ときどき日記 05/11

2005年11月30日 水曜日

『ガンパレードオーケストラ』09.「戦火のかなた」

 北海道と本州を結ぶ大橋を守るため、中隊が決死の戦いを展開する。
以前の防衛作戦失敗を受けている事で、ドラマ的積み重ねもあり、章の終わりを盛り上げるには絶好。

 …なんだけど、実際の盛り上がりは、並みという所。
 全体の戦況が掴みにくく、作戦がどの程度上手く行っており、何が障害となって遂行できないのかが分かり難い。
一兵士ではなく、指揮車内にいる中隊長に一応の視点を置いているのだから、これは どうとでも出来ただろうに。
 鉄道を用いて幻獣の下から接近し…というのはアイディアなんだけど、以前に一度、幻獣を列車の上に乗せて崖から落とす戦法(?)を見せている事で、新鮮味には欠ける。
 幻獣を抱えて橋から飛び降りる反抗的だったパイロット二人、というシーンは、彼女達の勇気や決断力を示したのだろうが、あの見せ方だと「橋から海に蹴り落とせば良く、一緒に飛び込む必要はなかったのでは?」と思えてしまう。

 自分達の作戦が失敗してから、改めて巨大幻獣を投入してくる敵側は、余りにも場当たり的。
何か計画を持って行動しているのか、所詮バケモノなのか。
 これに戦闘車両で突っ込んでいく中隊長は…
だから、身の危険を顧みない行動は列車の屋根に幻獣を乗せて崖から落とすエピソードで既にやっており(無謀さも、本隊から物資を盗み出すデタラメ行動で済み)、彼女の成長を見せるなら、「中隊長として、正しい指揮が執れるようになる」事で行って欲しかった。
 普通の車両に武器を積んだ物でダメージを与えられるなら、人型マシンの存在意義はドコに?
あんな、悪路を走行して敵の腹下に回り込む、というような攻撃こそ、人型の有用性の見せ所では?
 巨大幻獣が、大きいだけで特に脅威ではなかったのも、物足りない要因。
 盛り上げようとする意図は感じ取るにせよ、拙い部分が目立ちすぎ。

 次回から章が替わり、舞台も人物も入れ替わってしまうようだけど…まだ、現キャラクター達の魅力を十全に引き出せたとは とても言えず。
 無駄に沢山出したキャラの中で、見分けが付くようになったのは ほんの少数。
残りは、「背景」としか思えない。
中心に居たはずの、中隊長や反抗的女子キャラでさえ、その内面や成長について、描写はまるで足りていないのだから。
 気分を変えるため、章を変えるのも構わないが、恐らくは次章も こんな感じで推移するんだろうな、と思うと期待がしぼんでしまう。



『ノエイン もうひとりの君へ』08.「カクシゴト」

 ここ三話を、まとめて見る。
 物語のウエイトが、ハルカの送る日常から、ラクリマ時空関係の非日常へと大きく転換。
 まだ しっかりとは説明されないが…
この現実と異空間、過去と未来は、どちらか一方が確固たる存在だという物ではなく、互いに自分を中心に考え、相手を曖昧な存在だとする関係にあるのかな。
過去からするとあり得ない未来だと思え、未来からすると記憶として存在せず、だからやはり あり得ない過去だとしか捉えられない。

 非常に凝っていると思える設定を、言葉よりはビジュアルを中心にして、見せていくのが上手い。
正直なところ、何をやっているのか具体的に分からないシーンは結構あるんだけど、鮮烈なイメージのパワーで押し切られてしまう。
 訳の分からない形状の敵に、未来戦士が巨大化して戦いを挑む場面など、ちょっと油断すると単に馬鹿馬鹿しい「ネタ」になりそうだが、不気味さと迫力で見る者を圧倒できているのが凄い。
 高いレベルを維持している作画や演出のお陰で、「映画」を見ているような気分になる事も、しばしば。

 ヒロインの友人・ミホは…その母親、未来世界で出逢った娘まで含め、三代揃って超常現象好き、という個性が付加されており、楽しい。
アイが、未来において大きく変わりながら、しかし心中に まだハルカの親友らしい部分を残していたりと、時間の経過をキャラクター描写の深みに結びつける作り方が、見事。

 ぼちぼちシリーズの締めに入る…のかと思えば、これ全24話なのか。
そうすると、まだストーリーは二転三転しそうだなあ。
 今のままのテンションを維持できたなら、かなりの良作になりそうだけど…



『舞-乙HiME』08.「運命の軛」

 既に掲示板で教えて頂いたが…ピアスや指輪の石を外してしまえば契約を無効に出来るのでは?という疑問に、本編中でフォロー。
やっぱり そんな簡単にはいかないのね。
 その事情に、体内のナノマシンが絡んでいるのなら、そこまで説明しても良かったような。
一度に色々言うと、ゴチャゴチャしてしまうから?

 オトメ達は、戦争の道具にもなる。
 超常の戦闘能力を持つ彼女達を使い、代理戦争を行うことで、国家として死傷者の数を抑える…という理屈その物は分かるけど。
ほのぼのと学園生活を送っている少女達からは、そういう悲壮感は感じられず、違和感。
ここは、見る人に違和感を持ってもらうのが狙いか。
 『ファイナルファンタジー8』の傭兵養成学園を、何となく思い出してしまう。


2005年11月29日 火曜日

『To Heart2』09.「ふたり」

 もうとにかく、描かれているのが誰だか分からなくなるぐらい作画が崩れている場面が多々あり、脱力してしまう。
 ファンの多い、ビッグタイトルをアニメ化しようというのだから、もうちょっとスタッフを揃えてはどうか。

 内容的にも…
 主人公に対し、殺意に近いほどの敵意を抱いている双子の妹。
彼女がそういう心理状態に到った背景が説明されたが、何の意外性もなく、「姉が大好きだから、他の人間に入り込まれたくなくて」という事。
 余りにも普通であり、そう言われても困ってしまう。
 妹もまた主人公に惹かれ始めていたので…とか劇中で姉が語っていたけど、そんな様子は行動から感じ取れないのに、ただセリフだけで済まされても…

 姉妹には、最後まで全く魅力が感じられず(出来れば お近付きになりたくないキャラ)、主人公が彼女らに抱く気持ちにしても、「迷惑だ近寄るな!」ではないのだろうが「意外と良い子達だ」と好感を持った訳でもないと思え、分かり辛く、面白味を感じ辛い。
 アニメ製作者、別に この双子を大好きになる必要はないけど、どこかせめて一点でも魅力を認め、そこに絞り込んで、視聴者にアピール出来るような作りにして欲しかったなあ。



『おねがいマイメロディ』35.「幸せが見つかったらイイナ!」

 バクの一日を追う事で、元々報われないキャラだったが想像以上に報われていない事実が判明し、涙無しでは見られない…いや笑ったけど。
 バイトをして生活費を稼いだり、暇があれば幼稚園児と遊んでやったりと、バクが多様な面を見せる日常生活が面白すぎて、いつも通りの、クロミ魔法を使った混乱模様は邪魔にさえ思えてしまう。
こういう悪さも日常の一部、って事なんだろうけど。
 面倒ばかりのクロミとは、縁を切ってしまえば良いのに…と思ったが、なるほど、クロミには彼女なりの美点もある訳ね。

 歌に近づいた事で、柊の心に波紋が。
 彼は、心のどこかが欠けた状態なだけで、明確な悪意は持っていない…のかも。
それなら、彼とマイメロは全く違っているようでありながら、実は似た性質の持ち主だと言えるなあ。
どういう経験をしようとも、まるで心を動かされたり成長したりするそぶりが見えないマイメロの方が、もしかして悪質?



『D.C.S.S.〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜』22.「みんなの時間」

 純一と音夢を もっと仲良くさせようと、肝試し大会を開催する女性陣。
 …しかし、サッパリ仲が進展しないのにイライラして、とかいうならこれも分かるけど、二人は他者の介入を許さないほどラブラブであり、もっと言えば一つ屋根の下に住んでいるのだから、アイシアが同居しているとはいえ、外から手を貸さないとイケナイ理由なんて何も無いと思うんだけど。
野次馬的に悪ノリで面白がっているだけ、というなら理解しようが…
 アイシアの心を乱させるため、組んだイベントなんだろうな。
他の女性陣は「人が好い」というより、「ちょっと異常」にさえ見えてしまい、アイシアならずとも違和感を訴えたくなってしまう。

 「みんなを幸せにしたい」アイシアの考え方は間違っていないが、こと恋愛感情が絡むものについては…
魔法で一夫多妻制を現実化でもしない限り(いや、それでもなお)、全員の想いを満たすのは無理というモノ。
 頑なな心が思考の暴走(判断力の欠如)を呼んでしまった、という事なのか。
 まあ、アイシアは元からアホの子として描かれていたので、そんな有様にも違和感がある訳ではないが、それを分かっているはずの周囲のキャラクターは もうちょっと優しく接し、色々教えてやっても良いのではないかと感じてしまう。


2005年11月28日 月曜日

『交響詩篇エウレカセブン』32.「スタート・イット・アップ」

 前半、もう自分がレントンにしてやれる事は少ないと語り、祖父として、技術者として全てを込めたボードを、命懸けで空へと解き放つ爺さんが泣かせる。
 約束の場所・時間にそれが届くと信じ、死を賭けて空へと飛び出すレントンの、絶対の信頼も心地良い。
 互いの姿は確認せず、一枚のボードを通して心が繋がる物語の仕掛けが とにかく巧くて、感心するばかり。

 …ここまでに、もっと深く絆が描けていれば更に感動的だったろうが、時折「レントンには肉親など誰も居ない」とでも言いたげな内容すらあり、それを思い出すと水が差されてしまう。
 レントンにとって祖父は、大きな存在であるのが当たり前で、それを認めるにせよ、故意に忘れていようとするにせよ、製作者側は必ず踏まえて描かなければならない。
どうもその辺が上手く行っておらず、必要な時だけ設定を使って普段は忘れているように思え、不満。

 受け取ったボードを用いて見せる、新生ニルヴァーシュの超高機動バトルも面白く、今回は文句なく楽しい内容だった。



『BLOOD+』08.「ファントム・オブ・ザ・スクール」

 舞台がポンっとベトナムの学園へ。
 ここまで、余り面白く感じられない作品だったので、もう見るのを止めようかと考えていたが、今回は冒頭から、大好きなベトナムの衣装・アオザイが出て来た事により、グッと心を掴まれてしまう。
 映画『グッドモーニング,ベトナム』のヒロインが とても印象的に、美しく着こなしていたのを見て、すっかりこの衣装が好きになってしまった。
 やっぱり民族には、自分達の国で発展してきた衣装が一番よく似合う。
いや、アンバランスの美、ってのもあるけど。

 お話は、所変われど女の子は変わらないもので、女子高生らしい お馬鹿さんさ全開の学園ストーリーが繰り広げられ、ヒロイン同室少女の屈託の無さなど大変に微笑ましく、ヘラヘラ笑いながら見る。
 異国とはいえ、学園は学園。
舞台を限定空間である学校に移した事で、その内部秩序や人間関係が愕然と分かり易くなり、そこに迫る危機も理解しやすくなって、よく言われる「物語を始めるなら、まず学園から」を実感。
 いや、小夜は最初から沖縄の学校に通っており、始まりは学園ではあったのか…(^_^;)
でも すぐ飛び出してしまい、その利点を十分に活かせたとは思えないので。

 今回は楽しかったけど、それが「今までの停滞したストーリーを下敷きにする事で、初めて成り立つ展開では『ない』」、例えば今回を第一話に据えたとしても特に問題は無かったろう…と感じられるのが不満。
次回はまた兄弟の方に視点が移るようだし、これまでの積み重ねは今後活かそうと考えている…のだろうと思うが。
 これからは、様々な国・場所の学園を小夜が渡り歩いては、迫る翼手の危機から人々を救っていく、というパターンに嵌めると良いかも。



『仮面ライダー響鬼』41.「目醒める師弟」

 ついに鬼へと変身する あきら。
 視聴者が待ちに待ったシーンだと思うが…
活躍など無く、一瞬で魔化魍に弾き飛ばされて、終わり。
 今回は、彼女が「鬼になるのを諦める」話だったのだから、大活躍しては主旨が違うにせよ、少しぐらいは…

 怒り・憎しみで自分を失い、強力な力を振るうだけの存在になってしまった朱鬼と出逢ってから、彼女の運命が大きく変わってしまったのを踏まえ、あきらが最後に対面する魔化魍も「両親の仇」に設定し、我を忘れた彼女がイブキごと魔化魍を葬ろうとする事で自分の中にも潜んでいた「闇」を自覚し、鬼になる道を諦める…という展開でも良かったような。
 勿論「鬼にならない」事も間違った選択ではなく、彼女にはまたこれまでと全く違う、新しく厳しい戦いの日々が待っているのだろうが、せめて最後に華を持たせてあげて欲しかった。
彼女にとっての華は、鬼神の如き強さを見せる事ではなく、横断歩道を渡る子供達を導く、初めて見せる優しい女の子の面にこそあるのかも知れないけれど。
車にひかれそうな子供を助ける役は、彼女にするとか。

 明日夢と桐矢の弟子入り志願に、上手く応えられないヒビキ。
別にふざけているつもりはないんだろうけど、アレじゃ少年達は喜ばないよ。
 やっぱりちょっと、デリカシーに欠けている所があるなあ。
そこが良い所でもあろうが。

 頑張って、魔化魍に一太刀浴びせる明日夢と桐矢。
 言われていたように、遊びではないのだし、下手すると大ケガをしたかも知れない様子を影から見ているヒビキは どうかと思うけど、まあ大人が手を貸してばかりじゃ少年達の成長は無いか。
 命懸けで子供を助けたりと、心根の正しさを垣間見せる桐矢。
段々と憎めなくなっていって、『ドラゴンボール』クリリンみたいになる?
そんなに細かく変化を追えるほどには、残り話数が無いな。


