ときどき日記 2006/03

2006年3月31日 金曜日

 WOWOWで放送された映画『リロ&スティッチ』を見る。
 ディズニー製のアニメーション作品。

 ディズニーにしては、毒のある内容。
異生物・スティッチが極悪なのは まあ良いとして、人間・リロまで問題を抱えた人格で、単純な「素直でよい子」に描かれていないのが特徴的。
冒頭の方では、リロがかなりエキセントリックな行動を取り続けるので、感情移入が出来るかどうか不安になってしまったが…見ていると段々 可愛く思えてくるから不思議。
 スティッチが見せる、最強最悪の兵器ぶりが凄い。
頭は良いんだか悪いんだか、頑丈な体を用いて、無茶苦茶な行動を立案し実行するのが、実に楽しい。

 ストーリー自体は、「孤独感を抱えた子供の元に異質な生物がやってきて、友情を育むが、やがて別れの時が迫り…」というような、単純で、まあパターン通りのモノ。
それを面白くしているのは、やはり各キャラクターの個性。
 脇役である銀河連邦の議長から福祉局の黒人係員(その正体には、笑ってしまう)まで、細かく設定を作り込んでいて、非常に魅力的に描かれている。

 クライマックスで展開されるアクションには迫力があり、「みにくいアヒルの子」など様々な小道具を伏線に使いながら盛り上げるラストも感動的。
 家族が揃って見て、楽しめる、ホーム・エンターテイメントの見本のような映画。



『舞-乙HiME』最終話.「Dream☆Wing〜夢の在処」

 怒濤の勢いがあり、作画も充実した、最終回らしい最終回だった。
 …が、全話見ていたんだけど、もうとにかく途中から この作品と「合わなくなって」しまい、面白いと思える所は部分部分に限られるようになっていたので、乗り切れず。
なんでそう感じたのか…という理由は書けるんだけど、人によっては逆に そこが魅力に思えるんだろうな、というのも理解できなくはないので、まあ、いいや。

 舞衣とかミコトとか、出てくる意味はあまりなかったかも。
商業的には、前作のヒロイン達であり、視聴者が喜ぶに決まっている訳で出すべきなんだろうが、物語上は大きな意味を持たされていなかったし、ラストバトルなど見ていると、彼女達が居なくても戦力的には さほど問題なかったように思えて。
 最後、城のてっぺんに巨大な装飾を付けさせるマシロには、疑問。
こうした無用の飾り立てに国民の血税を注ぎ込む少女であったことが、彼女の問題だったような。
壁も崩れてしまったボロボロの執務室で、「ここの修繕などどうでも良い、国民は今、食べる物にも困っておるのだ」とか言いつつ、懸命に仕事をするマシロでも見せた方が成長を示せると思うけど。

 元気なハルカや、意味はよく分からないけど凄いらしい まきまきを使うシホ等々、好きなキャラは多いし、皆 生き生きと描けていたと思う。
前作でも思ったことだけど、もうちょっと謎の引きや勢力の分散…ストーリーその物を整理すれば、キャラはもっともっと活かせただろう。
 何だか色々と惜しい作品。


2006年3月30日 木曜日

 『トリビアの泉』スペシャルで、「金の斧、銀の斧」を置き換えたテストを子供にやっていた。
実際、子供が持っていたのは十円玉なのに、「落としたのはこの百円玉ですか、それとも五百円玉ですか?」と聞いて、正直に答えるかどうかを見る、というもの。
 んー、自分なら、迷わず五百円玉を取ると思う。
あのぐらいの年頃になると、もう平気で嘘をついていたような覚えがあるから。
 だから、もっと沢山の子供が利益を取ると予想したけど…意外、正直者の方が多いのね。

 その中で、最初は嘘をついて大きいお金をもらい、買い物をしたけれども、店を出た所で良心との間に激しい葛藤があり、最終的に「これ、違う」と返しに行った子供が居て、見ていて泣きそうになってしまう。
 いや、ごく普通に「落としたのは十円だよ」と言い、まるで嘘をつかない子だって多く居た訳だけど、その子達より この「一度は嘘をつきながらも、葛藤の末、最後に良心が勝つ」子供の方が胸を打つのは、そこに「ドラマ」があり「人間の真実」が見て取れるから。
 物語の構成も、こうじゃなきゃイケナイな。
 「ストレートな正直者を出したから、良いでしょ」「まるで悪びれないウソツキを出したから面白いでしょ」…どちらも そりゃ まるでつまらなくはないんだけど、こちらに訴えてくる力が弱い。

 …とかいう事はともかく、葛藤の末の正直者が自分ちの子供だったら(居ないけど)、見ててボロボロ泣いちゃうなあ。
そいで、欲しいもの何でも買って上げる。
正直の御褒美に。
 でも、それが知恵の回る子供だった場合、正直者の「フリ」をする事で より多くの利益を上げられる、という悪知恵を付けてしまう恐れもあるのか。
難しいところで。



『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』最終話.「やがて恋がはじまる」

 う、う〜ん…上手く収まったような、そうでもないような。
 放り出されたようなラストシーンに、戸惑う。
 病状が回復した やす菜が、今度は はずむを譲り、そのご好意に甘えた はずむが とまりの前で、再度 愛を誓うべく河を渡って見せた…って解釈で良いのだろうか。
そうでもなければ、とまりが後生大事に抱えていくと言った幼いプロポーズの思い出を台無しにする所行となり、はずむがゴミみたいなキャラになってしまうので。
 それにしても、恋愛の面倒なところを全部すっ飛ばした終わり方のような…
 でも、思い返せば このアニメの第一話時点で想像したのは、これぐらいライトな恋愛物だった。
これはこれで本来の路線に戻った終わり方なのだろう。

 ところで、宇宙人は はずむを元に戻さず(戻せず)に帰っちゃったの?
そんな無責任な…
 彼が「女の子」でなければならなかった物語的事情はもう解消されている訳で、そのまま終わらせるのは、連載中の原作に配慮して?それとも第二部が予定されているから、こうしたのかな?
一度 男の子に戻しても、第二部を始める事になったなら、「また宇宙船と衝突して女の子になっちゃいました」として、別に問題ないと思うが。
 「作中最大・最強のヒロインは、はずむ」で、「男に戻った彼には、商品的価値が無い」事を証明しているのか。
それら商業的理由を、物語性より優先?うーん…

 DVDで本当の最終話をリリース…という噂を聞いたけど、取りあえず この作品についてはここまでに。



 あれ?単行本「或る未亡人の肖像」、30日発売と聞いたんですけど、まだ売ってないみたいですね。
明日なのかな?


2006年3月29日 水曜日

『おねがいマイメロディ』最終話.「夢の歌がとどいたらイイナ!」

 実にこの作品らしく盛り上がった最終話。
話数をかけてジワジワと、間に馬鹿馬鹿しい息抜きを入れながら構成されたクライマックス。
 最後の敵を倒す方法が「歌」というのは、『マクロス』かゲーム『MOTHER』か。
ヒロインの名前を「歌」にしてあり、元々音楽は重要な要素として作品内に取り入れられていたが。

 武器となる歌…歌詞だけ読み上げられた時は、どうにも下らないとしか思えないシロモノだったが、曲が付いて女の子達が声を合わせ歌うと、意外にも心地良く聞けてしまう。
モー娘。とかの歌も、だいたいそんなような。
そういう所も含め、「音楽のパワー」と言えるのか。
 何度も妨害され、もうダメだと思わせながら再び歌い出すのを繰り返し、激しい戦いぶりを演出してみせる手際が素晴らしい。
しつこいバトルの盛り上げ方は、今期最もラストバトルが充実していた『ゾイド』より上なのかも。
 歌による奇跡の助力を視聴者に頼んでくるのは、『ピーターパン』だろうか。
いや、ヒーローショーでの「みんなでヒーローの名前を呼ぼう!」に近い?

 どのキャラよりも頑張った、ヒーローっぽくさえあるバクが泣かせる。
一途なクロミへの気持ちは、もう「愛」。
 ちょっと種族が違うような気はするけど、「不思議生物」として括って多少の形状の差異を気にしないなら、二人で幸せになれば良いかと。

 柊の心を開かせたというのに、「妹」扱いされてしまう歌が憐れ。
彼とクロミらがシリーズを通して見せてきた悪行について、普通はもう不問に処するところだけど、気楽なようなキツイような罰を与えるシビアさ(?)が楽しい。
因果応報。
可愛いキャラの割に毒がありまくり、というのが このアニメの持ち味。

 気持ちの良い最終回だった…と思えば、このまま次のシーズンへと突入するのね。



『ノエイン もうひとりの君へ』23.「オワリ」

 かなり溜まっていた録画分を、まとめて鑑賞。
 驚くし、感心するのは、作中で語られている概念…量子論…は かなり難しいモノだと思うのに、作り手側で完全に咀嚼し、そういう知識が全く無い視聴者(自分など)にも理解できるよう、丁寧に、しかしクドクドとはせず適切に説明が出来ていること。
多くのアニメが、自分達で作り上げた設定でさえ上手く消化 出来ず、見ている者にはまるで伝わらない自己満足状態に陥っている中、この配慮と判断のバランス感覚は驚異的。

 また、キャラクター達も非常に生き生きと描けている。
 人間関係は大きく三つに分けて、ハルカ、ユウら子供達同士の関係、ラクリマ時空とシャングリラのキャラクターで構成される異時空の関係、そしてハルカらの両親や内閣調査室・量子科学者らによる大人達の関係で成り立つ。
 そのそれぞれが、独立して彫り込まれ深化させられつつ、互いに絡まり合って一つのドラマを形作っていく。
 言うのは簡単だけど、こんな事が高いレベルで実現できる製作者なんて、そうは居ない。

 最近で一番の儲け役キャラは、アトリだろう。
誰も彼も見境無しで殺したがるような狂戦士だったのに、一時的な精神喪失状態を経て、復活してみれば、強く優しい魅力的な男に変わっていた。
 子供のようになっていた際、親身に世話をしてくれたミホにだけは、元に戻っても弱いところ。
悟飯には優しいピッコロ、みたいなパターン。
酷く珍しいパターン、という訳ではないが、少々手間の掛かるキャラクター性付加法なので、短絡的に作られることが多い近頃のアニメでは、余り見ない。
 半年、という余裕ある放送期間を有効に使った描き方。
しっかりとした構成がなければ、こうは出来ないだろう。

 見たことがない形状をしたシャングリラの兵器、ラクリマ時空の古いような新しいような形状をしたメカニック。
そして、どこか懐かしい函館の風景。
ビジュアル面への拘りは、凄い。
 崩れない作画も素晴らしいし、3Dでは無理な、手描き作画のみが可能とする激しいディフォルメが生み出すスピーディーなバトルシーンにも圧倒される。

