ときどき日記 03/10(後)

2003年10月31日 金曜日

『無人惑星サヴァイヴ』03.「ほんものの風、ほんものの海」

 事故により、母機と離れてしまったシャトルは、未知の惑星に不時着する。

 メノリが救難信号の発信を要求したのに対し、シャトル搭載コンピューターの返答は「不可能」。その原因を更に尋ねると、コンピューターは沈黙。
…もしかしてコレは、仕組まれた事故?
 テロリストなど悪意を持つ犯人によるものか、あるいは海に着水したら「たまたま」脱出用ゴムボートがシャトルに積んであった、という都合の良さからすると、元々少年少女達の成長を促すために組まれたプログラムだとか(チャコが密航するのも計画の内)?
でも、怪物に襲われている訳だから、それは無いか。

 ジュブナイルとしては、なかなか面白くなってきた。
 海の怪物との戦いを、知恵と勇気で乗り越えて見せてくれれば盛り上がるんだけどな。
持って出たレーザーガンで安易に解決しちゃうと、ガッカリ。



『魁!!クロマティ高校』「センチメンタル・バス」他

 怖い顔なのに乗り物に弱い竹之内 豊を、徹底的にイジメた話。
 乗り物酔いが限界の時に、ぬるいプリンなんか食べたら そりゃあ倒れるよな。
しかし何で食べたんだろう?
タクシーでの顛末を見ていても、とにかく押しに弱いからか?実は食べずに見ているだけで気分が悪くなってダウンしたのだが、周りが勝手に原因を「プリンを食べたから」としたとか?

 タクシー上での世界地図のネタや、運転手の実家に来てしまったなど、余りにもベタなネタばかりなんだけど、テンポ良くポンポンと進んでいくもので、つい笑ってしまった。



 ヒストリー・チャンネルで放送していた『カラーで見る神風特攻隊の悲劇』を見る。
 こんなにも沢山のカラー映像が残っていた事に、驚く。
 日本人としては、特攻機が米艦に突っ込んでも、その前に撃墜されても、複雑な気持ちになってしまうな。

 米制の番組だが、番組中のナレーションで、
「米軍は自殺攻撃隊を組織する日本軍を理解できませんでした。
それに対して日本は、数多くの女性と子供を原爆で殺す米国を理解できなかったのです」
と語られていたのが印象的だった。


2003年10月30日 木曜日

『R.O.D -THE TV-』03.「神保町で逢いましょう」

 うわぁ、今回も事件らしい事件は起こらなかったよ。
それどころか、紙使いの能力を使った場面自体が、荷物を運ぶのを紙人形に手伝わせている所と、画面には出なかったが神保町に辿り着くために使ったのだろう所のみ。
 ダラけ〜た日常風景を描いているだけなのに、こんなに面白いのが不思議。
かなり突き詰めて考えられたキャラクターが生み出す魅力と、演出・作画・背景による、ある時は詰め込み ある時は抜いた画面内情報量のコントロールにも寄るモノか。

 キャラ。
 姉妹中で一番だらしない、頼りない長女が喜色満面で書店を渡り歩く所がおかしい。
お金は無いはずじゃ…カードのローンで買ったのか、「生活に使う金はないが、本を買うお金はある」というダメ人間の理屈か(笑)。

 前回から引き、「狭くて暗い所に巣作りをする」次女の性格で、笑いを生み出せる所まで持って行ってしまう巧さ。
 妹の命令に逆らえず、ねねねを探さなければならない義務感と、書店に乱入したい欲望に引き裂かれてヨロヨロになっていくのが可哀想で。

 「アタ坊だじょ〜」と、アニタに、勝手に付けたあだ名をヒネったイジワルを言う ねねねも、イイねえ。
彼女とアニタ、精神年齢が近い者同士、反発しながらも気が合っていく様子が楽しい。

 ファンレターの数で分かる現在の売れっ子 女性作家が、ねねねに言う、「私、先生のすっごいファンだったんですよ」という過去形の言葉に込められた、無邪気な(悪意アリ?)トゲ。
これ、結構効くんだよね(笑)。作家に言ってはイケナイ迂闊な言葉、ベストテンには入るんじゃなかろうか。
 ねねねに届いたファンレターの束に、開封された跡。
うん、リアル。
大手出版社だと、作家宛に届いた郵便物は、もしかして危険物が入っているかも知れないので、一度 編集者が開封してチェックする事が多い(必ずされる、という訳ではない)。
酷くデリケートな作家の場合には、誹謗中傷だけを並べている手紙についてのみ、作家に渡さない、という判断が必要になる事もあろう。
特に、ねねねには彼女を敵視する者が居るようだから、内容を調べておくのが編集の義務。

 神保町の町並みが実にそれらしくて、懐かしい。
よく、さまよい歩いたもので。
 本好きにとっては確かに、宝の山みたいな所だよね。

 OVA版でも見られた、不思議とドコかで見た気がするエレベーターで地下に下りると、やっぱりあった謎の地下書店。
そして、読子・リードマンが水たまりでコケかけた十字路を過ぎて、辿り着く倉田ビル。
これまた、不思議と懐かしい気がしてしまう。
 古書店街に愛されている読子。
彼女だけのために、希少本を集めた青空古書市が開かれるのが、妙に嬉しかったり。

 ねねね。
3人組を住まわせた事で やかましくなり迷惑をかけられているけれど、恐らくはいつも読子のビルを訪れた後に、嫌でも感じていた寂しさや虚しさを「感じなくて済んでいる・感じる余裕も無い」事により、救われてもいるんだろうな。

 とにかく面白い。



『GUNSLINGER GIRL』03.「少年 - ragazzo -」

 主人公達が行っている行為が、「正義」には基づいていない、という事がハッキリしてしまった。
 ちょっと、キツいかな。
『攻殻機動隊』なんか、かなり極端な事をやってたりするんだけど、その行動が一応「正しい」側に属している事で、視聴する側は「楽」になっていると思う。
 形だけでも免罪符はあった方が…いや、個人的には このままでも平気だけど。

 リコがホテルで働く少年と出会うシーンで ほとんど今回のネタが割れ、「仕事中に誰かに見られたら、必ず殺せ」という事前の警告ゼリフでダメ押し。
その後は、予想した通りのストーリーを画面がなぞるのを、確認するだけになってしまう。
 ダメ押しのセリフだけでも無くした方が良かったかなあ。
でも、そうすると少女にも「罪」があるように取られる恐れがあるか。

