ときどき日記 05/05

2005年5月31日 火曜日

『創聖のアクエリオン』09.「夢のかよひじ」

 う〜ん…普通。
 「夢の世界からの襲撃」というネタでは、映画『エルム街の悪夢』や佐々木淳子先生の漫画『ダークグリーン』といった傑作があり、並大抵のアプローチでは先達を超える事は不可能。
 今回の話では、「どうしようもなく襲い来る眠気」とか「起き続けられず、為す術もなく夢の中に捉えられていく仲間達」といった、こういうパターンのお約束が ほとんど活かされていない。
 アクエリオン・パイロット達は、単に被害者ではなく、敵を倒す事を目的とした「攻撃者」だから、ホラーっぽくならなくて当然かも知れないが。
 夢の特異性が余り良く出せていないので、イマイチ面白味に欠ける。

 何でもありロボット・アクエリオンが、夢の中にまで突っ込んできた、そこいらが僅かに面白かった所。
 敵のリアクションがもっとブッ飛んでいれば、更に面白くなったかなあ。
無茶な攻撃で夢の世界その物を破壊していくアクエリオンに、「これは夢よ、悪い夢よ!」と取り乱してしまうとか( ^_^ )。

 考えてみれば、このアニメは普段から物理法則とか常識を無視した展開を見せているので、「夢の世界に入った」と言っても、いつもと変わらない。
「ロボットの腕が伸びて月面まで到達しました」なんて事をフツーにやってるアニメで、夢だからってどんな絵を見せれば良いのか。
 夢について、不動に、ひっくり返るようなアホ台詞を期待したかった所。
 遊び放題 遊べた題材だと思うだけに、残念な出来。


2005年5月30日 月曜日

『雪の女王』02.「オーロラの街」

 こりゃまた地味な話…だけども、北国の生活の厳しさ、その中にある喜びなど、実に細かく描けている。
 地に足が着きすぎて、雪の女王を描くファンタジックなパートだけが遊離しているような気持ちになってしまうが、その辺はこれから上手く解け合わせていけるのだろうか。

 医者を捜しに吹雪の中、馬車を走らせるカイ父の決死の行動が、「帰ってきたら薬草でお婆さんは治ってました」という終わり方のために、無駄っぽくなっている。
 ゲルダ家の問題を、ゲルダが解決してしまった訳で、エピソードとしても閉じているような。
隣家の老婆のため、命を賭けられるカイ父始め一家の人の良さは描けたけれども。
 ここでお婆さんを欠けさせないのであれば、カイ母の発熱をゲルダが治す、という話にすると、両家の結びつきを更に強める構成に出来たかも。



『おねがいマイメロディ』09.「縄とびたくさん跳べたらイイナ!」

 小さなキッチンを引きずり出し、朝食を作り始めるマイメロ。
おさんどんもしていたが…
 …ファンシーキャラクターって、「可愛い」事が命じゃないのかな?
「実用」「ご家庭のお役に立ちます」って持って行き方は、本来のファンシーキャラクターの有り様と真反対だと思うけど。
 まあ、このアニメにそんなの、今更か(笑)。
 姉妹三人もいながら、あんなチビに家事を任せっきりにして、当然という態度を取るヒロイン達も凄いなあ。



 レンタルで米テレビシリーズ『トゥルー・コーリング』を、4話まで見る。
 『アイ・ロボット』DVDに お試し版として第一話が収録されており、その面白さに、正式リリースが楽しみだったモノ。
 ヒロイン・トゥルーは、大学卒業後、心ならずも死体安置所で働く事になる。
様々な死体が運ばれてくるそこで、彼女は「help me」という死者からのメッセージを聞く事により、強制的に時を24時間遡らされ、その人を「助ける」使命を負わされるのだが…

 1、2話が抜群に面白く、ネタもギッシリ詰め込んである。
3、4話は、面白い事には変わりないけど、若干ネタが薄目かな。
 タイムスリップ物の旨味である、「次に何が起こるか既に知っているが故の優位性」を駆使する楽しさが、まず ある。
「今日の野球の試合はどちらが勝つ」「あと2秒後にウェイターがグラスを落とす」といった予言が次々と現実になり、聞かせた相手が呆気にとられる「優越感」。
 そして、「次に何が起きるか知っているが故の苦悩」。
これから爆発事故が起きると分かっていても、どう伝えたって他の人はそんな事を信用しない。
ひたすら人を救いたいと思えば思う程、その相手から狂人に見られてしまう もどかしさ。

 推理物として、「ある人が死ぬ(未来で既に、死んだ姿を見ている)」事だけはハッキリしているが、それ以外、誰が、いつ、どのような手段で、なんのために その人を殺すのか、という事柄は不明のまま進み、「真相はこうかな?」と視聴者が予測したストーリーを二転三転させていく、シナリオ作りも見事。
…先が読める話はあるし、「そんな謎解きアンフェアだ」というケースもあるけど、テレビシリーズに求められる以上の水準はクリアし続けていると思う。

 トゥルーの家庭環境に色々と問題を設定し、毎回 大筋の脇で小さな「家族の危機」を回避していく お約束も楽しい。
 彼女の母親の死に絡む真相が、このシリーズを貫く柱になっていくのかな。
母も実は、彼女と同じ能力者だった?

 シナリオのフォーマットを作った人間が、偉いねえ。
多くの分岐を設けた基本ラインのポイントポイントに、カラーを変えた「ネタ」を乗せていく事で、毎度「悪くない」程度のストーリーには仕上がるように考えられている。
 「面白さ」を生じさせる場所を適度に分散させてあり、本格推理物ほどにはネタに掛かるウェイトが重くないのも、書きやすい要因だろう。
 といっても、アホには書けない、シンドイ シナリオである事には変わりあるまいが。

 レンタル代金ぐらいの価値はアリ。
酷くレベルが落ちない限りは、シリーズの最後まで付き合ってもイイと思える出来。


2005年5月29日 日曜日

『ゾイド ジェネシス』08.「地下水路」

 この作品は、一話目の冒頭を少し見ただけで、これまではチェック対象から外してきた。
前ゾイドシリーズを時々見ていたが、余り興味が持てなかった事情があり。
 が、掲示板でお勧め頂いたのを切っ掛けに、見始める事にした。

 うん、子供を主な視聴対象にしたアニメとして、きちんと考えられており、面白い。
 燃料の補給をしようと街に立ち寄るが、そこは敵の制圧下にあった。
このシチュエイションから考えられる事…陽動を行い敵の目を引き付け、生身で水路から侵入、必要なモノを入手して脱出、偶発的に計画が露見して危機に…これらを分かり易く、普通にこなしている。
 侵入時に間抜けな被り物をして笑いを取ったり(偽装と呼吸用パイプを兼ねていて無駄な小道具ではない)、荷物が挟まって動かなくなる危機状況を作ったり、ライオン像型 吹き出し口から顔を覗かせる『カリオストロ』パロディー(?)まであって、色々と考えられた作品である事は よく分かる。
 自分の配下の者に被害を出してしまった、とガラガが食事を取らず内省に沈んだ後、体を張って敵を倒す事で「オトシマエ」を付けて見せるなど、心の動きが途切れず、継続して捉えられているのも結構。

 厳しく言うなら、これで「普通」だと思うんだけど。
普通の事さえ当たり前に出来ない製作者の方が多勢を占める現状では、貴重な作品。

 しかし、正しい『ゾイド』の視聴者であろう子供達は、ザイリンおにーちゃんのシャワーシーンなんて喜ばないと思うけどな(笑)。
 男とばかり思われていたが実は女、というのが裸を見て明らかに…とかいうパターンかと思えば、違うし。
『SEED DESTINY』じゃないんだから、こういう気遣いは無用。



『交響詩篇エウレカセブン』07.「アブソリュート・ディフィート」

 だめだ…この手のおふざけ話は、キャラクターに対し強い好感を持って見ないと全然 楽しめない。
 今回は、レントンをひたすらイジメるばかりの内容。
ドッキリ企画もいいけど…レントンを見守るリアクションで他メンバーのキャラをもっと立てるとか、昔の自分たちを回想する事でゲッコーステイトの成り立ちを説明するとか、話を無駄にしない工夫はいくらでもあったと思うが。
 1年間、という、最近のアニメにしては長い放送予定期間が、かえってアダになってはいないだろうか?
 そう思うのは、レントンにもエウレカにも、「眺めているだけで楽しい」と思える程には魅力を感じていないから、なのか。


2005年5月28日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』32.「ステラ」

 とにかく、ロボットバトル物の伝統にのっとり、馬鹿デカイ敵との派手な戦いが描かれた、という点では面白い内容だった。
 でも、シリーズの流れや、今回だけにしても戦いの構成とか見せ方などには不満が残る。

 サイコビグザム(仮)。
せっかくガンダム形態になったんだから、ビームを撃ちまくるだけでなく、巨大な体躯を活かした戦いぶりを見せて欲しかった所。
 墜落したオーブ機を踏み潰すとか、背面バーニアを噴かして意外な速さで前進し、逃げ遅れた機体を敵も味方も弾き飛ばしていく(「アディゴは構いません」)とか。
掌に掴まれたフリーダムが、握り潰される危機から、全方位攻撃により指を吹き飛ばす事で、自機にも損傷を出しながら脱出するとか。
 ビーム攻撃をかわされ接近されると非常に脆い、というのが不満…まあ、あれだけ苛烈なビーム乱射を交わせるパイロットなんて想定できないだろうけど。

 「死ぬ」「殺される」のを病的に恐れ、過剰な攻撃に出てしまうステラには、今更ながら、現在の世界を投影してあるんだろうな。
 追いつめられ、恐ろしい形相を見せ続けていたステラが、死を前にシンと再会して ようやく安らいだ表情になるシーンは、なかなか切なくて良かった。
 …彼女、死んだ…のかなあ?
このアニメは、そう見せて生きている事が多いんで油断できない。派手に爆発して どう見ても死んだようなネオ…フラガも生きてたし。スティングも、どーなんだろ。

 ミネルバから出した戦力はシンだけ、ってのが不思議。
どこかに寄って船を修理したんだから、アスランやレイ向けにザクでも積み込んでおくものでは。
ミネルバは、単艦で重要な任務を任される事が多いので、戦力補充は優先して行われて良さそうな。
サイコビグザム戦に回す余剰艦隊も無いみたいで、ザフト、意外と戦況は逼迫してる?
 この後シンが、「ステラを殺したキラが許せない」という逆恨み状態に陥る予定だから、なるべく余計な人間を参戦させたくなかった事情は分かるけど。
 「ステラを戦いには出させない」約束をアッという間に反古にしたネオへの怨みが、彼を回収したアークエンジェルを、更に許せない気持ちにさせていくのかな。
オーブ機の攻撃がステラを追い込んで行ってたなら、またカガリへの憎しみが凄い事になってたろう。

 シン、「主人公」らしさはまるで無いけれども、とにかくやたら逆恨みする、増長する、度量の広さゼロ、というダメダメな意味では、「面白い」キャラになってきたのかも知れない。
その面白さは、余り「魅力」とは結びつかないのが残念だけど。
 もっと一気にダークサイドへと転がり落ち、ミネルバの指揮を任され執拗にアークエンジェルを追い掛ける狂った悪役キャラへと転向すれば、黒い「魅力」が出てくるのに。

 シンとステラの魂が、戦いの最中に共振した理由は?
同じ研究所出身だから?これからニュータイプ的な能力が開花していく前触れ?
 …などと考えても、「何となく」で理由など無い事が多いから無駄カモ。



『ハチミツとクローバー』07.

