ときどき日記 2006/02

2006年2月28日 火曜日

 映画『県庁の星』を見る。
 監督は、テレビ番組を手掛けてきた西谷弘。
主演、織田裕二。柴咲コウ。

 事前に仕入れたこの映画に関する情報と言えるモノは、予告編CMだけ、という状態で見て、なんで「県庁の星」ってタイトルなのにスーパーで働いているシーンが多いのか、の疑問が氷解。
なるほど、そういうストーリーだったのか。
 エリートで、「公務員」「お役所仕事」を体現しているかのようだった織田が、思わぬ事態にぶつかり、人生の様相をまるで変えていく、そのドラマ運びは なかなかに楽しい。
 テーマを描きつつもエンターテイメントな映画として、変な部分や分かり辛い所が無く、スッキリと見て、言わんとしている事については見た誰もが間違わず受け取れる内容。
それを「優れている」と取るか、「どうも薄くて物足りない」と取るかは、見た人次第。

 そんなには予算を掛けていない映画なのかな。
特に映像の切り取り方が…「テレビシリーズ」以外のナニモノでもなく、劇場の大スクリーンで見るには ちょっと弱い。
 内容についても、この映画で大きな不足がある訳ではないが、テレビシリーズ化して細かな所まで描き込んだ方が より面白くなったかも、と思わせられる。
時間が足りないからなのか、結構な時間を費やして描いてきた織田プロデュースの弁当エピソードでも、結局どのような方法で売り上げを伸ばしたのか具体的に分からないし。

 ダメなスーパーが立ち直っていく過程の描き方では、『スーパーの女』の方がずっと納得できる。
しかし、この映画では、そのスーパーと「公務員」というまるで異質なモノ同士を組み合わせる事で、両者が反発し、あるいは混ざり合い、新しい何かが産まれてくる独自の面白さを演出できていると思う。
 『星の王子 ニューヨークへ行く』『キャプテン・ウルフ』なんかにも似たライン?

 スーパーなら、良い方に進化したり効率化を図れたりする変化は「良いもの」として歓迎されるが、公務員社会では「そうでもない」。
「余計な事をするな」扱いすら、される。
その辺をリアルに、シビアに描きながら、しかし僅かな希望を感じさせるラストが心地良い。
 正直、映画館で見る価値については…疑問があるが、いつか何かの形で見れば、楽しめる内容であるのは間違いないだろう。



『轟轟戦隊ボウケンジャー』02.「竜の略奪者」

 『デカレンジャー』でもそうだったが、このシリーズも固定した悪の帝国を設けないまま進めるつもりなのかな?
大高神官がゴードム文明の威光を甦らせていく様子が、敵側ドラマの中核を成すのか。

 ボウケンジャーはサージェス財団という民間団体が運営している設定。
だったら、お馴染みシリーズ途中での正義側新規キャラクターとしては、ライバル企業や異国家がバックアップするトレジャーハンティング・グループなんかどうだろ。
結果優先で、どんな非情な手段も取る奴ら。
 財団トップの馬鹿息子が無理矢理ボウケンジャーに加わってくるとか。
世間知らずで無茶な行動を取り迷惑、しかし金にあかせた豪華装備を持っていて戦力としては超強力。
 弱小ネガティブシンジケートの中に、人類側に付く連中が出てきても。
 プレシャスとして、自意識を備えた戦闘用人型マシンが発掘される、とかでもイイな。



『交響詩篇エウレカセブン』44.「イッツ・オール・イン・ザ・マインド」

 人体実験シーンの生理的気持ち悪さには、驚く。
ドミニクの反応からしても、当然ここは、「うっかり気持ち悪く描いてしまった」のではなく、「意図して、視聴者に嫌悪感を感じて欲しくて」作ったシーンなのだろう。
 演出意図は見事に達成できているけど、軍の非道やアネモネの出自を見せるだけなら、ココまで必要なのかどうか…
 まあ、常識的見地からは怒られかねない描写を行う事について、自分はヒトサマをどうこう言える職業でなく、個人的には興味深く見たので、全然 構わないけども。
凄い覚悟だなあ、と。

 前回、エウレカと感情的行き違いがあったレントン。
あんなにエウレカへの「愛」を宣言しておきながら、そりゃナイのでは。
 入り江から出られない、って話じゃなかったっけ?何気なく脱出できていたような…とか、演出や構成の意図に まだ分かりかねる部分があり、もうちょっと見ないと何とも。


2006年2月27日 月曜日

『魔弾戦記リュウケンドー』08.「水にひそむ魔」

 兄に対し、複雑な思いを抱くSHOT隊員・左京鈴。
 彼女が兄の気持ちを理解し、自分に出来る精一杯の事をやろうとする辺りでは、ちょっと胸を熱くさせられてしまう。
なんてこった!『リュウケンドー』なのに!(誉め言葉)

 レギュラーになっている肉屋(?)の夫婦。
そのコロッケが美味い事は以前から時々語られているが、おいしく作るコツとして「温度」が挙げられ、それをきっかけに魔獣の現在地を割り出す、というシナリオ作りの意外な丁寧さに、感心。
 魔獣が川を歩いた、その足跡から滲むように川面が赤く染まっていく、画面処理も頑張っている。

 自分の危機に駆けつけた剣二を、一瞬、亡き「兄」と間違えてしまう鈴。
 兄と剣二は、一見まるで違うタイプに思えるが…
兄が本当にしたかったのは、「環境保護」でもあろうが、妹・鈴の気持ちを守る事が中心、と考えると、鈴を思い、救うために飛び込んできた剣二が兄に重なって見えるのも、納得。
 環境を守ってくれた礼を言うように、亡き兄が還って来たかのように、二人を包む蛍の群れが美しい。
 いや、良い話だった。



『ガイキング』13.「衝撃!キャプテンは父さん?!」

 ガイキングのキャプテンは、ダイヤの父親ではなかった。
「いかにも」父親然とした伏線が最初から見られたので、違うな…と思ったけど、視聴対象年齢を考えれば意外と素直に想像通りの正体とする可能性もあり、迷っていたところ。
 地上人ですら、ない、という徹底した人違いだった。
しかし、ダリウスにとってさえオーバーテクノロジー気味の大空魔竜を、どうやって作り上げたのか、など、まだ不明な点は多い。
 キャプテンは、将軍ヴェスターヌ辺りの父親だったりして。
いや、ダリウス大帝の弟、なんていう設定でも良いなあ。

 ガイキングの手、足となるパーツそれぞれを変形させ、単体で敵に殴り・蹴りかかる戦法が楽しかった。
『イデオン』を思い出す。石川版『ゲッターロボ』も。
 フェイスオープンに、時間的制約を付けるのが、ごくまっとう。
「最初からそれで戦えば良いのに」と視聴者に思わせないため、逆転フルパワー発動に何らかの限定条件を設けるのが こういう作品のお約束。
しかし、最近はこれをナイガシロにしているアニメ・特撮が多いような。
そうなると、演出で余程上手く運ばない限り、「製作者の都合」が見え、白けてしまう。
 「お約束」には、それが お約束になるぐらいよく使われるだけの、理由があるのだが。

 今週は、アクとケレンミ満載の作画が見られ、嬉しい。
 この作品 最大の難点は弱い作画だと思うので、今回ぐらいに「ロボット物の醍醐味」を感じさせてくれる作画が、月一ぐらいで回ってきてくれれば…


2006年2月26日 日曜日

『ウルトラマンマックス』35.「M32星雲のアダムとイブ」

 他の星で生きていって欲しい、と守護獣を脱出させるのは自由だけど、地球人側に受け入れるメリットは特に無いなあ。
DASHの施設が崩壊した程度の被害で収まったから良いようなモノ(笑)の、一般人に怪我人や死者を出していたら、対応はずっと難しくなったろう。
あんまり、迷惑なモノを寄越さないで欲しい。

 …なんて自分勝手な考えは、最後に示される「我々もいつか、他の星への脱出を計る立場になるかも知れない」という視点の提示で、見事に相対化される。
 子供を連れて異星へと脱出したところ、着陸の衝撃から目覚めてみると子供がおらず、周りに気持ちの悪い(余りにも自分と異質な)生き物がウロウロしていたら、そりゃ過剰防衛反応を起こして仕方ない。
その星に住んでいるのが、比較的エイリアン(地球人)に理解のある生物な事を、祈るのみ。
 自分達がされて困る事は、他の人にもするな。

 姉弟の可愛らしさ、意外な知恵と、さすがに大人だから それを易々と見破るDASH、という見せ方が楽しかった。
 自転車のシーンを見ても、『E.T.』が元ネタになっているんだろうけど、もうちょっと姉弟と異星怪獣との交流が描かれると、見応えあったかな。
「訳が分からない、異質な生き物にも優しく接する事が出来る子供達」を描くのが狙いだから、怪獣がペラペラ喋ったり人間と変わらない行動を取ったり し過ぎると、良くないのか。



『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』07.「みんなで海へ」

 親友だった男が女の子になってしまい、彼(彼女)に対して芽生えてしまう恋心に葛藤し、友情との間で揺れ続ける明日太…というのは、この特殊な設定を持つ作品ならではの要素。
 思春期を迎えた…もっと分かり易くストレートに言うと「やりたい盛り」(^ ^)の男の子にとって、外見 可愛く肉感的な女の子でさえあれば、好意の対象になって当然。
 また はずむは、「元・男の子だった」事を微塵も感じさせず、女の子っぷり全開だからなあ。
脳内まで完全に女性化している様子からすると、無理矢理気味に○しても、はずむが悩むのは「合意の上ではなかったこと」と「やす菜を挟む関係の複雑化」だけかと。
 だったらもういっその事…………と、これ以上書くと職業的倫理観が出てしまうので、自粛。

