ときどき日記 04/09

2004年9月30日 木曜日

『ギャラクシーエンジェル4th』25.「のぞみかなえたまごとじ」最終話.「オールオッケーロケ弁当」

 前半。
 願いを叶えるたび、書いた人間がやせ衰えていく、というロストテクノロジーのノート。
そのデメリットを克服しようと、やたらパクパクものを食べながら、ロクでもない願い事を書いていく ちとせの姿は、ちょっと おかしかった。
 …が、まあ大体 予想通りに展開する話で、膨らんでいく ちとせはブラックホールになるんじゃないか、という読みも その通りに。
惑星規模の ちとせは、『エヴァ』劇場版かな?
 巨大化を続け、宇宙のあらゆるモノを飲み込んで 一人ぼっちになってしまった ちとせは、自分の体に出来たブラックホールに自ら身を投げて死んでしまいました、と、落語「頭山」オチで来るかと思ったんだけど、コレは違った。

 後半。
 日常描写がなかなか良くて、田舎の親が わざわざ送ってきた どこででも買える缶詰に、呆れるやら迷惑やら嬉しいやら入り交じった溜息を漏らすミント、フォルテと蘭花が飲んでいる屋台に 近所だからと顔を出し、自分は酒を飲まず付き合い、「ちくわぶ」を「ちくわ」と間違える ちとせ、なんて、実にどーでも良く、それ故に風景としてリアル。
 ネタとしては、「自分たちは偽物だと信じている本物」というのは色々と転がせそうだったのに、割に淡泊な扱いで勿体ない。
前後編でも良かったぐらいかと。
 昔の押井 守だったら「本物だと思ったが、戦いの場に出ると何も出来ず、やっぱり偽物に過ぎないのではないかと疑う」「でもやっぱり様々考え合わせると本物」という所から、「偽物か本物か悩んでいるウチに、自分たちの存在その物があやふやになってくる」「というか、このアニメを最終回まで見てきたお前ら視聴者は本当にテレビの前に居るのか?」辺りまで広げてくるだろう(笑)。
 まあしかし、何故か卓球での決戦、ミントの馬鹿行動による反則負けの結末など、グダグダのグズグズ加減が今期の『ギャラクシーエンジェル』そのものを象徴しているようでもあり、それはそれで良いかな。

 全体に。
 もう、どう考えてもネタをやり尽くし、キャラクターも消費し終わった作品だと考え、シリーズ開始前には駄作の連続を予想していたが、そこそこ面白い話もあり、頑張った内容になっていたのではないかと思う。
 凄いよ、スタッフ。
仮に「中の一本、シナリオを書け」という依頼を頂いたとしても、自分には手も足も出なかったろうから。
 でも、この辺で本当に限界。
 もしか次のシリーズが出来て、それもまた今期ぐらいのレベルを維持できたなら、それはもうビックリするぐらいの凄さだが…一応、公式に終わりらしいので。
それだけの労力と才能を つぎ込むのなら、新しい作品を立ち上げた方が実り多いだろう。



『鉄人28号』最終話.「罪と罰」

 戦争の闇の部分を鋭く見つめた作品に…なっていたかというと、そうでもないように思う。
『エヴァンゲリオン』が「謎」を、『ガンダム』が「戦時下」をモチーフ、というか「味」にしていたように、新作『鉄人』を他の作品と差別化するために使われた味付けが、「戦後」だった、というぐらいの扱いだろう。

 それにしても…
鉄人に「戦争」の影を背負わせるには、余りにも影が薄く、弱い存在であったように思える。
空飛ぶユンボ、ぐらいの存在感しか主張しない話も多かった。
 せめて、バギュームを取り込んでからの大活躍がカタルシス(裏腹の恐怖も)に溢れたものであれば印象は変わったのだろうが…
強くなった扱いはされていたようだけども、画面から それを感じ取れるシーンは少なく。
 製作状況的に、相当 厳しい戦いを強いられていた事は聞き及んでいるため、余り厳しく、無い物ねだりをしても仕方ない、とは思いつつ。

 結局、戦争の恐ろしさ・身勝手さ・狂気、そういうものを体現していたのは、割と冗談抜きで敷島博士だったのではないか。
鉄人を溶かすよりも、博士に決着を付けた方が「戦争」の時代にピリオドを打つ事になったろう、と思える。
 結局のうのうと生き残っちゃったけどね、博士。
その辺の不徹底さも、「キャラクター主体アニメ」としては ともかく、「戦争」を中心に考えた場合には物足りなさを感じさせてしまう要因。

 とはいえ、毎週 楽しんで見るに十分すぎる程、頑張った作品であったのは確か。
 誰もが苦しんだ「戦後」の物語で、最後に勝ったのは、村雨に逃げられ( ^_^ )ても めげず、いい男を捕まえて良い子を沢山 産む!と宣言して見せた高見沢嬢だったのかも知れない。
彼女が、そして彼女が世に送り出したのであろう子供達が、日本を「戦後」から押し上げていく原動力になったはずだから。
 …その子達が築き上げた事になる現代日本を見て、ビッグファイア博士は どう思うか知らないが。
いや、きっと あの世界では、世界中から尊敬される日本国へと成長しているんだろう。

 ブラックオックス辺りのエピソードなどで見られた高いレベルの作画、アレを駆使して、鉄人が胸のすく大活躍をしてくれる番外編を見てみたいな。
 風の噂に聞く、「劇場版」が現実になるなら、是非。


2004年9月29日 水曜日

『ウルトラQ〜dark fantasy〜』最終話.「虚無の扉」

 懐かしいなあケムール人。
とは言っても、さすがにオリジナルをリアルタイムで見ていた世代ではなく、大学生の頃 夜中に再放送されていた時のが、スチルなどでなく動いている姿を見た初めてだったような気がする。
インパクトのある姿と、不気味な雰囲気は、強く心に残った。

 今回のリメイク(?)は。
第二東京タワーでの間の抜けたクライマックスや、『ウルトラセブン』「狙われた街」に似たエンディング・ナレーションの皮肉など、工夫の跡はあったと思うが、特に どうこう言う話ではない。

 全体に。
 割と面白かったのは、1話「踊るガラゴン」、8話「ウニトローダの恩返し」、15話「光る船」、17話「小町」、22話「カネゴンヌの光る径」、23話「右365度の世界」という所。
あと、実相寺監督2作は、好みによるかな。個人的にはどちらも眠くなってしまった。
 振り返ってみれば、全26話中6本、それだけ面白い話があれば上等じゃないか、と思わないでもないが、ダメな回の つまらなさが酷くて、シリーズとしての印象を落としてしまっている。
 上記6話を含み全12話にしておけば、ヒット率はもっと高くなったのにな。

 一話読み切り、ショートショートとして面白いネタなら、『世にも奇妙な』など他のテレビドラマでも、漫画原作でも自作小説でも、どこででも使える。
失礼だけど、良いネタを持つ人間は、製作予算が安いらしい この番組で使わず、もっと有利な場所で発表したいと考えるのが普通。
 『ウルトラQ』のようにアイディア主体の作品では、脚本に力を入れる(入れられる環境を整える)事が不可欠だったと思う。
 面白いアイディアを出してくれそうな脚本家を選ぶ事も、勿論 必要。
 ……などと、言っても仕方ないけど。



『ニニンがシノブ伝』最終話.「音速丸の秘密の巻」「さらば ニニンがシノブ伝の巻」

 ギャグのヒット率、最近のアニメとしては高い方だったかと。
 また、女の子達が可愛いので、笑いが取れていない時でも「萌え」成分で視聴者に不満を感じさせないズルい構成にしてあり、上手い。
『ギャラクシーエンジェル』辺りだと、キャラの毒々具合がキツ過ぎ、「萌え」は弱くなってしまってるからなあ。

 OPからすると、「黒シノブ」というようなキャラが登場し、ラスト近くは比較的シビアな展開を見せるんじゃないか、と思っていたが、何も無し。
でも、『シノブ伝』は、コレで良いと思うな。
 今回は、「第一回と最終回以外 勝負捨ててるアニメ」と、『銀英伝』「イゼルローンは陽動、本体はフェザーン…」ネタを若本・ロイエンタール・規夫声で言わせる、壮絶に楽屋オチな所で笑ってしまった。
 幾重にも重ねた終わり方もだが、ほのぼのとした感動を混ぜてくる再会シーンは、素直に心地良い。

 プニプニの可愛らしい女の子達が来週から見られなくなるのは、寂しい。
 「ダメ」な部分が無く、何も考えず気楽に見られて、楽しかった。


2004年9月28日 火曜日

『マリア様が見てる・春』最終話.「パラソルをさして」

 祥子の行動が変だった原因、判明。
うーん、まあ妥当な所では あるんだろうけど、やっぱり一言 祐巳に話せばそれで済んだような。
 「辛いから話したくない」「祐巳に弱い自分を見せたくない」という気持ちもあろうけど、それで関係を失ってしまっては元も子も。
 いかに大人っぽく見えようとも祥子は まだ十代の少女であり、他者の気持ちにまで十分に配慮した行動ばかり取れるとは限らない、って事?
 祥子・祐巳の関係を、遙か先輩である老女二人の関係と重ね合わせる部分など、上手い!と思わせる所があるし、未熟だった祐巳の心の成長(開き直り?)は描けているが……
やっぱり、「そんな事を三週間も引いていたのか」とは思ってしまう。

 全体に。
 地味ながら華麗で、それぞれ女の子の魅力だけで作品を引っ張っていく、キャラクターのパワーに溢れた作品だった。
特に、悪ノリが感じられて楽しい予告編が見られなくなるのは、残念。
 好評であったなら、第三シリーズもアリだろうか。


2004年9月27日 月曜日

『蒼穹のファフナー』12.「不在〜あせり〜」

 脚本に、文芸統括の冲方 丁先生を加えた初のお話。
…という先入観があるからなのかどうか、これまで酷く不満だった所にチョコチョコとフォローが入る、見易い内容になっていた。

 ファフナーの新規パイロットに選ばれた二人が、まず考えた事は、「ナンパに使える!」と「大ファンである漫画『ゴーバイン』の主人公みたいになれる(なる)」…という、マンガみたいな事。
これまでにクラスメートが死んだり再起不能になったりしている現状をどう捉えているのか?とか相変わらず不思議に思う所もあるけど、深刻に落ち込んで悩むばかりがリアルだという訳でもなし、こういうライトなリアリティーも、アリだろう。
 何しろ、息子が出撃したら もう帰って来られないかも知れない状況下で父親は、「息子のためにしてやれることはマンガを描くことだと思い、苦しみながらも原稿を進める(テレ東HPあらすじより)」のだから(笑)。

 しかし、漫画の扱いは変わらないのね。
ファフナー関係の仕事も忙しくこなしている親父が、家に帰って寝るまでの そう長くはないだろう時間内で、チョチョイと描けるモノでは ないんだけどな。
 適当に描けるページ数だけ描いて、出来たら編集代わりのバーサンに転送、そのまま印刷部送りで漫画雑誌の一丁上がり…って、編集の仕事も舐めてないか?
作家が勝手に描いたものを入稿するだけで良いなら、バイク便と写植屋さんだけ居れば、編集者など必要ない事になる。
 冲方先生、「小説」が こんな扱いされたら どんなお気持ちだろう?
 いや、別に真面目に怒ってる訳じゃなくて、楽しく突っ込みつつ見てるんだけど( ^_^ )。
 親父、意に染まぬ「戦意高揚漫画」など描く事を強要されて苦しんだり、親父が死んで連載強制終了、あるいは息子が戦死して親父が描き続けるモチベーションを失う、などという「遊び」が入る余地はあるのだろうか?

