ときどき日記 2006/12

2006年12月31日 日曜日

 コミケ終了。

 当日の朝、ギリギリまで原稿を描き、コピー機をフル回転させていたため、何の告知も出来ませんでした。
 会場で、わざわざ当スペースへと お越し下さいました皆様、「その場で必死に製本しつつ、出来た側から売っていく」というブサイク極まりない姿を見せてしまい、誠にもう、申し訳ありませんとお詫びする以外どうしようもなく。
 そこそこ部数を用意したつもりだったのですが、割合にすぐ無くなってしまい、嬉しいやら申し訳ないやら。
コピー誌の限界も感じてしまった事です。
やっぱり、ちゃんとオフセットで印刷したいなあ。

 様々な反省材料は、出来る限り次回に生かしたいと思います。
 何とか お見捨てなく、またこのダメサークルにお付き合い頂けますと、大変に有り難いです。

 では、少し寝たいと。
 恐らく年明けまで起きないと思いますから、ここで。
 皆様、良いお年を。


2006年12月30日 土曜日

『ショートDEアニメ魂』01.

 三十分の枠に、短いFLASHアニメが二本とインタビューとCGアニメと実物の野菜で撮った変な刑事ドラマ?を詰め込んだ、無茶な番組。
 最初のアニメ二本は、Frogmanというか、Webアニメを思わせる内容。
凝っているような部分は無く、お手軽に安く作ったような印象(監督も原画も声も一人でやっていたり)だが、その気軽すぎるギャグに ちょっと笑ってしまったり。
 CGアニメは、画面の出来はともかく、辛気くさい雰囲気にめげて早送り。
 実物野菜による『大根刑事』になると、中学生ぐらいが文化祭用に はしゃいで撮ったフィルムみたいで、見てどうこう言うものとは思えず。

 FLASHアニメは そこそこ楽しいんだけど、「毎回必ず見なければ!」という程の物でもなく。
時間がある時のみの鑑賞に留めたい。



 コミケの準備でバタバタ。


2006年12月28日 木曜日

『ブラックラグーン-BLACK LAGOON-』最終24話.「The Gunslingers」

 壮絶なバトルと人間模様を見せつけ続けていた この作品も、最終回。
 日本で繰り広げられたバラライカ凶悪殺戮組織 対 暴力団の戦いは、プロ対アマチュア…というよりヤクザは ほとんど「夢見る乙女」、と言って良いぐらい甘っちょろく、まるで相手にならない。
義理だの人情だの、これまでの人生で聞いたことすら無さそうな(もしくは、関知しない人間に生まれ変わっている)ロアナプラの住人達には、関わらない方が得策だった、ということか。
 一般人でも、自分らの揉め事にヤクザを介入させて解決を図ろう、などとしてしまったなら、その後ずっとつけ回され脅されて骨までしゃぶられると分かるだろうに…日々暴力に相対している人種でありながら、危険を感知する本能が麻痺しすぎ。

 架空の街ロアナプラは「暴力と殺戮のファンタジー世界」なので、どんな悲惨な事態が起こっても割合にカラッと乾いていられるが、『セーラー服と機関銃』を思わせる女子高生組長を擁した今回の話は、少々ウェットに過ぎる。
 ヤクザ的に全うすべき生き方というものを、少女が体感的に理解していたとは思えず、賢い頭で文学的に咀嚼していただけかと思うと、訪れる悲劇も何だか「女子高生的美意識」に支配されているようで、感慨が薄い。
 彼女は、対比してレヴィの現状を浮かび上がらせるための存在だったのかな。

 レヴィ、本当に、驚くぐらい巨大な落差を持つツンデレキャラ化。
 「ツン」時点でのキャラクターが、そこいらのヒロインとは比べものにならないぐらいの壮絶さで、オタク…どころか普通に生きている人間にはとても扱いきれそうにない。
だからこそ、特に日本に来てから見せた、ロックへのデレデレぶりが生きてくる訳だけど。
 昔のレヴィなら、どうにも面倒な行動ばかり取るロックに、一発喰らわしてるよねえ。
 その甘さ、優しさを、彼の美点として理解できるようになったものか。

 自決する女子高生を前に、「あいつを見るなロック!傷になる!」と叫ぶレヴィの言葉は、ちょっと泣けるぐらいに彼を思う愛情の発露に感じられる。
 いやあ、良いツンデレだねえ。
レヴィ本人にそう言ったら、頭を吹き飛ばされるんだろうが。

 全体に、血なまぐさくて乱暴で恐ろしくてコミカルで、とても面白い作品だった。
 今期で一番印象に残ったのは、やっぱり双子の話かな。
オールスター登場で乱痴気騒ぎを繰り広げる、ニセ札作りの話も楽しかったけれども。
 凶悪メイドさんの出番がなかったのだけが、残念。
それは、あり得るなら次期シリーズの楽しみに。


2006年12月27日 水曜日

『くじびきアンバランス』最終12話.「ゆめをかなえてみよう。9点○」

 むーうー、別に悪い内容ではなかったけれども、最終話の展開が余りにも急に思え、乗り切れず。
千尋の成長や、律子が持つ生徒会長・日常の二面性など、もうちょっと彫り込んでから この最終回に到ったなら、感動はもっと深くできたろうに。
 それでも、脳天気に見える時乃が、千尋の、特に律子絡みの事情には鋭さや女の子っぽさを発揮してみたりなど、単純なばかりではないキャラクター造形には惹かれるモノがあった。
 どうしてそこまで?と思えるぐらい、改造して(愛して?)欲しがる薫子の異常性もまた、しかり。

 「死」「殺人行為」でさえ普通に存在するらしい生徒会の有り様について、何を護ろうとしているのか分からず、不思議だったけど、要するに「突然、小国の国王に任命された」というのと変わらない設定なのかな。
 千尋達の対処能力では、前生徒会ほど上手く生徒会を運営できるとは思えないが…
彼の優しさ・人の良さが、実能力を超えて事態を好転させていくのだろう、という まあ「ご都合主義」で納得するには、ここまで無用にハードなストーリーを入れすぎてしまったような。
 会長の証であるヘルメットに秘密があり、被った瞬間に律子のような、沈着冷静・処理能力に長けた人格に変身する、というなら話は別として。

 久しぶりに千尋の「運が悪い」という設定が語られたけれど、結局の所、シリーズ中ではほとんど意味を持たなかったように思う。
物語の流れからすると、「運が良い」キャラにした方が、整合性を取れたかも。
 全体に、アクのある作画が楽しく、キャラも可愛らしくて、見続けさせる力のある作品だった。
 単なるドタバタ話も面白く見たけれども、シリーズとしては、「千尋の成長」か「彼を含む三角関係の成り行き」に焦点を絞った方が、まとまりは良くなったろう。


2006年12月26日 火曜日

『ライオン丸G』最終13話.

