ときどき日記 04/03(前)

2004年3月15日 月曜日

『プラネテス』22.「暴露」

 鬱展開は続く。
 やはりエンジン事故で死亡していたニンジャ達。
病状の悪化から、あっけなく死を迎えるギガルト。
 これら二つの、命に関わる事件は、自分の夢に向けてワガママである事を選択したハチマキの気持ちに、大きな衝撃を与えるはずであったろうが…
 ニンジャの方は、仲間はずれにされる事で一人生き残った男が、亡き仲間を弔う、などという余裕もないまま『羅生門』のごとくに残された遺品を売りさばき、生活の糧としている「人間なんて、そんなもの」な様子を目撃。
ギガルトの方は、ショックのベクトルを「死」そのものにストレートに向かわせず、死期が近い彼の状況を知りながら自分に教えなかったタナベに対する複雑な気持ち方向に逸らす事で、ハチマキの感情に予測できない軌道を描かせている。

 ハキムの「女」だという事で、嫌疑を掛けられるクレア。
彼女の部屋に隠れ潜むハキム。
 テロリストの暗躍。
 動乱の予兆を孕みつつ、次回へ。



『ふたりはプリキュア』07.「熱闘ラクロス!乙女心は超ビミョー!」

 頑張って「お話」を やろうとしたんだと思う。
 ほのかの側に、なぎさが気になっていた男の子が。一体どういう関係なの?というドキドキ。
 今度こそは頑張って なぎさが成果を上げねばならない大切な試合中、妨害するように現れた敵。ほのかは なぎさのため、危険を顧みず一人だけで敵を引き付け、試合場から引き離そうとする。
 ほのかの危機を知った なぎさは、自分が居なければ自チームの大幅な戦力ダウンになる事を知りながら、それよりもまず彼女を助けなければ!と、迷わず助けに走る。
 いつも嫌な事ばかり言う教頭先生は、敵に取り憑かれて本音を吐き散らす様を見てみれば、実は決して悪人ではなく、学校のため生徒のために面倒な事でも黙々と こなす、尊敬にすら値するかも知れない人だった。

 …全部、単体でも面白くできる要素。
 しかしコレを30分に無理矢理 突っ込んでみると、全てが薄くなってしまい、結果「あんまり面白くない」という不幸な感想になってしまう。

 各要素の関係性が弱いのも難点。
 ほのかと男の子はどういう仲?という疑惑で、なぎさ・ほのかが もっとシリアスな衝突まで行っていれば、それでもなお なぎさの試合を守ろうとする ほのかの気持ち、それに気が付いた なぎさが試合を捨てても彼女の元に駆けつける行動、それぞれにもっとドラマ的説得力が出来ていただろう。

 教頭先生のエピソードは…
これはもっと、時間を掛けて描いて上げるべき内容だったんじゃないかなあ。
教頭など、このアニメでは重要度激低なのか?(そうかも知れないが)
 ここだけを一話丸ごと費やして描いても、かなり面白くできたと思うのに。

 勿体ない話だった。
 ヒロイン2人の仲違いは、次回 本格的に起こすつもりみたいだから、今回は軽く済ませた?


2004年3月13日 土曜日

『超重神グラヴィオン・ツヴァイ』10.「太陽の炎」

 余りにも予想通りなエィナの復活。
一度死んだ悲壮さなど微塵もなく、外見・性格共にかなり変わったと思えるが まるで気にする事もなく。
 作品のリアリティーに沿ったシリアスさ(馬鹿馬鹿しさ)を、読み違えなく提示してくれるので、非常にしっくりと来る。
 ガッチリと手を取り合った2体の巨大ロボによる、「ウェディングケーキへの入刀です」みたいな必殺剣の発動が愉快。

 グランナイツ側の盛り上がりを受け止めるには、サンドマンと兄の確執による「戦う理由」は、どうにも弱い気がするけど…まあ これはお題目だからなあ。
 世界各国に立体映像を映し出し、地球人類駆除を宣言するサンドマン兄。
臆面もなく『デビルマン』のゼノンが現れるシーンを真似てくるとは。
 いや、オレも中学校ぐらいの時に描いた漫画で、宇宙から来た侵略者が こうやって世界中に自分の立体映像を映し出し、宣戦布告をするシーンを作ってたのを思い出したけど(笑)。
 原典のシーンが痺れるほど格好良かったから、真似たくなる気持ちは分かる。
ハッタリが効くからなあ、こうすると。
「全世界・地球規模の危機」なのが分かり易いし。

 立体映像でありながら、桁違いのエネルギーを秘め強力無比な敵。
 最終決戦に備え、発進するサンジェルマン城(む、期待通り)。
 新たな合身によるパワーで敵を圧倒するソル・グラヴィオン。
 馬鹿馬鹿しい、何だコリャ、いい歳した大人が見るモノじゃない…もちろん全て、「誉め言葉」としてだ( ^_^ )!
 ラストまでテンションを落とさず突っ走ってくれる事を期待。


2004年3月12日 金曜日

 tikuwa さんのHP(Mar 11th, 2004 [Thu])で、一昨日のトリビアの話題について記述を頂く。
 実は…

 銀行の「ダイテ」とかも、銀行員にしてみたら「当たり前の事じゃないか、トリビアでも何でもない」と思うだろう。
 だから、アニメ・特撮関係で、オタクが常識だと思っている事で、普通の人達にとっては「へぇー」に思える事項、多いはず。
 みんながみんな、全ての分野に詳しくある必要など無い訳で、それは当然の事。
オレなど、「現在の中日の監督は?」「ロシア首相の名前は?」「キムタク主演のドラマを5本挙げよ」…どれも答えられない。
 ある人の常識が、ある人にとっては全く未知の知識。
知的ギャップが、「トリビア」というものを生み出している訳だ。

 …という文章を途中に入れようと思いながら、文章の流れで入らなくなってしまった経緯があります。
 ……今更、言い訳がましいですね(汗)。

 ウチの駄文を読まれる事で何かしらを思い、文章を書く切っ掛けにして頂けたのなら、幸いです。


 ついでに追記。
 オタクが「へぇー」と思うようなトリビアだと、普通の人にとってはピンと来ない、ほとんど意味不明のモノになると思う。
「『ウルトラマン』の着ぐるみ役者は古谷敏だが、彼が体調を崩した一話だけ、代役として『ゴジラ』役の中島春雄が入っていた。その一話とは、こともあろうにジラースが登場する「謎の恐竜基地」である」
(そんな無茶な、もちろん嘘)
ぐらいマニアックな知識でないとオタクは「へぇー」と言わないだろうが、普通の人がこれを聞いても「はあ?」としか思わないはず。

