ときどき日記 03/12(後)

2003年12月31日 水曜日

 まだ何か書くつもりだったけど、今日中のまともな更新は怪しくなってきたので…

 良いお年を。
 また年を越えて来年、お会い致しましょう。



 アニマックスで『ダロス』が放送されていたので、見る。
 1983年に発売された、全4巻からなる、日本初のオリジナル・ビデオ・アニメ。
 押井 守が2、3巻の脚本・絵コンテと、他でもアクションシーンを担当。
1、4巻目は彼の師匠である鳥海 永行が監督。
 発表当時に見て以来なので、実に20年ぶりの鑑賞。

 月の裏側で資源の採掘を行う開拓民達は、地球側の厳しい統制に苦しめられていた。
 希望を持てない彼らが心の支えにしているのは、開拓民が入植する前に科学者達によって作られた、顔のような巨大建造物「ダロス」。
 月面都市と、何もかもが謎に包まれた「ダロス」を舞台に、開拓民ゲリラと地球側の激しい戦いは続く…

 現在なら、「深夜枠アニメ」という新しいジャンル(?)が出来ているので、この内容でもプレゼンテーション次第では地上波に乗せられるかも知れない。
『灰羽連盟』『serial experiments lain』といった、よりマイナーで、昔の基準からすればとても通らなかっただろう企画が、日の目を見ている時代だから。
 しかし当時は、格好イイ主人公メカも、子供に向けたドラマも無い作品が、電波に乗って放送されるのは相当に難しく、OVAという発表形態はエポックメイキングなものとして話題になった。
 この作品の成功にもよってOVAは、僅かの傑作と大量の駄作が作られる隆盛期を迎え、テレビの続編的扱いのもの以外はほとんど見られなくなった今に至る。

 無理解な地球への反発、宇宙移民達が戦いに用いる作業用ロボット、彼らを圧倒する地球側勢力の物量…など、どことなく『機動戦士ガンダム』前史、という趣もある内容。
 理解が難しい所もなく、物語やテーマは すうっと胸に入ってくる。
 演出的には…やっぱり、ドラマ部分よりも押井 守が力を入れたという戦闘シーンの迫力や こだわりの方に、どうしても目がいってしまうなあ。
 作画クオリティーそのものは低くないものの、さすがに時代を感じさせる。
しかし、山下 将仁氏が手掛けたバトル作画の「様式美」とでも言うべき独特のフォルムや動きは、現在見ても(そういった系列の作画が余り見られなくなった現在だからこそ、一層)楽しく、アニメーションとしてのカタルシスに満ちている。

 当初、この作品は長いテレビシリーズとして企画されていたそうで、それを僅か4本にギュギュッと押し詰めてしまったためか、「ダロス」の正体については、ドラマとして全く解明されないまま終わっている。
 でも、それがまたイイ味わいを醸し出している、と思うのはオールドファンのヒイキ目(笑)?
 「異星人が作ったらしい正体不明の施設」で全然構わなかった、自己増殖機能さえ持つオーバーテクノロジー気味の建造物を、「半世紀程前に人間の科学者達が作った」、とした事で、安易にSFに逃げてしまわず、確かに存在したはずの「込められた意味」を、見る者に考えさせるストーリーに出来ていると思う。

 今回の放送では押井 守に対するインタビューが付加されていて、「1作品に監督が2人も居たため、両者が何とか自分のポリシーを通そうとした。具体的には、彩色の指示表を相手が居ない隙を見て書き換えあったりなど」していた事が監督自身から語られ、笑ってしまった。
 管理者側に踏み込まれる寸前、アジトの中で、瀕死の状態である仲間を横に、銃弾を一発ずつ丁寧にマガジンへと装填していく男の描写は、確かに心に残る。
撃ってしまえばそれだけのモノである銃弾に、血が付いているのを見つけ、自分の服で拭き取ってから装填する心の動きは、拘っただけあってリアル。
 後の作品でも見られる、排出された無数の薬莢が画面を川のように流れていくシーンの独創性には、やっぱり感心させられてしまう。
 こういう「演出意図」が、余りにも過剰に、暴走気味に込められているため、全体像が見え難くなっているのが最近の押井監督の特徴ではないか、と、『イノセンス』予告編を見ながら、オレのようなキャパシティーが小さい視聴者は、思う。

 重厚なテーマ曲と共に、見終わって何か重いモノが残る作品。
 2月にDVDが出るとか。


2003年12月30日 火曜日

 コミケ三日目、無事終了。
今、帰宅しました。
 持って行った分のコピー誌は、おかげさまで完売。
お買い上げ下さいました皆様、ありがとうございました。
 次回はもっと、読み応えのある本に出来るよう、頑張ります。


2003年12月29日 月曜日

 明日が、ぼくの参加しますコミケ三日目です。
 ええと、大変申し訳ない事にオフセットの本が落ちまして、コピー誌のみになってしまいました。
なってしまいましたというか、まだ作業中(笑)。
 何とか明日までに完成させて持って行くつもりですが、何しろコピーですので冊数が少なく…
 でも、正直な所、時間がなかったのが見え見えのロクな本じゃないですよ。
たまたま寄った時に売れ残っていて、更に気が向かれましたら、買ってやって下さい。