 とにかく主人公が超絶のダメ人間、という異色のヒーロー物、異色のエンディング。
 二つの太刀を同時に抜き放つことで変わる新形態・ライオンタイガーなど、バトルを盛り上げていく「最強の敵」として扱いそうなものなのに、登場時間は僅かで、勝手に倒れて退場、という想像を絶する扱い。
 この裏ワザ変身は、ボスキャラと対決する際にも「オレ達の最後の力を見ろ!」という形で主人公側の力に使えたと思うが…
使わなかった、というより、使うつもりなんか最初から無かったんだろうな。

 悪のボスを倒したのは、ライオン丸でもタイガージョーでもなく、生身の錠之介が命を賭けた特攻ダイナマイト攻撃だった。
……こんなヒーロー物、アリ?(^ ^)
 錠之介の意地、というより、低予算の深夜枠でも何かスゲエ物を見せつけたかったスタッフの意地、が、結実したラストバトルに、呆然。

 スナックのマスターや、ホストクラブの面々、獅子丸を追っかけ続けていたブサイク常連二人組まで殺してしまう殺伐とした展開からして、「ヒーロー物」ではなく、『探偵物語』や(本編で「古い」と言われていた)『傷だらけの天使』辺りを現代に甦らせようとしたものなのか。
 誰も救えず、何もかも失って、しかしNEO歌舞伎町を離れることなく彷徨い続ける獅子丸最後の姿が虚しく、「自業自得」とも言えず不条理に辿らされた その運命は哀しい。
 という後味を帳消しにしてしまう、ちゃっかりした(深い愛がある?)サオリによるエピローグと、付け加える余計な一言に大笑い。

 異色の特撮物は何本もあるが、その中でも毛色の変わった、「アレは凄かったよね」と長く語られるだろう作品。



『ギャラクシーエンジェる〜ん』最終13話.「出現!ワルワルワる〜んエンジェル隊!?」

 悪者になってしまうルーンエンジェル隊。
…という話をやるには、まだキャラの個性が弱すぎ、いつもの性格付けとの距離が出せていない。
 悪事も、赤信号で横断歩道を渡るとか、ピンポンダッシュとか、余りにも些細なモノばかりで。
そういうのもあって良いけど、キャラによっては本気で悪辣な事をさせるとか、ここも個人間の差を描いた方が面白くなったような。
 ごくありふれた失敗のように、惑星を壊滅させた数を語り合っている桜葉姉妹の方がよっぽど極悪なんだけど…これは意図的?
だったら、アプリコットが仲間の小さな悪事を止めようとして被害を遙かに拡大させてしまうとか、そういうパターンでギャグをエスカレートさせていく方法もあったかと。

 唐突な四機合体ロボと、姉妹合体ロボの悪ノリは、面白かった。
こういう無茶苦茶さは、個人的に考える『ギャラクシーエンジェル』像に近い。
 ミルフィーユやロストテクノロジーという概念を出している所から、旧シリーズっぽさを醸し出そうという意図もあった?
新シリーズが独自の魅力を開花させていたなら、このエピソードを最後に持ってくる「皮肉」が効いたのかも知れないけど…

 13話まで見ても、新キャラクターの印象が弱く、この最終話から時間が経つに従って、強烈な旧キャラクターに浸食され思い出せなくなってしまいそう。
アプリコットなんて、「ミルフィーユの妹だった」事しか残っていないし。
 恐ろしく強い旧作と常に比べられるのは可哀想だと思うけど、そういう話題性が無く立ち上げたオリジナル作品なら、最後まで付き合ってくれる視聴者はもっと減っていたろうと思え、難しいところ。


2006年12月25日 月曜日

『乙女はお姉さまに恋してる』最終12話.「ラストダンスは永遠に」

 貴子と共に、まりやのフラグが立ち上がってきたので、どちらを攻略するのかと思えば…「戦いはまだ始まったばかり」的な終わり方。
 鈍かった二人(主人公も入れて三人?)が、ようやく恋を自覚するに到る。
恋愛の「一番楽しい時期」を描いてあり、ここからドロドロとして熾烈で最終的には誰かが泣くことになるバトルが繰り広げられるのだろうが、その直前に留める事で爽やかなエンディングを演出して見せてくれた。
 それから、を想像させるエンディングも気持ち良く(このままの内容で第二シーズンへ行けそう)、不足を感じない出来映え。

 登場キャラクターはみんな可愛らしく、それぞれにドラマを設定し、きちんと昇華させてある丁寧さも素晴らしい。
 最後まで崩れない作画のお陰もあり、とにかく気持ち良く見られた作品。
 徹底して「嫌な部分」を排除してある。
瑞穂は、まったく女の子として描かれているし、貴子はツンデレだけど「ツン」の時点でさえ悪意が無く、その他のキャラクターも皆、ベースには「圧倒的な主人公への好意」があって、異世界を冒険するよりも なおファンタジー寄りな この作品内を、視聴者に取り居心地の良い場所にしてくれる。

 主人公が、男の子でありながら女の子、という特殊な位置に居るのが、勝因。
これなら、周囲のキャラが寄せる主人公への気持ちを、「好意」から「恋」に発展させるには、秘密を知ることが(通常は)絶対条件になり、非常に人間関係を整理しやすくなる。
 もう、こういう一対多の恋愛関係を基調とする作品は、主人公をみんな美少女姿にしてしまえば良いのに(笑)。
 いや…全員 本当の美少女でも、『マリアさまが…』なんか もっと緊張感のある物語になっていたのだし、やっぱり「どういう作品にしたいのか しっかり定めること」が一番大切か。


2006年12月24日 日曜日

『ウィンターガーデン』前・後編

 『デ・ジ・キャラット』の続編…なんだけど、キャラの設定、雰囲気から作品ジャンルまで、まるっきり変わってしまっているため、アナザー・ストーリーと呼ぶのもためらわれる。
 実際、前知識無しで見て、ヒロインらの名が「でじこ」ではなく現実的な名前…「恵知子(えちこ)」とでも変えられていたなら、元ネタが分かる人は居たかどうか。
ここからオリジナルは連想できず、恋愛ゲーム・アニメに似通った設定を求めてしまったろう。

 ほのぼのとしたテイストは悪くなく、ふわふわした性格の でじこと、しっかりしているようで時折 飛躍した思考形態を顕わにする ぷちこの魅力により、気持ち良く見られる。
 ストーリー自体は…オチなど、この雰囲気からすればキツいモノになる訳が無く、そうなると誰にでも読めてしまうだろう。
 オリジナルと設定が違っているようなので、でじこ達姉妹は何のために二人暮らしをしていたのか、呼ばれて すぐ帰ってしまう程度にしか街へのコダワリは無かったのか、など分からない点もあり。
いや、現実には、何となく都会に出てバイトで自活している姉を頼り、何となく妹が上京してくる、なんて事もあり得るんだろうけど。

 ゆる〜い、のんびりした お話で悪くなかったが、「オリジナルとの強烈な差異」という点を除くと、単体では何を訴えている・描いているという事もなく、見終わって「それで?」「それだけ?」という気持ちも残ってしまう。
かといって、「オリジナルのファンであればあるほど楽しめる内容」という訳ではなく、少々中途半端。
 とはいえ、桜井 弘明監督は さすがに巧く、ケーキに付いたサンタ人形を姉に渡し「食べられないからね」と何度も念押しする ぷちこや、ファーストフード店に訪れた ぷちこ目当て客のアホなリアクション、彼女の学園祭演奏シーンなど(ぷちこ関係ばっかりだな)、愉快な気分にさせてくれるネタが細かく詰め込んである。

 もうしばらく、せめて12話ぐらい続ければ、オリジナルと関係なく、『ウィンターガーデン』という独立した作品へのファンが付き、リアル(?)でじこ・ぷちこを好きになる客も出て来たろう。
せっかく作った設定も勿体ないし、温泉宿で暮らす姉妹の日常を中心に、でじこと拓郎の長距離恋愛、ぷちこの超長距離通学、歌手デビュー話なんかを盛り込んで、続けてみて良いのでは。



