ときどき日記 2006/08

2006年8月31日 木曜日

『コヨーテ ラグタイムショー』09.「ジュピター」

 チームを分け、それぞれが任務を果たすことで大きな計画を進行させよう、という展開。
しかし、一方の動向が他方に影響を与えず、爆弾の発射阻止組は失敗したような形になってしまったことで、どうにもグズグズな印象。

 何気なく潜入でき、自由行動を許してくれる敵艦。
重要な会談を行っている部屋に警備も置かず、怪しげな飲み物ワゴン(あからさまな盗聴器付き)を持って入ってみれば必要も無いのに部屋に残しておいてくれる、間抜けさ加減が過剰な相手側。
 …ちょっと楽をし過ぎじゃないだろうか、シナリオ。
 残り話数も少ないと思うので、余り凝っていてはストーリーが進まない、というのは分かるけど、多少苦労をしてくれないと、「凄い奴らの凄い物語」ではなく「アホなキャラ達がアホなことばかりしている話」になりかねず。

 爆弾を既に惑星に埋めてあった…という どんでん返しは楽しいが、現在より遙かに進んだ科学技術を持つ世界を舞台にしている訳で、爆弾は地中深くに埋めてないと効果がない、と言われても困ってしまう。
逆に、小さなトランクケースを取りだし、「ここに詰めた特殊爆薬を大気圏に数ミリグラム投げ込むだけで、惑星など造作なく破壊できる」と言い出しても、ああ そうなんですか、としかこちらには取りようが無く。
 SF作品では、こういった作品独自の設定を どれだけ自然に紹介していけるか、という部分に、製作者の腕前が現れてくる。

 12姉妹の三つ子が、それぞれ微妙にキャラクター性を主張しているのは結構。
 首だけ少女とアンジェリカの間に、変な友情(信頼関係?)が結ばれるのも、第一話で人をゴミのように殺していた姉妹の姿からは違和感があるけれど、それはそれで楽しい。



『ケモノヅメ』04.「過去の苦み」

 4話目で、もう主人公一家と食人鬼の因縁となった、オヤジ世代の記憶を紹介。
 それ自体は、男達のバカな関係性など きちんと設定されており、楽しく見られたが…現在で、主人公達は逃走中だし、まだ視聴者の興味が過去になど向いていないと思える時点で こういうエピソードを入れてしまうのは、効果的かどうか。
まだ、しばらく後でも良かったような。

 鬼封剣最大の奥義が、自らの腕を切り落とし、食人鬼のそれと付け替えること、という設定がもの凄い。
自分で自分の腕を落とすシーンが実に痛そうであり、主人公父が腕移植しようと選んだ相手は…等々、確かに年少者には刺激的なシーン多し。
 かなり設定が明らかになったようだけど、一部の謎は余計に深まっていて、まだまだ気が抜けない。


2006年8月30日 水曜日

『シュヴァリエ』02.「四銃士」

 さすがにProduction I.Gだけあって、丁寧な仕上がりのアニメ。
 第一話の途中までは、常識的範囲に収まる歴史物の変形パターンかと思われたが、妙な敵が出て来、主人公の人格が入れ替わって「変身」するや、俄然 分かり易く。
かといって、無責任なトンデモ路線へと突っ走る訳ではなく、微妙に史実や実在の人物を絡めながら、あくまで歴史の闇に隠された事件として全体を構成するつもりなのだろう。
 表情の変化で表す内心や、言外に意図を匂わせているセリフなど、ぼーっと見ていたら気付かないような所に物語の重要なポイントが隠されているようであり、気が抜けない。

 マスコット的お子様キャラでありながら、決然と銃口を向けて追っ手を足止めして見せるなど、凄味も見せるロビンが楽しい。
実は女の子なんじゃないか…とか、妄想が膨らんでしまう。
 かなり多い情報量を鈍い頭で一生懸命 整理しつつ、追い掛けて行きたい気持ちにさせてくれる、クオリティーの高いアニメ。
 ただ、この手の作品は、作り手の真面目さに起因してかイマイチ盛り上がらず終わり、「佳作」という評価に留まることが多いよう思える、その辺は若干心配。



『N・H・Kにようこそ!』08.「中華街にようこそ!」

 見栄を張って、大成功しているようなウソを実家宛の手紙に書いてしまった男が、突然 田舎から上京してくる母親に慌て、ウソを何とか本当に見せかけるべく仲間を巻き込んで大騒動…という、実に古色蒼然たるドラマのパターン話。
実は、そんな薄っぺらいウソなど母親は とうに見抜いておりました、って所までパターン通り。

 「仲間」というのが僅かに二人ばかりと、少ないのは異質かな。
もっとも、この作品では主人公に付き合ってくれるような物好き…というか主要キャラは、この二人、プラス協力を断られてしまった先輩、ぐらいなものなので、仕方ないのだが。
 彼女役を演じる女性が、「健全な普通の人」ではなく、もしかしたら主人公と同じ、あるいはより深刻な病巣を抱えているのかも、と感じさせられる相手な所も、パターンから外れる。
岬は、家庭内に壮絶な不幸を抱えているタイプなのだろうか。
主人公に興味を示すのは、同病相憐れむ気持ちから?
 彼女が取ってきた行動の全てが、主人公を、ではなく、自分を立ち直らせるために立てたプラン通り、って事なのかも。


2006年8月29日 火曜日

『ARIA The NATURAL』22.「その ふしぎワールドで…」「その アクアを守る者よ…」

 前半。
アリア社長が迷い込んだ(夢を見てただけ?)、男女の入れ替わったパラレル・ワールド話。
 とはいっても、ヒロインらは みんな綺麗なまま、美少年や美青年に変わっているだけなので、「こういうアニメもアリだなあ」と思えたり。
 唯一、大きく外見が変わり、すっかり萌えキャラにされた暁が可笑しい。
 あと、アリア社長は、自分を可愛がってくれる人間なら性別は問わないのかと思っていたけど、存外に女好きだったことが驚き。
いやオスらしくて大変結構。

 後半。
 自分を「人造人間だ」と自称する、暁の少年時代。
 ああ、居た。
小学校時代、実際こんな同級生、居た。
 ある日、教室の隅まで引っ張って行かれ、声を潜めた彼の口から、「誰にも言うなよ、実はなあ、実はオレの正体は、キカイダー01なんだ」と聞かされた。
 どういう根拠で01だと確信したのか尋ねると、彼は自信たっぷりに「あのなあ、この前コンセントを指で触ってたら、ビリビリっと体を電気が通り抜けたんだ。つまりオレの体は機械で出来てるから『電流火花が体を走』った訳だろ。キカイダー01じゃんか」と。
 いやもう、何の説明にもなってないしコンセント触ってたら感電して危険だしその歌詞なら「キカイダー」だし、小学生にしてもアホな同級生だったと思うけど、何しろ自分は負けず劣らずどころか他のクラスメートを周回遅れにするほどブッちぎりのバカだったため、「なら変身してみろ」と言うとか常識的な対応はせず、「それは大変だ、地球を守るために頑張ってくれ」などと応える始末。
 「困った時はいつでも呼んでくれ」と笑っていた同級生は、今でも正義のため戦い続けているのだろうか。
 すまん、君を応援していたクラスメートは、今じゃPTAから目の敵にされるような「害毒」漫画を描く大人になってしまった。
デンジ・エンドは甘んじて受けよう(それは「キカイダー」のワザ)。

 内容に戻って。
 「盤石だと信じて疑わなかった世界に、不信感を持ち始める時期」って、割と誰でもあると思う。
ヒーロー物に憧れを抱いていたのだろう暁は、それがSF的な形となって現れてしまっただけ。
この辺、もうチョイ突き詰めても面白かっただろうが、「癒し」の路線からは外れてしまうのかな。
 姉のような若いお母さんが、素晴らしい。
幼くさえ感じられる外見に似ず、息子の膨らみすぎてしまった不安から、彼の妄想に沿った形で救い出してみせる頭の良さがまた、ステキ。


2006年8月28日 月曜日

『ウルトラマンメビウス』21.「虚空の呼び声」

 この話だけでは、んん?というような内容。
今回は状況説明と伏線が主であり、次回、それらが意味を持ってくる?
 どうも『ウルトラセブン』薩摩次郎的なエピソードになりそうな。

 ウルトラゾーンにミライを置いていく際、ナニゴトか伝えるようなメビウスに、分かったという風に頷く隊長。
どうもミライの正体を知っている様子だけど、やっぱりウルトラ関係者なのか?
 でなくとも…前も書いたけど、この作品の世界観として「これまでのウルトラシリーズの記録が残っている」という物があるので、隊長クラスだけに知らされる最重要機密扱いで「ウルトラマンの正体は、必ず防衛隊の隊員」という情報があって、不思議ない。
それを踏まえれば、隊長の行動も理解できなくはないな。



『仮面ライダーカブト』30.

 夏のバカ話、後編。
スランプに陥った天道が教えを請いに行く、この展開が随分 後の方に据えられているため、修行シーンを膨らませる事で まだ来週まで引くつもりなのかと思ってしまった。

 情けない表情を見せる天道を始め、キャラクター性が かなり破壊されてしまう田所やアホみたいな加賀美父など、通常のシリーズ中では なかなか見られない道の踏み外し方は楽しかったが…
 「馬鹿な話」にするには、天道の修行や料理にそれはそれなりの道理があったり、料理で世界制覇を狙うワームの行動を、「ギャグ」と捉えるべきなのか、いくらか「ワームの新しい側面」として受け止めて良いのか迷わされたり、そもそも個人的に笑いのヒット率が低く感じられたりで、満足度は低め。
 きっちりフォーマットを決めてあったため、その枠外にはみ出していくギャグを作りやすかったろう去年の『響鬼』に比べ、天道が余りにも「何でもアリ」なキャラ過ぎる今作は、メチャクチャに し辛かったのかも知れないな。

 正体が剣だと知らず、ワームに襲いかかるカブト。
そのワームを無言で庇い、カブトと激突する加賀美だが…
 いや、「それは剣だ」って口で言えよ( ^_^ )。
事実を知らせて納得してくれるのか、とか、だからって容赦してくれる天道なのか、という問題はあるが、取りあえず言ってみて損はないはず。
この辺りは、お得意のクリフハンガー、「次週への引きを強くしたいがためのムリ」だなあ。
 弟、工場に取り残された少年、と、ワームが化けた人間と深く関わってきた加賀美ならではの理屈が、あの行動には通っているのだろうか?