 いかにも「萌え」っぽいキャラを出していない所が、営業的に弱点といえば弱点?(笑)
 迎えるシリーズのクライマックスと、どういう終わり方をするのか、が、楽しみ。


2006年3月28日 火曜日

『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』最終話.「レスキュー」

 要救助者がバカバカ死ぬ、重い話。
フィクションなんだから、助かる人数の方を多くするぐらいは問題なく出来たろうけど…これがスタッフの捉えたレスキューの「リアル」なんだろう。

 主人公は結局「ヒーロー」にはならない。
彼が驚くべき操縦テクニックを発揮する事はないし、危機を乗り越える空前絶後の作戦を立案する事もない。
 状況が悪化し、遭難者を目の前にしながら一度 引き上げるところで、主人公だけは反抗し、再度アプローチすべきだ!とでも騒ぎ出すかと思った。
それが少年漫画的には「ヒーロー」であり「主人公」の行動形態だから。
 しかし、彼がそんな愚挙をしでかす事はない。
そう「しなくなった」のが、彼の成長だから。

 人の命を救うため、ギリギリまで努力し、出来る事は何でもやる。
 そして、「出来ない事」までは、決してやろうとしない。
無理を押す事によって、仲間達の命まで危険に晒してしまう恐れがあるから。
 この見極めを冷静に出来るプロフェッショナルに なった事が、彼の成長。

 キツい仕事の中、ほんの少しの手応えを感じる めぐみ。
 余りにも辛い局面が多く、レスキューはシンドいと こちらからは見えてしまうけれど、同じ系統の仕事を目指す少年の言葉に笑顔で応えられる主人公も やはり、自分の仕事の価値を確信できるようになったのだろう。
 主人公と厳しい先輩・本郷、私生活では めぐみとの関係が、これからどうなっていくのか、まだまだキャラを魅力的に描いていくための基礎を固めただけに思え、ここからが本当に面白くなりそうな時点での終わりは、実に残念。

 地味だが、徹底して真面目に作られた佳作。
 最終話(外伝?)をDVDで描くとか。
楽しませてもらった作品なので、レンタル屋に入荷するようなら見てみようかな。


2006年3月27日 月曜日

『タクティカルロア』12.「九番目の命題」

 ここ数話で描かれた海戦は…特に目新しい事をやっている訳ではなく、演出頼りという気もするが、緊張感を維持しながら重い敗戦の様子を描き出せていたと思う。
この作品に「ここまで」は期待していなかったので、意外な収穫。
 ただ…まるっきり「萌え」アニメの骨格しか持たず、キャラクターの関係も非常に弱くしか語れていない時点で、こんなにも悲惨な、戦死者すら出す戦闘を見せられると、戸惑ってしまうのも事実。
一応は戦闘艦を舞台にしている、とはいえ、雰囲気としては『GIRLSブラボー』や『下級生』なんかと変わらなかったのに。
 戦死した乗員に寄せる生き残り少女達の思いとか、リベンジを誓って再び船に集まってくる仲間達、といった展開は、そこだけ取れば結構 熱い。

 が、事ここに至っても、まだ漂介を巡り、酷く安っぽい上に まるで各キャラの感情の動きが描けていない三角関係に拘り続けるのは、大きなマイナス。
突然、七波に告白してみせる漂介には、唖然。
 いつ・どういう理由で相手を好きになったのか分からず、何でそうなるのか分からない心理状態を発現するキャラクター達。
その姿は、確かに「リアル」ではある。
…「人間って、こういう不合理な、訳の分からないモノだよね」という意味のみにおいて。
 でも、こういう欠損によるリアルさの表現は、「ブンガク」ならばともかく、「エンターテイメント」を追求する作品では余り歓迎される方向でなく……仮に それが意図したものであるとしても。

 思いを一つにしたクルー達による、本当の戦いがこれから始まる…って、「少年ジャンプ」打ち切り漫画の最終回みたいな文句だけど、えー?本当に来週で最終回?
DVDのリリース情報によると、全13話らしいので。
 それじゃ、まっとうな戦いなど描きようがないし、当面の敵である お兄ちゃんに加え、変な姉妹との決着はどうなる?とか、クルーの双子が抱える事情は解決されるのか、とか、引いてきた色々な因縁を一話で全部片付けられるとは、とても思えない。
 残りは(あるなら)第二部で、あるいはセルDVDで、という事?



『陰からマモル!』最終話.「陰からマモル!」

 気楽に見られて、なかなかイイなあ、と思いつつ最後まで付き合ったシリーズ。
ただ、余りにも「気楽」で、感想らしい感想が浮かんでこなかったため ほとんど書かなかったが。
 こういう、ストレス無く見ていられるアニメも貴重。
 最終二話も、ゆうなと引き離されそうになる事で初めて自分の気持ちと正面から向き合うマモル、という実に王道な展開。
強力なライバルに対し、「愛」(巻物で言えば「心」)によって打ち勝つところにしたって、まず不満が出ない定番の描き方。

 ふと思った事。
 マモルが一生懸命に守り続ける ゆうなには、「価値がない」のね。
いや、可愛いし素直だし心がキレイだし、彼女を価値無しと言っては語弊があるけども。
劇中で万人に認められるだけの価値を持たされていない、というか。
 対してマモルは、ゆうなを懸命に守る姿にも、忍術体術に優れているところにしても、大きな「価値」を持っている。
それにより、彼の周りには多くの女性キャラが集まり、心を寄せてくる。

 最近の「萌え」作品で、主人公の男の子が立っているポジションは、ゆうなの位置。
ホント役立たずなデクノボーに描かれる事が多いので。
 その「役立たずなデクノボー」こそ、作品を楽しむ客側が持つリアルな自己認識の姿。
だから、主人公への感情移入が容易になり、彼が多くの女の子に言い寄られる事態を楽しむ事が出来る。
 しかし、超絶の戦闘能力を持つマモルは…ボケた所や鈍さもあって完璧超人とは言えないが、それでも「スーパーヒーロー」の位置におり、女の子達に好かれて当然の価値を持つ。
そういう彼を「見て楽しむ」には何の問題もないが、客が自己投影して「気持ち良さを味わう」には ちょっと障害がある。

 つまり…ええと、何が言いたかったんだっけ?(^_^;)
 このアニメは、可愛い女の子達が大勢出て来て「萌え」っぽく あるけど、実はその骨格は あくまでヒーローの活躍を見せる「少年漫画」である、というような事かな。


2006年3月26日 日曜日

『ゾイド ジェネシス』最終話.「再生」

 全編、最後の敵であるジーン・バイオティラノとの激戦を描いたクライマックス。
 メインのキャラクター達が次々に登場し、我が身を危機に晒しながらティラノの戦闘力を次第次第に削いでいく様子は、見ていて思わず力が入ってしまう。

 ただ…ちょっと駆け足だったか、とは思う。
もう少し時間があれば…ルージとザイリンの共闘は更にパワフルな物に出来たろうし、ガラガ・デッドリーコングにも一見せ場設けられたろう。
予想通り無事だったラ・カンの再登場だって、遙かに格好良く、意味あるものに出来たはず。
 ギンの危機、危うく(実は生きてました、という逃げ場が無くなるぐらいハッキリと)殺されかけるレ・ミィ、など、ハラハラドキドキは演出できていたのだし、贅沢かな。

 キャラ達の その後を見せるエピローグが無かったのは、物足りない。
環境が回復したルージの村を見せることで、色々と表せて、想像させてもくれるけれど。
 レ・ミィとコトナは、どうなったのかなあ?
ラ・カンは、もう表舞台から隠居だろうな。

 大勢 死んだようで、実はメインキャラのほとんどが無事な、気持ちの良い終わり方。
 不満はナイでも無いけれど、ここまで頑張ってくれれば十分、と思う気持ちが強い。

 とにかく真面目に、誠実に作られたシリーズだった。
「ロボット物」という嘘が多くならざるを得ないジャンルでも、こんなに丁寧に、細かく、世界にもキャラクターにも深い愛情を注いで作り込むことで、「真実」の重い手応えを残す作品に仕上げることが出来るのだ、という事を、久しぶりに思い出させてくれたアニメ。
 面白かった!



『仮面ライダーカブト』09.

 矢車の限界が明らかに。
もうちょっとは余裕を持つキャラかと思ったんだけど、意外なぐらい脆かったな。
 彼と天道の関係を、掲示板で「ZECT上層部から部下を切り捨てる決断を迫られ、苦悩した、その解決法を天道に求めるのでは」と予想して頂き、それも非常に面白かったが、実際は彼個人の精神的問題に集約させてしまった。
切り捨てる決断は、次回、加賀美が天道を、という形で映像になりそう。

 「全てを超越したキャラ」を見事に体現してみせる天道が、とにかく楽しい。
 ザビーに暴行を加えられ、かなりやられたのかと思えば「死んだふり」か(笑)!
誰にでも勝たないと気が済まない、って性格じゃないのね、これも意外。
昆虫に見習った、この場合正しい兵法ではあるから、「負けた」とは認識していない?
 …その後、本当に気絶していたような様子からすると、実は体に堪えており、単に異常な負けず嫌いなのか…読み辛いキャラだなあ(^ ^)。
 壊れていく矢車を「相手にしない」態度からは、子供と大人ぐらいの精神差が感じられる。
いやまあ、天道は基本的に人を喰っていて、誰であってもマトモに相手になどしていない、とも言える。
 病院で女医を逆に診察している様子、食事を入院患者など病院関係者に振る舞うシーンに、爆笑。
ふざけている訳ではなく、全て真面目にやっているつもりなんだろうけど、世間とのギャップがとにかく可笑しい。

 ザビーゼクターに見放されてしまう矢車。
このゼクターユニットは、人間が開発したものではない?
相手を見極めている様子があるな。
 「シンクロ率が落ちたので操作できなくなった」と言い換えると、途端に分かり易く(笑)。
 しかし、人間が作っても、「全てのマシンの搭乗者が心を一つにしない限り合体できない」などというヤヤコシイばかりの機構を何故か搭載してしまった『コンバトラーV』なんてメカもあるし、まだ分からないか。
 ちなみに、公式ページでは、普通にZECTが開発した事になっている。

 変身する加賀美に驚く。
てっきり、ライダーに憧れながらも、その活躍を脇で見守り続けるだけのキャラになると思ったのに。
変身するにしても、シリーズ後半からかと。
 まだまだ、矢車が、部下達からの厚い信頼を受け、心を開いて「本当のリーダーになりたい」とか何とか言い出し、再度ザビーゼクターに認められ加賀美からユニットを奪還する流れになる事も考えられるが。

