ときどき日記 2006/09

2006年9月30日 土曜日

『ウルトラマンメビウス』26.「明日への飛翔」

 フェニックスネスト最大の秘密、それは飛行モードに変形することだった。
…って、外見を見れば「飛びそう」ってのは誰にでも想像できるでしょ?
 隊員達も知らなかったみたいだけど、施設内を歩いていれば、変形や動力に使う不合理な設備を目にすることぐらいあったろうに。
 メテオール技術により、通常必要とされるような機構が無い、あるいは ごく僅かで済んでいるとか。
逆に、何に使うのか分からない機械構造を施設内で目にしても、隊員達は「メテオール発動に使う何かでしょ」という理解で見過ごしていたのか。

 極秘は良いけど、そのために操縦資格を持つのが隊長(一応はミサキ代行も)だけ、という事態を招いては、いつ誰が負傷して行動不可能になるか分からない戦況下、周到さが足りな過ぎ。
 操縦技術自体はそう難しそうでなく、リュウでも出来たろうから、少々のシミュレーションを積ませ、とりあえず やらせてみれば良かったような。
小型戦闘機と違い、大きな慣性が付く巨大飛行基地を、いつも通りの熱血力任せ「うおおおおー」的な操縦で操っては、バラバラに分解してしまう恐れがあるのでダメなのかな。

 どんな緊急事態の時も、常に半笑いでいるミサキ代行の表情の秘密が明らかに。
てっきり、役者さんの素の表情・演技力の都合で ああなっているのかと(笑)。
まあその、あんまり演技が上手くないのは確かだけど…
 「あなたの笑顔が、誰かの希望になる」という一言のセリフで、その笑いに大きな意味を持たせ、ドラマ的にも完全に消化してしまう巧さに、唸る。

 ヤプールの侵略(復讐?)は続いているようだが、表面に現れるのが超獣だけで、彼らは陰に回ってしまったため、どうにも組織的攻撃という気がしない。
赤い雨を降らせるハッタリは凄かったのに、後が続かず…ダメだなあ、ヤプール。


2006年9月29日 金曜日

『ゼーガペイン』26.最終話.「森羅万象─ありとあらゆるもの」

 前回、今回と一気見。
 学校や街を庇いながらの戦闘が、熱い。
 事態の正確な把握が出来ないまま、しかし必死の戦いぶりを見せる京達を応援すべく、儚い抵抗として投石する仲間達。
そんなモノに効果がある訳はないのだが、石がぶつかる度マインディエが機体を揺るがしていたのは、仲間達の強い意志が世界を構成するプログラムその物に影響を与えた、という事なのか。

 永遠の命を拒む理由を尋ねるアビスに、「そんなの俺の知った事か!自分で考えろバーカ!」と吐き捨てる京。
相変わらず頭の悪い( ^_^ )、ストレートな主人公。
シリーズを通して成長してきた成果で相手を否定すべく、最終回、長ゼリフにして ぶつけるのが お約束なんだけど。
 しかし…この頭の悪さ、コミュニケーションの拒絶は、お行儀の良いAI アルゴリズムからは決して出てこない、人間特有の反応。
 勢いでロケットパンチまで繰り出す、パワー全開の馬鹿さ加減には、心底嬉しくなってしまう。

 マインディエは舞浜に潜入してきたけれど、その舞浜は現実ではなくプログラムとしてのみ存在する場で、しかもそのサーバーは舞浜どころか地球上ですらない月面にあり、マインディエを撃退すべく同じ舞浜にアルティールも突入してきたが、後にその土地・人間など全体を含むサーバーを機体内に積載する事になる…
子供には、いや大人でも漠然と見ていると、なかなかに理解し辛い、入り組んだ概念であり設定。
 これだけ難解な、僅かでも油断すると「スタッフだけが分かっている」状態になりがちな内容を、自分のような理解力の低い視聴者にも何とか付いていけるよう提示してくれた、制作側の説明能力は大したモノ。

 『エヴァンゲリオン』以来、謎とか、意味ありげなセリフ・行動・舞台設定を多用し、「凄い話」に見せようとした作品は多いが、大抵は最後に…どころか開幕後スグに馬脚を現し、大して考えていない、きちんと作ってさえいない設定の穴を「謎」に見せかけ、誤魔化そうとしているようなショボさが伝わってきてしまい、普通に分かり易いアニメよりも視聴意欲を萎えさせられてしまうケースが、ほとんどだった。
 初めてじゃなかろうか、こんなに綺麗に全貌を明らかにし、そこに不明点は少なく(「??」と思わせられるところはいくらかあるが、こちらの理解力の問題だってあるからなあ)、しかも納得できる形で終幕を迎えたアニメは。
 ひっくり返す、意外性を追求する、というだけなら、まだいくらでも出来る作品だったと思う。
京達がゼーガペインで戦う「現実」と信じた世界さえも虚構、とか、シズノのようにメインのキャラクターが「人間」ではないと次々 明かされる、とか。
そうしたい欲求も製作者にはあったろうと思うんだけど、余りに意表を突きすぎると、真相が意味を失ってしまう。

 製作者が、「神」である自分達の力に制限を設け、作り上げた設定に沿う形で、ドラマも世界も崩壊させないバランスをもって、しかし面白く物語りきった。
 それが崩れかけた物語であっても、『エヴァ』と近いベクトルを持つ作品なら、オリジナルでさえそうだったように、そうなるのが当然・宿命なのだと諦め、面白かった部分と相殺して許すべきだと考えてきた。
が、才能あるスタッフが真摯に、視聴者を馬鹿にせず、限界まで頑張ることによっては、見事な着地を見せることも可能だと この作品は証明してくれた。
 今後、『ゼーガペイン』を手本に、こういうアニメを作るべきだろう…と言っては さすがに負荷が大きすぎか。
「目標」として、近づこうと頑張って欲しいが。

 サーバーの中で、延長されはしたが一年間という有限の期間を生きる人類を、ただ一人 本当の「人間」として見守る京。
永遠に歳を取らない幻の仲間に囲まれながら。
 「お前の番だよ、クレイトー」(星野之宣『はるかなる朝』)

 最後に「人」となって、コントロールされない現実世界で生きていく京。
しかし彼は、その選択を後悔することなく。
 サーバー容量の都合から、許される事の無かった人口の増加…出産さえも、外の世界では自由なのだから。
 デジタルの世界、データだけの存在になった人間達を主人公にして、「生きる」事と「死ぬ(失われる)」事を描き出す、「人間賛歌」がテーマの作品だったのかと思う。

 ひたすら面白い、見られたことが嬉しい作品だった。
 不満は、言おうと思えば いくらでも言えるけれど、これ以上を望むのは欲張りすぎだろう。
 素晴らしい仕事ぶりでした、スタッフの皆様。
またいつの日か、こんな心を震わせてくれるアニメを見せて頂けるよう、願っております。



『ARIA The NATURAL』26.最終話.

 癒し系アニメ、第二部最終回。
終わりだからと構える事なく、普段通りの内容を、いつもの心地良いタッチで綴ってくれた。

 どんな大人になりたかったのか、という質問に、ただ雪玉を転がしていくことで答えるアリシア。
うーん、師匠っぽい。
 「師匠」は、こういう謎っぽい態度・言葉で答えを返す事になっている。
「この魚を殺す事なく食べてみせよ。その時お前は剣の極意を掴むであろう」とか、考えさせ、弟子に自分で何かを悟らせる形で教える。
ダラダラ喋っちゃダメ。
 長々と言葉を連ねるのが好きな自分など、全く師匠に向かない(というか何の師匠になる気だよ)。

 穏やかな語り口で、何も無いように感じさせながら、毎回 心の琴線に触れるストーリーを描き出す、楽しく優しい作品だった。
作画に少々怪しい部分があったのは残念だが、演出のレベルは総じて高く、このアニメ化が難しい作品を消化し、画面に展開して見せてくれた。
 ぼんやり お人好しの灯里や、「恥ずかしいセリフ禁止」と言いつつ涙もろく一番女の子らしい藍華、「デッカイ」のアリス、どう見ても猫ではなくて異星の知的生物だろうアリア社長など、気のいい登場キャラクター達と長く付き合う内に、皆、既知の友人ぐらい親しく感じられるようになっている。
 試練や緊張を強いる作品ではない(その正反対)ので、「先の話が気になる!」という事はないが、彼女ら愛すべき登場人物との別れは、素直に寂しい。
 こういうアニメ「だけ」になるのは異常事態だろうけれど、こういうアニメ「も」あって良いし、あり続けて欲しい。
 第三部、って事もアリかな。
その日を心待ちに。


2006年9月28日 木曜日

『ゼロの使い魔』13.最終話.「虚無のルイズ」

 ルイズの許嫁として、パワー・包容力・宿縁全てにおいて才人を上回る存在だったワルド。
彼との三角関係は面白くなりそう…と思ったが、時間の都合か、「実は悪い奴でした」という処理でサッパリとルイズ争奪レースから脱落してしまい、残念。
 ルイズと、思想や属する陣営を異ならせていても構わないので、「それでもなお、彼女からの愛情を受けるに値する男」であった方が、ラストバトルも盛り上がったような。

 現用兵器がファンタジー世界に ぼちぼちと登場する作品。
竜、と呼ばれていたのは、二次大戦で使われた零戦だった。
 現実世界にファンタジー的な生物が乱入した場合、異形の怪物相手に現用兵器では手も足も出ない事が多い…ような気がするけど、逆に、ファンタジー世界へ現用兵器(零戦は一時代前か)が挑み掛かると、飛行生物を遙かに上回る機動性を発揮し、機銃でバタバタと敵を薙ぎ倒す事になる。
才人の描かれ方からしても、「異邦人・異界から来たもの」こそが「日常」より強い訳ね。
だからこそ、「ファンタジー」というジャンルになるのかな。

 自分を「ゼロの使い魔だ」と言い表す才人。
格好良いような、パンツ洗ってばかりの姿を思い出すと そうでもないような(笑)。
彼は、あくまで自分を使い魔だと認めない立場を取り続けていた方が、ここで初の受容にカタルシスを生じさせられたかと思うけど、まあ才人が晒す情けない姿を楽しむ作品でもあるからなあ。
 凄まじい魔法力を発動させるルイズ。
こちらは伏線として、彼女のパワー埋蔵量自体は膨大であることが示されており、展開に納得がいく。

 結局 才人は、現実に帰るよりルイズのパンツを洗い続ける方を選んだ、と。
それはそれで、シアワセな選択であろうか。
 彼が現実界で過ごしてきた生活や、残してきた大事な人々を描かない(無い?)ことで、複雑な後味を残さず、すっきりとしたエンディングになっている。