 お兄ちゃん達のナンパに困惑し、ただただ明日太に守ってもらう はずむ。
そういえば、とまりが はずむに相対する態度も、「保護者が、被保護者に抱く好意」が基になっている。
 ただ他者から守られるのを良しとするのは「男性的でない」と考えると、はずむは、体の女性化と関わりなく男っぽさの薄い(男っぽくある必然性を持たない)存在だったと思える。
 彼が、誰かを守ろうとする「男らしさ」を発揮したのは、余りにも弱い やす菜を前にした時だけ。
体が女性化する事で ようやくやす菜と正面から向き合えるようになり、自身が初めて「保護者」となり「男らしく」なる機会を得た、というのが皮肉。
 そういう意味で、やす菜は彼にとり、特別にも特別な存在だろう。
 はずむが、「彼が世話をしてやらなければ枯れてしまう」植物の育成に熱心なのも、「被保護者を得たい」気持ちの表れだったのかも。


2006年2月25日 土曜日

『半分の月がのぼる空』最終話.「僕たちの両手は」

 破綻無く、綺麗に収めた最終回だった。
フィクションなのだから、里香の病気を全快させたり、あるいは急激に重くして悲惨な状態を見せることも簡単だったと思うが(原作との兼ね合いで、無理?)、そういう方面の盛り上がりは無く、難病物として妥当な終わり方。

 主人公が企てる、バカバカしい、とも言える里香との再会計画(病室のドアを突破した方が簡単)に、文句も言わず協力してくれる友達が嬉しい。
マスクマンが二人に増える悪ノリには、笑ってしまう。
 頭が悪い自分の行動を認めてくれる、同じぐらい頭が悪い友達が居て、闇雲に好きな女の子が居て、果てしないと思える未来に眩む目があって、だから「現実」に押しつぶされない選択が出来る。
けして明るい明日が見える訳ではないが、「青春」はコレで良いんだろうな、と思わせる、爽やかな、心地良いエンディングだった。

 全体に。
 とにかく全六話は短く、主人公の幼なじみ少女など、出しただけに終わってしまっている。
夏目医師も、極悪なキャラクターイメージに落とす事は出来ていたが、その辛い過去は理解しても、患者に対する暴行を埋め合わせる所までは行かず。
まあコイツは、ロクデナシだと捉えていて構わないんだろうが。
 里香を もう少し深く彫り込んで欲しかった…
彼女は、主人公の「青春の日の幻」的なキャラだから、描写が不足している部分も含めて魅力なのかな。
 一番惹かれたのは、谷崎看護婦。
良いポジションを常に抑える万能お姉さんキャラで、谷崎と違い、乱暴さ加減も また愛情と思わせるだけの中身があった。
…ヒイキの引き倒しは承知で(^ ^)。

 ヒイキで言うなら、語り切れていない部分を生じてしまった六話という本数も、それ自体で「里香の命の短さ」を表せていた、と言えなくもない。
 二人のドラマの完結まで見たいような気はするが、もしかアニメで続編が出来ると、もっと重い内容になってしまうだろうから、ここで終わる選択もアリだろう。


2006年2月23日 木曜日

 今月二本目の〆切進行中。
 土曜日ぐらいまでは、更新が難しくなるものと思われます。
悪しからずご了承下さい。


2006年2月21日 火曜日

『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』06.07.「Bright Side of Life(前・後編)」

 時折、「前・後編として、一括りのエピソード扱いする意味があったかなあ?」と思わせる内容のモノが、特に最近のアニメでは見受けられたりするが、この作品のこれは、見事に意味あり。

 前編OPを潰して流された「ひょっこりひょうたん島」のテーマは、そのシーンが葬儀の場である事と、起きている事態が視聴者にまだよく飲み込めない事で、浮いた、無理な選曲のような印象を残す。
故人の意志が、「場違いな曲を流して欲しい」というものであったとしても、なお。
 それが、厳しい救助の様子と、並行して語られる…本郷が背負ってしまった命の重さ、それらを見せられた後、カラオケの形で救難隊員達の口を通して歌われてみると、最初の印象と まるで違った歌に聞こえてくる。
苦しい、悲しい現実、しかしそれに挫けず進んでいく人々の勇気を鼓舞する歌に。

 前・後編 一時間かけて、それだけの内容があるドラマを、しかも歌の内容に絡めつつ描けたからこそ、この印象の転換が可能になる。
 いや、「ひょっこりひょうたん島」は元々好きな歌で、何度も歌ったけど、ここまで「ああ、これはそういう内容だったのか!」と思い知った事は、無い。
「だけど僕らは挫けない、泣くのは嫌だ笑っちゃお、進め──」の辺りなんて、泣けそうになってしまうほど。

 上手いなあ。
もう、巧いとしか言い様がない。



 『仮面ライダーカブト』の感想について。
 加賀美の「不安と哀しみからだと分かる一発に対し容赦なく殴り返したり」する天道は酷いなあ、と書いたけど、見返してみるに、「その反射神経なら十分避けられたパンチだったろうに、行き場のない加賀美の気持ちごと それを受け止めてやった」と思え、ここもまた十分 友達甲斐が発揮されているのか、などと考えてみたり。
随分と不器用な表し方だけど。


2006年2月20日 月曜日

『仮面ライダーカブト』04.

 加賀美の弟エピソードは、もっと引っ張るのかと思ったけど、アッサリ決着。
少々ヘタレている加賀美の内面を大きく変える切っ掛けとなる、非常に大きなイベントだったし、天道兄妹と彼の境遇を比較する点でも意味があったと思うので、ここで終わらせるのは勿体なかったような。

 エキセントリックで、なかなか付け入る隙を見せなかった天道だが、加賀美の事を気に留め、配慮さえしている様子が窺えて、ちょっとだけ「こちら」に引き寄せられたような。
お婆ちゃんの一言、何だか勝手な意味で使われる事が多いけど、今回は絶望の淵に沈む加賀美の気持ちを奮わせる、価値ある内容だった。
 …しかしまあ、無断でサバを注文して加賀美にツケたり、それを運ばせてバイトに遅れさせたのに店に乗り込んで「クビにした方がいい」などと平然と言い放ったり、不安と哀しみからだと分かる一発に対し容赦なく殴り返したり、勝手気ままは相変わらず。
 そういう彼と付き合えるのは、どこまでも お人好しの加賀美だけだったのかも知れない(妹の言によっても、天道は友達が居なかったようだし)。

 ワームの意志が、初めて言葉で表された。
正体がバレても、あくまで「弟」としてのみ行動させた方が不気味だったように思うけど…人間と入れ替わっている理由は、割と早い内に明らかになるのかな?

 雨天での光速バトル、雨粒を止める工夫は楽しかったものの、背景に映っている樹木が風に揺れている様子を見せてしまったのは、迂闊。
この辺、余りウルサく言うのも気の毒だとは思うが。



『タクティカルロア』07.「エニアックマニアック」

 面白半分の相手に(そう装っている?)パスカルメイジのプログラムが乗っ取られてしまう。
 …という話で、まあ犯人と繋がりがあるっぽいメガネ少女・美晴を描くのは当然としても、彼女と双子少女との唐突な ぶつかり合いには、面食らう。
そんな兆候、これまで見せてたっけ?
「前々からそういう様子はあったが、遂に内心をブチまけた」、あるいは「凄く仲良さそうに見えたのに、本心は意外なモノだった」という風に持って行くなら分かるけど…
 こういう描き方で良いなら、双子が嫌っている対象の設定は、艦長でも副長でも飛行長でも凪宮でも同じだろう。

 双子に何か強烈な目的意識がある、ってのは別に良いけど、事態を引っかき回して楽しんでいるような普段の様子まで、「その目的に沿った演技」だと言わせてしまうのは、どうだろ。
その演技も、彼女らが船に乗せられているのは「愉快なピエロだから」ではなく、才能を見込まれて、じゃないの?と考えると、無駄に思えてしまう。
 キャラクターとしても魅力が薄くなったような…それはまあ、目的が具体的には何なのか、に寄って逆転も可能か。

 凪宮への恋心が強くなってしまう綿摘。
…何を切っ掛けとして、そういう気持ちになったんだっけ?
 「萌え」アニメでは、確かに主人公が好かれる要因は弱いことが多いんだけど、一応「言い訳」程度になら描写するのにな。
この作品で、凪宮に、他の女性キャラが惹かれる理由など、せいぜい「顔が可愛い」ぐらいかと。

 それもコレも、非常時・戦闘時における彼女らの有能さがもっと納得いく形で描かれていれば、「職能の凄さと、裏腹の精神的脆さ」として許せたかも知れないが…
前回の戦闘も、力任せにしか見えないし。
 三日かかる、とセリフだけで言われたOS入れ替えを、何をどうしたのだか数分で終わらせてくれても、ドラマの都合、ぐらいにしか思えない。
同様の方法で、「通常航行で三日はかかる目的地まで、艦長の能力により僅か五分で到着した」とか「燃料が尽き、武器も搭載していない航空機なのに、飛行長の超絶操縦テクニックによって敵の重武装戦闘機十機を撃墜した」と描写することは、簡単なのだし(「どうやって?」にさえ触れなければ)。
 そうなると、パスカルメイジは、発情期の娘達ばかりを積み込んだ困った艦、としか認識できず…
いや、そういう認識で間違ってないのか。


2006年2月19日 日曜日

『轟轟戦隊ボウケンジャー』01.「魔神の心臓」

 とにかく何が驚いたって、OPで悪役として第三舞台の大高洋夫がクレジットされているのに驚いた。
テレビにも色々と出ているけど、やっぱり深夜コメディー『子供、欲しいね』で、工藤夕貴のダンナさん・カッくん役を楽しげに演じていたのが印象的。
 人が良さそうな顔をしているから、悪役なんて務まるのかなあ…と思って本編を見たけど、さすが芸達者で きちんと悪役っぽく、でも やっぱり楽しげに演じていて、安心。

 第一話の基本テイストは、予想された通り、戦隊の基本ラインに『インディー・ジョーンズ』辺りを混ぜ込んだようなモノ。
アイキャッチの曲が、『魔宮の伝説』テーマにちょっと似ているのは、ワザとなのかどうか。
 崩れる回廊を渡るのに、知恵は一切使わず「崩れる前に走り切れば問題ない!」という超絶体育会系思考を示すシーンで、爆笑。
「お宝を壊さないためにはどうすればよいか」という命題に、「本物のお宝は大丈夫だと思うから とにかく他のを壊しちゃえ」ってのは…回答になってる?