 ドラマに代わってキモとなるべき、ガン・アクションの迫力も緊迫感も、1話目を下回ってしまったのが痛い。
ここがもっと凄みを持って演出されていれば、それだけでも価値付けが出来たんだけど。
 …とはいえ、淡々と人を殺す任務を遂行するリコが、ほんの僅か心を揺るがせただけで知り合った少年をも すいっと殺し、しかし翌日はその事を覚えてさえいない。
彼女にとっても組織にとっても、「悲劇」など起きなかった。
ただ、死んだ少年の周囲と、画面を見ていた視聴者の心の中にのみ、「悲劇」は存在するのだ。
…という、無力感だか寂寥感だかを残そうとする話で、余り派手なシーンを作ってしまうとテーマがぼやけてしまう恐れがあり、バランス取りは非常にデリケート。
 難しいなあ。



 映画『キル・ビル Vol.1』を見る。
 監督は『パルプ・フィクション』のクエンティン・タランティーノ。
 主演がユマ・サーマンで、共演にルーシー・リュー。

 んーーーーー、面白かったんだけど、これは何と言えば良い映画なのかなあ。
普通だと「バカ映画」になるのだろうが、どうもスクリーンの向こうに「バカ映画」呼ばわりされるのをワクワクしながら待っているタランティーノ監督の顔が見えるような気がして(笑)。

 あ、なるべく情報を入れないで行った方が楽しい映画だと思うので、未見の方は以下を読まれない事を一応お勧めしておきます。
バレて困るようなメインのストーリーでもないけど、小ネタが一杯だから。




 突然な展開も、変な日本観も、笑うほど安っぽい飛行機と町並みの特撮も、回想シーンがアニメになるのも、全部「なんだコリャ?」と言って欲しくてワザとやってるんだろうな(色々な作品へのオマージュやらリスペクトやらパロディーの意味もまた、込められているらしいが)。
 ユマ・サーマンやルーシー・リューの「ウワァーサァーガア、ヒトリアルゥーキィーシテイルヨウネェー」「ヤァーチィーマィナー」なんていう、体の力が抜けていくような妙な発音のセリフにしたって、分かっていて、たまたま発音が正しいテイクが撮れてしまった場合には撮り直すつもりまであって、使ったんじゃなかろうか。
 欲しいのはアカデミー賞より、最初からゴールデンラズベリー賞かも。
いや、こんな確信の元に作られた映画では、審査員もヒネくれていそうな あの賞は取れないな( ^_^ )。

 バカ映画だとは言うけれど、基本的な作りは割とマトモ。
 ヒロインの行動動機なんか、もっといい加減に処理されるものかと思ったが、きちんと「こりゃあ復讐したくなっても仕方ないな」と思える程 痛みを伴う描写が成されている。
 カタコトの日本語 及び変な日本描写に笑いを誘われない人間(日本人以外)なら、比較的フツーの…変な映画(笑)として見られたのでは。
 それは逆に、この映画を最も楽しめたのは日本人だ、という事にもなろうが。
 だから、日本から離れての完結編となるVol.2を、今回ほど面白く思えるかどうかは疑問。

 後半の、バトルに次ぐバトルは もう単純に楽しい。
 組み立て方として。
戦闘員扱いのザコ敵なんか、いくら出てきてもヒロインに勝てるはずがない訳で、数十人を斬り倒す所は一番最初で良かったかも。
次に、戦闘員の隊長、そして栗山千明の女子高生鉄球使い・ゴーゴー夕張、最後に大ボス・ルーシー・リュー、という順番の方が「特撮物として」正しかったような。

 やたら血が出る戦闘シーンだが、残酷だとか悲惨だとかいう印象はない。
捕まえた虫やら人形の手足を喜んでもぎ取っている子供を見てるみたいで、「しょーがないガキ(監督)だなあ」とは思っても、あんまり真面目に受け取る意味はないと思えて。
 『ブレインデッド』とか『スターシップ・トゥルーパーズ』の流血シーンと同じく、「監督の困った趣味の発露」。
 ラストバトルのため裏庭に出ると、一面雪景色だという美意識が、余りにも決まりすぎていて笑ってしまう。
好きなんだなあ、この手の映画が。

 オールド特撮ファンとしては、サニー千葉(千葉真一)と大葉健二が同一画面に出演してくれた、『宇宙刑事ギャバン』のクライマックスを彷彿とさせる(別に映画では感動的な扱いじゃないし、親子だか師弟だか分からないが)シーン、もうこれだけでも見る価値がある
 でもこれは『影の軍団』をイメージしてるんだろうな。千葉真一がそのまま服部半蔵役だったし、大葉健二も出てたから。
ま、「見立て」をするのは自由、という事で。
 Vol.2にも是非また2人、出演してくれないだろうか。
ユマ・サーマン危機一髪の場面に乱入して来て暴れるとか。
ニンジャ・スーツに身を固めてたり、いっそ蒸着してコンバットスーツ姿で出ても構わないリアリティー・レベルだと思うぞ。

 アニメーション・パートの出来も良いし、お暇があり、内容スッカラカンのバカな映画を楽しむ余裕のある方は、見ておいて損無いんじゃなかろうか。
 一家揃ってとかデートムービーとしては、あんまり向いてないと思うけど。
 趣味の合う友人と行って、帰り道でツッコミ倒すのが、最も正しい鑑賞法。


2003年10月29日 水曜日

『フルメタル・パニック?ふもっふ』08.「女神の来日(温泉編)」

 テレビでこんなに えっちなサービスを見せてイイのか?と驚かされてしまう程サービス満点な、温泉話。
テレビ東京規制に慣れた目には刺激が強く、「おお!」とか「わぁ!」とか、喜んで騒ぎ通し(笑)。
 作画に「こだわり」があり、女の子達のお尻の形がそれぞれに違っているのには感心。こんな描き分け、出来ねえ!

 覗き対策の過剰防衛システム。
男の欲望に忠実であろうと、それに敢然と立ち向かっていくバカ達の戦い。
 夢半ばにして倒れていく仲間達を乗り越え、走る、走る、しまいには種割れ(ブリーフ割れ?)まで起こして超戦闘能力に目覚め、鬼神のごとき戦いぶりを見せながら、ただ女湯に向かって走る。
 その姿は、馬鹿馬鹿しさと爆笑と、ちょっとだけの感動さえも呼んでしまう。
 止め絵では ここまでのパワフルさは出せない。
動きまくり、見る者を圧倒する作画があって初めての事。
本当、これは、スタッフの素晴らしい頑張りようだった。

 休暇を終え、学校を離れるテッサに花束と寄せ書きを渡すクラスメート達。
それに、涙と、「頑張る」決心で応えるテッサ。
 とても良いシーンでホロリと来そうになったんだけど、もう少し学校内でのエピソードが充実していれば、より感慨深くなっただろうなあ、と。
温泉旅行よりも、学園祭や演劇部の出し物でもテッサ・エピソードに絡めた方が、クラスメート達との結びつきは強くなったろうと思う…まあしかし、温泉の方が、ストレートに視聴者が喜ぶのは確か(笑)。

