ときどき日記 2007/06

2007年6月30日 土曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』13.「動機」

 スサノヲによる実戦が行われ、ようやく物語が本筋へと戻ったか…と思ったのも束の間、また覗き見行脚が再開。
 貧民街からピックアップされた搭乗者、というのは、前にも見たパターンのような。
次回、対戦相手とのギャップでキャラを活かす計算なのかも知れないが、今回だけの印象から言うと、あっても無くても構わない程度の話。
 どうも、作り手の側からして、「数多い搭乗者達の個性や背負う人生の面白味で視聴者を魅了したい」意図を持っているとは感じられず。
「決められた数の搭乗者を、手持ちのキャラクター・バリエーションで何とか埋めている」ように見えてしまう。
 
 なので今回は、以前見せられた他国同士の戦いで、遠隔攻撃を加えてきたギガンティックの内部事情が分かった事と、主人公の身に起きているらしい異常の描写が唯一の収穫(?)か。
 不意打ちは、国家的意志によるものだった。
 「汚い手も平気で使う国家」と「真っ正直な搭乗者」というパターンばかりで描かずとも。
「勝つことに拘り、相手を落とし入れる事も厭わない搭乗者」が居ても良いような。
 この辺りは、ギガンティックが搭乗者を選ぶ条件に関わってくるのかも知れないが。

 乗り続ける事で体に悪影響を与えてくるロボット、というのは、『ファフナー』や、まあ『エヴァ』でもあったけれど、扱いが難しいので、余りお勧めできない設定。
それだけのマイナス要因を越えてなお、乗るだけの魅力が(視聴者に取り)あるロボット、でなければならないから。
 あるいは、ギガンティックとシンクロしていく事を、プラス要因として描く予定かも知れないか。
スサノヲ並のスーパー回復能力を発揮するようになり、体の一部が欠損しても瞬時に再生する、超人的存在への進化を見せる、とか。



『キスダム -ENGAGE planet-』13.「明暗」

 ヴァルダの口癖に設定した、主人公を評価(否定)する際 多用する「失格」という言葉を、自分の料理の腕前について彼女に不安そうな佇まいで「(私は)失格か?」と尋ねさせることで、人間味の演出に使う、ネタの転がし方は なかなか上手い。

 何となく、主人公が元所属していたチームの存在意義について説明が加えられた。
そんなに意外な真相でなく、隠すほどでもないから ぼちぼち説明しておこうというのだろうが、全く必然性の無いシーンで語られてしまうため、無理を感じてしまう。
 せめて、元隊員の問い掛けに応える、という流れに出来なかったのかなあ。

 破滅に瀕している街に加え、一緒に旅してきた女の子達まで見捨てていく、シュウ。
怒りや憎しみがそれだけの動機としてある、という事だとしても、助けが入らなければ女性陣は死んでいたはずで、ちょっと描き方に疑問。
 正義の味方であれとは言わないけど、弱っている人達や仲間、恋人の妹の命すら構わない、というのでは、狂態を晒すかつて属していた隊のメンバー達と変わらず。
感情移入の対象にはなり辛い。

 主要キャラ二人に「シュウ」という名前を使っている事について、不思議に思ってきたが、ああ、ほとんど記憶を失ってしまった?由乃の心に触るキーワードとして使うつもりなのかな。
 彼女に(主人公と取り違えられ)「シュウ」と呼ばれる度、嬉しさと、まるで満たされない気持ちの間で揺れ続ける もう一人の「シュウ」、という持って行き方にするのなら、設定も活きるかと。
 いや、実際にはどうなるのか分からないけど。


2007年6月26日 火曜日

 今月二本目の締め切り前スケジュールに入ります。
単行本その他の進行も重なってきているので、なるべく前倒しでやっていかないと、酷い事になりそう…もう、相当 酷くなってますが…
 という訳で、金曜日ぐらいまで、更新は難しくなるかと。
 悪しからず、ご了承ください。


2007年6月24日 日曜日

『鉄子の旅』01.「久留里線全駅乗下車」

 原作未読。
趣味の鉄道アニメ。
 鉄道ウンチクやら、駅舎・列車・沿線の風景などに関する小ネタを詰め込んだ作品なのか、と思っていたが、どちらかというと「鉄道オタクの奇態」に振り回される女性漫画家ヒロインのリアクションで見せる、ゆるいコメディー、という所なのかな。

 近況物とか日常漫画も好きなんだけど、このアニメでは「まったりとした空気の楽しさ」を醸し出すまで行かず、かといって「この際フィクション要素を取り入れてでも強引に笑わせてやる!」という気負いも無いみたいで、良く言えばポケーと眺められる、悪く言うと、すぐ退屈してしまう。
 『世界の車窓から』とか『秘境駅』、ハイビジョンの鉄道番組など、好きで良く見るんだけど、アニメの情報量はどうしても実写に敵わず、「主観を通して面白い部分を切り取る感性」も…うーん、普通、という所なので…
 アニメスタッフも現地まで取材に行ったのだろうから、撮ってきた実写動画を劇中に挟む作り方もあったかなあ。
ただ、かえって安っぽくなり、アニメ部分への感情移入を疎外してしまう恐れがあるため、扱いは難しい。

 誰が見ても必ず面白い作品、を目指した作りではないと思うので、興味が無い人はスルーして無問題。



『Devil May Cry』01.「Devil May Cry」02.「Highway Star」

 原作ゲームは、ちょっとだけ遊んだと思うんだけど、余り覚えていない。
 割とアリガチな「探偵というより何でも屋」「怪物退治の専門家」物の、パターンを踏襲した第一話。
依頼主が少女で、事件解決後、事務所に居着いてしまう所まで、基本通り。
 パターンで流して終わりか、と油断していたため、目的地へ到着する辺りでの一捻りした展開には、驚かされてしまったが。