 未完成な人格である事が多いレッド・キャラだけど、この作品では かなり完成された、強力なリーダーシップを発揮する大人に描かれており、珍しい。
その段階を更に越える成長を求められる事態が、今後起きてくる?
 裏切りかけたブラックとイエローの背景については、次回以降 詳しく語られていくのか。

 ドラマやキャラクターの魅力を今後、どこまで引き出していけるか、だなあ。
 まだ、面白くなるともならないとも判断できないが…このところハズレ無しの戦隊だから、これも傑作シリーズになってくれる事を期待。


2006年2月18日 土曜日

『Fate/stay night』07.「蠢動」

 「じゅこく」って、「呪刻」と書くのかな?
耳慣れない用語(造語?)なので、一度画面で文字を見せた方が親切かも。
 大食いセイバー。
主人公から得る分では足りないエネルギーを求めての事か。
 ただ…その食べている様子がチョビチョビとしていて小食にしか見えず。
大口開けてバクバクご飯を掻き込む、ってのも美しさに欠ける見せ方だとは思うけど…目にもとまらぬ速さで箸が動き、大皿一杯の総菜が一瞬でカラになっていく所を見せるとか、もうちょっと「セイバー、すげえ」を実感させる演出はあったかと。
 生徒会長が、凜をえらく悪し様に言っていたが、彼女のそういう素行は画面で見せられていたんだっけ?

 これまでにないぐらいの妖気を感じていながら、しかも凜と別れて一人きりの状態で、セイバーも呼ばず危険の只中にノコノコ出掛けて行く主人公の迂闊さには、唖然。
何度か襲撃を受け、自分には戦う力が無い事ぐらい実感できているのだろうし、彼の目的は自身の死によっては全く達成できないのだから、もう少し考えた行動を取って当たり前。
 自分の代わりに少女(外見的には か弱いレディー)を戦わせる事を、彼の「正義感」は良しと出来ないのかも知れないが…
 災厄を好んで招き入れるような行動を見ていると、ホラー映画で、殺人鬼が出没していると知っていながら勝手な行動をして、やっぱり殺されてしまう被害者キャラと変わらなく思えてしまう。
 そういう主人公の目を通して世界を見ているせいか、危機感が薄く感じられるのも困りもの。

 とはいえ、しっかりと確立されたキャラクター同士の絡みは、文句なく楽しい。
 モテモテ(?)で、取り巻く女性達の中、感情の爆弾を破裂させないよう危ないバランスを取りつつ泳いでいく主人公の姿には、笑ってしまう。
 ちょっとした一言や、缶コーヒーの貢ぎ物で御機嫌を取る女性あしらいの上手さが、凄い。
彼の魔力は、主に女性に対する「魅了」方面に発揮されているのでは?



『ウルトラマンマックス』34.「ようこそ!地球へ」後編 さらばバルタン星人

 前編を見て、ジュブナイルにしても良いんじゃないか、と書いた事と矛盾するようだけど、まるで子供向けの内容になってしまったのが残念。
 タイニーとダーク、両バルタンが深く対立したり交わる事はなく、バトルの決着も よく分からない銅鐸を用いて付けてしまう。
 子供を活躍させたい意図があったのだろうが、突然 増えている協力者の子供らには面食らうばかり。
異質な宇宙人であるバルタンへの不信から和解へ至る変化を、この子供らの目を通して描いていれば…
 エリーとコバの「愛」(?)も楽しくはあったし、広げればバルタンと地球人の愛情関係に重なるエピソードに出来たろうが、そこまで消化できておらず、無駄気味(シリーズの流れの中では意味があるんだろうけど)。
ここは削って、タイニーと子供達の方に時間を使った方が良かったろう。

 空一面に分身したバルタン星人と、同数に増えたマックスの戦い、という目が眩むようなイメージは素晴らしい。
その場でバカバカ増えるのを「クローン」と言って良いのかどうか…これも「魔法と変わらない科学」の成果か。
 本星に帰ったタイニーと、地球に帰ってきた個体は別、という、彼らの「命」に対する思考の不思議さは、バルタン星人らしくて嬉しい(経過した年月により大人の女性になって帰ってくる、って展開も、それはそれで良かったかな)。
 胸のミラーで光線を跳ね返してしまうバルタンの懐かしさには、涙。

 科学的に劣っているとされたウルトラマンより もっと、話にならないぐらい原始的文明しか持たない地球人が、驕ったバルタンに一矢報いる所が見たかったなあ。
友情とか愛情とか根性といった、科学で計算しきれないパワーでもって。
 …ただ、ラストシーンを見る限り人類への警鐘がテーマだったみたいだから、格好良く勝っちゃあイケナイのか。

 ダークバルタンを倒した銅鐸の音は、要するに『マクロス』ゼントラーディにおける「歌」みたいなモノなのかな。
 バルタンの元の姿が人間体である事から、実は彼らと人類は同根で……なんてネタまで入れると、もう収拾がつかないね。
銅鐸の音が、地球人達にとっても懐かしく感じるらしい音色だった事からすると、隠れた設定として そういうのもあったり?

 別れに見せるタイニーの涙は可愛らしかったけど、泣くほど深い交流があったかなあ?
まあ、涙もろかったのだろう、という事で。
 本星に帰っても、ダークの一個体が少々理解してくれたらしいだけで、両陣営の対立は続く。
…いや、バルタンは一にして多、多にして一、という考え方からして、もしかすると この二人のクローンだけで構成されているのかも。
だったら、この両者の仲直り=抗争の終了になるのか。


2006年2月17日 金曜日

『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』06.「お嫁さんとお婿さん」

 ううう〜ん…やす菜を好きだという気持ちがありながら、しかし とまりを失うのも嫌だという はずむの言葉。
 余りに優柔不断であり、自分勝手で酷い、とも言えるけど…
はずむは別に「見る人の見本となるべき、理想的な主人公」として描かれている訳ではなく(むしろ、問題を多く抱える人格)、彼の役割は「正しい道(恋愛に、そんな物があれば、の話だが)を示すこと」よりも「視聴者の関心を集める行動を示すこと」。
二人のヒロインに比べ、彼は文字通りストーリーの都合を大きく「体現」させられているし。
 また…二人のどちらも失いたくない、という気持ちは、ある意味、バカな男としては とてもリアルであり、同じバカとして分からなくもないな。

 複数ヒロイン対 主人公一人の「萌え」作品では、普通である「みんなと楽しくやっていきたい」行動だが、大抵 主人公は「被害者」然として女の子の強引さに押し切られる形になっているのに、この作品では主人公の意志として、そういう関係を維持したいと言わせた。
 非常にリスキーな選択。
でも、他作品主人公より はずむは、「男らしい」と言えるのかも知れず。

 モテモテ美形の男がやっていたら許せない二股関係でも、現在 女の はずむだと、物理的に男女の仲にまでは進展できない「安心感」もあって、割合と許しやすい。
 これが、彼を女性化させた理由なのかも。

 とまりも、はずむなんて見捨てて、他のイイ男を捜せば良いと思うんだけどね。
 幼少期、イジメられて泣いている頼りない彼を見捨てられなかったように、「どっちも失いたくない」などと言い出す、精神的に驚くほど弱い彼を見放せなかったのか。
 いや、外面に反して内面が意外なぐらい脆い彼女の方が、はずむにハッキリと関係を切られないで済んだ事により、救われたのかも。


2006年2月16日 木曜日

『交響詩篇エウレカセブン』42.「スターダンサー」

 ヴォダラクの信仰は、コーラリアンに向けられている?
別に神様だと思ってひたすら崇め奉っている訳ではないのかな。
 それにしても、それら個体により、自分達が喰い殺されるとは思いもしなかったろう。
大地の怒りを身に受け、死ぬ所まで含めての信仰(狂信)なら別だけど。

 もういい加減 年齢を重ね、しかも「生臭坊主」的に生きてきたオッサンでありながら、サクヤと再会したノルブは、その瞬間、少年に戻ってしまう。
「男は、いくつになっても初恋の人を忘れられない」という感じで(彼はもっと複雑な気持ちを抱えているが)、バカだなあと思いながら、胸に来る。
 サクヤの日記?は、ノルブが居なかった長い月日、空白ページのまま。
埋められているページも…彼への気持ちを表すハートマークが大きく描いてあるだけで、特に気の利いた文章が書かれている訳でも無さそう。
これまた、おバカさんな日記を通し「ひたむきな愛情」を見事に表しているようで、切ない。

 レントンらが到達したのは、本物の地球?
 昔、遙かな宇宙を舞台にしたSFは「地球に帰る」目的を持ったものだけど、『スター・ウォーズ』や『ボトムズ』は異なった銀河系のまま地球の姿さえ見せずに完結し、『ガン×ソード』でも流刑惑星から動かず、「別に地球になんて、帰らなくてイイでしょ?」とする流れが出来た所で、この作品は やっぱり帰すのか。
 ここで、大きなイベントや謎解きが待っているんだろうな。
クライマックスにふさわしい、得心のいくものであって欲しい。



『仮面ライダーカブト』03.

