ときどき日記 05/12

2005年12月31日 土曜日

 という訳で、これが今年最後の書き込みになります。
 色々あったような、あっという間だったような2005年でした。
たくさんの、面白かったり興味深かったり つまらなかったりするアニメや映画等々 創作物に出会え、好き放題な日記感想を書き続けられ、皆様から「そんなオモロない感想文やめてまえ!」といったお叱りの言葉を頂く事もなく(あれ?あったかな?まあいいや)、仕事も取りあえず生きるのに支障ない程度には続けられ、今年も大変に幸せでした。

 願わくは、来年も良い年でありますように。
 皆様にとっても、良い年でありますように。

 ではまた、年を越えて、お会いいたしましょう。



『ARIA The ANIMATION』最終話.「その まっしろな朝を…」

 シリーズの流れそのままの、穏やかで特に激しいイベントを設けない最終回。
久しぶりに顔を合わせるキャラクター達に もう少し意味を持たせたりなど、何とでもドラマは作れたと思うけど、そうしないのが、この作品の持ち味。

 どのキャラも、世界も、毎回語られるストーリーも全てが心地良く、横になって見ていたら すうっと眠ってしまいそうなぐらい静かな内容。
 「雰囲気を良くする」というのは、実はなかなか大変な事であり、それでも面白く見せるのは、刺激的なイベントを山積みにするよりも ずっと難しい。
それをここまで徹底して出来るのは、大きく「原作者の根源的感性」に寄っているのだろう、などと勝手な推測。

 しかし、こうして見終わってみると、4話「その 届かない手紙は…」で示されたアクア入植当初の苦難の歴史だけが、流れから少々浮いて(沈んで)いるように思える。
 誰かが流した血と努力の上に現在のアクアがある、だから穏やかな今の価値を知り、自分達も頑張っていこうと思う…という意味ではあろうが。
グランマのエピソードといい、苦労とか厳しさとかを余りハッキリとは見せない作風なので。
また、その後を受けるべき灯里達の行動が ほわほわゆるゆるのモノだから、歴史の重さだけが際立ってしまう。
 いや、あって悪いエピソードでは勿論ないんだけど、バランス的に気になったもので。

 毎回楽しみに見ていた作品なので、ここで終わってしまうのが寂しい。
 でも、また少し置いて(春から?)第二期が放送されるんだっけ?
なんかそういう話を聞いたような。


2005年12月30日 金曜日

『蒼穹のファフナー RIGHT OF LEFT 〜single program〜』

 本編の終了から、かなり時間をおいて放送されたスペシャル。
内容について、事前に全く情報を入れていなかったので、どうせシリーズのダイジェスト50分ぐらいに、新作画10分ぐらいで「その後」をちょこっと見せるだけなんだろうな、と思って見たが…
 一時間丸ごと新作だった事に、驚く。
適当にお茶を濁すスペシャルではなく、これ単体でも一つの作品として見る事が出来そうなほど きっちり構成されており、内容が濃く、面白い。

 本編シリーズが始まる前の時代を描いた、所謂「Episode 1」。
とはいっても、メインに据えられるキャラクターは このスペシャルのみのオリジナルであり、本編の主人公達は、この後を受け継ぐものとして脇の方で顔を見せているだけ。
 お馴染みの登場人物を使うなら、既にキャラ立ては終わっている訳で、時間内でも作りやすかろうけど、ここで初めて見るキャラを出し、今まで聞いた事もないストーリー(「前史」として、「そんな事が昔あっても不思議はない」とは思えるが)を、短い時間内で語りきる構成力が素晴らしい。

 島の平和を守るべく立案された、無謀とも言える作戦。
これを見てからだと、本編のスタート時には「フェストゥムに狙われているのが分かっていたなら、何で子供達にも事情を話してさっさと戦闘訓練をさせておかなかったのか。のんびり暮らさせている場合じゃないだろうに」としか思えなかった「偽りの日常」が、どれだけの血を流して確保されたものか よく分かる。
 まだ不安定で、搭乗者をすぐに結晶体化させてしまうファフナーも、「前の時代」を感じさせ、恐ろしくて、なかなか。
 本編第一話で何気なく死んでしまい、「何のために出したのか?」と思われたメガネの少女パイロットに、大きく肉付けされたのは結構(メガネにも、意味があったんだ)。
この内容を経て思えば、余りに呆気ない死もまた、非情なドラマに感じられる。

 体に障害を持ち、無理が利かない僚。
それゆえ彼は、ファフナーに乗る、という異常な状況であっても、「我が身」として認識できる機体でなら自由に駆け回れる事実に、歓びを感じる。
 介護が必要な父親と暮らす祐未。
そういう生活は、やはり少女にとって大きな負担であったろう。
珍しく介護を忘れられるほど楽しい時間を僚と共に持った直後、家に帰った彼女は、父の死と対面する。
その罪の意識からか彼女は、父が、命を賭けて立案したプランを成功させようとする。
 僅かな時間で個性を際立たせるための、設定の付加が実に上手い。
登場キャラを「人間」と認識できるからこそ、訪れる悲劇が心を震わせる。

 一番感心したのは、主人公が飼っている犬の描き方。
主人公以外には懐かず、エサも食べない犬。
しかし、島を離れて行われるシビアな計画に連れて行く訳にはいかず、せめて自分の手で…という所まで追いつめられてしまう。
 犬は、何故かメガネの後輩・果林にだけ心を許す。
 少女との繋がりを端的に演出し、彼女と犬を、「島に残していく想い」「守るべき理由」として設定する巧さ。
 その犬が、残骸となって漂着したファフナーのコックピットで…
という辺りまで来ると、あざといぐらいの巧さと感じられてしまうほど( ^_^ )。

 作画は高品質であり、演出にも気合いが入っている。
CGで描かれた波打ち際の風景など、実に美しく、印象に残る。
 個人的に『ファフナー』は、「終わった作品」であり、今更何を見せられようと…という失礼な気分で見始めたのだが、もう一度 作品内に心を引き戻し、興味を感じさせるに十分な内容。
 スタッフがこの作品にかける情熱、愛情まで感じられる、出来の良いスペシャルだった。



 冬コミケから、無事 帰って参りました。
 今日は比較的 穏やかな日で、さほど寒くなく、過ごしやすかったので大助かり。
 大勢の方にスペースまでお越し頂きまして、大変有り難かったことです。

 一日、ぼくも描きました委託本を売っていました…とはいえ、やっぱり自分の作った本が無いと、コミケの面白味は大幅減ですね。
 次回は、必ず。



 冬コミケ二日目、参加日です…
が…すみません、結局コピー誌、間に合いませんでした。
 今更ここで書いても、見ないでスペースまでお越し下さる方もおられるでしょうね…ううう、すいませんすいません。
手が遅い上、根性のないオノレを呪うのみ。

 スペースにて、委託で、堀博昭・麻生我等 両先生による同人誌を販売いたします。
 ぼくも描かせて頂いておりますので、是非ご覧の上、宜しければお求めを。

 あ、あと、ヨメがDSの『どうぶつの森』を持っていくそうです。通信が出来る方はお願いします、との事で。
なんだか商店が、通信をしないと大きくできないとか。

 お出掛けの方は暖かくして、くれぐれも無理のないように。
 人生、引く勇気も必要(本を落とした人間が言っても言い訳にしか聞こえない)。
 それでは会場で。


2005年12月29日 木曜日

『ラムネ』最終話.「100個の貸しと100個の借り」

 前回ラストで、突然のバイク事故に遭ってしまった健次。
イベントとしては ちょっと唐突な気もしたが…
じゃあどういう伏線を引けば良かったのかと言われても、思い付かず。

 そのまま昏睡状態に陥るとは。
しかもそれが、一年もの長きに渡って続くとは、意外。
 衝撃ではあったのだろうが、それなりに日常を取り戻していく他のキャラクター達に対し、七海だけは、自分の半身を失ったように哀しみに沈み、病室を訪れては、健次が普段通りでそこに居るかのごとく語りかけ続ける。
突っ込む人の居ない天然ボケが、余計に切なさを醸し出す。
 見舞いに行くばかりで学校を休みすぎてしまったのか、留年してしまう七海。
女の子にはキツイ事だと思うけど…まるで気にする様子がない。
彼女にとって、健次が居ない世界は何の意味も無いんだろうな。

 一年の間に、変わっていく周りの人達。
大学に進学する ひかり、就職する多恵、転校先で勇気を出して新しい友達を作る裕美。
健次と七海の両親の間にも、愛情が育っていく。
 その中で、全く変わらず健次の側に居続ける七海。
幼い頃からずっと、彼がどんな状態にあろうとも、好きである気持ちに僅かの変化もない。
「結婚式を挙げる」ようなラストシーンを見せなくとも、この二人の仲が永遠に続いていくことは、誰にでも想像できるだろう。

 シリーズを通して二人の関係を、細やかに、強く、優しく、描ききった感がある。
主人公キャラをフラフラさせる事で、興味を向けた女性キャラの価値付けをしようとする事が多いギャルゲーアニメ化作品の中、全く浮気無しで、しかし面白く見せ続けてくれた構成力は、素晴らしい!
 作画面では「微妙…」という回がほとんどを占めていたが、視聴者を喜ばせ・気持ち良くしてくれる要素は、萌えアニメであってさえ、必ずしも「美しい作画」のみに寄らないのだ、という事を証明する作品。
 原作ゲームをやってみても良いな…と思えるぐらい、七海は魅力的なヒロインだった。
他のキャラクター達も、海辺の町の雰囲気も とても良かったため、ここでお別れになるのが寂しい。

 良い作品を、ありがとうございました。


2005年12月28日 水曜日

『魔法少女リリカルなのはA’s』最終話.「スタンバイ・レディ」

 やっぱり、不満が残る。
 はやての病状が回復に向かうのも、守護騎士ヴォルケンリッターが そのまま残れるのも、勿論 嬉しいことなんだけど…
反対に、防御プログラムが どうやっても復活してしまうという事で、やむを得ない対策として自分への処置を望むリインフォース…
 1クールの放送期間に目一杯 様々な要素を詰め込もうと、駆け足で各イベントが語られるせいもあって、どうもこの辺りの選択が「キャラクターの能動的な行動で運命を切り開いている」というより、「付け加えられる設定によりドラマの方向を製作者の望む方向へと自由に変えている」と感じられてしまう。
ヴォルケンリッターを残すも残さないも、リインフォースを助けるも助けないも、キャラクターの努力よりか「ストーリーの都合」が強いと思えて。
 例えば、ヴォルケンリッター救出の(独立生存を可能にさせる)ための戦い、と位置づけられるものが行われていれば、そういう色合いは薄められたかと。
リインフォースにしても、これまでのマスターにより辿らされた不遇な運命がもっと描かれていれば…