『はぴねす!』最終12話.「幸せの魔法」

 とりあえず無難に落とした終わり方ではあったが、バトルイベントよりも雄真・春姫が描き出す心の軌跡をこそ期待して見ていたもので、盛り上がれず。
 トラブルメーカーの杏璃や、美少女としか思えない(実は男、という設定はもっと活かせたかと)準、驚く程お人好しの すもも、典型的ツンデレの伊吹、等々、登場キャラクターの造形は非常に良かったのに、その魅力を十全に引き出せたとは言えず、残念。
 キャラ個人個人の面白さはともかく、他キャラとの関わり合いが弱かったような。
普通に考えれば迷惑以外の何者でもない杏璃を、周りはどう捉えているのか、とか、伊吹を受け入れるに至る心情の描き方が薄すぎる、とか。

 貶したいほど悪い内容ではなかったと思うけれど、誉めたくなるような部分も特には無く。
これもまた、しばらくすると存在自体から忘れ去ってしまいそう。


2006年12月23日 土曜日

『あさっての方向。』最終12話.「ここにいること」

 開始当初、重苦しいストーリー展開が予想でき、どうかと思ったものだけど、「子供になってしまった椒子」がストーリーを明るめにしてくれ、不必要な負担なく見られる作品になっていった。
 終わり方からすると、からだと徹允の関係が中心だったのか。
幼い気持ちが、障害を経て恋愛方向へと振れていく様子を丁寧に、可愛らしく描いてあり、好印象。
 未来を期待させる二人だけど、兄カップルにも こういう時期はあった、と考えると幸せだけが待っているとは限らず、明後日の二人の行方は誰にも分からない、か。

 大きな心境的変化が見られなかった成長からだに対し、幼児化椒子は子供っぽい態度も取り始めていた。
兄のため しっかりとした大人になりたい、という目的の前に、元々しっかりしていたせいもあって特別 内面の変化を必要としなかった からだに対し、「そのままの自分では愛されなかった」傷を持ち、彼に大切にされる からだ=少女を羨んでもいただろう椒子は、自らの内面の変化をこそ望んでいたし、必要と していた、という事だろうか。
 子供に取り、「やがて必ずやってくる未来」は そう特別なものではないだろうけど、大人になり、「もう取り戻すことが出来ない後悔だらけの子供時代」へと帰れ、その記憶を書き換える事が出来る(椒子は、本来持ち得ない「同年代の子らに混じって子供らしく遊ぶ自分」を選択することが出来た)奇跡の価値は、そりゃもう掛け替えがないぐらいに大切なものだろうし。

 真っ直ぐで、魅力を理解しやすい徹允に比べ、尋は どうにも分かり辛いキャラ。
妹への気持ちが、純粋に兄としてだけのものなのか、いくらか男としての感情が、成長からだに対してだけでも、交じっているのかさえ、よく分からない。
 女性二人に生じた変化は、大人に・子供になりたい、といった直接的な動機ではなく、「尋が望む(と考える)自分になりたい」という間接的な物だったのかも知れないので、一層その内面を彫り込んで欲しかったところ。
 願い石は目に見える切っ掛けに過ぎず、真にこの現象を引き起こしたのは尋なのかも、と考えると、いくらか不可解なところを残した方が、この作品の不条理さを背負ってくれて、良いのかな。

 女性陣が元の姿には戻れない、という終わり方でも、現状でカップルの関係は成立している訳で特に問題なかったと思うが…本編の終わり方も、爽やかで悪くない。
 二人の年齢的入れ替わり以外には特に大きな事件を設けていないのに、見続けさせるパワーのある、繊細な、面白い作品だった。



『Gift - eternalrainbow -』最終12話.「永遠の虹」

 『D.C.〜ダ・カーポ〜』に似ている…というのが評価の基本にあった本作だけど、その大筋は最後まで変わらず。
「主人公が、その好意をアテにして身の回りの世話をさせていた少女を捨て去り、闇雲に、よく魅力が分からない義理の妹を選ぶ」という落とし方も、同じ。
 消極的・受動的になりがちなヒロインの立場の義妹に、恋仇の家へと乗り込んで直接対決させてしまう積極的な物語の作り方は、新鮮。
そこで義妹の方に、「暗黒面へと落ちた恋仇により記憶を奪われる」イベントを付加することで、恋愛に勝つ「代償」を設定し、視聴者からの同情を期待できる立場に持って行ったのも、工夫を感じる。

 『D.C.』の、その少し先、もしくは別ルートバージョンぐらいには出来ていたかと思うが、もっと頑張って今後「『Gift』的」という評価基準を生み出せるぐらいオリジナルな物語を構築した方が、視聴者にとっては勿論、製作者にも幸せな事だったと思う。
 いや、言うのは簡単だけどオリジナルな物語を産み出すのは至難のワザなんだよ、ってのも承知で。
「頑張っている部分もあるのに勿体ない」という気持ちを込めて。

 義妹を救うべく、Giftそのものを消し去ってしまう主人公…
これは良いことなのかどうか。
 成立理由はともかく、既に公的になっていたのであろう存在を、全く個人的な理由で消すのは…どうにもこう、自分勝手としか。
 「義妹が好きだから、義妹を選んだ」「でも幼なじみと今後も上手くやっていきたいので、関係を修復してみた」という恋愛の決着からして自分勝手だから、それで良いのか。
 独善とか自己満足とか、そういう要素が全く無いと恋愛なんて成り立たないだろう、という事を描いている?

 切れた、思い出の糸電話の糸を結び直す事で、断ち切れようとした関係を修復するのがシナリオとしては上手い…けど、主人公への印象は「巧妙」とか「姑息」とかいった方向にも。
 取りあえずキレイに終わった…と思えば、エンディング後の「一緒に温泉行こう」は何?
被害者、敗北者に終わろうとした霧乃が上げる逆襲のノロシか、アナザーストーリーが存在する原作ゲームへのお誘いか、あるいはOVAの予告?
 こういうラストは、一本の作品としての完成度を弱めてしまうので、感心しないな。
テレビ放送はソフト化されるDVD(完全版とか)やOVAを買わせるための広告、ぐらいに考えている製作者も居るそうだし、「作品に金を落とさない視聴者などそもそも客ですらなく、大事に扱う理由が無い」という論理も、オールドタイプとしては寂しいけど理解できなくはなく、購入はおろかレンタル屋で探してさえ この続きを見るとは思えないロクデナシの「視聴者」としては、納得すべきか。



『夜明け前より瑠璃色な』最終12話.「お姫様と…」

 余りにもパターン通りのストーリーと演出で、良い悪い以前。
 この通りの内容であっても、いくらか工夫したり情熱を込めることでは、他の作品群とは違う何かを見せられたろうと思うが…そういう気持ちは薄かったみたい。
 前回、月の王宮で、侵入者と逃走者になった主人公・ヒロインが再会する、いくらでも感動的に出来たろう このシーンを、特に盛り上げもせず そこら辺で何気なく終わらせてしまう やる気の無さには、驚く。

 腰が抜けるほど頭が悪い お兄ちゃん一人を拘束することで、月と地球の戦争が回避できてしまったり。
 主人公の死をデタラメな方法で回避してしまうのは…まあコメディーの「お約束」かなあ。
ヒロインらが頑張った成果など、エイリアン来襲の非常事態に比べれば小さな事に思えてしまい、どうかとも思うけど。
 人間関係を単純にしたかったからなのか、酷く軽い扱いに終わってしまった菜月が憐れ。
その兄にしても、せっかく「毎度殴り飛ばされて窓ガラスを突き破る」特性が設定されていたのだから、主人公の行く手を遮る超硬質ガラスをブチ割って道を切り開いてみせるとか、悪ノリとキャラクター性の結実が見たかったところ。
 キャラとしては、主人公の姉も妹も、ヒロイン付きの駐在武官も、言うまでもなく全く無用というより「余計」な存在ですらあったリースリットも、さしたる魅力を発揮できておらず、ぞんざいな扱いに終始してしまったのが残念。