 全体に。
 作画は最後まで良好であり、ルイズら女性キャラを可愛らしく描き出してくれた。
 重い展開がほとんど無く、コミカルな内容を通したことで、気負わず見られるコメディーに出来ている。
 魔法学院を舞台にした割には、特に後半、学校生活がほとんど登場しなかったような気もするけど…それは『ハリー・ポッター』との差別化でもあろうし、才人の設定が「同級生」ではなく授業も共に受けられない「使い魔(身分が遙か下)」である事により、使いづらくなってしまったものか。

 楽しい、可愛いアニメだった。
 いくらでも続編が作れる終わり方だから、人気を取ったろう事を考えると、いずれ実際に製作されそう。


2006年9月26日 火曜日

『ガイキング』39.最終話.「君の地球・君の未来」

 前回、ラストバトル。
恐ろしく強力で巨大なキングダリウスを前に、如何なる攻撃も通じないかと思われたが…
 最大の戦力であるはずのガイキング・ザ・グレートをオトリにし、乗り捨て、一瞬の油断を突き至近距離でガイキングへと合体し直し、渾身の一撃を加えて倒す、この見事な戦いぶりに、プロイストと一緒になって驚かされてしまう。
…さっきまで、ガイキングの攻撃は一切通じなかったような気もするけど、男の燃える魂があれば不可能など無い!という事で納得。
 敵の掌に取り残されたグレートのパーツも、敵を撃破するための起爆剤として使ったのかと思ったが、最終話でバルキングらが何気なく登場しているところを見ると、無事だった?
平和になってから、再度建造された可能性もあるか。

 瀕死の状態から、部下の命を犠牲にして甦るプロイスト。
ラスボスらしく執念深くて、大変結構。
 せっかくブリッジが舞台なのだし、彼女を焼き尽くす心の炎は、ダイヤのみでなく、クルー全員の心から発したものであって欲しかった。
このアニメは「ダイヤの成長を描く」作品でもあるので、これも正しい展開ではあるんだけど。

 プロイストは、「大帝の実子」ではなく(そもそも大帝が人ではない)、役割を持って作り出された命。
ノーザを、自らの体の代替パーツとして蔑み、新たに製造した四天王には意識が芽生えることさえ許さなかったプロイストが、自身も彼らと変わらない存在であるという事実に、耐えられるはずはなく。
彼女は、心を覆う選民意識・差別意識に負けて、自壊してしまったのだ。
 出自を既に知るノーザが、希望を失いつつも副官から直言を受ける事で、生きる価値と生きて果たすべき責務に思い至り、一つの生命として立ち直っていったのとは正反対。

 ただ、プロイストは、地上人を憎むダリウス大帝の心の揺らぎが生み出した「怒りの娘」であり、大帝をそうした状態に追い込んだのは地上人の愚かさ傲慢さであると考えると…悲劇のヒロインでもあったのかな。

 いきなり5年後へと時間が飛ぶのに驚く。
筋肉隆々の青年と化しているダイヤには、もっと驚かされる。
もう少し…美青年へと成長して欲しかった気もするけど…どうかな、ルルは こーゆーの好みかな?
 旅立ったダリウスの民、宇宙で遭遇した恐ろしい宇宙怪獣、ルルからの救援要請に、一瞬の迷いもなく(このために鍛えてきた!)ガイキングへと乗り込むダイヤ。
あまりの事態の急変で、ついつい「宇宙怪獣」に突っ込んでしまうナオトらを尻目に、その後のキャラクター達の様子をチラチラと見せながら(ルルの可愛い成長ぶりが嬉しい)、一気にテンションを上げ怒濤の勢いでエンディングへと突き進む!
 これだ!
これだこれだこれだ!
これがロボットアニメだ!

 満足。
欠ける事のない見事な終わり方。
 スーパーロボット物で見たかった要素は、ブラッシュアップされた上で、全て見せてもらえた。
 見られた事が ただ嬉しい、ひたすらに楽しいアニメだった。

 スタッフの皆様、ありがとうございました。
 また燃えるアニメを、あるいはジャンルと方向性を変えても素晴らしい作品を見せていただける事を、期待しています。



 丹波哲郎が亡くなる。
 『007は二度死ぬ』で、ショーン・コネリーに堂々と並び立って見せた存在感、『Gメン』ボスの強烈なイメージ、大好きな映画『日本沈没』(1973)で演じた総理大臣のカリスマ性、迫力、強く感じさせられる日本への想い…等々、印象に残る役柄は数多く。
 最期まで自著である『大霊界』を信じていられたのなら、死も怖くなかったろう。
正直その内容には首を捻るところばかりで、同意できるような部分など無かったが、それで自らの死を平穏な気持ちで迎えられたのであれば、幸せなこと。

 ご冥福をお祈り致します。


2006年9月25日 月曜日

『ひぐらしのなく頃に』25.「罪滅し編 其の四 地球侵略」

 寄生虫の正体は、地球外からの侵略者…
なんじゃないかと思ってたんだけど、頭が飛んでいる状態のレナが こう断じたところからすると、違うのかな。
 その根拠となっていたノートも、SF的・妄想的な理論を色々に書き連ねているだけみたいだし。
 掻きむしったレナの首から、血に混じって小さな虫がボロボロと落ちていたが、それは他の誰も目にしていない訳で、「アル中が見る幻影」「畳のヘリを歩く大名行列」みたいなものだと捉えて良いのだろうか。

 暴かれる、圭一の過去。
小さい子供をエアーガンで撃っていた?
むう、どうにも弁護できないような所業だなあ。
フクザツな動機は設定されているんだろうけど。
 仲間に隠し事をするような奴は、仲間じゃない、というレナの言葉。
幼い正義感からすればそうかも知れないけど、過去の重たい過ちなど大抵の場合聞かされても困るだけだし、聞いた方にも「正直に全てを話してくれた相手を許さなければならない」義務が生じ、迷惑を掛けてしまったりするので、まー「黙ったまま墓まで行く」選択もアリじゃなかろうか。
それは薄汚れたオトナの理屈?

 圭一の脳内に甦る、別の分岐でバッドエンドに至ったストーリー。
色々と驚かされる作品だけど、これには本当に驚いた。
 様々な角度から、それぞれ異なった物語を紡いでいく、この作品の形式その物にトリックがある?
 別編の物語は、それはそれとして完結している訳でなく、全体を通して少しずつキャラを成長させ、良いエンディングに(あるいは最悪のエンディングに)導くため重ねられた「試練」?



『シルクロード少年ユート』01.「楼蘭へ!初めての時間旅行」02.「ロプ湖(ノール)水上大混戦!」

 一話目は、余りにも すっ飛んだ展開が続き、奇想天外なキャラクターが脈絡もなく現れるばかりのため、面白いも面白くないも判断が付かない状態だった。
導入部はどうしても こういう詰め込んだ内容になりがち…とは言っても、このアニメの場合、極端。
「付いていけない」と思われ、ここで視聴を切られても仕方ないところ。
 二話まで見て、ようやく分かる…これ、要するに『タイムボカン・シリーズ』という事?
歴史の中に現れては消えて、奇跡を起こす謎のアイテムを求め、二組の時間渡航者グループが競い合い、その時代の事件やキャラクターと絡みながら大冒険、というフォーマットのようなので。

 それさえ分かれば、さして難しいストーリーでもないが。
しかし、今のところ特に意味がない玄奘法師や、人語を解する人間大アルマジロ、一部の人にしか見えない幽霊のような少女・春麗など、どうしても最初から登場させなければならない理由は無いと思え、焦らず、回を追って見せていく方が親切だったろう。
 こう見ると、『タイムボカン・シリーズ』って、毎度 無茶な設定を強引ながら分かり易い方法で、開幕から提示できてたんだなあ、と今更ながら感心。

 3DCGによる画面の雰囲気から、また韓国製かと思えば、日本製。
テレビシリーズとして見るには、十分すぎるぐらい高いレベルのCG。
 キャラクター・デザインは寺田 克也先生だが、モデリングの関係か、デザイン画を見なければ そうと分からないぐらい雰囲気が変わっている。
ヒネくれた天使とか、「いかにも」なキャラも居るけど。

 監督がアミノテツロだという事もあり、しばらく見続けようかと思うけれど…
ツカミとしては、余り強く興味を持たせられるよう出来ておらず、視聴継続の意欲は低め。



『ウルトラマンメビウス』25.「毒蛾のプログラム」

 せっかくヤプールを登場させたのだから、しばらくはその恐ろしさを しっかり印象づけるエピソードを並べて欲しかったなあ…
という個人的希望を除けば、息抜きコメディー中心の話としては、悪くない仕上がり。
 フジサワ教授が非常に個性的に描けていて、結構。
迷惑掛け通し、傍若無人、でも頭は切れるキャラ造形が面白い。

 超獣ドラゴリー、復活。
 倒された時に進めていた計画は、もう とうに失敗してしまったというのに、再生後も ひたすら続行・完遂しようとする一途さが、何だかケナゲ。
少女キャラにでも変化させ、命令を果たすために一生懸命な様子でも見せれば、萌えにさえ繋げられたかも。


2006年9月24日 日曜日

『ウィッチブレイド』24.最終話.「光」

 前回、雅音が「あとは戦うだけ」と言っていた通り、戦い続けた最終回。
 上陸を開始した膨大な数のI ウェポン相手に、絶望的なバトル…というシチュエイションは面白いんだけど、兵器達が一般人相手には余り興味を示さないので、危機感が薄目。
もう一話分ぐらい余裕があれば、少ない数のコントロール可能なウェポンで、大量の暴走兵器相手に戦いを挑む鷹山の戦術とか、雅音との共闘による危機の打開など、色々な見せ方が出来たんじゃなかろうか。

 まりあ達 優秀なネオジーン・トリオとの決戦は、もっと盛り上げられたと思うんだけど、割合に物足りない形での決着になってしまった。
 まりあ以外の二人なんて、噛ませ犬にもならない扱いで。
表情の変化無く、いつも不服げな少女ネオジーンなど、かなり面白く出来そうなキャラだったのに、「チョイとまりあに殺される」最期では寂しすぎる。
 肝心の まりあとの決着にしても、雅音の中に母親を感じて…というのが、ラストに向けて必要な展開だったのは分かるけど、少々唐突。