 この作品の製作者がキャラクターに寄せる愛情は、疑わない。
短い時間の中で、精一杯輝かせて上げようと努力したのだと思う。
 しかし…
なのは達と守護騎士ヴォルケンリッターとの対立、守護騎士団の消失、闇の書に飲み込まれる はやて、カートリッジを使いすぎないよう注意を受けたレイジングハートら、リインフォースが消えた後の守護騎士の運命…
どれも、予想したほど厳しい物にならず、かなり緩い解決を見ている。
 苦しい戦い、辛い運命を乗り越える事で、キャラクターは成長でき、その姿が見る者の心を打つ。
製作者の愛情は、困難を取り除き平坦な道にして上げる事ではなく、より克服困難な課題を与え、キャラがそれを見事突破していく過程を、可能な限り視聴者に納得してもらえる運びで提示できるよう、脳を振り絞る事だと思う。

 いや、それが出来ている作品は、実際の所、少ないんだけど。
 この第二期『なのは』の、特に最初の方は文句の付けようがないぐらい面白く、迫力のある内容に出来ていたので、つい「もっと凄い物が作れる製作者のはず」「法外なコチラの期待通りに作品が展開しなかったので不満」などという無茶を言いたくなってしまう。
 このままで十分、見て良かったと思える作品なのに。

 リインフォースとの別れのシーンには力が入っており、涙腺に来てしまう。
彼女をチビキャラとして復活させる、優しい目配りも嬉しい。
 てっきり第三期も作る予定があるんだろうと予想したが…
イキナリ最後に6年間経過させてしまうという事は、これで本当に終わり?
まあ、まだ大人になって結婚したとかいう訳ではなく、中学三年生になっただけなのだから、続編製作は不可能では、ないな。
 ただ、メインヒロインが三人になり、ヴォルケンリッターや使い魔まで含めると「こちら側」が大所帯になりすぎているため、ドラマを展開させるのは今期よりも更に難しくなるだろうが。


2005年12月27日 火曜日

『ガン×ソード GUN SWORD』最終話.「タキシードは明日に舞う」

 いつも穏やかな様子しか見せないカギ爪の男が、ヴァンによって追いつめられる事で、本性剥き出しの下品で卑怯で凶悪な様子を見せるようになるのではないか、と思っていたけど、最後の最後まで変わらず。
計画を失敗させられるに到ってもなお、「もう一度皆さんとやり直す時間が持てて嬉しい」というような捉え方をする、その精神力は驚異的。
 「許さんぞこのゴミ野郎が!ジワジワとなぶり殺してくれる!」とか何とか、ブチ切れる単純な怖さより、いつもと変わらない事が より強い狂気を感じさせ、凄味を演出する。

 対するヴァンもまた…
本当に可能だったのかどうか、死んだ恋人を生き返らせようというカギ爪に対し、「俺から死まで奪おうというのか!」と一層凶暴化。
 生き返らせてもらえば彼の哀しみは癒えるような気がするんだけど…
勢いが付き暴走を始めた復讐への執念は、誰にも、本人にさえ止められない。
 もう既に、亡くなった恋人の事なんて、ヴァンの中では、さほど大きなウェイトを占めなくなっていたのだと思う。
 憎もうとすると、あらゆる意味で拍子抜けをさせられるカギ爪、彼への復讐を果たすには、「理性」を全部捨ててしまうしかない。
理性が勝れば勝るほど、カギ爪を殺す事に疑問が生じてしまうので。
狂気だけで突き進むヴァンは、理性も、恋人との思い出が生み出す力も、全く借りずにその目的を果たす。
 怒りのための怒り、憎しみのための憎しみ、復讐をしたいという「純粋な」気持ちのためだけの復讐。
そこには僅かばかりの「不純物」も無い。

 最強の敵と戦うのに、新開発の秘密兵器とか仲間の力を集めた奇跡の必殺技とか、そういうモノに全く頼らず、ただただ力任せの「狂気」だけで打ち勝つ。
普通あり得ない事だと思うけど…無茶苦茶なストーリーを、納得できる画面に仕上げて見せる演出と作画のパワーは、壮絶。

 これは、「悪」を「正義」が倒すのではなく、「狂気」に突き動かされる善意(迷惑な内容だが)の者と、負けないぐらいの「狂気」に身を焼かれる悪意(殺意)の者とが、全く分かり合わず激突する作品。
カギ爪の言葉を使えば、「バカ」と「馬鹿」の戦いだったと言える。
 理性によって兄を止めようとするウェンディだが、結局その足を止めさせる事が出来たのは、銃まで持ち出す彼女の「狂気」。
 登場するキャラクター全てが何らかの「狂熱」に突き動かされている、「どうかしている」凄いアニメだった。
 断固として誤魔化しナシで描かれるカギ爪の最期(無抵抗な所を斬り殺すとは…)、呆然とさせられるミハエルとファサリナの死、等々、製作者からも「狂気」を感じ取れる部分が。

 カギ爪を殺す所まで到達できず、理性を取り戻せたのか最後には恋人に迎えられ救われるレイと比べ、ヴァンは夢や幻であっても恋人と再会を果たさず、成し遂げた復讐について何一つ赦してなどもらえない。
 この世にほとんど存在しない絶対純粋「馬鹿」(レイでさえ、そこまでの「馬鹿」にはなり切れなかった)のヴァンとカギ爪は、もしも少し運命が変わっていたなら、深い理解で結ばれた親友になれたかも……いや、理解すればするほど相手が許せなくなりそうだから、やっぱり殺し合いそうだ(笑)。
「恋人を殺した・殺された」という事実は、二人の馬鹿が互いの存在を賭けた戦いをスタートさせる、切っ掛けでしかなかったのかも知れない。

 普通、復讐を果たした人間は、その後に生まれる空虚さに耐えられなくなるものだけれど、この作品では特にそういう様子がない。
ヴァンは結局、何を失い、何を得たのだろう。

 こんな戦いの後を受けるとは思えない、ぬけぬけとした、馬鹿馬鹿しいラストまで含め、パターンで理解しようとする自分のような者の想像を常に超えていく、妥協のない、面白いアニメだった。



『ラムネ』09.「ふたりの距離とラムネの瓶」10.「フォークダンスとかさなる心」 11.「台風の夜と夏の終わり」

 9話。
前回その儚い存在感をアピールして見せた裕美について、更に深く彫り込む話。
幼い頃に遡る彼女と主人公の出逢い、恋を諦めていく経緯、転校に到る日常が描かれる。
 押しが弱い裕美のキャラクターを表す小道具として、タイトルにもなっている「ラムネ」の瓶を用いる発想が秀逸。
 皆が揃って引っ越しの手伝いをし、お別れパーティーを開催してあげる、淡々とした日常の描き方がとても良い。
裕美が乗る列車を見送る、それそのものは ありふれたシーンだが、丁寧に積み重ねられたキャラの心情が結実して胸に染みる山場を形成しており、ちょっとホロリ。
 「手紙書いてね、私も書くから」というのは、古き良き時代の別れの挨拶だが、このアニメの時代設定って少し昔?
携帯のメールとか、無かった頃?

 10話。
その裕美の思い出作りのため、七海に冷たくし悲しい思いをさせてしまった校外学習の地を目指し、バイクで走っていく話。
 大きな事件が起こる訳でもなく、ゆるい内容…いや、「バイクの故障のため、二人だけでお泊まりする事になる」ってのは、このアニメにすると大事件か。
一つの部屋、隣り合った布団で寝たみたいだけど、何事かイベントがあったのかどうか。
何かあったら七海が大きく変化しそうに思うので、プラトニックに過ごして帰ったものか…いや、極度の天然ボケだから何が起きていようと外に出る感情表現などは変わらないままなのかも…うーん。

 11話。
ゆるゆると進み、終わるアニメだと思っていたので、「突然 体調が悪化する七海」というような事件が起こるとは予想しておらず、驚く。
 雨の中、七海をリヤカーに乗せて病院に運ぶ主人公は大したガッツだけど、バイクで一人走って病院に駆け込み救急車を回してもらった方が、得策だったような気はする。
まあ、それじゃ二人の結びつきを示すイベントとして弱いんだけど。
 彼女については「盲腸」という事で、さしたる騒ぎにもならず収まり、このまま元の のほほん路線に戻るのかな…と思えば、今度は主人公がバイク事故?
…違うアニメのようだ…
 あんまり悲惨な事にはして欲しくないんだけど、どういうラストを予定しているのだろうか。


2005年12月26日 月曜日

『D.C.S.S.〜ダ・カーポ セカンドシーズン〜』最終話.「幸せの鐘」

 このシーズンに限っては、音夢に対して何の魅力も見出すことが出来なかったので、彼女と主人公の関係をブチ壊すアイシアの願い暴走エピソードを楽しく見ていたが…
こんなオチかあ。
 結局、アイシアが一人勝手に突っ走り、勝手に納得して島を去った後、勝手な判断でまた戻ってきました、という事で、ここから何を感じ取って欲しいのか、どうもよく分からない。
 「魔法で人々を幸せにしたい」と考える彼女に対し、ドラマは「魔法なんかで人は幸せに出来ない、それどころか予期せぬ不幸すら生み出す」と否定的見解を示す。
 主人公と音夢の愛の力が魔法による拘束を打ち消し、「お節介焼くのは勝手だけど、それを受け入れるかどうかは分からないよ」という強さを見せてくれる「訳ではない」。
結局、魔法の力は絶対であり、普通人は逆らえないのだ。
つまり「魔法でお節介を焼いては『ならない』」という事になる。
 アイシアは、生きる目的を失ってしまったんじゃないかと思うが…代わりに何か別の目標が示される事もなく、大丈夫か?

 しかしまあ、そんな心配は、結婚式で性懲りもなく魔法を使ってしまうアイシア、なんて絵を見せるアニメで、しても無駄。
 花嫁のブーケを女性陣皆が欲しがっているのだから、魔法で(まるで違う形状の)たくさんの小さいブーケに変化させ、全員がそれを手に入れれば、残らず幸せになれるでしょ、って、要は同じような過ち(考え違い)を繰り返しているのでは?
皆、単に「ブーケ」が欲しいのではなく、縁起を担ぐべく「花嫁が手にしていた ただ一つのブーケ」を欲しがっていた訳で、ブーケというだけのモノをいくつ もらっても意味がない嬉しくない!と考える女性が出て来そうだけど。
そういう想像力は皆無?