 ひよりが見た、過去の幻視は何?
 ベルトを付けていた少年は、天道?
 「殺さないで」というセリフは、『ナウシカ』で幼少期のナウシカが王蟲幼虫を庇った時のセリフを思わせるんだけど、彼女が守ろうとしていたのはワームだったのか?
 謎は謎を呼び、面白いなあ。



 『FINAL FANTASY XII』プレイ中。
 とにかく自分は3Dに弱く、スグ酔ってしまう。
『塊魂』も『ワンダと巨像』も、そのためにまるで進められなかった経緯があり、今作に不安を感じていたが…
 カメラを自分で操作できるのが良かったのか、比較的平気。
それでも、2、3時間経つと軽く酔いの症状が現れ始めるため、そこで休憩を入れる、あるいは本日はココまでにしないと、危険。
 トホホ、ハードの進化に付いていけない体だなあ。

 ゲーム内容。
 まだ全然 途中までだけど、なかなか面白い。
二つの大国に挟まれ、侵攻によって主権を失ってしまった小国の人々が、主人公。
ハードな雰囲気が良いねえ。

 ただ…現在の地点で ちょっと「お使い」色が強くなってきており、「謎を解明するためドコソコの村へ行け」「そこじゃ分からんかったから次はアッチに行け」「残念、情報を持つ人間がダンジョンに出掛けてるから、今度はそれを追え」……ストーリーを進めている、というより、作り手のルールに沿って進めさせられている感じがしてきた。
ダンジョンがちょっと長いのも、善し悪し。
 何しろこのゲームは、「プレイヤーが、世界を冒険していくのを楽しむ」より、「作り込まれたストーリーを、美麗なCGムービーを多用して見せる」事に主眼が置かれているので、そのストーリーを停滞させてしまうゲームっぽい仕掛けなどは、個人的に無用なモノに感じられてしまう。
そんなのイイから早く先を見せろ!と思えて。

 戦闘のシステムが大幅に変えられており、「ガンビット」と呼ばれるキャラクター各員への行動プログラムが非常に良くできていて、楽しい。
ネットワークRPG風?『FF11』も やっていないので分からないけど。
 フィールドから戦闘へ、画面の切り替えがないため、非常にスピーディーな印象がある。
 指名手配イベント用のモンスターなのか、ザコ敵に混じって恐ろしいぐらい強い奴が時々居て、見る間にコチラが全滅させられてしまう理不尽さは、「おいおい」とも思うけど、旧時代のRPGが思い出されて割と楽しかったり。

 とにかく、手間の掛かった作り。
やってもやらなくても良いが やると面白いイベント、町の人々の話も、聞いても聞かなくてもゲームの進行にはほとんど影響ないが、よく聞いて頭の中で咀嚼してみると大きく世界を広げてくれる。
こういう「無駄」を膨大な量 存在させられる製作状況の余裕、あるいはゲームへの情熱が、日本RPGの代表作を支えているんだろうな。
 せっかく設けられた脇道を、ほとんど飛ばしてしまっている人間が言うのも何だけど。

 ムービーを見ればすぐ分かるが、『スター・ウォーズ』『ロード・オブ・ザ・リング』等の影響は色濃い。
メカやモンスター、世界を構成する背景のデザインセンスは、この『FF』の方が優れていると個人的には感じる。
 文句は言いながらも、最後までプレイしたい、それだけの価値はあると思うゲーム。

 しかし…このため、ただでさえ溜まりがちな録画番組の消化が遅れており、感想更新頻度が落ちて、申し訳なく。
 ウサギお姉ちゃんに関わるイベントが終わったところだけど…もしかしてまだ半分も行ってない?
急いで進めないとなあ。


2006年3月25日 土曜日

『ウルトラマンマックス』39.「つかみとれ!未来」

 前回、心臓の鼓動が止まってしまったミズキ。
彼女を生き返らせるのに、マックスか、地底人の不思議テクノロジーを用いるものだと思い込んでいたが、意外、その命を呼び戻したのは諦めないカイトが見せた「人間としての力」。
 運命を切り開くのは「人間」でなければならない、というテーマが伝わる力強いストーリーで、胸を打たれる。
 半泣きで人工呼吸を繰り返すカイト役男性の演技も、みっともないまでの必死さが伝わって、良かった。
上手くなったなあ。

 マックスに変身、ミズキを抱き上げて地上に戻り、そのまま一気にギガバーサークを倒すか…と思ったが、力及ばず、カイトを分離し石化(?)してしまうマックス。
 十字架に張り付けになるような姿が、ウルトラシリーズの伝統を感じさせ、何だか懐かしい。
どちらかというとコレは、昭和ウルトラの正当な続編になるのであろう次作『メビウス』でやって欲しい事だったかも。
いやまあ、何度でもやれば良いんだけどね。

 そのマックスを復活させる方法は、『ウルトラセブン』「セブン暗殺計画」を思わせる。
 しかしマックス、母星に帰る力まで使い果たしていたのか。
前回はそんな事言ってなかったような…カイトに気を遣って?
地上でのエネルギー消費は、遙か宇宙の彼方まで飛んでいくパワーに匹敵するぐらい激しいのね。

 衛星で太陽エネルギーを集め、DASH基地で集約し、マックスギャラクシーに伝達する、という方法は、なるほど なかなかよく考えた。
 自分の意志で もう一度マックスと融合するカイト、という見せ方が、「差し出された好意の掌に甘えていた人類」から「一度は離された掌を、今度はこちらから強く握り返す」動作を思わせ、ジンと来る。
 最後なんだから…隊長も出動して良い所を見せて欲しかったし、コバの射撃の才能が危機を救う展開も欲しかった。
みんなに見せ場があると、もっと嬉しかったかな。
コバの格好良さはシリーズの途中で表現されていたし、隊長はヘタレだからこそ隊長、ってのも、その通りだけど。

 復活マックスのデタラメな強さが、凄い。
理屈もヘッタクレもない、圧倒的なパワー。
こりゃあ、マックスの力を計算し尽くしたというギガバーサークも太刀打ちできないはずだぁ。
 分裂アイスラッガーには、『侍ジャイアンツ』最終回で見せられた無茶な「ミラクルボール」を思い出してしまう。
 このマックス世界で、もしか次のウルトラマンが地球を訪れたなら、彼がピンチの時、この方法でエネルギーを充填してあげると良いかも。
そうやって簡単にエネルギー補給ができてしまうと、作品が『流星人間ゾーン』になってしまうか(笑)。

 あれだけの補給で母星まで帰れるのかなあ?と思えば、ゼノンが近所までお迎えに来てくれていた。
もっと早く来て、力を貸してくれれば良いのに…今、着いたの?
 カイトとミズキの心拍をモニターしていたDASHのように、母星でもマックスの異変に気が付き、慌てて飛んできたのが あの時間だったのかな。

 宇宙に飛び立つカイト。
ミズキも一緒だった?船内で次の世代が産まれたりするのかね?
 等と呑気に思っていれば、イキナリ孫にまで時間が飛んでたとは!
 うーん、言いたい事は分からないでもないけど、ちょっと蛇足気味。
でも、やる気がない老けメイクに笑ってしまったので、まあイイや。
 これはこれで、この作品の最終回っぽい、とも思えるし。

 次回は総集編になると思うので、シリーズ全体を振り返り。
 『ネクサス』が失敗した穴を埋めるため、急遽作られた作品、という事で、事前の期待値は非常に低かった。
その通り、開始当初は物語も画面作りも上手く行っておらず、「安っぽいなあ」としか思わなかった。
 しかし、15話「第三番惑星の奇跡」辺りから波に乗り始め、どうせ期待されていないなら好き勝手やってやれ!と開き直りも したのかどうか、異色の話がガンガン面白くなっていき、次第に定着していったレギュラーキャラクターの個性もあり、スタンダードな内容でも それなりに楽しく見られるようになっていった。
 文明批判をテーマとする内容が多すぎた印象はあるけど…
次回は何を見せてくれるのか分からない、ビックリ箱のようなドキドキするシリーズに出来ていたと思う。
 面白かった!
まだ、もうちょっと続けて欲しいぐらい。

 このノリを維持し、次作『メビウス』も楽しい作品になってくれるよう、期待。


2006年3月24日 金曜日

『しにがみのバラッド。』04.「あきのまほう」

 ここまで見てくればさすがに分かる、このアニメは「死神のお話」ではなく、「死がどこかに絡んだ人々のオムニバス。死神のオマケ付き」なのね。
 それにしても死神・モモのキャラクターが弱すぎるため、狂言回しの役割さえ果たせていない。
毎回 泣くのかと思えば、そうでもないし。
 そのため、オムニバスとしても括りが弱いシリーズになってしまっている。

 今回は、母親を病で喪い、「母親代わり」として無理をしている少女がメイン。
彼女のシンドさを派手に演出するイベントが無いので、とても地味な内容だけれども(いつもこのアニメは地味か)、亡き母親にフレンチトーストの作り方を教えてもらう所など、母親の島本 須美声の優しさもあって、ついホロリと来てしまう。

 もっと、世の中には、誰かの死によって立ち直れない・自殺を考えるぐらいのダメージを受けてしまった人も居ると思うが、今回の少女よりは そちらを見守りに行った方が良いような。
そういう難しい事案は、元々モモのような不安定な死神に任せてないのかな?



