2003年9月15日 月曜日 |
『高橋留美子劇場』11.「日帰りの夢」
いい歳した うだつの上がらないオッサンが抱きがちな夢を、的確に切り取って見せてくれた
お話。
自分は中年の特性を遺憾なく発揮する外見に変わっているというのに、かつて好意を抱いていた女の子だけは変わらず、初々しいセーラー服のままでイメージしてしまい、更には勝手に(別れに白い本をくれた、という取っ掛かりはあるにせよ)「あなたの事が忘れられなくて結婚していないの」というような妄想まで。
あー、ありがち(笑)。イタタタタ。
「男は、昔付き合っていた女はみんな、いつまでも自分を想っていると思い込む」って話がある。
身勝手とも言えるけど、良く言えば男は「ロマンチスト」なんだね。
女性はもっとたくましく、現実を生きていくものなんだけど。
主人公であるオジサンが再会した憧れの女性は…昔の面影も消え失せる程にふっくらとした姿へと変容していた。
……このぐらいなら、妄想中での美化と年月の流れを さっ引いて見れば、許容範囲な変わり方じゃないかと思うんだけど、主人公にはそうではなかった様子(そりゃまあ、コレなら彼の嫁さんの方がキレイだからね)。
てっきり、思い出の彼女と同年齢まで成長し、記憶と寸分違わぬ姿になった、その娘を目の当たりにするんじゃないかと予想していたが…
若く、美しいままである本物の彼女自身と再会させてあげた、か。
優しいなあ、高橋 留美子先生は。
主人公に渡したと同じ白い本を、彼女も「押入に入れて」持ち続けており、それを、「捨てるのも勿体ない気がして」主人公に託す。
旦那子供が居て幸せそうな所も含め、思い出を台無しにする事なく、しかし過度な期待や妄想を抱かせる事はない、主人公を穏やかに現実へと着地させるために、抜群の「今」。
溜息が出る巧さ。
また、アニメならではの良さとして、憧れの彼女の声が島本 須美であった事が挙げられる。
クラリスでありナウシカであり、高橋先生作品では何よりも、『めぞん一刻』響子さんであった耳に心地良い声は、「時を経た想い人」を演じるのにピッタリ。
これら作品をリアルタイムで楽しんだ世代なら、その声によって、より物語の陰影が深く感じられただろう。
中学生高校生が見て、何の分からない事もない作品だが、イイ歳の人間であれば
より楽しく見られる。
深夜枠でもいいけど、ゴールデンタイムに放送しても大人の鑑賞に耐える、大人にこそ見て欲しい内容ではないだろうか。
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2003年9月14日 日曜日 |
『機動戦士ガンダムSEED』48.「怒りの日」
ここに到るまでの経緯などに不満はあるものの、その次に位置する話として、今回は妥当な内容だったんじゃないだろうか。
既に核を使い、恐ろしい威力を持つジェネシスを目の当たりにしてしまった以上、アズラエルがトップに立つ連合の選択肢としては、徹底抗戦しかない。
地球に向けて撃たれては凄い事になるらしいザフトの最終兵器。まさか そこまで非・人道的なマネはすまい、という希望的観測を成り立たせる要因を、自分たちが先に核を使う事で皆無にしてしまった連合。
こうなっては、殺(や)られる前に殺るだけ。
ある限りの核と、持ちうる全戦力を投入して、ジェネシスが再度発射される前に破壊、コーディネーターの住むプラントにも大打撃を与えて、有利な状況で終戦協定を結ぶ事だろう(国家の形を成さなくなるまで破壊してしまえば、その必要もないか)。
逆に、ザフトが取るべき対抗手段は、一刻も早く再度ジェネシスを発射し、連合から反抗の気運を削ぎ落としてしまう事。
どーしたもんなのかなあ。
こうなっては、第三者には止める手だてなど無い。
両陣営指導者の理性に期待するのみ。
でも、このアニメでは、それがアズラエルとザラ親父という最悪のアホ2人である事により、絶望的な状況になっている。
ただ、この2人を「悪」で「生きる価値を持たない者」として描いてきているので、非常に短絡的には、双方が死んじゃった所で比較的理性的な人間がリーダーシップを握り、休戦にでも至って終わり、にする可能性があるかな。
ところで、ラクス艦隊一行。
敗走し背中を狙われる連合勢力の中で、目に付いたモビルスーツを助けるべく、ザフト機の戦闘力を奪う…
って、ものすごく場当たり的で、何にもならない行動。
確かに、あの場で他に出来る事…と言ったって、何も無いかも知れないが。
この先は、連合の核を阻止した一行としては、今度は公平にジェネシスを使用不可能にするしかなく、それを良い事に再び撃ってくるだろう連合の核を全弾
狙撃破壊。
後は、決め手を失った連合とザフトのモビルスーツと戦艦を全て使用不可能にすれば、とりあえず戦いは膠着するはずだから
その隙に和平工作を…
所謂、悪い意味での「まんが」だなあ(笑)。
そこまではしないか。
じゃあ、どうしたいのか……どうもラクスの展望が見えない。
キャラクター達の恋愛行動の進行を「死亡フラグ」とするなら、ラクス側ほぼ全員に立った、と思える。
残り話数は僅か。
ここからでは、どう締めくくっても不満を噴き出させる終わらせ方しか出来ないように思うが…
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2003年9月13日 土曜日 |
『カレイドスター』24.「まだ続く すごい 特訓」
面白いと思って見ているけども、そういえば全然感想とか書いていなかったような気がする。
「幻の大技」って「紅天女」だよね、今更だけど。
大筋『ガラスの仮面』でありながら、体育会的な要素を強化し、しかし演劇的な色合いも持つカレイドステージという舞台を作った意味を最大限に生かしており、毎回毎回の「襲い来る大きな障害」を、勇気と友情と根性とで、説得力を与えつつ乗り越えさせていくシナリオの巧さは、凄いなあ、と感心しっぱなし。
ここのところ、ほとんど毎回コンテに佐藤 順一御大が入っている事もあり、絵作りやタイミング、画面から滲み出るパワーにも満足。
面白い。
『出撃!マシンロボレスキュー』36.「誇り高き消防団!」
爺さんと子供。
人力に頼るローテクと、マシンロボを駆使してのハイテク。
人命第一と、人の命を助けるために大元の災害と戦おうとする考え。
老練さと、若い純粋な一途さ。