 主人公は感情移入に値せず、今期の最初に築き上げた主人公を囲む女性関係をブチ壊し平然とオンリーワンの座に着く音夢にも、魅力を感じられず。
 そんな音夢に押し退けられた事を「納得できる」と受け入れる他の女性陣も、感心しない。
これは、恋愛シミュレーションゲームで、誰か一人の女性キャラを選んだ主人公=ゲームプレイヤー=あなたの判断は常に正しく、他の女性達はそれを従容と受け入れていますよ、という事なのか。
 『SHUFFLE!』楓のように激烈な拒否反応を示されてばかりじゃ疲れるけど…
劇中で示されたような主人公・音夢のバカップルを祝福して認める女性陣に、魅力は無い。

 アリガチなパターンから様々に変えて作ったアニメだと思うが、その変えた所が必ずしも効果的になっておらず、かえってマイナスの効果を生み出してしまっている。
題材もキャラ配置も悪くないと思うので、余計に残念な出来。



『機動戦士ガンダムSEED DESTINY』FINAL PLUS〜選ばれた未来〜

 再放送が成されているとはいえ…
本放送からはかなり期間をおいたスペシャルなので、この状態に到るまでのストーリーを、駆け足でもナレーション多用でも構わないから、一通り説明しておいた方が親切だったのでは?
 どの時点からこのスペシャルの話が始まっているのか、最初、ちょっと混乱してしまった。
 内容は…シリーズ中に挟まれた総集編と同じく、特に誰かの視点を通じて物語を整理したり、新たな価値観を提示しようとしている訳ではない、普通に本放送を圧縮しただけのもの。
編集された部分は、やたら派手にドンパチやっているものの、取り立てて面白くバトルを演出している訳ではないので、斜め見。

 レイの手による議長の死とか、キラの「覚悟はある」発言とか、やっぱり突っ込みたい所は色々。
 乱世を平定しようとした議長を倒すのは…徳川家康により構築されようとした日本全体への支配体制を打倒しよう、というような物か。
別に何を考えようと構わないけど、フィクションのキャラクターとして、一体それで何が得られ何を描けると…いや、まあいいや。

 肝心なのは、付け加えられたエピローグ。
放りっぱなしにされていたシンとルナマリアに、フォローが入れられたのは結構。
 憑き物が落ちたようなシン。
今回に限り、アスランを逆恨みしない理由って、何かあったっけ?
戦う理由として彼が大きく依存していた、議長やレイの死が大きい?
 どうも、ここで そういう状態に到ったのは、「これこれこういうイベントを経て心理的成長を成し遂げたから」というより、「シリーズを終えたので こうなっていてもらわないと困る、という製作者の都合」に寄るものを感じてしまって…

 結局宇宙は、キラの力を背景にプラントに帰ったラクス、アスランの力を利用でき もしかしてアークエンジェルを軍に編入したままのオーブを治めるカガリ、という二大「強権」(気に入らないモノには噛み付いて倒す習性からすると、「狂犬」?)体勢に入り、誰も逆らえない状態になっていると考えられる。
 一応は理によって、世界全体のことを考えた行動を取り続けた(最後はアホなオッサンになったけど)議長による独裁体勢が敷かれるのに比べ、それはどれだけ優れた、幸せな運命だったのだろうか。


2005年12月25日 日曜日

『仮面ライダー響鬼』45.「散華する斬鬼」

 うわ、意外!
てっきり血迷った桐矢が、式神の力を使って復讐をしたものだと…
 しかし、そりゃ勘違いするよねえ。
誤解させるよう、全力で演出してあるのだから。
 驚いて、ちょっと考えると、色々無理も感じてしまう。
そんな都合良く桐矢の復讐対象が魔化魍に襲われる?、とか、友達が訳の分からないバケモノに襲われて大ケガをした(死んだ?)というのに平然と街中を歩いている もう一方の悪ガキは どーゆーつもりなんだ?とか。

 桐矢の行動については、「イキナリ良い奴に描きすぎじゃないか」と思ったが、陰陽環を盗み出したのは実際、復讐のためだったのだし(正直にこう話す桐矢ってスゲエなあ)、たまたま(ストーリーの都合で)魔化魍が現れなければ、彼が犯人となって同じ焼けコゲた人間が出来上がっていたろう。
魔化魍を倒そうという動機も、明日夢を出し抜きヒビキに認めてもらいたいから…という事なら、納得がいく。
 桐矢を「視聴者に認められる存在」に変えるための、ギリギリ綱渡りな賭け。
一歩間違えば、「何だそりゃ」と言われて終わりかねない。
 予想される「偽善じゃんか、良い奴ぶりやがって」というツッコミを、「良い奴のフリをして点数稼ごうとしました、偽善というかまあ全て偶然と計算です」とキャラ自らに言わせてしまうことで、かえって憎めなくしてしまう高度な構成。
 ずっと押し隠していた「立派な最期を遂げた父親に対するトラウマ」を、桐矢が、恐らくは初めて他人・明日夢に話したのは、いくらか相手を対等な人間と認め始めたからか。

 汚れていようが歪んでいようが、鬼への道を踏み出す桐矢に対し、明日夢はやっぱり精彩を欠く。
 全てにおいて受け身だった彼が、「もう被害者を出したくない」からか「桐矢に罪を重ねさせたくない」からか、猛然と食って掛かったのは大きな進歩と言えるだろうけど。
 鬼を目指す動機を「人の役に立ちたいので」と語る明日夢だが、その目的なら ひとみと行動を共にしても叶えられるはず。
しかし、ボランティアに誘われても まるではっきりした反応を返せず…まだ彼には未来が ぼんやりとしか見えていないのでは?
それは自分の高校時代を思い返しても無理からぬ事で、「異常(劇的)」に設定された桐矢に比べ、どこまでも「普通」の少年・明日夢を、「異常」な鬼の道に進ませるのは、かなり強引に物語を進めている印象のある後期『響鬼』であっても難しいんだなあ、と思う。

 ザンキとトドロキ。
 何を言うよりまず、ザンキさんの大ファンだったもので、その死を悼む。
トドロキ復活よりかザンキさん生存を優先してくれー!というのが、勝手ながらファンの立場からの正直なところ。
 最期を遂げるにしても、もうちょっと時間を掛けて…トドロキの体が動くようになる部分にも、あと僅かにタメが欲しかったし。
しかしまあ、ザンキは体が悪く、無理をしてはイケナイという伏線は随分前から張られており、今回の話だけでも(役者さんが上手いのか)次第にザンキの内面が虚ろになっていく様子は感じ取れたので、ここで終わらせてあげる選択も、無くはないのか。
 ただ漠然とシリーズ終了まで残らせるよりは、ザンキもトドロキも大きく存在感を示し、まだ関係を築き始めたばかりのヒビキ・桐矢・明日夢に対し、「師弟」としてのドラマを完結させたと言える。

 それでもなお…
あああ、ザンキさん。
哀しい。



『銀盤カレイドスコープ』最終話.「シンデレラ」

 作画に関しては、シリーズを通して最後まで微妙な出来。
演出も取り立てて冴えた所が無く、特に目玉となるべきフィギュアスケートのシーンに、迫力も華麗さもまるで足りなかったのは残念。
 それでも見てこられたのは、とにかくヒロイン・タズサのキャラクターが際立って面白かったから。

 徹底して他者を寄せ付けない傲慢で不遜で孤独な「戦士」が、恋を知り、失うことで「少女」に変わっていく。
フィギュアスケートはテーマではなく題材で、描きたかったのは、誰にも知られないウチに始まり、終わった、小さな恋の物語。
 何しろフィクションなのだから、ピートの憑依期間を神の都合で延期する事は出来たろうし、誰かの体に入れる事で生き返らせ「物理的な」恋を始めさせる事さえ可能だったろう。
でも、そういう未練を一切感じさせず、スパッと終わって見せたからこそ、爽やかな後味を残せた。
 無くする物を知ったタズサの演技は、これからきっと、より深く、見る者の心を打つ事になるだろう。


2005年12月24日 土曜日

『ガイキング』07.「激突!誇り高き決闘」

 前回説明された、切り替え式レーダーの機能の一つ「登録した魔獣に反応する」というのを引いて、四散した体組織を登録のため回収しようとする大空魔竜…という細かい設定へのフォローが楽しい。
 その間、乗員一同ビーチでバカンスを楽しむ、というのは、前回示された やたら忙しそうな日常業務からすると変な気もするけど、まあ、いつも大変だからこそ たまには休まないとね( ^_^ )。
敵との戦いにアイディアが掛かっておらず「燃える闘志」だけで圧倒したりと、脚本が三条陸でなくなっただけで、かなり雰囲気が変わるなあ。

 それでも、老将軍の剛直さと強さ、真っ直ぐなダイヤとの関わりで通じる「バカ」同士の気持ちは楽しく、この老人の存在は後々意味を持ってきそう…と思う間もなく、現将軍の斬激で爆死?
さっさと片付けるには勿体ないキャラだったかと。
 ダリウス軍の非情さを表し、大空魔竜と馴れ合うキャラを「まだ出さない」事による効果も、勿論あると思うけど。



『ウルトラマンマックス』26.「クリスマスのエリー」

 怪獣のデザインが、どことなくポケモンっぽかった。
ストーリー的にも、「幻のポケモンを追い求める老人の話」と理解すると、これで敵対する悪辣ポケモン強奪団でも設定して、ラストに派手なバトルを設定すれば、劇場版が出来上がるぐらい近い内容ではなかったか。

 夢を追い求める老人の姿は良かったし、冷静にツッコミを入れていくエリーも面白かったが…
どうにも「通り一遍」と感じられ、印象が弱い。
 何かあと一つぐらい、強力な設定を混ぜ込んであれば。
例えば、「エリーは博士の亡くなった娘にそっくり」(実際、娘がモデルになっていても)または「博士こそが、エリーの設計者である」として、エリーとの関わりに深みを出す。
「怪獣を捕まえると、何でも一つだけ願いを叶えてくれる」とし、強い執念を見せる博士(願いは、亡き妻に会いたいとか)。それが及ぼす世界への悪影響を知りながら、その深い悲しみを理解するが故に止める事が出来ず、自分に負わされた「世界を守る」使命との間で混乱するエリー、とか。
ここまで、もっとエリーを「機械」として扱っておけば、笑顔や涙を見せるだけでも大きなイベント足り得たろう。

 あと一歩、は、前回「遙かなる友人」でも感じた事。
目指した方向性は良いと思うし、何かしら伝わってくる物はあったのだけれど、少々浅く感じてしまう。
 これも、「後半、突然襲ってきた宇宙人は、キーフと同じ惑星から来た、生き残り。疑心暗鬼に陥っていて誰の言う事も信用しない状態」とでも設定すれば、ズンと重さが増したかと。

 ただ、この作品は「様々な物語パターンに、初めて触れる年齢の子供」をこそターゲットとしているので、構造を多層的にすると理解が難しくなり、想定外である「大きなお友達」を喜ばせる効果しか発揮しない恐れは、あるな。



 映画『キング・コング』を見る。
 ピーター・ジャクソン監督。
 ストーリーは、ほぼオリジナルに沿っており、周知だと思うので容赦無く内容に触れる。

 3時間は、さすがに長い。
最初の1時間は、もっと刈り込めるだろう。
船に乗って島に着く直前から映画を始めても構わないぐらい。
 いや、大恐慌時代の風景は興味深かったし、ジャック・ブラック演じる胡散臭い映画監督が放つ強烈な個性は楽しく、「彼がどのくらい追いつめられた状況にいるのか」を知らせる事も必要だろうとは思うんだけど。
削って成り立たない要素ではない。