 モンスターの存在は、世間一般に知られているのかいないのか。
誰でも知っているようなものであれば、余りに無防備な一般市民の有り様や列車内での反応がおかしいし、隠されているのなら「列車の屋根に巨大な化け物の死体を乗せたままで走る列車」というシーンが不自然。
 MIBのように、目撃者の記憶を含めて証拠物件を消去する処理班が居るなら、分かるけど。
 まあ、そんな細かい事など気にせず、主人公の派手なアクションを楽しむ作品か。

 舞台の緞帳の向こうで、シルエットのまま展開するバトルなど、アクションの演出は なかなか頑張っていて、結構。
 酷く頭が悪いモンスターとか、カットの流れとか、疑問に思うところはあるけど、これもゴタゴタ言わず勢いで見るべき物なんだろうな。

 取りあえず、しばらく視聴継続。
 ただ、主役始め敵味方キャラの魅力・大きなドラマの流れなど、シリーズとしての吸引力が出てくる以前に、ネタが切れてきたり作画レベルが落ちると、キツい。


2007年6月23日 土曜日

『魔法少女リリカルなのはStrikerS』12.「ナンバーズ」

 とにかく強力な戦闘力を備えたキャラクターが多すぎる、というのが、物語を描いていく都合上、はやて部隊の弱味。
新入隊員達も、役割を全うできるようになってきたし。
 登場キャラ自体からして多数のため、戦闘で全員を活かすのは、とても難しい。
 「隊長格だけ居れば、事足りるのでは」と思われると、宜しくないだろう。
…新人らに期待されている役割が、現在の所、かなりの部分そういうものとして描かれていても。

 全キャラを活かすには、激戦に次ぐ激戦を描き、どれだけ戦力があっても足りない状況を設ける…いっそ「戦争」にしてしまう事かなあ、と極端なことを考えていたが、今回は敵も部隊として展開し、襲ってきたため、かなりハードなイメージに。
 ただ…これから彫り込まれていくんだろうけど、敵キャラに、主人公側のキャラとイメージが被る部分があり、見分けさえ怪しくなってしまうのはキツい。
これでも、回を重ねることにより、敵少女達にまで十分な魅力を感じさせてくれれば凄い!…んだけど、もの凄い難しさだろうな。

 ヒロイン側のキャラだけでも多いのだから、敵側は個性を消した優秀な戦闘員部隊(『スター・ウォーズ』クローン・トルーパーのような)に設定する手もあったかと思う。
 しかし、今期これまでの「無味乾燥な機械敵」相手の戦いには、「ゲーム的」とか「画面として訓練風景と余り変わらない」などと文句を言っていた部分もあり、いや実に難しいところ。



『ながされて藍蘭島』12.「おいしくて、花嫁修業」

 毎回、楽しく、可愛らしく、高い作画の水準をキープしつつ進んでいくシリーズなので、逆に感想が書き辛い。
 「問題作」というような狙った話も作らず、視聴者へのサービスを第一に考えられている、という所がまた、ヒネたオタクが どうこう言える…付け込める隙がない要因。

 どの少女キャラも個性的で、魅力がある。
 主人公である少年に、「絶対無理」というようなキーワードに過剰反応してしまう弱点を設け(『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の「チキン」みたい)、それを耳にする事で、逆に発奮して通常の能力値を遙かに超える活躍を見せる、とする設定が面白い。
それを駆使する事で、大抵は主人公よりも優れた能力を有している少女達から、好感を持たれる展開に(僅かなりと)説得力を持たせている。
 前回、すずのために見せた命懸けの献身は なかなかに心打たれるモノで、尽くされるばかりでなく、寄せられた気持ちに好意を持って返そうとする頑張りを描き、「好かれるに足る価値」を演出するバランス感覚が素晴らしい。

 巫女姉妹が、いいねえ。
 「藁人形で妹にリアルタイムで苦痛を与える姉」という設定を転がし、「苦痛のモールス信号でメッセージを伝える」アイディアには大笑いして、感心。
 キレイに「良い話」で まとめる事を許さない姉の強烈な個性…迷惑さ加減が、魅力的。


2007年6月21日 木曜日

『キスダム -ENGAGE planet-』12.「凍海」

 「俺達の戦いはこれからだ!」というセリフを聞くと、反射的に「打ち切り最終回」という言葉が浮かんでしまうのは、「少年ジャンプ」の影響を強く受けているが故か。
このアニメ本編は、まだまだ終わらないようだけど。

 色々 野心的…と言っては誉めすぎかな…酷くありふれたパターンを外して何かを語ろうとしている作品のようで、面白く見られる。
 ただ、やはり語り口や演出に拙い部分が多々あり、大きく損をしている。
「意表を突く意外な展開」と「ポカーンとさせられる、思いつきだけで作っているのではないかと疑う展開」との距離は、ごく近い。
「人間心理の裏側まで踏まえた深い物語」と「意味不明な行動を取る異常者ばかり登場するバカ話」も、同じく。
 視聴者との間に信頼関係がなければ、なかなか意図は受け取ってもらえない。


2007年6月20日 水曜日

『エル・カザド』12.「撃つ男」

 武器オタクで、物騒な機銃までバンに備え付けておきながら、防弾チョッキなど防衛策を用意しておかないのは片手落ちじゃなかろうか。
 でもまあ、ずらりとモデルガンを揃えて悦に入る人はよく見かけるけど、実戦を想定して身の守りまで考えているケースは希だろうから、改造バンに乗っているだけで大したものか。
 「インターネット常時接続」を前提に物事を考えていたため、回線が途切れてしまうと、紙に印刷された地図さえ持っておらず、お手上げ、という考えの薄さだったのだし。
…そういえば自分も、ネットで見られる地図とかカーナビにすっかり頼ってしまい、本の形で見られる地図なんてドコに置いたかも分からないが。

