ときどき日記 05/03

2005年3月30日 水曜日

『スターシップ・オペレーターズ』最終話.「モーメント・オブ・トゥルース」

 う、うう〜ん…こういう終わり方かあ…
 アマテラスに新型パーツが装着されパワーアップして地球艦隊を撃滅し、「これからは地球が敵だ!全宇宙を平和にするまで戦うぞぉ!」などと言い始める破綻した終わり方ではなくて良かったが…
 これで「面白かった」と言える理由もなく、どうしたモノだか。

 彼らは結局、地球に何を求めていたんだろう?
 公平な裁定による停戦?
そんな事をしても、地球に何の得もないのに?
 フセインの独裁に苦しんだ人々にとり、アメリカがやってきて政権を崩壊させてくれた事で何もかも良くなったかというと、今度はアメリカによる統治(独裁?)が始まった、というだけの話で、別に変わらない、って感じなのかな?
「自国に、何を一番望むのか」によって、どちらの方が良かったか、判断が変わってくるだろうが。

 王国って、そんなに酷い侵略・統治を行っていたのかなあ?
圧政をひいて財産を奪い取ったり、市民を無差別に虐殺したり、というような。
 見ている限り、各惑星 所有の戦艦を落とし、降伏勧告して受諾されて…平和な侵略模様だったと思うが。
 地球のような、「死人に口なしで、無用な事を知った奴等は皆殺しにしてしまえ」って程は悪さを してなかったり?
 そうなると益々、アマテラスの戦いは何だったのか、そのまま何もしない方が良かったんじゃないか、って話に。
 そういう雑多な事を視聴者に考えてもらうのが狙い?
それにしちゃノイズが多い作品だったなあ。

 地球のテンパり方からして、地球に行った政治家のオッサンも殺されかねない。
巨大な力を持っている(のであろう…どうも地方局以下の規模にしか見えなかったが)銀河放送局のプロデューサーまで射殺するんだから。
 オッサンが、地球に言われるがままの傀儡政権を作ってくれるなら、利用価値を認められるかも知れないけど。
んー、でもこの際キビ一惑星ぐらい どーでもイイし、何かしら野心を持っていたり頭が切れたりする奴は いずれ扱いづらくなるに決まっている訳で、要らない裏事情まで知っているオッサンは、「アマテラスと共謀して地球に害をなそうとした」とか何とか罪状など いくらでもデッチ上げられるだろうから、やっぱり射殺だな。
 アマテラス乗員は、何しろハッキリと地球に敵対行動を働いた「敵」な訳で、そらもう執念深く探され、見つけられ次第 処刑される事だろう。
 彼らの命は、最後の放送が どれだけ大波を起こせたか、それだけに掛かっている。
 …しかし、地球は捏造放送まで平気でしてる訳で、放送の混乱をアマテラスと組んだプロデューサーの仕業とし、捏造映像をあと二つ三つ作って都合の良いストーリーを付ければ、地球を絶対正義の側に持って行く事など容易いのでは。
 戦争(侵略)において、メディアを押さえるのが最重要事項…ってのは、園田先生の『砲神エグザクソン』で もっと徹底して、しかも何気なく描かれており、比べると物足りなさばかりが残る。

 作品世界の捉え方やドラマ展開が、どうにも「幼い」印象なので、余り真面目に考えても仕方ないか。
 「こういう終わり方もアリかな」とは思うけど、「ずっと見てきて良かった」と思える終わり方ではない。
 うーん……まあ、来週からの『ムシキング』に期待、って事で。



 CSで続けて放送していたので、『メガゾーン23』『メガゾーン23Part2〜秘密く・だ・さ・い〜』『MEGAZONE23 3 イヴの目覚め』を見る。
 1と2は発表当時レンタルで見ていたが、3を見るのは初めて。

 時祭イヴの歌とか、独特の世界観、無茶なバイク変形ロボなど、印象に残るギミックは覚えていたけれども、ストーリーは余り覚えていなかった。
 で、2までを見返してみて…
うーん、コレは印象に残らないや。
特に1、何でそうなるのか、理屈では割り切れない所が多い。
 2はもう少し理屈が通り気味で、3は普通に見られる。
 が、テーマであろう「若さ」や「権力への反逆」といったモノが最もストレートに伝わるのは、最初の作品。
作を重ねる毎に、その辺は弱くなっていく。

 三作通じて、主人公は無茶な奴だと思う。
もうちょっと話を聞いたり、他人の事情を斟酌する度量が あっても良かろうに。
 勝手な思い込みで突っ走って、周囲にムチャクチャ迷惑を掛けた挙げ句、ストーリーからの「それで正しかったのだ!」というフォローで救われるパターンを見せている。
 確かに、そういうデタラメさを「若さ」と言うかも知れないが。

 戦闘変形バイク・ガーランドに特殊端末を積む必要は、ほとんど無いような…
走りながら重要なコンタクトを取る理由が無いし。
 見た目優先、インパクト重視。
 最重要軍事機密に乗り込んで敵と戦う、ってパターンは、『ブルーサンダー』と似ている。
いやまあ、よくあるパターンといえばそうだけど。

 せっかく変形するバイクと、実在する都市を出しながら、その利点をバトルでほとんど活かしていないのが残念。
 発表当時、余りにも不満で、新宿地下街を走り抜けて西口高層ビル街に出て…という戦いの構成を一人でノートに書き付けていたのを思い出す(笑)。

 ああ、そうそう、初見の3は…
シリーズの流れとして特に作る理由が無い、蛇足気味の作品。
 最初の方の、バーチャルゲームで高得点をマークする主人公、って辺りは、無用に長いし、ほとんどカットして問題ないのでは?
 独立した作品として見ても、キャラが薄く、ドラマに興味が抱けず、舞台が架空の(アリガチな)未来都市に移ったせいもあり、退屈な出来に。
中割が間に合っていない、カクカクした動きが続いてしまうのも難点。

 1、2でのイヴの歌を、今になってもソラで歌える事に驚く。
そんなに自分の記憶に残っていたのかあ。
 時間経過による思い入れのせいもあろうが、なかなかイイ曲だと思うな。
CD聞きたくなった。



 映画『ナショナル・トレジャー』を見る。
 監督は『クール・ランニング』『あなたが寝てる間に…』のジョン・タートルトーブ。
主演ニコラス・ケイジ。
 隠された伝説の秘宝を巡り、祖父の意志を受け継いで それを探そうとするニコラス・ケイジと、奪取を狙う一団との戦いが始まる…

 「秘宝」とか聞くと、どうも『インディー・ジョーンズ』シリーズを連想してしまう。
…という期待に応えられる程は、危機一髪の仕掛けや大掛かりなアクションが無かったけれども、速いスピードで物語が進んでいき、それなりに頭を使った脚本が見えるため、最後まで飽きることなく、アッという間に見終えられる。
 ディズニー映画らしい お行儀の良さがアチコチに。
暴力的な描写は極力抑えられて、「ココで撃ち殺しちゃう方が面倒無いのに」と思う場面でも、ニコラス側は勿論 悪役側も そんな酷い、教育上悪い事など しやしない。

 一つ謎が解けると、またすぐ次の謎が、という構成で進めていくのは上手い。
謎解きが、特に日本人には分かったような分からないようなモノだったりするけど。
 失われた三種の神器のウチ 八咫鏡を探し出すため、使われなかった地下鉄新橋駅に潜入したり勝鬨橋を上げてみたり、秘密が余白に書かれているという「解体新書」のオリジナルを国会図書館最奥部から盗み出したり、というストーリーが、日本以外の国の人にピンと来るかどうか、って話で。

 最後に現れた宝は…アレだよね、アレ。
まさに人類の宝ってヤツさ。俺のポケットには大きすぎらぁ(『カリオストロの城』)」(ネタバレ色替え)
 ご家族で、あるいはデートムービーとして、気楽に見られる出来。
CGを多用してモンスターを出しているとか、そういった見返したくなる要素が少ないので弱いが、とりあえずヒマな時 見るには適した映画。


2005年3月29日 火曜日

『スクールランブル』最終話.「 突然の「さよなら」…迷い込んだラビリンス…あなたはだれ?…教えて。「すれちがい」「片想い」とどけ、ボクの気持ち。とどけ、ワタシの想い。たぶん一度しかない季節、青春の1ページ。これが最後のチャンス、確かめたい…キミの気持ち。伝わる言葉、伝わらない想い。あの日の告白、永遠の一日、だけど…いつまでも続いていく、わたしたちの「いま」。そして明日へ…「スクールランブルフォーエバー」 」

 サブタイトルだけで行数が埋まった気がして、もう感想を書き終わったような気持ちに(笑)。
 「実は漫画の話でしたオチ」「夢オチ」と繋げて、やりたい放題やりながら、何となく最終回っぽい雰囲気を醸し出していた。
 烏丸が宇宙人でした、という話。
天満の記憶を操作して、本当の恩人は播磨なのに その位置に烏丸が取って代わって入り、恋心を向けられる対象になっていた…ってのは『時をかける少女』風。
これはコレで、いい感じの終わり方に出来そうだったが、このアニメの最終回には向いてないかな。

 天満と猫が入れ替わって…の方は、いかにも このアニメっぽく。
上手く伸ばせば30分 もたせられるネタだったと思うけど、贅沢な使い方。

 最後が、天満と烏丸のハッピーエンド風味で終わったのは、このカップリングを取り立てて応援する気になれず、どちらかというと かなりの話数で「主人公」の位置に居た播磨の気持ちを追って来た身としては、不満。
 とは言え、わざわざ作った予告編のギャグも込みで、良い感じの最終回だったのではないか。


2005年3月28日 月曜日

 酔狂にも実写映画版『鉄人28号』を見に行く。
失礼な言い草だけど、予告編などを見ていると、どうしても傑作に仕上がっているようには思えなくて。

 で。んー…まあ、予想通り。
ロボットの登場シーンが割に多いので、最後まで退屈する事なく見られはしたが。
 この映画を楽しむには、果てしなく「大目に見る」気持ちが必要。
キャラの未整理ぶりを「大目に見る」、CGの安っぽさを「大目に見る」(時折、アングルの取り方や細かいこだわりなど、非常に良いカットもある)、強引で幼い世界設定やドラマを、鉄人の弱さを、正太郎少年の可愛く無さを、どこまでも「大目に見る」覚悟が。

 以下、内容に触れるので未見の方は御注意。



 頑張って、色々なモノを盛り込もうとはしているのだと思う。
 特にキャラクター配置。どこを切り取っても面白くなりそう。

 正太郎と、綾部老人&不気味な運転手をメインに据えて、老人を『ザ・ムーン』(まいなー)の魔魔男爵のごとく少年を試す大金持ちの位置に置く。
運転手を、実は超絶の殺人技の使い手(糞虫)にしてしまい、宅見配下のレイラと死闘を演じるさせてみるとか。
 その場合、正太郎のクラスメートが、彼を戦いに向かわせる大きな原動力になるだろう。

 正太郎と天才少女・真美をメインに。
父親を幼くして亡くした喪失感を抱える正太郎と、天才であるが故に周囲や親からさえ敬遠され孤独に過ごしてきた真美の交流を描く。
 凄まじい性能を秘めたロボット・鉄人を作り上げた正太郎の父・祖父に向ける真美の気持ち、世界の全てを破壊しようとする宅見に彼女が抱く危険なシンパシー、それを「人間」の側に繋ぎ止める正太郎。
そういったドラマで。