『落語天女おゆい』最終話.「信じる言葉 ふれあう心」

 あ、もう終わりなんだ。
十二話で終了。
 各キャラクターの彫り込みの浅さ、敵とのドラマの薄さ、クライマックスの盛り上がりの弱さから、てっきりまだまだ、せめて半年ぐらいは続くものと思っていた。
 もし半年続くなら、この辺りで脱落していた所だけど、その短さ故に うっかり全話見てしまう。

 「落語」という、この作品ならではの特異性が、後半ほとんど活かされなかった。
美少女バトル物で そんなモノ、どうやって活かせばよいのか分からないが(^ ^)。
これはもう、そもそもの企画から無理があるとしか。
 全十二話で終わることが決まっていたなら、レギュラーキャラを絞り込み…ゆいと雅、二人だけにする手もあったと思う。
取り澄ました雅が、落語を通して人を笑わせることの喜びに目覚めていく、とか何とかすれば、もうちょっと主題を本編に絡ませられたかと。
 平賀源内とイイ仲になるお姉ちゃんや、近藤勇と好き合う剣術少女など、テーマとは何の関係もない訳で。
セーラームーン的 少女キャラバラエティーに色気を出しては、「落語」を活かす時間が無くなってしまって当然。
 この作品を通して落語に興味を持った視聴者など、皆無だろうな。

 アッサリと現代に帰ってしまう少女達に、拍子抜け。
帰る方法にもうちょっとアイディアをかけるとか、江戸で出来た結びつき故に「帰らない」選択をするキャラを作るとか、多少は盛り上げても。
 いや、「このアニメらしい脱力感」とは言えるが。

 終わってみれば、そんなに酷いアニメではなく、雅など好みなキャラでもあったんだけど、後半での破綻の取り繕い方が かえって印象の弱さにも繋がってしまっており、恐らく半年後には、この作品の存在自体を忘れてしまうと思う。


2006年3月23日 木曜日

『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』11.「やす菜の瞳から消えたもの」

 やす菜と とまり、二人に付加した「はずむから手を引けない理由」が、上手く機能している。
 やす菜は精神的な病があり、はずむが居たから生きていく気力を取り戻すことが出来、彼を失いかけて病理は最悪の状況まで深刻化してしまう。
 とまりは、彼無しでも生きていけるように見せながら、実は やす菜と変わらないぐらい脆い心を持っていることを伺わせる。
 どちらかを選択するのは かなり難しく、はずむがフラフラするのも分からなくはない。

 ただ、やす菜が今回 深く傷付いたのは、「はずむと とまりに裏切られた、と感じたから」であり、正々堂々「とまりの方が好きだ」と告げれば病状は悪化しなかったのかも。
 とまりも、決して自分が選ばれない、と知れば、長く凹んでも いずれは自力で立ち直れたろうし。
 二者択一が出来ない はずむの心の根源を、「青とピンクの綿菓子、どちらを買ってもらえばよいのか迷いに迷って、結局 両方買ってもらえなくなった」というような、割とどうでも良いイベントに設定しているのが、作品のライトな味付けに大きく貢献しているのと裏腹に、このシリアスな展開を支えきれない要因にもなっている。
「二匹の捨て犬を見つけたが一匹しか飼えないと言われ、迷った末 連れ帰らなかった方が翌日、骸となって…」とか「離婚した両親、どちらに付いていくか迷い、決めた(あるいは家庭裁判所で決められ強制的に引き取られた)片親 以外の親が…」とかいうような重い過去を設定しておけば、もうちょっと はずむの心理描写補完(心理欠損)を強くできたかと思うが、精神的病理を抱えたキャラばっかり出されるのはシンドイ、ってのも確かで。

 やす菜の病気を、一気に宇宙的スケールまで広げたのが、面白い。
なるほど、宇宙人達が はずむに執着したのは、単に物珍しさではなくて理由があった訳ね。
 鳥とか虫の個体差を認識できないのは、対象への関心の有無よりか、種族としての形態の大きすぎる差に寄っているような。
でもまあ、飼い主(持ち主)には、数十体いる同型機の中からでも自分の家のAIBOを見つけ出せたりするみたいだし、愛があれば不可能は無いのかな。



 遅ればせながら、宮川泰先生の ご冥福をお祈りします。
 多方面でご活躍成されていたそうですが、自分にとっては「『宇宙戦艦ヤマト』に音楽を付けた人」。
ヤマトのBGM集LPを子供の頃に買って、本当に擦り切れるまで聞いていた事を、よく憶えています。



 「ゲーム批評」原稿アップ。
ギリギリ間に合いそう、ということ。
疲れたー。
 とか書くと、ここも何だか日記っぽいなあ。


2006年3月22日 水曜日

 悲惨なスケジュールで、「ゲーム批評」読者コーナーのお絵描き仕事。
編集様方の入れ替えに伴う混乱のため、連絡が全く取れなくなり、最終的なシワ寄せとして こちらの作業時間がほとんど無くなってしまったもの。
 てっきり、休刊になったのか、読者コーナー終了、あるいは担当絵描き交代なのかと思っていた。
 何があろうと〆切デッドラインは伸びず…今日中に、とかいうのは さすがに無理なんだけどなー…頑張るしか。


2006年3月21日 火曜日

 レンタルでOVA『HELLSING I』を見る。
 一度テレビアニメ化されていたが、より原作に忠実な映像作品を望む声に応えて…なのか、再アニメ化されたもの。

 うーん…「狂」が足りない。
 ごくまともな、まっとうな、普通の感性で咀嚼されたアニメ化。
原作とはまるで違う、不満な方向だったが、テレビ版の方がこれより「狂って」はいたと思う。
 この原作は、狂熱に満ちて突き進む闇雲なパワー、それこそが幾多のバンパイア物…いや漫画作品と一線を画している訳で、それが弱くなっては「まあ普通」程度の印象しか残せない。

 演出も作画も決して悪くない、テレビアニメとして見れば十分 水準以上の出来だと思うが、飛び抜けて優れてはいない。
銃撃や格闘戦の多くをパターンで流していて、特に感慨を与えてくれないのが残念。
 途中に入るセラスの、酷く滑った夢ギャグを見ても…スタッフは原作者と まるで感覚が合っていないのでは?
表面だけ「狂ったフリ」を、それも余り上手くなく、やっているとしか。

 アンデルセン登場シーンのハッタリと、若本声は楽しかった。
彼 対アーカードのバトルは、なかなかに気合いが入っていると思う。
 テレビで放送されているなら、原作の好きなシーンの映像化を楽しみに見続けても構わないレベルなんだけど、続巻をレンタルしてまで追い掛けたい出来かというと…


2006年3月20日 月曜日

『パピヨンローゼ New Season』01.「アキバは萌えているか!?」

 気が付いたら放送が始まっていた新番組。
 ええと、先にOVAで展開されていたシリーズがあり、こちらはその後を受ける形で始まった第二期シーズンなのかな?
冒頭で、えらく投げやりに「コレまでのあらすじ」をテロップ説明していたけれども。
 不親切な構成だと思うが、ちょっと見ていると、そんな些細な事はどうでも良くなる。
ストーリーなど、あって無いようなモノだし。

 『セーラームーン』後追い、と見える企画の一本。
ヒロインの髪型やら、喋る猫がサポートに付いているとか、そのまんま。
 変身した少女達が下着姿で戦っており、原典との差別化は主に「エロ要素」により計られている。
…というか、「セーラームーンは妄想を喚起する程度だったけど、もっと露骨にエッチな姿を見せるアニメを作れば、行けそう」というのが企画意図では?
 ストーリーが しょーもない事、演出が鈍い事は、そういうモノを期待して見るアニメではないのだろうから問わないとして、作画が余り宜しくないのは致命的。
女の子の姿態がエッチに描けていなければ、ほとんど存在する意味がない作品だというのに。

 秋葉原を舞台にし、2ちゃんねるっぽい掲示板を画面で見せたり、というのは、どうなのかな?
こういうラインなら、『ナースウィッチ小麦ちゃんマジカルて』の方が、ずっと徹底したギャグをやっている訳で、今更、としか。

 オタク層の中でも、非常に狭い…「物好きな」層を狙った商品。
彼らに上手くアピールできたから、この新シーズンが あり得たのだろう。
 しかし…良い意味でも悪い意味でも、個人的には見続ける意味を感じず、ここまでに。



『ゾイド ジェネシス』49.「決戦」

 前回 行われた放送で、ディガルドの心ある部隊いくらかは停戦に応じ、あるいはルージらと共に戦ってくれるのだろうと思ったけど…六割停戦、三割態度保留、一割のみがジーンに従い抗戦の構え、というのは、この作品にしては「都合」が感じられてしまう展開。
 ジーンの非道が明らかになった訳で、軍内部に混乱が生じるのは当然だが、その規模が大きすぎ。
どれほど厳しい最終決戦になるのか、と思っていた視聴者の「期待」が力一杯ハズされ、勢い余ってつんのめってしまう。
 クライマックスだというのに、「掃討戦」の様相。
ジーンの乗機 一機だけでも恐るべき戦力を持っている、とはいえ…

 まあ、怒るほど あり得ない展開ではないし、フィクションなんだから、ルージがスーパーパワーに目覚めるとか突然 超兵器が開発されるとか、酷くは「主人公達なんだから勝つのが当たり前じゃん」という理屈も何も無いゴリ押しで、絶望的な戦いから一気に逆転勝利へともっていくムチャさえ出来た訳で(実際、そんな作品、よくある)、それに比べれば ずっと納得しやすい戦況の変化ではあるが。
 「この作品にしては」という前提付きで、不満を感じてしまう。

 ラ・カン亡き(次回、危機一髪を救いに飛び込んできたりしそう…)後、全軍の指揮を任されるルージ。
彼以上の人材は居ない、とは思いつつ、若すぎてカリスマ性や頼り甲斐に欠けてしまう姿に、兵達が不安を感じるのも道理。
 それでも何とか応えたいと無理をするルージと、その無理に気付いてやれるガラガ。
イイねえ。
 生死不明のラ・カンを思い涙するレ・ミィは、気合いの入った作画もあって、可愛い。

 こんな弱い者イジメみたいな掃討戦じゃ盛り上がらないのでは?という不安を吹き飛ばす、バイオティラノのデタラメな強さ。
一機だけでも戦況をひっくり返せる、無茶苦茶な超兵器。
 ザイリンはラストバトルに間に合うのかな?
 もう世界の趨勢は決している、とはいえ、ルージら個人の運命はまだ未確定な訳で、何となく死亡フラグっぽい言葉を残したレ・ミィを始め、その行く末が気になる。


2006年3月19日 日曜日

『ガイキング』15.「危険な逃亡者!!父さんの手がかり!」

 ああ、今日から放送時間が変更されて再開だっけ。
すっかり忘れていて、痛恨の前半見逃し。

 このガイキングでは もうやらないんじゃないかと思っていたボリューションプロテクトが見られ、喜んでしまう。
旧作では「渦巻き防御形態」とかも呼ばれていたような。
機体を丸めていく時、大空魔竜内の長い通路が、こう、ググッと湾曲して次第に向こう側が見えなくなっていく、旧作でお馴染みだった描写が引き継がれているのも嬉しい。
 コレを攻撃方法に転用するアイディアを、遊園地での遊びから思い付く(いや、アイディアは既にあり、実用にするデータを収集してた?)、実に基本に忠実な構成。
意外とアホみたいな副長の素顔が、可笑しくて可愛らしい。



『仮面ライダーカブト』08.