 あうー、これから地獄の製本作業があぁぁ……

 あ、そうだそうだ、明日スペースにお越し下さり、ご挨拶をして頂ける方は、何度ぼくと会っていても必ず、「○○だけど」と最初に名乗って下さい。
 最近、記憶力が酷い事になっておりますので、人の見分けは全く付きません。
 助けると思って!よろしくお願い致します。


2003年12月28日 日曜日

『ヤミと帽子と本の旅人』11.「玉藻の前」

 前半では、ハインラインの小説『宇宙の孤児』を思わせる、巨大宇宙船で旅を続ける子供達の世界を完結させた。
 とうの昔に死んでしまった大人達を、ミイラ状態のまま子供らの部屋に放置し、管理コンピューター・ララが音声を合成して子供達と会話してみせる事で「生きている」ように思わせ、不安を感じさせないようにしていた。
 死を知らないコンピューターに教育された子供達もまた、身近な死を理解できないんだろうな。
 そんな子供の一人、レイラが、船外作業中の事故に見舞われ船から離れてしまう事で死の恐怖を知り、また それを助けてくれた男の子と結婚の約束を交わして「大人」になる。

 移民可能な惑星への接近。
 住み慣れた部屋から離れようとするレイラを、コンピューターは親の声で送り出す。
生きている者の居なくなった部屋で、役割を追えた親の遺体に対し、機械音声で呟く「おつかれさま」という言葉が、何とも言えない余韻を残した。
 惑星への着陸機構を持たない船は、宇宙から ずっと、子供達の世界を見守り続けていく、と語る。

 古き良きSFチックなお話で、なかなかに好みだった。
 シリーズの主人公達が登場しなくても、成り立ったろう内容。

 このアニメ、ウダウダした基本設定を整理して、「お邪魔キャラの介入によって大混乱に見舞われた本の世界をアチコチ旅しながら、全てに安定を取り戻そうとする、不思議図書館管理人コンビの冒険」というぐらいに、いわば『タイムボカン』ラインの分かり易い設定に変えてしまい、それぞれの世界の面白さだけで見せていけば良かったんじゃなかろうか。
 一話毎に、世界の設定から変えて見せられる自由度の高いシリーズって、今、余り無い気がするので、貴重な存在になったかも知れないのに。
余計な基本設定が足を引っ張ってる気がするなあ。



『瓶詰妖精』13.「それから〜 And Then 〜」

 人間になれたは良いが、4人で1人のガッタイダー(『キカイダー』に登場する、ハカイダー4人衆が合体した姿)になってしまう妖精達。
 彼女達が、初めて「人間」として触れる人間界の真実と衝撃、果たして妖精の姿を捨ててまで人間になる価値はあったのか?
…などという話になる訳が無く(笑)、いつも通りのネタ羅列ほのぼのアニメ。

 結婚を妄想して照れる辺り、「先生さん」の事が好きだったのね。
そういう感情は未分化かと思っていたが。
 今回のネタは、使命をすぐ忘れてしまう彼女が、「お弁当 先生 さん」という言葉を、「バント・先制点」とか色々な言葉から思い出す、というモノ。
余りに下らなくて、ちょっと笑ってしまったり。
 人間の姿は、何だか泣いた事で解け、4人の妖精に戻ってしまう。
どうして…とか、考えちゃイケナイんだろうな。

 全体に、罪がない、意味もないシリーズで、これと比べると「萌えしかない」と言われた『陸上防衛隊まおちゃん』でさえ、まだ「毒」があるだけ内容があったと思えるぐらい。
 でもまあ、キャラクターデザインや声優のセレクト、画面の雰囲気からネタ運びまで、「可愛い」と見る人に思わせる方向では成功しており、α波を出しながら眺めるには とても良い作品だった。
 終わってしまった事を、ちょっと寂しいと感じてしまう。


2003年12月27日 土曜日

『神魂合体ゴーダンナー』13.『ラストファーストキス』

 静流の死(…普通に死んではいないようだが)を受けて、沈み込むベースを後に一人、旅に出る杏奈。
 ここがねえ…
彼女は「戦う」という事をどう捉えていたのか。
静流が居ず、ゴオも戦う気力を無くしていた現状で、自分が居なくなる事によって どれだけベースの、人類の危険度が増すのか、自覚はあったのだろうか?
 「何考えてるんだコイツ」と思わせ、ヒロインの魅力を減じる この持って行き方は拙い。
 擬態獣は全滅した…と思われていた、とか、パイロットから外されてしまい自分の存在意義を見失った事も一人旅の理由に加えるとか、もう少し彼女が無責任女に見えない やり方はあったと思うが。

 杏奈とゴオの恋が育まれていく軌跡や、彼女がどれほどゴオを愛していたかの描写が今回までに足りないため、画面に入り込めないのは辛い。
 ゲストキャラなんか一人も描かないで構わない。
主人公2人の心情をしっかりと押さえておく事だけは、この作品に絶対に必要だと思うのに。