 銀行の話に置き換えると、
「代金取立手形(ダイテ)を最初に使用可能にしたのは第一国立銀行であり、人物としては頭取の渋沢栄一だった」(デタラメ)
なんてのが もしかしたら銀行員にとってはトリビアかも知れないが、我々にとっては、「はあ、そうですか」にしか ならない。

 ギャップがあり意外性がないとトリビアとしては物足りないけど、行き過ぎると一般的な認識範囲を超えてしまい、「意外だ」「なるほど、そうだったのか」という風に、大勢の人からは思ってもらえなくなってしまう。
「ウルトラマンタロウは、怪獣で餅つきをした事がある(モチロン)」
ぐらい、詳しい人間には「そんな事も知らないの?」と思える話の方が、トリビアとして機能しやすいんだろう。

 しかし、『ウルトラ』『ライダー』関係の、間の抜けた敵やら計画のネタは、ありすぎて禁じ手っぽい気はするかな(笑)。

 …番組『トリビアの泉』は、既にトリビアなネタ本体よりも、やたら手間が掛かったVTRや、オチの一言で笑わせる事に力を入れているようにも、思う。


2004年3月11日 木曜日

『十兵衛ちゃん2〜シベリア柳生の逆襲〜』10.「あの日のワタシに戻ってた」

 イキナリの、自由の退行現象(局所的記憶喪失?)。
シリーズのクライマックスまで来て、主人公の自我をスポイルしてしまうとは。
 今回の内容は、自由にこれまで通りの意志が存在しては、成り立たなかっただろう。
 意志があると、父親に対する態度はシミュレーションできないほどフクザツになり、自身が負うべき責任に深い覚悟を持ってあたる御影にも、徹底した、恐らくは笑いながらの拒否を持って答えたはず。

 その場合、木になった鮎之介を見た自由の、予想できる反応は…
「良かったね、もう楽になったね」という非道なモノか。
「ああぁ、どうしてぇ?」という、視聴者から「お前のせいじゃ!」というツッコミを誘うモノか。
「やっぱり、私が十兵衛なんかになったからこんな不幸が…」という転嫁か。
「だって私と関係ないもん」という、最悪のモノか。
 そんなぐらいしか考えつかないが(鮎之介がアッサリ元に戻るという拍子抜けパターンもアリ?)、実際には退行現象の最中であり「十兵衛」に関する全てが分からなくなっているとすると、彼の事も恐らくは忘れているだろうから、反応を描かないで済むかも。
 今後、自由に与えられる試練の重さを増し、鮎之介への処遇に釣り合うほどシンドイ目に遭わせた後なら、彼に対して述べるセリフにも相応の重量が付く。
退行現象により そのための時間的猶予を得たのだとしたら、上手い作りで、しかし少々 作り上げた物語の重さからは逃げた作りだとも言える。
 …いや、この辺りは来週分を見ないと何とも言えないけど。

 もう最終回まで感想は書かないで…と思っていたのに、ついこうして書いてしまうのは、それだけ作品に、良くも悪くも吸引力があるという事なんだろうな。



『R.O.D -THE TV-』19.「家族ゲーム」

 前回で思い切り引いていた「アニタ幼少時代の謎」については、全く解明無し…か。
これがシリーズクライマックスに到る、重要な要素になるのかな。
 ジョーカーの娘だった…とか?同様に、ジェントルメンの隠し娘?
 ジェントルメンよりも昔に本の形で保存されていた歴史上の人物(紫式部など)。
 クローン計画の一部として生み出されていた偉人(やっぱり紫式部・清少納言?アニタの赤毛を引いた以前のエピソードを伏線として『赤毛のアン』作者ルーシー・モード・モンゴメリーなど)。

 読子、ナンシーを連れて逃げられたのなら、一緒にジュニアも連れてってやれば良かったような…
 ジェントルメンの受け皿として重要視されていたジュニアと、さしたる用途もないナンシーでは、警戒の厳重さが桁違いだった?

 キッチンでの、ぎこちない母と息子のやり取りがイイ。
 いきなり、こんなに成長した男の子を「息子だ」と言われても戸惑うよな(ここから不埒妄想に入れそうだ)。
 イチゴが好きなら、と、自分の分もジュニアのケーキに乗せるナンシーの言葉、「お母さんだから、平気だよ」、その好意に胸が一杯になりケーキを食べられないジュニア。
 巧い。

 ミラーマンの計略で、家には読子とアニタだけが取り残される。
…読子は本の場所を知っているから、だけど、アニタは何故?
 「この後、一緒に行動させる事でワダカマリを解消させるため」という作劇上の都合は分かるが…化けたミラーマンだけだと怪しまれそうだから、というのを考えに入れても、戦闘力の無い ねねねを残せば良かった訳で、ちょっと無理を感じてしまう。
 コンビの組み合わせは この二人以外に無い、とは思うけどね。

 フジテレビでは次回で放送枠が終わるため、無理矢理な最終回になるとか…トホホ(;´д⊂)


2004年3月10日 水曜日

 『トリビアの泉』、どうにもオタク系トリビアになると、薄いなあ、というのが気になる。
「ゴジラは空を飛べる」なんてのは有名だと思うが…一般には知られてない(忘れられてる)のかな?
それは、ウルトラマンのウルトラ水流あたりでも思った事。

 こう、オタクには余りにも当たり前の事でも、一般的には「へぇー」な事が多いのかもね。
 「『鉄腕アトム』には、実写版があった」と「『鉄人28号』には、実写版があった」を重ねて やるとか。
 「大山のぶ代の声ではない『ドラえもん』がある」
 「ウルトラマンタロウには、子供にトラウマを植え付けるような必殺技がある(ウルトラダイナマイト)」
(掲示板で宇津見さんから、実際の画面ではそれほどのものじゃなかった、というご指摘を頂きました。ありがとうございます。くわー、トリビア自慢しようとして恥晒してりゃ世話ない)
 「ルパン三世には、子供が居た(『ルパン小僧』)」
 「ルパン三世の五世代後の子孫は、ドロボウをやめて探偵になる(『ルパン8世』)」←未放映作品なのでトリビアとしては どうか知らんが、完成したフィルムが僅かでもあるなら流して欲しいという個人的希望を込め。

 …などなど、果てがないな。
いや、「薄い」とか笑わないで、逆に「コレで薄いとかってのも異常だよね」とも言わないで(笑)。


 しかし、ニューヨークタイムズ!
『ゴジラ対ヘドラ』を世界映画ワースト10に入れるとは失礼な。
 アレは第一期ゴジラのシリーズ後半作品としては、不気味でダークでサイケな独特の雰囲気を持った秀作なのに。



