ときどき日記 2006/06

2006年6月30日 金曜日

『貧乏姉妹物語』01.「浴衣と花火とりんご飴の日」

 タイトルからイメージするストーリー、大体そのままのお話。
 演出も作画も、特別に悪いという訳ではないが、誉めるような部分は見当たらず。

 「大金持ち」を描く場合は、割と絵空事で構わないと思う。
多くの視聴者にとって縁のない、架空の世界の住人達なので、「普通の住宅ぐらいある犬小屋が」とか「世界の名画を無造作に壁に掛けてある」とかいうパターンの描き方で「金持ちさ加減」を表しても、それなりに納得してくれなくはないだろう。
 しかし、「貧乏」は分かり易いため、適当に描くとすぐ嘘だと見抜かれ、気持ちを入れて見てもらえなくなる。
 『びんちょうタン』という、貧乏な中での幸せを上手く描いたアニメが最近あったばかりなので、余計に作りの甘さが目に付いてしまう。

 今回の元ネタは、オー・ヘンリーの『賢者の贈り物』かな。
互いを思い合う姉妹の姿は決して悪くないと思うんだけど、どうもアニメ製作者が気持ちを入れて作っているようには思えず、「通り一遍」と感じられて、さほど心を動かされなかった。
 取りあえず3話ぐらいまでは見て、アニメとしてのクオリティーがアップしない限りは、そこまでに。



 WOWOWで放送された映画『0:34 レイジ34フン』を見る。
 監督も主演も知らない人の、安手なイギリス製ホラー映画。
 ストーリー。
深夜、地下鉄の構内に取り残されたヒロインが、謎の殺人鬼に追い回されて…

 理屈もヘッタクレもなく、まあ最初から殺す殺す。
殺人鬼登場に至る、前兆も伏線もあったもんじゃない。
 地下鉄での惨劇があり、一度地上での日常を描いてからまた視点を地下に…というのがパターンだと思うけど、この映画は最初から最後まで、地下。
徹底しているというか、要らないモノまで撮っているような予算が無いというか。

 これはイギリスらしいかな、と思ったのは、殺人鬼の正体について、伏線など引きつつ描こうとした跡がある事。
別にコイツが何者であろうとも、この映画の評価には一ミリの影響も与えないと思うんだけど、割とシリアスな設定があるんだろうと思わせる、この辺りの生真面目さがイギリス風味。
 …ただ、その説明は途中で投げ出されていて、結局の所、殺人鬼の背景についてはよく分からないまま終わってしまうのだが。
こういったテキトーさは、イギリスも米も日本もなく、C級映画製作者に共通のモノかな。

 いくら何でも深夜の地下鉄駅構内が明かりを全て付けっぱなしなのは変じゃないか?とか、駅から外に出る方法が無いってのも妙に思えるし、どう見ても知能犯じゃなさそうな殺人鬼がドコから持ってきたのか列車の運転までこなしたり、その割にはビックリするぐらい間が抜けた対応を見せたりして、「怖い」という気持ちはガンガン薄くなっていく。
 主要キャラクターが物陰から見ている その視点で、という訳でもなく、ただ殺人鬼が人を追い回していない時の行動を延々と客観的に映して見せたりするのは、どうだろ。
ご飯を食べてるジェイソンとか、雑誌を読んでるフレディーを映すみたいなモノで、怖さを削ぐ役にしか立たないような。
 ショッキング・シーンもパターンで、必死で逃走したヒロインの前に殺人鬼が回り込んで現れる、という見せ方を幾度となく繰り返しており、工夫に欠ける。

 でも、迷路のような地下鉄構内からどうしても外に出られない、悪夢のような雰囲気は なかなかよく出せていたと思う。
スプラッタと言うには血の量が少ない惨殺シーンも、単に予算の都合なんだろうけど、抑えられた描写とも取れ、生理的に気持ち悪く感じさせてくれる。
 C級ホラーにアリガチな事は大抵やっているので、そういうジャンル好き・ダメ物好きには楽しく見られる内容かと。
当然ながら、「そういうジャンル好き」ではない人が見る価値は、皆無。


2006年6月29日 木曜日

『プリンセス・プリンセス』最終話.「姫の選ぶ道」

 放送が終わったのは先週だけど、感想を書いていなかったので。
 兄恋しさのためストーカーじみた行動を取る義妹と、亨との関係、解決編。
うーん、義妹は兄ばかりでなくその周辺にまで迷惑を及ぼしている訳で、兄妹が分かり合ったから良かった、という解決で良いのかどうか。
といっても、異常妹を警察に引き渡したり病院にブチ込んだりして終わっては、後味が悪い事この上なく。
 これ以上に良い事態の解決法は無かったろう、とは思うんだけど…

 この作品は、「男の子達が、男子校の中で『姫』などと呼ばれ、女装してアイドルになる」という酷く不健康な設定を持ちながら、展開されるストーリーは健全そのもの。
男の子達はあくまでも「男の子」としてあり続け、「美しいボク」に酔いしれるとか、特定の男子に迫られたり女装男子同士の間に恋愛感情が生まれたりすることは、無い。
だからこそ、こういうジャンルが大好きとは言えない自分でも、抵抗無く見続けられたのだが。
 その「健全さ」は、作中のあらゆる場面に現れている。
この、義妹のエピソードも、そう。

 歪ませるのなら、いっそ義妹からの愛情を亨に受け入れさせる、という解決の仕方でも良かったと思う。
血は繋がっていない訳だし、二人が同意の上であれば、何とでもなるだろう。
自分の漫画なんか、実の妹だろうが関係なく(以下略)
 それをあくまで拒むのは、作者の思考(あるいは、掲載雑誌・読者層が求める方向)の「健全さ」に寄っている。
 妹は、妹。
兄妹の正常な関係に落ち着くのが、常識的。
 その感覚があればこそ、(この題材にしては)普通に客を楽しませられたのだろうし、逆に「狂」にまで至る情熱を求める客には、物足りない印象を残してしまったかと思う。

 などとゴチャゴチャ言いつつも、面白いアニメだった。
 美しく描かれたキャラクター達は見目麗しかったし、各人の個性が浸透するに従いギャグのヒット率も上がっていた。
たまに、姫達を「美少女」というばかりでなく描こうとしている作画の頑張りがあり…指のゴツさ等 細部の違和感とか、立ち居振る舞いとか…「女装している少年達なんだ」と感じさせてくれたのには、感心。
 乗ってきていた作品だと思うので、ここで終わってしまうのが惜しい。
もうちょっと、見続けていたかった所。
 出来るなら、続編を。

 …で、今週は、コレの実写版が放送開始。
 う・う〜〜〜〜ん…深夜番組だし仕方ないと思うけど、安っぽい画面と、余り上手いとは言えない男の子達の演技と、寒いギャグにめげて、早々に視聴終了。
肝心の女装シーンにしても、もうちょっと美しく撮ることぐらい出来たんじゃ無かろうか。
 この実写版では、男性視聴者というのは重視していないと思うので、脱落して構わないだろう。



『吉永さん家のガーゴイル』最終話.「祭りよければ終わりよし!」

 商店街とデパートの客寄せ対決、クライマックス。
 商店街に対する吉永ママの想いは、まあ分からないでもないけれど、デパート側に味方したパパさんの考えが あんな単純なモノで良かったのかどうか。
思い出の桜の木と、枝にからみついたリボン?をもって、パパママが仲直りするのは勢いもあって悪くなかったが…このエピソード中に入れなければならない・入れて効果のあるイベントだったかどうかは、疑問。
 営業対決も、百色が見せるバトルも物足りない形で終わっている事から、削れる部分は削ってしまった方が、収まりが良くなったような。
 両親の出逢いとか、ケンカ→仲直り、という流れなどは、それだけで独立したエピソードにして良かったろう。
ガーゴイルが雪山で過去に紛れ込んだことがあった、あんな形ででも。

 桜の木(オシリスか)の内側にハナ子が現れたのには、ツボを突かれてしまう。
ああ、忘れてなかったんだ。
 キャラクターが抱えるアレやコレやの因縁を忘れず、発展させたり解消させたり、というのは上手いシリーズだった。
原作小説がその辺、きっちりしているのかな。