 長距離攻撃フェストゥムに対して立てられる、悪ノリの いい加減な、しかし意外にも的確だった作戦。
 ……総士、要らないじゃないか。
実際、彼は今回も自身で的確な作戦立案を出来なかった訳で。
 それなのに逆ギレしてパイロットを営巣送りとは、実にみっともない限り。

 ファフナーに乗ると精神面で影響がある、それが出ないのは一騎のみ。
…という話だが、搭乗前から仮面を被って高揚した状態にあり、搭乗後も同様のテンション、降りてからだって仮面を取るまでは ずっと同じ精神状態を保ち続けた衛もまた、特別な存在ではないのか?
 「俺はゴーバインだ!」というような強力な自己暗示下(本来の自分を隠して仮面を付ける行為は、「自己否定」に当たる?)にある場合は、ファフナーからの影響を受けないで済むとか?
単純に「馬鹿には勝てん」と取るべきか。

 グジグジした一騎がおらず、軽い三人組がメインの戦闘話だったせいもあり、楽しく見られる内容に出来ていた。
しかし、『Gガンダム』ライクな「シャイニング・フィンガー」は やりすぎ(笑)。
 一騎、要らないなあ。
ホモで役立たずの総士も要らない。まあこちらは、「無能で根性悪、現場パイロットの足を引っ張る上官」というような扱いで残しても構うまいが。

 冲方先生の参加が今後も良い方向に働き、ぐんぐんと面白くなってくれる事を期待。



『DearS』最終話.「…しかも熱かった」

 無難な出来の「萌え」アニメとして、無難な内容の最終回。
ヒロインに自発的な行動を促す「感情」が無いため、主人公の少年が一人で二人分の葛藤を背負い込む形になり、キャラクター的には かなり無理が出てしまっていた。

 メインヒロインよりはサブキャラの方が魅力的で、特にミゥの内面については もっと彫り込んでもらいたかった。
彼女が暮らしている家庭で、「自分は必要とされていない」と感じて溜まっていたフラストレーションが、「奴隷でなく『家族』として受け入れられ大事にされる余り、何もさせてもらえなかったのだ」と気が付く瞬間に一気に解消するカタルシスは、このキャラクター最大の見せ場になるはずだったのだが…うーん、地味。
もっと、感情の大爆発を見せて欲しかった所。
 健気な「ふられ役」の寧々子も、可愛いくて結構。

 原作はまだ続いているのだろうけど、アニメ、ここで終わると、「ひたすら奴隷になりたがっていたヒロインを、ようやく主人公が『俺の奴隷だ!』と認める所で終わり」、という、何というか女性視聴者からはハハンと笑われそうな最終回になってしまう。
 いや、そういうのも確かに男性の偽り無い「夢」の一つではあろうから、テレずに それを満たす事だけを第一義に考える作品の作り方も、アリだとは思うが。
 ただまあ、「えっち漫画」の領域に近い作りだよね。



『美少女戦士セーラームーン』最終話.

 んーーー、ピンと来ない終わり方。
かといって、ベリルと血まみれの死闘を繰り広げるクライマックスなら良かったのかというと、「少女向け」という方向性から言えば、それも違うだろうが。

 どう考えても「イロモノ」になるしかない「実写版セーラームーン」という無茶な題材に、真正面から大真面目に挑み、子供からイイ歳のオッサンまで楽しませられる作品に仕上げて見せてくれたスタッフには、ただ拍手。
 お疲れ様でした。


2004年9月26日 日曜日

 映画の『バイオハザード2』を見た余波で、ゲームの方も新作を やりたくなってしまい、『バイオハザード アウトブレイク2』を購入。
ネットには繋がない状態で最初の方だけやってみたけど…ううーーん、期待していたのと違うなあ。
 シナリオがブツ切れで一本ずつが非常に短く、ストーリー性が弱い。
通信で、多人数でプレイし、1時間程でサッと止めるには この方が都合が良いんだろうけど、一人でやっていると、コインをあと3枚集めろ、コレを持ってあそこへ行ってまた帰って来い、という「お使い」の匂いばかり強く感じてしまう。
 銃弾は有限なのに、一度倒したモンスターが何度でも復活してくるのはストレス。
 アイテムを浪費したりして、足手まといとしか思えない「仲間」の存在も嬉しくない。
彼ら彼女らが余りにも馬鹿馬鹿しい行動を取るため(巨大ワニがいる池でいつまでも泳いでいたり)、緊張感や恐怖感が無用に薄くなってしまっているのも、どうか。
 いや、そんなに酷く悪い訳ではないと思うんだけど、最近ほとんどゲームを やらなくなってしまったせいか、いかにも「ゲーム」的な お約束に昔ほど すんなりとは馴染めなくなっていて。

 …という状態で、「ファミ通カプコン」という雑誌に付いていた『バイオハザード4』の体験版もプレイ。
 情報として知ってはいたけど…
本当に、ザコ敵がゾンビじゃないんだねえ。
狂った村人が、敵。
 そうは言っても、村人に主人公(自分)は容赦なく拳銃弾を叩き込むのだし、物陰に潜んで こちらが寄ってくるのを いつまでも待っていたりと、行動形態は村人でもゾンビでも変わらない。
これなら、ちょっとばかり知恵が付いたゾンビ、で構わなかったような。
 カメラが固定式でなく移動できるようになり、3D酔いを心配したが、体験版の短い時間なら平気だった。
長時間になると、分からないけど…
 アクション。
自動照準が無くなり、レーザーポインタを自力で合わせて射撃する形式に。
ぬるいゲーマーとしては やっぱり自動照準が欲しい気はするが、鈍い自分でも何とか体験版を終えられたのだから、難易度が酷く上がった訳ではない。
 雰囲気としては、ホラーというより『メタルギア・ソリッド』に近い。
緊張感があるけど、怖くはないから。
これまでも、シリーズを重ねる毎に怖さが減っていってたのは事実で、それなら いっその事 最初から違う方向を目指して作る、という姿勢もアリかな。
ただ、それを「バイオハザード」と名うつ必然性は弱いと思うが。

 危惧した程つまらなくはなく、結構 遊べるゲームに仕上がっている。
これなら、発売されたら買ってもイイや。



『月は東に日は西に』11.「時空を超えて」
 学園ラブコメとして、それなりに楽しく見てきたが…
突然SFになった事に、驚く。
 空から少女が降ってきたりと、それっぽい所も無くはなかったけど、それはここまで ほとんど忘れられたような扱いになっており、本筋とは関係ないのかと思ってた。
 原作ゲームは、この真実を中核に据えて構成されているのだろうが、アニメ版では あっても無くても良い要素なので、いっそ無しにして学園ラブコメとして完結させる選択もあり得たのでは?
伏線らしい伏線も引いていない事からすると、アニメスタッフも扱いかねていた設定なのかなあ、と思える。

『Wind -a breath of heart-』11.「古からの運命」
 これも、一気にネタばらし。
…そして、これまた隠された真実に納得がいかないのは同じ。
地味な学園恋愛ストーリーとしては悪くない内容だっただけに、残念。
 意外な正体とか意表を突く真実とか、それ自体を考え出すのは そんなに難しい事じゃない。
難しいのは、それを客に「納得してもらう」事。
そのためには、周到に伏線を引き、準備をしておく事が絶対条件。
 原作ゲームがあったのだから、「脚本家が途中で突然思いついた設定」であるはずもなく、シリーズ序盤から準備を整える余裕は十分にあったはずなのに……この二作とも、納得させる謎解きには失敗している。
 30分内に2本立ての枠で、同じ週に両方共が同じように真相の解説を始める、この構成も余り宜しくない。


2004年9月25日 土曜日

『絢爛舞踏祭 ザ・マーズ・デイブレイク』最終話.「火星の夜明け! マーズ・デイブレイク」

 前回の凄い盛り上がりぶりからすると、「ごく順当な最終回」という印象。
キャラ達は これまで描かれてきたラインに沿って、特に不満のない行動を取り、ほとんどの事物に決着を付け終わっており、嫌な後味など何も残しておらず、これ以上を望むのは酷かなあ、とは思うんだけど…
 せっかく「海賊」なんだから、もっと無茶苦茶する所を見たかった、というのが贅沢な希望。
『銀河乞食軍団』的なモノを期待していたので。
 「過剰」「やりすぎ」「馬鹿じゃないの?( ^_^ )」そんな要素がもうちょっと、欲しかった。

 シリーズ中には面白い話も多く、キャラクターに対する製作者の愛情が感じられる、良く出来た作品と言える。
 放送開始当初、ロボットの扱いが軽いと思っていたが…それはこの最終回、何となく愛機を乗り捨ててしまう主人公からも、一貫している。
実際の所、どこも「ロボットアニメ」じゃ無かったからね。



 迷惑メール。

> あの...な んかメール来てたんだけど
>
> 一応返信して見ましたけど誰ですか?前に使ってたチャットの人ですか(・・?
>
*************************************************************************
> 坂本 奈津美
> HN:なちゅ(∂∇<)/

 このぐらい あっさりしている方が、かえって引っかかりやすいのかも。
 名前で検索すると、まだこのメールが送られた件数は少ない模様。
あるいは、面白味のない文面なので黙殺されているか。
 しかし、その検索で出てきたこちらのスレッドを見ると、迷惑メールの種類って、驚く程 多いのね。
 うちに送られてくる限りのメールを晒そうかと思っていたけど、キリがないみたいだから、この辺に。


2004年9月24日 金曜日

『サムライチャンプルー』最終話.「酔生夢死・ふた夢」

 本来 想定されていた終着点まで行き着けない、放送打ち切りの最終回。
監督の前作『カウボーイ・ビバップ』も、地上波では同様の終わり方だったなあ。
また、衛星放送などで完結する事になるのだろうか?

 今回の内容は、何も終わってないものの、これはこれで最終回として納得できなくもない最後では、ある。
 元々、シリーズとしての目的が希薄な作品だったから。
フウが探している「ヒマワリの匂いがする侍」というのが「目的」ではあったんだろうけど、作中では それを特に大事なモノとして描いておらず、旅を継続させる弱い動機付け、程度の扱いに留まっている。
だから、結局その侍に会えなかった事も心残りにならず、尻切れな印象を残さない。
 それは本来、全体の構成として拙い事なんだけど、このシリーズでは、「各話のバラエティー度合いを一切縛らない」方向に機能している。
製作者に「力」がある限り、マイナス要因をプラスに変える事さえ可能なんだなあ。

 『カウボーイ・ビバップ』の最終回、そして劇場版を経た後なので、もうちょっと突っ張った、尖った作品になるかと思っていたが、いい具合に力の抜けた娯楽アニメに なっていた。
 取っつき辛いキャラクターであったムゲンやジンに、ようやく馴染んできた所なので、ここで終わるのは残念。
 でもまあ、この監督だと割に平気でレギュラーから死者を出したり、虚しいエンディングに しそうだからなあ。
何も残らない・残さない事をも「良し」とする娯楽作品としては、悪くない終わり方だったかと。
 いや、いずれ意図された通りの最終回まで見てみたい、とは思うんだけど。


2004年9月23日 木曜日

『鉄人28号』25.「黒部の危機」

 うかうかと帰ってきてしまった敷島博士。
…結局、博士が二役演じ分けていたり、乱暴狼藉を働いたりしていたのは、「自分が起こした騒動によって起きる、正太郎らのリアクションを見てるのが楽しかったから」ってのが一番の理由なんじゃないかと。
 マッド・サイエンティストというより、単にマッド。

 博士が強烈すぎて、「戦争の悲劇」というより、「敷島に関わってしまった人間達の悲劇」を描いたシリーズのように思えてしまう。
いや、良かれと本人は思ったんだろうけど結果的には最悪に近い選択をし、理不尽なマネをして関係者を不幸に巻き込み、甚大な被害を残す、って意味では、「敷島=戦争」と言えるのかも知れない。
とてもじゃないが一般市民の手には負えない所も(笑)。
 まあ、そういう敷島を、「何気なくクロロホルムが死んでる」とかいう事実も気にせず大歓迎する正太郎その他も相当なモノだから、似たもの同士かな。