 面白かったから、文句ない。



『まぶらほ』03.「でちゃった…」

 うーーん…有り体に言って「良くある、もう何度も見た話」の域を出ない内容だった。
 幽霊少女の設定をもっと詰めるとか、彼女が部屋に居る事に「正直、邪魔である(夕菜)・2人だけだと気まずいので居てくれた方が嬉しい(主人公)」という価値でも付けて、それがラストまでに変わっていく経過を面白さの要素の一つにしてみるとか、もう少し工夫が出来たのでは。

 玖里子が、主人公と夕菜の関係を一歩引いた所から見ているのも、?
「出来れば」遺伝子が欲しい、くらいの積極性しか発揮していない。
 遺伝子争奪を最重要点とし、それを巡ってキャラクターの関係があり、物語が展開していくものと思っていたが…ヒロイン3人、もう既に(夕菜は最初から)そんなモノには縛られなくなっているようで。

 30分、苛立ったり「ダメだぁ!」などと叫んだりする事なく、のほほんとは見ていられるんだけど、来週も見たい!と思わせてくれるパワーが無いなあ。



『D.C.〜ダ・カーポ〜』17.「届かぬ思い」

 はー、桜の木にそんな力が。
ネコ娘の存在もこれで説明。とっても便利。
ロボットとエスパー少女も、この力と絡んでいるのだろうか?
 メインのお話がようやっと動き出した感じ。
 義兄に さくらが抱きつく所を目撃しても、それ自体は「良くある事」として何も感じなかったが、振り向いた義兄の表情に含まれる戸惑いや後ろめたさを敏感に感じ取り、不安に笑顔を曇らせる音夢、というシーンが細かい。



 スカパー!で放送していた邦画『ネズラ』を見る。
見た…と言って良いのかどうか、最初の10分くらいで嫌になり、途中を飛ばしてラストを見ただけだから。

 低予算映画のダメな所が全開。
ツッコミ所満載…というより、脱力してしまい いちいちツッコむ気にもならない。
 とにかくお金が無いのだろうから特撮含め、画面が貧相なのは仕方ないが、シナリオだけでも もうちょっと頑張ってみてはどうか。
やたらテンションを上げすぎている役者の演技も、アマチュア映画を思わせ、見ていて疲れるばかり。
 劇場は論外として、レンタルで借りて見ても後悔が残りそうな出来。



『明日のナージャ』38.「ローズマリー笑顔の陰謀」

 ローズマリーの描かれ方は、「正しい者」でも「悪人」でもない。
「狂人」が一番近いと思うな。
 だから彼女には、同情も憎しみも感じず、ただ「やるなあ」と面白がって見るだけ。
 彼女が物語の中で大きな役割を占めるようになって、いきなり面白さの度合いが上がった。
これまでの、「名作物」的なパターンの中で考えると、非常に珍しいキャラクターだから。
次の行動が読めない。都合が悪くなれば、今の黒幕でさえ平気で裏切りそう。
最後はどうなるかも分からない。「死」はなかろうと思うが、過去を悔やんで改心する、って方向の描かれ方でも無いし。

 「正義は勝つ」「愛は報われる」…とは限らない、という、少々ヒネくれた価値観に基づいているのが『ナージャ』の面白さ。
 ただ、これは子供達にも通じる面白さかなあ?とは思うんだけど。


2003年10月28日 火曜日

『銀河鉄道物語』03.「運命の動輪」

 未熟だが情熱に溢れる主人公、それに苛立ちを感じる上官、美しい同僚の女性、全てを見守る謎の管理局局長。
いやー、凄く松本 零士ワールド…と思うけど、考えてみれば実際には余りこういった傾向の漫画は描かれていない?
 でも、松本アニメに求められているのは、正しく こーゆー物だと思うな。

 人質を取った犯人が立て籠もる車両に、主人公が突出して突入していく所。
キャラクターの描き方としてはコレでいいんだけど、もうちょっと「臨機応変…というよりも多分に衝動的な主人公の行動ではあったが、それが無ければ人質の命は失われていた」という事が実感できる描き方になっていれば良かったかなあ、と。
実際の画面では、ただ「主人公、ムチャ」としか思えず、ヘタすると自分だけでなく人質の命も危険だったように見えて。
 勇気と、チームワークを軽視する事とは、違う。

 取りあえずは、若くて何をするか分からない彼へのドキドキ感で視聴者を引っ張っても良いのかな。
成長するのは、まだ後でも。



 WOWOWで流れていた映画『ウインドトーカーズ』を見る。
 監督はジョン・ウー。主演、ニコラス・ケイジ。
 第二次大戦当時、暗号通信担当のナバホ族兵士と、かつて自分の部隊を全滅に追い込まれた心の傷を持つ兵士の心が、戦いの中で結ばれていく…といった話。

 ジョン・ウー作品に期待されるのは、熱い「男」の姿と、ちょっと馬鹿馬鹿しい程に派手なガンアクションだろう。
 命をかけた戦いが連続する戦場でこそ固く結ばれる男の友情は…弱い。
ニコラス・ケイジ、ナバホ兵士、両方のキャラの彫り込みが中途半端で、燃え上がる怒りも哀しみも友情も、心に染みる所までは行かず、通り一遍なもので終わってしまっている。

 では、ガンアクションはどうかというと…
コレがまた、不完全燃焼。
 いや、とにかく派手にドカンドカンと爆発は連続するし、やたら銃を撃ちまくるんだけど。
 ジョン・ウーが確立したアクションの魅力は、個人が、その枠を遙かに超えるほど超人的な凄さを見せつける事にあったと思う。
撃つ撃つ、回る回る、銃弾を受けた相手が吹き飛ぶ吹き飛ぶ、というような、「一個人の戦いぐらいでこんな風になるはずがない」描写による、「やり過ぎ」から生じる満腹感を観客に与えて来るのが特色。
 それと、宿命的に集団戦闘である戦争は、似ているようでありながら実は全然相容れないものだったのかも知れない。
 全体の戦いの中から規定されてくる個人の戦いぶりは、満足がいくほど超絶な物ではなく、それでも個人の活躍を描こうとした「日本兵の無線機を奪取」するシーンは、「戦争」という状況の流れからは余りにも浮いており、絵空事になってしまった。

 結果として、どこを取っても物足りない、凡庸な戦争映画に。
 ニコラス・ケイジの拳銃弾が、一発一殺、シューティング・ゲームのザコ敵以下の扱いで日本兵をなぎ倒していく所は、余りの事に笑ってしまったけども(『シン・レッド・ライン』でもそんな描かれ方だったな)。

 まだしも劇場での鑑賞なら大画面と大音響によって戦場の臨場感が幾ばくかは あったのだろうが、テレビ画面では それは望むべくもなく。
 うーん、監督、『M:I−2』が冴えなかったのに続いて、これもこの出来かあ。
好きな人なので、次回作は是非また、傑作を作って欲しい。