2005年11月27日 日曜日

『ウルトラマンマックス』22.「胡蝶の夢」

 これは……困ったなあ(^_^;)。
どう語れば良いのか途方に暮れてしまう、実相寺 昭雄 監督話。

 無茶をしているようで、恐ろしい中にも子供に受ける要素をきちんと入れてあった三池 崇史監督「第三番惑星の奇跡」と比べても…
暴走しすぎ。
 こんなシリーズの途中で、「所詮マックスなんて作り話」とでも言いたげな内容をやってしまうとは!
 ひたすら違和感のある、理屈が通じない怖い画面が続き、年少の視聴者は、怯えて心にトラウマを作るか、飽きてしまうか、どっちかだったのでは?
いや、子供がトラウマ体験をするのは悪い事だと思わないんだけど。

 色々にテーマが読み取れるような気がするし、そんな事考えるのは徒労のような気もする。
「言いたい事があって、それを表現しようとした結果、問題作になった」のではなく、最初から「自分に皆が期待している問題作を撮ろう」と考えていそう。
 実相寺監督の自伝を映像化したドラマで、かつて真夏に雪が降る不条理なシーンを撮って周囲からさんざんに言われ、凹んだ監督が、故・円谷 英二に会った際、「あれは良かったですね。でも、あんなちょっとじゃなく、もっともっと、画面一杯に雪を降らせば良かった。そうすればみんな、貴方の言いたい事を分かってくれたと思いますよ」と言われるシーンがあり、それは泣けるイイ場面だったんだけど……
今回の話を見ると、それを「やっちゃった」のかと感じてしまったり。

 自分にとって監督は、もう、「元気で生きていて、ま〜だ丸くならず妙なシャシンを撮り続けている人」であってくれれば文句無く、嬉しいので、これは楽しい、突っ張った不良中年(老年?)の生き様を見せてくれたフィルムだと思える。



『ガイキング』03.「旅立ち…さらば母さん!」

 おお、驚くぐらい まっとうな内容。
 懐かしい雰囲気のあるスーパーロボット物としては、母親に断ったりせず勢いで戦いの旅に出そうだし、旅立ちを打ち明けても「頑張って行っといで!」とアッサリ送り出してくれそう。
しかし、ダイヤは二人だけで暮らす母親に気を遣うし、母親は余りにも突然な息子の言葉に拒否反応を示す。
 普通だ…

 「子供が親の心配をして何がおかしいんだ!」というダイヤのセリフが、余りにも常識的で、しかしハッとさせられてしまう。
忘れかけていた「スーパーロボット物」の空気を蘇らせてくれた今作は、今更 誰も語らない、忘れかけていた大事な何かも語ろうとしているのか。

 素直なダイヤの言葉に、心を動かされる大空魔竜の乗員達、という図式が良いねえ。
 行ったっきりの不便なロケットパンチを利用して、窮地を脱するアイディアも楽しい。
 無責任な脳天気さではなく、しかし その決心を否定するでもなく、旅立つ息子を見送る お母ちゃん…という描き方が、絶望では決してないが楽天的にも なれない戦いの行く先を暗示するようで、渋い。

 作画には大きく不満が残るけれども、内容が きちんと出来ていると こんなに楽しく見られるものかと、感心。
 面白い。



 新しくPCを購入したので、昨日はひたすら環境の移行作業。
 年末に向けて忙しくなりそうだから効率化を図ろうとしたんだけど、PC環境整備の途中、様々なトラブルにも見舞われ、一日かけて ようやく「多少は使えるようになった」程度。
酷く効率が悪いなあ…


2005年11月26日 土曜日

 WOWOWで放送された映画『キル・ビル Vol.2』を見る。
 前編は劇場で見たのに、何で後編を こんなに遅れて、しかもテレビで見たのかというと、余り良い評判を聞かなかったから。
 以下、重要な内容に触れている箇所があります。

 う〜ん、確かに、前編と後編では全く別の映画。
馬鹿なノリだけで突っ走った前編に比べると、こちらは「狂ったラブストーリー」にするため、やたら登場キャラが喋りまくって状況や心情を説明しており、スピード感が失われていて、ダレる。
 ヒロインと師匠の特訓風景とか、地下深く埋められた棺からの脱出、凶暴なダリル・ハンナ(『スプラッシュ』は遠い昔)との死闘など、やっぱり暴走している楽しい所もあるんだけど。
特に師匠が面白くて、拳で厚い板を打ち抜け!という特訓の際の言葉、「お前が板を恐れるのではない、板がお前を恐れるのだ」には、痺れる。
意味はよく分からないけど( ^_^ )。

 ただ…ユマ・サーマンが余りにも油断したアホな形で やられたり、仇が失意の日々を送っていて憎めなかったり、仲間割れで敵が勝手に片付いたり…と、故意にやっているのか盛り上がらない構成にしてあったのが難点。

 この映画は、テーマであろうラブストーリーに どれだけ高い評価を与えられるか、に寄っている。
別に悪くはない語りようだったが、感情を入れて見られるようなモノではなく。
 せめて、その愛の終着点であるラストバトルを、馬鹿なノリを受ける形で もっと派手にして欲しかったかな。
せっかくの必殺拳なのだから、受けた相手は「たわば!」とか「ひでぶ!」とか叫んで、イロイロなモノを撒き散らしてくれるとか。

 テレビで見たから良かったが、劇場で鑑賞していたら、首を傾げつつ帰路についていたろう内容。
 個人的には、暴走する前編だけ見れば十分だった。


2005年11月25日 金曜日

『SHUFFLE!』19.「忘れ得ぬ想い」

 ちょっと呆然としてしまうぐらいダークな、楓が秘めた過去と、それがもたらす不安定な現在の心理状態が描かれた。
 シアやネリネ、プリムラにも暗い側面は設定されていたのだが、言えば「主人公に頼らず、自分で勝手に乗り越えてくれた」事によって、余り物語を重くせずに済んでいた。
しかし楓は…

 事故死した親。
稟の自己申告によって、その原因は彼にあると思っていた楓だが、実は病気をした楓が原因…?
 この辺りは、今回急にバタバタと「ウソ」が説明され、間を置かず また「真実」として ひっくり返される事で、理解は出来ても感情的には上手く受け取れなかったり。
大事なエピソードなのだろうから、もう少し時間を掛けて描いても…

 幼い頃から続くダーク楓の虐待に、ひたすら耐える稟。
精神が弱い楓を守るためには、仕方ない事だったかと思うが…
 現在の、亜沙と楽しげに過ごし、楓に対する配慮がまるで欠けてしまっている稟を見ると、別段それは「愛情から」ではなかったのかと感じてしまう。
生きる気力を取り戻させる事までで、楓に対する「義務」が終了した、と考えているような。
 幼少期から殺されかけるぐらいの虐待を受け続けて、今更 愛なんて感じようがない、という事情、常識的には分かるけど、そのままじゃドラマとしては弱い。
逆に、「そこを乗り越えての愛」って所に感動がありそうな。

 ただまあ、楓が稟に抱いている想いだって、「愛」…も あるかも知れないけど「贖罪」の気持ちを込めて、彼に与えた損失を自分で埋め合わせなければならない、という「義務」から生じているのかも知れないので、おあいこか。
 これほど身近に、長く稟と居続けながら、くだけず丁寧な言葉遣いを続ける精神状態も、マトモじゃなかろう。
 そういう楓と稟がくっつく、ってのは、必ずしも推奨される関係ではないかも…だけど、恋愛の関係って多くはバランスを欠いたモノだし。
どーなるのかな。

 帰って来ない稟を待ち続け、死んだ目をして、何も入っていない鍋(稟の不在により空白になった自分の心)をかき回し続ける楓の姿は、ホラー映画のようで危機迫る。
思い余って無理心中とか計りそうだ。
 ここまでイメージを堕としたキャラを、もう一度ヒロインの位置まで押し戻すのは、至難だろう。
これから、彼女の涙も笑顔も、素直には信じられないもんね。

 プリムラを無理してまで取り戻してきたのは、彼女を「家族」として迎えるためだろうに…稟にとって、想定した家族像の中で、楓はどういう位置を占めていたのか。
姉・妹・肉親ぐらいならまだしも、何くれとなく世話を焼かれる事を当然と受け止めていたような様子からすると、メイドさんとか?
 二人の間に挟まれて、オロオロするプリムラが可哀想。

 鬱な話だけど、ややこしくなった この関係をどうするつもりなのか、興味津々。
ここまでキャラを追いつめたんだから、また女の子が勝手に成長して身を引いてくれました、ってんじゃあ物足りないなあ。



『かりん』04.「バレちゃって 恥ずかしい」

 フィクションは便利で、視点の持ちようや世界の切り取り方によって、どんな対象であっても良いイメージで描く事が出来る。
ヤンキーや暴走族、暴力団など、普通に考えると迷惑な連中も、男気に溢れた格好イイ奴らに、簡単にしてしまえる。
 弱点だらけで元々可愛げのある吸血鬼は、「吸血」という最大の行動特性を、「殺人」や「不快感のある精神支配」にさえ結びつけなければ、好かれるキャラクター化する事が難しくない。
 ましてこのアニメのヒロインは、「吸血」どころか「増血」により、元気のない他者に血(パワー)を分け与えている訳で、生まれ持った特質によって嫌われる要因など、何も無いだろう。

 それでも、正体がバレたと かりんが取り乱してしまうのは、まるっきり人間である彼女の視点のせいだろうし、失いたくない(父親も命懸けで守ってくれた)「日常」を抱え込んでいるから。
 泣いて取り乱してボロボロになる かりんの姿は、見る者の心を動かすのに十分で、特に何と思う事の無かったキャラなのに、一気に好感度を上げられてしまう。

 誰に迷惑を掛けている訳でも無し、健太は秘密を守って当然。
 いや…多少迷惑な存在であろうが、矯正しようのない体質を原因とするモノならば、男は容認してしかるべき。
 オッケーオッケー、吸血鬼なんかより遙かに社会に迷惑を掛けながら、何の処罰も受けず のうのうと生きている普通人なんて、掃いて捨てるぐらい居るのだし( ^_^ )。

 かりんと健太。
距離を詰めつつ(詰めざるを得ない事情を背負わされつつ)も、「恋」にまでは まだ発展しない二人の関係を描くのが、巧み。
 ここまで「お互いの本性を探り合っている」事を、距離を取る理由にしてきたが、相互理解が成り立った この後は、無理解そうな兄貴が障害になっていくのかな?

 ポソポソ喋る低血圧キャラ・杏樹が可愛いねえ。
年相応…というより少々幼い印象がある姉に比べ、精神的に老成しているようで。
 姉さえ居なければ、「少女に見えるが実年齢は百歳を超える」って設定だと理解してしまいそう。


2005年11月24日 木曜日

 映画『ブラザーズ・グリム』を見る。
 監督、テリー・ギリアム。主演、マット・デイモン。

 監督の映画は、『バンデットQ』『ブラジル』『バロン』(『ホーリー・グレイル』も)が大好きで、『フィッシャー・キング』『12モンキーズ』は肌に合わず。
近作になるほど面白さを感じ取れなくなっているため、この映画も期待せず見たが…
 うーん、やっぱり面白くない。

 「詐欺師の兄弟が、恐ろしい魔法の森と戦い、子供達を取り戻そうとする話」なのだから、スッキリ素直に撮ればアリガチではあってもエンターテイメントとして一定水準のモノは出来たろうし、テリー・ギリアム独自の感性を大量に混入すれば「ヒネくれた、他では見られない映画」という方向で見る価値が出て来たろう。
 しかし、実際に出来たものは、一般的娯楽作にするには監督の作風が障害になり、歪んだ感性を面白く見せるにはアリモノっぽいストーリーに乗せる作り方が邪魔になる。
どっちつかず、中途半端で、どちらの方向から見ても面白く感じられない映画になってしまった。

 主人公が「グリム兄弟」である必要が、ほとんど無い。
グリム童話についても、ちょこっとイメージを使うぐらいで、ストーリーとは関係ないし。
 「本当は恐ろしいグリム童話」テリー・ギリアム編、というようなモノを見せてくれれば良かったのに。

 例えば、森の奥深くにいる魔女の所へと辿り着くまで、女の子と一緒に一軒家を訪ねる「赤ずきんちゃん」のエリアがあったり、眠り続ける化け物にキスしなければ先に進めない「白雪姫」のエリアにぶつかったり、という単純な構成にして、監督のダークな感性を十二分に発揮してくれれば それだけで楽しくできたような。
「四肢をバサバサ切り落とされても負けを認めない騎士」とか、見たかったなあ(グリム童話じゃねえ)。
 それら、ゾッとする不気味な出来事が元なのに、童話になると随分マイルドになるもんだ(楽しい童話を、よくこんなヒネた映像化できたものだ)、と客に感じさせられれば、面白さにも繋げられたろう。

 森の中は何でもアリの世界観なんだから、グリム弟が幼い頃、騙されて交換した豆がポケットからこぼれ、見る見る伸びて塔に巻き付き、昇れるようになるとか、多少の救済があっても良かったような。
 詐欺に使った道具で魔女さえ騙してしまうとか、「やるなあグリム!」と感心させてくれる所も欲しかった。

 グリム兄弟は、良いヤツでも悪いヤツでもなく魅力に欠ける。
 説明不足で分からない所が多いし、ストーリーのテンポも悪く、森に入ったり出たり入ったり出たりを繰り返すストーリーのモタモタさ加減にはウンザリ。
 狼男のエピソードなど、ナニワ節の泣かせに、あるいは何もかも台無しにするブラックな笑いにも転化できたろうが、放り出しっぱなし。
 魔女が誕生した経緯もよく分からない。
童話として、「深い森に魔女が居ました」から始めれば納得しても良いんだけど、どうしてこうなったのか説明を僅かに入れたため、逆に不足している部分が気になってしまう。

 それは例えば、『コープス・ブライド』なんかも、世界の設定が無茶だし説明も足りていないのだが、ティム・バートン独特の「歪んだ」視点を通して全てが描かれているので、余り気にならない。
 そこまで映画世界を包み込むには、この映画でのギリアムのパワーは不足しているように感じられ、だから不満が湧いてきてしまう。

