2004年1月14日 水曜日 |
『まぶらほ』12.「きえちゃった…」
主人公が使える魔法回数が非常に少ない設定にして、毎回それを減らしていく事で緊張感(?)や視聴者の興味を喚起してきたこの作品だが、今回まとめて2回使ってしまってついにゼロに。
夕菜を救いたいから魔法を使おうという、いつもながら、自らの命を省みない主人公のお人好し加減。
…というか、この作品では魔法を使い切っての「死」を、そんなに重い扱いにしてないんだけど。
彼を止めようとするが、その純粋な心に触れる事で うたれ、一礼して見送る凜が非常に良かったなあ。
で、消えた事にして次回まで引くのか、何らかの奇蹟によって回数がゼロにならないで済んだ形にするのか、と思っていたけど、エンディングの後、主人公が間の抜けた幽体姿で現れてオチになってしまった。
せっかくの盛り上がりが台無しだけど…まあ、この気の抜け方が『まぶらほ』らしいかな(笑)。
今回は、木村真一郎のコンテにも寄るのか、非常に面白く見ていられた。
このレベルを維持してくれれば嬉しいが…
『なるたる』01.「それは星のカタチ」 02.「災いは光の内」
キッズステーションで放送された時、飛び飛びには見ていた。
ある日、少年少女の元に現れた謎の生命体を使い、戦いが始まる、といった内容。
『バトルロワイアル』であり、『寄生獣』、物騒な『オバケのQ太郎』かな。
お話の内容やキャラクターは、未読だけど恐らくは原作の力により鬱気味でも面白いものになっていると思うが、演出とか作画のレベルは(見た限りの話で)安定して「高い、とはいえない」もので、一本のアニメ作品として視聴者にアピールする力が弱いような。
それでも、女性型の敵が見せる空中戦などは、異様な画作りがあり、なかなか楽しかったけれども。
この放送は、できるだけ欠かさぬよう見る事にしよう。
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』01.「公安9課」 02.「暴走の証明」
こちらは、レンタルの形でずっと先の方まで見ているのだが(確か僅かに感想も書いたような)、テレビ放送されるというので、見返し。
OP、EDは、多分時間短縮のために短くされている。
それは良いとしても…ミニコント(?)、『タチコマくん』が入ってないので、何だかちょっと物足りない気分。
初見の際には、特に第一話を、ゴチャゴチャしていて無用に分かり辛いと感じた覚えがあるが、こうして見直してみると、何の難解な事もなく内容が
するっと頭に入ってくる。
まあ、この第一話は「第一話」という特別な意識なしで作られているからね。
割と単純な事件を起こして、それよりも9課の面々や世界観を ざっと紹介する方に力を入れるのが、テンプレート通りの作り。
しかし実際には、事件は「義体」という設定に絡み、なかなか理解の難しい「体を交換して遊ぶ」という概念が謎解きの重要な要素になっており、9課の構成員は特に個々人が自己主張をする事の無いままに終わってしまう。
…原作のファンでもない一見さんには、かなり厳しい開幕。
この作品は、米テレビドラマシリーズのような構成を取っていて、ほぼ独立した話を重ねていく事で、次第に登場キャラクターに厚みが出来、見ている側も彼らに愛着を感じ、それにより更に面白く見られるようになっている。
第一話は、「この前に本当の第一話である2時間スペシャルがあり、そこで色々な説明が成されたんだけれども、残念ながら見逃してしまった」という理解の元で見るといいんだろう。
その「2時間スペシャル」で得られるはずだった、作品理解に必要な知識は、この後のシリーズを見続けていく事で無理なく分かっていけるようになっている。
各話がバラエティーに富んでいる事と、話によっては非常に面白い内容である事は、保証付き。
アクション主体で分かり易い第二話の方が、第一話として放送するのに向いているんじゃないかと思っていたが、先の方まで見てしまった身としては、実際の第一話の方が『攻殻機動隊』という作品を(少々分かり辛い所も含めて)よく表せていると思える。
あらゆる面で、「テレビシリーズ」として放送される作品に求められる基準を大きく超えている。
これが毎週、何となくテレビを付ければ見られてしまう、というのは、贅沢な事だなあ(
^_^ )。
|
2004年1月13日 火曜日 |
『MEZZO』02.「星の殻」
うーん、宇宙人まで出して風呂敷 広げすぎ、なのは良いとしても、物語があやふやで
しっかりとした核が感じられない。
追う男、追われる男、ダメなお天気キャスター。
天気予報が雨で外れる、という事に意味を持たせるのは、なるほど、だったけど、これも
ちょっとシナリオ的には強引すぎ。
30分では無理なほど色々な要素を入れようとしたため、空中分解を起こしてしまった印象。
それでも、アクションなんかは面白かったのだが。
『仮面ライダー555』49.
前回で片づいてしまったけれども、花形。
考えてみると、この作品では珍しい「大人」のキャラクター。
『555』って若者ばっかり出てるよね。
若さ故の未熟さがドッカンドッカンぶつかりあい続ける事で、展開させている話だから。
ようやくきっちりした「大人」が物語に絡んでくる事で、キャラ達はそれぞれの居場所を見つけ、終幕に向かってストーリーが
まとまり始める…
かと思えば、シリーズ構成が弱かった責任を負うように、怒濤の勢いでアレやコレやを説明し、言うだけ言ったら死んでしまった。
早い、早いよ(笑)。
草加の死に様は、余りにも無惨で、無意味。
だからこそ人の心に残り得るのかも知れないが。
何となく、『灰とダイヤモンド』という映画ラストの、惨めで印象的な死を思い出す。
強い相手には徹底して媚びへつらい、その相手が いざ弱ったと見るや、ここぞとばかりに容赦のない攻撃を加えて来る卑劣な琢磨が素敵。
オルフェノク王に怯えて泣きながら逃げ出す情けなさも、また素敵(笑)。
それで…ええっ?もう来週が最終回?