 それでも、ゴオへの信頼を取り戻し、愛の力で もう一度立ち上がろうとする杏奈の姿は前後関係なく感動的なので、一緒になって盛り上がろうとしたが……
 強力な戦闘力を発揮するミラがオクサーに乗って登場。
ゴーダンナーに合体しても、これまでより強くなったように見える程で…
 コレは何?
せっかく、ようやく気持ちが入れられた所なのに、感情移入の対象である杏奈を物語の方から拒絶してくるとは……
 そこで第一部・完、かあ。
んー、正直、第二部を待ち望むテンションは凄く低くなってしまったんだけど、それで制作者の狙い通りなのだろうか。
 危機一髪でも 血管がブチ切れる程の盛り上がりで引く訳でも無く、「失望」でお休みの期間をもたせるって…
 それでもまあ、オレを含め みんな第二部も見るんだけどね。

 シリーズ後半は、もっとキャラの気持ちを大事に描き、カタルシスのある内容になってくれる事を期待したい。



 NHK衛星で放送していたものを録画しておいた『さよなら銀河鉄道999』を見る。
 1979年に公開された前作の大ヒットを受けて制作された、81年の映画。

 公開当時の劇場から始まって今日までに、数回は見ている。
大きな欠陥のある内容ではないが、とにかく驚異的に完成度が高かった1作目と比べてしまうと、辛い。
 …というか、ほとんど1作目と同じ事を繰り返しているんだよね。
 鉄郎が地球から旅立ち、富山敬 声の男と知り合ったりしながら、最終的にメーテルと母親の因縁が待つ星に辿り着き、ハーロックとエメラルダスが登場しての大バトル、麻上洋子 声ウエイトレスの死があって、星が崩壊、駅でメーテルと別れてお終い。

 違うのは、地球が戦場になっている事(1作目でも、全面戦争になってないだけで対立はあったろうが)で、ここに登場する、鉄郎を「せがれ」と呼ぶ老パルチザンの男は なかなか格好イイ。
 999が地球から離れる辺りまでは、松本節全開で、面白いんだけどなあ。

 もう一つの差異である、黒騎士…
これが、露骨に『スター・ウォーズ』ダース・ベイダーをパクった姿をしているのに、何度見ても萎えてしまう。
物語としては出した意味がほとんど無く、鉄郎との因縁までダース・ベイダーそのままなのには、笑ってしまうほど。
 いっそ、メーテルの母ちゃんは無しにして、黒騎士がプロメシュームに換わって宇宙の統治を目論む、『スター・ウォーズ』でも小説版の『帝国の後継者』みたいな話に変え、鉄郎との対立を全面に押し出し、親を乗り越えて成長していく息子、をもっと実感させる内容にした方が良かったんじゃないか。
 …などと今更、思う。

 999を押しのける幽霊列車の迫力や、人間の死体で溢れる惑星大アンドロメダ最奥部の不気味さなど、引き付けられる所もあるんだけど。
 結局、鉄郎が居ようが居まいがプロメシュームの星は崩壊したんだ、と思うと、何のための旅だったのか分からなくなってしまう。
 存在して悪い事は無いが、無くても良かったと感じられる、残念な続編。



 毎度 拝見させて頂いている、ちくわ さんのHP 『-O-R-E-』 12月25日の記述で、過分なお誉めのお言葉を頂いているのを発見。
 ウチなどより先様のHPの方が、アニメに関するご意見にしても、世の中で起きている様々な事に対するコメントにしても、遙かに切れ味鋭く、大変に厳しかったり、しかし たまらないほど優しかったりしていて、魅了される所 大なのですが。

 また…非常にレベルの高い、18禁方向のものも多数含む美麗なイラストを、毎日のようにアップするサービス精神にも驚かされます。
ウチなんか…いや、泣きたくなるから比べるのはよそう。
 頑張らなきゃいけないなあ、という前向きな気持ちにさせてもらってます。


2003年12月26日 金曜日

『ギャラクシーエンジェルスペシャル』「フユーレイピューレジュレ」「いどうどん」

 前期終了からそんなに時間は経ってないと思うが、何だか とても懐かしい気がする、『ギャラクシーエンジェル』の復帰スペシャル。
といっても特に「スペシャル」な所は無く、30分枠だし、一応は基本設定でも紹介してくれるかと思えば それも「宇宙の誕生から話そうとして時間切れ」というギャグで潰してしまい、一見さんお断りの強硬な作りをしていて全くいつも通り( ^_^ )。

 前半。
 小林 靖子によるシナリオは基本的に「真面目」で、体裁がキレイに整って、伏線などもしっかりさせている事により、ヒネた視聴者には先が読みやすい。
逆『シックス・センス』だな、というのには、すぐに気が付いてしまった。
 台無しにされたケーキの思い出を余所に、見当はずれな所に怨みを抱くミルフィーユ、というピンぼけ加減は楽しい。

 後半。
 指揮官を交代させた事から起こるドタバタ…
エンジェル隊が有能になったり、あるいはメアリーまで自堕落な指揮官になってしまう展開にでもなるかと思えば、それは余り関係なく、ブチ切れたウォルコットの暴走が見所。
 間が抜けたメアリーの脳内応援団や、キャラに合わせた戦いぶりを見せた果てに笑顔で負けを受け容れ、次々「負け石」にされてしまうエンジェル隊メンバーが、メアリーの戦いを無責任に応援するなど、笑わせてくれるポイントがいくつも設けられている辺り、脚本・堺 三保氏らしい巧さも見られた。