 『ブラジル』で、世界から理不尽な圧力を加えられる男を演じていたジョナサン・プライスに、ここでは理不尽な力を行使する権力側の男を演じさせているのは、皮肉で楽しい。
 子供を取り込んでいく泥人形、気持ち悪い馬、ちょっとバカなギャグに、美しい美術への拘り。
興味深い所もなくはないのだが、全体のウダウダした雰囲気に飲み込まれ、印象が弱い。

 もっと面白くできた題材であり、監督だと思うので、余計に残念に感じてしまう。


2005年11月23日 水曜日

『ガン×ソード GUN SWORD』19.「素懐の果て」20.「ワンダフル・ユニバース」21.「空に願いを 地には平和を」

 18話を見逃してしまい、凹んでいたけど、気を取り直して三話連続鑑賞。
 おー、クライマックスに向けて大きく盛り上がっていくなあ。

 双子が割とアッサリ片付いたのには驚く。
もっと、凶悪に強い敵となって、立ちはだかってくるモノと思っていたのに。
ああいう子供っぽいキャラクターは、その外見と裏腹な強さがないと、面白く見せられないような。
 ファサリナが、実に悪質に、気持ち悪く、面白く恐ろしく描けているので、余計 双子の取り扱いが不憫。

 ファサリナから、強引に「女」を教えられる事で、「大人」の階段を上った…ような気分になるミハエル。
おバカさんな男の子の思考形態その物で、可笑しいやら可愛らしいやら。
そういうタイプの子だと読んで、的確に対応したファサリナを、さすがと評するべきか。
 対して、「童貞」のヴァン。
そんなアホな…と思ったが、まあ、ありえない話でもないか。
花婿の証であるタキシードをずっと着続けている事からも、そう簡単に、「純潔」(笑)を許す訳にはいかないやね。

 しかし、厳しいテレビ東京規制の中、あそこまでのベッドシーン描写が出来るとは…
いや、直接的には何も描いていないが…そんな言い訳も通じないぐらい えっちなイメージに上がっていたので、よくテレビ局の審査を通ったなあ、と感心。

 レギュラー入りしたジジイ・ロボットチームが楽しい。
役に立つより足を引っ張る事の方が多いような気もするが、まあまあ( ^_^ )。
 ずっと居眠りを続けているジジイを「切り札」扱いしていたが、何か彼に絡んで隠された必殺技でもあるのか、ただ仲間の友情として そう言ってみただけか。

 カギ爪の目的が明らかに。
おー、コレは気持ち悪い(笑)。
世界征服とか、人類皆殺しとか、悪党の目的は色々あったけど、粉々になった自分の一部を全人類に混入し、全てを「自分」にする(彼を全ての人間が受け入れさせられる、レイプされる)…ってのは考えもしなかった、狂った計画。
スゲエ!
 原動力が悪意なのか善意なのかも定かではない狂いッぷり。
 カギ爪が十分「嫌」に描けているので、何とか止めて欲しいと気持ちを入れつつ見られる。
 内面がカギ爪コピーになっていても、バラ播かれるのがファサリナ因子であれば、「それはそれで良いかな」と感じてしまいそうだけど。
いや、彼女は女性である事から、「受け入れさせる」のではなく「受け入れて上げる」行動により意志を浸透させる形になるのかな。
ミハエルに そうしてやったように。



 アニマックスで放送されたOVA『KINGDOM of CHAOS -BORN TO KILL-』01.「Aide」を見る。
 …いや、最初の10分ぐらいしか見ていないから、「一部見た」というのが正確か。

 こういう作品で、特殊な世界設定の説明をするのに、冒頭ナレーションをダラダラ続ける事で済ませようとするのは「最悪」。
内容まで到らず、その時点で視聴者(読者)に投げ出されても仕方ない、ってのは、いくら何でも常識だろうと思うんだけど…
 何の工夫もない、その典型的悪例がココに。

 本編の最初から、説明不足の分かり辛いシーンや、カットが繋がらない間の抜けた演出を続け、キャラクターにもドラマにも吸引力が無く。
 それでも作画さえ良ければ…と思ったが、OVAとして販売された作品のはずなのに、呆れるぐらい絵が酷い。
その上、たまに紙芝居かと思うぐらい動かないし。
 すぐ見続ける理由を失い、挫折。

 第二話の予告を見ると、輪を掛けて作画が悪いようで…さすがにコレを続けて買う物好きは少なかったろうな。



『To Heart2』08.「すれちがう想い」

 双子の姉妹、珊瑚と瑠璃登場。
 しかし…ひたすら主人公を迫害し続ける瑠璃は勿論だが、ちょっと助けられただけで突然 主人公を好きになり、自分がベタベタするのを妬いた(?)瑠璃が乱暴狼藉を働き続けているというのに、それをロクに止めようともせず、酷い目に遭わされる主人公の様子を特に感慨無く見ているだけの珊瑚にも、全く魅力を感じない。
 珊瑚なんてバカ女と関わり合いにならなければ良かったのに、と視聴者に思わせては、拙いだろ。

 別に、アホ系のキャラが嫌いな訳ではないが、こういうポーッとした、常識も他者への配慮も持ち合わせない女の子を魅力的に見せるには、「強烈なマイナス因子(ここでは妹)」を設定しないのが得策。
 そんなオプション無しでも、本人が、主人公の家の窓ガラスを割って勝手に上がり込もうとするぐらい、アホが行き過ぎた厄介な、身近にいても お知り合いにはなりたくないと思えるキャラなんだから。
「そういう欠陥を越えて、なお珊瑚は良い子だと思わせるだけの美点」を、もっと一生懸命アピールしないと。

 瑠璃の方は、「ツンデレ」として、主人公側に折れてくる瞬間を魅力に設定するしかないけれども、酷い味付けをした料理を姉に渡さず全部 主人公が食べてくれた事に感謝する…というのは ちょっとズレているし、その翌日、「デレ」にも移行せずに水鉄砲で訳の分からない決闘を挑むに到っては……どう捉えれば良いのだか。

 この双子より もっと面倒な、常識を外れた女の子でも、描き方によっては十分可愛く見せる事が出来る。
『ラムネ』の七海なんて、相当なマイナス面を背負ったキャラだけど、嫌な気分にさせられる事がないし。
 アニメ製作者が、この双子に愛情を感じていない、ドコが魅力かサッパリ分からないまま、「原作ゲームに出ていたから」という理由だけで取り扱っている事を、感じさせられてしまう。
 それは双子だけの話ではなく、主人公が珊瑚に「ラブラブや〜」などと迫られ、困っている様子を見て、まるで心を動かされる様子がない このみや環、という描写からも感じる事。

 主人公には女性恐怖症の気があるらしいが、そりゃこんな環境に居たら、女の子に夢も希望も持てなくなって当然。
 …女の子キャラが主体のゲームをアニメ化した作品として、そういう感想を見る者に抱かせて良いのかどうか。


2005年11月22日 火曜日

『D.C.S.S.〜ダ・カーポセカンドシーズン〜』21.「二人の魔法使い」

 うーん、問題の根っこは、さくら、及び他の皆が、さっさとアイシアに事情説明しなかった事にあるんじゃないの?
言葉だけで全てが分かってもらえる訳じゃないけど、説明もせず分かれと言ったって そりゃ無理。
 で、蚊帳の外に置かれ、感情的に こじれたアイシアが実力行使を始める頃になり、ようやく、しかも「汚い」部分を除き「美しい思い出」みたいに過去を語ったって、今更 納得してくれる訳がない。

 …と書いて、そういえばこの構造は、何の説明もなくヒロイン・音夢を不在にして物語を進めておきながら、必然性によらず「予定通り」彼女を戻し、当たり前のように主人公の彼女の座に座らせ、周囲もドス黒くなりそうな感情波乱を「美しい」譲り合いの精神で覆い隠し、笑顔で認めている作品全体の現状と同じだと気が付く。
 なら、視聴者の感情がアイシアと同じ軌跡を描くと分かりそうなモノだけど。

 御都合ストーリーであれば、魔法の効能を限定する さくらの言葉だけで、あるいは誰かからの「愛のビンタ」をもって、あっさりとアイシアが納得し、笑顔で魔法を諦める所だろうが…
猛反発させる展開は、意外で、逆に楽しい。
 そんな彼女を すっかり侮って、どうせ大した事も出来ないクセにと予告で述べる さくらがまた、憎々しくて愉快。
 うっかり復活させてしまった桜の木の力で、世界がエライ事になるのか。
頑張ったけどダメでしたけどアイシアは成長しました、という無難な所に落ち着くか。

 ここで語られる「魔法」って、「政治力」「軍事力」身近では「お金の力」辺りに置き換えられるのかも。
迂闊な行使は、そりゃ良い結果をもたらさないだろうが、力を持つ事イコール悪ではない。
要は、正しく使う事。
 さくらも、アイシアに きちんと「道」を教えて上げれば良いのに。
まあ、彼女もまだヒトサマに何か教えられる状態ではないのだろうが。
 それにしちゃ今回、長々 説教垂れていたなあ。
あれは自分に言い聞かせていたのだ、って形?



『仮面ライダー響鬼』40.「迫るオロチ」

 あと、残り10話という所かな。(訂正・7、8話だそうです)
 どうなるかと思われた桐矢。
魔化魍側に転んで敵になる、まで暴走せず終わりそう。
 人格が矯正されて、すっかりイイ奴になる…という方向へも行き着けるかどうか。
 弟子入りして、扱い辛い人格のまま明日夢と共に鬼を目指す、という所まで?
「父親を越えるのに、別段鬼になる必要はない」と気が付きさえすれば、彼の目的は達せられるのだろうが。

 イラっとさせられる事の多い桐矢だけど、弟子入りを目指してヒビキにつきまとい、露骨に「ヒビキがダメならアンタでもいいや」という失礼な態度でイブキと対面し、いくらか学習したのかトドロキのご機嫌を上手く伺って見せ、しまいに 思いもつかなかった あきらの弟子にさえなろうとする迷走ぶりには、笑ってしまう。
 そんなに悪いヤツじゃない、とするための伏線も張ってあるので、性格を転向させれば普通に人気も取れそうに思うんだけど。
そうしたいと、スタッフが思っているかどうか、だなあ。

 桐矢に引き摺られる形で、弟子入りの方向へ動く明日夢。
あんまり誉められた動機じゃないなあ。
 せっかくヒビキに「明日夢」と呼ばれたのに、また「少年」に戻ってしまっても、仕方ないと思える。
 どさくさに紛れ、彼まで あきらの弟子に…ってのも無茶苦茶だけど、ヒビキには真っ正面から断られている訳で、桐矢ほどの闇雲な情熱も持ち合わせない彼には、他にどうすれば良いのか分からなくても仕方ないかな。

 あきら変身。
長く待たされたし、紆余曲折あったので嬉しい展開だが、必ずしも「待ってました!」のタイミングではなく、優秀な先輩鬼達でさえ歯が立たない魔化魍相手に どのくらいの戦力になるかは、未知数。

 「弟子入り」という この作品ならではのシステムを使って、上手くキャラクターを転がせているんじゃなかろうか。
 弟子達の未熟は勿論だけど、教え導くべき師匠側の未熟さも大きい。

 そういえばヒビキは、トドロキの太鼓修行への対応など見ると、必ずしも師匠に向いた人格をしていないんだった。
「まるで力がない」相手には優しく接しても、「出来そうなのに、出来ない」相手だと、苛立ちをぶつけてしまうような。
自分が、鍛えた分だけ確実に能力アップへと反映させられる優れた鬼であり、何でも普通にこなせるので、出来ない人間の痛みに鈍いのか。
 お坊ちゃん育ちのイブキにも、そういうような所がある。
彼は現在、それに気付いて苦しんでいるけれども。
 ザンキが最も師匠向き。
…いや、弟子に甘い、ってのは美点だけど、難点でも。

 師匠連、弟子連の成長を描き、一応の決着を付けなくてはなるまい敵側の事情もまるで語り足りていない現状から、どういうクライマックスへと向かっていくのだろう。


2005年11月21日 月曜日

『ガイキング』02.「俺が選ばれた戦士!?」

 スーパーロボット物として、実にまっとうな第二話。
…逆に言うと、普通のドラマとしてはポコポコ穴が空いている第二話、って事でもあるか。
 家に帰らなくて良いのか主人公、ガイキング側の言い分だけを信じるのか、警察組織とか自衛隊はガイキングをどう捉えているのか、特に苦労なく ほぼ完璧に操縦できるようになった主人公…
考えると、変な所はアチコチ。

 でも、細かい所をすっ飛ばし、勢いで勝負するのがスーパーロボット物。
 女の子乗員との諍いを僅かに描き、敵との戦いで彼女に助けられる事で拍子抜けするぐらいアッサリ主人公は反省、女の子に対し驚くほど素直に謝る事で「パイロットである自分」を認めてもらえるようになる。
実にスッキリした物語。
 しかし、ガイキングの操縦系を把握する事で、機体と自分を一体化して感じる主人公の高揚感、戦いの熱さが、ストーリーを変にヒネっていない事もあってストレートに伝わってくるので、しつこいけど「スーパーロボット物として」正しいと感じさせてくれる。

 キャラクターの作画は冴えず。
 ロボットバトル作画も、予想した通り第一話と比べれば、愕然と落ちる。
 今回はまだ十分見られるレベルだったが、やっぱり画面の迫力が足りないと評価を下げてしまうので、頑張りを期待したい所。


2005年11月20日 日曜日

『BLOOD+』07.「私がやらなきゃ」

 養父の死にショックを受けた弟が立ち直る話。
それを中心に、兄姉の心の動きもフォローしていたが…
 全然 食い足りない。
普通のアニメなら、この話全体、せいぜい10分程度で終わらせるのでは?
残った時間で、理不尽な運命をもたらした者達の情報収集をし、戦う、あるいは戦わない決心をする所まで、もしかしたら新たな敵の襲来ぐらいまでも、無理なく詰め込むだろう。
 時間を掛けてゆっくり描いた分、心情が詳細に描けているかというと、そうでもなく。
相変わらず小夜の内面は、浅い。