壮絶に取りこぼしが出来そうだなあ。
アレもアレもアレだって、とても掬い切れまい。
きっと壮絶に物議を醸し出す最終回になるんだろうな( ^_^ )。
今年の春は、花粉の量が少ないらしい。
ここしばらく聞いたニュースの中で、一番嬉しい内容。
去年は酷かったからなあ。何とか楽に過ごさせて欲しいモノだ。
|
2004年1月12日 月曜日 |
『プラネテス』13.「ロケットのある風景」
地上に降りたハチマキ・タナベ・ユーリが過ごす、休日の日々。
「今」と確実に地続きであるハチマキの思い出、過去は「過去」として心の中に落ち着かせる場所を見つけられたユーリ、ハチマキとの「未来」が見えてくるタナベ、と三者三様の心理を、兄・ハチマキに追いつき追い越していく事を目標にする、揺るがない真っ直ぐな視線を持った弟を介在させる事で描いていく、充実感のある
お話。
ロケットによって壊されたコンパスを無言で見つめ続けるユーリ、不安げに「大事な物?」と尋ねるハチマキ弟、コンパスが持つ意味を自らに問いかけるように更に黙るユーリ、打ち寄せる波の音、彼の硬かった表情がゆっくりと緩み、「いえ…気にしないで下さい。元々壊れていて、使えなかったんですから」と語る。
このセリフの意味する深さ!
ここで見られる「間」によって物語の味わいが大きく増している。
「間」ってのは、動かない紙媒体の漫画ではなかなか表現できない所で(超一流作家の中には、表せている人も居るけど)、これの上手い演出家と
それを支えられる作画スタッフが手掛けてくれるなら、完成度の高い原作であってもアニメにする意義は
あるなあ、と感じてしまう部分。
原作と違ってユーリが丁寧語で喋り続けるのに違和感を感じていたが…
ずっと彼の心を縮こまらせ続けていた「傷」。
世界中を旅し、座禅を組み、「目から鱗が落ちる瞬間」を一人で追い求めても
ついに得られなかったが、ネイティブアメリカンの老人に言われた「あなたは物事を、何でもハッキリさせようと
し過ぎる」という言葉の意味する所が、壊れたコンパスと、「疑いようのないものを持っている」ハチマキ弟と、自分を心配して走ってくる仲間達を目にする事で、胸の中にゆっくりと拡がっていく。
彼は、「もっと楽に生きて良いのだ」と分かる事で、目から鱗を落とせたのかも知れない。
その心理的転換によって、仲間達にタメ口がきけるようになるユーリ。
この変わり方には、ハチマキ・タナベだけでなく、視聴者も一緒に驚いてしまう(
^_^ )。
驚きと同時に、「楽」になったのであろうユーリの心が、とにかく嬉しい。
地上にある自宅で、家族と過ごすデブリ課の面々。
良い夫の顔を見せる課長、良き父親ぶりを発揮するラビィなどが意外。
宇宙でのダメぶりとは別人のよう(笑)。
彼ら一人一人に背負う物があり、宇宙に出ていく理由がある。
これからの物語に厚みと重みを加える、有意義な お話だった。
テレビ放送された映画『アルマゲドン』を、ええと都合3回目ぐらいの鑑賞になるのかな、つらつらと眺めていて思った事。
あー、この映画で描いているのは、「SFアクション」でも「地球を守る男達の戦い」でもなく、「無骨で乱暴な頑固オヤジが、何より大事だった娘の結婚を認め、祝福できる心理状態になるためには、人類を絶滅寸前まで追い込むような大イベントが必要だった」って事だよねー。
いや個人的にはそういう映画に決定。
新年会が続いていた。
今日は何も無い日なので、ゆっくりと休肝。
|
2004年1月11日 日曜日 |
『ふたつのスピカ』09.「カンパネルラの森」
この作品は、「回想」というより、「イキナリ時系列が前後する話」を入れてくるから、ちょっと戸惑う。
しかも…もっと進めば分からないけど、この時点では、何故ここに この話?というのが理解できなくて。
冒頭に出てきた、小さい頃の万里香と遊んで上げていたチビライオンの男の子は、誰?
現在の「ライオンさん」かと思ったけど、時間経過がおかしいような。
霊的存在だから、そういう制約を受けない?
