ときどき日記 04/03(後)

2004年3月31日 水曜日

『Gungrave ガングレイヴ』最終話.「破壊者たちの黄昏」

 ブランドンとハリー、男2人が最期を迎えていく様子が、30分かけて描かれた。
 本当の本当は、2人のドラマは前回のラスト・笑い合う所で終わっており、後は「ファンサービス」に近いモノではないかと思われるが、コレがまた泣かせる良さなので問題ない。

 語り合い、血を流して、互いの身の上に降り積もった歳月の重みを振り落としていく事で、何も持っていなかったが楽しかった昔に返り、初めて出逢った少年時代にまで心が遡っていく。
 一時期は狂人のようだったハリーも、全てを失い余分な贅肉が取れてみれば、昔と変わらない、気のいい、仲間思いの、ブランドンの親友だった、という辺りで ほろほろと泣けてしまう。

 2人が互いに拳銃を向け合う所、ジョン・ウーの映画を思い出す。
あの監督もまた、「漢」を描くのに長けた人だし。
 互いの銃弾で、互いに最期を(最後、か?はっきり死亡は描かれてないから)迎えさせて上げたのが、スタッフの思い入れ。
そりゃもう、ここまで愛情を込めて描いてきたキャラクターを、ドコの誰とも知れないヤツらの銃弾でなんか、終わらせられないよね。

 シリーズ全体として。
 第一話を見た時には、どうなるものかと心配したが…
今、こうしてシリーズを見終えて振り返ると、ああする以外に作りようがない第一話であったと思える。
 時系列に沿い、街のチンピラ時代のブランドンとハリーをイキナリ登場させても、「こんな話は見たくない」と拒否反応を示される恐れがあっただろう。

 とにかくチンピラ時代、ファミリーの下積み時代のドラマが地味で、ここらで脱落してしまった視聴者も多かったのではないかと。
 もちろん、それがあったからこそ、シリーズクライマックスの血管をブチ切る盛り上がりが創出できた訳だが。
 26話、全てを見る事で、ようやく一本の作品として評価できる。
萌え、や、安易なバトル物にして興味を引き留めようとはせず、正面からドラマを見せようとした、昨今 希有な、不器用な(しかし繊細な)アニメだったのではなかろうか。
 凄い「賭け」だったと思うが、見事、それには勝ちを収められたと思う。
年月を経て、初めてこの作品に触れる人間にも、今 こうしてシリーズを見終えた視聴者と同じ感動を約束できる、アニメ界の「財産」がまた一本、誕生したのだ。

 スタッフの皆様、お疲れ様でした。
 また、良い作品を期待しております。


2004年3月30日 火曜日

『真ゲッターロボ対ネオゲッターロボ』01.「出撃!!ネオゲッターロボ!」02.「登場!!テキサスマック!」03.「復活!!真ゲッターロボ!」04.「切り拓け!!地球の未来!」 (最終話)

 アニマックスで一挙放送していたので、見る。
 『真ゲッターロボ 世界最後の日』とはまた違う世界観によるモノ。
石川 賢先生の原作版『ゲッターロボ號』をベースに、あちらこちらと つまみ食いしつつ、全4話というタイトなスケジュール内でギュギューッとまとめ上げている。
 …が、やっぱり圧倒的に時間が足りず、各キャラクターの彫り込みは全然足りていないし、原作か他メディアの情報で補完しないと分からない所も多い。
イロモノであるテキサスマックとか無理して出さなくても良かったような気はするけど…まあ安っぽさ、インチキな発声など、笑える所もあるし、『スーパーロボット大戦』への目配せなのかも知れないな。

 主人公、一文字號に、いかにも石川漫画っぽい狂った魅力があるのは嬉しい所。
 帝王ゴールを前に、和平・共存の道を説く仲間に対し、「何トカゲ野郎にベラベラ喋らせてんだ!これは戦いだ!やるかやられるか!答えはその先にあるんだーッ!」と武闘派バリバリの叫びを発して突っかかっていく所、ハ虫人類を代表して恨み言を言う帝王ゴールに、「オレはテメエみたいに何か背負って生きてんじゃねえ!オレは、オレ自身のために生きてんだ!そいつを邪魔する奴は許さねえェ!」と、余りにも理屈になっていない理屈、徹底した個人主義で返す所、そしてまた それで全開パワーが発動してしまう真ゲッター…実に石川テイスト(笑)。
 主人公に「狂」があるのが石川漫画の特徴だよね。

 作画は安定しており、怒濤の迫力もきちんと演出できている。
 購入してまで…とは思わないけど、レンタルでぐらいなら、石川漫画ファンは見る価値があるんじゃなかろうか。



『ASTRO BOY 鉄腕アトム』50.「最後の対決」

 起きている事件が天馬博士による科学省の乗っ取り事件なので、単純な盛り上がりとしては、やっぱりロボット対人間の戦いが描かれた前々回の方に分があったと思うが…
 なるほど、あくまでも天馬博士とアトムの葛藤をクライマックスに据えたかった訳か。
 アトムが天馬博士に語りかける「死なないで…お父さん」という一言に全てを集約させるべく、思い切りよく不要な部分を切り落とした、良く出来た最終回だったと思う。

 子供はいつか、親を超えて行くもの。
 ロボットを心から友達だと思っていた人間・トビオも、ロボットになって なお同じ気持ちであり続けられた停止前のアトムも、消された記憶を自力(と、仲間の力)で取り戻す今のアトムも全て、「親」である天馬博士の思惑を遠く超えて、遙かな未来に向かう可能性に満ちている。
それは、「親」として、誇りに思って良い事だったのだと思う。
 あくまで自分の支配下に置く事こそ「子供」の幸せ、と考えてしまったのが天馬博士の限界。
親バカ、とも言えるか。この歳になると、天馬博士の気持ちも、分からない訳ではないのだが。
 高校生の息子が、下手なギターかき鳴らして「俺、学校やめてミュージシャンになる」などと ほざき始めたら、「そうか、お前を信じるよ、頑張れ」よりもまず、飛び膝蹴りを喰らわした後に「寝言いうより先に勉強でもせえ!」と、「親」としては怒鳴るだろうから(笑)。

 そんな博士を赦し、なお生きて欲しいと願うアトム。

 何だったか読み物で、「知性を得たロボットやコンピューターは、いずれ不完全な人間を支配、悪くすると消去しようと考え始めるのではないか」という恐れに対し、こう答えていた。
 「支配したい、嫌な相手を消し去りたいなどと考えるのは人間(生き物)だけ。知性を得るに到った賢い機械達は、不完全で愚かな存在である人間…『親』を、認め、赦し、愛してくれるでしょう」


2004年3月29日 月曜日

『ポポロクロイス』最終話.「月の掟」

 敵の恐怖も、ルナ母の死も、ピノンのラストバトルも、城の皆が元通りになる所も、みんな食い足りない。
詰め込みすぎてしまったのか、これまでのシリーズ中で各要素の積み重ねが足りなかったのか、緊張感や爽快感に欠けてしまった。