 7話まで見てきて、「面白い!」と思わせてくれた所は ごく僅か。
 面白くなるはずのアクションさえ、通り一遍の描写に留まっていて、こちらの心を僅かにも動かす事が無い。
 それでいて大きく破綻している訳でもなく、内容について突っ込むのを、見る者が独自の価値として楽しむ事も難しい。
 あらゆる意味で、自分が好む作品になってくれる可能性は果てしなく低いと思うため、視聴はここまでに。



『交響詩篇エウレカセブン』31.「アニマル・アタック」

 前回からの事だが、必要だったからとはいえ、ゲッコー号で軍の研究所に乗り付けるとは…
 軍とは戦ってるんじゃないの?
「戦争をしてる(する)」って話じゃなかったっけ?
 研究所の所員達は技術バカで旧知でもあり、ゲッコー号に対して悪意を持たず…どころか取り立てて見返りも無いというのにニルヴァーシュのスペックアップまで引き受けてくれるぐらい(純粋に機体への興味があったとして、ホランドらを軍に引き渡した後、ニルヴァーシュを接収し研究しても良かったはず)好意的らしいと理解しても…
 軍は、そこそこ重要な研究をさせているのであろう場所に、見張りの一兵卒を置いておく程度の知能も無いの?
 ゲッコー号は遠くに着陸させ、ニルヴァーシュをトレーラーにでも積んで最小限の人数でコッソリ乗り付け、兵士達に見つからないように修理を頼む…という展開には出来なかったのか。
「ニルヴァーシュやエウレカが兵士に見つかりそうになり、ハラハラ」みたいなイベントも組めたと思うのに。

 コーラリアンって、もっと漠然とした「惑星の意志」みたいなモノかと思えば、具体的形状を持つモンスターの集合体?
アレらは母体を守る白血球のような働きをしているだけか。
 しかし…『トップをねらえ!』に出て来る宇宙怪獣似の奴等だったなあ。
『かみちゅ!』の妙な神様達のようでもあり、攻撃されると こちらを攻撃し返してくる所は『ナウシカ』の蟲を思わせる。

 これらがコーラリアンだというなら、もっと早くその姿を見せていても良かったのでは。
それら異形のモノと対比する事で、その一変種でありながら、人の形を持ち、人のように考え、愛さえ知ろうとするエウレカの異質さが生きてきたはず。

 文句もあるが、長らく疑問に思っていた事の多くに、かなりバタバタとだけど回答が示され、「悪役」達の存在も しっかりしてきた事で、シリーズの見通しが良くなって来た。
 …ここに到るために、無為な暴力を振るうホランドや、人殺しに悩んだり悩まなかったりするレントン、といったエピソードが必要だったのかどうか、まだ分からないが。
今後の展開で、「それがあったからこそ、今がある」と実感させてくれれば文句無いけども。



『灼眼のシャナ』07.「二人のフレイムヘイズ」

 前回、主人公の能力…体に秘めた宝具の能力が判明。
真夜中を過ぎ、一日が切り替わると「存在の力(生命力みたいな)」が回復する、というモノ。
 かなり不死身に近い設定。
真夜中までに死亡した場合だけ、そのまま回復せず消えてしまうのかな?
 力は、「24時間毎に回復」なのか、「新しい一日が始まる瞬間をもって回復」なのか。
真夜中、という時間を超える事で回復するなら、瀕死の重傷を負った場合には、早く日付が切り替わる地域を目指して飛ぶ、という裏技が使えるなあ。

 シャナが随分と柔らかくなってきた。
所謂「ツンデレ」キャラだけど、最初の「ツン」が、主人公を人とも認めない(実際、もう人ではないけど)ぐらい強烈だったため、「デレ」との落差が大きく、楽しい。

 マージョリーも、過去の傷とか配下の男の子達への接し方などで、すっかり親しみやすい、可愛いキャラへと変化。
 前回倒された悪役フリアグネも、いつ豹変して、愛情を注いでいるように見せている人形・マリアンヌを「物」扱いし切り捨てるかと思っていれば、最後までそれは無し。
本気で互いを思っていた様子。
 こういう「弱味」を見せる事で、キャラを ただ設定上だけの薄っぺらな存在にしない工夫。

 そういや今更だけど、マージョリーって…名前、配下の男が二人、「姐さん」というような呼称、自分の欲望に正直、という所から、『タイムボカン』のマージョがモデルになっているのね。

 特殊な用語が多くて、まだ混乱させられる事もあるけど、それら設定にドラマ上の必要性が感じられるにつれ、苛立つ事もなくなった。
 一生懸命に、公式HPでお勉強してでも、付いていく価値アリじゃなかろうか。


2005年11月19日 土曜日

『ウルトラマンマックス』21.「地底からの挑戦」

 冒頭、男二人が森の中の様子をビデオカメラで自分達ごと撮影している所から始まり、『ブレアウィッチ・プロジェクト』を思わせた。
その後も、ニュース映像として状況が説明され、なかなか凝った作り、と思ったが…

 狂った親と、それに苦しめられ続けた娘の葛藤。
 珍しく、怪獣の出現に「国家組織が介入する」設定。
 自らの意志に寄らず改造されてしまったゴモラの悲劇。
 色々なモノを詰め込んだは良いけど、どれも消化不良に終わってしまったような。
親娘…の辺りなんて、父親に狂気が生まれた要因や、そういう父と幼い頃の娘との関係、彼女が最後の最後に残った父親の人間性に触れる(ノートに書き留められたゴモラの弱点や娘へのメッセージ)、あるいは悪意だけで出来た父親をゴモラに見立て それを倒す戦いに何らかの形で関与する事で乗り越えていく、等々、いくらでも膨らませられたと思う。

 視聴者からの登場リクエスト・ナンバーワンだったらしいゴモラなのに、ドラマ部分に押され、ほとんど「ゴモラ」という怪獣である必然性を主張できず。
 ゼットンやキングジョーもだけど、このスタッフは本当に旧怪獣への思い入れが弱いなあ。

 切り落とされたゴモラシッポの、『ギャートルズ』マンモス肉のような切断面。
それが独立した生き物のように動き、身代わりとなってマクシウムカノンを受ける所。
 そこいらは面白かったんだけど…最後は いつも通りマックスギャラクシーで一閃。
物足りない…
 旧怪獣を出す話なら、基本的にその怪獣の魅力を十全に引き出すための物語作りを心懸けるべき。
余程ドラマパートに自信があれば、そちら中心でも構わないが…これまで満足のいく出来の話は無いなあ。
 いっそ前回の話と怪獣を入れ替え、「強力麻酔で眠り続ける凶悪怪獣ゴモラが、空輸中、街に墜落。起こしたら大変なので、静かに運び出そうと苦労する話」にでもした方が、怪獣を活かせたのでは?

 わざわざ戦闘後にゴモラの死体を残し、陰謀国家がそれを引き取っていった、という見せ方をしたのは、今後バイオ改造されたりメカゴモラとなって再登場する可能性がある、って事?
 悪いオヤジが まだ生きている…かも?らしいので、今回の話は これだけで終わりじゃないのかな。
 この後の話は、DASHやウルトラマンが絡まない、娘の個人的戦いとして続けられていく?



『ラムネ』06.「三人と二つの真珠」

 ひかりがメインの話。
 あー、今更ながら、この作品の登場キャラは全員、幼児期に何らかのトラウマ…という程のモノでもないけど、多少の「傷」、引っ掛かりを持っている訳ね。
それが この夏に、主人公との関わりの中で、解消されていく構成になっている。
 ひかりの場合のそれは、小さい頃、浜辺で見つけた貝の中にあった、二粒の真珠。

 二つしかない物は、三人では分けられない。
 ひかりは、主人公と二人で持っていたかったのかも知れないが、七海を仲間はずれにするのも躊躇われ…
 七海は「女の子の憧れ」と言った事からも、欲しかったのだと思うけれど、主人公を外して自分がもらう選択を出来る性格はしていない。
 何か決意したような幼児ひかりの表情から、もしかして「あんたたち二人にあげる」と言おうとしたのか。
しかし、先に二人から やんわり拒絶され、結果としては「真珠を持つひかり」だけが「持たない二人」から、逆に仲間はずれにされた格好になってしまう。
 もう一度彼女が二人と同じ位置に並ぶには、その場で真珠を海に投げ捨て全員が「持たない者」になる、って手もあったと思うが、そう決心できなかった彼女は、長い時間をかけ、分け合うのに足りるよう あと一粒の真珠を探し続ける事になる。

 事情を聞いて、真珠を探しに主人公が海へと飛び込むのは まあ当然だけど、一緒に探してやる友人は、なかなか良いヤツだなあ。
 ひかりに踏みつけにされながらも、全然気にしてない辺りが。
諦めが悪いとも言えるか。

 男共が探してくれた真珠を自分が受け取り、昔のを二人に渡す心理は、「あの日 出来なかった選択を現実にした」のか、「主人公が探してくれた真珠は自分のものにしたかった」女心か。
 こういう、まあ言えば些細な出来事を、一本の話にして見せるのが実に巧みな作品。



『舞-乙HiME』07.「蒼の舞/乙女の契り」

 物語中に、仕掛けというか伏線というか、が多すぎ、何を主題と受け取って良いのか迷わされる部分も。
 加えて、ワガママ姫・マシロは実は替え玉ではないか、という疑問まで提示される。
わざわざ こう言うからには、既出の誰かが本物の姫なんだろうな。
 マシロ姫って何歳?チビだけど、アリカ達と同い年なのかどうか。
それにより、本物姫の候補者数が愕然と変わってくるなあ。
 現在 王国を、マシロを狙ってきている工作員達こそが、本物姫を擁立して王位の奪還を計る勢力だ、という可能性もあるのか。

 アリカとマシロの間で契約が結ばれる。
 その印であろうイヤリング・指輪の石は、(特殊な)場合によっては割れてしまうモノみたいだし、体への取り付け・取り外しも可能そう…となると、契約を無効にするのは そう難しくないような。

 肉体労働を苦にしないアリカの逞しさ、自分を否定される事で生じるマシロの孤独…キャラクターの描き方が上手いなあ。
 クセのあるキャラが多い作中では、真っ直ぐなアリカは影が薄くなってしまいそうだけど、ドラマを回す中心にいつも彼女を置く事で上手くフォローし、「彼女こそ主人公なのだ」と無理なく感じさせてくれる。
実に上手いもので。

 追記・上記の疑問のほとんどに対し、MATS さんが解説を加えて下さいました。多謝。


2005年11月15日 火曜日

 えー、毎度ご迷惑をお掛けしております、〆切前 悲惨進行の時期がやって参りました。
 何だか、ペンギンクラブなどの雑誌を「未成年者が」立ち読みできないように貼り付けてあるシール、アレが要請により今後もう一枚増やされ、二枚になるそうで。
 シールを貼る作業って、機械じゃ無く、全部 人間による手作業だとか。
二枚に増えると手間暇も二倍、という訳で、その作業時間を取るため、原稿〆切も前倒しに。
 うわー、全然嬉しくない!

 などと泣き言を並べても仕方なく。
 金曜日一杯まで、更新は難しくなるかと思われます。
悪しからずご了承下さい。


2005年11月14日 月曜日

 AXNで放送が始まった米ドラマ『LOST』の第一話を見る。
 無人島に墜落した飛行機の生き残り乗客達の物語、と聞いていたので、人間関係がメインになり、中に殺人鬼が紛れ込んでいて…とか そういう展開かと思ったが…

 えー?『ジュラシック・パーク』
いや、タイトルからすると『ロスト・ワールド』と言うべきか。
SFなの?
 この島には、巨大な?生き物を含め、様々な謎が隠されている、って事で引っ張るつもりなのか。
人間関係とかキャラそれぞれの内面とか、そういうモノも今後は勿論関わってくるのだろうが。

 一話目は緊張感があって、なかなか面白かったけども…これ、長く続けられるような題材かなあ?
 エミー賞を取っている、という事から、客の興味を離さない構成に出来ているはずなので、しばらく視聴継続してみよう。



『ウルトラマンマックス』20.「怪獣漂流」

 オリジナルウルトラマンのスカイドン話を思わせる、何もしない怪獣にDASHや市民が振り回される愉快話。
 ギャグで三池 崇史監督の担当回「わたしはだあれ?」を越えるのは、まず無理だろうと思っていたが、コレはなかなか、並ぶぐらいに良い出来。

 ネタのヒット率が高く、かなり笑わせてもらった。
それだけでなく、DASH機に引かれビルの谷間ギリギリを通り過ぎていく怪獣には緊張感と巨大感があり、多摩の団地上空を漂っていく怪獣は絵のイメージと合成技術が実に美しい。
怪獣モノの楽しさと高揚感がきちんと示され、嬉しくなってしまう。
 DASHが役立たずでなく活躍するのも、イイねえ。
…長官とか隊長はナニだったけど。

 冒頭、一家庭の上空に怪獣が浮かんでいる絵が抜群に面白かったので、アチコチ漂流させるよりココに留め、「一度怪獣を地上に降ろそう」と提案するDASHに対し、一家の長が「冗談じゃないウチは怪獣保険に入ってないんだ!大体アンタら市民の被害について無頓着すぎじゃないの?」などと言い返させ、市井の一家庭 対DASH、の変則マッチを見せる展開でも良かった。
 音を出してはダメ、という制限にしても、この家庭とご近所に限り、「ウチの家のために頼みます!」と「だってさあ、気を遣って生活するの不便で。私の家は落下地点から外れてるし.」というような、エゴが衝突する形にする手もあったかと。