そして災害により、息子を失った父親と、両親を失った息子。
両者の対立と、「災害なんかで、もう誰も失いたくない」という同じ方向を目指す気持ちを理解しての、融和。
何だかこう、上質なシナリオの見本のような、とにかくどこを切っても良くできたストーリー構成だった。
亡くした息子を、立派な消防団員に育てたかった事が心残りであり続けた団長に、その親友である寮の爺さんが太陽を預ける際、「立派な消防団員にしてやってくれや」と声を掛ける。
団長の「もう永遠に叶えられるはずがなかった、息子への気持ち」が、まだ未熟でありながら必死に頑張る太陽と共に過ごす事で、ゆっくりと満たされていく。
優しい、優しい お話。
こういう浪花節に弱いオレは、もうボロボロ。
このアニメでは、特に吉岡 たかを氏が脚本を担当している回に、心の琴線に触れるエピソードが多いような気がする。
アイディアもかけているし、構成も巧いんだけど、何よりキャラクターを大事に考えている事が伝わって来るようで、見ていて心地良いばかり。
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2003年9月12日 金曜日 |
『宇宙のステルヴィア』24.「ふたたびのやみ」
「どこか実感出来なかったグレート・ミッション」…という志麻のセリフ。
確かに、前回のミッションでは長い長い時間を掛けた先人達の完璧な(と思われていた。現実には穴だらけだったが)準備があり、彼女自身は ほとんど「オマケ」として参加するだけの予定だったので、今回の、時間が足りず計画も100パーセントではなかろう上に、志麻が最初から主戦力として期待されている、というモノとは大きな違いはあるが。
しかし、「前回だって人類の命運はかかっていた訳で、実感出来なかった、ってのは、いくら何でも
のんき過ぎじゃないか?」と視聴者に思われ、呆れられてしまう恐れがあるセリフではあったかと。
乗員込みでのファウンデーション消滅は、凄まじい大事件だったと思うのだが、残り話数が少ないせいか割にサラッと流してしまった。
危機感を煽る演出が物足りないのは、クライマックスを間近に控えた現状、やっぱりちょっと不満。
ああ、なるほどね。
と、ようやく分かったのが、志麻を見る光太の気持ち。
生まれつきの天才であり、努力をしなくても常にトップに立ち続ける事が出来たであろう(実力は隠したかったようなので、実際にトップに立っていたかどうかは分からないが)光太にとって、生来の大富豪の金銭感覚が我々と違うように、傲慢でも不遜でもなく、ごく普通に他者というのは、「自分の後を付いてくる者」であり、庇護者でさえあったのだろう。
特に志麻は、光太と行ったインフィニティーでのミッションにおいて ずっと泣き続けだった。
元々 好意を抱いており、その「弱い」「脆い」記憶があるので更に、彼女は自分が守るべき対象であり、天才である自分の力を最大限に使っても手助けをして当然な、「助けてあげたい」相手だったと思われる。
その彼女が、自分が差し出す手を振り払い続け、1人で頑張ろうとしているのが彼には理解しきれなかった。
頼ればいいのに、と。
何もそんなに無理しなくても、他の人達と同じように、いや、他の誰よりも助けてあげるのにと。
未完成な状態でアルキオンを送り出すしかないが、それでもやってくれるか?と問う司令に、決然とした表情で「はい」と応える志麻。
あるいは光太は、この時まで まだ、志麻はうつむいて何も応えなかったり、無理だと言ったり、泣き出してしまうのではないかと考えていたのかも知れない。
だが、凛とした彼女の表情を見て、遅すぎたが ようやく、彼にも分かったのだろう。
志麻は、守られる対象でなど居たくないのだ。
倒れ、傷ついて無理を重ね、ベソをかいて、それでも必死にあがく事で、遙かに能力では勝る光太と肩を並べられる存在に
なろうとしている、なりたいと願う、「宇宙をまっすぐに見たい」、彼女はそんな女の子なのだ、という事が。
出撃の際、何かを口ごもっていた彼は、それが理解できた事、自分が間違っていた事を伝えようとしていたのではないだろうか。
でも、気付いていなかったからだとはいえ、「無理しなくても」と何度も志麻に言う事により、余計に彼女を傷つけて来てしまった事をも彼が理解できたとしたなら、言葉で、短く何を語れば、彼女にその気持ちを伝えられたのか。
伝えられるはずがない。
深い、切ない、これほど近しい男女の仲にさえある「人間同士の距離」を感じさせてくれる、演出とストーリー運び。
「分かり合えていなかった」事が「分かった」のだから、後は正しいアプローチを用いて近づいていけば良い訳で、その「距離」はいつか埋められるという希望が見えてきた、という事だろう。
アリサ達。
秘密の隠れ家に籠もって何をしているかと思えば、何やら床に広げてボードゲームをやり、差し入れの食料を調理して美味しく頂こうとしている
のほほんさ加減(笑)。
まあ、確かに、長い時間ただ深刻な顔をして額を付き合わせているのも意味無いし、具体的に何をしようと決めていなかった彼女達には、他にやる事もないだろうけどね。
だから、「志麻のために出来る事」を見つけた彼女達は、一気に生き生きとした表情を見せ始める。
イイねえ、こういう莫迦な友達は。
司令が志麻に語りかける、「上手く行ったら何でも一科目、優をくれてやる」というセリフ。
成功すれば救世主だとか失敗したら人類滅亡だとか、たいそうな事を言わず、自分に出来る精一杯の違法行為を口にし、彼女の緊張を緩ませてもやりたいと願う気持ちが伝わり、「大人」だなあと感じる。
さてクライマックス。
どういう描き方をし、この物語をどうまとめてくれるのだろうか?
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2003年9月11日 木曜日 |
『スクラップド・プリンセス』21.「孤独な神の受難曲」
期待した、巨大なドラグーンとピースメーカー達によるバトルが、それほど壮絶なモノにならず終わってしまったのはちょっと残念。
ピースメーカー一体を片づけた時点で決着はお預け、になってしまったから、より戦力を増した、あるいは有利な状態を作り上げたピースメーカーとの壮絶なラストバトルは、まだ後に控えていると期待してイイのかな?そういう素直な形での決戦とも限らない?