 ピノンが余りにも普通に「ヒーロー」「主人公」として迷い無く行動しすぎており、感情移入の対象たり得なかったのも不満点。
ウジウジしてばかりでは見てストレスが溜まってしまうが、思い切りが良すぎるのも どうか、ってのが勝手な視聴者視点。

 全体に、シリーズ前半での、ピノンの成長、ルナ達と結ぶ友情、妖精達のキャラクター性の彫り込みなど、様々な方向への可能性を示す「余裕」があった頃は面白かったのに、後半、冒険譚になってからは良くあるRPG色が強くなってしまったような。
 とはいえ、ジュブナイル・ファンタジーとして語るべき事は語り終えられた作品だとも思え、見終わった印象が悪い訳ではないのだが。



『MEZZO』最終話.「壊の殻」

 シリーズ途中からは、真面目に見ていたとは言いがたい鑑賞態度であり、見逃した回すら多いため、全体の感想は書くべきでないだろう。
 ただ、番組開始時には驚異的なアクション演出とそれを支える作画の冴えが見られ、その辺が売りとなる作品になるものかと期待したが、維持できず中盤で大きく崩れてしまったのは残念。

 駄洒落を連発する広川 太一郎氏の喋り芸を堪能する番組だった…?
 関係ないけど、『007』のDVD、ロジャー・ムーアの吹き替えは彼以外に考えられないので、今の内に録り直しておいてくれないだろうか。
テレビ放送版のデータしかないせいか、今出ているDVDには吹き替えバージョンが収録されていなくて、大変に不満なもので。


2004年3月28日 日曜日

『仮面ライダー剣』10.

 倒され、さらわれて、糸コンニャクのようなモノが浮かぶ水槽に漬け置きされる橘。
喪失のサスペンスを せめて今回後半までは引くかと思えば、イキナリ冒頭で全快、解放されている。
早い、早いったら。
 しかも、見せ方として、「特に変わった所はないように思えるが、戦えるようになっており、デメリット無しかと思えば実は精神の奥底を支配されている」という、非常に分かり辛い図式。

 うーん。
「帰っては来たものの、橘の心情は全く描かない」
 ブレイドの危機に現れ、アンデッドを倒す橘だが、駆け寄る剣崎を無視、追いすがる女医にも冷たい一瞥をくれるだけで立ち去る。
 完全洗脳されたらしい橘(現行『セーラームーン』亜美の立場に置く)との辛い戦いがメイン。
「橘に行動・思考の自由は与えられているが、戦える力に限定条件が付けられている」
 敵の力により、恐怖心を麻痺させられ戦闘力を付与される事で、ようやく戦えている橘。
それを喜び、充実感を感じる彼だが、敵の指令に背いた瞬間に全てを奪われてしまい、以前と同じ(より以上の?)恐怖と喪失感に苛まれる。
 彼は、一度手に入れた「麻薬的快感(蝕む「死」の恐怖からの解放)」を手放せず、敵の命令に自由意志で協力してしまう。

 これら両極端にした方が、今後の展開も見通しが良くなり、もっと期待感を煽れたんじゃなかろうか。
混沌とさせたいのなら別だけど…どうも「筋の混乱」が上手く「面白さ」に結びついていないよう、思えるので。

 強くなった橘の戦う相手はゼブラ・アンデッドだが、「分裂する」特性が意味不明。
偽物を攻撃すると、本物が光る…って、2体にしか分かれないんだから、攻撃した方が偽物だったらもう1対が本物に決まっているだろう(笑)。
 果てしなく分裂するアンデッドに、ブレイドは ただ翻弄されてしまうが、ギャレンは銃を驚異的なスピードで連射・全ての幻を消し去る事で本体に迫り、倒す、というぐらいに蘇った「先輩」としての格の違いを見せつける戦いの方が盛り上がったかも。



『カレイドスター』最終話.「約束の すごい 場所へ」

 驚く程キレイに終わった最終回。
付け足すモノも、引くモノも無い、丁度コレでいい。

 「天使の技」は、やはり それ自体の凄みで見せるのではなく、観客および他のプレイヤーのリアクションで「価値」を彫り込んでいく手法だった。
これまで出てきたキャラクター達が次々にステージに上がって持ち芸を見せていく、総力戦のような盛り上げぶりは、『侍ジャイアンツ』最終回で投げられる これまでの魔球を全部ミックスした「ミラクルボール」のよう。
そりゃ、無敵だ。
 …俯瞰すると、ステージ上が取り留めもなくなり過ぎ、出し物としては崩壊したグダグダ状態ではないか…と思えなくもないけど、それは意地悪すぎる見方だよね(笑)。

 多くの話でコンテまでを手掛けた監督の情熱によるモノなのか、非常に強力な統制力が働いたシリーズ。
 多人数のスタッフが参加するアニメーションでは、ほぼ一人で作品を作り上げる漫画や小説と違って、途中でシリーズの流れが乱れてしまったりキャラクターへの理解がバラけてしまったりして面白さが分散しがちなのに、この作中には ほとんど混乱など見られなかったと思う。
 原作があれば、それを核とする事で ある程度 全体を集約し易いだろうが、全くのオリジナル作品にも関わらず ここまで完成した形に出来た事実は、驚異的。

 この作品のベースは『ガラスの仮面』だと思ってきたけど、ラスト、レイラの「あなたは…私の誇りよ」という言葉に重みを置いた所からすると、『エースをねらえ!』ひろみと お蝶夫人の関係からの影響が大きかったな(今更、か)。

 どのキャラにも愛情を込めた視線が注がれており、エンディングの後に彼ら彼女らの「未来」が見えてくる、昨今無いほどに満足がいく完結ぶり。
 スタッフの皆様お疲れ様でした。
「萌え一点突破」でも「オタク媚び」でもない、アニメの裾野を広げられる正しく・良い作品を、ありがとうございます。
 さすがに連発を期待するのは酷だと思うけれども、いつかまた、このレベルのお仕事を見せて頂ける事を期待しております。



『ふたつのスピカ』最終話.「明日を見つめて」

 しばらく続いていた、サバイバル・テスト。
生徒達全員を山中に、しかも相当に離して配置し、全員の行動を監視して、事故が起きたと思われる時には迅速に救出する。
…一体どれだけの予算と人員が掛かっているのかと。
 その辺はリアルに考えちゃいけないんだろうな。
 こういう極限状態の設定は好きなんで期待したけれども、かなり無難な友情話に落ち着いてしまい、残念。
緊張感やギリギリの人間模様、危機を乗り越えるキャラの機転を経て、互いを思い合う気持ちを描き出していく…シチュエイションから期待される美味しい要素が、大量に取りこぼされているようで。

