ときどき日記 2006/11

2006年11月30日 木曜日

『パンプキンシザーズ』08.「雪原に燃えて」09.「朝霧の女」

 特にアリスのキャラクターが面白く、復興部隊版『コンバット』のような各話バラエティーの内容も悪くないので、見続ける事に支障はないが…
 どんな危機が襲ってきても、伍長がランタンに火を灯せば切り抜けられる事が既に分かっており、「ウルトラマンや仮面ライダーを仲間に加えた状態で各地の生身の悪党を潰す」パターンを繰り返しているため(そこから言えば、『ズバット』に近い?)、どうにも緊張感が薄い。
 せめて伍長の能力的限界…時間制限とか戦闘中にランタンが消えたら死んじゃうとか…をハッキリさせてくれれば、もっとハラハラできるように思うけど。

 シリーズも後半に入り、ぼちぼち大きなストーリーが見えてくる…と思うので、ここからの盛り上がりに期待。



 掲示板で教えて頂き、実相寺昭雄 監督が亡くなった事を知る。
 本当、今年は大きな星が幾つも落ちるな。

 その斬新な映像センスが創作の世界にもたらした影響は、計り知れず。
…斬新すぎて、パロディーという以上の模倣は未だ誰にも出来てない?
 『ウルトラセブン』「狙われた街」で、葬儀場内を歩くダンをワンショットで捉え、擦れ違いに聞こえてくる参列者の声だけで「どうして故人が亡くなるに至ったのか」を説明する、この演出の巧さに唸らされた覚えが。
あと…いや、印象に残るカメラワークとか演出を語ると、果てが無さそう。

 たくさんの素晴らしい映像作品を、ありがとうございました。
 ご冥福をお祈りいたします。


2006年11月29日 水曜日

『くじびきアンバランス』06.「ぜったい、ないしょにしておこう。8点」07.「えらいひとのはなしをきく。4点」08.「むかしのことをわすれている。7点」

 6話。
 ちびっ子・小雪が超能力を持っている、というのは既に伏線が引かれているので分かっていたけれども、その彼女が力に対し葛藤して皆に告白し、改めて受け入れられる(まだ主人公しか知らないんだっけ?)ストーリーを構築するため、とはいえ…
唐突に侵略UFOと巨大ロボットを出現させ、それを小雪が超能力発動の末 完膚無きまでに叩きのめし、チビ宇宙人二人を地球上で路頭に迷わせるというウルトラ展開になるとは…!

 「侵略宇宙人」の存在さえ、学園生徒達は特に抵抗無く受け入れている(面白がっている)ようなのだから、「超能力少女」ぐらい大した問題じゃないのでは?
 まあ、小雪の悩みは、力を知られる事により「政府機関に捉えられて実験動物扱いされる」とか「人間兵器として敵国兵士を殺害するような任務を強制される」なんていうシリアス・ミュータントジャンルのパターンに沿うものではなく、「みんなに気持ち悪いって言われちゃうかも」ぐらいの呑気な、小市民的な物なので、宇宙人が居ようが何だろうが、楽にはならないのかな。

 7話。
 学園には、剣呑なスパイが多数潜入しており、それに対抗すべく、実弾射撃による射殺さえ辞さない防衛チームも組織されていた。
…まあ、そういう設定なんだから異を唱えても仕方なく、「そうなんだ〜」としか言い様がない訳だけど、さすがに違和感はバリバリと感じてしまう。
 「スパイごっこ」ぐらいならともかく、正体が露見したスパイは その場で自決しようとするぐらいシリアスな扱いにしてしまうと、他のノンビリした話が成り立たなくなる(両者が、一つの作品世界に乗せるには乖離しすぎる)ような。
 前回のUFOと同じく、「何でもあり」世界を構成する一要素として、軽く受け止めるべきなのか。

 少女・いづみのキャラクター造形は可愛いし、ツンデレな魅力も醸し出せていると思うが…命を賭けてまで主人公側になびいてくるには、まだ描写が不足。
数話かけて彫り込むべきキャラだと思う。
 作画が非常に頑張っており、「いづみが、一度も食べた事のないぜんざいを、慣れない手つきで、しかし夢中になって掻き込む」という難しい演技が感動的な上手さで描写され、時間的にまるで足りない彼女の性格付けを一気に深くする。
 作画に大きく救われている(作画をキープする事まで織り込み済みでシリーズの計画が立てられている?)作品。

 敵対し厳正に処分するのではなく、「馬鹿が付くぐらいの甘さと優しさ」で相手を包み込んでしまう…歴代最弱に見えながら、意外と最強かも知れない次期生徒会の描き方が楽しい。
 「すっかり丸め込まれた」いづみは、仲間になるのかと思ったが、次の話には出ておらず。
どういう扱いになるんだろう?

 8話。
 すっ飛んだ話が続いた後で、学園物としてはパターンに近い、「お金持ちの家同士が都合で決めた、子供の意に染まない婚約・結婚」エピソード。
 むぅー、やっぱり、「高校生の身で殺人の指令さえ下せる立場なのを自覚している」生徒会長が、「望まない婚約に葛藤する」という普通人の反応を示すのは…割り切るべきだとは思いつつ、違和感。
『攻殻機動隊』素子でも、イキナリ見合いしろとか結婚しろと言われれば、戸惑い、人間らしい反応が出てくるのかも知れないけど。
あ、いや、素子だと何かしら任務にプラスになると分かれば、結婚「ぐらい」アッサリ承諾するかな。

 ヒヨコの時から会長が保護し、立派に育て上げた鶏に重ね、もう無責任な子供では居られなくなってしまった三人の心情が描かれる。
 普段は、超が付くぐらい お人好しでニコニコしてばかりいる時乃なのに、こと千尋が(しかも会長と)絡むと俄然「女の子」になり、複雑な内面を見せる。
こういう所は、キャラを一面的に捉えていない事を伺わせてくれ、結構。
 会長の豪快な着替えサービスシーンに驚く。
こんな巨乳キャラだったとは、普段の服装からは想像できず。
「一杯に水が詰まった袋を仕舞っている」ようなドレスの着用カットが、その柔らかさまで想像させ、煩悩に訴えかけてくる。

 家の庭でガーデンパーティーを開かせるのであれば、もっと常識外れの豪邸(『うる星』面堂家とか『派出所』中川家のような)にした方が、どうせアニメの嘘なんだし やりやすいんじゃないかと思うけど、意外と「そこそこのお金持ち」程度に環境を設定してあり、逆に新鮮。
 ただ、執事が居る事さえ不思議に思ってしまうような大きさに見え…

 ここからは、主人公を挟む会長と時乃の三角関係(会長婚約者と合わせて四角関係?)、そして未完成な次期生徒会メンバーがメキメキとした成長を見せる事で、シリーズのクライマックスへ向かっていくのかな。


2006年11月28日 火曜日

『魔弾戦記リュウケンドー』47.「謎の龍戦士」

 ゲキリュウケンが人間の姿を取って(元の姿に戻って)剣二と対面する、なかなか奇想天外な話。
 剣形態の時と性格が違うような気はするけど、龍と一体になっているから、なのかな。

 変身までして見せ、強敵を撃破するパワフルさを見せつけるゲキリュウケン。
 こうなると剣二は、自分なんか必要ないと拗ねるか、早く力を返せと怒る、悪くすると「この状態じゃ戦えない」とばかり逃げ出す反応もあり得たろうが…
全く、これっぽっちも気にせず、生身のままゲキリュウケンと並び戦い、徒手空拳では勝てるはずのない相手にも臆せず突っ込んでいく。
 「おバカさんだなあ」とも思うけど、この前向きな真っ直ぐさ、みなぎる闘志が あればこそ、ゲキリュウケンは自分の力を全て委ね、共に戦うことに何の不満も不安も感じず済むのだろう。

 前回の、Dr.ウォームが、ジャマンガ・人類側、どちらにも付く事が出来ず苦しむ様子なども、異色エピソードでありながらドラマの流れを作る上で非常に有効に働いて行くと予想できる。
本筋が しっかりと勧善懲悪している事で、異色作を挟んでもメインストリームを見失わないで済んでいるのか。
 シリーズはクライマックスに向かっているが、不安を感じることなく、楽しく見終えられそう。



 InternetExplorerのバージョンを上げたことで、このHPの文字が変に大きかったことに、今更気付く。
 という訳で、フォントを一段階小さくしてみました。
見づらくなったなど、不具合が生じておりましたら、掲示板・メール等でご指摘をお願いします。

 ※どうも読み辛いようなので、元のサイズに戻しました。お騒がせいたしました。



 今更ながら、テレビで放送された映画『容疑者 室井慎次』を見る。
 言わずと知れた、『踊る大捜査線』シリーズからのスピンオフ企画。
 『交渉人 真下正義』には色々と欠点があったが、第二作に当たる今作はどんなものか…と思いつつ見て…
「何でこんな映画作ったんだろう」という根本的疑問ばかり感じてしまう。

 とにかく、主人公に据えられた室井が「何もしない」のに驚く。
困難な立場に追いやられているのに、自分では全く動こうとせず、モノマネ芸人により見飽きてしまった感のある「室井、苦悶の表情」を ひたすら浮かべるばかり。
 原典シリーズでは、青島始め現場の刑事達が動き回る様子を「認める」のが主な役割で、確かに自ら何かするキャラクターじゃないんだけど…
それをそのまま引き写しては、主役不在、脇役だけで作っている映画だと余計に強く感じさせてしまう。
 本来、女弁護士や新宿署の刑事達が湾岸署の代わりになって大活躍しなければならなかったのだが、全員影が薄いし、室井と女弁護士の間に信頼関係が築けた理由も、新宿署の刑事が「室井さんを辞めさせないでくれよ」と叫ぶほど彼に惚れ込んだ理由も、サッパリ分からず。

 室井、強く求められたからといって、最終的に辞表を出し、職を辞して終わりにしようとは…絶句。
こういう事は「しない」、最後まで諦めず警察機構を変えようと考える男へと、青島と会う前ならイザ知らず、その後は変わって行ったはずじゃないのか?
 どんな目に遭おうと、それでも自分には守るべき約束がある、と、格好悪くあがきつつ頑張る、そういう描き方にでもして欲しかった。

 事故による容疑者の死を、捜査本部長・室井の責任として逮捕・拘留までしてしまう、この取っ掛かりから無理がありすぎて乗れない。
事件の真相が意外にショボいのはシリーズの伝統としても、当事者が自発的にベラベラと(棒読み演技で)関与を自白してしまう解決法は、余りに安易。
 ここから更にスピンオフが出来た悪役弁護士のキャラクターが ちょっと面白かった他は、どの登場人物にも魅力が無く、室井にも、ファンとしては「幻滅」する事はあっても何か新たなプラス要素を見出す事は出来なかったろう、価値を感じない映画。
 『踊る…』という作品は、もう既に終わってしまっているのだと、今更ながら強く感じさせてくれた意味だけは、あるのか。