 島に到着してからは、手に汗握る…というか「やりすぎ」とも思える活劇の連続で、文句なく楽しい。
 コング、ちょっとアンを乱暴に扱いすぎでは?
あれだけ振り回されたら、普通 首の骨が折れるかと。
 コングを「優しい獣」にせず、「恐るべき脅威」として描いているのが、イイねえ。
文明人とコングの出逢いは、可哀想なコングを横暴な人間が酷い目に遭わせる、というものではなく、互いに互いを認められない異種族同士の激突!
殺すか殺されるか。
 …彼の生存圏に土足で入った連中が悪い、とは言えるけど。

 恐竜に追われ、食べられかけて…のアクションは、まるで『ジュラシック・パーク』。
一つイベントが終わったかと思えば、次、また次と、観客を休ませない。
 ただ、恐竜に追われ逃げまどうシーンばかりだった『ジュラシック…』に対し、ガチンコで勝負できるキング・コングの存在が、この映画の特色。
巨大恐竜相手に壮絶なバトルを展開してくれる。
その組み立て方や見せ方には大量にアイディアが掛かっており、実に上手く、グイグイと画面に引き込まれてしまう。

 何があろうとカメラを離さず、如何なる犠牲を払おうとも映画を撮り続けようとする監督が、凄い!
危険な島内の道行きにグッタリする船員達を尻目に、休憩時間中までフィルムを回そうとする体力には驚く。
まあ確かに、ドキュメンタリーなどで、命懸けの行動を見せる冒険家よりも、重い機材を抱えて同行し、探検を様々な角度で撮り続ける撮影クルーの方が凄いのでは?と思う事、多いからなあ。
 犠牲となった者達のためにも、映画を完成させなければ、という気持ちは、理解できる。
ニューヨークで彼を待っている苦境を思えば、何としても金が必要であり、そのため取った行動も、やむを得ないものと感じる。
 都市での騒動について、監督の責任を一切問わずに映画を終えているのは、ピーター・ジャクソンもそう思ったから?

 いい加減なようで意外としっかりしているハンサム俳優とか、強烈な監督を脇から見つめ続ける助手など、キャラクターの捉え方も上手く、この映画の後、彼らがどうなったのか気になる。
黒人船員に目を掛けられていた少年は、特に(死んでないよね?)。

 クライマックス。
何を言うよりまず、あの高さが怖くて怖くて、コングの最期に抱く感慨とか、そんな事を感じている余裕など無い。
早く降りてくれ〜、というそればかりで。
何度も椅子の肘掛けを掴んでしまう。
 あんな狭い場所に平然と立ちつくすヒロインの度胸は、恐ろしいぐらい。
チョイと突風でも吹いたらアナタ、あああああコワイコワイ。
 別に高所恐怖症ではないつもりなんだけど、こんなに怖さを感じさせられてしまったのは、やはり映画の見せ方が上手いからだろうか。

 怪獣映画、アトラクション・ムービーとして、まず文句のない出来。
 中盤・後半は目を離せないアクションが連続するので、前半がどうあろうと、見終わった感想は「面白かった」になるだろう。
 映画館で見ないと、迫力の半分も味わえない作品。


2005年12月23日 金曜日

『魔法少女リリカルなのはA’s』12.「夜の終わり、旅の終わり」

 やっぱり、不満は残る。
 闇の書の防御プログラムなるものが、割合簡単に分離できてしまう事。
さしたる困難もなく はやてが復帰する事、ヴォルケンリッター全員が彼女の力により実にアッサリと復活させられる事(これでは彼女達は「独立した存在」というより「はやての付属物」とさえ感じられる)。
 どれも大きなイベントだと思うのに、バトルに向かう一過程として、立ち止まる事なく滑らかに通り過ぎてしまう。
 もう少し、苦難や葛藤の心情をドラマに乗せる事は、可能だったと思うが。

 …と思いつつも、全員揃ってブチかます、強大な敵への凄まじい連続攻撃パワーには、不満点など強引に押し切られ、問答無用で燃えさせられてしまう。
お約束であり予想通りでもあるが、敵対していたキャラ同士の共闘は、嬉しいものだし。
 こういうのが、このアニメは本当に上手い。
「少女向けアニメ」では「ない」事を、ますます実感するけど( ^_^ )。



『SHUFFLE!』23.「明かされた真実」

 やたら体が悪そうだった亜沙について、その秘めた真実が明かされた。
 …うーん、神族も魔族も普通に存在する世界では、そんなに無理な設定ではないのかも知れないが、どうも後付けっぽさが感じられ、感心しない。
伏線として、亜沙体内の強大な魔法力につき、シア達が勘付いたり、側で魔力を使おうとした時 影響が出たり、せめて二人の王様オヤジだけは意味ありげな顔を見せたり、というような事でもしておくべきだったのでは。
 実際の物語内容からなら、病弱理由は「亜沙は人工的に作られた対魔族用・未完成欠陥兵器だった」でも「神界・魔界が現実と接触した、その歪みが彼女の体内に蓄積されて命を削っている」でも、「単に不治の病」でも、何だって良い訳で。

 その病気に対応する亜沙の態度も…
体内の魔法力を取り除けば良くなるらしいのにそうしないのは、「嫌だからそうしたくない」のか「そうしたいが、出来ない」のか。
 母親を思って…というような理由が説明されていたが、そういう心理的制約がなければ魔法を使えた?
普通の人間でも魔法を使える世界?
 ここでの魔法力は、「免許さえない人間なのにハイパワーの車を持っている状態=ちょっと教えてもらえれば、取りあえず走らせる事ぐらいは出来る」と理解すべきか、「体内に大量の不発弾を埋め込まれている状態=使おうと思って使えるものではない」と考えるべきか。

 しかし、「母親を悲しませたくないので、何もせず死んで悲しませたいと思います」という亜沙の思考は、とても納得できない。
場当たり的なアホキャラクターならそれでも良いが、ヒトサマに意見してみるなど、一応は皆の先輩っぽい考え方を持っていたはずでは?
 構成としても、「楓から主人公を奪い取る形になってしまったが、その業を背負っても二人で幸せになる、と決意した」のかと思えば、「自分への干渉を一切拒否し、主人公を残して勝手に死のうとする」ので、上手く一人のキャラクターとして把握できない。
 実は、亜沙というキャラのどこが魅力的なのか、スタッフもよく理解できていない?
あるいは、何らかの制約により不本意ながら彼女をヒロインとして扱っているのではないか、などと要らない詮索までしたくなってしまうぐらい、興味が持てない存在に描いてしまってるんだけど……


2005年12月22日 木曜日

『To Heart2』12.「特別編」

 え?総集編?
構成としては、これまで登場した女性キャラに環が次々逢っていく、という前回の話で、十分 視聴者はこれまでを振り返れたと思うけど。
 いや、そういうストーリー上の必要で入れたんじゃない、ってのは承知の上で。

 前回、環が突然 主人公への所有権を主張していたが…
登場時以外、それほどの愛情を持っていると感じさせてくれるシーンは無かったような。
 こういうクライマックスを最初から想定していたなら、それなりのシリーズ構成を考えるべき。
どうにも適当なアニメだなあ。



『仮面ライダー響鬼』44.「秘める禁断」

 弟子入りして以来、これまでよりも一層目立ち、明日夢を押しのけて少年パートの主人公然として振る舞ってきた桐矢だが…
思い切り転落。
 窃盗と、鬼の力を用いて行う一般人への暴行が重なっては、さすがに、弟子であり続ける事さえ難しいだろう。
 どうなるのかなあ、桐矢?
このまま、普通に罰せられて鬼関係からも放り出され、失意の内にフェードアウト…というのでは、余りにも後味が悪いし。
かといって、コレだけの事をしながら受容されるに足るイベントといえば、「死」が絡む物ぐらいで。
 今後の取り扱いは、細心の注意を要するものになりそう。

 酷く体が悪そうだったザンキだが、まさか死ぬとは!
トドロキの病室まで最後の別れを言いに来た…のかと思えば、生き返った?
もの凄い展開。
 焚き火を前に何かしらの儀式を行っていた、その効果が出たものか。
物語のルールを踏みにじるぐらいだから、よっぽどの外法なんだろうな。
 しかし何というか、かなり伏線を張ってあった死亡イベントそのものより、不意を突かれて見せられたザンキさんのお尻の方がショッキング(笑)。
トドロキのように落ち葉で隠すとか、見せずに誤魔化す手はいくらもあったろうに…コレは役者根性の表れと考えるべきか。



『SHUFFLE!』21.「気持ちの行方」22.「新しい明日へ」

 楓の気持ちにまるで無頓着でありながら、突然「一緒に居たんだから気持ちは分かる」などと言い出す稟の捉え方は、やっぱり余り的確じゃないと思うけど…
楓視点での決着の付け方としては、ギリギリまで頑張り、重く、深い物を見せられたのではないだろうか。
 雨の中で交わされる楓と亜沙の会話は緊張感に満ちており、精神的にもう一歩追いつめられていれば刃傷沙汰にまで発展しかねない恐ろしさすら あった。
 血を吐くような楓の真情の吐露、永遠に稟を失うのだと知ってなお、好きで居続けることだけは許して欲しいと泣き崩れながら哀願するシーンは、圧巻!の一語。
ホロリと来てしまう。

 楓の想いが満たされなかったことは大いに同情に値するが、そこも含み、何となく主人公争奪レースから身を引いて、さりげなく舞台から姿を消していく事の多い「萌え」アニメの「選ばれなかった少女」としては、破格の扱い。
彼女こそがこの作品のメインヒロインだ、と理解して、問題ないだろう。
 実際、楓が余り登場せず、稟と亜沙を中心に展開される22話など、まるで気合いが抜けた内容になってしまっているし。
 亜沙は、別に悪いキャラではないと思うが、病弱でもうすぐ死ぬかも知れない、という事ぐらいしか強烈さが無く(普通なら十分な設定だろうが、神も魔族も登場する作品では、さしたる重みを感じず)、どういう根拠で主人公が彼女を選んだのか分からない。
 シアのように「二重人格(二人分の心を持つ)」という逃げを打たず、一人きりの心の中に「天使」と「悪魔」を平然と同居させる楓こそ、この作品を体現し、全てを手に入れヒロインの座に着くに相応しい、と思うんだけどな。
稟を失う事で、より強い印象を残す事に成功した、と捉えれば、楓は「全てを手に入れた」と言っても良いのか。

 何度目だか、倒れる亜沙。
次回は回想が入り、彼女が言う謎めいた「あの人」のエピソードを語るのか。


2005年12月21日 水曜日

『ガイキング』06.「どうする!?出撃不能」

 このアニメの上手いところは、的確なタイミングで必要な設定の紹介が入る所と、固有の設定に意味を持たせていく所。
今回は、大空魔竜の艦内をダイヤに走り回らせる事で、「とにかくこの艦はデカイ」とか、「乗員それぞれが仕事を分担し、日々忙しく働いている」とかいう、これだけではまだ文字に書いただけの設定を、実感的にこちらに伝えてきてくれた。
 修理用の素材は圧縮して艦内に積んである、という設定には、なるほど。
 三つのモードを切り替えて使わなければならない、言えば「不合理」とも思えるレーダーの特殊性。
やたらに人の手を必要とする艦内のシステムにしてもそうだけど、こういった「無駄」「非合理的」な「欠陥」とも言える部分こそが、メカを「キャラクター」として認識させてくれる。
いつでも勝手に万全の状態を保っていてくれるマシンなんて、便利ではあっても、面白味が無いもんね。