 全体に。
 …襲い来る危機から、ガーゴイルは常に街を・家庭を守ってくれたのだが、よく考えてみると、ガーゴイルと錬金術師のお姉ちゃんさえ居なければ、大半の危機はそもそも街に縁の無いものであったような気はしないでもない。
まあ、そういう傍迷惑なモノ達でさえ包み込んで、「ご近所さん」「お友達」「家族」として運命共同体にしてしまう、「ホームドラマ」のパワーこそが、この作品の柱なのだろうが。
 無表情で感情を抑えたガーゴイルと、感情的・攻撃的で、もしかしたら本編一の(ドロップキックによる)破壊力を誇る双葉は、強く印象に残る、面白いキャラクターだった。
 キャラクター頼りで、物語は少々弱かったようにも思うけど…そんな作り方もアリかな。


2006年6月28日 水曜日

『ブラックラグーン』最終話.「Guerrillas in the Jungle」

 テレビシリーズ最後の敵として現れたのは、テロリストになった日本人・タケナカ。
いつも穏やかで人当たりも良く、ロックの尋問に際しても、聞くのは長く帰っていない日本の事ばかりで、後は自ら進んで過去を語るだけ。
 しかし、いざ実戦となると人が変わったように凶悪な殺し屋の側面を見せる…のかと思えば、戦闘能力自体は大した事がない。
レヴィは勿論、今回登場のチャイナなお姉ちゃんにも全然負けている。
 彼は、レヴィ達の行動を裏まで読み切り、判断力を失えば親友でさえも撃ち殺す所からして、実戦よりリーダー(参謀?)向きだったのか。
以前、極悪シスターとの交渉を、収集した情報と分析とハッタリで有利に運んだロックは、いずれこのタケナカのようになる可能性を持っているのかも知れない。

 シリーズを通し、非常に頑張った演出と作画でB級映画風アクションが連発され、楽しく見られた。
 敵集団からの銃撃を雨あられと喰らいながら、かすり傷一つ負わないレヴィのスーパーヒロインぶりが愉快。
…ただ、余りにも無敵すぎて、ハラハラドキドキ、という感覚は無かったけれども。
そこいらも、「ザコの攻撃など命中する理由が無い」B級映画の醍醐味か。

 劇中で例えられていたように、ターミネーター並み(走るポーズとか、そのまんま)の戦闘力と頑丈さを誇るバトルメイド・ロベルタは、唯一レヴィが苦戦する相手として、強烈な印象を残すキャラだった。
凄惨な過去や非情な戦いぶりと、仕える お坊ちゃまへの強い忠誠心(愛情?)のアンバランスさが、魅力。
 メガネを、殺人マシーンからメイドに戻るための拠り所とするなど、アイテムへの拘りも嬉しい。
それなら、狂気を発揮している間はメガネを取っている、とすれば更に徹底したかと思うけど、それはそれでメガネっ子好きには物足りない部分もあり、難しい所。
 もしかアニメに続編があるなら、是非再登場して欲しい。



『涼宮ハルヒの憂鬱』13.「涼宮ハルヒの憂鬱X」

 ハルヒの内面と、古泉の側から見た世界の様子が解説された話。
 何だか突然に、現在の自分を形作った切っ掛けを語り出すハルヒに、面食らう。
もう少し、キョンに聞いて欲しいと思うようになるのも分かる、と視聴者に感じさせる状況を設定することは可能だったような。
 ハルヒは、思い付いたら行動する性格なので(そういう自分に、中学時代から変えたらしいので)、端からは唐突と見える行動を取っても、不思議ない、とは言えるんだけど。
 キョンを頼るような態度も、最近は(シリーズ放送順がバラバラなんで、どれが「最近」なのか混乱するけど)よく見られるようになっていたため、語りたい心境になるのも分からなくはないし。

 彼女が語った過去は、特に驚くようなものではなく、思春期にアリガチな事。
 「自分は、特別な存在であり得ているのだろうか?価値のない、大勢の中の一人に過ぎないのでは?」なんて、誰でも思ったことあるんじゃなかろうか。
その不安は、認識力・思考能力の拡大と、誰かを特別だと思うこと、誰かから特別だと思われることで、埋め合わせがついて消えていくモノだと思うが…
彼女の場合、相手の「特別さ」を、まず「存在自体の特別さ」に求めてしまったのが異色。

 そういったSF的に特別な相手は作品世界に実在し、しかも彼女を「最も特別な存在」と認識しているのだけれど、それを直接伝えることのメリットとデメリットを計りかね、干渉できなくなっている実情が、古泉から語られた。
 「無自覚な神」ほど厄介な物は、無いよね。
いっそ、「自覚的に、悪意を世界にもたらす神」の方が、まだ扱いようがある。
 それは、作品を見る我々視聴者にとってもそうで、起こる事件やキャラクター達の存在について、どこまでがハルヒの関与に寄るものであり、どこからが彼女のコントロールを外れたものなのか、解釈が非常に難しい。
人の数だけ、解釈があると言って良いかも。
情報統合思念体や超能力者組織の中に、ハルヒへの対応を巡って、異なる考えを持つ勢力があるように。

 古泉がキョンを導いていく閉鎖空間には、どことなく、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画『ストーカー』を思い出してしまう。
 ハルヒが生み出す巨大な欲求不満具現化モンスターを倒し続けるためだけに、超能力を与えられた古泉達。
戦いは「親殺し」のイメージか、自分を改造したショッカーと戦うライダーか、単に酔っぱらって街で暴れるバカ親をなだめて家に連れ帰る子供達、と捉えるべきなのか。
 割合と簡単にモンスターを倒していたみたいだけど、戦いで超能力者に犠牲が出る事もあるなら、「元凶のハルヒを始末してしまえ」という意見も出て来そう。

 古泉が語った理屈での、「観測者」というのは、キョンの事じゃないの?
彼が知ったから、古泉はエスパーであり、女性陣は宇宙や未来からの来訪者であり得た。
 キョンは、ハルヒが望んで生み出した世界の中で、唯一の異物なのかも。
 アリガチな考えで言えば、この作品世界は「三年前の事故で昏睡状態にあるハルヒの脳内に展開しているイメージ」であり、キョンは「何らかのアクシデントで(あるいは、本人は忘れてしまっているが意図的に)そこに迷い込んだ他人」という事かな。
 いや、そういう「ドラえもん最終回」的な考え方は、安っぽ過ぎか(笑)。


2006年6月27日 火曜日

『女子高生 GIRL’S-HIGH』最終話.「バカ、果てしなくバカ。」

 愉快な雰囲気で続いてきた馬鹿アニメ(誉め言葉)も、お仕舞い。
 特に大きく盛り上がった訳でなく、キャラクターの状況に変化があった訳でもなく、ごくごく普段通りの内容での最終回。
シリーズの途中には、絵里子が男前な所を見せたり、バカながら いくらか感動を設けたエピソードもあったような気がするけど、最後はコレかあ…しかし、構えず、自然体で すうっと しれっと終わっていくのもまた、この作品らしいのか。

 「いつも裁縫道具を持ち歩いている」なんていう神話は勿論、優しかったりツンデレだったり いつでも低血圧・無表情だったりという、フィクションにアリガチな女子高生のイメージをブチ壊す、身もフタもないストーリー作りが、毎回実に楽しかった。
 示される言動や行動で、キャラクター・イメージが無茶苦茶になっているため…ヒロイン達が際どい姿を見せる お色気サービスのシーンが頻繁に設けられていたけれど、見てもサッパリえっちに感じなくなってしまったのが何とも。
「女子高生」の皮を被っているだけで、中身は「オバサン」か、ヘタをすると「オッサン」だからなあ。

 何も考えずに ぼけっと眺めていられる、負担の無いアニメだった。
 終了を深く惜しむ…という程の思い入れでもないけど、バカで元気なキャラクター達が もう見られないのは、寂しい。



『獣王星』最終話.「希望」

 ずっと見ていたけど、感想を書くのは第一話以来?
 大筋としては面白いアニメだったが、どうにも展開を急ぎすぎているようで、原作の かなり無理なダイジェストになっていたのではないかと思えてしまう。
主人公の、『ボトムズ』キリコを思わせる(変態までする所からはそれ以上?)特殊能力など、もうちょっと時間を取って きっちり描かないと、「そう言われても…」と視聴者を戸惑わせるだけの要素になってしまいそう。
 人類が面している窮状、黒幕の思惑、仲間達が辿る運命…どれも唐突に感じられ、アイディアは良いと思うんだけど、個人的に「面白かった!」という所までは気持ちが届かず。
 主人公が途中で成長?し、外見や声が大きく変化するのも、必ずしも効果を上げられていたかどうか疑問。

 キャラクターでは、ティズが やたらに可愛らしく、魅力的に思えた。
 彼女は、主人公の子供を産むことを、まず考えてしまう。
女性に妊娠される事は、もしかして若い男性視聴者にとって「恐怖」でさえあるかも知れないが、いい歳したオッサンにとっては、子供を産むまで・その後に果てしなく連なる大変さを思えば、積極的にそれを背負おうとする彼女の態度は、ある意味 究極の愛の表現でもあるのかと。
女性が生きるには厳しい世界で、強い男をガッチリとキープするための方便…とも思えなくはないが、まーそれじゃ夢がないから(笑)。
 健気なティズには、幸せなまま、シリーズを終えさせてやって欲しかったなあ。
 彼女の死が、特に大きく物語を転がす(それで初めてザギの心が動くとか)訳ではないので、無理に殺す理由は見当たらず。
これまた、原作ではもっと意味ある死になっているのかな?