 全体に。
 シリーズ序盤に面白い話が集中していたように思う。
宇宙学校に入学して以降も、つまらなくはなかったが、印象は弱い。
 まだ連載中の原作。
それを どういう形でまとめて終わらせるのか、最後までスタッフに迷いがあるように感じられた。
 20話で消化しきれない部分は、今後の展開があるとしたなら重要になる所だとしても、スッパリ切り落として まとめる思い切りを持って欲しかったな。


2004年3月27日 土曜日

 昨日付で『ニュースステーション』が終了。
 最後の最後だから何かムチャをやるかなー、と思えば、ビール飲んじゃうだけかあ…

 どうせ終わりなんだから、もっと番組の最中からグイグイ酒を飲んで、終盤はシラフでは とても口に出来ないような事…特定政党を罵倒するとか、取材に協力してくれなかった人達への揶揄、テレビ朝日に対するホンネ、視聴者全体への捨てゼリフなど、好き放題 言えばいいのに。
 しかし、18年間も同一番組に出演し様々な事を喋り続けてきた人間が、最後にやりたいと思う事は、オレが考えるほど安っぽいモノではあり得ないのかな。
自分一人で作ってきた訳でもない番組の幕引きを、最後に大きく汚す訳にも いかなかったろうし。
 ビール飲酒で何かしら気が済んだのなら、良かったんじゃなかろうか。

 録画してまでどうしても、という訳ではないが、毎日、この時間に特に見たい番組が無くテレビの前にいれば、『ニュースステーション』を見る習慣が付いてしまっているもんで、月曜から ちょっと調子が狂ってしまうかも。
…あっという間にそれにも慣れてしまうだろうけど。

 古舘伊知郎による新ニュース番組の話は どうなった?



 漫画家・毛羽毛現の嫁さん、蟹森ぐりちゃんがご懐妊。(ぐりちゃんHP・「たわごと」コーナーに記述)
 わ〜パチパチパチ。
目出度いめでたい、良かった良かった。
 遠くに近くに、訃報が続いている折り、新しい命の話が聞けるのは、素直に嬉しい。
 無事な誕生を祈る。


2004年3月26日 金曜日

『超重神グラヴィオン・ツヴァイ』最終話.「魂の凱歌」

 原画陣大量投入による人海戦術で乗り切ろうとしたようだが、それにも限界があり、作画には疲れが見られた。
「決め」シーンの一番良くなければならない表情にまで崩れが発生、盛り上がろうとする気持ちに水を差されてしまう。
 DVD発売の際には、作画のリテイクが成される事を期待したい。

 お話。
 一切の攻撃が通じない最強の敵と対峙するソルグラヴィオン。
それは、いいんだけど、倒す手段がリィルの姿を晒す事…というのは…
 まあ、彼女の叔父であるボスに「人間の心」が残っていた事実を示し、彼とサンドマンとの決着に繋がっていく所なので、構成としては間違っていないけど、サンドマンの戦いを「クライマックス」とする流れではソルグラヴィオンの戦いが「過程」の扱いになっており、物足りなさが残ってしまう。
 肝心のサンドマンによる決着も、酷く あっけなく、因縁の決着を付けるには弱いモノだったし。
 …そうは言いながら、「涙」や「仲間の死」を使って楽に盛り上げようとしなかった所は、これまで貫いてきた姿勢と矛盾する事なく、潔くさえあり、心地良くも感じたが。

 実際、メインはサンドマンだったよね。
責任を取るだの何だの言いスネて( ^_^ )一人残ろうとするのを、他の全員で一生懸命 説得する所、彼が居なければ成し得なかった最終進化形態への合体(期待通り)・勝利、シリーズを締める彼の「若者達よ、健やかに、そしてどこまでも…美しくあれ」というタワケた言葉……サンドマンを「主人公」と認識していた度合い、他のキャラを「その他」(笑)と認識していた度合いで、満足度が大きく変わってしまうだろう。
 もうちょっと、戦いに臨む各キャラクターの心理など彫り込み、シリーズを通して培ってきた信頼が強い意味を持ってくるのを期待したのだが、「全てはサンドマンのため」、か。
 でもまあ、それを さほど不満に感じる事もない。
このアニメは、そういう作品だったのだ。

 ただ、もっと馬鹿馬鹿しい展開があると嬉しかったかなあ。
それもまた、この作品の強力な持ち味だったと思うので。
 グラヴィオンが全パワーを解放した衝撃で、搭乗者から近場にいたグラントルーパーまで全員の服が破け全裸になってしまい、そのまま戦うとか(笑)。
搭乗者体内のG因子によってグラヴィオンのパワーは左右される。
故に、パイロットが着用する衣服の面積が小さくなり肌の露出が増えるほど、機体とG因子が「近く」なりシンクロ率が高くなるため、全裸になった時点で史上最強の存在になったとか何とか。
 いや、確かに下らないんだけど。
 笑いと、カタルシス。
両輪で駆けて来たシリーズでしょ( ^_^ )。

 OP、EDに変更もなく そのまま放送してしまうのは、この手のアニメの最終回ではかえって珍しいような。
…力尽き、そこまで手が回らなかった?
 キャラ達のその後。
またアホみたいな好ましい日常に還っていく姿が、チラッとでも見たかった気はする。
 それもまた、DVD化の際の特典に期待するか。



『エリア88』最終話.「風の翼」

 第一話を見た時には、パイロットである真と、カメラマンの真とを対比しながら、緊迫した戦場の人間模様を彫り込んでいくものと期待したが…
一応はそういう軸に沿おうとする内容になっていたとは思うけど、緊張感の薄すぎる話、原作を台無しにしている話など、癇に障る所が多く、途中からは かなり中抜けでの鑑賞になってしまった。

 戦闘機で一列縦隊となり、峡谷を飛び抜けて行くエピソードは、以前のOVA版で素晴らしい出来の画面を見ているので評価が辛くなってしまうが、それでも、3Dの利点を活かした迫力のある演出ができていたのではないかと思う。
 …が、全体には、決して完成度の高いシリーズとは言えず、今、アニメにする意味があったのかどうか、には疑問符が付いてしまう。

 最終話…うーん、逃亡を図る真を照準に納めるエリア88パイロット達の緊張感は、なかなか良く描き出せていた。
 しかし、分かっていた事とは言え余りにも「未完」な終わり方。
原作は「連載中」などではなく、とうに完結しているのだから、もうちょっとエピローグを考えても良かったような…
 全体として、残念ながら、見た人々の記憶の中に長く留まれるような作品には、なり損ねてしまったように思う。


2004年3月25日 木曜日

『BURN-UP SCRAMBLE』11.「ラストマッチ ウォーリアーズ超決戦 !!」

 先週分を見逃してしまったらしく、急にシリアスになっている内容に戸惑う。
 新・改造ウォーリアーズとヒロイン達の世代交代を賭けた戦い、だったのかな。
同じく警察内の超法規的機関であった『ワイルド7』でも、新旧対決はさすがに なかったものの、旧来のメンバーが全滅の危機に瀕する→新ワイルドメンバーの暗示、という展開が時折見られたのを思い出す。
 所詮、彼ら彼女らは使い捨ての駒、か。
上が要求する「価値」を持ち続けていない限り、生存すら許されない。
「価値」を持ちすぎてもまた、鬱陶しがられかねないが。

 で、女隊長が最強の敵となって、彼女らの前に立ちはだかる。
…んー、シリアスな話としては「やってみたかった事」なんだろうけど、何しろ急で。
 前回を見ていないせいか、それまでの大ボケ内容からすると、「夢オチ」「全てはシミュレーション中の出来事で、現実ではない」辺りに落ち着きそうに思ったのだが、そのまま最終回に続く。
 どうやって終わる気なんだろう?