 前回の「ニセ魔女」エピソードもそうだけど、もうちょっと煮詰めれば、寓意的な何かが描き出せそうな基本アイディアだと思う。
 しかし、各話完結の色合いが強かったシリーズ前半に比べ、物語に連続性が(若干)生じて来たため、「ヒロインらが旅の途中で出会った人の物語」にはならず、「ヒロインらの旅を彩る行きずりの人」程度の扱いで終わってしまい、食い足りない。
 見えてきたメインの物語が、まだ ゆる〜いモノなのも、物足りない気分にさせられる原因。
いや、その緩さが この作品の持ち味だとは、分かっているつもりだけれども。



『電脳コイル』06.「赤いオートマトン」

 サッチーを従えてしまう、ハラケンの正体が明らかに。
もう少し引っ張るつもりかと思ったが…
 サッチーは、電脳的悪さを企む者達にとって確かに恐ろしい、最悪の存在ではあろうけど、要するに「全く融通が利かないお巡りさん」や「厳しすぎる近所のオジサン」と変わらない役割を果たしている訳で、それと通じているからといってハラケンを嫌う理由は無いような。
 いや、子供はそういう理性的判断など出来ないものだし、ペットを消されてしまった哀しい過去を持つフミエにとってみれば、好意的に接する理由の無い相手なのだろうが(これまで「秘密」を打ち明けてくれなかった事への怒りも?)。

 サッチーも、さすがに個人所有のペットを撃ち殺しては やり過ぎで、問題になりそうだけど…
その辺はどう解決されたのだろうか?
 違法ペットだったから不問とか?
でも、ヤサコの合法ペット・デンスケまで(一度汚染されたことにより?)狙う頑なさがあり、サーチ・駆除機能を信用できるとは限らず。
 …デンスケは、汚染を経て、通常のプログラム範囲を越える存在に進化しているので駆除対象になっている、という可能性もあるか。
前回、環境に合わせて暑がったり、飼い主であるヤサコを置いて勝手に歩き回ったりしていたし。

 サッチーが建物を通り抜ける時に表示していた「郵」マークの意味が明らかに。
ごく普通で、やっぱり郵政局管轄のプログラムだから、という事。
神社に入れないのも、「管轄違い」という実に色気のない理由による。
 フミエ、花屋のオバサンを疑っていたみたいだけど、サッチーは郵便局の建物から出動していたのだし、何をどう疑うのだか。
 まあ、駄菓子屋のバーサンが恐るべき電脳裏技術を持っている世界だし、どんな事が起きても不思議じゃないかな。

 電脳バーサンと お友達バーサンのボケた会話で笑わせつつ伏線を引き、メガネをダメにしてしまう流れが上手い。
 京子が左右ちぐはぐな靴を履いている、というコミカルな見せ方を、今回クライマックスの危機に繋げる持って行き方も。

 色々な設定が明らかになる話。
まだ引っ張れた「謎(伏せた設定)」を早々に明かしてしまうのは、お子様同士の電脳お遊びで終わらせる物語ではない、という事なのだろう。
 「メガネをかけた子供の交通事故が増えている」というセリフや、ハラケン彼女の死、子供を狙うストーカー(これはハラケンおばさん?)など、やがて現れる…かと思う大きな事件への伏線が引かれた。

 ライダー・スーツの可愛いオバサンが魅力的(^ ^)。
17歳は若すぎ…29歳ぐらいの微妙な年頃の方が好みだったけど。
電脳バーサンと対比し、電脳的超越者を「若すぎ・年寄り過ぎ」両極端に設定する面白さを狙ったものか。
 彼女自身は、ある程度 規則にも融通を利かせてくれるような度量の広さがあるのに、サッチーが恐ろしく非情なプログラムなのは不思議。
 これが、生みの親である彼女の思惑をも越えた事態なのだとすると、いつか直面するのだろう危機の端緒だとも考えられるが。


2007年6月19日 火曜日

『おねがいマイメロディ すっきり♪』12.「ふしぎの国ですっきり!?」

 そういえば これまでやってなかったんだっけ?というのが不思議なぐらいの、『不思議の国のアリス』ネタ。
 せっかくマイメロをウサ耳に設定しているんだし、毎度 世界が悪夢のような形に歪められている訳で、まず最初に思い付く話であって良さそうなもの。
 いや、逆に、この作品自体の元ネタ(の一つ)がそこから来ている事で、かえって使いづらかったとか?

 チェシャ猫っぽくニヤニヤ笑いを しっ放しのバクが可笑しい。
憐れ、トイレットペーパーに姿を変えられながらも、「二枚重ね」の高級品?である事を喜ぶ いじましさに、大笑い。


2007年6月17日 日曜日

 引き続き、仕事中。


2007年6月11日 月曜日

 という訳で、お馴染み〆切前スケジュールです。
 今月は、二本重なっている上、単行本の進行もあり、メタメタになりそうな予感。
 とりあえず、金曜日ぐらいまで更新は不安定になるかと思われます。
悪しからず、ご了承下さい。


2007年6月10日 日曜日

『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』10.「純白のドレスは、少女の夢と血に染まる…後編」

 女刑事・未咲の過去を描く。
 マフィアの一人娘は、結局何が欲しかったのか。
「束縛」を求め、「依存」したがっていた、と言われたが、父親は十分に束縛的であり、組織のドンとして依存するに値する存在だったと思う。
 ありふれた話にはなってしまうが、「愛情」を欲しがっていたんだろうな。
まあ、自分を束縛してくれるのも依存に応えてくれるのも、ある種の愛情があればこそ、だけど。

 未咲のチャイナ姿は、とても目に楽しかった。
 普段の硬派な姿勢と、父親と食事している時の砕けた、「娘」らしい態度の違いが、可愛い。
 黒とリストカット男とのバトルも見応えがあり、相変わらず充実した内容。