 うわあ、天道、今回は警察署襲撃!
 警察官達は、何ら間違った行動を取った訳でなく職務に忠実なだけ。
なのに実力行使で彼らを排除し、目的を達してしまう強引さは、もう無茶苦茶。
 …いや、「漫画的キャラ」の描き方としては常識を吹き飛ばす強烈さが楽しく、笑ってしまったんだけど。
一応、子供向けの作品中で、この壊し方は問題にならないかなあ、と要らない心配。

 天道が個人的に背負っている使命が、何をしてでも達成されなければならない物だ、と納得できれば、もっと許しやすくなるかも。
『ターミネーター2』で、大勢に でっかい迷惑を掛けながらも、「コナー母子の行動が上手く運ばない限り、どうせいずれ全員が死ぬ」とした事により、「非常識な行動も、緊急避難的には許される」と思わせたように。

 ワームが現在取っている、一時的に人間の姿を借りる行為の目的は何だろう。
作品世界中でも分からないみたいだけど。
 無差別に選んだ対象を完全にコピーし、行動形態まで真似る事で、「人間」を学習している?
 もしかして天道も、先行して人間界に潜入していた、自覚のないワームだったり。
…それじゃ『555』と似てしまうか。



『魔法戦隊マジレンジャー』最終話.「伝説への帰還 〜マージ・マジ・マジェンド〜」

 とても気持ちの良い、満たされた最終回。
 兄弟は最初、父親がおらず、開始間もない戦いで母親を喪い、訳が分からないまま戦いの中に放り出された。
 彼らが繰り広げたのは、「得ていく」ための戦い。
その結果として最後に、父と母を取り戻し、次女にダンナさんを迎え、倒すべき敵であったはずのインフェルシア勢さえ「分かり合える対象」へと変えてしまった。
 「壊された家族」の再生を目指してきて、大きく枠を広げた「家族」の再生を見せて終わる、テーマを描ききった、見事な終わり方だと思える。

 不満といえば…
 魁が想いを寄せていた山崎嬢が、最終回にはチラッとしか出なかった事。
エピソードとしては もう語り終わっていたのかも知れないけど、両親が揃ったところで彼女もまた「家族」に迎えられるのが見たかった(年齢的に、まだ早い?)。
魁には、インフェルシアとの関係を繋ぐ、もっと大きな役割を背負わせた事で、彼の成長を示しているのだとは思うけど。
 他の兄姉にも そういう相手が居たような…まあ、最終回一話でそこまでフォローしろと言うのも無理な話。
「各話バラエティー」でもあるけど、「一年間を通した大河ドラマ」と捉えられる内容だった事で出てくる、欲。

 スフィンクスの生存は、嬉しい所。
ツンデレっぽくて魅力のあるキャラだったので、どうせならツリ目メガネの美女人間体に変身し、次男との間に仄かな恋心が芽生える、とか そういう展開があって良かったかも。
 気持ちを通じ合えたティターンも、ン・マ打倒後に戻って来てくれると楽しかったけど、あんまりやると安っぽくなってしまうか。

 正直な所、番組開始当初は こんなに面白くなるとは思っていなかった。
兄妹の演技力への疑問もあったし、「魔法」という題材を迂闊に扱うと「何でもアリ」の いい加減な話になりがちだと考えていたから。
 しかし、主人公達は演技力を増し(魁と長女が入れ替わる話など そのタマモノ)、魔法を便利に使いすぎないよう(…使ってる部分も少々あったけど)努力してあり、制約を設け、頑張る事で それを乗り越えていく、ヒーロー物として正しいドラマを構築できていた。

 一年間見続けただけの価値を十分に感じられる、良い作品。
 『ボウケンジャー』も、このクオリティーを維持してくれるよう、期待したい。


2006年2月12日 日曜日

 どうして2月はいつもより日にちが短いんだ…
と、毎年毎年、何の意味も無いことを思ってしまうぐらい、2月はお仕事の状況が酷いです。
 とりあえず、水曜日ぐらいまで更新は難しくなると思います。
悪しからず、ご了承下さい。


2006年2月11日 土曜日

『ウルトラマンマックス』33.「ようこそ!地球へ」前編

 ウルトラシリーズを代表する宇宙人の一人、バルタン星人登場。
『マックス』では、再登場怪獣の扱いがどうにも宜しくなく、今回もどうだろう…と不安に思いつつ見たが…
 いや、なかなか頑張った出来。

 少年と、彼以外の誰にも見えないバルタン少女(人間体は可愛いけど、実体を思うと…)が出逢い、ジェットコースターを飛ばせ、大量の紙飛行機を滞空させる、これらイメージはジュブナイルとして非常に楽しい。
 いっそ、ダークバルタンなんて出すのは止め、少年だけに見える宇宙人少女との淡い恋と不思議な冒険だけで、『ウルトラ』は『ウルトラ』でも『Q』のような雰囲気のストーリーにしても良いんじゃなかろうか、などと思っていたが…

 重力を操るダークバルタン登場イメージがまた素晴らしく、感動。
よりにもよってコイツが「宇宙の平和のため地球人を討つ」みたいな事を言い出すのはどうかと思うけど、余裕ある態度と強力なパワーが生み出す威圧感は凄まじく、久々に納得のいくバルタン星人の描き方ではなかったろうか。
 巨大化の上を行く、超巨大化でマックスを踏み潰すバルタン。
対抗すべく、変身時間を減らすと分かっていながら、「一分でカタを付ける!」とばかり、自身も超巨大化を遂げるマックス。
拳に力が入る、無茶苦茶なバトル(^ ^)。

 バルタン、自分達の科学力はマックスより進んでいるから戦っても無駄、みたいな事を言っていたけど、超巨大化とか光線攻撃を行える背景は「科学力」だったんだ。
てっきり『ドラゴンボール』のスーパーサイヤ人化やら遠隔攻撃のような、鍛錬による「気」あるいは「不思議エネルギー」を用いているのかと。
 「高度に発達した科学は、魔法と見分けが付かない」という、クラークの法則に沿っている?

 細かい事だけど、ウソの通報を重ねているような形になっている少年に対し、DASHが あくまで真摯に、優しく接しているのが嬉しい。
 作品世界中では、「面白がっているだけのウソ通報」も多数あるはず。
しかし、常に もしも、に備え、何事も無かったなら「それは良かった」と感じられる姿勢が、こういう組織には欲しい所。
 現実の子供達を取り巻く環境が、「ちょっとぐらいの事で騒いで通報(非常ブザーを鳴らす等)するな」とは言っていられない状況なのも、影響?

 同窓会的な雰囲気も多く見られる『マックス』だが、もう登場しないかと思われた毒蝮三太夫までチラッと姿を見せてくれたのは、驚きだし、嬉しい。
どうせなら、『ウルトラマン』や『セブン』のキャストと絡んで欲しかった気がするけど…そんなに長く撮影できる状態ではないのかな。
 えっ?最初に出た駐在さんは『レオ』の真夏竜
何というか…あれから長い年月が流れたんだなあ。

 このレベルで、後編も展開していく事を期待したい。



『灼眼のシャナ』18.「砕ける願い」

 数話分たまっていた録画を、一気に鑑賞。
 シャナが、最後まで突っ張ったキャラのままで居るはずないのは当然だけど、それにしたって もの凄い勢いでツンデレ化、しかも現在「ツン」がほとんど見受けられないデレデレ状態になっており、可笑しい。
もう、別人だなあ。
 思えば、この作品に登場する女性キャラは、マージョリーも緒方真竹も、強硬な外面と裏腹に、好意を感じた相手には柔らかすぎるぐらいの内面を晒す。
シャナ世界では、ツンデレがデフォルト?

 シャナの過去エピソードも面白かった。
特に、感情を表に出さない お世話係ヴィルヘルミナは、非常に惹かれるキャラ。
 随分と愛情を受けて育てられたんだなあ、シャナ。
もっと殺伐とした少女時代かと思った。
 その後に辿った修羅の生活が、彼女の性格を歪めてしまったのか。
 悠二と出逢うことで、「変化した」のではなく、「少女の頃に戻った」のね。

 今回、各キャラの隠された秘密や感情がドッと表に吹き出し、大きく物語が展開し始めた。
まだシリーズのクライマックスまでには間があると思うが、シャナと悠二の仲違いを しばらく引いてタメるのだろうか?


2006年2月10日 金曜日

『びんちょうタン』02.「お仕事げっとびん」

 ふんわり癒し系アニメ。
どう見れば良いのかと思ったが、同じくマッグガーデンの『ARIA』と同じ系統か。
いや、頭身が高く外見的にはしっかりしていた『ARIA』より、こちらの方が、「生活するにはお金が必要」とか「働かざる者食うべからず」みたいな部分が見えるだけ、世界をリアルに捉えていると言える。
 実体を感じさせない妖精のようなキャラなのに、求人板で一生懸命仕事を探したり、お金が足りなくて欲しいパンツが買えなかったり、といった、生活感溢れるイベントをこなす、この落差が面白い。
 見入っていて、ふと気が付くと終わっている、確固とした内容がある訳ではないが、心地良いアニメ。
今回はまた、鳥の足で掴まれる びんちょうタン背中のリボンの柔らかさ、一気に高度を上げられる飛翔感など、作画・演出共に冴えたシーンが多く、目を逸らせなかった。


『REC』02.「麗しのサブリナ」

 主人公とヒロインの仕事状況を見せつつ、それを絡めた再会を演出。
出逢って早々に一線を越えさせ、その後は なし崩し…にしないで、同居を維持しつつ、もう一度 線を引き直し関係を再構築する。
「青年マンガ」としては全然アリな、面白い構成だと思う。
 ただ…「萌え」アニメとして見た場合、どうなんだろう。
いかにも可愛らしいとか、やたらケナゲだとかいう、そういったジャンルに期待される要素がヒロインに薄いので。
 深夜アニメとしては、『びんちょうタン』とまとめるより、これ一本で独立させ、『ハチミツとクローバー』『パラダイス・キス』の後番組として放送した方が良かったのかも。



 レンタルで映画『AIR』を見る。
 監督は『あしたのジョー』『宝島』『ガンバの冒険』など、数多くの代表作を持つ出ア 統
 ゲーム未プレイ。
この作品に対する知識がほとんど皆無の状態での鑑賞。