 ついでに、テレビスペシャル『弁護士 灰島秀樹』も見た。
 浪花節や事務所内での仲間割れさえ、「全ては灰島の計算通り」、とするような緻密なストーリーを見たかったけれど、スペシャルで それは望みすぎだろうな。
 クライマックスでの灰島の弁論。
「その提案で済むなら最初から そうすれば…」と思わないでもないが(高額賠償金目当てだった漁師達など、この決着だと不満なはず)、取りあえず弁護士っぽく、有能っぽくは描けている。
 弁護士事務所の面々の悪辣さも愉快で、それはそれなりに楽しく見られた。

 ただ、これはもう『踊る…』とは全く関係ない、独立したスペシャル。
 今後も無理矢理シリーズの命脈を保とうとするなら、こういう「本家」には影響を与えない、「青島さんの、親戚の友達の隣に住んでいた人と数回話した事がある者です」ぐらいのポジションで作る事かなあ。


2006年11月27日 月曜日

 ソフト化されたので、映画『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶ 踊れ!アミーゴ!』を見る。

 むぅ〜、これはコワイ。
映画前半は丸ごと、『ススムちゃん大ショック』か『マグマ大使』人間モドキのエピソードにも似た、悪夢のような世界を見せられる。

 家族や先生、友達が次第に別の「何か」に変わっていく恐怖、というのが なかなかに上手く演出できており、誰も信用できない不安感は、年少の観客にトラウマをもたらしかねない程。
 マサオが、「自分は本当に自分なのか、すり替わった『何か』なのに、それを忘れているだけなんじゃないか」と悩むシーンには、ちょっと哲学を感じる。
それを受けて後半で起こされる、「父ちゃんは本当に父ちゃんなのか」イベントには、何かもっと確信に至る理由が欲しかった所だけど…理屈でなく分かり合えるのが家族、という事なのかな。
 漠然とした不安を感じながらも会社は休めない父ちゃん、職場まで浸食する敵の恐怖(後輩社員の「死んだ目」が実に恐ろしい)、駅前で繰り広げられるマン・チェイスの面白さ。
年長の観客にとっても、ゾクゾクするようなイメージの見所は多い。

 不気味な侵略者と、彼らが無条件に大好きなサンバ…というのが上手く融け合っておらず、残念。
どうしてこういう題材にしたのだろうか?
サンバは無しで構わないし、その踊りを中心に据えたいのなら、もっと全体の構成を見直す必要があったろう。
 踊り始めることで、侵略者達の恐ろしさが かなり緩和されており、年少の観客は楽に見られるようになったのかも知れないが。

 映画のクライマックスで、物語とサンバの不協和音は、最大になってしまう。
とにかく、全映画シリーズを通しても、こんなに盛り上がらないクライマックスは初めて。
 敵対する者同士のドラマをもっと彫り込む、あるいは『暗黒タマタマ大追跡』のようにパワフルな踊りで無理矢理 場面を盛り上げてしまうなど、何か対策を考えてくれないと。
 前半のホラー的な面白さや、敵を撃ち倒していくレギュラーキャラ達の大活躍で、せっかく上げたテンションを急降下させてしまう このクライマックスは、もう致命的という他ない。

 ムトウユージ監督による前映画と同じように、非常に面白いシーンもあるけれど、一本の映画としては お勧めできない、見る価値に疑問が生じてしまう作品。



『ギャラクシーエンジェる〜ん』09.「豪華!セレブのトラベる〜ん」

 作画に非常なアクがあり、キャラ表とは違っているものの、いつもの崩れかけた作画よりは ずっと楽しく見られた。
 わらしべ長者のパターンをギャグにしたサクセスストーリー…にしては、次々と物々交換していく過程にアイディアや飛躍が足りず、イマイチ。
30分を一つの話で見せるのなら、わらしべが様々な物に変わっていく様子を、もっとテンポ良く、少し長目に描いた方が良かったろう。
 神の啓示など取っ掛かりに過ぎず、アニスが無茶苦茶な行動力(難癖付けとカツアゲ?)で成功をつかみ取っていく話、と見るべきか。

 アニスと行動を共にするのは、「どんなデタラメな行動も陽気に肯定する」ナノナノではなく、ツッコミを入れたり否定的に眺めたりするキャラの方が、「漫才」としての面白さは出たかと。
ストーリーもアニスのキャラも弱いため、否定的な見解が混入すると物語構造を維持できない、製作者のパワー不足が原因?
 何度も書いているけど、ネタを練り上げず「思いつき」だけで突っ走るなら、15分までがもたせられる時間的限界だと思う。
今回も、話を凝縮して半分の時間で終わらせていれば、そこそこ面白い内容に出来ていた…かも知れない。
 「ダラダラ長い」と言われるのは、ギャグ作品にとって致命的な評価なのに。


2006年11月26日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』34.「故郷のない男」

 ウルトラマンレオ登場話。
 故郷の星が滅亡し、地球を本当の故郷のように思っているという設定は勿論のこと、シリーズ途中で所属する防衛隊が全滅してしまったり、その後 何の後ろ盾も持たず一人だけで戦う異色のウルトラ作品になった…ええと「迷走」っぽい経緯まで、彼が背負う孤独、その裏側に生まれる力として、完全に活かし切る脚本の巧さに唸る。
 こうして振り返ると、レオは、「遙かな星が故郷だ」という気持ちを まだしもの「心の支え」として戦い続けた どのウルトラ戦士よりも、哀しいヒーローだったんだなあ。
 セブンにより行われた特訓には…当時見ていて余り良い印象は無いが、こうして『メビウス』で それを受けたドラマが語られる事により、グッと意味が増す。

 失われた同族の、島の人々の、地球で出来た仲間達の、弔いをしようというのか、修行僧姿で登場する おゝとりゲン。
雑誌インタビューによると、マトリックス風の服装にする事も考えたそうだが、見て、この姿で正解だと思える。
 『マックス』登場時のゲン=真夏竜は、正直なところ年齢的なキツさが現れた容貌となっており、間が抜けた巡査役でピッタリ…ヒーロー役はもう無理だと感じたものだけれど、今回は きちんと年齢を経た おゝとりゲンを演じきっており、さすがプロの役者さんだと感動。

 一人だけで戦った(…時期もある)レオに対し、仲間と共に戦うのがメビウスの強味。
摩擦で火を起こすリュウの姿から、自分だけでは思い付けなかったろう きりもみ回転をキックに加える、このアイディアが素晴らしい。
 メビウスとレオが並び立って戦い、『ライダー』シリーズのようにダブルキックで敵に止めを刺す、バトルの組み立ても まず不満が出ない、カタルシスに満ちた楽しさ。
 「ウルトラマンレオ」の魅力を再発見も新発見も させてくれる、ひたすら嬉しいばかりの、見られて幸せな一本だった。


2006年11月25日 土曜日

『乙女はお姉さまに恋してる』07.「小っちゃな妹と大きなリボン」

 前回、今回と、生徒会長・貴子、そして彼女に張り合う まりやの、熾烈な女の戦いが見られた。
 といっても、互いに相手を認めればこその すれ違いを起点としている訳で、仲良しの ふざけ合いに近い物なのかな。
本人達は、そう指摘されることを死ぬほど嫌がるだろうが。

 瑞穂、さすがにスクール水着の着用には至らなかったけど…
ナチュラルに女性声を発し、ウエストに くびれさえあるんだから、「強力なサポーターを付けてました」ぐらいの説明で、普通に水着姿を披露しても違和感なかったような。
 そうすると逆に、「男でありながら美少女に見える」倒錯の面白さが死んでしまうため、最低限ギリギリのコダワリなのだ、という事は分かっているけど。

 奏のリボンを守るため、全校生徒の前で披露した瑞穂の詭弁に、感心。
頭は良い、って設定だっけ。
いつも大抵フニャフニャしてなすがままにされるキャラクターなので、たまに見せる決然とした態度が、余計 印象的。
 認めさせてしまったから良いような物の、貴子が強弁すれば、「瑞穂なら構わないように見えるリボンだが、奏には問題と感じられる。だから、いっそリボンその物を華美な装飾として規制すべき」という方向にも持って行けたろう。
 瑞穂が使ったのは詐欺師の手法に近く、よく考えられるとマズいから、とにかく聴衆に一瞬でも「なるほど」と感じさせ、その勢いのまま突っ切ってしまうのが肝要。
知能と度胸が揃わないと、成功させられない。

 いつもは無表情だが、時折 何事か企む邪悪な顔を見せる小鳥遊なんかも、掘り下げると面白そうなキャラだけど、もっとメインのキャラでさえ まだ「描ききった!」と言えない現状では、なかなか難しそう。
抱えるドラマを一応は昇華できたか、と感じられるキャラは、今のところ一子だけ?
 のんびり ゆったりしたストーリー運びも心地良くて悪くはないが、シリーズ後半戦に入っていることから、ぼちぼち詰めた話も入れていかないと、「楽しかったけど食い足りないアニメ」と思われてしまう恐れが。



『コードギアス 反逆のルルーシュ』08.「黒 の 騎士団」

 湖のホテルで、日本人ゲリラがブリタニア人を人質に立て籠もる事件が発生。
 救出活動を開始するルルーシュだが…よく部下(ゼロ配下の日本人)が付いて来たなあ。
一般人をターゲットにした事により誉められる行いではないにせよ、ブリタニア側に心理的ダメージを与える活動には違いない訳で、とりあえず歓迎して不思議なさそうな。
カレンも仲間にいる訳だし、とにかくブリタニア人に嫌がらせをすれば それで良い、と考える連中ではないんだっけ。

 日本開放を目的とするゲリラ組織のリーダー達が、ゼロに殺された事についてはどう考える?
ゼロの「自決した」という、どう考えても不自然な言い様を疑いなく信用したのだろうか。
 ゼロの能力について詳しくは知らないにせよ…まあ、こうして彼の命令に従う連中だからこそ、「黒の騎士団」なんて物を結成できたのだが。
 今後に控えるだろう、もっと無茶な命令にも彼らが黙って従うのかどうか、今回はそれを試す意味もあったのかな。

 今回のルルーシュの行動意図は、大義名分である「正義」「弱者救済」を広く世間にアピールし、単なるテロリストとして処分される事を防ごうとしたものなのか。
また、コーネリアに貸しを作るつもりもあったろうし、日本のゲリラ機構を統制したい気持ちが含まれていたかも知れず、彼が抱える根源的動機「力こそ正義」を訴える皇帝に対し、敢然と反旗を翻したい子供っぽい理由もアリか。
 更には…単に「仲の良い学校での友人達を助けたい」とする、甘い気持ちもあったのだろうと思える。
敵対者や、自らの利益にならぬ者達には冷たいが、私生活に絡む身内には弱い、という点でまた『デス・ノート』キラと似ている。
キラは、場合によっては非情に成り切ったが。

 「ブリタニア人でありながら、ブリタニアに反抗する」ルルーシュの内面は いくらか分かったんだけど、「日本人でありながら、日本人の反抗的活動も平然と鎮圧する(殺す)」スザクの行動動機がよく分からない。
彼一人が名誉ブリタニア人として(いずれ)良い暮らしをしたい、とか、行動の全ては「仕事」として割り切っており私情など挟まない、というなら理解できるが、そういうキャラでも無さそうだから。
 今回のゲリラによる人質事件は、民間人を巻き込んでいる点で賞賛される行いではないが、ブリタニアは遠慮無くゲットーの日本人老若男女を虐殺しており、カウンターとしての意味は持つもの。
彼の行動が「正義」なりを目指すものであれば、ブリタニアの虐殺も止めないと片手落ち。
 同族殺しの汚名を着ても組織内で這い上がり、いずれは…という目標がある?