2003年10月27日 月曜日

 映画『リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い』を見る。
 監督は『ブレイド』のスティーブン・ノリントン。
 主演がショーン・コネリー。

 無理・ムチャをコテコテ積み重ねた映画。
 登場するキャラクター達の時代設定は合っているのだろうか?
合っていても…ジキルとハイドって変身したら筋肉ムキムキの「ハルク」になる訳じゃないし、ネモ船長はあんなに武闘派だったかなあ?
成長したトム・ソーヤが米諜報部に所属しているのも無理無理。
ヴァンパイアはともかく、ドリアン・グレイって有名?
 敵のボスがムニャムニャだったのは なるほど!だけど、それなら正義側のメンバーに宿命のライバルであるゲホゲホを入れて欲しかったなあ。
あの人は、戦わせても強いんだから。
 透明人間、体が透明だからって丈夫な訳でも無かろうに、雪降る中を全裸でノコノコ歩いていたら「寒い」とか言ってる場合じゃなく凍死しそうな気が。

 無駄に馬鹿デカいノーチラス号。
なんであんなに幅が薄いねーん( ^_^ )?ベニスの水路ってそんなに深さはないと思うがなあ、橋が全部高い所にばかり架かってるのも不思議。
 搭載された車両、いくら何でも頑丈すぎだろ。
 ツッコミ切れねえ。

 7人ものチームにしたのは やはり多すぎたようで、端の方に行くと通り一遍のキャラクター付けしか成されていない。
 透明人間は居ても居なくても良かったんじゃないか?
 ヴァンパイアとドリアン・グレイの関係も、この映画だけではイキナリ過ぎて (゚Д゚)ハァ? としか。
 強烈に立ったのは、ひたすら役者であるショーン・コネリーの存在感に頼ったアラン・クォーターメインと、彼との絡みを多くする事で おこぼれに預かったトム・ソーヤぐらい。

 ただただ豪華なキャラクターのキャスティングにして、派手なシーンを並べれば良いと考えているハリウッドの特色が遺憾なく発揮された映画。
でも、そーゆーのが好きなオレとしては、ヘラヘラ大喜び(笑)。
 手を変え品を変え客を飽きさせないように目一杯詰め込まれたガジェットと、どうにかして盛り上がった「フリ」をしようと延々続くクライマックスのバトルは、空回りが非常に多いながらも、溢れるサービス精神の発露である事だけは確かで、「バカだなー」と思いつつ微笑ましく見られる。
 とは言ってもまあ、『ザ・コア』を面白がれた酔狂な人向けだな。
井筒監督的にしか映画を評価出来ない人が迂闊に見れば、大激怒 間違いなし!

 続編があるなら、ネモ船長に代わって海底軍艦を操る神宮司を出すとか、両腕が仕込み刀になっている『どろろ』百鬼丸を入れるとか、摩訶不思議な発明品を駆使する平賀源内を……って、時代がメチャメチャだし、源内は実在の人物な上にOVA『R・O・D』の「偉人軍団」になってしまうか。


2003年10月26日 日曜日

『Gilgamesh』03.「children of a lesser god」

 ストーリーがなかなか進まず、その割には細かな所を押さえてきている訳でもない。
 演出。モンスターが出てこようが瞬間移動させられようが「大した事はない」としか思えなくて、淡々と進んでいくばかり。
 作画は、かなりヤバいエリアに突入。上手い人が描かないと もたないキャラクターデザインなのに…
 何を見所と考えればよいのか分からず…

 ここまで、かな。



『君が望む永遠』04.

 うーん難しいなあ、アニメとゲームではどれくらい違うのか。
面白さの どの辺りまで原作であるゲームに頼っており、拙いと思える どこまでがアニメ化に当たっての不手際なのか、それが分からないと…

 主人公に対して、視聴者の感情移入を疎外するような描写が成されている。
 具体的には、バイト先のファミレスで彼が行っていた私用電話。
店長に咎められた際、とっさに誤魔化そうとするのはまだしも、その罪を全く無関係な大空寺あゆに被せる行動は誉められた物ではなく、卑劣(あゆは そうされて仕方ないダメキャラなのかも知れないが、とにかくここで身代わりにされる理由はないだろう)。
 主人公が、背に何も負っていない状態であるなら単なる滑ったギャグとして流せたかも知れないけれども、酷く間接的には遙を事故に遭わせた責任があり、それから3年経った現在は彼女を忘れて水月と楽しく暮らそうとしている姿勢により視聴者から必ずしも好意的には見られていないだろう背景があって、この「オレは全く悪くない、他の女が悪いんだ」とする責任転嫁は……
 エンディング後のショートコント(?)も そうで、あゆ達に混じって遙を100トンハンマーで殴ろうとする主人公。
女の子達には「寝ているだけでヒロインか」という嫉妬が理由になろうけれども、主人公には…コントとしても、彼女を殴る理由がない。
「遙がまだ存在している事 自体がムカツク」以外には。

 どこまで「無神経だからこんな事をしてしまった」のであり、どこからが「意図的に主人公を悪く描いている」のだろうか。
 どう考えてもシンドくなりそうな今後の鬱展開から視聴者を「守る」ための、主人公と視聴者の切り離し工作かと思えるし、制作者が主人公を受け容れるにはここまで「悪」に落とさないと納得できなかったのではないか、とも思える。
 また、単に制作者の考えが足りていない、とも取れてしまう。
 現状では判断し辛い。

 とにかく、基本的に鬱な話を余り客観的に見せてしまうと、「オレと無関係なシンドイだけの話を、何故 見続けなきゃならんのだ?」と致命的な疑問を感じさせてしまう恐れもあり、対抗するには圧倒的なキャラクター(女の子達)の魅力で視聴者を逃がさないようにしなければならない。
 現状ではやはり、100パーセント ピュアな「被害者」である遙が、キーかな。

 しかし、主人公を信じ切っている遙の視線は、キツイね。
長いこと生きていると、大抵何度かは人を裏切った(期待に応えられなかった)経験がある物で、その心の傷に しくしくと染みてくる。
 過去に向かって ひたすら謝りたい気持ちで一杯。
 この辺りの、切なく胸苦しい感情を喚起してくれる所も、ゲームがヒットした要因の一つだろうか。



『プラネテス』03.「帰還軌道」04.「仕事として」

 3話。
 図々しくも逞しい保険のセールスマン軍団がおかしい。
そうそう、保険会社営業のセールストークは、必死なのはよく分かるんだけど、とにかく長くて しつこいんだよね。
 ウディ・アレンの映画『泥棒野郎』で、脱獄を企てたアレンへの懲罰として、独房に、保険のセールスマンと共に数日間押し込められる、という過酷極まる(笑)ものがあったのを思い出す。