 ええと、難病物。
病に冒された少女が死に至るまでの過程を、一人の青年との出逢いと、母親との関わりを通じて描く。
 前世…なのかな?違う時代での少女と青年の悲劇を、伝説として劇中で描いていくのが、普通の難病物とは違うところ。
 ただ、この前世のようなものは、今生の恋愛と必ずしも上手く絡んでおらず、それぞれのドラマ的クライマックスにしても方向が違っているように感じられ、「互いに物語を彫り込んでいく」仕掛けに出来ていない部分が。
 青年が持つ、縫いぐるみを自在に操る不思議な能力も、結局何だったのかよく分からない。

 原作の設定やイメージに引っ張られた部分が、映画用に組み直されたストーリーの中で、不協和音を奏でているのでは。
もっと、思い切って(一本の映画として)不必要な部分は切り落とした方が、スッキリ見られたろう。
 出ア監督なら、前世の宿縁とか全部無くし、現実に即した物語にしてしまっても、十分面白い物に出来たと思う。
…「好調時の」監督、という前提は付くが。
残念なことに、近年、何だコリャ?と思わせられるアニメも作っているので。

 監督のファンとしては、「萌え」なキャラクターの作品中に、映画『ハム太郎』などよりも容赦のない所謂「出ア演出」を大量に放り込んであるミスマッチぶりが楽しく、それだけでも見る価値があった。
 割とどんなジャンルでも引き受けてしまう懐の広さが、出ア監督の凄い所。
職人肌なのかな。
 ただ、出ア監督のキャラクター・ラインからは明確に外れるデザインのためか、演出にキャラが追いついていない部分、キャラの魅力に演出が巧く斬り込めていない部分、共に見受けられた。
作画に、ハッとする良いところもあったけれど、怪しいところも またあり…『雪の女王』もそうだが、もうちょっと絵のレベルを上げないと、監督の意図は表現しきれないような。

 とは言え、難病物としては、大ヒットした映画『世界の中心で、愛をさけぶ』よりも ずっと良い出来。
…この比較が歓迎されるかどうかは知らないけど。
 ヒロイン・観鈴は可愛らしく健気で、魅力的。
 彼女の辛い状況を、支えることが「出来ない」往人の弱さが、物語を危うい、ドキドキする物にしている。
 母親・晴子の元気さ強引さ、それが崩れる瞬間の切なさも良い。
外見、どう見ても「観鈴の」姉ぐらいにしか見えないけど。実際は四十近い?

 感情を顕わにする芝居の付け方は、さすがに上手いもの。
晴子が、「私を嫌いになればいい」と叫ぶ哀しい場面には、ホロリ。
「仕事があるから帰らないと」とか言い出す観鈴の父親に、往人がパンチをくれる無茶なシーンは、凄く「出ア」。
 3Dで作られた海の、印象的な波のうねり。
海辺の町の風景を、射し込む光と その影を多用した演出が、美しく切り取る。
 クライマックスは、悪くないと思うんだけど、つい「自分が死ぬ時間を、こんなにしっかり決められるモノかなあ」などと考えてしまったので、乗り損ね。

 色々な方向から楽しめたんで、個人的に、レンタル代金ぐらいは十分元を取ったと思う。
 少々不思議な要素を含みつつも、「難病物」のパターンから そう外れるものではないため、そういった作品が好きな人以外(この映画は)無理してまで見る必要ないだろう。
 でもオールド出アファンは必見(^ ^)。



『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』05.「やす菜の目に映るもの」

 やす菜の病状(?)が語られ、置かれている状況が分かり易くなった。
 「そういう症状なので、男性が認識できません、だから話しかけられてもまともな対応は不可能です」と、全部 正直に公言して楽になっちゃう、って手もあったと思うけど、高校生女子に そこまでの開き直りは不可能なのかな。
大人しい性格でもあるようだし(心の傷から、そういう性格が形成された?)。
 周りの生徒達も、そういう「面倒な」特質を、理解して気遣ってくれる人ばかりではあるまい。

 そういう彼女を、負った心の傷ごと受け入れる はずむ。
とても良いシーンだったんだけど…
 ここまで描かれてきた、割と悩みのない のほほんとした はずむの性質からすると、この包容力の表現はちょっと唐突に思える。
彼が、突然 女性になってしまった自分の境遇に、もっと戸惑ったり悩んだりしていれば、相手の苦しみも理解できる人間へ成長したのだと分かり易くなったのでは。

 形成された三角関係は、はずむのすっ飛んだ設定の割にはシリアスで重いが、先行きに興味を感じさせられる。
 健康で、「君なら一人でも大丈夫だから…」と憂き目を見させられそうなタイプのとまりには、順当に行くと勝ち目が無さそうだけれども…どう展開していくのだろうか。


2006年2月9日 木曜日

 レンタルで映画『チーム★アメリカ ワールドポリス』を見る。
 可愛い絵柄で極悪なギャグをブチかます、日本で地上波放送はまず無理なアニメ『サウスパーク』の製作者、トレイ・パーカーとマット・ストーンのコンビが作り上げた、人形劇。
 予告編を見ると『サンダーバード』っぽくて、そういう方面を期待したが…

 確かに、サンダーバードっぽくは、ある。
ラシュモア山の大統領像内部にある基地から、格好良いような間が抜けているようなテーマに乗せて、チーム・アメリカ所有の特殊メカが出動していく所など、ワクワクして来る。
かなり大規模に作られたタイムズスクエアなど、セットの頑張りも凄い。
人形で何もかも表現しようとする根性にも感心した。
 とにかく画面作りが刺激的なので、最後まで飽きずに見続けられる。

 それでも、絶賛!という気分になれないのは、ギャグがメインの映画だと思うのに、肝心の笑いが、中学生が考えたようなレベルで止まってしまっているから。
 『サウスパーク』でも そうなんだけど、下品なネタが多すぎ。
キャラクターが延々と嘔吐し続けたり、頭を吹き飛ばされて血だらけになったり、長々とベッドシーンを展開したり…は全然笑えず。
「人形なのに、こんなことするのって驚いたでしょ?」という、パペットその物をパロディーにする効果を狙っているのかも知れないけど、こういうのは一発ネタであって、長く見せると逆に「もうイイ、分かったよ、しつこいよオマエ」と思わせてしまう。
 それに…こういうパペットお下品ネタは、ピーター・ジャクソン監督が、より可愛らしい人形を使った『ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス』で、もうやっているからなあ。

 ストーリーが、(テーマ優先のためなのか)ほとんどスカスカなのも何とも。
 どうでも良い内面しか持たされてない主人公キャラクター達には、感情を入れられず、応援も出来ない。
 この辺、『サウスパーク』は可愛い子供キャラを中心に据え、イノセントな彼らの目線を通す事で、上手く誤魔化しているんだけど。

 映画中で一番キャラが立っているのは、北朝鮮の金正日じゃなかろうか。
制作側が一切配慮せず、実在の金正日そのままの名前と地位を持たせ登場させてしまう もの凄さ。
 『007』で北朝鮮が扱われるのに将軍様が怒った、という話を聞いていたが、あの映画なんて「狂った軍人」によって悪い方向に導かれてはいたものの、国やその指導者については、そう悪意を持って描かれていない。
『チーム・アメリカ』の悪辣さに比べればもう微笑ましいモノで…
 もしこの映画を見て(知って)、それでも怒らなかったのなら、将軍様は意外に心が広い、という事なのかも。

 映画でテーマにした事って、何?
「アメリカの威信を傷つける奴らは許さないぜ」?
「アメリカの威信を傷つける奴らは許さないぜ、等という変な正義を押し付けてくる奴らは許さないぜ」?
「政治にクチバシを突っ込む俳優共はウゼエ」かな?(笑)
 右も左も正義も悪も、政治も宗教も笑いものにしてしまう、壮絶な生き様の製作者だから、その全てだろうか。
 テロリストよりも他国に迷惑を及ぼす、チーム・アメリカの正義。
莫大な損害を出し、死傷者を生み出しながら、気にするのはチーム内の どーでもイイような人間関係ばかり。
 ここいらが描きたかった部分だとしたら、薄いドラマにも深い意味があったと言える。

 キャラクターの内面を語る、と見せて、ただ映画『パール・ハーバー』を罵倒しているだけの劇中歌。
 主人公の特訓風景でかかる、「こういう時に使われる短いカットバックを重ねる手法がモンタージュですよ〜」とかいう変な歌。
 金正日が切々と心情を語る歌もそうだけど、こういう音楽の扱いは上手いなあスタッフ。

 訴訟社会だというのに、こんな内容で作品を撮り、全米公開も出来てしまう「アメリカの正義」に感心する、そんな映画。



 伊福部昭、死去
 特撮好きのDNAに深く刻み込まれる、胸が震えるほど素晴らしい音楽をたくさん作られた、凄い方でした。
ご冥福を お祈り致します。


2006年2月8日 水曜日

『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』05.「必要なこと」

 パイロットとしての障害を克服するため、救難隊の山岳訓練に同行する主人公。
…精神修養のため?と思ったが、なるほど、「救助は一人でやっているんじゃない」「他の人間も信用に足る(信用しなければやっていけない)」という事を、身をもって理解させるためか。
 地味な描写の積み重ねでドラマや成長を描き出す手腕は、今回も健在。

 マスコミに取り上げられる程でもない、華の無い救出活動。
これこれ、これぐらいがリアル。
 しかし…老人は、せめて心臓発作とか、転んだ拍子に後頭部をぶつけたとか、「これは絶対にヘリが必要」と思える事態に追い込んだ方が良かったのでは?
事件が地味に過ぎて、ヘリを飛ばす程かなあ?と感じてしまう。
取材に基づいているはずなので、実際、こういう場合でも飛ぶんだろうけど。