『ヒットをねらえ!』01.「そんなー!」

 すっかりうっかりと見忘れていたが、ありがたい事にインターネット放送がなされており、そちらでの視聴。
 放送時間の急な変更とか、チェック忘れとか録画トラブルとか、どうしても発生してしまうので、こういう形態を設けてもらえると本当に助かるなあ。
 他のアニメでも、全部コレ、やってもらえないだろうか。
そうしたら、地域による放送・未放送の差もなくなるし。
画質は少々落ちても構わない。
内容が面白く、画質を不満に感じた場合には、DVD購入・あるいはレンタルによって再度、クオリティーの高い画面状態での鑑賞をすれば良い訳だから。

 中身。
 タイトルは、『エースをねらえ!』があり、それのパロディー要素を含んだ『トップをねらえ!』があった後の『ヒットをねらえ!』なので…
三番煎じ?
 「バスター・キートン」という役者が居て、彼の名をもじった『MASTER キートン』という漫画があり(間に「益田キートン」を挟むべき?)、それを更にもじった『マスター・モスキートン』というアニメがあって、それはそのムニャムニャな出来だったため、『ヒット』は「三度目の(も?)正直」となりうるか、「居候、三杯目にはそっと出し」となるか(意味不明)…と不安に思いつつ見れば、コミカル業界モノとして割にきちんとした作り。

 同枠の前番組、『超変身コス∞プレイヤー』を劇中劇として扱う訳ね。
 30分のテレビ放送版では、前半が『ヒット』、後半が「『ヒット』の主人公である女性がプロデューサーを努めて作った番組」という設定になっているが 実質上『コス∞プレイヤー』の再放送、という事で、双方に価値を付加する巧い形態になっている。

 15分の間に、「お子ちゃま」と言われても仕方ない幼児体型なヒロインの、パンツを見せ水着を見せシャワーシーンを見せる、目一杯のサービスぶり。
 作画は良好だし、崩したキャラの顔も可愛い。
 『コス∞プレイヤー』のシナリオが詰め込みすぎで一般人には敷居が高いのでは〜、とかいうフォロー(突っ込み?)も入れていってくれるんだろうか(笑)?
 両作品ともシナリオは荒川 稔久が手掛けているので、一筋縄じゃいかない展開を期待したい所。


2004年3月9日 火曜日

『銀河鉄道物語』21.「背反」

 余り感想を書いていないけど、地味ながら しっかりと作られたアニメだと思う。
 斬新さを追うよりは、パターン気味ながらドラマやキャラクターを描こうとしており、その方向で揺るがないスタッフの姿勢は心地良い。

 最近では、番外編的にコミカルな内容でありながら、無駄な話にならずキャラ相互の位置関係を深く彫り込んで見せた18話「静謐の刻」。
 学がスペース・パンツァー・グレネーダーの入隊研修に参加し、兄を知る上官に付く事で過去と現在を繋げ、彼の能力的成長と、色々な思いに苛まれる事で虚脱状態にさえなってしまうSDFメンバーとの深い繋がりを感じ取らせてくれた20話「選択」。
 これらが印象深い。

 もうちょっと現実と地続き気味な世界かと思っていたが、原典『999』と同じように、「不思議な事」は その原因などを詳細に調査される事なく「不思議」なままで存在が許される、ファンタジー世界なのね。

 今回の話、シリーズ全体をクライマックスへと向かわせる導入部、と理解して良いのかな?
 死ぬと紙のように燃える植物人間が、『キャプテンハーロック』のマゾーンを思わせ、実に松本 零士先生的。
ついでに、「危機一髪でワープに入る」のは『ヤマト』の十八番( ^_^ )。
 せっかく謎や伏線を仕込んである作品なのだから、盛り上がった上で、それらがキレイに収束して終わる事を期待したい。
…って、もしかして全26話じゃなくて もっと長く放送されるのなら、まだ中盤クライマックスの段階だけど。



『妄想代理人』05.「聖戦士」

 今回は、監督の『千年女優』と同じく、目の前で語られる お話の中に、それを聞く者が引き込まれ、起こる事件を一緒に体験しているかのように見せていく手法が使われていた。
RPGの世界に入っていってしまう こちらの方が、幻想度合いは上かな。
 いつもの事だけど、生半可な気持ちでは決して作り得ない構造と内容で、見応えがあった。

 RPGの形式としては、敵を倒し、アイテムを入手して、情報を集める事で次のエリアに進む、非常にオーソドックスなモノを使用。
聖戦士の格好は、まるっきり『ドラゴンクエスト』。
 うん、イメージ最大公約数的なRPGの姿って、こうだろう。
 拒否反応しか示さないオジサン刑事に比べ、ちゃっかりと吟遊詩人になりすまして世界に溶け込み、少年の口を開きやすくしてしまう、テレビゲーム世代の若い刑事が おかしい。

 少年が倒すべき相手として考え、現実には頭をブン殴ってきた「ゴーマ」とは、『五星戦隊ダイレンジャー』の敵…じゃなくて、「業魔」(人の負う業から)「拷魔」(拷問を受けているような辛い精神状態にある人達だから)とでも表すのかな。
 少年は「少年バット」の模倣犯に過ぎず、偽物なのに本物として振る舞い続ける事でストレスを溜めてしまい、今回の最後では彼もまたバットでの一撃を食らう対象になる…と考えていたんだけど、どうも本当に犯人?
 少年バットは、『笑うせぇるすまん』の喪黒 福造に似た位置付けにおり、喪黒の「ドーン」がバットでの攻撃に相当、物語の「オチ」を付ける役割であり実質上「人間」としては扱われない…訳では、なかった。
 そうなると、この先は全然読めなくなるなあ。
オレの浅い予想など、アッサリと覆されてしまう面白さ。

 全く馴染めないRPG世界を前にした、「なあ、いつから世の中はガキのモノになっちまったんだ?」というオジサン刑事のぼやきは、安易な時流に乗ることなく、渋い大人向けのアニメーションを作り続ける監督のホンネでもあろうか。


2004年3月8日 月曜日

『特捜戦隊デカレンジャー』04.「サイバー・ダイブ」

 前回、お姫様が本物かどうかを機械で確認しようとした際、一瞬画像が乱れ、そこでアリエナイザーが「その機能を乱す電波を出していた」と語る。
小技が効いていて、なかなか。
 敵はデジタル的能力を持っていた訳だし、『攻殻機動隊』だったら「機器をハックした」とでも言う所だろうけど、それじゃ子供には何の事やら分からないもんね。
 「電波が乱れたから映像も乱れた」の方が、実感的か。

 失敗により すっかり落ち込んでしまったブルーに活を入れるべく、事もあろうにイキナリのドロップキックをお見舞いするレッド。
その好意(?)に、アックスボンバーで応えるブルー。
 乱暴でムチャクチャで、馬鹿な男の子らしいストレートな気持ちが表れた行動は、爆笑モノでありつつ爽やか。
 「相棒」と呼ばれる事にブルーが、最初は心底嫌がって見せ、そう呼ばれる資格もないと落ち込み、見事なコンビネーションを発揮し実質的に相棒となる事で自然にそれを受け入れる。
一つの言葉を中心に据え、変化していく関係を構築するのが、非常に巧妙。

 イエローの透視能力、グリーンの逆立ちヒラメキ能力など、操作を便利にしてくれる都合の良い力が紹介される。
 レッドは、「馬鹿だけれども真っ直ぐで挫けず、周りの皆を勇気付けて行く」力を持っている訳かな。
『セーラームーン』の うさぎが ガサツになったような?