 世間的には、独善的でありニートの天道より遙かに尊敬されるべき矢車の、意外な脆さが明るみに。
パーフェクト・ハーモニーって、そうで「なければならない」という、強迫神経症的なモノなのね。
きれい好きじゃなくて、異常な潔癖性だった、って感じ。
だから、ちょっと物事が思ったように運ばないと、イラッと来て切れてしまう。
 それでも、カブトにやられてケガをした隊員に苛立ちをぶつけないのは立派。
この辺も、「大きく劣った部下に対し、いつも優しい自分」という虚像を顕示することで、パーフェクト・ハーモニーを奏でているつもりなのか。

 ワームの同型がもう一匹いた、というのを知らないZECT。
新聞で、続出する被害を読み、初めてそれに気が付く…ってのもかなり間が抜けているような。
それじゃ、ワーム情報の機密化もヘッタクレも無いぞ。
 実はマスコミ各社やら警察などの上層部は既にワームに取って代わられており、ZECTが情報を管理しているというのは とんだ思い上がりで、ワーム自身が自分達の行動の自由を確保するため報道規制を行っている、とか?
いや…その非人間的な有り様からすると、ZECT自体も乗っ取られていそう。

 転属を願い出る加賀美。
彼はバイト扱いじゃなかったっけ?
エリート機関にバイトなんか入れるかな?
 彼の父親は かなりエライ人らしいから、自身はそれと知らず、色々と無理を利かせてもらってる、とか。

 結婚式で、神父に成り代わり、妙なことを口走り始める天道に大笑い。
キャラを立てるために設定した口癖やら行動様式が、非常に上手く回り始めており、楽しいなあ。



『交響詩篇エウレカセブン』47.「アクペリエンス・4」

 何が驚いたと言って、「実はココが地球でした」という謎解きに驚いた。
 「実は地球でした」ネタ自体は、もう掃いて捨てる程ありふれているけど、その地球は表面全体に薄く皮を張った状態にあり、暮らす人類のほとんどが「我々は本来の地表面からチョイと離れた皮の上で生きている」事を知らない、っていうのは、かなり珍しいような。
リンゴ飴の飴上で人々が生きており、実はその中にリンゴがくるみ込まれている事を知らなかった、って感じなのか?
 そう言われてみれば、グレートウォール(皮?)を通り抜けた「下」に地球があったし、地球海面から上空に向けて何かを支えるような柱が伸びていたので、分かって当然だったのかな。
いや、しかしねえ、こんな そのまんまの謎解きは無いと思い込んでいて…
てっきり、レントン達は遙か宇宙空間を越えた地球に送られたモノと。

 あと、前回、仲間を殺したとホランドに詰め寄る軍兵士らを止めるのに、タルホが「謝らないわよ!」と言い捨てる所にも、度肝を抜かれた。
そんな開き直り方、アリか?
 ホランドは体を痛めつけながら戦ってるんだ…とも言っていたが、それは軍兵士達にとって この際、何の関係も無い事では?
 弱っているホランドを優しく庇おうというのではなく、髪の毛を引っ掴んで顔色を晒させるなど、彼に対してさえ非常に乱暴で、理屈などまるで通じそうになく、確かに、男は こういう状態になった女性が最も苦手だから、対処法としては ちょっと引いて冷静になり「…もういいよ」と言うほか無い。
 理屈を通し、誠心誠意 謝っても許してはもらえないぐらい不利な状況の時は、逆ギレして見せる事で事態をウヤムヤにする。
戦法として間違ってはいない。
 まあ、それで相手の尊敬を勝ち得たり本当の友情を結べたりはしないだろうけど、この場合そういうモノを求めての行動ではない訳だし。
タルホ、大した策士なのかも。


2006年3月18日 土曜日

『ウルトラマンマックス』38.「地上壊滅の序曲」

 のっけからDASH基地破壊の衝撃的シーンで始まる、二話連続の最終話。
 なかなかハードな内容で、侵略者を宇宙人にせず、同じ地球に住む地底人に設定したのが特異。
いや、地底に住む異人のエピソードは、『ウルトラマン』テレスドンや『セブン』ユートム(これは宇宙人製?)の話等々で割合よくあるんだけど、それをラストに持って来るのが珍しい。
 文明批判を多用した(多用「し過ぎた」印象もアリ)『マックス』らしく、地底人の侵攻目的も、「地上人の環境破壊により脅かされている自分達の生存権を守ること」。
 環境破壊を伴う文明活動を一切停止せよ、と急に言われても、無理だよねえ。
地底人…環境改善のテクノロジーを持っているなら、もっと時間を掛けて地上とコンタクトを取って良かったのでは?
無茶な要求にかこつけて、地上の占領・利権の独占を狙っているなら、分かるけど。
 地底人は既に絶滅していて(これも環境破壊が原因で、だったり)、無人の都市を、原理原則に忠実なロボット達が守っているだけ?

 ウルトラシリーズについて、長年持たれていた疑問の一つに、ハッキリとした答えが出された。
同一惑星の異文明同士の諍いについては、干渉しない、というルールが、彼らにはあったのだ。
 「怪獣や宇宙人の出現などより、戦争の方が遙かに多くの人命を奪っているのに、ウルトラマンが その終結に向けて力を振るわないのは何故か」の答えが、ここに。
確かに、その場合どちらをどう裁けば良いのか、難しいからねえ。
 …それにしては、前述のテレスドンやらノンマルトの話で、相手側を攻撃していたような。
マックスは えらく真面目な性格であり、定められたルールを頑なに遵守しているが、初代マンやセブンなどは所謂「はみだし刑事」であり、事件を解決するためには手段を選ばない部分がある、って感じか?

 さしたる理由はなく、「ボチボチ故星に帰ろうかと思ってさ、ホラ、ママンとか心配してるし」という程度の心境で地球を離れようとするマックス。
待てやコラ、そんなんアリか?
 そもそも、地球で戦ってくれている理由にしても、割と何となく善意からって部分が大きいので、仕方ないのか。

 ミズキの死を予告するエリー。
そんな計算まで出来たんだ。
ナニガシかいう占い師より、遙かに正確な未来が予見できるのでは?
 その言葉を気に病むミズキに、未来でも一緒に居るはず、と、不用意に意味深な言葉を掛けてしまうカイト。
淡々と続けていた二人の関係描写が実を結んでおり、非常事態ではあるが、微笑ましい。

 「計算による危険の予言を、愛の力で乗り越えていく二人」ぐらい、簡単な内容になるかと思ったが、意外、ミズキは一時的に死んでしまった?
 マックスに変身する事で得られる無限のパワーよりも、愛する女性を失わんとする人間・カイトの苦しさ哀しさ魂の叫びこそが、無理解による二種族対立の危機を解決へと導く…という風になると良いなあ。



『ゾイド ジェネシス』48.「神の雷」

 明日、次の話が放送される今頃になって、先週の感想。

 シリーズのクライマックスに向け、怒濤の展開が続く。
 ジーンの悪行を暴露し、反抗を呼びかけるべく、全土への放送を敢行するラ・カンら。
心あるディガルド兵士達は、目にした恐るべき現実に衝撃を受ける。
 …しかし、バイオゾイドは確かに強力な兵器であり、その運用が、他国の民間人らの犠牲の上に成り立っている…という「だけ」であれば、特に問題なしとする兵士も出そうな。
知らない人間の痛みなど実質「自分には関係ない」訳だし、そういう老若男女の犠牲で任務の達成率と自分の生存確率が上げられるなら、「やむを得ない」ぐらいで納得しそう。
 ただ、ジーンは無差別に、使えなくなった軍人でさえその原材料にしており、そうなると全兵士が安穏としてなど居られなくなる。

 ルージらにより一部拠点を奪還されたりしているとはいえ、ディガルドの戦力は圧倒的なはずで、無理にバイオゾイドを量産する意味は、本来 薄かったはず。
なのに強行してしまったのは、地上人に対するより、ジーンの「上」に君臨するソラシティーへの苛立ちが強かったからでは。
 自身を神と称し、他者を同等の存在とは捉えないジーンの傲慢さ、唯我独尊ぶりが この反抗を呼び起こしている。
実に自業自得。
 単に「ジーンが馬鹿だからダメになった」のではなく、自らの資質に沿って最上の策と思えるモノを採ってしまったことが、人心の離反を招き、最悪の結果を生んでいく。
野望の潰(つい)え方として、納得がいく持って行きよう。

 対して、自軍の象徴となったルージと、ディガルドの将兵であったザイリン、二人が握手をする様子を映像として見せ、敵対していた兵達の心を動かそうとするラ・カン。
この辺、殊更にジーンのやり方との違いを誇示する、ラ・カンの したたかな政治的手腕が感じられ、上手い。
 死を賭してゲオルグ機に突っ込んでいく彼の態度は、一軍の司令官としては不思議なんだけど、ゲオルグとは因縁があること、成長著しいルージらに後を任せても大丈夫だと考えていたろうこと、元々そういう武人的性格が強いことも思うと、十分に理解できる。
 だからこそ、最後にルージへと呼びかけた彼の絶叫が、見る者の心を打つ。
 「製作者の都合」だけに寄らない、これまで積み上げてきたドラマの結果として、迎える展開。
キャラクターや物語を大事に思うなら、やって当たり前のことなんだけど…これが出来ている作品なんて、今 何本あるんだろう?


2006年3月17日 金曜日

『新キャプテン・スカーレット』01.

 存在は知っていたけど、実物を初めて見た。
スーパーマリオネーション作品を、完全3DCG映像でリメイクしたテレビシリーズ。
 「よくもこんな凝った画面作りを、人形劇で」と感心させられた・感心させることが狙いでもあったろうオリジナルは、その目標は高いレベルで達成できていたものの、ストーリーが若干弱い。
まあ、その弱さも面白い、というか味ではあるんだけど。
 特に、スカーレットの扱いが、「お前どうせ不死身なんだから、イイだろ?」的にガンガン悪くなっていくのが可笑しかった。
どう見てもスカーレットが死んだように見える状況下、仲間達が、「アイツは そのうち生き返るから放っとけ」と和やかに談笑しているエピローグを迎えたエピソードなど、余りの酷さに大笑いした覚えが。
彼の色々な死に様を集めたエンディングを見ても、スタッフが「殺すこと」を楽しんでいたようなフシあり(笑)。

 リメイクのCG版。
 ええと、オリジナル版に「変化する以前の、スカーレットとブラックの関係」なんて あったんだっけ?
そこが僅かに彫り込まれているのは、収穫。
 ミステロン基地のスケール感、カーチェイスの組み立てなど、表現に自由が効くCGならではの画面作り。
スピーディーな展開をしていて、悪くない。

 ただ、CGだと「何でもあり」と思われ、頑張った画面を見せても感心され辛い。
だから、絵的なインパクトも勿論 無ければならないが、同時にドラマやアクションにかけるアイディアを練り込まないと、「オリジナルには及ばない」という評価のみで終わってしまいそう。


2006年3月13日 月曜日

 『ゾイド ジェネシス』が凄い盛り上がり方をしていたので、感想書きたいなあと思うのですが、〆切スケジュールに突入。
 という訳で、毎度すみませんが、木曜日ぐらいまで更新は出来なくなると思います。


2006年3月12日 日曜日

『仮面ライダーカブト』07.