2006年8月27日 日曜日

『ひぐらしのなく頃に』21.「目明し編 其の六 断罪」

 目明かし編、終了。
 うううう〜ん、よくこの内容を放送できたもんだ…
ちょっと運が悪かったら、良識ある皆様が大騒ぎを始め、ここまでで放送休止になっても無理ないと思える壮絶さ。
 「テレビアニメ」としてのリミッターを遙かに振り切る描写が続き、いい加減トシを喰って刺激に鈍感になってしまった自分でさえ、「コレは大丈夫なの?」と言いっぱなし。

 詩音による、死体となった婆ちゃんへの虐待に続き、爺ちゃんを首つり拷問の挙げ句 放置して殺し、幼女を追い詰めた末 人格が変わった幼女自身が出刃包丁で首を刺して自殺、もう一人幼女を磔にした上「痛みを感じ続けるよう」両腕を刺し続け 激した感情のまま体を刺して殺害……
 痛みも苦しみも描き、容赦なく血を流した上、死に至らしめる、その画面だけでも十分に恐ろしいが、もっと凄絶なのは、手を下す詩音の「狂気」が描き出せていること。
 殺す行為だけなら、ジェイソンだのフレディーだの、楽しげに(事務的に)大量の殺人をこなしていく悪夢の「ヒーロー」は、創作物に多々存在した訳だけど、詩音の場合、「拷問も殺人も是として喜びさえする気持ち」と「人の道を踏み外していく自分への恐れ」が時折 拮抗する局面があり、狂気に犯されつつも まだ「人間」であると感じられるところが、益々おぞましい。
抵抗できなくした状態の幼女を刺し続けるシーンより、「好きだった、その子の兄・悟史のため」と信じて行っていた行為が、ふと正気を取り戻した頭の中で、「全く悟史のためなどではなく、逆に彼が最後まで守ろうとしたものを無にする行い」だと気付いてしまう、その心の動きが、染みるほど恐ろしい。

 これからもまだまだ色々なアニメを見ると思うが、こういう方面での狂気と恐怖の描き方は、この作品で極めてしまったのではないだろうか。

 お社様は、結局 居たのか居なかったのか。
事件への村人の関与は魅音が否定していたけれども、その言葉が信じられるのかどうか。
「死の間際の証言」は、特にフィクションでは「真実」と決まっているんだけど、どうも綿流し編のラストからすると魅音はまだ生きていたっぽいし。
 お社様の祟りとは、「お社様」というものを存在するかのように扱う・存続させていく村のシステムが生じさせる歪みが ある個人、または団体に凝縮し、引き起こしているもの…?
 詩音の呆気ない死(普通にドアから出入りしないのは、警察か村人に見張られていたから?)が、偶然なのか何かの超常的な力による物なのか、その辺りの判断にも掛かってくるのかな。


2006年8月26日 土曜日

『無敵看板娘』15.「確かに奴は最強に見えた」16.「悪者がやってきた」

 番組内番組、架空の戦隊ヒーローシリーズを題材にした二話連作。
 現在放送中らしい『スターレンジャー』と、去年・一昨年のヒーローのデザインが、ほぼ一緒で非常に見分けが付きにくい辺り、実にリアル(最近の戦隊のデザインはそうでもないけど)。
ヘルズバニーは、確かにこの通りの悪役として特撮物に登場したなら、人気が出そうだなあ。

 大馬鹿な前編と、それを受けて展開される ちょっとイイ話風の後編。
 「イイ話」にしても…普通は、ギャラリーである病弱な男の子に配慮して、わざとピンクには負けてあげるモンだろうが、そこに手抜きがないのが美輝らしく。
その徹底ぶりにより、ピンクが「特撮ヒロイン(柄悪いが)」として開眼していく構成になっている所など、実に上手い。
 ただ、もうちょっと看護婦の乱入が遅かったら、バーサーカー・モードに入った美輝によりピンクもヘルズバニーも一掃され、「イイ話」を台無しにされていた恐れが。
走り出したら止まらない、容赦なきバトル一筋娘ぶりが徹底していて、非常に結構。

 前回の、美輝と めぐみが互いの店を訪れ合う話も楽しかった。
 めぐみの店で売っているパンは存外に美味い、という事に美輝が気付くシーン。
しかし、ずっとライバル店として目の前にあり続けたのだろうに、敵情視察とか そういう概念は…無いんだろうなー。
 あのパン屋では、誰がパンを焼いている?
画面には登場していない…ような気がするけど、ちゃんと親が居るのかな。

 見続けていると、凶悪な話ばかりなのに、不思議と「癒し」すら感じられてしまう変なアニメ。
基本的に、下町人情物の形態を取っているせいか。


2006年8月24日 木曜日

『ひぐらしのなく頃に』19.「目明し編 其の四 仕返し」

 うわー、うわー、凄すぎ。
テレビ東京なら、納品拒否、放送中止にもなりかねない壮絶な内容。
 不安と不信と怒りから、魅音にスタンガンの一撃を食らわせ、拉致する詩音。
ここまではまあ、このアニメとしては普通だと思うけど、彼女は老婆・お魎にまでスタンガンを当ててしまう。
 そこから始まる暴走。
お魎に真相告白を強要しようとするが、何と彼女は先の電気ショックでアッサリと亡き者に。
しかし詩音の怒りは死をもっても止められない。
既に遺体となった老婆の体に、悪鬼の如き顔で激しい鞭打ちを浴びせかけ、それでも気が済まないのか車イスに座らせたその体を蹴りつける蹴りつける。

 確かに、魅音・お魎辺りを頂点として行われる(?)お社様の祟りは非道だし、残酷で、さんざん恐怖を与えた末に対象の命を奪うような容赦の無いものだから、それへの復讐は、少々度を超していても「カタルシス」として機能するけれども、さすがにコレは…
 「顔で怖がらせる」ヒキョーなネタが多いアニメ版だが、鞭を振るう詩音の狂気に満ちた顔は、その中でも屈指の恐ろしさ。
「お社様」のような超常の存在に関わっておらず、自らの意志で出現させた「鬼」なので、醜悪さも一際。

 ブラックというにも黒すぎるユーモアが満ちていて、不思議と、見ている間ずっと半笑いになってしまう。
いや本当、頭がイッてしまった詩音の恐ろしさは、「恐怖」と「ギャグ」の丁度境目にある表情を見事に描き出す作画のお陰もあって、妙に楽しくなる仕上がり。
 うーむ、しかしこの回は、誉めれば誉めるほど、こちらの精神状態を疑われそうだなあ(笑)。
 詩音は、殺される、あるいは お社様側に堕ちる前に、いくらか謎の真相へと肉迫してくれるのだろうか。


2006年8月23日 水曜日

 掲示板、復活。
 広告書き込みを行う業者のリモートホストを、次々とアクセス規制設定に追加しておりましたが、そこに何かマズい物を加えてしまったのか、登録しすぎて限界数を越えてしまったのが原因だったようです。
登録した規制の設定を全部消去したら、元に戻りました。
 うー、こうなるともう、広告に関しては手の打ちようがないですね。
手作業で、見つける度に消していくしか。

 そんなこんなで騒いでいるウチに、気が付けば6000000アクセスを越えておりました。
 脳も弱り気味なオッサンが ええ加減な事柄を書き散らしているだけであり、仕事の〆切が迫れば何日も更新を休んでしまう無責任なHPなのに、こんなに盛況でいられるのは全て、見捨てず御贔屓にして頂いております皆様のお陰、と感謝を新たにするばかり。
 今後とも、ムリを生じない程度に頑張って参りたいと思いますので、宜しければ末永くお付き合いを お願い致します。


2006年8月22日 火曜日

『ガイキング』34.「NEXのはらわた!!狼の街に天使の接吻を・・・」

 前回と合わせて感想。
 大空魔竜の援護を得られぬまま、不完全な地上の技術で頑張るダイヤ達の活躍を しばらく描いていくのかと思っていたので、割とあっさり全員集合してしまうのに拍子抜け。
もうちょっと苦労させた方が面白かったような…
 でも、ダイヤの親友・ナオトの「全く普通の少年」な視点を通し、大空魔竜搭乗員達の特異さを再度 印象づけてみたり、追い込まれて意外な才能を発揮するナオトによるカタルシスで見せたり、やっぱり上手い構成。

 今回は、ディックと、権力側にも強大な影響力を持つ その父との因縁。
 冷徹な商売の見通しにより、大空魔竜を見捨てる父のシビアさが凄い。
これから待つ厳しい戦いを思えば、「裏切り者は殺す」ぐらいの姿勢が必要なんだろうけど、ルル艦長に そんな決断など下せるはずもなく。
 てっきり前・後編ぐらいに分けて、じっくりエピソードを描いて行くものかと予想していたので、急転直下にまとまってしまったのは意外。
ダラダラされるよりは ずっと良いが…この父と、ディック、そして大空魔竜の関わりについては、もう少し丁寧に見せて欲しかった所。
まだこれから、フォローが成されるんだろうか?