 『ガンダム』に例え、ルルーシュをシャア、スザクをアムロとする説があるけど、それで言えば、確かにアムロは巨大な戦闘力を持ちながら、その力を自覚的に、遠い目標に向けて行使した事は無かったように思う。
 別段、無自覚に戦ってはいけないという法など無いが、「それは不自然なのよ(ララァ)」。


2006年11月24日 金曜日

『009-1』07.「港 Port」 08.「昨日の暦 Calendar of the Past」

 7話は、内容・作画共に かなりテンションの低い出来で、そろそろシリーズの限界が…と思ったけれども、8話は絵コンテ・演出・作監を紺野直幸が手掛け、ハイレベルな出来になっており嬉しい。

 8話。
「自由」というのをキーワードにした、重い話。
 自由を得るため東側から脱出を計り、両親も弟も失ったミレーヌが、憧れの地であるはずの西側で目にしたのは、金や地位など後ろ盾を持たない人間には冷たい、自由主義の現実だった。
 せめて両親が夢見た「自由」を護るべく、自分を助けてくれた男と同じ仕事に就いたミレーヌだが…
その先にあった物も、僅かの人間味さえ不必要・不適格として処刑されかねない、恐ろしく過酷なスパイ組織の掟。
 「国家体制を護るため奪われる命」と「自由主義を護るため犠牲にされる命」とでは、どちらが「自由」に近いのか。

 …と言っても、現在のミレーヌは、必要が無くても厄介事に首を突っ込みたがるぐらいスパイの仕事を楽しんでいる様子。
元々そういう素養を持っていたのか、任務をこなす内「中毒」のようになってしまったのかは分からないが、とにかく現状は別段 不幸じゃないんだろう。
 不幸な仕事を不幸と感じていない彼女の姿が、既に不幸だと言えるのかも知れないけれど。
 人には、幸せになる権利と同じぐらい、不幸になる権利もある。
望んで過酷な任務に飛び込む彼女の姿こそが、彼女が護る「自由」の成果なのかな。



 レンタルで映画『ダ・ヴィンチ・コード』を見る。

 話題作だが、絶賛という程の意見も目にしないので、どんなもんかと思って見たが…
ああ、なかなか面白い。
 ストーリーを何も知らず、「ダ・ヴィンチの絵に隠された暗号を延々と解き続ける」ような退屈な内容を危惧していたので、「逃亡者」然とした危機また危機に飽きる間もなく。

 長い原作をダイジェストしたためか、説明不足が多く、どんでん返しの連続でもあるけど、かなり唐突に感じられる立場の変転に戸惑わされる事も。
もう一度見直すか、原作を読まないと、結局この人はどういう立場だったのか…というのがよく分からなかったり。
 聖書の謎解き、という部分にしたって、「そういう解釈もありか!」と感心するには一般的でない書籍・資料(有名?)からの引用が多用されており、例えば邪馬台国の場所を推理するに「魏志倭人伝等に『載らなかった記述』には、ハッキリ北海道だと書いてある」と言い出されるような気分。
 そういう所は、NHKの教養番組ではなく、オカルト寄りの話を聞く楽しさ、として味わうべきだろうが。

 キャラクターでは、快活なジイサンを演じるイアン・マッケランがとにかく楽しそうで、愉快。
この老人と、間が抜けた執事(?)だけでも、映画一本撮れそう。
 さすがに お金が掛かっていて、所々で見せられる過去のイメージなど、不必要なまでに凝っている。
 ルーヴルの館長、しかし死ぬ前の そう長くはなかったろう時間で、エラく凝った文章とか仕掛けとか考えたもんだなあ。
よくある推理物のダイイング・メッセージなんか、比較対象にもならない頑張りよう。
まあ、この人がストレートなメッセージを残していたら、10分で終わる映画になっていたんだろうけど。

 キリスト教とは縁遠い身からすると、キリストが何者であろうと別段構わないような…
凶行まで至ったのは、狂信者の仕業にせよ。
 釈迦だって出家までは、まるで人間だった訳だし。
宗教であるキリスト教と、哲学に近い仏教では、色々違って仕方ないのか。
 科学は真理を追究することから始まり、宗教は疑いを捨て信じることから始まる、って誰のセリフだっけな。


2006年11月23日 木曜日

『Gift』07.「幸せの意味」

 相変わらずキャラクター配置も世界観も、ストーリー構成さえ、ほぼ どこかからの頂き物でオリジナリティーは無いなあ、と思いつつ、その分 別に大きく悪い所も無いのでズルズルと見続け、現在に至る。
作画クオリティーは一定の水準を保ち、女の子達が可愛く描かれているので、気楽に見ていやすいという面もあり。

 世界の核となるべき「Gift」の設定が…一応示されてはいるんだけど、実感し辛い あやふやな物なので、独自の面白さは更に感じにくい。
 なら、そういう魔法のような設定は抜きにして、恋愛模様だけで話を進めれば良いようなものだけど、相対する(?)「偽Gift」等という新たな要素を入れつつ、それもまた中途半端な扱いで収拾しており、何とも。
徹底して追い込まないと駄目なのに…主人公、義妹が母親の姿に見えるのが嫌だという、実に どうでもいい理由で「偽Gift」を拒絶。
 偽だろうと何だろうと、それにより幸せを手に入れたらしい人々が居るのを知りながら、個人的要因だけで全てを否定してしまうのは、どうだろ?

 要らない方面(元々はテーマだったのかも知れないけど)に色気を出すのは止めて、主人公を巡る三角関係に焦点を絞るのが得策かと。
 ここがキレイに着地できれば、ネタ元の作品より好印象を残せるかも知れないし。


2006年11月22日 水曜日

『RGBアドベンチャー』01.「カラーレセプターに選ばれた?」

 オープニングからナレーションで延々と語られる、色の三原色についての雑談?に驚く。
てっきり途中で「そんな事はどうでもいいんだよ!」というようなツッコミが入るものと思っていたが、最後までやりきってしまう根性にも。
 OPは3Dで作られていたため、全編3Dアニメなのか、と思えば、本編は普通に手描きアニメ。
第一話だというのに、作画クオリティーはかなり低め。

 10分ぐらいは見たけれども、意図してか どうなのか肝心なシーンを抜かす面白味のない演出と、内容に興味を持たせない退屈な語り口に挫け、視聴終了。
 監督とキャラクターデザインを、伝説のアニメ『MUSASHI -GUN道-』の木下ゆうきが手掛けてるのね。
それで納得。
 「ネタアニメ」としての価値は出てくるかも知れないが…



『はぴねす!』07.「伊吹友達化計画」

 ここのところ二話連続で、他者と関わらない伊吹と、彼女の心を何とか開かせようと懸命な努力を続ける すももが描かれた。
 時間を掛けて丁寧に見せてくれたお陰で、ツンデレの魅力を開花させていく伊吹(ボーリング辺りからは心を開きすぎな気も…)と、驚くほど良い子な すもものキャラは印象に残る物に出来たと思うが…
 伊吹に対し、必死のアプローチを続ける役割は、ヒロインである春姫が負うべき・負わせるべきだったんじゃないの?
すももは、別段 最後まで「居るだけ」のキャラとなっても、問題なかった訳で。
 春姫が どういう子なのか分からず、そのため、彼女と関わることでキャラを彫り込むはずだろう主人公格の雄真まで、存在が不明確になってしまっている。
雄真は、春姫を「見捨て」、妹の頑張りを全力で応援する・無駄だからと妨害する、等の対応で付随的にキャラを彫り込めたはずだけど…ヒロインに遠慮してか そういう明確な姿勢表明は無く。

 サブキャラが魅力的な作品は結構なんだけど、サブキャラ「しか」立っていない作品は、困りもの。
 もうシリーズも後半戦に入っているのだろうし、腰を据えてメインの地味な二人を深く描くためのエピソードを用意すべきでは。


2006年11月21日 火曜日

『護くんに女神の祝福を!』07.「あなたに捧げる…」

 全ての発端となった絢子の告白に対し、未だに何のフォローも無い事で、入り込み辛さを引き摺り続けている。
てっきり「らしい」要因…片方は(あるいは両方とも)忘れているが幼少期に強く記憶に残る出逢いを果たしているとか、実は告白の日に至るまで絢子は何らかの理由で彼の事を見守り続け一方的に愛を育んでいたとか、パターンとして取りあえず納得してもらえそうなものを用意してあるのか、と思ったが。
 その辺りの違和感を、もう7話目なのだから忘れて見る事にさえすれば、絢子が可愛く、コミカルな内容もストレスを感じさせない気楽なものなので、悪くない。

 「乱暴な男の子に対し、力よりも真心と芯の強さを備えた少女が、無茶を留め、彼の心根まで変えていく大きな役割を果たしていく」物語は、古典的と言えるだろうが、男女の役割を入れ替えたものは最近になって目立ち始めたような。
女の子が強くなったのか、男の子が そういう役割を(想像の中でも)シンドく面倒臭いと感じるようになったのか。
 「僕は、何かについて特に優れていたり必死に努力しているという訳でもないけれど、能力がある・個性に溢れた少女が十全に力を発揮するためには、絶対に僕の存在が欠かせない」…というのは、なにしろ「楽」だし、願望充足の設定としては良くできていると言えるだろう。

