「退屈」とさえ思われかねない作風でもあるのだが。

 様々な違反を重ねて帰還した志麻と りんなを前に、女先生が語る「よく戻った。罰は明日ちゃんと与えるから、今日は体を休めろ」という、生ぬるく( ^_^ )、優しい言葉。
これがこのアニメを見るに求められる態度であり、このアニメが「与えてくれる」ものでもあろう。
 それは、それで良し。

 ところで、全ての成績でまんべんなく「C」を取る光太を見て、『エスパー魔美』の高畑を思い出した。
高畑は、成績が良すぎる事により生まれる摩擦を避けるため、わざとテストでは何問か間違えてみせるキャラだったよね。
 光太が全て「C」を取ってしまった迂闊さ(結局 才能を見抜かれてしまったのだから)の理由は、余りの能力の高さに どのレベルのテストを見ても簡単すぎるように思え、どこで より多く「間違えば」よいのか分からなかった、という事かな。
 優秀である事が求められるステルヴィアで、どうしてそういう行動を取ったのかは、今後明らかにされていくのだろうか。



『ガドガード』06.「空を飛べたら」

 「お尻は小さいけど、他のところはそれなりだと思います」というアラシのセリフ。
キャラクターデザインとして、太もものラインを見ていると、その上に想定されるお尻が小さいとは思えないんだが(笑)。
 作画的にもう一つ。
開始11分ぐらいで、リッチーと並んで歩いている時に、ふと考え込むアラシの「唇」の表現が非常に色っぽくて、見えそうで見えないスカートよりもドキドキ( ^_^ )。
監督の錦織博氏は、『天使になるもんっ!』でも、唇やホッペタの柔らかさを表すのに非常にこだわっていた印象がある。
 今回は、風に煽られてビルから落ちかけた「こんなつまらない事で死んでしまうのか?」を実感させる演出も、実に巧かった。

 ただ…
このアニメ全体が、今、どこに向かおうとしているのかが読み取れないため、ドラマへの引き込まれ具合が弱い。
 主要なキャラが出逢い、それぞれに鉄鋼人を持った事で、これからようやくお話が動き始めるのかな?


2003年5月21日 水曜日

 えー?『エヴァンゲリオン』が映画化?
海外で、しかも実写?
 んーーーーー、どうだろうなあ、それは。
エヴァが『ロボジョックス』みたいになってしまったら目も当てられないし(笑)。
アゴ割れシャアの悪夢が蘇るゲーム版『ガンダム』になるのも困る(これ調べるのに、Googleで「ガンダム 実写 ゲーム シャア」に加えて「アゴ」と入力してみたが、106件も引っかかった。やはりあのゲームはシャアのアゴが強烈か)。

 でもまあ、「海外で日本の漫画・アニメが実写映画化」という一報はよく聞くが、企画がコケるのか、そこまでで立ち消えになる事が多いからなあ。
ジム・キャリー主演で『ルパン三世』をやるって話にしても随分前に聞いたっきり。
そういえばそこそこの騒ぎとなった『ドラゴンボール』はどうなったんだろ?
 『エヴァ』もまた その轍を踏む?
 巨大メカが派手に動き回ってれば『エヴァンゲリオン』になる、というモノではないし、独特の世界観だの内向的な主人公だの、難しい要素が多いと思うな。

 そういや、『キューティーハニー』を国内で実写映画化する、って噂を聞いた。
ナニを考えて、そんな物見たくもねえ…と普通なら思うけど、企画段階でのスタッフが豪華なので、本当にその通りの布陣で進められるなら、もしかして面白いモノが出来る…?
 デジタル技術を駆使して、映画『チャーリーズエンジェル』や『マトリックス』の線を狙えば、案外いけるカモね。



『スクラップド・プリンセス』06.「騎士たる者たちの迷走歌」

 強過ぎなお兄ちゃんとお姉ちゃんには、いかなる過去が秘められているのであろうか?
単に「妹のために強くなりたかった」だけにしては、超絶の技量を持ちすぎているような。
 廃棄王女たるパシフィカの体からあふれ出るパワーの余波を受け、知らないうちに常人とはかけ離れた体になってしまった、とか?