 家族や友人のため(?)に、心を込めた遺言を残そうとするタナベ。
 ソレとは真反対に、意味を成さない遺言を書いているハチマキ。開き直った「GOOD LUCK」の文字も笑える。
 遺言は、(よほどの遺産でもない限り)生前の故人を偲ばせれば良い訳で、タナベの書こうとしている物が常識的には正しいだろうが、ハチマキのだって、「そういえばアイツはこういうバカだった」と思い出してもらう役には立つと思え、間違ってるとは言えないような。

 デブリとして扱われる、宇宙葬された遺体。
 ハチマキは、死んだ後は自由で良い、そうなってまで家族に縛らせたくない、という気持ちだろうか、宇宙に残すべきと考える。
 タナベは、亡くなった後に変わったのだろう父親の気持ちを汲んで、地球の家族の元に帰してやりたいと思う。
 しかしこの選択は、見方を変えると…
「死後に後悔して家族の元に帰ってきたかった」父親の魂が存在するとすれば、ハチマキは彼の自由意志を無視している事になり、死者はもう何も思わないとすると、「永遠に宇宙に抱かれていたい」と願った父親の遺志をタナベは疎外した事になる。
 どちらが、どれだけ正しかったのだろうか。
いや、「正しい」選択があり得たのかどうかも分からないが。

 保険勧誘員お姉ちゃんの、「大切な人に何を残すかって、難しい問題よねぇ。でもお金なら、品物はもちろん、医療や教育など様々なモノに形を変える事が出来るわ。何に幸せを感じるかは人それぞれよねぇ。使い道は使う人に任せるのが一番だと思わない?その人が望んでいない物を残して無駄になるよりいいと思うけど?」というセリフ。
結局はコレが一番正しかったんじゃないかと思うな。
 遺体は既に「意志」ではなく、「残された物」。
「何に幸せを感じるかは人それぞれ」なのだから、「使い道は使う人に任せるのが一番」な訳だ。
 「生」と「死」を扱う、この余りにも穿った見識を持つ お姉ちゃんは、今回の話の中で、天使、あるいは悪魔という位置付けだったのかも知れない。
 常人がその力に抗しきれるはずもなく、課長達は彼女にあえなく籠絡(保険契約)されてしまうし(笑)。


 4話。
 コレはまた実に分かり易い、ストレスをぎゅぎゅーっと押し詰めていって、最後に解放のカタルシスを感じさせる正しいエンターテイメント話。
 「新人」と呼ばれるのを嫌がるタナベが、名前で呼ばれ、ようやく仲間の一人として認められるに到る過程を、細かな心情表現を重ね、説得力を持って描き出してくれた。
 ただまあ、余りにも分かり易すぎる構成のため(権力に媚びへつらう上司の姿とか)、宇宙版『ショムニ』『踊る大捜査線』じゃないか、と言われるのは仕方ないかな( ^_^ )。


2003年10月25日 土曜日

『あたしンち 』69.「みかん、おこずかいアップ?」「ああ、まぶしいっ」

 久しぶりに見た。
 前半の話、雨の降る夜の自販機前で みかんと友達が会話を交わすシーン、前面ケースから漏れる青白い光がキャラに滲んでいたり、半透明の傘の下に頭のシルエットが透けて見えたり、と、妙に凝った演出を見せていた。

 あと、母親が みかんに、進学について余りにもシビアな話をする所。
「ウチはね、貧乏なの。出来れば大学だって行って欲しくないんだよ!よ〜〜〜っぽど、頭いいなら別だよ。それならせっかくだから行かせてやるのが親でしょう?でも…バカ子を大学にやってもねエ……どうせ頭悪いのに、大学行かせたって勉強なんかしやしないんだから」
「ちょっと、そういう事言う?普通、頼むから大学行ってくれって言うよぉ」
「ウチは言わない!お母さんが名前知らない大学行くぐらいなら、就職しなさいよ。そして少しでもウチにお金を入れなさい」
(セリフは実物より短く、勝手に編集してあります)
 ……実にウソが無い、そのため子供にとっては反論のしようがない言葉。
ウチの親も、本心ではこんな事を考えていたんじゃないか、とか思うと、より一層胸に染みる。

 各ご家庭でも、これぐらい赤裸々に実情と本心を語った方がいいんじゃないのかな。
そうすれば子供も、「ヒネくれたりグレたりしても許される余裕なんか、ウチの家には ねェよ!」という現実を、嫌でも理解できるだろうし。

 しかしこの放送、年頃の子供がいる家族が見ていたら、さぞや会話が弾んだか、逆に重苦しい食卓になったか、だろうね。
 デリケートな(笑)お子様に配慮して言いたい事も言えずストレスを抱えた親にとっては、溜飲が下がる啖呵ではなかったろうか。



『カレイドスター』30.「もう一人の すごい 新人」

 新シーズンの実質的開幕となる前回の話は、うっかり見逃してしまった。
 佐藤 順一監督、目に見える形で凄く働いてるなあ、今回もまた絵コンテを担当。
やっぱりタイミングの取り方とか巧くて、割に何気ない話だったのに気持ちよく見られる。

 新キャラであるライバルは、真面目に視聴者の怒りを買うような相手ではなく、コメディー・リリーフみたいだけど…今回はどういった方向で盛り上げるシリーズになっていくのだろうか。


2003年10月24日 金曜日

『無人惑星サヴァイヴ』02.「回避は不可能 !?」

 基本に忠実な物語作りで、古さは感じてしまうものの、ストーリー自体は悪くない。
 ただ…それを画面にしていく演出が、どうにも抑揚に欠けて見えるため、内容に引き込まれる所までは行けなくて残念。
コンテは、アニメーターとしては超絶に巧い友永 和秀なのだが…
 ヒネたオタクに見せる意図など無い、子供向けの作品なんだと思うけど、だからといって淡々とした演出をしなければならない、という事も無いと思うな。



 映画『フレディVSジェイソン』を見る。
 御存知、ホラー映画の2大モンスター(?)が共演する企画モノ。
 監督は、『チャイルド・プレイ/チャッキーの花嫁』『ケミカル51』を撮ったロニー・ユーって人らしいが、どっちも見ていないので ここまでの才能は分からない。
 主演は…えーと、フレディ・クルーガー役のロバート・イングランドと、ジェイソン役の人(笑)。
まあジェイソンは、ガタイが良くて あのホッケーマスクさえ付けてれば、誰が演じても同じようなモノだからね。

 いやあ、笑った笑った大笑い
どっこもホラー映画じゃない。
怖い所なんか皆無と言っていいのでは。
 元々、『エルム街の悪夢』は、殺人鬼の有り様として斬新だった1作目こそゾクゾクするイメージがあったものの、それ以降は回を重ねるに従って単に「特撮技術で作ったイメージの見本市」と化してしまった。
 『13日の金曜日』は…ええと、何作目までだっけなあ、一応ホラーでございというフリだけでもしていたのは。
「ジェイソンは何をやっても絶対死なない」というのが お約束になってしまってからは、コメディーというかギャグというか、そんな色合いの方が強いと思う。