『十兵衛ちゃん2 〜シベリア柳生の逆襲〜』12.「ココロが留守なだけだった」

 冒頭から始まる剣劇アクションの迫力は、凄い。
圧倒されるパワーとスピード感。
 切り結びながら湖の上を疾走する二人を、水面の波紋と刃を打ち合わせた衝撃の光だけで見せていく手法は、『ドラゴンボール』アニメ版で、殴り合うドォォンという衝撃だけが空間にパッ、パッと拡がっていく演出を思い起こさせる。

 このアニメは…
 見事なライン取り、美しいコーナーワークで一秒を縮めようという作品では、ない。
 強力なエンジンのパワー、頑丈な車体をもって、コーナーの柵に突っ込み、無理矢理崩しながら、力業で好記録を もぎ取ってしまう、そういう作品。
 自由が十兵衛に変身する そもそもの理由も、300年 生きてきたキャラクター達も、今回ラストでイキナリ変身・出現したラスボスも、ムチャクチャ。
しかし、十兵衛は凛々しく格好良くアクションには見とれてしまうし、憎しみを超えてフリーシャと抱き合う自由や 鮎之介のけなげさには うっかり感動してしまい、油断を突いてくる「もう ひと山!」の危機演出にはワクワクさせられる。
どれも、画面作りとしては非常に上手く、説得力があるのだ。
 「イロイロ納得できない〜」などという抵抗を止め、大地監督のパワーに素直に翻弄されたなら、大変に楽しく見られただろう。

 でも、個人的好みとして、どうも そういうのに馴染めない。
 バラけかけたストーリーを、テクニックで上手くまとめ上げるための手法が大量に使われている。
「ラストシーンで雪を降らせると、何となくキレイに終わったっぽくなる」みたいな。
 それはそれで凄い引き出しの多さだと思うんだけど、そうなる以前に本筋をどうにかするべきではなかったか、と思えて。
 取りあえず最終回を待ちたい。


 ちょっと思ったタワケた事。
 このアニメでの、オヤジ・彩って、要は「大地 丙太郎監督」?
 「父=監督」と自分の関係が自由にとっての最重要ポイントであり、中の人が代わった弱味もあって(笑)自由は「監督が望む事」を第一に、行動した。
他キャラクター達からの訴えも、物語の必要性も無視して、望まれる「戦わない、変身しない、拒絶する」自分であり続けたのだ。
 それは、自由というキャラクターにとって、非常に辛い事だったのかも知れない。
 前回、「父=監督」により、失敗しても構わないから好きなようにやってみろと言われ、がんじがらめになっていた枷から解放された彼女がまずしたのは、拒否し続けた鮎之介を「ずっとこうしたかった」と言いながら抱きしめる事。
そして、終盤まで来たストーリーの求める通りに、変身してフリーシャと決着を付ける事だった。
 自由は、「父=監督」が寄せる期待・希望・要望から解放される事で、ようやく「自由」になれた訳だ。

 …とかいうのはどうか。



 プレステ2の『塊魂』を購入。
 馬鹿にしたような鼻歌のBGMを始め、ノリの良い音楽と、「玉を転がして周りにあるモノをくっつけていく」だけ、というアホみたいに単純なルール。
ナムコは、ゲームらしいゲームを作るなあ。

 ヨメがやっているのを横から見ていて、自分でも やってみたが…
3面ほど進んだ所で、壮絶な3D酔い症状を起こし、ダウン。
 面白いんだけど。
酔いさえしなければ!

 同じくプレステ2の『007・エブリシング オア ナッシング』も購入。
 ゲームとしては大雑把で どうかと思う所もあるけど、『007』としては正しいと思う。
 馬鹿馬鹿しさ、脈絡の無さ、派手派手なだけで薄い内容…全て あの映画の雰囲気を正確に再現できている。
 ミッション8のカーチェイスなど、ロジャー・ムーア007の『ユア・アイズ・オンリー』を思い出す楽しさで、ワクワクしてしまう。
 映画のファンとしては、満足のいく出来。
 その前に出た『007・ナイトファイア』も買ったのだが、3D酔いが酷くて すぐに挫折。
今回のは、それよりは全然マシ…それでもやっぱり、酔う。
体のためには、一日数十分に留めておくのが無難。

 ああ、どうして世に「3D酔い」なんてモノがあるんだか!
 次回作の『バイオハザード』は、ゾンビが出ないとか色々変更があるみたいだけど それ以前に、画面がフル3Dに変わってしまう、という点が不安。
従来通りのカメラ固定画面か、『コード:ベロニカ』程度の視点移動に留めて欲しいんだけど……


2004年3月24日 水曜日

『ASTRO BOY 鉄腕アトム』49.「アトム復活」

 前回、破壊されたかに見えたアトムだが、拍子抜けするほどアッサリと修理完了。
ただ心だけは戻らず、それは生みの親である天馬博士に任せる事になった。

 …この天馬博士の所行が、単なる馬鹿オヤジなのが何とも。
 ロボットによる王国を築き、最終的にはその支配権をアトムに委譲する事を目的として行動してきたものの、作り上げた影武者ロボットの能力は想像以上で、彼自身をすら凌駕する勢いだった。
 その経験から懲りて、アトムに掛ける期待が、「優れた、人間の次の世界を担うロボット」という壮大なモノから、「自分の言う事を素直に聞いて、いつまでも側に居てくれる可愛い存在」というワガママ小市民的なモノへ、一気にスケールダウン。

 「父と子」というのが このアニメのテーマで、それは「人間とロボットの関わり」であり、最終的には「天馬博士とアトム」の関係に集約されていくモノではあったと思うが、こんなにも小さく、危機感が無く、アトムが記憶を取り戻す 切っ掛けの弱さも含め、印象の弱いエピソードとして語られると…
 前回の、ロボット王国での最終決戦に乗せて、親と子の相克は全て果たすべきだったのでは?