 ところで、前の話で中心に据えられていた探偵は、もしかすると もう出てこない?
陽気な女子助手と共に、面白いキャラだったと思うが。
 あの話は、複雑怪奇な人間心理を解き明かしていく構成、「匂い」という、アニメでは表現するのが苦手な要素をキーにするアイディアなど、内容も非常に良くできていた。



『電脳コイル』05.「メタバグ争奪バスツアー」

 キャラクターの会話を通して、色々な事が語られ、また少しこの世界の現実が見えてきた。
 ただ、この作品の世界が「現実」なのか「『マトリックス』調の全て電脳世界に築かれた虚構」なのかは、まだ解釈の余地を残しているような。
バスの床板に関する描写では、現実をベースにしていると思えたが、「電波の入りが悪い」事を恐れるようにアンテナ体質の男の子にピッタリ寄り添う部分からは、状況により実体すら危うくなる存在なのか、とも思える。

 説明不足、というより、意図的にぼかしているのだろう。
 『マトリックス』発電所のカプセルのような所で目覚めた子供達が、そこを出ていくと、未来であろう割にはノスタルジックでさえある このアニメの世界とは全く違う、無機的・未来的な空間が広がっている…なんていうシーンは、シリーズの最後まで(例えこういう設定であったとしても)出てこないんじゃなかろうか。

 宝物を求め、子供達が ひたすら歩いて行く様子は、『スタンド・バイ・ミー』を思わせた。
もっと「苦難の旅路」にして、子供らが仲間割れしたり団結したり、という様子を見せても面白かったと思うが…ほとんどの視聴者は「そんな関係ない事に時間を取らないで、早く物語を進めろ」だろうな。
 フミエの話だけで、すぐにダイチの不器用な気持ちに気付くヤサコ。
意外に鋭いんだなあ。
女の子として、フミエが鈍すぎるだけか。

 メタバグに目が眩み、イサコの部下になれという命令を受け入れてしまうダイチ。
馬鹿なガキのプライドに賭けて、はね除けるかと思ったのに…情けないぞ!(笑)
 まあ、利益で結びついているだけの関係だし、状況次第では またすぐ裏切るんだろうが。

 恐ろしい存在なんだろうけど、妙に可愛く思えてきた「ぼくサッチー」。
 理屈も何も通じないコイツを、止めたばかりかお座り・お手までやらせてしまう部長。
父親の仕事の関係で、裏技を知っていたのか。
それとも、父親の会社で制作中だったサッチーに、こっそり自作の制御プログラムを紛れ込ませておいた、とか?(彼が言っていた「叔母さんのペット」って、サッチー?)

 今更ながら、エンディングの歩く犬。
歩道から車道に降りる時、また歩道に昇る時、上から見た、変化を付け辛いアングルなのに、段差を越えるべくどう動いているか、(影の動きもあり)分かるように描いている。
細かい作画だなあ。
 それにしては、最後に出てくる段差が意識されていないようで、不思議。
 エンディングの途中、砂丘?の様な場所で一度倒れたのは、「生身の犬は死んだ」という事の暗示なのか。
その後、一度フレームアウトしてから歩いて来たのは「生前と同じ形状で、電脳キャラクターとして設定された犬」だと考えると、段差の認識が甘いのも納得できるけれど。
 いや、単に最後の段差は、ほぼ意識せずとも済むぐらい低かったのかな。



 試験的にブログを設置。
オタクのゴタク/飛龍 乱ブログ

 内容的には、ここの文章を移動させただけで、全く変わりません。
 ブログへの移転を決めた訳でも何でもなく、取りあえず、どんなもんかなあ、と試しに。


2007年6月9日 土曜日

 映画『パイレーツ・オブ・カリビアン/ワールド・エンド』を見る。
 お馴染みの海賊映画シリーズ、完結編…まだ続くかも知れないので第三弾?

 とにかくお金の掛かった映画で、どのシーンも美しく印象的に撮られ、CGは見事で、アクションにも迫力がある。
 相変わらず愉快なジャックのキャラクターには、笑わせてもらった。

 が…
全体として感じるのは、「この設定、このキャラクター配置では、もう何も語りたい事がなく、描きたい事もないのに、どうにかして上映時間を埋めなければならない、という苦しさ」ばかり。
 その空虚さを埋めようとして、9人もの海賊長とか、ジャックの親父とか、封印から開放され実体を現す超越存在とか、凄い数の艦隊とか、色々な物を詰め込んでみたが、何しろ思い入れも、それを通して語りたい事もないため、扱いが中途半端で、全部削ってしまっても問題ない程度の重み。

 それら新たな要素に押され、恐ろしい敵だったはずのデイヴィ・ジョーンズが「特に主体性を持たない中ボス」に成り下がっているのに、ガッカリ。
『2』で あれだけ苦戦させられたクラーケンに到っては、「いつの間にか片付けられてました」で お仕舞い。
 悪のボスに据えられたベケット卿には さしたる魅力が無く、彼が何もしないまま終わってしまうクライマックスのバトルには、つんのめるぐらい拍子抜け。
「悪知恵だけは回るキャラ」なのかと思ったのに、時間の都合だけで「実はビックリするぐらい無能な上、状況への適応能力がゼロでした」と描かれても…

 めまぐるしく状況を変えて観客を引っ張っていこうという意図なのだろうが、キャラクターが裏切ったり裏切られたりで立場をコロコロと変え、そうするに到る内的要因についての描写は不足しているため、誰にも感情移入が出来ない。
 ウィルなんか、「エリザベス命の単純・純粋青年」だけで良かったと思うんだけど。
「彼女」と「父親」の両方をキャラの動機に設定してしまったため、例えば「二人ともが命の危機に陥った場合、どちらを彼は助けるのか」という事への答えが、観客には分からなくなってしまう。
 なのに、彼女へプロポーズしてみる行動には、賛同できない。