少年の頃の「彼」が残した書き置き。
その結びである「それが、ぼくの、ぼくの夢です」という言葉を「彼」と先生が重なって読み上げる事で、故郷を愛した「彼」の心が先生へと受け継がれたのを表す辺り、非常に上手かった。
お話としては良い内容だったと思うけど…
だからこそ、構成の分かり辛さが気になるなあ。
『トランスフォーマースーパーリンク 』01.「浮上! サイバトロンシティ」
これまた、3Dを駆使したアニメ。
『SDガンダム』と違うのは、人間キャラや背景は昔ながらの手描きで表されている事で、やはりまだその方が表現力が高く、安心して見ていられる。
ストーリー的にも悪くない出来…なんだろうと思うが、『トランスフォーマー』シリーズでマトモに見たのはお笑い『ビーストウォーズ』だけ、というテイタラクの人間にとっては、少々敷居が高く感じてしまう。
何が何だかサッパリ、という程ではないにせよ。
見られる限りは見続けようと思うけど…
|
2004年1月10日 土曜日 |
『超重神グラヴィオン・ツヴァイ』01.「超重神再臨」
仕切り直しての第一話だけあって、作画は非常に良好。
良くも悪くも、そのまんま第一シーズンの続きであり、間が空いた事を感じさせない作り。
…つまり、一見さんには厳しい内容でもある訳で。
量産型を出したのだから、そのクルーが目指す姿として本家搭乗員達の概要や以前の戦いを紹介してみるとか、主人公達がメイドにならされたシチュエイションを利用して、城のアチコチを目にしていく事で「そういえば俺が初めてグラヴィオンに乗ったのは…」みたいに回想を混ぜてみるなど
すれば、初見の人や、既に第一シーズンが記憶から薄くなってしまった人に優しい内容には、出来たと思う。
でもまあ、この作品はロボットアニメのエッセンスを抽出する事で成り立っており、「だいたい『コンバトラーV』ね」「敵は『イクサー1』?『エヴァ』?」なんていうパターンな理解で十分見ていられるため、分かる人には懇切丁寧な説明など必要なく、これで分からない人は…どうせ説明したって来週からは見てくれないだろう(笑)。
相も変わらぬサンドマンの、ダサさの境界線ギリギリな格好良さが実にイカス。
自分の認証無しではグラヴィオンを合体できなくしている自己主張の激しさ。
遅れてきたオトシマエだとばかりに、わざわざ危険な飛行甲板上に立って合体を承認してみせる劇場『999』ハーロックばりの俺様ぶり。
イイねえ。
大張カラーの象徴でもあるような彼が物語の中で活きて(活かされて)いる限り、この作品全体のテンションも落ちずに済むんじゃなかろうか。
今シーズンで完結だとすると、最後の方はかなりシリアスな まとめのプロセスに入ってしまい、勢いが失速してしまうのではないか…という事だけは、ちょっと不安。
謎解きなんか全部放り出しても構わないから、今のままの楽しさを壊さずに最後まで駆け抜けて欲しいな。
|
2004年1月9日 金曜日 |
『無人惑星サヴァイヴ』11.「優しいメロディ」
高飛車娘・メノリのエピソード。
集団作業に入っていけない彼女の精神の根元を、父親が施した帝王学と、母親の優しさに求めていく。
てっきり最後は「他者との間に距離を置けという父は間違っていた」と否定で締めるモノかと思ったが、そういう教育が成されて形作られた自分をも自分と認めつつ、命を賭けてプライドに見合う成果を上げ、心を僅かに開く事が出来る新しい「自分」に成長して見せる、とても気持ちの良い終わり方だった。
タマゴを取ろうと、切り立った崖をメノリ一人で昇っていく所。
足を滑らせて指先だけで張り出しに掴まるシーンが、『カリオストロの城』でのルパンの有名な三段跳び後の動作と非常に良く似ていて、これで今回の演出が友永
秀和なら、やっぱり元スタッフだからとか何とかこじつけようと思ったけど、全然別の方だったので、偶然か、好きだったからつい、か。
ちょっと懐かしかったな。
『エリア88』01.「砂漠の翼」
新谷かおる先生の傑作漫画をアニメ化したもの。
20年近く前にも、OVA(劇場公開も)のシリーズとして一度アニメ化されている。
原作を読んだのは ずいぶん前の事なので、細かい記憶は不確かだが、傭兵が集まる基地の荒っぽさ、男臭さ、日常的に死を目前にしている事から生じる妙な高揚感など、雰囲気は上手く掴めていると思う。
心配された3Dによる戦闘機のドッグ・ファイトも、そんなには悪くないモデリングと、アクションや構図の組み立て、振動を受けて震えるカメラなど
こだわりが見られ、十分楽しめる物に出来ている。
…メカにウルサイ方達の感想は分からないけど。
撃墜されるシチュエイションに驚く程の多彩さが見られたOVA版には全然
負けているが…まあ、まだこちらは始まったばかり。
『頭文字D』の3Dも、最初はダメダメだった。
回を重ねる毎にスタッフのスキルが上がってくる事を期待したい。
残念なのは、原作からキャラの雰囲気がガラッと変えられてしまった事。
言えば、このアニメの方がリアル寄りだが…
乾いた砂と硝煙の匂いが立ち込める殺伐とした戦場と、新谷先生の流麗で華奢にさえ見える
デフォルメ割合が高いキャラクター、という取り合わせのアンバランスさが、原作の独特のテイストになっていたので、「違和感が無い」とも思えるキャラクターデザインに変えられてしまうと、全体の印象が弱く感じてしまう。
マッコイ爺さん、あの無茶な鼻が好きだったのにぃ…(;´д⊂)
とは言え、このアニメで初めて作品に触れる人には、全く違和感ないデザインだろう。
かえって、後で原作の絵を見た時に戸惑ってしまう可能性が高いぐらいで。
一番の売りになるべきドッグ・ファイトにそれなりの迫力がある事、主人公である風間
真が戦場に居る事に 何か隠された事情を感じさせる事、など、第一話としてのツカミはオッケー。
原作も読み、OVAも見ている身なので客観的には判断できないが、傭兵だらけの戦闘機基地、という特異な舞台設定についても、基本的な理解ぐらいは
してもらえたと思う。
せっかく部外者であるカメラマンが基地に入ってくるのだから、彼の目を通す事によって前知識ゼロの人間にも設定を分かり易く紹介できたと思うけど…まあ、そこまでしなくても分かるよね。
同じ「真」という名前を主人公とカメラマンに設定し、戦場に入り込み戦況を動かす者と、ただそれを写し取る者…手を血で汚す者と、その掌をカメラに納める者、といった差異を設け、主観と客観の視点を使い分けていく構成が面白い。
「あんたの発射ボタンがシャッターだったら、ピュリッツァー賞確実だ」
「お前のシャッターが機銃の発射ボタンだったら、俺は墜とされていたかも知れない」
という渋い会話も、非常に良い感じ。
シリーズ構成が大野木 寛なので、原作の面白さを大きく損なうストーリーになる事は、まず無いと思う。
作画面には若干不安が残るけど…
最後まで見続けよう。
|
2004年1月8日 木曜日 |
『十兵衛ちゃん2 〜シベリア柳生の逆襲〜』01.「地球のどこかがとけていた」
大地 丙太郎監督による、前作の正統な続編。
う〜〜ん、何故 今、続きを?