 機会があったら、原作を読んでみるか。



 ようやく お仕事が一段落。
拗ね気味だった駄犬を、散歩に連れて行ってやれる〜。


2006年6月24日 土曜日

 今日が ぼくの単行本「mamma mia!」の発売日…だと思います。
毎度コマーシャルばっかりですみませんが、よろしくお願い致します!

 と、それだけ言ったところで、また〆切前悲惨スケジュールへと突入。
 来週の月曜…火曜?までの間、更新は難しくなるかと思われます。
ボチボチと終了していく番組があり、何か書きたいところなのですけども…こればっかりは。
 悪しからず、ご了承を。


2006年6月23日 金曜日

『錬金3級 まじかる?ぽか〜ん』23.「哀愁の呪文は想い出に変わるとき」最終話.「優しい呪文は魔法使い」

 ああ、もう終わりなのか。
 今回は、特に大きなイベントが組まれた訳ではないけれども、最終回に相応しく、ちょっとイイ話系二本。

 前半、自分の記憶をビデオテープに移していた鉄子だが、デッキが古すぎて再生できず…
 こういうパターンだと、「何とかして記録の内容を見る」事がストーリー成立の絶対条件になりそうだけど、結局見られないまま終わる意外さに、驚く。
安易に「魔法で何とかした」でも、「高価な接続機器を購入するためみんなで頑張ってバイトなどする」でも、見られるようにする方法はいくらでもあったと思うが…
 余程 悲惨な記憶でもないのなら、いや、遠く時を経ればそれでさえ、「ノスタルジー」という調味料で美味しく頂けるようになるモノだから、何とか見せてやって欲しかった。
 果てしなく広がる未来を持つ若いヒロイン達(いや、彼女ら何歳?)にとって、過去を振り返るのはまだ早すぎるのかな。

 後半。
 花粉症を伝染してみたり、町中をピンクに染め上げたりする辺りまではバカ話だと思っていたが、病院で少女に出逢い、その子の願い事を全力で叶えようと し始めてからは、感動物に。
 ゆうまの魔法の源は、自身の内よりも、「気の良い不思議な仲間達が一緒に居てくれる」という所にこそあるのかも知れない…という理解で良いのかどうか。

 回を重ね、キャラ各員の個性が定着し、ギャグも乗ってきていたので、ここで終わるのは勿体ない。
上手く人気が取れていたなら、続編が作られる可能性もアリかな。


2006年6月22日 木曜日

『涼宮ハルヒの憂鬱』12.「ライブアライブ」

 ハルヒのライブシーンは、素晴らしく良い出来だった。
迫力と躍動感があり、高揚していくステージと客席の気分まで演出できているようで、見ていて圧倒されるばかり。
 テレビでコレだけのレベルの物が見られるとは、驚きであり、嬉しい。
 「音楽」をテーマとするような作品でも、なかなか達成できない完成度では。
『マクロス』劇場版ラストバトルの、ミンメイ・ステージを思い出させるほど。

 ダラダラと、特に目標もなく文化祭を見て回るキョンの「日常」「平凡」な目線に視聴者を同一化させておき、突然ステージへのハルヒ登場、始まる見事な歌唱、盛り上げられていく観客達、という見せ方で、彼女の「特別さ」を印象づける構成。
 キョンの彼女への評価は、「スゲー(迷惑な)奴だなあ」から、「凄い女の子だな」に変わったことだろう。
…それは、視聴者も同じだったはず。
 ごくありふれた男の子であるキョンに取り、とても真似できないステージを繰り広げるハルヒは、感嘆の対象となるだろうし、場合によっては…彼の気持ちが「恋」方向へと転げて行っても不思議ない。

 積極的に人助けをした事で、感情に揺らぎが生じてしまうハルヒ。
 「世界が、彼女に合わせる」のが普通だったけれど、今回は「世界(他者)の都合に、彼女が合わせた」。
その珍しさ故に生じた揺らぎ?
 突発的人助けイベントを、彼女も十分に楽しんだのだし、大きな刺激となる事件だったのだから、これまた世界に彼女が影響を与えた結果だとも考えられるか。

 凄い事をやってのけたのに、不安げでさえあるハルヒ。
 文化祭で見せたパワフルさと裏腹な彼女の、自分(キョン)だけが理解できる、普通な少女の内面。
このギャップがまた、「恋」方面へと彼を後押しするんじゃあるまいか。

 本編終了後、すぐさま劇中歌のCDをコマーシャル。
…その発売日に合わせてエピソードを組んだのか?
コレは欲しくなるなあ。
 とにかく、「オタク転がし」が上手いアニメ製作者達。
そいでまた、オタクは上手く転がされ、乗せられるのが大好きと来ているので、両者は幸せな関係と言えるだろう。

 夏コミケ同人誌のネタは、これ一色になるな。


2006年6月21日 水曜日

『機神咆吼デモンベイン』03.「REANINATOR」

 長く見ていなかったような気がするけど、実際、二週に渡り放送をお休みしていたらしい。
こう間が空くと、どういう内容だったのか忘れてしまいそう。
 魔導書の断片を探す…って話になってたんだっけ。

 おぼろな記憶の中で、コレだけは鮮烈に憶えていた、予告で えっちなボディーラインに描かれていた初登場の機械人形・エルザだが、今回は全体に作画が微妙で、期待に応えてくれるほどの絵は、予告で使われた一カットのみ。
残念。
 キャラクター的にも、ちょっと主人公に助けられただけで「ツンデレ」の「デレ」まで移行してしまうなど、急いで描きすぎており、魅力は薄目。

 デモンベインの凄い必殺技らしいモノが発動したが、どうにも地味な見せ方で、周辺キャラがいくら その特別さを説明してくれても、そういう実感からは遠い。
 ロボットアニメって、ハッタリが命だと思うんだけど。
視聴者の想像を、大幅に下回るバトルしか見せてくれないようでは…



『Fate/stay night』最終話.「全て遠き理想郷」

 怒濤のクライマックス。
 ホントに怒濤、という他なく、色々な部分について視聴者の「納得」には遠いような。
セリフでは説明されたりするから、それで良しとするなら良いんだろうけど。
 ラストバトルにしても、まあとにかく勝った、という見せ方で、盛り上がっているのだろう画面とは裏腹に、見ていて気持ちは冷めてしまう。

 セイバー攻略ルートがメインのアニメ化だったのだろうから、彼女と士郎の関係がきっちり描けていれば、他はどうでも評価できたかも知れないが…
「愛してる」とか言われても、それに見合うだけのドラマがあったかどうか。
 士郎が性懲りもなく一人で出掛けて行っては酷い目に遭い、セイバーはお説教する、というような事を繰り返していただけのような。
そういう関係の中で愛を育んでいったのかな…だったら、相手は他の女の子であっても良かったろうに。
 エピローグは、士郎の生活を日常に戻した、という事なんだろうが、何気なく生きている凜とか、兄を亡くしながら普通に生活している桜、どうもこのまま家で一緒に暮らし続けるのかイリヤ、等々、それで良いのかなあ…な部分は多い。