 まだまだ。
正太郎を弟のように見守る江島刑事との関係を軸に、『パトレイバー』映画一作目のごとく宅見の軌跡を追っていく彼女に正太郎が(少年探偵として?)ついて回る話にも出来る。
 宅見と正太郎を中心に、息子を失った宅見がロボット・ブラックオックスに寄せる思いと、もし息子が生きていれば同じ年だった正太郎を見つめる眼差し。
金田父と宅見の間に かつて交流があった事にしても良いし、宅見息子と正太郎は幼い頃に遊んでいた事があり、亡き息子の全てを移植したというブラックオックスと正太郎が対面した時に何かイベントを起こしても良い。

 最も妥当なラインでは、金田家三代に渡る鉄人への思い、親子の情を描けば。
テレビアニメシリーズと近くなるけど、「兵器」としか見えない鉄人を何故 父親は作ったのか、という辺りの葛藤をメインに。
それなら予告編の(本編にはなかった)「鉄人は、武器を持たないロボットなんだ」のセリフも活きる。
 まるで接点が無さそうな正太郎の両親が どうして出逢ったのか、も、余裕があれば描けよう。

 どうとでも出来る。
 つまり、本編では「どうにもしていない」という事だが。

 詰め込みすぎ、人間が多すぎ。
女刑事に部下なんて要らない、ただ騒いでいるだけの大塚警部も要らない。
正太郎のクラスメート達も、天才少女を出すのなら要らなかろう。
綾部老人も実質ほとんど必要ないし、宅見との関係も分からないレイラも削って良い。
 ストーリーにロクに寄与しないキャラクターをゴチャゴチャ出しても、画面が混乱するだけで何の益も無い。

 未整理さは、ストーリーも。
 「何故、まるっきり操縦がヘタッピな正太郎に、最後まで鉄人を預けようとするのか」という当然の疑問に、映画は「子供向け映画の主人公だから」以上の理由を与えてくれない。
 ブラックオックス一機で世界を壊滅させる、という宅見に驚く。
ずいぶん気の長い計画だなあ。何十年がかり?
 ヘッドマウント・ディスプレイを付けているだけなのに、鉄人の痛みを自分のモノとして感じてしまう正太郎に、??
それだけ感情移入している、という事なのかも知れないけど、痛みにのたうつ度にリモコン操作がお留守になり、その間 鉄人がボコボコにされているのだから、要らないリアクション取ってくれない方が鉄人も嬉しかろう。

 まあ、何はなくとも、鉄人のアクションにカタルシスがあれば許せたかも知れないが…
「おお!それだ!」という胸がすく活躍は全く見られず、ガコンガコン殴り合ってるだけのバトルは見せ場に欠け、ドラマが上手く乗っていない事もあって決着には疑問符だらけ。
 ただ…
いかにも不得手なリモコンで操っています然とした鉄人の動きには、妙な説得力があった。
テレビで時々やっている、小さな自作ロボット同士のバトルのように、格好良さゼロで不細工な戦いぶりが かえってリアル。
 それが、観客が『鉄人』に望んでいたモノかどうかはともかくとして。

 良い出来ではない。
しかし、余りの不出来さに笑ってしまう程ダメでもない(笑い話のタネには なり辛い、という事)。
 中途半端だなあ。
 もう少し時間を掛けて、CGには…期待しないけど、シナリオの絞り込みだけでも徹底して行えば、ラストに感動を演出する事ぐらいは十分に出来た内容だと思う。
 自分たちが作っている物語を、少しだけ客観視する事が出来ていたなら……と思うと、惜しい。



『UG☆アルティメットガール』最終話.「さらばアルティメットガール」

 背景が、もうすっかり処理を加えた写真になってしまったのは、時間と予算的都合によるものだろうか。
効果を上げている所も無くはないのだが…この萌え萌えしたキャラクターには合わない所の方が多いような。
 最終回に来ても、当初の高いレベルの作画は復活してくれず。
絵の可愛らしさや無駄な動きの良さに「面白さ」を頼っている部分があったため、ちょっと辛い。

 全体を見て、うーん…当然ながら、馬鹿馬鹿しい事、意味のない事を、開幕時の高いテンションのまま続けていくのは至難のワザなんだなあ。
残念ながら この作品も、手持ちのネタが尽きたのであろうシリーズ途中からは大きく勢いが衰えてしまい、「下らねー(笑)」から「下らない」へと印象が変わる事さえあった。
 最終回近辺、悲劇のドラマで盛り上げようとするのなら、怪獣と一体化してしまう真の方に もう少し「価値」を彫り込んでおくべきだったろう。
写真バカで特に良い所も無く…白絹がドコに惚れたのかサッパリ分からないので、お笑い話の間はともかく、多少なりと真面目に物語ろうとすると途端に弱さが出てしまう。
 軽いので感動には到らず、落差が足りないためラストを笑いに出来ない、物足りない終わり方。

 監督のムトウユージは、今年の劇場版『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』も監督している。
 『アルティメット…』と同じく、変身ヒーローモノのパロディーみたいだけど…うううう〜ん…
一気呵成に見せられる映画であれば、馬鹿テンションを維持して終わらせられるだろうか?
 脚本が きむらひでふみとの連名…ううううぅぅぅ〜〜ん……


2005年3月27日 日曜日

 WOWOW放送を録画しておいた『トレジャー・プラネット』を見る。
 ディズニー・ブランドのアニメ作品。
監督は、『アラジン』のジョン・マスカーとロン・クレメンツ。

 日本語吹き替え版で見たのだが、何と言っても、シルバーの声が出崎・杉野アニメ版『宝島』と同じく若山弦蔵だった、もうコレだけでオールドファンとしては感情移入度が二桁ぐらい跳ね上がってしまう。
 ジムの声が清水マリなら もうワンランク上に行く所だが、まあそこまで贅沢は。

 この作品、ディズニーアニメとしては評価が低い方だと思う。
すっかりディズニーと不仲になったピクサーが、大いに皮肉を込めて「傑作」と評していたし。
 だから、全く期待無く見たんだけど、いや別に悪くない、どころか、そこそこ良く出来ていると言って良い内容。
 ダメダメだった『アトランティス』と並べて腐すのは、さすがに可哀想だろう。

 …と、本気で思うんだけど、上記のような、評価を底上げする個人的理由があり、アニメを始めとした知識により自分の中で『宝島』という作品は既知のモノになっており、説明不足やキャラクターの彫り込みの浅さを問題と感じなかった部分もある。
 グレーやパピーといった、日本のアニメ版で非常に印象深く描かれていたキャラクターが登場しないなど、不満も感じているが…

 この作品のキモは、ジムとシルバーが見せるギリギリの関係…信じ、裏切られ、憎み、互いを思う、父の居ないジムと息子が居ないシルバーとの「親子」であり「男同士」でもある熱いぶつかり合いにあると思う。
そこだけは、この作品で意外な程 良く描けている。
他のキャラもイベントも全て犠牲にして、そこを描く事だけに賭けている、と言ってもイイ。
 とてもじゃないけど格好良いとは言えない、オヤジで中年太りで半分オモシロ機械のシルバーが、話が進むウチに頼もしく、父親っぽく見えてくるから不思議。
 それでも、やはり内容時間の不足は明かで、シルバーの裏切りと…特にイイ奴側に転がってくるシーンが唐突で、少々 安っぽくさえ見えてしまうのが残念。

 シルバーとの最後のシーンでは、日本アニメ版の渋さ・味わい深さとは比べるべくもない、と思いつつも、うっかりホロリと来てしまう。
 手描き部分とCGの融合は自然。
分かり易くだけど伏線を引いてあり、数は少ないがアクションも よく考えられている。
クライマックスの盛り上がりも、まずまずではないか。

 アニメ版『赤毛のアン』が好きで、かなりのダイジェストだった実写映画版も それはそれで楽しく見られた人向け(分かり辛い)。
 個人的には、若山弦蔵の声だけでDVD買ってもイイぐらいの価値あり。



『ウルトラマンネクサス』25.「予兆-プロフェシー」

 普通に総集編。
 ただ…もうちょっと、激しい感情を向けていた対象である溝呂木を失った凪の精神状態を追うとか、見せ方はあったような…
 ルポライターのオッサンは、記憶を消去されてしまったのかどうか。
今回は、曖昧にぼかされたまま終わってしまったが。

 で、新ウルトラマンの登場。
前回ネクサスが消えたばかりだというのに、間を空けずイキナリだなあ。
 ヒーローの数が増えたり、主役「メカ」交代はあっても、一つのシリーズの中で、こんなにもハッキリと唯一のヒーローが交代するのは珍しい。
 かなりリスクの高い賭けだと思うが、余程 考え抜いての事…なんだろうな。


2005年3月26日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』23.「戦火の蔭」

 今回の笑い所三つ。

 1.以前にも増して最強の種割れモードに入るキラ。
 強すぎる…これがゲームであってもバランスを崩しかねない程で、どう見てもデータを改ざんして残弾数無制限、装甲無限大、機動能力1ターン120マスぐらいにしているとしか。
 こんな強いにしては、早期に停戦させられなかったのが不思議。
チマチマ一機ずつ潰さず、一斉射撃を何十回か繰り返せば、連合・ザフト両軍の戦力を全て削ぐ事も出来たろうに。

 2.ハイネの「ザクとは違うのだよ、ザクとは」。
 まあ、受け狙いなんだろうな。
声の西川氏がリクエストしたセリフなのかも。一度言ってみたかった、とかで。

 3.そんな決めゼリフまで言ったのに、あっさり両断されて散るグフ・ハイネ。
 大空に笑顔の幻でキメてる場合じゃないって(笑)。
 何のために あんな所をフラフラ飛んでたんだろ?
せめてシンを庇って散るとか、もうちょっと死に方がありそうな。
 西川声のキャラは、『SEED』でも両断されて終わったんだっけ?
繰り返しギャグ?