 雰囲気の良い、面白いアニメだなー、と思ったので、ようやく近所の書店に再入荷された原作単行本を全巻揃え、ボチボチと読み始めた。
 読んでみて分かったけど…
アニメは、原作を略している所がある。
 作品に致命的なダメージを与えてしまう、そんな重要な部分を略している訳ではないが。
あるいは、「無い」事で口当たりを軽くできたり、イメージを膨らませやすかったりする所でさえあるかも知れない。
 でも、その省かれた部分が、原作の繊細さを構成している重要なパーツだったりも。

 以前の、竹本が実家に帰る話で、「うろ覚えの実家への帰路に不安を抱く彼が、携帯の充電が切れている事で更に不安感を増す」所。アニメでは確か、無かったと思う。
その不安定感が、父親を失った気分、そして母親が連れてきた男性により「自分には何も無い」と気付かされてしまった時の気分に通じ、回想に入りやすくしているのだが。
「帰る道を失いかけている」竹本を迎えに現れたのが、母の恋人(?)、という所にも意味があるのだし。
 ただ、ここは、無ければ話が成り立たない程には重要な所でない。
見る者の想像で、十分に埋め合いが付く。

 原作一話を30分に伸ばすとテンポが崩れてしまい、間延びした演出の中に、原作が意図して巧く回避している「ズシリとした重さ」を生じさせてしまう恐れがある。
実際はかなり重い話を、サラリと、カラリと描いているのが原作の味なのに。
 かといって妙なオリジナルエピソードを混ぜて時間を稼がれても困るし…
 そう考えると、現在のペースが妥当なのかな。

 今回は、涙で潤んだ はぐの目の描き方が宝石のように見え、とにかくキレイであり印象的で、それだけでもアニメにした価値がある、と思えた。
 青い空、河原を吹き過ぎる風の表現など、アニメでしか描けない「描いて欲しい」部分に力が入っており、さすが舛成 孝二は上手いなあと、感心。


2005年5月27日 金曜日

『ドラえもん』07.「のび太の地底国」

 0点の答案を隠そうと、地下に穴を捜していたのび太は、巨大な地下空洞を発見する。
そこにジャイアン達と、子供だけの国を作ろうとするのだが…
 「どくさいスイッチ」と並び、『ドラえもん』のダークな部分が出た話。
『蠅の王』というか。

 規律が無く際限のない自由を許してしまったが故に、発生する不自由。
 「誰がトップでも構わないや」といういい加減な気持ちが、最悪の指導者・のび太を誕生させ、彼による弾圧・恐怖政治を招いてしまう。
 また、当初は確かにみんなのために良い国を作ろうとしていた のび太なのに、反論を封じる「力」まで手に入れてしまう事により次第に暴君と化し、「全員のためには個人の犠牲ぐらい やむを得ない」「自分は特別な人間なので、他の者達より恵まれた環境に居て当然」といった偏向した考えに到る、その辺りも実に恐ろしく。

 異世界への旅立ちがあり、日常から離れた楽しい時間があり、その楽しさが崩壊する危機に見舞われる展開も、ある。
劇場版にも比肩しうる内容だったと思うけど、さすがに「最後の敵は、独裁者・のび太でした」って話じゃ子供が納得しまいな。

 しかし、ドラえもんって、決して道徳的に正しいロボットじゃないよね。
 今回、悪い成績だったテスト用紙を処分したいという のび太に、「そんなのダメだよ!」と止めるかと思えば、「その辺のゴミ箱かドブにでも捨てたら?」とリアルなアドバイス。
 前回は、スネ夫に弱味を握られた のび太を助けるためとはいえ、スネ夫宅への不法侵入を行い、のび太が「もう十分だ」と言うのさえ押し切ってプライベートな秘密を暴き立てていたし。
 深夜アニメである『極上生徒会』よりか、よっぽど歪んでるぞ(笑)。
 当然ながら、ドラえもんは道徳的でなければならない、なんて全く思ってない。
そうある事が面白さに直結する訳で無し。



 WOWOWで映画『マッハ!』を見る。
 タイ映画。
 お話はあって無いようなモノで、自分たちの村から盗まれた守護像の首を取り返すため、体術を極めた主人公が都会にやってくる…というようなモノ。

 CGを用いない生身のアクションは、確かに鮮烈で面白い。
ブルース・リーや、若い頃のジャッキー・チェンを思わせる。
 そういう面では見る価値ありと言えるだろう。

 ただ…単純なお話の割にストーリー部分を長くしてしまったのは、個人的にあんまり感心しない。
例えば、女の子の姉がヤク中から抜けようとしたが殺されてしまう所。
姉の登場からして唐突だし、「タメ」としても上手く機能しておらず、不要かと。
 ワルの大ボスを身障者にしたのは、意味があったろうか?
それだけでキャラクターにはなっているが…喉に開けた穴から煙草を吸っている所など、憎しみの対象にするには痛々し過ぎるような。
 スティーブン・セガール映画なら、こういうドラマ部分に興味がない事がハッキリ分かる、もっとずっとライトな上がりになっていたろうな。
 まあ、この辺、どちらを良しとするかは趣味の問題か。


2005年5月26日 木曜日

『極上生徒会』08.「さらば!極上生徒会」

 生徒会に残るため、赤点を取らないように必死の勉強ぶりを見せる りの。
 彼女をバックアップしようとする、生徒会メンバーそれぞれの行動とリアクションが楽しい。
どれだけ勉強しても、各一点ずつしか成績を上げられない繰り返しギャグも上手い。

 ここまで軽快なノリだったのだから、クライマックスもパワーで押し切って欲しかったなあ。
みんなで りののプレッシャーを取ってやり、実力を出させてみれば、別に頭が悪い訳ではありませんでした、というのでは、弱い。
泣かせるための良い話、として、それなりの効果があるエピソードだったとは思うが。
 そこに結びつけるなら、りのがテスト中 やたらトイレに通うとか、テスト開始と同時に机に突っ伏し失神したように眠るとかいう、精神の弱さが肉体に出たとハッキリ分かるような症状の方が。
ただ、それをメンタルな方向で治療して解決、という展開は容易に読まれてしまうな。

 カンニングさせる、テスト用紙をすり替える、テスト実施の妨害をして全体の平均点を下げさせ 特例として赤点の基準を押し下げるなど、無理になら解決法が無くはない。
 だいたい、人形にテストを受けさせれば万事オッケー。
最初は りのもそれでトボケ通したい気持ちがあったみたいだけど、以前のエピソードで、人形はそれ自体 独立した知識と思考を持っている、という事が生徒会メンバーに周知されており、アウト。
 意外に常識的・道徳的な このアニメの中では許されない方法が多く、難しいなあ。



 面白いよー、という評判を聞き、映画『バタフライ・エフェクト』を見る。
 監督・脚本は、『デッドコースター』で、前作『ファイナル・ディスティネーション』と上手く繋げる脚本を書いて見せたエリック・ブレス&J・マッキー・グルーバー。

 うん、面白い。
 かなり無茶な話であり、主人公の能力は…ええと、ネタバレの無いよう例えると、「ラーメン屋で塩ラーメンを食べる事により、世界中ドコの塩ラーメンを出す店にでもテレポート移動が出来るようになる力」ぐらい強引。
「??」と思わされる所も多々あるが、取りあえず物語内では発動条件や限界など見せられるので、そう言うならそうなんだろう、と納得するしか。
 お話の内容は、ダークな『バック・トゥー・ザ・フューチャー』。
あの映画では、全てを良い方向に向かわせる事が出来たが、世の中そんなに甘くないんじゃない?というような。

 以下、内容に触れるので、未見の方は御注意。




 誰しも、人生の岐路でどちらに進めば良いのか悩む事があるはず。
大仰な話でなくとも、「朝、テレビの占いを最後まで見ないで家を出ていれば、ギリギリ電車に間に合って、遅刻しないで済んだのに」ぐらいの「もし、あの時」なら、毎日あるだろう。
 「学生時代もっと勉強して、エリートコースに入っていれば」「少し勇気を出して、好きだった女の子に告白していれば」というような大きな変革になると、後の人生そのものを変えてしまう。
 それによって今よりハッピーに変わる方が妄想としては楽しいけど、商売柄か、変えた事でより状況が悪化してしまう未来も考える。
エリートコースで汚職の手伝いを強制され、露見して逮捕されるかも知れない。
憧れていた時には気付かなかった女の子の嫌な面が見え、最終的には別れる上に、綺麗だった思い出まで台無しになるかも。
 それら、ちと鬱気味の妄想の方を見せてくれる映画。

 思えば、この監督は『デッドコースター』でも、「運命の裏を掻く事の難しさ」を描いていた。
「人間が生きものの生き死にを自由にしようなんて、おこがましいとは思わんかね」(『ブラックジャック』)という考えに立ち。
 脳天気な『バック・トゥー・ザ・フューチャー』は大好きだけど、鬱な未来を見せるのも意味がある。
「過去を悔やんだって無駄」
「何度やり直しても、お前がお前である限り、その人生なんか程度が知れてるだろ」
「これからの人生の岐路は、まあよく考えて、でも気楽に決めなよ」
「最高のハッピーエンドを探そうとするからシンドイ、そんなモノは無い、と考えた方が楽じゃない?」
というような。
 ポジティブなんだか そーでもないんだか(笑)。

 ラストの選択には、小咄(?)の、「どうしてこの電車はこんなに混んでるんだ?」「お前が乗ってるからだよ」というのを思い出した。
 もしかして涙腺の弱い人ならグッと来てしまうかも知れない、キレイな終わり方ではないだろうか。
…主人公の病状どうなったの?とか疑問は残るけど。

 といっても この映画、別に堅苦しく重苦しい内容ではなく、そんなアホな、と笑ってしまう所も沢山ある。
 極悪ルームメイトや刑務所で出来たダチは、なかなか良い奴等だったので、その人生も良い方向に変えてやって欲しかったな。
それは出来ない、ってのがテーマか。
 主人公の父親は、どういう選択を経て、ああなったのだろう。
そこを描く『バタフライ・エフェクトEpisode0』があって良いかも…受けそうにないが。


2005年5月25日 水曜日

 スカパー!で放送していたので、映画『MARCO 母をたずねて三千里』を見る。
 お馴染み世界名作劇場の同名作を、劇場映画として新たに作り直したもの。

 一年間に渡って放送された作品の内容を、97分に短縮。
密度が高く、全てが後のドラマに関係していて、容易にカットが出来ない原典アニメに思い切ってハサミを入れた映画としては、「手際の良いダイジェスト」と言えると思う。
 これだけの短い時間で、テレビ版の主要な見せ場のほとんどを押さえた構成能力は、大したモノ。
 ただ、ダイジェストはダイジェスト。
旅の過程…苦難と絶望と希望、出会いと別れ、人の冷たさと優しさ、涙と笑顔…それら一つ一つに価値があり、「生きる事は、旅なのだ」という事実を描き出していたテレビ版に対し、「色々あってお母さんに会えました」程度の物語になってしまったダイジェストに どれほどの意味があるのかは、疑問。

 胸に迫り、ホロリと来るシーンもあるのだが、それはこの映画単体で生み出した感動ではなく、見る者が映画を「切っ掛け」にオリジナルシリーズを回想する事で、初めて心を動かされたもの。
 テレビと同じキャラクターデザイン、似た雰囲気の演出を心懸けているだけに、余計 僅かな差異が気になってしまう。
声優の演技力不足とか、かなりの崩れが見られる作画、テレビシリーズでの宮崎 駿の仕事の高レベルぶりと比べると余りにも普通な画面レイアウト、などなど。

 母の元に急ぐ最後の過程を、さしたる苦労もない麗らかな日中の坂道に変えてしまったのは何故なのか。
ここが最後のタメなのに。
 病に倒れ、眠る母親にマルコが再会した際、彼が必死で呼びかけているのに、母に反応を示させないのも、意図不明。
結局、母が目覚めるのは翌朝、顔に朝日が差してきたのを受けて。
まるで、マルコがやってきた事には余り意味が無かったように感じられてしまう。
 テレビでは必要だった母の手術が不要になっている所からすると、マルコの呼びかけは届いていたのだが、それはまず母の免疫抗体など体内にであり、息子の声で活性化した体内機構が病気を治し、彼女の目を開けさせるまでには、一晩の時間が必要だった、って解釈?
うーん分かり辛い(笑)。

 時間の足りないダイジェストなのに、冒頭とラストで、大人になったマルコを見せているのがよく分からない。
原作小説にある?しかし、まるで時間の無駄としか…
 どうせなら、彼がフィオリーナと結婚した未来でも見せてくれれば、蛇足なりに意味があったと思うんだけど、独り身みたいだし。

 当たり前の事だけど、テレビシリーズを見た方が遙かに良い。
 レンタルで見られるオリジナルの傑作があるのだから、ダイジェストで何となく あらすじだけ知ってしまうのは、人生の損失。


2005年5月24日 火曜日

 WOWOWで放送していた映画『花とアリス』を見る。
 『Love Letter』『スワロウテイル』『リリイ・シュシュのすべて』の岩井 俊二監督。
 鈴木杏と蒼井優主演。
 お話は…ふわふわとしていて掴み所が無く。
親友である二人の女の子と、男の子の関係を中心に、様々な感情に彩られつつも淡々とした日常が描き出されていく。

 岩井監督の作品としては、物語性は抑え目にした、『四月物語』と同系統の映画。
 もう、「好き」か「嫌い」か、それが全て。
うーん、既に『四月物語』を見ており、そちらの方が短い時間に凝縮して「始まる、春の気分」を爽やかに伝えてくれたため、この映画に対する評価は「結構好き」ぐらいに留まる。

 花の、日常レベルで捉えると とてもリアルには思えない、無茶な思考形態とヒデエ嘘。
 付き合うアリスの行動もかなりエキセントリック。
最初に一目惚れで うかれ、妙な事を言い出す所、芸能界に入りたい!という強い意志は持っていないように見えるのに、次々とオーディションだけは受けていく所など。
 しかしこれら不思議な行動も、現実の日本とは異なった空気感に切り取られたショットに乗せて語られていくと、特に抵抗も感じず見られてしまう。

 読み取ろうとすれば、色々な事を読み取れる映画なんだろうな。
何かを象徴しているようなセリフやシーン、小道具が一杯出てくる。
 嘘を重ねていく花と、男の子が見に行く映画は、『太陽の王子 ホルスの大冒険』
ホルスを欺く少女・ヒルダは、その自責の念に苦しめられている。
 花が嘘を告白する時、舞台で演じられるのは落語「粗忽の使者」
失われた記憶を取り戻そうとする事に伴う「痛み」。
そして、それだけの痛みに耐えて復帰させた記憶には、最初から真実が含まれていなかった、という物語。

 一時は不登校になっていたらしい花、母親から「存在しない事」をすら求められているアリス。
少女達の背景は、かなり重い。
 なのに嫌な気分にもならずに見ていられるのは、監督 独自の、ウェットにしすぎないバランス感覚のお陰なんだろう。

 オーディションでアリスがバレエを披露する美しいシーンは、『フラッシュダンス』を思い出した。
 ギャラリーのリアクションも用いてココを感動的に盛り上げながら、ヒロスエ演じるマネージャー(?)だけは演技を見ておらず携帯電話で関係ない話を延々している、という息の抜き方がまた、岩井監督らしい所か。