『ケモノヅメ』03.「しょっぱい新月の夜」

 真面目なんだか ふざけてるんだか、なかなかに掴み所のない作品。
 俊彦父の葬儀で、鬼封剣の使い手達の只中、由香が食人鬼だとバレてしまう所や、穏やかな電車中の会話など、ごく普通に見られるシーンがある反面、何気なく身長十数メートルの巨大探偵が街中を歩いていたりして、どう受け取って良いか困ってしまう場面も。

 絵柄からしてそうだけど、とにかく見る人を選ぶアニメ。
アクションでもホラーでもシリアスでもコメディーでもなく、しかし どの要素もちょっとずつ入っている。
これを、「ごった煮の楽しさがある、全てに贅沢な作品」と取るか、「どれも中途半端」と取るか。
 ホテルで興奮の余り食人鬼に変身してしまい俊彦を殺そうとする由香、というシーンがあったが、てっきり「俊彦の、彼女への不信が見させた夢」として処理すると思っていたのに、現実。
こういうパターンの外し方も、油断できない要因。



 現在、掲示板にエラーが発生しているようです。
ウチだけではないようなので、ホスト側の問題でしょう。
 慌てず気長に復旧を待ちたいと。


2006年8月21日 月曜日

 終戦記念日に放送されたアニメスペシャル『焼跡の、お菓子の木』を見る。
 とにかく、キャラクターがいかにも「教材アニメ」然としており、作画も全体的に良いとは言えず、大きく視聴意欲を削がれてしまう。
美形にしろとか萌えキャラにしろとか無茶は言わないが、シンドイ話なんだし、もうちょっとクオリティーを上げて視聴者の心を掴む努力をした方が良いかと。
 「見た者を楽しませる」アニメじゃなくて、「辛かった戦争体験を聞きなさい」という姿勢で作られているのだから、コレで構わない…とか考えるのなら自由だけど、とにかく見てもらえなければ何も伝えられない訳で。

 例年、ストーリーに破綻が見えたり演出が意味不明だったりして、余り出来が良いスペシャルとは言えないシリーズだが、今年はまあ、特に大きな問題は無い構成。
 地獄絵図の空襲シーンが、突然「絵(黒田征太郎って人のなのか)」になる辺り、面食らってしまうけど、これもシリーズで繰り返している演出だから慣れてしまったし。

 戦時下では貴重なお菓子だったバームクーヘンを、「お菓子の木」に見立てるのが、今作のアイディア。
 亡くなった子が植えたバームクーヘンのカケラをお菓子の木の種として、芽吹き、大きな木に育った それをみんなで(死後のイメージとして)食べるのがクライマックスだが…
「飢え」というのが、余り上手く演出できていないので、ここにさほど意味を見出すことが出来ない。
主人公の少年らが畑にイモを盗みに行くシーンにしても、それは「秘密基地でみんなと食べるため」という切迫感に欠けるものだし(いや、現実の子供達はもちろん必死だったんだろうけど、画面からは伝わらない)。
 いい歳のオッサンである自分が こうなのだから、このアニメを見て欲しい層だろう子供達だと、更に「飢え」を実感できないんじゃなかろうか。

 「飢え」か「戦火に巻き込まれる子供達の悲惨さ」、どちらかにテーマを絞った方が良かったかも。
これでは漠然とし過ぎていて、見終わって親子で何を話せば良いのか、困ってしまわないかなあ?



『仮面ライダーカブト』29.

 謎のライダーが現れ、ワームとZECTの共謀が明るみに出て来た、この大事な時に、毎度お馴染みのバカ話 前・後編(なのかな?)。
 いつもより暴走する馬鹿馬鹿しさに、大笑い…と行きたかった所だが、アチコチ「無責任なギャグ」に徹しきれないストーリー性が見えてしまい、少々中途半端な出来。
個人的には、もっとデタラメな内容になっても構わないから、笑わせて欲しかった。
大介とメイク勝負をしたお兄ちゃんが、何気なくメイク道具を消化器入れに突っ込んである、あの辺の小ネタの方が下らなくて楽しかったような。
 黒包丁とかワーム料理人とか、今回はネタの仕込みが行われただけなので、ギャグが花咲くのは次回?

 剣の正体が露見。
このタイミングでバラすか…
 何しろギャグ話の只中なので、「加賀美の見間違いだろう」ぐらいで一時スルーしてしまいそうな危険性( ^_^ )もあり、先が読めない。


2006年8月20日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』20.「総監の伝言」

 うっかりとしたトリヤマ補佐官の失言から始まる、基本コメディー話。
マル補佐官秘書の頑張り、研究所の変な所員達など、所々に楽しい部分があり、悪くはなかったが…
 「上司と部下の関係」を描くため、怪獣にも上下関係を設けたアイディアは素晴らしかったものの、どうも上手く扱えてはいなかったような。
怪獣達の関係が即席であること、補佐官が余りにも頑張らないこと等が原因かと。

 まあ、怪獣に「上下間の愛情」なんてものを描き出しては、単純に倒して終わりにするのが難しくなる事情もあろうけど。
 せめて補佐官と秘書の関係は、「ダメな二人が頑張り合い、怪獣を倒す方向に努力する」描き方にしていれば。
例えば、誘導装置の回路を逆転させることで怪獣達を同士討ちに導く計画を立案する秘書、しかしそれには多大な危険が伴う上、機器に付加が掛かりすぎる事で施設を破壊してしまう。
責任の取り方について逡巡する補佐官だが、自分を信用して欲しいという秘書の言葉に、半泣きになりながらも全てを引き受ける決断を下す…
とかいうような。

 補佐官が余りにもダメダメすぎるため、秘書の行動とか総監の伝言として誉められる場面に、気持ちが入らない。
「ダメなんだけど、何故か憎めない補佐官」というキャラクターは伝わるし、これまでのシリーズに登場した、場合によってはウルトラ戦士達の危険さえ無視した作戦を強要する上官に比べれば、マシな人間だと思うが。
 補佐官が「男」を見せるのは、もうちょっと後のことなのかな。

 「姿を見た者が少ない、総監とは?」というのが本当の軸か。
 秘書が一瞬、意味ありげな表情を見せた事で、もしかして彼?と思ったがコレは違い、そうすると妥当な線では隊長が総監と兼任している、とかかな。
そうなると、隊長 兼 総監 兼ゾフィー(初代マン?)では兼任しすぎだと思えるので、「実はウルトラマン」路線はナシに?



『ゼーガペイン』20.「イェル、シズノ」

 サーバーが破壊されても、舞浜のデータが無事だった理由判明。
 事前に引っ越ししてました、という訳で、それ自体は拍子抜けするような種明かしだが、移転先が敵本拠地…元・本拠地だった月、という持って行きようは意表を突いている。
 京達も、もう少し疑問を感じて良いような。
月までどうやって運んだのか、運ぶ事は出来ても依然警戒厳重な月面基地にどうやって侵入をし、さあどうぞと空きスロットを用意してくれているとは思えない施設内で どう電源を確保し設置したのか…そもそも、移転は いつの事なのか。

 一つ謎が明かされると、付随するまたいくつもの謎が見えてくる、見る者を飽きさせない構成。
どれだけ膨大な設定書を作ったんだろうか。
 「作っただけ、あるいは大量の設定に自家中毒」という作品ならいくつも見てきたけど、視聴者の興味を喚起しながら、小出しに見せていく構成がこんなに上手く行った作品は、『エヴァンゲリオン』以来かも。

 京と紫雫乃の過去が、ある程度明らかに。
 もしかして京自身が、世界をこんな姿にした元凶の科学者(あるいはその息子とか)なのかも。
計画の全てを管理して進めていたつもりが、機械に・誰かに裏切られ、追われた事で人類側に与する事になった。
 そう考えると、月面ベースへの侵入や、サーバーの設置が行えた事も納得できる。
紫雫乃が語る、記憶を失う前の京の性格が沈みがちであった事も、かつての自分との関係を忘れてしまった京に対し それを思い出させようとしない彼女の気持ちも、「それと共に思い出してしまうだろう、背負いきれない自責の念」を思えば、理解しやすい。
 舞浜サーバーは、「彼の最も楽しかった高校時代」を再現する目的で形作られている…としても面白そうだけど、基本設定と強烈に矛盾してしまうか。
 この設定だと、どことなく『ダイターン3』っぽいな。
 色々と勝手な妄想をしてみたくさせるのは、対象が面白い作品である証拠。


2006年8月19日 土曜日

『コヨーテ ラグタイムショー』07.「反逆のマルチアーノ」

 前回、銃撃を受けてかなりの重傷を負ったものと思われたミスターだが…
「麻酔薬無しで」という所に根性を示してはいるのだろうけど、割と適当な治療を受けただけで元気にスグ復活されては、「段取りの一つ」と感じさせられてしまい、印象に残らないイベントとなってしまいそう。
 ミスターが機能しない状態での危機や、核を失ったチームの脆さを描くなど、せっかくのシチュエイションを活かすストーリー展開は いくらでも考えられたろうに。
 この作品が「ミスターというスーパー・オジサンを描くアニメ」なのは分かるが、彼の不在を通しても(通すことによって、より)超人ぶりは描写できたかと。

 ギルドの襲撃を受けるマルチアーノ一行。
 どうせなら、マルチアーノが お宝を入手したところで、その半分以上を「権利」として取り上げるなど、もっと悪辣な対応も取れたような。
容赦のない悪の組織、としての側面をギルドが失いつつあるそうだから、こんなモンなのか。
 強力なギルド艦隊に対し、真っ正面から戦いを挑むマルチアーノ艦。
というか、戦闘機三機(プラスお母ちゃん一機)ばかりで状況を逆転できたみたいだけど。
 戦いに勝てた理由を、ハッキリ示して欲しかった所。
「娘達の戦闘能力がズバ抜けているから」なのか(ミスターとの戦いぶりを見ていると、そうでもないけど…)、「戦闘機性能がギルドより遙かに優れているから」なのか(そんな事はギルドも分かっていただろうに、油断しまくり勝ち誇っているギルド幹部の態度が解せない)、「ギルドが驚くぐらい無能だから」なのか。
 娘達の恐ろしさは、機能的優位性と言うより、どこでも誰でも構わずブッ放して破壊し殺す非常識さと、自らの損傷を勘定に入れない無謀さ加減にあると思う。
普通に戦っても超絶に強いです、というのでは、かえって魅力を損なってしまいそう。
いっそ、マルチアーノの脅し通り、敵司令官のヨメ子供を人質にとって勝利するぐらいのド汚さを見せつけても良かったかと。