 当然ラスボスになるものと思われた古水達興や、最強の敵(バトルのみでなく母子関係の維持においても)だった蘇峰玲奈を、かなり以前に失ってしまったのは、クライマックスに盛り上がりを演出する上で、上手くなかったような。
 まりあを、「両親」を亡くした事で狂気が暴走していく恐ろしくも哀しいキャラとして、もっと描き込んでいれば また違ったかも知れないが、そこまでの深みは無く。

 雅音を研究対象として面白がっていた お姉ちゃんが、見せ場もないままプチンと潰されて死ぬのには笑ってしまう。
 全体に、バトル物としての構成は弱い作品だったと思う。

 代わりに、母娘関係は、かなり上手く描けていた。
 もう味覚を無くしてしまった雅音が、それでも笑顔で梨穂子の料理を食べ続ける所など、切なくて非常に良いシーン。
 決戦に臨むにあたり、雅音を「思い残す事はない」状態まで説得力を持たせて描いて見せたのが、ただ見事。

 自分の子供を守るため、母性を求める狂気の存在に対し身を投げ出し、母代わりになってその魂を鎮める…という終わり方からは、映画『仄暗い水の底から』を連想してしまう。
 雅音が、特に作画レベルの高い回で見せてくれたボリュームある体のラインは目に嬉しく、変身するのも そういう意味では楽しかったんだけど、ただ「母性」を描く上では、ウィッチブレイドやバトルといった要素は「邪魔」だったのではないだろうか。



『BLOOD+』50.最終話.「ナンクルナイサ」

 小夜とディーヴァの決戦。
とにかくこれまでディーヴァの方が圧倒的な力を発揮しており、小夜はといえば体術的には ごく普通の女子高生の域を超えるものでなかったため、マトモにぶつかりあっても勝てる見込みはないと思われたが…
あれ?正面から戦って、相打ち(結果的に小夜勝ち)。
 小夜を都合良くスーパー化させなかったのは良いけど、代わりにディーヴァの弱体化が激しい。
 子供を産んだことで かなり力を失っている、という事ではあったが。
それならそれで、ディーヴァに「体が重い」と言わせるとか何とか、らしいフォローが欲しかった所。

 最後まで小夜を強化しなかったのには、何か考えがあったのだろうか。
彼女は余りにも弱く、なのに、その辺の道場で習える程度の剣術さえ習得しようとせず、どうも見ていてストレスを感じてしまった。
本気で戦う気があるのかなあ、と。
 ワンクールぐらいなら それでも問題なく もっただろうが、一年間の放送期間を通して まるで強くならないヒロイン、というのは…

 決着の付け方を見ても、「バトル物」では なかったのだと思う。
 しかし…代わりに小夜の内面が深く掘り下げられていたかというと、これも疑問。
どうも、意図的と思えるほどに彼女の心の動きはスポイルされており、さすがに一年間見てきたことで「まるで分からない」訳ではなかったものの、ディーヴァとの決戦に対する葛藤など、いくらでも面白く描けたろう部分が、薄いまま。
崩れかけるディーヴァの腕に取り縋り、必死にくっつけようとするシーンなんて、心情描写が足りてさえいれば見る者の涙を誘えたろうに。

 周辺のキャラ、ハジやカイの方が、行動に「好意」や「愛」が介在している事もあり、ずっと分かり易い。
 特にハジ。
この作品は「ひたすら小夜に尽くすハジを描く作品」だったと言って構わないぐらい、重く用いられている。
 敵であった者達の心さえ開かせていくカイも、ハーレム・アニメなら間違いなく主人公の位置に居られる性格付け。
 彼らに対してさえ、小夜の気持ちは どうにもハッキリしなかったような。
 主人公の気持ちが しっかり描かれず、異性の美形キャラからモテモテ、という意味では、これは女性視聴者向けの「萌え」アニメだったと言えるのかな。

 終盤に向けて盛り上げる構成力は弱く…正直な所、全50話のうち かなりの部分が、見ても見なくても作品全体を理解するのに支障ない、間延びした内容だったと感じてしまう。
 面白い回は勿論あったのだし、ずっと見てきて損をしたとまで思わないが、「一年間付き合ってきて、良かった!」という充足感を与えてくれる所にまでは及ばず。


2006年9月23日 土曜日

 昨日、「随分長いこと仕事を続けているエロ漫画家に色々聞く」というような題材で、インタビュー取材を受けてきました。
「ネットランナー」誌、次号に ちょこっと掲載される予定。
 この分野の漫画家にしても、もっと旬な人は いくらでも居るだろう、と思いますし、大して面白いことが言える人間でもないので平板な内容になってしまっていないか不安ですが、そこは まとめ上げるインタビュアーさんの手腕に、投げっぱなしで期待したいと。



『無敵看板娘』最終話.「君が壊れた時」「葬られた宴」

 酔っぱらうと人格が変わる、というタイプのネタ。
美輝は普段、恐ろしく極端な乱暴者であり、可愛げとか弱味が皆無なもので、ギャップを生じさせるため第二の人格は当然、優しく穏やか暴力を好まないものになる。
 丁寧な言葉遣いになり、物腰も柔らかな働き者の美輝は、それはそれで可愛らしいと思うんだけど…
こういう手のパターンでありがちな「『アルジャーノンに花束を』風、入れ替わった人格との間に芽生える、元に戻った瞬間 成立しなくなる愛情関係」など、一切無し。
レギュラーキャラ達は、ひたすらにその変質を気持ち悪がるばかり。
 まあ、一生酔っぱらわせる訳にもいかず、いずれはヒデエ乱暴者状態に還るのだと分かっていながら、好意を持って見るのは難しいのかな。

 転身した美輝の面白さに比べ、ヨッパライモードの めぐみは、喋りに方言が混入するぐらいで腹黒さも変わらず、イマイチ。
智香センセイの酒乱ぶりも見たかった気がするけど、ラーメンを食べることで人格(表情?)が変わる事を既に見せている訳で、今更か。

 驚いたのは、これも今頃になってナニだけど、美輝が二十歳だった事。
てっきり、思考形態からしても せいぜい高一ぐらいかと。
 思い返せば確かに、学校生活のシーンは これまで無かったけど。

 作品全体として。
 開幕は、「萌え」に慣れた目に少々取っつきづらく感じられたが、特有の「殺伐とした ほのぼの」感に体が慣れてくるに従い、非常に面白く見られるようになっていた。
 美輝も楽しかったけれど、高飛車でありながら毎度負けている情けなさと、ドス黒い性格が魅力(?)の めぐみは凄く好みで、画面に登場してくれるだけでも嬉しい気分に。
彼女のような困った性格付けのキャラは、(主に恋愛感情により)その外壁が崩れて「意外にも素直で可愛い、本当の自分」が現れる瞬間を、最大限 輝くポイントとして設定してあったりする物なのに、そういう弱味を見せることなく最後まで困った女性で通しきった、その徹底ぶりも愉快。

 殴る蹴る怒鳴る噛み付く罠を仕掛ける、安らげる部分のないパーツばかりで構成された作品だったが、そのパターンに慣れてくると、何というか蝉時雨の只中にいて静寂を感じてしまうように、「癒し」すら受け取れてしまう不思議。
 作品としては正反対のベクトルにあると思う『ARIA』と、共通した部分が多くあったり。

 テレコム意地の作画は、最後まで頑張っており、崩れることなく良く動いてバトルやギャグシーンを支えていた。
 絶賛すべき傑作、と言えるかどうか分からないが、個性的なキャラ達を ずっと見続けていたい気持ちにさせてくれる、賑やかで楽しいアニメだった。


2006年9月22日 金曜日

 WOWOWで放送された映画『ノロイ』を見る。
 監督は知らない人だし、出演者も、アンガールズとか一部に見知った顔が見られるものの、さほど有名でない人達が多い。
それは、この作品の内容と密接に関係して、テレビでも良く見るような俳優を「出さない」必要があったから。

 この映画は、要するに『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』。
まるでウソの話を、現実にあった事と思わせる(まあ思わないけど、一応意図としては)ため、メインの映像を「怪奇ドキュメンタリー作家が撮影したフィルム」という形式にしてあり、更にテレビのワイドショーやニュース映像のようなものを挟み込んである。
 ドキュメンタリーにしては、床に投げ出されたカメラが「たまたま」現象を丁度いいアングルで捉えていました、というのを繰り返しており、どうかと思わないでもないが。
 『ブレア…』を そのまま引き写すのではなく、より日本人がリアリティ−を感じられるようアレンジしたアイディアは面白いし、映像のメディアがポンポンと変わっていくことで飽きずに見ていられる。
 しかし、テレビでならともかく、映画館で この映像を見せられるのは、何だか損したような気分にならないかなあ。
頑張ってはいても、後追いのネタである事は すぐ割れてしまい、『ブレア』ほどのリアルさも画面に引き込むパワーも発揮するのは難しい訳で、そうなるとその後は「映画と言うには宜しくない映像」が続くだけになりがち。

 ホラー映画として、怖いかというと、ほとんど怖くはない。
 ただ、「妙な事を怒鳴りまくる、お隣の異様なオバサン」は怖い。
ジェイソンやフレディーなど足元にも及ばぬ恐怖。
こんなオバサンが隣に住んでいたら、どんなに嫌だろう、という現実的な怖さ(笑)。
 クライマックスかな…と思わせるシーンが、森に分け入っていく まるで原典引き写しの展開になってしまい、ちょっと笑ってしまう。
 あと、ドキュメンタリーとして構成しようとする映画で、突然CG?映像が出てくると、他の場面から浮くし、醒めてしまうので、お勧めできない。

 言い様がないぐらい嫌〜な後味を残すラストは、なかなか。
こんな終わり方されても困るなあ、という途方に暮れた気分にしてくれる所まで含め、実に「嫌」で、楽しい。

 変な物が好きな人であれば、見て良いかも。
 しかし、冒頭20分ぐらいまでで、あんまり面白くないなあ、と感じたら視聴を取りやめた方が無難。
そんな調子で ずーっと進むため、多分 最後まで見ても時間を損したように感じてしまうだろう。



『となグラ!』11.「浴衣と花火と切れた鼻緒」

 ヤキモキとさせる、誤解を積み重ねる関係は続く。
しかし、これほどまで本心では らぶらぶな二人が、いつまでも くっつきそうでまた離れ…を繰り返しているのは、さすがに ちょっと無理。
 思えば、この作品の人物関係の中で、主人公達二人の恋愛が成就するのを妨害しようとするキャラって、居ないのね(その他大勢である香月親衛隊は除き)。
普通、もうちょっとライバルとか横恋慕キャラとか絡め、バトルロイヤルの様相を呈して来るものだけど、実にシンプル。
 新登場の小五郎が、本性は恐るべき腹黒男で、勇治を遠ざけるべく策略を巡らし…とかいう展開を予想したが、見た目通りの のほほん癒しキャラで、そういう方面の展開は期待薄。

 主人公二人の心情が細かく彫り込まれているため、その動きだけで、もたない事はないのだが、さすがに ぼちぼち進展を望みたいところ。
 いや、巨乳オールマイティーお姉さんの初音や、兄が大人しくなったのに従い過激な狙撃数が減ったのは寂しい まりえ等、個性豊かなキャラクター達を眺めているだけで、十分楽しめてはいるんだけど。


2006年9月21日 木曜日

『ハチミツとクローバー』最終話.