 キラ・フリーダムは、『エリアル』でのセイバーのような、デウス・エクス・マキーナのような存在に。
「全ての武力を行使する者に、等しく鉄槌を下す」と宣言して、その通り地上から宇宙まで飛び回って振る舞えば、戦争など簡単に止められるかも。

 カガリ達、ピリピリした状況下に飛び込んできて、どうするつもりかと思えば…割に何も考えてなかったんだなあ。
 「私が訴えればオーブ軍は戦うのを止めてくれる」と、脳天気に信じていたんだろうか?
 仮にそれで戦うのを止めたとしても、連合と条約を結んでここまで来たのに全て放棄して撤退、では、凄まじい連合側の怒りを買っても仕方なかろう。
その辺は、ユウナの言う事の方が、まだしも正しい。
 フリーダムが全弾撃墜してくれるのを信じて、連合の手前、ミサイルを撃って見せたオーブ艦長に応えるべく、人死にが出ない程度に全艦に被弾させ、撤退のきっかけを作ってやるのが大人の対応。

 いっそ、アークエンジェルから「お前達の大事なカガリは預かっている、命が惜しければオーブは軍を引け」という放送を流し、悪役になる事でオーブに、戦わない理由付けをして上げる選択もあり得たのでは。
 まあ、そういう世慣れた所を一切見せない、頑なで融通などまるできかないカガリの成長がテーマだ…なのだろうと思う…から、余り「上手い事やるなあ」という姿を見せるのも拙いか。

 戦局が見え辛く、連合とザフトで今、どちらがどのぐらい優勢・劣勢なのか、サッパリ分からなかったのが難。
 混戦模様でもいいんだけど、「モビルスーツ隊、戦力損耗50パーセント!うち30パーセントがザフトでなくフリーダムによるものです!」などと言わせるとか、何となくでも全体像を把握させて欲しい。
 で、ないと、両軍の撤退が単に「放送時間が終わるから」、という都合に合わせているように見えて。



『巌窟王』23.「エドモン・ダンテス」

 各話で どうこうではなく、シリーズ全体を通して何かを語ろうとしている作品だったので、感想が書き辛く ついそのままになってしまったが、クライマックスまで見て振り返り、非常に頑張った作りであり、面白かったと言える。
 少年から青年へと変わろうとする主人公・アルベールの成長にスポットを当て、そこからブレる事無く物語を進め、説得力のある筆致で描ききった所など、高く評価して良いのでは無かろうか。

 放送開始の頃は、とにかく画面のアチコチに張り込まれたテクスチャーが うざったく、また、ダラけた生き方をしているアルベールに魅力を感じる事が出来なかったため、見続けるのが少々シンドくもあった。
 が、危険な輝きを発し、圧倒的な存在感で物語を左右していくモンテ・クリスト伯爵に引き付けられる事で、何とかその段階を乗り切り。
 中盤からは大小様々な波乱がアルベールを襲い、否応なく彼に成長を強いてくる。
そうしてみると、シリーズ開幕時の彼の無魅力さは、「スタッフの力不足でそんな風にしかキャラを捉えられていない」のではなく、いずれ来る成長を前にした「無気力で生きる事に懸命でない、ダメなキャラとして描かれていた」のだと分かる。
 友を失い、ユージェニーを奪還しようと走り出す辺りからは、アルベールからも素晴らしい輝きが発せられていたのだから。

 伯爵に対し、アルベールが ぶつける、
「伯爵が、これ以上関係ない人間を傷つけてまで欲しい物って何なんだよ?母さんやエデさんを殺してまで欲しい物って何なんだよ?人の命より大事な物って何なんだよ?自分をどんなに正当化したって、人殺しは人殺しじゃないか!」
というセリフがズシリと重い。

 もしも計略に落とされる事がなければ、アルベールは伯爵の「息子」として生まれてきていたかも知れない、と考えると更に感慨深く。
 全てを奪われ、復讐を果たすまで、との想いで命を長らえてきた伯爵。
 その命への執念を受け継ぎ、しかし絶望を希望に変えて生き続ける事を誓うアルベール。
 自分を抱え、船に飛び移ろうとするアルベールの中に、確かに伯爵の「諦めない強さ」が受け継がれているのを見て取り、そっと微笑むエデの表情が素晴らしい。

 最後の方で、儲け訳を割り振られる伯爵の部下二人が、なかなかイイ感じ。
単純に「部下A・B」で終わるのかと思ったのに、意外と愛されてた?

 安易に視聴者に媚びず、しかし決して突き放さず。
オリジナリティーを主張しつつ、分かり辛い無用な要素は極力排除する。
 「当たり前」な作りのアニメを、久しぶりに見られた気がする。

 って、凄くもう終わった気がしているけど、来週もあるのか。
といってもエピローグを見せる以外に、やる事は無かろうが。


2005年3月25日 金曜日

『舞-HiME』25.「運命の刻へ」

 予想通り、なつきと静留は相打ちで消えていった。
静留が使う蛇の名・清姫の物語になぞらえ、鐘の中に入る なつきには、ちょっと笑ってしまう。
 清姫は、容れられぬ恋故に愛する者を殺してしまう悲しい女性で、そういう情熱・熱狂が好きな身としては、安珍よりも彼女の方に すっかりと感情移入。

 今回、最初の方で舞衣とクラスメート女子二人の別れを描いた際、女同士に抱き合わせ、「アンタが男だったら、好きになってたかも」と言わせて見せたのが、最期を迎えて抱き合う なつき達の姿と重なる。
 もしもどちらかが異性だったならば、あるいは静留の想いを なつきが受け入れる可能性もあったろうが。
ごくノーマルな人間にとっては、相手が綺麗な顔立ちをしていようが才能に溢れていようが、「尊敬」という感情は抱けても、決して「愛」にまでは至れないモノだろう。
 静留も、眠る なつきを相手に既成事実を作ってみたりと頑張ったんだけど…なかなか、そういう因子を持たない人間を蛇の道(お!上手い?)に引きずり込むのは難しかったようで。

 抱き合い、ギリギリまで静留を受け入れた状態で、なつきと共に最期を迎えさせてやったのは、スタッフの優しさ。
 どうも、その、なつきのドコを静留が そんなに好きになったのか、という辺りは分からないんだけど、まあ「恋」ってそんなモノかもね。
他の姫達も、相手を好きになった明確な理由、ってのは はっきりしていない気がするし。

 復活した深優の強さが心地良い。
敵に回すと恐ろしいが、味方(?)にすると これほど心強い奴も居ないなあ。
 結局彼女は負けたの?そしてアリッサの事だけを想う彼女の目的は?
 そういえば、廃人状態になっていた あかねはどうなったんだろ?

 あと1回で どうやってまとめるのか。
ブッツリと切って終わらせるならともかく、キャラクター達の「その後」も僅かに匂わせようと思うと、結構な時間が掛かってしまうような。
 オチも難しいなあ。
「失われた全員が帰ってきてハッピーエンド」では あんまりだろうが、「舞衣は、失った者達への心の痛みを抱えたまま、生きていくのでした」でも不満が出てしまいそう。
 おお!そういう手が!という終わらせ方を見せてくれたなら、ただでさえ評価の高い この作品が、最後で更に評価を底上げする事にもなるだろうけど……



『スクールランブル』25.「(ボ──! プワーン! ギュイーン)」

 漁船に播磨を乗りませて、どうするつもりかと思えば…
漫画家ネタで まとめるのかあ。
 「編集長が犬好きだから、ストーリー上の必然性は薄いけど犬を描いてみました」という辺りが、リアル。
コレは極端としても、まず編集者のチェックを通らないと どんな漫画でも世に出る事は不可能(現在の所、商業出版物としては)な訳で、その好みを考慮に入れて、元々考えていた内容から軌道修正をする、って事は、よくある話。
 いや、いや、こんな事言ってると自分も船長に殴り飛ばされるのかも知れないが(笑)、現実は妥協の連続。

 「し、師匠の本…つまんねー……」というオチには、大笑い。
 あー、あるなあ。
精神論まで含む ご大層な理屈をブチ上げ、自分を高みに置いて他者に説教を くらわしたは良いが、それを実践しているはずの本人の作品は、「ありゃ、こんなモンかよ」って事。
 あるね。
 ある。
 凄く身近な所に実例があったような気がするけど、誰の話だったか…うーんと、えーと、まあいいや。

 今のところ、播磨描く漫画の話と、彼が天満に寄せる間が抜けながらも切ない片思いのエピソードとは、直接的に絡んでおらず、漫画描いてなくても物語上 特に問題ないような気がするけど…
最終回では何か、上手く繋げて見せてくれるのだろうか。


2005年3月24日 木曜日

『Xenosaga』最終話.「KOS−MOS」

 物量、物量で押してきた作品で、キャラの数が多く、それぞれに付けた設定は膨大、ドラマ展開も、大筋は理解出来るのだが、それらキャラ・設定を分かっていないと完全には追い切れず。
 そういう作り方に疲れてしまい、途中からは集中力が途切れた鑑賞態度になってしまった。
 ために、最後の敵が何をしたかったのかさえ よく分からない。
ええと、放って置いたら少女レアリエンを不幸にする上に、宇宙の危機を招きかねない危険分子で、排除が絶対に必要だった、というような理解でオッケー?

 途中まで原作ゲームをプレイしていたため、そこまではアニメシリーズの方も楽に見ていられたのだが、未知の領域に入ってからは追うのが困難に。
 もっと整理して…キャラクターそれぞれは魅力的に設定されていると思うので、あくまでもシノンとKOS−MOSの関係を軸に、アレンとジャンク屋船船長、レアリエン一体、メインは そこいらまでで良かったのでは。
続編があるなら、残りのキャラも順次 日の目を見せてやる事にすれば。

 実際の所、こんなにキャラを出し、設定を作らなければ絶対に語れない内容では、無かったと思う。
詰め込むばかりでなく、要らないモノを整理する事も、才能。



『JINKI:エクステンド』最終話.

 とにかく、シリーズの途中から物語を追うのをすっかり諦め、BGV扱いで時々 画面を眺めるだけの鑑賞態度になっていたため、この最終話で「誰と誰が」「何のために戦い」「勝ったら・負けたらどうなるのか」というのが まるで分からない。
分からないけど、まあイイや。

 真面目に見ていた所までの総括として。
 世界の基本設定の説明、キャラクター描写、ドラマの作り方、ロボットバトルの面白さ、全て総合して、今期に限らずアニメ史上でも、下から数えが方がずっと早いような内容の作品だった。
 「このアニメに比べれば、『○○』は遙かにマシ」というように、比較する事で以前の(これからのも)作品評価を底上げする、不本意であろう用途に使われかねない出来。

 正味の話、そんなに難しい事を…大した事を語っている内容でもないのに、どうしてここまでゴチャゴチャと分かり辛く出来るのか、感心する程にマイナス方向への才能を感じてしまう。
 最後まで崩れない作画は良かった。
それだけ。



『スターシップ・オペレーターズ』12.「ウォー・クライ」

 んーーー…
今回の戦いの、勝利条件は何だっけ?
 殲滅戦じゃないのなら、アマテラス、ある程度の戦果を上げた所で さっさと逃げ出せば良かったような。
 前回の戦いで機関をやられて、逃げる事も出来なかった?
それにしては、全速力で敵艦に突っ込んで行けてたが。
 ワープ機関がダメになったので、どうせ追いつかれるだろうから…という判断?

 シノンも、「戦いに勝つ」方策を考えるのが先決だったのは当然だろうが、彼氏を喪った痛みからすれば、「逃げ出して、逃げ切る事で一人でも多く仲間の命を救う」ための手も打っておくべきだったろう。
 バンザイ突撃で良いのなら、生中継を再開させ、「降伏する、命だけは助けて欲しい」というメッセージを少女達に泣きながら言わせる事で、宇宙中の視聴者の手前、容易に攻撃が出来ない状態にし、接近した上で敵艦ごと自爆して見せればキレイに終われたのに。
 自ら死ぬのは嫌だった?
そもそも、誰かの命令で戦っている訳でもなく、どこまで徹底抗戦する気で、どこまでの被害を出したら諦める気だったのか、それすら明確にされていないからなあ。
 乗員自身も、自分たちが死ぬ事について、真面目に考え、覚悟をしていない?

 政治的な裏工作が、よく分からない。
 要は、地球軍が出動してくれればそれで良かった?
だったら、アマテラス自らが地球圏に出向いて、王国軍を名乗った上で宇宙施設を破壊し、王国に叛意(侵略の意志)あり?との疑惑を生まれさせるとか、もっと直接的な方法もあり得たような。
 この作品宇宙全体の様相やら力関係がサッパリ分からないモノで、この辺はどうにも理解しようがない。

 地球軍の出現により、アマテラスの やるべき事は終わり?
このまま終わったんじゃ余りにも盛り上がりに欠けると思うが、最後に一工夫、あるのだろうか?