 原作付きアニメの作られ方として、「アニメ製作者の感性に合うよう、原作を改編する」ものと、「原作に忠実であること、を第一義とする」ものがある(まれに、原作者と製作者の感性が合致する幸せな作品もあるが)。
このアニメの場合は、後者。
 いや、忠実でない所もあるのかも知れないけれど、基本的な姿勢として、という意味で。
 どう見ても、アニメの描写からは、作り手が作品内容を「納得」「咀嚼」しているとは思えない。
伝わってくる気持ちは、「原作がこうだから、アニメ製作者である自分の感覚に合おうが合うまいが、その通りにしておくべきなんだろうな」というような不本意なモノばかり。
 …ラストバトルの迫力不足からすると、この製作者の自由にさせた所で面白い物が出来たかどうかは分からないけど。

 原作の面白さに寄るのだろう、設定やキャラの魅力(の片鱗)は大いに感じられたシリーズ。
 文句ばかり言っておいて何だけど、膨大なテキスト量を持つ巨大人気作品を一本の筋に集約しようとする労苦が並大抵でないことは容易に想像でき、そこを加味すれば「スタッフはよく頑張った」とも捉えられるだろう。
実際、原作を破壊し…視聴者に、原作に対してネガティブな感情を抱かせてしまうアニメ作品、少なくないのだから。

 一生懸命 追い掛けて、しかし原典には遠く届かず、正に「全て遠き理想郷」な作品だった。


2006年6月20日 火曜日

『THE FROGMAN SHOW』最終話.

 驚いてしまうぐらいに個人ベース・省力・極低予算で作られた商業アニメ、最終回。
 相変わらず無責任な内容のコフィーも楽しかったけど、シリーズとしての盛り上がりを見せてくれた『鷹の爪団』が実に素晴らしい。
 悪の組織が企む「間違った」世界征服行動に対し、敢然と、しかしあくまで間が抜けた方法で立ち上がる鷹の爪団一行。
シリアスさと馬鹿馬鹿しさ、笑いとアクションが上手い具合にブレンドされ、不思議な感動を呼び起こしていた。

 個人が作ったアニメーション、という意味では、新海誠『ほしのこえ』と並ぶような作品だった…のかな。言い過ぎか(^ ^)?
徹底して作り込むことで、驚かされるようなクオリティーを現実のものにした新海アニメに対し、「商業アニメ」という表現手法そのものへの拘りは非常に薄く、代わりに作者が持つ個人の感性を、「量」を伴って提示することに成功したのが この作品。
 声の出演まで、ほとんど全てを作者一人が こなし、完全なコントロールの元に置くことで醸し出す、劣化の無い感性の面白さ。
 …商業作品でなく、「自主製作アニメ」では、普通に行われている事だけど。
この作品も、元々はネットベースの自主アニメだったみたいだし。

 何しろ「アニメ」としての動く面白さがほとんど無いので、こういう傾向の作品ばっかりになってしまったら そりゃ困るけど、こういうアニメ「も」あっていいな、と思わせてくれる、意外な拾いモノだった。



 続けざまに、次のお仕事へと突入。
 前のアップが遅れてしまったため、悲惨なスケジュールになりそう。
頑張りますー。

 今月末発売の、「ペンギンクラブ」には、ぼくの漫画は掲載されておりません。
いや、別に落としたとか そういう事でなく、予定通りの休載。
 代わりに…という訳ではないのですが、来月24日頃、茜新社から出る雑誌「コミック シグマプラス」に漫画が載ります。
 書店・コンビニで見かけられましたら、一つ よろしくお願い致します。


2006年6月17日 土曜日

 〆切前スケジュールに入るため、日曜過ぎ…月曜まで、更新が難しくなります。
悪しからずご了承を。


2006年6月15日 木曜日

『いぬかみっ!』11.「ぐったりにおねがいっ!」

 いくら飢えきった主人公でも、さすがに ともはねは自己の年齢制限に引っ掛かってターゲット外なのだろうと思っていたが、今回、妄想の中で、他の子達に混ざり自分に迫ってくる存在として認識されていたのに驚く。
幼女も、アリなの?
 まあ、彼の場合は、肉感的であり いつでもオッケーな体勢で居る ようこに手を出していない事からも、抱えているのは「肉欲」とかいう生々しいモノではなく、「モテたい」「触りたい」というぐらいの「一緒に遊ぶ」事の延長線上に欲望があるかも知れないので、そういう対象としては ともはねもオッケーなのかな。
…ようこに手を出さないのは、「手を出したら、そこで(死ぬまで独占されるという意味で)人生が終わりだから」という事情が一番先と考えると、そんな純粋な男だと捉えて良いかどうかは分からないか。

 勝ち抜きトーナメントをメインに、どたばたの楽しい話だった。
ただ…勿体ないぐらいネタを詰め込んである、とは感じてしまう。
 「グニャグニャして戦えない状態の主人公を、犬神達が陰からアレコレと手を貸し、無理矢理トーナメントで勝ち抜かせてしまう話」だけでも、三十分ぐらいは埋まったろう。
 「主人公がグッタリしている原因は自分にあると誤解した犬神達が、次々に現れては『以前に主人公を虐待した顛末』と『見当違いなお詫び』を見せていく」これでも、もっと長く、楽しく時間を費やせる。
まだ影の薄い犬神少女にキャラクターを付ける、良い機会にもなるし。
 「主人公に取り憑いた ひだるを、妖怪よりも主人公の方にダメージが大きい、非道な手段で払おうとする犬神達の話」だって、行けたんじゃないかなあ。
追い込まれた主人公に寄せる ようこの気持ちなど描けば、泣かせにさえ持って行けそう。
 が、実際は一つ一つに拘らず、ポンポンと物語を進めてあって…贅沢なネタの使い方だなあ、と思うばかり。



『涼宮ハルヒの憂鬱』11.「射手座の日」

 特に難しい所も無く、すっきりとしたエンターテイメントの お話。
 不正やり放題に決まっている、相手側の自作パソコンゲームで勝負するなんて、無謀すぎ。
艦隊のステイタスを調整され、攻撃力や防御力を下げられた状態で対戦させられる事も、あり得たはずだから。

 ハルヒの感情の有り様が、世界に対して大きな影響力を持つ、というのは既に「事実」なのね。
それならなおの事、もうちょっと有利な…せめて対等な条件での戦いを設定した方が良かったような。
 長門の恐るべきプログラム解析能力があったから良かったようなモノの、そうでなければどうしようも…
いや、一樹の超能力(孤島で見せたように、組織の力もある)で相手側を妨害しても、みくるの未来情報(収拾できるのかどうか知らないが)で敵の戦術を事前に分析しても良い訳で、何とでもなるのか。
 ハルヒの御機嫌を損ねないよう、細心の注意を払って事態に対処しなければならないのでは、部員達、気の休まる暇がなかろう。
その中で、まるで無頓着にハルヒを扱いながら、過度に怒らせる事のないキョンは、やっぱり特別な位置にいるんだなあ。

 艦隊戦を勝利に導いた戦法は、『銀英伝』というより、映画『スター・トレック2』でカークが試験時に取ったインチキな やり方のよう。
 部員達皆、いつの間にかキョンを頼り、まず彼の判断を仰ごうとする。
…この世界で一番都合が良く、気持ちの良い位置に居るのは、ハルヒよりキョンじゃないのか、と思えてしまう。
前回は殺されかけたけど、結果的には助かり、長門のフラグも一つ立てられた訳だし。


2006年6月14日 水曜日

『ひぐらしのなく頃に』10.「祟殺し編 其ノ弐 キズナ」

 新章、二話目。
 今回はチビ二人、特に沙都子がメインで描かれている。
他の章でもチラリと語られていたような気はするが、実に悲惨な身の上。
 帰ってきたロクデナシ叔父の家で暮らすことになる、現状も可哀想。
宜しくない保護者を持ってしまった子供の不幸。
現実に起きている事件などと、勝手に重ね合わせたりしてしまう。

 ここまでは、割合と「頼りになる刑事」風であった大石だが、今回は嫌なキャラに。
捜査にそれだけ強い決意を持って臨んでいる…という事かも知れないが、第三者だとばかり思っていた彼も、事件に関与している?と思わせる部分あり。

 沙都子兄について不用意な(気に障る?)発言をしたと、お馴染みの怖い顔芸で主人公を責めるレナだけど…
今までは一応、主人公側に責められるだけの理由はあったと思うが、今回の発言は「ごく常識的」であって、注意していれば回避できるようなモノとは思えず、ただ単に理不尽な言い掛かりとしか。
 「怖い顔をして脅かす」という手法は元々ヒキョーなものなので、その裏側にきっちりと「そんな顔をするだけの理由」が感じられないと、ギャグっぽくも、安っぽくもなってしまうような。


2006年6月13日 火曜日

『Fate/stay night』23.「聖杯」

 数話まとめての鑑賞。

 性懲りもなく…と言うには余りにも学習能力無く、一人で教会へと赴く士朗に呆れる。
どこででも襲われる可能性がある、という事ぐらい、いい加減で憶えてくれても良いのに。
 油断無く構えていたため無事 外出を終わり…とするのならともかく、やはり捕まってしまうし。
 士朗救出の隙を狙われ(家に居ても守れたかどうかは疑問だが)凛が やられてしまう、この構成を見ていても、「主人公はアホ」と思わせたいのかと。

 凛は死んだ?
いや、そうでもないのかな?
 「ジャンプ」のバトル漫画では、はっきり死んだと描かれない限り(時折 描かれても)生きている、というのが お約束だから…彼女は強い魔法も持っている事だし、次回 平気で出て来たり?

