ときどき日記 2007/07

2007年7月31日 火曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュ』24.「崩落 の ステージ」25.「ゼ ロ」

 約四ヶ月の期間を置いて、放送された続き二話。
 スタッフの責任ではないんだけど、何しろかなりの時間が経っているもので、ごく短く入れられた あらすじで拾い切れていない部分につき、記憶が怪しくなっていて、特に冒頭、入り辛い気持ちになってしまう。
 ニーナなど、周辺事情を忘れており、乗って出て来たナイトメアは何だっけ?学祭で出て来てたんだっけ?とか疑問を感じてしまう始末。

 扇とヴィレッタ。
失っていた記憶を取り戻し、日本人に対する差別意識が甦っても、何故か扇を撃てない自分自身に戸惑うヴィレッタ…とかいうパターンを期待したが、スッキリ割り切って一発喰らわしてしまうのに、驚く。
 しかし、危険な敵地の真っ只中までやってきて、記憶が戻っていないフリをすれば「幹部の女」という地位を上手く利用できたかも知れないのに、まだ何の成果も上げないうちに銃撃を喰らわしてしまう決断には、逆に愛があるのかな…などと考えてみたり。
単に、高いプライドが、不名誉な記憶喪失中の出来事を許せず、相手を抹消して「無かったこと」にしようとしたのかも知れないが(倒れた扇を見つめる彼女の目に、憎しみは無い)。
 扇はまだ生きているので、二人のドラマにも、展開の余地がある…か?

 黒の騎士団を丸ごと見捨てて、ナナリー救出に向かうルルーシュ。
 リーダーを失った組織は瓦解の危機に見舞われ…
 個人的事情ばっかり優先して酷いなあ、と思うけど、ルルーシュにとって騎士団の維持とか日本の開放は、ナナリーを含む「小さな願い」を実現化していくための手段に過ぎず、妹を失っては価値の無いモノなので、仕方ない。
 戦う力の弱い日本が頼り切る、圧倒的な力を持つ異国(の人間)は、日本の事を考えているフリだけしながら、その実 自分の私的な事情のみを優先して行動していた…という図式?

 コーネリアが直接指揮を執らなくても上手く機能できるブリタニア(軍組織)と、ゼロを中心に寄せ集めで構成しているため、彼が居ないと烏合の衆にもなりかねない騎士団の、差が出たものか。
 能力値はともかく副司令官の地位にあった扇が、指令を下せない状態になっていたのも、誤算。

 復活し、やたら強力になっているジェレミア。
 最初、ゼロに対し崇拝するような言葉を漏らしていたので、憎しみの余り価値観が転倒して本気で崇める気持ちになってしまったのでは、と思ったけど、そんなはずもなく。
 C.C.を巻き添えに死ぬほどのキャラに育ったのなら大したものだが、彼女はまだ片付くには早すぎるだろうから…何かあって二人とも助かるか、ジェレミアだけ死ぬのかな。
 ルルーシュには、最強の敵・スザクの他に、ナナリー誘拐犯(まだ敵味方不明だけど)や、生き延びたコーネリア、シュナイゼル、ラスボス?の皇帝、ニーナまで居る訳で、ジェレミアをザコから昇格させ、『マトリックス』エージェント・スミスみたいな強大な存在にまで育てる余裕は、無いだろう。

 カレンが そこに居る事を知りながら、彼女がゼロに抱く虚像を粉々にするような身もフタもない事を言い募る、ルルーシュ。
 この迂闊さが彼の持ち味ではあるけど…逆上したカレンから銃撃を加えられても、仕方ないなー。
シャーリーに対しては、見事な言葉選びを見せていたのに、今回は追い詰められているせいか、酷く荒い語り。
 扇が撃たれた報告を聞いても「代わりなら後で用意する」と言い捨ててしまうルルーシュと、スザクを道具として見ているような言動がありながら、彼のため命も賭けるロイドとセシルの対比が、鮮やか。

 ルルーシュとスザクの決着はどうなったのか、ナナリーを攫った者の目的は、黒の騎士団はどうなる。
 「一区切り」など付いていない、またもクリフハンガーな続き方。
 今度はいつ、この続きが見られるんだろう?
あんまり遠いと、また色々な事を忘れてしまいそう。
 シリーズ完結後、DVDなどで一気に鑑賞するのが、一番楽しめる方法なのかも。
と思いつつ、待ちきれず、一話ずつでも早く見たいのが、ファン心理。
 なるべく早期の再開を…今度は完結まで途切れず続ける放送形態で、望みたい。