 次回、最終回で上手くまとめてくれる事を期待。



『Gungrave ガングレイヴ』25.「THEN」

 見逃してしまった先週分については、幸いな事に友人が…電話口で熱くあらすじを語ってくれた。
 「高い天井を蹴って一気に下降するグレイヴ。真下から狙い撃つ文治。撃ちまくるグレイヴ。撃ちまくる文治。火線が互いの体を掠め、命が交差する一瞬に向かって二人は急速に接近していく。だが、その二人の顔には、相手を認め、こうなってしまった運命全てを受け容れるように『漢』の笑みが浮かんでいるのだった!」
…講談?
 前回の内容は問題なく分かったので有り難いんだけど、なんか余計に見られなかったフラストレーションが溜まってしまう(笑)。

 今週分。
 余りにもあっけなく、全てを失ってしまうハリー。
部下を、妻を失い、頼みにしていた多数のオーグマンも、新開発の銃弾の前には驚くほど脆く、倒されていく。
 彼は、組織の追撃を受け、車で街を逃げ回る。
人間でさえ跳ね飛ばす彼だが、しかし ただ一匹のネコを避けるために事故を起こしてしまうのが皮肉。
 朦朧とした意識の中、見た物は…

 夢。
 街を這い回る どうしようもなくちっぽけなチンピラで、体を張って しょうもない仕事をし、それでも僅かな稼ぎしか得られなかった若い頃。
 何も無かったが、気の合う仲間がいて、涙が出るほど笑い転げられる瞬間があり、自由があって…何物にも代えられない親友が いつも側に居た、若い頃。
 うー、泣ける泣ける。
これまで積み重ねてきたエピソードの意味。
もう帰れない遠い日。
 遠くまで来てしまった感慨は、ハリーだけでなく、ここまで見てきた視聴者の胸の中にも しっかりと、ある。

 何もかもを犠牲にして、夢見ていた全てを手に入れたかに見えた彼だが、心は満たされず、血まみれになって得た物さえ、再び砂の城のように崩れ、消え去ってしまう。
 「残るのは、永遠であると信じたブランドンとの友情」
 目の前に立つブランドンの姿を認め、安心した、嬉しそうな表情になるハリー。
 しかし、ブランドンは彼がその手で殺したのだ。
 今、目の前に立つのは、復讐のため、文字通り「地獄から蘇ってきた」ビヨンド・ザ・グレイヴ。
 憎しみに歪むグレイヴ=ブランドンの瞳を前に それを思い出し、悔いるような哀しい顔になり、湧き出る怒りを堪えるような、痛みに耐えるような顔になった後で、不意に彼は穏やかな表情を見せる。
この変化を表す、胸に突き刺さる執念の作画には圧倒されてしまう。

 ブランドンが構える銃を挟んで、向かい合う二人。
引き金を引くブランドンだが、ただ撃鉄が乾いた音を立てるだけ。
弾丸が、入っていなかったのだ。
 恩讐を経て、笑いはじめるハリー。続く、ブランドン。
 被さる、若い二人の声。
「行こうぜ、ブランドン」「ああ」
 見慣れたエンディングへの繋ぎも綺麗に決まり、逃げ場も無く やがて殺されるハリーと、もう間もなく本当の死が訪れるブランドン…
あの頃のように、何も持たない「チンピラ」に戻った二人の莫迦な男のドラマは、ここに完結する。

 …え?まだ来週もあるの?
 コレで終わっても全然問題ない。
かえって、余韻を残す締め方と思えるエンドだったが…


2004年3月23日 火曜日

『ふたりはプリキュア』08.「プリキュア解散!ぶっちゃけ早すぎ !?」

 見続けていて良かったぁ〜、と思わせてくれる、飛び抜けてクオリティーの高いお話。
 演出を五十嵐卓哉が手掛けているが、それだけでこんなにも、ほとんど別の作品かと感じる程に違う物なんだなあ。

 アップでの感情の捉え方、そこからポンとロングに切り替える事で生まれるリズム、抜群に上手い「間」。
 家の廊下に立ち、祖母から、なぎさと居て楽しそうだった、と言われた ほのかの微妙な表情、暮れかかる夕暮れの空気、お盆に乗せたカップの紅茶に小さく拡がる波紋。
「才能」と言う他にない情感演出の巧さ。
 細田 守のように、「ココが凄まじく独特で印象的だ!」という部分を作っている訳ではないので、こう、オレの文章力では書き表し辛かったりするんだけど、画面から目を離させなくする強い吸引力があるなあ。

 物語としては…
 ほのかは、これまで「自分以外の存在」というものを ぼんやりとしか感じてこなかったんじゃないだろうか。
奇跡的に良い子に育っているので、自己中心的、って訳ではないが。
 頭が良く、可愛らしく、親との衝突はなく、深い友達と感じられるほどの相手もなく。
「自分」という存在ですら、輪郭がぼんやりとしていたのかも。
 それが、なぎさという強烈な、違いすぎて反発さえ感じてしまう個性と出逢う事で、嫌でも自分と、彼女の間に「境界線」を意識させられてしまう。
そこまでが「自分」、そこから向こうが「なぎさ」。
 ほのかは、なぎさと一緒に居て、自分と違う彼女に好意を抱く事で、ようやく「自分」を「好き」と思える一歩を踏み出したのかも知れない。

 …と思ってみたけど、実際のキャラ設定とは違うだろな(笑)。
今回だけの印象では、って事で。

 互いの日記を読み終えた二人。
ほのかは、軽くうつむいて目を閉じ「今日までの」なぎさを想い、なぎさは少し上を見つめて「明日の」ほのかを想う、見事な対比。
 少々鼻につく決めゼリフを「私たちがずっとこのままなんて、ありえない」という言葉に換える事で新たな意味を与える巧みさ。
 初めて互いを名前で呼び合うラストシーン。
 見終わって、すっかりと気持ち良くされてしまった( ^_^ )。

 このレベルを維持できるなら、どうなるものかと思われた このシリーズも、「傑作!」に化けるだろうが…



『カレイドスター』49.「避けられない ものすごい 一騎打ち」

 「天使の技」は、結局 それ自体をきちんと見せるのではなく、『ガラスの仮面』調に、周囲で見ている観客がてんでに語る感嘆の文句で、その超常性を想像させる方法を使ったか。
 前回の「伝説の大技」が、重力を無視してしまう SF一歩手前のような内容だったので、エスカレートさせると「感動」よりは「爆笑」「ありえねぇ〜」といった反応だけを呼び起こして仕舞いかねず、それを避ける意味では正しい判断かも。

 シリーズのクライマックスを飾るにふさわしい、高い完成度の内容だった。



『超重神グラヴィオン・ツヴァイ』12.「創星機」

 あー、やっぱり主人公はサンドマンになってしまうのか。
 他のキャラクターを全て前座の立場に追いやり、前作主題歌の鳴り響く中、出撃・合体するゴッド・シグマ・グラヴィオン。
 グラントルーパー、フェイの危機を救う辺りは、ヒーローの貫禄。

 サンドマンに「選ばれなかった」事を、長く心の傷にしてきたフェイが、彼からの彼女を認める「強く、美しくなったな」という言葉に、癒されて行く。
 もうちょっと危機の盛り上げと、サンドマンが自らの命も省みずに彼女を救った、という風な持って行きようになっていると、更に感動的だったかな。
 彼を見送っての言葉も、「サンドマン…おじさま」よりは、いっその事「お父さん」ぐらいまで行っても良かったような。
その方が、彼女が求めて得られなかったモノの輪郭は よりハッキリするかと思うので。

 次回、最終回。
キレイに締めてくれる事を期待。



『機動戦士ガンダムSEED特別編・後編 虚空の戦場』

 2日間連続で放送された1時間枠スペシャルの総集編。
合わせて2時間では仕方ないが、砂漠の虎のエピソードまでしか放送されないのでは中途半端だなあ。
残りは、深夜の再放送を見ろって?