 アニメは、多少のアレンジを含みつつも ほぼ原作通りに進行したので、両方を兼ねての感想。
 この終わり方には、驚かされた。
片思いだった若者達の想いが、ほとんど届かずに終わってしまう。
 はぐみ、竹本、森田の三角関係が、最終的に こういう着地点に向かうことを、どれだけの読者が予想できたろうか。
 「恋愛物」としては、考えられない反則技。
「最終的にヒロインは、最も安らげる相手である お父さんと結婚しました」ぐらいの驚き。
その辺は、作者も山田の口を借りて突っ込んでいる通り。
 しかし、もっと驚いたのは、この選択について自分が「自然に納得できていた」事。
これだけのアクロバットを見せ、不満を感じさせずに着地させてしまう、作者の物語力は驚異的と言うしか。
 「恋愛物」というより「人生を描いたドラマ」だったからこそ許される終わり方だった、とも考えられるだろうか。

 はぐみの心情は、「見た目通りの純粋ストレート」にも取れるし、「恐るべき『女』らしさ」にも感じられる。
読む人により、解釈が分かれるところでは。

 結局、気持ちを通せたのは真山だけ、という事になるのか。
 彼にしても、想いを寄せる理花は まだ亡き夫を吹っ切れておらず、もしかしたら一生影を引き摺って生きていくのだろうと思うと、「永遠の片思いが続く」状態かも知れず、気持ちが通じたと言って良いのかどうかは分からないが。

 仲間達と一緒に夢中になって一つの物を探した、楽しい思い出。
 観覧車。
 ハチミツとクローバー。
 印象深く描いてきた様々な物が集約していくラストは、もう素晴らしいとしか言い様が無く、ほろほろ大泣き。
 はぐみを襲う突然の不幸や、森田が背負った重すぎる荷物など、少々無理を感じる部分もあったけれど、この終わり方で全て許せて、納得して、泣けてしまう。

 アニメは、最終回一話前、竹本と森田の間で繰り広げられる馬鹿バトルの動きが良く、大いに楽しませてくれた…それだけに、最終回、特にクライマックスでの作画の崩れが残念で仕方なく。
大事な大事なエピローグだけは、何があろうとも作画を保たなければならなかったのに!
こうなると、「馬鹿バトルなんか止め絵でも良かったんだから、ラストにこそ注力すべきだった」などと今更な繰り言をしたくなってしまう。
 竹本代役の声優さんも熱演し、演出だって悪くなかった。
ただ、感動を受け取らせて欲しかった重要なシーンで、「作画崩れが致命的にならないかハラハラする」ような余計な不安が生じ、すっかりと水を差されてしまった、それがとにかく残念。
 DVD化の際には、声優さんを戻し、作画を直して、完全なバージョンを見せてくれれば良いなあ。


2006年9月20日 水曜日

『コヨーテ ラグタイムショー』12.最終話.「COYOTE」

 ミスターとアンジェリカの因縁。
何となく語られてしまったが、都市を襲った あの大津波は、ミスターの仕業?それとも第一話のように自然現象を逃亡に・襲撃に利用したって事?
アレで相当数の死者が出たかと思われ、そんな悲惨な事件を「運命的な出逢い」みたいに回想されても、うーん。
 追いつ追われつの関係が「恋」に発展する、というのは分からなくもないけど、製作者側がそれに甘えきって「分かるでしょ?だから説明しない」とするのは、どうだろ。
 彼女のキャラクターを印象づけていた「大食い」設定も、途中から忘れられてしまい、物足りず。
「どこからでも無理矢理に食料を調達してくる」とか「食べ物が不足し、目に見えて思考能力が低下する」、あるいは「何食も抜きの状態に、空腹でヘバるチェルシィに対し、食いだめたエネルギーを小出しにする事で十日間は無補給行動が可能だと告げるアンジェリカ。彼女は、こういう『いざ』の時に備え、普段は食べ続けているのだ」とでも何とでも、設定を活かした転がし方はあったと思うのに。

 結局ミスターとマルチアーノの関係もハッキリせず。
マルチアーノはフランカ・パパが好きだったんじゃないの?
彼女もまたアンドロイド?それとも脳以外を機械化したサイボーグ?
 戦闘機での一騎打ちに、躊躇いなくフランカを巻き込んでしまうミスターもどうかと思うが、マルチアーノを撃墜して終わりにしてしまう物語の持って行きようは もっと疑問。
 マルチアーノが本当に欲しかった物は何だったのか、上手く描けていないので、この「死」(撃墜されたぐらいじゃ死なない世界観みたいだけど)に どういう意味があるのか、よく分からない。

 非常に凝っている様子の割に、まるで魅力がない多角形ルービック・キューブ金庫が再登場。
相変わらず、何をどうして中心部に至ったのか理解不能。
 そこでフランカは、父親と自分の記録を目にするのだが…
これはつまり彼女が、「恐ろしい海賊、ではなく、父親としての優しい顔。親子として過ごした幸福な日々」に触れるイベントだったのだから、ここまでフランカは「パパなんて大嫌い!薄汚い海賊だったなんて!あんな人をパパだなんて絶対認めない!」という態度を取り続けていないと、活きない。

 最終的に、ミスター一行は惑星を破壊の危機から救う。
しかしコレ、何故?
 どうも反政府組織ぐらいしか星には残っていなかったようだし、ミスター達には何の関係もない訳で、放って置いて構わないような。
何というか、『カリオストロの城』で「冒頭 盗みに入ったカジノに何者かにより爆弾が仕掛けられているのを知り、一度は脱走用の車に乗りながら、危険を冒して建物内に戻り、爆発を阻止するルパン」みたいなもので、「???」という気持ちにしかなれず。
 製作者側は この行動を消化できているのかも知れないが、分かるように伝えてくれないと、「どーでもいい事やってるなあ」とだけ感じてしまう。
 安っぽい描き方としては、「重病でベッドから動かす事が出来ず、惑星に残った少女と、フランカの交流」というようなイベントでも起こしてあれば、爆弾を止める行動に説得力が出たかと。


 シリーズ全体として。
 開幕は、なかなか面白かったと思うんだけど。
すぐネタ切れになり、構成の緩さを露呈し、盛り上げられず終わってしまった。
 ラストバトルをマルチアーノが担当するのであれば、もっと彼女の内面を描くべき。
そうでないなら、彼女はあくまで「司令官」然とさせ、十二姉妹の方にウェイトを置けば良かった。
 十二姉妹も、ミスター一行との関係性で、いくらでもキャラが立てられたと思う。
「ミスターに『父親』を求める子」「ひたすらミスター殺害に執念を燃やす子」「自分と互角に戦うカタナに対し、憎みつつも惹かれていく子」「ビショップが自分を誉めてくれた軽口を本気に取り、恋してしまう純粋な子」「フランカと お友達になってしまう子」…等々、何とでも。
せっかくの面白げな設定を活かせなかったのは、残念としか。

 「イカした男達の、イカした大冒険」を描こうとしたのだろうが、これはスタッフの僅かな能力不足で「イカしているつもりらしい男達の、グズグズな愚行」と化してしまう。
 傑作になる芽は十分にあったと思えるのに、準備期間が足りなかったのか、これが限界だったのか、とにかく惜しい、勿体ない作品になってしまった。


2006年9月19日 火曜日

『ひぐらしのなく頃に』23.「罪滅し編 其の弐 還る処」 24.「罪滅し編 其の参 34号文書」

 うわー、殺しちゃった。
しかしまあ相手が、殺されるのもやむナシと「ドラマ上」思える あくどい男女だったから、さほどダークな気分でもなく。
 罪を感じられないキャラでも遠慮なく、酷い殺し方をする作品だから、もっと壮絶な事になるのかと。
妊娠している、という女の腹部を切りつけ、鉄パイプで撲殺する…普通なら十分すぎる残酷さだが、このアニメに限っては「もう慣れちゃった」ので、普通に受け取れてしまう。

 確かに現状、レナに取れる対処法は限られている。
 とりあえず父親に話をし、悪女と手を切らせる事だろうが、既に関係を持ってしまっているのだろう以上、ヤクザな男に暴力を振るわれる・金を脅し取られるのからは、逃れようがなく。
 警察に訴えても、まだ事件になってないので、どの程度 動いてくれるのか疑問。
 有能な弁護士でも雇って、法律面から攻めるのが手かな。
逆恨みされる危険性だけは、どうしようもないが。
 後腐れのないよう完全犯罪的に殺してしまう、というのも一方策だとは思うけど、普通の人間は「殺人」の重さに なかなか耐えられないモノらしいので、ロクでもない相手との軋轢に耐える生活と、生涯背負い続ける十字架、どちらがまだしもガマンできそうか、熟慮が必要。
 いや、ここは一応、「法治国家に生きている限り、何があっても他者を殺めるなど許されない」と言っておくべきか。

 死体を探しに出掛ける圭一達。
犯人がツアー一行に混じっている『スタンド・バイ・ミー』のよう。
 レナの殺人を、みんな割とスンナリ受け入れてしまう。
各人それなり以上に心の闇を抱えているので、そういう反応もアリなのかな。
 圭一だけは、「殺人」まで許容できるような過去を持っていない気もするが…今 直面しているのは「仲間」とか何とか そんな綺麗事で糊塗できる程度の事件じゃない、という事実にまだ気が付いていないだけなのかも。
それに彼も、分岐によっては殺人を厭わない、極端な人格だっけ。
 割と短絡的に二人も殺してしまった女の子と、これまで通りの関係を維持するのは難しそうだなあ。
ヘタな事言うと、何されるか分からなくて。

 そして…オヤシロサマの正体が明らかに。
まだ仮説に過ぎないんだろうけど、これがホントだとすると、この作品は「侵略モノ」みたいになるのかな。
 人間の深層心理に根ざすホラー、だと捉えてきたので、この展開は意外。



『仮面ライダーカブト』33.