 欠けている、満たされていない状態の相手を、比較的無理のない「楽」な範囲で満たして上げられる…だから満たして上げても良い、と感じる気持ちが「萌え」なんじゃないかなあ、などと思ったり。
 バリバリに働いていて特に弱味を見せないワーキング・ウーマンは「萌え」の対象にならないし、その欠けた要求部分が「ワンランク上の仕事をこなしている人々から多くを学びたい」とか「大型犬を多頭飼いしたいのに果たせないので、年収が自分より遙かに多い人と結婚して広い庭のある豪邸に住みたい」などという厳しいものであった場合、あんまり満たして上げたいとは思わないだろう。
 しかしこれが、「怖い話がとにかく苦手」ぐらいだと分かり易くなって来て、「不安で眠れないから、夜の間 誰か側に付いていて欲しい」という容易な要求が成された場合、「萌え」という感情が起こり易くなるのでは。
 …って、「萌え」なんて言葉がもう廃れようとしている頃に、ゴタゴタ言ってもなあ(笑)。

 護に対する絢子の要求水準は とても低い、というのが大事な所だ、って事。
 実際、エメレンツィアとの戦いで護は ほとんど役に立ってないし、「不思議な力が発動した」以外は別に苦労もしていない。
でも、その護の行動に対する絢子の評価は、とても高い。
 この辺りの「楽」さが、作品を気楽に見させている原動力。
 ただ、自分を主人公と重ねることが出来なかった場合、感じる違和感は強いかも。

 エメレンツィア、外見から「高い能力値を持ち、無感動な少女」のパターンだと予想したけど、能力値はともかく、普段の行いが感情的だし間抜けで、意外。
鼻水垂らしたり、高い所から落ちパンツを見せたまま頭が埋まったりと、馬鹿馬鹿しい行動が可笑しい。

 護の妹・逸美は、せっかく「兄が用意したプレゼントを踏み割る」という伏線を引いたのだから、何かイベントに発展させるのかと思えば、ほとんど意味なし。
うーん…だったら こんなサイドストーリー、無くしてしまった方がスッキリしたような。
 占いに出て来た、護の前途に立ちこめる暗雲のようなものは、まだこれから先を暗示している?
今回に限れば、騒ぐほどの事態にはならなかった訳で。


2006年11月20日 月曜日

 レンタルで映画『ポセイドン』を見る。
 監督は、『Uボート』『パーフェクトストーム』で海のドラマを手掛けてきたウォルフガング・ペーターゼン。

 『ポセイドン・アドベンチャー』のリメイクなんだけど、船が転覆する事と、船客一行が船底目指して行進する粗筋以外は、別段オリジナルだと言い張っても構わないような内容。
というか、ドラマらしいドラマは無いし。
 序盤で、「自分の命 可愛さに、他者を切り捨てる人間」が描かれるのだが、特に大きな贖罪もないまま、最後まで生き残ってしまうのに驚く。
てっきり死ぬものだとばかり…
 9.11のドキュメンタリーなど見ていると、他の被災者を見捨てることで助かった人間が大勢居る。
そこには正義も悪もなく、冷たい現実があるばかり。
「酷い人が最後まで残る」作劇は昔からあったのだけれど、何だかこう、アメリカの負った傷痕を勝手に感じてしまったりしなかったり。

 いかにもトラブルメーカーで物語を引っかき回してくれそうだった お兄ちゃんが早々に退場したり、シーンにより一行が人道的だったり冷淡だったりして、とにかく物語としては弱い。
オリジナルでジーン・ハックマンが背負っていた信仰への葛藤が、十字架を巡る ちょっとしたエピソードにまでグググッと矮小化されているのには、笑ってしまう。
 ただ、人間の内面に目を向けるような「無駄」な時間を設けない事で、危機に次ぐ危機、映像技術を駆使した息詰まるアクションを目一杯ブチ込む構成が取れており、見せ物と考えれば文句を言う隙なく面白い。
 ご都合主義も多いけれど、細かい事は気にせず、登場人物が水に浸けられるシーンでは一緒になって息を止めてみるぐらいの没入度で、楽しんで見ようとするのが正しい鑑賞態度だろう。



『ギャラクシーエンジェる〜ん』08.「恐怖!雨の日のコーる〜ん」

 前回。
旧作のキャラクターを登場させるという美味しいエピソードを設けながら、結局 新旧キャラは対面せず、しかも物語自体としては ほとんど旧キャラクターが居なくても(例えば、上官の視察があるとか)成り立つ話で、ガッカリ。
「旧キャラクターを無駄に使う」ヒネくれたギャグもアリだと思うけど、いつも通り全体にテンションが低く、全く笑えなかったので、自爆もいいところ。
 もう視聴を終えようかと思いながら、録画設定を消し忘れていたことで、今週放送分を見てみると…

 ああ、これは良いんじゃなかろうか。
このシリーズで初めて、面白さを感じた。
「ギャグアニメ」としてではなく、「ホラー」しかも「大部分そのパロディー」としての面白さ、だけど。
 天井一杯の髪の毛、細部の見分けが付かない黒いシルエットの霊体などからして、『呪怨』がメインかな。
後は『リング』とか『着信アリ』なんかを ごった煮にした印象。
 単に模倣するだけで笑いは生み出せないが、ホラーは引き写しても、らしく出来るから。
間がキレイに取れていない所も、ホラーであれば「気持ち悪さ」に繋げられるし。
 個性が弱い主役キャラ達さえ、その お陰で「危機を乗り越えられるかどうか分からない線の細さ」による不安感を醸し出しており、学生寮で次々に殺人が起こるタイプのアメリカン・ホラーっぽさまで感じられて、怪我の功名。

 ラスト、きっちりし過ぎるぐらいストーリーの後始末をして終わるのは…まあ このシリーズの持ち味かな。
謎解きなんか放り出し、最後まで恐怖描写で押す(そして誰も居なくなるとか)やり方もあったろうけど、それじゃ前シリーズと一緒だし。
 寮を管理するオカマが「先月は電気料金がかさんでいる」と呟いていたのは、寮から、地下に埋められた基板に何らかの原因で電気が流れ込んでいたためで、それを起点として このホラー現象が起きた…と予想したんだけど、そこまで細かい説明は無く。

 このレベルで行ってくれるなら、見続けても良いな。
 作画が大分怪しくなっているのは、何とかして欲しい所。



『銀河鉄道物語』「青い薔薇」

 惑星を個人所有する伯爵夫人が、銀河鉄道の停車駅構築を許可してしまったことに端を発するドラマ。
 うーん、「とにかく組織の非情さとか悲劇を描きたい」意図は分かるんだけど、そこまでに至る過程が強引すぎ。

 夫人は、駅のある土地の使用権を永続的に認めたのか?
更新制にしてあるなら、不快な思いをした時点で契約を打ち切れば良かったような。
 「乗客の乗り降りはさせない」約束をしていたのに、鉄道側が勝手に反古にした訳で、契約を終了させる理由はあるかと。
口約束だけだったのかなあ。
契約書を交わしてないなら、仕方ない部分もあるが。
 それでも、弁護士を立てて争うなり何なり、対応の仕方はあったろう。
『銀河鉄道』世界に、宇宙全体を統括する警察組織や法の整備が出来ているのかどうか、分からないけど。

 駅の場所を極点や海の上など、伯爵夫人に迷惑が掛からない場所に移す。
この駅だけのローカルルールとして、乗客の下車禁止を徹底する。
…等々、トラブルを避ける方法なら いくらでもあったはず。
 銀河鉄道がサービス・利益最優先の弱腰企業ならともかく、武装車両を所有し、(『999』の話だけど)規則に反する人間は宇宙に放り出すことさえ辞さない組織で、何の手も打てないのは不可解。
 伯爵夫人にしても、「弱々しい抗議をするばかりで何も出来ない世間知らず」から一足飛びに「無人兵器を用いて列車乗客を無差別殺傷」という行動に出るのは、無茶苦茶。

 現実には、公的機関が、「公の利益」を名目に「個人の権利」を侵害する事も珍しくないが、フィクションで それをやるなら、やはりそれなりの段取りというものが。
 そこを外した上で、「苦渋の決断を求められる主人公」というクライマックスを設定されたって、まるで乗れない。
主人公も その父も、事態解決法は劇中で執った武力行使以外にもあり得たのではないか、どっちが上とか未熟とか言う問題と違うのでは?と思うばかり。


2006年11月19日 日曜日

『ウルトラマンメビウス』33.「青い火の女」

 『帰ってきたウルトラマン』の怪獣が特性込みで元ネタになっているせいか、何だか懐かしい感じのする話。
 一般市民の危機を前に、思わず必殺技でフェミゴンを倒そうとしてしまうメビウスと、それに激しく反発するテッペイ。
自分の、GUYS隊員としては冷静さを欠いたとも言える行為を、「人間として」という言葉で正当化するテッペイが凄い。
「ただ一人の好きな相手を救うためなら、世界が破滅しようとも構わない」狂気に満ちた愛情は、確かにウルトラマンには無い、人間ならではの特性だろう。
 かなり酷い言葉を投げつけられても、すぐに許して受け入れ、困難への協力さえ申し出る、ミライの人の良さは想像を絶しているなあ。
ウルトラマンだから、でもあろうが、「それこそが人間の美徳」とも言える。

 怪獣に取り憑かれた女性の救い方は…ええと、オリジナルでも こうだっけ?ウルトラマン頼りの不可思議なものだった。
メテオールという特殊設定を活かし、もう少しだけ絵的に納得のいく救済策を講じる事は出来たと思う…まあ、この不合理さも「懐かしい」とは感じられたので、構わないか。
 テッペイの恋の行方がまた、実に古典的。
彼女が怪獣に憑かれた再現シーンで、既にカレシの存在が描かれているため、全く意外性無く。
意外にしようなどとは考えておらず、「お約束」で終えるのが意図通りなんだろうけど。

 おー、次回はレオが登場だ。



『コードギアス 反逆のルルーシュ』07.「コーネリア を 撃て」

 ルルーシュを おびき出すべく、コーネリアが罠を仕掛ける。
 前回とほぼ同じ作戦行動で上手く行くと考えているのは、ルルーシュの迂闊。
ロボットの一体を奪取されることで自軍の布陣がテロリスト側に筒抜けになり、そのため惨敗を喫した、という事ぐらい、敵が少々間抜けでも学習しそうなもので。
 コーネリア、もっと計略を練るなら、日本人側が組織的反撃を開始した時に備え、遠隔操作で自軍各機のレーダーを使用不可能に出来る細工をしておくとか、コックピットをロックしたり自爆させたり出来るようにすれば より効果的。
…というのは、全てを見ている視聴者だから言える事で、「ギアスの力」なんて非科学的な物を考慮に入れていない状況下では、的確な反応が難しいのか。

 良く出来ている!と絶賛するには足りないが、アニメオリジナルの脚本としては かなり頑張った駆け引きの描き方で、楽しい。
 ルルーシュには、あと一段階の頭の良さを求めたい所。
奪ったロボットのパイロットに、時間、あるいは条件を指定して、自分が危機に陥った際 替え玉として登場するよう仕掛けておくとか。
C.C.が都合良く現れてくれなければ、殺されていた可能性だって ある訳で。

 悲惨なルルーシュの過去が明らかに。
なるほど、これなら帝国を憎悪するようになって仕方ない。
 「強い者が正しい」という帝国の考え方からすれば、その反逆ぶりも「強さ」と認められ、最終的には皇位継承者に据えられるのかも知れない。
全ては皇帝の掌の上、とか。
 C.C.自体、皇帝が後継者を誰にすべきか選択すべく、波乱を起こすために作り上げた物だったり。

 残虐非道な帝国のやりようは さんざん目にしてきただろうに、戦況が不利になるや、てんでに投降を始めるゲリラ達。
…無抵抗な市民でさえ殺されてるんだから、降参したって許してくれるはずがない事ぐらい、分かりそうなもの。
 「手足となり命令に服従する兵士が居なければ戦いようがない」のをルルーシュが実感するため、必要なエピソードだったのは分かるけど、せめて「帝国にもマトモな指導者は居る」事を描いてくれないと、「ヘタレなゲリラだなあ」よりも「物語の都合」を強く感じてしまう。



『TOKYO TRIBE 2』02.