『戦国自衛隊・関ヶ原の戦い』第二部「愛する者のために」

 途中、嶋村が石田三成を斬り殺す所では、ここから歴史が大きく変わっていくのかと期待したけど…
実際には何も変わらず。
 徳川方がどう攻めてくるのか、歴史上の事実を知っているのだから、それを活かした布陣と戦法で打ち破って行くものかと。
 せめて、勝敗を決める小早川を自軍に取り込む交渉ぐらいは、してもらいたかったなあ。
考えもなく陣に攻め入り、小早川を殺そうとまでして、それで自分達に付いてくれると期待する方が変だろうに(まあ、家康も脅して言うこと聞かせたんだけど)。
姉でも掠って、人質にすれば良かった。
 現代人である利点を活かさず、武将達との橋渡しをしてもらわなければならないはずの島左近まで殺しては、単に西軍の人心掌握力が落ちただけで、何も良い事無いような。

 例えば…関ヶ原前の小競り合いについて、嶋村・三成が現代の知識を用い、完璧に先を読んだ作戦を立て、勝利を収める。
その事実をもって、彼が全軍を指揮する立場に就く事を武将達が納得する、とかいうように、もう少しだけでも周到な筋立ては出来なかったものか。
 対する伊庭が、歴史の改変を防ぐため やむを得ず徳川方に味方する、という事で、自衛官二人による先の読み合い、武将の働かせ方により、「もし関ヶ原の全軍がもっと効率よく(?)動いていたら」を この作品なりにシミュレートしてくれれば、かなり面白くなったんじゃないかと思うんだけど。

 もっとも、実際の画面を見る限り、このスペシャルの製作者は そういう方面にまるで興味が無いみたいだからなあ。
愛とか人道とか戦いの虚しさとかを、前にも書いたけど、イラク派兵された自衛隊の姿に似せて描きたかったものと思われる。
 それにしても、あんまり上手く出来てないが。

 伊庭は、亡くなった子供を抱いて戦場を横切っても平気で、下っ端自衛官は同様に行動すると婆さんを背負ったまま串刺し、という不徹底さが何とも。
 小早川に対してトウトウと語る伊庭のお説教は…とにかく現状に即しておらず、「製作者が言ってみたかっただけ」なのが露骨すぎ。
 「演習から帰ったら結婚するはずだったんだ」……もの凄く分かり易い死亡フラグで、笑ってしまう。
 ラストの、サトエリ座禅も意味不明で大笑い。

 それでも、第一部で心の準備が出来ていたせいか、ツッコミつつ普通に見終えられた。
 やっぱり津川雅彦・狸親爺・家康はチャーミングだなあ。コレだけでも個人的には見る価値があった。
 布施博と賀来千香子のカップルは、往年の大ヒットドラマを思い起こさせる。
 伊庭と嶋村の熱いぶつかり合いと、ギリギリで見せる友情、それらが強く彫り込まれていれば、「青春モノ」っぽく面白く出来たんじゃなかろうか。
「歴史物」「架空戦記物」「SF物」…どれと捉えても不徹底に感じられるのが残念。

 無料で放送されるテレビスペシャルとして、手元で何かしつつ片手間に見るのには、余り画面が気にならない事もあって、丁度良いぐらいの内容だったのかな。


2006年2月7日 火曜日

『Fate/stay night』05.「魔術師二人・前編」

 基本的な説明が終わり、キャラクター同士の絡み合いが始まって、ぐっと面白くなってきた。
 セイバーと藤村先生の試合で見られた、圧倒的な実力の差が楽しい。
藤村先生は、主人公よりも遙かに強い。
その先生よりセイバーはケタ違いに強い、という事で、人智を越えた能力を持つサーヴァント同士が戦う前置きとして、実力の程度を把握し易い。

 放課後の校舎で、主人公を凜が見下ろすシーン、その瞬間に日常から非日常に変わる空気を演出できており、引き込まれる。
同級生による非情な戦いが開始された…のかと思えば、凜には主人公を殺そうという意志は無いのね。
 コミカルなドタバタも、それはそれで また良し。

 セイバーを閉じこめ、隠しておく事を良しとしない主人公の不器用な気持ち。
「正義の味方」を目指すにふさわしい。
 しかし、正直に正体を話す気がないなら、もうちょっとは彼女のウソ設定について打ち合わせ、口裏を合わせた方が良かったろう。
「見事なウソをつく」ってのも、彼が定義する正義の行動としては、誉められないものだから?


2006年2月6日 月曜日

『交響詩篇エウレカセブン』41.「アクペリエンス・3」

 分かったような、分からないような話。
 サクヤの世話係になったノルブが、彼女を抱きしめている所を見つかった時、当然、激しく叱責されて係を外されるものと思ったが…
実際は、他の者達が皆 彼にひれ伏し(彼がサクヤとそういう仲になる事を最初から期待していた?)、特別扱いされて彼女と共に…ええと、何をしてたのかなあアレは?グレートウォール越え?をさせられる。
そこで何だか困難に遭い、サクヤはバラバラ分解して、思い出の花の形へと変化。
 この辺り、設定した宗教に基づいて何か理屈が通っているのかも知れないけど、とにかく説明が不足しており、何をしているのか、何故そうなるのか、よく分からない。

 ホランド達は誰と戦っていた?僧兵達?
殺してたのかなあ?殺して良いモノ?
 エウレカは、サクヤの後を継ぐような存在のハズなので、きちんと宗教関係者に説明すれば、彼女が犯した かつての行いから歓迎はされなくとも、殺し合いをしなくて済む程度には理解が得られたのでは?

 顔の傷を簡単に消したくないというエウレカの気持ちは、まあ良いとして、花から出て来ると髪が一気に伸びており、傷を隠すような状態になっているのは不徹底。
エウレカが、「レントンのために綺麗な自分で居たい」と願って傷を消してもらった、あるいは「何も隠したくない」として これまでと同じ姿をしている。どちらかでは?
 サクヤが気を利かせ、エウレカの意志を無にしない形でフォローを入れた、という事でも良いけど。
 製作者の意図が読み取り辛い。
「ぼちぼちキャラをイメージチェンジしてみたかった」以外には。
それにしても、キャラクターの意志を無視して行うのは、どうだろう。

 グレートウォールを越えなきゃいけないみたいだけど、何故だっけ?
そこを越える事で、星の意志に近付けるから?

 いや、本当を言うと、スカブコーラル?コーラリアン?の具象化はバケモノみたいな奴らばかりなのに、サクヤとかエウレカもその仲間です、みたいな説明を受けても納得できない、という根本的なところから この作品に乗れなくなっているんだけど。
 AIBOやらASIMOがゾロゾロ集っている中に、普通の人間にしか見えないマルチやアトムが混じっていて、「全て同時代の技術水準で作られたものですよ」と言われるぐらい、納得いかない。
 SF的には、「巨大な知性が、人の形をした末端部を通じて人間にコミュニケーションを図ってくる」というネタは、『惑星ソラリス』など、そんなに珍しくないんだけど、どうもこの作品では上手く消化できていない気がする。
サクヤが余りにも人間的すぎ、エウレカにしても、抱える悩みは「対人関係を上手く築けない少女」のそれ以上ではないからか。



『タクティカルロア』05.「ストライクバック」

 少女の副大統領、って設定も無理だと思うが…
それはまあ、少女ばかりで普通に戦闘艦を運営する世界観なので、納得するとして。
 せっかく「少女」に設定したのだから、「外見と裏腹な政治的才能」の片鱗を見せるか、「親の七光りで要職に就きはしたが、自覚も才覚もなく困っている(周囲を困らせている)」様子を見せるかして、内容に活かして欲しかった。
船オタクで喜び回っている様子は ただの子供だけど、セリフのみで「実は、複雑な問題を抱えた国において、選挙で正当に選ばれた副大統領」と言われるだけでは、どう捉えれば良いのか戸惑ってしまう。

 副大統領に対し、馴れ馴れしい口調で艦内の痴話事情を語り聞かせる乗員達、というシーンには、呆れる。
彼女は、「ぞんざいに扱って良いただの少女」なのか、「敬意を持って扱わなければならない賓客」なのか、製作者の中でも確定していないのでは?
その乗員達が飛び抜けて非常識だっただけ、かも知れないが、その場合は やっぱり誰か厳しく咎める人間を登場させないと。
 何というか、爆弾に見える爆弾を乱暴に扱うのはギャグとして成り立つけど、「どう見てもサッカーボールなのに爆弾だと時々セリフで言う小道具」を、劇中で転がしたり蹴ったりしても笑いにはならず、爆弾と思って欲しいのか見た目通りサッカーボールで良いのか視聴者を混乱させるだけ。

 しかし…艦長も、男と一室で暮らす事により こんなに艦内の規律が乱れるのなら、誰か他の女の子を自室で生活させる事にして、その子の部屋を漂介に与えれば良いような。
今更 遅いのか。
 それに、また うっかり着替えを覗いたりコケて ちゅーしてもらったりしてもらわなければ困る、制作側の都合があるしね。



『ふたりはプリキュア Splash Star』01.「おっどろきの再会!ふたりは何者なの!?」

 前のシリーズは、先週で終わってたのか。
最終回ぐらいは見たかったけど…というぐらい、見ていなかった作品。
 どこが悪いとも思わないが、『セーラームーン』等と比べてもオタクが喜べる要素は薄く(逆に言うと、子供向けに正しく作られている)、個人的に見る理由を感じなかったから。
 新シリーズも、同様に思えるので、ここまでに。

 『セーラームーン』も『おジャ魔女どれみ』も長期シリーズだったが、新キャラを加えることはあっても、主役キャラ達は最後まで変えなかった。
東映は割とそういう、良く言えば「年少の視聴者に優しい」、悪く言えば「出来る限りの安全策を取る」会社だと思うけど、人気があるらしい『プリキュア』のキャラを入れ替えてしまったのは何故なんだろ?
 第1話を見る限り、この新シリーズで大きく内容を変えている訳ではなく、前シリーズラスト・新シリーズ立ち上がりを うっかり見逃してしまったら、キャラクターが変わっている事にさえ気が付かないぐらい。
だから、この変化は、何か「これまで出来なかった新しい事」をやりたい!という理由ではないと思える(今後、段々と新要素が入ってくる可能性はあるけど)。
 なら、同じキャラを使い続けた方が「安全」…と、東映は判断する会社だと思っていたので、この変更が意外。
 前作ヒロイン達のドラマは描き尽くしてしまったから?
 あるいは、この作品の人気は「フォーマットの良さ」に負う所が大きく、個々のキャラクターの魅力には さほど寄りかかっていない、という判断?