 鉄仮面の下から現れた天道の顔。
彼と対面し、涙を流す ひよりは…
 という、もの凄い引きを見せながら、「それはそれとして」みたいな展開をする今回。
 まだ全ての謎が解かれるには早いのかも知れないが、それにしても消化不良な、欲求不満の印象。
 制作側の都合でこうなっているとも聞くけど…

 またもZECTに入っている天道。
この男もこの男だが、抵抗無く入れてしまうZECTもZECT。
天道に対し、想像を絶する深謀遠慮を持っているのかも知れないけれど、見ていると「特に考えていない」ようにも思えてしまう。
 天道は、意表を突く想定外の行動が面白いのであって、同じようなことを二度やられると、うーん。
思い切って「ワームと手を組む」とか、「ワームのリーダーっぽいお姉ちゃんと結婚する」、「ハイパーカブト天道・鉄仮面天道らと共に天道集団を結成し、ビストロをオープンする、あるいはトリオ・ザ・天道として歌手デビュー」などなど、もっと「なんじゃそりゃあ!」を見せて欲しいところ。
 今回のZECT入りは、組織の力や経済力を用いたゼクター狩りが主目的なんだろうが(制作側の目的は「影山を いたぶる事」かも)。
そういう後ろ盾があるのなら、剣に もっと大金を払ってやっても良かったんじゃないかなあ。

 ゴンを用いて、ドレイクゼクターを取り上げる天道は、ヒドい。
彼女がまた、天道に全幅の信頼を置いているところが、後味の悪さを増す。
 確かに大介は、ライダーに変身できることを喜んでいる訳ではなかったから、持ち出してしまうゴンの行動も「大介への愛情の表れ」と取れなくないが。

 矢車再登場。
ずいぶんと やさぐれちゃって、まあ。
「夏休み明け、マズい方向に大きくイメージチェンジして登校してきた優等生(イジメられっ子?)」という感じで、少々痛々しくも。
 正統派・バッタのライダーに変身。
ベルトのバックルを開き、そこにゼクターを留まらせるデザインが…ちょっとダサいような。
 強力な脚力を活かし、連続ライダーキックを決めるアクションはステキ。
 壊れたキャラとして活躍していくのだろうか。


2006年9月17日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』24.「復活のヤプール」

 ヤプール登場。
 メビウスに対する、割と地味な嫌がらせから始める辺り、『帰ってきたウルトラマン』の「悪魔と天使の間に…」を思い出してしまう。
こういうパターンは最近珍しい気もするから、楽しく見たけれども、考えてみるとメビウスは「防衛隊上層部に自分の正体を明かしている」というかなり特異な設定を持っており、それを活かしてミサキ総監代行にでも異変を訴えれば それで済んだような。
 ただ総監代行が事情を知り、「ミライだけが侵略者からの挑戦を受け取った」と他の隊員達に説明した場合、「何故、ミライだけ?」という当然の疑問が出て来てしまうので、それに適切に答えるのが難しい以上、特別扱いは出来ないのか。

 ミライの奇行に対し、他の隊員達、もうちょっと彼の側に立ってやっても。
撃たれようとまでしているのに、そのまま見ているのは あんまり。
そのお陰で、隊長の登場が格好良く演出できた、という所はあるにしても。
 今回の主題が、「ミライとリュウの絆」にあるから仕方ないのは分かるけど、もうちょっとだけ他隊員達の絆も描いて欲しかった。

 GUYS祭りは なかなか楽しそうで、実際に開催されるのなら、行くなあ( ^_^ )。
 何気なく空をウルトラホークとかが飛んでいたけど、そんな良好な状態で保存されてるんだ。
GUYS固有の戦闘機が故障した際には、昔の機体で戦える?
式典用にしか使えないコンディションかも知れないし、メテオールが搭載されていないので、既に実戦向きとは言えないのかな。

 青空を割って出現する超獣のイメージは、やはり鮮烈。
バキシムも格好良く演出されていて、オリジナル作より満足度は高いぐらい。
 ヤプールの脅威が もっと感じられれば、先行きへの期待は更に上がっただろうが…
それでも、赤い雨、操られる人々の赤い目、等々 不気味な絵作りは楽しく、まだしばらく(ずっと?)敵の親玉として登場し続けそうなので、これから凄味を発揮してくれるよう期待。


2006年9月13日 水曜日

 毎度すみません、〆切前状況に移行しますので、土曜日ぐらいまで更新は難しくなるかと思います。
あしからずご了承ください。


2006年9月12日 火曜日

『彩雲国物語』19.「かわいい娘には旅をさせよ」

 ああ、放送再開になっていたのか…って今頃だけど。
タイマーを継続的にセットしていたので、再放送中も録画は続いていたが、確認を怠っていたため通常放送が再開されている事に気が付かなかった。
 で、まあ胡蝶姉さんの顛末は、予想通りといった所。
この作品は、余程の悪党キャラでない限り心根を歪ませておらず、特に秀麗が信じた相手について、どうしようもないロクデナシには描くまい、と思えて。

 苦役を経て、実力だけで自分達が官吏にふさわしい事を周囲に認めさせる秀麗。
後ろ盾となっている王の力をもって、秀麗への差別的態度を禁じる事など簡単だろうが、それを一番喜ばないのは彼女自身。
 清廉潔白、前向きで力強く、いいキャラクターだと思うけれど、そういう性格を通す限り、「簡単に」国を動かすだけの力を手に入れられる王の妃の地位に就くことは、認められなくなる。
権力者に寄り添うことで幸せを掴む「シンデレラ」への道は、選べず。

 でも、恋愛で相手の心を掴むのもまた「戦い」だとは言える訳で、研鑽を積み官吏として「正しい事をしたければ、偉くなれ」で登り詰めていくのも、容姿や性格を磨いて王妃の座を射止めるのも、どちらが下だという事もない厳しい道のり。
 「王制」というのが既に民主的じゃないんだから、制度その物の打倒を目指しているのでなければ、手段に拘らず とにかくトップの地位に就き、王を操って善政を敷く事で「目的」を達成する やり方もアリじゃなかろうか。
 …って考えられるほど融通が利く性格じゃないんだろうな。



『仮面ライダーカブト』32.

 天道と ひよりは、やはり兄妹だった。
そこまでは予測できることだが、ワームひより誕生にあたり、割と複雑な事情があることまでは思い至らず。
 ワームって、外見や記憶・思考形態だけでなく、体内組成の全てをコピーできる(意図せずともコピーしてしまう?)のね。
実は人間と ほんの少ししか変わらない者達なのかも、と考えると、『エヴァンゲリオン』使徒のように、人の可能性としてあり得たものであり、侵略の方便としてではなく、人類に代わろうとする種族なのかも知れない。
 重病で死にそうな人間を真似た場合、うかうかしていると そのまま死んでしまうような事態もあるのかな?
「ひよりの誕生」が、出産も体験してみたかったワームの意図なのか、化けた当人も驚くような出来事だったのか、どちらかに寄るか。

 しかし…ひよりは妹でした、という種明かしで、物語に矛盾はないのかな?
シリーズを最初から見返してみないと、その辺は何とも判断しようが無く。
 「矛盾しているのかどうか分からない」ように見せられたのだから、特に問題無いとも言えるが。

 ワームひよりが対面した、鉄仮面の男の正体は、天道。
これは…外でライダーに変身している天道と、どちらが本物なのか。
ひよりと共振していたみたいだから、鉄仮面天道がワーム?
 ワームに、「人間の何もかもをコピーできる」「化けたワーム自身に、そういう存在だとの自覚がないケースもあり」という設定を設けたことで、「実はワームでした」形式のサプライズはいくらでも仕掛けられる余地があり、面白くはあるんだけど、若干「ズルい」とも感じてみたり。

 天道お婆ちゃんは、まだ存命?
いずれ姿を現す時が来るのか、このまま言葉だけの存在で終わるのか。
 意外と、「樹花が お婆ちゃん」だったり(笑)。
外見は少女に見えるが、実は九十歳ぐらい。
体質により、あるいは延齢処理(ワーム細胞を用いる?)により、現年齢以上に老けないとかね。
 もしかこうだったら、樹花 萌えだった人達は「萎え」なのか、それはそれでオッケーなのか。
 不思議なもので、外見上少女のようなエルフなど人外種族の年齢として、「1万16歳です」というような把握不可能な年齢を言われると特に抵抗ないが、「58歳です」など「ウチの母ちゃんと同じトシだ」みたいな実感しやすい年齢だと逆に「絶対、恋愛対象にならない年齢だ!」と感じてしまう。
 あ、58歳の方、ごめんなさい(^_^;)。


2006年9月11日 月曜日

『ARIA The NATURAL』24.

 ほのぼの癒し系作品にしては珍しく、若干 人間の「嫌」な部分が見えた話。
 一級のウンディーネである晃は、他の社員から妬まれていた?
社員数の多い会社に属していることで、アリア・カンパニーほどに全社員が家族的で居るのは難しく、晃がまたキツい性格であるため(この世界の水準では、多分キツい女性なのだろう)、敵を作りやすいという事なのか。

 しかし、ウンディーネって羨まれたりするほど恵まれた仕事なのかなあ。
一回お客さんを乗せて、報酬ってどのぐらいなんだろ。
階級があり、超一流の漕ぎ手になると料金設定が上がるとしても、一回に何万円もは取れなかろう。
 雨や風の強い日は休業だし、極寒の季節は(ネオ・ヴェネツィアにそういうシーズンがあるかは知らないが)客足がバッタリ落ちるだろうし、あんまり安楽な職業とは言えないような。
 資格試験もあるようで、星のイメージを決定づける職業だ、という事から、客足の多寡に関わらず給料が支払われる準公務員扱いなのかな。

 晃の圧倒的なウンディーネ力を見せて陰口を押さえ込む、あるいは、妬んでいた社員達が困難な状況に直面した際、晃が無言で助け、その結果 関係が改善される、など、「よくあるストーリー」として事件を処理してしまう方法を採らず、藍華が自分のために流してくれた涙をもって「救い」としてしまう作り方が、実に この作品らしい。
 実際、こういう事態に陥ってしまった時、当事者は「取り合わない」のがベスト…いやまあ、少なくともベターではあるだろう。
妬む人々は、「妬みたい」気持ちから そうしている訳で、そこに当事者側の考えや事実をぶつけても、事態が好転するケースは少なく。

 見習い少女達が、自分らの呼び名を考えるシーンが楽しい。
でも、ずっと見てきて、アリシアらの通り名を初めて知った、というぐらい使われない名前のようなので、一生懸命 考えて付けても さほど意味はないのかな。