 無駄な所を切り落としてポンポン話が進んでいくので、見ていてストレスを感じる暇もない(話がブツ切れで初見の人には意味不明だろうけど、まあそれはいいや)。
『ふしぎの海のナディア』でも、後に発売された総集編ビデオで見ると、ダレた部分が全てカットされており、非常に見易くなっていた事を思い出す。

 アイシャの声が、ビビアンから平野文に変わっている。
 元の、何というか感情が無いような喋り方も それはそれで印象的だったのだが、普通に言えば聞き取り辛かったからなあ。
 平野文、声優のお仕事は久しぶり?
さすがに上手くて、声の変更だけでアイシャがグッと色っぽくなったような。



 江角マキコ 。
「年金がもらえなくなるって言ってたの、誰?」という高圧的なコマーシャルでだいぶ好感度を下げてしまったんじゃないかと思うが、自身年金を払っていなかった、という報道で、一気にオレ的好感度上昇(笑)。
 どうせなら、逆ギレして「年金が絶対もらえるって本当なの?いくら?それを誰が保証してくれんの?嘘だったらアンタ責任取る?」とコメントしてくれれば、国民爆笑で大喝采じゃないだろうか。
オレだけか?

 偉そうに、無責任に盤石の体勢を口にしながら、裏側にポッカリと馬鹿でかい穴を空けている間抜けさ、深刻な愚鈍さ。
 ここまでの顛末を含めて見ると、非常に良く年金の現状を分からせてくれる、優れたコマーシャルだったのかも知れない。


2004年3月22日 月曜日

 ファミリー劇場で放送していた映画『アリーテ姫』を見る。
 監督・脚本、片渕須直

 うーーーん、難しい。
いや、ストーリーそのものは特別難しい事もなく分かるのだが、それを通して描こうとしたテーマ…いや、テーマを描くためにあった映画と言っても良いと思う…その理解が難しい。
 正直、余り心に響いてくる物は、無かった。
とは言っても、いい加減に作られた作品だとは思えず、逆に非常に丁寧に作られている印象があるので、テーマの描き方、あるいはテーマそのものと、こちらの心の相性が(あるいは単にこちらの理解力が)悪かった、という事だろうか。
 もっとエンターテイメントな描写が多ければ、そこを楽しんで見る事は出来るんだけど、前述したように「テーマ」を最優先事項として作られた作品なので、無用で過剰な娯楽要素は最低限度までに抑えられており、辛い。
 ああ、やっぱりオレは、悪い意味で使われる事の多い「ハリウッド的エンターテイメント」をこそ、愛しているんだなあ。

 雑多な考え。
 「成長は喪失」「大人は愚か」「男は横暴」「結婚は墓場」…
そうした言葉ばかりが、見ている間 頭の中をグルグル回っていた。
 どうも、公式HPにある、「誰の手にも、思い描いたことを実現する力があるんだよ」ってメッセージは受け取り損ねたような…

 作画は高品質、背景美術も美しい。
違和感のないデジタル技術の使い方も、センスを感じさせてくれる。
 でも、それ以上の、心に残る「何か」にまでは成り得なかった…受け取りきれなかった作品。


2004年3月21日 日曜日

『特捜戦隊デカレンジャー』06.「グリーン・ミステリー」

 ジャッジメント・システムで、初めて「○」が出た。
どいつもこいつも面倒臭いから死刑、って訳じゃなく、意外に考えて判決を下してたんだなぁ(笑)。
 しかし、大雑把に「○」とだけしか裁定が出ていないのに、「取りあえず拘留」って現場の判断は、アリなの?
 死刑判決ならリアルタイムでポンポン出すけど、それより軽い罪状の確定は出来ない…宇宙人らしい考え方(?)が微笑ましい。

 一応は女性型エイリアンだし、人間体の時は割に可愛い顔立ちだったし、で、真犯人も情状酌量の余地アリ…かと思えばアッサリ死刑!それをまた、躊躇いもなく実行するデカレンジャー!
 スゲエよプロフェッショナルだよ、アンタら。



『仮面ライダー剣』09.

 ブレイドとカリスのバイク一騎打ちで、カードの効果を画面的に見せていたのは努力だと思ったが、ぶつかりあって互いに弾き飛ばされるだけ、というのが結末では駆け引きの面白味が薄いなあ。

 自分と一緒に仕事を辞めようと言う女医のお姉ちゃん。
だからー、橘がやってるのは既に「仕事」でも何でもないんだったら。
 無理に表現して「ボランティア」、悪くすると「趣味」とさえ言われかねないモノ。
 シリーズ当初の企画意図に沿おうとしているのかどうか、「仕事」という言葉をよく使うけど、それに少しでも説得力を持たせたいなら、早すぎる研究所(戦いを「仕事」にしてくれる場)崩壊は拙かったと思う。

 しかし女医、南の島に行ってサトウキビ作って…とかムチャを言うより先に、「もう、ライダーに変身しなければいいんじゃない?何の義務でもないんだし、他の人に代わってもらえば?しばらく私が養って上げるから、あなたは再就職先を探して…」とでも言えば良かったのに。
橘がライダーとして まるで役立たずなので、余計に。
 簡単な解決法を提示してしまった場合、それを説得力を持って拒否できる ようには、橘というキャラクターを描けていないのがネックになるか。
上記のように言われてしまった時の彼の反応は、「それもそうだな」か、「そんな問題じゃない!」と大声で叫ばせる事で誤魔化すか、ぐらいしかないだろう。

 ヒーロータイムを締める橘の一言、「次回も見てくれないと、俺の身体はボロボロだぁ!」には吹きだしてしまった。
 このぐらいの開き直りが本編にあると、グッと面白くなるかも知れない(壊れるかも知れないけど)。



 ファミリー劇場で放送していた『音響生命体ノイズマン』を見る。
 監督・森本晃司で、作画監督は、監督自身と湯浅政昭。

 15分程しかない内容だから、ではあろうけど、お話がよく分からない。
作中では、設定等の説明を、分かり辛い形でしかしていないし。
 ネット上にあった あらすじ紹介を読み、もう一度見る事で、ようやく概略を把握する事が出来たぐらい。