 内容は…んー、なんか細かい事をゴチャゴチャ言っても仕方のない映画だからなあ。
 冒頭、フレディのモノローグで、自分の存在(恐怖)を世間が忘れかけており、次第にパワーが落ちて行く事に焦りを感じているシーンがあるが、ホラー映画の代名詞たる彼らでさえ時の流れに勝てないシビアな現実(だから共演したのだし)を反映しているようで、両作とも好きな人間としては、ちょっと切ない。

 『最終絶叫計画』とか、この手のホラーをパロディーにした映画があるけど、そのどれよりも、本家(?)であるこの映画の方が優れた「パロディー」として楽しめた。
 ラストのアクションは、『ターミネーター3』などよりよっぽど手に汗握る…いや、そうでもないか(笑)?
 人を殺すのが愉快で仕方ないらしいフレディと、課せられたノルマをプロとしてこなしているようで全然嬉しそうにないジェイソンの対比がおかしい。

 両シリーズの、かなり新しい作品でも楽しんで見られた人には、お勧め。
 怖い映画を見たいとか、まっとうなストーリーを見せて欲しいとか思う人は、間違っても見てはイケナイ。


2003年10月23日 木曜日

『R.O.D -THE TV-』02.「ダメ人間ども集まれ」

 第1話の、非常に盛り上がった超絶アクションを継いでの第2話なのだから、それを超えるレベルの画面を見せられるかどうかが勝負だなあ、などと思う気持ちは力一杯の空振りで、うだうだ〜とした日常のドラマが展開。
 ガッカリ、失望…になりそうなモノだが、このヘタレた風景がまた、凄く面白く描かれるのに驚く。

 普通、長女は しっかり者なんだけどなあ。
浪費癖はあるわ料理は出来ないわ(指に一杯傷跡があったから、努力はしたんだろうが)しょーもない籠絡作戦を企むわで、いいトコ無し。三姉妹中一番の問題児。
 でも、いざ戦闘状態に入ったら、素晴らしいリーダーシップと冷静な判断力を発揮する…のか?
 いや、こーゆーダメダメな お姉ちゃん、大好きだけどね( ^_^ )。

 次女。
一番の活字中毒患者。暗くて狭い所が好きらしく、そこいらで勝手に巣作りをする。
「むひゃひゃ」という変な泣き声が何とも(笑)。
 言われた事には どこまでも応えられる能力(姉妹中最強?)を持つが、自ら進んで行動は起こさない性格、だろうか。

 三女は、とにかく反抗的でガキだけど、三人の中では一番「オトナ」なのかな。
恥ずかしい捏造日記を音読されるのに悶え苦しむシーンは、笑った。

 「一人はみんなのせいで、みんなは一人のせいで」という、後ろ向きだか現実的だか分からないモットーが愉快。
 すぐに開く「三姉妹会議〜!」も、民主的なようで そうでもなく、楽しい。

 1文字も書き出せず、机に向かって呻吟する ねねねの姿がリアル。
身に詰まされ過ぎ(;´д⊂)。
 今回30分で、突然の同居申請や姉妹の余りの役立たずぶりに苛立ち、しかし どこか憎めない彼女達を思って部屋に迎え入れるに到る心情変化と、彼女自身の心根の優しさが、見事に描き出されている。

 よく考えたなあ、このキャラクター達。
適当なパターンに当てはめない、端々に溢れるオリジナリティーには、悔しい程の才能を感じさせられてしまう。
 広角のレンズを意識した画面、パースを強く付けて なお崩れる事のないキャラクターの作画。
背景美術の良さも含み、画面のクオリティーは前身であるOVAにも引けを取らない。
 面白い。



『まぶらほ』02.「ふっちゃった・・・・・・」

 1話目から見ていたけど、感想を書きそびれていた。
 で。
 ああ、面白いね。
というか、より正確には、ここまでよくシステマチックに「受ける」要素を詰め込んで作ったもんだと感心した、ってのが近いかな。

 男の子に秘められた力(価値)を狙い、女の子が集まって来る話は、最近のハーレム物としては さほど珍しくない。
実際、自分でも考えていたし(笑)。
 その「力」を「遺伝子」にして、「あなたの遺伝子(つまり…)が欲しいの〜」とばかり欲望に直結する設定で見せる事により、内容に期待すべきモノがストレートで誤解のしようも無くなり、「こんな萌えだけのアニメは見飽きた」だの「語ろうとする中身がない」だのとシチ面倒なゴタクを抜かすウルサイ(オレのような)人間 以外の客層、恐らくは比較的若い層にアピールして、アニメ化にまで こぎつけたモノだろう。

 生涯で使える魔法の回数が決まっているという設定(『F.F.』で、MP制でなく、レベルに応じて使える魔法「回数」が増えていくシステムのものがあったな)は、使いようによっては非常に面白くなると思う。
しかし そこいらの生徒達、数万回使えるみたいだとはいえ、日常生活でホイホイ魔法を浪費していて大丈夫なのかね。あの程度のモノは使用回数に入らないとか?
 魔法力によって社会的地位が決まる、そういう世界もいいんだけど、腑に落ちる所までは行かない。
魔法の万能性を、もっと強力に絵として見せ、説得力を出して欲しい。

 第2話にして、少々作画が落ちた(悪い、という程ではないが、求められるレベルからすると)事もあり、女の子達の魅力が上手く伝わってこないのは もどかしい。
「○○ちゃん萌え〜」と一刻も早く思い込ませるべく、客を引き込むシリーズ開幕当初は特に、演出と作画のレベルを高くキープしなくては。
 全てがそこにかかっている作品であり、「何となく」蓄積されていくマイナス因子でさえ、致命傷になりかねない内容なのだから。

 最後まで見ると思うけど、途中でよっぽど変わった事を始めたり破綻したりしない限り、感想は書かないと思う。



『フルメタル・パニック?ふもっふ』07.「女神の来日〜受難編」

 テッサがこんなに明るく積極的で闘争本能( ^_^ )にすら溢れた子になるなんて。
って、過保護なマデューカスみたいな視点かな。
 でもまあ、これはこれで可愛いからオッケー。

 非常に面白かったんだけど、ただ、原作を読まず、以前のアニメ版も見ていない視聴者にとっては混乱させられる内容ではなかったろうか。
ここまで、宗介は「単なる戦争オタク」のように描かれていたのに、イキナリ何らかの組織に所属する本職の兵士だった、という情報を、しかも秩序立ててではなく提示されても。
 うーん、こちら(宗介の実体)側とは絡まないシリーズにすると思ったんだけどな。