 自分は主力機の操縦者だから…という特権にあぐらをかかず、ひたすらコキ使われるまま働き、女の子であるルルも頑張っていると知るや、よりいっそう役に立つよう努力しようとし、またそれを苦にしないダイヤが、余りに良い子過ぎて、泣ける。
 途中で仕事を放り出し、「こんなの何の役に立つんだよ!」とか言っている所に敵の襲撃、自分がサボっていたばかりに魔竜の戦闘機能が働かなくてピンチになり、労働の大事さを身に染みて理解する、ぐらいが、ガキっぽい熱血主人公の やらかしがちなパターン。
そんな、ちょっと苛立つパターンなど使わずとも、面白い話は作れるんだなあ。

 見えない敵を倒す方法はいくつかあると思うけど、自機に体当たりをさせる事で焦げ目を付けて見分ける、ってのは初見。
これまた、炎の魔神・ガイキングならではの戦いよう。
 面白いなあ。



 酷い状態になりつつ、商業誌の今年分の仕事、取りあえず終了。

 堀 博昭先生の冬コミケ『ランブルローズ』同人誌に、ちょこっとだけ描かせて頂きました。
参加は30日・東地区”オ”‐57aだそうですので、宜しければチェックしてみて下さい。

 冬コミケ、ウチはお馴染みのコピー本というテイタラク。
原稿もこれから描こうかという騒ぎ。
 何とか頑張りまして、良い本…お越し下さいました皆様に怒られないぐらいの本は、作りたいと。


2005年12月17日 土曜日

『魔法少女リリカルなのはA’s』11.「聖夜の贈り物」

 フェイトが長い間 夢に見、しかし叶えられる事の無かった、母が居る穏やかな生活の風景に身を置くところ。
余りにも幸せな「嘘」に戸惑い、泣き出してしまうなど、心の深い傷を伺わせ、ホロリと来てしまう。
 ただ…ちょっと前回からの繋がりが分かり難い描き方で、こういうのを好きな自分としては問題と思わず理解できるが、「はあ?」と感じる視聴者も生み出してしまった可能性アリ。
デリケートなイメージであり、フェイトにとり今シーズンで一番の見せ場になるシーンだったのだろうから、もうちょっと周到に持って行って欲しかったな。

 現実界でのバトル…
色々な事をやって盛り上げようとしているのは分かるけど、闇の書にはヴォルケンリッター程の魅力が無く、しかも現在 なのはが戦っている相手は闇の書ですらない、ただの防衛機構である、という事で、勝敗に余り興味が持てない。
 目の前で偽なのは達によりヴォルケンの面々がやられたというのに、特に感情の振幅が見られない はやて。
彼女の説得に、抵抗無く従う闇の書。
ヤヤコシイ愛憎・葛藤の関係性を抜くから、単純明快なバトルを楽しんで欲しい、というスタッフの「気遣い」なのかも知れないが、感情がこもっていない戦いには、どうも入り込めなくて。

 あと残り二話?
 うーん、色々と消化不良に終わりそうで不安。



 まだ仕事継続中です。
思ったより期間が長くなってしまったのは、体力と精神力の衰えかも。
 現在の進行状況では、月曜ぐらいまで掛かってしまいそう。
 ああ、『キング・コング』見に行きたいなあ。


2005年12月12日 月曜日

 もう有名みたいだけど…コレは酷いコレは酷すぎるよ(笑)。
 間違いじゃなくて わざと、こーゆープレゼントを贈られたと知った子供は、笑うのか本気で怒るのか。
 しかし、『クレヨンしんちゃん』のカンタムロボも好きな身としては、五百円ぐらいだったらちょっと欲しかったり(ここの自爆ボタンとか、いいなあ)。


2005年12月11日 日曜日

『ウルトラマンマックス』24.「狙われない街」

 実相寺監督本人による、『ウルトラセブン』メトロン星人回のセルフ・パロディー話。
 オリジナルで非常に印象に残る形で使われた小道具・タバコを、今回も意味ありげに使いながら、実は現代的迷惑アイテム・携帯電話こそが…というハズし方が楽しい。
 一応、昔、メトロン星人による侵略が行われた世界なんだなあ。
セブンも存在していた?
 真っ二つにされながら、町の人により縫い合わされて ちゃっかり生き残る、しぶとさに笑ってしまう。

 今回は、まるで侵略しようという気持ちを見せないメトロン星人。
 人間に助けられた事によって考えが変わった…いや、もしかしたらそれ以前、「壊さなければならないぐらい強く信頼関係が成り立っている」人間の社会に対し、脅威を感じると同時に、尊敬の念も抱いていたのかも知れない。
礼儀正しく、賢く、優しい人類を、地球で暮らす内に深く愛し、見守ってきた、だからこそ、加速度的に堕落していく姿を見るに忍びなく、星を離れようと考えたのかも。

 正体を隠そうというそぶりが無く、それどころか故意に晒しさえする彼は、かつての「姿を隠して、信頼を壊そうとした」目的と逆に、自分という社会の破壊者が姿を現す事で「地球スケールでの『敵』を前に、もう一度人類を団結・信頼させ、かつての輝きを取り戻して欲しかった」…とも考えられる。
 宇宙人とさえ友達になれた少年が、現在は「一番恐ろしいのは人間だ」「俺も(宇宙に)連れて行って欲しかった」と呟く刑事に成長している、この変化が、メトロンには たまらなく悲しかったのだろう。

 ケレン味のある実相寺演出が、テーマを描き出す方向に沿って、このブラックなお伽噺をキレイにまとめ上げる。
 円谷縫いぐるみ倉庫を思わせるメトロンのアジトも楽しく、「侵略者にさえ見捨てられる人類」について何事かフォローを入れようとするミズキ隊員のセリフをブチ切り、ウルトラシリーズっぽい…「優しい嘘」の希望を「見せないで」終わらせてしまう所まで含み、大変にヒネくれた、しかし胸に素直に響くものが残る、面白い話だった。


2005年12月10日 土曜日

 地獄の年末進行がやって参りました。
なかなか無理な〆切スケジュールが迫っております、何とかしないといけません。
 という訳で、毎度申し訳ないです、来週一杯、17日・土曜日ぐらいまでは更新が不安定になるモノと思われます。
悪しからずご了承下さい。


2005年12月9日 金曜日

『舞-乙HiME』10.「それが乙女の一大事」

 危機に見舞われたアリカ達を助けるべく、崖の上から格好良く見得を切って登場したハルカ。
大活躍を期待したが…承認がまだだった、という事で、実にみっともなく墜落。
 かなりの距離 墜落したのに、ケガ一つ無い様子だったのは、元々体の出来が並とは違っているのか。
 ローブをまとって、さあ今度こそ、と思えば、強力な敵の前にいいトコ無し。
もうちょっとぐらい活躍させて上げても…
 馬鹿力、失礼、超絶のパワーで振り回すトゲハンマーで周辺のあらゆる物を薙ぎ倒しアリカら弱い者の危機を救うが、その混乱に乗じた敵に逃げられてしまう、とか。

 姿を現した敵側は、とりあえず顔見せのみで退散。
前作で教師役だった碧が、ボスを務めているのかな。
 印象を一部違え、一部は重なる碧。
彼女が使う愕天王の存在といい、前作と並べたり変えたりして継続して見ている人間の興味を喚起するのが、上手いねえ。
 前にも書いたけど、自分がハルカに肩入れするのは、前作で「気持ち」だけは誰にも負けないぐらい強く持ちながら、「力」を使えない切ないキャラクターだったのに、今作ではスーパーパワーを持たされているという事で、今度こそ何が出来るのか、何をして見せてくれるのか、という興味を感じるが故。
こういう作りが、ズルいし、見事でもある。
あるいは彼女などは、「計算」により設定を変化させた、というより、「製作者の思い入れ」から今の姿になったのかも知れないが。

 アリカは今回、特にバトル方面では活躍せず。
代わりに恋愛方向では大躍進を遂げ、セルゲイを、華奢な体と膨らみかけの胸で籠絡してみせる。
うーむ、そういう趣味かセルゲイ(笑)。
 ニナが彼に対して持つ愛情は、「父親」に対してのものか「一人の男性」相手の気持ちか。
どちらにしても、素直にアリカがセルゲイの心に大きな位置を占めるのを許すはずが無く、混乱必至なんだろうな。


2005年12月8日 木曜日

『ガンパレードオーケストラ』10.「戦争の犬たち」

 あー、本当にこれまで9話続けて描いてきた部隊とは全く関係ない、土地も人員も替えて始める第二章なんだ。
 相変わらず戦いは場当たり的だし、ゲリラ戦とはいえ…戦況もキャラの見せ方も、上手いとは言えないが…
 とりあえず、自分達は「軍人」だという気持ちを持ったキャラをメインに据えているので、「軍に所属しながら自覚ゼロ」という ちょっとだけヒネった設定でドラマを作るよりは楽だと見え、破綻はしていない。

 ケガしたマスターの病室まで巨大獣・ライデンを連れ込もうとする部隊員と看護婦との やり取りにより、その特異性と固い絆を まず示そうというシナリオの狙いは、正しい。
もっとパターンで流すなら、病院外のライデンを雨や雪にうたせ、しかし微動だにせず病室を見上げさせる事で より「健気さ・主人思いな度合い」が強く伝えられたろうし、心臓の鼓動が止まってしまったマスターを、ライデンが病院全体を振るわせるような咆吼をもって この世に呼び戻すとか、そのぐらい あざといクライマックスを設けても良かったような。

 前章よりは楽に見られそう。
…逆に言うと、その分 製作者は頑張らなければ、「破綻している部分の面白さ」さえ無い、特に見る理由を感じられない水準以下のアニメになってしまう恐れもある、って事だが。
 この章は、人間とライデンの関係、ここに面白さの焦点を絞るべきだろう。



『ガン×ソード GUN SWORD』22.「誰がために」23.「みんなのうた」

 カギ爪の男が、ますます異常で楽しい。
言動や行動など、まるで悪役とは思えず、近いのはイメージとしての『西遊記』三蔵法師。
こんなに善意と優しさに満ちた狂人だと、扱い辛いなあ。
 彼に仕えるファサリナは、元売春婦?
『ガンダム』ララアにも、そういう設定があったような。
レイが意図せず吐いた「売女!」という侮蔑の言葉に、瞬間 顔を歪ませるシーンが、ちょっと深い。
 しかし、そんな職業に就いた女性の中に超絶の戦闘能力を見て取るとは、カギ爪の男 恐るべし。