 無軌道な お兄ちゃん達が、渋谷だ池袋だを自分達のナワバリみたいに考えて、友情があったり互いに殺し合ったりして楽しく日々を送るタイプの お話。
 今回は、延々と、さしたる工夫もない追いかけっこを見せられ、すっかりテンションが下がってしまう。
対立し合う二人が、高いビルの屋上から落ちるだの落ちないだの大騒ぎしておいて、結局 落ちたところで「脚から着陸したし、ガッツがあったので大丈夫でした」というような『未来少年コナン』か!と思わせる馬鹿馬鹿しい決着を付けるのには笑ったけども、その後ブッスリ刺されたって「この世界観なら普通に助かるんじゃないの?」と思わせる結果になり、緊張感など感じられなくさせているのはそれで良いのかどうか。

 細かい事をどうこう言う以前に、こういう傾向の作品が肌に合わないため、佐藤竜雄監督の手腕に期待したい気持ちはありつつも視聴終了。
 ウダウダ文句ばかり並べるようなアニオタは、元々視聴対象に考えていないだろうから、それで製作者の予定通り、って事じゃなかろうか。


2006年11月18日 土曜日

 漫画家の石川賢先生が亡くなる。
 もうショックでショックで、しばらく呆然としてしまったぐらい。

 『ゲッターロボ』『魔獣戦線』『虚無戦史MIROKU』…強烈なパワーに溢れた代表作は数多い。
大御所となり、年齢を重ねられても枯れる部分が無く、作品内での迫力・破壊力・狂気が全く衰えない、最後まで最前線で戦い続けた、希有な作家さんだったと思う。
 子供の頃、アニメよりも、石川版ゲッターロボの絵を一生懸命 真似して描いたもの。
 先生が漫画版を描かれた『キューティーハニー』や『ウルトラマンタロウ』の、原作では まずあり得ず、しかしテーマをより深い所まで彫り込むために有用なアイディアの数々には、驚かされた。
 『5000光年の虎』が特に印象に残る、凄まじい勢いで走ってきた末の、読者が つんのめるぐらい唐突な「未完」ぶりも、もう「石川節」と言って良いぐらい持ち味と化しており、楽しかったなあ。

 自分が漫画家(先生と並べて「漫画家」と呼んで頂けるとは思わないが)を志すに至る、大きな大きな影響を与えて下さった方。
 お疲れ様でした。
 ありがとうございました。
 心より ご冥福をお祈りいたします。


2006年11月16日 木曜日

 土曜日一杯まで、更新は難しそうです。
 日曜からは通常営業に戻せるよう…頑張ります。


2006年11月13日 月曜日

『ウルトラマンメビウス』32.「怪獣使いの遺産」

 『帰ってきたウルトラマン』の問題作、「怪獣使いと少年」の続編エピソード。
 あの話は、あれだけで完結しているので、続編など無用かと。
それは、仮にオリジナルの脚本を書いた上原正三 自身の手で成されてさえ、同じ事。
 作家には(人間には?)、ある一時期にだけしか描けない物がある。
そういう物は、時を経て続編を描こうと考えても、上手く行かない。
 例えば若い頃の「自分は何のために生きているのか、この命に意味はあるのか」という問いかけに対し、年月を経てオッサンになってから「いやー、意味はあるんじゃないの?オレ課長に昇進したしさあ、今度のボーナスで大画面液晶テレビ買うつもりだし、結構楽しいよ人生」と答えたとして、「若い頃の自分」は納得してくれるのか、求めていたのは そんな答えだったのかどうか。

 という前提条件を付けた上であれば、今回は悪くない内容だったと思う。
 徹底してダークなストーリーにすることも可能だったろうが、どう見ても人類に絶望しているとしか思えなかった前作の少年に希望を抱かせ、父を殺されたメイツ星人の心の中にも「地球人を信じたい」気持ちを描いてみせてくれた。
 相手が不気味な姿をした宇宙人とはいえイキナリ撃ってしまうリュウ、とか、すぐそこで怪獣が暴れているのに呑気な幼稚園の一行、何故か人間に化けて へたり込むメイツ星人、等々、変に思う所はあるんだけど、まあオリジナルでも突然に虚無僧姿で登場する隊長(ゾフィー説も)とか あった訳で。

 メビウスを地球人の「兵器」と捉える宇宙人、というのが、新鮮な視点でなかなか。
確かにウルトラ族は、地球人寄りの判断を下すことが多いからなあ。
外から見られれば、軍事協定でも結んでいるのかと思われて仕方ない。
 対するメイツ星人の兵器は、ゾアムルチ…
あれ?ムルチってメイツ星人の怪獣だっけ?
地球怪獣かと…その辺は考えようにより、どっちとも取れる?

 子供達がハンカチを差し出すシーンは、唐突でありつつも、感動的。
ジジイになったせいか、こういうのに弱くて。
 種族と恩讐を越え、理解し合おうとしていたのだから、ゾアムルチは倒さない形で終わっても良かったような。
それじゃ、今回ただでさえ置いてきぼりの年少視聴者が喜べるポイントは、無くなってしまうけど。
 成長した少年を出さなかったのは、正解。
皆が気持ち悪がる少年に、少女時代の園長先生だけは抵抗無く話しかけていた、というイメージもかなり良く、これが単発のエピソードであれば、大人になった少年と再会するシーンを是非入れて欲しかった所だが。

 何というか、「怪獣使いと少年」に魂を揺さぶられた視聴者にとって、これが「答え」だとは捉えられなかったろう、と思う。
そもそもオリジナルは、「答え」や「その後」を期待するストーリーではなく、「問いかけ」で終わることにこそ意味があった訳で。
 多くの旧作視聴者にとって、今回の話は「なるほど、君の『僕が考えた続編』は そうなるのか」であって、正史とは認めがたいのではなかろうか。
 そこまで踏まえた上で、「『ある個人が思い描いた続編』を、見てください」という事なら、意味のないエピソードではなかったと思う。


2006年11月12日 日曜日

 ぼちぼち、〆切に向けての体勢に入っております。
更新が不安定になりますが、すみません、ご了承下さい。

 あ、コミケ、有り難いことに当選いたしました。
 31日、ノ-31b、白昼書房です。
 まだ何も手を付けておりませんが、今回は頑張ってみたいと…思っております。


2006年11月11日 土曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュ』06.「奪われた 仮面」

 猫が仮面を被ったまま逃げ出すことから始まる、シリーズ初のバカ話。
 こんなアホなことでギアスの力を使ってしまうルルーシュも おかしかったが、キスを賞品に全校生徒をネコ捕獲へと焚き付ける生徒会の様子など、もうアニメ『ときメモ オンライン』を見ているようで、これまでのシリアスな気分をブチ壊すのに十分。
ルルーシュ、どうせならギアスの力で生徒数人を操り、包囲陣を築いてネコを追い詰めでもすれば効率的だったような…取り乱していて それどころじゃなかったんだろうけど。

 格差を肯定する皇帝の演説は、現実社会を引き写そうとしているんだろうが、工夫無く使ってしまうと、視聴者を物語世界から醒めさせてしまう効果もあり、善し悪し。
 ナナリーは、何も分からない無邪気な少女のように見えつつ、意外と兄の正体など様々な「口にしてはマズい事」を胸に秘めて行動しているようにも思える。
閉じた目を開くと、両目共にギアスが宿っていたらビックリだなあ(笑)。
ルルーシュは、ナナリーの兄でも何でもなかったが、その力により記憶を捏造され、更に王家に対する理不尽なまでの憎悪を植え付けられ、彼女が抱く野望を実現するため操られている、とか。


2006年11月10日 金曜日

『奏光のストレイン』03.「亜光速の悪夢」

 冒頭の訓練シーン、ドジなメガネっ子があたふた慌てた挙げ句にセーラを「殺して」しまう所は、アホっぽくて なかなか楽しい。
…メガネは、甘さを捨てて生きようとするセーラの姿勢とは真っ向からぶつかりそうなキャラだけど。
 ロッティといい、内容が辛くなりすぎるのを防ぐためなのか、意図的に気合いが抜けるキャラを配してあるようで。

 亜光速下の戦闘は、いかにも面白くなりそうではあったが、もう一つ喰い足りず。
速度が合わせられているため そうは見えないが、実際は想像を絶するような速度で戦いが行われている、という事を実感させてくれる印象的なシーンが少なくて。
せっかく不慣れなパイロットが揃っているのだから、考えられる限りの「失敗」を見せて、亜光速バトルの難しさを体感させて欲しかった。
 その辺りのイメージは、『トップをねらえ!』が上手かったなあ。
 …新人であるが故、発進に到る前から、通路を渋滞させてしまい身動き取れなくなるロボット達、といった見せ方は面白かったんだけど。

 光のスピードに近づく事によっての時間差、圧倒的な力を持つ敵の襲撃で壊滅していく艦隊、発進さえ出来ない主人公、旗艦に積まれている未完成の超兵器…『トップをねらえ!』を連想させる展開が続く。
これは意図的な物なのか、どうなのか。

 セーラへのイジメを行っていた少女達の危機に対し、出撃した彼女が身をもって庇うような行動を取る事で、関係が良好な方向に向かうのかと思ったが…
敵襲によりイジメっ子の一人がアッサリ死んでしまうのに、驚く。
 まー、ポンポンと人命を失わせていくアニメだなあ。
戦争状態だから当たり前なんだろうけど、あんまり連続すると、登場する新キャラを「死亡要員」としか見られなくなってしまいそう。