 そういう2人でも歯が立たない敵が登場。
 もうちょっと苦戦して欲しかったが…そこそこの所で謎少女・ゼフィリスの助力が入り、またまた敵を圧倒するパワーでねじ伏せてしまう。
 うーん……ちょっとカタルシスが弱い…

 兄姉を思い、自分を狙う男に2人を捜し出してもらうのと引き替えに差し出すべく、自らの片腕を切り落としてくれとレオに懇願するパシフィカ。
この辺は、彼女がただ助けてもらっているだけの存在ではない事、守られてしかるべき価値のある人間である事を現しており、なかなかだった。
 あと一歩 踏み込むと、ズンと面白くなりそうな気がするんだけどなあ。



『LAST EXILE』07.「Interesting Claus」

 3Dによる空戦シーンに迫力があり、見応え十分だった。
 謎の美形なお兄ちゃんの おちょくりにより、すっかり頭に血が昇ってしまうクラウス。
ここで、お兄ちゃんの想像を超える技量やテクニック、野生のカンを彼が発揮して鼻を明かしてやるのかと思ったが、それほどでもなく。
まあ、「ジャンプ」の漫画じゃないからね(笑)。
操縦テクニックもだが、機体そのものが第二次大戦時のモノと現用兵器ぐらいな差があるのではないかという気も。それじゃなかなか、勝てないだろう。

 一方、本当に頭に血が昇ってレッドアウトしてしまったラヴィは、未熟さをタチアナに容赦なく責められ、涙ぐんでしまう。
そこで、「もう嫌だ!」でも「なによあの女ムカつく!」でもなく、「私、頑張るから」と前向きな発言のみをする所、好感度が一気にアップ( ^_^ )。

 二人が命を賭けて戦う理由に説得力が足りず、何だったらアルを連れて逃げ出してしまえば簡単じゃないか、などと思ってしまうが…
通信文を届ける仕事に命がけだった、開幕当初の律儀な様子からすれば、分からないでもない。
 また、身も心もクタクタで帰還した二人を迎え、水を差し出すアルの可愛さ健気さを見ていると、「確かにコレは守るべき価値のあるモノかも」と思わせられてしまう。



『妄想科学シリーズ ワンダバスタイル』07.「いっつ・しょー・たいむ」

 「アポロの月着陸はなかった」ネタ。
 その中でも割に浅めの所に終始してしまったので、どうせならもうちょっと濃いネタを突っ込んでくるか、独自の「ここがヘンだ」ネタを探し出す努力をする、もしくは「こうやって捏造していたんだ!」という理屈をあくまで通そうとする余り言ってる事がだんだん無茶苦茶になっていく様子で笑いを取るなど、あと一歩のヒネリが欲しかった所。
 「なかった」説の人々が現実に展開している、ウルトラCだかウルトラQだかクラスのアクロバットな理屈に比べれば、全然食い足りなく感じてしまう。
 現実の白装束集団を見た後で、アニメのネタとして「隕石の落下に備えて、自宅の地下にこっそりとシェルターを作っている集団」を見せられても、「ワイドショー見ている方がすっ飛んでて面白いじゃん!」と言われてしまうようなモノで。
事実はアニメよりも奇なり。大変だよね( ^_^ )。

 このアニメの場合、主人公(?)の九十九が「なかった」派であり、ここ最近は特に彼を否定的に描く流れではない事もあって、彼の理屈を「バカ言ってるよコイツ」と笑いモノにする訳にはいかなかった?
 若干の中途半端さを感じてしまう。

 九十九母、前に出てきた時とはキャラが違うように感じられるが、あの後の数年間で何かあったのだろうか?
 これからは、母と息子でどちらが先に月へと到達するか、の勝負になるのかな。
ただ、既にアポロが到達している訳で、タイムマシンさえ何気なく作ってしまう親子の、しかも母親の方は機械装置や燃料を使う事に抵抗もない様子である事からすると、盛り上がるのかなあ?という不安も。
 お母ちゃんもトンデモな方法を駆使するとか?
ああ、あくまで「完璧な月着陸の捏造を行う事にこだわり、実際にはロケットを飛ばそうとしない、とかね(笑)。


2003年5月20日 火曜日

『ASTRO BOY 鉄腕アトム』07.「アトムVSアトラス」

 天馬博士って、星一徹?
アトムに厳しい試練を与える事で、生みの親である自らをさえ超えて成長させて行く事を狙っているみたいだなあ。
 「友達」であろうとするお茶の水博士とでは、どちらがより相手の事を考えていると言えるのだろうか。
 ただ、天馬博士の場合、与える試練がはた迷惑なモノ(笑)だし、単なる成長ではなく「支配する者」に変えていく事を目指す間違った帝王学みたいに感じられるので、必ずしも肯定は出来ないか。