 体の修理をしてくれるドクター(生みの親でもある?)には、いつもの殺人鬼ぶりから想像も付かない程、娘っぽい穏やかな表情を見せる姉妹達。
ここは何というか、一種ツンデレな描き方であり視聴者も喜ぶポイントだろうから、続けて欲しい。
ドクターが もうちょっと男前なら、「マルチアーノお母様と結婚してパパになって」ぐらいの甘えぶりを見せるのも楽しかったかも。
 ただドクター、「これが終わったら、またみんなで買い物に行こう」なんて死亡フラグを立てていたから、娘達かドクターか両方か、片付きそうではある。

 マルチアーノ・ママ。
 海賊王の遺産を狙っているのは、単に「お宝だから欲しい」ではなく、彼女が彼に抱いていた特別な気持ち…彼を殺す事によって断ち切られた…を埋め合わせる目的もあるのか。



『生物彗星 WoO』最終13話.「未来への絆(きずな)」

 現在、連続放送で鑑賞中の方は、最終回の内容に触れる感想になっておりますので、御注意。

 最後の敵はアレで良かったのかどうか…
地球人への怒り(?)を持って来訪する怪獣達が居たのに、この敵は「アホな地球人が自らの意志で変身したもの」だから。
彼を倒して、ストーリー全体の締めとするのは、ちょっとズレているような…
 元々怪獣達には怒りも憎しみもなかったが、彗星状態時、地球人から向けられた悪意の攻撃により変質させられてしまった、と考えれば、同じく地球人の悪意で変貌した怪獣が最後の敵になっても構成は変じゃない…のかな?

 割と盛り上がらない形でバトルに決着が付いてしまい、不満。
これまでヒロインが得てきた絆が最後に大きな力を与えてくれる…という辺りを、(一応やってはいたのだが)もっとあざとく、徹底して描いた方が良かったのでは。
 怪獣に喰われた人々の運命についても、かなり ぬるい終わり方になっていて、物足りない。
こういうジュブナイルなラストが決まっていたのなら、そもそも最初から、命が失われていく戦いに「しない」手もあったはずだし。

 作品のテーマだったのだろう「少女の成長」や、「異生物との友情(愛情)」「他者との関わり」にしても、シリーズ中盤ぐらいで既に描き終わっているように思え、後は同じようなことを繰り返しており、大きく中だるみ。
 「人命より、目の前の任務を優先する組織」「その組織を上から押さえつける米軍」など、ハードな設定を作っておいて、結局は魅力の無い悪役アメリカ将校一人に責任を おっ被せ、「実は他の連中は結構お人好しでした」としてしまうのも、ジュブナイルにしたって軽すぎ、感心しない。

 個々のエピソードでは面白い物もあったし、特撮も頑張っており、「『ウルトラマン』とは違う作品を作りたい」意図も理解できるので、見続けて損をしたとは思わないが…
 意あって力足らず、未消化な部分が多々見えてしまう。
 同じようなテーマを、『ウルトラQ』どころか現在放送中の『ウルトラマンメビウス』でも工夫すれば伝えられると思え、基本となる設定に凝ってみた価値には、疑問符。
 もう一歩踏み込んで欲しかった、残念なシリーズ。



 予定していた日にちを大幅に過ぎて、原稿が一本終了。
 コミケ疲れが出てしまい、仕事中、イスに座ったままの うたた寝を繰り返したりなんかしてしまったのも、敗因の一つ。
もうジジイで、体力も衰えてるんだから無理ない無理ない、と自己フォロー。
 すぐに次の〆切に向けて お仕事開始。
でも…ちょっとだけ休みたい。
 買ってきたり頂いたりした同人誌も、まだまるで読めてないし…


2006年8月14日 月曜日

 コミケ疲れが体に現れてきておりますが、ヨロヨロのまま〆切前スケジュールに入ります。
 水曜…木曜日ぐらいまで、更新は難しくなるかと。
あしからずご了承ください。


2006年8月13日 日曜日

 コミケでした。

 昨日から今朝まで、コピー誌を何とかしようとあがいておりました。
出来たのはヤクザなシロモノでしたが……それでも欲しいと言って頂ける方が多く、すぐ売り切ってしまい、刷り部数の少なさを申し訳なく思うばかり。
 冬コミケは、きっと、もっとマトモな本を出したいと、毎度の事ながらグダグダに終わったばかりのコミケを反省しつつ、思うことです。

 わざわざスペースをお尋ね下さいました方、ありがとうございました。
 以前も申しました通り、ぼくは特にコミケ会場では ぼーっとしているのが常であり、しかも今回は前日寝ていない上に暑さでフラフラになっていたため、妙な対応をしてしまったかも知れませんが、決して悪意あっての事ではありませんので、「しょーがねーなー」と受け取って頂ければ幸いです。

 では、疲れが限界に来ましたから、ちょっと寝ます。


2006年8月11日 金曜日

『ゼーガペイン』19.「ラストサパー」

 ルーシェンにより、行動の自由を奪われてしまう紫雫乃。
彼女らが送った情報により、舞浜サーバーが襲撃の危機に瀕していると言うのだが…

 何が本当で何がウソなのか分からず、最後までドキドキさせられてしまった。
 人類全体の危機的状況を考えれば、裏切り者が出ても不思議はない訳で。
敵側と密約を結び、そのテクノロジーで生身に変えてもらい地球のどこかで平穏に生きさせてもらう、もしくはサーバーの一つだけを保護してもらい そこで寿命まで生き続ける、等、条件によっては寝返りを考える者も出るだろう。
 結局は「罠」であり、裏切ったのではない…のかと思うけど、舞浜サーバーを犠牲にする可能性もあったと考えると、肉を切らせて骨を切るにも代償が大きすぎ、一種「裏切り者」と言われても仕方ないな。

 サーバーを背にして見せるゼーガペイン必死の防衛戦は、緊張感があって引き込まれる。
 その片腕に機能を移植して、パンチ一発でデータを吸収し切る…というのは若干 便利過ぎな気もしないでもないが。
このまま無傷で勝ってしまったら、「都合」というモノが見えてくる所だけど、追い詰められた敵による決死の逆襲(自爆してしまえば人類側にこれ以上データを渡さなくて済む、という読みも?)でサーバーに巨大な損傷が…というバランスの取り方が、見事。

 サーバーに損害を受け、舞浜の街中に巨大な爆発が起きてしまう。
しかし、街は無事?
 むーうー、分からないなあ…意表を突かれた展開過ぎて、思考停止。
 実は、舞浜サーバーに「人類の敵」とされる科学者がおり、そのため二重三重の安全策を講じてあるとか?
 まだまだ、真相の設定が隠されていそう。



 アニメ映画『時をかける少女』雑感。前にざっと書いたものの続き。思いつきで。
 思い切り内容に触れております、未見の方は御注意。


 ヒロイン・真琴は、もちろん元気で前向きで良い子なんだけど、ある部分ではザンコク。
 彼女が調理室事故の当事者を入れ替えてしまったため、イジメられる事になった男子が居るが、真琴は、時を越える自分の行いがもたらした結果に驚き、同情もしたのだろうと思うけれど、彼のために もう一度 事件をやり直そうとはしない。
他の、もっと つまらないと感じられる事情のためには何度も時を行き来するのに。
 それは、彼女が「無計画に時を遡る危険性」に気付き始めていたから、でもあろうが、そのクラスメートに そこまでの興味を持っていない、という所もあるのでは。

 仲良し三人組の一人、津田功介に対する態度も、同じく。
 彼が自分に寄せる好意に、(いくら鈍くても)彼女が気付いていないはずはなかろうに…最終的決着の付け方など、「あの後輩があなたのこと好きみたいだから、仲良くしたら」と言っているようで、凄くアッサリ・サッパリ。
 いや、「あなたのことは嫌いじゃなくて、私も好意を持っているんだけど、恋人になれるかって言われると困っちゃう、でも今の関係を壊すのは嫌なのよ」みたく、萌え系作品にアリガチな曖昧で居心地の良い態度を取り続けることが「優しさ」なのかというと、当然ながら違う訳だが。
 『魔法の天使クリィミーマミ』主題歌の一節「興味ない人と、一秒も一緒に居られない、私達」を、ふと思い出してしまう。
恋する乙女は、懸命で純粋で、残酷。
対象外の人間に、割く時間など無い。
 その「痛み」がまた、凄く青春っぽいなあ、と感じる。

 ところで、時間をやり直すことになった彼女は、いずれ調理室事件にも再度遭遇するはずだけど、その時はどうするつもりなんだろ?
一番最初の状態から変えてしまうと、また取り返しが付かない事態を巻き起こす可能性があるかと。
しかし、既に起きることを知っている彼女が、危険を冒して何もかも一人で背負い込もうとするかなあ…
 どうすりゃ良いのか、難しそう。


 未来人が見たかった絵って、何だろう?
設定的に、無名画家の絵じゃなく、いっそダヴィンチとかゴッホの誰でも知っている名画が未来では紛失しており…とかいう事にした方が「価値」は分かり易いんじゃないか、などと思えて。
 で、考えているウチ…ある時期にだけ出逢うことが出来、その前も後も縁がなく、誰にとっても価値がある訳ではないが、自分にとっては万難を排しても見たい・逢いたい存在。
…それは「恋」ってモノじゃなかろうかと。
 どうやら社会環境が激変し、現在のようなコミュニケーションが成り立たなくなっているらしい、彼の未来。
彼が現在にやってきたのは、絵に「恋」をしたから、絵を追い掛けて こんな時代にまで来てしまう情熱をもって「恋」としたかったから、では。
 だから その想いは、真琴への告白で、あるいは彼女の友人との交際によって、代替が効いてしまう。
 誰かとの恋を成就させた後の彼は、もう絵に余り拘らないんじゃなかろうか。