感情など持たないはずのシーズが、シャノンへのトドメとなるべき攻撃を加える際に「許せ」と呟いたのが印象的。
戦いを終えて、兄妹レギュラー勢揃いし、そこで交わされるシャノンとパシフィカの会話が素晴らしく、イイ。
この辺は、原作小説の出来の良さに寄る所が大きいのだろうか。
自分の剣はパシフィカの命のためにある、だから、生きたいのなら何をしてでも守り抜くが、死にたいと思うなら一瞬のうちに
同じこの剣で殺してやる、というシャノン。
自身の運命と、それがもたらす大きすぎる周囲への不幸に絶望しながら、それでもなお生きていたいと願うパシフィカに、応えるシャノンの「生きるぞ、全力で」という言葉。
絵空事にならない、キャラクターの内面から出てくると思える、重い、しかし力強い意志を含んでおり、胸に染みる。
この辺は机上でただ考えていても なかなか出てこないセリフで、相当に深くキャラと同化し、物語のその場に立って、絞り出して来たモノだろうと思われる。
巧い。
『おねがい☆ツインズ』08.「恋は素直に」
生徒会副会長・椿、麻郁争奪戦線から離脱。
前回、チラッと伏線を見せていたので、いずれこうなるんだろうとは思ったが、それにしても余りにも早い展開。
麻郁を間に挟んで、島崎と椿がその向こうの互いを見つめ合う図式を続けていた訳だな。
自分には本当は気持ちが無い2人に近寄られ、好意を寄せているように見せられながら、元の関係修復後は必要がない存在とされる。
実際に麻郁の立場に立たされたら、一暴れしたくなって当然ぐらいなヒデエ扱いだが、まあ彼には現状、同居する2人の女の子が居るのだから、ここで椿たちが片づいてくれても精神的バランスを崩す恐れなど無いか。
三角関係の有り様としては割と見ないタイプであり、面白かった。
しかし…椿を、キャラクターとしての魅力を落とさないままに退場させるには、もう少しデリケートな扱いと時間が必要だったかも、とは思う。
こういう事情でしたので元の鞘に収まりました、と「謎解き」のように実体を紹介するだけでは、理解は出来ても納得が出来ず、納得出来たとしても彼女に対する好意の度合いを減らしてしまう恐れがあるかと。
せっかく魅力的に(ややもするとメインの女の子2人よりも)描けていたキャラなのに、もしかそんな事になるとすれば勿体ないような。
ライバル退場終了、なので、今後は深衣奈・樺恋の2人が、「恋愛同盟」存続の危機や肉親関係への真相解明で物語を引っ張っていく予定なのだろうか。
関係ないけど、椿が生徒会長を表して言った「エシュロンばりの情報網を持つ会長なら…」というセリフ、「エシュロン」って何だっけ?と思って調べてみれば、「人工衛星などを使った米国主導の大規模な通信傍受網。暗号名エシュロン(ECHELON)は階段、階層などの意味。47年、米英が秘密裏に組織し、他の3カ国が加わった。情報は米国家安全保障局に送られる。冷戦期は共産圏を対象にしたが、現在は商業通信や個人向けも傍受できる」(Mainichi INTERACTIVE ことば)という事で。
へー。
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2003年9月10日 水曜日 |
『LAST EXILE』23.「Castling Lucciola」
ルシオラの最期。
ディーオが変えられてしまう辺りから内心の葛藤が見えてきて、だから近くディルフィーネに反旗を翻して彼を助けるのだろう、という予想は当然していたが…
死を賭けて、の行動になってしまったか。
ルシオラの戦闘行為。
追っ手の撹乱になった訳でもないようだし、一緒に逃げ出す選択もアリだったと思うけど…ディーオの側居役(プレゼントと言われていたが)として召し上げて(?)くれたディルフィーネへの忠義があり、しかし友達として自分を扱ってくれたディーオへの気持ちは抑えきれない、そのせめぎ合いの中で、「要領よく生き抜く」事を選べない不器用で純粋な心の持ち主であった、という事かな。
高い戦闘能力を発揮するルシオラは、格好良く、作画的にも見応えがあった。
ただ…最後の敵との戦いが、音楽に合わせて双方まるでダンスを踊るようであったのは
どうして?
そういう特殊な戦闘法なのかな。
人生に明るい展望が見えてきた(=死亡フラグが立った)モランは、本当に死んでしまったのだろうか?
キャラクターとしては、死んだように見せておいて、その実 心臓の鼓動は止まっておらず生還・治療された後に彼女と並んでニッコリ、というエピローグがあっても良いポジションだと思うが。
あれで最期だとすると、ルシオラの最期と被っており、「悲壮な戦い」を描き出す効果は十分に上げているモノの、個人の扱いとしては不遇気味かも。
スーパーチャンネルで放送中の米連続ドラマ『ダラス』を見ている。
これの第9シーズン開幕では、奇想天外、恐らくは空前絶後ではないかと思われる展開を迎えてしまった。
ええと、まだ見ていない人で、今後この223話まで見ていく気持ちのある方は以下、もの凄いネタバレになるので、絶対にお読みにならないように。
その展開というのは…
この前に当たる、第8シーズン、31話が、丸ごと全部、「夢だった」という事で「ナシ」になってしまったのだ!
くわー、そんなのアリか?
数十分から1話分のドラマを夢オチで締めくくるぐらいは いくらでも例があるが、豪快に1シーズン全部が夢でした、ってのはさすがに聞いた事ない。
夢と消えた31話の間に、出会いがあり別れがあり、陰謀があり成功があり失敗があり、友情があり裏切りがあって、登場キャラクターの位置も関係もかなり変わってしまっていたというのに、全部無し、31話前の状態にまでリセットをかけた状態で再スタート。
ひ、酷い。
これには事情があって、第8シーズンの冒頭で、重要な主役級キャラクターが1人、死亡するイベントが起こっていた。
それは、その役を演じていた役者さんから示された、シリーズを降りたい、という意向に沿って起こされたもの。
が、制作陣の要請によって、その人は第9シーズンからの番組再出演を決めた、その都合に合わせるべく多分色々と復活への上手い方法を考えたんだろうけど、さすがに死んでから長い時間が経つキャラを生き返らせるイイ手を思いつかなかったらしく、この強制リセットの暴挙に及んでしまったようだ。
どうせ「ナシ」にするのだからとばかり、第8シーズン最終回では、更に重要なキャラクターを2人も爆死させてしまう、ブン投げた無責任さを見せるのがまた凄い(笑)。
放送当時のアメリカでの反応はどうだったのだろうか?