 全体として…本来は大きな欠陥だろうが…「作画にもの凄い崩れがあった」事だけが印象に残る、それにしても半年後には思い出せなくなっているだろうアニメ。


2006年12月22日 金曜日

 ようやく一段落。
年末進行は、やっぱり厳しい!
 まだまだ、やらなければならない仕事は山ほど残っていますが、取りあえず復活。
 ぼちぼち日記を更新していきたいと思います。


2006年12月16日 土曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュ』10.「紅蓮 舞う」

 成田連山の日本解放軍拠点を潰すべく、ブリタニア軍の攻撃が始まる。
 指導者を捉える事も目的とするため、爆撃でカタを付ける訳にはいかないだろうが、せめて衛星か航空機による偵察を事前に行い、地上戦力の配置やエネルギー反応なんかを把握しておけば、黒の騎士団の奇襲を受けずに済んだのでは。
圧倒的な自軍戦力に、コーネリアも慢心したのかな。
 コーネリアの作戦が余りにも完璧すぎると、ルルーシュの付け込む隙が無くなり、困ってしまうという事情もあり?
 事前に得た情報から成田上空を衛星が通り過ぎる時間を割り出し、それに備えてカムフラージュのネットを掛け、機械類の停止によりエネルギー反応を読まれないようにする…とかいう対抗策はあるだろうけど、この辺、あんまり緻密にやりすぎると単にチマチマして面倒臭いだけにもなってしまうので難しいところ。

 日本製ナイトメア・紅蓮が登場。
「先行する人型戦闘兵器の前に大敗を喫した主人公側が、自軍で開発した人型兵器により反攻を開始する」というのは、まあ普通には『ガンダム』だろうけど、「占領下にある地上で、レジスタンスが開発」という点を見ると『レイズナー』かなあ、とも。
 独自開発メカに、日本人はどういう機能を搭載したのか。
反応速度アップ、装甲強化、戦艦並みのビーム砲を搭載…辺り?と思えば、敵の機体を掴んでジワジワと破壊する、凄いことは凄いんだろうが なんだか地味で陰気な秘密兵器。
いずれパワーアップし、遠距離から複数の敵機体を破壊できるようにもなる?

 自分を信用し、手足となって働いてくれる黒の騎士団オリジナル・メンバーとは違い、新規入隊の寄せ集め兵は、イザという時 頼りになるかどうか分からない。
その対策として、全員を窮地に「追い込んで」しまうゼロ。
 一団となり、命の危機を乗り越えた経験が一度でもあるか、無いかで、団結力もゼロへの忠誠心も段違いになるだろうから。

 紅蓮のコックピットで、機構にまたがる形になったカレンの腹筋の描き方が、なかなかに色っぽくて素晴らしい。
 女性が乗り込むロボットの操縦形式に、バイクを思わせる物がボチボチあるのは、『マジンガーZ』ダイアナンAからの伝統だろうか。
うつぶせになった姿勢だと、色々扇情的なアングルを取りやすい、という実利的な理由があるのは、勿論(^ ^)。



『くじびきアンバランス』09.「はなびがきれいにみえた。5点」10.「さがしてもそこにはない。3点」

 9話。
 以前、気の迷いのように登場し、UFOを撃墜されて地上を さ迷うことになった宇宙人達のその後。
オチ扱いだと思っていたので、まさかフォローがあるとは。
 蓮子が作っている男性型ロボットにヤキモチを焼き、ミルクを飲んだくれる薫子が可笑しい。
 とにかく、Mというにも異常性格で、己を犠牲にしてまで(犠牲に「したがっている」)蓮子を偏愛する薫子が強烈であり、楽しい。
 ツンデレの魅力はあるかと思うけど、どうしてそこまで蓮子ラブかなあ。
「踏みつけられても好き」じゃなくて、「ツボを容赦なく踏みつけてくれるからこそ好き」なのか。
 花火大会の設定から、大体オチは予想が付いてしまうけど、酷い目にあった宇宙人が毎度お馴染みエンディングの一枚絵に登場する所、可哀想やら馬鹿らしいやらで大笑い。
 宇宙人に「一度母星へと引き上げ、次回はもっと巨大な戦力と共に来訪、地球を破壊してやる」というような邪悪な目論見があると、このラストはカタルシスにもなったろうか。
いや、元々侵略目的?で地球に来ていた乱暴者なのだし、同情する必要など無いんだけど。

 10話。
 シリアス話。
以前のスパイ・エピソードでも思ったけど、基本コメディーの通常路線とは大きく異なっているため、命のやり取りまで発生するような展開には違和感。
 デンドロビウム化までしながら、小雪にアッサリ撃墜される薫子、ぐらいが僅かな笑い処。
 普通、復讐に身を焦がす小雪兄が以前の優しい気持ちを取り戻し…というような展開になるものと思うけれど、もしかして兄はビルから転落して死亡した?
こんな片付け方って…
体を普通に飛行要塞へと改造する少女や、スーパー超能力少女が登場する作品世界で、あの程度の高さのビルから落ちての「自殺」って、アリなのかなあ?
 亡き兄の影がこれからの作品内容に大きな影響を与えてくる、というならまだしも、「異色話」としてやってみたかった、ぐらいの意図なら、無くても良い話なんじゃなかろうか。
珍しく主人公が「らしい」活躍をした、という存在意義はあるけれども。


2006年12月11日 月曜日

 年末進行が本格的に始まる。
 泣きたくなるようなスケジュールですので、これよりしばらくは更新が酷く不安定になると思われます。
毎度すみません、ご了承を。


2006年12月10日 日曜日

『仮面ライダーカブト』44.

 馬鹿バッタ義兄弟の弟・影山は、矢車と違い、日陰の道ばっかり好んで選んで歩くのに疲れたらしく、久々にザビーに変身(前にも、チラッと未練ありげな様子を見せていた)。
しかしまあ、「ホッパーよりザビーの方が強い」という設定がある訳ではなく、ガタックとコンビネーション・アタックを見せたものの、敗戦は当然か。
 仇を取ってくれ、という影山の言葉には「まだそんな事言ってんのか」と否定的だった矢車だが…
やっぱり何か感じるところはあったらしく、戦いの場に現れる。

 ワームに対するセリフ、
「俺の相棒を笑ったのはお前か」
…に続く矢車の言葉は、普通だと「許さねえ!ブチのめしてやる!」とかだろうけど、違う。
日の当たる道へ還ろうとした弟分に怒りを感じているのなら、逆に「よくやってくれたな、礼を言う」とかいうパターンもあり得たろうが、これも違う。
 実際に発せられたセリフは、「俺も笑ってもらおう」。
 意識してポジティブな発言を封じている矢車らしいダウン気味の、しかしワームへの怒りを滲ませた言葉の選び方で、実に上手い!
 久々に矢車が格好良く見えた。

 ストーリーは…
 ひよりを取り戻す天道だけど、彼女と共に居た異世界天道は何者なのか、その辺が分からず、もう一歩 乗り切れない。
 男ワーム、やられたかと思えばまた復活。
同型が何匹もいる?もしくはサイヤ人のように、瀕死の重傷を負う度に強化されて甦るタイプのワーム?
正直、あんまり魅力も憎々しさも感じないキャラなので、こんなに長く出されている理由がよく分からないんだけど、もしかしてコイツがラスボスになるのかな。


2006年12月9日 土曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュ』09.「リフレイン」

 ブリタニア人でありながら、日本人のゲリラ活動に身を投じているカレンの抱える事情が、明らかになった。
 今回は、ルルーシュとの会話の中で、なかなか捉え辛かったスザクの内面についても多少語られ、キャラクターそれぞれの目的が一気に分かり易くなる。