 時間跳躍能力をチャージするクルミ(?)。
これを真琴は最後に割ってしまうんだけど…何で?と思っていた。
 アレは未来人のモノなんだし、何かあった時のため そのまま渡した方が良かろうに、と思えて。
真琴がチャージした後のため(あれ?チャージ前時点だっけ?)、既にエネルギーがカラになっているので壊そうが関係ないのかも知れないが、それにしても目の前で潰さなくたって…
 というような事をウダウダと考えていた。
 それで、ふと思ったんだけど…
未来人には、元居た時代に帰るため一回分の力は残っている。
だから、それ以上のチャージは必要ない。
 彼が正体を明かした時、どこかへ消えてしまおうとしたように、時間旅行者の自覚に欠けている行動が目立つようでありながら そういう所は律儀なので、あるいは跳躍能力を一回以上に増やせたなら、事故による真琴のチャージ以降の出来事…それどころか彼と彼女の出逢いそのものから「無かったこと」にするのが可能。
 クルミを割ったのは、「あなたと出会った、本当の あなたを知った、この時間を、無かった事にしないで」という意思表示だったのかと。
 いや、鈍い話で、こんなの普通は見た瞬間に分かるのかも知れないんだけど。


 自分の理解力には絶対の不信を持っているので、何とか、出来れば劇場で、もう一回見直して色々と確認してみたい気持ちに。
まだ一杯 誤解したり、浅い理解で済ませたりしていそう。


2006年8月10日 木曜日

 声優の鈴置 洋孝氏が、亡くなる
 『ガンダム』ブライト・ノア、『ダイターン3』破嵐万丈、『ゴーショーグン』北条真吾 等々、代表作には事欠かない方。
冷静で理知的な声も、軽妙洒脱な声も、自在に出せる方だった。

 幾多のシリーズを生き抜いてきたブライトさんのように、無敵を誇る破嵐万丈のように、まだまだずっと生き抜いて、ファンを楽しませて欲しかった。
 『ガンダム』は、マ・クベ、セイラ・マスの声優さんも亡くなっているが、今また、大きな主要キャラの声を失ってしまった事に。
 氏が命を吹き込んでこられたキャラクター達は永遠…とはいえ、やはり どうしようもなく寂しい。

 ありがとうございました。
 ご冥福をお祈り致します。


2006年8月9日 水曜日

『コヨーテ ラグタイムショー』06.「激闘」

 ミスター一行、一応は作戦に基づいた行動を取っていたのだが、結局グダグダのまま力業での脱出。
一枚上手なミスターが見たかったように思うんだけど、まあ、それだけマルチアーノと十二姉妹が恐ろしい相手だって事かな。
 ビルの隙間に隠れたミスター艦を いぶり出すため、手当たり次第ビル街を破壊して回ろうという、乱暴な十二姉妹が楽しい。
知性より、悪意に溢れた凶暴さで相手を追い詰める、「彼女達が通り過ぎた後にはペンペン草も生えない」厄介な少女達であり続けて欲しい所。

 十二姉妹の体は機械仕掛けみたい。
だったら居なくなった(アンジェリカに捕らわれた)一人も、作り直してしまえば済むような。
 ボディーは、かなり破壊されたってスペアがあるのか すぐ交換できてるみたいだし、データのバックアップさえあれば問題なく。
バックアップが無く、その子がデータの蓄積などゼロの状態から姉妹に加わるとしても、他の少女達のデータを調整する事によっては自然に「姉妹」と受け入れさせられるだろうし。
 これが出来ない、あるいは「していない」のは、実は彼女らが本当の姉妹だからではないか、と妄想。

 設定を勝手に色々。
 彼女らは「普通には生きていけない状態」で、母・マルチアーノから生み出された実の姉妹。
母は、血の繋がり以外 何も信じない(娘達すら本当には…)女なので、そういう子供しか生み出せないことを知っても、自分の手足とすべく娘を作り続けた。
 各人が抱える生来の欠損は、機械に置き換える事で命をつなぎ…常人より遙かに高い戦闘能力を持つに至った。
そのため、ボディーだけならいくらでも換えられるが、生身の部分である脳が破壊されてしまうと、もう再生不可能。
 娘を作るため、マルチアーノは優れた遺伝子を、娘一人につき一人の男性から得ている。
それは、実際の行為によっても良いし、無断で採取した細胞から、という事でも。
姉妹の中には、フランカ父の「娘」も、ミスターの「娘」さえ居る。

 …というのはどうだろ。
ヤヤコシイ話になるだけで、一クールでは消化し切れなさそうだし、ムダか。



『ゼロの使い魔』06.「盗賊の正体」

 盗み出された破壊の杖を奪回するため、ルイズ達一行が出立。
 旅模様には前後編ぐらい使い、キャラクター各位のデコボコな掛け合い漫才を見せ、内面を多少なりと掘り下げてみるなどしても良かったような。
割とアッサリ隠し場所にたどり着いてしまう。
悪役側の目論見があった訳で、ウロウロせず早く着いてもらわなければ困る状況だったのだろうが。

 今回は、ルイズの魅力が前面に。
これは良いツンデレですね(笑)。
 突っ張っていた女の子が内面の弱い部分を見せ、それを男の子が受け入れ、女の子はまだ多少の抵抗感を残しながらも彼への好意を外に出し始める。
ツンデレなキャラの旨味が、最も強く感じられた回、になるんじゃなかろうか。

 少々破壊されても すぐ復元できるゴーレムだが、ロケットランチャーには脆い。
これは、「ロケットランチャーって、現実に凄い破壊力を持っているから当然」なのか、『聖戦士ダンバイン』で現実界に出現したオーラバトラーの武器がバイストンウェル時より数段上の威力を発揮してしまったように、「世界の差」がもたらした超常のパワーなのか。
後者なら、銀玉鉄砲でも、ジョン・ウー映画の拳銃弾みたく、相手を数メートル吹き飛ばすような衝撃を与えられるかも。
 今時 中学生でもそんなに喜ばないエロ本で、いい歳の大人が大騒ぎしていた所からすると、やはり現実界のモノはこの異世界で大きな破壊力を持つ?
いや、こちらは「文化の差」というだけの事だな( ^_^ )。



 九州の人には「何を今更」なんだろうけど、知らなかったので。
 なんか、萌え、というか名作劇場キャラ風
 キャラクター設定を見ていると、これはコレで普通にアニメ化とかもアリだなあ、と思える。
こういった凄まじく地味な題材でも、面白く見せられる脚本とか演出の力が、今のアニメ界に最も欠けている要素じゃないかとは思うけど。


2006年8月8日 火曜日

『ARIA The NATURAL』19話A.「その 泣き虫さんったら・・・」19話B.「その 乙女心ってば・・・」

 相変わらず、何という事もない穏やか癒し系話。
 風邪で練習を休んでしまう藍華。
それは暇で気楽で新鮮な体験だったが、「自分が居なくても問題なく回っていく世間」というものに気付き、不安を感じる切っ掛けにもなってしまう。
 …こういうのは、もっと早い年齢で思い当たるべき事のような気もするけど、灯里やアリスを心配するほどには大人になれてない藍華だから、まあ。

 ふと、AQUAって「この世とあの世の間」に位置しているんじゃないか、などと妄想。
 アイが この星に住めないのは、何度か死と生の間を さ迷いながら、まだ現世に命があるから。
 あの世へ、あるいは次の転生に向け、順番が来るまでの時を過ごす場なので、誰もアクセクしていない。
猫が人間のように行動したり、巨大猫が優れた知性を見せたりする不思議も、そう考えれば納得。
 住人達、自分ではそういう特殊な場に暮らしている自覚があるのかどうか。
『灰羽連名』的な世界なのかも。
 ヒロインらが憧れ、目指す「ウンディーネ」という仕事も、「三途の川の渡し人」と捉えてみると妙に符合。
 あ、いや もちろん冗談として。

 寝てばかりで退屈を持て余す藍華。
 考えてみれば、この世界には「テレビ」ってモノが無い…よね?
あるなら、それを眺める事で、かなり暇が潰せるはずだから。
 確かに、娯楽性と即時性に優れすぎているため、この世界には無用のアイテムだと思う。



 NHKスペシャル『プラネットアース』の再放送を見る。
迂闊にも本放送は見逃していたため、これが初めての鑑賞。
 うわー、凄い。
どーやって撮ったんだコレ?という映像の連続。
一時間、画面から目が離せない。
 海面上に全身を晒してジャンプするホオジロザメのショットなど、夢に見そう。

 NHK、しょーもない事もするけど、金と時間を膨大に費やして こういう番組を作ってしまえる所は、ただもう凄いとしか。
 木曜日まで毎日、夜7時半から放送されるそうなので、未見の方はちょっと見てみると良いかも。



『となグラ!』05.「ゼッコーするからっ!」

 エロ大好きで おバカな男の子が大暴れし、ゆるいギャグと お色気シーンを連発する事で どうにか視聴者を離さずストーリーを進めていく、そんなタイプのアニメになるものだと思っていた(甘く見ていた)ので、今回の細かい作りは嬉しい驚き。
 勇治をよく知っているつもりで、その実まるで知らなかった事に気付き、彼と気が合う ちはやと、彼女の前では普通に男の子らしい面も見せる勇治に、置いて行かれたような気分を味わい、不安と寂しさで苛立ってしまう香月。
 まだ勇治への気持ちは「気の合う友達」ぐらいであろうが、彼と素直に楽しく過ごし、しかしそれが親友を不安にさせている事にまでは気が付かない ちはや。
 珍しく香月を気遣うそぶりなど見せたものの、苛立ちを受け止めてあげられる程には大人でなく、結局は思い切り衝突してしまう勇治。
 三者三様の感情の流れが分かり易く、上手く捌いて描かれており、ハラハラさせられてしまう。