何が困るって、31話(31週間)も前にキャラクター達の上に起こっていたドラマを、今更 思い出せない事だなあ。
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2003年9月9日 火曜日 |
映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/呪われた海賊たち』を見る。
監督は、余り感心しなかった『マウス・ハント』、つまらなくはなかったが少々ダレる『ザ・メキシカン』、これはそこそこ楽しめた『ザ・リング』のゴア・ヴァービンスキー。
ジョニー・デップと、『ロード・オブ・ザ・リング』で綺麗なエルフ兄ちゃんを演じたオーランド・ブルームが主演。
うーん、まあまあ、つまらない訳ではないんだけど、やっぱりどうにもディズニー臭が漂ってしまう、家族向けな、お行儀の良い映画。
呪いをかけられた海賊達の姿なんか、もっといくらでも気持ち悪くショッキングに描けたはずだが、不潔感がなく、体表面を手で触っても後になって石鹸で洗わずにはいられないって程ではないだろうなー、という程度に不気味さが抑えられている。
これなら、子供が見ても怯えまい。
しかも彼らがまた、呪いが解けた途端に腐敗していた体がグズグズに溶け始めて…とかいう事もなく、解けたらフツーの人間になってしまうお手軽さや後味の良さもディズニー。
海賊のボスにはせめて、もっと狂っていて残虐で、何をしでかすか分からない危険さが欲しかったなあ。
何か人の良いオジサン風で。話せば分かってくれそう。
ここいらに恐怖や嫌悪を感じさせられなかった事で、それと対立する人間側のドラマまで締まらなくなっているような。
でも、ジョニー・デップ扮する海賊のキャラクターは、なかなか楽しかった。
沈みかけたまま航行する船のマストによじ登り、船が沈みきる寸前に桟橋へと足を降ろす初登場シーンは、馬鹿馬鹿しくて間抜けだけど
ちょっと格好良かったりしてインパクト十分。
妙なメイクといいオーバーな演技といい、実に楽しそうで こちらまで楽しくなってしまう。
逆にオーランド・ブルームの役柄は振るわない。
マジメな好青年風なので、デップのキャラにすっかり喰われてしまい、影が薄い事 薄い事。
この程度のウェイトしかないキャラなら、犬やネコ、もしくは何らかのアイテムに置き換えて消し、「変な海賊とお姫様の恋物語」にしてしまった方がスッキリ見られたのでは。
そうすれば、2時間23分という長い上映時間ももっと削れただろうし。
アクションは、面白い所も多いが、特に後半 物足りなさを感じてしまうとか、エンディングは「こういう終わらせ方にしたい」気持ちが先行しすぎていて
ご都合気味とか、不満はあるけども…
まあ、元がディズニーランドの中でもつまらない部類であるアトラクションの一つ、カリブの海賊だから。
その映画化作品としては、望外の完成度と言えるだろう。
大コケしたレニー・ハーリン監督の海賊映画『カットスロート・アイランド』の、アクションやストーリーの壮大な空回りぶりに比べれば、遙かに良く出来ている。
ファミリーでの鑑賞や、デート向け。
WOWOW放送を録画しておいた映画『バニラ・スカイ』を見る。
監督は、あまり面白く感じなかった『ザ・エージェント』のキャメロン・クロウ。
主演はトム・クルーズ…というより何より、トム・クルーズの「俺様映画」というのが一番ピッタリ来るような内容。
別段このお兄ちゃんは嫌いじゃないけど、女性ではないので「トム様 素敵〜憧れちゃう(はぁと)」とも思えず、どうにも見ていて据わりが悪い。
マイケル・ジャクソンのプロモーションビデオで、何の曲だったか巨大なマイケル像の除幕式の最中、彼の名を声の限りに叫び続ける女性ファンが マイケルの余りの素敵さに、ふぅっ、と失神するシーンがあって、この壮絶な自画自賛、行き過ぎた俺様ぶりってどうよ?と初めて見た時にはオレまで失神しそうになった事があるが、それを思い出す内容。
いや、一応ヒドい目にも遭うんだけどね、トム・クルーズ。
それにも、「こんな可哀想なボクも、また素敵でしょ」という自己陶酔が感じられ、引いてしまう。
ストーリーは…
大きな「仕掛け」のある映画だが、それを用いて何かを表そうとしたのではなく、「仕掛け」を何とか成立させようと
そればかりに心を砕いている印象。
だから、「仕掛け」が発動しても、「へーそうなんだ、それで?」としか思えず、一生懸命
囲い込んだ中身に実はトム・クルーズの「俺様ぶり」以外 何も入っていない事もあって、見終わると残るモノがない。
いや、娯楽映画なら見ている間だけ楽しいって有り様もアリだと思うんだけど、トム・クルーズの(自分だけ)楽しそうな演技以外は、別に見て嬉しい内容でもないからなあ。
トム・クルーズ ファン以外には、余りお勧め出来ない映画。
ああ、恐いキャメロン・ディアスもそれはそれで見所か。
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2003年9月8日 月曜日 |
『仮面ライダー555』32.
デルタのキックは、飛び込んできた巧の乗るオートバジンの横腹に当たり、威力を失った。
あー、まあ解決法としては こんなものだろうな(笑)。
あのキックの威力はそんな程度なのだろうか?
巧のバイクは姿勢を崩すほどにも衝撃を受けていなかったようだけど。
オルフェノクにしか効果がない技であるとか。
オートバジンの超高性能をもってして、初めて威力を殺す事が出来たとか。
キックがきちんと蹴り込む体勢まで行っていなかったから、例えボクサーのパンチでも拳を振り切る前ならば勢いはかなり弱い、って事で大丈夫だった?
ラッキー・クローバーの琢磨こと、『アギト』の北條刑事。
登場当初は秘めた実力を感じさせて格好良かったのに、今ではザコ以下の悲惨な扱いで、ほとんどコメディー・リリーフ。
役者さんは どう考えているのだろうか。
いや、意外とこういうヨゴレな役の方が演じ甲斐があり、視聴者の印象にも残ったりするので、喜んでいるかも知れないか(
^_^ )。
草加の、かなり無理があると言ってもいい計略にまんまと乗せられ、仲違いを続ける巧と木場。
直接会って、ちょっと言葉を交わせば解ける程度の軽い誤解だと思うんだけど、なかなか上手く行かないなあ。
逆に、澤田は、どれだけ言葉を交わしても届かないかも知れない程、真理との心の距離が開いてしまっている。
やっぱり、「コミュニケーション」がテーマじゃないのかなあ、この作品。
そういう作品で、変身に使われる重要なアイテムが「携帯電話」というコミュニケーションの道具である所が意味深。
言葉を伝えるべきその道具は、そのまま武器にもなって相手を傷つける事が出来る。
…という辺りを強引に解釈していくと555のテーマ論に出来るんじゃないだろうかとか思ったり思わなかったり。
『明日のナージャ』31.「泣かないピエロ」
なかなかに切ない話で、胸に染みた。
正しく、優しく生きようとするアーベルは、現実の厳しさの前に破れてしまう。
結局彼は報われてない…って事になるのかな?
善行は代償を求めてするモノではない。それは確かに真理であろうが。
このアニメは、頑張ったり、幸せを求めて懸命に生きていたりする人達の想いが、必ずしも報われる訳ではない、という冷たい現実を、意図的であろう何度も描いている気がする。
設定視聴対象の年齢層には、厳しい内容かな。
いい歳の人間には、素直な「必ず最後に愛は勝つ〜」というパターンよりも、そういう話の方が面白く感じられたりするんだけど。
『金色のガッシュベル !!』22.「踊りつづける緑の戦士」
涙腺に来る泣かせの話で、クライマックスはもうボロボロに。
少女の母親と祖父は、魔物の襲撃によって亡くなった、という事なのだろうか?