2007年7月30日 月曜日

『さよなら絶望先生』04.「ヒジニモ負ケズ ヒザニモ負ケズ」

 ネタよりもキャラクターを優先した作り方で(原作でもこうだっけ?)、見易い。
怒濤のネタ羅列を中心に据えてアニメ化するのは、かなり難しいと思われるため、このままの姿勢を貫くのが正解だろうか。
 前回、最後に見せられた、木村カエレによる木村カエラのプロモーション映像そっくりな画面には、笑ってしまう。
『日曜洋画劇場』や『金曜ロードショー』のOPを真似てみたり、色々凝ってるなあ。

 新房 昭之監督が特異とする「妙」な演出も、内容に馴染んできて、予想したより ずっと楽しく見られるアニメ。
 テレ東なら、パンツを見せるのが御法度なのは勿論、「ロープで首を吊る」シーンにも、待った!が掛かったろう。
お色気方面は、この作品に余り期待していないが、毒が薄くなってしまうと つまらないので、UHFやCS局を放送媒体に選んでくれて(選ぶしかなくて?)、良かった。



『電脳コイル』12.「ダイチ、発毛ス」

 観察対象だった小さな知的生物たちが、作り手の思惑を越えて成長し、やがて…という形式の話。
『ドラえもん』には、似たパターンの物が いくつかあったような。

 取っ掛かりの発想を自由に暴走させた、と思える内容で、最初は「電脳ヒゲが生えた事によるドタバタ」だけで行くつもりだったのでは?
「ヒゲ状に伸びたイリーガル」という最初の設定を、外から見たキャラクターの顔状態として変えないままだと、「イリーガルが個々に小さく別れ、移動したり施設を建造したりする」後の展開に上手く繋がらないよう思え。

 暴走していくアイディアは非常に楽しく、宇宙ロケットかと思ったら核ミサイルだった・沈静化したと喜んでいれば惑星(顔面)間戦争が始まった、という辺りなど、絵的にも大変面白い。
 極小イリーガル達にとっては「神」にも等しいヤサコ達だが、実際の神ならぬ身で、互いに反目したり信用しきれなかったりする所を持っており、他者を導く資格があるのか?とする持って行きようなど、ちょっと哲学的ですら。
 「爺ちゃんの頭ならひっそり住んでても大丈夫でしょ」とか考える無責任さで、神になど なれるはずもなく。
いや、そこいらで見かける神様伝承の多くは、このぐらい無責任なことが多いのか。

 ハラケン叔母さんにもヒゲを生やしたのだから、イサコの情けない格好も見たかった所。
既にイリーガルを体データ内に取り込んでいる経緯からすると、こんな影響は受けない?
 イリーガルの実体についてはまだまだ不明な所が多いと思うけど、自意識を持った「生き物」である、場合によっては知性的なコンタクトも可能、という今回示された情報は、今後に大きな影響を与えそう。


2007年7月29日 日曜日

 映画『ダイ・ハード4.0』を見る。
 このシリーズは、傑作だった『1』、細かい所はともかく迫力で押し切るレニー・ハーリン監督の最高傑作であり続けるだろう『2』、舞台を広げすぎて弛緩した印象を残してしまった『3』と、段々 評価が下がってきていて、最新作はどうかと思い見たが…
 ああ、割と面白い。

 予告で良い場面をかなり見せてしまっているけれど、「無茶苦茶やっている」アクションは やはり楽しく、ダレ場を少なくしてラストシーンまで「アレ?ちょっと待てよ」と落ち着いて矛盾点を考えさせず、強引に引っ張っていく構成も、なかなか。
 非常に重要な、悪役と決着を付けるクライマックスに、アイディアが掛かっているのは嬉しい。

 ただ…
 マクレーン、結局 離婚してしまったのかあ。
そこに余り大きな意味がないのなら、『3』だって奥さんは登場しなかったのだし、「結婚生活は何とか維持している」「しかし、娘だけは父親が大嫌い」という描き方でも良かったような。
 シリーズを見続けてきたファンとしては、『1』『2』において命懸けで奥さんのため戦った主人公の頑張りは、無駄?と思わされると、哀しくて。

 家族を失っている事に意味があるとすると…
 かつて幾多の大事件を解決したヒーローとしての栄光は既に無く、護るべき愛する者も(「家族」としては)持たず、年齢を重ねて、決して満たされているとは言えないマクレーンが、悪の誘惑に屈せず、命まで賭けて戦う姿を描く狙いだった…のかな?