 でも、この作品は、物語の筋を追わせる事など どーでも良く、音楽に合わせた抜群のタイミングでの画面演出、動きまくる事で自分を表現するキャラクター、そういったものの力により、長目のプロモーションビデオ気分で見る者をリズムに乗せ気持ち良くさせるのが狙いなんだろう。
 そしてそれは、かなり高いレベルで実現できていると思う。
 ただ…個人的に、これだけ凄い才能を結集したのだから、内容の切り口によってはもっと単純に「面白い」と感じられる作品が出来たのではないか、と思え、残念にも感じてしまったけど。



『ヒットをねらえ!』02.「うそだー!」

 男子高校生が考えた原作を、ヒロイン戦隊という変化球気味のシリーズとはいえ、使う事なんて まずないと思うが…
 小説か漫画の形で発表したモノを手直しして、テレビシリーズにする事になったの?
 人気の高い原作があるのなら、その作者が高校生だ、と発表しても特にマイナス要因とはならず、かえって興味を持ってもらえるかも知れないぐらいでは?

 「高校生社長」「高校生レーサー」などと同じく、アニメだから許される世界観、という理解でいいのかな。
 いや、主役が「お子ちゃまプロデューサー」という以外は、デフォルメしつつも基本的には現実に沿った物語になるモノかと思っていたので。
 それよりは、フィクションとしてのドラマ性を上げる事を優先して行くのか。

 プロデューサーも原作者も承伏しかねるようだったが、見せられた、ボツになる方の「基本に忠実な戦隊」も、別に悪くないと思ってしまう。
 超ベテランライター上原正三…じゃなくて(笑)、高原進三の言う事も、納得できなくはない。
 そういう固定化したオールドタイプの考えを壊す事で、現行の戦隊やライダー・シリーズは成り立っている訳だけど。
制作者の作劇能力に不相応な「新しさ」を闇雲に追おうとして、グダグダになってしまった作品もまた、歴史には死屍累々、横たわっているからなあ。

 …ところで、現実のアニメ・『超変身コス∞プレイヤー』は、なかなかに取っつきの悪い作品に仕上がっていたと思うが、上手くそれでも視聴者に納得してもらえるように、この先の物語を運んでいく事は出来るんだろうか?



 いかりや長介さんが、亡くなった。

 直撃のドリフターズ『8時だヨ!全員集合』世代だったので、ショックはかなり大きい。
 小学生の頃はドリフのコントが好きで好きで、毎週番組を見ては笑い転げていたモノ。
 最近では、コメディアンと言うよりも味のある役者と化しており、『踊る大捜査線』の劇中でも言われていたように「日本のモーガン・フリーマン」的な位置に居たのではないかと思う。

 自分が余りにも小さい頃から、テレビで継続的にドリフ見続けてきたため、「実家の隣に住んでいるオジサン」などよりも、よっぽど親しい人間のように感じていた。
 元ドリフの荒井注さんが既に亡くなっており、こうして いかりや長介さんまで亡くなる事で、もう伝説のグループが「全員集合」する事はないのだ、と思うと、寂しい。

 たくさんの笑いと感動、豊かな時間を、ありがとうございました。
 心よりご冥福をお祈り致します。


2004年3月20日 土曜日

『マリア様がみてる』11.「白き花びら」

 聖と栞の、百合で激しい恋の顛末記。
この作品は、そういう気分を匂わせつつも本格的に深くは踏み込まないスタンスを守るのではないか、と勝手に思い込んでいたもので、ちょっと驚いてみたり。

 聖はレギュラーキャラクターであり、その背景となる過去のエピソードに対して視聴者が興味を持っており、どんな事でも知りたいと思っている、という需要部分を除いて見ると、さほど目新しい訳でも意表を突かれる訳でもない、特に恋愛中の二人が「男女」であったなら、よくある話、と言ってもいい内容だったと思う。
 それを、細やかな心情描写と…
温室での、栞が雨に濡れた黒髪を体の前に持ってきてタオルで拭く艶っぽい動作と、聖の肩に頭をもたせかける無防備な様、聖による「なぜ私たちは、別々の個体に生まれてしまったんだろう」という恋愛感情の頂点にある者だけが発する切ない問いかけに続く、栞と自分の髪を編み混ぜ、指先を絡め合う動作で表す「一つになりたい」聖の想い…これら驚くほど繊細で表現力豊かな、演出と作画で支えきって見せてくれた。

 失意の聖を、スールの姉と友達が受け入れてくれる暖かさと、自分と同じような経験をした大先輩が、かつての思い人と再会する事に仮託して遠い未来への「希望」にも する、上手くて後味の良いエピソードの終わり方だった。



『ポポロクロイス』24.「さよならの冒険」

 シリアスさの度合いを増していく戦い。
 ルナを害する者に変わってしまうよりは、と、自ら死を選ぶ ばあや。
 敵になってしまった事を嘆き悲しみ、しかし どうしようもないルナの城の者達を、風の刃の一閃で「解放」して上げるピノン。
 その行動を責めてしまうルナに対し、ただ背中を向けて涙を流すだけで、言い訳ようとしないピノンが「男の子」で潔く、もらい泣きホロリ。
 「ピノンさんは、海の妖精族の…あなたの苦しみを、半分背負ってくれたのよ」というルナ母のセリフが素晴らしい。

 シンドイ戦いを「シンドイ戦い」として描く事から逃げず、その先に辿り着く場所を見据えているようで、鬱ながらも見ていて嫌な感じはしない。
 「戦う事の責任」については、このように「腰を据えて きちんと描く」か、「描かない」かの、どちらかしかないと思う。



『ASTRO BOY 鉄腕アトム』48.「明日への旅立ち」

 青臭いとも浅いとも子供っぽいとも言って、ここしばらくの内容を笑う事は出来ると思う。
 しかし、この難しいテーマに対し、真っ正面から斬り込んで最後まで描ききった(まだ完結はしていないが)、その情熱と真摯さには胸を打たれてしまう。
現実の世界情勢に通じた憎しみの連鎖を、断ち切ろうとするアトムの叫びは、深く重く、辛い。

 天馬博士…少々情けない事になってしまったなあ(笑)。
もうあと一つ二つ仕掛けを考えていて、所詮ロボットの浅知恵では私に勝てない!とか大見得を切ってくれるモノと期待したのに。

 ロボタニア、宇宙へと飛んで行く、というラストは…どうだったのか?
憎しみを捨てきれない、すぐには仲良くなどなれない者同士でも、何とか折り合いを付けて同じ星に生きて行かなければならない「現実」を描いて欲しかった、と思ってしまう。
スッキリ解決しすぎ、というか。
 結局 分かり合えない「現実」を描いた、とも取れるけど。
 それで、ロボットの方が身を引いてくれる辺り、彼らの方が「親」である人間よりも遙かに「大人」なんだなあ。



 うわー、『GUNGRAVE』録画失敗してたぁぁぁ!
クライマックスなのにぃぃぃ!