 内容を考えれば二時間以上の上映時間は長すぎる、一時間半で十分!と思うけど、少女二人の日常をもっとずっと見ていたい気分にもさせる、不思議な映画。



『創聖のアクエリオン』08.「はじめてのがったい」

 「合体」を性行為のメタファーとして語るのは、シリーズ開幕からずっとやってきた事だが、今回はまた、隠喩も暗喩もヘッタクレもない そのまま馬鹿エロネタ満載話。
 という面ではアチコチ笑ったり呆れたりして楽しかったんだけど、その辺のドラマからロボットバトルに繋げる展開に、無理がほとんど「無い」のが不満。

 無理が無いなら良いのでは?という疑問はもっとも。
でも、このアニメはそこに一段か二段「跳んだ」所があり、その理に落ちずパターンに嵌らない意外性を独自の面白さとしていたので、普通の話を見せられては、不満に感じてしまう。
 どうしてもまとめるなら、つぐみの内面に踏み込む…のも大事かも知れないけど、エロネタでまとめた方が。
あらゆる攻撃を受け入れない敵の強固な装甲を「処女性(膜)」に例え、初めての合体に戸惑いと恐れを感じていた つぐみが、そこを乗り越えて、一つになる、他者を受け容れる事で得られる悦びと高揚へ到る、その勢いに乗って敵の装甲を「貫きたいという硬い意志」でブチ抜いていく…とかいう持って行きようで。
 スイマセン商売柄の話ですな( ^_^ )。

 それにしても、パイロット達がアクエリオンに乗る目的って、「人類を守りたい」「敵を倒したい」より「その瞬間が凄く気持ちいいから合体したい」の方が先に来てる?
 これもまた、種族維持のためではなく、「気持ちいいから」行われる事の多い性行為と通じているのか。

 作画が怪しくなってきたのは残念。
テンションが全ての作品なのだから、それを落とさないよう周辺の条件は出来る限り整えて欲しい所。


2005年5月23日 月曜日

 映画『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』を見る。
 監督は、ジョン・ボルソンという人らしいが、知らないなあ。
 主演、ロバート・デ・ニーロとダコタ・ファニング。
 妻を亡くした父子が、田舎町の一軒家に越してきた事から事件は始まる。
次々に起こる恐ろしい事件、娘が「チャーリー」と呼ぶ存在の正体は?

 テレビシリーズ『TAKEN テイクン』で、まだ幼いのに驚異的な演技力を見せたダコタ・ファニング。
現在 成長期真っ盛りで、一作ごとに大きくなっていくのを感じる。
 …顔立ちが何だか安達 祐実みたいに見えてしまうけども。
 上手く大人の役者に成長していけると良いなあ。
子役として大成しすぎてしまった子供は、周囲の期待に応えてか自身もそう望んでしまうからか脱皮が上手く出来なくて、大人になれず かといって勿論 子供でもない、中途半端で役者として使い辛い姿になってしまう事が多いように思うので。

 それはともかく、彼女は今回も、名優デ・ニーロを相手に一歩も引かず、存在感をアピールしてくる。
ゾッとするようなコワイ顔を見せたかと思えば、次のシーンではいかにも子供っぽいキュートな笑顔に替わる、この子の魅力に大きく支えられた映画。

 サスペンスであり、なるべく情報を仕入れ無い方が良い内容なので、未見の方は以下を読まない事をお勧めします。



 いいかな?

 割とフェアに伏線を引いてある映画だから、オチはすぐに読めてしまう。
 これは…「意外なオチ」を作ろうとする人がみんな揃って使ってきた事で、「非常にありふれた意外なオチ」になってしまったパターン。
「仮面を被った敵」が出て来たら、「ああ、コイツは主人公側の関係者だな」とすぐ見当が付いてしまうようなモノ。
 せめてもうちょっと、観客を混乱させるような仕掛けを設けておくべきだったかなあ。
ストーリーがゴチャゴチャしてしまうか。

 それでも結構 楽しく見られるのは、やっぱりデ・ニーロとダコタの熱演があるから。
 大きな音で脅すとか、必要以上の残酷シーンを見せるとか、そういう悪趣味な事はほとんどやっていない、オーソドックスな心理サスペンスの作り。
 劇場で見た方が閉塞感と恐怖感は増すだろうけど…
レンタルで出たら見て、ドキドキ感を楽しむ、ぐらいが正しい鑑賞法かも。



『雪の女王』01.「ゲルダとカイ」

 旧ソ連の同名アニメを、昔見たような…といっても内容はほとんど覚えていないが。
 最初5分ぐらいの録画を失敗。
前情報 一切無しで見始めたため、「杉野 昭夫っぽいキャラクターだなあ」「出崎 統っぽい画面の作り方」などとぼんやり思っていた。
本当にそうなのね。

 短い夏を精一杯楽しむ人々、仲の良いゲルダとカイ、秋を迎えての落ち穂拾い、貧しいながら互いを思い合う両家…日常が実に細かく、しかし飽きさせないテンポで描かれている。
 コレだねえ。
コレが全ての基本。
 どんな凄いアクションを見せようと、どれほどの危機が世界を襲おうと、その大元になる「確かな日常」が描けていない作品は、所詮 絵空事。
まずはこうしてしっかりと足場を固め、作品内現実のラインを視聴者に納得してもらった、その後に、初めて「嘘」を乗せていくからこそ、その「嘘」にも幾ばくかのリアリティーを感じて貰えるのだ、という事を忘れている製作者、多いんじゃないだろうか。

 深い森の中から聞こえてくる鐘の音。
 まるっきり「嘘」であり、地に足の着いた人々の暮らしの中では「ファンタジー」に属する事象だが、それをゲルダの祖母が語る「ゲルダ父 死の思い出」と絡める事で、現実とギリギリ折り合わせてしまう、この作り方が実に上手い。
 そのまま、ゲルダが森に入っていく動機に繋げるのも見事。

 森の奥の教会は、ちょっと演出過剰で分かり辛かったかな( ^_^ )。
教会は無く、海(湖?)の底に沈んだ鐘が波に揺られて鳴り響いていただけ、って事なのか。
 少年少女 初めての大冒険の結末としては、妥当な所。
 危ない所をカイに助けてもらった事、二人だけの秘密にした森の奥の記憶、それらがこれからのストーリーに影響を与えていくのだろう。

 もう、雪の女王を出すのは止め、このまま世界名作劇場路線でもイイんじゃないだろうか。
…と思うぐらいだけど、そういう訳にもいくまいな。
 NHKアニメは なかなか厳しい製作状況にあるみたいだけど、何とか最後まで崩れず、良い作品になってくれる事を期待。


2005年5月22日 日曜日

『絶対少年』01.「憂鬱で奇妙な夏の始まり」

 すっかり放送を忘れていて、頭の方を見逃してしまった。
だから確かには分からないけど…第一話は、ほとんど「夏」の雰囲気を描いて終わった、という理解で良いのかな?
 熱い日中の日差し、うるさいセミの鳴き声、夕暮れの不安、突然の夕立、など、「夏っぽい気分」は非常に上手く演出できていたと思う。

 ただ…何かが始まりそうな予感だけはするモノの、興味を引かれるような事件もなく終わってしまうため、シリーズ開幕のツカミとしては、かなり弱い。
雰囲気以外、何を楽しみに次週を見れば良いのか、分からなくなってしまうぐらい。
 ここからドコへ話を持っていきたいのか、気になるので見続けようかと思うけれども、一話で打ち切る視聴者が出たとしても、不思議は無いなあ。

 とても全ては見ていられないぐらい大量のアニメが放送されている現状、「この作品は、ココが、こういう方向で面白くなっていきます」というアピールを最初に強くする事は、絶対必要条件になっていると思うが。



『学園アリス』最終話.「友情は☆エンドレス」

 ずっと見ていたけど、そういえば感想を書いていなかった。
 楽しい内容で、エピソードによっては感動的なモノもあったが、全体的な印象は少々、弱目。
 かなり厳しく思えた学園が次第にゆるゆるの雰囲気になっていって、居心地良くは思えたけれども反面、ドラマとしては弱く感じられた。

 とは言え、とにかく元気いっぱい お人好しの蜜柑と、冷たく見えながら友達甲斐がある蛍のコンビが楽しく、それだけでいつまでも見ていたい気分に。
キャラクターを生き生きと描き出せた、というのは凄い事。
 途中に挟まれた、ワタナベシンイチがコンテを手掛けた回が、異様に高いテンションで面白かった。
全編このぐらい、『こどものおもちゃ』か『はれときどきぶた』並の内容で推移していたなら、アニメ史に残る傑作にも成り得たろう。

 まだまだ、実際の物語の完結までには程遠いような終わり方。
人気があったなら、続編もあり得る?



『交響詩篇エウレカセブン』06.「チャイルドフッド」

 レントンと、エウレカが世話する子供達の関係を描いた話。
 関係ないけど、今エウレカが「絵売れ可」と変換されてしまい、何となく絵が凄く売れそうなイメージでいいなあ、とか思ってしまったのは職業病か。

 前回今回と、キャラクターの足場固めをしており、話の内容はマトモ。
各キャラの船内での立ち位置など、概要 分かってきた感じ。
 それでも内容に乗り切れないのは、未だに彼らが何をしたい集団なのか、理解できないから。
特に大きな目的は無く、リフをしたいだけ?
大きなトレーラーを借りて共同生活している渋谷のチーマー(死語)みたいなもの?
 その辺が見えてこないと、特にフォロー無く進んでいる「臓器密輸」の件を、上手く消化できない。
 ただ年齢が上というだけで、「大人としてレントンを叱ってやらなきゃ」と言われても、納得できるはずが無く。

 子供達、プラグを抜いてしまったのなら挿し直せばそれで良かったような…
パソコンの電源を抜いてしまったようなモノで、コンセントを入れても作動中だったソフトが自動的に立ち上がる訳ではない、という感じなのかな?
 レントンも、何も子供達を同乗させてレーダーを潰しに行かなくても。
死ぬかも知れない…とは思わなかった?
彼は彼で、子供達に責任の一端でも取らせて上げようと考えたのだろうが。
 相変わらずロボットを使ってのリフが よく分からない。
レントン、生身では さほど上手く乗りこなせないのであろうリフなのに、ロボットでは実に華麗なテクニックを発揮。
身一つでサーフィンするより、モーターボートで波を越えていく方が まだしも簡単、って理屈?
実感的によくわからないなあ…
 軍の苛烈な攻撃をスイスイ避けて飛べるレントンと、カットバック・ドロップターンとやらを決めるエウレカでは、どっちが操縦の腕は上?
いや当然エウレカなんだろうけど、画面からは分からないので。

 うーん…まだ序盤なのだし、全て欠損無く進めろというのも無理、とは思うんだけど、不備が目立ち、その不備を上回る強烈な魅力は感じられず…
崩れない作画と、ジワジワと出て来つつあるキャラクターの個性、そこいらを中心に見ていくべきか。



『おねがいマイメロディ』08.「かわいくなったらイイナ!」

 可愛い事だけが命、の、サンリオキャラクター・マイメロをメインに据えたアニメに出演していながら、「とにかく可愛いモノが苦手」という真っ向からケンカを売っているようなレギュラー少女・真菜の事情を描いた お話。
 可愛いモノを強力に愛する叔母さん&娘に、可愛くある事を強制され続けた過去も、彼女がそうなった原因の一つ。
…どうも、根っこはもっと深い所にありそうだが。

 理屈を付け、真菜を可愛く着飾ろうとするオバサン。
しかし、自身と娘とは、可愛い格好が余り似合っていない。
 クロミに変身させられたとはいえ、「あらゆるモノを可愛く着飾らせる能力」を身に付けたのに、自分だけは魔女の格好で通したオバサンは、オノレに(娘にも)それが似合わない事を実際は知っており、その代償行為として、素材の良い真菜を正しく可愛くして満たされようとしていたのかも知れない。
「男は強くなくちゃダメだ!」と力強く言い放つ、人生でケンカに負けっ放しの虚弱文系オヤジ(うう…)みたいなもので。
 そう考えれば可哀想でもあり、一時的に趣味に付き合って上げるぐらいの事はしてやっても良いんじゃないか、という気はする。
 でも、「可愛いモノが嫌い」というのが真菜のアイデンティティーであり、一切譲れない、というのも分からなくはない。
 実にフクザツ。

 「可愛いモノを拒絶する」のと、「可愛くなければならないと強制する」のは、現実を上手く肯定できないという点において同じぐらい歪んだ姿勢。
だから、真菜の意見が容れられて終わる必要は、必ずしも無いと思うけど…
 少なくとも真菜は、他者に可愛くなくなる事を強制していない訳で、まだしも傍迷惑さが無いだけマシなのかな。

 自然の美しさもあるけど、人工の美しさも愛でる事が出来るのが、人間の優れた特質。
 まあ、真菜も年齢と共に、何らかのメイクやら美容対策を取らなければ現状の美を維持できない事に、嫌でも気が付く事になろうが(イジワル)。
 オバサンも、毛虫が羽化する自然の美に対抗するなら、自然のまま萎れてクシャクシャになったアジサイなど花を持ってきて「コレをアナタは美しいと言えるの?」と問い返せば良かったような。
いや、「人生そんなモンじゃないよ」と思いつつ若いモンの意見を容れてみせるのが、年長者の分別というモノか。

 あ、色々書いたけど、マイメロを嫌がる真菜のリアクション、カエルの可愛さを理解できるマイメロを意外に感じる所など、なかなか面白かった。


2005年5月21日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』31.「明けない夜」

 ミネルバに帰ったシンを待っていたのは、営倉入りして司令部からの沙汰を待て、という、まず常識的な対応だった。
人道的・心情的にシンの行動は分からなくもないだろうが、そう応えずに「だからといって自分の行動が正当化されると思っているのか」と問い返す艦長・アスランの態度も、納得できる。