 訓練の最中は生徒達に檄を飛ばしていたチビ二人組が、実戦が始まってもジャンク部屋(開発室?)で飲んだくれているばかりなのは、不思議。
せめて艦橋で戦いを見守っていて良いような。
 「フラフラやってきたセーラのため、未起動ストレインの発進準備を行うのに、二人がそこに居る必要があった」のは分かるけど、余りにも分かり易すぎて、段取りに感じられてしまう。
 少女人形を積み込む事により起動出来た理由は いずれ描かれるのだろうが、見る者 誰しも「これにセーラが乗って危機を救うんだろ」というのは読める訳で、もうちょっと じらすなり何なり、工夫が欲しかった。
全六話の『トップ…』でさえ、未完の最終兵器が出撃するのは四話目なのだから、今回ぐらい、戦力的にはストレインに劣るギャンビーで意外な活躍を見せ、敵を撃退しても良かったろう。
 …実際そうして、ストレイン発進が四話目になっていたなら、「話数まで『トップ…』に並べるとは!」とか何とか、それはそれで文句を言ってたかも知れないけど(笑)。


2006年11月9日 木曜日

『夜明け前より瑠璃色な』06.「お姫様は恋愛禁止!?」

 チラチラと顔を見せていた謎の少女・リースが、しっかりと登場。
 フィーナと達哉の接近を妨害する、という役割を果たすべく、小さな体で、間が抜けていたり たまたま上手く行ったりの大奮闘を見せる…
という内容になるのかと思えば、出て来ただけで ほとんど役に立たず。
 二人の仲を裂く役割は、姉や側近が行う。
 うーん…それなら少女を出す意味は無かったような…

 月の王女と一般的地球人との間で、恋愛など許されない。
それはまあ、常識的には そうかと思うけど、ただ、きちんとした護衛も付けず野放図に一般住宅で暮らさせ、学校へも通わせている時点で、王女との「身分違い」という図式は、感覚的に成り立ちづらくなっている。
 こうしたいのなら、王女のホームステイは彼女自身の強い希望であり「ワガママ」に寄るもので(脱走同然の行動の末でも)、月側・地球側共に全く与り知らぬ事とした方が。
 元ネタであろう『ローマの休日』は、カッチリと良くできた映画なので、ここから何か変えようとするなら余程 考えないと。
 悲恋に終わるはずが無く、どうせ最後はハッピーエンドになるのだから、細かい事を気にする必要は無い?

 作画は、以前の崩壊した画面ほどではなくなったが、まだまだ厳しいレベル。
 そうなると、ストーリーの面白さに掛かる比重が高くなると思うんだけど…



『RED GARDEN』06.「小さな光」

 ずっと見ているが、未だに、面白くなる作品なのかどうなのか、判断が付かない。
 概略としては、何らかの特殊な能力を持たされた少女達が集団で恐るべき脅威と戦う、という、まあ要するに『セーラームーン』とか『プリキュア』と似通った理解で良いと思うんだけど…
なかなか大活躍のバトルを見せてくれるには至らず、敵の出現に怯えて逃げ回り、戦わなくてはならない理不尽な状況を呪い、悩み迷う心情を堂々巡りのように延々と描くことで話数を費やしている。

 強敵を打ち破るスーパーパワーの戦いがもたらすカタルシス、なんてもので楽しませようとは、そもそも考えていないのだろうが、代わりに どの辺りを「面白さ」と考えれば良いのかが…
「謎」の解明については まだまだかなり引っ張るつもりだろうし、高度なレベルを保つことでようやく醸し出せる特異なデザインのキャラクター作画にも怪しさが見えてきた。
 女の子達の怯える・嫌がる心情については細かく描けていると思うけど、個人的には少々飽き気味。

 いずれ大きく化ける可能性は十分にあり、ここで視聴を終えては後悔するかも知れないと思いつつ…
 取りあえず、次回また戦いが描かれるようだから、そこまでは見て、判断したい。


2006年11月8日 水曜日

『ゴーストハント』06.FILE2 「人形の家」 #3

 むぅー…拍子抜けではあったが「地盤沈下」というような説明を加える事で、お化け話に合理的な要素を持ち込もうとした第一エピソードに対し、今回は、解決に至るまで まるっきり変わった所の無い、普通の幽霊話。
 ゾッとさせるような怨念の恐ろしさや それがもたらす恐怖シーンなどは無く、かといって切なく哀しい話にするには筋が弱く、余りにも ありふれており、唐突に出てくるナルの「実は陰陽師でした」という説明も相まって、三週間も何を見てきたのだろう?と疑問に思ってしまう。
 このぐらいの内容なら、せいぜい前後編、頑張って詰めれば一話で終わらせられるはず。
 長いだけで密度が薄く、キャラクターの魅力を描きだしている訳でもない、と来ては…

 一話で一つの事件を解決、その事件の特性に合った霊能力者を一人ずつ登場させ、個性を印象づける。
こういう構成には出来なかったのか。
六話あれば、最初の二話を基本パターンの説明に使ったとしても、レギュラー霊能キャラを全員きちんと紹介できたはず。
 事件が弱いなら、キャラの面白さで勝負すべきだったろうに。

 「特異な視点から霊現象に斬り込む」作品ではない事が明らかになり、見続ける理由が無くなったため、ここまでに。



『ときめきメモリアル Only Love』06.「ときめきの雨」

 クラスメート・犬飼と仲良くなる話。
特筆すべき事は何も無い、普通のストーリーだと思ったが…
 よく考えてみると、こういうタイプの男性向け願望充足系アニメで、ツンデレ女性キャラと誤解を経て恋愛フラグが立つエピソードは数え切れないぐらい あるものの、ツッパリ男性キャラと仲良くなるパターンは、珍しいような。

 この手の作品、目的は「主人公が可愛い女の子に囲まれる様子を見て視聴者に気持ち良くなってもらう」事に定まっているため、主人公以外の男性キャラを描くため時間を費やす必然性が薄く、おざなりに扱われがち。
 あの外見じゃ、犬飼が実は女の子、という可能性も無いだろうし(笑)。
 まだまだ、最難関ヒロインキャラであろう小百合の魅力を描けていないというのに、こういう話を挟むとは、随分と余裕があるシリーズ構成。
2クールは放送期間を確保してある?
 いや、悪くない内容であり、こういう形で主人公の個性を彫り込むやり方も あって良いと思うんだけど。


2006年11月7日 火曜日

『はぴねす!』05.「真夜中の美少女」

 幽霊話、かと思えば…という内容だったけど、だいぶ無理のあるシチュエイション。
 新キャラの紹介をしようという時、幽霊と間違えられる登場シーンは、適切かどうか。
それにより、兄妹の特性である「兄が方向音痴」「凄い魔法力を持つ」を、より楽しく魅力的に見せられている訳ではないと思うし。
 毎度お馴染み杏璃の魔法暴走により危機を迎える展開も、彼女がメインヒロインではなく、その大活躍?は春姫の影を薄くするばかりだと考えると、ぼちぼちパターンの変更を検討して良い時期ではなかろうか。
 イベントとして破綻は無いので、どこが酷く悪いという内容でもなかったが、とにかくピンと来ないストーリーだった。

 崩れた作画が持ち直してきたことは、大きな希望。
 レギュラーキャラも描き切れていないのに(特に主人公格である雄真と春姫)、次回また新キャラを出す構成には疑問が。
そのキャラが、既出の人間関係に大きな波乱を起こし、各人を彫り込む役に立つ存在なら良いんだけど。



 レンタルで映画『サイレン』を見る。

 『トリック』等で非常に切れ味の良い演出を見せてくれた堤幸彦監督が、本格ホラーに進出し、どのような作品に仕上げてくれるのか、期待して見たが…
 良くも悪くも『トリック』であり『ケイゾク』。
ツッコミを入れて笑いに昇華しないだけで、もうちょっとで「ギャグ」の域に入ってしまうような、ホラーとは まるっきり種類の違う画面の連続。
 昼間のシーンが多すぎるのも、見易くはあるけど、恐怖を演出する上ではマイナス効果しか上げず。

 森本レオとかココリコ田中とか、怖さを感じさせないキャスティングも疑問。
彼らに無理にコワイ演出を付加して見せても、やっぱり「ギャグ」に近づくばかりで。
 もういっそ、本気で『トリック』的な、馬鹿馬鹿しい内容にしてしまった方が良かったようにさえ思う。
怖くなく、かといって笑えず、ストーリーも緊張感に欠けていて先へ先へと引っ張っていく力が弱い。

 さすがにクライマックスでは、面白い絵作りも見られるが…映画一本見て、この程度の濃度では…
 ラストも、工夫をしてある事は認めるけど、こういう形にすると、「もう二度と見なくて良い」と思わせる効果しか上げないだろう。
それにこれでは、原作ゲームをプレイしてみたい、という気力を削いでしまいそう。

 怖がりたいだけなら『着信アリ』の方が ずっと良いし、後味の悪さでも『ノロイ』に負けている。
 堤監督と題材の取り合わせが最悪だった、としか言い様がない。


2006年11月6日 月曜日

 今頃になって、レンタルで映画『ALWAYS 三丁目の夕日』を見る。
ずっと見たかったのだけれど、十本以上も入ったレンタルDVDが全部貸し出し中、という状態が延々と続いていたため。
 人気があるんだなあ。

 内容。
 もっと「泣かせ」がキツいストーリーなのかと思っていたが、そうでもなく。
ノスタルジーな雰囲気にしても、昔は良かった、ばかりではなく、前時代的に嫌なところも描いてあり、バランスが取れている。
 物語は、二つの家族を中心に進められる。
個々のエピソードは、上手く繋がっているモノもあるけれど、断片的なものもあり、色々。
大きな感動を生み出すには、少し仕掛けが弱いような…しかし、評判が良いところからすると、このぐらいの匙加減が好まれやすいのかな。

 個人的に、売れない純文学志望オジサン役の吉岡秀隆が盗作を行ってしまう下りについて、特に責められたり、反省したりしないのが(いや、反省も後悔もしてはいたのだろうが、これについて後のドラマ的フォローがないので)引っ掛かり、物語への没入度が下がる。
現実の話としては彼の気持ちも良く分かるし、他人様のことを どうこう言える立場では勿論ないんだけど、フィクション中のキャラクターとして見ると、この成長の無さは頂けない。
 どうしようもない人間だった彼の成長は、「親」となる部分にのみ限られている?
それならなお、子供の書いた物を…
 そんなに引っ掛かるべき所では無いのかも知れないが、感覚的・商売的にリアルすぎるネタのため、見過ごしてしまう事が出来ず、大きなワダカマリを感じ、クライマックスの感動に水を差されてしまった。

 CGを駆使して描かれる、今はもう失われてしまった風景が素晴らしい。
日本映画としては、最高峰と言って良いぐらい上手い使われ方ではあるまいか。
 「建設途中の東京タワー」がツボで、これだけでも映画を見た価値があると思える。
単に背景ではなく、少しずつ完成に近づかせる事により劇中の時間経過を端的に表す辺り、実に巧み。