2005年11月13日 日曜日

『ドラえもん』「けん銃王コンテスト」「おおかみ男クリーム」

 前半。
 のび太の数少ないプラス方向の特技、「射撃の腕前はガンマン並み」をハッキリ見せてくれる話。
 指一本につき一発の弾を発射できる事にして、街を無法の西部に見立て、「眠らせるだけ」の効果で安全に(車道で眠り込むのは危ないかも)バトルロワイアルしていく子供達、というアイディアが素晴らしい。
 珍しく、ドラえもんの力に頼らず、五分の勝負で余裕ある対応を見せる のび太も、無駄に格好良くて結構。
 ジャイアンの計略により、全弾撃ち尽くしてしまった のび太が取る、一発逆転の方法は…
武器が拳銃でなく、個々人の四肢…「指」に付けた銃弾(衝撃波?)であって、他者が取り上げる事は出来ない、という固定概念を逆に突いた、実に面白いアイディア。
原作を読んだ時にも、唸った覚えが。



『蟲師』04.「枕小路」

 原作で読んだ時から、不思議な、何とも言い辛い話だったが、それはアニメになっても同じ。
 夢で予知をする男…と見せて、実は夢の内容を現実にしてしまう男だった、というひっくり返し方は、「読者の意表を突く」ための構成にはなってないので驚きはしないが、なるほどと思わされる。

 物語内容が、「奇譚」であり、何かテーマを伝えるために作られた話(『キノの旅』とか)ではなく、感想が書き辛い。
 今回の内容は、「予知夢を見る男を、ある時は便利に利用し、問題があれば非難する、身勝手な村人が、その身勝手さ故に被る悲劇」に出来たろうし、「夢を用いて全てを我が物にしようとする男が、コントロールしきれない無意識に押しつぶされていく過程」として描く事も出来たろう。
でも、どちらでもなく、何かを読み取ろうとすると困惑するばかり。

 それでいて、構成が破綻しているとか、苛立たされるような不快な話、という訳では勿論なく、最後まで引き付けられる魅力がある。
 せめて、男が蟲を斬ると共に死ねば、あるいはずっと生き続けてくれれば、明確な感想を持ちやすいが…生き続けられる状態であったにも関わらず、時を経て精神をやられ、自刃して死んでしまいました、というコレがまた難しい。

 いや、「もの悲しい、不思議な話だなあ」と素直に感じ取ってくれるのが、原作者・アニメ製作者にとり、一番嬉しい事か。



 映画『コープス・ブライド』を見る。
 監督、ティム・バートンによる、モデルアニメーション作品。

 キャラクターの造形から性格設定、世界の表し方やドラマの組み立て方まで、ティム・バートンのフィルムだとしか言い様がない。
監督、若干 優しく、丸くなったかなあ、とは思ったりするけど。

 もっと馬鹿馬鹿しかったり下らなかったりするのかと考えていたが、一編のお伽噺として、キレイにまとまった物語。
 主人公ビクターと、花嫁ビクトリア、死者の花嫁エミリーにそれぞれ暗い側面、葛藤を用意してある。
そんな生者と死者の花嫁が、開放に繋がる「結婚」を求め、主人公を巡って激しい争奪戦を繰り広げ…とは「ならない」。
 このメインキャラクター三人、及び死者の国の住人達には、悪意らしい悪意が無いからなあ。
 怨み・憎しみ・軽蔑・欺瞞、そういったものは生者のみが(教会の牧師でさえ)抱え込んでいるマイナスの素養。
それら しがらみから解放された死者の国の住民達は、もう底抜けに明るい。

 以下、内容に触れるので注意。



 エミリーの心残りは、「結婚したかった」という事。
それを「執念・怨念」を込めてダークに描けば、更に強烈なキャラクターにもなったろうが…作中で彼女に向けられる視線は、あくまで優しい。
監督の嫁さんが声をあてている、ってのも理由になるだろうか( ^_^ )?
 比べると、生きた花嫁ビクトリアは ちょっと弱い。
結婚の誓いのリハーサルで、消えてしまったビクターのロウソクに後ろからそっと火を分けて上げる仕草とか、「ああ、良い子なんだな」と感じさせてはくれるけど。
 周辺の強烈キャラに喰われがち…まあそれは主人公もそうで、そういった線の細い、気の弱い生者二人が、幸せを掴めるのかどうか…という所にも主題はあるのだろうが。

 ラストシーンの幻想的な美しさ、切なさには、ホロリ。
 思い返すと、「あれ」はファーストシーンで、結婚の重責から開放されたいビクターの心を表し、空へと放たれていた。
彼女も、自由になれたんだな。

 人形の造形、表情の豊かさは、凄い。
『ナイトメア…』にも感心したモノだけど、時代と共に技術は進化するねえ。
 ウエディング・ドレスからチラチラ覗く、エミリーの左脚ラインの色っぽさには、ドキドキ…右脚は骨だけど。
いや、そういうアンバランスさと、両足が揃っていないという「欠け」こそが、逆に魅力を生み出しているのかも知れない。
 ガイコツ犬・スクラップスが可愛くて。
ウチの駄犬が死んだ後、こういう姿になって帰ってきたなら、問題なく喜んじゃうなあ。
ご飯食べてくれそうにないのは寂しいが。

 怖かったり不気味だったりするシーンなど無く、全編楽しい上がりで、子供から大人まで楽しめる内容。
 面白かった!


2005年11月12日 土曜日

『ラムネ』05.「星空と望遠鏡」

 妹メイン話。
 主人公兄妹は特に問題なく上手く行っている様子であり、どんなイベントを用意できるのかと思ったら…

 ああ、本当に小さな、昔からの いきさつ。
何気ない理解のすれ違い。
 七海、幼い頃とはいえ、珍しく強い独占欲を見せたなあ、と思えば…
やっぱり拍子抜けするぐらい良い子だったか。
 鈴夏は、恐らくは自分の考えを投射して、七海の中に敵意や悪意を感じたのだろうが、余りにも澄んだ実際の彼女の心を前に、「敗北」を悟り、兄を任せても良いと思ったのかも知れない。
 主人公争奪レース(この作品では、実にゆるいけど)からの脱落を描くエピソードとしては、とてもキレイで、気持ち良い内容。

 こんな小さな話を、嫌味無く、面白く見せるのは とても難しい。
 かなり高い作劇能力を用いて構成されている作品なんじゃないか、と思える。



『ガイキング』01.「大空魔竜が来た!」

 シリーズ構成の三条 陸って、『DRAGON QUEST−ダイの大冒険−』『冒険王ビィト』の原作者・三条 陸?

 最近見ないタイプの第一話。
何というか、一昔前のロボットアニメの冒頭を思わせる、かなり強引なスタート。
 主人公少年と大空魔竜の因縁をちょっと描いたら、とにかく怪ロボットを街に出現させ、段取り抜きで少年をガイキングに乗せて、訳も分からぬまま勝利させる。
あったあった、こういうの。
 元々の『ガイキング』も、最初は相当に無茶な始まり方をしているからなあ。
『ゲッターロボ』の搭乗者は、「博士の娘の同級生達を、急場しのぎに乗せてみた」事で決定されたのだし。

 ロボットバトルの作画は、「入魂」の一語。
パワフルであり、細かい所に凝っていて、ロボット好きなら「おお!」と思える出来。
 キャラクター作画の崩れ方とは次元の違う出来…まあ「ロボットアニメ」である以上、力の配分はコレで正しいのだと思う。

 モリ一本で巨大ロボに立ち向かっていく少年、という絵作りには、熱血主人公の遺伝子が感じられ、馬鹿馬鹿しいながらも楽しい。
 「少年漫画」としては、主人公がガイキングに乗り込む切っ掛けは、逃げ遅れた幼児のため自分に怪ロボットの注目を集めようとして危機に陥り…とか、「正義」の理由付けがあっても良かったかな。
ガイキングに選ばれた搭乗者、という設定もあるようだから、なおのこと。

 今後、ストーリーは、思い切り子供向けに、ロボット物の王道を進んでくれると嬉しい。
 あとは、毎回とまでは言わず、数回に一度、今回レベルの戦闘作画が見られれば、楽しく見続けられそう。



『SoltyRei』06.「愛娘(まなむすめ)」

 バカさ全開な前回の話とは打って変わって、ハードボイルドな内容。
 体が不自由な娘のため、正体を隠して犯罪まで犯す父親と、彼を悪辣に利用する黒幕…
という辺りは、悪くないけどちょっとパターン気味。
 しかし、大抵の事に必要以上の関心を示さないロイを、今回登場した父親に対しては、厳しくも優しく振る舞わせる事で、彼もまた娘のために必死になっているのだと理解させ、彫り込んで見せたのは上手い。

 ラストは…
父親死亡エンド、娘はその偽りの思い出を胸に力強く生きていく…とする無難な形にまとめるかと思えば、「娘は全て知っていた」というのと「実はオヤジ、生きてました」というヒネりを加え、不思議と気持ち良い終わり方にして見せてくれた。
 ここのところ、面白い話が続くなあ。
波に乗ってきた?


2005年11月11日 金曜日

『舞-乙HiME』06.「ニナ、まかれる…orz」

 テレビ東京の厳しい表現規制の隙を突く、えっちなサービス満載話。
前作もそうだったけど、「キャラを脱がして直接的に裸を見せる」以外にも、工夫次第でいくらでもモヤモヤさせてくれるシーンを作る事は可能なのだ、と感心させてくれる。
 製作者のエロ妄想度数の高さは、スゲエや(誉めてる)。

 ストーリー自体は、ここまで、基本設定を紹介したり騒動の種を播くだけで、本筋には入っていないと感じる。
普通なら、前置きはその辺にして早く話を進めろ!と言いたくなる所だけど…
 前作は、本筋よりも脇道に逸れた無駄話の方が ずっと面白い作品だったので、微妙。



『かりん』02.「あたしの好みは 恥ずかしい」

 ヒロインや家族の設定紹介、彼女と関わる事になる男の子の意味、その母親を巻き込んで起こす事件…第二話にふさわしい内容で、手堅い構成。
 だからどこも悪くないのだが、「この作品ならではの強烈な魅力」というようなモノは、ここまで実感できず。
 もう一押し、欲しい所だなあ。



『IGPX』06.「犬vs猫」

 マスコット(もっと意味のある存在?)が猫と犬であるチームの戦い。
…という事で、それぞれの動物の特性を出した戦略・戦術が見られるのでは、と期待したけど、そうでもなく。
 「犬」なら、ベタだけど、元軍人や警察官といった、規律第一、命令には絶対服従、完全にチームワークが取れた集団の方がそれらしい。
そういう相手と戦ってこそ、気まぐれに戦法を変える「猫」っぽさを持つ、主人公チームの異質さが生きるのでは?

 とにかくレースシーンが、どこをどう楽しめば良いのか分からない出来なので…
 犬と猫の作画は可愛かったけど、それだけ。
 面白くなりそうな要素が山盛りあるのに、勿体ないなあと思いつつ…視聴はここまでに。


2005年11月10日 木曜日

『ガンパレードオーケストラ』06.「黄金の七人」

 欠乏した戦力を補給してもらうべく、師団本部へ赴く中隊。
 …しかし、ツッコミ所が多すぎて、どうしたら良いのだか途方に暮れる話。

 中隊構成員のほとんどが師団本部への旅に同行。
いくら戦闘可能な機体が少ないとはいえ、前回のように生身で幻獣を掃討せよという指令だって下る訳で、部隊が機能しないような状態にして直訴しても、その「直訴に来た」事実そのものが問題とされ、要請を受け入れてもらえなくなる可能性がある、とは考えなかった?

 師団本部のエライさん。
中隊を役立たず扱いするのは良いんだけど、実際のストーリーでは、中隊はかなり重要な戦力として描かれており、矛盾を感じる。

 そして何より…
支給が受けられないのに苛立った中隊メンバーが起こす、物資強奪の暴挙。
 この世界では、コレは どういう罪に当たるのかなあ?
慢性的に物資が窮乏している状態なら、余計「一中隊が実力行使で物資強奪」なんて事を許す訳にいかないだろう。
「死」を睨んだ戦いにも兵士を向かわせなければならない軍の規律が乱れ、使い物にならなくなってしまうから。

 主人公…まあ、部下がトラックで逃走を始めた時点でもう どうしようもないのだろうが、彼女にまで暴走を加速するような愚挙を犯させるのは…うーん……
 せめて、彼女が咄嗟に思い付く意外な手段で、脱出を成功させて欲しかった所。
仮にも、サブタイトルに「黄金の七人」を使うなら、なおのこと。
 前回もそうだったが、彼女が示すのは「蛮勇」と言っても良い勇気だけで、それは、中隊長に第一に求められる資質と言えるのかどうか。
 特に今回は、何の勝算もない行動であり、普通なら全員 射殺されて終わるのが筋。
 もう少し彼女を、頭の良い、適切な判断が下せるキャラクターに描くべきでは。

 凄く補完して見れば、この世界の軍隊は「学校」に相当し、上官は教師か生徒会役員。
主人公達は弱小クラブといった所で、学園祭の出し物のため垂れ幕など資材を要請したが、生徒会に却下され、怒って倉庫から実力行使で盗み出した、というような感じなのかも。
 そういう話を構成するには、必要な「高揚感」とか「馬鹿なノリ」成分が不足しているけど。
 それに、そう理解させるのなら、今後シビアな展開とか悲劇的な戦いを描かれても、まるで乗って上げられなくなるのだが…構わない?