2006年2月5日 日曜日

『陰からマモル!』05.「乙女心と侍魂」

 作画に少々崩れが見られるのは、残念。
女の子達の可愛さが、大きな魅力だと思うので。

 ツンデレ侍キャラの椿と、変則デート。
反応もイベントも、大方お約束通りだけど、それはそれで楽しかったり。
 しかし、下着ドロでコンビニ強盗犯の男をブッ倒した行為に対し、周囲の人間が椿への非難の言葉ばかり口にするのは、さすがに不自然。
倒す際に用いた奥義か何かで、大きく周辺に被害を及ぼしたのならともかく、普通は賞賛されるものだろう。
 マモルだけが彼女の良さを分かっている、という展開に繋げたい意図は分かるんだけど、ちょっと無理が。

 ゆうな。
ボケボケの性格になってしまったのは、「天然」でもあろうが、大きくマモルの過保護に寄っているような。
今回の、校舎前で眠り込んだ彼女を家まで連れ帰ってあげるフォローもそうで、常識から外れた、危険を伴うような行動を取った際、必ずマモルが出て来て保護するのでは、行いの間違いから学習できない。
 もうちょっと、放置した方が良いのかも。
 でもまあ、その過保護さが故に、自分の損(危険)をまるで気にせず相手のことだけ気遣える優しい性格が形作られたのだろうから、結果オーライなのか。



『舞-乙HiME』17.「蒼の舞/想い、散るとき」

 急展開。
前シリーズと同等の、シリアスな方向へストーリーは進む。
 オトメ達は国を代表して学園に来ている、と何度も説明されている訳で、国家間の状況が変われば、それと無関係でいられなくて当然か。
 何も背負わない(せいぜい「恋」ぐらい)アリカは仕方ないとしても、ニナは、エルスティンの変化を理解してしかるべき。
いや、理解し、予想していたとしても、だから どう出来るって話ではなかろうが。

 早くも一人、死者(?)を出してしまった。
…という事から、つい前作の「リセット落ち」が思い起こされてしまうんだけど、さて今作はどういう終わり方にするつもりだろう。
 前作が「投げ」と受け取られ不評であったろう事からは、「だったら死人は死人のままにしてやるよ!」という開き直りになりそうかと思うが、意外ともう一回繰り返しそうでもあり。

 いくらか大人であるかと思われたセルゲイ(「子供」アリカへの執着は、大人の態度じゃないが)の、あんまりな迂闊さ。
もっと影で動かなきゃイカンのじゃないの?
ニナに対するフォローも弱いし。
 「怒濤の展開にキャラも動揺している」のか、「急展開に対し、製作者によるキャラのフォローが上手く出来ていない」のか。



『仮面ライダーカブト』02.

 失速せず、面白い。
 変な奴だった天道が、丸くなったりせず、変なままなのが楽しい。
周りの人間からも「変なヤツ」だと言われ、決めゼリフっぽい「天の道を往き…」を途中で遮られるなど、彼を物語中で消化する過程は、順調に進んでいる様子。
 天道は、傲慢で、我が道を突き進んでおり、万人から好かれるキャラ造形ではないと思うが、問答無用で非道なワームは勿論、それと戦うZECTにしても余り人道的な組織には描いておらず、それらと対比する事で嫌味さを緩和している。

 それにしても…
ひよりのビストロで、「店内禁煙」でもないのに、タバコを吸っていただけで その男に水をぶっかけ、当然の対応として怒る男を、腕力で店外に叩き出すのは やり過ぎのような。
子供のためとはいえ、相手がアタマ悪そうな外人でもあったとはいえ、話せば分かる「可能性」だってあり得た訳で。
 これも、相手は客だというのに説明して理解を求める事もせず困った態度を取る ひより、店内で暴れ「一応は客」を追い出してしまった事を咎めず、楽しげな店主…と、天道と並ぶぐらいの変な対応で、この世界の常識としてはこれで正しいのか…と感じさせる。
 ……ただ、これら「現実の常識からの乖離、歪み」は、視聴者を選ぶ、って側面もあるんだけど。
 作品中で ただ一人、現実に即応した常識を持つ(と思う)キャラ・加賀美が、今回も変身を許されず、間の抜けた姿を晒してしまうのが象徴的。

 身を省みず他者を助けようとする加賀美を、向いていないと評価つつ、自分も危機に瀕したドライバーを助ける天道。
これは、「何のかんの言いながら、実はイイ奴」なのか、「彼らを助ける事で、自分の命が危なくなる『訳ではない』から、助けただけ」であり、首尾一貫しているのか。
案外、「お婆ちゃんが、巻き添えで人を傷つけるなと言っていた」から助けたのかも知れないな(^ ^)。

 天道は、ブラブラして働いていないようだけど、結構良い生活をしている。
しかも、妹の通う学校の株を買い占める…と、普通に言っていた事からすると、かなりの資産持ち?
 見習いとはいえZECTに所属しながらも、ビストロでバイトをしないと生活できないのであろう加賀美とは、こういう面でも対照的。


2006年2月4日 土曜日

『ウルトラマンマックス』32.「エリー破壊指令」

 エリーの話になるのかと思ったが、どちらかというとコバのエピソードがメイン。
もうちょっと、エリー側の葛藤なども描かれると良かったのでは。
 機械的分析から、コバの射撃にアドバイスを与えるエリー、というのが冒頭だったので、テロリスト宇宙人(彼も機械?)の行動原理も「人類を分析した結果、宇宙にとって害悪となるだけの存在と判断した」とし、破壊活動の理由付けにすれば、両者の基本条件を揃えられたろう。
冷静に見れば、確かに人類は宜しくない側面を多く持つ種族な訳で、宇宙人から行動への協力を求められ、エリーの理性が揺れる、とか。

 それであれば、合理的判断からすると破壊した方が簡単なエリーを助けようと、必死で向かってくるDASH隊員達の中に、「計算を越える何か」が見出せたはず。
 エリーのアドバイスと全く違う方法で、自分の射撃能力の限界を乗り越えるコバ、にしても、そういう意味合いが込められたシーンだったと思うんだけど。
 ラストで見せる彼女の笑顔は、ここまでに「タメ」があれば、実に感動的だったろうが…
割と表情変化を見せているので、それほどではなく、残念。
 でもまあ、全体的には悪くない内容。

 ところで、「仲間だから」とエリーのために頑張る隊員達だけど、もしかエリーの形状が「女の子」ではなく、球体のロボット・ココのようだったとしても、同じように行動できたろうか?
いや、「データさえある程度バックアップできているのなら、本体は作り直せばいいんだから、壊しちゃいましょう」と割り切ったように思うんだよね。
 それはそれで、矛盾に満ちた人間ならではの、真理か。



『びんちょうタン』01.「春のお目ざめびん」

 30分2本編成番組の、1本。
 設定も何も知らないで見始める。
ただ、キャラクターとしてこういう子が居るのは見知っており、先入観では てっきり「備長炭の妖精」か何かで、人々のためにご飯や水を美味しくしたりしなかったり、みんなを幸せにしたりしなかったりする女の子なのだと思い込んでいた。
 一応、ご飯は炊いていたみたいだけど、自分のためだからなあ。
 人間と出会わない『メモル』になる?

 15分1話の形式。
もうとにかく この第1話には驚くぐらい内容が無く、だから15分で丁度良いと思える。
 これまで、「キャラが可愛いだけで、何も無いアニメ」と評される作品は色々あったが、その中でもコレは、飛び抜けている。
 そういう所が、癒しとして良い方向に作用するのかどうかは、今後を見ないと分からない。


『REC』01.「ローマの休日」

 原作・花見沢Q太郎先生の作品は、かなりな数 読んでいるつもりだが、これはうっかり未読。
 タイトルからして、声優モノかと予想。当たり。
 声優を題材にした漫画は、特にマイナーメジャー系、オタク系作家さん(失礼)により描かれることが多いような。
そういう作者にとり声優は、演劇や映画俳優などより遙かに作者の「身近」な職業であり、知識の蓄積も自然といくらか出来ており、リアリティーを持って描きやすい、という側面からか。

 冒頭、映画館の前で、憧れの女性が待ち合わせに来てくれない事にガッカリする男、映画チケットを破ろうとする瞬間、「チケットの声」を代弁して話しかけてくる女…
この出逢いは、イメージとして悪くないけれども、割と強引。
 読んでないのにナニだけど、恐らくは原作漫画では、独特の軽いノリにより、不自然さをもギャグとして消化しつつ、軽く、無理を感じさせず見せているのではないだろうか。
それは、花見沢先生 独自の感性により初めて可能とするワザで、もっと作品自体を客観視している印象がある このアニメで、そのまま描いて同じ効果を生み出すのは、無理。
いっそ、構成から変えてしまう手もあったと思うけど…

 二度目の出逢いを、どうやって演出するのかと見ていれば、「彼女のアパートを燃やしてしまった」。
そりゃ、ご近所なら現場に行くし、焼け出された彼女がいれば部屋にも連れ帰るだろう。
なるほど、こういう手もあったか!
 ただ、ココは「ドラマ的悲劇」と「無理気味な展開が生み出す笑い」半々のシーンじゃないのかなあ?
住む家を失った可哀想な女性、という面ばかりを強調していたが。
それだと、花見沢作品の魅力の半分ぐらいしか伝わらないような。