『忘却の旋律』最終話.「それでも旅立つ君の朝」

 実に「問題作」な終わり方で、納得。
物語としては あんまり納得できない部分が多いんだけど、そのモヤモヤも含めて、このアニメらしい終わり方だったと思う。
 小夜子は結局 死んだのか生きているのか。
バイオコンチェルトとボッカのパワーのお陰で現実に命長らえたのか、実体は死んでおり、ラストに現れたのはモンスター・キングが したのと同じように、「自分と共に居て欲しい幻」としての存在になのか。

 …とか、疑問があったり解釈を巡って意見が分かれたりするだろうが、視聴者を「疑問を持ち、解釈に迷う」状態にさせる事をも目的として来た作品なので、考えに考え抜いて何らかの結論に達してもイイし、「エロ妄想爆発のワケ分からんアニメだった」で終わりにしても良いだろう。
 心象風景か、何かの例えとして見せられているのだと思っていた美少女巨乳牛牧場が、作品世界に「実際」あった事には驚く。
ネタだとばかり…本当、最後まで油断のならない作品だなあ。

 テーマとしては、まとめると「色々あるけど、まあ頑張って生きていこうや」って感じ?まとめすぎ?(笑)
不思議と爽やかな後味が残るエンディングだった。
 十代とか二十代初めの、まだまだ人生これから!という人と、イイ歳になって社会との軋轢に疲れたり諦めたりが増えてきた人とでは、かなり違って見える作品かも知れない。
5年とか10年経って、また見返してみると、違った視点が生まれて面白いかも。



 映画『バイオハザード』、シリーズ3作目が製作されそう、という事。
日米 共に初登場トップの好成績だったからなあ。
 流れからすると3作目は、ゾンビの扱いが凄く軽くなった「『マトリックス』風 やりすぎアクション映画」に なりそうな予感。
それはそれで、面白ければオッケーだが。


2004年9月22日 水曜日

 映画『バイオハザード2 アポカリプス』を見る。
 1作目の監督ポール・S・W・アンダーソンは、『エイリアンVSプレデター』を手掛けるため今回は製作・脚本に留まり、『ブラックホーク・ダウン』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などで撮影と助監督を務めてきたアレクサンダー・ウィットが、新たに監督に就任。
 主演は前作と同じくミラ・ジョヴォヴィッチ。

 いやあ、面白い。
原作ゲームの大ファンとしては、十分に満足のいく出来。
 前作も後半はかなりその傾向にあったが、今作はもう最初の方から「ホラー」色は薄く、完全な「対モンスター・バトルアクション映画」になっている。
もう全然、怖くは ない。
でもまあ、ゲームもそういう傾向にあるので、原典に忠実とも言える。

 ゲームでお馴染みジル・バレンタインが、綺麗な女優さん演じるイメージ通りの姿で登場してくれるのも、嬉しい所。
 カルロスも出るが、こちらはちょっと違うかな…「タフな戦士」というイメージには合ってるけど。いや、男なんてどうでも良い(笑)。

 ゲームをプレイした人間には、『ドラクエ』のアレフガルドぐらい お馴染みで、「故郷」と言ってもいいだろうラクーン・シティー(「実家」は『1』の館)が今回の舞台。
 暗い廊下を歩くジルの前に女神像のようなモノがあると、つい「押せ、押せ!そっちの端から こっちの端まで押してこい!」と思い、手元の幻のコントローラーを操作しようとしてしまう(重傷)。
 ハンター(モンスター名)が現れ、ジル達がハンドガンでの銃撃を加えるのを見ていると、「ダメだそんな豆鉄砲じゃ!せめてショットガンでなきゃ話にならない!」と心の内で叫び、追跡者に対しては、「ロケットランチャーはドコだ?」と呻く。
画面に入り込みすぎていて冷静な判断など出来ない状態。
 勿論、ファンをそういう状態にまで追い込めた段階で、映画製作者の勝利。

 ゲーム未プレイのヨメでも面白かったようだ。
キャラクター描写は的確で、派手なアクションが連続し、ストーリーの流れなども単純ながら きちんとしているため、映画だけを見ようという人にも楽しめる内容だと思う。

 えーと、ちょっとネタバレ。
以下を読む人は気をつけて。




 いいかな?
 アンブレラ社の現場指揮官が見せる悪辣さと有能さ、非常にイメージ通りで嬉しい限り。
死を前に動揺も命乞いもせず、最後まで傲慢な態度で居続ける悪役ぶりも素晴らしい。
 会社の悪行が公開されてしまったので、映画シリーズは ここまでか?と思ったが、情報を操作して するりと身をかわし、無傷。
マスコミや一般大衆など どうとでも操れる、底知れぬアンブレラの恐ろしさが よく現れていて結構。
 まだまだ、ヒットする限り続編が作れそう。
ただ、今作の終わり方からすると、もう『バイオハザード』というより「アリス・サーガ」といった内容に変わって行きそうな気も。

 少女・アンジェラは、周囲が皆ゾンビと化してしまった学校で、どうして無傷でいられたのか?というのが疑問だったけど、そうか、この子は自身、保菌者であり、ウィルスに冒された者同士は襲わないゾンビの習性からすると、ごく納得のいく結果なんだ。
考えてあるなあ。
 アンジェラは この後どうなるのかね?
ウィルスを定期的に接種しないと足の筋肉が活性化しない、というなら いつか歩けなくなるだろう。
逆に、抗ウィルス薬を定期注射しないとゾンビになってしまう、というなら…もう薬の入手が難しくなってしまった今、いずれは…
 救われる道としては、アリスのように体内でウィルス増殖は規制され、バランスを保ち続けている。抗ウィルス薬は、「万が一、バランスが崩れた時のため」持っていたもので、実際には必要ない…という設定にする事。


 映画を見終わって乗ったエレベーターで。ヨメの他、6人程の男女と同乗する事になった。
 その時、つい、「ダメだ、今コイツらのうち誰かが発症してゾンビになったら逃げ場がない!ベレッタがあれば!…せめて田代まさしを見習ってバタフライナイフだけでも不法所持しておけば良かったか!」などと考えてしまった事実は、「現実とゲームの区別を付けましょうね」と言われそうなので、ナイショにしておいた方が良いだろうなー。



『爆裂天使』最終話.「天使、爆裂!」

 結構 面白い話が混じるなあ、と思いながらも中盤以降は、放送時間帯が他の見たい番組と重なった事により、歯抜けな状態になった末の最終話鑑賞。
だから、ここまでの筋や何かを 確かには理解出来ていない。

 ええと、結局あの料理人として雇われた男の子は、役立たずの足手まといキャラクターかと序盤思わせておいて、最後までそのまま?
何のために出したの?
 ジョーは、セイと一緒に吹き飛んで死んだ?
どちらも、常に死を睨んで生きているキャラクターではあったのだろうけど、この あっけなさは……
 メグも かなり役に立たないキャラだと思ったが、最終決戦に到っても、一撃喰らわされて気絶している間に戦いは終わってました、ってお荷物扱いなの?
という事は、「お姫様」として描こうとしたのか…と思えば、ラストシーンではジョーの後を継ぐ凄腕ガンマン(?)に、なにをどうしてだか不明だけど成長したようなイメージを見せるなど、やりたい事が不明。
見ていない話の中に、シリーズを「メグの成長物語」として締めくくる伏線となるエピソードがあったのだろうか。
 それとも、投げっぱなしにしておいて、「皆さんの大好きなキャラクター達の その後を描く、真の最終回はOVAで」という甘い考え?

 放送開始時の高レベル作画が嘘のように、危なげな絵が続くシリーズだった。
GONZO作品として期待される、その部分にも応えてもらえず、残念。


2004年9月21日 火曜日

 ヒストリー・チャンネルで放送していた『エンパイア・オブ・ドリームス〜スター・ウォーズトリロジーの世界〜』を見る。
 ファンでありながら知識的には薄いため、知らなかったデータが一杯で、非常に面白く見られた。

 ルークとハン・ソロ役のオーディションを、ウィリアム・カット(『アメリカン・ヒーロー』『ビッグ・ウェンズデー』)とカート・ラッセル(『ニューヨーク1997』『遊星からの物体X』)が受けていた事に驚く。
 どちらも、言われてみれば役のイメージに合ってない事もなく、もしかキャスティングされていたら、それなりのルークとハン・ソロを作り上げただろうが…今となっては ちょっと考えられないなあ。
ラルフ・ヒンクリーがルークで、スネークがハン・ソロなんて( ^_^ )。
 『スター・ウォーズ』に出演して大スターになっていたら、ウィリアム・カットが今更テレビシリーズに主演する事はなかったろうから、『アメリカン・ヒーロー』も大好きな人間としては、役を取り損なった事を喜ぶべき?
いや、その場合、マーク・ハミルが代わってテレビに出てたのかな?

 このメイキングは、大成功した作品を完成させるまでの苦労談で、必ず報われる結末が分かっているため、見ていて安心であり ひたすら気持ち良い。
『プロジェクトX』みたいなモノ。
 このメイキングもDVDの特典に付いてるのかな?
確かに、見応えのある内容。
見ていると、また本編を見返したくなる。

 えーとパナソニックだっけ?のコマーシャルで、麦畑の中をゆっくり歩いてきたルーカスを、ダース・ベイダーやストーム・トルーパーなど作品世界のキャラクターが ずらり並んで拍手で迎える、って奴、アレを入れてくれてると最高に嬉しいなあ。
 当時 見て、何故だか泣けた記憶があるんだが。
さすがに無理か。

 ジョージ・ルーカスは、確かに、天才だった。
「だった」と過去形で語ってしまう所が、DVD化される旧三部作のファンであり、新三部作の現在までに作られている二作目までは、さほどでもなく受け取っている人間の微妙さ。
 Episode3が有無を言わさぬ大傑作なら、嬉しい限り。



 WOWOW放送の映画『ボーン・アイデンティティー』を見る。
 監督は…知らない人。マット・デイモン主演。
 嵐の海を漂い、漁船に拾われた男は、記憶を無くしていた。
何故か凄まじい戦闘能力を持つ その男は、自分が何者かを知るため、行動を開始する。
そういう彼を、謎の暗殺者達が次々に襲い…

 米では続編に当たる『ボーン・スプレマシー』も大ヒットしているようなので、期待して見た。
 が…うーん、地味。
『007』とは逆ベクトルの、豪華でない身近な舞台、爽快感を必ずしも設けないアクション、美女が絡まないストーリー、といった方向を目指したのか、とは思うけど、それで余り面白くないのでは……

 冒頭、記憶を失った主人公が、自分を知る手掛かりを求めてスイスの銀行を訪れる、その辺りまではシリアスな雰囲気で引き込まれるが、理由も分からず いつまでも彼に同行して 愛を感じ合うヒロインの登場で、一気に失速。
 ストーリー自体も、説明不足と見せ方の巧くなさで、無用に分かり辛いし。
 「主人公が記憶を無くしている」という設定は、そういう主人公の目を通して世界を見せ、サスペンスを生み出す限りにおいて有効。
最初の方から、彼を追う存在が主人公について色々喋ってくれるので、「彼は一体何者?」といった謎は大半が意味を無くしてしまっている。
 主人公が強すぎて、全くピンチに陥らない所も、痛快、というより緊張感を無くする事になった原因。

 「マット・デイモンのアイドル映画」としては、良く出来ているのだろうと思う。
しかし、ファンでも何でもない人間には、ごく普通な、所々アイディアの掛かったアクションが面白い映画、としか。


2004年9月20日 月曜日

『マリア様がみてる〜春〜』12.「青い傘」

 なかなかにストレスの溜まる話。
 そもそもは祥子が、自分に何が起きて祐巳とマトモに付き合えなくなっているのか、さっさと説明してれば済んだ話では。
よっぽど言いたくない辛い事態が進行しているのだろうか?
 父親が事業に失敗し、莫大な借金を負ってしまい、その命と従業員の生活のため、祥子が債権者達に身を任せている……ぐらいの事でなければ納得できないんだけど。
 大丈夫か?ここまで引っ張っておいて、拍子抜けの種明かしではないだろうが。