 士朗とセイバー…あんなに深い愛情関係が成り立ってたんだっけ?
共に戦う、敬愛できる同士、ぐらいの段階かと思っていたんだけど。
 凛や桜を切り捨てて、迷い無くセイバーを選ぶ、その根拠は ちょっと弱かったような。

 不満もあるけど、物語としては順当に盛り上がってきた。
 最後の敵との因縁、そしてその圧倒的な強さ。
ラスボスは この辺でしかあり得ないと思っていたので、妥当な所。
後、ボス候補としては、イキナリ知らない人を出す訳にはいかないだろうから、士朗の同級生の生徒会長とか、死んだはずの養父、更に前に死んだはずの実父、ぐらいになるだろう。
 最終回、キレイにまとめてくれる事を期待したい。



『ゼーガペイン』10.「また、夏が来る」

 疑問に思っていた色々なことに、答えが与えられた。
 司令室にいる上級生達にしても、何でも知っている訳ではないのか。
覚醒した者が、侵略者と戦う使命を負う、と。
 覚醒はランダムであって、生徒達の思惑通りには行かない、という事なのだろうから、もっと戦士を増やして戦力を充実させる等という事も不可能になる。
 なるほど、不自由。

 この世界で、最初に覚醒したのは誰なのか?それは何年(何十年)前のこと?
まず最初は、事情を知る者に導いてもらわないと、機体を運営して戦うのが難しいような(メカの整備は自動だとしても、操縦とか)。
 司令室付きホログラムのオジサンが教えてくれた?
初期は、システムを作り上げた生身の人間と、デジタル化人間が混成した部隊だったとか。
 「侵略者に人間が全滅させられた、この地球を守り、敵を排除せよ」という「使命」も、目覚めた時 誰かから与えられたものだとすると、どこまで本当なのか疑問になるなあ。

 偽りの平和な街があり、真実を知った者がそれを守って戦う義務を負う…という設定は、『蒼穹のファフナー』と似てる。
『ゼーガペイン』で、敵が「あなたはそこにいますか?」と呼びかけてきたなら、主人公達はずっと複雑な思いでその言葉を受け止めることになるだろう。

 主人公達は、どういう存在?
オリジナルである生きた人間が居て、その体データを全てスキャンして取り込んだ?
 それなら、個々人のデータからコピーやバックアップが出来ないとしても、スキャンを複数回 行うことで、似たようなデータは作れるのでは。
…と思ったけど、町単位でしかデータを保存していない所からしてもサーバーの容量には限りがあるのだろうし、戦士として覚醒する人間もランダム(適正者をコンピューターが選別?)なのだとすると、無駄に個人データを増やしている場合じゃないか。

 あと、取り込まれた時点で、現実界は西暦何年だった?
進化したコンピューターや巨大ロボットが存在する事からは、未来なのかと思うけど、意外と『マジンガーZ』や『ゲッターロボ』みたいに現実から一部だけ突出したテクノロジーを持つ「現在」だったのかも知れず。
崩壊した現実の街が、奇天烈な様子ではないので、現在から そんなに時代が進んでいないのは確かだろう。
 未来だとすると、主人公達が暮らす舞浜の街が「現在」である意味がよく分からない。
取り込まれた人々は、それまで生きていた時代の知識を(ある程度でも)持ったまま、架空の街で生きているんじゃないのかなあ。
それなら時代を一致させた方が…
 街単位でしかデータを保持していないため、未知の未来に向かい、街が獲得していくテクノロジーの進化などを、ホストコンピューターがシミュレーションできないから?

 街でのうっかり事故で、デジタル化された人間が死んでしまった場合、その個人のデータを抹消するのは凄く無駄な気がするんだけど、コンピューターはそうするんだろうか。
 子供が生まれた場合、その成長はどのぐらいまでシミュレートできるんだろうか。
 色々と、疑問。
まあ、本編とはあんまり関係ない疑問だと思うけど、こうやって考えるのが楽しいんで。
 数年間 経過した段階で、リセットして始まりに戻す、これを繰り返しているのなら簡単だけど。
そういえばそんなような伏線があったっけ。


2006年6月12日 月曜日

『仮面ライダーカブト』20.

 岬らが、怪盗シャドウとして行動していた理由が明らかに。
…えー?犯罪者を狙うワームをおびき出すため?そんなのアリ?
 犯罪者の何がワームを引き付けているのか分からない以上、「嘘で悪事をはたらいている」彼女達の元にワームが現れる可能性は余り高いと言えず、それだけのために自らが犯罪者になるリスクを冒すのは愚挙としか。
巨大な権限を持つらしいZECT上層部に作戦の許可を取り付けてからの事なら、何とでも揉み消してもらえるだろうから ともかく、勝手な判断だったみたいだし。
 岬達のチームは、「ワームをおびき出して倒す」ような積極的行動を、これまでに取ってたっけ?
 協力する天道も よく分からないな…まあ、彼は どんな事でもやりかねないとは思うけど。

 天道よりも常識に欠け、他者に物理的被害をもたらす傍若無人ぶりを発揮する剣。
 見る者を苛立たせるようなキャラで通すのかと思えば、前回 描かれた通り、姉にまつわるトラウマがあり、自分が傷を負わせたのが天道の妹であると知るや、拍子抜けするぐらい素直に謝って見せた。
 肉親の情に弱く、姉の敵であるワームとの直接対決で、激情の余り上手く戦えなくなってしまった所を天道・加賀美らの手助けを得、心を開いていく…というようなパターンに落とすのかな、と思えば…
えー?コイツ自身がワーム?
 どういう事なんだろうか。
「姉を目の前で殺された」記憶を持つ状態の剣を、ワームが完全コピーした事で、強いトラウマと同族への怒りを持つ人間形態ワームが出来上がった、とか?

 自分自身がワームだという事実を忘れている人間形態ワーム、というのは、いずれ出てくるだろうと予想していたが、これがそう…?
 早く次回を見たい。


2006年6月11日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』10.「GUYSの誇り」

 強敵ボガールを相手に、決死の作戦を試みるGUYS。
 ツルギの…前隊長の命を救い、リュウの想いをも救うため、僅かなチャンスに賭ける。
 一つの命でも犠牲にしまいという強い決意、形作られてきたチームワークと、リュウへの熱い友情。
隊員達が手を重ね、「PRIDE OF GUYS」と叫ぶシーンの盛り上がりには、すっかり嬉しくなってしまう。
 きちんとキャラクターやドラマを積み重ねてきた成果。

 ボガールを攻撃した砲台は、メテオール…じゃないよね?
そこいらの武器で怪獣が倒せないことは、経験上、分かっているはずだけど。
 まあ、コレで致命傷が与えられるなら、そもそもバリアー内にメビウスとツルギが入っている必要がない訳で、救出作戦も不要になる。
「コイツでは余り効き目がないだろうから、結局はメビウスらに頑張ってもらうことになりますが…」という所まで織り込んだ計画だったのか。