 が…
 やっぱり、男の子達が邪魔だなあ。
努力して使いこなしてはいたけど…最後まで生き残るのはミルフィーユであって良かったと思う。
 投げっぱなしの終わり方は、既にこの作品の「味」になっている。
ただ、見慣れたパターンだとも言えるので、もう少し…
 切れたウォルコット(もしくは再びガキ共)の何気ない一言が、メアリーの一番気にしていた「下らない逆鱗」に触れてしまい、今度はメアリーが暴走、とか(ダメだ、オチっぽい、上手く投げてない)。
 同じく投げてしまうにしても、ラストシーンまでに演出で加速感を十分に付けられれば、突然プツッと終わらせる事で、見ていた客を つんのめらせる効果がより強烈に発揮でき、笑いに結びつけられたかも。


 懐かしいキャラクター達と再会できたのは、素直に嬉しかった。
 しかし…
前シーズンでも思った事だけど、この作品を「面白い」レベルに保ち続けるのは至難。
既に依るべきキャラクター個人や相互の関係を壊し終わっている事からすると、脚本による、非常に考えられた、あるいは天啓のような閃きのあるアイディアが必要とされる。
 「一本シナリオ考えてみろ」と言われても、とても無理。途方に暮れてしまう。
 そんな状況下で、新シリーズかあ……
 もう、一視聴者としては、「頑張って下さい期待してます」と言うのみ。


2003年12月25日 木曜日


 ウチの駄犬。
 せっかくサンタ帽 買ってデジカメで撮ったんだから、使え、というヨメの要請により、ここに。
 あんまり嬉しいプレゼントを運んでくれそうなサンタじゃないな。

 顔の右下に出ている白い物は、帽子を留めるヒモ。



『R.O.D -THE TV-』08.「夜に惑わされて」

 嬉し恥ずかし、いい歳した視聴者を余りにも心地良いノスタルジーに浸らせてくれる内容で、3回ぐらい見直してしまったり(笑)。
 現実の学生時代には こういうクラスの輪って、無かったけどね。
みんなで楽しく過ごす、というのも苦手だったし。
 もしかすると、だからこそ、妹が居ない人間ほど幻の妹へのシスコン願望が強いように、心に生じたままの間隙を埋めてくれる事を、フィクションに求めているのかも。

 夜中にコッソリ校舎に忍び込み、クラスの仲間達と、普段とは違った状況で相対する高揚感。
 座を仕切ろうとする西園妹、この子は何だか罪が無くて、可愛いなあ。
よくある「私を崇めなさい」タイプではなく、姉を愛し、その小説を全力で売り込もうとしている辺り、割に良い子じゃないかと思う。
…あるいは、自身に対する自信の欠如から来る代償行為として、世間的な評価を得た姉への過剰な「信仰」が、生じているのかも知れない。
 夜食を開くアニタ達を見とがめて抗議するが、すっと差し出されたワイロのお弁当( ^_^ )を目にするや、笑顔になって「10分間休憩にしましょう」と言ってしまう単純さもまた、可愛い。

 深夜の告白劇。
 ここ周辺の、キャラクターの行動やリアクションなど、微妙な心の動きの描き方が素晴らしい。
このスタッフで恋愛系ゲームのアニメ企画をやってくれないものか。
 告白し、玉砕し(もっとも、久美は「恋」と「好意」の違いも分かってない幼さだろうから、まだ諦める必要は)、それでもなお ふてくされたりする事無く、彼女を家まで送ろうと待っている岡原は、最高にイイ男の子だけどな。


09.「闇の奥」

 読仙社の、既にかなり見えては居たけれども、恐るべき実体がより明らかになってくる話。
 またも、お仕事ストーリーであって ねねねは絡んでこないかと思えば、そうでもなく。
今回はOVAのキャラであったドレイクまで登場。

 そこそこ巨大な紙製ゴーレム(ドリル付きも)など、紙使いの能力バリエーションが見られ、その力を熟知しているドレイクは常に水を用いて紙使用を封じるなど、今回も、世界をしっかりと捉えているが故の見応えがあった。
 温泉シーンでのヌードには、ムチャクチャに濃く湯気のエフェクトをかけてあり、見応えが無かったけれども(笑)。

 後味が悪い形で死人を出してしまったのには、ここまでのシリーズの流れからすると ちょっと疑問符。
 この「死」を受けて、後のストーリーは全て構成していかなければならなくなると思うのだが…
 まあ、このスタッフなら、考え無しでやった事ではあり得ないか。



『マシンロボレスキュー』51.「はばたけ、MRR!」

 戦いの話は前回で決着が付いているので、今回は純粋なレスキューがメインであって、キャラクター達の1年間の成長を実感させてくれる内容になっていた。
 正直、前回までのバトル話には余り興味が持てなくて、さしたる盛り上がりも感じられなかったので、こういう終わりの方が嬉しい。

 シリーズを通して。
 当初 敵側だったのに、途中から味方に加わったジェイは、扱いようによってはずっと面白いキャラクターになったと思う。
葛藤、波乱、彼が存在する事でレスキュー隊が見舞われる危機、などなど、物語として上手く転がして上げる事はもっと出来たはずで、ちょっと勿体ない印象。