 …って、感情移入しすぎ?(笑)
 小さな擦れ違いを、生命の危機ぐらい大袈裟に描くのが、少女漫画・小説の常道。
ヘコんでいるからこそ、祐巳に世の情けが染みてくる訳で。



『蒼穹のファフナー』11.「旧新〜じんるいぐん〜」

 島出した一騎が迎える怒濤の展開。
様々な新展開があり、視聴者の目先の興味は繋ぎ止められたと思うが…
 一方、足元は相変わらず疎か。
基礎中の基礎知識であろう「アーカディアン・プロジェクト」についてさえ、作中で説明された事、未だに無いのでは?
公式HPを見られない(知らない)環境の視聴者は、それが「人類補完計画」「サードインパクト」並の、シリーズを引っ張っていく鍵だと考える可能性が。
 新登場のファフナーや、そのパイロットの経歴、新国連との関係なども、これまで通り公式HPに説明文が掲載されるだけで また劇中では語られないかも…と思うと、「新展開」「新登場設定」というワクワクさせてくれるはずの物が、「視聴者に予習・復習を求める負担増」とも感じられてしまう。

 崩壊した外世界を目の当たりにする一騎。
…しかし、「日本はもう無い」という世界状況はシリーズ開幕当初 既に語られていた事なので、予想された光景であり、一騎にも視聴者にも特に衝撃はない。
 世界は、段階的に広げて行くのが(作り手に)易しい作り方だと思う。
 作品を語る目線を一騎に固定して。
外の世界は健在であり、アーカディアン・プロジェクトが実行されている事で島は何故かフェストゥムの襲撃を受け、しかも外世界に助けを求める事も出来ない状況下にある、と信じていたのに、現実には外の世界は見る影もなく崩壊していた……
という描き方なら、それなりに視聴者に驚いてもらえたかも知れないのだが。

 えーと、結局 一騎はどうして島出を?
世界の真実なら ある程度 知っていたろうし、今回の行動からは、どのように そそのかされて行動に到ったのか、理解できないが。
 無事な時点での甲洋が島出した、というなら分かる。
死亡した翔子に対する島の人間の酷い態度、両親の自分への失望など、こんな島に居られるかあ!と考える理由はあるだろうから。
それに、彼だったら居なくなっても大した戦力減にならないから構わない。

 一騎は結局、父親や総士、自分を想う少女や友人達、帰るべき島を、主戦力である自分が出て行ってしまう事で失う危険がある事は、どう考えていたのだろう?
 戦闘中に死ぬほど恐ろしい目にあったとか、パイロットを辞めさせられそうになったとか、どうしても外の世界で確認したい事があったとか、卑近な話では親父とケンカしたでもイイ(笑)、とにかく そういった島出に到る理由が特に見あたらないので、一騎を「馬鹿で屑で勝手なガキ」としか捉えられず、魅力を大きく減らしてしまう効果しか生み出していないのだが。

 ファフナーに乗り続けていると同化されるのね。
…予想の範囲内ではあるけど、この設定は今後の描き方次第かな。
 それよりか、「そうまでしてファフナーに乗らなければならない理由」が分からない。
ファフナー単体での優位性は特に無く、手持ちの武器で やっつけているだけなのだから、巨大戦闘機や戦車に その武装を取り付ければ、それで良いのでは?
思考を読まれるのが問題なら、無人機にして無線操縦にするかコンピューター制御にすれば良い。
 『エヴァンゲリオン』では、ATフィールド、というエヴァ以外では対処不可能な設定を使徒に付加した事により、エヴァに乗って行かなければならない理由付けが出来ていた。
ガンダムや他の普通のロボットには、「乗り続ける事」によるデメリットが特に無い。
 パイロットを危険に晒してもファフナーで出撃させる理由は、何だろう?
 いや、ファフナーでの戦闘シーンに もっと圧倒的な迫力があれば、堅い事は言わないんだけど…どうにもパワーが感じられないもので、「ファフナー要らないじゃん」などとヒネくれた事を考えてしまう。

 新国連(に協力している?)側もファフナーを所持しているようだけど、だったら何故 島のファフナーを欲しがったんだろう?
シリーズを揃えたいというコレクター趣味?
 島を最初に訪れた際にも持ってくれば良かったのに。
もうちょっとで新国連総長(?)が殺される所だった訳で、何故 使わなかったのか謎。
 これだけの手練れを揃えているなら、要求などまどろっこしい事をせず、強引に島の格納庫に侵入して強奪し、逃げる事も可能だったと思える。

 ところで、翔子に対する島の人間達の態度からすると、逃げ出した一騎に対しては、凄まじい憎悪が渦巻いているんだろうな。
もう帰って来ない方が良いかも。
 家に司令官が住んでなければ、壁一杯に馬鹿だのアホだの死ねだのペンキでデカデカと書かれたのでは(笑)。

 新展開を使って、一騎に外側から自分たちの島の状況を俯瞰させ、疑問を持たせ、説明を受けさせる事で、足元を固める事も出来る…はず。
 色々と展開していく事で目先が変わり、退屈する事はなく見られているが、とにかく描かれる何もかもが曖昧模糊として確たる物が無いままのため、「どこでも勝利を収めないうちに、戦線を無用に拡大している」とも思えてしまうのが不安点。


2004年9月19日 日曜日

『特捜戦隊デカレンジャー』31.「プリンセス・トレーニング」

 「宇宙には、自分にそっくりな人間が5人は居る(地球上だと3人だけど、宇宙は広いだけに多いんだね)」、という訳で、小梅そっくりの王女が登場しての替え玉エピソード。
 「街に逃げ出した王女と出会う」『ローマの休日』パターンは、長期シリーズになると よく使われる手法。
普通にやっては、ヒネた大きいお友達の視聴者には「またか」という感想を抱かせかねない所を、「何をやるにも頭にツボを乗せさせる」「エスカレートしていく厳し過ぎる儀式」「『決まりですから』という理不尽な繰り返しセリフ」といったアクセントを加える事で、非常に面白く見せるのに成功している。
 最終的に、火の輪くぐりまで やらせようとするのには大笑い。ムチャクチャだあ。

 他の儀式は「酷い目にあった」で済むが、さすがに地球人には「死」の危険さえある火の輪くぐりだけでも止めて上げて欲しかったなあ、王女。
他の仲間に詰め寄られて、それどころじゃなかった、という事もあるが。
 世間知らずで、地球人は炎に強くない、と知らなかったとか?

 製作が乗ってきているようで、毎回ストーリーにバラエティーを持たせてあり、しかも毎度クライマックスにカタルシスを生じさせるべく、大変な努力が見られる。
今回の、ブチ切れた小梅による断罪と理不尽な儀式への怒りの大見得には、すっかりと気持ち良くさせられてしまう。
 楽しい。



 また、メール。

> 生きてればいろいろありますよねぇ〜!!
>
> セックスフレンド希望のユンファといいます。まだ間に合いますか??あっ、ユンファっていっても、日本と韓国のハーフなんで、日本語ぜんぜんOKです(^-^)
> 簡単に自己紹介しますねっ!名前は伊藤ユンファ、22歳、セックスフレンドは今まで4人いました。夜はえろえろで、ふぇらとか自分からも上に乗りたがりだけど、これでも普段はいたって普通なんですよっ(^o^)仕事は歯科助手をしています。
> 3サイズは上から88/62/86のEカップです。ホテルと家だったらどっち派ですか?私はできればホテルかな。
> 一度試してみて相性良かったら、家で自慢の韓国料理料理ご馳走しちゃいます☆
> あなたが一番会いやすい場所教えてください♪♪
> あっ、写真見てみますか???


 ここまでストレートに、えっちの事まで書いてくるのは初めてだな。
まだ流し始めて間がない文面らしく、検索の数も少ない。

 日韓のハーフ、Eカップ、自慢の韓国料理、辺りをポイントに設定しているのだろう。
確かに、韓国の方の中には、日本人の好みに合う美人が沢山 居るから。
 「写真見てみますか?」に反応し、興味半分ででも、「じゃあ見せてよ」という返信をうっかりさせようと、狙ってるんだろうな。
 どうせ嘘なんだから、無名の美人の写真でも貼付して「これが私です」と書き添えておけば、返事が帰る確率はグッと上がるだろうに。
肖像権の問題があって、無理?
そんな常識を気にする業者か(笑)?


2004年9月18日 土曜日

『忘却の旋律』23.「世界を貫く矢のように」

 相変わらず、隠喩と暗喩、ボケているようで鋭く鮮烈な演出に満ちたアニメ。
面白いんだけど、見終わると ぐったりしてしまう。
 前々回の、「バイオ・コンツェルト」の下り、ボッカ達が互いにジェル(?)を塗り合う所、アイバーマシンにムチをくれる所など、馬鹿エロ妄想全開、といった感じで大笑い。
このアイディアは どっから出てくるんだろう。
 搾乳される美少女牛の集団、なんてのは、もうエロマンガの世界だよ。

 宇宙ステーション内に普通の線路が走っていたり、戦闘の最中にカラオケボックスを出してみる、凄まじくキテレツな画面構成を取れる製作者の頭の構造が不思議。
しかもそれで、視聴者に「訳が分からん」と放り投げさせず、緊張感をキープしてさえいるのだから、ただただ その超絶の仕事ぶりに恐れ入るのみ。

 次回で終わりなのか。
どうやってまとめるの?と思うけど、不条理劇なのだからどうとでも まとめられるだろう、とも思う。
 物語として きちんと終わる、というより、個々のキャラクターが負ったドラマに決着を付ける形の終わり方になるのかな。



 テレビで紹介していた「ブラッディー・マリー」というカクテル名を耳にして、ふと変な脳内回路が繋がり、吾妻ひでお先生の名作漫画『ぶらっとバニー』のネーミングはコレを もじったモノだったのか、と思い至る。
 でも、覚えている人が現在どのくらい居るのか分からない古い作品であり、覚えている人にさえ「それが?」と言われるだけだろう、とは思ったが、ええい構わないや書いちゃえ。


2004年9月17日 金曜日

『KURAU Phantom Memory』12.「いまここにいる」

 説明が足りず世界観に分からない所は、今でも多々あるが、クリスマスを思うクラウの気持ち、そのクラウを思う父親の気持ち、リナサピエンになってしまった恋人を愛し続ける男の気持ちなど、メンタルな部分が非常に分かり易く描かれているため、見ていて特に不満を感じない。

 恋人を変わり果てた姿にされ、クラウ父に憎しみをぶつけていた男が、治療の様子を見て僅かに心を開いたものの、最後の瞬間に言葉を交わしながらも飛散していく恋人を前に泣き崩れるシーンには、ホロリ。
…ただ、死に至る程ではない(のだろう)他の患者は後回しにしてでも、症状が重い彼女の治療にまず全力を上げるべきだったのではないかクラウ、という気はするが。
 リナクスの再構成能力を最大限 発揮できたなら、恋人が生き返る可能性も…?
でも、ご都合主義の度合いが酷くなりそうだから、それは やらない方が良いかな。

 クラウ父、「娘の身を案じる」気持ちの中に、「娘として暮らしてきたクラウへの思い」と「幼い頃のクラウとの融合によって、表に現れなくなってしまった実の娘への思い」が混在しているはず。
その複雑な心情がもっと彫り込めると、作品自体の深みがグッと上がりそうな。
 追われて逃げて、の繰り返しになっているので、シリーズ折り返し地点に来ている事でもあり、ボチボチ新しい展開を期待したい所。



『ギャラクシーエンジェル4th』21.「ハーイ!ちりめんじゃっく」22.「レイニーブルー」

 前半。
 宇宙船内のハイジャック犯人を捜す、というシチュエイションで、思いつく限りのギャグを詰め込んでみました、ってえ話。
 メアリーの視点を通す事で、いつも通り底抜け脱線したエンジェル隊の行動が、笑いだけでなく「全く理屈が通じない恐怖」も込みで演出できていた。
 その場のイキオイで、無理に盛り上がっているように見せかけようとするフォルテのセリフが可笑しい。
「分かれよ!地球が危ねえんだ!」とか。
キャラの心情も、ストーリーの必然性も構わず、おまけに視聴者の気持ちまで置いてきぼりにして、とにかく場当たり的に「感動」「熱血」「萌え」を作り出そうとする、よくあるダメアニメをパロディーにしているような。