『半分の月がのぼる空』03.「戎崎コレクションの終焉〜そして」

 主人公は何の病気で入院してるんだっけ?と公式ページを見てみれば、肝炎か。
それはそれで大変な病気だけど、命に関わる病状でずっと入院しているはずの里香の方が、遙かに体力ありそうに見えるのは何故?
 主人公は熱を出すが、里香は平然としている、といったシーンが多いように思え、そういう印象を残してしまうのかな。
 なので、彼女の深刻な状態が分かってないと、根性の歪んだ主治医が主人公に殴る蹴るの暴行を加える展開に、激しい違和感。
どんな病気でもコジらせれば死に至るんだから、男の方だって もうちょっと労って良かろうに…というか、あの暴行によるケガだけでも再入院騒ぎだろ。
 まあ、主治医は劇中で どーしようもない人間に描かれているから、仕方ないが。
前回、里香も、雪の降る中、主人公を屋上に長時間閉じこめていたりする事からは、「病人に(命に?)優しくないアニメ」とさえ感じられる。
 全て意図したものなら、それはそれでイイけども。

 ジイサンがコレクションしていたエッチ本。
和解の条件として焼却されてしまった…
 執念を持って集めたモノなのだろうし、その保持を主人公に託したのだろうから、マイナスのイベントしか起こさないまま小道具としての出番を終えさせるのは、可哀想。
里香に、もっときちんと説明すれば良いのでは?
 何というか、この扱いだと、「死人から託された想いより、現実の人間関係の方が大事」という意味が読み取れてしまい、この作品が描こうとする(と思われる)内容からすると、重いダメージを与えかねないイベントになってしまったような。
里香の最期に、思い出の本を渡されたとして、主人公は、いずれ出来る新しい彼女から「そんなモノ捨てて」と言われたら、割と あっさり捨てそうに思えるんだよね。

 『銀河鉄道の夜』を、劇中劇として持ち出すのは、アイディア。
ジョバンニとカムパネルラの姿を、主人公と里香の関係に重ねてみせる上手さには、ハッとさせられる。
 いずれ、里香にはカムパネルラに似た運命が待っているのだろうが…
次回は学校にまで行くほど元気みたいだし、どうも、主人公の方が先に死にそう(笑)。


2006年2月3日 金曜日

 WOWOWで放送された映画『THE JUON 呪怨』を見る。
 日本で、ビデオオリジナル企画としてスタートし、人気を得て映画化された作品の、ハリウッドリメイク。
日本版の監督・清水崇が、このハリウッド版でも監督を務めているのが異色。
…まあ、『RING2』もそういうパターンだったけど。

 この仕事が忙しい時に、画面が命のホラー映画なんて見るのは自殺行為だなあ、と思っていたが、杞憂。
途中から、画面は余り見なくなってしまった。
 「怖すぎて目を逸らしっぱなし」なんて状況の訳はなく、逆に、全然怖くないから。

 何しろハリウッド「リメイク」なので、仕方ないのは分かるんだけど、ビデオ版から ずっと見てきている者にとっては、ほとんど全て「それ、前にもう見た」シーンばかりで。
エレベーターが出てくると「ああ、窓の外に男の子ね」とか、布団に潜ると「その中に顔」と、先のショッキング・シーンが予想できてしまう。
 監督が同じ事で、撮り方・見せ方・タイミングが全く同じなのも、この場合は悪い方向に作用。
米『RING』一作目では、監督が違うことで印象を変えられた部分もあったが。
 ストーリー性が強い『リング』に比べ、この『呪怨』シリーズは、物語としての整合性や何かは すっ飛ばし、その理屈に合わなさ、理不尽さも含めて「恐怖」に演出している作品なので、最も大事にしている「恐怖」の先が読めるという事は、見る価値が無い、という事と ほぼイコール。
 また…薄暗くて天井の低い日本家屋にアメリカ人が立っていると…とにかく現実感が薄く、「変」な気分ばかり先行して、怖さを更に薄めてしまう。
「白塗り顔のお母ちゃんが、エルフやドワーフを脅かしている」シーンを見て、コワイかなあ?というような気持ちにさせられ。

 いや、メインのターゲットは、米(あるいは全世界)で初めてこの作品に触れる観客、なのだから、見慣れた日本客の意見なんて あんまり気にする必要はないんだろうけど。
実際、米ショウビズでは かなりのヒットを記録したようだし。
 自分が最も自信を持てる恐怖の演出を、繰り返して作って正解。
ただ、それを見る日本人観客が何の新鮮味も恐怖も感じられず、途中で集中力が途切れてしまったとしても、それは正当だという事。

 白塗り母子は、初見こそインパクトがあるけど、何度も見るとジェイソンやらフレディーと変わらなくなってくる。
楽しんで殺している訳ではなく、家に関わった全ての人を殺さ「なければならない」と考えているような様子から、事務的に殺人するジェイソン・タイプだろうか。
 お母ちゃんは、どうやって人を殺しているんだろう?
恐怖で?
 白塗り顔見ても、ワビサビを理解できないもので驚かず、「オー、ワンダフル、ジャパニーズ・ゲイシャガール!」とか言って かえって喜ぶアホ陽気なアメリカ人が相手だったら、どーするんだろ?
 そういう時は、人のアゴをもぎ取れるだけの腕力にモノを言わせるのか。
それじゃ益々ジェイソンだなあ…



『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』04.「少女三角形」

 やす菜と とまり…はずむを挟んで少女二人(三人?)がジリジリと恋の火花を散らす、緊張感のある話。
 今の所、事情がよく分からない やす菜より、内面が単純で理解し易く、現在 圧倒的に不利な状況にある とまりの方を、視聴者的には応援したい気持ちだろう。

 今回の内容では特に、三人の関係の中で、はずむが女性になった意味は感じられない。
 彼(彼女)自身の葛藤は、早くも「可愛い感じの服が欲しかったの〜」というような心境になっている事からしても、扱われないと思うんだけど、はずむを見つめる少女達の内面にぐらいは、戸惑いや躊躇いを残して欲しいかな。
そこは、この作品ならではの設定が生み出す旨味だと思うので。

 ところで。
 こういう「萌え」な作品の中で、絶対に「汚れ」てイケナイのは、登場する多くの女性キャラでも、最終的に結ばれるヒロインでさえなく、実は主人公。
どの女性キャラとでも、ある程度のラインを越えた関係になった途端、視聴者側は彼を自分と異質な存在に捉え、認められなくなる。
 原作となったりするゲームの中で、主人公が多くの少女達と巧く渡り合い、美味しい関係を築いて構わないのは、彼に実体が無く、プレイヤーとダイレクトに繋がっているから。
 「あるキャラクター」として そこに立ち、視聴者の操作も一切受け付けないアニメの主人公が、要領よく行動し続ける事は、第三者視点で見続ける者にとって、ストレスにさえなってしまう。

 そこで、「主人公は、元・男だったが、現在・女性」という設定に大きな意味が出てくる。
これなら、もう「汚れる(汚される)」可能性が無く、イノセントなままで居られる。
 …いや、本当は女性同士でもイロイロ出来ると思うけど、男性視聴者にとってソコは既に「ファンタジー」の領域なので、何があろうと割合に許せてしまうだろう。

 どうせ この作品(この手の作品)の中で、主人公が「男性的機能」を使う事など無いんだから、女性に変えてしまっても同じ事、という割り切りで この作品が作られているなら、随分「鋭い」し「開き直っている」し「(ジャンルとしての)痛い所を突いている」。



 単行本表紙、巻頭4色など、カラー原稿の〆切が重なり、猛スピードで仕事。
それでもまだ全然終わらず。うう……
 いや勿論、油断して、これまでにもっと進めないで置いた自分が悪いのですが。


2006年2月1日 水曜日

 スペシャル番組の『戦国自衛隊・関ヶ原の戦い』第一部を見る。
 原作は…読んだんだっけなあ?最初の映画もうろ覚え。

 二部に分け、映画に比べ時間をゆっくり使える事で、時を超えてしまった者達が起こす、タイムスリップ物ならではの面白さが演出できるかと期待したが…
余裕があるため、緩んだ内容になっている印象。
 特に、自衛隊員達が装備を刹那的に使ってしまうのが宜しくない。
さして意味がない場面でもバイクを乗り回し、燃料をガンガン食うヘリを考えなく飛ばすなど、余りにも迂闊。
 関ヶ原、史実として家康が勝つ事は決まっているのだから、そちら側に協力するフリをするのが、最も時間流への影響は少ないような。
武器を隠し、山奥に逃げ込むなどして自分達の存在自体を秘匿するならともかく、戦国時代に、オーバーテクノロジーの戦力を持った部隊が居て、武将達がそれを放って置くはずもなく。
 どうにも、登場する自衛隊員達に考えが足りなく思え、気持ちを入れられない。

 自衛隊の戦力が圧倒的で「ない」のも不満。
せめて、この第一部だけでも、強い強い無敵!な所が見たかった。
 無敵になれるほどは装備を持っていないのかも知れないが、だったらここまでで見せる戦いその物のスケールを小さくしても良い訳で。
 先の歴史を知っているが故の優位、侍達を圧倒する近代的な戦法、それらはもっとあってよかったはず。
登場人物達にそういうアタマがない…というより、今、この作品をリメイクしようというのに、シナリオに力を入れていないのではないか、と感じてしまう。

 第二部への引きは、「彼らが介入した事で、歴史はどうなってしまうのか」ではなく、「弱い彼らはすぐ全滅しそうだけど、誰か生きて還れるのかなあ?」。
 「架空戦記物」として捉えず、「イラクで本隊とはぐれてしまった自衛隊員達の不安とサバイバルを描く」ぐらいの内容として見るべき?

 津川雅彦の家康が、『葵』以来で見られて嬉しい。
個人的に、狸オヤジな家康のイメージは、この人が一番上手く表現できると思う。
 長門裕之がその横についているのも、懐かしい。
彼が出演していたのは、別シリーズの『徳川家康』だけど。
 渡部篤郎の血まみれぶりには迫力があったが、ちょっとやり過ぎているような。
まだ生きているのが不思議。

 第二部も、見られるなら見ようかと思うけど、放送が楽しみ…という程でもなく。


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