 エリザベスも…彼の申し出を受ける気持ちになるような決定的な出来事って、今作、何かあったっけ?
 「試練」に耐えられるほどの繋がりがあったとも、思えないんだけど。

 ジャックは、分身の術など楽しいところはあったけれど、新しい魅力を何か見せてくれた訳でなく。
相変わらずな成長の無さこそ、ジャックの持ち味だ、とは言えようが。
 彼の魅力に大きく寄りかかって成り立っている作品なので、ストーリーにもっと深く関わった方が良かったかなあ。
代わって船の指揮を執れる船長を設定してしまった事により、彼の存在感が薄くなってしまったような。

 何のために出て来たんだ9人の海賊長、もっと何のために出て来たんだジャック父、どうしたいんだ超越存在、戦わないのかよ大艦隊…全て、予想と期待を下回るものばかり。
 それでも、クライマックスの大海戦には有無を言わさぬ迫力があったし、退屈するようなダルい部分もなかったので、見て損をしたとは思わないが。

 極端に言えば、『2』のラストに10分ぐらい足して、「何かしらの弱点を突いた攻撃により、デイヴィ・ジョーンズとクラーケンを海の藻屑にしました」というシーンと、エピローグ的なキャラクター達の その後を付ければ、この『3』は必要なかったろう。
 撮りたい物、撮るべき物が無かったとしても、「ある」ように見せるのがプロの手腕。
それを、限界まで詰め込んだ様々な要素に求めたのかも知れないが、温度の低さは隠しようがなかった…という事かな。



『ながされて藍蘭島』10.「雨だって、友だち!」

 雨の日の過ごし方。
 実にこう、何という事もない内容だったけれど、キャラクターそれぞれが個性的に、魅力を持って動き出しているため、楽しく見られる。

 「雨でも、女の子達は元気一杯です」というのを表現するのに、作画が元気一杯なのは嬉しい。
 同時期に始まったアニメには、そろそろ疲れの見えるものが多い…高いレベルをキープできているものの方が珍しいが、この作品は、その珍しい一本。
スケジュールに余裕を持ち、良いスタッフを揃えている事で、ようやく可能な画面作り。

 「雨降りお月さん」を歌い始める すず。
歌声の綺麗さと、それに重なる今は亡き母親の思い出に、ホロリ。
 ちょっとしみじみさせられる、穏やかな話だった。


2007年6月8日 金曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラー』10.「猟人」

 ううーん、既出ロボット同士の戦いなのだし、何か新しい工夫や展開があるかと思ったが、そうでもなく。
 お馴染みの武器を以前にも見たように放出し、ロシア側の勝利で終わる。
ロシアもしかし、日本と対戦して危ないところだったのに、新たな武装を付けようとか、戦術を工夫しようとか考えないものかなあ。

 毎度、共鳴感応で苦しむ日本側パイロット。
 他国パイロットの個人情報まで入手できるのは有り難いのだろうが、ロボットの武装や戦いぶりなんかは、UN発表の(無神経な)写真資料からでも かなりの事が分かりそうなもの。
戦場に、援護攻撃をする兵士や、ヘタすると巻き添え喰らう市民まで居るのだから、その中にスパイを潜入させる、あるいは現地人から映像情報などを買い取る事によっては、相当程度 敵の能力を明らかに出来そうだけど。

 前にも書いたように、主人公達がその場で戦いを見守ることにより、活躍しない彼らの影が薄くならないようにしたい意図は、分かるが。
 覗き見パターンも、本当に限界じゃなかろうか。
 次回、主人公らが臨む、引きに引いた久々の実戦が、面白いものである事を望みたい。



『キスダム -ENGAGE Planet-』10.「咎人 ツグナイ」

 異能の力を手に入れてしまった、かつての仲間のエピソード。
 庇護者は、常に「護ってやっている」自分を褒め称え、適切な判断を下す自分の後ろをタダ付いて来るべし。
条件を付け、賞賛の見返りを期待する者は、ヒーローとか正義の味方に、向かない。
 護るものが、「弱い人々」から、「弱い自分の心」になっていく憐れさ。
 過去の傷や、どうも力を得る代償に感情的リミッターが働かなくなる傾向にあるせいもあって、「分を弁える」事が出来なかったのが、彼の不幸。

 仲間を二人も始末しておきながら、悩むどころか「敵になっても生きていてくれるだけで良い」とか平然と言える、ネジが何本かまとめて飛んでいるような人間でなければ、極限状態で理性を保ちつつ(?)戦い続けるなんて不可能、って事か。

 今回の内容、狙いは良いと思うんだけど、話の持って行きようが無茶なのと、演出・作画の、ちょっと笑ってしまうぐらいなグダグダさ加減で、印象は相当にレベルダウンしてしまう。
 この辺が回復する見通しは…厳しいんだろうな。


2007年6月7日 木曜日

『風のスティグマ』07.「魂の値段」

 主人公が、操の兄の死について、わざわざ挑発的な物言いで彼女の怒りを煽るような事をしたのは、何故?
実際には、「間接的に」死の原因になっている…とは言えなくもないが、本当に手を下したのは他の者であり、兄達は全く無事な状態であっても、彼我の戦力差から、どうせ手向かいさえ出来ず殺されていたろう事により、しっかり説明をすれば操も納得してくれなくはなかったと思うんだけど。

 最初は、兄を喪った事実に耐えきれず生きる気力を無くしかけている操に、自分への憎しみ、という生存理由を与えるため、わざと誤解させるよう し向けた…のかと考えたが、どうも今回の話では「自分が、彼女をこうしてしまった原因(の一つ)だ」という事実を、主人公も、それを知っているはずのヒロイン綾乃も忘れているようで、驚く。
 ヒロインなんか、「和麻はどうして操にあんなに優しいの」みたいなキテレツなことまで考えているし。