 ミライを先行して島に行かせる隊長は、やっぱり正体を知ってるっぽいなあ。
 巨大ヒーロー二人揃い踏みでのバトルは、単純に楽しい。
 もっと、ヒーロー同士の関係を、疑いや嫌悪の情でややこしくする事は出来たろうが…そう「しない」のが、ウルトラシリーズの正しい在り方だと思える。
『仮面ライダー』はアウトローでも良いけど、『ウルトラマン』は正道を行く「優等生」であって欲しい(個々のシリーズやエピソードは、決して優等生的でないと知った上で)。

 ツルギは誰かが助けてくれるんだろうとは思ったが、ウルトラの母登場には、驚かされる。
こう見ると、圧倒的な存在だなあ、母。
 理屈もヘッタクレもない そのパワーで、ツルギを元のウルトラ族形態に戻すのかな。



『砂沙美☆魔法少女クラブ』08.「なかよしの指輪」

 内気な美紗緒の話。
 陰口を耳にしても、怒ったり根に持ったりする事なく、バザーに向けて黙々とアクセサリーを作り続ける美紗緒は、真っ直ぐで曇り無く、意外にガッツのある子だと思うな。
 ナイーブな女の子が、ハッキリと「仲間はずれにされている」印としての異なった服装でバザーに参加するのは、難しくて当然。
図太い人間に取ってさえ、嬉しいシチュエイションではあるまい。

 砂沙美ぐらい手の掛からない少女も結構だけど、美紗緒のような子を他の誰よりも深く理解してやるのが、親としての務めではあるまいか、などと すっかり親父視点で勝手な感情移入。
 そういえば、美紗緒の親って出て来た事あったんだっけ?
娘とは没交渉な留守がちの親なのか、逆に溺愛して家の外に出すのも嫌がり内向的な子に育ててしまったのか。

 出来ることなら、美紗緒の方からクラスメートに近づいて欲しかったけど…
現実的には、内向的な子が一足飛びに そういう状態になるのは困難だろうし、ヒロインは砂沙美だという事情もあり、彼女の「お節介」があって和解できた、というドラマで、「小学生日記」として悪くない。



 ヨメさんの実家に赴き、坂道を少々上り下りしただけで、イキナリ筋肉痛。
驚くぐらい筋力が弱ってるなあ。
 もうちょっと、日常的に足を使うようにしないと。


2006年6月10日 土曜日

『ザ・フロッグマンショー』10.

 悪ノリが激化していて、『古墳GALのコフィー』では、古墳が宇宙へ飛び出し、巨大隕石相手にアルマゲドンして地球を救うというような、無茶な話を やり始めた。
 コフィーのキャラクターも、最初は もうちょっとマトモだったような気がするけれど、ガンガン破綻してきて無茶苦茶に。
 毎回、何をやるのか予想も付かないバラエティーの豊かさ(脱線のもの凄さ)が、大きな魅力。

 『秘密結社鷹の爪』
 こちらもデタラメな話のようでいて、実は回を重ねる毎、ドラマやキャラクターの心情に微妙な変化(「成長」とは言えるかどうか…)が生じている。
 菩薩峠の設定が、クライマックスに関わってくるとは思わなかった。
 総統の語る、「正しい世界征服のあり方」が熱い。
意外、こんなにも立派な事を考えていたのか。
普段のアホな行動からは想像も付かない。
 フィクション世界に存在した どの悪の秘密結社よりも、いや、正義の味方より、壮大で公正で、有意義な考え方なのかも。



『うたわれるもの』09.「禁忌」

 大国からの使者が訪れる。
 傲岸不遜な彼らの態度にも動じず、冷静に対応して時間を稼ぐハクオロは賢い。
しかし、大国国王も負けずに賢く、ハクオロの考えを見抜いて時を置かず進軍を始める…
 物語が大きく動き始めた、という意味では勿論 歓迎すべきエピソードなんだけど、前回のように平和に暮らす事こそがメインキャラ達の切なる願いであると思え、戦死者など出さない事を祈るのみ。
製作者の思惑通りに踊らされる自分(笑)。

 禁断の製法で作られる薬品は、「兵士達を、疲れも痛みも感じない状態にする薬」か「風に乗せて流す事で風下の敵軍勢を全滅させられる毒」か、などと思ったけど、そこまで悪辣ではなく(当然)、爆薬。
 敵の兵站を狙うのは、戦いの常道。
「正々堂々正面から戦う」事には意味が無く、「負けない」事にのみ意義がある戦いなのだから、この際 手段を選んでいる場合じゃない。
 また、ハクオロ軍には大国ほど、鍛え上げられた専業の兵士は居ないのだろうし。
弱い者が勝つには、戦術・戦略が必要。
 …でもハクオロとしては、戦う気持ちのない者を殺す行為を喜べず、更には、同レベルでの敵軍の報復が考えられる事で悲惨な戦いに突入してしまう恐れがあり、沈んだ表情だったのかな。


2006年6月9日 金曜日

『いぬかみっ!』10.「桜の想い出っ!」

 婆ちゃんと はけの出逢いを描く、犬神使いという設定を持つ この作品ならではのエピソード。
 少女時代婆ちゃんの苛烈さ無鉄砲さ純粋さに、驚き、惹かれていく はけの想い。
二人は主従の関係を守り続けてきたんだろうと思うが、彼の抱いた気持ちは、ようこが啓太に寄せる分かり易い「恋心(強烈な独占欲でもある?)」とは、また違ったのかな。
「敬意」の方が強い?
 彼女が年老いても態度を変えることがない はけは、姿形でなく「心」に惚れる、もっと深い繋がりを得ているのだろう。

 薫の犬神一行に陰口を叩かれた ようこは、反省したフリをしながら、悪辣な方法で復讐を遂げる。
すぐ暴力に訴えない分マシなのか、陰に籠もって益々宜しくない対応になっているのか。
 でもまあ、両陣営、随分と仲良くなったもので。
女好きだが悪気のない啓太が、両者のワダカマリを溶かしているんだろう。

 のっぺらぼうまで口説く啓太のガッツには、感心。
「だいたい女」であれば、それで良いのか(笑)。
 多すぎると思われた薫の犬神達にも個性が見えてきたし(まだ弱い子もいるけど)、男のヌードも抑え目になったせいか、最近は楽しく鑑賞できる。
 1クールで終わりだとすると、ぼちぼちシリーズの山場に差し掛かるのかな。


2006年6月8日 木曜日

『錬金3級 まじかる?ぽか〜ん』19.「コールドの呪文はスノボスキー」20.「ホットな呪文は天然温泉」

 前半、体が重くてスキー場のリフトに乗れず、雪にも沈んでしまい、皆が遊んでいる間、ひたすら泣き顔の雪だるまなど作り続けている鉄子が可哀想で、可愛い。

 後半、その「体が沈む」という設定を忘れずいて、後ろの方で何気なく雪に沈下していく鉄子に笑ってしまう。
 こちらは、露天風呂を舞台にした、サービス満載話。
…といっても、規制(自主規制?)に引っ掛かるのか乳首NG。
湯気で隠したり、露骨に白抜きしたりの大騒ぎ。
 DVD版では全部見せます、という感じで販売促進を狙う目的もアリ?
 巨乳を相手に、触る掴む揉む引っ張ると好き放題するのを、乳自体は描かず、掌の動きだけで対象の質感まで描き出して見せているのは、凄いテクニックだなあ、と感心。
コレは、もしかしたらこのまま乳無しで通した方が、想像で補えて えっちなのかも。
 巨乳お姉さんかと思ったら…そして、温泉かと思ったら…という二段落ち。
こうすると、「お姉さん」達がエラく世間ズレしているというか、視聴者サービスを考えてくれて賢いというか(笑)、整合性は若干あやふやになってしまうが…まあ、そんな細かい事をゴチャゴチャ言う作品じゃないな。
 この お姉さん達は、一人だけ無表情貧乳タイプが居るとか、妙にキャラが立っているんだけど、何かモデルがある?