2006年9月10日 日曜日

『BLACK BLOOD BROTHERS』01.「黒き血の兄弟」

 原作未読。
 原作ファンのためのアニメ化、なのだと思う。
そうであればいい。
 キャラクターも設定もまるで知らない、アニメから入ろうとする視聴者には、余りにも不親切な作りなので。

 誰が主人公かも分からせない内に舞台や視点を変えてみせるとか、特殊な用語・説明もないキャラクター名を羅列する、等々、特に第一話では推奨できない事を数多く やってしまっている。
 「どこが面白くなっていく作品なのか」という魅力の提示には失敗。
 公式サイトを見る限り、寝坊な吸血鬼・ジローが主人公なのだろう。
彼が目覚め、船上で超絶の能力を発揮する辺りから ようやく話は面白く…なるかと期待したが、予想しない事態だったとはいえ、余裕たっぷりだった状態から弟を海に落とされ、慌てて自分も飛び込む事で舞台としていた船の戦闘状況から無関係な存在となってしまい、そうまでしても沈む弟を結局助けることは出来ませんでした、という無力・役立たずぶりに、何をどう見せたいのか・受け取って欲しいのか、分からなくなってしまう。

 演出・作画は、まずまず普通という所。
バトルの見せ方は冴えない。
 吸血鬼、という設定について独自の意味合いを持たせているようであり、いずれ その辺りは面白くなってくるのかも知れない…とは思うが、「見続けたい」と思わせてくれる部分が余りにも薄く、ここまでに。



『ゼーガペイン』23.「沈まない月」

 月への侵攻作戦は続く。
 ガルズオルムの復元者達は、クローン、あるいは単に人格データを入れる有機体として、無数に体を有していた。
生きた肉体を持ちながら いくらでも換えが効く復元者達と、データ上の存在でありながら取り返しの付かない命を持つ人類側。
 どちらがより「生きている」と言えるのだろうか。

 オケアノス等に搭載されているプログラム・クルー画像は、各艦で共通なのね。
 キャラクターも共通なのかな。
学習によって差異が生まれている、とかでも面白いけど、そんな所までフォローしている暇はないか。
 彼ら彼女らのプログラムも、シマ製?

 月のサーバーへ編入させてやろうという、敵ボスのお誘い。
 「地上文明を滅ぼされた」事実など、現実的な記憶として持っていない京らに取り、ガルズオルムを憎む理由は「継続してきた戦いで仲間が殺された」以外に無く、被害を受けたのはお互い様だと考えれば、講和を結ぶ、あるいは…その支配を受け入れ、広大なデータ容量を持つサーバー内で「生」を全うさせてもらう、という選択肢も十分にアリだろう。
もしかすると、復元者として実体を与えてくれるかも知れず。
 この決戦で、また多くの人命が失われたこともあって、今優先すべきは「これ以上の人的損耗を避けること」。
 ガルズオルムの施設を完膚無きまでに破壊し尽くすことが、勝利には繋がらず、逆に破滅にさえ至ってしまう危険性があるのを考え合わせれば、余計に。
 元々、虚構の舞浜で送っていた生活には「自由」が無く、同じ日常を強制的に何度も繰り返させられていたのだから、管理者が居る月のサーバーに入ったとしても状況にさほどの変化は無いはずだし。

 唯一不安要素は、ガルズオルムのボスが信用できない相手であること。
地球を攻め滅ぼした過去を持つ人間が、自分のサーバーに加えた京達が意に沿わない行動を起こした時、あるいは単に彼らへの興味を無くした時、ふと存在を抹消してしまわないという保証はドコにも無く。
 不完全で制限が多く やがて破滅が来る世界と、理想的な環境はあるのだろうが残酷な神が支配する世界、どちらを選ぶべきなのか。

 考えれば考えるほど、選択は出来なくなってしまうだろう。
賢い決断を下そうとすると、メリット・デメリットの せめぎ合いが激しく、思索はすぐ袋小路に入ってしまうと思う。
 その状況を打開できるのは、「頭の悪い決断」!
 「オレの拳が、オレの上腕二頭筋が、オレの魂が怒り狂ってる!オレはテメエが大ッ嫌いだ!何があってもテメエの仲間になんて ならねえ!」というセリフの、素晴らしい頭の悪さ(上腕二頭筋で考えている?)…いや、理屈でなく感性に基づく驚くべき率直さ、と表現すべきか。
 しかしそれ故その言葉は、混迷した状況を断ち切り、人の心を動かすだけの力強さを持つ。

 策略や深慮によってモノゴトを進めようとするシマと、自分の心に正直な京。
まるで正反対な二人だが、どちらも強い「リーダーの資質」があるのかも知れないな。



『ウルトラマンメビウス』23.「時の海鳴り」

 マリナが遭遇する、時を越えた、不思議で切ない話。
 一人の男性に対する気持ちが、「好ましい青年」から「謎のエイリアン」に代わり、幼いマリナにすれば「痛みを癒してくれた優しいお兄さん」であって、両マリナにとり「命の恩人」でもある。
かなり複雑な内容を、とにかく30分で収め、見せきった手腕は見事。
 お爺ちゃんとマリナ達が過ごす懐かしい夏の風景に、ちょっとホロリと来てしまうのは、自分もジジイになったが故のノスタルジーか。

 小道具・紙飛行機の使い方がなかなか。
広場一面に散らばる紙飛行機で、少女マリナの不安定な心情を表してみるなど、ハッとさせる画面作りもあり。
 エイリアン・桐李が悲願としていたのだろうクロノーム打倒について、星を滅ぼしたほどの怪獣の恐ろしさが もう一つ伝わってこず、そのため彼の行動動機まで弱くなってしまったのは残念だが、ホントのところ怪獣は「時を越えさせる小道具」扱いなので、まあ良いのかな。

 しかし、頑張っていた今回の印象は、次回予告で全て消し飛んでしまう。
うわー!ヤプールを出すとは!
驚きすぎて、予告だけ何回も見直してしまった。
 既にマグマ星人も出したんだし、ヤプールが出ても不思議じゃないのか。
さすがに「シリーズを通しての敵」みたいな物まで受け継ぐとは、思わなかったもので。
 かなり恐ろしい相手として描かれそうで、楽しみ。
 後は、『レオ』のブラック司令も出してみては(笑)。


2006年9月9日 土曜日

『ウィッチブレイド』22.「告」

 避けられない死を覚悟し、梨穂子にそれとなく別れを告げる雅音。
ここのところ彼女の死亡フラグを立てまくっているが、だからこそ逆に、生き残るのかな?という予感も。

 バトルアクションに もう一つ面白味が足りないままなのは不満だが、母子の関係は かなり良く描けていると思え、娘に強い愛情を寄せる母の気持ちが切ない。
 ただ…梨穂子って何歳だっけ?
料理も出来るし かなりしっかりしており、「ママもうすぐ見えなくなっちゃう」みたいな幼児に聞かせる言い方をしなくても。
「娘の成長を正しく捉えられていない雅音」の方が実は「幼い」、という意図を込めてある?
 まあ直接的に、「ママはじきに死ぬのよ」とは言えまいが。



『ルパン三世 セブンデイズ ラプソディ』

 夏恒例のテレビスペシャル。
頭を抱える内容であることが多い、このスペシャル・シリーズだが、今年もやっぱり、な部分と、今年は割とマシな部分があり。

 ダメなところ…
 とにかく作画的に冴えず、頑張って修正してはいるのだろうが、全身が入るようなカットになると崩れが目立つ。
 アクションシーンに顕著な、演出の拙さ。
三輪タクシーでのカーチェイスや、床を滑りながら施設のガードマンを倒すルパンのガンアクションなど、面白くない上に何がどうなっているのかさえ分かりづらい所があり、目に楽しくない。

 ルパン、次元、不二子と五ヱ門、という三者に勢力を分け、それぞれに対応する しがらみや敵の存在を設定しているため、登場キャラが多くなり、ゴチャゴチャしてしまった。
社長に取って代わろうとする会社のナンバー2と、不二子が組んでいた宝石奪取の責任者は、デザインが似ていることもあって、最初、同じキャラかと思っていたぐらい。
 「てんでんばらばらだった物語が、後半に行くに従って一つに集約されていく」というのがこのスペシャルの仕掛けだったのだろうから、ある程度は仕方ないと思うが…
上記ナンバー2は特にキャラがなく不必要だったと思うし、ルーク・スカイウォーカーが修行の時使ったような変なボールを爆発させる下っ端三人組も、削るか、逆に もっと個性と脅威を強調するか、他のキャラと統合して整理した方が見易かったかと。

 ルパンと次元が敵対する、キモだろう構成にしても…
誰かに上手く騙された訳でなし、やむを得ない立場の違いから本気で殺し合うことになってしまった、という訳でもないため、「何で対立してるんだっけ?」としか思えず。
 「メインの二人が本気でやり合ったら面白いよね」といった思いつきからスタートしているんだろうが、そこに至る過程に、煮詰め方がまるで足りていない。
 撃ち合いを見せるアクションも、もちろん冴えず。
 さっきまで銃を向け合っていた二人が、「相棒」という言葉を用いた探り合いによって距離を詰め、いつも通りの関係に戻る所など なかなか上手いのに、その前の緊張感が弱いので、この緩和が上手く活かせてなく、残念。

 次元、かつての仲間に殺意すら持っているようだが…
彼の恋人が死んだのは仲間のせいじゃなく(ドジではあったろうが故意の殺人ではない)、ほとんど逆恨み。
 仲間に、「本当はオレがあの女を殺して金を奪ってやったのさ!」などと聞いてもいない「衝撃の真相」を告白させた方が、安っぽくも分かり易くなったろう。

 五ヱ門も、「酷い馬鹿」という程ではない描き方なんだけど、「お笑い」を寒い雰囲気で真似てみたギャグが目立ち、シオシオ。
 三輪タクシー・チェイスでは、「運転手がヒドい目に遭う」のが笑い処なんだろうが、ルパン達がハンドルを握っている訳ではない、というのが災いし、特に興味を感じられず ただ「長いなあ」としか。
 笑えないコントを抜いてくれれば、随分と見易くなったかも知れないのに。

 偽装ダイヤの中に爆発物を仕込み、ホワイトハウスに持ち込ませて大統領を脅迫…って、凄まじくアホみたいな計画だなあ。
大統領以下全員(大統領だけでもコッソリ)、建物から外に出てしまえば無意味になるのでは?
 ヒロインに付けさせていたようなダイヤの首飾りを、ファースト・レディーに付けさせれば目的は達成されると思え、こんな大掛かりなことをする意味はドコにあったのかと。
 このすり替え計画の現責任者であるナンバー2が、罪を問われない・制裁を受けないのも疑問。