少女がなかなかに豪勢なお弁当を持っていた事や、怒りが「ひどい事をされた」レベルで留まっている所を見ると、命までは取られなかったと見るべきかな。
踊りの文句以外には言葉を発する事が出来ないヨポポ。
ベラベラと余計な事を喋らない事で、気持ちがかえってストレートに伝わってくる。
その気持ちを支えようとする清麿とガッシュの必死な戦いも染みる、良いお話でした。
この作品は、基本が『バトルロワイヤル』であり、『ポケモン』『デジモン』の変形パターンでもある。
大きく違うのは、パートナーである魔物(モンスターであり、与えられた「武器」)と言葉を交わし、友達として、あるいは利用価値のある存在として、深い友情や緊張感のある関係を構築できる事。
そして、彼らにより「力」を得る事によって、その人間自身が元々持っていた本性や欲望が表面に現れてくる事。
力による本性の発現では、『仮面ライダー龍騎』に近いのかな。でもアレは、「元々本性を隠そうともしていなかった人間が、厄介な事に力まで手に入れてしまった」というのが正しいか。
魔物と人間の個性の組み合わせを様々に変えコンビとしての有り様を違える事、その違う性格のペアを
また違う性格のペアと戦わせる事で、かなり多くのストーリー・バリエーションを作る事に成功している。
簡単に言えば、巧いなあ、って事( ^_^ )。
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2003年9月7日 日曜日 |
今頃になってようやく、ビデオで『ラーゼフォン 多元変奏曲』を見る。
面白そうな要素をギッシリと取り揃えながら、ほとんどどれも活かす事が出来ず、『エヴァンゲリオン』後追いの企画として勿論
本家を抜く事など及びも付かないまま、謎解きもドラマもブン投げたようなラストだけ『エヴァ』っぽいねー、などと言われて終わったテレビシリーズを映画化した物。
ああ、うん、テレビよりずっと見易い。
新規に作成された、主人公達の学校生活から始め、その後も時系列に沿ってドラマを並べ直しただけで、こんなにも印象が違う、分かり易い内容になるのかと感心。
「謎」については…
解決が付いたんだろうな、多分。
多分、というのは、やっぱりテレビシリーズを2時間ばかりにまとめるのは無理があって、「謎かけ」の部分は「テレビを思い出してね」ぐらいにしか示されておらず、「答え」だけをダーッと教えてもらっているような構成だったため。
ごめん、テレビで示された「謎」っていうモノそのものを、もうあんまり覚えてないんだよね(笑)。
だから、「答えは赤と白と黒のサルでした〜」と言われて、「え?ちょっと待って、そのクイズの『問題』って何だったの?」と問い直したいような気分になるばかりで。
劇場公開時に見ておくべきだったんだろうなあ。
テレビからこんなにも間を空けて見ては、製作者が狙ったのであろう効果や感動を受け取れない。
テレビの内容をすっかり忘れた頃に、劇場版『555』を見たような気分。
時間がないから仕方ないが、映画だけとして見ると、キャラクターが誰が誰だか分からない。
功刀がTERRAの司令官だという事すら、テレビを見ていないで理解できる人の数は疑問になるほど。
しかし、この映画版は「主人公を巡る三人の女達、紫東 遙、朝比奈 浩子、そして主人公ママ・神名
麻弥の熾烈な戦い」を描いた作品として よくまとまっており、面白く見られる所に価値があると思う。
冒頭、新作部分である放課後の校内シーンで、綾人と遙が2人だけでイイ雰囲気になっている教室へ浩子が入ってくる。
「ごめんなさい!」と口では言いながらも、なかなか教室を出て行こうとしない浩子(そういう自分を気遣って綾人が近寄ってくる事を期待している)。
まんまとワナ(笑)にはめられ、ノコノコと彼女の方に歩いて行こうとする綾人の腕を取り、自分の側に留める遙(彼女には、浩子の態度が「挑戦」であると分かったのだ。だから「渡さない」毅然とした姿勢を見せた)。
最早ココまで、と教室を後にする浩子(負けた!あのアマぁ覚えてやがれ!)。
続いて舞台は神名家。
表面は和やかに談笑する綾人、遙とママ。
相手が彼氏のママであり、まさかライバルになる事などあるまいと油断して信用し、田舎に行くため(だっけ?)東京を離れる事を口にする遙。
「それはいいわ、そうしなさい」と、無表情なままで不思議な勧めを口にするママ。
MUの指揮官(?)である彼女は、数日後に東京ジュピターが形成され外部との通行が不可能になるのを知っており、それを切っ掛けに、「愛する息子に近づく悪い虫」を永遠に排除できると喜んでいた訳だ。
手に汗握る苛烈な戦い!
恐い、恐いよママン!
その後も彼女達による争奪戦は続き、同棲生活を送って心を捉えたかに見えた浩子は、そうとは知らないまま、彼女を守ろうとする綾人自身に殺されるという悲劇で脱落。
「年上」というハンデが付いてしまった事に焦った遙は、監視カメラをモノともせず、童貞少年への最終兵器である女の肉体を駆使し、「最初の女性」になる事によって相手の心に深くオノレを刻みつけてしまう。
さすがのママンも これには敵わず(せっかく美人なんだから、負けずに息子に迫ればいいのに…ってそれはオレの漫画か)、渋々息子を諦める決断を下す。
…という感じの、激しい戦いが描かれる映画。
そりゃもう、ドーレムとのバトルだとか、ラーゼフォン同士が世界を壊滅させつつ行った決戦なんか、この仁義なき「女の戦い」の前にはコドモの遊びに等しい!
そういう所は、非常に面白かった。
製作者がそんな感想で喜んでくれるのかどうかは知らないが(笑)。
『機動戦士ガンダムSEED』47.「悪夢は再び」
ええと、アズラエルがニュートロンジャマー・キャンセラーのディスクを手に入れてから、今回の話までにどれくらい時間が経ってるのかな?
窓外が海底っぽい所で連合の偉いさん達と会議をしていた様子からすると、一度
地球に戻ったっぽいが…
NJキャンセラーって、こんなにも早く、簡単に量産して、核弾頭に装着ができる物なのかなあ。
ザフトの秘密兵器、ガンド・ロワ(笑)にしても、登場が唐突すぎて面食らってしまう。
てっきり、こちらも対抗手段として核を打ち込むんだと思っていたのに。
ファースト『ガンダム』において、宇宙で両軍が使った秘密兵器、ソーラー・システムとソーラレイも結構唐突な印象ではあったから、伝統、と言えるのだろうか?
ただ、ファーストではほとんど視点をホワイトベースに固定してあったため、両軍の秘密兵器については主人公達自身知らされていなかった、だからイキナリ登場する、で、納得できなくはなかったが、『SEED』は首脳陣が画面に良く出てるからなあ。アズラエルなんか普通にレギュラーだし。
一緒には出来ないか。
「持ってるんだから使えば良い」というアズラエルの乱暴な思考形態にもビックリ。
独占している兵器じゃないんだから。
やれば、やり返されるとは考えなかったのだろうか?
意外にもザフトは一発の核も持たない、という事実を掴んでいるなら別だけど、そうでなく両陣営が持つ限り、巨大すぎる破壊力と被害を生み出す「核」って、交渉のカードや脅迫材料にはなっても、現実に使うもんじゃないような。
巨大すぎる的である地球に、報復の核を打ち込まれたら どうしようとか、考えなかったのだろうか?
自分他首脳陣は地下深くのシェルターに避難していれば大丈夫、エネルギー不足でエライ事になっている地上の愚民共など少々(数百万・数億)死んでも構わない、それよりも薄汚いコーディネーターを皆殺しにする方が先決…なのかな。
連合による核の使用を、事前に議長に匂わせるクルーゼ。
……何のために?