2005年3月23日 水曜日

『お伽草子』25.「鬼門」

 既に完結したシリーズの番外編を、放送終了後かなり間を空けてから行う、変則的な構成。
 シリーズ本編は、途中から、何となく流す程度にしか見ていなかったため、評価不可能。
 今回は、「東京編」のストーリーが始まる以前のメインキャラクター・ト部が、ある事件に関わっていく様子を描いた。
 本編すら真面目に見ていないのに…と思いつつ見たが…
意外、結構 面白い。

 天然ボケで おっとりし過ぎているト部のキャラが勝因。
何事にも強く出られず、猫にさえ遠慮し、霊感を持ちながら 霊やオバケが苦手、という造形など、非常に良い感じ。
 彼女が巻き込まれる事件を、余り大きく・派手にしなかったのも好印象。
アニメなんだから、血まみれ死者の霊を どっさり出したり、病院を破壊したり、いくらでも大仰に出来たろうが、まるで実写のような、予算不足をアイディアで乗り切ろうとしているような画面作りで、かえって新鮮。

 彼女をヒロインに据えて、地味な怪奇現象を解決していくミニ・シリーズぐらいなら作れるんじゃ無かろうか。



 アニマックスで『宇宙交響詩メーテル〜銀河鉄道999外伝〜』01.を見る。
 『999』へ、そして松本 零士世界全体へと到る、メーテルの知られざる過去を描くOVA。

 ええと、この前史に当たる『メーテルレジェンド』を、最初の一本しか見ていないような…いや全部見たんだっけ?もう覚えてないなあ。
 メーテルのお母ちゃんが、一家の主婦なら振り込め詐欺を うっかり信じて預金をカラにする程度の笑い話(笑えない)で済むかも知れないけど、惑星の運命を握る女王としては致命的な間の抜け方をしているのにイラだってしまい、途中から真面目に見なかったモノで。
 だから、何が どーなって惑星の状況が今に至っているのか、とか、エメラルダスはドコに行ったのか、という基本的な所から理解出来てないけど、まあイイや。

 あからさまに怪しいレオパルドを問いつめもせず、その辺りを ないがしろにしたツケが回って惑星の危機を招き、それでも防衛措置を講じるでもなく わざわざテラスに出て「裁きを受ける」などと口走っている お母ちゃん・プロメシュームは、やっぱり間が抜けすぎていて、笑うべきなのか どうか。

 ん〜〜、まあ、メーテルを「とうの昔に完結したキャラクター」として捉えている人間に向けて作られたアニメでは、ないからなあ。
 確かに、今でも好きなキャラではあるが。
だからこそ、取り扱いには最大限のデリケートさを求めたい所。


2005年3月22日 火曜日

『まほらば〜Heartful days〜』11.「想い…」

 デートの お話。
この作品のテイストに沿った、あくまで居心地の良い ほのぼのデート。
 コミカルな演出が決まっていたし、「本命ではないけれども、可愛く性格も良い女の子とのデート中に、ついフラフラしそうになる主人公の心の動きも、実によく分かる。
 「男よのう」の哀しさと、結構 傾いて来ているように見えながら、あくまで遠く離れた彼への想いを貫き通したと言う桃乃の対比も、楽しい。

 ただ…余りにも「普通」な話で、何か もうちょっと男の子が虐げられたり( ^_^ )、ズレていたりして欲しかったかな…と思わないでもない。
 いや、十分面白かったのに、贅沢言ってるだけ。


2005年3月21日 月曜日

 映画『シャーク・テイル』を見る。
 監督は『シュレック』のヴィッキー・ジェンソンら三人。
 魚の世界を、まるっきり人間世界に置き換えた、『ファインディング・ニモ』的な お話。

 以下は内容に触れてしまうので御注意。



 ロバート・デ・ニーロを声優に迎えての、『ゴッドファーザー』のパロディーは、そこそこ面白かった。
 魚世界での交通渋滞や、クジラ洗浄場での作業の流れなど、世界の有り様を かなり考えている所も楽しい。

 が…
全体的なお話としては、退屈。
 主人公・オスカーが、口先だけで世の中を渡っていくタイプの、調子が良い、反省しない、余り個人的に好感を持てない奴なのが痛い。
 そういうキャラクターが、物語を通じて成長を遂げるのがドラマ、ってモノだろうに、特にそれは描こうとしていなかったようで、オスカーは最後まで ほとんど痛い目に遭わず、成長しないまま終わってしまう。
一応、身近にあった愛に気付いたのだから、それで良しとすべきなのか…
 でも、彼女であるアンジーが、彼のドコに そんなに惹かれたのか、全く納得出来る描写が無いため、物語の都合ばかり目につき、感情移入には値しない。
 ドラマが無くとも、高いレベルのギャグやアクションの連続で見せてくれるなら それで良いが、内容的にとても そこまでは届かず。

 余りにもあっけなさ過ぎる終わり方には、ポカーン。
 こうするなら、最初からサメとの間の問題を、金銭・権力関係のみに留めておいた方が良かったのでは。
食物連鎖、というような どうしようもない所に踏み込んでおいて、ベジタリアンだからオッケー、なんていう逃げ方をされても…
妙に綺麗事っぽくて、醒めるばかり。
 例えば牛やブタを主人公にアニメを作って、自分たちを食べる恐ろしい人間の中で、気のいいベジタリアン氏と友達になった牛君が、すったもんだの末に「牛・ブタは食べ物だ!」と主張していた他の人間達とも すっかり仲良しになりました…というラストで、納得できるモノだろうか?
低年齢お子様向け話としてなら ともかく…

 ピクサーなら、アンジェリーナ・ジョリー演じるローラに対し、アンジーが直接決着を付ける構成にしたんじゃなかろうか。
 オスカーにも「傷」を設定し、最終的に乗り越えさせる事で感動を演出したと思う。
 レニーとの関係にしても、利用するだけに終わらず、友情にまで昇華したろう。
 いや、「理想のピクサー」の話なんで意味がないし、そういうピクサーの作り方が「お行儀良すぎ」なマイナス印象に繋がってしまう部分も否定出来ないが。
 どうも色々と未消化感が強く、その割にはオスカーが「調子こいてる」シーンばかり長く取っていて、乗れない。

 アメリカでは大ヒットしたみたいだけど…
うーん、見て損した、とまでは思わないが、レンタルで十分だった、とは思ってしまう。



 愛・地球博。
 トトロの家とか、巨大スクリーンでの見せ物とか、興味があるモノはナイでも無いけど、プレオープンでさえ大混雑、というのを聞くと、そうまでして行こうという気力は湧かないなあ。
 どのアトラクションも2〜3時間待ち状態、疲れただけで面白さなど感じようもなかった、真夏のユニバーサル・スタジオ・ジャパンを思い出して。
 テレビで流してくれる紹介画面で、大きな売りになりそうなモノは大概もう見てしまった事もあり。



『仮面ライダー響鬼』08.「叫ぶ風」

 イブキの弟子・あきら。
ヨロヨロと魔化魍退治の危険な現場に迷い込んで来、本来二人分しか作っていない ご飯を食べてコーヒーを飲んでテントで熟睡する明日夢に対し、露骨に迷惑そうな態度を取る。
 …それは、無理ないかな。
真剣勝負の仕事場に、ヘラヘラした緊張感のない人間など入って来て欲しくない、というのは、ごくごく普通の感覚。

 でも、ヒビキに高校合格の報告をしたくて ただひたすらに山道を歩き、道に迷って不安な所へ、見知った人と逢えた事で安心し、弛緩し切ってしまう一般人・明日夢の気持ちも、一般人としては非常に良く分かる。
 明日夢が あきらに怒られる場面では、何だか自分まで怒られているように感じてしまった。

 だから、あきらをなだめてくれるイブキ、明日夢を見て イキナリ歓声を上げ、「大人」として元気づけてくれるヒビキの気持ち(安易には、明日夢の肩を持って あきらを「アイツ、怒りっぽくて困った奴だなあ」などと悪く言わせそうなモノだが、決して そうしないセリフの繊細さに感心)が、とにかく嬉しい。
 本当、この作品の大人は、気持ちが良い、「こうありたい」と思える大人だなあ。

 そういう中で、まだ未完成であり他者への思いやりを持てる程の余裕がない あきらの存在は、明日夢とは違う形で視聴者を代表しており、二人の間に反発・葛藤・和解といったドラマが生まれていく事で、よりストーリーを深める事が出来る……と思うんだけど、意外と早く、今回ラストでもう、あきらの素直な素顔を覗かせてしまったなあ。
もうちょっと、笑顔が見られるまでを引っ張っても良かったような。


2005年3月20日 日曜日

『ウルトラマンネクサス』24.

 …このウルトラマンは、内面的な変化によってタイム・オーバー後でも再び立ち上がる事が出来るのね。
 TLT戦闘機のビーム照射でエネルギー充填が出来るなら、復活の切っ掛けはそれでも良かったような。
ただ それだと、まるっきり『ウルトラセブン』「セブン暗殺計画」になってしまうか。

 姫矢の心の有り様が変わる所が今回の最重要ポイントだったので、外部から強制的に力を戻されては、違う物になるし。
 ネクサス自身の力は既に尽きていたが、姫矢がウルトラマンと完全に融合する事で、人間が持つ、超人と比べれば余りにも僅かな「命の力」を使い切る事により、一時的な復活の原動力とする事が出来た、と考えると、なんだか感慨深い。

 TLTとの共闘、テレビシリーズとしては渾身の頑張り様を見せてくれた空中戦、遂にダークメフィストを倒すネクサス…
シリーズ中最大の盛り上がり。
 ようやく、面白い!と思えるウルトラマンになってきた。
 …と思ったのに…うーん、ここからが姫矢ウルトラマンの本領発揮になっていくべき所なのでは?
今回で、大切な人を守る事が出来なかった彼の心の傷は、乗り越えられているんだけど。

 ここで最終回でも良かったんじゃないかな。
 次回以降はどうなる?新ウルトラマン(変身する人間)の登場?