『なるたる』13.「未来の子ども達へ贈る」

 学校の教室に乱入してきた殺人鬼(文字通り)が、イジメをやっていた訳で良い子じゃないとは言え肉体的には弱い子供達を虐殺するなど、限界ギリギリというか乗り越えている描写を、アニメーションにして見せてくれたスタッフの思い切りと度胸と無謀さと覚悟は、凄い。
さすがに、以前の回では一部残酷なイジメ描写がカットされる事態も起きていたようだが。
 原作の面白さに大きく依るんだろうけど、引き付けられる凄絶な話で、見入ってしまう事の多いアニメだった。
物語の面白さがあれば、演出・作画の弱さをカバーする事も不可能ではないのだ…と分からせてくれる作品でもあったかな。
 まるで未完に終わってしまったのは残念。
続きは、原作を読めって?



『光と水のダフネ』09.「オレだけに明日はない」

 今時、「病院で医師が話している関係ない言葉を死の宣告と勘違い、そこからドタバタが始まる」なんていう古き良き時代のパターンに乗せたお話を見るとは、思わなかった。
しかも、「今、やる」意味を考えた痕跡が「無い」のもスゲエ。
 でも、何というか、一周回って逆に面白くなってしまってる部分も、アリ( ^_^ )。


2004年3月19日 金曜日

『仮面ライダー剣』08.

 剣崎、「俺は今、無性に腹が立っている!」…って、『巨人の星』星 飛雄馬の「俺は今、猛烈に感動している!」かい!
 感情を分かり易くしたい意図があるのか単にシナリオが下手なのか、やたらキャラが自分の気持ちを言葉に出して説明してくれる作品だなあ。
いや、「ココにもう一言あれば愕然と分かり易くなるのに」って所からは、言葉を抜いて(忘れて?)あるんだけど。
 今回後半での始の、「俺は今、無性に戦いたい!」というセリフは、剣崎のと対になって意味を持つ構成なのかな…でも余り上手く行ってない気が。

 ギリギリで爆弾を喫茶店外に投げ捨て、事なきを得た始。
…それはまあいいとしても、衝撃で割れた窓ガラスが散乱する店内において、調査にやってきた警官を相手に「いえ、別に(何の異常にも気が付きませんでした)」はナイだろお母はん。
 白々しいにもホドがあるっちゅーねん(笑)。
「急に大きな音がして、窓ガラスが割れちゃったんですが、何かの事件なんですか?」とでも逆に聞き返せば良いようなもんだ。

 せっかく橘、所長を含む旧研究所関係者が顔を揃えたというのに、語られる事は「これまでのまとめ」なの?
 研究所はどこからの出資によって成り立っていたのかとか、再建は無理なのか、ライダーシステムはもっと作れないのか、変身する人間を他の人に変えてもらう訳にはいかないのか、政府・警察など国家機関に詳細を説明して助けを求めるべきではないか、どうしても自分たちが戦い続けなければならないのなら せめて給料だけでも払ってくれ!( ^_^ )…などなど、他に聞きたい事言いたい事など色々ある気がする。

 設定の確認しかしない所長には皆、余り興味がないらしく、まだ話の途中だというのに虎太郎を除く3人は次々と部屋を出て行ってしまう。
 関係者勢揃いのこのシーンは、もっとずーっとワクワクさせて欲しかったな。
 「所長の価値の無さ」が、「所長が作り上げたライダーシステムの価値の薄さ」にも繋がっていないだろうか。

 主人公の「戦う理由」、希薄だなあ。
平成ライダーは皆、薄いと言えば薄いんだけど。
 開幕当初は「給料もらってるから仕方なく戦う」をでも動機にすれば、職務の途中に生まれてくる ライダーである事へのプライドや しがらみ、背負った過去からの呪縛によって、後半はどうにでも引っ張れたろうに。



『R.O.D -THE TV-』20.「悲しみよこんにちは」

 終わりだ、終わりなんだ、地上波での放送は これで最終回。
むー、しかし全然 終わってないじゃないか、本当の最終回までには後6話も残しているんだから当たり前だけど。

 読子だけではなく、アニタも家に残していったのは、ジュニアの意図的選択行動?
ミラーマンだって なかなかの強敵な訳で(画面的には、紙使いの能力をロクに知らない間抜けだったが)、そこに残す事で彼女が どんな目に遭わされるかは分からなかったはずだけど、ヘリで連れ去るよりは…という事なのかな?
 彼と姉二人らを乗せたヘリは、アニタの目の前で爆散。
…だけど、その前にジュニアがパイロットに銃を突きつけているシーンがあった訳で、事前に全員をどこかに降ろしているなど何らかの対策を講じた後であり、搭乗者が死んでない事は明か。

 ねねねと姉たちを救出するため、過去の経緯は忘れて(というか、アニタは本当に忘れてるんだけど)手を取り合う二人。
 バディ・パターンの始まりか…と思いきや、すぐさまコンビ解消。
もうちょっと深い和解や葛藤を設けて、良かったような。
 意外に近かったのだかどうだか、かつて自分が通っていた学校に姿を現すアニタ。
 だが、かつての親友は彼女を、まるで初めて見る人間のように扱う…
 そして、瓦礫の山と化した神保町を目の当たりにした読子は…

 で、終わりか。
ゲームの、壮絶なバッドエンドを見せられたような気分。
 正直、香港崩壊までと それ以降とでは、視聴テンションが段違いにはなっていた。
 詰めの甘さ、緩さを大いに残す鬱展開。
視聴者の心を最も離してしまい易い「ダレ場」を、残念な所が散見される作画で彩る。
息抜きをさせる学校での日常も、爽快なアクションもナシ。
 それでは、テンションが落ちるのも やむを得ないだろう。

 しかしそれでも、「魅力的なキャラクター達が辿る軌跡を、最後まで見届けたい!」と強く思わせてくれるシリーズであったのは確か。
 テレビ放送が こんな所で終わる形になってしまったのは、残念でならない。
 いずれソフト化されたモノを見て最終回まで補完するとしても、「間」が空いてしまう事で余計に、作品に対するテンションが下降してしまうのは避けられないだろう。

 …とにかく、最後まで見ていない以上、全体としては何とも言い様がないな。
 いずれ、何らかの形で残りの話数が見られるようになったなら、続きの感想を書きたいと思う。



 とりあえず、お仕事、一段落。
まだ、単行本作業その他 色々とあるけれども。

 ええと、6月末に富士美出版様から、連作『HA-HA』と『HA-HA-HA』をまとめた単行本を出して頂けるそうです。
発売が近づいてきましたら、また宣伝したいと思っておりますです。


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