 前回の感想で、アトム対アトラスの戦いが、「ロボット対ロボット」ではなく、「人間の記憶を持つ、人間の延長上にある者同士の戦い」になってしまうのではないか、と書いたが…
 単に「ロボット」「人間」と分けてしまうなら「ロボット」テーマから外れているのかも知れないけれども、「ロボット」を、人間が作り出した新たなる生命=「子供」と考えれば、親と子の有り様を二つの関係に乗せて描き、同じく「親」に反発する者同士としてアトムとアトラスを設定しながら その行動も考え方も変えてみせた今回の話では、大きく「ロボット」テーマを描き出す事に成功していると言える。

 いやあ、「大きくなったら二人で月へ行って地球を見よう」というアトラス父の言葉が、約束した当時とは全く違ったシチュエイションで叶えられる怒濤のクライマックスには、久々「巧いっ!」と声が出てしまった。

  子の意志を無視して、行動を強制し支配しようとしていた「父親」。
アトラス父の姿はそのまま、ロボットの反乱に戸惑い、過剰に恐れて否定しようとする大勢の一般的な人々にも繋がっていく。
 地球光の美しさ(アトラス、アトムの家庭で共に登場しなかった「母」のイメージも重ねている?)に、親を慕い、愛していた頃を思い出し、「子供」に還って「父親」を救うアトラス。
 シリーズ全体のテーマに大きく関わるであろう、希望を残した(しかしアトラスは、「友達」になる事の困難さを最後に語る)、素晴らしく出来の良いお話。



 昨日の日記で書いた、『機動戦士ガンダムSEED』についての、
「ここまでの物語内容は、ストーリーを理解するための「知識」としてのみ頭の中に留め、過去の不満点は忘れて、「新しく始まったアニメーション」として捉えて行くのが、この作品を楽しむ一番の方法かも知れない」
というのは、なかなか自由に作品を捉えられない自分に言い聞かせるのが目的です。
 何ら、他者に強制するものでも意見しようというものでもありませんので、御理解を。



 書くのが遅れてしまった作品について、まとめて短く。

『カレイドスター』07.「笑わない すごい 少女」
 技術さえ高ければ、機械的な動きも悪くないと思うけど。
漫才か何かの「ライブ」な空気を感じさせないといけない芸で、その内容に「筋書き」とか「安定」とかが滲み出してしまうと途端につまらなくなる、そういう感じだと受け取ればいいのかな?
 「完璧だが価値がない」ロゼッタと、「不完全だが見る人を引きつける」そらの対比が、実に楽しく出来ていた。

『ボンバーマンジェッターズ』33.「アインでボン!」
 宇宙船と、自分たちの事をよく知る仲間であるDr.アインとで合体ボンバーマンが作られ、敵に回ってしまう。
 …という取っ掛かりから始まる物語として、考えつく限りの起きうるパターンを書き留め、面白くなりそうなモノだけをチョイスして膨らませる。
更に、事態に対するシロボン達の反応を個々にシミュレートして組み合わす、という過程を経て出来上がったお話ではないかと思う。
 お話を作る上で「当然」の努力とは言えるんだけど、面倒なんで時間がないとつい いい加減な煮詰め方で済ませがちになる所を、真面目にきっちり「仕事」しており、感心。
 ご都合主義を突っ込むシロボンと、必要以上にそれを怒るシャウト=制作者、という楽屋オチの繰り返しも おかしかった。

『ガドガード』05.「そして雨が降る」
 今石 洋之氏によるコンテがパワフルで、気持ちよく見られた一本。
落書きのような犬を ぬけぬけと出してくるのには、笑ってしまう。
 画面のレイアウトも大変に効果的で、見とれる。
盗めるモノなら盗みたいけど、盗む事など不可能なレベルの差。とほほ。


2003年5月19日 月曜日

『機動戦士ガンダムSEED』32.「約束の地に」

 女の子、頑張るの巻。

 サイとの関係を修復したそうな そぶりを見せるフレイ。
その心情を様々に取れて、深い。
 キラが死んだ(と思われた)途端に、かつての男に再度擦り寄り何とか自分の拠り所を押さえようとは見下げ果てた女だ、結局キラの事なんか最後まで好きでも何でもなかった訳だ…という感じで、サイテーにも取れる。
 しかしまた、自覚には欠けていたようだが キラに惹かれている部分が彼女にはあり、結んだ関係の終焉→修復への努力→キラの死亡、という事でグラグラし続けていた彼女の支えが完全に外されてしまう事により、心のバランスを失ってしまい、埋められるはずのない穴を埋めてくれる事を求めてサイへと接近させた、とも思える。
それを見て取ったサイは、自分にそんなモノを期待するな、という事で彼女を拒絶してしまう(つけ込んでフレイを取り戻そうとせず、「死んだ」キラの「存在価値」を否定しようとする彼女を否定する、いいヤツだなあ本当)。
 う〜ん、イイねえ。
キラを思い出させ、その「死」もまた同時に思い起こさせてしまうトリィを、フレイが必要以上に恐れて払いのける所とか、非常に巧い。