前作も、面白い部分は多々あったが「大ヒットした」という訳じゃないだろうし、最近になって再評価の動きが…という事もないと思う。
誰か思い入れのある人間が居て(監督?)、またやりたくなったから、と理解して良いのかな?
作画は良好、監督自身のコンテだけあって、ギャグやアクションの演出も冴えている。
女の子達は可愛いし、男の子達はバカだし、で、楽しく見る事が出来た。
でも…ごめん、前作がどうなって終わったんだったか、もう記憶に薄い。
自由は、ええと、父親と対決したんだっけ?ああ覚えてない。
新作を始めるなら、事前に前作を流してくれると嬉しかった。
せめて もう少し回想シーンなど挟んで、一見さんにも優しくするとか。
今作を100%楽しみたければ、DVDを買って『1』を復習しておけ、という商売(
^_^ )?
『1』の内容をしっかり覚えている事、を前提として作り続けられるなら、この続編の面白さは十全に受け取れないかも知れない、という点は不安。
ラブリー眼帯って、前作ラストでどうなった?コレさえ覚えていないから。
新キャラの金髪女の子・柳生フリーシャ、この子については(当然ながら)これで初めて知っていって構わないので、一番
安心して眺めていられる。
大地監督なのだから、独立して これだけ見た人間でも楽しめる内容にしてくれるだろう、とは信用しているし、最後まで見るけども。
『マリア様がみてる』01.「波乱の姉妹宣言」
原作については、ブームになっているらしい、という程度の知識。
先日 文庫本を購入したけれども未読のままなので、このアニメ版で初めて内容を知る。
女学校でミッション系で耽美で百合という遊びやすい世界を舞台として、歪んだ(
^_^ )ドラマが展開されるもので、気が付くと、見ている間ずーっとヘラヘラ笑っていた。
出てくる女の子達がみんな美人だから もっているけど、コレが男子校で、ゴツイ野郎共が互いを妙な名前で呼び合い、うふふ
な関係を築いている話だったら どんなにイヤだろう、とか思って(笑)。
耽美世界では『おにいさまへ…』という作品があり、特異な学内システムが存在する作品では『丘の家のミッキー』(久美沙織)なんかを読んだ事があるので、そこそこ免疫は出来ているつもりだったんだけど。
「歪んだ世界」は、上手くすると強烈な吸引力となって見る者を引き付ける。
でも、この第一話ではその、歪みに見る者が耐える事でもたらされる「ご褒美」が約束されていないので、積極的に世界内に入っていこうという気力が湧かず、つい要らない事を考える「余裕」が出来てしまう。
主人公の女の子の内面が分からないし、彼女を妹にしようという お姉様は即物的、生徒会…山百合会の女生徒の見分けなど全然
付かない。
この先を見続けて、各キャラの魅力が出てくれば面白くなっていくんだろうけど、とにかく第一話としてのツカミは、「歪んでるねえ」という事以外、感じ取れなかった。
大量の文字データを挿入でき、文庫本一冊の単位で刊行される原作と違い、アニメの第一話に込められるデータ量は限られているのだから、もっと整理して、「ココが楽しみだから次回も見る!」という気持ちに視聴者を
どうやってさせるか、ポイントを絞り込むべきだったと思う。
現時点では取り立てて魅力的でない主人公と、よく分からない上級生の お姉様が、スール(姉妹)になろうがどうだろうが、オレに何の関係がある?と見る者に思わせてしまっては最後。
目を奪うような大事件が発生しない学園モノでは、主人公への感情移入度を上げさせる事が、舞台の概容を見せるより何より、一番大切だと思うんだけどな。
原作のファンにとっては、お馴染みのキャラクターが第一話から、ズラリと顔を並べてくれた事だけでもツカミになった…のだろうか?
画面の作りには緊張感があって楽しめ、次回以降も見続けようと思う出来ではあった。
耽美な作品は作画が崩れると目も当てられなくなるので、このレベルをどこまで維持できるか、見物。
|
2004年1月7日 水曜日 |
『SDガンダムフォース』01.「その名はキャプテン」
メカだけでなく、キャラや背景までも全て、3Dポリゴンをセル調にレンダリングした物で構成されている。
『ゾイド』『マシンロボレスキュー』のようにメカだけや『カービィ』みたいにキャラの一部まで3D、という例はいくつもあるが、30分作品として、ここまで徹底して手書きの部分を排した作品は珍しいのではないだろうか。
その3D…
やっぱりまだ、ダメなアニメーターの仕事よりは良いにせよ、腕の立つ人間の手描き作業には全然負けている、という段階。
ガンダムなどのメカ描写については、やたら線が多いデザインの物を歪み無く動かせている、という部分でアドバンテージがあるけれども、人間キャラの方は
ただもう、辛い。
棲み分けて、組み合わせて、手描きと3Dをそれぞれイイとこ取りにするのが吉ではないかと思うんだけど。
お話。
普通の『ガンダム』世界とはもう全く別物で、子供向け。
子供以外を喜ばせようという意図はほとんど無いのであろう、「SDガンダム」独自のワールド。
「死」「破壊」というシビアな概念は薄く、「やっつける」「覚えてろよ〜」という、まあ、「お子様には丁度いいよね」と大人が考える程度の味付け。
キャプテン・ガンダムの胸に輝く何だか「ガンダム・ソウル」みたいなものが、主人公の少年との友情パワーで強くなったり弱くなったりして行くのだろうか。
……これ、別に『ガンダム』でなくても出来る話だよね。
ってのは、『Gガンダム』にも『∀ガンダム』にも言えてしまうから、禁句かな?