 スーパーチャンネルで、『エンタープライズ』第3シーズンの放送が終わる。

 今シーズンは、地球人を滅ぼそうとする異星人の集合体ズィンディの本拠を突き止め、その計画を阻止しようとするエンタープライズの行動を描き続けてきた。
 ストーリーには9.11以降のアメリカの空気が色濃く反映されており、他シリーズのような「宇宙大冒険」の雰囲気は薄い(『DS9』も、割と薄かったか)。

 地球は、ズィンディの先制攻撃により既に700万人の犠牲者を出していて、その状況を受けた船長・アーチャーの行動原理には、「復讐」の気持ちさえ窺える。
そのため、全体に作風が暗く…シリーズの途中までは余り面白く感じられなかった。
 しかし、怒りを原動力とする地球人の行いに「やりすぎ」な面が見え始めると、逆にダークな魅力が生まれて来る。
 捉えたズィンディに対し、信頼関係を結んでおいて、それを利用し卑劣とも言える罠を仕掛け、情報を引き出そうとする。
航行不能に陥ったエンタープライズを修理するため、必要なパーツの強奪を試みる。
 アーチャーは どんな汚れた手段でも取る。
全ては地球を救うために。
 この徹底ぶりは、「負」のカタルシスを生み出していて、いっそ清々しくさえある。

 今シーズンのラスト数話は、危機また危機の連続、派手な艦隊戦も展開され、実に見応えがあった。
ダークなストーリーに付き合ってきた甲斐アリ、と思わせてくれる。
 『スタートレック』世界には相応しいかどうか…と感じていた正規軍人の搭乗者が、最後の方は かなり良いキャラに育っていて、ちょっと胸を熱くさせてくれたりするのも嬉しい所。

 ただ、この暗い内容が、次のシーズンで放送を打ち切られる事になった要因にもなっているんだろうな。
 皆が『スタートレック』に期待しているのは、こういうモノではなかった、と。


2005年11月9日 水曜日

 レンタルで映画『機動戦士Zガンダム -星を継ぐ者』を見る。
 新たな解釈で、テレビシリーズを再編集した劇場版、その第一作。

 テレビシリーズを見ていないと、まず何が何やら分からないだろう。
基本となるティターンズとエウーゴの組織概要、どういう対立の図式になっているのか、という所さえ理解が危うい。
 まあ、この一作目で その辺りは余り重要でなく、「悪いらしいティターンズって団体と、比較的マシっぽいエウーゴというグループがケンカしてるのかな」程度に分かれば良いのだろうが。

 新作画はともかく、テレビ版をそのまま使っている部分は、作画クオリティーもだけれど、画面の粒子自体が荒くて参る。
 昔のフィルムだからとはいえ…デジタルで補正などすれば、もう少し綺麗な画面に出来たのでは?
劇場で公開する作品なのだから、もっと気を遣って欲しかった。

 カミーユの、ウジウジとしたシンドいエピソードをバッサリ切り捨てた事で、分かり辛くもなったろうが、同時に見易くもなった。
 ストーリーを整理し、カミーユよりもクワトロとアムロを中心に据え、二人の再会をクライマックスに置く事で、一本の映画としてまとまりが良くなったように思える。

 多くの新作画で構成される、大気圏突入戦と、続くジャブロー脱出戦は、迫力があり見応えも十分。
 すっかり見慣れた「ロボットの居る風景」を、まだハッとするような新しいレイアウト・演出で見せてくれる、富野監督の懐の深さには感心。
ガンダムの掌に乗り移ったアムロの不安定さを表す見せ方なんて、タダ事じゃない。
 やっぱり、再編集フィルムより、脂が乗ってきた現時点の監督の実力が遺憾なく発揮される、新作画で全編を見せて欲しかったなあ。
それは、『リーンの翼』に期待するべきか。



『魔法少女リリカルなのはA’s』06.「それは小さな願いなの(後編)」

 はやてとヴォルケンリッターの出逢い、本来は深い人格を持ち得ないはずの四人が、現在の状態に到るまでの経緯を、描いて見せてくれた。
 何だか毎回言ってる気がするけど、いや、泣ける泣ける。

 何代にも渡る主に、ただ使えてきたヴォルケンリッター。
塔を受け継いだバビル二世に付き従う、三つのしもべ、って位置なのかな。
 代々の主は高圧的に振る舞い、彼女らを物のように扱っていたらしい。
主は、ただ力への欲求のためにヴォルケンリッターをコキ使ったかも知れないが、三人も絶対服従の美女が揃っているという事で、男の主なら、あるいは……
 彼女達、元々しっかりした人格を与えられていなかったんだろうけど、加えて、永遠に続くような精神的苦痛に耐えかね、自ら感情の動きを封じた部分も、あるのかも。

 彼女らの苦しみと、先代までの主による悪行が僅かでも見られると、優しい はやてとの差異がよりハッキリしたろう。
はやてが彼女らに「家族」であって欲しいと願い、彼女らも はやてのために「人」でありたいと願った事で、データ上はあり得ないと思われた「奇跡」が起きたと、分かり易くなったのでは。
 いや、作中で描かれただけでも、分かるんだけど。
 「人として産まれるのではない、人になるのだ」
 大切に思われ、大切に思う、穏やかな関係。
もう泣ける泣ける。
 はやての命を救うため、ただ一つの約束を破り、どんな苦痛も跳ね返して戦うヴォルケンリッターの姿は、「悪役側」に据えても輝いているけど…スピンオフで彼女らをヒロインとしたシリーズも作れそうなぐらい、魅力的。

 はやては、もしかして闇の書のページが埋まり、所有者として覚醒すると、肉体的に完全な状態になるのと引き替えで、冷酷・強欲な闇の人格へと転換してしまうのかも。
 自分達を「モノ」扱いし始めたダーク・はやての命令に従い、それでも生きていてくれれば良いと、優しかった彼女の思い出だけを胸に命を賭けて戦うヴォルケンリッター。
…っていうのも泣けそうだなあ。

 クロノの師匠である双子の使い魔が初登場。
それはそれで面白そうなキャラクターだったけど、今回はもうヴォルケンリッターに全部喰われた形。


2005年11月8日 火曜日

 冬コミケ、無事 受かりました。
 12月30日(金)・東ア-06a・白昼書房
です。
 年末進行で、例年通りスケジュールは無茶苦茶になりそうですが…合間を縫って何か本の企画を考えたいと思っております。



『To Heart2』06.「七輪と少女」

 電波少女・るーこ登場。
 彼女は、自らを宇宙人だと言い張り、「普通の人でも妄想できる程度に」宇宙人っぽい行動を取る。
いや、マッチが通貨(しかも相当高額な)になっているとか、校庭に綺麗なUFO誘導図形を描いてみせる行動力とかは、「普通」を越えてるな。

 前シリーズでは、学園に何気なくロボットや超能力者が居た作品なので、宇宙人が混入していても不思議ではなく、果たして設定は本物と妄想、どちらにしてあるのか興味を持って見ていたが…
「落雷を招いて樹木を折る」シーンからすると本物だけど、たまたまでしたと言い抜けられない事もない描き方に終わり、今回はハッキリせず。
 まあ、こういう不思議少女は、その正体を明らかにしない間が一番面白いな、とも思う。

 前回登場した、花梨が主催するミステリ研。
てっきりその場限りの扱いになるかと思ったが、こういう不思議系キャラと絡ませる事で、意味を持ってくる訳ね。
なるほど。
 「本当は、心の空白を埋めてくれる誰かを求めており、ミステリーの追求は二の次」という女の子…じゃなくて、「ミステリー追求のためなら、誰か(主人公)に無茶な要求を平然と突きつけ、犠牲にする事も構わない」子だった。
面白い性格付けではあるんだけど、ヒロインにするには黒すぎるなあ。

 主人公、るーこを尾行する愚挙を謝ったすぐ後、強制されたとはいえ…猫に探知機を取り付けようとするのは、主体性が無さ過ぎて どうだろ。
 花梨が探知機を取り付けた猫を、主人公が見つけ、可哀想に思い外してやろうとしたが暴れて川に落ち…というような展開でも良かったのでは。



 映画『仮面ライダー THE FIRST』を見る。
 「原作者・石ノ森章太郎による漫画版をベースに換骨奪胎したもの(公式ページ)」

 現代風に手を入れられ、しかし基本はテレビシリーズのものであるライダー・スーツは実に格好良く、コレが出てくるだけで嬉しくなってしまう。
 アクションも、なかなかに頑張っているのでは無かろうか。
多くのシーンを生身で見せている所は、ハリウッドのデジタルエフェクト映画を見慣れた目に物足りなくも感じられるが、「仮面ライダーっぽい」とも思える。
 せめてライダーキックにぐらい、いかにも怪人の体機構内部まで効いてそうな効果を付け加えて良かったかな。

 主演役者のお兄ちゃん、お姉ちゃん達の演技には難が。
「改造された哀しみ」も「愛する者を奪われた憎しみ」もだけど、一文字が見せる「キザ」なんて、説得力のある形で見せるのは かなり難しいもので、演技のたどたどしさと相まって、見ていて辛くなるようなキャラクターになってしまっている。
 デジタル加工されて出演する天本英世の勇姿は、オールドファンに嬉しい所。
 ショッカー幹部として出てくるDA PUMP兄ちゃん、さすがに無理を感じてしまったが…僅かでも集客力を上げようという努力であり、仕方ないのかな。

 ストーリー。
これが問題で…本郷が改造される辺りまでは、テンポ良く進む事もあって入り込んで見ていられるが、その後はどんどん焦点がぼやけていき、物語から求心力が失われ、退屈さえしてしまう。
 本郷を殺人犯だと疑いながら、警察に話さないヒロイン。
 恐ろしい組織から逃げ出した身なのに、普通に大学に出て、研究発表など行っている本郷。
 洗脳が解けた本郷。そして、彼を追う役目を持たされた一文字の洗脳も、何となく解けてしまう(最初からしていない?)。
 それ自体は悪くない話だけど、ウエンツ瑛士と女の子のエピソードに時間を取りすぎていて、観客の興味を分散させ、緊張感を薄めてしまうのも拙い。
意味を持たせているのは分かるけれど、厳しい時間制限を考えるなら、これは削る方が良かったと思う。

 画面的にも拙い部分が多く…
ヒロインと笑いながら渚を駆け回る本郷、バーで指輪をグラスに沈めるヒロインを口説く一文字…古いというか何というか、キツい。
 こんなセンスまで原点回帰しなくても良いのでは。

 この映画で出てくるショッカーって、まだ駆け出しの悪の組織?
怪人数が少なく、改造希望の人間 随時募集中(拉致中)という雰囲気だったし。
 まだ改造技術が過渡期にあり、不安定だとすると、すぐ解けてしまう洗脳にも納得がいく。
 組織としての行動も、世界征服レベルまでは行かず、取りあえず自分達の母体の邪魔になりそうな者を排除している段階?
 それにしても、誰でも改造すりゃ良いってモノじゃないだろ。
厳しい選抜の基準を見せて欲しかったな。
条件が満たされず、改造「されない」者を見せるとか。

 イメージする「変身」ではなく、スーツを着込む形でライダーになるのは、原作に沿っているので良いとして…
敵改造人間達まで、同じように人の姿にスーツ、という描き方にしたのは善し悪し。
 スーツ側に仕込まれた機能も用いて特殊能力を発揮してるんだろうけど、どうも蜘蛛やコウモリの「コスプレをしている」ように見えてしまう。
 ライダーだけ、特殊任務に備えて人間体がベースという設定にし、他の怪人達は人間の姿を見せないか、体組織が変化する形で変身させても良かったかと。

 高所から飛び降り、足のバネで着地の衝撃を殺し、軽く跳ねてみせるライダー。
 助けようとした少女を意図せず改造パワーで抱きしめ、病院送りにしてしまう本郷。
 ダブルライダー揃い踏みで、変身ポーズを真似たファイティング・ポーズを決めるシーン。
 燃える、良い所もあるんだけど…

 ライダーの、改造された哀しみ、怒り、強さ。
ショッカーの、怪人軍団の、恐怖、非道。
どれを突き詰めても、もっと「見たかったライダー」に近づくと思うのだが、漠然と色々なものを描こうとし、結果として全てが薄くなってしまったような印象。
 テレビシリーズならともかく、限られた時間しかない映画では、「どこまで詰め込めるか」より「どこまで削ぎ落とせるか」を、もっと考えて欲しかった。


2005年11月6日 日曜日

『交響詩篇エウレカセブン』29.「キープ・オン・ムービン」

 う〜〜〜ん…
ここまで延々と引いてきた物語最大の謎、「エウレカとは何者か」という疑問に、セリフの羅列だけで答を出してしまうのは如何なものか。
 しかも、「今こそ正体を明かす時」と思えるストーリーの流れでも何でもなく、タルホが感情に任せて喚く形で、実に唐突だったし。
 コーラリアン、という設定に対して説明がまるで足りていないのに、エウレカはコーラリアンだ、と言われても、はあそうですか、と反応する以外に無く。
何をどう受け取って欲しいシーンだったのだろうか。

 この辺も『エヴァンゲリオン』からの悪しき影響で、「リリンかと思ったらリリスだった(逆?)」というような、その場では まず意味が読み取れない説明をもって、謎を解いているように見せつつ更に増やしていく手法を真似たものなのかな。
 エウレカ=コーラリアン、を実感的に描くシーンでは、もっと衝撃的な演出を見せてくれる…んだよね?

 惑星全体が未知の生命体である、って事で考えると、その動きを封じる杭・パイルバンカーはロンギヌスの槍?
死を迎えさせられようとした惑星が見せる苦悶が、異常現象として現れているのか。
 「この星を支配したり殺そうとするのではなく、共生していくんだ」という達成点を目指し、星から差し伸べられた手がエウレカ?
 いや…考えても よく分からないや。情報不足だし。
一生懸命に推察したくなるような謎の提示でもない。

 ゲッコーステイトって「戦争」をしてたのか。
どうも見ていると、軍にケンカを売っては罪もない下っ端軍人をブチ殺しており、軍は仕方なく「極悪犯罪グループ」として彼らを追ってきているとしか。
 エウレカを守って行くにしても、もうちょっとマシな生き方は選べなかったのかなあ。
 ゲッコー号がある意味も知らず、殺人を日常的に行っていた多くのメンバーは、ただの殺人者…って事になる?