 対して、まるで反省した様子を見せないシンは…
 戦闘マシーンに なった責任がステラに無いとしても、正しく そうした機能を果たす存在である事には違いがない訳で、何の人間性復帰処置もしないまま、マシーンに変えた相手に返すのは単に無責任な行動としか。
 ハイネがステラに殺された事は、どう捉えているんだろう?
もう忘れたフリで通すのかと思えば、アスランが語るバックに死の映像が使われていたし…

 「大切な誰かを守ろうとする事は、決して馬鹿げた事でも、間違った事でもないと思うわ」
マリューのセリフは、一般論として そりゃあそうなんだけど、そういう気持ちを原動力に戦争やら殺し合いが起きている、ってのも事実。
 この考え方でイイのなら、「大切なオーブを、再び連合の攻撃に晒し国民の命を失う悲劇から守るため、国是を捨てて連合に協力した」セイラン親子も、肯定されるべき存在、って事になる。
キラ達の行動など、単に「カガリが泣いている」のを何とかしたい、という安い同情心・愛情から両軍に無差別攻撃を行い死者すら出している訳で、どっちかと言うと お前らの方が間違ってないか?という気分に。

 まあ人間って、家族や恋人、身近な人までは「大切な誰か」として「守ろう」と考えられるが、ちょっと離れた場所に住んでいるだけで「別に大切な人達ではない」「だから その人達は、大切な誰かのため犠牲にしてもやむを得ない」と考えがちなモノだけど。
 驚くのは、「戦争」「人と人が分かり合う事の難しさ」をテーマに据えながら(据えてるんだよね?)、製作者の思索が、こんな浅い段階で止まっているように見える事。
 この程度の認識しか持ち得ていないなら、難度の高いテーマに挑むのは自殺行為。
 「猫耳魔法メイドが、極悪デビルメイドから愛する ご主人様を守るため、ふしぎなちからで精一杯 戦っちゃいます」ぐらいの内容なら、「大切な誰かを守ろうとする事は、決して馬鹿げた事でも、間違った事でもないと思うわ」で問題ないんだけど。

 カガリの言葉に、凄く好意的な反応を示すオーブ軍の面々も不思議。
…要するに、取りあえず今 国に帰ったら結婚させられそうだから何かと口実を見つけて逃避しているに過ぎない、と思うが。
 彼女に出来るのは、国に帰って政治の分野で戦う事だけ。
その能力すら無いなら、ユウナと結婚して ひたすら甘えかかり「ねえ〜ん、オーブ軍の人が死んじゃうの、やだぁ〜泣いちゃうぅ〜」とか おねだりし続ける事で、僅かでも国の行く先に影響を与えるべき。
 カガリの言葉に聞き惚れる軍人達を見ていると、なんだか、「成長したカガリの感動的な演説に、オーブの国民全てが目を覚ました」とかいう安っぽい展開を迎えそうで、不安。

 シンとレイが無罪放免になったのは あんまりだけど、艦長もアスランもその裁定に驚いていたし、艦内からは不満の声も上がっているようだから、一応 納得しておくべきだろうか。
名目だけだが「主役」を、長く拘留したり死刑にしたり、って訳にいかないのは やむを得ないし。
 凄まじいエコヒイキをして見せたデュランダルに、黒い思惑がある、と期待して良い?
「あるいは、あの時 銃殺されていた方が楽だった」ぐらいに過酷な未来を用意しているなら良いんだけど。
議長の指示(投薬?)でシンが心の無い殺戮マシンと化し、言われるままにステラの乗機を破壊、殺してしまう、とか。

 ステラの事をすっかり忘れているスティングが哀しい。
少しシンドそうなネオも良い感じ。
 サイコガンダムかビグザムか、という異様な形状の、やたら強いモビルスーツが登場。
…わざわざ一般市民を巻き込んで殺している場面を見せる意図は、パイロットである彼女の死が近い、って事?



 ネット上をアチコチしていると、既に『スター・ウォーズ Episode3 シスの復讐』を見た方の感想などが たまに書いてあって、なるべく心懸けて読まないようにしているんだけど、うっかり数行ばかり読んでしまう事も。
 くわー、どんどんネタがバラされていく。
いや、正直、ストーリー面は、恐らく誰でも予想が付く その通りのモノと知りつつ、それでも 出来る限り白紙の状態で見てェんだよ!というのが、『Episode4』の公開を一年も待たされている内に雑誌等でストーリーの細部から特撮の裏話まで余さず知らされ大した驚きもなく画面を眺めてしまった経験を持つ、オールドファンの願い。
 「ファン」ったって、『3』を見たら見たで、またさんざん悪口を書くに違いない歪んだファンだけどもさ。

 なんで米より二ヶ月も公開を遅らせたかなあ。
興業の都合は分かるが、分かったからって納得できるモノじゃない。
 早くしてくれないと、ヘタすりゃラストシーンの画面まで その辺で公開されてしまう〜!



『ウルトラマンネクサス』32.

 おー、ちょっと忘れられていたような気がする溝呂木、再登場…かと思う間もなく退場。
もの凄い怒濤の展開。
 新しくダークメフィストに変身した三沢って、ナニモノだっけ?
彼もただの操り人形だから、その設定を細かく説明する必要までは無いだろうが、それにしても「誰?」という疑問が見る者に浮かび混乱するようでは困るかと。

 この辺りの、「密度が高い」より「カットされた場面が多いのでは?」という印象を残してしまう構成は、シリーズ短縮に伴って生じたモノ?
 ドラマが無くなった事で単なる「怪獣倒し係」に見えてしまう憐が、名前通り憐れ。
今更だけど、素直に孤門をウルトラマンにしておけば、ドラマを圧縮しやすかったろうに…

 ダルかったシリーズ前半部に比べれば、詰め込みすぎている今の方が刺激的で楽しく感じるけど、出来るならその前半をこそ切り詰め、クライマックスが近い ここいらは製作者の意図通りに進めさせて上げたかったな。
 映画『ULTRAMAN』とリンクしそうな次回に、期待。


2005年5月20日 金曜日

 『スター・ウォーズEpisode3』公開関係のニュースを見つつ、ふと思った事。
 『キングゲイナー』に出ていたアナ姫って、『スター・ウォーズ』アナキンを「アナking」として捉え、対する(?)「アナprincess」の訳名として「アナ姫」なんだろうか(馬鹿話)。
 いや、こんな話は心底どうでもいいな。



 WOWOWで放送されていた映画『ワイルド・スピード×2』を見る。
大ヒットした映画の第二弾。
 監督は、『ボーイズ’ン・ザ・フッド』(未見)とか、雰囲気だけで内容が無い『シャフト』のジョン・シングルトン。
 主演は、ポール・ウォーカー。
前作で濃い顔を見せていたヴァン・ディーゼルが出てないけど、まあそれは別に気にならず。

 前作の印象は、薄い。
カーアクションが面白かったような気がするだけで、それ以外ほとんど覚えていない。
 それでも、この映画は普通に見られてしまう。
 やっぱり、取り立てて内容が無く、派手なアクションだけを見せ場とした映画だから。

 映画冒頭から展開される街頭カーレースの迫力は、漫画チックで大したモノ。
『頭文字D』実写版のつもりで見れば、かなり面白い。
 ただ、日本の作品では大抵ある「どういう理由で主人公は速いのか」の説明が無く、特訓だの努力だのも無しで「速いから速いんだ」として押し切っており…
何しろライトな映画なので、苦労するとか悩むとかいうのは さすがにそぐわないと思うけど、主人公に大して魅力がないせいもあって、多少なりと「理由」の前提を付けた方が、真面目な日本人には受け入れやすかったかも。
 危機の切り抜け方など、現実性には乏しいものの考えた跡アリ。
 堅い事言わず、とにかくカーアクションを楽しめる人向き。



 先日、駄犬の散歩に出た折、ヨメが店で買い物をしている間、外の通りで待っていた。
すると、幼稚園ぐらいか?の女の子が犬を撫でたくて寄って来、お母さんのお買い物が終わるまで横に。

 女の子が、「見て見て、買ってもらったの」とポーチの中から何やら取り出すので、何事かと覗き込んでみれば、手に持っていたのは『マジレンジャー』の携帯電話型変身アイテム・マージフォン。
へー、男の子はともかく、女の子でも あの番組好きな子いるんだなあ、と思う内に、手に持ったアイテムを振り回し始め、どうやら変身ポーズのマネを始めたらしい。
 それをずっと無言で繰り返しているモノだから、つい…
マージ・マジ・マジーロ、って言わなきゃ」
と声を掛けそうになるが、店の中から お母さんがコチラを見ている!
 ええトシこいた見知らぬオッサンが『マジレンジャー』の変身ワードを正確に言えるのって、拙くないか?怪しまれないか?

 それでつい、
変身!って言わないの?」
という無難な言い方に変えてしまう。
 あああ神様、こんな気の弱い、後ろめたい職業のワタシをお許し下さい(神様注・いや、許すも許さないもその程度の話 興味ないから)。

 もうちょっと考えてみれば、二十歳そこそこのお兄さんが『マジレンジャー』知ってるのは一般的に不自然かも知れないけど、もっとオッサンなんだから、子供が居て全然おかしくない訳で、その子に付き合って特撮モノを見ている、という設定にも無理など無い。
考えすぎ、後ろめたすぎ。

 アニメのタイトルなど、『マジンガー』『ヤマト』『ガンダム』しか知らなかったウチの父親を、「一般的オヤジ」のモデルにしている部分アリ。
 どんなアニメがテレビで流されていても、「これが『ガンダム』か?」と聞かれたモノで。

 無知を偽装する必要なく…例えば数人の集団で歌うアイドル風歌手であれば「モーニング娘。」としか認識出来ないし、野球球団名の認識も古いまま(いまだに「大洋ホエールズ」とか言う)。
 それらはタダのモノ知らずなだけで、別に「一般人として妥当な程度の知識」とか思わないんだけど、アニメだの特撮だのに対してだけ構えてしまうのは、オノレの中にも そういった差別的(区別的?)意識がある、って事なのかなあ。

 いや、今回の場合はとにかく少女の親に自分の素性がバレてはならないという悲しい職業意識(?)が…


2005年5月19日 木曜日

『極上生徒会』07.「おせっかいが好き」

 彼氏が出来た?と思われた会計のお姉ちゃんを、皆でよってたかって心配し、ワヤにしてしまう話。
何というか、『ど根性ガエル』とかの時代によく見たような、古すぎて余り最近は見かけず、かえって珍しく感じてしまうような内容。
 まとめ方として、生徒会メンバーの お節介に感じる所があった会計嬢が、何も知らないウチに助けられ傷付かないで済んだ「フリ」をして、世間知らずな他連中の行為に意味があったと思わせて上げる、というのは一捻り。

 生徒会メンバー、まだ見分けが付かないのも何人か居るが、「立って」来たと思われる者達の奇行を見ているだけで、割に楽しかったり。
その辺の作りは、上手いなあ。


2005年5月18日 水曜日

『創聖のアクエリオン』07.「深紅の薔薇の騎士」

 バラの美しさについても独自の美意識があり、「侘びしく残るなぞ、花の女王に相応しくない」と、残ったバラを自ら散らしてしまうシリウス。
 それはそれで良いと思うが、演出ミスなのか何なのか、花壇には まだ一杯バラが残っていた訳で、「侘びしく残る」というより「ほんの一部だけアポロにより散らされてしまった」というのが普通の見方では。
散らされたバラだけが特殊だった?
でも、差異を絵で表せてないから…
 「醜い闖入者によって美しい姿を汚されたバラなど、最早 私が愛した花の女王ではない」という判断なら、分かりやすいんだけど。

 王国の残滓である(らしい)彼としては、自らの命や状況を嗤うような言葉だったのだろう。
 それなら、対応する要素としては、「生きる事に執着するアポロを醜いと思い、しかし潜む『命』の輝きに魅せられてしまう」とか、「自らの美意識に反する生き方を選ばされてしまった事をも、肯定できるようになる彼の心の成長」、という辺りじゃないんだろうか。
 「嫉妬心をも『エネルギー』として抱えて生きろ」って不動の教えは、「アポロむかつく」といったシリウスの心理の一部にはともかく、本質的葛藤には必ずしも沿っていないような…
いや、彼の葛藤って、アポロへの嫉妬が全て?