シールド下部から飛び出る杭を地面に打ち込んでの格闘戦、ビームを跳ね返すシールドのパワーなど、戦いを面白く見せようという工夫はある。
ライティングなどによっては、キャプテン・ガンダムが凄く格好良く見える一瞬もあったが…
とにかく、ナニガシか思い入れのある人間が『ガンダム』というブランドに求める要素はキレイに除外されているため、いっそ清々しくさえあるけれども、正直、今後も忘れずに見続けたいという気持ちにまでは
なれない。
時間がある時には見る、というぐらいのウエイトかなあ…
『ごくせん』01.「わけあり新米教師誕生 !!」
実写版を見ていないし、原作も未読。
物語の作り方として、「ミスマッチな取り合わせ」というのはオーソドックスで、「教師」という堅い職業に「ヤクザ(の孫娘)」がつく、というのも、そんなに驚く程オリジナルな思いつきではない…と思う。
主人公が暮らす家の稼業がヤクザ(「極道」…はともかく、「暴力団」に呼び換えるとイメージ悪くなるな)、という設定だけなら、江口寿士『ストップ
!!ひばりくん』や富樫義博『てんで性悪キューピッド』なんてのもあった。
しかし、ヤクザ、という事で考えられる優位性…「本職」を見慣れる事で養われた、グレた高校生程度の脅しには全く動じない肝っ玉や、遺伝なのか何なのか備えられた驚異的な体術などが物語中で活かされており、第一話としてのツカミはオッケー。
スーパーヒロイン(水戸黄門?)的に正体を隠す所や、「とぼけた女教師」として生徒に舐めてかかられる事を
かえって喜んでしまう(昔の同級生との間には距離があったから)所など、付加的な設定も面白い。
演出や作画的には、悪くはないけど取り立てて優れている、という部分も無かったが…
先々お話としての面白さが上がっていく事を信じて、十分見続けようと思わせられる出来。
|
2004年1月6日 火曜日 |
『究極癒し戦隊ヴィーナス・エンジェル』01.「優しい献身的な彼女大作戦!」
実写スーパーヒロイン物…かな?
アダルトビデオ程度の制作費しかないのが見え見えの安い画面、楽屋オチのギャグが壮絶に空回りする脚本、学芸会のようなダルい演技、にダメージを受け、3分程で視聴終了。
コレと比べるなら、『セーラームーン』でも、堂々たる舞台俳優が顔を連ねるブロードウェイ・ロングラン公演のシェイクスピア劇に見えてしまう程(言い過ぎ)。
放送が始まる前は、実写版『セーラームーン』も こうなるものだと思い込んでいた。
しかし、女の子達の可愛さ、彼女達の「演技力の限界」を踏まえて構成された素晴らしい脚本、スタッフの熱意により、所によってはアニメ版よりも優れた箇所さえ表れてきている。
それは「必然」ではなく、どちらかというと「奇蹟」に近い出来事で、どこか少しでも狂えば、この番組のように見る価値が無い作品になってしまっただろう。
(掲示板で、この書き方はどうか、というご指摘を頂きました。同様に御不快な思いをされました皆様に、お詫び致します)
…という事が確認できたのは良かった、というだけの作品。
水木一郎が出てるけど、それだけで見続けられるほどの役回りでもなく。
真面目にドラマとして見せる作りではなく、バラエティー番組のワンコーナー程度の位置付けなんだろう。
もう、いいや。
|
2004年1月5日 月曜日 |
『MEZZO』01.「恋の殻」
梅津 泰臣原作・監督・キャラクターデザインによる、美少女主人公版、不思議事件アリの『探偵物語』といった感じかな。
梅津色バリバリの濃いキャラが何とも。
第一話だけあってか、アクションにも非常に力が入っており、よく動いていた。
ストーリーも凝っていて、「復讐をするために、記憶喪失になってしまった相手の記憶を取り戻せる薬が必要」というもって行きようなど、よく考えてある。
オチは、ちょっと唐突ではあるけれども…ヒネった話にしようとした気概は伝わる。
「探偵モノ」は、何でも入るフォーマットであるが、それ故に面白く見せるためには毎回「面白い話」を入れていかねばならず、シナリオライターへの負担が厳しい。
この作品では、メインのライターを才人の吉岡たかをが務める事で、最後までこのクオリティーを保ってくれる希望が持てる…と思う(ここで見ると、氏の脚本は3話目からのようだ)。
2話目でもう宇宙ネタを出してしまう(のかな?)暴走ぶりには、ちょっと不安を感じてしまうけど。
キャラクターはもう、何でも出来てしまうスーパーガールの女の子よりも何よりも、とにかく広川太一郎声で喋る探偵長(?)が全て。
「思いッきしふくれっ面したって、金にはなんないのよ、マーネーって」
「何とかして頂戴、ついでにお金もチョーダイ」
隙があったら駄洒落だの何だの、とにかく妙な事を喋りまくる広川演技が、大変に懐かしくて嬉しい、なんて思っちゃったりなんかしちゃったりなんかして(広川調)。
この方は、もうアニメのシリーズで声をやる事はないだろうと思っていた せいもあって、余計に。
この事だけで、例え他には何も無くても、最終回まで付き合うぞ!