 仮面ライダーザビー、矢車登場。
部下を的確に指導・統率し、公平で嫌味無く、穏和。
 個人主義で、困った人格の天道とは全く対照的。
 普通、こういう作品だと、「他者の力を信じない男が、仲間の力を集めて奇跡を起こす主人公側に、反発しつつもやがて帰依する」のが基本パターンだけど、天道はそんな生易しいキャラクターでなく。
かといって、矢車を「実は腹黒い男」に描こうとする意志も今のところは感じず。
いや、加賀美が思い切り信奉している事から、意外と…

 豆腐屋で天道・矢車が鉢合わせし、突然 料理勝負を繰り広げる馬鹿馬鹿しさが楽しい。
 でも、「美味しい豆腐を賭けた料理勝負のため、美味しい豆腐(店が同じかは知らないが)二丁を使っちゃいました」というのは、本末転倒のような気がしないでもない。
してみると矢車も、外見に似ずアタマは悪いのかな?(^ ^)

 結局、ワームは脱皮前でもライダー形態でしか倒せないのだから、ザビーがゼクトルーパーを率いているのは「多少の足止め、時間稼ぎ」程度の意味しかなく、無駄なような。
ザコぐらいならゼクトルーパーでも始末できる、という設定にしておけば良かったのでは?
まあコレは、「強化武器が開発された」事にすればすぐ解決できる問題だけど。
 ワーム、人間を襲うのにもうちょっと深い計画性を持って…今回なら、「結婚式という儀式の理解と、晴れがましい雰囲気の認識」を学習して今後の侵略(?)に活かそうというような意図があったのかと思えば、白い色の服を狙っていた?
なんじゃそりゃあ!
 所詮は虫ケラか。
加賀美弟に化けたワームは、もっと知能が高そうだったけどなあ。


2006年3月11日 土曜日

『ウルトラマンマックス』37.「星座泥棒」

 ええと…これはつまり、「古いプラネタリウムの経営者が、『最近の若い者はテレビだゲームだケータイだと新しい物ばかり追い掛けおって、星を眺める気持ちを忘れておる、ケシカラン!』とブチ切れ、街中で通行人に殴りかかるという ご乱行に及んだ」ってな話?
 サトン星人は、何をしたかった・地球人にどうなって欲しかったんだろう?
星を眺めて憧れを抱いたら、そこに向けて手を伸ばすため、文明を発達させ重力を振り切る科学力を持つ…というのは正しい発展の仕方だと思うが。
ただただ星を見ていて欲しかった?
それじゃ本当にプラネタリウムの経営者だよ。

 ミズキが、DASHに入ろうと思った切っ掛け…地上の光も星座と同じぐらい美しい、という持って行きようは、上手い。
 特に戦う理由が無いので、最終的に怪獣が去っていって終わるのも納得。
 エリーのセリフに、殊更にコバが反応していた所、以前のエピソードをきちんと引いているようで好印象。

 もう、じきに終わってしまうのかぁ…
『メビウス』には期待するけど、『マックス』も、あと十本ぐらいやって欲しかったな。



『落語天女おゆい』10.「妖魔軍侵攻!火事と天女は江戸の華」

 ずっと見ているが…
段々とマトモな内容になってきたような気がする。
 多人数ヒロイン達が力に目覚め、変身して敵と戦えるようになった。
キャラクターの個性も それなりに彫り込め、スタッフも要領を掴んできていると思える。

 しかし…同時に、この作品ならではの個性を(良くも悪くも)形作っていた「無理矢理詰め込んだ落語的要素」は果てしなく薄くなり、落語的言語を用いる特異な攻撃ワザ名も、耳慣れてしまえば「ムーン・ヒーリング何とか」「ムーン・スパイラル・ハートどうとか」という名称と変わりなく感じられる。
 要するに、マトモになったというのはこの場合、「よくある『セーラームーン』の後追い番組として体裁が整ってきた」という意味。

 だから、確かに見易くはなったのだが、見続けていきたい気持ちは次第に弱くなっていく。
このぐらいの美少女バトル物は、過去に何十本もあったので。
独自性を失ってしまえば、よくあるアニメにしかならない。
 …まあ、それはヒネたオタクの言い分であって、普通に見ている人には現路線の方が歓迎されるだろうと思うけど。
 「安易な考えで、こういうアニメに『落語振興』のような異物としか言い様の無いテーマを盛り込むのは、無理」という当然の結論が出た、って事。


2006年3月10日 金曜日

『しにがみのバラッド。』02.「さかなのころ。」

 少年の前に現れる死神・モモ。
その姿から、近く訪れる死を感じた少年は、気持ちを寄せてくれるクラスメートの少女に対し…
 うーん、こういう内容も無しではないと思うけど、モモが死神らしい仕事を繰り返し見せた、その後で、パターンを外すバリエーションとして使うべき話では。
二話目でもう、本来の職務とは何の関係も無く、少年の心を後押しして上げるために何度も現れてました、というのでは、彼女の基本的な仕事が認識できなくなってしまいそう。
 あるいは、この作品中で「死神」というものの概念は、『DEATH NOTE』の死神ぐらい特殊なのかも知れないが…
それならそれで、今の内にもっときっちり規定しておくべき。

 姉の死 以降、積極的に生きる気力を失っていた少年が、近づき辛い雰囲気がある少女と出会い、好意を向けられることで、「死ぬまでは精一杯 生きていたい」と思うようになる。
物語の大筋は悪くない。
 ただ…これなら死神の部分をカットし、少女のウエイトを増やせば、普通に青春物として成り立つのでは。
もしかして その方が見応えあるかも、と感じさせてしまうと、死神シリーズのスタート部分に使う内容としては、かなりマズいような。



『かしまし〜ガール・ミーツ・ガール〜』09.「この願いはかないますか?」

 何度も出ていただろうに今頃気が付くのもどうかと思うが、この作品の舞台となっている市の名前が「鹿縞市(かしまし)」っていうのね。
な〜るほど、そういう掛詞(?)になっていた訳だ。
タイトルの意味に、「女三人寄れば姦(かしま)しい」というのと、「鹿縞市に住む人々の物語」という意味を含ませ。
 そういえばアニメや漫画に出てくる住処…アパートの名前とかは、ちょっと洒落になっているのが多い。
「マカロニほうれん荘」「夢見荘」「やになり荘」とかいうような。
「第一田中ハイツ」みたいな名前だと、見る人の印象に残り辛い、って所があるから。

 今回は、とても分かり易く、二者択一が出来ない はずむの心理を描いてあった。
「味など似たようなもので、色だけ違う わたがし」と「外見も性格も違う女の子二人」を同列に並べて悩むのは、失礼なような気がするけど、分かり易いんだから まあいいや。
 普通、こういう二股は、本人は良くとも相手側からすれば「冗談じゃない!」と思うもの。
そこにまで至らないのは、やっぱり相手が今 女性体であり、最終的な肉体接触には至れず、「遺伝子を受け容れて次の世代に渡す」役割を どうせ果たせないと分かっているからなのか。
いや…現実には、百合同士の恋愛だって、そんな鷹揚としたモノじゃなかろうと想像するけど。
 現在お笑い要因として扱われている明日太の方が、男だという理由だけで、やす菜・とまり お互いよりも、はずむをゴールとするレースでは脅威だと思うな。

 浴衣を欲しがって、家族に「異常」扱いされてしまう とまりが可哀想。
親も…娘が娘たろうとし始めたんだから、浴衣ぐらい買ってやれば良いのに。
 はずむとの幸せな妄想が暴走し、鳥居に抱きつく明日太…というのはまあパターンだけど、その隣で同じく鳥居に抱きついている並子先生に大笑い。
いいキャラだなあ。



『よみがえる空 -RESCUE WINGS-』09.「少年の旅路(後編)」

 父親との関係に悩む少年を巻き込んだ、ロープウェイ事故の顛末。
 同乗した人々に、それぞれ個性と問題を設定して、少年の現状と絡める、上手くできた状況。

 ただ…それが大きく少年の心理に影響を与えることなく終わってしまったのは、残念。
第一話で見られたような「ドラマよりもリアルっぽさ」を楽しませる路線なら、こういうのもアリかと思うけど、今回は きちんとドラマをしようとして作った状況があった訳で、活かし切れていないのを勿体なく感じてしまう。
 いや、「ダメだ」とか言ってるんじゃなく、態度は悪いが突っ張った外面が崩れたら脆そうな様子アリアリのお兄ちゃんとか、非常事態に際して気っ風の良い「女」を見せる同伴女性など、「もっと見たい!」と思わせてくれるぐらい面白く、再婚して出来た母親を認められない男の子も、あの後どうなったのか凄く興味を引かれてしまうので。
 全三話ぐらいで やれば良い話だったのかな。
でもまあ、またシリーズのどこかで この人々と再会し、その後の人生を知る…って展開も考えられるか。



 ようやく仕事が一段落。
……本来、先月中に終わらせなければならなかった分の。
 これから、既に大きく遅れている、楽しい今月分の仕事に…あああああ。
 何とか、詰めて働いて、『FF』を発売日から出来るようにしたいなあ。


2006年3月8日 水曜日

『おねがいマイメロディ』49.「ポエムが書けたらイイナ!」

 なんかこう、葛藤の深さや設定のシビアさ、ドンドン良い奴になっていく様子からして、バクが主人公みたいに思えてきた。
判明した真相と、クロミへの忠誠との間で苦しむ様子なんて、涙無しには見られない。
 みんなが楽しい夢を見ている中、現実に持った事がないので「彼女」をイメージできず、「家族と一緒にいつもの食事」…という楽しいのかどうか分からない(でも本人は それはそれで幸せそう)風景を見てしまうシーンが染みる。

 マイメロがママの言葉として引き合いに出す、「お友達はちゃんと選ばないと、後で後悔するのは自分自身よ」「男の子が言う『いつかオレはやるぜ』は、アテにならないから信じちゃダメよ」というセリフが、凄く真理を突いていて痛い。
 しかし、まあこの言葉自体はママのものだとしても、「部長と友達で居ると後悔する」「小暮は何も出来ない男である」と判断を下したのはマイメロなんだよね。
可愛い顔して、毒がありまくり。
それは今に始まった話じゃないけど。

 今回は馬鹿な話だと思って見ていたが、他者から見せられる都合の良い夢から自分の意志で帰ってくる人々、という展開には作品テーマが結実化しており、素晴らしい。
 歌パパが、愛する亡きママを追い掛けるのを諦め、娘達のために現実に帰る事を決意するシーンには、ホロリ。
「黒い夢」の中の存在でありながら、そういうパパを「あなた、頑張って」と笑顔で見送るママがまた泣かせる。