2003年10月22日 水曜日

 映画『S.W.A.T.』を見る。
 監督は、テレビ監督を経て抜擢されたクラーク・ジョンソン。
 主演はコリン・ファレルとサミュエル・L・ジャクソン。

 S.W.A.T.という特殊部隊を主役に据えるのだから、その有り様と日常、事件に対して見せるプロフェッショナルの凄みを堪能させてくれるモノかと思ったが…実際の内容は、出来の悪い刑事物であり、ラストのアクションなんか縮小再生産の末に形作られた『ダイハード』シリーズ最終作、とでも言うような後味が残る物。

 うーん、S.W.A.T.ってこんな程度の集団なのかね。
サミュエル・L・ジャクソンが集めた奴等が、適当な訓練の末に(サバイバル・ゲーム好きの練習風景だって、もっと真剣さがあるだろう)、なんとなく任務をこなしていくんだけど。
 もうちょっとシリアスにシビアに隊の様子を描くか、そうでなければ『ワイルド7』のように「どうしようもないはみ出し者、しかしある分野に対する才能だけはズバ抜けている」連中を集める楽しさと、いがみ合っていた彼らにチームワークが生まれていくドラマで見せる「エンターテインメントの王道だが、現実にはあり得ない」はっきりした路線を選んでくれた方が好みだったなあ。
 隊を構成する一人一人のキャラクター付けが弱いため、仲間が裏切るのではないかというドキドキは演出できていず、それどころか途中で脱落者が出た時も、誰が居なくなったのかさえ認識できない。

 犯罪者が提示した大金に目が眩み、町中のワル(?)が敵になる、というアイディアは面白いと思うけど、これも物語中に きちんと活かされていた、とは言いがたい。
不要なシーンを切って、全体の3分の2ぐらいを ここから起こる様々な混乱に当てても良かったのに。

 主人公であろうコリン・ファレルが、元相棒との間に抱える因縁も薄い。
 そもそもの切っ掛けでは、相棒の判断の方が正しかったのでは?と思えるし。
話の途中で、葛藤をより深める効果もないのに2人を再会させてしまうのも、関係を弱く感じさせてしまう。
 だから決着も…まあ、どうでもいいな。

 細かい事を考えず、MTV感覚で映画を見られる人向け、だろうか。
オレも結構、そう出来るつもりだったのに…この映画は、マイケル・ベイ作品ほど絵作りやカット割りにセンスが感じられず、乗れなかった。
 馬鹿馬鹿しいクライマックスもキライではないが、やはり これなら主人公を「ニューヨーク市警のはみ出し刑事」にでも設定しておけば、前半の眠い訓練シーンも要らなくなり、全体をもっとテンポアップ出来たのでは、と思えて。

 こうしたらもっと面白くなるんじゃないか、などと勝手な事を考える素材には適しているけど、素直に一本の映画として見るなら、取り立てて「ならでは」の価値の無い、見なくても構わない程度の映画だと思う。



『R.O.D -THE TV-』01.「紙は舞い降りた」

 楽しく見られたOVAシリーズと、同じ世界観を持つ新作。
あれから数年後、ぐらいの設定になっているのだろうか?

 で。いやあ これも面白い。
 後半のアクション。テレビシリーズのレベルを超え過ぎた作画を用い、OVA段階で出尽くしたと思われた「紙使い」能力のグレードアップと、新たなバリエーションを示してくれた。
 物語も、OVAの主人公であった読子・リードマンの関係者(元同居人?)を出し、彼女の行方を捜させる事で緩やかに繋がりを感じさせ、しかしOVA設定の理解を当然のものとし過ぎないサジ加減により、ここから見始める人にも問題なく理解できる内容になっている…と思う。
 1話時点では分からない部分もあるけど、「紙を使うアクションの面白さ」というキモの部分は突出してアピール出来ているので、細かな説明など次回以降に回しても、視聴を継続させる障害にはならないだろう。

 小説家の姉ちゃんが、表現者のプライドに基づき命がけで脅迫と戦う姿を見せるのには、開き直りでありブチ切れた末の感情的な行動であるとも取れるにせよ、同じく何か表現するモノとしては感じる部分がアリ。
 でもオレなら こんな時、ガタガタ震えて命乞いする心の準備はOK(笑)。
生きてさえいれば、折れたプライドも そのうち癒えるから。

 ゴチャゴチャ余計な事を考えず、素直に次回を楽しみに思える出来。
アクションを支えるアイディアと演出、作画のテンションさえ落ちなければ、傑作シリーズにも成り得るかと。



『君が望む永遠』03.

 あの事故から3年が経過しているらしく、それならば落ち込みから復帰したり それぞれに「幸せ」を模索していても当然…とはいえ……
 「ストーリー云々の問題ではない!人としての問題だ!」 (島本和彦 先生著『燃えよペン』より、うろ覚え)
…という気持ちになってしまうのは抑えようが無く(笑)。

 普通に暮らしているアチコチに「痛み」を感じさせる描写がありはするけども、やっぱり前回のあの悲惨な引きからすると、痛み全開な所から始めて欲しかったなあ。
それは確かに、シンドイ事なんだけど。
シンドイ事件を起こした責任は、制作者も負わないと。
 どうにも、特に主人公、結構 元気にやってま〜す、と言いたげな描写から始められると、「お前が悪いから遙が酷い目にあったというのに、いい気なモンやなあ」という反発をまず感じてしまう。
 本当は彼らに直接の責任はなく、自責の念に駆られすぎている所から見せれば、「そんなに自分を責めなくても」と同情的な感情を見ている者に起こさせる事さえ、出来たろうに。

 一度嫌いになったキャラを、また好きになってもらうのは並大抵の事じゃない。
 好意を持てない奴等が今後、どんな酷い目にあっても、「当然」か「ザマあ見ろ」という負のカタルシスを生み出してしまい、同情心を発生させるのは難しい。
 それどころか、「コイツらムカツクからもうこのアニメ見ない」、ぐらいの基準で見る作品を取捨選択可能な、というより どんどん切り捨て「なければならない」アニメ放送状況にある今日、今回の描き方は、結構な賭け。
 賭けも悪いとは言わないが、大きなリスクを負ってしまった認識は必要。
それを「タメ」として、一気にプラスに作品評価を持って行ける作劇能力を期待したい所。

 いや、「まず反発を感じさせる」事を目指した構成としては良く出来ているし、この先、物語をどう展開して どう締めるつもりなのか、非常に興味深くて目が離せないんだけど。



『おねがい☆ツインズ』最終話.「3人でツインズ」

 破綻無く終わったとは思うけど、正直な所、見て良かった!と強く思える程には内容に入れなかった。
 1クールと短かったせいもあるだろうが、2人のヒロインに さほどの魅力を感じられなかったため。