 映画の大筋にとって必要だったかどうかは疑問だが、三浦友和演じる医師を彫り込み、彼が、戦火の中で失った家族の幻を狐狸に化かされて?見てしまう切ないシーンに、ホロリ。
 どうせなら、彼に新しい家族が出来る予兆だけでも見せて、救いにして欲しかった。
いや、切ないまま終わらせる事で医師のキャラクターは完結するのだと、分かっているけど。

 街の中に、野犬(繋いでいない飼い犬?)がフラフラしているのが、リアル。
 そういえば子供の頃、そこいらでよく野犬を見かけたなあ。
自分に付いて来た犬を、親に頼んで何となく飼っては、またフラリと旅に出たのか気が付くと犬が居なくなっていたりしていたもの…という、余り映画とは関係ないノスタルジーに浸ってしまうのは、この映画で描かれたより後の世代だとはいえ、近い時代を生きたオッサンだからか。

 年代的には、この映画より『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲』の方が、ストレートに来る。
 全体に悪くなく、楽しく見終えられ、見て損したなどとは まるで思わないが、もう一押し、何か物足りない感じが残る佳作だった。



『ギャラクシーエンジェる〜ん』06.「誕生!新人アイドる〜ん」

 作画が大きく崩れる。
ちょっと辛くなってしまうようなカットも散見され、ただでさえ求心力の低いシリーズなのに、残念。
 内容も…これまで通り間延びしたもので、感心しない。
キャラそれぞれの個性を描こうという努力が見られたのは、進歩と言えるだろうが。

 アイドル・エンジェル隊の結成、そちらに編入されるルーンエンジェル隊は、最も人気がない一人だけがリストラされることになる。
この筋は悪くないと思うんだけど、極悪でも感動的でもないストーリーとギャグが、非常に薄められ引き延ばされた状態で流されており、集中力を途切れさせる。
 毎度の事ながら、15分ぐらいに削るのが適当なネタかと。
あるいは、大ネタ小ネタを無理矢理突っ込んで、劇場版2時間ぐらいの内容にしたものを、カットしてカットして30分にまとめる事で濃度とテンポを上げるか(スタッフは死ぬ苦労だろうけど)。

 ぼちぼち視聴を終えようかと思ったが、次回、前エンジェル隊が出るのか。
 現スタッフで作る限り、旧シリーズ(傑作回時)の破天荒なパワーを甦らせられるかは疑問だけど…
来週まで、見ておきたい。


2006年11月5日 日曜日

『くじびきアンバランス』05.「ともだちがかわるかもしれない。1点」

 当初の、千尋と時乃の くじ運がアンバランスだ、という要素は(セリフとして一応フォローがあったけれども)ほとんど影を潜めてしまった。
千尋は特別に不幸じゃないし、時乃も別段ラッキーじゃない。
 現在は、くじびきによって選ばれた次期生徒会のメンバー四人プラス一人の編成がアンバランスである、という意味になっているのかな。

 蓮子、他のメンバーともそれなりに仲良くやっており、バカ騒ぎにも付き合っている(率先して騒いでいる)ので、もう打ち解けたのかと思っていれば、そうでもなかったのね。
今更という気もしないでもない、対立と和解の物語。
 蓮子のことを過保護に心配する両親だが、アホみたいなメカを繰り出して学園で無茶苦茶やっていることについては、どう捉えているのだろう?
あれだけ騒動を起こしているのに、娘が話さないので、何も知らない?
それでは過保護と言えず、放任気味のような。

 今回何より驚いたのは、薫子の首が取り外し自由だったこと(既出?)。
アンドロイド?いやサイボーグか。
これまで、メカの上に顔だけ突き出している絵は何度も出て来たが、見えないだけで体は機械の中に入っている、と理解してきたのに。
 意外に悲惨なキャラだなあ。
 いつものバカ話で勢いが付いている時はともかく、今回のような ちょっとヘコんだ話で、「私は何をされてもいいんです」みたいな事を言われると、一気に重くなってしまう。

 とはいえ、蓮子の突っ張りぶりは可愛らしく、一生懸命な時乃も それなりに魅力的で、かなりクセのあるキャラや動きを崩さず保っている製作体勢と合わせ、見続けるのに問題のない仕上がりではある。
 現生徒会長・律子の冷たい対応など、もうちょっと後まで引っ張れば良いのに、主人公達との仲を なし崩しにしてしまう、この辺りのドラマの弱さが、惜しい。



『ウルトラマンメビウス』31.「仲間達の想い」

 正体を仲間達に知られてしまったメビウスだが、ミライの姿に戻った普段は、拍子抜けするぐらい これまで通り。
お互いへの信頼がガッチリと結ばれているため、態度の変わりようがないのか。
 どうせならイベントを「隊長の誕生日」ではなく、「ミライの誕生日」に設定すれば良かったような。
ウルトラマンに そういう日があるのかどうか分からないし、ミライという地球人の誕生日といえば番組スタート時になってしまうだろうから、一年後まで来ない?

 (コーヒー)豆を、と言われ、間違えて節分の豆を買ってきてしまうミライ。
…こんなに常識外れだったっけ?「地球人ではない」正体を、殊更に強調しようとしているみたい。
また、「節分」という年中行事を知っているところは、逆に日本的常識に詳しいのか?とも思える。
 せっかくだから、登場怪獣を「酸を撒き散らすような迷惑な存在」に設定し、中和剤をぶつけて街の外に追い出す攻撃を「鬼は外作戦だ」と名付けるような結びつきがあると、楽しかったかな。
『メビウス』では、そういうノリは無いんだけど。

 噂には聞いていたが、次回、本気で「怪獣使いと少年」の続編をやるらしい事に、驚く。
もう、手を出さず そっとしておいた方が良いエピソードだと思うんだけど…余程 勝算がある?



『乙女はお姉さまに恋してる』05.「真夜中の教会」

 幽霊少女・一子エピソード、前後編終了。
 なかなかに まとまりの良いストーリーで、一子が死んだ年代と、かつて学園に通っていた瑞穂母の思い出から視聴者に「ああ、こういう事かな」と先を予想させ、期待に応える筋運びを見せた後、全てを受ける形で少女の魂を昇華させていくクライマックスへと繋げて見せてくれた。
 教会でのシーンは感動的であり、主人公の過去と絡める事により、よくある「幽霊物」の範疇を越える盛り上がり方だったが…
昇天しようという一子を瑞穂母が迎えに来ていない(死んでるんだよね?)事から、きっとコレでは終わらないんだろうなと思えば、これまた期待に応える終わり方(笑)。
 ここで終わらせて上げた方が、一子というキャラクターにとっては幸せな、印象深い扱いになったような気もするんだけど、脳天気コメディーとしては、ぬけぬけと現世に残ってしまう無責任さもアリ。
 この後もう一度、彼女をクローズアップする事があるなら、今度こそ成仏する過程が描かれるのだろう…しかし、もう そんな時間は無いかな。

 いかにもイジワルそうな貴子が、割合アッサリ瑞穂を認めてしまうのに、拍子抜け。
もうちょっと根性悪さ加減を発揮させてやった方が、「ツンデレ」キャラとしての魅力が増したような。
 このアニメは、『ARIA』的な「癒し」…というか「野郎共の変身願望」を優しく満たす事を指向しているので、シンドくさせるシーンなど無くて良い、無い方が良いのかも知れないか。


2006年11月4日 土曜日

『すもももももも』05.「激突!もも子VSいろは」

 もも子と いろはの馬鹿馬鹿しいデート対決。
ボケ少女二人に対し、もも子の必死なアピールを無視する孝士、怒濤の「お兄ちゃん」攻勢を血の涙を流しつつ見守る半蔵、という二人のツッコミ役を配している事で、テンポが良くなり、見易い内容になっていた。
 少女二人とも、孝士への好意は基本的に「誤解」から成り立っており、現在の彼にそれほどの価値などあり得ない所から、非常に危うい関係だと思える。
海獣に襲われ死にかけている孝士の事を二人が すっかり忘れてしまうラストは、彼の運命を暗示しているのかも…などというシリアスな話じゃないな。

 一生懸命で嫌味が無く おバカさんな もも子がとにかく可愛らしく、見ていて気持ちが良いアニメ。
 こういう、負担ゼロでただ楽しく見ていられる作品も、あるべき。



『009-1』05.「黄金の女 Woman of gold」

 ちょっとゴチャゴチャした話。
もっとスッキリ出来たと思うが。
 何より、ミレーヌが任務として今回の事件に当たっていれば、状況説明が ずっと短く済んだはず。
どうして休暇なんて設定を…と考えたところで ようやく、『ローマの休日』に引っ掛けてある事に気が付く鈍さ。
 また、彼女は危険な任務に就く事を どう考えているのか、『バイオニック・ジェミー』のように自分の体をサイボーグ化して命を繋いでくれた組織への「借り」を返すべく、義務として働いている?と思っていたけれども、休暇中にも要らない事に首を突っ込み、性分として厄介事を好んでいるのが分かった。
騒動屋かー。困ったもんだなあ(笑)。

 ストーリーとしては、ゲストキャラの正体に無理を感じてしまい、今ひとつ。
 現れた、クリスタル・ボディーに透けて見える骨格から、どうしても『コブラ』のクリスタルボーイを思い出してしまう。
原作にもこのデザインがあるのなら、『コブラ』の方が その影響下にある、と考えられるけど…往時の石ノ森先生が描きそうなキャラじゃないな。

 作画的に、このレベルで文句を言うのは贅沢に過ぎると思いつつ、これまでの驚異的に高い水準からすると、若干の崩れが見られた。
 何とか、ここまでに留められるよう頑張って欲しい!