 いやあ、盛り上がって参りました。



『ゾイド ジェネシス』47.「決別」

 バイオゾイドの適合者が多すぎる、という疑問は作中で何度も語られていた事だが、その原因がようやく判明。
生体改造するか何か、どうせ非道な手段を取っているんだろうとは思っていたけど、予想を超える残酷な現実。
 といっても、噴き出す血やら苦しめられる人間など、残虐な絵を直接 見せはしない。
若干 間が抜けていてユーモラスにさえ感じられる機械のボディーと、その中に閉じこめられた、既に肉体的な痛みの段階を通過してしまった輝く魂を見せるだけ。
それなのにゾッとするぐらい恐ろしいシーンに見えるのは、とにかく ここに至るまでの積み重ねが効いているのと、真実に衝撃を受けるザイリンの心情に視聴者が問題なく同化できるから。

 自分の意志に関わりなく他者を殺し町を破壊する、それだけのためにある「生」よりは、「死」をこそ開放だと思い、喜ぶ、魂の虜囚達の気持ちが切なくて痛い。
ザイリンの親友も辛かったが、一番最後に開放された魂は子供ではなかったか──
男も女も、子供も老人も関係なく、自らの野望の道具にしようとするジーンの非道さが凄まじい。
 だから、ジーンと信頼関係を結んできたザイリンが裏切る(自分の道に立ち返る)選択に、強い説得力が生まれる。
これまでにも、自分の意に沿わない機能を発揮するゾイドを与えられたり、自部隊が酷い目に遭わされていたり(ジーン自身に寄るものではないが)と、積み重ねはあるのだが。

 ジーン。
帰ってきたザイリンに対し、「馬鹿め、失敗続きのキサマなどもう用済みだ!」といういかにも悪役然としたセリフを「言わず」、自らを「神」と自称するようになっても なおタメ口を許すなど、まだ特別な扱いをしているのが異色。
 二人が最初に出逢った時は どういう気持ちであったのだろう(シリーズ最初の方で描かれた?そこは見ていないから…)。
その段階では大きな夢を見る友人同士だったのか、その頃からジーンは「利用価値」で相手を判断していたのか。

 ロボになって帰ってきたゲオルグ。
これまた非人間性を感じさせられるシビアなシーンでもあるだろうけど、3D造形の変さ加減があって、ちょっと笑ってしまう。
 故郷が落とされ、気力を失ってしまうソラの人々。
ジーンへの怒りに燃えて立ち上がり、ルージ達に手を貸して…となるかと思ったのに、甘えてるなあ…と思うけど、その通り甘やかされた日常を過ごしてきたのだろう彼らの反応としては、コチラの方が自然か。

 ルージとザイリンのセリフがシンクロしていくクライマックスが素晴らしい。
盛り上がってきた。



『タクティカルロア』09.「バタフライ・ラッシュ」

 七波と漂介との会話により、ずっと「姉弟」と言われていた二人に、血の繋がりは無いことが判明。
重要な設定じゃないの?もうちょっと早く出した方が良かったような。
七波が漂介に寄せる気持ちが、「姉として弟を心配する」ものなのか「彼を一人の男と見て、好意を抱いている」が故のものなのか、見る者に迷わせるようなデリケートな描き方は最初から出来てないんだから。
 交わされた会話も…まあ高校生同士の痴話ゲンカ、といったレベルとしては こんなモノだろうけど、微妙な立ち位置による心理ゲームを楽しむ、という所にまではとても到達できず。
 すっかりスポイルされているせいもあり、漂介の気持ちがまるで理解できないのは、痛い。
 妙な妄想を暴走させ続ける翼には笑ってしまったけど、そこに至る段階が余りにも飛ばされ過ぎている事で、「可愛い」とは思えないな。

 展開される、海賊退治の大作戦。
色々と思惑が絡んだ作戦である…とはいえ、指揮官がアホすぎて…
 「敵が優秀すぎる」からではなく、「自軍の愚かさ故」負けてしまう、という見せ方も無しではないけど、それは「楽」なやり方だと視聴者にはすぐバレてしまう。
人間関係が弱い分、せめてココには もうちょっと思索を巡らせた形跡があって欲しい。
 全軍の布陣が分からないので、今 どこがどういう攻撃を受け、どのぐらい不利な状況にあるのか把握し辛いのも難点。


2006年3月6日 月曜日

『仮面ライダーカブト』06.

 ZECTは、割と本気で天道について何も知らないのね。
 とにかく目立つ、キテレツな お兄ちゃんなんだから、ちょっと調べりゃ住所ぐらいはすぐ分かりそうな…別に隠しても居ないんだし。
家を張っていれば、加賀美が訪ねた事や妹の存在も判明したはず。
取り調べも有利に運べたろうに。
 意外と能力値の低い組織なのかなあ。
ゼクトルーパーにしても、恐ろしい攻撃力を持つワームを相手にするのに、全身防弾装備すら していない(させてない)ぐらいで。
…あのマスクと全身を覆うスーツは、出会い頭にワームに姿を写し取られないため「だけ」のモノとか?

 加賀美は、天道が自分を友達だとは思っていないと本気で考えたから、自分を楯に脅しても無駄だと言った(自分の事は気にしないでもいいと言っている?)のだろうが、天道は「友達じゃない」と口に出して言う事で逆に「友達」を守ろうとする。
いや、男達の不器用な友情は、イイねえ。

 捉えられ、尋問されているというのに、自分を太陽に例える天道の図太さには笑ってしまう。
勝手に電話を掛けたり、カツ丼を要求したり(ところで、彼を満足させるとは、ドコから出前取ったのかね?)、実に楽しい。
 ZECT上層部が極悪なもので、相変わらずロクでもない天道が、相対的にマトモにさえ見える。
 東京タワーに光の絵を点灯させたのは、天道家の財力を使って?

 上層部の兄ちゃん、エラそうな態度からして、もうしばらく出続けるものかと思ったが、実にアッサリ死亡。
しかしZECTは、ライダーシステム以外、ワームに対抗できる力を何も持ってないんだなあ。

 ふと思い付いた事。
エラソーな事を よく喋る天道のキャラクターと、ライダーキックに至る「ワン・ツー・スリー」というベルト音声に引っ掛け、『桃太郎侍』の「一つ、人の世生き血をすすり、二つ、不埒な悪行三昧…」みたいな数え歌を作るのはどうか。
憶えやすいモノにすれば、子供が喜んで真似しそうに思うが。
 ワンは…わん…わ…「猥雑」「矮小」「我が身」「我が物顔」「災い」「笑う」「童」「ワル」「悪賢い」「ワーム」…うーん、続く言葉とかピンと来ないな。
ワームは、こういう見得とか説教(?)が通用する相手じゃないし、それに、まあカッコ悪いから(^ ^)やらない方がイイか。



『交響詩篇エウレカセブン』45.「ドント・ユー・ウォント・ミー?」

 光を放つ異様な体に変容してしまうエウレカ。
そうなる事でイヤでも突きつけられる「自分は人間ではないのだ」という事実を前に、彼女は全てから逃げだそうとするかのような行動を取る。
 そういう彼女のためにレントンが見せた行いは、余りにも考え無しであり、愚かで、不細工で、だからエウレカと、見る者の胸を打つ。
 同じ事をしようとして、余りの痛さに驚くモーリスが「常識的」であり、レントンは子供にも呆れられる・とても取って代われないと諦めさせるぐらいの「馬鹿」。
そういう馬鹿にしか救えない相手が確かに居るのだと知らせる、ここは、とても良いシーンだったと思う。

 ただ…
 ここでレントンがエウレカのために激しい感情の動きを見せるには、二話前?の よく分からない不仲が余計。
あれがあるため、レントンはその場の感情に任せて動いているだけであり、エウレカへの想いも一貫したものではない、と感じられてしまう。
 確かに、人間ってそういうモノだし、彼がまだ子供であることを考えれば無理からぬ、とも思うんだけど…
感動に水を差す効果しかない「不仲」のシーンを、わざわざ時間を取ってまで入れた理由には、疑問符のみ。

 銃を持ち出すモーリスも…
少年の独占欲を見せるのは悪いと思わないけど、今、ここで、二人の印象的なシーンに被せて こなさなければならないイベントなのかどうか。
 「星」を力で制圧し我が物にしようという側は、痛みを分け合いながら共に生きていこうとする者に、勝てない、という事を示してる?

 ゲッコー号側に加わる軍人達の描き方とか、盛り上げようという意図は分かるが、「面白半分に軍人を殺してきた奴らと、手を組んじゃってイイの?」とか考えると素直には乗れない。
 この作品で描きたいのは「熱狂」「勢い任せ」という事ではない…の?
でも それで、最終的にドコへ行き着くつもりなのか。


2006年3月5日 日曜日

『魔弾戦記リュウケンドー』09.「響け、友情の鐘」

 サブタイトルで「友情」というから、剣二と不動の事だろうと思えば、ゲキリュウケンとの間の、なのね。
色々なことを適切に解説してくれるので、まさかこの剣が記憶喪失状態…出自に関わる事だけは憶えていない という作劇上とても便利な…にあるとは思わなかった。

 巨大な、意味不明の像が街中にドドンと突っ立っているビジュアルが面白い。
…しかし、こんな大掛かりな物を作りながら、目的は音波で住人を苦しめるだけ、ってのは効率悪いような。
まあ、ジャマンガの作戦は大抵いつも非効率的なんだけど。

 今回は、川面を挟んだ向こう側で会話するキャラを追い掛けたり、土手を走る自転車をずっと下から見上げたり(『響鬼』でもやってた)、ラストに必ずしも必要でないクレーン撮影を行ったりと、カメラアングルに凝っている部分が散見され、楽しい。
 巨大像の腕の上を走り抜けるリュウケンドーのアクションを、フル3Dで作ってあった。
予算と時間の関係でじきに画面はショボくなるだろう、という侮った予想を嬉しい方向に裏切ってくれる、スタッフの頑張り。

 邪悪な音波攻撃を中和するのは、魔よけの効果アリと言い伝えられる寺の鐘の音だった…とするアイディアに、感心。
このネタを夏場に持ってきて、夏祭りの太鼓に同じ効果を持たせて主人公に乱れ打ちさせ、巨大像と音響対決させる手もあったろうが、そうすると凄く『響鬼』っぽくなってしまうな(^ ^)。



『ウルトラマンマックス』36.「イジゲンセカイ」

 この作品は、一話完結、各話バラエティーが基本。
だけども今回は、怪獣島やシャマー星人など、以前に一度出た設定を活用した内容になっており、それはそれで世界の広がりが感じられて楽しい。
 無能だとは思っていたけど ついに劇中で「馬鹿」呼ばわりされてしまう隊長、傲慢な人間体シャマー星人とショーンの対立、ツンデレ(笑)状態になってしまうエリーなど、愉快な要素が沢山入っており、ヘラヘラ見られる内容だった。