『涼宮ハルヒの憂鬱』10.「涼宮ハルヒの憂鬱W」

 前回は まるっきりフツーの部活みたいな様子が描かれ、油断していた所に、思わぬ人物が急襲を掛けてきた。
 朝倉涼子かあ…
劇中でも珍しい、ごくごく常識的な「良い子」なんだろうと、素直に受け取っていたのだが。

 放課後の教室で、難しい言葉を連ねながら概ね「現状を変革してみたい」という要旨のことを語り出した時は、キョンに告白でもするのかと思っていたので、事態の急変に驚く。
これぐらいで驚くのは、この作品の文法にまだ馴染めていないのだと反省すべきか、大いに内容を楽しめていると喜ぶべきなのか。
 「教室内の、穏やかな雰囲気」が、次第に変な方向へと流れ始め、朝倉の「あなたを殺して、涼宮ハルヒの出方を見る」という一言で一変し、「非日常空間」へと突入する、この辺りの劇的な流れは実に上手い。
さっきまでノスタルジックでもあった夕日の色を、血の赤色にまで見せる演出の冴え。

 朝倉には殺意も害意もなく、純粋に「キョンを殺したらハルヒはどうなるか」を知りたいという、知的好奇心のみでの行動。
長門が本を読み続けるのと、何も変わらないのだろう。
だから余計、始末に負えない。

 ハルヒ自身については干渉禁止が厳命されているだろうから、キョンに目を付ける、その判断は正しい。
中学時代も彼女の奇異な行動は目立っていたようだが、現実と上手く咬み合えない…影響を与えられないでいたのは、キョンという触媒、「ハルヒと世界の間を埋めるもの」が居なかったから、なのかも。
 彼を消し去る、まで行かずとも、精神状態を偏向させてハルヒから遠ざけるとか、彼女を完全に否定させるとか、それだけでも大きな変化が起きそう。
彼を支配する事で、世界全体の命運まで握れたり。

 統合思念体のエージェント(?)二人による、激しいバトルの応酬が素晴らしい。
高速言語で周辺の情報を書き換えながら、限定空間の支配権を争う戦い。
 しかし、思念体に こういう勢力があるのなら、未来人や超能力者にも、状況の激変を目論む者がいるのかも。
学校や、街中に暮らす人々の多くが普通人ではなく、みくるや一樹の仲間、あるいは宇宙人・異次元人・人造生命体・妖怪・霊体・亜人等々かも知れないな。
 目を付けられるキョンには いい迷惑だろうが…今更ハルヒから離れても遅いだろうし、離れる事で彼を含む世界の運命が どうなるのか分からず(こちらは、彼がどのぐらい理解しているか怪しいが)、逃げ場無し。
全ては、まずキョンに掛かっている。

 恐ろしげな統合思念体からの干渉に対し、未来人・みくる成人体の来訪は、ほのぼの。
胸の間のホクロを巡る、滅多にないぐらい嬉しいタイムパラドックス描写が素敵。
 彼女の言うキーワード「白雪姫」の要旨は、キョンが言わなかった事からしても、「お姫様は王子様のキスで目覚める」なんだろう(もう、その事は語られてたっけ?)。
 楽しかった思い出、になっているのであろう高校時代を振り返る、みくるの表情がイイねえ。
「私とは仲良くしないで」という、切ない別れを予兆させる言葉も上手い。

 こう異常事態が続くと、裏で起きている事を何も知らず、恐らくは実体よりも遙かに小さいスケールで「朝倉の転校」を捉えているのだろうハルヒが、可愛く見えてきてしまう。


2006年6月7日 水曜日

 無事、上京しました。
 総じて楽しかったと言える帰省でしたけど、それでもトシのせいか疲れは体にみっしりと。
 ぼちぼち、溜まった録画番組を消化していきたいと思います。
いや、仕事も結構まずい状況ではあるのですが。


2006年6月5日 月曜日

 三日間ほど帰省します。
そのため、水曜夜…多分 実際には木曜まで更新できません。
 あしからずご了承ください。


2006年6月4日 日曜日

『仮面ライダーカブト』19.

 天道の正当なライバルキャラになるべく、似通ったキャラクター性を持つ神代剣が登場。
 彼と天道の出逢い…
これほど俺様ぶりが徹底した男が、サッカーなんてゲームを(好き放題出来るチームで、とはいえ)進んでやりたがるかなあ?という疑問は少々。
 天道か神代には、最初に「普通の11人チーム」と試合をしてもらい、一人でも超絶に強いところを見せて欲しかった。
一般人と比べて どれほど凄いのか、という情報の提示が弱く、二人とも拮抗した実力の持ち主であり、CGなど駆使して『少林サッカー』並の派手なシュートとかを見せてくれた訳でもない(少しあったけど)ので、その凄さが上手く伝わらず、「単に二人でサッカーをやっている変わり者達」に見えたり。
続く競技では、ボールをCGで処理した面白い映像もあったけれど。

 しかしまあ、バカな男二人が延々意地を張り合っている様子は眺めていて楽しく、「俺様系が二人か…ちょっと疲れるな」という ひよりの鋭い、脚本家によるセルフツッコミもあって、笑ってしまう。
 こういう傍迷惑なキャラを描かせると、井上 敏樹は上手いなあ。

 ZECT、神代に金を払って仕事を依頼しているみたいだが、ライダー変身者の選定は どうやって行ってるんだろ?
もっと、組織の命令に素直に従う人間をライダーにすれば良いのに。
 ザビーに変身した人間が二人「異常」になっている事からすると、ライダーシステムの着用は人格に悪影響を与える?
だから並の人間では変身し続けられない、元々破綻した人格者(笑)の方が適格、とか。

 神代は しばらく「無敵」で通すものかと思ったが、意外なぐらい早く弱点…姉に関わる記憶…を明らかにした。
じいやに縋り付く姿は、まるで幼児みたい。
 こういう弱さを抱えている限り、天道に敵うはずがないな。
 このキャラも、しばらくしたら片付いて(一時退場して)しまうんだろうか。

 怪盗の話。
どう本編に関わるのかと思えば、正体は岬?
 加賀美が一番先に「正体を知った」と確信したので、「実は勘違い」という展開を予想したが、そうでもないみたいだなあ。
 逃走する岬を乗せた車にワームが飛び乗ろうとしていた所からすると、盗み出した品物がワームを呼び寄せるとか?

 「人のモノを盗む奴は、もっと大事な物を無くす」という天道お婆ちゃんの言葉が、何だか凄く深くて、染みる。



『ガイキング』25.「地獄に堕ちたクルーども! アイドルは君だ!!」

 ピンクのカバが見えてしまう集団幻覚症状に陥った艦内状況を改善するため、アイドルを選定しようとする大空魔竜一行のバカ話、後半。
こんなストーリーで、前・後編に分けるとは思わなかった。
 要らない部分をバサバサ切り捨てれば、三十分で収まったのでは?
ジイサンが元ストリートミュージシャンだとか、船医が昔はファッションデザイナーになろうと考えていたとか、余計。
…でも、そういう余計なところにこそ、変な面白味があったのも確か。

 他のキャラはともかく、厨房で働くキョーコは、これまでほとんど印象に残るような活躍をしていなかったような。
凄まじい腹黒さを含め、このエピソードだけで忘れられなくなったが。
 今回はまた作画が強烈に良く、特に彼女については「キャラ表?ああ、見たことあったような無かったような」ぐらいの勢いで、前回とは似ても似つかない可愛い容姿に描かれていた。
これなら「萌え」の対象にもなりそう…でも次回以降は元のご面相に戻るんだろうな…

 艦内に潜り込んだダリウス側スパイ・レベッカ。
結構な美人で、野郎共のいいようにされてしまう間の抜けぶりも可愛らしく、コレ一話で終わらせるには勿体ないキャラ。
…でも、彼女もまた、次回以降 登場した際には、「ぎゃっ!」というような凶暴な姿に変わっているかも知れないが(笑)。
 ヴェスターヌ自身が乗り込んで来て、アイドルに祭り上げられてしまう、って話でも良かったんじゃないかなあ。
無理はあるけど、まあ基本ギャグ話なので。

 レベッカは訳も分からないウチにアイドル戦に優勝してしまう…とした方が、「おかしい」話にはなったろうが…実際はルルを持ち上げる、割と妥当な終わり方。
 他女性キャラ達が さっきまで見せていた恐ろしげな足の引っ張り合いからは、とてもこんな美しい幕切れを迎えられると思えなかったけども。
「誰が優勝して勝ち誇った態度を見せても、後に血の雨が降る。それなら、勝ち残る意欲が一番低いルルに華を持たせるのを、ギリギリ全員の妥協案とした方がベター」という、結論だったのかも知れないか。