 悪い所は相変わらず多すぎるので、良かった所も。

 ルパンを侮る警備の者達を牽制し、エンジン音だけでフィアットだと聞き分け、むしり取った変装マスクが爆発する仕掛けに対策を講じてくる、「アホじゃない」銭形が嬉しい。
 「変装マスクの爆発」は、「死の翼アルバトロス」で見られた演出。
亡くなった王女?に、先にあの世へと行って挨拶しておく、と語る悪役に、「そいつは無理だ、彼女は天国に居るが、お前は地獄に行くんだ」と次元が告げる辺り、「インベーダー金庫は開いたか?」で女性に向けて次元が言った「もう会えねえぜ、俺が行くのは地獄だしな」というセリフに似ている。
 今回は全体に、『ルパン三世 セカンドシリーズ』を踏まえた、雰囲気を継承した、軽い作り。
脚本の柏原寛二は、何本もルパンスペシャルを手掛けているが、これまで旧作を踏襲するような小技を見せたことが無い。
だから、「珍しく旧作を見返した」のか「監督や演出家によるアドリブ」ではなかろうか。

 口の中に便利な歯を仕込んであるルパン、ってのは都合良すぎながら、原作漫画版ルパンにも こういう所は多々あるので、許容。
 細部の観察で追跡者を見分ける五ヱ門。
それはルパンの役割じゃないか?と思いつつ、鋭いのは結構。
 ラスボスとの決着は、まるで盛り上がらないけれど、いつものスペシャルの「つまらない力業で倒す」見せ方より ずっとマシか。
 ヒロインに余り魅力がないこと、その父親が、違法の地雷製造など悪行を成していたのに生き残ってしまったこと、なんかも疑問だが、まあ軽い内容には相応しいのかな。

 テレビシリーズ30分の内容を、薄めて余計な物を大量混入して2時間弱にしたもの、と考えれば、全体に それほど悪くない。
「レギュラー・キャラクターに対する信じられないような無理解」や「不愉快なシーン」が少ない分、スペシャル・シリーズの中では、まともな方。
 もうこのスペシャルを終わりにした方が良いと思い続けてきたが…キャラの描き方は これをベースにして、ストーリーをもっと きちんと構成し、それなりにぐらいはアクションが上手く作れるスタッフを揃えられれば、面白い作品を作れる芽はありそう。


2006年9月6日 水曜日

 「コミックシグマ」創刊号カラーの作業遅れで、どたばた。
 すみません、金曜日まで更新は不安定になります。


2006年9月5日 火曜日

『ARIA The NATURAL』23.「その 海と恋と想いと…」

 年配の夫婦が結婚記念日を祝いに、AQUAを訪れる。
 相変わらず、圧倒的な愛と善意とシアワセでもって、グイグイ押してくる内容。
ヒネくれた気持ちの一部が「こんな話、見てられねー」と絶叫しているのを感じつつも、心の大部分はすっかり癒され、ラスト辺りではホロリとさせられてしまう。

 自分が いい歳になったせいか、若いモンの、情熱に突き動かされるばかりの恋愛沙汰も悪くはないと思うけど、こういう落ち着いた夫婦の有り様がより染みる。
何か大きなイベントの勢いにでも任せなければ、ヨメさんへの好意だの感謝だの口に出来るものではないって、実際。
 仕事に忙殺されてきたのだろうダンナさんに対し、変わらず愛情を寄せ続ける奥様が出来過ぎ。
これほどダンナさんに理解があるヨメさんばかりなら、熟年離婚なんて起こらないだろう。
 「一生懸命に努力して、奥様を喜ばせようとする」心根を持ったダンナさんだったからこそ、奥様も共に歩んで来られたのか。



『ガイキング』36.「再会・裏切りの父!こんなに愛してるのにぃぃッ!!」

 ダリウス大帝も恐ろしげな敵だったが、プロイストの厄介さ加減に比べれば、遙かに付き合いやすいと言える。
 暴走する我が娘を止めて欲しいと、大空魔竜側に交渉を持ってくるダリウス。
ダイヤ父が洗脳や脅迫された様子もなく協力している所と、「移住」という考え方を示した所からすると、まだ人類側と協調できる指導者だったのだろうか。

 プロイスト、扱いづらい敵だなあと思っていたが、激した余り父親を殺し(まだ生きている?)、その己の行為を憶えていないのか自分にそうさせたことまで含めて大空魔竜の罪だというのか、これ以上ないぐらい理不尽なブチ切れ方を披露する凄さに、『明日のナージャ』ローズマリーなど思い出しつつ、ちょっと笑ってしまう。
ダイヤ達、「オヤジ殺したんは お前やんけ!」と指摘してやっても良かったと思うけど、そんな言葉が通じる相手じゃないか。
 自国の民をゴミのように殺すプロイストが壮絶。
民なくして国もなかろうに、娘を甘やかすばかりで そういう帝王学の教育が足りてなかったんじゃないですか、ダリウスお父ちゃん。

 ダイヤとプロイストは、どちらも「愛する父親に裏切られた」と思っており、しかし「父親の行動は、子供への愛ゆえ(多分、ダイヤ父もそうなのだろう)」という所まで一緒。
似た立場の者同士、深く分かり合えるんじゃないかと思うんだけど、なかなか世の中上手く行かないもので。
 大きな相違は「ダイヤには優しい母親が居ること」か。
そういえば、プロイスト母、ダリウス嫁って画面に出てたっけ?
プロイストは、人工的に作られた娘?


2006年9月4日 月曜日

『N・H・Kにようこそ!』09.「夏の日にようこそ!」

 暴走する妄想とか、出来てもいないゲームを不必要なほど自慢するところとかは、まあいつも通りだけど、今回は何だかフツーに青春物の雰囲気。
 色々なモノゴトが上手く行かず、グダグダになって行くアホな男達を描く作品だと思っているもので、二組とも穏やかな恋愛模様を展開してみせるラストを見て、かえって不安になってしまう。
主人公達に強くシンパシーを感じていた視聴者は、「裏切った」主要キャラ二人に対し、途中で投げ出されたシュプレヒコールである「消え失せろ!」を、テレビの前で叫びたい気持ちにさせられたのでは。

 幼少期、好きだった少女にウソをつかれたのが切っ掛けで、心にトラウマを抱えてしまう山崎。
 晒した姿の情けなさからして、少女から「同情」を寄せられはしても、とにかく魅力を何もアピールできていないのだから「好意」を持ってもらうのは難しい。
それにしては、「気を遣ってウソをついてくれた」反応は まだしも「好意」に近いと、少しでも冷静になれば分かると思うんだけど。
 心の傷を乗り越えて、同級生を花火大会に誘う山崎は、立派。
それだけのガッツがあるなら、二次元への逃げ込み方は酷く ならないと思うが…つい最近、再び好意を向けられる「生身の」同級生と出会えたことで ようやく勇気を振り絞れた、という事なのかな。

 お面で素顔を覆うことにより、本当の心の叫びが表面に現れてくる。
このパターンを繰り返す所が、非常に上手い。
その お面に、少々もじってはあったけど「仮面ライダー」を使う、その選択がまた正しい。
 まさかこのままラブラブ青春コメディーになるとは思えず(だったらエンディングを変えないと)、この後、ダークな展開が待っていそうな予感。



『仮面ライダーカブト』31.

 ハイパーカブトは、未来から来たカブト自身?
ハイパー姿が現れているという事は、専用のゼクターがいずれカブトの手に渡るという事、というような原因と結果が逆転した言い方を、ワームがしていたけど。

 なるほど、前回 天道に加賀美が、目の前のワームは剣だと告げなかったのは、そんな些末な(!)事情には拘らず「敵」あるいは単に「害虫」として容赦なく始末してしまうだろう、上手くこの場を逃げおおせても剣を消去すべく付け狙う恐れすらある…という判断からか。
加賀美の人を見る目は、確か。
 執事のジイサンも、剣の事情は既知。
やはり外見より、後を継ぐに相応しい心を…もしくは体面を重視したのかな?

 ひよりまで、実はワーム?
しかも、羽はともかく、全体に余り可愛いデザインじゃないぞ(笑)。
 天道と ひよりの両親は、同じ人物だった。
二人は兄妹?
親の写真を見知らぬ人だという樹花こそ、天道と血の繋がりがない他人なのか。
 ああ、実は天道は未来人で、彼がよく口にする「お婆ちゃん」とは樹花の事だった、という謎解きはどうだろ。

 ラストで登場した鉄仮面は誰?
若い男性みたいなので、天道か加賀美のオリジナル?
来週もう、ひよりと鉄仮面が対面するのか…展開早いなあ。
 色々と謎が解けたような、より疑問が深くなったような。
 劇場版でこの辺がちょっと描かれているという話も聞くけど、とにかく仮面ライダーには甘い友人達の評判さえ悪いので、映画館まで見に行く気力は…



 テレビのニュース項目文字に「王子のTOB」と あるのを見て、「またハンカチ王子の話題か」と一瞬思ってしまった自分は、夏の疲れが出ているんだと思う。


2006年9月3日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』22.「日々の未来」

 前回の内容は、ウルトラゾーンという設定などは面白かったものの、きっちり作られている この作品にしては「?」と思わせられる内容だったが、今回と前・後編だと考えれば納得。

 宇宙船の仲間を守るため、自らの命を犠牲にしたバン・ヒロトとミライの関わりは、『ウルトラセブン』でセブンがモデルにした勇気ある地球人と同じようなものかと想像していたが、確かにそういう要素も孕みつつ、失われた(失われようとした)命をウルトラマンが引き継いで生きているという意味では、初代マンなどシリーズの伝統通りとも言える。
 命をもある程度自由に出来る、神に近い力を持つウルトラマンなのに、バン・ヒロトを助けられなかったのは、「惜しくも間に合わなかった」という見せ方ではあるが、やはりメビウスの未熟さ故なのかな。

 ヒロト父との対面で、「亡き息子の姿だけが目の前にある辛さ」と「意志を継ぐかのように息子と同じ姿の青年が地球を守り活躍している嬉しさ」の狭間にある微妙な心理状態を描き出す、シナリオと、役者さんの熱演が素晴らしい。
 ミライも、地球に着いたばかりの頃は言葉遣いがたどたどしく、まだ人間の発声器官になれていない事を感じ取らせてくれて、上手い。
 ヒロトが宇宙で呟いた「地球での友達が欲しいな」という言葉が、ラストに結実していく、この構成が大変に良く出来ていて、ホロリ。

 隊長はミライの正体を知っている?というのが長らく疑問だったが、ここでハッキリと種明かし。
「隊員の中に、ウルトラマンに変身できる者が混じっていた」というより、「彼がウルトラマンだと知って、監視・教育のため(?)隊に加えた」のが本当なのかな。
これは、シリーズ中でも初めてのパターン…あ、『レオ』があるか。
 この謎解きからすると、「隊長、実はゾフィー」なんて事は無さそう。
 ヒロト父がサコミズについて何か言いかけていた所から、司令官と兼任しての隊長ではある?