 カレン、普通に考えて、屈辱に耐えてまで母親が屋敷で働く理由は、「娘のため」以外なかろうに。
 苦難の中でも心を折れさせず生きられるほどには強くなく、「全てあなたのためなのよ」と娘に本心を告げてしまい負担を掛けるほどには弱くない、そういうママンだったのか。
 娘がまた、直情径行で、他者の心の機微に疎い部分があるから。

 ルルーシュの分析では、日本がブリタニアの植民支配を受けることで、軍事も経済も格段に安定した、らしい。
という事は、この作品世界は現実の世界情勢より かなり紛糾しており、日本は経済的にも「世界に冠たる国」では(侵略前から)なかったのかな。
 日本がアッサリ負けてしまった理由は、ブリタニアの軍事力が強大であること、強力なロボット兵器を開発していること、等もあろうが、そもそも国土を護る軍事力(実戦力)が不足していた、という事情もあり?
 野心(というかもう、『インデペンデンス・デイ』エイリアン並みの理屈の通じなさ)を剥き出しに版図を広げる国が世界に存在する時代になって、なお平和のみを訴え自国の防衛軍備を疎かにしては、ボロ負けでも仕方ない。
 こういう状況下でも、話し合いによる和平の道を目指した最後の首相がスザクの父であれば、その理想を継ぐ形になっている息子の行動も、理解しやすい。
 いや、世界地図が現実とは大違いで、第二次大戦があったのかどうかも分からないんで、平和憲法を堅持していたかも不明だが。

 クスリに やられて幸せなウワゴトを口走る人達のセリフに、所謂「死亡フラグ」そのものなのが多く、笑ってしまう。
「来月結婚するんです」「栄転だぞ、今度はパリ支店だって」「決まったんだよ留学、ヤルぞ俺は」
…死にそうだなあ、みんな。



『ブラックラグーン-BLACK LAGOON-』22.「The Dark Tower」

 往年のヤクザ映画(仁義なき戦い?)のような、因縁と怨念の討ち入り話。
 前回、ボーリング場に乗り付ける車内のラジオで流れる曲は、あんなチャカチャカしたロックじゃなく、ド演歌であって欲しかった…と思うのは、こんなでもやっぱり自分が日本人だからだろうか。
そういうワビサビをまるで介さない(日本の美意識なんて知らないし)所が、レヴィらしいんだけど。

 討ち入り自体は、ワン・マン・アーミーとしてプロの一部隊を相手にしても戦えるレヴィに加え、「怒らせると何でも真っ二つ」という訳で飛来する弾丸も両断してしまう五ヱ門のような男が加わり、無敵状態なので緊張感は薄く。
しかも敵が、プロらしさも覚悟もヘッタクレもないチンピラの寄せ集めときては、相手になるはずもない。
 ああ、そういえば前回、雪緒をボッコボコに殴りつけていた切れやすい若者は、撃たれたんだっけ?
ボス一人が頑張って狂気を示している感じだったので、せめて もう一人ぐらい、チンピラの意地を見せつけるキャラが居て欲しかったんだけど。

 そのボス。
 何をしたかったんだか、また それを達成できると本気で考えていたんだか、余りにもアホな暴走ぶり。
クスリでもキメていなければ、なかなか あそこまで出来ないような。
 狂気を、実力と打算が裏側から支えてさえいれば、レヴィ達のホームタウンでも生きていけそうなほど。
あ、いや、ドコでも すぐ死にそうなキャラか。

 殺さず、両腕を切り落としたまま生き続けさせる、という処置にしておいても、この先の人生は(他者と支え合っては生きられない人間なので)悲惨を極めるものになったろう。
ついでに、両足と局部も落としてやると、更に更に先行きは過酷。
 ひと思いに(ったって溺死だけど)殺してやるのは、まだしも日本人的な優しさ…ワビサビなのかな。

 番外編的に日本を舞台にしたエピソードをやってみただけ、かと思えば、ロックの現在の立ち位置や心情に深く斬り込む内容になって来た。
 事件自体は、ハッピーな幕切れを迎えられそうにないが……


2006年12月8日 金曜日

『ときめきメモリアル Only Love』10.「ときめきの夕暮れ」

 この作品は、全何話の予定なのかな?
13話ぐらいだとすると、残り僅かで…
 波乱無く進むと現状でラブラブな つかさエンドになりそう。
水奈なら、ここからのフラグ立てでも攻略可能か。
 天宮攻略は…旧ゲーム版で相対するキャラが『1』の詩織だとすると、かなり難しいような。

 このアニメ版では、「恋愛」にさほど力を入れていない。
別にナイガシロにしている訳ではないが、「楽しい学園生活」を描く事をテーマとしていると思え、恋愛は、あくまで その中の一要素。
 原作としているONLINE版が、そういう内容だから…だろう。
 それはそれで、恋愛に伴うシンドイ部分がほぼ無い事で気楽に見られ、悪くないんだけど、一本のアニメーション作品としては、このまま終わると どうにも印象の弱い物になってしまいそう。

付記
 あ、DVDの発売予定からすると、まだしばらく続くみたい。
それなら、ここから どういう方向にでも展開するだけの余裕があるか。


2006年12月7日 木曜日

 ソフト化されたので、映画『ブレイブ ストーリー』を見る。
 『ゲートキーパーズ』『LAST EXILE』等、発想や世界観、アクションなど、映像表現的には優れており、ストーリーも割合に面白いのだが、全体的に見ると……な作品が多い千明孝一監督作品。
『フルメタル・パニック!』は、原作の力もあろうけど、悪くなかったと思う。

 余り良い評判を聞かなかったので、劇場での鑑賞を躊躇ってしまった作品だが、見てみると、言われていた通り「頑張ったダイジェスト」という風体。
 ワタルが旅立つまでの現実世界の描き方も、異世界での仲間達との交流も、「敵」との間に生まれる葛藤も、全然描き足りていない。
おおよそ こういう事を言っている・言いたいのだろう、というのは分かるんだけど、余りにも浅く、ポンポンと物語を進められてしまうため、粗筋を聞いているような気分になってしまい、気持ちを入れられず。
 異世界冒険ファンタジーとして、あるいはロール・プレイング・ゲームとして、「良くあるタイプの話」。
未読だけど原作には あったと思われる、主人公と両親の仲、同級生との関係、突然に自分を襲う現実の荒波に対する気持ちなど、ワタル旅立ちに至るまでの心理が もう少し彫り込まれていれば、差別化になったろうが…
 見ていると、他人が遊んでいるRPGの画面を ただ横から眺めているような気分になり、主人公が「誰か知らない人の意志」によりスイスイ動いていくようで、どうにも他人事。

 キ・キーマもミーナも、本来はもっと魅力的なキャラクターなのだと思う。
しかし、何しろ登場シーンが少なく、個性を発揮できていない。
 特にミーナは、アニマル・ガール好きの男達を転がり回らせるだけの潜在力があったと思え、さして活躍しないのが とにかく残念。

 逆に、僅かな登場で強烈な印象を残したのが、ワタルの父。
 「自由」を得たい余りに妻も子供も捨てていく、その身勝手で幼稚で、しかし理解できないでもない心の動きが、いい歳したオッサンの胸には刺さる。
「あんな良い奥さんと可愛いお子さんが居て、他に何を欲しいのか」というような紋切り型の言葉では、彼に全く届かないんだろう。
 他のキャラやストーリーについては、もっと時間を掛けてじっくり描いて…と思うが、この お父さんに限っては、本編中でもう十分だと思える。
というか、これ以上 彫り込まれたら、辛くて怖くて見ていられない。