 物語をスッキリさせがちな妹・まりえを「眠ったまま」にしてしまう、思い切りも良い。
 初音は、非常事態になれば介入しそうだけど、かなりの所まで面白がってしまうだろうから、アテにならないなあ。

 別段、深刻な作品にはならないと思うので、じきに仲直りするはず。
 その時も、ご都合主義やギャグのみに頼らず、細かな心理描写による説得力があると嬉しいかな。


2006年8月7日 月曜日

『N・H・Kにようこそ!』05.「カウンセリングにようこそ!」

 美しい先輩・柏瞳は、かなり電波な妄想の持ち主。
 こんな感じで「陰謀」を中心に自分の世界を語る同級生…大学時代に実際、居た。
残念ながら その相手は野郎だったので、このアニメのような ちょっと嬉しい関係などお断りであり、余り仲良くならないまま卒業していったけど、今どうしてるのかなあ。
彼の人生に悪影響を与え続ける者達と、まだ孤独に戦い続けているのだろうか。

 電波だろうと何だろうと(この作品世界中では、「陰謀」は現実かも知れないが)、美人は美人、初体験は初体験。
パッとしない男にとって、凄まじく巨大なイベントだったことに違いは無く。
 彼女と逢う事で 引きこもり脱出を決意した、という事は、所詮は触れ合えない架空の存在である美少女キャラよりも、肉体を持ち干渉できる「リアル」な存在の先輩の方が、やはり現実に引き出すには有効だった、という事か。
 美少女キャラから先輩への鞍替えは、「商業ベースの妄想」から「個人的な妄想」に移っただけ、って気もしないではないが。
 恋愛も、詰まるところ互いの脳内にしか存在しない「妄想」が いくらか合致した瞬間に現れる事象に過ぎない、とか何とか分かったような事を言ってみたり。

 岬、何か引きこもり脱出のための超越手段を持っているのかと思えば、心理学などをチョイと囓っただけの にわかカウンセラーなのね。
 フロイト的分析法を逆用し、岬をイジメる佐藤。
お姉ちゃん、これぐらいの事でオタオタしているようじゃ、引きこもりはおろか普通の小中学生相手にカウンセリングも出来やしない。
 彼女もまた、現実と上手く折り合えない人間みたいだなあ。

 ギャルゲーを完成させる事で、今よりマシな自分になろうとする佐藤の決意は立派。
これから、ゲームクリエイターを目指して頑張る感動モノにも出来そうだけど、それほど単純な作品じゃないんだろう。



 業務連絡。
 今月末発売分で、「ペンギンクラブ」のお仕事は しばらくお休みとなります。
これは、先月出版された「コミックシグマ」誌が、来月末から月刊誌としてスタートするのに伴い、そちらに お仕事の場を移すためです。
 「ペンギン」から縁を切られた訳でなく、何かモメた訳でもなく、穏やかな移籍。

 少し細かく言うと、「ペンギン」は辰巳出版の雑誌ですが、その編集はプロダクション・コミックハウスが請け負っておりました。
そちらの編集業務が今月分で終了し、ぼくの担当さんなどが そのまま、今後は茜新社の新雑誌「シグマ」の編集を行う、という事で、そちらでも引き続いて お仕事をしませんか?というお誘いを頂いたのです。
 「ペンギンクラブ」は、その創刊号から関わってきた雑誌であり、思い出・思い入れは誰にも負けないぐらい強くあります。
本当なら、「シグマ」と並行して お仕事を続けさせて頂ければ最も嬉しいのですが、手の遅い自分には なかなか難しく。
心を残しつつ移動と相成りました。

 ご面倒をお掛けします、9月以降は、「コミックシグマ」の方で、作品を読んで頂けますと幸いです。
 今月末の「ペンギン」には ぼくの漫画が掲載されている…と思いますから(現在作業中)、そちらも是非。
また、これより先の「ペンギンクラブ」にも、変わらぬご支援をお願い致します。



 ついでに(と言うとナニですが)、「快楽天BEAST」でも隔月連載をさせて頂いてますので、そちらも宜しく。

 もう一誌、読者コーナーのカット等を描かせて頂いてました「ゲーム批評」は、リニューアル…というより完全新生して「G-navi」という雑誌となり、創刊されました。
内容を見ると、前誌とは全く異なるライトなゲーム情報誌になっており、内容にそぐわないであろう読者コーナーが無くなったのも、納得。
 という訳で、こちらのお仕事は終了…かな。



 この流れで言う事ではないのでしょうが、「ゲーム批評」誌でイラストコラムを担当され、様々なゲームにも関わってこられた斎藤智晴先生が、先日亡くなられました。
 お会いしたのは僅か一度きりなのに、パワフルさと、サービス精神に溢れた お話ぶりが今も強く印象に残る、素敵な方でした。
 そのお人柄と、優れた絵の腕を強く惜しみつつ、心よりご冥福をお祈り致します。


2006年8月6日 日曜日

『仮面ライダーカブト』27.

 殺人犯の汚名を着せられてしまう大介。
 ワームの罠なんだけど、国家権力を利用してライダーの自由を奪う、こういうやり方はもっと早く学習・実行していても良かったような。
ライダーといっても、大介のように後ろ盾を持たない場合はともかく、加賀美や影山などZECTに所属する者については、上が動くことで指名手配を解除する可能性があり、ムダだ、という事まで考えて?

 「人に化けるワームの存在」は、いくら報道規制を強化しようとも、フツーに大勢の前に姿を晒したりしている以上、広まりそうなもの。
であれば、現行犯で捕まえる以外では、ワームが化けていた可能性があると考えられ始めても。
…こうなると、どんなに凶悪な本物の殺人犯が捕まったって「化けたワームの仕業です、ボクは無実です」と言い張れ、警察や検察の仕事は困難を極めるだろうな。
 いや、ごく僅かな例外を除き、普通の人については「本人が殺された後、ワームが化ける」ので、冤罪は存在しないのか?

 爺やが倒れた事で、自分が貧乏だった事実に気が付いてしまう神代。
それにしても、出前持ちのアルバイトじゃ時給が安すぎるような…
 重労働とか危険手当が出るような仕事をすれば。
何なら変身して…と思うけど、戦う以外の目的で変身する場合、ゼクターは来てくれるのかな。

 今回は脚本が井上 敏樹。
 だからといって演出には関係ないと思うんだけど、メイクアップ・アーティスト同士の空中必殺技激突、ホテルで大介を追っていく警官隊の最後の者が神代に出前の丼を返す親切さを見せるなど、アホなギャグが効いていて、いかにも「井上脚本回」だと感じさせてくれるのが不思議。
 氏が演出にどこまでも自由を許す性格だから、なのか、ちょっとふざけてみたい気分にさせる脚本なのか。

 ワームと手を組むZECT上層部。
 組織に属さないライダーの存在、そして隠された過去を暴かれる事は、ワームの悪行よりも恐ろしいと考えている?



『ケモノヅメ』01.「初めての味」

 劇場版『クレヨンしんちゃん』等で担当パートが一目で分かる強烈な作画を見せ、映画『MIND GAME』では監督も務めた湯浅 政明によるシリーズ。
 『MIND GAME』のイメージを引き摺る、とにかく独特な画面作り。
実写の動画に輪郭線を入れてアニメっぽくしてみたり、かと思えば手描きキャラクターに そのまま海を重ねてみたり、気の休まる暇がない。

 キャラクター自体、リアルっぽい者が居ればディフォルメのキツい者も居て、登場する猿なんて子供の落書き程度の線でしか構成されておらず。
 ストーリーにしても、店の中で人間を食べた話をする食人鬼達の『デビルマン』を思わせる不気味な会話あり、ちょっと馬鹿馬鹿しいパワードスーツを混ぜたアクションあり、親子兄弟の確執あり、イキナリで驚かされる えっちシーンありと、めまぐるしい。
 今回の筋だけを抜き出すと、「食人鬼と戦う一団の男が、偶然 女と出会い、激しく惹かれ合うが実は彼女も食人鬼」という、割とアリガチなモノなんだけど、とにかく視聴者を圧倒する演出と作画によるイメージの奔流に、オタオタさせられっ放し。

 男はまあ構わないにせよ、女性キャラが可愛くない所は、ちょっと弱点。
 あ、設定見ると食人鬼女性って三十歳なんだ。
三十路ヒロイン、というのも凄いなあ。
 HP掲載キャラ設定の横に、今後のストーリー展開がホイホイ書いてあるのにはビックリ。
先行きへの期待感で引っ張ろう、という気持ちが薄いのか。
画面だけでも客は付いてくる、と自信を持っている表れか。

 とにかく、余りにも独特な路線を行っているので、「好き」と「もう見なくていい」に視聴者を分けてしまうだろう作品。
 作画が崩れない限りは、最後まで付き合いたいと思う。


2006年8月5日 土曜日

『ひぐらしのなく頃に』18.「目明し編 其の参 鬼の血脈」

 この作品の謎を解くカギは、「対」という事なのかなあ、と、圭一の登場を見て思う。
彼は、詩音の前に、居なくなってしまった悟史と全く同じ形で現れる。
 詩音と魅音は双子。
 レナは、普段見せているボケた面とは裏腹に、恐ろしく鋭い知性を発揮したり、埋もれさせた悲惨な過去を体験した人格を抱えている。
 梨花も、その内側に違う人格を隠す。
 圭一と悟史を、表裏一体、重なり合う存在だと捉えると、ほとんどのキャラクターは二重人格的側面を持つ事になる。
 ただ沙都子だけが…うーん、豹変する人格、あったっけ?