ザフトが憎い、それが行動動機かと思っていたけど、どうも人間が全部憎いみたいだな。騒動を大きくして喜んでいるような。
人工的に生み出された自分。
健康に生きられず、寿命も短い命である事で厭世観を募らせ、こうなったら出来るだけ多くの奴等を地獄への道連れにしてやる!と思ったとか?
重すぎる感染病を患った際、多くはそれでも強く生きようとし、他の人達に病気の怖さを訴えたりする人もいるが、ブチ切れて「1人でも多くの人に病気を伝染させて、オレと同じ苦しみを味あわせてやる!」と考える弱い人間も居るだろう。そういうタイプだったという事か?
ドミニオンの艦橋で、オペレーターを務めているフレイ。
あー…何故?
クルーゼに拐(かどわ)かされる以前、フレイは物語の行く末さえ左右しかねない重要で面白いキャラだった。
その彼女の帰結点として、文句ばかり言う事で知らずに済ませていた「戦場の恐ろしさ」を目の当たりにし、キラや皆の気持ちを理解する…というのは悪くない。
しかし、ココに辿り着く話なのが決まっているなら、ザフトに誘拐されていた間の処遇や行動は
あんなに意味の無いモノにならないだろうし、帰って来るに到る過程も「ディスクを持った使いっ走り」になど、なるはずがない。
この娘をこんなに「殺して」しまって、誘拐劇では何を描きたく、結果として何を得たのだろうか?
前回、あれほど彼女を心配したキラが、今回まるでその気持ちを引いていないのも不自然(あれからかなりの日にちが経ってる?)。
かなり強引に物語を進めている印象。
総集編を多く挟んだツケが来ているのか?
この調子なら、どうとでもストーリーをまとめられるだろうとは思うけど、取りこぼす物がたくさん出そう。
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2003年9月5日 金曜日 |
『宇宙のステルヴィア』23.「だからあなたがいる」
コズミックフラクチャーの接近により人類存亡の危機に際している事で、様々な反応が人々から現れてくる。
不安を煽るように、街角で宇宙での計画を批判する演説を行う政治家。
ただそれに不満をぶつける若者。
グレート・ミッションの時にはなかった、暴動などの騒ぎも起きている様子。
でもまあ、これが普通だろうな。前回の時の人類が、お行儀良すぎたのであって。
ふと『さよならジュピター』を思い出してしまった。
あれも異星人の船が登場し、地球に迫る宇宙の脅威があり、何だかドッカンと爆発させてその衝撃で相手の軌道をどうにかしようという乱暴な解決法を試みた訳で(笑)。
光太。
努力しなくても天才的な能力を発揮できる美少年であり、人間関係にも悩まされる事のない、所謂「完璧超人」なので、これまでは面白味も人間味も感じられなかった。
弱点を設定するか、もっと分かり易い苦悩をさせないと、ペラペラに薄いキャラで終わってしまわないか…と不安だったんだけど、いやあ大したモノで、そこを乗り越えて、「人間関係に悩まされる事なく過ごしてきた事実そのものが、悩みになる」という一段上のキャラクター描写を見せてくれた。
いや、それは今回に始まった事ではなく、ずっとそう描き続けられてきたのだ。
オレがその描写を理解・納得できなかった、ここで初めて作品とチャンネルが合った、というだけの事で。
そんな彼と一緒に居たい、肩を並べて共に進んでいける自分でありたいと思う余り、優しく差し出される手を拒絶し続けてしまう志麻。
なまじ才能があるばかりに、「どうせ敵わないんだし」と開き直って諦め 愛情にだけすがって甘える事が出来ず、しかし努力で簡単に埋められるほど「天才」との間の溝は浅くない。
ギリギリ張りつめられ、限界を超えて精一杯 背伸びをしようとする志麻の姿は切なく、痛々しく、いい歳のオヤジからすれば「イイ娘だねえ」と見えるのだが、男性的視点からすると「ウゼエ」になってしまうのかも知れないな。
そういう精神状態にある彼女と真正面から衝突しないで済むのは、光太の特異な性格に寄る所が大きいのだろう。
そのお陰で現状維持が出来ている、というプラスもあるし、ケンカして言いたい事をお互い全部言った後に仲直りする事で絆をより強くする、という解消法が使えないマイナスも、同時にあるか。
そんな2人を取り巻くアリサや りんな達、友人一行。
多分、何も出来はしないのだが、志麻や光太の側にいたいと願い、リスクも恐れずに見せた行動は、無謀で愚かで、しかし「友達」であり続けようという心意気が染みてきて、気持ち良い。
こういうもんだよね、この年代の友達って。
こういう所が嬉しいんだよね、友達って。
志麻母。
そういえば、シリーズ冒頭以来、2人はきちんと仲直りをしていなかったんだよな(メッセージを読んだりはあったが)。
「そういう(娘の気持ちを理解してあげられる)物分かりのいい私より、自分勝手な私の方が強いのよ〜」
というセリフ回しの巧さには感心。ああ、分かる分かる( ^_^ )。
続く「あなたが好き。あなたを愛してる」「私はあなたという娘を産んで、良かったと思います」というセリフに込められた想いと力強さには、ホロリ。
命が危険であるような大イベントを前にでもしなければ、生涯口に出来ない言葉(ああ、結婚式なんかでも言われてるかな)。
「家族」が、これまでにもっと深く物語に食い込んできていれば、更に胸に染みるシーンに出来ていたと思うが。
「だからあなたが居る」事への感謝を込めて、志麻を抱きしめるアリサの気持ちも嬉しく、ほろほろと泣かされっぱなし。
作画に少々乱れが見えたのは残念。
さすがにグレート・ミッションのような肩すかしは、今回は出来ないだろう。
引いてきた伏線やキャラクター描写を集約し、結実させる、見てきて良かったと思わせてくれるクライマックスを期待したい。
『出撃!マシンロボレスキュー』35.「誠の初恋物語」
ゲストキャラとして、天才少女医師・早乙女 亜希が登場。