 平行して描かれた爺さんとドミニクのエピソード。
「ピーキーのチューン」にレントンと血の繋がりを感じさせられて笑ったりで、悪くなかったけど、「二人はここで一度顔を合わせています」以上の意味を持たせてなく、残念。
 ゲッコー号に残る理由を確立するレントンに対し、軍で戦う意味に疑問を感じるドミニク、といった調子で、対立の図式にしたり出来たろうに。

 あと、非常に高いレベルで安定していた作画が、二回連続の夫妻猛攻撃話で消耗してしまったのか、若干崩れ気味(この作品としては。普通に見れば十分許容範囲内)だったのも残念。



『ウルトラマンマックス』19.「扉より来たる者」

 ウルトラマンとセブン役者が顔を合わせ、ウルトラアイ代わりの老眼鏡で行われる「でゅわ!」のパロディーまであって、お父さん世代なら色々と感慨深かった話だろう。
 ただ…話の内容としてはセブン・森次氏を出す意味が薄く、単なるお遊びに留まっていたようなのは残念。
隊員達が倒れ、戦闘不能になったDASHメカを老人二人が操縦し、「まだまだ若い者には負けん!」という所を見せるとか、もう一押しドラマに絡める努力が欲しかったな。

 パズルを組み合わせた事で現れた扉。
その中から現れた宇宙人は、太古の地球と自分達との関わりを語る。
 食べ物に困ったので古代地球人に何か分けてもらおうと思いました、そしたら快く分けてくれたので助かりました、でもホラ地球人って超野蛮ーって感じがしたから地球をエイリアンの力で平定しようとしたら、古代のウルトラマンにやられちゃって、結局 腹ペコでボクらの惑星滅びちゃったんだよね。
……この情けない事情に、もうドコから突っ込んで良いモノか。

 空間を越えられる、所謂「どこでもドア」を作れた宇宙人は、何で地球だけに固執したのか。
他の無人惑星から食料を調達しても良かったのでは?
 古代地球人は食べ物を分けてくれていた訳で、そういう彼らを「争いを好む。いずれ滅びる」と決めつけて支配しようとする宇宙人は…アホ過ぎ。

 宇宙人の言を信じるとすると、地球上でも争いは起きていたらしいのに、それは放って置いて、宇宙人による地球の支配だけは断固としてはね除けた太古ウルトラマンの行動原理って、何?
「地球人が傷付く事は許せない」なら、同族同士の争いも止めて良いはず。
 『スタートレック』のように、未開惑星原則不介入の条約があり、それに基づいて…なら、食料を求める宇宙人と地球人が接触した時点で問題のような。
 まあ、この辺りはウルトラシリーズの「お約束」であり、触れてはイケナイ所か。

 宇宙人の言葉には、自分を正当化するためのウソが多分に含まれていた、とすると、今回の話は筋が通りやすい。
 実は宇宙人達は、太古地球人と共存など、最初からしていなかったし、するつもりもなかった。
未開の地球人を侮り、気の向くままに虐殺して、食料を奪い取っていったのだ。
 それにより、地球人が種の存続さえ危うくされている事を知った太古ウルトラマンが介入し、宇宙人は撃退される。

 しかし、「何者かに襲撃され、仲間が殺されていく」恐怖が身に染みついてしまった地球人は、今まで知らなかった「身を守るために戦う事」を憶え(狩りも知っていたと思うけど…まあその頃の地球を「楽園(エデン)」と仮定して)、武器を作り機械文明を発展させていく。
 再び扉が繋がった時、逆恨みの怒りに燃えて現れた宇宙人は、自らが地球人に教えた「恐怖」の報いを受ける事になる。
 文明に不相応な程 発達した、他者への攻撃兵器によって。

 本来の役割からすると、不要だと考えられる戦闘用アクティブ・モードを搭載・発動させるエリー。
 襲撃者を殺すためにだけ発達した個人用武器・銃により、撃ち倒される宇宙人。
 正しく宇宙人の「自業自得」。
 戦う事を知って楽園で安穏と暮らせなくなった地球人は、しかし、かつての守護者(マン・セブン)に頼らず、非道な襲撃者から自分達の力で地球を守れる存在へと進化していく、途上にある。
「扉」は、とうに開かれているのだ。

 …というような。


2005年11月5日 土曜日

『ノエイン もうひとりの君へ』04.「トモダチ」

 物語のSF的本筋なのであろう、カラスやら新登場のノエインが絡んでの事情は、見ていてもよく分からない。
アクションの切れ味が良く、緊張感もあるので、つまらなくはないが…
 ボチボチ、整理した事情説明が欲しい所。

 という部分を置いて。
この作品では、子供達の日常描写が面白い。
 偏執的なモノを感じさせる親により、追いつめられていくユウ。
基本的には良い子なだけに、可哀想で可哀想で。

 彼を心配する友達の男の子と親しく会話しているのを見られ、アイに誤解されてしまうハルカ。
 …しかしアイ、親友のハルカにも自分の気持ちを明かしてなかったんだなあ。
あるいは、こうして嫉妬心を持つまで、自分でもハッキリとは自覚していなかったのかも知れないが。
 なかなか、当事者以外には この辺の好いた好かれたの関係って分かり辛いモノで、「天然ボケを装って知らなかったフリで通そうとしている」ってのは考えすぎ。
…というコトも、子供じゃあ理解できないか。

 親友同士、自分の視界だけで一杯一杯になり、互いの認識を摺り合わせる解決策も思い付かないままビンタの応酬をするシーンが、もどかしいやら可笑しいやら悲しいやら、妙に胸に残る。
 破滅的に仲違いしながら、ちょっとした事で仲直りする素直さも、子供らしくて結構。
 こういう「小学生日記」的な描写を充実させていけば、それだけでも「見続ける価値」になるんじゃなかろうか。



 レンタルで映画『炎のメモリアル』を見る。
 ホアキン・フェニックスとジョン・トラボルタが主演。

 9.11を経て・踏まえて描かれる消防士映画。
 それらしく、ドラマというよりも、彼らの日常を淡々と追っていく。
 炎のエフェクトには迫力があり、テレビ画面で見ても熱さや危機感が伝わってくる。
こんな現場に飛び込む勇気なんて、とても持てない。
消防士って、大変だ。

 珍しく( ^_^ )悪役でなく、部下からの信頼が厚い理解ある上司、という役のトラボルタが良い感じ。
…吹き替えで見ると、声が池田秀一で、その流麗な声質とゴツいトラボルタとはイメージが合わないように思われたが、見ていると すぐ慣らされる。
上手い声優さんは、どんな役でも自分のモノにしてしまうなあ。

 この映画の製作意図に沿っているので仕方ないのだろうが、物語としてはメリハリに欠け、中だるみを感じる。
 ラストの展開も…
「消防士とは、こんなにも尊い仕事なのだ」というテーマは、そりゃ伝わってくるんだけど、テーマ性を正面に出しすぎていて展開は読めてしまうし、見終わって充実感がある訳でもなく。
 トラボルタの最後のセリフで映画全体がギュッと締まるが、「そのためにこの作品の全てがあった」と感じられる、しかも鬱な幕切れは、あんまり好きになれない。
 「製作意図は完全に達成されている」という意味で、完成度の高い作品なのだろうと思うけど…
 個人的には余り評価できない映画。

 『トリビア』で、消防署では現在、すべり棒は使われていない、というのがあったけど、この映画ではバリバリ使われている。
これは、日米の差なのか、映画を作る際のリサーチ不足なのか。
 ベッドに寝ころぶ時、泥だらけの靴を履いていても平気な国民性だからなあ、細かい事など気にせず滑り降り続けている可能性も。確か棒が複数本あったので、それだと効率的なのかも知れないし。
 階段を使うより、滑り降りる方が絵になる、という映画的理由もあるかな。


2005年11月4日 金曜日

『SoltyRei』05.「ウォーターサイド・パニック」

 不足していた特殊な世界観…超絶の戦闘能力を持つ不思議な存在のソルティに、どうしてほとんどの人間が興味を持たないのか、という疑問に、前回からアバンタイトルで説明が入るようになった(よく見れば、公式サイトでは用語解説を毎回やってるのね)。
 なるほど、多くの人が普通に義体(リゼンブル)化された世界だ、と。
義体化の割合は60パーセント程で限界みたいだから(脳や内分泌腺は置き換えられない設定)、全身余さず義体だけで出来ているソルティは異質なのだが、それは専門的に調べないと分からない…みたい。
 金を掛ければ自分の体を高機能のボディーに取り替えられる…のだろう。
ソルティのような能力を、腕・足など一部に限れば発揮できる人間も、少なくないのかな。
 よく分かったけど、こうなるとソルティの特殊性の方が、分かり辛くなってしまったような。

 今回は、クアハウスで送る、水着満載のサービス馬鹿話。
 無能なんじゃないかと思われていた特殊部隊のお姉ちゃん達が、気力や正義感といった面ではダメダメで、しかし運動能力には優れている事が判明。
生身でソルティと互角に渡り合うのは、凄いんじゃない?
 宝石を巡って限定空間でドタバタの奪い合いを見せるのは、『インディー・ジョーンズ 魔宮の伝説』オープニングを思わせる。
 テンポ良く、アクション演出の切れ味も良い事で、楽しい内容に上がっていた。

 下層世界の悲惨な状況を知り、助けになればと宝石奪取に一生懸命さを見せたソルティだが…
 実の所、悲惨だってのはウソ。
そこはそこで、皆 楽しくやっている、と。
 騙したな!と怒るかと思えば、「良かった、病気の子供は居なかったんだ(と言って、語られた悲惨な事情が金目当てのウソだった事を喜ぶコマーシャルが昔あった)」という、毒気を抜かれる お人好しな反応。
おバカさんでも、人間としての出来は悪くないソルティのキャラクターが、面白く見せられたと思う。
 語られたどちらの下層世界が真実なのかは、分からないままだけど…

 シリーズ開幕時はどうなるコトかと思ったが、段々と面白くなってきた。
 「感心するオリジナリティー」なんてものは無いけれど。
定番のストーリーを、定石通り不足無く作る、ってのもまた才能。



『かりん』01.「あふれちゃって恥ずかしい」

 原作未読。
 木村 真一郎監督作品。
という事で期待される、気楽さ・女の子の可愛さ・コミカルな雰囲気が揃っており、悪くない第一話だった。
 …が、開幕早々から作画面に不安が残る出来だったのは、残念。
崩れている、という事ではないのだが、目に心地良いようなレベルの高い絵は見られず。
止め絵を多用するなど、枚数も掛けられてなく、製作環境の厳しさが窺えてしまう。
 パンツを見せないようにしているけど…お色気方面のサービスを制限しているのかな?
WOWOWなら ある程度の自由が効くだろうに、監督の作品としては珍しい作り。

 吸血鬼の出てくるアニメは、正直 少しばかり食傷気味だったので、意表を突く「増血鬼」という設定は愉快。
 ただ…その設定をどう使えばこの先の話を面白くできるのか、現時点では読めず。
血が増えて困るなら、アチコチで大量の献血でもすれば済む上、人助けにもなりそう。
 その利点と欠点とストーリーへの活かし方を、これから興味深く見せてもらう事にしよう。



『ラムネ』04.「自治会長とごほうび」

 自治会長・多恵が登場。
生徒達の自主的活動は、「生徒会」と呼ばれる事が多いような気がするので、「自治会」という呼び名は何だか新鮮。
 学園物などで余り自治会という名称が使われないのは、町やら団地の住民が組織する会、のようなイメージが最初に来てしまい、紛らわしいからだろうか。

 多恵と主人公達は、幼少期に知り合っている?…って、狭いなあ町内。
 ずっと幼い弟妹の面倒を見て、頑張ってきた多恵。
それは、性分、というものでもあろうが、「男手一つで自分達を育ててくれた父親に認めてもらいたい、誉めてもらいたい」気持ちも強くあったのだろう。
 その気持ちが、思ったような形で満たされなかった(頭を撫でて欲しかったのに、代わりに飴をもらった記憶。父親としては「特別扱い」したつもりだろうが)事により…グレる選択肢もあり得たろうが、生真面目すぎてそう出来なかった彼女は、欠けてしまった心が充足される瞬間を求めて頑張り続ける事以外、考えられなかったのかも知れない。

 その、誉めてくれる相手は誰でも良かった訳じゃなく、彼女にも認められる、「頑張っている」人でなければ駄目。
 妹・従姉・幼なじみの面倒を、小さい頃から見ていた(実際は一緒に遊んでただけだと思うけど…多恵は自分の環境に引き付けて誤解した?)「父とも重ねられる」主人公が相手だからこそ、認められ、頭を撫でられ、「夢」が叶えられる事で歓びを感じられたのだろう。

 事前に、七海の頭を撫でる主人公、という絵を見せて、彼にとっては無意識の行動だとするフォローを入れているのも上手い。
…まあ、それ自体 少々唐突だったとは思うけど。

 浜辺で、作業の指示をテキパキと出す多恵は、いかにも会長っぽく、頼り甲斐ありそうで、イイねえ。
 「頑張り屋」のキャラクターを、「行動に自由が効きやすいよう、いつもジャージを着ている」という外見的特徴で表すのも巧い。
 彼女と主人公がハッピーエンドになっても、納得いくような出来だったけど、どうも通りすがりのゲストヒロインで終わりそうだな。
いや、自分には必要無いのに、主人公が参加するから清掃活動にも付き合う七海がまた愛しいもので、彼女がシンドイ思いをする鬱な展開にならず、ホッとしてもいるんだけど。


2005年11月3日 木曜日

『IGPX』05.「我ら、集う時」

 ずっと見ているけど、うーん、余り面白くない。
中心となるべきレースの状況が まるで楽しくないから。
 先週から引きながら、驚くぐらい呆気なく終わるレースシーンは、意図しての演出なのだろうと思うけれども…その「意図」を、どうすれば視聴者のプラス評価に結びつけられるか、そこまで考えた痕跡は窺えない。

 そもそも、普通に車ではなく手足のあるロボットで行われるレース、という特殊な設定に対し、どういう利点があって欠点があり、操縦にはどのような能力が必要で、その世界での「天才」とはどういった才能を持つ者なのか、ドコでハラハラさせてドコで盛り上げ どの辺りの面白さをして「人々が熱狂するレース」だと実感させるつもりか、まるで見えてこないので…
 『サイバーフォーミュラー』、いや『チキチキマシン猛レース』でも良いから見て、勉強してはどうか。

 レースは方便であって、人間関係を描きたい作品なのかも知れないが、勝負に関しても日常生活でも、キャラクターを魅力的に見せる工夫は弱く、それだけでは見続けさせる動機に なり得ないだろう。
 前回の、びっくりバースデー・パーティーの安っぽさには閉口。
こういう昔懐かしいようなパターンもあって悪いとは言わないが、そこに向けた鬱屈とか葛藤とか人間関係とか、もう少しは絞り込んだ構成を取ってくれないと。



『魔法少女リリカルなのはA's』05.「それは小さな願いなの(前編)」

 うあー、何だか知らないが、見てて泣ける泣ける。
 なのはの能力を侮る敵に対する、レイジングハートの「出来ます、私のマスターなら」という、絶対の信頼を込めた言葉。
進んで受けた、自身に負担を掛ける改造も、全てはマスター・なのはの信頼に応えるために。
 「人ならざるもの」の魅力全開!
オモチャが売っていたら買おうかという騒ぎ(笑)。
 次の仮面ライダーの変身アイテムには、『555』を凄く進めた形で、音声認識・応答が出来、自意識さえ持つモノはどうだろうか。
オトコノコには好まれるギミックのような。
もちろん、本当にそういう機能をオモチャに組み込むのは難しかろうが…応答音声を出来るだけ多く入れてくれるだけでも。

 敵側…はやての騎士達は、彼女に対して深い愛情を抱いている様子。
人も人外のモノも、その辺は変わらないなあ、と思えば、あの騎士達も「人間」ではなく、命を持たないもの?
 元々 使役されるために作られた存在なら、絶対的に忠誠を誓うのは当然かと思うけど、それが もっと対等に近い関係になっているようなのは何故か。
 騎士達が大好きな はやて、はやてのためならば どんな事でもする騎士達。
ホロリと来る設定が隠されていそうな気がするなあ。

 意外と紳士的な所を見せる騎士達。
彼女らに、怒りや憎しみからではなく、人として向き合った戦いぶりを見せる なのは・フェイト達。
 少女が主人公であるらしく、優しい、しかし生ぬるくはない関係の構築。
実に素晴らしい。
 ここに、謎の仮面男は今後、どう絡んでくるのだろうか?
漁夫の利を狙う邪悪な存在として、ラスボスになる?