『コードギアス 反逆のルルーシュ』05.「皇女 と 魔女」

 ルルーシュ、自分に不思議な能力を与えてくれた正体不明の少女と再会。
 この少女、てっきり軍が行う非人間的な研究の犠牲になり異能力を持たされてしまった悲劇の対象なのかと思っていたが、自分の能力に自覚も自信もあり、何事か企んでいる様子さえある、曲者。
正体とか、死んだはずなのに何故無事なのか、ルルーシュに与えた力の源は何か、等々、分からないことは色々あるけど、ルルーシュが聞いても少女が答えないので仕方ない。
 取りあえず「不思議少女」と捉えておけば良いんだろう。

 ルルーシュの能力、例えば「生涯ルルーシュを警護し続けよ」というような継続的命令については どう処理されるのか、と思っていたが、劇中でも「まだ分かっていない」「実験中」である事が示され、適当に誤魔化すつもりはないようで安心。
力の有効範囲や限界が段々ハッキリしてきて、それを逆手に取ったゲーム的な裏の掻き方がまた様々に考えられる(光情報なら反射も可能、という辺り、いずれ使いそう)。
 製作者がアホな場合には…最も大きな制約である「目の力は一人につき一度だけしか使えない」というのも、「少女から、力を『右目にも』入れてもらえたので、一度使われた人間についても、もう一度ずつ操れるようになった」と して回避する事が可能だからなあ。
そうなると、知的ゲームの面白さは崩壊してしまう。
 このアニメのスタッフなら、そんな事はしないだろう。

 悪辣なルルーシュの分かり易さに対し、熱血で良い奴なのだろうスザクは、どうにも捉え辛い。
損であり、一種「独善的」とも思える行動ばかり取っているように見えるが、その原因は父親の死に求められるのだろうか。


2006年11月3日 金曜日

『奏光のストレイン』01.「絶望の前奏曲」02.「出逢い」

 冒頭に見られた作画の鈍さと、戦いに旅立つ兄をダンスで送る妹、というベタベタな…う〜〜ん?と思わせられる絵作りで、早くも挫けそうになってしまうが、続けて見る。
そこを越え、パイロット養成学校に入った少女・セーラがクラスメート達と関わり始めると俄然面白くなってきたため、そんな早い段階で挫折せず、正解。

 旅立った兄の後を追うべく、ひたすらパイロットを目指すセーラ。
そんな彼女に なかなか報われない想いを寄せる男の子セディ、そういう二人を暖かく・面白がって見守る男女、で四人組を構成。
 兄との大切な思い出のダンスを、セーラがセディと踊ってみせることで、彼女もまた彼を(ある程度)特別に思っていることを示すなど、冒頭のシーンに意味を持たせるのも上手い。
 学校が襲撃される、当座の危機を四人が乗り越え、第一話は終わり…
かと思えば、セーラ以外の三人は、瞬殺されてしまう。
 うわー、まさか こんなに思い切り良く殺すとは。
 襲撃の当事者が兄、というのは予想が付かなくもなかったけれど、せっかくそれなりに立たせた周囲のキャラをイキナリ捨ててしまう、この作り方には驚かされた。
 「大切な兄」「大切な仲間達」を一挙に失い、絶望の叫びを上げるセーラが、壮絶。

 この第一話を経て、第二話では、ダークな方向に生まれ変わったセーラが描かれる。
 第一話に倣い、ロボットのパイロット養成学校で頑張るセーラの姿を中心に構成しているのだが、要領の悪さにより操縦技術は低く評価され(点数を取ることより、実戦想定を優先するため)、誰とも関わろうとしない態度に周囲の生徒達からは反感を持たれている。
人嫌いとも思えるその態度は、かつて仲間達を喪った辛い体験から来ていると見る者には分かるけれど、他生徒に理解される訳は無く。
 「兄の後を追いたい」目標は第一話から変わっていないが、その意味するところは真反対になってしまっている、この作り方が非常に上手い。

 ミミック、というパイロットの脳の複製を一度失うと、強力なパワーを持つロボット・ストレインにはもう乗ることが出来ない。
この難問を、ゴミ捨て場で見つけた少女型ロボット(?)と交流し、ミミック代わりに使うことにより、越えていくのだろうか?

 『Z.O.E Dolores.i』で、ロボットアニメに異色の要素を多数持ち込み、その全てを見事に生かし切って傑作に仕上げてくれた渡邊哲哉監督の作品。
 シリーズ構成を、『ウルトラマンメビウス』の赤星政尚が手掛けているのも、期待要素。
 面白くなりそう。


2006年11月2日 木曜日

『パンプキン・シザーズ』05.「あさはかな者達」

 オーランド伍長、入院。
それでも回復は早い方なんだろうけど、ナノマシンを用いて瞬間に傷を癒していく…というような便利さでは ないみたいだなあ。
 戦闘力の起動がランタンの光に寄っている所からすると、パワーの原動力は強烈な催眠暗示なのか、呪術的な物なのかも。

 ゲストの入院患者を加えることで、信頼する事や必要とする事、そうされる事により生じる「生き続ける理由」の認識を描き出し、オーランドと、彼を迎え入れる隊員達の関係を固める、非常に良くできた話だった。
 「同室の患者が自殺しようとする」エピソード自体は そんなに特異なものではないが、彼を思い留まらせた言葉で、そのままオーランドの心情を表現させる巧みな構成が、今回の物語を特別なものにしていく。
 一話目以降、ベースとなるストーリー・パターンを紹介し、バカが付くぐらい真っ直ぐなアリスの、オーランドが全てを賭けるに値するだけの心根を描き、不思議な力を持つ伍長への疑念を隊員が持ち、「真相解明」ではなく「仲間」として それを乗り越えていく過程を示す。
原作があるから、ではあろうが、しっかりと堅実に堅牢に作られた構成で、大変結構。



『ネギま!?』05.

 おー、オープニングに別バージョンが。
やっぱり『ぱにぽに』だなあ。

 今回は、何となく見ることを許さない、とにかく画面に凝った内容。
 ほとんどの画面にハッとさせる仕掛けが何か一つ、入っているのに驚く。
それは、レイアウトだったり光の入り方だったり色の使い方だったり背景美術だったり、またカットの繋がりであり表情であり動きでもある。
 一々「意図」を持たせた画面の連続で、もうちょっと少なければ「ここがこういう風に面白かった」と挙げても良いんだけど、その膨大な量と質の前に圧倒され、細かいことを言うのが馬鹿馬鹿しくなってしまう。
 恐ろしく贅沢な作りだなあ。

 ストーリーについては、今更にも今更だけど、原作に忠実にしよう…という つもりは無いのね。
原作を「素材」と見て、好きなように、楽しんで作っているようにさえ思える。
『ぱにぽに』のスタッフに任せた選択からして、原作者には こうなるのが分かっていた・望んでいた、って事か。
 原作通りに進めていないため、既読の自分にも次にどうなるのか予想できず(少女達と契約を結んでいくなど、基本の路線まで外している訳ではないが)。
 それは、次回を楽しみに待てるという喜びでもあるけど、さすがに構成能力が原作者に及ばないため、ネギの「自分は教師である」という自覚や生徒達に対する気持ちが、授業風景や触れ合いもロクに無いまま唐突に出て来たように思え、このアニメで初めて作品に触れる人にとっては不親切なストーリーになっていないか?といった不安要素でもある。
 堅いことを言わず、筋が通ってバトルが強化された『ぱにぽに』だ、ぐらいの気持ちで見れば良いんだろうけど。


2006年11月1日 水曜日

『ゴーストハント』05.FILE 2「人形の家」#2

 ありゃ、今回は純粋に霊現象が起きているのか(前回も、思春期の超能力とか超常現象は あったけど)。
てっきりまた、電磁波の影響で、とか、ガスを吸気する事で集団幻覚を、とかいった、現実的(無理矢理気味の)理由を付けてくるのかと思った。
 ナルは、あくまで科学的な解釈を貫くタイプ…ではなく、「合理的」に考える人間のようで、ポルターガイストだの地縛霊を何の抵抗もなく受け入れ、霊能力者による解決を模索していた。
それは、前回もそうだっけ。

 今回、屋敷に入って来るや凄まじい霊気を感じる霊媒少女なんか、前エピソードの校舎では「霊気を感じないから、ここで起きているのは霊現象ではない」と分かっても良いような。
そんなにハッキリクッキリした分かり易いものじゃない…のかな?
 こんなに沢山 霊能力者を呼んでいては、礼金が大変なことになりそう。
屋敷の主は お金持ちそうだから、気にしない?

 三話で一エピソードを完結させる形式なのか。
要らない所をスパスパ切れば、前後編ぐらいには収まりそうに思うけど…
 「事件の真相」で引っ張る内容のため、それがショボいと、下らない解決を見せる推理物のように、見る者をガッカリさせてしまう。
前回の真相は、かなり「???」なものだったが、今回は期待に応えられるだけの物になっているのだろうか。



『護くんに女神の祝福を!』04.「私だけの王子様」

 美女と野獣のストーリーは続く。
もちろん、美女とは護のことであり、野獣がヒロイン・絢子のこと。
 絢子は強いパワーを持ち、短気な乱暴者で、周囲から畏怖の目で見られており、怒らせると手が付けられない。
彼女を制御できるのは、その好意を一身に集める たおやかなお姫様・護だけ。
 男女を入れ替えさえすれば、古典的とも言えるキャラクターの関係なんだけど、とにかく女の子が強い所は現代的。

 どうせなら護の強さを、優しさと正しさと ほんの少しの勇気だけに求めて欲しかった。
ええと、ビアトリス?というような超能力を発揮して、「パワーとしての強さ」が見えてしまうと、せっかくの特異な関係性が弱くなってしまいそうで。
 まあ、二話目以降その設定は使われておらず、キャラクター達も重要視していない風なので、余り影響はないのかな。
 この作品は、バトル物であるより、今回見せられたように「学園祭の演劇中でキスすることを求められた二人がドキドキする」辺りを中心に据えていると感じられるし。

 鉄鋼無敵超人かと思われた絢子が、風邪ぐらいで倒れるのは意外。
ウルトラ・スーパー・デラックス風邪ウィルスに冒されたのだろうか。



 前から疑問に思ってきた。
 例えば、「あの人は酔うと、怒るし泣くし暴れるし、手が付けられない」というような事を言い表す際、状態を連続して述べる書き方は、「怒るは泣くは暴れるは」なのか、それとも「怒るわ泣くわ暴れるわ」なのか。
 個人的には後者だと考えており、「は」ってのは確かに「わ」と発声するけど、こういう並列には使わないんじゃないかと、何の根拠がある訳でもなく感覚的に(理屈もいくらかは説明できるが、長くなるし面白くないので略)思ってきた。

 ネット上などでよく見かける記述は「怒るは泣くは」の方で、「わ」を使用している例は余り見たことが無く、自分の方が間違っているのかなあ、と。
実際、Googleで調べても、「泣くは怒るは」がこの件数、「泣くわ怒るわ」だとこちら…という訳で、「は」を使った例の方が遙かに多い。
 こんなのドコで調べれば国語的正解が得られるのか分からず、アホみたいな間違いを晒すのもナニかなあと怖じ気づき、これまで使わないよう心懸けてきた。
 日本語は生き物なのだし、「は」の用例が多い以上、現実的にはこれを正しいと考えるべきか。

 しかし、毎度楽しく読ませていただいているこちら様で、サムシング吉松先生の記述を、漢字・文法・国語全般に厳しい感じの編集の方がわざわざ修正する形で、「は」を「わ」に書き換えており、という事は それで正しい…少なくもそれを正しいとする考え方もあるのだと証明され、安堵。
 これから、「わ」にして、使うことにしようかな。

 ※掲示板で早速ご指摘を頂きました。
 辞書で調べれば、「わ」で正しいと確認できるようです。


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