 「お社様」というのが、誰もの内に潜むもう一人の、昏い、恐ろしい「自分」だと考えると、辻褄が合ってくるような。
こういう解釈を入れると、大抵の不条理な物語について謎解きが出来てしまう気はしないでもないが。

 今編は、綿流し編の裏側を描いている…と考えて良いのだろうか?
どうも毎度、ストーリーが色々に分岐しているもので、頭は混乱気味。
 鷹野ねーちゃん、出てくる度に意味ありげな事を言うなあ。
すぐ殺されるクセに(笑)。



 レンタルで映画『ナルニア国物語 第1章ライオンと魔女』を見る。
 『指輪物語』『ゲド戦記』と並び、世界三大ファンタジーの一作に数えられる原作を映画化したもの。
 監督は『シュレック』のアンドリュー・アダムソン。

 話の途中でイキナリ「サンタクロース」なんていう無茶なモノが出てきて、物語上かなり重要なアイテムを渡していく辺り、いかにも色々な童話をまぜこぜのボロカスにして『シュレック』を撮り上げた監督らしいが、これは原作通りなのかな。
こんなキャラを、構えず当たり前の顔をして、しれっと出せるセンスは、経験のある監督ならではだろうけど。
 サンタも、エルフやドワーフ、セントールやミノタウロスと同じく、人外の「種族」と言えるだろうか。
袋から様々なモノを取り出せる能力があるので、戦闘に参加してくれれば相当強力な戦力になったかと。

 衣装ダンスの奥に異世界へ通じる路がある、という設定は、引き出しの中がタイムマシンと繋がっている『ドラえもん』のように、子供の心をワクワクさせ、ちょっとタンスに籠もってみたい気分にさせる魅力的なもの。
 異世界の森とどう通じているのかの誤魔化し方や、木々の中にポツンと立っている街灯など、それを映像にしていくセンスが優れている。
 兄妹四人を「一団」とせず、それぞれにキャラクターを設定し、酷かった関係が次第に修復されていくドラマにしたのも結構。

 全編がジュブナイルのリアリティーで統一されているため、納得できない所も少々。
 オオカミと差し違えるまではともかく、普通の少年が戦列に加わって勇猛に戦うのはさすがにムリが。
魔法世界の「場」と、剣が力を与えてくれた?
 ライオンが辿る運命について、かなり説明不足であり唐突。
そういうものなのかな、と受け止めるしかない。
 どれも、「結果的に嬉しい方」に向かっている事なので、そんなに文句を言う必要は無いが。

 氷の川での戦いはアイディアが掛かっていて面白く、大軍勢同士の激突は『ロード・オブ・ザ・リング』のリアルさと また違った、色とりどりな画面の楽しさと迫力に満ちていて、素晴らしい。
 CG製動物キャラクターの扱いの巧さは、やっぱり、さすが監督。
特に、いかにも頼りになりそうなライオンが、見る者を引き付ける。
 異世界で子供達を「成長(ネタバレなので背景色)」させる必要はあったのか、と思うけど、原作通りなんだろう。
これは続巻で意味が出てくる?
 この映画だけでカッチリ完結しており、早く二作目が見たい!という引き方はしていないが、次作は劇場で見てもいいかな、と思える出来だった。


2006年8月4日 金曜日

 偉大な人物を親に持つ子供が、親の業績をたたえる記念館などの館長に収まっている事が時々あるけど、あれはどういう心境なのかなあ、と思う。
 「親のお陰で一生食いっぱぐれがない仕事をもらえ、ラッキー」と考えられるなら それで良いだろうが、何か、親とは全く方向を違えて やりたい事があった場合、しかしその方向に並程度の才能しか持っていなさそうな場合、「そんなつまらない事やっているより、親の業績を守り、世に広めなさい。その方が価値がある」というような目で見られてしまうと、挫けてしまいかねない。
 親がフツーだったなら、子供は自分の好きな道を目指し、その方向で それなりの成功を収められたかも知れないのに、これでは「人生を歪められた」とさえ言えないだろうか。
 …まあ、「嫌だイヤだ!」と言い張り、親なんか知った事かの人生を歩むのは、この現代日本で決して不可能ではないはずだから、「流された」というのもまた、誰にも責任を転嫁できない、本人による人生の選択なのかな。


 という前置きで良いのかどうか、映画『ゲド戦記』を見る。
 話題なので誰でも知っているだろうが、宮崎 駿の息子・宮崎 吾朗が監督した、第一回作品。

 以下、内容に触れる文章がありますので、未見の方は御注意。


 「田畑は荒れ、あちこちで羊や馬が駄目になり、人間の頭も変 になっている。分かるか」というようなセリフが語られる、意気の上がらない、ワクワクしない予告をテレビで見せられた人なら、「これはもしかして、二時間ばかり みっちりと吾朗監督の お説教を聞かされる映画なんじゃないの?」という嫌な予感がしたかも知れないけど、大体その通りな内容。
 劇中には もっと派手なシーンもあるのだし、繋ぎ方によっては、十分にワクワクドキドキさせられる予告を作れたと思うのに、実に正直。

 アニメを通し、お説教をするのも、別段悪くないと思う。
ただ、この作品の場合、それがほとんど「セリフ」によって示されているのが宜しくない。
 「命を大切にしない奴なんて、大っ嫌いだ!」であり、「命は、それだけで終わってしまうのではなく、次の誰かに手渡し、続いて行くもの」というのが、この映画のテーマなのだろう。
しかし、語られるストーリーやキャラクターの行動は、必ずしもその方向に沿っておらず。
 例えば、『未来少年コナン』をもって、「作品のテーマは生命賛歌である」とテーマを読み取ることは、問題なく可能。
セリフとして殊更に語られていないけれど、全編に「命の輝き」が満ちているから。
 作品のテーマって、理想像としてそうあるべきで、言葉にして語らせれば それで事足れり、とするのは、余りにも安易。
見る人の胸も打たない。

 この映画は、アニメの製作に関してズブの素人である自分が見ても、明確にマズいと思われることを多々、やっている。
 特にイベントもなくダラダラ歩いて旅をしている様子を映す所など、観客を飽きさせてしまいやすく、非常に良くない。
 …思い返すに、こんなような事は、自分もデビュー当時やってたやってた。
「主人公が家に帰ってきて、自室に入る」というコレだけの事を描くのに、家のドアを開けて母親と会話して階段を上って廊下を歩いて部屋のドアを開けて閉めて…と、1ページを費やした事がある。
勿論、編集さんに「アホか!要らんわ このページ!」と言われ、バッサリ削られたが、この判断が初心者にはなかなか出来ない。
つい「位置や距離感や状況を示すため、必要」などと考えてしまう。
 誰か、ある程度コンテが読める人間に見せれば、ここはムダだと指摘してもらえたと思う。
 経験がないのだから、初めてやって出来ないのは無理からず。
それを的確にフォローできるシステムがあったのかどうかが問題。

 他にも。
 テナーの家にウサギらが急襲を掛けた際、「家を燃やされる」「暴行を加えられる」「誰かを攫っていって『帰して欲しくばハイタカに城まで来いと伝えろ!』と言い残す」など、何か酷い事をするのだろうと当然ながら予測したが、意外、ハイタカの留守を告げられるや「また来る」と言って素直に帰ってしまう。
拍子抜けしつつ…そういうパターンの描写は避けるのかなと思えば、ボスに命じられて やっぱりテナーを攫おうと再度 家を訪れる事に。
 こういう繰り返しは、モタモタした印象を残すばかりなので、ダメ。
最初に家を訪れた時に、攫わせれば良かったのに。
そうすれば時間の節約になり、生じた隙間に「ハイタカとテナーの過去」とか「クモとの因縁」「アレンの苦悩」等々、ストーリーを深める要素を詰め込めたろう。

 こんな単純なアラが、あちこちに。

 映画は、意表を突くアレンの暴挙から始まり、その行動動機については かなり後まで説明がされない(最後まで見ても、分かったような分からんような)。
これら、特に前半部分は「宮崎駿・ジブリ作品とは違うモノを作りたい」という気概が見える…その成果は ほとんどマイナス方向にのみ働いてしまったが…と思う。
 しかしクライマックスに至り、アクションを展開する舞台設定・構成・流れが、『コナン』『カリオストロの城』『ラピュタ』等で既に見たシーンを繋ぎ合わせたような形へと変容。
 この過程を検証していけば、一本の映画の中で、吾朗監督の父親に対する気持ちの変遷…反発と独立独歩から己の限界を知り受容へ…を追っていく事さえ出来るのかも知れない。
文学作品なんて、作品執筆当時、作者が置かれていた環境や心境まで含めて考察するのが普通だし。
押井 守や富野 由悠季監督作品なら、そういう視点での評価もあり得るだろう。
 ただ…残念ながら観客は、「そこまで吾朗監督に興味を持ってない」。
 佳作・傑作を何本かモノにしてからならともかく、第一作目から「ボクの内面に注目して映画を見てください」ってのも無茶な話で。

 高品質な作画で描かれたアクションは、引用ばかりとは言え、やはり楽しい。
 以前、『銀色の髪のアギト』感想でも書いたけど、こうしたオマージュ(パクリ?)シーンの方が、一生懸命やったのだろう(しかし平凡な)創作のシーンより遙かに面白く感じられるのは、事実。
 優れた作品を模倣した部分があっても、悪いとは言わない。
 それを通した先に、「本当に描きたいもの」が見えてくるなら。
描きたいものナシにやると、ただのパロディーになってしまうので。
 この映画の場合は…ううう〜ん、残念ながらパロディー寄り。
 「こういうシーンを入れておけば、ジブリ作品として観客が取りあえず納得してくれ易かろう」という、妥協の産物のようにも見えてしまう。

 まるで魅力の無いキャラクター、説得力がないドラマ展開、これで良いのかどうかのエンディング…
入場料を払って映画館で見る価値については、厳しい内容。

 第一回監督作品としては、よく頑張ったと思う。
凄まじいプレッシャーに耐えて、一本の映画を完成させたというだけでも、大したモノ。
 …これは、吾朗監督の最も喜ばない言われ方だろうが。

 漫画に例えれば、「これまでペンを握った事もない人間に、いきなり『少年ジャンプ』巻頭カラー40ページで連載を開始させ、しかもその漫画は同時にテレビアニメ化・映画化・ゲーム化と、翻訳されて大々的に世界販売される事が決まっている」というようなもので、自分なら怖くて逃げ出す。
 ブログなど読むに、頭の良い監督みたいだから、ここで潰れず修練を積んでいけば、見る者を感動させられる作品を作る事も十分に可能だと思える。
 ジブリも、育てる気があるなら、まずテレビシリーズの演出を何回か経験させてみるなど、やり方はあったと思うのに。
 この扱いでは、一作ごとに「引退する引退する」と言い続ける宮崎 駿監督を発奮させるため仕込んだ、「噛ませ犬」のよう。

 でも、断ることも出来たはずの監督を引き受けたのは、吾朗監督自身の決断であり責任。
全てを受け止めて、次の作品に活かすべきだろう。
 ただ…ジブリは『猫の恩返し』の森田 宏幸監督にも、次を撮らせてないからなあ。
細田 守ともダメになるし。
このスタジオで、次のチャンスが あるのかどうか。
 宮崎 駿には もう一人息子が居るそうだから、今度はそちらに監督させてみたり?