 全体に、決して悪くない内容の作品だったが、途中のキャラクター・エピソードには驚くほどレベルの高い物があったため、そこからつい期待してしまった幻の全体像には、及ばず。
無茶な期待であり、酷な言い方だとは思うけど。


2003年12月24日 水曜日

 WOWOW放送を録画しておいた『パルムの樹』を見る。
…というか、見ようとした。
 実際には、最初25分ぐらいの段階で視聴意欲を失ってしまい、途中を飛ばしてラストシーンを眺めただけなので、「見た」とは言えないな。

 アニメーターとしては天才的な能力を持つ なかむらたかしが監督。
 指先にまで気を配ったキャラクターの演技や、驚くほど細かく しかも質感を持って砕け散る岩などのエフェクト描写がもの凄くて、憧れたもの。
自主制作アニメでマネをしようとした際、「マネなど出来る訳がない」という至極当たり前の事実に打ちのめされたりした、痛い過去が(笑)。
 『ウラシマン』での演出手腕は悪くなかったので、期待したんだけど…

 とにかく冒頭部の、見る者を突き放すような冷たい、しかも分かりづらい展開には参る。
どのキャラも感情移入を許してくれないし。
 基本は『ピノキオ』であり、『未来少年コナン』『ラピュタ』といった宮崎アニメ的な導入部でもあったのだろうが、アプローチの仕方はまるっきり逆。
制作者がやりたい事や語りたい事のみを優先しすぎて、客の方を向いて作っていないように思えてしまう。
 物語に「選ばれてない」気がして、視聴終了。

 画面のレイアウトや作画、背景のレベルまで高かったのだし、方向を選べば もっと一般受けする作品に出来たと思うけどな。
入れ込みすぎているのであろうテーマを、ちょっと棚上げするズルさ、したたかさがあれば。
 宮崎作品の取っつき易さは、その辺の上手さにも寄っているのだろう。



 クリスマスイブ。
 でも、まだ色々とドタバタしているので、さほど目出度く盛り上がれそうもない。
 せめてケーキでも買って食べたいと。
モスバーガーのチキンも、好きなので、あると嬉しいな。


2003年12月23日 火曜日

『円盤皇女ワるきゅーレ十二月の夜想曲』12.「天翔けるワルキューレ」

 ワルキューレ・ゴーストを巡って怒濤のクライマックス…だったんだろうけど、「盛り上げたい」意図は感じられたが、ドラマ構成やキャラの動かし方、テンションの上がらなさに到るまで こちらの気持ちと噛み合う事は無く、普通に見てしまった。
 前期シリーズではこの辺、もっと上手くできていたような。

 ゴーストのキャラを立てるのに失敗してしまったのが痛い。
出すだけは出していたが、内面深くまで彫り込む事が無かったので、魅力なり恐ろしさなりを感じ取ってもらいたいと思って描いていたのかどうか、疑問。
これならコーラスやアキドラの方が、よっぽど面白く見せられていた。
 彼女に価値が無いのでクライマックスの戦いにも興味を感じられず、「ありがとう」の言葉を残しての最期には、すっかり置いて行かれたような気持ちになってしまう。

 女の子達は可愛かったのだし、眺めるのに悪い作品ではなかったが…前期で立っていたキャラクターに更なる魅力を付加する所までは行かず、残念な印象。



『明日のナージャ』45.「三人模様・ぐらつく恋心」

 フランシスに想いを寄せるメリーアン。
彼とナージャの仲を裂くべく、権威を用いたり力ずくの妨害工作をするのかと思えば(当初はそれをやっていたが)、行ったのは誘導尋問を駆使した意識操作によって互いの心中に疑念を起こさせるという、実に知的な攻撃で、好感( ^_^ )を持ててしまう。
 2人の男性の間で揺れながら、しかし取りあえず頼るべきフランシスに しなだれ媚びて見せる、割にしたたかなナージャよりも。

 ラスボスであるローズマリーが余裕で待ち受ける魔城へと、波乱含みの3人パーティーで突入しようというナージャ。
いやあ、盛り上がって参りました。
 ナージャやフランシスは良い子良い子し過ぎていて面白味に欠けるが、このアニメは脇の方の、特に悪役気味のキャラが大変に魅力的なのでイイねえ。


2003年12月22日 月曜日

『聖夜の贈り物“ブラック・ジャックスペシャル!命をめぐる4つの奇跡”』

 まるきり原作に忠実な内容でのアニメ化。
 そりゃもう面白い事は面白いんだけど、それはアニメとしての出来が云々ではなく、手塚 治虫先生の凄さに寄りかかっているもの。
 作画が凡庸なのは痛いなあ。
ピノコだけは執念の作監修正でも入っているのか可愛く描けていたが、他のキャラには崩れが目立って…
 演出的にも、取り立てて鋭さは無く、普通。

 コンピューター手術の話、ラストはちょっとだけオリジナル要素が入っていた。
 現れた立体映像は、技術者女性の死んだ(あるいは開発に打ち込む余りの離婚で別居した)娘、というようなものなのかな?
 原作を現代に置き換える際、「機械に人間は診られない(自分には無理、という判断を下せる程 進んだコンピューターだ、とも言えるが)」というのから「機械と人間が共生関係を取れるなら、やっていけるかも」といった希望を持たせての終わり方に変えるのは、悪くない。
 ただ、このオリジナル要素をもっと活かそうと思うなら、女性のキャラクターを最初からその方向に沿って描き、伏線を引いておくべきだったかな。
唐突に感じられてしまったので。