 麗花の心の矢によって正気を取り戻したシリウスの後ろに、まだ嫉妬心に捕らわれていた間の妄想が見えている、って演出が、なかなかに狂っていて楽しかった。
この、何だかよく分からない「絵」も、普通の人からは出て来辛いモノだなあ。
 感情オーラに発生した嵐が、そのままアクエリオン外界に起きる竜巻となって現れる、というのも分かったような分からんような。
ここいらは「理屈」より「悪ノリ」での展開だろうから、画面的に前回の「月まで延びていくパンチ」ぐらいのインパクトを設けられれば、爆笑(カタルシス)に繋げられたかも知れないので、惜しい。
まあ、あんな すっ飛んだアイディアをポコポコ出せ!というのも無理な話だけど。


2005年5月14日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』30.「刹那の夢」

 「ムチャでも何でも、目立つ、自発的な行動を取る」という意味では、珍しくシンが、「種割れブチ切れ殺戮マシーン」ではない方向で、主人公らしく見えた話だった。

 しかし…コレは軍法会議モノだなあ。
自艦の乗員に暴行を働いた上、貴重な捕虜(標本)を奪って、勝手に出撃、敵と通じて捕虜を引き渡す…
どれだけの罪状が乗るんだか。
 前作『SEED』でもキラが、ラクスを勝手にザフト側に返していたけど、アレはキラがまだ軍人でないから許されていた、って話だっけ?
 ファーストでガンダムに乗って船を逃げ出したアムロは、独房入りさせられていたな。
それでも処分は甘いと思うが、これもアムロが正式な軍人でなかったのに加え、何しろ当時のホワイトベースは極限状態にあり、軍規がまともに機能しておらず、主戦力のアムロ・ガンダム抜きでは全滅しかねなかった、というのを考え合わせると、妥当か。

 シンだと…
ミネルバは軍人ばかりで構成された軍艦であり、現在 艦内は、余裕こそ無いだろうが酷い極限状態でもなく。
 どういう処分になるんだろう?
 それにより、この作品のリアリティーが どのレベルにあるか、計れるのかも知れない。
 意外と、艦長の指示によりステラの皮下には発信器が埋め込まれており、彼女を通じて連合の動きが掴みやすくなった、とかいう事で、「ご苦労様」と不問にされたり(笑)。
 もしも「ザフトは適当な組織なので罰則とかありません」と言われたら…まあそういう理解をするしかあるまい。

 レイがシンに協力したのは、自身の出自とも絡んで心の動きを想像するに、なるほどと思わされる。
 この辺と、議長との関係で、キャラをガツーンと立てていく手だろうな。
遅れすぎていて今更だけど、やらないより よっぽど良い。

 シンも、実は強化人間、というのは どうか。
ステラやレイ(これはまだ、?)と同じく、連合の施設で生み出された存在。
 施設を見て取り乱すレイと違うのは、生まれてこの方 暮らしてきた「過去」を持っている事。
しかし、実はこの「過去」は、目的を持って製造者から与えられた偽の記憶。
 オーブには、シン・アスカという人間は存在しなかった(居ても、「災害」により家族と共に亡くなっている)。
当然 家族もおらず、妹が死んだ事実も無い。マインド・コントロールが解けてみれば、形見だと思っていた携帯電話には、妹の声も映像も入っていない事が分かる。
 「記憶」により植え付けた「憎しみ」が、どれだけ強化人間の戦闘力を上げるか、のテストモデル。

 ……って、そんな話には しないか。

 オーブの生き残り達、本当に亡き艦長の指示通り、アークエンジェルに乗り込んでくるとは思わなかった。
コレは…銀河帝国への降伏を良しとせず、ヤン艦隊に転がり込んだ同盟軍人?
潜水艦「やまと」に乗り込んだ自衛隊員か?
 しかし、現状アークエンジェルが行っているのは、「カガリが泣いている」から、というだけの理由で、オーブをエコヒイキして戦いに干渉する、って事ぐらいだから、協力して何がなし得るとも…
 大きく見ても、アークエンジェルが目指すのは「戦いの無い世界」だろう。
オーブの理念である「武力を持った永世中立、侵入するモノには容赦しない」とは かなり違うような。
 生き残り軍人達、泣くばっかりで役に立たないカガリと行動を共にするより、大人しくオーブに帰って軍人を辞め、国を民主主義に移行させて議員になり、自らの政治で理念を元に戻した方が、遠回りに見えて近道だ、という気が。


2005年5月13日 金曜日

 という訳で、いつも通りの締め切り前スケジュールに入ります。
18日ぐらいまでは、更新が不定期になると思われますので、悪しからずご了承を。

 それから、来月半ば、ぼくの単行本「教えてTeacher」が発売になりますが、これは昔 出ました絶版本「READ ME」の出し直しになっておりますので、以前の本をお持ちの方は ご留意下さい。
いえ、うっかりまた買って頂けますと、大変有り難くはあるのですが。
 また、発売日が近づきましたら改めて。


2005年5月12日 木曜日

『極上生徒会』06.「大恐怖!プッチャンの呪い」

 今更、ぬけぬけと「プッチャンって、何?」という話をやるとは。
もう、このアニメの中では存在の理由は問われない、そういう物として在る事を認められている、と思っていたのに。
 それにしてもレギュラー勢、「人形自身の口が悪いのではなく、腹話術で喋っている りのが悪口を言っているだけなのでは」なんて事に今頃 思い当たるなんて、鈍いにもホドがあるぞ(笑)。

 で、わざわざこんな話を設けたにもかかわらず、人形の正体は不明のまま終わらせるスタッフのフテブテしさ(誉め言葉)。
 一時「死んでいた」らしい人形を、コチラに引き戻した生徒会長の正体まで、不明に。
 多分その辺の具体的な謎解きはせず逃げ切るつもりだろうから、真面目に考えない方が いいだろうな。

 ラストシーンで人形が言っていた「俺の正体、それは言えない、悪しからず」というのは、「の正体…」というだけの違いで、『マカロニほうれん荘』ひざかた歳三のセリフと同じ。
 その時、トシちゃんは月光仮面の格好をしていたから、もしかして大元は『月光仮面』にあるセリフなのかも知れないけど。



『こみっくパーティーRevolution』05.「熱闘!コスプレファイト」

 コスプレしながらオタクが嫌い…って女性は…
 うーん、まあ居ないでもないのかな。
同人サークルとして参加しながら、オタクが嫌いとか公言する男性も居るみたいだし。
 勝手な言い草なので、感情移入はサッパリ出来ないけれども。

 どうも瑞希は、アニメ前シリーズの「あくまで普通人」というイメージで捉えてしまうため、抵抗無くコスプレしている所から馴染めない。
主人公と付き合ううち、アニメなども見るようになった?
 まだ偏見の無い幼い頃に憧れたアニメヒロインのコスプレ、というなら分かるが。

 今回オタク相手にブチ切れるのも、最初、注目を浴び写真を撮られるのは喜んでいた訳で、スカートの中を盗撮しようとするダメ男共に怒り、ブッ飛ばした勇姿をも、周囲のオタク達は賞賛の拍手で迎えていたのに…何故 全体を嫌う?
オタクが全員 彼女の敵に回り、「何だよ、乱暴だなあ、キャラクターのイメージ壊されちまったよ」「パンツ撮られるのが嫌なら そんなスカートの短いコスプレすんな、っつー話」とか陰口を叩かれて切れるなら、まだしも。

 別に、彼女がオタクが嫌いになりコスプレに抵抗を感じる心境は、クライマックスとなるコスプレ大会に必要ではない訳で、何のために入れたのか?
ちょっと未整理。
 オチとなる、最もウケたコスプレイヤーは女装した主人公、というのも、この流れを受けられる物ではなく。

 でも、やたらパースが付いて元気に動き回る作画は非常に楽しく、軽いノリを喜んで見る分には問題が無い出来ではあった。



『甲虫王者ムシキング 〜森の民の伝説〜』06.「希望の実」

 森の民って、「環境異常により巨大化した森の中で生きる人間」か「森の中で生きる小人」というような、とにかく「人間」という位置合いで見ていたんだけど、ラスト、融合して羽が生えた子供を見ても そんなに驚かない所を見ると、妖精に近い生き物?
パパンとママンからでなく、そこいらの植物から生えて来るみたいだし。
 こういう違いは、必要だったかなあ?
普通に母親から、人として生まれる、でも今のところ問題ないと思うが(受精までは人間と同じで、子宮が植物に替わっただけ?)。
 それによって生じるべきメンタリティーの違いを描くのも、難しそうだし。

 重い、シンドイ話が続いていたので、ダークな終わり方にならず良かったけど…
結局は、敵になった男が、元は いいヤツだったけれども悪いヤツになったかと思えば やっぱりいいヤツだったから助かりました、って話で、ピンと来ず、そう言われてもなあ…という気分。


2005年5月11日 水曜日

 スコープドッグ ブルーティッシュカスタムを見て来た!
…といえば大体分かって貰えると思うけれども、こちらの方が作られた実物大スコープドッグ『装甲騎兵ボトムズ』)の展示を見てきた、という事。

 おおお、でけー!ゴツイ!
 凄い、それは勿論 凄い物で、見られて良かったんだけど、実は見て、驚きだけは そんなに無かった。
 何故かというと、『ボトムズ』本放送時からコチラ、リアルに自家妄想したスコープドッグを、数え切れないぐらい見てきているから!(異常)
例えて言えば、日常的に「妖精さん」とお話が出来る人は、本当に生きている妖精が見つかったとして ソレを見ても「ああ、うん、ね?」ぐらいの反応しか示さないだろう、って感じ(余り良い例えではない)。
 降着姿勢を取り、広場を集団で行進し、大通りをローラーダッシュで駆け抜けて急角度のターンを決める、そういう勇姿を実際の風景に重ね、どれだけイメージしてきた事か。
 ガンダムやらマジンガーではダメ、大きすぎて。
ATの大きさが、身近に妄想するには丁度良いサイズ。

 いや、こんなアホでウルサい オタオヤジが見て、文句無し、「俺様の妄想通りだ」と満足するような物を作り上げてくれた、っていうのが、もの凄い事。
削り出し、打ち出したような無骨な装甲の質感は、想像さえ超えて格好良い。
 立ちつくすスコープドッグを見上げつつ、「コレが今、急に歩き出してきたら脚に跳ねられるなあ」とか「あのゴツイ手で殴られたら一撃で死ぬ」とか「左手のガトリングが火を噴いたらその轟音で耳が聞こえなくなるだろう」とか、妄想を更にリアルに出来たのが嬉しい所(アホ)。

 と、こんな様な事をヨメに話していると、見る見る引いて行かれ、最後まで話を聞かないまま駄犬を抱き上げて隣の部屋に退避されてしまった。
ええい女に男のロマンが分かってたまるけぇ!

 入場料無料というのが有り難い。
数百円ぐらいなら入場料払っても、全然構わない出来なのに。
 いや、二千円ほど払うから、ちょっと頭の所まで昇らせてくれないものかと本気で(以下略)
 12日まで、展示だとか。

 帰り、展示場のすぐ目の前にあるコミックハウスに寄る。
 編集部に入るや、「え?どうしたんスか今頃…あ、スコープドッグでしょ!」と核心を突かれて驚く。
読まれてるなあ。
 ひとしきり、フラフラしてるヒマがあったら仕事しろ、という お説教を頂いて、帰宅。



 WOWOWで流れていた映画『世界の中心で、愛をさけぶ』を見る。
 大ヒットしたようなので、ダレでもタイトルぐらいは聞いた事があるだろう。
…かくいう自分が、そのぐらいの知識で見た。
あと、知っている事と言えば、柴咲コウが出ている事と、主題歌と、嫌になる程コマーシャルで見せられた「助けてくださーい!」という絶叫のみ。

 見て、う〜〜ん…
これは、内容に乗って、気持ち良く泣けないと厳しい映画ではないだろうか。
泣きそびれると、どうにも評価が辛くなってしまう。
 「脚本が素晴らしく良く出来た映画」とは さすがに思えないため、最初から映画に入り込めた人間は大泣き、最初で躓いた人間は、何かに心を動かされて映画に「乗る」事が出来ないまま、「それで?」という気分のままエンディングを迎えてしまう。

 とにかく無理のある偶然が重なりすぎ。
 何よりか、主人公と柴咲コウが、昔の経緯を お互いまるで知らないまま偶然付き合ってました、という無理さ加減には驚く。
柴咲コウが、仲良かった お姉ちゃんのその後を ずっと知らずに過ごしていた、ってのも かなり無理。
互いに記憶を共有しながら、どうしても彼女には、今の関係を壊してしまいそうで話せない・渡せない物があった…ぐらいの方が自然。
 「助けて下さーい!」というセリフ。
あの状況下で、助けて下さい、ってのは変な気がするなあ。
CMで聞かされすぎ、既にネタみたいに思えていたのが悪かったか。

 女子高生を演じた長澤まさみの可愛らしさ、カセットテープを用いて現在と過去を繋げていくアイディア、田舎町の美しい風景…良い所もあるんだけど。
 「死」をクライマックスとして泣かせる、こういう映画を既に何本も見ているスレたオッサンには、物足りない出来だった。


2005年5月10日 火曜日

『創聖のアクエリオン』06.「想い彼方へ」

 おバカさんなノリが戻ってきて、嬉しい。
 今回は、念を遠く離れた相手に届かせる訓練から、「距離も時間も人の心が生み出す幻」という無茶苦茶な事を不動が教え、どんな攻撃も果てしなく後ずさって かわしてしまう敵を、距離を超え どこまでも追いかけて倒す話。

 もうちょっと精神論で、「身近にいても遠くに感じてしまう人も居れば、遠くにいてもいつも側に感じられる人も居る。相手の『心』を感じ取れるかどうかが最も重要な問題であり、物理的な距離など二の次だ」という教えにし、兄妹でありながらシリウスを遠く感じてしまうシルヴィア、捕らわれた親友と心は共にあるアポロ、らと絡める話にするのかと思ったが、実際はそんな小手先の技術で見せず、力業で突破するストーリー。

 ロケットパンチは、相手を「殴りたい」という気持ちが飛んで行くのだ、と言ったのは押井 守『ミニパト』だっけ?
 アクエリオンの攻撃はロケットパンチ…ではなく、『ワンピース』「ゴムゴムの〜」とか『怪物くん』、『ファンタスティック・フォー』『Mr. インクレディブル』お母ちゃんのロボット版、という感じで、機械仕掛けなのに腕の関節がドコまでも(月面まで)伸びていく不条理さとインパクトに、一瞬絶句した後、大笑い。
 コレは凄い!
ロボットで こんなの、見た事無いぞ!