 ロクな技術的蓄積も無い所から、計算通りの目的に向かってロケット打ち上げを成功させるのは凄いんだけど…
ラストバトルに向かっている さなか、その準備に一週間かかった、と劇中で言われるのに、気合いが抜けてしまう。
 開き直って都合良く、他の衛星にダミーの帰還信号を送って鎧を回収してもらうか、イチかバチかで取りあえずロケットを打ち上げてみて宇宙に出たら自力で衛星を探し、目に付いた最初の衛星に接近・襲撃して乗り込む(ファサリナ衛星から彼女の鎧をヴァンが蹴り出すとか)など、もっとスピーディーな展開が欲しかった所。
 ヴァンのロケット打ち上げを妨害すべく、エンジン点火直前に敵襲が…とかいうイベントもなく、少々物足りない。
 倉田 英之脚本の『R.O.D』でも、敵地に乗り込んでから、やたら緊張感に欠ける意味不明な展開になってしまったことを思い浮かべ、不安になってしまう。
でもまあ、その後は熱く盛り上げてくれているので、大丈夫かな。

 レイが なかなか面白いポジションを占めてきた。
目が見えないというハンデがまた、キャラクター性と悲劇性を深くする。
 他のキャラ達も それぞれ彫り込まれ、良くなってきているので、そうなると早々にリタイアしてしまった双子の子供とかを勿体なく感じてしまう。

 あと三話?
盛り上がって終わってくれる事を願いたい。


2005年12月7日 水曜日

『交響詩篇エウレカセブン』33.「パシフィック・ステイト」

 迫っているらしい激戦に向けて、ホランドらがリスタートを切る話。
 悪くはないんだけど…
ここまでにさんざん見せられてきた、ホランドの無為な暴力や愚かな行動を思い返すと、乗り切れない。
 ダメな部分を描く時は、パターンからはみ出して「やり過ぎ」ぐらいまで やったのに、懺悔の仕方が「教科書通り」の物なので、そんな程度で良いのかなあ?という疑問が生じてしまって。

 戦いも…ええと、誰を救出に行くって?
この人、前々から重要人物として扱われていたんだっけ?
 コーラリアン絡みの行動を取るのがゲッコー号の本分だったとすると、さしたる意味もなく お使いのついでに惨殺されてきた、軍の下っ端パイロット達の立場は?
そこに一切の反省無く、誰も船を下りず残ってくれましたみんなで一緒に頑張ろう!と言われても…

 普通は「これまでのドラマ的積み重ねのお陰で、今のキャラを生きた・愛おしいものと捉えられる」ようになるものだけど、この作品は「これまでの負の遺産のため、どんな展開も素直に受け入れ難い」ようになっている。
意味を感じられない半年分をバッサリ切り落とし、2クールのアニメとして作った方が良かったような(当初はそういう予定だったと聞く)。
 しかし、シリーズを長く伸ばされたのだから、その分 内容がつまらなくなっていても仕方ない、というのは間違い。
キャラについて、世界について、起こるイベントについて、描く事はいくらでもあるはず。
作品に魅力を付加するために、放送時間はどれだけ あっても足りない。
 放送期間を短縮された、というなら大変だけど、その逆は(作画など実作業の混乱はともかく)、取り返しが付かないような障害には ならないはず。

 最近は、アチャラカな方向に暴走してしまったシリーズを正道に立ち返らせようという努力が見られるので、昔の事は忘れて、素直に今の内容を見るべきなんだろうな。
 視聴者もここからリスタートして下さい、って事か。



『魔法少女リリカルなのはA’s』10.「運命」

 ああ、そうか!仮面の戦士って…
なるほど、前回の展開から、気が付いていても良かった訳だ。
こういうサプライズを仕込んでくるとは思わなかったので、素直にビックリ。
 事件の黒幕の思惑も、闇の書のパワーからすれば、分からなくもない。
 …ただ、何というかバタバタと…必ずしも視聴者が望むタイミングに沿わず謎解きをしちゃったなあ、という印象はある。
せめて2クールあれば、もっと余裕を持って、仮面の戦士の存在に興味を集めてから、その正体や黒幕を ゆっくりと暴けただろうに。

 闇の書は、自分がそう呼ばれる事に傷付いているみたいだし、忠実に主の願いを叶えようとしている様子。
という事は、これまで闇の書が邪悪な力を発揮していたのは、その持ち主に邪悪な面があったから?
『うる星2/ビューティフル・ドリーマー』夢邪鬼の、自分が見せる夢が最後にはみんな悪夢になってしまう、という嘆きに似た気持ちを書も持っていたり?
 どうも、悪意を持つ者が誰も居ないドラマになりそうな予感。
それは、前作からして そうか。

 魔法パワーで なのは達を圧倒する闇の書だけど…
主のためを思って、邪心無く戦うのなら、キャラの位置としてヴォルケンリッターと同じ事。
そうすると、キャラが立っていたヴォルケンに比べ、フツーである分 闇の書の方が弱い。
 姿が変わってしまった事で、はやてと戦っている、という悲劇性も薄くなってしまったし…
闇の書レディーとのバトルは、どうも余り盛り上がらない。

 次回、はやての内面が描かれて行くみたいだから、そこに期待。



 この忙しいのに、『24 -TWENTY FOUR- シーズンIV』を見終わってしまう。
大抵は仕事をしながらの鑑賞、だったけど、見終わってみると こう、「コレに24時間喰われたー!」という喪失感と、やり遂げた!というような妙な充実感がムクムクと(笑)。

 相変わらずシリーズの構成としては無茶で、事件が終わったかに見せて「ああ、そうやって続けるのか」と思わせ、手掛かりが途絶えて絶望的かと思わせて「はー、それが手掛かりになるんだ」と思わせる。
まるで予想が付かない展開は、見事!と誉めるべきなのかな。
 …スタッフも、隙なく話を決めてから作り出す、という訳ではなく、走りながら考える部分があるみたいだけど。
そのため、あの人はどうなったの?あのイベントはコレで終わり?など、疑問点が生じるのも これまでと同じ。

 相変わらず主人公・ジャックは、「そこまでやっちゃイカンだろう」を繰り返す。
街の小さなショップで取った行動には、さすがに、オイオイ!と突っ込んでしまう。
 これまで、「ヒーロー」っぽくあった彼の行動が、今回は より「ダークヒーロー」の深みを持つ。
失う物があってこその、ダークヒーロー。
 彼が居たから、大勢の命が救われるのだが、引き替えに彼は、当然の権利として自分が得られるはずだった多くの物を失っていく。
それでも泣き言など言わず、ただただ全てを背負い込んで危機に向かっていくジャックは、漢だねえ。
 そんなにまでして守りたい物とは何か。
戦いを終えた彼は一体何を得たのか。

 今回も いくつか意表を突く仕掛けがあり、特に後半の衝撃的イベントに組み込まれた細工には、唸らされる。
なるほど!そんな手があったか!
 大仰になっていく事件も、この辺が最高潮、と言って良いんじゃ無かろうか。
アレもやったしコレもやったし、これ以上何をすれば良いのか、思い付かないぞ。

 しかし、今期で一番面白かったのは、ジャックにかけるクロエの言葉。
辛いことがあるならいつでも話を聞く、とか言ってたけど、つい「お前に悩み事話すぐらいなら、壁と話してた方が、イラつく事言わんと黙っていてくれるだけでも よっぽどマシじゃ!」と思ってしまった。
 いや、頼りにはなる お姉ちゃんだが。
額の深〜い縦ジワがなあ…

 ここいらでジャック・バウアー・シリーズは終わりを迎える…のかと思えば、シーズン5が制作中?
うーむ、この先 一体何をするつもりなのか。
 また、レンタルで出たら見せてもらう事にしよう。


2005年12月6日 火曜日

『おねがいマイメロディ』36.「地球が救えたらイイナ!」

 バクが55年に一度だけ使える伝説の力を行使する話。
 …バクって55歳?
55年の年齢的蓄積が無いとダメ、って訳ではないなら、10歳で伝説の力を使い、その後は65歳まで使えなくなる、というスケジュールになる可能性も?
 前回バクの一日を追ったのに、今回もまた?…と思えば、それは切っ掛けで、後はネタをゴロンゴロン転がす暴走バカ話。

 火星の人面遺跡(じゃないらしいが)に布団を掛けてあげる、優しいんだか何だかのマイメロに、大笑い。
 宇宙空間がデタラメになった事に対し、NASAが取る対策は、「寝たふり」。
そりゃまあ、困難が、向かってくる小惑星一つだけで、ある程度の期間があるなら『アルマゲドン』や『ディープ・インパクト』的 破壊作戦も実行できようけど、こんなに大規模でイキナリじゃ、現実を拒否してしまう以外どうしようもない。
 月のウサギが、地球に向かってくる無数の小惑星を、杵でパッカンパッカン打ち返す凄まじいイメージには、感動すら( ^_^ )。
 「そこそこの笑い」で終わらせないよう、「そんな無茶な」までネタを煮詰めた(思い付いた?)スタッフの努力と情熱と悪ノリが素晴らしい。

 大笑いバカ話の裏側で、常識を外れた事態に ほんの少しだけ面白さを感じる柊の姿が示される。
最初、まるで心らしいモノを持っていなかった彼が、歌やクロミ達と出逢い、付き合う事で、少しずつ人間性を回復しつつある?


2005年12月5日 月曜日

『BLOOD+』09.「それぞれの虹」

 ベトナム話。
今度は、兄弟の視点から描く。
 前回が、さしたる悩みも無い お嬢様学校での恵まれた生活ぶりで「陽」だとすると、今回は市井の人々の困窮した暮らしぶりを描く「陰」。
 …ベトナムの状況が どちらに近いのかは、知識不足で判断できず。
とりあえず、「架空の国ベトナム」の話だと捉えて見る事に。

 不発弾の爆発で片足を失いながら、健気に元気に生きている少女と、リク達が出逢う。
 この少女を、興味半分で扱うのは勿論、可哀想可哀想のお涙頂戴で描いても、生理的に不快感が残っただろう。
実際は、実に細やかな気遣いによって、微妙な位置の、魅力あるキャラクターとして描けており、見事な綱渡りの成功ぶりに感心。
 兄の命を奪った不発弾を、しかし生きるためには自分も探さなければならず、リクに買ってもらった探知機を使って畑を探る少女。
哀しみも悲壮さも突き抜けた、諦念から来るのか「常識」が違うからなのか…明るさがあり、自分の村にリク達を迎えた少女の屈託のない笑顔には、ドキッとさせられてしまう。

 面白い話だったけど、前回と同じく、「これまでの積み重ねがないと成り立たない内容」では「ない」ので、ウダウダした これまでのストーリーの必要性に疑問符が付く。
 でもまあ、作品が良い方向に向かっていると感じられるのは、嬉しいところ。



『ガイキング』04.「行くぜ!ダリウス突入作戦」

 旧作では頭部を打ち出した後の大空魔竜がグルグルッと丸まる事を「渦巻き防御体勢(ヴォリューション・プロテクト)」と呼んでいたが、今作では、機体そのものを見えなくするモードとして「イリュージョン・プロテクト」という設定に変えてきたか。
魔竜内部の通路がググッと湾曲していく旧作の防衛体制イメージは好きだったんだけど、よく考えると、あんまり意味がなかったので、この変更はまあ妥当。

 地球の内部世界…じゃなくて、異空間にある世界?に突入していくダイヤ達。
この際(スーパーロボット物だし)別に地球空洞説でも構わないような気がする…スタッフは こだわりたいのかな。
 地球上の各地を転戦するものと思っていたが、異世界に移すのか。
三条 陸氏の得意なフィールドに持ち込んだ?