 走る電車の中やトレーラーの上で繰り広げられるアクションには驚かされた。
よく撮ったなあ!こんな面倒臭そうなシーン。
 作品にかけるスタッフの気迫を感じさせられてしまう。

 今更だけどジャッジメント・システム。
判決が「○」か「×」だけ、実質ほとんど「×」って潔さは どーか(笑)?
 懲役とか執行猶予とか、情状酌量とかナシ?
法の執行に人の血は通ってないの?
 そんな温情ある判決など、悪い臭い汚いアリエナイザーごときに必要ないですかそうですか。
 『機動刑事ジバン』の「対バイオロン法」みたいなモノかな。
 思えば、宇宙刑事の方々など逮捕・裁判の手間を一切省き、現場の判断で宇宙犯罪者を処刑していた訳だから、それに比べればまだしも民主的。

 レッドとブルーをメインで描いた話なので、後のキャラは添え物扱いになりそうな所を、「彼らの脱出路を確保する」という目的を与える事で しっかりと意味ある存在にする、行き届いたシナリオの目配りが素晴らしい。
 面白いなあ。



『プラネテス』21.「タンデム・ミラー」

 連合議長のバカ息子・コリンが再登場。
コネを使い楽な職業に就く辺りは相変わらず…だけども、以前よりは人間的に丸くなったようにも思える。
タナベに気がありそうな そぶりを見せるなど、図太くなった、とも言える?

 彼は、テクノーラ社上層部と並び、身近なキャラクターとして「恵まれた、支配する側」を体現する存在だろうか。
 対してハキムに、以前出てきた途上国の技術者とクレアを加える事で、「困窮し、搾取され支配される側」が抱く思いを、より立体的にしている。
 原作に無かったキャラクターや設定が、ストーリーの進行と共にテーマを取り囲み、中心に斬り込んでいくキャラの心情と動機を補完していく。
実に、巧い。

 フォン・ブラウン号、あんなにデカイんだ!
ディスカバリー号くらいのモノを想像していた。
 居住性も そこそこ良さそうだな。
そりゃ、木星往還船ともなれば、セコい作りじゃ間に合わないか。

 爆破工作を行うハキム、それを読んでいたハチマキの推理(直感?)。
ハチマキ以外の誰でも分からなかった、本質的に同じような指向を持ち執念も持っている同士だったからこそ、僅かの態度の変化を敏感に感じ取る事が出来たのだろう。
 今回のサブタイトル、「タンデム・ミラー」に引っ掛けてかどうか、工作前、部屋を出て行こうとするハキムの顔がドアのミラーに一瞬映り、ドアが開くと、鏡の中の顔があった位置にハチマキが立っていた。
重なり合う程に近い二人であるかに見えたが、この後は互いに交わりすらせず、協力し合う事のない相対する存在へと変わっていく未来を、暗示していたのだろうか。

 ハキムを撃てなかったハチマキ。
まだ「人間」側に居るんだな。
 ここから、渇望する「夢」のために、「鬼」「修羅」になっていくのか…?


2004年3月7日 日曜日

 テレビで放送された映画『たそがれ清兵衛』を見る。
 山田 洋次監督、真田 広之主演。

 派手さはなく、地味に地味に、抑えた物語が最後まで続く。
そこが不満といえば不満、それをこそ素晴らしいといえば素晴らしい映画。
 奥さんとの死別、惚けた母親、幼い娘達、貧乏所帯、うだつが上がらない仕事。
清兵衛を取り囲むストレスばかりの環境は、現代のサラリーマン達に取り、非常にリアルに感じられるものだったのでは。
 閉塞的状況の中での「夢」は、清兵衛がやたらに強い事と、美しく気だての良い幼なじみに好かれている事。
何というか、作りとしては、監督が脚本を書いている『釣りバカ日誌』をシリアスにしたもの、って感じなのかも。

 美しい自然、薄暗い家屋内など、映し出される風景は日本人の心に染みるモノばかり。
 命がけの必死さが双方から伝わってくる、カッコ良く「ない」ラストの切り結び合いには、非常な迫力があった。
 凄く好きな映画かというと そうは言えないし、誰にでもお勧めできる訳でもないが、見ただけの価値はあったと思える作品。



『仮面ライダー剣』07.

 ああ、うん、割と面白かった。
 ルポライター兄ちゃんが突然にかます お説教を除いては。
いや、言わせる意味は分かるんだけど、脚本の都合が見えすぎて。
 もう少し兄ちゃんの演技力と、脚本の巧さがあれば、「いつもぼんやり生きている男の、恐らくは深い考えもなく自然体で放った言葉が、苦しみの中にあった橘の心には格別な意味を持って届いた」というドラマになったかと思うんだが。

 やっぱり、「ライダーシステム(所長?)など嫌だ、怖い、信用出来ない」と思っている橘が体を悪くしているのに反して、「おらー!ざけんなー!いてこましたるどわりゃー!」状態の剣崎は戦闘力が上昇。
精神状態によって強さが変わる訳ね。
 それを「テロメア値」という数値で表した?
テロメアって、寿命に関係あると言われているモノでは?
要は、ベースとなっているアンデッド(不死?)との「シンクロ率」って事だろうか。
 この数値が上昇する事によって「死ななくなる」、そこから派生して「致命傷のケガをしても高速度の細胞分裂により一瞬で回復する」という能力までは想像できるけど、「強くなる」のは…
「攻撃こそ最大の防御」って訳で、「強くなれば負けないで済む」=「死なない」という働きまで、この世界のテロメアは司ってるとか(笑)?