 後半。
 15分だから仕方ない、とは言えるけど、とにかく分かり辛い話で、2回見て ようやく何となく分かったような気持ちになれた。
 適当な解釈をいくつか列記。

 ロストテクノロジーと一体化した少女は、言わば「星の気持ち」の具象化みたいなモノだったのかな。
戦乱に明け暮れ、多くの死傷者を出し、なお戦いを止めようとしない人々を悲しむ。
その涙が、雨となって地表に降り続けている、と。
 雨によって戦いは収まったものの、それですぐに青空を戻しては、懲りぬ人々によって紛争が再開される恐れがある。
「光を浴びても、すぐに元気になってくれる訳じゃありませんが、ゆっくり時間をかけてお世話して上げれば、きっと応えてくれます」というミルフィーユのセリフ。
少女は、時間をかけて雨を降らし、人々の心から憎しみ合い殺し合う気持ちが薄れてゆくのを、ゆっくりと待っていたのかも知れない。
 太陽のような笑顔を持つミルフィーユと触れ合う事で、ようやく惑星の未来に希望を持つ事が出来、雨を止ませ、役割を終えた自分は消えた、とか。

 少女は、戦いに巻き込まれて とうに死んでいた、という考え方も。
その時の哀しい気持ちが、「哀しみ」のロストテクノロジーと一体化する事で、少女の体に かりそめの命を与えていた。
 ミルフィーユと雲間を抜け、哀しい気持ちが僅かに晴れた時、ロストテクノロジーから離れた少女の命は、ようやく自由を得て空高くに羽ばたいて行く。

 極端には、紋章機が墜落した際に挽いてしまった花。
アレがロストテクノロジー、あるいは少女の本体だったのかも。
 何十年も雨が降り続き、日が差さない地上で、ポツンと あそこにだけ花が咲いてるのも不思議な話で。
 そうすると、ラスト、花畑で目覚めるミルフィーユ、というシーンにも繋げやすくなる。

 もっと極端には、紋章機 被弾以降は衝撃で気絶したミルフィーユの見た「夢」であり、実際には雲間を抜けていない、という解釈。
 少女と共に墜落して花を見つけた、あの時には、上空にミルフィーユ機を撃墜した戦闘機が出てきて「いない」。これは ちょっと不自然。
ラスト、花畑で目覚めるミルフィーユの上空をこそ、戦闘機が飛び去っていくのだ(アレは探しに来たエンジェル隊の機体?まあまあ、機影が よく分からないから戦闘機だとして)。
 つまり、花畑のシーンが連続性のある「現実」であり、少女と日の光を浴びた あのシーンは「幻想」だと示している…とも考えられる。
 この場合……少女は墜落の衝撃で命を失った、という事になる。
そして、少女とロストテクノロジー、惑星の連携が切れる事によって、ようやく雨は止み、日が昇る。
 むー、哀しい解釈だなあ。
 でもまあ、ミルフィーユが見たのが単なる「夢」でなく、少女の心と交わって見た幻だとすると、少女は十分に満たされた気持ちで命を終えられたのかも知れないな。

 色々と勝手な解釈が出来て、そういう意味では非常に面白い内容だった。


2004年9月16日 木曜日

『ウルトラQ 〜dark fantasy〜』24.「ヒトガタ」

 映像へのこだわりは さすが実相寺監督で、人形の不気味さ、人の狂気など、非常に巧く表し出せていた。
 が…うーん、特に興味を引かれるストーリーではなく、ハッとさせられる映像美はあるものの、全体として眠くなってしまうような内容。
劇場で見た監督の『ウルトラQ ザ・ムービー』の途中で、力一杯 熟睡した過去を思い出す。



『鉄人28号』24.「生きていた敷島」

 ……敷島の自殺が知らされる前、ナレーションで「それが、正太郎と敷島が一緒に過ごした最後の夜だった」みたいな事を言ってなかったっけ?
あー、家に帰ってきた「敷島」は、クロロホルムの方だったかも知れないか。
 ニコポンスキーが敷島だ、という伏線をチラチラ(はっきり)見せられてきたが、クロロホルムにも怪しい描写が出始め、果たして真相は?…と思えば、両者テキトーに入れ替わっていた、って事なのかな?
ズルい(笑)。
 えーと、敷島が偽装自殺までしてみせた真意は説明されたんだっけ?
その際、身代わりに使われた死体は誰の物?死体は無かった?メガネだけ?クロロホルムも共犯だとすると、仮に死体無しでも、自殺の報告は出せたのかな。
色々不思議な事があると思うんだけど、登場キャラクター達、あんまり不思議に感じていない様子なのが、不思議。
「敷島か…」
「敷島じゃあ仕方ない…」
「敷島に合理性など求めるだけ無駄…」
と、諦められているとか?

 正太郎。
別に、ビッグファイアの悪事を暴くため、鉄人を使って協力しても良かったような。
何も相手を完膚無きまでに破壊しろとか言われている訳じゃなし、コレまで さんざんやってきた事だろうに。
子供らしい態度では あったし、気持ちが全く分からない訳でもなかったけど。
 正太郎と鉄人の関係を時々刻々と変化させていくのは、この作品の、一つのテーマにもなっているのだろうが、感情的振幅が大きく・頻繁に振れすぎているので、最終的な気持ちの整理に説得力を持たせられるかどうか、疑問。
鉄人が廃棄されるのは「歴史的事実」らしいので、「別れ」という方向で強引に まとめられはするか。

 旧式鉄人軍団が、『ヤッターマン』などの「ゾロメカ」然として出動していくのに笑う。
自爆ボタンは「ポチッとな」と言いつつ押して欲しかった所。
 残り2本で どうまとめ、どこまで盛り上げてくれるのか。
鉄人に大活躍の機会は(主に作画的問題で)あり得るのか。
 期待と不安で見守りたい。


2004年9月15日 水曜日

 SONYのPSX DESR-7100を購入。
何で今更、かというと、安かったから。
こちらなど見れば分かる通り、発売当初の半値に落ちている。
 テレビ録画に使っているVAIOの調子もイマイチ良くなく、ハードディスク・レコーダーが欲しかった所であり、丁度イイやと。

 使用感は…
 メニューやリモコンの使い勝手など、もうちょっと洗練されて いいような気はする。
 しかしまあ、障害と感じる程ではないし、値段を考えれば相応。
HD容量が250Gある(ゲーム領域に40G取られるが…)ので、「何となく興味を引かれる」程度の番組まで、録画しておく余裕があるのは嬉しい所。
画質にしても、決して悪くない。
 DVDが焼けて、PS2のネットゲームも出来て(今、そんなに遊びたいソフトは無いが)、この値段なら、まあ納得。

 …と思う間もなく、新製品の発表!
やっぱり、これがあったから価格が急落していたのか。
 でも……あんまり進化してないなあ。
取り立てて欲しい機能が加わっても無い。
 これなら、とりあえず旧機種を安く買っておいて、デジタル放送への対応など更なる機能の充実を待ってから、PSXに限らず録画専用機に買い換える判断もアリだな。



『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』10.「総理大臣の失踪 後編 真実はイギリスに」

 前編の内容が早くも あやふやになっている、記憶力の弱さのせいかもしれないが。
伏線や手掛かりの見せ方が巧くないため、謎解きをされても「なるほど、そうだったのか!」という納得・感心からは遠く、「はあ、そうですか」にしか ならない。
 この見せ方なら、コジつければ犯人はエステア内務大臣にも、シャープ警部にも、総理大臣自身の狂言にでも出来たのでは?

 推理物の醍醐味は、欠けている部分があるため全体像が分からないパズルに、使い道の分からなかった奇妙な形のピースがキレイに はまり、一枚の絵として完成されて行く、その知的快感を感じさせる所にあると思う。
まず この「欠けた絵」の見せ方が巧くなく、「完成させたい」意欲を感じさせてくれない上、ピース自体の形状も分かり辛く、数が足りない状態でしか手渡してくれていない印象。

 危険だから ついて来るな、と注意されたのをメイベルは無視したのに、それが物語に何の影響も与えないなど、普通のドラマとしても出来は決して良くない。
 せめて彼女がもっと活躍(「足を引っ張る」活躍でも)してくれたなら、それはそれで見るべき「価値」になってくれるだろうが。


2004年9月14日 火曜日

『サムライチャンプルー』15.「徹頭徹尾」

 大金を拾った事で、ムゲンはともかく、ジンまでも意気揚々と遊郭に繰り出したのは意外。
もうちょっとストイックなキャラクターかと思っていたので。
 でもまあ、「武士道とは死ぬ事と見つけたり」精神バリバリの『ルパン三世』五ヱ門も、初登場時は女好きだったりするんだけど。

 毎度の事ながら、非常に高水準な作画。
アクションシーンの面白さには圧倒される。
絵コンテ・演出・総作画監督を こなした中澤 一登氏の力量か。
 妖艶な大人の女性…と思えば、割とデタラメな性格をしていたゲストキャラ・八葉が愉快。
チャキチャキしたキャラクターなら、レギュラーのフウが既におり、印象を変えた方が良かったような気はしないでもないが……面白かったのだし、贅沢な文句だね。



『無人惑星サヴァイヴ』46.「会いたかった」

 余り盛り上がらないシチュエイションでの、ハワード、シャアラとの再会。
ツボはしっかりと押さえて来る このアニメにしては、珍しいミス?だなあ、と思えば…
 ああ、更にもう一段階 仕掛けがあるのか。
 二人は、洗脳された本人達か、情報を元に作られたクローン・ロボットなど複製か。
他人に顔を見られない場所だと、やたらニヤニヤ邪悪な笑みを浮かべているのが、ちょっと迂闊で可笑しい。
特に笑う必要はないような(ジュブナイルとしての「偽物」表現だと分かってはいるけど)。

 本物の帰還イベントが、シリーズ・クライマックスへの大きな仕掛けになるのだろうか。


2004年9月13日 月曜日

『蒼穹のファフナー』10.「分解〜すれちがい〜」

 この作品は多分、大人と子供の対比がテーマの一つになっているんだと思うが、今回は(も?)「世界の本当の姿を知る大人」と「知らない子供」の対立や擦れ違いを描こうとして…いたんだろう。
 ただ、それなら前提として「大人が知る世界の姿」の(あるレベルまでの)提示と、「子供達が持っている世界認識の程度、そして知らない事への不満や不安」を描いておかないと。

 今回、子供の進路を巡って島内の事情を見せようとしたのは良かったと思う。
が、やはり「子供の認識程度」が示されていないので…
 子供たちは、自分らが「アーカディアン・プロジェクト」の参加者である事を、第一回戦闘の後で知ったのかな?
 それなら、もう少し驚愕のリアクションを見せて欲しい所。
「(敵の来襲もあり危険な)島から出たい!」という気持ちも、強く感じて当然。
今回、夢を語った子供は割に聞き分けよく諦めた(最初から諦めていた?)みたいだが、そんなにこの島の大人と子供の関係は良好なのか?
 「日本は、もう無い」という事実は、みんな知っている?知らない?
バイオスフェア2のような計画に参加させられている、とだけ説明してあるので、外の世界が存在しない、と聞かせて不安を煽る事は避けている?
 まだ色々分からない事があり、判断は難しい。

 何事か吹き込まれ、ラストで島出する一騎。
 ここに至る気持ちの移り変わりは、余り上手く描けていないと思う。
 ほぼ自分しか実戦に耐えない状況下で、これまでに二人も犠牲者を(犠牲者総数はもっと)出している島を、真矢と触れ合って多少なりとも居心地が良くなったであろう時点で、貴重なファフナーごと出ていく、その理由が、??
 女教師に囁かれた言葉と、父親と交わしたのであろう会話が伏せられているから、そのカードが開いたら納得できる……のかな?