 バン・ヒロトの遺体は見つかってない…んだよね?
 乗機が小惑星に墜落しており、そこにはボガール達が居た所から妄想して、死ぬ寸前にボガール種族のボスのような個体に体を摂取され、現在は悪意の塊となって地球に居る、というようなダーク・ウルトラマン的設定はどうか。
…と思ったけど、それはもうツルギでやっちゃってるなあ。



 街角で、ちょっといい感じの少女を見かける。
 ごくノーマルなセーラー服を着た女子高生。
 顔立ちは割と可愛い感じだけど、全体に大人しそう、というか地味目。
メガネ着用。
根拠はないけど「図書委員」とか「委員長」とかいった雰囲気。
 それにしては、かなり短いスカート。
友人なのか、連れだって歩いていた女子高生とスカート丈が同じ、という事で、みんなと合わせた長さにしているのかなあ。

 そこまでなら、別に何も特筆すべき事はないんだけど、目を奪われたのが、その右手と右足。
以下、その図。






 こんな感じで、袖から覗く右手と、スカートから出た右足全体に隙間無く包帯が巻かれていた。
 包帯少女?
綾波レイ・ブームから相当 時間が経った今頃?

 歩くのに特に不自由は無さそうだし、右手も普通に動かしている。
だから、折れてるとか、そういう事ではないものと。
 火傷したのか、一面に擦過傷でも負ったのか。
例えば、大型犬の散歩中、イキナリ走り出した犬に引っ張られて右側を下に横倒しになり、しかし引き綱を離さなかったため地面を引き摺られて、右手右足に傷を負ったとか。
いや、実際そんな風に怪我をした知人が居るもので。

 もしかして深刻な事情があるのかも知れないが、通りすがりで何も知らない自分が想像すると「ドジっ子」にも感じられ、頭の良さそうな顔立ちとのギャップで、キャラクターが立ち上がってくる。
 ああ、こういう姿でヒロインが現れるファーストシーンを設け、漫画に使用する手もあったなあ。
いつか本当に使うかも知れないけど、その時は「どこからでもネタを拾う奴だ」と思って頂ければ幸い。


2006年9月2日 土曜日

 映画『スーパーマン リターンズ』を見る。
 『ユージュアル・サスペクツ』『X-メン』のブライアン・シンガー監督。

 とにかくクリストファー・リーブ版の『スーパーマン』、特に一作目が好きなので、彼亡き後、キャストを一新して作られる新作に、期待と不安を持っていたが…
ああ、これなら、まあ。
 主演、ブランドン・ラウスは、実にリーブとイメージが近くて嬉しい。
背が高くハンサムでガッシリした体付きを持ち、ちょっと遠目のショットになると、見分けが付かなくなるぐらい。
 「リーブと似てて良いね」と言われるのは、役者本人にとって大変複雑な思いだろうけど…

 オープニング、寒々しくも懐かしいクリプトン星の景色が見えてきて、そこから宇宙を旅するタイトルバックに、お馴染み文字が流れるタイトルが続き、素晴らしいジョン・ウィリアムスのテーマが被さると、「帰ってきたなあ」という気分になる。
古き良きアメリカを思わせるケント農場に、トゲトゲデザインが印象的なカプセルが墜落してくる、もうここまでで、オリジナル(リーブ版映画)が好きな自分にとっては、入場料分 元を取ったと感じられてしまう。

 この映画は、続編でもあるが、オリジナル映画のリメイクでもある。
土地に拘るレックス・ルーサーの悪巧み、飛行デート、クリプトナイトによる苦戦、裏切りのルーサー愛人…飛行する乗り物でロイス・レーンが事故に遭い、群衆の目の前でスーパーマンがそれを華麗に助け(一歩間違えば その場に居合わせた自分達が死んでいたかも知れないのに、やっぱり目の前のファンタジーを拍手と歓声で迎える、市民達のヤンキー魂 炸裂ぶりが嬉しい)、「飛行機は統計上最も安全な…」という聞き覚えのあるセリフで締める所まで、まるっきり同じ。
 今回の事件は、スーパーマンが「自宅」に もうちょっと防犯意識を持っていれば防げたんじゃないか、という気がしないでもないが、思えばオリジナルでもレックス・ルーサーは米軍のミサイル・プログラムを書き換えることで思い通りに操っており、「他者の物を勝手に使って危機を呼び起こす」構成は一緒なのか。

 かなり お気楽な話だったオリジナルとの大きな相違は、空白の期間を経て、スーパーマンを自然には受け入れてくれない状況が生まれていること。
具体的には、ロイスの恋人と、その息子の存在。
 陽気なヒーローであり、誰からも愛されるスーパーマンだが、「本当に欲しい愛情」を与えてくれる相手は、義母・マーサと、ロイスに限られている。
そのロイスから愛情を拒まれるや、彼の心の中には、「故郷を失った異邦人」としての孤独が現れてきてしまう。
 こういう影を背負わせるのは、さすが『X-メン』のブライアン・シンガーだけあって、上手い。
 とはいっても、『バットマン』や『スパイダーマン』程には、この暗さを掘り下げず。
そこは「スーパーマン」という作品に期待されるイメージの限界か。

 体が弱く、ピアノが好きな子供の設定は なかなか良かったと思うが、彼とクラーク・スーパーマンが仲良くなる描写が足りていないように思え、残念。
ロイスが「主」で構わないんだけど、子供との関わりが弱いと、ラストまで軽くなってしまう。

 悪役・レックス・ルーサーを実に楽しそうに演じているケビン・スペイシーがイイ。
今回、やっていることは壮大な割にセコいが、彼のキャラクターが余りに良いので、細かいことはほとんど許してしまえる。
 レックスの部下が、オリジナルのネッド・ビーティみたいな「いかにも」のコメディー・リリーフから、剣呑な雰囲気を漂わせキャラクターが無い(ピアノの場面は感動的ですらあったのに…)連中に換えられているのは、今風。

 以下、大きく内容に触れてしまうので、ご注意。




 男の子の頑張りは良いんだけど、「死」が絡むと、ちょっと重すぎてしまわないかなあ。
スーパーマンだって、悪役を直接的に殺す場面は少ないのに。
サラッと流されるとはいえ、幼い少年に背負わせるには、シンドイ結果。
 「骨がボキボキ折れた悪役がヘリで病院に運ばれました」ぐらいで良かったような。

 飛行機の墜落、メトロポリスの危機など、見所となる楽しいアクションは多いが、最終的にルーサーとの決着を しっかり付けないのは大きく不満。
愛人の行動をスーパーマンは知らないはずなので、まだ「盗品」を持って逃走しているとなると かなり危険なはずであり、放置しておいて良いハズが無く。
 ヘリを引いて行って刑務所内に放り込むとか、そのぐらいでも良いから、きちんと終わらせて欲しかった。

 一番の不満は…
スーパーマン最大の弱点であるクリプトナイトを、「ガッツで何とかしました」というような描き方で克服(多大な損傷は受けるが)させてしまうこと。
この弱点設定は、絶対的なものだと思うんだけど。
 鉛製の鎧を身に纏い影響を遮断して臨むとか、どうとでも対処法はあったろうに。
 「事件の最後の解決法が不合理」なんて所まで、オリジナルを踏襲しなくても。
 甦らせる事により、「救世主」をイメージさせようとしているのか。

 三角関係の簡単な解決法である「恋敵の男が実はロクデナシ」というのを やらず、逆に彼はかなりのナイスガイだと思え、そうなると今後が難しくなりそう。
物分かりが良すぎる感じはあるので、自ら身を引かせる手はアリかなあ。
ちょっと都合が良すぎるが。
 そういう心配は、続編が作られたら、という前提。
そこそこヒットしたみたいだけど、膨大な製作予算に比しては十分な成績と言えず、続編製作が難航しているみたいなので。
 出来は決して悪くなかったと思うし、オリジナルでも そうだったように続編こそアクション満載で派手な内容に出来るはずだから、是非 続けて作って欲しい。

 エンドクレジットの、「クリストファー・リーブ夫妻に捧ぐ」にホロリ。
生きていればジョー・エル役とか(まだ早いか?)、何らかの形で映画に顔を出してくれたかも知れないのに。
 きっと、新たなスーパーマン・サーガの開幕を、喜んでいるんじゃなかろうか。


2006年9月1日 金曜日

『ゼーガペイン』22.「ジフェイタス」

 データ上の存在になってしまった人類側が、ゼーガペインやオケアノスといった巨大な、しかも現在の科学技術では建造不可能な程の戦力を保持できているのは何故なのか、という疑問があった。
 コレはまあ、「ロボットアニメですから、分かるでしょホラ」という目配せだけでも納得できなくはないのだが、さすが このアニメは、しっかり設定を作ってある模様。
 シマ司令が敵側からの脱走者であり、高度な技術を持って人類側に付いたことで、建造を可能にしたものか。
しかし…地球上の人類側にはサーバーと周辺機器ぐらいしか無さそうだけど、工場施設とか、残ってたのかなあ?

 ガルズオルムは、人類より遙かに進んだ技術力を持ち、しかも現在でもサーバー内の時間を加速させる事によって、「魔法」に等しい科学力を入手する事が可能?
そうなると、人類側に勝ち目など無いような。
 救いは、何故か敵側が、絶望的なまでに進んだオーバー・テクノロジーを戦線に投入してこない事。
 もしかして、ガルズオルムのサーバー内では「人間」が既に絶滅しており(個人の意志で統括された進化は容易に破滅に繋がるとか何とか)、機械が管理する無人の「理想的世界」が広がっているばかりなので、技術の進みようがなくなっているとか。

 余りにも無謀な、ほとんど出たトコ任せと言って良い、人類の大反攻作戦。
 成功すれば、データ人類は現実の体を取り戻せる。
…ただ、欠損部分が多く、ゼーガペインのコクピットから外に出ると感情が失われてしまう了子を除き。
 視聴者を安心させてしまわず、ストーリーのどこかにグラグラした不安定な状況を作り続ける事で、早く次回を見たい気にさせる構成が素晴らしい。


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