 衛星放送ぐらいしか受信出来そうにないアンテナでブレイドの位置を突き止める お姉ちゃん、ドコにでも現れ・何でも知っている風な所長、彼が放ったメールで橘を留めるように言ったのは、弱体化している彼の命を守るため?危機一髪の剣崎の身は心配じゃないのか?などなど、ツッコめる所はあるんだけど、余り気にならないぐらいにはストーリーに加速が付いてきた感じ。
 ここからグイグイと面白くなってくれる事を期待。



『美少女戦士セーラームーン 』22.

 うあー、亜美ちゃん怖ー( ^_^ )。
 昨日までの仲間が敵側に引き込まれてしまう、という話は数多くあるが、そうなった後も平然と学校に通っていて、同じ教室で授業を受けるって絵は、なかなか無いのでは。
 しかも、正常なクラスの中でダーク化した亜美一人が異常になっているのではなく、クラスメートを洗脳して全員彼女側に付かせ、正常な うさぎ一人を異質な存在として、排斥される対象にしてしまう。
「いじめ」に似た構造を取らせる事で、うさぎの感じる不安や哀しみが肌で分かり易くなる、実に巧い持って行き方。
 クラスにとけ込めず、屋上に一人居る事が多かった亜美の立場に うさぎを置く事により、亜美の感じていた孤独感を換わって体感させる辺りなど、巧すぎ。

 変身を解いた うさぎの必死な説得で、亜美は元に戻るかと思われたが…
まだ引く、か。
 次回からは、亜美を取り戻すべく、セーラー戦士全員が必死の努力を重ねる展開になる?
マーズがカラオケをやってたみたいだけど、「歌」の力で心を癒して…とか、そんな(笑)?


2004年3月6日 土曜日

『超重神グラヴィオン・ツヴァイ』09.「紅の牙」

 時期が良かったのかも知れないなあ。
 戦う事に悩み、自らの正義を疑い、がんじがらめになって身動き取れなくなってしまっている作品がある中で、こういうスッキリとした迷いの無い内容のモノがあると、特別な輝きを放って見える。
一服の清涼剤として機能している、というか。
 初代『ガンダム』が新しかったのは、「戦う事、を前にした一個の人間の葛藤」を描いた事「でもある」と思うが、そこから『エヴァンゲリオン』を経て、悩みを持つ事が主人公として当たり前になってくると、今後は逆に戦いに疑問を「持たない」タイプの作品に新しさ(気持ち良さ?)を感じてしまう。
 まあ、客とは身勝手なモンで(笑)。

 ミヅキの裏切り、エィナの死亡、行方不明になり囚われの身の琉菜、エィナ・琉菜の事に責任を感じて街をさまよう斗牙…
これら、マイナスの因子をこれから一話に一つずつぐらい解消して行き、最終的に、万全の状態でグラヴィオンが戦えるようになる瞬間をクライマックスに設定しているモノかと予想していた。
 が、大違い。
今回一話で、死亡したエィナを除き、全ての事情にバタバタと決着を付けてしまった。
 考えていたよりも「タメ」を必要としていなかったんだなあ、スタッフ( ^_^ )。

 でも、前回の感想でも書いたように、この作品はこれでイイ。
重々しい、鬱々とした、嫌々な展開を長く続けるのに耐えるには、作品の骨格が軽く、明るすぎるから。
…それにしても、耐荷重限界までにはまだ少し余裕があったかと思うけど。
 ミヅキの帰還には もうちょっと葛藤が欲しかったし、琉菜の救出はアッサリしすぎ、またエイジ達が彼女らの脱出について役に立ってない(かえって助けられた?)のも物足りない。
 しかし、斗牙を戻らせるのに、男同士はやっぱりコレじゃなくっちゃ、の、拳とコブシでの語り合いを用いる辺り、よく分かってるなあとも思える。
 「早くカタルシス方向へ話を持っていきたい」、その心意気や良し。

 メンバーが(エィナを除き)勢揃いするプロセスは若干弱くても、続けて、無数のゼラバイアによる最大の侵攻、グラントルーパーの危機、身をもってグラヴィオンを庇うグランフォートレス、最大出力を出せないグラヴィオン絶体絶命…
ここから、主役メカの交代劇に持って行く、その巧さには唸らされた。
 新メカに搭乗していたのは、新たな体にデータを載せ替えたエィナ?
基本プログラムが一緒なだけで、これまでの記憶は持たない彼女の後継機とか。
 爽やか、力強く王道。楽しい。


2004年3月5日 金曜日

『マリア様がみてる』09.「紅いカード」

 祥子への想いを秘めた少女・美冬が登場。
いや、登場だけなら前回からしていたけど、今回その背景が描かれたので。
 幼稚舎時代には同学園に在籍しており、幼い頃からお嬢様で不機嫌な顔ばかりしていた祥子を憧れの目で見ていた彼女。
 むーう、園児ぐらいのメンタリティーで、同じ幼稚園に通う女の子を「憧れの目で見る」っての、アリなのかなあ?
でも、むすっとして愛想が無く、ブランコから落ちてケガした美冬に平然と「センセイの言いつけをまもらないからバチがあたったのよ」と言い放つ、ありえねぇー祥子を前にしては、物怖じして(近づきがたい距離を感じて)しまうのも無理からぬ。

 デート権を賭けたカードの隠し場所を巡って、美冬と祐巳の間に(正確には、美冬が一方的に持っていただけだが)漂う緊張感が何とも。
 ズルして見つけたカードだからと祥子とのデート権を得られなくなってしまう、神経が細い美冬。
可哀想だなあ。そんなにデリケートじゃ、シアワセになれないよ。

 この子が影から祥子と祐巳の関係を妨害したり、そうでなくても第三者的視点で二人の関係を見ていったりすると、独自の作品世界に馴染みきれない視聴者にも見易い内容になるんじゃないか、と思ったけど、何だか勝手に納得して勝手に身を引いてしまう。
諦め良すぎ。だから、そんなんじゃシアワセになれねぇーったら(笑)。
 しかし、バラの名前に引っ掛けた隠し場所…っていうのは、まず誰でも考えそうなものだけど、この温室って普段は生徒が立ち寄らない所にあるのかね。
それがそんなに感心するような事なのかどうか……

 自分のカードを「江戸の物価」という本に挟んで隠したのは、池波正太郎好きの由乃に配慮した令の気遣い?
通じなかったみたいだけど。
 そりゃそうで、由乃が興味ありそうな本の中に隠したって、令のカードを探す彼女が捜し当てられる訳がない。
推理を一周ぐるりと回して、「令ならこんな時、どう考えるか」を量っていけば必ずしも出ない答えではなかったろうが、ストレートで男らしい(?)由乃は そーゆーのが苦手だった?