 司令室勤務の後輩少女が語った言葉から分かる、やっぱり普通に悪評が流されていたらしい翔子の死。
 しかし上層部も、彼女の行動には、こういう やむを得ない事情があった、と公式にアナウンスして汚名を払拭して上げてもいいような。
……上層部も、同じように翔子を苦々しく思っている?

 「第一種勤務(島の実情に沿った仕事)・第二種勤務(日常仕事)」という表現、間が抜けていて愉快な学園生活の描写、真矢の家に招かれた事で少しだけ彫り込まれた一騎の内面。
これが、第一話なら!
 何気なく子供らに口にされる「アーカディアン・プロジェクト」という謎の言葉、島から出る事を許されない不思議さ、守るべき 窮屈ながら穏やかな日常の提示、これらを20分以上 見せ、ラストで一転、敵の襲撃により それらが破壊される、といった構成になっていれば、ツカミは非常に良くなったのでは。

 一騎の身に起きた同化現象?は、ファフナーに乗り続ける事で起きているらしい遺伝子異常なのか?
 巧くない これまでの話で積み重ねてきた「負の遺産」は大きく、重いが、見られる内容になってきた事は喜びたい。
 次回、見せてくれるのであろう世界の真相に、期待…しても良いのかな?


2004年9月9日 木曜日

『ウルトラQ〜dark fantasy〜』23.「右365度の世界」

 量子論を絡めて描く、不思議でリリカルな世界。
 この話は、毎度このシリーズではお馴染みの「人間失踪もの」に分類される内容ではあるけれども、「難しい事」を「難しいまま」ポンとこちらに投げかけてきた所には、価値があったと思う。
 いつも、これなら『世にも奇妙な物語』でイイじゃないか、と言うけど、今回の話を そのまま流す事は、視聴率を取る事を義務づけられる、割と良い時間帯で放送される『世にも…』では難しかったろう。

 …とは言え、非・理科系人間には難しい話だった。
正直、科学的な部分は、ほとんど理解できず。
 でもまあ、それを除いても、合理的に、というよりは遙かに感覚的に視聴者に訴えてくるモノローグと映像の合わせ技で、すっかり気持ち良くさせてもらえたから問題なし。
 男の子の雰囲気や「もう会えない」別れの哀しさは、原田 知世版『時をかける少女』を思い起こさせる。
ラスト、前田愛が男の子に語りかける「色と質感と不思議に満ちた世界」イメージの羅列は、『ほしのこえ』かな。

 「360度回っても同じには戻らない。一周する前とは、同じように見えても違うはず」と、強固に主張する男の子の少年時代。
ああ、分かるなあ。
 子供の語彙ではとても説明できない感覚的な違和感を、一生懸命に喋って、しかしもちろん相手には伝わらず、「何を訳の分からない事言ってるんだよ」で済まされた悔しい経験、割と多くの人が持っているのではあるまいか。

 誰も見ていない時 月は存在するのか、という考え方。
思えば、誰にも見てもらえない時には そこに居る理由が全くない「幽霊」なんて、凄く量子論的な存在なのかな。

 「たった一粒の涙で世界を救うなんて、男には到底できない芸当だ」という、草刈教授のセリフ。気が利いていて結構。
「怪獣退治のため休講」も。
ウチの大学の掲示板に、「○○教授、永眠のため、今期は休講となります」という連絡が書かれてあったのを、ふと思い出す。永眠…って書き方しなくても。
 確かに分かり辛い講義ではある様子だけど、あんな教授が大学時代に居たなら、喜んで出席したと思うけどなあ。
いや、「あの講義は履修しても就職にプラスにならない」「それどころか、単位を取っていると『変わり者』と見なされ、かえってマイナスにさえ」という噂があったなら、今より更に馬鹿だった大学時代だと、「そんな講義、出てられねーや!」と短気に結論づけてしまった恐れは、ある。
 「今日は二人だけですか」「今日は…私一人ですか」という呟きが何とも。
こんな状態で、よく大学をクビにならない物。

 「最高!」とは言えないが、アチコチと個人的なツボにはハマった話。
たまにこういうのも、イイねえ。



 ぼちぼち締め切りが迫ってきましたので、来週月曜ぐらいまで、更新は不定期になるかと思われます。


2004年9月8日 水曜日

 『BSアニメ夜話』。
 まだ「999」の回しか見てないけど、面白いねえ。
『マンガ夜話』も そうだけど、アニオタの自分には こちらの方がより しっくり来る、高校〜大学時代にダメ人間の仲間達と、ウダウダ語り合った事を思い出してしまう内容。
 ……その頃の仲間達は皆、社会人になってアニメから足を洗うか、その世界に飛び込み 仕事としてアニメに関わるようになっている。
部外者でありながら いつまでもウダウダ言ってるのは、自分だけ?
うわあああ(;´д⊂)

 池田 憲章氏に、ノンストップで30分ぐらい語らせて欲しいなあ。
あの方の文章や喋りの大ファンなので。
 そこそこオタクであり劇場『999』ファンのヨメが、『ヤマト』ファースト・シリーズに古代守・ハーロックの出演予定があった事や、映画の監修に市川崑が入っているのを、「知らなかった」事に驚く。
 えー?常識じゃないのそんなの?
はっ!
これって「ダメ常識」?



『アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル』09.「総理大臣の失踪 前編 ドーバー海峡の追跡」

 台風やら地震やら、天災が色々起きているので当然 予想しておくべきだったのだろうが、迂闊、時間通りにタイマーをセットして置いたため最後の所が見られず。
…まあ、次回に続くようだし、いいか。
 ポワロの、いかにも名探偵らしい「変」な行動が現れており、それは面白かった。
事件も これまでになく大仰な物で、密航したメイベル達が捕まる下りなどジュブナイルらしい馬鹿馬鹿しさもあって、悪くなかったのでは。
 推理物は、謎解きまで見ないと何とも言えない部分はあるが。


2004年9月7日 火曜日

 またまた、メール。

> 昨日のはなしのコトなんだけどぉ♪
>
> 来週もちろんOKだよ♪今日子も来るって言ってたよぉ〜♪今日子に会うのって
> 半年ぶりくらいだっけ??あのコ…めちゃめちゃキレイになってんだよぉ〜!?
> たぶん見たらびっくりすると思うよ♪あたしらもガンバらなくちゃね。。。


 差出人の名前はなく、dh013134といった記述。
これまた、よく送られているメールらしい。
 なるほど、いかにも親しい友達にあてたメールを装い、受け取った第三者が、「これは もしかして大事な連絡?あて先を間違っている事、教えて上げた方がいいのかな?」という親切心を起こし、返信してくる事を狙った物。
 いや、コレが例え本物の間違いメールだとしても、放っておけばいいんだけどね。
「移植する臓器が見つかったので緊急に輸送手段を手配して欲しい」というような一刻を争うメールじゃなし(そんな連絡、メールで するな)、行き違いがあったなら当人同士が再度メールか直接電話をすれば済む事で。

 そういや、しばらく前。
 早朝にヨメと、駄犬を散歩させようと歩道に出たら、その端の方に、何か青い物が入った小さなビニール袋が落ちていた。
何だろうと拾い上げると、中身はビデオレンタル屋で貸し出す際にDVDなどを入れるケース。
 重いので、ケース内を確認してみると、4本ぐらいのDVDが入ったまま。
 落とし物かと思ったが…

 挟まっていた貸出票を見ると、去年の4月に借りた物らしい。
おいおいおい、レンタル期間1年半
延滞料はいくらに…というか、もうソフトの買い取りを求められる騒ぎだろうな。
 1年半も借りていて、ようやく返す気になってレンタル屋に向かう道中、うっかり落としてしまった……ってのもなかなか考えられない確率。
気が付いて探したなら、見つかったはずだし。
 店まで行こうとしたものの、どうせ文句を言われると思い、面倒になって捨てたのでは?
 あるいは、店まで行ったのだが、法外な(笑)延滞料の支払いを求められ、モメた挙げ句にDVDを持って店を飛び出し、癇癪を起こして道に投げ捨てて帰ったとか。

 好奇心で、入っていたDVDのタイトルを見ると、アダルト物ばかりで…
『美脚ワイセツ女教師』『女教師監禁飼育』『僕のお姉ちゃん達は女教師』『女教師MAX ガマンできない聖職者』……
そんなに女教師が好きか?
(タイトルは不正確)
 いやいや、確かに「女教師」って職業には男性脳内の弱い所をくすぐって来るイメージがあるけども。
 借りた物はきちんと返さないと、先生 許しませんよ!とか怒られちゃうよ?(馬鹿)

 せっかくだから、『勉強のため』中身を見てからレンタル屋に届けてやろうと思ったのだが、ヨメに「このまま持って行って店の前の返却ボックスに入れておきなさいよ」と言われ、取り上げられてしまったので、残念ながら断念。とほほ。
 届けてやっても、借りていた本人は別に どうでもいいだろうし、レンタル屋も「この野郎、延滞料を払わず逃げやがった」と思うだろうから、誰もこの わざわざ店まで持って行った自分の行為には感謝などしてくれまいなあ。
 別に何の義理も無いのだし、放って置いても良かったんだけどね。
人間、なかなか そうは出来ないもので。

 上記メールは、そういう人間の心理にツケ込んだ物だろう、という話。


2004年9月6日 月曜日

 レンタルで映画『ペイチェック』を見る。
 監督はジョン・ウー。主演がベン・アフレックとユマ・サーマン。
原作フィリップ・K・ディック。

 他人様の技術にチョイと手を入れて、より進んだ製品を作り出す能力を持った主人公は、企業を渡り歩いて契約期間のみ技術開発を行っては、期間終了後、莫大な報酬と引き替えに開発中の記憶を全て消すという、後々モメる可能性が非常に低く済む、青色発光ダイオード関係で大騒ぎした日亜化学工業なんか喜んで契約するんじゃないかと思われる形式で、仕事をしていた。
 ある時、異例に長い期間での仕事を受けた主人公は、仕事終了後、自分が、ガラクタのような品物と引き替えに報酬をもらう権利を放棄した、と聞かされる。
 そして彼は、巨大な陰謀に巻き込まれていく…

 ジョン・ウー映画にしては、考えられた構成。
何の役に立つのか分からないアイテム群が、物語の展開と共にどこかで その必要性を主張し、役立っていく辺り、パズルにピースが嵌っていくような快感がある。
 アイテムの使い方には、「なるほど!」というよりは「そんな無茶な(笑)」と思える物が多いけど。
 弾丸の使い道、てっきり「自分を撃つはずの拳銃に入れておく麻酔弾」なのかと考えてたんだけどな。
もっと力押しの使い方か。

 B級、とまで言わないが、イマイチお金が掛かっていないように見えるのは、監督の撮り方のせい?
妙にセットが狭苦しく感じたり するんだけど。
 ベン・アフレックが天才的技術者、って配役は、どうよ?
彼が無駄に格闘技の達人であるという設定は、監督の趣味…美意識?なんだろうが。
 ヒロインにユマ・サーマンも、余り合わないような。
無機質な美しさがあった昔はともかく、最近は、顔に不穏な雰囲気が出てきてしまい、まー『キル・ビル』主演にピッタリな役者さんになったと思う。
この映画でも、後半は恐るべき戦闘力を発揮するから、それを考えれば役に合ってる?