 視聴者の、「ロボットなんだから、当然こういう限界があるはず」という思い込みを、力一杯ブチ壊してくれる気持ち良さ。
 ロケットパンチにせず、伸びるパンチにしたのがアイディアだなあ。
『破邪巨星Gダンガイオー』で、ロケットパンチが大気圏を離脱する描写なら、もうあるので。
 今回は、この奇異なビジュアルだけで大満足。

 もう、何でもアリだな。
 今回の教えで「距離も『時間も』」と言っていた所から、いずれ時間を止める敵とか出て来た場合、「時間など、自らが決めたスケジュールに苦しむ人間が作り出した幻覚に過ぎない!惑わされるな!」と言い出しそうだし、凄まじいスピードで移動する敵に対しては「光速などガッツさえあれば容易に突破できる!アインシュタインはウソツキだ!」で対応しそう(笑)。



『勇者王ガオガイガーFINAL』05.「心‐animus-」

 いきなり『ガオガイガー』と『ベターマン』の世界を繋げてしまうのに驚く。
そういえば、世界観は共通だって話があったんだっけ?
 しかし、『ベターマン』なんて、ほとんど内容を忘れているからなあ…そう言われても。

 劇作家は、特にトシを取ってくると、バラバラだった自分の作品の世界を繋げたがるようになる……って誰が言ったんだったか。
永井 豪・松本 零士先生などは、まさしくそのパターン(今、CLAMPも?OVA『ジャイアントロボ』は勝手に繋げた物だけど)。
 ファンサービスとして機能するなら、それも良かろうが…
今回のリンクのさせ方は、ちょっと酷い。

 怒濤の、しかも非常に分かり辛いセリフだけで説明しており、『ベターマン』を知らない視聴者にとっては確実に理解不能な上、全く興味の無い話。
こんなやり方でなら、『マジンガーZ』と『ガンダム』でも、『サザエさん』と『エヴァンゲリオン』でも、視聴者には同じぐらい無理と退屈を感じさせて、世界観を一つに出来てしまうだろう。
 水増しして、元のOVAより話を増やして放送しなければならないようなので、急場しのぎ、苦肉の策ではあるんだろうが。
 今回で、「訳が分からん」と視聴を打ち切ってしまう人が多く出たとしても、仕方なかろう。

 何だかが発動して、ドコだかに地球と同じ惑星が出来、そこに邪魔な人類は居らず、替わりに本物地球では死んだ女性キャラだけが生きている。
都合が良すぎる上に強引すぎ、OVAで見ていた際も かなり萎えた覚えが。
 この後は更にダレる展開が待っているのだが、視聴者の、そして自分の忍耐力は、クライマックスまで もつのだろうか?


2005年5月9日 月曜日

 映画『ブレイド3』を見る。
 監督は、このシリーズ全ての脚本を手掛けたデヴィッド・S・ゴイヤー。
 主演、ウェズリー・スナイプス。
 お馴染みヴァンパイア・ハンターのブレイドが、今回は蘇った神祖・ドラキュラ(ドレイク)と戦う。

 シリーズ1、2作ともに割と好き。
ご大層なテーマとか充実した内容、なんてのはカケラも無いが、とにかくブレイドを格好良く描いて客を喜ばせる娯楽作品として、良く出来ていたと思う。
 特に大きな期待は無く、これまで通り お時間一杯 楽しませてくれればそれでオッケー、という姿勢で見に行ったのだが…

 これは、面白くない。
 敵にも、新しく加わった味方にも魅力が無く、一番拙い事には主人公であるブレイドまで輝きに欠ける、鈍いキャラになってしまった。
 ストーリーは、スケールが小さく弛緩しており、意外性も盛り上がりも無く終わるし。
 取りあえずバタバタとアクションはしているので、酷く退屈する事はないが、中盤以降、集中力は落ちていくばかり。

 以下、内容に触れるので改行。




 ドラキュラ…神祖である以上、圧倒的なパワーと存在感で押しまくってくるものかと期待したが、街でドラキュラ・グッズを売っているチンピラ店員に暴行を働くまではコワモテだったものの、ブレイドと顔を合わせるや戦おうともせず全力で逃げ出し、捕まりそうになると罪もない幼児を人質にとって ようやく逃げおおせる騒ぎ。
 弱い!
弱すぎる!
こんなに弱ッちいドラキュラを、ヴァンパイア達は何が嬉しゅうて苦労して復活させたんだか。
 1作目、2作目の悪役も、拍子抜けな所とか色々あったけど、ココまで酷くはなかったぞ。

 悪が弱いと正義もまた、輝きを弱めてしまう。
今回のブレイドは、どうも精彩を欠いていて…
 ブレイド側に新しく「ナイトウォーカー」という抗ヴァンパイア集団が付き、そのメンバーを ちょっとずつ活躍させて立たせようとする余り、肝心のブレイドの影が薄くなってしまったのが問題。
途中には、誰が主人公だか分からなくなってしまうような所も。
 かといって、新キャラ達が面白く描かれているかというと、コレも中途半端。
「彼ら彼女らを主人公に、スピン・オフを作って、続けたい」意図だけはイヤになる程 見えるけど、そんなには魅力が無いと思うよ。

 今回のストーリー最大の工夫であろう、「人類対ブレイド」という図式。
逆境に立ち向かうダークヒーローの悲壮美を期待したんだけど、状況を まるで活かさないまま なし崩し。
 テレビでも悪行が報道され、誰にでも知られてしまった指名手配犯だろうに、堂々と顔を出して街中を ねり歩くブレイドに、ポカーン。
 余りにも御都合な「ヴァンパイア退治ウィルス」も、死ぬ間際に おかしな事を口走る史上最弱カモ知れないドラキュラも、見ていて作品から心を離れさせるばかり。

 この人が脚本を書いた『バットマン ビギンズ』は大丈夫なのかなあ?と不安になる出来。


2005年5月8日 日曜日

『仮面ライダー響鬼』15.「鈍る雷」

 ああ、もうただただ、「おー格好イイ」とか「危ない!」とか「ヒビキ所帯臭い」とか言っているウチに、気が付くとエンディングが流れている、至福の30分。
とにかく、見ていてシアワセだとしか言い様がない楽しさ。

 師匠であるザンキを心から敬愛している戸田山の様子が、微笑ましい。
戸田山の頑張りと実力の伸びを、正しく評価しているザンキの気持ちがまた、心地良い。
 イブキに認められるようになりたいと頑張る あきらもそうだし、この作品の師弟関係は実に理想的(あきらの場合は「恋」も混じってる?)。

 スーパーで安売りのキャベツに驚きの声を上げるイブキと、買い物のコツを教え込むヒビキ。
 そういや、ヒビキ達の給料って「猛士」から出てるのかな?
どのぐらい貰えてるんだろう?
ザンキが引退したなら、どうやって生きていく?ギターか武術を教える先生になるとか?



『交響詩篇エウレカセブン』04.「ウォーターメロン」

 ええと、リフってのは、あの空中版サーフボードのことだっけ?
それを乗員の皆が やらない事に、不満と息苦しさを感じるレントン。
 しかし…体を使うスポーツのような物なんだから、日々の練習は欠かせないんじゃないの?
いざという時に才能を発揮する「天才」ほど、地味な積み重ねを重んじるものかと。
 いや、まあリフは体力よりも、トラパーとかの流れを読む天性のカンの方が重要なのかも知れないけど。

 で、その「トラパーに乗る」って行為は、生身でリフを操ってと、LFOコックピットに搭乗してから乗るので、同じ?
今回、LFOで波に乗る一行を見て、レントンはすっかり感動していたみたいだけど。
 生身と、機械を操縦してでは、まるで違う物になってしまうような。
『ジャンボーグA』や『Gガンダム』のように、人と機械の動きが直接連動する操作法でもないのだし。
 とにかく、やる気の感じられないゲッコーステイトの面々が、トラパーの事を考えていてくれただけで満足?

 空港に寄航する金は無いが、空を飛び続けているのは大丈夫、ってのも不思議。
波に乗ってさえいれば、推進剤を全く使わないのかな。
 今回、LFOは、トラパーが不安定な所を問題なく飛んでいて、トラパーの大波が来た時にも飛んでいて、何がどう違ったのか分からない。
ここで「スゲー!乗ったぜ!最高!気持ちいい!」を感じさせる事が、この話のキモではなかったのか?

 ホランド達、金に困っているとは言え、臓器密輸の手助けをしてしまう。
 彼らが運ばなくても誰か代わりにやるだけだし、綺麗事を言っていられない状況でもあろうが、明確で しかもセコい犯罪行為に手を出す主役側一行って、どうなのかなあ。
あるいは、「病死した人間の臓器を、不治の病に蝕まれた子供に届ける」とかいう人助け密輸だったのかも知れないが(劇中では否定されてるけど)。
 レントン、視聴者代表として そこいらにもっと強く疑問を感じて欲しかった所。
あるいは何も疑問を感じず、「臓器密輸は儲かってサイコー」と、現実世界の常識とは違う事を思い、世界観の違いを際立たせるか。
 少年だけは何を運んでいたのか知らないまま、ってやり方も。

 もういっそ、軍の輸送船を襲って物資を強奪し、横流しして儲ける、ぐらい派手に悪い事をしてくれた方が爽やかなんだけど。
「他のヤツが万引きした本を、新古書店まで運んで売り払うパシリをやりました。道の途中に警察署があって不審尋問されそうになったので、投石で窓ガラス割って警官が気を取られている隙に逃走」というようなセコい悪事で、余り良く捉えられない。
 今回の事件は、今後もこの作品に影を落とすのか、「ちょっとアダルトでアングラな雰囲気にしてみたかっただけ」だからコレでお仕舞いか。

 金儲けのためにリフは出来ないが、金のために臓器売買に手を貸して、無関係の軍事基地に被害を出すのは平気、という所で、すっかり付いていけなくなってしまった。



『新釈 眞田十勇士 The Animation』01.「関ヶ原の戦い(前篇)」

 サブタイトル通り、関ヶ原の戦い、その開戦前の様子が描かれたが…
うーーん、正直、ダルい出来。
 ある程度 見る者に知識がある事を前提にしているようで、両軍にとっての戦いの意味、全軍の布陣ぶり、会話中に出てくる人名など、何気なく見ているだけでは理解が難しいだろう。

 中核になるべき徳川家康でさえ、特別 魅力的には描けていないのが致命的。
腹黒でも善人でも短気でも剛胆でもイイけど、どの方面かに徹底する事で「そういう魅力」を出せると思うが、とにかく中途半端。
 NHK大河ドラマの『葵 徳川三代』で、家康を演じた津川雅彦の たまらない魅力には、遙かに及ぶべくもなく。
 絵で描かれたキャラクターは、ただその絵をポンと見せるだけでは実在する役者の存在感や演技力に負けてしまって、当然。
普通に史実に沿った物語を作っては、視聴者に「これなら つい最近(2000年)『葵』で見た」と思われるばかり。
 何を、どう描き、どこをこのアニメ独自のポイントとして「面白い!」と視聴者に感じて欲しいのか、徹底した絞り込みが必要だったのだが。

 『銀河英雄伝説』を戦国に置き換えるつもりで作るだけだから、そんなに難しくないだろう。
軍議の様子も、画面的な動きが ほとんど無く会話だけで一話使う事もあった『銀英伝』で培った演出を使えば、視聴者は同じように面白く見てくれるはず。
…そのぐらいの考えで作られているように感じてしまう。
 劇中のセリフ、
「えてして人は、おのが得意と思っている所で、足をすくわれるものでござる」

 そのままでもうエンターテイメントとして出来上がっている小説と、史実では、元にしての作り方が まるで違うはずなのに。


2005年5月7日 土曜日

『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』29.「FATES」

 頭の方、ここまでのあらすじ、の辺りが前々回までの内容ばかりだったので、タイトル打ち間違いに続いて、誤って先週分のVTRを再度流してしまうという壮絶な不祥事を起こしたのかと、ドキドキしてしまった。
 そんなはずもなく、総集編。

 これまで通りの何も無い総集編ではなく、議長の視点から(…統一は出来ていなかったが)前作までを振り返った物に、謎っぽい描写とか伏線らしき物言いを混ぜる事で、どうにか興味を持って見てもらおうとしていたのは工夫。
 ただ…何かを読み取るには話が細切れ過ぎ、「妄想」なら出来るが「推察」は難しい。
 子供が欲しくて議長と一時別れたグラディスは、誰とくっつき、結局子供は生まれたのかどうか。
そんな彼女が、再び議長と関係を持ったのは何故か(夫、あるいは彼氏が死んだから?)
 議長とクルーゼは どういう関係にあったのか。
クルーゼが連れていたのは、幼い頃のレイ?
 分からない事が多々。

 このアニメは、最終回までに綺麗な謎解きが成されるのかなあ?
 議長は、やっぱり黒幕らしいけど、目的は何で、どうやってそこに辿り着くつもりなのか…
 ヘタをすると「凄くアホな話」にもなりかねないが、きちんと考えてある?
例えば、議長の目的が「ナチュラルの数を激減させ、コーディネーターが永続的に主導する世界を作る事」だとしたら、チマチマ局地戦を繰り広げるより、廃棄プラントを後3つぐらい まとめて落としておけば、遙かに自軍への被害が少なく、目的の達成も早かったはず、という突っ込みが入ってしまう。
 んー…「やがて地球に到達する『宇宙クジラ様』の『収穫』に備え、適当に数を間引きつつ絶滅からは守り、人類社会全体が手を組んだ反攻作戦など起こさせないために、二つの陣営の憎しみを維持し、争わせておく」コレが目的、ってのだと、比較的無理が無いかな(無理すぎ)。



『スピードグラファー』04.「ダイヤモンド夫人」

 このアニメのテーマは「悪趣味」?
 娘の真面目な担任女教師を札束で籠絡し、全裸にしておき、持てるだけの札束だけで体を隠させ、家まで帰す所なんて、夫人が恐ろしいというより人間の暗部を見たとかいうより、「そんなアホな」と笑ってしまうような悪趣味ぶりで。
 今回、夫人がダイヤを嵌めた通行人の指を食いちぎってしまうのも、主人公達が逃げ込んだオカマショーパブの様子も、趣味が悪いとしか言い様が無く。

 「金があれば何でも出来る」というのは大抵の場合真実だと思うけど、その場合の「金」は別に「札束」とイコールではない。
どうもこう、即物的。
 「国会議員が持つ権力の恐ろしさ」を表すのに、「議員バッチを埋め込んだメリケンサックで相手をメッタ打ちする」シーンを作ってしまうぐらい、ソレは違うと思うぞ(笑)。

 基本設定や描こうとしている物は確かに「大人」を対象にしているのだと思うが、高い年齢層の視聴者を満足させられる程には、各種知識・ストーリーを構成する能力、共に足りていない。
エロっぽい画面を見せたり、血を出したり、っていうVシネマ並のアプローチばかりで「大人向け」の作品を作るのは、難しいんだけどな。
 政財界を自由に操る凄まじい権力を持っている家の、最も大事かも知れない特殊能力を持った娘を、アホみたいにアッサリと主人公が掠ってしまう展開には、拍子抜け過ぎてコケる。
もう少しだけでもシナリオを煮詰めるとか、そういう基本的な作業こそ大事。



『ハチミツとクローバー』04.