 全体に、うーん…「原作を台無しには していない」というだけでも、評価すべきかも知れない。
アニメで初めてこれらのエピソードを知った人になら楽しめたのではないだろうか。
 逆に、原作を読んでいたなら、あらゆる意味で見る必要はない作品。

 どうしても出崎 統によるOVA版と比べてしまうな。
あちらはストーリー・キャラクターの理解共に、かなり大幅なオリジナル要素が加えられており、好き嫌いが出てしまいやすい部分はあった。
虚しさを残す終わり方をしてしまう話が多いのも、善し悪し。
 でも、個人的にはOVA版の方が好き。

 最近、仮面ライダーやキカイダーの作り物で、テレビで放送した姿そっくり…スーツのシワからチャックの感じまで忠実に再現したフィギュアが出ている。
 それとはまた別に、バンダイの竹谷・安藤氏などによるディテールアップされた、原盤に必ずしも忠実ではないが、ノスタルジーのみに訴えるよりも現代に生きさせる方向を目指したフィギュアのラインも存在する。
 今回のアニメスペシャルは前者、OVA版は後者。
 前者が悪い訳では決してないけれども、今日、遙かに昔の原作から新たに作品を造り出そうというのなら、後者の色合いも入れた物であって欲しいと個人的には、思う。



『エースをねらえ!』01.「テニス王国のシンデレラ」

 テレビ朝日、冬休み特番である「アニメセレクション」枠内で放送が始まったもの。
 上戸 彩が主演する同原作を元にした実写ドラマの放送が近いため、そのプロモーションも兼ねているのだろう。
 てっきり後に作られた『新・エースをねらえ!』の方になるかと思っていたのだが、傑作を数多く生み出した所謂「出崎・杉野」両氏が作り上げた旧作。
かなり久しぶりの鑑賞になるので、嬉しい。
 ただ、現放送スケジュールではシリーズの最後まで流せるのかどうか、ちょっと不安…

 「お目々キラキラ」や「高校生なのにお蝶『夫人』」など、特に男性視聴者には敷居が高い(抵抗が多い)外見をしているが、見てみれば その面白さは分かると思う。
開幕しばらくの鬱なイジメ的展開は確かにシンドイけど、その「タメ」が中盤以降、見事に花開いていく事になるので。

 今見ると、とにかく作画が安定せず、しかも使用可能な動画枚数の制限はかなり厳しい事が伺える。
 ここから必然的に、出崎 統監督の演出の特徴である「止め絵」を多用する手法が、生まれてくる事になったのだろうか。
それにより動画枚数を減らせる上に、その一枚だけには かなりの演出的コントロールを効かせられるので。
 そういえば富野監督も、「認めたくないものだな、自分自身の、若さ故の…」とか何とか長ゼリフをキャラに喋らせたのは、その間はアップで画面をもたせられ、作画枚数を節約できるからだ、と言っていたなあ。
 とにかく動かす事でキャラクターを表そうとし、それが許される状況にあった(実現できる状況を作り上げた)のが宮崎監督だと考えると、雀(すずめ)百まで踊り忘れず、苦労した環境が後々まで到る その監督のカラーを作り上げてしまう部分は、あるのかも。



『神魂合体ゴーダンナー』12.『去り逝く者たち』

 10話を見逃してしまった事もあるだろうが…
ちょっと、展開に付いていけなくなってしまった。
 何をやってるのか分からない、という事ではないが、何故こんな事をしているのかなど、キャラの行動にどういう意味を持たせたいのかが理解…いや、納得できなくなってしまって。

 セリフで説明されても、前回のゴオのブチ切れ行動には、??
そこに得心がいかないまま、そんなゴオをアッサリ見捨てて「敵」について行ってしまうルゥや、ダンナー破損のツケを払う形で死亡する静流(キレイな姿で保存されている所からすると、何かの形で蘇るんだろうが)、家出する杏奈、という行動を続けられても、気持ちは更に離れるばかり。
 「燃える」物語を成立させるには、視聴者の展開予想から、遅れるのは論外、全く重なってしまっても弱く、少しばかり先を行って強引気味に見る者を引っ張る必要がある。
でも、このサジ加減は非常に難しくて、容易に「視聴者を無視した話」に落ちてしまう。
 そういう所に嵌り込んでしまった印象。

 最初から かなりそうなんだけど、ゴオに魅力が無いのは痛いな。
熱血直情は「単なるバカ」とイコールでないはず。
 女性陣から好かれる程の理由を見いだせないのに、彼が何となくモテたり上手く行ったりしてしまう様子を見ていると、このアニメは「燃える」方向じゃなくて、「萌え」方向を狙っているんじゃないかと思ってしまう。
 「萌え」アニメの主人公は一般に、命を預かる程の重要性を物語中で持たされていず、人畜無害である所にこそ意味がある訳で、その骨格を「熱血(風?)巨大ロボットアニメ」に持ち込むのは無理が…