 ジョン・ウーらしさが薄い映画。
バイクアクションに迫力はあるけど、あの程度なら他の監督でも撮れたと思える。
 手をクロスさせて互いの顔に拳銃を突きつけるシーンや、お馴染みキメのシーンで飛んで行くハトなど、一応は お約束を踏襲しているが、どうにもパワーが弱く、新人監督がオマージュを捧げたようにしか見えない。
 この監督に、小技を効かせたシナリオは合わないんじゃないかなあ。
もっと大雑把で、無用なまでに熱い男達のドラマをこそ強調する作品が、ふさわしい。

 ツッコミ所も含めて そこそこ楽しく見られ、時間潰しには もってこいの映画。
見ても、レンタル代金ぐらいは損しないと思う。
 DVDにはボツになったシーンが収録されており、それを見ると、少しばかり繋がりが悪いと思えた流れを補完できる。
ボツになったオチは…実際の映画で使われたバージョンの方がイイかな。



『蒼穹のファフナー』09.「同化〜わかれ〜」

 大きな破綻は、無い。
島でのミッションの失敗、撤収時 甲洋を襲った同化現象、自分たちの島に帰投した後に見せるキャラ達のリアクション、同化された甲洋の姿と両親の始末。
 結構 詰め込まれたイベントをポンポンと消化する事で、見ていて飽きない構成に なっている。
 ただ…不満だったり不思議だったりする所は、相変わらずあって。

 島の上空から戦いを見下ろす、少年→青年変態を遂げた人間型フェストゥム(?)。
今回は何もせず。
 ワルキューレの岩戸に入っていたのは、全滅させた島に捜索隊が近づいてくるのを待ちかまえるため…かと思ってたんだけど。
数人を同化しただけで事足れり?
 自身の戦闘力は低いので、巨大フェストゥムを俯瞰して指揮していたとか。
それとも、甲洋を襲ったフェストゥムが彼の実体?
 ああ、今回の同化が青年による甲洋への「侵入」を目的とした物だったとすると、目覚めた甲洋=フェストゥム青年による、竜宮島内部からの侵略行動、あるいはカヲル君化しての主人公達への接触、という展開が考えられるか。

 溝口が、酒を飲んでいるかと思えば水だった、という描写は良かった。
 作中のどのキャラよりも、このオジサンが楽しげに描かれていると思える。…ああ、甲洋両親のダメさ加減を見せるのも、楽しそうか。
 いっそ溝口をファフナー乗りの主人公にして、『ボトムズ』調のハードなドラマにすれば、どうも子供を描くのが不得意そうなスタッフには、作りやすかったのかも。
甲洋父なんか、カン・ユー大尉の役割にピッタリだし(笑)。

 今回は(も?)総士の一騎偏愛ぶりが目立つ。
甲洋同化の危機に際して やる事は まず一騎を口説いて脱出させる事かよ(言われるがまま甲洋を見捨てる一騎の心の弱さも、主人公としては どうだろう?)、とか、一騎は逃げ出させたが他のパイロットが甲洋救出のため水中へと飛び込むのは推奨する(島自爆時間の変更は知ってたんだっけ?)とか、酷すぎ。
 ファフナーに脱出装置は無いのかな?子供の命は使い捨てが基本みたいなので無いかも知れないが。
あるなら、まず甲洋の命を優先する命令を出すべきだったと思う。もっとも、真矢と溝口を見捨てて自分だけ逃げろ、という命令に、現精神状態の甲洋が従うはずもないけれども。
そういう葛藤が、ドラマ。
 咲良が海に飛び込む以前に甲洋の同化は完了していたようなのだから、接触は彼女まで同化される危険があるばかりで益は無い。
せめて警告ぐらいしてやってはどうか総士。
 同化された人間はどうなるのか、というデータは、司令部でも持っているはず。
咲良に命を賭けて救出させる価値がある程、同化を解かれ健常体に戻れる可能性は高いのだろうか?

 フェストゥムが よく分からないなあ。
 咲良ファフナーに興味を示さなかったのは何故?
 自ら一騎ファフナーの腕を切り落とさなくとも、一騎と、ついでに飛行艇まで同化しようとして良かったような。
 ファフナー一機、人間一人を同化したら、その後処理に時間が掛かる?

 ここはこんな感じでどうか…
 甲洋ファフナーの手を掴む一騎の機体にまで、フェストゥムの触手が伸びる。
手を放せと命令する総士だが、一騎は従わない。
 このままでは一騎はもちろん、飛行艇までも同化され、犠牲者を増やすだけだという総士の言葉に激しく苦悩しつつ、しかし(翔子を助けられなかった傷もあって)その手を放せない一騎は、逆に飛行艇を掴んでいた手を離してしまい、共に落下を始める。
 こうなっては仕方ないと、海面への落下前に(脆くなっていた)甲洋機体を破壊しコックピットを回収するよう指示する総士。
 迫る同化の危機の中、海面への激突ギリギリでコックピットの回収に成功。
 その瞬間、飛来した咲良ファフナーが一騎機を抱え、同化が終了した甲洋機・フェストゥムから引きはがして飛び去る。
 ……とか。

 甲洋の両親、非情なように見えて、その実 息子に愛情を感じ始めている…といった描き方になるかと思ったが、本当にヒデエ親だったんだなあ。
 チョイと画面に触れたら「生命維持装置、解除しますか?」「YES」「NO」という表示が出る、病人を安易に抹殺する目的で組み上げられたような維持装置のシステムには、笑う。
 島から追い出されて、ドコへ?
お仲間の新国連に何とかしてもらえ、って?

 ろくろを回す一騎父や、学校風景など、日常描写が大事なのは当然であり、それはそれでキャラを描けていたけれども…
悲惨な戦時下で、しかも司令部の練度が低くパイロットの育成も間に合ってない状況で、そんな のんきな事してる場合かなあ?とも思える。
 戦闘と日常の切り替えを面白く描いていた『エヴァンゲリオン』の構成を、考察が足りない状態で取り込んでしまったような厚みの無さ。
 もっと話が進み、使えるパイロットの数が増え、多少は戦況に余裕が出来てきたら、不自然さは減るかも知れないが。

 文句を言いつつも、今回は、それなりに面白く見られた。
この調子で頑張って頂きたい。
 次回はコミカル気味 日常話なのかな?

 M・ナイト・シャマラン監督の新作映画『ヴィレッジ』の予告を見ていてふと…
閉ざされた竜宮島、そこだけで暮らす事に不満を感じた若者が脱出を試みると、外にはフェストゥムが居て、襲われてしまう。
その恐怖をもって、島は長く閉鎖された平和の時を過ごしてきたのだが…
 という内容にする手もあったのかな。
 実は、日本は(世界ごと)滅んでいて、それを住民に知られパニックになる事を恐れた島の一部の大人により、外界へ出すのを食い止めるべく、怪物・フェストゥムという架空の存在が作り出されていたのだ…って感じの話で。
 26本も もたせられるアイディアじゃ、ないけど。

 12話ぐらいから文芸統括の冲方 丁先生がシナリオに加わる…というか ほとんど一人で書くと噂で聞いたけど、本当?
 今のライターのままでも、回を重ねて良くなっていく方向にはあると思うが。
この参加は吉と出るか、引き継ぎが上手く行かず かえって荒れてしまい凶と出るか。


2004年9月5日 日曜日

『マリア様がみてる・春』10.「黄薔薇注意報」

 相変わらず、凪いだ水面を吹きすぎる微風が起こす さざ波のようなドラマ。
 由乃と令の関係が、このエピソードによって破局を迎えるかも、と本気で信じる視聴者は珍しかったろう。
 もちろん、嫌な部分をどうしても含んでしまうドラマティックな展開よりは、ラブラブカップルぶりを微笑ましく くすぐったく楽しめる・楽しみたい客に向けて作られた作品であり、それで問題は何も無い訳だけど。
 令の表情や行動に一喜一憂、他の子と仲良くする様にはヤキモチを焼く由乃の、繊細でフクザツな心の動きは楽しく、見応えがあった。

 ラスト、一本の傘で雨をしのいで帰っていく由乃と令。
その傘の一端が ひしゃげているのは、象徴的かなあ、とか。
 相合い傘が文字通り示す二人の関係。
それが変形している事により醸し出される、不安定さと不自然さ、不完全である様子。
 常識的「外界」から切り離された空間である「学園」に居る間はともかく、そこから外の「世間」に出た途端、降りしきる雨から二人を守りきる事が出来ないような「傘」…関係性しか持たない事実。
 それでも、それだからこそ彼女達は身を寄せ合い、関係を密にする事で「雨」を避けようとしていく。
怖いのは、「雨」に打たれ、その冷たさに(相手が・自分が)夢から覚めてしまう事、なのかも。

 いや、男と女の仲が「現実」で、女同士の関係は「夢」って認識は、古い、ってゆーか固いのかな?(笑)



 うわー、愛用VAIOの液晶面に、幅1ドット程の黒い横筋が2本、入るようになってしまった。
液晶の欠け、なのかな?
 とにかく非常に目障りなので、何とかしたい。
 修理とか、効くんだろうか。
液晶のヘタりは、買い直すしかない?
 VAIOのモニターは専用の仕様になっていて、他社の物では代替が効かないから、やっかい。


2004年9月4日 土曜日

 今頃になってようやく映画『スパイダーマン2』を見る。
 監督サム・ライミ他、キャストも引き続いての続編。

 公開後、かなり時間が経っているので、遠慮なく内容に触れる。
未見の方は、御注意を。


 いやあ、面白かった!

 とにかく中盤まで、スパイダーマン/ピーター・パーカーは徹底して酷い目に遭い続ける。
ピザ屋のバイトをクビになり(あの時間内での配達は人間じゃ不可能だと思うな)、メリー・ジェーンの演劇を見に行けず ふられ、親友からはスパイダーマンの正体を教えろと責め立てられ、大学では怠け者と言われ、経済的に困窮してアパートの家賃も払えず、叔母さんの家まで差し押さえられそうになる。
 全ては、「ヒーローであるがため」の苦悩。
正体を隠して正義を貫くヒーロー(ヒロイン)には、必ずつきまとう損益。

 『スパイダーマン』という作品自体が、超常能力を持った人間の苦しみにスポットを当てて作られているからなあ。
3Dによるアニメ版など見ていると、「無理に報われなくしている」様子さえ見て取れる程。
 自らは多くの物を失い、傷付いてまで、誰を・何を・何のために守り戦うのか。
それは本当に、そこまでする価値のある物なのか。
 納得のいく答えを出す事は、なかなか難しい。

 この映画では、ピーターを理解してくれる叔母の言葉、彼が救った電車の中から差し出され彼を支えた沢山の手、彼を信じ・その戦いに感謝し・示された「正義」に「正義」で応えようとする人々の姿を映す事で、力強く その解答を描き出している。
そりゃあもう、ヒーローになりたかった事のあるオッサンを ほろほろと泣かせてしまう程、熱く、優しく、感動的に。

 ストレスを感じさせる描写を積み重ね、フラストレーションが限界点に達した所で一気に爆発、怒濤の如き戦いの果てに勝利を収めさせ、徹底したカタルシスを感じさせる。
娯楽映画、特に「ヒーロー物」の醍醐味が、ココに ある。

 しかし、核融合の実験をするのに、あんな体に悪そうなアームをビッチリ生身と融合させ、その4本それぞれに根性の悪い人工知能を搭載、しかも その制御装置を凄く壊れやすそうな所に剥き出しておくドック・オクは、間抜け…では可哀想だから、マッド・サイエンティストと呼ぼう。
 CGを駆使し、彼とスパイダーマンが猛スピードでビルの壁を昇り、落ち、物を掴んでブン投げる。
バトルシーンの迫力は、前作を大きく上回っていると思う。
 ドック・オクとスパイダーマンの関係性が弱かったのは、ちょっと残念かな。
まあ、今回はピーターと彼女・親友・叔母の関係性が大きな軸になっているので、敵とまで必要以上に親しくする必要はないが。

 もう一つ大きく残念なのは、主に個人的な好みとして、前作から引き続き やっぱりヒロイン、MJに美しさを感じられない事。
トビー・マグワイアが女装した方が、まだ美人になりそうな(笑)。
 キャラクターとしての彼女の描き方も ちょっと説得力に欠け、魅力が感じられず。
 ピーターが住むアパートの、大家の娘の方が、まだしも魅力的。

 結局、MJはピーター/スパイダーマンを受け入れた訳だけど、この後は どう展開するのか?
親友も、スパイダーマンの正体を知り、父親の本当の姿まで知ってしまった事により、人間関係は大きく変化しそう。
 次回作は、遺伝子に刻まれたダークサイドに振り回された親友が、2代目グリーンゴブリンとなり敵に?
 MJは編集長の息子と結婚させた方が、次回、怪物へと変わり始めた夫の正体を薄々と知りつつ、表面上だけでも平和である家庭を守ろうとし、夫を傷つけるスパイダーマンに憎しみを…って感じで、また複雑な人間関係が構築できたのでは?
 ただ、「苦悩の物語」は良いけど、「悲惨な話」には しないで欲しいもんだ。
今回のバランスは素晴らしかったが……

 次回作にも期待。
サム・ライミは まだ撮るんだろうか?