 キャラクター達にイヤな部分が無く、誰も彼も一生懸命生きていて、作品全体に好感が持てる。
 ストーリーも、あと数ミリ深く斬りつければ血が噴き出すかも知れない所はあるが、ギリギリ皮一枚残す腕の冴えで、「切ない」とは感じても、見ていて辛くはない。

 何よりか、はぐみが可愛いなあ、もう。
 クリスマスに余り良い思い出が無い(…と言っても「悲惨な記憶」と呼ぶ程ではない)竹本を、外見通り「子供のように」不器用に気遣うシーン、染みる。
 チビなのに、作り上げる造形物が やたらダイナミックで力強い、そのギャップも面白い。
 うっかりと第三話を見逃してしまったのが悔やまれる。
せめて原作単行本でストーリーの補完を…と思って書店に行ってみれば、この前まで全巻平積みされていたのに、1、2巻は売り切れ中。トホホホ。


2005年5月6日 金曜日

『新釈 眞田十勇士 The Animation』スペシャル.「上田城攻防」

 『銀河英雄伝説』のアニメ版を見ながら、コレをこのままNHKの大河ドラマにしたら どーかなー、知将が居て猛将が居て謀略があって派手な合戦があり人生があって悲劇もあるので、上手くやればオヤジ層にも受けそうな気がするけど、ただ、宇宙を舞台にしている、というだけで年寄りは拒否反応を示すかも知れないから、筋はそのまま、舞台を戦国時代の架空の国、「銀賀廷(ぎんがてい)国」と「湧誠(わくせい)同盟国」の戦いに移し替えるとか工夫した方が良いかなあ…
と妄想していたけど、アニメ版スタッフの方も同じように考えていたのかどうか、大河ドラマに近い内容の作品を企画したらしい。
 それが、このアニメ。

 ヤン・ウェンリーの替わりに、策士である眞田親子(敵としては狸オヤジ・家康を?)。
個性豊かな将軍的キャラクターに替えて、十勇士を。
 企画の狙いは分かり易い。

 このスペシャルでは、数に勝る秀忠の兵を前に、様々な駆け引きを見せる真田家の姿が描かれた。
それはそれで、面白くない事はなかったが…
 物足りない所も多々。

 まず、親しみ易くしたい、という意図はあるんだろうけど、十勇士が子供っぽ過ぎ。
佐助の恋を からかったり応援したりする所など、中学生並みのメンタリティー。
普段の穏やかな姿と、戦場で発揮する鬼神の如き強さのギャップが出せていれば良いのだが、どちらも「遊んでいる」ようで(戦いが、血も出さないソフトな描かれ方なので余計)、図体のデカイ子供にしか見えず。
 『銀英伝』でもそうだったが、全体に演出が甘い。
特に「大軍勢での戦い」を見せるのがヘタで、今回の戦いも、せいぜいで数百人規模の ぶつかり合いにしか見えなかった(実際は、秀忠勢だけで3万8千人居るはず…当然 全員が参戦した訳ではないが)。
エキストラの数に限りがあり、どうしてもスケールが縮みがちな実写大河ドラマのマネをする必要は無いかと。
 布陣も分かり辛いから、お馴染みのポリゴンで陣営の数と動向を表し、地図の上に重ねてみせる手法を使っても。
 歴史に詳しくない人間だと、このぐらいの説明では人名や戦況に馴染みにくいかな。
大河ドラマのファン層に向けているので、問題ない?

 作画は、別に悪くないけど取り立てて秀でた所もなく。
キャラクターデザインが、一昔前の作品に思わせる。
 女性キャラは今のところ一人だけで、しかも「萌え」要請に応える面相をしていないため、そういう方面は期待薄。

 猿飛佐助は宇宙からやって来ていた…というアイディアは、ムチャで面白かった映画『真田幸村の謀略』と一緒。
…だけど、どちらかというとこの作品は『スーパーマン』のイメージで捉えていく?
 佐助一人で秀忠の首ぐらい取れるような事を言っていたが、余り何でも出来過ぎると緊迫感が欠けると思うけど…何かスタッフには考えがあるのかな。
幸村は、家康の治世が訪れる事で一応の平和が訪れるよう予見しており、本気で倒すつもりが無いとか?

 取りあえず、視聴継続。
面白くなるといいなあ。



 録画しておいた映画『カンガルー・ジャック』を見る。
 『アルマゲドン』『パイレーツ・オブ・カリビアン』などでお馴染みヒットメーカー・プロデューサー、ジェリー・ブラッカイマー製作。
 監督は、同プロデューサーと組んで なかなか面白い青春映画『コヨーテ・アグリー』を撮り上げたデビッド・マクナリー

 予告やタイトルから、「人語を喋りまくる不思議なカンガルーに振り回される人間達」という動物中心の、『スチュアート・リトル』や『みかん絵日記』のような内容かと思っていたが、全然違い、カンガルーはカンガルーのまま。
主役はあくまで人間。
 ドジを踏んだ代償に、ニューヨークから、ギャングの命を受けてオーストラリアにやってきた間抜けな野郎二人組の珍道中。

 主人公の相方、黒人が見せる失敗の数々には、笑うより先にイライラさせられてしまう。
どうもこういう、突っ込みが弱くアホがのさばるコントは苦手で。
 それでも最後まで、割に楽しく見ていられたのは、映画としての構成がきちんとしているから。
 笑えるギャグ、は少ないが、ダメな友情が昇華され、長く続いてきた鬱屈から主人公が解放されるクライマックスは、普通に充実した印象を残させる。
とは言っても、素晴らしい完成度だとかいう訳ではなく、「ブラッカイマー・フィルムにしては」って注釈付きで( ^_^ )。

 …ヒロインの存在は無意味だし、ゆるゆるのハッピーエンドにはコケるけど…まあ、コメディーだし、それも良しか。
 見て、特に得る物など無いものの、気持ち良く見終えられるので、時間潰しの鑑賞には向くと思う。


2005年5月5日 木曜日

『エルフェンリート』05.「落掌」

 原作は、雑誌で所々読んだ程度。
 一話からずっと見ているけど…とにかく強烈なアニメ。
かなりバイオレンス入った内容で、よく人が死んだり、体の一部を千切られたりする。
 でも、それらに悪意や嫌味は余り感じられず。
…「悪趣味」であるとは思うが。
子供が無心に昆虫の羽や手足をもぎ取っているような、乾いた描き方。
 映画『スターシップ・トゥルーパーズ』でのポール・バーホーベン監督の演出を思い出す。
アレも相当「悪趣味」で。

 そういう特殊な所を除けば、内容は割にオーソドックスな「萌え」物。
 主人公が広い廃旅館に住み、幼馴染み・謎の女の子・義父に性的虐待を受け家出した子、と、次第にキャラクターが増えて部屋が埋まっていく所など、『ラブひな』か!と思う程。

 丁寧な心情描写と、異様な状況演出の巧さ、原作者の個性であろう「世界観の歪み」や「大きく欠けた部分」が魅力となり、先行きが読めない、気になる作品になっている。
 しかし…見る人は選ぶだろうな。
残酷シーンを編集してある(のだろう)とはいえ、よくUHF波で放送できたもんだ。



『魔法先生ネギま!』18.「][時間目」

 作画が回復して嬉しい。
ただ…まだまだ酷い回があったり持ち直したり、という繰り返しなので、楽観視は出来ないが。

 その好調な作画に乗せ、「明日菜は料理が苦手」という事をケーキ作りを通じてコミカルに描いていたのだが、そのケーキが、変な料理を見せられる事の多いアニメ史上でもベスト5には入るぐらい、「食べたら死にそう」な形と色合いで描き出されていたのに感心(ああ、ここに画像を貼りたいなあ)。
 食べ物を絵で描いて、美味しそうに見せるのは勿論 難しいんだけど、度を超して不味そうに見せるのもまた、とても難しいんだよね。



『甲虫王者ムシキング』05.「果実の里」

 果実を食料に暮らす、豊かで平和な村。
しかし、その平和を維持するためには、木の葉を食い荒らすアゲハチョウを徹底して駆除する必要があった。

 うーーん、「生きる」根源に迫る、難しい話。
村のリーダー女性を、美しく頼り甲斐があるように描いてあった事から分かるように、アゲハを殺す行為を「悪」とはしていない。
アゲハの命を守ろうとする男も、ポポ達も、勿論「悪」ではなく、しかし「絶対的正義」ともしていない(ポポなど、村の「余裕」のお陰で命を繋げたようなモノ)。
 どちらを より正しいと受け取るかは、見る者に任せる作り方。

 増えすぎないようにアゲハを間引きつつ人間と共存させる、というのが妥協点かも知れないが、「100匹殺す」のと「95匹殺して5匹だけ残す」のとで、5匹残した人達の方が立派である、ってのも変な話。
 それは「5匹残した我々は、皆殺しにする者達よりずっと寛容で誉められるべき存在である」という五十歩百歩の自己満足を生むだけかも知れないのだし。

 無為に焼き殺してしまうのがイケナイのかも。
 幼虫なんか、調理して食べてしまえばいいんだよね。
そいで「アゲハは体内に吸収され血肉となってくれる事で、我々と共に生きる」とか何とか理屈をこねれば、何となくエコっぽい(笑)。


2005年5月4日 水曜日

 今更ながら、見ていなかった映画『バトルロワイアル』『バトルロワイアル2・鎮魂歌』を、WOWOW放送を録画しておいた物で続けて見る。
 非常に大まかに言うと、一作目は原作に沿って「意味の分からない戦いを強要される事で起こるドラマ」を描いており、二作目は「派手な戦いを描こうとする余りドラマを見失って意味が分からなくなってしまった」作品になっている。

 一作目、かなり手際の良いダイジェストだとは言えるだろうが、さすがに上映時間内では、原作最大の魅力であった「死の瞬間の輝き」を捉えるのは無理で、イキナリ自殺を選ぶ生徒達など、??という印象しか残さず。
 物語を整理しようとしてか、最強の生徒二人を「部外者」に設定したのも、「見知ったクラスメート同士が殺し合う」不自然さが醸し出す不安や恐怖を弱めている。

 北野 武演じる先生の心情を彫り込んで見せたのは、善し悪し。
大人(主催者側)の視点を入れる事でバランスが良くなり、話に厚みが出来た反面、不条理な戦いを強制され、そうさせた(憎々しい)大人を憎悪する生徒達、という心情の後ろ盾が弱くなってしまっている。
 原作の教師・坂持金発のような、悪を体現して一身に責任を負ってくれるキャラクターを無くす事で、その上ッ側に在るはずの「社会」へと視点を向けさせるのが狙い?
でも、この映画では、「社会」そのものが狂っているのか、一部の大人が異常な行動に出ただけなのか、それさえ分からないからなあ。

 もっともっとオリジナルにしてしまい、クラスの人数を絞り込んで、それぞれのドラマを描き込んだ方が面白くなったんじゃなかろうか。

 二作目。
 とにかく意味不明な所が多々。
「バトルロワイアル」というシステムが存在する、って事は、ぼちぼち周知になってきているのだろうに、相変わらずクラスで旅行に出掛け、眠らされて捕まってしまう生徒達に笑ってしまう。
…ちょっとは警戒心を持たないか?
 どうしてまるっきりの素人である学生達をテロリスト鎮圧に送り込んだのか。
今回の、教師含む大人は「ただ楽しんでいる」のかと思ったが、後々見ていくと そうでもないみたいだし。
 一人が死んだら、ペアを組まされた相手も首輪が爆発して死んでしまう、というシステムも意味不明。
 生徒達、まるで顔の見分けも付かないウチに アホみたいにポコポコ死んでしまう訳で、悲劇よりか喜劇性の方を強く感じてしまうが、それで構わない?