 バトルの組み立てや、危機また危機という見せ方には、なかなか工夫が感じられて好印象。
敵キャラクターの立て方も、さすがシリーズ構成氏は、上手い。
 もっと大雑把なアニメになるかと思っていたが、意外に繊細な作り。
…無くしたガイキングの片腕はスペアがあるの?とか疑問な所もあるけど(あれだけ巨大な機体だから、いくらでもあるかな)。
 メカ作画に根性が感じられるのも嬉しい。


2005年12月4日 日曜日

『仮面ライダー響鬼』42.「猛る妖魔」

 前回、イブキの弟子であることを辞めてしまった あきら。
どこか…親類を頼って田舎とか…に行ってしまうんじゃないかと思ったが、普段通り学校に来ていて、安心。
 晴れやかな顔すらしているのは、鬼になる事への迷いや悩みが消えたからだろうと、喜んで上げるべき?
 前回を引いて、「私、保母になりたいんです」というような具体的な夢が見えてくると、もっと彼女の未来に(こちらの勝手な)希望を持てるんだけど。

 鬼になる、それ自体は良い事でも悪い事でもない。
人々のために働く尊い仕事ではあるが、仕事には変わりなく、選ぶのも選ばないのも個人の自由。
 また…途中までの「鬼=理想的大人」というような図式が変わり、「鬼=そういう職業に就いている鍛えた(迷える)人々」ぐらいの捉え方になった事で、鬼にならない決心を「間違っている」とする理由は無くなっている。
 ドラマ的には、あきらが鬼を諦める決断に向け、もっとイベントを組んでグイグイ後押しして欲しかったが。

 修行を始める少年達。
京介には体力が無い、という設定、忘れてないんだ。
車に轢かれそうな幼児を助けた反射神経から、運痴云々はもうナシにするのかと。
 ダメながら、ぼやきながらも特訓に付いていく京介は、思ったより根性がある。
イメージとして、ジョギングをサボってタクシーで目的地まで先回り、みたいなインチキするんだろうと思ってた。
 しかし彼は、体力作りナシで、どのような修行が成されると想定していたのか。
「神秘的な修行」といっても、例えば座禅を何時間か させたって、同じように「こんなの意味がない」と言い出しそうだけど( ^_^ )。
 彼なら、鍛えるばかりの鬼になるより、「パワードスーツを着込む」形で超人化する方向を目指した方が良いような。
 京介が目立っているため、真面目に無難に修行をこなしている明日夢の印象がすっかり弱くなっているが、それは構わないのかなあ?

 重傷を負うトドロキ。
この事件が、「確固たる決意」という程のモノは持たず鬼を目指す少年達に、どういう影響をもたらすのだろうか。
 ザンキさんに死亡フラグが立ちまくっているのが不安。
彼の死を切っ掛けとして、再起不能とされたトドロキが立ち上がり…とか、ドラマとしてはアリだろうけど、ザンキさんファンとしてはナシにして頂きたい!
 スーパー童子達は、スーパーパワーを持つアホ→シリアスな殺し屋、という段階を経て、自らの存在に疑問を持つ自我が生じるようになった?



『ドラえもん』「ロボ子が愛してる」「声のかたまり」

 前半。
 「ピーナッツを投げ上げて口で受け止める」得意技を、しずかちゃんたちに伝授しようとして、出来なかった(女の子達に呆れられてしまった)のび太。
…そりゃあ、女性に喜ばれる特技じゃないもんねえ。
これでモテたら、その方がおかしい。
 傷付いた(とドラえもんが思う)のび太の心を癒すため、未来から美少女型ロボット・ロボ子が連れて来られる。

 彼女は、のび太の全てを認め、彼を深く熱烈に愛し、守るためならどんな事でもする。
 つまらないピーナッツ食べの特技を見れば「あざやか〜」と必要以上に喜んで見せ、間違いだらけの宿題さえ「こういう個性的、かつ独創的な間違いは誰にでも出来るものじゃないわ」と感心してくれる(「先生向けの回答は私が書いておきましょう」というフォローも楽しい)。

 …余談だけど、藤子先生は、作中でダメな人間をダメなまま受け入れ、価値付けする理屈が実に上手い。
 今回のセリフも、確かに言われてみれば、大抵一つしかない(特に義務教育内では、解法まで含め一つしか認められない事が多い)「正解」に対し、どうしてこんな風に間違えられるのか、と思う「間違い」の方が、「個性的、独創的」という意味では価値が高いだろう。
 『チンプイ』では、音痴のヒロインを価値付けるのに、「正しい音程に乗せる事など、機械を使えば簡単にできる。しかし、微妙に音程を外し続ける歌声は、個性ある人間にしか発せられない」という もの凄いアクロバットの、しかし「なるほど、そうかも」と思わせる理屈をひねり出して見せてくれた。

 この後は、何というか、「『萌え』作品の溶けるように甘い、楽しい時間」が「悪夢」に変わる様子が描かれていく。
「あなただけを、心の底から、深く強く愛する」という事は、逆から見ると「あなたも私の事だけを、深く強く愛して!」という事。
 のび太に(特技を無視するような形になった事を)謝る しずか。
そういう彼女に、激しい嫉妬心を燃え上がらせるロボ子。
 彼女の嫉妬は人間だけに限らず、のび太の顔を舐める犬にさえ、「殺意」に近いパワーを持って(彼女は実際、他者を容易に害する事が出来る腕力を備える)、向けられてしまう。
 「私以外のものを可愛がることも、誰かに可愛がられることも、許しませんからね!」
というセリフの恐ろしさには、ガクガクブルブル。

 愛情の裏側に潜む恐怖。
 藤子作品の「黒い」部分が、楽しい物語の中に高濃度で展開される、凄い話だった。


2005年12月3日 土曜日

『ウルトラマンマックス』23.「甦れ青春」

 長官役の黒部進を中心に据え、普通に見ても「お爺ちゃん達が頑張る話」として成立しているが、ファースト・ウルトラマンを知る世代には尚一層、感慨深いモノがある内容。
桜井浩子は元々レギュラーだけど、イデ隊員を演じた二瓶正也をゲストに迎え、「科学特捜隊」という組織が かつて存在したかのような雰囲気で、ストーリーが展開される。
 どうせなら、故人となってしまった小林昭二以外全員揃えるって事で、毒蝮三太夫も呼んでくると良かったかなあ。
もう出たくない?

 いつもボケていて役に立たない印象のある長官が、文句なく大活躍してくれ、単純に嬉しい限り。
 イデ隊員も、まだ発明家を続けているようで楽しい。
メカニックも手掛けるDASHのショーン隊員が、彼を崇拝の目で見ているなど、世界の繋がり具合には結構 気が遣われている。
 怪獣の怒りを、それを生み出したのは自分達世代の環境破壊だ、と、受け止めてみせる長官。
 しかし…責任の取り方は、「既に誕生してしまった怪獣を倒す事」なの?
まあ、その命に同情しても今更何にもならない訳だし、彼らの職務内で、最大限出来るのは、「安らかに眠らせる事」だけか。

 カイトに戦う理由を尋ねる長官。
ここ、「何故 戦って『くれるのか』」という言い方なら、暗に長官はカイトの正体を知っているような意味を持たせられるな、と思ったけれど、「長官もかつてウルトラマンだった」とするなら、「『君は』何のために戦うのか」という聴き方で正当。
 墜落した特殊潜行艇から変身のため飛び出したカイトについて、全く疑問を示さず、黙って再度離陸する長官。
帰ってきたカイトに何も尋ねず、カイトもまた何も言い訳しないところなど、「ウルトラマン同士、暗黙の了解」を感じさせるシーンが見受けられ、嬉しくなってしまう(多分、次回からはまたタダのボケ長官に戻るんだろうが…)。

 十二分に楽しい話だったけれど、欲を言えば、この内容だからこそ旧作怪獣を再登場させるべきでは?
「ヤツとは昔戦った事がある。強敵だぞ」とかいう長官のセリフが聞きたかった。



『ラムネ』08.「ふたりの絆と揺れる想い」

 前回 登場した美空に決着を付けるエピソードになるかと思えば、何となく周囲に馴染んでしまった彼女を置いて、今回は後輩・裕美をメインに据えた話。

 呼び出され、裕美に告白されたらしい健次。
その返答を見せないまま、妙に周囲は二人をくっつけようとしているような雰囲気。
 七海との仲は公認になっているものと思っていたのに、意外と流動的?
それにしても皆の態度が変なので、健次への気持ちが強い裕美のため、一時的に接近させてみて自主的に諦めさせようという計画なのか、と思えば…
 なるほど、転校を前にしての思い出作り。
そういう事なら、納得できる。

 裕美の接触に対し、警戒心を抱く七海。
といっても攻撃的になる訳ではなく、さりげなく、しかし強く「所有権」を主張。
 ああ、これぐらいが可愛いと思える「癒し」の範疇。
ここを越えてしまうと、弱い男共は、「女の子ってコワイ」とか言い出しかねないので(笑)。

 最後に玉砕覚悟で告白し、静かに諦める裕美は、良い子。
 彼女の思い出を作る計画になっている事を、七海には言い出しにくかった健次の気持ちも、分かる。
作劇の都合もあり、女の子の間をフラフラする事が多い男性主人公キャラの中で、裕美と付き合えない理由として七海への気持ちを告げる健次は、なかなかイイ男に思える。
 そういう事を全て、理解してか しないでか許す七海も、愛しい。
 今回も、良いお話でした。



『舞-乙HiME』09.「海−水着+遭難=?」

 遠足に出掛けるアリカ達。
と言っても、この遠足は試験の一環であり、重い荷物を背負い、厳しい道のりを行く死の行軍。
そりゃ生徒達が嫌がるはずだ。
 自衛官の訓練みたいだなあ。
オトメになるのは甘くない。

 食料現地調達はともかく、それでマスターに出せるような食事を作れ、というのはかなり難しい課題。
アリカの作った この世のモノとも思えない食べ物が、まあ妥当というか仕方のない所で、ニナ達が用意した「ディナー」と表現すべき優雅な食事は、どうやって支度したのか( ^_^ )。
調理器具一式も背負って行ったのかな。
 訓練だから良いようなものの、実際こうした事態に巻き込まれた際にはディナーなんて作れる訳ないんだから、サバイバル食作成の訓練の方が大事なような…