 バンダイの食玩「ゴジラ全集2nd」を売っていたので、買う。
大好きな『ゴジラ対ヘドラ』が出たので、とても嬉しい。
 色々合成しすぎてオリジナルの良さを損ないがちな写真を作ってみた。


 倒したヘドラの死骸から、目玉をえぐり出すゴジラの勇姿。
 この後、人間を睨み付けて歩き去っていくゴジラに、男性コーラスバージョンの「汚れちまった海〜汚れちまった空〜」という歌が被さってくる所は、泣けてくる程 格好イイ。

 『ヘドラ』は、時代を映してかサイケ(死語)で狂った映像(アニメーションの女性二人がすれ違ったシルエットを、そのままヘドラ被害地域にするシーンなど、狂っていて壮絶)が所々に見られ、強烈な印象を残している。
子供の時に見たらトラウマ物だろうな。
実際 自分にも、衝撃を受けたシーンがいくつか ある。
 ヘドラが、人類にとって全く共存の余地がない、恐ろしい敵なのが素晴らしい。
驚くほど あっけなく、ゴミのようにヘドラに殺されていく人々(ヘドラが上空を飛んだだけで下に居た人間は死ぬのだ)の姿には、ゾッとするばかり。


2005年3月19日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』21.「蒼天の剣」

 あれ?前回も21話だったような…

 思うような戦果が挙がらない事に、割と本気で焦っているようなブルーコスモス・ロゴスの面々。
「ここまでは計算通り」などと、よくある黒幕然として構える余裕も無いようで、情けないやら可笑しいやら。
 本当に何も考えず、戦争を始めたんだなあ。
 そうすると、デュランダル議長と結んで生かさず殺さずの消耗戦を繰り広げる、武器産業を儲けさせるための戦い、っていうラインは無しか?
いや、ロード・ジブリールが小物で、事態の全容を知らされていないだけって可能性も(実際、ジジイ連中からは軽く扱われている様子だし)。

 前回、シンと出逢った記憶を、すっかり初期化されてしまうステラ。
まあ、「再会する事で消されたはずの記憶が蘇る」「人の想いは機械的に操れるものではない」といった展開になるんだろうけど。
 彼女らを見守り、記憶はあるのと無いのでどちらが幸せなのか、と呟くフラ…ネオは、自身の過去について どのぐらい覚えているのか。
次回以降、アークエンジェルを前にした態度で分かるかな。

 西川・ハイネ。
なんだか、こう、作り手が扱いに困っているような気がする。
今のところ、居ても居なくても構わないキャラだし。
 初代シリーズのスレッガー・ロウに当たりそうなキャラなのだから、未熟な皆の相談相手であり拠り所にしてやればいいのに。
彼にだけは心を開いたシンが、その死を境に…とか、じきに死ぬキャラ(西川氏の忙しさからして)だとしても活かしようはあるかと。

 命がけの開戦に際し、飛来してミネルバの主力兵器をブチ壊してくれるフリーダム。
コリャ迷惑だ(笑)。
 目的は…まさか無条件でオーブの肩を持つ程 馬鹿でもあるまいから、オーブを先陣に立てての無益な戦いを止めさせる事?
これで大きく戦力減になってしまったザフトに対し、連合が攻撃を止めなかった場合、どーしてくれる気なんだろ?
 一機で戦局を左右出来る愉快なウルトラスーパーロボ・フリーダムの事、停戦要請に従わない機体に対しては、乗員を殺さない程度の「お仕置き」攻撃を加えて黙らせるのか?



『舞-HiME』24.「コイ・ハ・タタカイ」

 奈緒とシスター・紫子と詩帆が、戦線リタイア。
テンポ良く、不足のない程度にはキャラクターを描き込んでの退場なので、大きな不満はないのだが…
 うーん、ヒイキな事もあり、やっぱり奈緒が薄いかなあ。
不幸な幼少期の記憶、彼女にとって一番大切な存在だった障害で寝たきりの母親…これらは、何かのイベントに混ぜつつ見せていくだけで30分丸ごともたせられる、それぐらい無いと物足りない内容。
 奈緒と敵対していながら似た境遇にあり、世を拗ねた なつきと対比しながら彫り込んでいく事で、遙かに深い、魅力的なキャラクターになったと思う。
余りにも勿体ない、駆け足の扱い。

 それはシスターも同じ。
想像を交えれば事情は分からなくないが…石上亘との関係、彼の持つ醜い野望、それに浸食され、あるいは美しく保ち続けられるシスターの心、これらはもっと押してきて欲しかった所。
 石上と共に炎の中へと消えていく最後の絵作りが、大変に哀しく美しかっただけに、そこへ更に重みを増していくドラマの積み重ねが弱かった事が、残念。
 詩帆も…「妹キャラ」としての汎用理解でドラマを味わうには問題ないんだけど、楯との出逢いなど、もう一押しの足り無さが惜しい。

 前にも書いたけど、このアニメはキャラクターが素晴らしく良く出来ている。
料理大会を催す、カラオケ屋で騒ぐ、それだけのイベントで十分に面白い話が、何本でも作れてしまう程に。
 その素晴らしさが逆に、「ストーリー」を最優先する展開に入り、キャラの持つパワーを抑え・犠牲にする展開に入ると、不満を生み出す要因にもなってしまう。

 全部で100しか要素が(物理的に)入らないシリーズ容器に、素材として、キャラの面白さ120、ドラマの面白さも120ぐらい、贅沢に用意した作品なのだと思う。
 だから容器の中が、ドラマ70、キャラ30ぐらいな割合になると、「何でキャラがこんなに薄いんだよ?もっと出来るだろー、100以上行けるキャラだろー?こんなんじゃ全然モノ足りねーよ」という勝手な欲求不満が生じてしまう。
 キャラの面白さなど、せいぜい一桁台前半しか行かない(かといってドラマも薄く、要するに容器の中がカラに近い)作品が多い中、飛び抜けて良く出来ている事は間違いないのだが。
 「もっと、もっと」を望んでしまうのが、ファンの悲しい性。

 バトルロイヤル、勝ち残りが一人だけだとすると、互いを想い合っているのであろう なつきと静留はペアで退場するのかな。
最終決戦は舞衣と命で?
 勝ち残った者が何を得るか、で、この作品のドラマ方面への評価が決まる。
「今までのは全部ナシ、御破算に」…ってのは無いと思うけど…
かといって、「HiME達は、亡くした者達への心の傷を引き摺りながら生きていく」シビアな終わり方でも、視聴者はなかなか納得しまいし…
 難しいなあ。



 昨日、朝から風邪気味。
この時期は、花粉症なのか風邪なのか、自分でも分からなくて困る。


2005年3月18日 金曜日

 同業漫画家の松阪れいあ先生が、12日、急性心筋梗塞で亡くなられたとの報を受け取る。
 深い面識があった訳ではないが、ヨメさんと同じ仕事場に先生が居た時に何度かと、最近でも即売会などで会う度に言葉を交わしていた。
 陽気でパワフルで、いつでもニコニコしている気力体力に溢れた人だという印象。
だから突然の、まるでイメージにそぐわない報には、戸惑うばかり。
 まだ若いのに。
 冗談のようで。

 ご冥福をお祈りします。


2005年3月17日 木曜日

『スターシップ・オペレーターズ』11.「リターン・マッチ」

 高度な作戦行動により、戦艦四隻に対して勝利を収めるアマテラス。
…という話なんだろうけど……
 今回の作戦の大きな勝因は、「急速回頭が出来るようになった」事。
・今までは出来なかったんだー。
・最初から、旋回式砲塔を付けておけば良かったのでは。
・自在に砲の向きを変えられる切り札を最初から見せてしまったアマテラスに対し、何らの対抗策も(警戒反応さえも)取れない王国艦隊は無能すぎ。

 疑問やら御都合やらばかり気になって、「楽しむ」所までは行けない。
 急速回頭が出来ない事、旋回式砲台ではデメリットがあり実装出来ない事、それらは、ここまでに分かり易く、何度も示しておくべき。
ルールや基本戦力が よく分からないゲームを見せられたって、爽快感など感じようもなく。
 確か『ヤマト』でやっていたように、小惑星にアンカーを撃ち込み、ぐるりと回り込む事で一気に向きを変える、といった分かり易い見せ方であれば良かったのだが(この作品だと、遠心力で乗員が圧死する?)。
 もしくは、「とにかく大変な事をやっているんだ」というのを演出で見せて、無理矢理 盛り上げるとか。
回頭中に慣性制御が間に合わなくなり乗員がまとめて投げ出され操艦が遅れる、艦の先端と最後尾が制御範囲から外れるため警告アナウンスを行い そこの乗員が艦中央部を目指して走る(科学的にそういう事態があり得るかどうかは知らず)、などなど。

 あとは、やっぱり王国側が無能に描かれすぎ。
 自艦の観測員よりテレビ中継の方を信用するかなあ?しかも今回だけ生中継に切り替わった あからさまに怪しい中継を。
 いっそ、王国本星が突如襲来した地球軍に攻撃され危機的状態にあると言って艦隊を分裂させるとか(テレビだけ見られて通信は出来ない状態が必要だけど)、アマテラス側にも潜宙艦が配備されているとウソをつき、宙域に撒いておいた小型爆雷を放送のタイミングに合わせて爆発させるなどして動揺を誘うとか、もっと相手をコケにした戦法を使えば良いのに。
 マスコミは、まるっきりの「嘘」は放送してくれないんで無理?

 まあ、現実の戦場…東郷ターン・敵前大回頭だって、コレをアニメで初めて、しかも説明不足のまま見せたなら、「こんな間抜けな戦法に引っかかる敵は馬鹿」「これで勝てると判断した日本側もどうかしている」と言われたろう。
 非常に良く考えられている 『銀河英雄伝説』の奇策にしたって、「?」と感じてしまうモノが結構あるし、難しいのは分かるんだけど。

 結局、前回 殺した機関長には、特に意味がなかったのか。
船に運行上の支障が出る訳でもなく。
 せめてシノンの心には、大きな傷を残して欲しかった。
王国の艦隊に対し、これまで使わなかった(使えなかった)非情な作戦で当たる、とか。
航行不能に追い込んだ王国戦艦を、救助に来た他戦艦ごと、救援活動の最中に攻撃して沈めるなど、やりすぎ気味で。

 …そういえばこのアニメは、仲間が死んだ・母星が侵略された・敵であるとはいえ「人間」を殺していく、等、「失ってしまう哀しみ」を描く事に、まるで無頓着なんだった。
いや、無頓着なのは そこに限った話ではないが。



 一本、「ペンギンクラブ」の方の お仕事は終わったのですが、もう一本が終わらず、継続中。
うー…あとちょっと。


2005年3月13日 日曜日

 昨日、今日は、何故か花粉飛散量が少ないらしく、楽。
 最近は、病院で出してもらった薬…ええとアレロック?というのを一日二回服用しているのですが、コレがまた眠い眠い。
服用後、多少の時間をおいて凄まじい眠気が襲ってきて、どうしようもなく寝てしまい、お陰で仕事のスケジュールが遅れっぱなし。
 あああ、早く春が…いやスギ花粉の季節が終わらないものか。
スギの林を全部伐採する予算を作るためだったら、消費税を あと1%ぐらい上げても構わないぞ!いやもう切羽詰まった本気の話。

 という訳で、お仕事のスケジュールが押して参りました。
 次回のマトモな更新は、水曜日頃になる予定です。


2005年3月12日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』21.「さまよう眸」

 朝、起きるとベッドに覚えが無い半裸(?)女性の姿。
小池一夫先生の提唱する、ツカミの強い発端みたい。
 当然ながらアスランに そんな甲斐性がある訳もなく、ミーア・ラクスが押しかけて作った誤解シチュエイション。
タイミング良くやってきたルナマリアに しっかり目撃されてしまい、何とか事情を説明しようとするが話しちゃならない秘密も含まれており、上手く言えずにオタオタオタオタ…って、『いちご100%』か!!!!