『BPS バトルプログラマーシラセ』第一部最終話.「惑いのBPS!女スパイ?の甘い罠 いい日旅立ち拉致監禁」
一つの話を三分割にして週一で放送されるという、最悪の形態を取らされてしまった不幸な作品の、第一部最終回。
最後はスペシャル枠だった…とは言っても、『瓶詰妖精』が先に終わったため30分枠で2話放送できた、というだけの事。
時間の都合により、オープニング、エンディングまで2回ずつ入ってしまう格好悪さが何とも。
プログラマーである主人公が、襲い来る危機に対してプログラム(ハッカー?)能力で立ち向かい、相手を完膚無きまでにやっつけるのが、このアニメの基本スタイル。
「プログラム」に特化して歪んだ世界になっており、それは命を賭けたベイブレード(ベーゴマ)が行われたり、国際紛争をクラッシュギア勝負で決着したり、という特異な世界と同じレベル。
それを もうちょっと見た目大人向きにして、主人公が「ロリコン」などというテレビアニメとしては
とんでもねー要素(笑)までブチ込んで、出来たのが このアニメ。
毎回、割に面白く見ていた。
登場する女の子達がみんな可愛いのもポイント高い。
しかし、制作スタッフの責任ではないが、とにかく話がブツ切れになっている事で「充実感」が薄く、これでは作品が本来持っていたパワーを視聴者に受け取ってもらう事は、難しかっただろう。
第二部があり得るなら、完全な形で放送してくれる事を期待したい。
火星探査車、無事着陸。
あれ?着陸に成功した途端に、目の前の地面をモコモコと盛り上げて動いていく火星生命体を発見するはずじゃあ…って、それはだからウソ番組『第三の選択』(笑)。
日本の宇宙計画に上手く行かない事が目立つのは残念だけど、それでもこれは「人類の一歩」として、素直に喜ぶべきだろうな。
|
2004年1月4日 日曜日 |
『君が望む永遠』最終話.
うーん、ベストな終わり方は、孝之が事故に遭って鋭いガラスで左右に両断され、遙が右半身、水月が左半身を仲良く分け合い、中身が見られる冷凍カプセル状のものにでもブチ込んで保存しておく事だったと思うんだけど。
それを、出掛ける時や帰ってきた時、暇な時 悲しい時 嬉しい時に話しかける対象とし、心の平穏を保つ。
水月は自分で働いており、遙もまた、裕福なのであろう両親の庇護下にある事で、経済的に孝之が必要な訳ではない。
もっと言えば彼は、生きて、勝手に動き回る事で彼女らの負担を増やす役にしか立っていず、「私の側にだけ、いて欲しい」という彼女らの気持ちを満足させる以外には、元々存在価値がない。
それならば、死んだ姿であっても構うまい。
「良い孝之は死んだ孝之だけだ」と割り切って(笑)。
いずれ、時が経って彼女達が冷静さを増し、日常生活で出逢う男性の中に好意を抱ける相手を見つけられたなら。
「何でこんな猟奇的なモノ部屋に置いてあるんだろう、私」「よく考えてみると、コイツってロクな男じゃなかったよね」という所に思い至り、生ゴミの日にでも半分孝之を処分して、サバサバした気持ちで新しい人生を踏み出せたに違いないのだが。
…という馬鹿話は置いて。
最終話まで、水月エンドでも遙エンドでも選べる構成になっていたので、「病院の女医さんエンド」「水月職場の先輩エンド」などというムチャクチャな終わり方でもしない限り、どうとでも締められたろう。
水月の方が孝之に対して払ったコストが高い事で、代償を求める権利を より多く認められた、という感じかな。
ただ…
女の子達には感情を入れて見られ、幸せを願う気持ちにもさせられたので、水月がそれで幸せだというならハッピーエンドだったのだろうと思うが、その得た対象にどれだけの値打ちがあったのかは、前述の冗談でもないけど、実に疑問なんだよね。
水月自身にとって孝之は、「友情」「水泳への夢」「3年の月日」これらかけがえのないモノに換わるだけの価値がある存在で「なければならない」。
だから、諦めてしまう訳にいかなかったのは分かるが…
視聴者にとってはやっぱり、「それほどのヤツかなあ?」としか思えないし、彼が側にいる事で今後
幸せになれるかどうかも疑問。
よって、どうしても感動が薄くなってしまう。
萌え系作品の主人公には、もうちょっとどこか良い所があるもの。
孝之は、同性から見てほとんど全く、魅力を見いだせない男だったな。
しっかりと自立しなければならない局面に来て、会社を辞めてしまった水月の行動が謎。
それほど頼りない心理状態にあった事を示しているのかも知れないが…
同様に、ファミレスを辞めてしまう孝之も、?
出来るだけ遙から遠い所で暮らすため…かと思ったけど、確か正社員の研修は北海道でやる予定だったような(ラストのスーツ姿もよく分からない)。
結局、思い出をバネに童話(絵本?)作家への道を歩む遙、先輩の背中を追い越して金メダルを目指す茜の姉妹に比べると、主人公と水月の2人は、「学生時代の関係を維持する」事だけに汲々とするモラトリアムな人間のままなのか、とさえ思わされてしまう。
良く出来た設定、魅力的なキャラクターの配置があり、毎回、ドラマがどう転がっていくのか大変に興味深く見てきたが、そのドラマを面白くするための都合(慎二と寝てしまう水月とか)に きちんとケリを付けられるほどの終わり方だったかどうかは、疑問。
見続けるだけの価値がある内容だったとは思うけれども。
まあ、こういう傾向の作品で、例えば「ラスト2話ぐらいを全く任せるから、誰しもが納得する終わり方にしてくれ」と言われても、無理だよね。
三角関係は、始めるよりも終わらせる事の方が、遙かに難しい。
自分ならどうしたかなあ、などと思わせてくれただけでも、価値アリとすべきか。
※孝之がバイトしていたファミレスの正社員研修が北海道で行われるというのは、あゆのウソではないかという ご指摘を頂きました。
そうだったのかあ!