 作画は素晴らしく高品質で、画面をキャラクターが動き回っている様子を見ているだけで楽しい。
 アクションも、パターンで流さずハッとさせるような画面作りが心懸けられており、頑張っているんだけど、とにかくストーリーの勢いやキャラの気持ちが乗りきっていないため、入り込み辛いのが惜しい。

 不足してはいるが、「失われた、掛け替えのないもの」を取り戻そうとする少年達の心情は理解でき、特にミツルの切ない願いは胸を打つ。
 引き替えて、ワタルが最後に願ったことは…
「こうでなければならない」ドラマ上の必要性は分かるけど、駆け足で語られた物語の末に この選択が出てくると、とても納得は出来ない。
 そしてラストシーン。
何か筋の通った理屈が付くのかも知れないが、正直、「都合」ばかりを感じてしまう。

 全体に、「よくある冒険ファンタジーアニメ」としては別に悪くない、そこそこの映画。
 が、スタッフみんなが頑張って目指したのであろう「特別に思ってもらえる、人の心を動かす映画」には、まるで届いていない。
 もっともっと観客を喜ばせられる作品だったはず、と思うに付け、もう残念としか。


2006年12月6日 水曜日

 ソフト化されたので、映画ドラえもん『のび太の恐竜2006』を見る。
 1980年に公開された劇場第一作、『のび太の恐竜』をリメイクしたもの。
 監督は、『帰ってきたドラえもん』以降の劇場短編作品(傑作揃い)を手掛けた渡辺歩

 予告で見た時から予想していたが、頑張っているシーンの作画は本当に凄い。
 のび太が、机の上に恐竜の本を広げると、脇の方に追いやられたランドセルから教科書の類がドサドサと床に落ちていく、これなんか地味に大変な作画。
そんなところ動かさなくても、誰も文句言わないのに(^ ^)。
 高い作画レベルを前提にした演出が目立つ。
悪者と繰り広げる、『ドラえもん』らしからぬ、監督が『Pa-Pa-Pa ザ☆ムービー パーマン』第二作で見せたような大掛かりでスピーディーなアクションは勿論。
 登場キャラクターのお馴染みの髪型を、「固定化したもの」と考えず、「場面に応じて形を変えるのが当たり前」と捉え、カットによっては かなりハッとさせられるような表情を作り出している。
 独特のタッチによる描線のお陰で、子供達の体温まで伝わってくるよう。
 劇場版では恒例の しずかちゃんサービスカットは、シャワーシーンだが ほとんど顔だけ、という いつもより露出が少ない画なのに、十分すぎるぐらい色っぽく仕上がっているのが奇跡的。

 ただし…
 作画には大きく崩れている所が いくつもあり、残念。
そういうシーンでも、動き自体は悪くないと思える部分があり、個性ある原画のキャラ絵を本編に合わせて修正しきれなかった、というケースもあるのかな?

 ストーリーは大筋オリジナルと同じなので、破綻無く、キレイにまとまっている。
 男の子達の、実に単純で莫迦な友情がツボで、ほろほろ泣けてしまう。
 悪党なんだけど、妙に礼儀正しい(タイムマシン・チェイスでは無茶したが)恐竜ハンターが面白い。
子供達だけなんだし、過度の暴力に訴えれば簡単に済みそうな所を、あくまで「取引」の形を取り続ける所とか。

 ジャイアンの野球、スネ夫のラジコンが、窮地の逆転に役立っていると、更にカタルシスがあったかな。
 『スタンド・バイ・ミー』な旅のシーンが長く、「余りにも遙かな距離」と「仲間と旅する楽しさ」を描けているとはいえ、若干 中だるみ。
 など、文句を言えば言える内容だけど、まあ、些細な話。

 ボールで遊んで欲しがるピー助の可愛らしさ、嵐の街の非日常感、湖を囲むマスコミによる「大騒動」の的確な描き方、そしてアクションに詰め込まれたアイディアの量と質。
やっぱり この監督は上手いなあ、と感心させられるシーンが多々。
 のび太の感情が爆発し、走ってコケて また走り出す、クライマックスのシーンは圧巻。
 サッパリとしたエピローグで、大冒険を経た子供達の見せる表情が、強く印象に残る。

 楽しい、可愛い映画だった。



『仮面ライダーカブト』43.

 唐突に出て来て、倒され、エネルギー吸収能力を持って(最初から備えていた?)復活したワーム男性体。
 天道を倒し、ひよりを永遠に自分と暮らさせる事が目的…なのだろうが、どうもよく分からないワーム?天道。
 誰からベルトをもらったのか、何がしたいのか馬鹿バッタ義兄弟。自身もワームである、という設定を、まるで忘れられているかのような剣。
 様々な筋が並行して進んでいるんだけど、上手く交わっていない、というより今のところ無関係で、上手く全てに意味を持たせられるのかどうか、不安。

 これまで、物語が綺麗に構成できているならウダウダ言わず信用するんだけど、「ワームと校長の裏取引」というような、世界を愕然と浅くする真相など含み、まるで無駄に思えてしまった迷走「学校編」も あった事で、信頼は揺らぎがち。
 超絶の俺様ぶりを発揮するのが魅力だった天道に、性格の多様性…というか「ブレ」が見られるようになってきたのを、スタッフの姿に重ねるのは考えすぎだろうか。

 ただ ひたすらに「不幸」を目指して突き進む馬鹿バッタ義兄弟、大馬鹿な所が愛しくさえ思えてきた剣、等、お笑いキャラの健闘ぶりは素晴らしく、とにかく盛り上げて次回に繋げようとする努力もあって、決して まるで面白くないとか、退屈だとかいう訳ではないのだが。
放送開始当初に期待した、傑作!になってくれるかどうかは、かなり怪しくなってきているように思う。
 これから、シリーズのクライマックスに向かって全てのストーリーが集約していき、謎が解かれる。
その出来如何で作品としての最終的な評価が決まってくるので、期待を掛けたい所。


2006年12月5日 火曜日

 映画『007/カジノ・ロワイヤル』を見る。
 ジェームズ・ボンド役者をダニエル・クレイグに替え、心機一転のシリーズ最新作。
 監督は、『007/ゴールデン・アイ』がイマイチで、『バーティカル・リミット』はアクションに見所が多かったものの全体としてダルかった、マーティン・キャンベル。

 007は、とても好きなシリーズで、全作見ている。
 最初に見たのがロジャー・ムーアだったため、ジェームズ・ボンド=ロジャーのイメージが強く、どんな時でも余裕があり、ユーモアを忘れず、洒落た英国紳士ぶりを保って危機を切り抜けていくのが007だ!という刷り込みが成されている。
 そのため、後に見た(多くの人が基本形と考えているだろう)ショーン・コネリー・ボンドには違和感を感じてしまう。
これはこれで、危険な野性味と男前ぶりが魅力的だと、今は思っているけれども。
 ロジャー・ムーアのイメージを受け継ぎ、「馬鹿馬鹿しいボンド」を見せてくれたピアース・ブロスナンも大好きだし、僅か二作で終わってしまったティモシー・ダルトンのシャープなイメージも捨てがたい。
 …『女王陛下』のジョージ・レーゼンビーだけ、あんまり印象にないが…映画の内容はともかく、役者さんとして影が薄かったとは思う。

 ティモシー・ダルトン早期降板の理由に、「冷酷に見える」「鋭すぎる」というものがあったと言われ、そこからするとダニエル・クレイグは より冷たく・鋭く・007イメージからは遠く見えてしまう訳で、どうなる事かと思って見たが…
 ああ、面白い。
随分とハードボイルドな007だけど、元々振り幅は大きいシリーズだし、こういう内容の物もあって良い。