『魔法少女リリカルなのはA’s』09.「クリスマス・イブ」

 はやての病室に集い、変身前の姿で顔を合わせてしまう、なのは・フェイトとヴォルケンリッターの面々。
変身をしていない、という事で、もしかしてお互い気がつかなかったりするのでは?と一瞬思ったけど、普通に勘付いたみたい。
既に、写真を見るだけでシャマルは真相を理解していた訳だから、この世界の「変身」は「戦闘用の服装に着替える」だけ、という事なのかな。
 忘れてたけど、前作第一話のあらすじを見ると、イメージした「身を守る強い衣服」を形成した、と書かれているので、「強い自分」とか「理想とする姿」に変身した訳ではないのか。

 プレゼント込みの楽しい お見舞いとして、はしゃぐ すずか達と、緊張感漂うにらみ合いに突入してしまう なのは達の対比が可笑しい。
 このまま、じりじりと火花を散らし一触即発の気運を孕みつつ、穏やかなクリスマスパーティーを開催する、という感じで半パートぐらい費やしてくれても楽しかったかな。
残り話数もそう多くないのに、そんな無駄してる余裕は無いけど。

 パワーアップした なのは・フェイトとヴォルケンリッターの戦いに期待したが…仮面の男の乱入でウヤムヤ。
対立した二者が、互いに互いへの憎しみや怨みなど戦う動機を持っていない場合、こうして「悪意の」第三者が介入してくる事で、戦いの相手を一気に換えてしまうのは よくある手だけど……
普通にヴォルケンリッターとの決着を付けて欲しくもあったため、物足りなく感じてしまう。

 二人に増えた仮面の男、彼らは なのは達に変身し、闇の書は とうに壊れていたと語り、絶望から はやての奥底に眠る本性を引き出した…のかと思えば、彼女は闇の書に乗っ取られた?
 怒濤の展開過ぎ。
はやての変身に対して的確なリアクションを取り、情報を整理して伝える役割を担っていたはずのヴォルケンリッターが消えている事もあって、ポカーン。
 今期は、何よりも戦士三人組プラス一匹のキャラクターが面白かった訳で、彼女らを置いて、超絶の力を得た はやて(闇の書)との激しいバトルが始まります、と言われても、余り盛り上がれなかったり。
いやまあ、それは次回の見せ方次第だし、ヴォルケンリッターもこのまま退場するはずはないのだけれど。

 頑張ってきた作画が、大事な回だったと思うのに、ちょっと崩れ気味で残念。
はやての変身など、もっと渾身の作画で見せて欲しかったところ。


2005年12月2日 金曜日

 今更ながら、『ワンダと巨像』を購入。
プレイした人の話を聞くと、面白そうだったので。
 3Dで作られた広い空間、そこに現れる圧倒的に巨大な像。
画的なインパクトは素晴らしく、頑張ってクリアしようと思ったのだが…

 10分ちょい経過した所で、3D酔いによりダウン。
 うあ〜、またか……
この3Dに激しく弱い体質は、何とかならないのかなあ。



『SHUFFLE!』20.「忘れられぬ罪」

 これまでの例から、どうせ今回、楓のエピソードも、このあたりで美しくまとめて青春の一ページにするつもりなんだろうと思ったが、なかなか、追いつめるなあ。
ダークな方向への強い面白さがあって、ハラハラしつつ楽しく見ているけど、人によっては拒否反応が出そうなぐらいシンドイ話。

 楓が稟に寄せる、多分に狂気を含んだ想い。
こういうのは、イイねえ。ドラマティックで。
 余計者の亜沙を拒絶しようと、稟と二人だけだった頃を思うのは、意図してかせずか、プリムラをも拒絶する事になっているのだが。
唯一、彼女の味方と言って良いプリムラさえ心から追い出そうとするようで、狂熱に突き動かされる人間の崖っぷち精神状態をよく表しており、ゾッとする。
 眠る稟に迫ったのは、自分だけの物にしようと「殺す」ためだと思ったが、実際には体でナントカしようという事。
まあ、ここで刃物を振り上げては、さすがに どういうフォローも入れようがないか。

 見る者を引き付ける凄味を発揮した楓に対して、稟というキャラクターは…
これまで(冤罪事件後)楓を大事にしている そぶりなど無かったと思うが、急に「楓を守るんじゃなかったのか!」などと叫ばれても。
 前回、亜沙相手に楓が「死んじゃえばいいんだ!」と錯乱して喚いた事を、どう捉えていたのだろう?
精神的に脆い女の子と同居している自覚は、過去の経緯からも当然あったろうに、錯乱を何とも思っていなかったんだとすると、鈍感とか何とか言う問題ではなく、人間として何かが大きく欠けているとしか。
 幼い頃から稟を虐め続けた楓の心に傷跡が残っているのだから、虐められた当事者の稟には、どれだけの精神的屈折や欠落が生じていても不思議ではない?

 他の女にうつつを抜かしてロクに帰らず、終いには家を出て行くと言い出す稟。ボロボロの楓。
居場所のない家庭で暮らさなければならないプリムラが、憐れ。
 でもプリムラはまだマシな扱いで、異界娘二人なんて、登場してくる余地さえ失われている。

 元々「ほのぼの無責任ラブコメ」ぐらいの骨格しか持っていない物語に、不相応なほど重いドラマを乗せてしまったため、土台が崩れかけているような。
その崩れようが、たいていパターンで先まで読めてしまう「萌え」作品とは違う色合いを、このアニメに与えている。
空中分解するかどうか、ギリギリ瀬戸際の、お話だけでなく製作の裏側まで含めたスリリングな面白さ。
 今、見ていて一番ドキドキするアニメかも。


2005年12月1日 木曜日

『ARIA The ANIMATION』09.「その 星のような妖精は…」

 毎回毎回、よくこれだけ ほのぼのうにゃうにゃぽえーとした内容に出来るもんだ。
 うっかり、ドラマ中へと芯になる何かを入れ、それを描き出すため多少なりと「硬い」印象を残すイベントを組んでしまうのが、普通の製作者。
一度二度ならともかく、こんなに長い間、何も無い(「左手お仕置きキャンペーン」とか、時折やんわりと「何か」が入っている事はあるけど)話を、しかも飽きさせずに続けるのは、至難。

 今回の話も、伝説のウインディーネが登場したのだから、最後にチラッとでも その凄味を感じさせる出来事…列車に乗り遅れそうな灯里達を駅まで送り届けるべくゴンドラに乗せ、まるで揺らさずに激流を下ってみせるとか…を入れてしまいそう、入れなきゃ不安だ!と考えるのが常識的思考。
 しかし、そういう小細工は、全く無し。
常人的な思考を持つ藍華と一緒になって、視聴者も拍子抜けし、しかし その余りのハズされ方を「楽しい」「心地良い」と感じさせられてしまう。
 本当に、難しい作り。
これだけストレスも、それが解消される事で設定するカタルシスも無い話で、30分もたせてしまう演出力には、ただもう感心するばかり。

 とか何とか、ゴチャゴチャ言う必要などなく( ^_^ )。
灯里かわいいなー、藍華「恥ずかしいセリフ禁止」言うてくれー、アリス「でっかい」の使い方が でっかい間違って行ってるよー、社長 みんな騙されるなコイツはどう考えても猫以外の不気味生命体だ!…などと ぼんやり思いつつ、心地良い流れに身を任せ、30分 癒されて終われば良いアニメ。



 レンタルで映画『バットマン ビギンズ』を見る。
 監督は、緻密に組み上げられた変な話『メメント』のクリストファー・ノーラン
 主演、『リベリオン』で超絶の馬鹿馬鹿しいガンアクションを見せてくれたクリスチャン・ベイル

 新たな解釈でスタートを切る、『バットマン』の第一作。
異常者が集まる街だったゴッサム・シティーが、犯罪者に巣くわれてはいるものの、現実として理解しやすい場所に。
 第一作であれば、人気敵キャラ・ジョーカー辺りを敵に据えそうな物だけど、スケアクロウっていうのが渋い。
それも、現実離れした能力を持っている訳ではなく、合理的…あんなにすぐ幻覚を見せられるか、とは思うけど、まあ比較的…な存在として捉えられている。
 バットマンの装備にしても、自社の開発部が作り上げた採算の取れない装備を流用する、という事で、納得しやすい。
ウェイン個人の お金だって余ってるんだから、モーガン・フリーマンを自宅に抱え込んで新装備を開発してもらう、って手もあったと思うが。

 渡辺 謙の役柄は…うーん、一瞬で終わりだし、別に彼でなくても構わないし、さんざん。
せめてリーアム・ニーソンと役を代わってもらえば。
 ブルース、よく分からない団体に勧誘されホイホイ付いていくのは、若くて無謀、とはいえ無茶もいいところ。
稽古を付けてもらい、かなり世話になったのに、最終的に恩を仇で返すのも どうか。
 脅されても犯罪者を処刑できないブルースに対し、渡辺 謙が「それで良いのだ、ただ力を振るうだけの殺人者に生きる資格はない。お前の本性を試させてもらった」とか格好良く語りかけるのかと思ったが…後の行いを見ても、あんまり正義側と思えない、迷惑な人々だったのね。
だからブルースの行いは結果的に問題なかったのだけれど、本部をメタメタにした時点では、ここまで詳しく彼らの行状を知らなかったような。

 苦悩を刻みつけたクリスチャン・ベイルの表情がイイ。
 アルフレッドを演じるマイケル・ケインの、飄々とした演技も素晴らしい。個人的に、吹き替えは中村正でお願いしたかった。渡辺 謙の声が本人でない事より、気になるので。
モーガン・フリーマンといい、爺さん達が脇を渋く…美味しい所を持って行きつつ固めてくれる映画。
 絶対 途中で裏切ると思ったのに、最後まで正義の側にいたゲイリー・オールドマンは意外。

 言えば「漫画」を、とことんまで真面目に捉え、考え抜いた跡が見える。
 ブルース・ウェインが抱く恐怖を、幼い頃落ちた井戸で脅かされたコウモリの群れに象徴させ、それを克服し、自らがその「恐怖」と化す過程を、堅実に描いていく。
 犯罪を抑止するのに「恐怖」を用いる、その考え方が面白く、しかし敵・スケアクロウや闇の軍団が駆使するのもまた(薬物を用いた)「恐怖」なのだ、という対比は深い。
 父親が、街の「安定」を目指して敷設したモノレールが、「混乱」を運ばされてしまう。
それを止めるため、支柱を破壊し遺産(父が用意した道)を台無しにしてしまうバットマンの決断が、「私」を捨ててヒーローになる瞬間。
物ではなく、彼自身こそが、人々のために働こうとした父親の「遺産」。
 読み取ろうと思えば、こんな浅くではなく、もっと様々な事が読み取れるだろう。
それだけ、良く出来たストーリーだと思える。

 細かい事を考えずとも、単純にバットマンの強さや、無骨な特殊車両で展開するカーチェイスが楽しく、エンターテイメントとして良い出来。
 劇場で見れば良かったなあ…と感じる、面白い映画。


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