 ザフトに居るラクスが偽物なのは、ごく一部の人間しか知らない極秘事項なのかも知れないけど、アスランが一時ザフトに敵対するような行動を取っていた事、終戦後はオーブに残りカガリの身辺警護をしていた事、ぐらいは、ルナマリアも知っていて おかしくないのでは?
だったら、今更ラクスと元の鞘に戻ったと考えるのは変…いや、軍に戻ったのを機会に復縁しても不思議無いのかな。
 そもそも、何の愛恋沙汰にも発展していない間柄のルナマリアに、ヤキモチなど焼かれるゆえんはアスランに無い訳だけど。

 で後半。
前半のアスラン・モテモテエピソードでは すっかり部外者の余計者扱いされていたシンに、ようやく回ってきた主役話。
 海辺で、服が海水に濡れて、焚き火して…って状況は、余りに前作、アスランとカガリが陥ったのと似通っており、既視感が。
 せっかくシンがメインの話なのに、「お下がり」っぽい作りで済ませてしまおう、って姿勢は どうかと思うけど、それは「ガンダム強奪」に始まる構成からして そうなのだから今更、としても、せめて この出逢いはシリーズ開幕5話以内では終わらせておくべきだったろう。
既に半分近くもストーリーが進んだ今になっては…遅い、遅すぎる。
 いや、『Zガンダム』で強烈な印象を残したフォウ・ムラサメが登場したのは17話だったし、出演話数そのものさえ そう多くないのだから、上手くやれば……もしも上手く出来るなら…………

 しかし、どう見ても危険な崖のキワでクルクル回って海に落ちた挙げ句、パニックになって、助けに来たシンの顔を引っ掻き、ようやく岸まで来たかと思えば「死ぬ」というキーワードで取り乱してまた大騒ぎ。
普通、外見が可愛かろうが何だろうが、こういう相手に恋愛感情は抱けないなあ。
 シンも、まだ相手を「被保護者」としか捉えていないのかな。
戦禍に巻き込まれて亡くなった妹と、重ね合わせてもいるのだろう。
 シンとメイリンが、カミーユとファ・ユイリィぐらいの関係を築けていたなら、ステラが入ってくる事で より複雑な人間模様を形成出来たろうが……シンと何かしら意味のある関係を持ち得ているのは唯一、アスランだけだから、三角関係を作り辛い。
 遅すぎた、しかも少々弱い形のステラとの出逢い。
今後の展開で巧く活かし、ドラマティックな展開にしてくれる事を期待したい。

 ザフト占領下にある街で、市民達のリアクションを描いていたのは丁寧で結構。
 新たにミネルバに乗り込む事になるハイネの心情・事情まで、自身のセリフで説明させていたのも、丁寧ではあるけど…
特にキャラ立てに必要と思えず、大半 削って良い会話じゃなかったかな?
 不用意に長ゼリフを喋らせると、西川氏の演技が さほどでもない事がバレてしまうし( ^_^ )。



『舞-HiME』23.「愛情と友情、非情」

 あと3話ぐらいで終わるのかな?
 そこに向けたペース配分としては、ほぼ完璧な進行ではないかと思う。
HiME達が互いに争いつつ、印象に残る形で勝ち残り、あるいは戦いの舞台から下りていく。

 静留に複雑な想いを抱く遥が、「ただ被害者」としてではなく、言いたい事を言って力強く消えていったのが、特に印象的。
 対して、そうまでして なつきを守ろうとした静留の内面は弱く、何でそんなに なつきが好きなのか、よく分からない。
今のところ、肉欲100%ってえ感じ。
 退場していく人の内面を描くのが急務。
勝ち残る側は、後でまだ回想等に時間を使える機会が回ってくる訳だから、弱くなるのは仕方ないのかな。

 うーん、うーん、凄く良く出来た作品だとは勿論 思いつつ、でも大きく物足りなさも感じてしまう。
 表現し辛いけど、非常に美しく整った顔の人を見て、「整いすぎていて人間味に欠ける」と言うような、言い掛かりに近い物足りなさ。
 無茶苦茶な贅沢を言っているのは自覚の上で。


2005年3月11日 金曜日

『GIRLSブラボー second season』07.「麻雀でブラボー!」

 いつもながらの馬鹿馬鹿しい話だったが、これまたいつも通りだけど主人公の影が極端に薄い。
 目の前で平然と着替えてみせる女性陣に対し、特に心を動かされる様子がないので、そういった方面への興味が弱いのかと思えば、ミハルのコスプレ姿は見たいらしい。
中途半端だなあ。
 ミハルと桐絵を陥れるため、イカサマ麻雀への協力を持ちかける福山に対し、強行に抵抗する事はなく、しかし積極的な態度を見せるほどでもない。
受け身で流されるまま。
「殺されても嫌だと言い張る」「イカサマがバレそうになった時には上手い言い訳をして見せるなど、福山を先導する所まで積極性を発揮する」…どちらでも それなりのキャラが立つんだけど。

 イイ奴でも悪い奴でもなく、憎まれる要因も愛される素養も無い主人公。
スタッフも、扱いかねているのでは。
 両極端に走る福山の方が、遙かに生き生きと、楽しげに描き出されている。

 女の子達、コスプレは嬉しくないみたいだけど、男の子達の眼前で下着姿になって着替えるのは全然平気らしい…ってのは…
羞恥心がないキャラも中には居てイイが、全員がそうだと なんだか面白味が無く、「萌え」も感じられないような。
 ちょっと物陰に行って、着替えさせれば良いだけの事なのに。

 トモカが、ボディーガードのお兄さんと繰り広げていた、ショボショボのガンダムごっこが一番面白かった。
…という状況で良いのかどうか。
 「気楽に見られるアニメ」では あり続けているが、「スタッフも気楽に作っている」のが露骨に見えるのは、如何なモノだろ。


2005年3月10日 木曜日

『スターシップ・オペレーターズ』10.「サドンデス」

 どうでもいい過程でシノンと恋人同士になったらしい、どうでもいい男に訪れた死。
 いわゆる「死亡フラグ」という前兆描写がされまくっており、余程 幼い視聴者でもなければ、この結末は容易に予想出来たろう。
 その死に、余りにも意味が無いのは…
この作品では、死を美化したり特に意味のあるモノにしたり、しないよう心懸けているのだと思う。
それはそれで作り方として認められなくはないのだが…
 撤退する敵を、何の勝算もなく、戦闘要員でもない人間が追いかけて、当然のように返り討ちに遭い、一瞬で爆死。
何というか、「馬鹿」にしか見えないモノで、悲しくなったりシノンに同情したりする遙か以前に、笑ってしまう。

 「意味の無い死」を、見ている者の腹にズシリと堪えさせる形で表現するのは、非常に難しい。
ただポンと殺しただけでは、視聴者にとって「意味の無い死」になってしまう。
 シナリオの周到な計算能力と、高度な演出能力を備えた作品でなければ、とてもじゃないが実現は不可能。
 作り手側の力不足を僅かでも実感出来ているなら、誰かを庇って死ぬとか、危険物質が漏れだした機関室に最後まで残ってエンジンの調整を続けて死ぬとか、ある程度 意味を持たせた殺し方をする方が、安全。
 「力不足を実感する力」「無知の知」のような能力こそ、最も獲得が難しくは あるんだけど。

 ところで、以前に死んでしまった女スパイと行動を共にしていた女の子は、それから何か変わったんだっけ?
厭戦気分になり、停戦を主張するとか、一人で船を下りるとか、逆にスパイの死を無駄にしないため徹底抗戦を唱えるとか…何も無かったような。
 『トップをねらえ』3話でのスミスの死は、「戦場に散っていった多くの戦士の一人」としての死であり、ヒロインを庇って死んだ訳でもなく、実質 余り「意味の無い死」。
しかし、彼の死はヒロインの心に大きな影響を与え続け、物語を動かす原動力にもなっていく。
 こういうフォローは、絶対に必要だと思うんだけどな。
どうも このアニメのスタッフは、単に死を扱うのがヘタであり…所詮 絵空事のアニメキャラの死など、「キャラ表の当該人物にバッテン印を付けて終わり」程度に考えているように思えてしまう。

 宇宙時代だろうに、地球の背景描写が果てしなく普通に現代である事に、拍子抜け。
 都市の景観が一変する形での進化を、拒む「贅沢」を許された星、なのかも知れないが…
 これまた、会話や描写の端々に「未来」を感じさせる能力を持たない製作者なら、まっとうに超高層ビルを建ててみたり、せわしなく船が離発着する宇宙港を見せたり、未来小道具をポコポコ出したりなど、した方が無難。


2005年3月9日 水曜日

『まほらば〜Heartful days〜』09.「コレクト!」

 「男の子が女装したら、その辺の女の子より遙かに可愛くなってしまいました」という お話は、女性読者からのみならず男性読者からも、ホモとかニューハーフとかいった趣味嗜好に特に寄らず、ある程度の好評を狙えるネタ。
 変身願望への充足があるからか。
メガネを取ると美人、というネタに近い魅力があるのか。

 梢に現れる多重人格は、全て他者に対し強烈に何かを求めている…それは「男らしくある事」だったり「優しい保護者である事」だったり「正しい(と、自分が考える)服装をしている事」。
要するに、「相手を、自分の理想通りに規定しようとする行動」を見せる。
 他者に対して要求したり依存したり、という態度を滅多に見せない、オリジナル梢の性格を補うために生まれてきた人格なのか。
 …とも思うけど、梢は白鳥をデート(買い物)に誘うなど、積極的行動を見せないでもないからなあ。
『ケロロ軍曹』桃華のように、極度に内省的で外へ向かっていく力が弱いキャラであれば、正反対の人格が生まれてくる理由も よく分かるのだが。

 何にせよ、他の人格を統合するための鍵は白鳥が握っているはず。
彼に対する梢の思いが成就する事で、他人格と融合し完全に一つになる?
 原作では、それら人格を含めて そのままで愛する、って方向になりつつあるけども。
 ああ、二人が結婚し、安定した人格を持つに到った梢が三つ子の女の子を産み、それぞれ まだ赤ちゃんだというのに、「女の子っぽく扱われるのを嫌がる」「かなりの甘えっ子」「気に入らないベビー服を着せられると泣く(他二人の服にまで干渉する)」といった気質を有させる事で、「他人格が、新しい命をもらった」とするエンディングに繋げる手もあるか。

 ※上記底浅の解釈について、原作には登場している「紺野棗(なつめ)」という もう一つの人格について、どうなのか、というご意見を掲示板で頂く。
 そうか、そういえば そんな子も居たんだった。
アニメの方だけで考えていたため、原作に準拠させるのを忘れてた(アホ)。
 うーん、うーん、この子を混ぜると色々苦しいなあ。
 アニメには もしかして棗は登場しない可能性もある訳だけど…

 無理に言うなら、他者に対し「自分を放って置いてくれる事」を求めている人格、に、なるかな。
更に進めると、「そんな自分でも丸ごと認めてくれ、優しく接してくれる事」を求めている。

 んー、梢以外の人格は他者と適度な距離を取り、付き合う事が出来てない、と考える事も出来るか。
そこに立ち入り手を伸ばしてくれる存在は、必ず いつも白鳥…だと、上手く繋がるんだけど、特にコスプレ好き千百合は白鳥と上手い関係を結べていないし…難しい。
 千百合の心に大きく揺さぶりを掛けてはいるので、いずれ振り戻して、女装していない白鳥と心の繋がりを持つ事も出来る…かも知れないが。
 あと、「最終回で三つ子が生まれて…」という妄想は、人格が四つ存在した事で四つ子に変えねばならず……コメディーとしてはムチャな人数でもないだろうし、立派なお尻をしていそうだから産めなくもないだろうケド(セクハラ発言)、まあ、無いだろうなー。


2005年3月8日 火曜日

 温故知新で、今まで見た事がなかった映画『バルカン超特急』を見る。
 アルフレッド・ヒッチコック監督の、白黒作品。
 走る列車の中で、忽然と消えてしまった人物を巡り、様々な人間達が入り乱れて…

 いやあ、面白い。
というか、楽しい映画。
 冒頭、列車の不着で足止めを喰らった乗客達が、設備の悪いホテルでウダウダしている下りは、細かくコミカルなシーンが積み重ねられているので飽きはしないものの停滞しており、「やっぱり今になって見る映画じゃなかったか?」と不安になったが…
列車が動き始めてからは途端に物語が展開し始め、そうなると、事前にホテル内で繰り広げられていた人間模様に大きく意味があった事に気付かされる。