|
2004年1月3日 土曜日 |
『出撃!マシンロボレスキュースペシャル お正月だよ大隊出場!』
単なる総集編にでもなるのかと思っていたが、登場キャラクター達のその後を丁寧に、そして夢を持って描いてあり、非常に楽しく見られた。
シリーズを通して積み重ねてきた子供達の思いに、ある者は全く沿った進路を選び、ある者は少々意外な現状にあり、ある者は勢いがつき過ぎたのか無茶な所にまで行き着く…小百合のことだけど(笑)。
しかし、皆それぞれに充実した毎日を送っているようで、ずっと見てきた視聴者としては、単純に喜ばされてしまう。
本来の最終話には不満が残ってしまったのだが、このスペシャルでキャラへのフォローが完璧に成される事により、シリーズ本体への評価も上昇。
そうそう、戦いなんか最初から どうでも良かったし、もっと言えばレスキューだって子供達を彫り込む方便に過ぎなかった。
個性豊かなキャラクター達をきっちり生かし切る事さえ出来たなら、この作品のあるべき意義は、全て果たした!と言える。
価値のあるスペシャルだった。
WOWOWで放送していた映画『タイムマシン』を見る。
H・G・ウェルズの原作を、彼の曾孫に当たるらしいサイモン・ウェルズという人が監督として映画化。
主演はガイ・ピアース。
ラストまで全部バラすから、以下を読む方は気を付けて。
不幸にも殺されてしまった恋人の命を取り戻そうと、主人公は必死の思いでタイムマシンを完成させ、その事件の直前に到着、彼女を助け、不幸な歴史を変える事に成功する。
…が、全く予想もしなかった他の事故に巻き込まれ、やはり恋人は死亡。
結局、「彼女が死ぬ」という歴史上の事実を変える事は出来ないのか?
時間テーマとして非常に魅力的な導入部で、グイグイと引き付けられる。
主人公は、歴史を変える方法を求めて遙かな未来へ…というのも面白い。
しかし、大災害により退化してしまった人類に出逢う辺りから映画の魅力は一気に色褪せ始め、B級C級のアクション物になり下がってしまう。
それでも、「恋人の死」というのが映画にとって一番のテーマであり、最後には解決されるべき命題である、と見る人は皆
信じていたと思うんだけど……
イキナリ、観客の生理を無視して主人公が「まあ、それはそれで仕方ねえや」とばかりに諦観してしまい、しかも彼の生きていた時代へ帰る事さえ どーでも良くなるという、突然のストーリーのブン投げぶりに、ポカーン。
非常に好意的に見るなら、「昨日を振り返ってばかりいるより、明日に向かって生きるべきだ」というテーマになるのだろうが、ややもすると「新しい女が出来たから、前の女の事なんかスッパリ忘れちゃおう」というような、前向きすぎ、割り切りすぎの(笑)値打ちがない人間のように、主人公が見えてしまう。
脚本家が、シナリオ完成までに何人も居たから、混乱したとか?
もしくはウェルズの曾孫、どうもコレが初の監督作品である事で、「映画の主題」というモノをきちんと押さえておける程には、能力がなかった?
まだしも、「恋人の死」などという意味ありげな要素を排除して、「タイムマシンが出来たぞ、わーいわーい、嬉しいから色んな時代へ行っちゃえ〜」と 大はしゃぎのアホ科学者を主人公に据えた、最初から何も無いアドベンチャー映画にした方が、まとまりだけは良くなったんじゃなかろうか。
ホログラム・スクリーンの中だけに存在する、あらゆる知識を備えた黒人のガイドは、愉快で魅力的なキャラクター。
フィルム早回しのように、タイムマシン周辺の時間がビュンビュンと過ぎていく特撮には力が入っており、絵的に面白かった(この映画のタイムマシン機構そのものには疑問が色々あるけど、まあそれは置いて)。
でも……
ストーリー的には何ら見る価値のない映画だと思う。
|
2004年1月2日 金曜日 |
『銀河鉄道物語』08.「残照」
鉄道整備係であるジイサンの、熱い「漢」ぶりが染みる話。
未熟な主人公に厳しく当たる老人、生じる反発、老人が胸に抱いてきた想いが明らかにされ、それにまつわる事件が発生、必死な行動の中で互いに理解し合い、全てがキレイに収まるラストを迎える。
この手の話としては教科書的に良く出来ており、青野 武熱演による老人の無骨さと若者を見つめる目の優しさが、『さよなら銀河鉄道999』の老レジスタンスを彷彿とさせる事で、一層味わい深い。
同じく松本 零士先生のアニメでも、こちらは地道に、着実にエピソードを積み重ねており、派手さこそ無いものの、見応えがある。
『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』最終話.「…涯」
うーーん…
色々な事に全て納得がいかない。
13話もかけて、どうしてこんなに内容が無いのか。
「ハーロックが何となく格好良かった」とは感じられたから、当初の目的は果たせている?
脚本と演出はともかく、作画陣は渾身の仕事ぶり。
渋いハーロック、やたらに艶っぽい蛍など、松本先生の絵がそのままに、いや、更に現代的な価値を加味されて、画面上を動き回る姿が見られ、毎回、大変に嬉しかった。
そこにだけは、ファンとして大きく意義を認められる。
これだけ恵まれた制作環境があり、しかも13話という作品時間の余裕もあったのだから、上手くすれば
りんたろう監督の代表作である『999』に匹敵するぐらいの傑作が出来る可能性はあった、と思うと、とにかく残念な出来の作品。
…監督は、『X』でも『メトロポリス』でも、素晴らしい「画面」は作り上げながら、価値のある「作品」には仕上げられなかったからなあ…
12月31日に書いた『ダロス』の感想について、ガンマニアの友人からツッコミを頂く。
「撃ってしまえばそれだけのモノである銃弾に、血が付いているのを見つけ、自分の服で拭き取ってから装填する心の動きは、拘っただけあってリアル」
という部分について。
血やゴミなどが弾丸に付着していると、銃器の機構に悪影響を与える恐れがあり、最悪
ジャムる(「jam」機械などがつかえて動かなくなる、の意味 )危険性を回避しようとして拭き取っていたのだろう、と。
単に心理的なモノではなく、現実の銃の扱いに即した意味があるらしい。
へー。
|
2004年1月1日 木曜日 |
昨夜の『ビートたけしの世界はこうしてダマされた !?』を見る。
アポロの月着陸は捏造だった!ってのはテレ朝お得意のネタになりつつあるので、誰かよっぽどこだわってるディレクターでも居るんだろうなあ、と思って見ていたが…
ラムズフェルドからキューブリックの嫁さん、オルドリン本人まで出てきて証言するに到り、ヤラセにしては随分と手が込んでいるなあ、と思い始める。
月面に置かれたキューブリック写真は、ちょっと地面の色合いが他と違うし、さすがに
やり過ぎだけど。
結局ソレは、フランスでエイプリル・フールに放送されたジョーク番組。
…よくそんなのに出たなあ、有名人達。
世界中で、捏造疑惑が語られている事は、さすがに知っているだろうに。
知っているからこそ、疑惑を逆手にとって笑いに変えてしまう番組に協力する気になったのかな?