 ラスト、聖と志摩子が会話する所。
恐ろしく細かい表情変化の捉え方がなされており、ただただ圧倒されてしまう。
 演出もだけど、作画が現状の高いレベルをキープ出来ているからこそ初めて可能となった芸当。
 この、アニメ過剰生産の時代に…凄いなあ。



『まぶらほ』19.「かえっちゃった……どすえ」

 入浴シーンでの、全員の無駄な巨乳度が何とも( ^_^ )。
 お色気〜と、脳天気なギャグと、やたらモテまくる主人公。
この手のアニメに必須な「居心地の良さ」が最大限に表されており、見ていて単純に気持ちがいい。
 そうそう、コレでいいんだよね。
起こる事件など方便、それを通して どれだけ見ている人に心地良くなってもらえるかが「命」。

 やっぱり、「凡庸な男の子=画面を見ている自分と代替が効く程度の存在」の中に、女の子達が一生懸命になって美点を見つけてくれ、その僅かな部分に過大な価値を認めて奪い合う。
 男の子が、自分の価値を上昇させようと努力する必要がなく、「そのままのボクでイイんだ」「それでもチャンスがあればモテモテになれるんだ」っていうのが こういう傾向の作品の今日的、というかオタク的(?)な所。
 逆に女性視聴者からは、「ナニ眠たいコト抜かしとんじゃわりゃあ!」と怒られる所でもあろうか。
いや、ウチのヨメなどは喜んで見てるけどね。

 短く時間を割って4人の女の子とデートをする主人公。
各員各様のデート模様と、修学旅行の自由行動を絡める構成が上手い。
 京都に転校した女の子が、主人公の乗る新幹線を見送る際に「行ってらっしゃい」と言うのは、「京都こそが日本の中心部であり、全ての道は京に通じる」という京都人的考え方に毒されてしまった( ^_^ )ためか、「彼は最終的には私の元に帰るのよ」という自信の表れか。


2004年3月4日 木曜日

『R.O.D -THE TV-』18.「告白」

 限界を超えるアニメの過剰生産体制は続いており、その中で この作品は頑張っている方だとは思うけど…ここまでのシリーズに比すると、作画レベルが落ちてしまったのは否定しようがない。
 それでも、内容的に圧倒されるほど面白ければ、多少の絵の善し悪しなど気にならなかろうが……

 ジュニアの持つ拳銃が弾き飛ばされたのを確認後、二階に逃げ込み、追ってきたナンシーと共に他者との接触を断つ読子。
 …そりゃ無いんじゃないの?
「母親だ」とだけ言われ、詳しい説明も聞かされないジュニアが、それからどんな行動を取るのか予想も出来なかったはずで。
大英図書館側に逃げ戻り、嘘の説明を聞かされて また汚れた仕事に就かされる可能性があるとか、考えてもみなかったのか?
 何らかの責任を感じるなら、急いで事態の説明をし、ジュニアを取りあえず 身近に留める努力をするもんだろ。
 もしかして、読子にとって大事なのはナンシーだけ?
彼女が産んだ、しかも恐ろしい「偉人」の息子であるジュニアには、特に感慨を抱いていない?
ナンシーの「あの子(息子)の事は気になるけど、読子ちゃんの方が大事だもん」というセリフからすると、百合百合な関係?

 大英図書館側も分からないなあ。
 ジェントルメンの受け皿としてジュニアの体を使いたいなら、危険な任務に従事させてはイケナイのでは?
何かの事故で体が失われてしまっては、元も子もない。
 彼を読子、ナンシーの元へ送って本を奪わせようとするに到っては、理解の範疇を超える。
真相を知らされ、母親の元から帰ってこなくなる、とは考えなかったのか?
 ジョーカーって、アホ?
わざわざ読子を逆上させるような昔の男(?)の話を聞かせてしまう辺り、真性のバカなのかも。
…OVAの時には そうは思わなかったんだけどなあ。

 大英図書館と読子が絡んできてから、どうも しっくり来ない展開が続く。
OVAに繋がる話には、無理にしなくて良かったんじゃなかろうか。
 アニタが、ジュニアが自分を撃とうとした過去を、額へのチョップ一発(プラス残りは貸し)で許す所など、イイ部分もあるんだけどね。
 ここから、盛り上がっていく事を期待したい。
香港崩壊で終わっていた方が良かった、などと言われないように。

 …と思っていたら、えー、シリーズ途中で放送が終わるの?
どうにか お願い出来ませんかフジテレビ様(;´д⊂)



『クロノクルセイド』14.「祈り

 コメディータッチのお話で、テンポの良い演出が決まり、崩したキャラクターの顔にも味があって、実に面白かった。

 メインのストーリーの方は、原作を上手くアニメに移し替えられていない部分が目立ち、余り高くは評価できていない。
 いっそ、今回のようなコメディー色でシリーズ全体を塗り潰してしまう、という手もあったのでは…今更だけど。



『十兵衛ちゃん2〜シベリア柳生の逆襲〜』09.「いつか交えた剣だった」

 喜多歩朗が十兵衛に抱く想いが明かされた。
なーるほど、そんな辛い過去があったとは。
 ところで、えーと、彼はどうやって現代まで若いままで生きてきたんだっけ?
やっぱり氷漬け?それとも「根性」?
 力を認め、親しみすら感じていたからこそ、十兵衛の裏切りが許せない、という気持ちは分かる。
でも、その十兵衛とは、どう見ても似ても似つかない自由、及び彼女が変身した十兵衛に執念深く怨みを ぶつけ続けるのは…どうだろ。
自由が変身した姿が柳生十兵衛そのものであれば、説得力もあるんだけど。
 心の目で見て、あるいは「気」でもって十兵衛を感じた?

 その自由は…
鮎之介がどうなったかについては、全く何の気掛かりにもなってない訳ね。
 変身が どうしようもなく嫌だったんだ。
鮎之介が抱く想いについても、迷惑以外のナニモノでもなかったんだ。
それは、彼が行方不明になろうが死のうが、全く何の興味も持てない(いや、嬉しいのかも)ぐらいに。
 まあ、皆に良い顔をしようとして無意識に他者を傷つける八方美人よりはマシ…かな?
嫌いな人間に対しては、なあなあで済まさずに、「あんたの望みにも、あんた自身にも関心が無い。だからアンタが死のうがどうしようが、指一本動かす意志を持たない」と誤解のしようがないほどハッキリ言っている訳だから。

 ただ、そういうヒロインが好意に値するのかどうかは、別問題。

 自由オヤジ、心配をかけた娘の頬をイキナリ一発 張り飛ばすのは まんざら間違った対応でもないと思う。
それは、フリーシャから吹き込まれた「毒」の有無に関係なく。
 けど、その後、娘にかけるべき言葉があるはずだよなあ。
それが口をついて出てこないから、ダメオヤジなのか。
 娘に手を上げてしまった事に、自身が一番驚いていたのかも知れないが。