2003年12月21日 日曜日

 テレビ放送された劇場版『ドラえもん のび太とふしぎ風使い』を見る。
 映画24作目。

 藤森 雅也という方が担当されているオープニングが素晴らしい。
とにかく しずかちゃんが可愛くて( ^_^ )。
 映画全編この調子のキャラクターで通してみても面白いんじゃないだろうか…でも死ぬだろうな、作画的に。

 正直な所、『ドラえもん』映画は限界…を、もうかなり昔に通り過ぎてしまった所にいると思っており、内容にはまるで期待していなかったが…うん、それなりにまとまったお話になっていて、楽しい異世界への導入部から危機的状態に至り、クライマックスを経て日常に帰る、いつものフォーマットがキレイに決まっている。

 ゲストキャラとして、フー子の他に風使い村の少年を出した事で、印象を二分化してしまっているなあ。
 まあ、少年の方もドラマの中で何とか使いこなそう、という努力が成されているので、大きな問題だという程ではないんだけど。

 スネ夫の体が乗っ取られてしまうアイディアは、非常に良かったと思う。
マンネリを打破すべく、レギュラーキャラの関係に変化を加える意味で。
 スネ夫を元に戻そうと必死なジャイアンが格好イイ。
例の「歌」によるショックで心を呼び戻そう、という展開も良かったが、結局、友情によってはスネ夫は救えていないのが残念。
 元々自分が拾ったモノであったフー子を のび太に取られ、そこから生じたワダカマリに敵が付け入って操り…というぐらいに、もっとスネ夫をストーリーの中心に置き、友情の回復によって体内の敵を撃退する所を、クライマックスの一つに据えても良かったかと。

 全体に、宮崎 駿テイストが強く感じられる画面作り。
 風使い達の生活や周辺の環境が割に良く考えられており、画面に説得力があったのは結構。

 演出に非常なこだわりがあり、窓や水面に映る姿や、どこでもドアをくぐり抜けて空間が移り変わる一瞬など、時々ハッとさせられる事も。
 珍しい事に、本編でも しずかちゃんが可愛く描かれている。
 キャラクター全体に、「藤子・F・不二雄先生ライン」からはみ出すギリギリを狙っている感じがあった。

 詰め込みすぎで消化不良な部分も見られたが(四次元ポケットを奪回する所の力の抜け具合…)、特に子供の観客を飽きさせないため、刺激を与え続けようようとする意図があったのだろうから、スカスカでダルい内容よりは良かったと思える。
 作画・演出を含めてこのレベルを保てるなら、今後のシリーズも見続けたいな。



『プラネテス』11.「バウンダリー・ライン」

 ほとんどモビルスーツの原型みたいな宇宙服を売り込みにやってきた、南米小国の技術者の話。
 原作にはないオリジナルのエピソードだが、着想と、それを一本の物語としてまとめ切る力量には、圧倒される。

 パターンで流そうとしては、まず出てこない内容。
 こうして見終わってみると、『プラネテス』という作品のライン上から少しも外れていない事が分かるが、原作を漫然と読んでいるだけではココには思い至らないだろう。
本当、宇宙と地球を交互に見られるぐらいに広い視点と、自由な立ち位置からの発想力を持っていなければ。
 よく、「アニメだけしか見ていない人間が制作者側に回ると、表現できる物の幅が狭くなってしまう」と言われる。
確かに、縮小再生産を繰り返しているような作品も見る(自戒も込め)が…
 このアニメこそ、「幅広い知識と、それを活かす腕力」を持った制作者の作品だと思う。

 いや、アニメを大量に見るのは別に悪くない。
ココを否定してしまうとアイデンティティーの危機に見舞われるので(笑)。
 ただ、作る側に回るなら、それに加えて勉強をし、お約束に縛られて視界が狭くなってしまわないように努力しないとイケナイなあ、と反省。


12.「ささやかなる願いを」

 で、流れからすると今回はシリアスな内容になるかと思えば、複雑な意味を含ませる事が多い原作の中でも珍しく単純に「痛快!」と言い表せる、カタルシスに満ちた話を持ってくるか。

 今回は、「求めている物が なかなか得られない」というのをテーマに取れるかな。
 強制禁煙状態による禁断症状に苦しみ、タバコが吸いたくてたまらないフィーを中心に。
 ハチマキへの気持ちを自覚しながら、それが容れられず、誤解による勢いもあって気合いの入った服装でチェンシンとのデートに臨んでしまうタナベ。
 そういうタナベに苛立ちを感じるものの、事態を改善するような行動に出られない「オトコノコ」なハチマキ。
 チェンシンを求めて得られず暗躍(笑)するリュシーもだし、デートはしたものの相手であるタナベの心が他に向いているチェンシンも、そうか。

 タバコに寄せるフィーのフラストレーションを、テロによる爆発後の瓦礫の下で まだ吸おうとしてみたり、スモーカーズ・シートを目指してステーションの廊下を笑いながら走り出したりと、少々「狂気」の域にまで達しているように表す事で、食い物の…じゃなくて、ニコチンの怨みは怖いぞ!とばかりの暴走に到る「タメ」は十二分。
 「人類の危機」を救ってしまう、「個人的な怨恨」。
グローバルとパーソナルの壮絶なまでの落差が愉快で、ただ「勇気をもって皆を助ける」話よりもカタルシスを深くしてくれる。
 テロリストも、この結末を予想できていれば、爆弾は喫煙室じゃなくてトイレにでも仕掛けただろうに(笑)。