アメリカ人は、権利にやたら うるさくて すぐ訴えたりするクセに、こういう悪質気味なジョークには妙に寛容だったりするから不思議。
『第三の選択』のような雰囲気が、見ていて楽しかった(エイプリル・フールに放送されたという事情まで、同じ)。
見ながら、もしも米政府高官やら大統領が、シャレではなくマジで「捏造でしたゴメンなさい」と言い始めたら、ホントに捏造、って事になっちゃうのかなあ、と不安に陥る。
第三者の誰に月着陸を否定されようが「そんなアホな」と流せるけど、未着陸を認めて最も損害を被る米政府が「行ってない」と言えば…
それを、「バカ言うな!お前らは行ってるんだよ!」と否定する訳にもいかず。
そうなったら どうしようどうしよう、と、あり得ない事を心配をする必要は、無いか(笑)。
まあ、真実 月へ未到達だと証明されたなら、それはそれで面白いんだけどね。
もっと、常識をグラリとさせるほど説得力のある捏造証明を、誰か出してくれないものかな(
^_^ )。
『D.C.〜ダ・カーポ〜』最終回.
さくらに与えられた、「夢」を叶える「力」。
手に余る その「力」は、逆に 彼女を苦しませてしまう。
「ワテが作るんはその お人が見たいと思うとる夢だけや。せやから夢が邪悪なモンになったんやったら、それはそのお人に、邪悪な願いがあるからや」(『うる星やつら2 ビューティフルドリーマー』夢邪鬼)
その「力」の源がなければ、桜が咲き乱れる島そのものが無く、またアンドロイドや超能力少女、ネコ耳メイドも(どこでも鍋少女まで?)存在し得たのかどうか分からないため、決して「悪い力」だとばかりは言えないが。
「エエ夢かてぎょうさんおましたんやで!そやけど皆、長続きしまへんねん。皆ワテを追い越して悪夢になって、最後は
がしんたれに喰われてしまいまんねん」(同・夢邪鬼)
「愛する人と2人だけで、幸せになりたい」は「良い夢」?それとも「悪夢」?
愛し合う2人にとって、あるいはその片方だけにとっては、間違いなく「良い夢」だろう。
しかしそれは、2人の仲を邪魔するあらゆる要素を排除する事でしか叶わない夢であり、排除される側にとっては「悪夢」に他ならない。
「邪魔なあの人さえ居なくなれば、幸せになれるのに」とは、誰でも思う事があるだろう。
思うだけなら罪ではなく、自己嫌悪に陥る度合いも少ない。
が、その願いが本当に叶ってしまうとしたら。
コントロールできる表層意識ではなく、深層意識の底から湧き出てくる暗い、しかし真実の願い。
自分自身の、醜悪な本当の姿を目にする事は、善く生きたいと思う普通の人間にとって、とても耐えられない苦痛だろう。
その苦しさから逃げず、醜くエゴイスティックで、悲しい程「女」である自分の心を認めた
さくらは、純真無垢な、ただ可愛く主人公に愛される少女のままであり続けたいと成長を止めてしまった幼い自分から、一歩前進して成長する。
ここでの、激しい葛藤を表す「絵」と、声優さんによる胸に迫る熱演は、圧巻。
そういう自分を主人公が受け入れ、許し、なお好きでさえ居てくれる事で…その「好き」は決して「愛」に変わり得ないものだったとしても…彼女の心は救われ、邪魔者である夢音までも赦せる気持ちへと到る。
その瞬間に、いつまでも咲き続けた桜は、ようやく季節の終わりを認め、潔く花を散らしていく。
巡り来る、次の季節を迎えるために。
さくらは、いつか自分の力だけで「良い夢」を実現できる、大人になるのだ。
「待ってるぞ」の声に振り向かない彼女が主人公に会う事は、もう二度と無いのだろう。
ライトで心地良い「萌え」系アニメとして始まった本作だが、終盤の展開は
なかなかにヘビー。
固定して動かない主人公と音夢の関係よりも、悩み苦しんで成長する さくらの心情をこそ、メインに据えていたと思える。
もっと描いて欲しい所は沢山あり、物足りなくも感じてしまったけれども、旅立つ
さくらの表情の爽やかさで、ずいぶんと視聴後感が良くなっている。
主人公の愛を最終的に勝ち得る音夢の気持ちを後半、余りフォローしない事により、かえって「2人だけ幸せになれればそれでイイのか?」という恋愛対象少女乱立型ストーリーのまとめ方にアリガチな不満点を、うまくスルーさせている。
そういうやり方もあるんだなあ、という意味では、感心してしまった。
という訳で、2004年となりました。
あけましておめでとうございます!
昨年中は大変お世話になりましたが、本年も大変お世話になると思いますので、よろしくお願い致します。
沢山の、良い作品と出会える事を祈って。
|