 トールを失った事で逆上したミリアリアは、発作的にディアッカへと斬りつける。
 怒りと悲しみに我を忘れコーディネーターを憎むミリアリアを目にしたフレイは、戦争でかけがえのない大事なモノ(彼女には、父親)を喪い、不幸のどん底に沈み込んで、心のバランスを崩してしまったのは自分だけではない事を知る。
 そしてまた、シャトルに乗った子供を守る事が出来ず、心に大きな傷を負って戦い続けたキラ、揺らぐ心から友達を傷つけてしまった、寂しく悲しく、優しいキラを思う。
 そのキラが求めていた「救い」も「安らぎ」ももたらす事が出来ず、利用価値で計り、更に深く傷つけてさえしまった自分を自覚し、それに対する「赦し」はもう決して得られないのだと知る事で…

 フレイにとっては初めて?「自分のため」ではない怒りに突き動かされ、自らの手を汚すべく銃を構える。
 それを見て、自分に弾が当たる危険も省みず飛びついて銃口をそらし、フレイを「救った」ミリアリア。
 悲しい、憎い、殺したい、という所から、女の子達はステージを一つ「昇った」のだ。
 …と思うんだけど、フレイについては「買いかぶり過ぎ」(笑)かも。

 巧い巧い、非常に巧い。
これだけ頑張っているのだから、キラはシャトルの女の子を救えなかった事なんか ここしばらく忘れてさえいたんじゃないの?と思える描き方をしてしまった構成の弱さには、目をつぶるべきだろう。
 ここまでの物語内容は、ストーリーを理解するための「知識」としてのみ頭の中に留め、過去の不満点は忘れて、「新しく始まったアニメーション」として捉えて行くのが、この作品を楽しむ一番の方法かも知れない。


2003年5月16日 金曜日

『宇宙のステルヴィア』07.「くやしいよ」

 志麻、はっきりと認められた優等生になる。
しかも、「頭だけは良い」とか「体力バカ」ではなく、かなり完全な形での優等生。

 アリサが学校をやめるのではないか、という志麻の早とちり…
アリサがサバサバした よい子であったから それを好意的に受け止めてくれたが、ヘタすると「アンタ、自分の成績が上がったからって、いい気になってんじゃないの?」と言われかねない思い上がりにも取れてしまう。

 「テンション上がってきたぁー!」と、本科生との実習に高いヤル気を見せるが、結果的には負け、それにショックを受けて泣いてしまうのも…どうかなあ…
 「絶対100点を取れると思っていたのに、95点だったから悔しいと泣いている優等生を見るようで、ここに至るまでの客への感情誘導が巧く出来ていない事もあって、その涙はまるっきりの他人事。

 志麻が受けた試験、相変わらず内容が分かり辛く、本科生の凄さを「絵」より「解説ゼリフ」で分からせている所が大きいので、イマイチ。
 小惑星帯もしくは補助的な電子機器が一切使えない障害エリアを一回りして、誰が先に帰ってくるか、とか、数人のチームを組ませ何らかのミッションを遂行する順位を競わせるとか、絵としても実感としても優位が伝えやすい試験方法もありそうに思うけど…

 志麻が頑張るのは大変に結構。
しかし「努力の過程」を大幅に飛ばして、「優等生になった結果」だけを見せられても、余り嬉しく感じられない。
 彼女が最初から『北斗の拳』ケンシロウのように、感情移入の対象ではなく、超絶のヒーロー(ヒロイン)として存在したなら、それでも良かったのだが。
 普通、あるいはそれ以下の存在からスタートしたのだから、成長を納得させられるだけの「特訓」とか「成長せざるを得ないプレッシャー」の存在が欲しかった所。
物語に即して言うと、「試験で、ある程度以上の成績を収めなければ強制的に退学させ家に呼び戻す、という母親の脅迫」あるいは「一刻の猶予もなく迫る太陽系の危機」かね。
 実際には、親とは第1話以降 連絡を取っているのかどうかも分からず、迫る危機は物語の中で大したウェイトを持っていないが…

 「泣き虫である」という所が、僅かに志麻を感情移入の対象にしてくれている。
 今後、強力なライバルの登場や危機的状況の創出によって、志麻の優秀さがもっと切実に必要とされる展開に入れば、また感想も変わるだろうか。


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