「誰よりも道に迷っているのは、この作品の脚本家であった」という次回予告の言葉…
 シャレなのかどうなのか。納得のいくクライマックスを期待したいんだけど。
 立ち読みしたアニメ誌で、監督は、「この辺りの話数では、この後どうするつもりなんだ?と見ている人に思わせるのが狙い」と語っていたので、考え抜かれた展開があるんだろう。きっと。


2004年3月3日 水曜日

『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』09.「ネットの闇に棲む男」

 ネットワーク上の討論(『朝まで生テレビ』?)の様子が面白かった。
コレで一話作ってしまう思い切りも凄い。

 バーチャル討論で、各参加者の前に現れてくる鑑賞者からの意見の羅列が、煽りや罵倒、無責任な断言から 割に意味のある物まで、いかにも「2ちゃんねる」的なのが今日的。
 今から何十年か後の設定なのだから、書かれる文章内容も、それを画面上に表示する形式も、もっと違ったものになっていそうには思う。
 ただ、余り現テクノロジーや風俗から変えすぎてしまうと、パッと見で画面が分かり辛くなってしまうのが難点。

 原作・士郎 正宗先生の漫画では、アニメよりも進化した、よりディープな未来描写がなされているが、その分、1コマずつ「コレはこういう事かな?」という解釈を入れて読まないと、意味が分からなくなってしまうデメリットも発生。
 漫画とアニメのメディアの違いを考えるなら、難しさを現状に留めてあるアニメ制作者の判断は、実に納得がいく。



『BURN-UP SCRAMBLE』08.「大銀河からの超メッセージ」

 宇宙からやってきた間抜けなロボット侵略者達と、変身巨大化して戦うヒロイン。
…シリーズ番外編的な扱いなんだろうけど、本編のリアリティーもこれと大差ないので、最後を夢オチにする必要など感じないぐらい。

 こういう馬鹿馬鹿しい話は好きだから楽しめた…と言いたいんだけど、作り手側が楽しげに作っている雰囲気が伝わって来ず、「仕事だから」淡々とシーンを流しているだけにすら感じられてしまい、醒める。
 客を置いていくギリギリのスピードで突っ走るパワフルさと高いテンションが無いと、この手の馬鹿話は、ごく普通の内容よりずっと 見ていてシンドイ物になってしまうんだなあ。

 予告で、やる気のない声でもって、「海〜塩っ辛い〜、う〜み〜時々死体が流れ着く〜」と歌っていたのが、今回で一番面白かった。


2004年3月2日 火曜日

 WOWOWで放送されていた映画『サイン』を見る。
ちょっと前にレンタルでも見ていたので、2度目の鑑賞。
 監督は、『シックス・センス』『アンブレイカブル』のM・ナイト・シャマラン。
 主演、メル・ギブソン。

 出来るだけ情報を入れないで見るのが正しい映画だと思うので、未見の方は、オチにまで触れてしまう以下の文章を読まれない事をお勧めします。
 本当なら、ページを分けた方がいいぐらいなんだろうけど、公開からも、ソフト化からでさえ相当に時間が経っており、興味のある人は既に見てしまっているだろうという判断により、ここに。
 ちょっと改行。





 この辺で大丈夫かな?始めますよ。

 監督、シャマランは、映画自体に仕掛けをし、オチにこだわる作品を撮り続けている。
 そのため、仕掛けが冒頭で読めてしまった『シックス・センス』では、オチの一瞬のために無理な構成を取っているように思え、余り面白く感じられず。
『アンブレイカブル』は「地味〜なヒーロー物」と捉えれば、オチはともかく、割と楽しかったけども。

 で、この『サイン』。
 やっぱり映画全体に大きな仕掛けがしてある。
 まるっきり「宇宙からの来訪者により起こされた事件」を描いているように途中までは観客に思わせ、題名の「サイン」とは、「彼らが残した、畑のミステリー・サークルの事」だと言わんばかり。
予告編も全て、そう感じさせるように作られていると思う。

 しかし、最後まで見てみると、本当は違う事が分かる。
 この映画が描こうとしたものは、「理不尽な妻の死により、神を信じられなくなった一人の元・牧師が、もう一度『人智を超えた力』を信じられ、信仰を取り戻すまで」の話。
宇宙人は、彼をそこに導くために使われた「手段」に過ぎず、牧師の妻が巻き込まれた自動車事故と、役割は変わらない。

 ぜんそく発作の持病を持つ息子、水に対して異常なほど神経質な娘、強打者になる素質を十分に持ちながら挫折した弟。
そして、人生の最期に、全く意味不明の言葉を残して逝ってしまった妻。
 これら、元・牧師を精神的に追い込み、負担になっていたであろうマイナスの要素が、襲いかかる脅威から家族を守ろうとする状況下では、全て、有機的に絡み合って有効に作用する。
 どれ一つとして欠けてはならなかった。
全部揃って、初めて現れてくる「奇蹟」。
 それが、信仰を無くした元・牧師に送られた「サイン」。

 この「サイン」の意味について、ミスリードを誘うような作り方をしたのが、監督の今回の仕掛け。
これが余りにも上手く行きすぎたため、ミスリードしたままで映画を見終える観客が出てしまい、評価自体もそれに引っ張られる形で低くなってはいないだろうか。
 種明かしが上手くできてこそミスリードという仕掛けに意味が出る訳で、例えば『シックス・センス』で、ブルース・ウィリスは結局どうなっていたんだか分からない、という客を出してしまっては、大失敗。
 そういう意味では、『サイン』は危ない綱渡りの…人によっては、踏み外して墜ちているようにさえ見えたかも知れない…映画だった。
 策士 策に溺れる。
困ったオジサンだなあシャマラン。
いつまで経っても、「ワッ!」と後ろから人を驚かして、相手のビックリした顔を見るのが楽しくて仕方ない様子( ^_^ )。

 分かり易くは、作ってあると思うが。
 世の中をなめたようなUFOの映像。
…ヒット作を連発する監督の新作に、予算がなかった、とは考えられないから、最初から大スペクタクルの『インデペンデンス・デイ』後追い映画にするつもりなど無い、って事なんだろう。
 視点が、家族から全く動かない。
全世界的な危機や、勇敢に敵と戦う軍隊など、この映画には必要とされていないから。
 弱いエイリアン。
弱い、弱すぎ(笑)。単なる押し込み強盗並みか、それ以下。
これまた、超兵器を駆使する人の手の及ばぬ存在、にする意味を感じていないんだろうな。