『イノセント・ヴィーナス』02.「凶器」

 第一話からは、内容が充実した面白い作品になる可能性と、スカした演出だけが売りで内容のない作品になる可能性があったと思うが、続く今回も、パターンだけで処理しない面白さが随所に見られ、楽しめそうな予感。
 テロリスト達を制圧する極悪特殊部隊の行動を、「力任せのアホ」にしないで描けているのが、素晴らしい。
無線爆弾の周波数まで突き止めるが、爆発を防ぐ妨害電波は、原子炉に悪影響を出してしまう可能性があるため使用できない、という理由付けなど、実に「なるほど」。
 比べると、主人公らのトレーラーをチェックにやってくる警官二人は間が抜けた行動を見せていると思うけれど、特別な訓練を経ている訳でもない警官なんて、あんなモノだろうか。
不穏な状況にあるのだろう世界状況からすると、「現在の基準で」常識的な行動過ぎたとも感じられるが。

 主人公一行の前に現れる謎の勢力のネーミングに、「倭寇」というのを使うセンスが面白い。
クセのありそうな乗員の顔ぶれを見せていた所からすると、仲間になるんだろうな。


2006年8月3日 木曜日

『ゼーガペイン』18.「偽りの傷、痛みは枯れて」

 ああっ、舞浜バージョン了子がツンデレ…というか無表情・無感動系キャラに。
二重人格的な描き方により、一粒で二度美味しいキャラを造形する、こんな手もあったか!と感心させられる作り。
 ゼーガペインのコクピットに移ると途端に普通の少女へと戻り、無感動だった時点で起こされたイベントのフォローが素早く入れられる、この構成もストレスが少なくて結構。
 無表情了子を もっと魅力的に描いてくれると、それはそれでファンを獲得できそうに思うけど…そういうヤクザな意図は無いのかな。

 彼女と並んで見るDVDで、「超絶に強い主人公が悪いヤツらをバタバタやっつけていく」内容のモノを、実に空虚に流していたのが印象的。
 「敵」が、これまでのような「とにかく全滅させるしかない、憎むべき相手」だけから、「意志を持つ者」へと変わったことも、示しているのか。

 京達が暮らすサーバーに、何か問題が起きている様子。
耐用限界が来てるのかな。
 そうなるともう、玉砕覚悟でガルズオルムに決戦を挑み、サーバーを延命するか現実界に肉体を持って転生して出ていくかの技術を獲得する他、無くなる。
 味方を「売る」事で、自分のデータのみ救済してくれるよう、裏取引を持ちかける人間も?

 自分自身の「生」に確信が持てず、苛立つ京。
難しい、なかなか視聴者に理解してもらえない概念だと思うが、ここまで丁寧な描写を細かく積み重ね来たことで、その辛さ哀しさが よく伝わってくる。
 自らの手で優しく花に触れることは出来ないけれど、ゼーガペインを用いて一面の花を焼き尽くすことは出来てしまう、「何も生み出せない・破壊者」としての自分達。
 虚構の世界を描いた多くの作品の中でも、その苦悩は一、二を争うぐらい深いところまで、描けているのではなかろうか。


2006年8月2日 水曜日

『N・H・Kにようこそ!』04.「新世界へようこそ!」

 あんだけ時間かけて全然進んでないって、一体何やってたんだー?というのは、現実に、頻繁に言われる事。
 主人公が「メイド」と言われ、思い浮かべるのは市原悦子みたいなオバサンなんだけど、アニオタとかじゃない人間って そういう連想するものなのかなあ?
それはメイドじゃなくて家政婦だろ!というツッコミを誘うためのギャグ?

 引きこもりを克服するには、外の世界に、部屋の中で平和に暮らす以上の楽しさを見つけ出す事だろう。
謎の少女の手を借りなくとも、隣のロクデナシ後輩に楽しいオタクスポットを引きずり回されるウチ、社会復帰できてしまうんじゃなかろうか。
まあ、その復帰した「オタク社会」が、一般の人々から問題なく認められるモノなのかどうかはともかく。
 しかし、ここで主人公は一人暮らししているのだから、生命維持のためコンビニ等へは嫌でも出掛けねばならず、元々「部屋から一歩も出られない」状態ではなかったような。

 美少女ゲームのキャラクター設定として主人公が語り出す、「彼女は隣に住んでる幼なじみの同級生、ところが実はロボットで、しかもメイドさんだったのだ!」というのは、割合 本気でイケてしまいそうに思える。
 あまたある同様ゲームの中から、何とか差別化を図ろうとするなら、「製作者の鋭い感性で隙間を見つける」か「他の人が手を出さなかった方面(主に鬱系)に設定を求める」か、「いくつかの既存設定を融合させた、若干無茶なキャラを創造する」のが有効。
 三つぐらいの設定合体は、何とでも消化できる。
お隣にマッドサイエンティストが住んでいて、彼女はその博士が作り上げた学習型メイドロボット、とか。
よく考えてみれば、幼なじみとはいっても ずっと彼女の姿は変わっておらず、昔は「お姉さん」だったのに今は「同級生」になっているのだが、ボケの(都合良く記憶喪失の?)主人公は余り気にしない。
あるいは、博士が変に凝っていて、型を次々取り替える事で擬似的に成長を見せていた、でも。

 「しかもその子は前世で主人公と恋人同士」
うーん、いや輪廻転生がちょっとばかりズレてしまい、ロボットの中に魂が入ってしまう、という解釈では何とかならないでもない。
 「その上、病弱で頼れるのは主人公のみ」
病弱、って訳でもないが、創造主である博士が死んじゃったとか何とか、ロボ子のアチコチにガタが来始めており、応急修理を出来るのは博士から いくらか要領を教わった主人公のみ。
 「交通事故で主人公の身代わりになって、全治1年の重傷に」
全治1年……ま、まあ、彼女を「かなりの部分が生体パーツで構成されたロボット」とすれば、それが自然回復するまでベッドに居させる理由付けは出来るか。
応急修理をする設定と矛盾が出るような気もするけど、そんな細かい事は。
 「その実、幽霊」
ああ、あああ〜…動けなくなってしまったロボットの体から、魂のみ幽体離脱できるようになった…とか…
 「でもって宇宙人」
うう、ううう〜ん…
 「その正体は、未来から来たキツネの生まれ変わりだった」
………………

 途中までは、基本的にコミカルなタッチで描けば、どうにか出来なくもない設定だったと思うけど、相互矛盾が激しくなってはどうしようもなく。
 あんまりゴテゴテした背景を付けると、それを紹介・消化するだけで相当なテキスト量が必要になってしまうので、ダメだねえ。
「絶対実現不可能なヒロイン設定を語り出す」というギャグだから、イケそう!と思われちゃ困るのであり、「ダメ」で正解なんだけど。


2006年8月1日 火曜日

『ARIA The NATURAL』18.「その 新しい自分に・・・」

 業界全体の逼迫した状況に寄るものか、時折 作画のみ怪しいところがあったりするモノの、ほとんど危なげなく、高い水準で「癒し」の物語を紡ぎ続けているアニメ。
なので、感想といっても大抵は「イイ」「ほのぼの」「安らぐ」とか言いつつ誉めるしか、書く事が無く。

 今回、バーベキュー・パーティーで はしゃいだ雰囲気から、藍華の髪が焼けて、一転 落ち込んだ気分を見せ、落差にしていく、この辺りも手堅く上手い。
余り深刻に凹ませては視聴者まで辛くなりそうな所を、髪が焼ける瞬間や、それを自分達で切ると提案する灯里・アリスをギャグ頭身で描く事により、上手く流し、負担にさせず見せている。
 藍華に、「どんなに思っても他人にはなれない、自分になるしかない」と語る晃は「男前」で格好良く。
言えば、彼女と藍華の関係は既に描かれ、固定・安定化されており、態度にも言葉にも驚かされるような部分は特に無いのだが、それを心地良く感じさせられてしまう不思議。
 「あっと驚くキャラの行動」や「斬新なストーリー」をもって、「癒し」に繋げるのは、ほぼ不可能でもあろうし。

 前回、二話連続で描いた大イベント、ゴンドラとの別れも非常に感動的。
間が多い、ゆったりとしたリズムで語られるため、その隙間隙間に自分の「大事な物と別れた記憶」を入れていく事さえ出来る。
個人的には、「運転免許を取って初めて乗った、オヤジの車が廃車になった時」を思い出した。
 アリスが、自分ルールを厳守しつつ帰っていく話も、この作品としては「アクション巨編」と言って良いような位置付けで( ^_^ )、愉快。
 毎週の放送を、自然体で楽しみに待てるアニメ、ってのも貴重だなあ。


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