 CGを用いない、生身に拘ったアクションが非常に良く撮れており、冒頭の『スーパーマリオ』のような跳んだり撥ねたりの追いかけっこ(ヤマカシみたいだと思えば、黒人は そういう人だったみたい)を始め、迫力のあるシーンが多い。
 「殺し屋」の色合いが濃い、非情で、しかし未完成なボンド像も、「007になるまで(それに相応しい人間に変わるまで)の物語」と考えれば、まずまず納得がいく。
 やたらに携帯電話が絡んだシーンが多いのは、時代、というものだろうか。
どうも『24』を連想してしまうなあ。アレは「携帯無しでは物語が進まない」作品だから。

 大きな見せ場であろうカジノでの勝負が、割合に成り行き任せの ものであったのは残念。
『カイジ』福本伸行ばりの精神的駆け引き、もしくは(今作には似合わないが)トリックを用いた逆転劇、そういうものを見たかった。
 悪役が最も恐れているのは、007「ではない」、というのが何とも。
もっと非情な連中に追われているので、ボンドは「そこに立ってられたら邪魔」扱い?
 カジノ以降、「達成すべき任務」が終了する事で物語に大きな筋が無くなってしまい、何となく続けているように見えてしまう。
「恋愛の決着を付ける」事こそが今回の主任務だった、と考えれば、綺麗に完結しているとも言えるが。

 ボンド・カーの装備…
今回はシリアスで、「秘密兵器」など登場しない事になっているけど、拳銃以外の「搭載物」は、完全に「何故か先まで見越して必要な物を用意してくれているQ」の手に寄るものだろう。
これまで、ボンドが こんな物 持っているのを見た事無いもんね。
 ロジャー・ムーア・ボンドなら、「Q、これはルーキー用の装備だよ」とでも言って、突き返しそう。
事実、今回のボンドはルーキーなんだけど。

 不満点もあるが、見て損しない映画なのは間違いない。
特に、ロジャー・ムーアが見せた「自分を殺そうとしている女殺し屋に向かい、余裕のウィンク」的動作に思い入れの無い(あるいは苛立つ)人にとっては、「待ってました」の作品だろう。
 次回作以降は、どうするのかなあ。
偶数ボンド役者は長く演じない、というジンクスがあるんだけど。
 個人的に007の魅力は『水戸黄門』なんかとあんまり変わらない、大いなるパターンとマンネリと、それらが生み出すカタルシスの美学だと思っているので、今作のような路線も良いんだけど、それだけでは寂しく、ロジャー・ムーア、ピアース・ブロスナン路線も続けて欲しいところ。
 シリアスボンド・馬鹿ボンドを交互に作るのはどうか。
それぞれ主演を変えて。
本流シリーズと並行して『ネバーセイ・ネバーアゲイン』が作られた事もあるんだし。
エンドロール最後に、「次は馬鹿ボンド」とか出して(笑)。



 年末に向け、順調にスケジュールが詰まってきている。
 早め早めに こなして行かないと、破滅が……


2006年12月3日 日曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュ』09.「リフレイン」

 総集編。
 ちょっと前の自分なら、こんな時間稼ぎやってないで とっととストーリーを進めろよ、とか何とか文句を言っていただろうが、何しろ記憶力が衰えており、かなり色々と入り組んだ構成のアニメなのに、内容を見返すような時間も取れない現状では、有り難い。
 実際、この総集編を見るまで、スザクが輸送車から出現した当時のC.C.を目にしていた事や、彼の親が総理大臣であった事まで、忘れていた始末。
特に親の設定は、彼の行動を理解する上で かなり重要だと思え、忘れていた事にガックリ。

 ルルーシュ。
どうも現在の酷薄な印象と、『デスノート』からのイメージが強く、最初から人命軽視のキャラクターだと思い込んでいたが、事故を起こした輸送車に心配して声を掛け、初めて使ったギアスの力により多数の兵士が自決した事に衝撃を受けている様子など、元々は「普通」な男の子だったのが意外。
 そのギアスの力 発動にしても、死にたくない自分の意志…ではあろうけど、何かに導かれての事にも見え(命じる内容は「どこかへ行っちまえ」でも良かった訳で)、感情の変化が そこから起こっているらしい事と、C.C.の「見つけた、私の…」というセリフからは、「道具」として操られている可能性も。
互いに、信頼よりは損得勘定で結びついている二人なんだろうけど。
 取りあえず、C.C.の正体が明らかにならない事には。



 映画『父親たちの星条旗』を見る。
 クリント・イーストウッド監督の、硫黄島二部作、第一部。
 星条旗を立てようとしている兵士達の像、そこを中心にした、戦争の裏側の人間ドラマ。
 テレビや映画で何度も見たことはある星条旗像だが、自由の女神やリンカーン像等と並んでアメリカの象徴的なものなんだろう、ぐらいに思っており、硫黄島での出来事を描いたものだという事を知ったのさえ割合 最近で、そこに存在した事情など知ろうはずもなく。
 非常に興味深く見られた。

 映画は、イーストウッド作品らしく、淡々と、過剰な感情に流されないよう進んでいく。
 最も重く描かれていると思える、ネイティブ(インディアン?)の兵士についても、同族の前で演説をする所や、畑仕事をしている時 一緒に記念写真を撮ってくれと無神経な観光客が踏み込んで来た所、ここいらで もっと極端な反応を示させ、背負う悲劇を より感傷的な物にする事は可能だったろうし、盛り上がったとも思うが…
とにかく、終始視点は冷静。
 「描きたいテーマ」を補強するためだけに、都合良くドラマを組み立てないのがイーストウッド・タッチ。
 いや、実際には歴史的事実の取捨選択は行われているはずで、やはり監督の意図に沿って構成されているんだろうけど、上手く そう感じさせないよう作られている、という事か。

 映画の最初の方で、重傷を負った米兵を必死で助けようとする衛生兵が、その自分達を襲おうとして逆襲され瀕死の状態にある日本兵を横目で見ながら、懸命に同胞の治療を続けるシーンがある。
 「誰かの命を救おうとする」時、「その『障害』であるとして他者の命を奪い、苦しむそちらは無視する」、それが戦場。
 こちらは「助けなければならない命」で、その横には「奪わなければならない命」がある。
その非情な線引きを、国家が行うのが戦争。

 呑気な銃後・米国内の様子と交互に描かれる、凄絶な戦闘描写。
『プライベート・ライアン』以降の映画だなあ、と思わせるカット満載で、誰の視点と決まっていない事もあり、自分も戦場に居るような緊張感を強いられる。
 米軍寄りで描かれている(というか、日本軍兵士はほとんど画面に登場しない)ため、バカバカ撃ち倒されていく米兵士には衝撃を感じるが、同時に「日本兵、やるなあ」とも感じてしまい、日本軍の戦力が次第に失われていく様子には、フクザツな気分。
 硫黄島の日本軍に完璧な補給が成され、航空兵力の援護もあれば、「星条旗写真」による米国内の国威高揚は無く(遅れ)、厭戦気分が高まっていた様子から、あるいは…などと甘すぎる事を考えてみたり。
そんな仮定は意味が無いし、原爆が開発されていては、いずれ降伏する以外に選択肢が無くなっていたのかな。
 また、「そんな事を感じ取って欲しい映画じゃねえよ」だろうけど。

 戦争映画を見ると いつも思う事だけど…最初の突撃で撃ち倒される兵士、アレが自分だなあ、と。
 それどころか、出港した軍艦から はしゃぎすぎて海に落ち、「拾ってもらえない」と言われていた兵士、あれかも。
…彼は結局、どうなったのかね?