 テロリストが発する声明のバックに、これまで出てきたキャラをパッパッと映して見せ、「誰も部外者ではない」現状を表してみせるのが効果的。
 月面で採掘作業をする姿を見ていると、あのふざけた月面ニンジャ達でさえ、確かにこの世界の住人なのだと思わされてしまう。

 ラスト、波打ち際で念願のタバコを吹かしながら呟くフィーの「生きてるって、素晴らしいね」というセリフに、「純粋に、無茶な大気圏突入を経て生きていられた事への感慨」と、「仕事帰りにビールを飲んで漏らす『この一杯のために生きている』的に、禁煙生活を経て ようやくタバコが吸えた事への喜び」、そして「宇宙とつながる事で成り立っている人類世界が、終わりを迎えずに済み、まだこれからも『生きて』いける事実」といった多重の意味を含ませて締める、深い所もありながら、とにかく楽しく見られる お話だった。


2003年12月20日 土曜日

『D.C.〜ダ・カーポ〜』24.「記憶の扉」

 ロボット少女、美春が退場する話。
 悪くはなく、ちょっとジーンとしたんだけど、どうしても「恋愛ゲーム物」で「ロボット少女」だと、『To Heart』マルチを思い出してしまい、始祖( ^_^ )が「人間性」と「ロボットである限界」に驚異的なバランスを取っていた事からすると…物足りない。

 美春はこれまで、まるきり「人間」として描写されており、「ゼンマイが切れると止まってしまう」特殊性も、「異様なバナナ好き」というロボット関係無しの性格に印象負けしているぐらい。
 また、オリジナルの人間である「自分」がベッドに横たわっており、それを「偽」の自分が見ている、といったこの作品ならではの設定にも余り深く斬り込んでいないし。
 可愛い女の子との悲しい別れであり、最後にオルゴールのゼンマイが巻かれる所までキレイにまとまっていたと思うけど、もう一歩踏み込んだオリジナリティーを出して欲しかった所。

 あと、この手の作品では仕方ない部分もあるんだけど…
 現在、脇のキャラを片づける事に手一杯で、大筋である音夢のエピソードが置き去りになっているのは、シリーズとして見た場合、弱い。
 じゃあ他の女の子達をいい加減に扱って良いかというと、それぞれにファンが付いているのであろう事情を思うと許されるはずもなく…本当、難しいなあ。



『まぶらほ』10.「のびちゃった…」

 何とか、主人公が使える魔法回数を増やして、死の運命から救おうとするヒロイン達。
 効能が怪しいドリンクを飲まされたり、ひたすら体力作りをさせられたりと、彼女達は好意からやっている事なのだろうが、主人公からすると感謝よりも迷惑と感じる分量の方が多くなってしまうアプローチが楽しい。

 この作品は、
「可愛い女の子達に囲まれて、基本的には大ラッキー」
「でも、それにより多大な不利益も被ってしまう」
「そんな不自然な関係を通してチラチラと見えてくる、女の子達の『打算』や『優しさ』など揺れ動く思いと、そこから生じるキャラの『魅力』」
という辺りを描いていく事で、客を引き付けようとする構成を取っているんだと思う。
 基本構成だから必ずしも毎回この通りである必要はないが、何をすれば良いかを見失ってしまったような お話が散見されるシリーズなのは残念。

 今回は、「超」が付くベテランである小山 高生の脚本。
 樹木を絡めたエピソードそのものには強引さを感じたものの、ツボを心得たキャラクター描写はさすがで、楽しく見られた。



『君が望む永遠』11.

 知らされた時間経過がもたらすショックで、面会謝絶状態になる遙。
 溜まった苛立ちを解放し、激しい自責の念に駆られ、そして「覚悟」を新たにする茜。

 水月は、自暴自棄から関係を結んでしまった慎二の前で、折れたヒールの踵部分を ただただくっつけようとし、元には戻らない事を何度も確認する。
 この靴が、色々な物を象徴して居るんだろうな。
 壊れたような状態になっている遙。
 彼女と結んだ友情。
 夢だった水泳を諦めて実社会に入り、仕事で歩き回った自分自身の3年という月日。
 どこか壊れ、二足揃ってこそ果たせる「靴」という機能が失われてしまった事を、自分と主人公の関係が成り立たなくなりつつある事と重ねてもいるのだろう。

 そうなってなお(そうなったからこそ?)、「それ」は、どうにかしてやろうと差し出された慎二の手に委ねる事の出来ないもの。
 彼が買ってきた新しい靴を見せられた時、無事だった方の靴の踵も折り、自ら「壊れて(壊して)」しまうことによって 「壊れた」状態としてのバランスを取り、まだ自分の力だけで、選んだイバラの道を歩いていこうとする水月には圧倒される。
 ……慎二視点からすると、「何だよその態度は、コイツ!」だけど。


2003年12月19日 金曜日

 厳しい年末進行のお仕事、ようやく一段落。
全部終わった訳ではないけど、とりあえず。
 ううう、今回は辛かった。

 久しぶりに布団で寝ます。
起きたら、ぼちぼち更新したいと。


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