 ほぼ満室になってしまったホテルで、メイド部屋に泊まらせられるのを不服に感じる男性客二人。
登場するメイドさんが美人な事もアリ、属性のある人達なら大喜びだったろうが(笑)。
 部屋内で平然と着替えを始めるメイドに戸惑い、廊下に出てしまう男二人がおかしい。
不可抗力なのだし見てればいいような気がするけど…それは英国紳士・ジェントルメンとして恥ずべき行為だったのかな。

 映画内の視点がコロコロと変わり、最初は誰を主人公として見れば良いのか分からない。
 未整理だなあ、と思ったが、物語が進んでいくと、そうして各個人の持つ事情を描き込む事で成り立つトリックなのだと気付く。

 淡々と進むため、ハラハラドキドキという内容ではない。
トリックも、現在の観客には すぐに中身が割れてしまう。
 第一…何も列車の中で事件を起こさなくて良かったような。
手が込んでいる割にはアチコチ間が抜けている計画も、何だか。
 でも、これは「時代」を含めて味わう映画。

 かなり無茶なクライマックスからオチまでも、「観客を楽しませよう」という意図は強く伝わってくる。
 登場キャラクターそれぞれの精神状態の変遷を細かく追っていくシナリオと演出が、何より素晴らしい。
 好きな映画。


2005年3月7日 月曜日

 ANIMAXで放送されていた映画『シャム猫-ファーストミッション-』を見る。
 モンキー・パンチ先生原作で、二人組のヒロイン・キャラクターが、『ルパン』峰不二子の原型になった、という事をセールス・ポイントとして謳っている。

 …最初の30分ぐらいは、一応、マトモに見たと思う。
その後は早送り しっ放し。
 適当な脚本、何となく画面を作っているだけの演出、とてもじゃないが劇場にかけられるレベルではない作画、どこを取っても見所が無い。
豪華なのは、林原めぐみ、小山茉美、池田秀一ら、声優陣ぐらい。

 超絶の戦闘技能を備え、どんなミッションも成功させてしまうスーパー・ガール達の大活躍。
こういう基本設定には、あらゆるドラマが乗せられるかわり、「見飽きた」と言っていい程 数多く使われているパターンなので、キャラの個性、事件の特殊性、細部へのこだわり等に余程 神経を使い、差別化を図らない限り、単に「よくある話」で終わってしまう。
 このアニメが、典型的なその失敗例。
 廊下の真ん中に突っ立って銃を撃っているだけで、敵はバタバタ倒されるがヒロイン達は無傷、というような絵をもって、彼女らを「戦闘のエキスパートだと思って下さい」ってのも…今時、辛すぎでしょうに。

 明確に、スタッフが「仕事だから」というだけで気乗りしないまま、何となく作ったアニメ。
OVA最盛期には、こんなのが多かったような。



 …という訳で、お約束でした単行本「天国にいちばん遠い家」の表紙で やらかしました失敗を晒したいと。
 ここ、有料登録に変えましたので、転送量に制限は無くなった…はず…ですから、画像を入れても大丈夫でしょう。きっと。

 まず、ラフから。

 …どうですか?絵自体のデッサンが どーだとか そういう事を除けば、ドコが変なのかパッと見、分からなくないでしょうか?
 実際、自分は勿論、ヨメから、担当編集、会社上層部の方々にも見て頂いたのに、誰一人 間違いには気が付かず。

 次、色を塗ったモノ。

 コレだと だいぶ分かり易いですね。
 でも、自分・ヨメ・担当は気が付かず。
表紙デザイナー氏まで行った所で、ようやく指摘して貰えました。
 右手です。
右手なのに、左手の指になっています。
 『ジョジョ』ポルナレフが妹の敵として追い求める相手は、両手が右手なんでしたっけ?関係ないか(笑)。

 正しくは、この手。
 実に危ない所で、デザイナー氏が気付いてくれなかったら、多分そのまま印刷され、書店に並べられていたでしょう。
うわー、ゾッとする!
 多くの皆様にとっては どーでもイイ程度のミスかも知れませんが、本人にとっては冷や汗ダラダラもので。

 今後は こういう事の無いよう、いっそう注意して参りたいと思います。
 もしか、印刷された状態の原稿にミスを見つけられました際には、そっと教えて下さいますか、「ヘタッピだから しょーがない」と嘲笑して済ませて頂けますと、幸いです。


2005年3月6日 日曜日

『仮面ライダー響鬼』06.「叩く魂」

 ヒビキとイブキが、画面上では初めて顔を合わせた。
 イブキはヒビキに対し、ライバル心・憎しみ・蔑み・恋心(?)など、ドラマに色合いを添える何らかの感情を抱いているんだろうなあ、と思っていたが…
ごく普通に相対し、それなりの敬意と好意を表明する、ヒビキと印象が よく似た爽やかな お兄ちゃん(エンディミオン様)だった。
 当然、彼もライダーに変身し、響鬼が苦心している蟹魔化魍を華麗に退治して強烈な印象を残し…と思えば、太鼓届けただけで帰るんかい!
 バイク乗りであったり、立花家長女に懸想している様子を見せたり、今後ふくらませられそうな所は ほの見えるけど。

 パターンで作品を見ている身には、裏切られる展開の連続で、しかし面白いものだから、不思議な気分。
 そうそう、作劇に、「こう来たらこうなって、この次はこうしなければならない」なんて絶対のセオリーは、無いんだよね。
初心者や、作劇能力の低い者は、とにかく お約束通りに物語を運ぶのが無難だとは思うけど。
 独特の感性を持っていたり、ずば抜けてパワーがある人は、そんなモノ無視して お話を振り回し、驚かせてくれる方が嬉しい。

 ヒビキに会いたくて海岸まで連れて行ってもらい、一緒に帰りたくてイブキのバイク同乗を断ったのに、結局一人で帰る決心をする明日夢。
 ウダウダしていた気持ちを、ヒビキに会う事でスパッと割り切る事が出来たんだろうな。
何だか、よく分かる。
 彼を「友達」と呼び、本当にそう扱ってくれるヒビキの気持ち良さには、惚れてしまいそう( ^_^ )。
こういうオッサンになりたかったなあ。イケメンじゃないから無理かあ。

 ところでディスクアニマル。
犬・猿・キジ(狼だし鷹だけど)が出て、キビ団子も出てきたから、桃太郎イメージで行くのかと思えば、今度はカニ?
猿とカニとは「さるかに合戦」で仲が悪いため、一緒には使えないとか、これから続けて蜂と栗と臼(既に生き物ですらない)が出てくるとか?
 「カチカチ山」でタヌキとウサギ、「浦島太郎」で亀、「鶴の恩返し」で鶴も出せる…けど、既出のアニマルと被るから、出さないだろうな。
後、あるとしたら、地中を探るモグラかミミズ?


2005年3月5日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』20.「PAST」

 自分は、基本的に回想シーンが少々多目に挟まれる事を気にしない人間だと思う。
 ……しかし…これはもう、「少々」という限界を超えてないか?
総集編が多すぎる。
しかも、それに取り立てて意味がない!

 今回は、シンの内面を辿っていく話だったはずなのだから、彼が知るはずのないキラやアスランの事情を描く必要は無く。
 アスハとカガリの最後のやり取りに到っては、「知っていてはいけない。知る事で彼の心境に大きな影響を与えてしまう」シーン。
何となく、で、混ぜて良い場面ではないと、分かりそうな物だが。

 中立国の一般市民であったシンの目から見た前戦争。
これは、30分 描いて十分面白くできた題材。
 バンクシーンを全て「オーブ国内で流されているテレビ報道画面」として、それを見ながらシンが両親や妹と会話していく。
最初は対岸の火事だと思っていた戦争が、次第にヒトゴトでなくなり、連合の要請をアスハ代表が はね除けた決断への賛意や批判があって、ようやく現実の戦火に巻き込まれていく訳だから、話す事は沢山あるだろう(前回、議長なんか戦争について、唐突に よく喋った訳で)。
 これなら、新作画は さほど必要としない。
漠としていた家族像も、明確になる。
 「オーブ、アスハを信じ切り、その決断を強く支持してきた家族に訪れた非業の死が、シンの怒りを深くした」でも、「一時連合と結ぶ事で戦禍を避け、国を守る事を優先すべき。理念を通すのはその後でも良い、とする家族(一般市民)の意見を容れずに戦端を開いてしまったアスハの頑なさが、シンの怒りを深くした」でも、どちらでも、彼が持つカガリへの反発心に厚みを持たせる事が出来たろうに。

 ただバンクを並べるのでなく、「シンから見た戦争」「彼に憎まれているカガリから見た戦争」を、交互にナレーションとして繋げ、対比する事で、お互いの立ち位置を彫り込んでみるとか。
 何でもいいんだけど、やたらに総集編を放送しているのだから、そのままで流さず、「30分、見た価値があったな」と視聴者に思わせる工夫をして欲しかった。
 製作者が楽をして作った作品で、客が喜ぶ事は、まず無い。



 映画『セルラー』を見る。
 監督は、『デッドコースター』(かなり好き)のデヴィッド・エリス。
主演はキム・ベイシンガーと、新人のクリス・エバンス。
 なるべく内容を知らない状態で見た方が面白いと思う。
タイトルで分かるように、携帯電話をストーリーの中心に置いた、サスペンス・アクション物。

 いや、面白い!
今年のアクション映画ベスト1はコレだ、と、もう言ってしまってもいいぐらい。
 携帯電話を使う映画としては、ついこの前見た『着信アリ』があるけど、『セルラー』の方が、携帯の利点・欠点、使っていてよくある失敗、その対処法など、徹底して調べ、書き出し、ストーリー中のドコでそれらを使うのが効果的か、遙かに考え抜いた跡がある(ホラーとアクションというジャンルの差があるので、単純に比較するのもナニだが)。
 最後の最後まで、「携帯」というアイテムを映画の核に置いたままブレさせない こだわりぶりには、感心するばかり。

 主人公が事件に巻き込まれていく、その取っ掛かり部分には、もっと上手く説得力を持たせられたんじゃないか、とは思う。
かなり強引で、無理。
 でも、そこには余り意味を認めていない映画だからなあ。
 ハラハラドキドキ、次の瞬間どうなっているか分からないジェットコースター感覚こそが、この映画のキモ。
 もっと自然な導入に変えられたとしても、そのために今以上の描写時間を必要としてしまうなら、いっそカットしちまえ!こんなトコ丁寧にやっても客は喜ばねえや!という気持ちの良い「B級映画」の割り切りようすら感じられる。

 それはキャラクター描写にしても、そうで。
主人公青年にトラウマを設定し、この事件を通して それが癒されていく様子を見せる事は出来たはず。
事件に関わっていく動機付けにも使えたろう。
キム・ベイシンガー方向にも、家庭内の葛藤を作り、事件に絡められたと思う。
 でも、そんな、スピード感を殺しかねない うざってェ要素は全部取っ払って、シンプル・イズ・ベストでラストシーンまで突っ走っていく、それが「B級」の楽しさ。
 迂闊に色々な物を入れると、扱いきれず未消化なまま残り、全体の印象を下げてしまう事さえあるのだし。

 とにかく、大小様々なアイディアが詰まっている。
何度も、もう絶望的、と思わせて、その度に、なるほど!と感心する方法で切り抜けて見せてくれるので、すっかり嬉しくなってしまう。
 これだ、これだ、こういうスカスカじゃない、頭を使った映画が見たかったんだ!
 見終えた充実感は、かつて大傑作『ダイ・ハード』を見た時に似ている。