 ただ…
突っ込むと、あからさまに怪しい「天才」を、ロクに調査もせず監視もしないまま基地内で自由にさせ、やっぱり酷い目に遭ってしまうDASHは間抜けすぎ。
 エリーのラブラブ変化は楽しいんだけど、どうせなら以前に伏線を引いておいたコバとの間に生じる葛藤も見たかったところ。
各話バラエティーは分かっているが…カイトらぶらぶな様子にコバが面白くなさそうだったり、データとして残った「恋」のような反応をエリーがコバに対して使ったりすると、これまた世界の広がりを感じられたかと。
 ところで、ピグモンはカイトに対し、恋愛感情を持っていたのかな?
恋愛、たって、ああも姿形が違っては…
子犬が主人にじゃれつくようなものだった?
 レッドキングは…勝手に呼び出された、言えば「被害者」な訳だから、何も殺さなくて良かったのでは?
元居た所に送り返せば、それで。
まあ、怪獣は殺すべき、ってのが基本ラインだし、放っておくとこの個体もピグモンに危害を加えたカモ知れないので、いいのかな。


2006年3月4日 土曜日

 映画『ジャーヘッド』を見る。
 サム・メンディス監督作品は、『アメリカン・ビューティー』も『ロード・トゥー・パーディション』も有名だけど、未見。
 湾岸戦争を舞台にした映画、という程度の知識しかない状態で、鑑賞。

 よくある『戦争映画』っぽくない戦争映画。
二次大戦やベトナム戦争を舞台にして、こういう内容には出来ないだろう。
 まるで敵の姿が見えない所が、異色。
 いつ殺すか殺されるか分からない戦場の狂気は、無い。
替わって、緊張感のない戦場で、分断された日常とのギャップと、不快さ退屈さによって狂気に至りかける兵士達の様子が描かれる。
 『プライベート・ライアン』オマハビーチのような所に行かされるのは勿論イヤだけど、この映画で描かれる砂漠も、牢獄みたいで気が滅入りそうだなあ。
そりゃ「楽しいばかりの戦争」なんて、ある訳ないが。

 派手なドンパチが無く、「戦場の倦怠」を描き込んであるため、見ている間はこちらも退屈を感じてしまい、いくつかの強烈な印象を残すシーン…訓練中うっかり立ち上がってしまい撃ち殺される兵士、トイレの処理をやらされる主人公、味方機の誤認による攻撃から逃げ回る米部隊、空を染める油田火災…等々を除き、いやそれらも他の戦争映画の印象に紛れ込み、忘れてしまいそう、と思っていた。
 しかし、これは見終わってからジワジワと効いてくる映画。
 戦争の傷跡は、多くの敵兵を殺した・仲間達を殺された兵士にだけ付くものでは「ない」という事を、リアルに、ズシリとした実感を持って描き出す。
 この後味は、何とも言葉では言い表し辛い。

 生きて故郷に帰った主人公が、「まだ心は砂漠をさ迷っている」と語る言葉に、どれぐらいの重みを受け取れるか、それによって評価がまるで違ってしまう映画だろう。



『かりん』15.「エルダ登場! で 恥ずかしい」

 婆ちゃん・エルダ登場。
…といっても、外見は かりんとほぼ変わらないぐらいの年頃に見える。
吸血鬼、という超常の設定を活かしたこの無茶な描写…好きだなあ。
 カレラママンとの間で繰り広げられる、嫁姑の激しいバトルが可笑しい。
かりんの胸を無神経にワシ掴みした事により、婆ちゃんは杏樹の怒りも買ってしまう。
 エルダの実力はどのぐらい?この母娘を敵に回しても勝てるほど強いのかな?

 胸の大きさだけでなく全体的に、かりんとエルダはかなり違うと思うんだけど、みんな間違うのは、作品世界内では非常に似た姿に見えているからなのか。
あるいは、「放つオーラが似ている」というような理由で、外見より内在するパワーの相似をこそ、周りの人間が感じ取っている?
 エルダだって十分な大きさの胸をしてるような。
コレで洗濯板だの何だの言われるのは、かりんによってこの世界の巨乳基準が歪められているとしか(^ ^)。


2006年3月3日 金曜日

『しにがみのバラッド。』01.「きみのこえ」

 死神を題材にする作品は、そこそこの数、あると思う。
「死」というのは人生で最もドラマティックな瞬間の一つであり、どんなつまらない人間でも、その瞬間を切り取れば輝かせる事が可能なためかと。

 で、この作品。
原作は未読。
 第一話は、死神のキャラクターを紹介し、物語の基本パターンを提示しなければならないので、どうしてもストーリーがシンプルにならざるを得ないのだろうが…
 何というか、まあ普通。
小学生カップルの日常や関係は そこそこ描けていたし、女の子を喪って悲しい気持ちも分かるんだけど、とにかくスタンダードな内容であり、見る者に特別な感想を持たせるには至らない。
 少女の死が唐突気味に示されるので、戸惑う。
 死神の性格付けは、「優しいタイプ」という事で特に意外性はなく。
 一度 猫の生死に関わった限りは、最後まで面倒を見ろ、ってのもまあ分からなくはないけど、自分達は世話しない(出来ない)のに他人にどうこう言うのはどーだろ。
「厄介事を押し付けられた」のではなく、「(自分が目を離したために?)少女を喪った少年にとって、猫の命こそが救いになる」という事なのかな。

 死神の設定にクセが無い分、どんなストーリーでも乗せられそうだが、逆に言えば余程 物語に凝らないと、個性を主張できない恐れが。
 次回以降の物語に期待。


2006年3月2日 木曜日

『タクティカルロア』08.「落日(テラ)の祭り」

 漂介と翼の関係が急接近しており、そこに複雑な気持ちを抱く艦長の描写も絡んで、ドキドキ…
という内容にしたいのだろう気持ちは分かるけど、最低限の段取りさえ踏めていないので、「流行りのツンデレってこんな感じじゃないの?」「要するに、主人公が大勢の女性キャラに囲まれてオタオタしてれば視聴者は喜ぶんでしょ?」という程度の認識で作られているようにしか見えず、サッパリ内容に乗れない。

 やっぱり僅かでも、主人公が好かれるに至る理由、は必要だと思うな。
翼の方に、自らの職能に関わる事象で生じた男性不信、というマイナスの設定があるのだから、主人公がそれを埋める存在になれば良い訳で、簡単だと思うんだけど。
 主人公に寄せる艦長の想いも、よく分からない。
艦長は、優秀ではあったが男性にまるで縁がなく、そのため過去の関わりと(姉弟、という設定もマトモに扱われてないなあ…)偶発的キスにより、大いに錯覚を含んだ「恋」方向へと心が傾いてしまった、とか何とか、視聴者にそれなりに納得してもらえる描き方があるだろうに。


2006年3月1日 水曜日

『ゾイド ジェネシス』46.「瓦解」

 ソラ・シティーが、攻撃開始から僅か一話で撃墜されるとは思わなかった。
色々あってもシリーズ終了まで、「超越者」であり「神」然とした立場に留まるものかと。
 ソラ・シティー住人達も、根拠無く同じように考えていたのだろう。
量産された飛行ゾイドの猛攻を前にしては、長く戦死者さえ出した事がないような彼らの戦力など、役に立たず。
 凶暴性だけは認めるものの文明程度は低く見積もっていた相手に してやられる、という意味ではソラはアメリカなのかも知れず、安全を盲信してマトモに戦う力さえ持たない、という部分は日本を表しているのかも知れない。
…が、このアニメで、そういう表層的な皮肉は描かないかな。

 進んだ文明を持つソラの住人達を自陣営に取り込む事で、ルージらの戦力が充実し、ディガルドと対等の力を持つようになっていくのだろうか。
市民のほとんどは、大して役に立たない「一般人」のような気もするけど。

 ところで、エンディング最後に見せてくれるレ・ミィの、「萌え」とか「媚び」でない満面の笑みが可愛いねえ。
こういう表情を魅力的に描けるアニメーターさんは、凄い。



 もう上映も終わるかという今頃になって、映画『フライトプラン』を見る。
 監督は知らない人だなあ。主演がジョディ・フォスター。
 フライト中の飛行機内、という密室から娘が忽然と行方不明になってしまい、必死に母親は探そうとするのだが…

 米で、かなり優秀な成績を収めたようなので、それなりの期待を持って見た。
 極限状況に追い込まれ、取り乱していく母親像をジョディ・フォスターが熱演し、何が本当で何がウソなのか分からなくなる中盤辺りまでは面白い。
 そこまでの運びからするとラストは、意外な犯人を設定してサスペンスにする事も、ホラーにする事も、『シックス・センス』タイプの どんでん返しを設ける事もSFにしてしまう事も、どうとでも出来たろう。
「子供が消されてしまった母親」というストーリーでは、『フォーガットン』のアホな謎解きに驚かされた記憶が新しく、まさかそんなマネはするまい…と思いつつ見ていたが…

 うーん、これならいっそ「すっ飛んだ馬鹿馬鹿しいラスト」にしてくれた方が、いくらか見る価値を感じられたかも。
 妥当といえば妥当な展開で、意外性がナイ。
いや、妥当と言っても「妥当なパターンに乗せている」だけで、ストーリーとしては破綻してるんだけど。
その破綻ぶりが、『フォーガットン』では「そんなアホな〜(爆笑)」だったのが、この映画では「雑に作られた話だなあ」と思わせられる程度に留まっており、楽しい馬鹿映画と言うほど突き抜けてくれてない所が、より不満。
 話のラインはこのままでも、もう少し脚本に時間を掛ければ、遙かに面白くなったろう。
穴だらけの脚本第一稿を、直さず映像化してしまったような内容。

 娘のために必死になるのは分かるけどジョディお母ちゃん、他人に迷惑を掛ける度合いが行き過ぎてやしないだろうか。
非常事態だからって、何を言っても・しても許されるって訳じゃないと思うが。
ヘタすると、心臓の弱い乗客なら死んでいたかも知れないぐらいムチャするからなあ。
 母の愛は強し?う〜〜ん…
 あと、母性愛がテーマではあるんだろうけど、余りにもダンナさんがナイガシロに扱われているのに違和感。
その死の真相に迫る辺りでは、娘のために取り乱す十分の一でも、感情を出して欲しかった。

 ジョディ・フォスターが主演し、何だか巨大な飛行機セットも組んだという事で、上等な映画を期待してしまうが、実際はテレ東で何気なく流されているようなB級映画。


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