 エイリアンに関しては、思った事があって…
 この映画のエイリアンは、知的水準が恒星間航行を可能にするほど進化したから、地球にやって来た訳じゃ「ない」のでは。
 飛来したUFOは機械的なモノでなく、『ガメラ2』の草体・スターシードのようなモノで、しかも各惑星への種の伝播すら目的としていず、ただ「宇宙を渡って生きる」だけ。
 超光速航行も可能としてなくて、何万年、何十万年と かけ のたのたと地球に到着。
寿命も無限に近いほど長いんじゃなかろうか。
 『ウルトラQ』のバルンガに近い?
 地球に着いた時、お腹がすいていたので、食料となる有機物を奪取しようとした。
 UFOを駆使するエイリアンと見えたのは、スターシードに運んでもらい、その代わり食料を与える共生生物かも知れないし、あるいはスターシードの一部…人間で言えば、手や足だけが切り離され独立して動くようなモノ…かも。
UFOにもエイリアンにも姿を消す能力がある…と、劇中で言っていたため(牧師弟の発言であり真偽は不明だけど)、「同じ物質で出来ているのでは?」と考えて。
 畑に残したミステリー・サークルは、蜂が餌のありかを仲間に伝えるダンスを踊るのと、同様のモノなんだろう。
 だって、このエイリアンに、人間的な意味での知的さ なんてカケラも無いんだもんね。
そうとでも考えないと辻褄が合わない(笑)。

 テレビで流される 道の向こうを一瞬横切るエイリアン映像の衝撃と居心地の悪さ、暗闇の地下室で繰り広げられる防衛戦の緊迫感など、さすがに上手い。
電波遮断帽子など、笑ってしまうユーモアもアリ。
 監督の手練手管に乗って、騙されてあげる気持ちが持てるなら、楽しめる映画ではないだろうか。


2004年3月1日 月曜日

 WOWOWで放送されていた映画『メン・イン・ブラック2』を、今頃 見る。
 監督バリー・ソネンフェルド、主演がトミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスという、1作目と全く同じ布陣での続編。

 トミー・リー・ジョーンズは好きな役者さんなもので、顔を見ているだけで楽しく、故に評価は甘くなる。
割に楽しかった。
 ただ…彼のキャラクターを活かしたストーリーになっているかというと、そんな事もなく。
 1作目では、MIB新人のウィル・スミスをベテランのトミー・リー・ジョーンズが教え導いていく形式だったが、この続編では、かつての記憶を全て消去されたジョーンズをスミスがリードする形に…なっていくのかと思えば、コレが余り上手く行っていない。
 MIBの超常的存在を面白く見せるには、やっぱり脇で一々驚いてくれる役割の人間が不可欠。
今作では前作と役割を入れ替える事で、そのギャップをも笑いに結びつけていくモノだと思ったのだが。

 敵を女性型宇宙人一人に絞ったのは良いと思うけど、彼女のキャラクターにまるで魅力が無かったのは残念。
 物語も、きちんと「謎」を巡る内容には整理されておらず、クライマックスに向けての盛り上げが弱い。
戦いの決着の付け方なんて、余りに安易で倒れそうになるほど。

 それでも、前作と同じく詰め込まれた小ネタは非常に楽しく、MIBに入りたがるマイケル・ジャクソン、下らない事ばかり言うパグ犬エイリアン、一般家庭の壁の中に隠してある超兵器など、笑ってしまう部分は多々。
 頭をカラッポに出来た度合いに応じて、楽しさのレベルが変わってくる作品。
 何も残らなかったが、見ている間は楽しく思えたので、見て損したとは まるで思わない。

 『3』が出来たら また見ると思うけど…主演2人の出演料に比しては、作り続けるだけの価値あるヒット作たり得るかどうか。
 CG制作費も安くなった事だし、役者は全て変えて、短期のテレビシリーズに してみるのに向いている題材かも(アニメは既にあるが、実写じゃないと面白味が大部分 死んでしまう)。



『ふたりはプリキュア』05.「マジヤバ!捨て身のピーサード」

 あー、小さなアイテムに収納して やたら手が掛かりカードスラッシュで育てる形式の今更「たまごっち」か?と思わせる「メポー」だの言う2匹の生き物は、互いにやたら会いたがる事で、主人公二人を否応なく引き合わせる役割を担ってるのか。
しかし…人間側に互いに敬遠し合っている、ぐらい会わない理由が無いと、必然性が薄いアイテムになっちゃうなあ。
 ラブラブな小動物を見せつけて、女の子二人の方にもラブラブ百合百合な行動を取らせたいのなら、意味が無い訳でもないが。

 歌舞伎なお兄ちゃん・ピーサードは、これで退場?
まだまともにキャラクター性も主張できていないのに?
 主人公達の描き方も、未だ基本ラインの紹介に留まり、深度の性格描写やバリエーション、意外性を見せる所にまでは達していない。
 本来の視聴対象層であろう小学校低学年くらいの女児には、ここまで懇切丁寧に基本を見せていった方が有効かも知れないけど…



『ふたつのスピカ』16.「アスミの桜」

 イレギュラーに…というか、ほとんど現在と交互くらいの頻度で入る昔話。
今回は、中学時代の哀しい思い出。
 ちょっと切なく、胸に迫る話であり、アスミの「現在」を支える大きな要素の一つになるエピソードだと思うのだが、見せるのはこのタイミングで良いのかなあ?
もう少し早め、入学試験の前までに見せておくと、より効果的だったのではないかと。

 見ながら、ふと思い出した事。
 ああ、居た居た、仲の良い男女のクラスメートを冷やかして笑うヤツら。
オレはどうも そーゆーのが嫌いで、放って置いてやりゃーイイじゃねーか、と言う方だったが。
 それは「彼ら彼女らのシアワセを思って」とか「人として正しく」なんてえ格好イイ話ではなく、モテない人間なら余計に、楽しく過ごしている二人の仲を裂く行いを示して無意味に己が惨めさを晒すべきではない、という分かったような分からないような矜持のため(笑)。
 ダメ人間にはダメ人間なりのプライドがあるんだって(自慢?)。



『光と水のダフネ』07.「オール・ザット・パパ」

 女性陣の美しさ色っぽさが命の作品なので、この作画崩れは辛い。
いつもの作画レベルと比しても、今回はもう…所々 絵の酷さのため笑ってしまうほど。

 お話自体は、「同僚が家族に見栄の嘘をついていた。その家族がイキナリ職場にやって来てしまったため、皆で何とか嘘がばれないようフォローを入れようとしてドタバタ」という、かなり古いタイプのドラマで よく見られたパターン。
 それはそういうモノとして割に楽しく見られ、ベタなギャグには笑ったりもしたのだが…
もうちょっとだけ、作画には頑張って欲しいな。


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