 人命より大事な物があるという考え方と、ないという考え方。
人は戦争を始める時に前者を理由にし、やめる時に後者を理由にする。
 「人命より大事な物」は あって良いと思うけど、それを決めるのが「国家」で良いかどうか。
常に考えているべきなんだろう。

 ズシリとくる、しかし見て良かったと思える映画。
 『硫黄島からの手紙』も、是非劇場で見たい。


2006年12月2日 土曜日

 現在発売中の雑誌「コミックSIGMA」で、作者のコメント欄、ぼくの所が妙な事になっております。
 掲載コメントをそのまま書き写すと。
「旧式の携帯ゲーム機・Wii は欲しいなあ、と思うのですが、またしばらく品薄になりそうな予感」

 …えらく間違ってますよね、この文章。
 Wii は「旧式」ではなく、本日発売バリバリの新型機ですし、(小さいとはいえ)据え置き機であって「携帯ゲーム機」ではありません。
どんだけゲームの事を知らないんだよコイツ、あるいは「旧式の携帯ゲーム機」という事ではWii じゃなくてゲームギアとかPCエンジンGTの書き間違い?と思われるでしょう。

 実は、編集部に送ったコメントの原文は、「ゲーム機・Wii は…」以降のみ。
 その前の文章は、先月 編集部に送った「旧式の携帯を機種変更したいけど、月数回の使用頻度からすればムダとも思う」というコメントの、最初の部分のみが、何故か今月分に混入してしまったようなのです。
 結果、「旧式の携帯ゲーム機・Wii…」という、意味は通じるのですが「アホ」に見える妙な文章が出来上がってしまった、と。
 すいません、以上 ご了承ください。
…まあ、変なコメント書くのなんて いつもの事でしょ、と言われればその通り。

 ちなみに、Wii は入手し損ねました(;´д⊂)
 駅前の小さなゲーム屋に、昨日の夕方から並んでいた かなり年配のお爺ちゃんお婆ちゃん…多分お孫さんから頼まれたんでしょうけど、昨夜は かなり冷え込んだのに、大丈夫だったかなあ。
あの順番なら買えたとは思いますが、孫の笑顔のため、寿命を削ってしまったのでは。



『護くんに女神の祝福を!』09.「おにいちゃんといっしょ」

 絢子が護の家を初めて訪れる、ほのぼの話。
 普通、男性向けの作品であれば、「女の子の家を訪れる『男の子が』戸惑ったりドキドキする」ものだと思うけれど、相変わらずの入れ替わりぶり。
 思い返すと、護が絢子の豪邸を訪問するエピソードも三話目で既にあったのだが、その時は生徒会の面々と屋敷内かくれんぼをする、という事でドタバタばかりしていたから。

 今回の話で主題となっているのは、「絢子と、護の妹・逸美による、嫁・小姑関係」。
 逸美は、スキーの時の失敗により二人に負い目があり(あれ、「プレゼント壊れてなかった」認識になってたんだっけ?)、絢子を特に嫌っている訳でないのは、ここまで見ていて分かるんだけど…
ドラマとしては、「兄大好きの余り、絢子にイジワルしてしまう」「なんとか絢子のダメな部分を見つけてやろうとして、色々な事を仕掛ける」、その裏返しとして「スーパーガール・絢子にダメ兄なんかじゃ釣り合わないと、兄を否定しまくる」といった極端な行動に出てくれた方が、盛り上がるし、結局は絢子と仲良くなってしまうブラコン逸美に より魅力が付加できたかと。
 いや、実際の画面で見せられたような、のんびりしてキツさがまるでない話も、嫌いではないが。


2006年12月1日 金曜日

 レンタルで映画『NOTHING ナッシング』を見る。
 傑作『CUBE』と、問題作『カンパニー・マン』のヴィンチェンゾ・ナタリ監督作品。
 注目される監督の新作にしては、ほとんど話題になっておらず、どんなものかと思って見始めたが…

 笑ってしまうほど劣悪な環境に建つ小さな家で暮らす、身勝手と引きこもりのダメ男二人組が、社会から追い込まれ最悪の状況に陥った時、不可思議な「消失」現象が起き始める。
 この あらすじから、『ドラえもん』「どくさいスイッチ」のように、気に入らない人間や自分達に危害を加える物などを次々に消していき、それによって更に事態は大きくなり、その解決のため もっと多くの物を消さねばならなくなって…というようなストーリーを予想したが、全然違う。
一般社会との関わりは、イキナリ断ち切られてしまうのだ。

 以下は内容に触れてしまうため、未見の方は御注意。


 『CUBE』とは、色々対照的な作品。
 一応は「限定空間」なのだろうと思うが、真っ白なばかりで何も無く果てしない世界の広がりは、開放的でありながら閉塞的という不思議な印象を与えてくる。
 ひどく限られたキャラクターだけでドラマを進めるのは、お得意の手法だが、そこに さして緊張関係が無いのは大違い。
 独房だが楽園、の環境を楽しむ姿からは、『うる星/ビューティフルドリーマー』を連想してしまう。
実際、異常事態に陥っても屋敷に電気は来ているようだし、ケーブルテレビまで見られる「日常」ぶりのイメージが、非常に良く似ている。

 俗人にとって、「天国」とは、どれほど退屈で苦痛に満ちた場所なのかを描いた物語なのかなあ、と思ってみたり。
 人間は、どこまでも美しい純白の空間に囲まれることで、やがて そこに他者の、そして自分自身の「穢れ」を見てしまう。
それは、耐えられないぐらい苦痛なことだろう。
 理想社会は、理想的人格の持ち主ばかりでなければ実現し得ない。
 理想に程遠い主人公達は、自分の内外に在る「穢れ」を消し去り、「純白」に近づく事でしか、天国の住人たる資格を得る事は出来なかった。
 これは、そういう悲劇の物語…なのかどうか(笑)。

 『CUBE』『カンパニー・マン』の内容の濃さに対し、この映画は、特に後半スカスカで、観客への訴求力に欠ける。
逆にそれが、「ここは結局何なのか」とか「自分がこの状況に置かれたらどうするか」といった疑問について考える余裕を与えてもくれるんだけど、とにかく「エンターテイメント」としては弱いとしか言い様が無く。
 しかし、ダメ人間二人が何故か憎めず、弛緩したギャグに加え、相変わらずの先鋭化した映像センスが楽しく、個人的には見て損したと思わない。



『夜明け前より瑠璃色な』08.「お姫様と瑠璃色の空の下で・・・」09.「お姫様に迫る影」

 とにかく作画の崩れようが酷く、物語のキーとなるべき表情や動作まで見るに耐えないものであるのに、もう 笑ってしまう。
 「女の子の可愛さ」で かなりな部分をもたせている作品で、「可愛く見えない」ぐらいならまだしも、「らくがき」レベルの絵が混入してしまうのは致命的。
 作画にばかり目を奪われてしまうが、寝惚けた、このシーンでは何を見せたいのか、という事を しっかり考えられていない演出も、大問題。
 ストーリーにしても…
ロミオとジュリエット的に引き裂かれようとする二人の物語、にするのは構わないけれど、地球人男子と月の姫が恋愛関係になるなど許されない、と言いつつ二人がまだ一つ屋根の下で暮らしていたり、唐突に、驚くぐらい無理のあるリースリット・ノエルの正体が明かされたりと、もう無茶苦茶。

 アニメ放送本数過剰の現状、作画面でクオリティーを保てない厳しい製作環境になる事は理解しても、脚本や演出にまで輝きが感じられないとなると…


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