 登場キャラクターは、皆 単純でなく、激しさと可愛さを持って描かれており、魅力がある。
 特に、足が不自由ながら健気に明るく生きる、はやてがツボ。
彼女が幸せになるようなラストを望みたい所。



 何を思ったか今頃になって、映画『ステルス』を見る。
 監督は、『デイライト』『ドラゴンハート』『ワイルド・スピード』『トリプルX』など、微妙な評価を下される作品を撮り続けているロブ・コーエン

 最初の方、パイロット達の人間性を見せる所は、実につまらなくて退屈してしまう。
しかも、それで何かキャラクターが深くなっている訳でもなく。
まるごとカットした方がテンポを良く出来たろう。
 CGによる空中戦は、迫力があり、なかなかに見応えがある。
カメラアングルをきっちり固定せず、僅かに揺らすのは、新作の『宇宙空母ギャラクティカ』でも見られたデジタルの無味乾燥さを緩和する手法。

 ストーリー…もうB級映画としか言い様が無く。
 三人で構成されたエリートパイロット部隊に、もう一人、搭載コンピューターの操縦する機体が配置された、という あらすじから予想できる、ほぼそのままの内容で中盤まで進む。
 後半になり、思わなかった展開を迎えるが…
かなり無理があり、それ自体もまたB級映画のパターンだと言えるか。

 以下、内容に触れてしまうので未見の方は御注意。



 落雷を受けて、自分の意志を持ってしまう人工知能、という辺りは『フランケンシュタイン』…というか、まあ良くある安手のSFネタ。
そもそも、初登場時から意志らしいものを持っている機体なので、変化は「命令に従わなくなった」程度で、さほどショッキングじゃない。
 変化前は、あくまで「プログラムされた機械」であるよう描くべきでは。

 天井部分が分厚いモノでミサイルではブチ抜けない建造物。
この事態を解決した方法は…
 戦闘機体ごと急降下し、より加速を付けた状態で発射する事。
それならミサイルであっても、厚い天井を十分貫通できるのだ!
 …ええと、コレは理屈に合ってる?(掲示板で教えて頂きましたが、理屈として正しいそうです。軍事と理科に弱いなあ、自分)

 いくら某ロクデナシ国家相手とはいえ、主人公達が勝手に領空侵犯した上、交渉もヘッタクレもなく兵士達をバカバカ殺す行動は、アメリカの方が「悪」だとしか思えず。
事件の黒幕は あの国家だったとか何とか、正当化する努力があっても良いのでは。
 皮肉を込めて、ワザと米軍を悪く描いているのなら、構わないけど。

 余りにも呆気ない決着、B級テイスト一杯のラストシーンには、脱力。

 変な所、バカな展開を数え上げるとキリ無いが…
 補給を拒む空中給油基地(アメリカが空中基地を持っているのは、『スカイキャプテン』などから常識)のパイプに無理矢理ドッキングしてしまう、何だか不思議とエッチなシーンや、ラストに控える人機一体の燃える展開(余り発展せず終わってしまうけど)など、馬鹿馬鹿しさが面白さに繋がっている所も多く、憎めない映画ではある。
 デジタル・パイロットの個性をもうちょっと彫り込んでくれたら、『ナイトライダー』好きとしては、泣けた可能性もあるんだけどな。


2005年11月2日 水曜日

『To Heart2』05.「勧誘」

 ミステリ研といえば、普通そういった小説などの作品ファンが集うものだと思うけど、今回出て来たのは世の不思議な出来事・存在を追跡・調査する研究会。

 ゲストの少女。
主人公を強引に部員にしようとする際に見られた策士ぶりは面白かったが、不思議に関する発言やら行動は なかなか痛く、コレでどうやって魅力を感じさせるのかと思っていれば…
 ああ、なるほど、不思議現象そのものより、実は「子供時代、みんなで冒険して楽しかった思い出」に捕らわれているキャラだ、って訳ね。
子供の精神状態のままで留まろうとする自分と、視点を合わせて世間を見てくれる人=主人公を求めていた、と。
 子供の心のまま…にしては、気の利いたお弁当など作ってきてくれるのは嬉しい成長で良いとしても、計略を用いて主人公を嵌めようとするズルさは相反しているような。
まあ、何しろ「女の子」だから、このぐらいの奸計は、大人に限らず子供の頃から普通に用いているモノかも知れないが(偏見?)。

 前回登場の やたら勝負に拘る少女は、キャラとしてはともかく、さしたる弱味が見られないので「萌え」要素に欠け、こういう作品の中では印象が弱い存在になってしまった。
 それに比べれば、今回の方が魅力…「つけ込みやすさ」が感じられる。
 二人きりのミステリ研部員として、これから主人公と急接近が予想される…所だけど、彼女がこのアニメのメインヒロインとは考えられないので、部活そのものが今後ほとんど行われない事になるんだろうな。



『ガンパレード・オーケストラ』05.「アンダーグラウンド」

 前回、クリスマスの話は…
番外編的なエピソードとして あって悪いとは言わないけど、この時点で入れる意味は薄かったろう。
 キャラの意外な側面が見られた、と言える程 面白い部分もなく。
 まだ、幻獣とは何か?いい加減な主人公の部隊は、世界の中でどのような位置にあり、どのように成立したのか、そもそも世界の状況は今どうなっているのか…など、必要な説明を済ませていないのに、こんな事をやってられる余裕があるのかなあ?

 今回。
少人数、生身で行われた対幻獣戦を通じて、ようやく中隊長と、反抗的だった隊員達が認め合うようになる話だったが…
 退治すべき幻獣の数も確認せず、ロクに効かない携帯武器だけを抱えて部下を戦いに向かわせた中隊長は、責められてしかるべきでは?
1ダースの敵戦車部隊を、六、七人のマシンガンだけ持たされた兵士で制圧せよ、というような無茶な命令を上から受けた訳で、せめて戦力増強を申し出る、あるいは爆薬で退治する事にして、坑道に多少の損傷が出ても構わないという許可を もぎ取って来るのが、上官の役目だろうに。

 中隊長が認められるようになったのは、反抗的だった部下の危機に駆けつけ、幻獣を差し違えてでも倒そうとしたから。
 …えーと、これで証明できたのは「中隊長は勇気がある」という事であって、部下が反発していたのは「的確な作戦を立案し、指導して、成功させる能力があるのかどうか」だったのでは?
 「中隊長は、ちょっと危なくなるとスグ退却命令を出す臆病者だ」と部下から思われていたが、部下の危機には体を張る度胸を見せ、「中隊長が逃げる命令を出していたのは、彼女の作戦指揮に応えられる程の能力が自分達になかったから」と理解して和解した、という事なら、今回のエピソードで構わないんだけど。
争点がズレてないかなあ?
 やっぱり、見事な隊への指揮能力を見せつけて欲しかった所。
ラストにイキナリ出て来た救援部隊までも組み込む周到な作戦だった…のかも知れないが、そんな伏線は無く、テキトーなストーリーだとしか感じられず。

 作画は冴えず、ドラマにも戦いにも引き付けられる程の魅力は感じられず、キャラクターにしたって凡庸。
かなり厳しい出来。


2005年11月1日 火曜日

『地獄少女』04.「聞こえぬ叫び声」

 もうネタが尽きてしまったのか、今回の依頼人の動機は、「(かなり悪い状態の)飼い犬を預けた獣医がいい加減で、治療してくれなかったから犬は死んだのだ。アイツ憎いから地獄に堕として欲しい」という、エラく短絡的な、気合いの抜けるもの。
 そりゃあ、実際そういう事があれば獣医を怨むかも知れないけど、それは相手の(自粛)を(自粛)したりする事で、現実的に復讐を果たせば良い程度の話では?
超現実的な存在である地獄少女に、自分の地獄行きと引き替えにしてまで、「殺す」形で復讐代行をさせにゃならんかなあ?

 獣医が、芸能人や有力者の顧客を多く抱えているため、証拠も無しにマスコミに訴えても握り潰される…という設定には無理が。
 そういう動物病院なら、駆け込みで来た一般人の飼い犬なんて診ないと思う。
 手広く経営したいが自分で患畜を多く診るのは面倒だ、というなら病院でもう一人獣医を雇えば済む事なのに、それもしていないし。
…どうにも変。
 ペット問題を扱うなら、獣医よりか、非道な商売をしているブリーダーやらショップの方を取り上げて欲しかった。

 少女の両親は医療事故で亡くなった設定に変え、担当医があくまで責任を認めず、逆につきまとう少女を訴えようとさえするのに怒って…とか、もうちょっと抱える絶望を深くしても良かったのでは。
 そのうち、「あの教師はやたら宿題を出してウザイから殺して」ぐらい、軽い動機の依頼が来そうで、怖い。



『ラムネ』02.「夏の畑とななみすぺしゃる」 03.「ちっちゃなイトコと花火」

 頭がボーッとしてくるような話は続く。
 主人公はすっかり幼なじみ・七海とカップル…というより既に「夫婦」として、クラスメートは勿論 親からも認められており、またそれを互いに不満に思う要因など無く。
 ぼんやり、ほわほわしているが、料理が得意で、しっかり主人公に対してヤキモチを焼く七海は、幼なじみ属性の人にとり、一つの理想型を見せてくれるキャラではないだろうか。
 こういう少女と幼少期からずっと一緒に過ごせたとして、それは幸せなのか、彼女とつい比べてしまう(手の掛かる彼女を放ってもおけない)事で新しい出逢いが制限される、という意味で不幸なのか。

 主人公のイトコ・ひかりが登場したので、彼女ぐらいは七海と張り合って恋のライバルらしい所を見せてくれるかと思ったが…
それどころか、気が利かず主人公達の仲を邪魔しようとする者どもを排除し、応援さえしてくれる。
 ハラハラさせ、先を気にさせるストーリー上の仕掛けは諦め、心地良い雰囲気を堅守?
それはそれで、間違った方向ではあるまい。

 ヤキモチから軽いケンカ状態にある間も、自分が畑に水をまきに行く際は、何の抵抗もなく主人公に付いて来て欲しがる(当然来てくれると思っている)七海の思考形態。
「自分」と「彼・彼女」の境界線が曖昧になっている事を感じさせ、こういう関係は、恋愛の絶頂期で脳の一部が麻痺した男女か、長年連れ添った夫婦、肉親・幼なじみでも なければ成り立たないだろう。
 普通のカップルが、関係の変化と共に姓から名前、そして略称・ニックネーム・「ダーリン・ハニー」などといった呼称へと進化していくのに対し、幼い頃からずっと気安く呼び合ってきた二人は逆に、姓の方で呼ぶのを新鮮に感じてしまう…というのは ちょっと思い付かなかった逆転の発想。
前述の、曖昧になってしまった境界線を改めて引き直す事で得られる、互いの存在の確認。
 「幼なじみ」という関係を、実に深く(主に幸せな妄想方面に向けて)考えてあり、感心。



『BLOOD+』04.「アブない少年」

 別に、どこが酷く悪いという訳でもない内容なのだが…
とにかく、面白いとは感じられない。
 それは──
 相変わらず内面の描写を抜かされたヒロインのせいか。
 「家族の絆」とか「彼らから異質なモノとして見られるようになるヒロイン」を描くために必要なんだろうと思うけど…暴走するカイと、家族で彼を追い掛ける過程を いちいち見せていく、律儀だが退屈な構成のせいか。
 父親が重傷を負わされる事でタメを作っておきながら、余りに面白味に欠ける描写だけで終わってしまったバトル演出のせいなのか。

 小・中学生ぐらいまでならともかく、ある程度アニメを見たり小説を読んだりした人間には「見飽きたストーリー」としか思えない内容で、パターンから はみ出す部分がほとんど無く、先行きへの興味も持ち辛い。
 逆に言えば、生まれて初めて こういう物語に触れる視聴者にとっては、丁寧で悪くない構成なのかな。
 それにしても、内面が描かれていないので理解できず、外見的な魅力にも欠けてしまうヒロイン像は求心力を持たず、そういう視聴者にさえ見続ける意欲を減退させる恐れがある。


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