2004年9月3日 金曜日

『無人惑星サヴァイヴ』45.「お父さん!お母さん!」

 アダムの両親が残した記録で辿る、惑星の過去は…
んー、割と良くあるパターン。
 惑星再生マシンが、環境を復活させるには自らの産みの親である「人間」こそ邪魔な存在だ、と判断して排除に掛かる、ってのは、そのまま『電童』でも やっていたような。
問題提起、文明批判、業の有りようや、それでも生きなければならない 人が成すべき正しい道への模索など、様々なテーマを盛り込みやすい舞台設定で、特にジュブナイルにおいて、有効な仕掛けであるのは理解できるけど。

 『サヴァイヴ』は、基本アイディアそのものよりも、素材の料理法が優れている作品。
「数人の男女が見知らぬ惑星に漂着、サバイバルに入る」という大元の設定自体が、既にやり尽くされた感があるモノで、番組開始当初は、面白くなるのかどうか疑問視していたぐらい。
 だから、惑星の成り立ちの種明かしより、それを経る事で作り出せるようになる新たな局面…葛藤、希望、危機を乗り越えていく子供達の勇気、それらに期待するべきだろう。

 アダムが生まれるまで、の回想。
自らの愚かさにより破滅に瀕した惑星、宇宙に救いを求めて飛び立つ人々、惑星に残った人間が宇宙船(のようなモノ)の中で生きていき、新たに生まれた命を実の両親以外も我が事のように喜ぶが、その子供を残し「業」を背負って行くように大人達は死んでゆく……というのは、『未来少年コナン』でのコナンが生まれた経緯と、非常に良く似ている。
 さすが同じNHKアニメ、と言うべきか。

 …ところで、シャアラとハワードは、まだ再登場しないの?
無事だと思うんだけど。
 流砂が流れ込む地下に巨大空洞と うち捨てられた科学施設があり、その無人ドックで船を改造、強力な戦艦として生まれ変わらせ、仲間の危機に駆けつけ圧倒的な火力で環境マシンを沈黙させる……とゆーよーな豪快な展開を希望(笑)。
 それじゃ同じNHKアニメでも『ナディア』寄りか……


2004年9月2日 木曜日

『魔法少女隊アルス』05.「魔導書」06.「グリフォンの羽」07.「ピスキーの牙」08.「迷いの森」

 先週金曜日の放送分を今頃見るのもナニだけど、前回総集編が8月7日だから、余りにも間が開きすぎた放送。
 しかも、夏休みに4回ぐらい予定されていた総集編は結局、2回流した所で終わり。
 …次は冬休み?明日、金曜日から通常放送を見てもいいけど、8話分も飛ばしての鑑賞では、ストーリーの流れさえ追えるかどうか。

 それはともかく。
 やっぱりシリーズの構成はムチャだと思う。
この辺で このぐらい面白くできるスタッフなら、もっと客を引き込みやすい導入部にする事は可能だったろうし、キャラクターを最初からエキセントリックに描きすぎずとも、ドラマが作れたはず。
 が、何のかんの言いながら ここまで見てくると、直情径行ヒロイン・アルスや、ヒネくれているようで全然人がいいシーラ、落ちこぼれつつ一生懸命なエバに、愛着が湧いてくる。
 次第に明らかになってくる世界の全体像と、まだ「謎」であるポイント。
通り一遍ではない「魔法」の有り様と、魔法学校の様子も興味深い。
 時折ヒドい顔に(もちろん意図的に)描かれるアルスが愉快。
その世界の常識に縛られず、自分の気持ちに素直に行動する彼女が、落ちこぼれや新人魔女達の気持ちをまとめ上げていく…という展開になるのかな?

 妖精の自由を奪うのではなく、仲良くなる事で魔法に必要なモノを分けてもらってはどうか、と考えるアルス。
 でも、汗や涙のような いくらでも分泌できる物質ならともかく、羽や牙となると、数十人、数百人相手には「妖精の好意にすがって」分けてもらう訳にもいくまい。
その辺の問題を解決する手段はあるのかどうか。
 また、(当人は余り深刻に考えている訳ではないようだが)アルスが現実世界に帰ってくる事は出来るのかどうか。
 面白くなってきた所だけど……



『鉄人28号』22.「暴走の果てに…」

 正太郎と高見沢のやり取りが微笑ましく、楽しい。
正太郎って、六法全書なんか読んでるのか。
…少年探偵業に必要な知識では、あるのかな。

 拳銃を構えてにらみ合うニコポンスキーとベラネード財団側二人だが、仲居に化けた村雨が部屋に入ってきた途端、何事もなかったように向かい合って座っているのに、笑う。
『キル・ビル』の1で、殺し合いの最中に相手の娘が帰ってきた際、急に友達同士っぽく装っていた様にも似た、馬鹿馬鹿しさ。
 ニコポンは騒がれると困ったかも知れないけど、ベラネードは、侵入者だと騒ぎ立て、あるいは撃ち殺してしまっても正当防衛で通るような。

 黒部登山レース。
各ロボットが死力を尽くし、悪辣な罠が待ちかまえる壮絶なレースに…なるかと期待したが、あっという間に決着。
 せっかくのシチュエイションが勿体ないような…アクションは作画枚数を喰うから避けた、って所も?

 正太郎、精神的にだいぶ落ち着いたかと思われたが、まだ親父の件を引きずっており鉄人にムチャをさせてしまう。
「鉄人には命令するんじゃない、一緒に戦う、その気持ちを忘れるな」という心境には、なかなか到らないなあ。

 敷島博士の正体は、意外と…?というような部分も見えたり。
いや、でもそれじゃ変か…うーん、どう決着するつもりなんだろ。
 太陽爆弾の所在地。
今川監督、「主人公ロボット自体が、最強かつ最凶の存在である」って設定が好きねえ。
「動く迷惑な爆弾」に殴り合いをさせる事に、何か特別な意義を見出しているのだろうか。



『ギャラクシーエンジェル4th』17.「コ・ロ・ロ・ロシアンティー」18.「アヴェンジャーエール」

 前半。
 殺し屋、カイザ・ムラカミの声は…
楽屋オチを知っていれば、声優シロウトにしては頑張りを評価できる演技。
何も知らずに聞いた視聴者にとっては、あんまり上手くない声優さん、という所だろう。
 ミルフィーユを様々な方法で殺そうとするネタは、そのままだと まあ普通だが、ウォルコットを徹底的にイジメ抜く事で、のんきなミルフィーユと対比する面白さを加え、ネタ自体もテンポアップしたのは巧い。
 様々な殺人の罠をくぐり抜けられたのは、ミルフィーユが持つ「幸運の遺伝子」の働きだと思ったんだけど…オチが「既に死んだ人間は殺せない」というモノでは、あんまり幸運じゃないなあ。
いや、死んだ状態で危機の局面をかわし、最終的には殺し屋に生き返らせてもらう事で無傷の復活を遂げるのだろう…という意味では、ラッキーと言える……のかな?
 『ボトムズ』主人公のキリコが、決して死なない・殺せない特殊能力を持っていたように、ミルフィーユを殺そうとする仕掛けが多様な原因により不発(あるいは「呪詛返し」される)で、どうしても傷さえ付けられない、その様子をポンポンと見せていくのも、キャラの特性を彫り込むという意味では面白かったかも。

 後半。
 肉体強化を図るノーマッドの成り上がりボクシングの模様が、意図的に『あしたのジョー』であり、個人的にツボなので、笑ってしまう。
カーロス、ホセはともかく、ハリマオまで出す凝りようが嬉しい。
時間的余裕があれば、縫いぐるみボディーには意味のない減量を絡めて、金竜飛ネタも欲しかったかな。
 軍隊と戦うあたりからはグダグダだけど、オチが無いのは いつもの事だし。


2004年9月1日 水曜日

 朝6時頃、駄犬を散歩させていたら、駅前書店の店頭で大きな声。
酔っぱらいがクダ巻いているのかと思えば…
 『ハリー・ポッター』の新刊が出た、というので、販売解禁になる朝5時ぐらいから店頭にテーブルを出し、呼び込みの声を上げて売っているのだと。
はー……
 人気があるのは確かだろうけど、客も、朝5時に買い込んでまで読みたいモノか。
 今日は新宿に出ていたのだが、紀伊国屋前でも、駅の構内でさえ特設コーナーを作って売っており、驚いてしまう。
 凄いもんだなあ…

 でもまあ、『ドラクエ』に夢中になっていた頃に、朝5時から販売してくれる店があれば、余裕で2、3時間ぐらい前からは並んだだろう。
「『ドラクエ』なんて、そんなにやりたい?」と聞かれたなら、「やりたいに決まってるだろこの野郎!」と答えたと思う。
 だから、大好きで一刻も早く入手したい、という気持ちは理解できなくもないかな。
 ただ、『ドラクエ』はロム時代、圧倒的に(計画的に?)品不足で、初回出荷を首尾良く手に入れられなければ次はいつ買えるようになるか全然分からない、という不安要素があった。
『ハリー・ポッター』って、特に最近の刊行分については多目に刷っているはずで、売り切れ書店続出、って騒ぎでもないのでは?

 いやいや、それなのに朝5時から売りたい・買いたい、って関係が成り立つのは凄いよね、という話。
 ここまで壮絶な現象となって売られていると、「羨ましい」とか何とか思う次元を超えている。
場末の漫画描きからすると、既にファンタジーの域。



『ウルトラQ 〜dark fantasy〜』22.「カネゴンヌの光る径」

 久々に楽しく見られた話。
 いや、ストーリーその物は旧作の そのまんまな焼き直しであり、現在 作り直す価値はあるのかどうか疑問だったが…
 鮮烈な映像センスと、江戸東京たてもの園でのロケを交えて醸し出す、時代がいつか分からない不思議な雰囲気(土管がある空き地、なんて現実にはもう無いよね)、子供のセリフに託して投げつける言いたい放題の意見(募金運動をする兄ちゃんに、本当に相手に届けてるのかよ?と言い放つリアリストぶりには笑ってしまった)など、面白い所も多々。
 旧作カネゴンでは、困り切ったカネゴンが、「俺達、友達だろ?」と すがるように言うのに応えて級友に、「昔はな」と言わせてしまうシビアさが、好きだったなあ。

 主人公の女の子は、別段お金に汚い訳でもなく、カネゴンヌに変身する理由は無いような…
父親がどうして出ていったのか分からず、残された家族が裕福に暮らせている原因も不明。
 この辺を整理して、女の子が、出ていった父親への反発から「お父さんは嘘つきだ、結局お金なんだ」と考えるようになり、そのワダカマリがラストで解ける構成にすれば、それなりに感動的になったんじゃないかと思う。
 が、今回は、イイ話にしようとする意図があったのかどうかも疑問なので、「映像の面白さに30分引きずり回された」という感想を、視聴者に抱かせれば成功なのかも。

 聞く所によると この番組は、深夜のバラエティー並の安い制作費で作られているそうで、特撮担当者など「お年玉」みたいな金額しかもらえず、ややこしい作業をやらされているらしい。
 それにしては今回、アチコチ頑張っていたのではあるまいか。
 このレベルの話が、3回に1回ぐらい入ってくれれば嬉しいんだけど……


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