 ドラマ性を高くしようとした作品ではなく(写真謎解きの扱いの軽さ!)、キャラクター勝負を仕掛けたのだろうと思う。
更には、前作との違いを際立たせるためか、全体に「嫌な部分には踏み込まない」方向で作られており、メインヒロイン2人の間に起こる葛藤は、この手のラブコメ物の中でも かなり「緩い」部類に入る。
 そうするとどうしても各人の境界線が曖昧になってしまう傾向にあり、「緩い関係」そのものに敵対する唯一の外部因子(苺、みずほも含め、他に主人公達の関係の障害となるキャラは存在していない)である生徒会副会長の、早々な、しかも余り意味を持たない離脱により、引き締める役割を担うキャラが居なくなり、全体像はますます ぼやけてしまった。

 とにかく穏やかで、居心地の良い世界が形作られていたため、そこに浸れた人には大きな価値を持つ作品だったろう。
 しかし、嫌な要素をキツくしなくても、キャラを深く彫り込む方法は、あると思う。
それが出来ないぐらいにしか力を持たないスタッフとは考えられないので、個人的には、余計に不完全燃焼な印象になってしまった。


2003年10月21日 火曜日

『神魂合体ゴーダンナー!!』03.「バトルロイヤル・ハネムーン」

 おー、ゴーダンナーは世界にただ一体限りしかない(いや弱っちいロボなら既出だけど)スーパーロボットだと思っていたが、各国ご自慢のロボット軍団が存在していたとは!
 「スーパーロボット大戦」か『ゲッターロボ號』か戦隊シリーズか、古くは漫画版『マジンガーZ』のマジンガー軍団(あっという間にやられた)を思わせる、仲間のロボットが居る楽しさ。
また、血圧が上がってしまう(笑)。

 ただ、お話としては、前回の話から引いて来た杏奈の安否が淡泊に処理されてしまった所と、せっかくのロボット軍団登場というイベントが彼女復活の「噛ませ犬」扱いに見えたのが残念。
軍団は もうちょっと後で出して、ゴーダンナーをも凌駕する能力を「初登場時だけでも」発揮させて良かったのでは。
 新キャラよりも、基地に居る仲間達の彫り込みと、主人公達との関係を描いていくのが先だったのでは、とも思えるし。

 ここまでは、テンションを上げてキャラクター達を突っ走らせているため、面白く見られ、取り立てて大きな問題を感じないが…
危うい部分も含んでいるような。
 全13話なら、勢いを落とさずに駆け抜けられる…かな?



『無人惑星サヴァイヴ』01.「転校生、ルナです!」

 21世紀に始まった新作とは思えない、古色蒼然たる要素を含むアニメ。
 今になって、父親の威光を笠に着て威張り散らす男生徒や、自分の親が世話になっている関係で彼には黙って服従するしかない男の子、なんて設定を目にするとは思わなかったなあ。

 出てくる意地悪な男の子は憎しみを集めるべく嫌なキャラに描けており、内気な女の子は少々苛立つ程 内気に描けている。
その辺、さすがに『フィギュア17』で優れたキャラクター表現能力を発揮した米村正二を、シリーズ構成に据えているだけの事はある。
 作りは実に、堅実。

 タイトルからすると、この後は主要キャラが揃って遭難でもする事になるのだろうか。



『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』02.「誰がために友は眠る」

 なかなか話が進まない所、もの凄い事が起こりそうで起こらない所などを含め、実に松本先生調なアニメ( ^_^ )。
 ハーロックというキャラクターそのものに思い入れのあるオレのような人間にとっては、懐かしさと、パラレルな部分を見出す事とで楽しく見ていられるが(ミーメが皆口裕子とは!)、そうでない視聴者には…少々地味で、刺激に欠ける内容に感じられてはいないだろうか。

 今回のキモは、自らの意志で自分を追ってきたという男を、ハーロックが躊躇無く射殺する所。
 …見る人によっては衝撃と、もしかして抵抗を感じるかも知れない、かなり思い切ったシーン。
 「善人」ではあるまいが、卑劣極まりない「悪人」とまでも描かれていない事で、殺す程の理由を実感出来ない男への この対応により、無法者・ハーロックのキャラがドカンと立ったと思う。



『GUNSLINGER GIRL』02.「天体観測」

 前回の内容を基本的には そのままなぞりつつ、細やかな心情表現を入れる事で また違った印象を与えてくる、なかなかに考えられた構成。
 昼間の屋上で、現実にはあり得ない雲の動きを見せる事によって、空間の広がりと開放感を演出する、監督・浅香 守生のコンテが見事だった。

 「殺人兵器にされた女の子」という特異な設定を、周辺事情が矛盾しないよう徹底する事と、彼女を見るキャラクター達の様々な視点によって、作品世界内では「リアル」に感じさせる事に成功していると思う。
 重い銃器を華奢な少女に扱わせるため、人工的な筋肉組織が設定され、そこにリアリティーを与えるべく、その開発を行った研究所は本来(表向き?)欠損した体の部分を再生する事を目的としているとして、その順番を待つ(?)「車イスの少女」を出し、ダメ押しする。
本当、よく考えてある。
 そういえば、『最終兵器彼女』は、「彼女がどうして最終兵器になったか」という過程を出来る限り無視して創られた作品だったなあ。
兵器としての「リアル」をテーマとしない内容なので。


2003年10月20日 月曜日

『フルメタル・パニック?ふもっふ』06.「やりすぎのウォークライ」

 大量の新作アニメが放送されている現状、アニメーターの確保にはドコも頭を痛めているのではないかと思う。
 そんな中で…これはまた、贅沢な作りの お話だった。

 ギャグを活かすコンテのタイミング取りが上手く、カット割りのテンポに笑わされてしまった事も何度か。
 ハンバーガー屋での乱闘騒ぎ、普通は絶対に止め絵で済ます所を、モブの一人一人まで動かして見せてくれたのには驚く。
軍隊式スパルタ教育法を実践する所にしても、あんなに動かさなくたって視聴者は納得しただろうに。
 制作費が比較的潤沢なのか、余程 優秀なスタッフを揃えられたのか。
そのパワーを、言ってはナニだけど、シリーズにとって さほど重要ではなかろう今回のような話に投入してしまう無意味なリッチさ加減が、メタ的に「やりすぎ」で またおかしい。
 放送禁止用語を連発する訓練シーンも、馬鹿馬鹿しくて なかなか。



 長く更新できませんで、すいませんでした。
デッドが連続してまして、死んでおりました(月末発売の「快楽天」「ペンギンクラブ」他で)。
 もうちょっと きちんとスケジュール管理をして、折り目正しく生きた方が長生き出来るんでしょうが…そんなに堅実に生きられるなら苦労ない。

 つい見入ってしまうので、ほとんどのアニメについて、仕事中は録画しておいただけ。
 ぼちぼちと、遅れた分を見て行きつつ、感想など書きたいと。
時期のズレた物になってしまうでしょうが、ご容赦。


ときどき日記・目次へ

03/10月前半の日記を読む