医者としては非常に有能でありながら、普段の生活ではすぐコケるドジさ加減を発揮。
萌え〜の担当としてイイ感じだなあ、と思って見ていたが…
余りにも哀しい話に。
限りある自分の寿命を知るからこそ、理不尽な病気やケガに見舞われた人達を助けたいと願う亜希。
突然起こる災害から人々を助けたい誠と、同じベクトルの夢を見る少女であり、彼が惹かれるのも当然だったのかも知れない。
炎に包まれるビルの中で、どうせ長くない命だからと諦めてしまう亜希に叫ぶ、「人を助けたいって言ってるクセに、自分の命を真っ先に諦めて、どうするんだよ!」という誠のセリフが素晴らしい。
誰か死んでしまう話は、オレも描くのに何だけど(汗)、ちょっとズルいというか
そりゃあ可愛い子や一生懸命生きている人が最期を迎える場面は感動的だよね、と思ってしまうのでいつも無意識に引いて見るのだが…
この話では、その死が誠を、哀しませ、嘆かせるだけでなく、「これから2人で、もっと、たくさんの人を助けよう、ね…」と言い残し笑顔で逝った彼女の心の分まで背負い、レスキューに駆けていく彼の姿を切なくも力強く、真っ直ぐ前を向いた「漢の顔」に描く事で、プラスの印象さえ残して終わる事に成功している。
いやあ、巧い。
シリーズの大きなターニングポイントにもなれる程に出来が良い話だった。
悪くはないんだけど少々「普通」な話が続いている印象の『マシンロボレスキュー』だが、時折こういう話が入るから やっぱり見逃せない。
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2003年9月4日 木曜日 |
『ボンバーマンジェッターズ』49.「シュヌルバルト奪還!」
このアニメは毎回 安定して面白いのが当たり前になっているので、もうすぐ最終回な事もあり、全て終わってから感想を書こうと思っていたんだけど…
いやあ、ムジョー復活の格好良さにやられた( ^_^ )。
ヒーロー並みにケレン味のある再登場。
バグラーとの再会で、何を言うよりも先に、互いに半分に折れた割り箸を差し出し合う、印象に残る思い出のシーンからの引きには、不覚にもホロリと来てしまった。
大切に大切に、愛情を込めて描かれたキャラクター達を見ていられる嬉しさ(ゼロに、マイティはその最期に自分たちを恨んでいなかったかと尋ねるDr.アインなんて、もう)、微塵も破綻への不安を感じさせない絶妙なドラマ運び。
レベルの高いアニメーションを味わう喜びを感じさせてくれる30分。
でも、もう じきに終わりなのかあ…
『スクラップド・プリンセス』20.「聖なる崩壊の序曲」
囚われの身となったパシフィカとシャノン。
王の御前に引き出された2人、そこにもう1人のピースメイカー・ステアが現れる。
無理解な王宮勢により企まれる謀略。
視聴者に対し、更にストレスを与えて「タメ」にするべく、王宮とピースメイカーが手を組んでパシフィカ達を弾圧する…
という展開になる物だとばかり思って見ていたが、圧倒的な力を持つピースメイカーは、人間の申し出になど答えるつもりは微塵も無かった。
それどころかステアは、自分たちを利用しようとする人間が現れた際には、人類の9割程度を「間引いて」、文明を白紙に戻す権限を有していると宣言、王都に激しい攻撃を加え始める。
身近な、実感的な「敵」である王宮側が立てた計画が脆くも崩れ、彼らが呆然とする前で王都が灰燼に帰そうとする。
人類全体から見れば危機的な状況だが、シャノンの「世界ってのは こいつ(パシフィカ)よりも価値があるもんなのか?こんなちっぽけな妹1人、存在を許してくれない世界の価値って、一体何なんだ?」という問いかけにもあるように「世界」とパシフィカは対立する相容れない存在として描かれて来たため、超越者であるピースメイカーによる「世界」への滅びの裁きは、パシフィカ側に立って物語を見ている視聴者にとって一種、解放の「カタルシス」でさえある。
この構成の巧さには驚かされるばかり。
第2級神罰執行形態(今更だけど、このネーミングセンスの良さ!)を現した3体のピースメイカーと、シャノン達人類側による最終戦争の開幕。
怒濤の盛り上がり!
早く次回が見たくなる面白さだ。
『おねがい☆ツインズ』07.「おもいでづくり」
一行は思い出の海へー。
思い出、というのは、前作『ティーチャー』でも踏んだ地だから。
みずほ先生(プラス旦那)は その記憶を踏まえたセリフを語り、前作でも出たゴールデンレトリバー連れの幼女は相変わらず恋に憧れている。
現生徒会長は…前作では「醒めた目で周囲を見ている」程度だった気がするが、今作では「積極的に事態への介入を目論見、事件の目撃者になる事に価値を見出している(要するに悪質な野次馬というか)」へと変化(進化?)を遂げているような。
皆に酒を飲ませたのは、本音を引き出したかったからかな。
ホモ疑惑の同級生や副会長、実の妹に妙な妄想を抱く兄ちゃんと、ギャグ担当キャラの転がし方は上手い物で、結構笑わされてしまった。
が…笑い・明るさ・健康さが正面に出てしまっているため、「危うさ」が薄くなってしまっており、「一緒の部屋に男女で居ると自分を押さえられそうにない」という麻郁の感情にイマイチ説得力を感じない。
全然問題なく夜を明かしそうな雰囲気に思える。
深衣奈・樺恋、2人に「色気」が不足して見えるのも原因かなあ(もちろん、可愛くはあるんだけど)。
「色気」なら、ないすばでーを披露してくれる副会長の方が、外部ライバルキャラという美味しいポジションに居る事もあって、ずっと濃く感じさせてくれる。
麻郁の視点で、女の子2人が輝いて見える様子や 彼女達に強く惹き付けられている精神状態を示してくれれば、もっとドキドキ感が醸し出せたのかも知れないけれど。
ホモ疑惑について問いただされた麻郁の同級生が言葉を濁すのに対し、「嘘よ、そんなの」と呟く副会長。
あー、彼女の真のターゲットは こちらだった、という事で麻郁争奪戦線から離脱してもらう予定がシナリオにある?