 主人公が、くどくどと説明をしないキャラだったら、誰か便利な解説キャラが代わって役割を果たすものじゃなかろうか。
いや、それは主人公に掛かる負担を安易に軽くし葛藤を奪う微妙な解決方法ではあるんだけど、「最後まで説明をせず放置」よりはずっとマシ。
 面倒なら、「悪役が操に吹き込んだ毒のため、彼女の心は憎しみに満たされてしまった。そうなった原因は一切 和麻に無い」と最初からしておけば良かったのに。
 どうでもいい誤解なら放置でも構わないが、それにより大勢の市民の命が奪われたらしいのに、それでも反省の無い主人公達(製作者の姿勢)には、同意できない。
 メインキャラ以外の命など、ゴミのように軽い作品なのかも知れないけど。
それならそれで、もっと繊細な描き方をしないと、好感を持たれづらい。

 そんな場合じゃなかろうに、ツンデレだか何だかを延々やっているヒロインに、魅力はまるで感じられない。
 「操が尼寺に入り、自分の罪を生涯償い続ける」という、とても現代の話とは思えないラストも、どうだろう。



『ヒロイック・エイジ』10.「孤独の英雄」

 こんなに真正面から宇宙SFを描いた作品も珍しいので、楽しくは見ているが…
 キャラクターもドラマも、妙に大人しく、行儀良いのが不満。

 初登場、ディアネイラの兄達は、権力を笠に着てエイジを無理矢理パーティー会場に呼びつけて良いようなものだけど、妹の態度に苛立ちながら、そうはしない。
 視聴者から見れば、「人智を越えた戦闘能力を持つエイジを怒らせるなど愚か」と分かるんだけど、能力を不安視されている兄達は、少々間が抜けていて構わないはず。
ディアネイラを強引に首都まで連れ帰ることでエイジを呼び寄せる、あるいは、交通機関が発達しているのであれば(あろうから)エイジの居る島を急遽パーティー会場に設定するとか。
 そういう愚挙を見せる事で、兄達を評価しないアルゴノート艦長の気持ちに説得力が出たろうし、外敵の他に内敵まで居れば、アルゴノートやアズ・アゾート艦隊は一致団結しやすい。

 ストーリーの流れを疎外するキャラが、敵にも味方にも居ないため、順調にストレス無く話は進んで行ってるんだけど、意表を突く出来事も深いドラマも感じられず、「段取り通り」と思えてしまう。
 エイジの存在を脅威に捉え排除しようとする者、逆にその体組織を研究することで地球側の技術を進化させようとする者、そういった者達と衝突することで、エイジが「身を危険に晒して戦ってくれている」事の意味や有難味がより演出できそうなのに。
 登場人物は皆賢く、それなりの人格を備え、状況を正しく理解している、という事かも知れないけど、作品全体の印象が淡々としたものになるのは仕方なく。


2007年6月6日 水曜日

『エル・カザド』10.「天使と暮らす男」

 ゲストキャラとして出て来た男は、血にまみれた世界に生きてきた腕利きのガンマン。
 彼が出会い、その人生を変えてくれた女は、天使のように無垢な(と、彼には感じられる)存在だった。
 見てスグに分かる、ナディとエリスの関係をそのまま引き写したカップル。
手を握ることにより、男とナディが互いの「銃を握り続けてきた」クセに気付くところとか、連れ合いに隠した秘密を持つところ。
無邪気にタコスの歌を歌い合う女とエリスなど、二組それぞれの人間的類似を感じさせる演出が随所に成されており、上手いなあと思っていたが…

 今回の仕掛けを全部、セリフとして視聴者に説明する分かり易さに、驚く。
 うーん、まあテレビシリーズは、さほど真剣に画面を見ていない視聴者にさえ問題なく理解できる平易さが必要だと思うので、悪いことではないが。
 そこを除いても、「マラカスがお気に入りのエリス」を逆転のアイディアとして使う小ネタの冴えや、愛(偏愛)故に相手を殺そうとまで考える元彼の身勝手さが、シリーズの先行きを占う物になっている?など、面白い部分が多く、楽しめたし。

 天使と共にあって救われているのは、幼女連れのヒゲ男も同じか。
 女に真摯な愛情を寄せる男に対し、男を好きになった理由が「昔飼っていた犬に似ていたから」という酷いものだった女。
「天使のように」無垢なのはどちらなのか、という皮肉な持って行きようが楽しい。
 エリスは、ナディのどこに好意を持って・信頼しているのか、聞きたいようなコワいような(笑)。



 ありがたい事に、コミケ、受かりました。

 日曜日 東地区 O-32b 白昼書房
です。

 今回は…マトモな本を出したいと…毎度言っているので説得力も何も無いですけど。
 『クイーンズブレイド』のカトレアなんか、いいなあ、と思っております。


2007年6月4日 月曜日

『電脳コイル』04.「大黒市黒客クラブ」

 息詰まる電脳攻撃、ハッキング、サーチ、裏技を裏技で返すような戦いの連続で、大変に面白かった。
「座ったままキーボードを叩いている」「眼が赤く光って周囲にウィンドウが展開されていく」というような、実際には余り動きのないシーンも多かったというのに、見終わってみればアクションに継ぐアクションの大サービス話だったような印象。

 電脳的な攻撃は、もっと「魔法」寄りの、不可思議な事が行われているという描き方でも、構わなかったと思う。
 しかし、PCに対する知識が非常に薄い自分などにも(全てではないが)分かる程度の専門性に抑えた事により、「魔法」ではない、リアルな人間の戦いだと実感できる。
 「ロケット花火(ホーミング付きも)」とか「カンシャク玉」等、いかにも悪ガキが使いそうなアイテムを用いた攻撃法も、実感的。