 一番意味が分からないのは…前作の主人公である七原秋也が戦いを継続している、っていうのはともかく、その手段が無差別のテロであり、主義主張もヘッタクレも無い、という事。
 9.11テロの恐怖と悲劇を経た今、「新宿のビル街を爆破して凄まじい死者を出す」作戦に参加するような主人公が、ナニガシかでも共感を呼べると考えたのだろうか?
 BRのシステムを作った人間、政府の首脳陣、その辺りを一人ずつ襲い狙撃・爆破・食事に毒でも入れるとか、家族でも掠って要求を伝える、ってのが まだしも筋では?
『アクメツ』っぽく一人一殺・その後自分も死ぬ、ってのを実行すると、更に理屈が通り易い。
 まあ、内容の全てに通じる事だけど、「ビル街を爆破沈降させる事で、とにかく『画面を派手にしたかった』」だけなんだろうが。
 こんなアホ行動しかできないテロリストが、生きようが死のうが、どうでもイイ。

 どう見ても『プライベート・ライアン』なバトルシーンを、延々と見せられるのにも閉口。
日本でもこのぐらい物真似が出来るんだ、とは思ったけど、長すぎるもんで感心するより飽きる。

 「基本的には真面目に作ってあるのだが、製作者の能力がアレだったため、結果的にナニになってしまった作品」特有の面白さはあって、特にクライマックス攻城戦で起こるイベントには爆笑モノも多く、C級映画好きの琴線には触れなくもないが…
 普通の人にはとてもお勧め出来ない、見る価値の無い映画だと思う。


2005年5月3日 火曜日

『創聖のアクエリオン』05.「地下迷宮の王」

 司令官・不動は、深謀遠慮があるような、その場の思いつきで行動しているだけのような。
 今回、アポロを追いかけさせたのはともかく、パイロット候補生達の行動を基地内の様々な仕掛けで邪魔してるのなんか、単に楽しんでいるだけとしか( ^_^ )。

 アポロ捕獲訓練は、生徒それぞれの気力体力を鍛えるには不足だし、ちょっかいかけて危機に陥らせチームワークで切り抜けさせるのが目的だとすると、そういう方向への罠の誘導が全然できていないし。
 シリウスと麗花の間にだけは協力関係があったようだけど、コレはシリウスの好意…というか下心から出ただけに思える。
 シルヴィアとピエールの間にも、基地内の仕掛けを用いた事によっては協力関係が生まれていない。
「親しい者達を掠われた怒りは自分の胸の中にもある」という事で心が一つになるなら、別にアポロを追わせる意味は無かった訳で。

 どうも、中途半端だなあ。
 不動は、いつでも何でもお見通しで、一見無意味に思える発言・行動でも回り回って大きな意味を持ち、彼の計画通りにパイロット達は鍛えられていく…という辺りを序盤の「面白さ」に設定しているのかと思っていたんだけど。
 あと、作画レベルが低落傾向にあるのは寂しい。
重要な回を盛り上げるために力を溜めている…んだと良いなあ。



『フタコイ オルタナティブ』03.「エメラルドマウンテン・ハイ」04.「ニコパク・ラプソディ」

 第一話での作画の異常な頑張りようは、シリーズ開幕を飾るための 御祝儀みたいな物かと思ったが、その後も、枚数は多少減っているものの、絵のレベルを維持できているのが驚異的。
どこも厳しい製作状況なのに、凄いなあ。

 演出的にも、特に三話目が非常に凝っていて、飽きずに見られた。
…ウルサく言えば、表そうとしている内容と演出方法が噛み合っていない部分も見られたように思うが…
持っている手法を駆使して画面を刺激的に見せたい、という情熱が感じられ、何となく慣れでコンテを切る製作者が多い現状、頑張った内容なのは間違いない。
 三話は、物語の核になっている「教師である双子と主人公の間に、過ぎ去って行った時間」を具体的に描かない事で、アリガチな物語になりそうな所を綺麗に切り抜けて見せた。
これは、ズルいやり方だと思うんだけどね。
ズルい、でも巧い。

 四話は、比較的普通の話。
あの双子はヤクザ組長ジジイの「孫」じゃなくて「娘」なのかあ。
いくつの時の子供?(笑)
 地上げ屋なんて、バブルの終焉と共に滅びたような。
まー今でも必要とされる所には存在しているのかも知れないが、専門職としては絶滅危惧種だろう。
 細かい事だけど、地上げ屋が、撒き散らされた札束を拾い集める時、一束だけ拾い忘れるのは演出意図あっての事?
「札束を全部消す」より「一束だけ残しておく」方が、アニメでは手間が掛かると思うが。
 何故か地上げ屋として行動していたシロクマが、アイスの白くまを食べてたな。
 こういう内容だと、このアニメは松田優作の『探偵物語』なんだ、って事がよく分かる。



『こみっくパーティー Revolution』04.「私の想い……きいてください!」

 感想を書いていなかったけれども、一話から見ている(二話は半分だけ録画ミスした)。
 続編、としては、今期開幕時点で これまでのあらすじやらキャラクター関係について おさらいをした方が親切だとは、思った。
大して入り組んだ内容でも無し、詳細まではともかく、所謂「萌え」作品として見ればストーリーは問題なく理解できるだろうが。

 テンション高くどたばたコメディーを繰り広げていた3話までも面白かったが、今回は、ちょっと しっとりとアイドルである あさひの…と見せて、ぽえ〜とした南の内面まで少々掘り下げてみせる、気持ちの良い お話だった。
 サブタイトルで表した「想いを聞いて欲しい」女性、というのは、歌詞作りで悩む あさひの事だろうが、同時に、運営者としては有能でも女性としては不器用な、南の事でもあろう。

 特に凝ってはいないがテンポ良く堅実な演出と、好調な作画。
見続けていく価値はある内容だと思う。
 ただ…「萌え」物として女性陣の個性を中心に置く事で、前シリーズのような「同人誌を通じた和樹の成長物」としての色合いは薄くなっているようで、残念な気も。
「意気揚々と即売会に大量の同人誌を持ち込んでみたは良いが、閉会までまるで売れず、己の分を思い知らされ どん底まで落ち込む話(07.「希望の祭典」)」なんて、今でも疑似トラウマとして心に深く残っているぐらい凄い内容だったのだが。


2005年5月2日 月曜日

 映画『コンスタンティン』を見る。
 監督は、MTVで多くのミュージック・ビデオを手掛けてきた人らしい。
主演はキアヌ・リーブス。

 ええと、内容のせいか体調のせいか(上映前に花粉症の薬を飲んだので)、所々 意識が朦朧としており、物語を確かに理解できているかどうかは自信がない。
という前提の元に。
 以下は内容に触れてしまうので、未見の方は御注意。


 何だかこう、映画の最初20分ぐらいを見逃してしまったような気分。
助手のような男と出逢った経緯や ドコまでの関係なのか、とかが分かり辛い。
コンスタンティンに武器を供給している男も、ナニモノなのか不明。
何気なく出てくる教会?の様子や、魔導師が経営する治外法権バーなど、どういう所だか大筋分からなくはないんだけど、やっぱり入り込み難くて。
 コンスタンティンが悪魔払いをしている理由にしても、ほとんど言葉で説明されるだけなので、『バットマン』や『スパイダーマン』のような強烈な動機には感じられず。
 主人公や、彼を取り巻く状況に感情移入が出来ず、どうなっても構わない世界と捉えていたため、映画全体を「面白い」と感じる事は、最後まで出来なかった。

 しかし、さすがにプロモーションビデオ出身監督だけあって、映像表現はアチコチ鮮烈。
「見た事のない画面」が多く見られたのは、収穫。
 最初に展開する悪魔払いシーンで、鏡に閉じこめてしまうアイディアが面白い。
 悪魔を、「神に祝福された聖なるメリケンサック」でメッタ打ちにする場面には、爆笑。
 最後の決着は…
ええと、山口組の若頭、っちゅー大物が出て来て、ワレ一人では手に負えなくなったため、前々から三下をいたぶっていた住吉会に「オトシマエ付けさせたいンやったらワシの命(タマ)取りに来たらんかい!」と挑発する事で会長本人を誘い出し、鉢合わせさせ互いに喰い合わせた、って感じ?
 他力本願で、「少年ジャンプ」的観点からは どーだろーなーと思うんだけど、ヒキョーな やり口もまた良し( ^_^ )。

 宗教的に「悪」であるはずの自殺を、犠牲的行動という解釈で無理矢理「善」に転化し、天国に引き上げてしまおうという姑息さが妙に可笑しい。
そうはさせじと無理カラ生き返らせて、今の善行をチャラにしてしまう悪魔側がまた可笑しい。
 しかし、「誰かを救うため、自らの身を犠牲にする」チャンスなんて、コンスタンティンのような仕事をしていればいくらでも回ってくるはずで、天国に行きたきゃその一つをモノにすれば良いのでは?
ザコ敵では弱すぎて、上手く負けられない?
いや、狙ってやった「犠牲的死」など、神の視点からは「自殺」と捉えられてしまうのかも。

 この辺の宗教的死生観は、よく分からないな。
自殺かどうかだけで天国地獄を決められたんじゃ、たまらないと思うが。
 閻魔様のように、生前の行いを総合して裁定を下してくれるって方が、理解しやすい。
 まあ、自殺しようという人を罰をもって止めるには、「死んだら死刑だぞ」と言っても無駄(意味不明)な訳で、「自殺で死んだら地獄行き」と言うのが まだしも効果的。
そういう考えから出来た聖書の記述なんだろうか。

 煙草を吸いたがるコンスタンティンに、ライターの火を近付けながらハズしてイジワルするルシファーが、ラブリー(笑)。
なんちゅー小さい悪さなんだ!
 コレで、ラストシーン、歩き去っていくコンスタンティンの背中に、「ボクはオカマです」とか書かれた紙切れをセロテープで貼ってあれば、完璧だったのに。
 さすが地獄の大立者!
こんな酷いマネが出来るのは、ルシファーと小学校の同級生ぐらいだ!って訳で。

 見ている間、誰が言ったんだったか、「神は人間が居なくても平気だが、悪魔は、人間が居なくなると寂しくて仕方がない」という言葉を思い出していた。
 宗教の勧誘文句なんか聞いていると思う事だけど、自らの国に入らせるための基準をやたら高く設定したワガママな神が支配する、いつ不興を買うかと気の休まるヒマがない天国より、気のいい悪魔が居る地獄で、落ちこぼれた大勢の仲間達と過ごす方が、楽しいのかも。


2005年5月1日 日曜日

『交響詩篇エウレカセブン』03.「モーション・ブルー」

 別にドコが悪いとか言う訳じゃないが、もう一つ内容に乗り切れない。
 よく知らない連中と旅立ってしまうレントンは どういう気持ちなのか、とか。
退屈な町を出たい、と言っていたのだし、可愛い女の子と一緒に居たい、というだけでもオトコノコが旅立つのに十分な理由なのかも知れないが。
 物語の進行に伴い、レントンをパイロットとして扱うようになるんじゃないかと思うのに、帰って爺さんの後を継ぐ立派なメカニックになるための旅だ、と言わせるのも馴染めない。
 もっと、『ラピュタ』ぐらい強引に選択肢が、掠われた女の子を助け出すため空賊と一緒に旅立つか、胸にポッカリと空いた穴を抱えたまま生きていくか、というモノしか無くて…
というんだと、乗り易いんだけど。

 船に帰るや、パンツ一丁になってしまう所帯じみた様子など、面白い所も多々。
 まあ、まだ3話目なんだから、焦らず ゆっくり構えて見続けるのが良いか。



『仮面ライダー響鬼』14.「喰らう童子」

 イブキと あきらの、息の合った師弟ぶりが微笑ましい。
今回は、さりげなく何度も阿吽の呼吸を見せてくれて、上手い。
 ヒビキが ちょっと羨ましそうなのが、何とも。
弟子が欲しいのかなあ?
ヒビキは、ぼちぼち結婚して子供が居ても おかしくない年齢でもあるのだし。

 変形童子が現れ、対応に苦慮している最中でもあり、明日夢の虫垂炎など どうせ死ぬ程の事ではない訳で、「今はそれどころじゃない」という対応でも全然おかしくないはずだが、間の抜けた声で驚きの叫びを上げてしまうヒビキが嬉しい。
 彼にとっては、化け物退治も、明日夢の病気も、同じようにオオゴトなのだ。
 かといって、仕事を疎かにしてしまわないのもまた、嬉しい。

 何度も言うけど、この作品に出てくる大人達、鬼達は、本当に こうありたい「大人」ばかり。
病院で明日夢を支えてくれた大人、ザンキも そう。
 見ず知らずの子供を当たり前のように助け、気軽に声を掛け、しかし余計な事までは聞かず、しつこくしないで立ち去る。
実に格好イイ。

 ヒビキ・イブキのタッグによるバトルも、迫力があって満足。
 …あんな短い打鼓で良い形があるなら、毎度 使えばイイような気もするけど。
まあ、今回の敵は体が小さかったから、清めの音も少なく済んだんだろう。
(※ 前回出て来た新開発品を使ったから出来たのでは、というご指摘を頂きました。あああああ、そうだったあ!忘れてましたぁぁ…アホだなあ)
 歌の二番が掛かったエンディングを見ながら、もし明日夢がヒビキの弟子になったなら、いつもの止まってヒビキを見送るだけの姿から、明日夢も一緒に走り出す終わり方に変わるんだろうか、などと思ったり。


ときどき日記・目次へ

05/04の日記を読む