 ……と、煽っておいて何だけど、あくまでB級映画。
ハラハラドキドキと笑いがあり、派手なカー・アクションもあるが、それ以外は何も無いと言って良い(キム・ベイシンガーも、老けたな…)。
 だから過剰な期待はしないで、でも 暇があって、B級映画が好きなら、見て損はしないと思う。
残酷さや無駄な色気も無いので、デートムービーにも向くだろう。


2005年3月4日 金曜日

『GIRLSブラボー second season』06.「アルバイトはブラボー!」

 んーー…サービス…ったって、男の子が女装して やたらに可愛くなってしまう手のサービス、かあ。
いや、個人的には こーゆーネタ好きなので問題ないが、素直に「女の子のエッチな絵が沢山見られるから」という理由で このアニメを楽しみにしている視聴者の方々にとっては、「違う」内容だったかも。
 とは言え、男の子も女の子も基本的には同じ顔をしている作品であり、女装の間はまるっきり「女の子」として描かれている(ウエストのくびれまである)し、声優さんも元々女性なので、問題になる程ではないか。

 無理矢理な女装イベントに主人公を追い込むため必要だった…のかも知れないが、桐絵の性格が普段とかなり違い、雪成に対し嗜虐的とも言える行動を取る(初登場時はこんなだった気もするけど)のは気になる。
 ミハルにプレゼントでも買うため、雪成が自主的に女装した、という展開でも特に問題なかったような。
 ここまで、雪成への想いがありながら、素直になれない事と、無垢なミハルという女の子が間に挟まれている事で、好意を表面に出さないようにしてきた桐絵の微妙な心情が、すっかり台無しにされてしまったんだけど。
これで、良かったのかなあ?
 キャラを大事にしている作品かと思っていたのに。

 あ、いや、桐絵の気持ちが完全に、最近やたらとヒイキされ描き込まれている福山の方に行ってしまったと考えれば、「好きな相手にイジワルしたい」ガキのような思考形態を持つ彼女の対応として、男嫌いの彼に、既に どーでもいい人間である雪成を女装させてぶつける行動も、理解できなくはないのか。
 これで正解?


2005年3月3日 木曜日

 映画『ボーン・スプレマシー』を見る。
 監督は、前作『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマンから換わって、大作映画はこれが初めてらしいポール・グリーングラス。
主演は変わらずマット・デイモン。

 ストーリーは、純然とした前作の続き…と言っても、一作目の記憶が薄くて、主人公・ボーンは記憶喪失なんだっけ、とか、特殊機関で超絶の戦闘技能を叩き込まれている、とか、断片的な事しか思い出せない状態での鑑賞。
 それでも、さほど支障なく見られる。
DVDででも再度見直して復習しておくのが周到であり、より興味深く見られたのかも知れないけど。

 自分が「スパイ物」に期待するのは、『007』のようなデタラメと紙一重の派手で洒落たアクションなので、地味すぎる一作目は余り高く評価出来なかった。
 が、作品傾向が掴めたからなのか、今作は非常に楽しく見られた。
今、また一作目を見返したら、もっと楽しめるのかも。

 …相変わらず内容は地味だけど、アクションは よりハデになっている。
カーチェイスの凄まじいスピード感には圧倒されてしまう。
 『007』なら、片輪走行したり障害物をジャンプで飛び越えたりが見せ場になる所を、そこまで馬鹿馬鹿しくはせずリアリティーを持たせ、しかし手に汗握らせるようにカットを連続して見せる手腕には、感心。
 よく考えると、ラストのカーチェイスが起きた理由とか、決着の付け方とか、??という所もなくはないが、まあ細かい事は。

 映画を見ていて、ボーンは『装甲騎兵ボトムズ』のキリコ・キュービーに似てるなあ、とずっと考えていた。
 出自に不明な点を持ち、特殊機関で冷徹な任務に従事した過去があり、その血の記憶に苦しめられ、ようやく愛する者を得るが……
戦いから逃れようとして、しかし戦う事しか知らない哀しさも、同じ。

 原作は三部作らしいから、今作がヒットした事もあって、更に続編が作られるんだろう。
 今度は『野望のルーツ』みたいになり、ボーンの出生まで遡る?



『スターシップ・オペレーターズ』09.「ターニング・ポイント」

 前回に引き続き、自分たちが戦乱の中に居る事の責任を他者に求める(ただ苛立ちをぶつけてるだけ?)シノン。
 彼女達が命がけで戦っているのは、誰でもなく自分自身が希望したから、だろうに。
ここで他者を責め立てちゃ、自分の意志で参戦し、戦死した者達に、かえって失礼では?
 戦うのがイヤなら、開戦時でも途中でも逃げ出す機会はあったろうし、王国への降伏を皆に徹底して主張する事も出来たろう。
どうにも「やっておいて、今更…」としか。
 『銀英伝』で、イゼルローン要塞に立てこもっての帝国への対立時に、自主的にそこへ参加しておきながら、そのツケをヤンやユリアンに押し付けて大騒ぎする「愚民」を思い起こさせて、うんざり。
 別に、好戦的である必要はないが…

 シノンが、描けていなさ過ぎるのだと思う。
彼女を現状にまで追い込んでいった外的要因、それにより生じた内的葛藤、そういう所がしっかりあって初めて、他者へ(自分へ)と噴き出していく怒りに説得力が生まれる。
 それら無しで怒り・苛立ちのみ見せられても、何が何だか。
 ここに限った話じゃないが、段取りとか説明とか驚くほどヘタだなあ、スタッフ。

 魅力のないヒロインが誰とくっ付こうと、興味ない。
 唐突にベタベタして見せたのは、「男の方の死亡フラグが立った」と見るべきかどうか。


2005年3月2日 水曜日

 今日は花粉症が酷い。
さぞやスギ花粉が飛んでるんだろう…と思ったが、飛来状況を見ると さほどでもなく。
 コレで ほとんど飛んでないって、じゃあ最盛期には どれほどの症状が出てしまうのか!。・゚・(ノД`)・゚・。
 うー、嫌だけど もう耳鼻科に行くしかないな。



『巌窟王』20.「さよなら、ユージェニー」

 かなり長く感想を書いていなかったので、まとめて。
 伯爵との決闘に、まさかロボットを担ぎ出してくるとは思わなかった。
舞台は未来だし、こういったテクノロジーが存在していても変ではないが…これまでに姿を見せていた事、あったんだっけ?
 原作的世界で言えば、このロボット(パワードスーツ?)は「甲冑」であり、それを乗せて突進する「馬」でもあるのだろう。
レトロなデザインと、少々カクカクとした動きが、スーパー巨大メカではなく あくまで人体の延長上にあるメカなのだと実感させてくれ、上手い。

 伯爵、決闘の最後には残った甘さ…人間らしさが出てしまうか、と思ったが、徹底して非情、冷徹。
誰の言葉も通じない、彼の心を覆う強固な鎧が剥がれる瞬間が、クライマックスになる?
 命を捨てたフランツの戦いぶりには圧倒され、30分、画面に見入ってしまった。
彼の死を「喪失」と感じられるだけキャラが立てられ、アルベールとの繋がりが描かれていたため、その最期はズシリと重く、心を打つ。

 伯爵の復讐は更に進行。
株を大暴落させてダングラールを破滅に導く。
 己の都合のみ考えて娘を売り渡そうとするダングラールは醜悪だけども、元々そういうオヤジとして描かれているので、「見たくないモノを見てしまった」嫌な後味は、無い。

 ユージェニーの結婚を阻止しようとする所は、映画『卒業』というより『カリオストロの城』婚姻の儀を思い出した。
 もうちょっと緊張感のある逃避行が見たかった気はするけど、ダークな色に染まっているストーリーの中では爽快なエピソードだったし、幼い頃 使っていた抜け穴を用い時間・空間・人の繋がりを示すのも上手いので、オッケー。

 キャラクターがあって、ドラマがあって、それぞれ最終的に集約していくべき方向も見える。
一つの「作品」として ごく当たり前の事ながら、これが出来ていないアニメがやたら多い現況では、異彩を放っている。
 面白い。


2005年3月1日 火曜日

 DVDを見た勢いで、映画『着信アリ2』を見る。
 監督を、映画は『ゴースト シャウト』に次いで二作目の塚本連平に変え、キャストも一新しての続編。
 恐怖の携帯着信はまだ終わっておらず、新たに巻き込まれた女性達は真相を究明すべく…

 以下は内容に触れてしまうため、ご注意。



 うーん、前作と関係あるような無いような続編。
『呪怨』で言うと、実は台湾にも呪われた家があり、そこに入っていった人達が次々死んで行ってました…という筋にしたようなモノ(一応 家同士には関係があるが)。
 舞台を海外に広げた意味は?
国内でも十分、同じ筋で展開できると思う。
 まあ、恐怖でおかしくなった住民が少女の口を縫い合わせて炭坑に放り込む、なんてマネ、日本では時代をかなり昔に設定しないとリアリティーに欠けてしまうが、舞台を「台湾」にした途端、「台湾なら、あるかな」と無知故の説得力を感じてしまう、ってのは確かだけど。

 前作でも そんなに高いとは言えなかった怖さの質、今作でまたガックリと落ちている。
デカイ音と共に、急に白い手が伸びてきたり怖い顔が見えたり、という非常に即物的なショックシーンを連発してくるので、ちょっと飽きさえ。
 『リング』そっくりな井戸からの登場シーンでは、思わず大笑い。
 ホラーにとって添え物でしかない恋愛要素を、やたら長々見せられるのも どうか。

 秋本康が語っていた通り、この『2』を見終わっても、???という疑問が多く残るように作ってある。
特にラスト辺りの情報錯綜ぶりには、とても付いていけずポカーン。
 一生懸命 謎を解いても、特に嬉しい事は無さそうなので、まあ分からないままで いいや。
 ただ、「理解出来なさ」が「怖さ」に繋がる筋立てにはなっていないため、ここで観客の頭に疑問符を残して劇場から出してしまうのは、映画の評価(怖かった度合い)を下げる役にしか立たないような。

 携帯のテレビ電話機能を使ったホラー演出は、割に楽しかった。
携帯の付加機能が急速に充実して行ってる現在、次回作ではまた、変わった機能での恐怖画面を見せられるようになるかも。

 このシリーズは、「携帯」というアイテムを使って怖さを生み出す所に独自性がある訳で、それよりも台湾ロケの方に重きを置いてしまったっぽい今作は、どうしても印象が弱い。
 次回作があるなら、ネタの強力な絞り込みを望みたい。
 いや、もっとスチャラカな内容になって笑わせてくれるのも、ダメホラー好きとしては それなりに嬉しかったりするんだけど(笑)。



『スクールランブル』22.「いざ開戦!さぁ騎馬戦!もう大乱戦!」

 淡々と、ちょっとズレ気味のコントやら愛恋沙汰を展開するのが味になっている この作品で、割と普通に盛り上がりそうな騎馬戦を見せようとするのは、食い合わせが悪いような…
 アホみたいな巨大生徒の登場とか、播磨の頭を庇う沢近とか、楽しいシーンもあったのだけれど、全体としては普通の、さほど盛り上がらないギャグアニメ、といった出来に。



 今日は、よく晴れていたから不安だったが、花粉症症状は出ず。
不思議…このままシーズンを乗り越えられると最高なんだけど…


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