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2003年9月3日 水曜日 |
『フルメタル・パニック?ふもっふ』03.「鋼鉄のサマーイリュージョン」
真夏のビーチにて。
薄幸・病弱なお金持ちの美少年が、実はなかなかに凶悪な性格をしているという落差が何とも。
長い間 想い続けながら、結局は美少年を捨てて(そもそも彼女は従兄弟としか思ってなかった?)他の男と駆け落ちしてしまった美しい従姉のために人間不信になり、逆恨みから彼女と「今度会ったら八つ裂きにしてやるぅぅーっ!」と絶叫する、壊れっぷりも愉快。
宗介を迎え撃つ、お屋敷の従業員でありボディーガードである3人組との戦いは、もっとじっくり見たかったなあ。
特に、『007・ゴールドフィンガー』のオッドジョブのような帽子投げや傘、体術を駆使し、しまいにはマトリックス風にのけぞってグレネード弾さえかわす変態執事(笑)は、いじるほど面白くなりそうなキャラだったのに。
まあ、彼らがアッサリやられていく過程そのものがギャグを構成している訳で、この『ふもっふ』に満腹感のあるアクションを期待する方が間違いか。
自分を騙した かなめに怒り散らす美少年を押さえつけ、「事情は知らんがだまされる貴様が悪い。無能な部下に守られ、判断を曇らせた貴様自身の失策だ。ここが戦場なら、貴様は十回以上死んでいる」という宗介が、格好良いような そうでもないような(笑)
微力を尽くして宗介と戦おうとした少年の心意気を認めるのは、素直に格好良かったね。
現実から逃げて閉じこもっていた少年を救うには、自分に好意的とは限らない世の中と対面させ、自身の力で運命を切り開く気力を呼び覚ます事だったのかな。
荒療治としては効果的だったのかも。
…結果論であり、宗介自身は「事情は知らんが」だったので「たまたま」良い効果を与えた、という事だけど。
特に前半部、原画の個性が出たアクの強い作画が見られた。
手が短かったり体がストンと長く見えたりと絵に非常にクセがあったが、動きや「間」の表現が上手くて、こういうアニメーターさん好き(
^_^ )。
米で、首に爆弾を取り付けられた男が、それを付けた何者かの指示で銀行強盗をやらされたと主張し、その爆発で死亡する事件が起きた。
無くなった方が居る訳で不謹慎だが、映画みたいだなあ、というのが感想。
新『ルパン三世』の第10話「ファイルM123を盗め」で、ルパンが爆弾を付けられて盗みを強要される話もあった。
日本なら、これに影響を受けた犯行ではないか、と言われていたかも。
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2003年9月2日 火曜日 |
『D.C.〜ダ・カーポ〜』09.「謎のポエマー」
どうもポエマーと聞くと、メルヘンポエマーである水無月十三先生を連想してしまう(笑)。
メインは、謎のストーカー(?)が音夢の周囲につきまとう お話。
と言っても、さほど緊張感がある訳でなし、だからその唐突な正体が明らかになるオチにも落差が生まれず、笑いにならない。
キモは、怯えた音夢が大きなぬいぐるみを抱えてパジャマ姿で義兄の部屋を訪れ、「眠れないの…」とうつむき加減で訴える所かな。
確かにコレは、くらっ、と来るシチュエイションだ( ^_^ )。
短編アニメの方は、本編の主人公である義兄の視点をカメラに変え、彼がいつも見ている音夢の姿を追ったモノ。
どうせなら視聴者をより主人公と同一化させるべく、彼のセリフは一切排除して、字幕の形で下にでも出し、見ている人に読ませるなどしても良かったかな。
んー、でもギャグになりそう?
トイレ、風呂場と、音夢が無防備な姿をさらす場所を押さえて行くサービス精神は結構。
ただ、枚数制限の厳しさを伺わせる動画の少なさと(一枚ずつのレベルは高いんだけど)、すぅっと終わってしまう構成のため、イマイチ「見た」満足感が薄くなってしまっているのは残念。
『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』03.「マジッ!小麦ちゃんは2度3度死ぬ!?戦慄の狂い咲き伊豆伊東ロード!」
監督を『ガオガイガー』の米たにヨシトモ氏に変えての第3話。
主人公が死んだ、という所から お話を始めるムチャな発想は面白いと思ったし、キャシャーンやら何やらタツノコ系のコスプレ姿で小麦が登場して見せてくれるのを眺めてると単純に楽しいけど、全体にギャグは滑り気味。
前作までの、2ちゃんねるネタ、コミケネタといった、客層を大きく限定しつつも確実にソフト化の際の売り上げを読む、ヒネくれた作り方が見られなかったのも残念。
流れから、今回は「ゲーム業界残酷物語」とか「アニメ業界の真実」、「声優業界勢力分布図」(笑)なんていう危ないネタでもやってくれるかと期待したんだけど。
あるいは、流行りに乗っかって、せっかくタツノコでもある事だし取材を駆使し、「タツノコ関係トリビア」でもやって見せるのはどうか。
「キャシャーンは、『華奢』という言葉をもじって付けられた名前だという説があるが、実は、宝のありか=平和(CACHE)に導く(ERN)者という意味がある」など。
「うんちく王」的に、小麦と こよりが蘊蓄対決する形式でもイイかな。
タツノコ系のセルフパロディーまでも全てやめ、小麦というキャラクターを前面に押し出したオリジナルアニメとして勝負していく・積み重ねで面白くしていく強い意志があるのなら、それはそれで構わないと思うけど。
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2003年9月1日 月曜日 |
『仮面ライダー555』31.
先々週に引き続いての、「ミサイル一斉攻撃を受ける寸前 引き」の解決法は、ファイズアクセルを使用しての遁走。
先週の、主人に忠実なオートバジンが身を盾にしてくれたガードに全く感謝せず、今週の搭乗メカを思い切り見捨てて逃亡する様子から見ても、メカにとって忠義の甲斐がないマスターだなあ(笑)。
オートバジン、よくダメージを受けている気がするがその修理は、また攻撃に使った弾丸等の補充は、誰がやってくれてるんだろう?
ナノマシンとか空中元素固定装置をオートバジン自らが駆使して?
それとも、スマートブレインの補修班が、「我が社の製品は世界一ィィィ!」とばかり親切に手入れしてくれてるのか。
実のところ、「そこは考えちゃダメ」なんだろうな。
お話は、またも停滞期。
コミュニケーション不足で誤解を生じ、割と何となく解消される、というパターンが好きだねー。
いや、大きく状況を変えないまま、キャラクターの関係に様々な組み合わせを試していくだけでもストーリーをもたせてしまう作劇能力は、凄いと思うんだけど。
シチュエイション・コメディーの様相。
ただ、怒濤の展開であった劇場版を見てしまった事もあり、ぼちぼち、また大きく物語を動かして欲しいフラストレーションを感じているのは事実。
引きを強力にする…クリフハンガー的な続き方を心懸けているのか、今回は真理にキックを食らわす寸前のカイザ、というカットで終わった。
次回が気になるけど、これまでのパターンからすると さほど意外な展開は見られず、「まあそんな所でしょう」ぐらいの解決法が用意されてるんだろうな(
^_^ )。
『爆竜戦隊アバレンジャー』27.「アバレッドはアバレブルー」
レッドとブルーの人格が入れ替わる話。
正直、元々演技慣れしているとは言い難い役者さん達ではあると思うけど、一生懸命に演じている事が伝わり、「入れ替わった2人が、再度入れ替わった(要するに役者さんは普通の演技をするだけだが)フリをする」といったややこしくて面白いストーリーの力もあり(トリノイドの「正義の味方のクセに嘘つきやがって!」には大笑い)、大変に楽しく見られた。
以前の、ブルーの役者さんが女装する話とか、もしか彼が今後も俳優として生き残って行けたなら、「○○さんは昔、こんな事をやっていたんですねぇー」と笑われるネタにされそうなのにも構わず、熱演していたのには感心した。
子供向け特撮番組に出るのは、昔なら役者生活にプラスにならないどころか大変なマイナス要因だったと思うが、最近は、上手くすれば
お母様方の人気を取れ、写真集を出してみたりで、その後の立ち回り方によってはファースト・ステップとして有効に働く場になってるからなあ。
熱演の価値はある。
いや、そういう不純(?)な動機ではなく、ただ目の前の役に全力投球してる役者魂の発現かも知れないか。
入れ替わった事に、子供らしい直感で気が付いていた舞、というオチも気持ちいい、楽しい話だった。
あ、でも、知っていながら知らないフリでブルーを振り回した舞は、誰よりも策士だったと言えるのかもね(
^_^ )。
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