 ルルの歌に乗せるロボット・バトルもヤケに格好良く、充実した話だった。



『ウルトラマンメビウス』09.「復讐の鎧」

 ボガールの悪行と地球に来た目的、ツルギの正体とボガールを憎む理由が語られた。
「謎」って事で、いくらでも引っぱる事は出来たと思うんだけど…実に分かり易く、年少者にも親切な構成。

 ツルギは元々、科学者だった。
見守り続けてきた奇跡的に平和な惑星が、ボガールにより壊滅させられた時、「何も守れなかった」彼自身の中に生まれた闇雲な怒りは、哀しみや絶望と同程度だったのかも知れないが、滅びた宇宙人の「思い」が体に飛び込んできた事で冷静さは失われ、どれだけ被害を出そうと復讐を遂行する事、だけが目的になってしまった。
 この姿は、自発的なものだという差はあるにせよ、「戦いの中で、自分を助けて命を失った前隊長」への強い思いのため、我を忘れてコノミを強く突き飛ばすリュウと重なる。
 リュウは、現隊長の言葉を得て、今 本当に成すべき事を思い出す事が出来た。
ツルギも、最初に持っていたのは「平和を志す生命体への愛情」だったのだから、もう一度そこに立ち返り、誰かを守る戦いが出来るようになれば…

 しかしサコミズ隊長、「人間が出来ている」というより、隠された事情に通じすぎているようで…
やっぱり正体は、メビウスを見守りに来たゾフィーなのか?

 ボガール、怪獣を吸収するたび、その特性を自分のモノにして強くなっていく…訳では無いのね。
エネルギー量を上げる事で、脱皮するように、何度やられたかと見えても新たな体を作り、逃げられるのかな。
 歩く火薬庫、という設定により、力ずくで倒す事が出来なくなり、復讐だけが目的のツルギと単純な共闘が出来なくなってしまう、この持って行きようは上手い。
 予告を見る限り、次回で早くも力を合わせて戦う事になる…?


2006年6月3日 土曜日

『彩雲国物語』09.「千里の道も一歩から」

 この作品は、美形の王様、そして彼と子細ある美形家人に挟まれたヒロインによる、女性向けモテモテ「萌え」アニメになるのかと思っていたが、遅まきながら、「バイタリティーに溢れた一人の少女により、多くの人が心動かされ、国自体が変わっていく」様子を描くのがテーマなのだと気が付く。
 いや、まあ様々な男性キャラ「萌え」要素も多分に入っていることは間違いないが。

 今回登場の尚書・黄奇人も、個性豊かで魅力のあるキャラ。
 人前では絶対に仮面を取らないのに宮殿の有力者、という無茶な設定だけで面白いが、そこから普通に受ける「他者を寄せ付けない」イメージを、時折 仮面を変え「表情」に変化を付けている、という ふざけた行動によりグッと柔らかくし、珍しいキャラに仕上げることに成功している。
 優れた能力を持ち、誰にも媚びず、無能な相手など毒舌で切って捨てる怖さは、『銀英伝』オーベルシュタインのよう。
気心が知れている相手に向けて、とはいえ、ヒロインを嫁にもらってみようか、などと冗談で言い出す柔軟さは、オーベルシュタインに望むべくもなかったが。

 国の予算が余った時の使い道を色々と提示し、「お金は、残しておいても いざという時、食べられないから、役に立つ時に使うべきだと思うんです」と語る秀麗の考えは、一面 正しい。
 ただ その考えが有効であるためには…どんな政策も法律もそうであるように、「為政者が有能で、権力を自身のために使うほど腐っていないこと」が大前提。
現在日本で多発する、予算や年金の、頭が悪いとしか言い表しようがない浪費ぶりにしても、責任者の皆様に訪ねてみれば、必ずや「国民のため有用に使った」と説明されるはずだから。



 地上波で放送された映画『レイクサイド マーダーケース』を見る。
 湖の畔に建つ別荘で起きた殺人事件…という筋なので、本格推理モノを期待してしまうが、そういう部分は弱め。
薄弱な手掛かりだけで、割と簡単に真相が明らかになってしまう。

 役所広司 演じる主人公は、「名探偵」どころか、「共犯者」の位置に居る。
だから、彼も真実を追い求めはするんだけど、どちらかというと隠蔽工作のドキドキとか罪悪感とか、置かれた状況への苛立ちや疑問など、心の動きが見所になる。
その辺の演技は、さすがに役所広司、上手い。

 テーマに直結しているんだろうから仕方ないけど…伏線も弱いまま明かされる事件の真相には、感心しない。
「なるほど!」より、「何故?」という気持ちに なってもらうのが目的の作品なんだろうが。
 受け取るテーマは、重い。
自分なら こういう時、どうするかなあ、と考え込んでしまう。
 …余韻を残す(映画が終わった後も色々考えてもらう)には、余りに安っぽいショックシーンがラストに用意されており、驚く。
客をビックリさせるのが狙いの作品では無いはずなので、削った方が良いような。

 不快なキャラを どんよりと演じる柄本明が楽しく、飽きずに見られる映画ではあったが、意図が分かり辛い演出や(原作から略されているのか)安易な筋運びが仇になって、見終わった充実感はイマイチ。
 テレビで放送されたものを何となく見る視聴態度で、丁度 良かったかな。


2006年6月2日 金曜日

『砂沙美☆魔法少女クラブ』07.「夜空の手紙」

 無謀な冒険を志し、やはり達成できず道に迷って途方に暮れる、少女達の(魔法がちょっとだけ絡んでいるけど)日常的な出来事を、とても丁寧に追っていった話。
気分の高揚から失望、不安、そして思いがけず出逢った男の子による救済まで、少女らの気持ちの移り変わりを よく捉えてあり、言えば「大した事件でもない」のに、見入ってしまう。
 何とかなるだろうで出発し、非常事態に対し何の準備もしていない辺り、子供っぽくてリアル。
砂沙美はともかく、美紗緒は もうちょっと頭の回る子かと思ったが、子供は子供。

 砂沙美らを助けるため、自分の非常食を与え、電車賃も無くしながら、でも得られた大きな収穫「自分に向けられた笑顔と感謝の言葉」に顔をほころばせる、少年の気持ちが愛しい。
『となりのトトロ』カンタの不器用さを思い出してしまう。
 そういえば、大人用自転車の三角乗りとか、おやつのスルメなど、とても「今日」とは思えない、「古き良き時代」を思わせる描写が見られた。
懐かしさ、と共に提示しないと こういう男の子像はリアリティーを持ち得ないからなのか…いや、好きな女の子の前で器用に振る舞えない莫迦な男の子なんて、いつの時代でも同じか。



『ゼーガペイン』09.「ウェットダメージ」

 主人公達、データ上の存在なんだから、優秀なパイロットのコピーを作れば戦況が有利になるのでは?と思ったけど、何だか量子的コンピューターの特性だそうでコピーは作れないらしい。
えー、正直よく分からないが、そう言うならそうなんだろう。
 転送の度にデータに欠損が出る、っていうのはイヤだなあ。
『スター・トレック』で、ドクター・マッコイが転送を嫌がっていたのは、こういう事を恐れたからだろうか。
 転送前に完全な人体データのバックアップを取って、対象が帰ってきた時にでも差分データを比較すれば…
いや、コピーが出来ないということは、バックアップも取れない?
それとも、主人公が「オリジナル」ではないらしい所からすると、バックアップは可能なのか(記憶が欠落しているだけで、オリジナルには違いない?)。
うーん。

 最初からプログラムとして存在しているのだろう、司令室にいるホログラム・メンバー達に戦ってもらう事は出来ないのかな?
人間よりももっと、戦いに特化したプログラムに書き換えて。
 そういう、再調整を出来るような人材がもう居ない?
それとも…「延々と気象予報を述べる女性メンバー」とか見るに、ホログラムは余り優秀とは言えないのか。



 昨日は、ヨメのPCが起動しなくなってしまい(壁紙の表示までで動作が完全に止まる)、その復旧に延々と時間を費やす。
 原因がサッパリ分からなかったけど、ようやく、繋いだままにしておいたiPodが悪いらしい、と判明。
よく見るとiPodが、エラー表示を出したままフリーズしていた事から、その影響でwindowsのシステムに悪影響が出た…という事なんだろう。
 まず周辺機器を疑ってみるべきだったか…iPodが そこまでPCの動作を疎外するとは思わず。
でも考えてみればアレは、要するに外付けのHDなんだった。


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