 ブラクラ攻撃が楽しい。
これまた、ネット上で引っ掛かった事がある人間にとっては、とても実感的(^ ^)。
 それと知りながら担任が放置しているのは、「授業中に回覧の紙切れを回す」とか「小さく切った消しゴムを他の子にぶつける」といった、現在のイタズラと同等の行為で、いちいち注意していられないからかな。
 黒板に答を書いている間ぐらい、メガネを取れば影響を消してしまえそうなものだけど…消去が追いつかなかった悪ガキのメガネが煙を噴いていた様子からすると、ブラクラ攻撃による処理容量オーバーのデータ混入でメガネに機能障害を起こす事が出来る、だから放置しておく訳にはいかない、って事か。

 これら、現代技術では不可能なほど高いレベルにある攻撃からは、陽気さ・楽しさ・馬鹿馬鹿しさを見て取れるが、「教室を留守にした間にコッソリ女の子の机をひっくり返しておく」「給食をワザとこぼす」行動は、ただ陰気であり、嫌な気分になってしまう。
 「実感的すぎる」のが原因なのかな。
 匙加減が難しいところで。

 フミエ、数を頼みに襲いかかるヒキョーな攻撃で困難に陥っているイサコに、思わず手を貸してしまう…という展開になるかと思ったが、最後まで傍観、どころか隙を見て情報を入手しようと企む騒ぎ。
まあ、イサコには可愛げ、というものがまるで無いから、仕方ないとは言える。
 イサコから、前の学校でイジメられていた、もしくはイジメに荷担していた、と看破されるヤサコ。
確かに、攻撃に晒されるイサコを目にしても「特に何もしない」態度からは、残念ながら そういう素養が見て取れてしまう。
 この辺りは、余りリアルに描くと重くなりすぎるかも…

 イサコが「姿を消す」シーンがあったけど、あれが本物のイサコだったとすると、この世界は「現実」ではなく『マトリックス』のように全てがデジタル上でシミュレートされている事になる。
 分身として作ったデコイのイサコなら、問題ないが。
イサコ一人だけが、この世界に実在しない女の子である、とか。
あるいは、「メガネを通して見た風景」という事で、「あたかも消えたように見えた」だけであれば。

 悪ガキ共のクラブ、弾丸補給要員(アパーム!)として使いっ走りにされている下級生が、実は仲間内で一番頭が良いんじゃないか、という描き方など、この先の展開を予感させて面白い。
 来週が楽しみなアニメがある事の、シアワセ。


2007年6月3日 日曜日

『ウェルベールの物語』08.「告白の章」

 お姫様が、新婚初夜に花婿である大国の王子を刺してしまった真相が、明らかに。
 以前に姫の口からも語られてはいたけれど…
王子警護の兄ちゃん・ガラハドが知る王子像とはかけ離れている、という事で、「王子が刺された」切っ掛けで戦争を始めるための偽物、しかも(顔立ちが似ていたからか)快楽殺人者を替え玉に仕立て上げた、って事なのかと思っていた。
 本当に、王子がロクデナシだったとは。
 しかし、ガラハドが知る王子と違うのは、まだ何か隠された真相があるのか、単にガラハドに人を見る目がなかったという事なのか。

 大事な訴状が盗まれてしまう所から始まるドタバタ話も楽しく、それなりには面白くできていると思うんだけど、没入度が低くなってしまうのは、「一触即発の関係にある両国の緊張感」や「追われるサスペンス」「先を急がなければならない切迫感」なんかが薄すぎるからなのかな。
 ライトなファンタジーとして、弛緩してぼんやり見る分には、悪くないのだが。
 ここいらで大きな展開を設けないと、「見終わって特に印象に残る部分が無い作品」になってしまう恐れは、ある。



『精霊の守り人』09.「渇きのシュガ」

 計略により追っ手をまいたバルサ達は、平穏な日々を過ごしていく。
 村の子供達と、多少ぎこちなくも友達になっていくチャグムの子供らしさが嬉しい。

 物語としては、「停滞気味」と言って良い部分。
ここ数話、追っ手達はバルサ・チャグムの死を確信し、疑おうともしていないので、「ジワジワ狭められていく捜査網」とか「間一髪の所を逃れ続けるサスペンス」等という、一般的エンターテイメント作品を引っ張っていく要素は、薄い。
バルサやチャグムに悪意(捕獲への執念)を持つ人間さえ、目立った場所には居ないのだから。
 監督の力量として、そのぐらいの事が出来ないとは思えないので、これは「故意に」スピード感のある展開を避けているものかと。

 代わって、腰を据えて描かれるのは、異世界の姿と、そこに生きる人々の有り様。
 「刀鍛冶に、槍を直してくれるよう頼む」これだけで一話使い、飽きさせない構成は凄い。
それに重ねて、「バルサと育ての親の関係」を彫り込み(回想シーン無しで長い昔話をもたせてしまう画面のパワー)、何故彼女が命の危険を冒してまでチャグムを引き受けたのか、その心理に説得力を与えている。

 市井の人々の生活を見、自分の存在がどれだけバルサに取ってマイナスなのかを理解し、出来る訳がないのは本人が一番心得ているだろう「一人で生きていく」宣言をする、チャグムの「男の子」から「漢」まで到る心根が胸を打つ。
そんな心配は要らないと言われ、不安が一気に和らいで、わあわあ泣き出し「年齢相応の男の子」へと戻る様も、健気で愛しい。
 護ってあげるに値する、チャグムの価値。

 弟の死を割り切ったように見える兄皇子の、意外に策士な優しい本心には、驚かされる。
 チャグムの運命に何も出来なかった己の無力感を振り切り、負わされた役割を果たそうとするシュガも良いキャラ。
 追っ手部隊隊長の人間的練度、格好良さには、惚れる。

 普通なら飽きさせてしまうだろう、強い刺激のない展開を面白く見せられているのは、恐ろしく徹底した画面へのコダワリもある。
 宮殿内、庭を歩くシュガの後を、少し遅れ、後ろ向きになった男が、板を持ち地面を均しながら続く。
恐らくは、美しく整えた玉砂利に足跡の乱れを残さないための、「均し係」なのだろう。
それは、民とケタ違いの王の豊かさを表すものであり、乱れを許さない(許してはならない)宮中の佇まいをも感じさせている。
 ふとすれば見逃してしまいそうな一瞬の演出に見て取れる、スタッフにより確かに把握された世界の手触り。
 その積み重ねが、「どうせ嘘だし他人事」の世界に、リアリティーを与えていく。

 ハラハラさせられるスピード感は「今は」無いが、画面の隅々にまで情熱を込めて作り上げているアニメならではの「充実感」は、圧倒的。
 面白い。


2007年6月2日 土曜日

『ぼくらの』08.「復讐」

 ズシリと重い作品。
 非常に軽い気持ちで契約してしまった結果として、驚くほど軽く仲間の命が奪われていく。
そうして表れてくるのは、腹に堪えるぐらい感じさせられる「命の重さ」。

 ロクデナシの教師に弄ばれた少女・チズ。
彼女は、巨大ロボットを操り、自分と姉を食い物にした教師を殺すため、戦いに背を向けて学校にやってくる。
 結果として、「体を張って教師を護る姉」の前に目的を達することは出来ないのだが…
これが「チズと教師との和解(教師の価値ある本質の理解)」ではなく、「彼女自身の人間的成長」に寄るものでもなく、ただ諦念、「姉と自分は同じ人間に同じように騙される、愚か者だ」という諦念故なのが、切ない。

 最期にチズは姉の幸せを祈るのだが、命を賭け自分を護ってくれた女性を見捨てて一人逃げ出す教師の行動を見ていると、幸せになれるとは思えない…
それは、多分チズにも分かったろう。
 間近に死を控えた身として、教師と姉の関係についても諦念したものか。
それとも、「結局 誰も信じられなかった自分」と違う行動を見せた姉には、違う未来があり得ると信じ、本気で(僅かな可能性しかない)幸せを祈ったものか。
 もうとにかく切なく、哀しい。

 生き延びてしまったクズ教師と、反対に、死んでしまった事さえ今回はほとんど触れられないカコ、知られぬまま萌芽のうちにその生を終えてしまう事になったチズの胎児、無数に出たのだろう街の被災者…と、失われた命は多い。
 生きるべき命の価値ある者だから助かる訳ではなく、生存を認められないゲスだから死ぬ訳でもない。
ちょっと、テツガク的ですらあるなあ。
いや、正しく現代的、と言うべきか。



『魔法少女リリカルなのはStrikerS』09.「たいせつなこと」

 一気にコワくなってしまった なのはのイメージを、補修する お話。
 そういう意味では文句ない。
 前回の攻撃による後遺症が一切無い事を示し、いつもの柔らかな表情をした なのはに戻り、ティアに自分の意図を説明しようと懸命な様子を見せ(出動前で一度は果たせず)、その間に第三者による「なのはの隠された過去」話でティアを「すみません なのはさん、そんな事も知らないで…(『ダイバスター』調)」という気分にさせ、自らの言葉による「あなたを理解し、未来のことまで考えているのよ」でトドメ。
これだけの波状攻撃を喰らっては、どれだけヒネくれた人間であっても、反撃不能だろう。

 ただ、ティアに自分の事を語るのは、なのは自身であって欲しかった。
何だか吾妻ひでお先生のネタで、部下に延々と上司である自分の弁護や賞賛を述べさせておき、それが全て終わった所でようやく「よせよ」と言って止める、というのを思い出してしまって。
 第三者による事態の説明のため、内容が「なのはは頑張って頑張って頑張り抜いた素晴らしい人だ」になってしまい、本人であれば語ったはずの「私の浅い考えで、良かれと思ってした無理により、かえって仲間達に迷惑を掛けてしまった」という話にならなかったのも、残念。
これでなければ、ティアの行動への直接的カウンターにはならないような。

 いや、意図は汲めるし、「無理をしなければならない時と、そうでない時を判断しろ」って話でも、十分に反省材料にはなるんだけど。
 今回は「ティアが反省に到る話」なのに、「なのははこんなに魅力あるキャラ」だと見せる事に注力しすぎている気が。
これまでは、「なのはの影が薄い」と文句を言っておいて、勝手だとは思いつつ(^_^;)。

 はやて隊に異様なまで戦力を集中しているので、隊員の能力にリミッターを掛けている、という話があったと思うけど、それは体に負担が掛かる なのはの強力魔法をセーブする(セーブさせる)ため?
 負った傷により、かつてのような魔法力を発揮できなくなってしまった なのはが、自分の抜けた戦力の穴を埋めるため、新人の育成に力を入れている…という事だと分かり易いんだけど。
新人達との戦力差は、セーブしてなお圧倒的だからなあ。


2007年6月1日 金曜日

 なかなか腰痛が治らない事で、「考えていたより悪いのでは」「いや、それどころか思いもよらないぐらい重い病気の症状だったり…」という無闇な不安に突き動かされ、病院へ。
 診察を受け、レントゲンまで撮った挙げ句、結論としては「筋肉痛でしょ」。
ホッとしたような、それぐらいで騒いでアホみたいなような。
 医師からは、「腹筋と背筋を普段から鍛えろ。それと痩せろやデブ」と言われてしまう。
トホホホホ、ダイエットしなきゃ。

 もらった薬を飲むと、痛みが かなり緩和される。
 ただ、副作用としてダルくなり、やたら眠くて仕方がない。


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