 この構成は『スパイダーマン2』と同じだけど、ただ「失っている・失わされていく」過程を説得力を持って描いていないため、「それでも、なお戦う」感動やカタルシスには遠い。
『スパイダーマン2』なんて、そこに到るタメを作るべくドラマがあったようなもので。
 マットが頼るハッカーのカリスマ、なんて、別に居なくても構わない…マットの能力を拡大すれば それで済んでいたのだから、その家を訪ねる場面など切って、その分マクレーンの鬱屈をきちんと見せれば。

 飛んでくる車に対し、咄嗟にしゃがみ込んだ所を、二台の車が「たまたま」走ってきてマクレーン達を護る形になったため、無傷で済みました…というシーン。
これは単に「運が良かった」だけなので、ギリギリ知力を絞るマクレーンの行動としては、ちょっと違うような。
 殺そうとしても殺せない、『ボトムズ』キリコのような異能生存体だ、というなら分かるけど。

 やたら頑丈な悪党女を車の先に引っ掛けて突っ走り、エレベーター・シャフトに落ちかかる場面。
ここから、危機また危機の連続になる訳だけど、こういう状況になったのは、「マクレーンが調子に乗ってこんな所に突っ込んでしまったから」。
一度ブレーキを掛けて弾き飛ばし、倒れた所を再加速してタイヤで踏みつければ良いのに。
 まあ、建物の構造を熟知しているはずもなく、やむを得ない部分もあろうが…
 「無茶な運転をしたために車のブレーキが効かなくなった」「フロントに引っ掛けた女が発した銃弾がマクレーンの腕を掠め、ハンドルを切り損ねた」「何かの爆発に吹き飛ばされる形でエレベーター・シャフトに突っ込んだ」等々、マクレーンのミスではない、とするフォローは僅かな時間で出来たと思う。
 シーンだけを見ていればハラハラドキドキだったのだろうが、どうも、登場人物の勝手なミスで招いた危機については、応援する気になれず。

 犯人グループが娘を人質に取っても、マクレーンはまるで意に介さない。
 もうちょっとシナリオとして活かしても…とは思いつつ、悪党への攻撃を続けようが止めようが、最後に娘は殺されるに決まっており、「娘に手を出す前に、お前達を皆殺しだ!」とばかり余計テンションを上げる狂犬のようなマクレーンの行動は、さんざ死線をくぐってきた男として、説得力アリか。

 全体として、一本のアクション映画としては、割合に面白い。
 ただ…『3』からもう壊れているけど、やっぱり『ダイ・ハード』は限定空間での戦いであって欲しかった。
 ハッカー少年は本部で指示を与えるに留め、マクレーンは孤立無援で頑張る、というのもあればなお良し。
そうすると『1』と似た構成にはなるんだけど、バディ・ムービーなら前作『3』が そうだった訳で、いっそ原点回帰を。
 シリーズ物には、期待される「お約束」がある。
「何でもあり」にしてしまうと、シリーズの魅力は薄れてしまうのにな。


2007年7月28日 土曜日

『魔法少女リリカルなのはStrikerS』17.「その日、機動六課(後編)」

 部隊の敗戦を描く、なかなかに悲惨な話。
 戦いの中で色々なことが明らかになったような気がするけど、未だに敵キャラの名前や個性を覚えられず、戦況の把握が しっかり出来なかったせいもあり、整理して頭に入ったとは言い辛い。
その辺は、次回以降のフォローに期待。

 ブチ切れて暴走するスバルに、いつ なのはの「頭冷やそうか」攻撃が来るのかと、ハラハラ。
どんな敵より恐ろしい、なのはの教育的指導。
 それにしても、なのはの飛行能力よりスバルのローラーブレード滑走が早いんだ。
狭い通路を、何度も方向転換して進むには、地に足が着いている方が有利なのかな。
 ティアナは置いていけば、いくらかスピードアップを図れたような。
 実際の所、「超絶の強さを誇る なのはが間に合っていれば…」というシチュエイションを作り上げる都合に、寄っているのだろうが。



『BACCANO! -バッカーノ-』01.「副社長は自分が主役である可能性について語らない」

 原作未読。
 第一話は、マトモな物語と言えないものを見せる、というやり方、作劇術として定着してきているのだろうか。
 とにかく作画のレベルが高く、断片的に示されるイメージも一筋縄ではいかない、独特のものがあるので、視聴を切ろうとは思わないが…

 基本的に第一話は、主演キャラクターを強く印象づけ、ドラマの取っ掛かり・方向性をしっかり示す事で、視聴者に「この作品は見続ける価値がある」と思ってもらう事が肝要。
 基本なので、無視しても構わないけど、その場合、代わる圧倒的な「何か」を提示する必要がある。
そこまで凄い三十分だったかというと…
 まあ、本放送開始前の紹介特番だと思えば良いのかな。
 本当に物語が始まるのだろう、次回以降に期待。


2007年7月27日 金曜日

『ルパン三世 霧のエリューシヴ』

 いかにも伏線っぽく紛失したルパンのワルサーが、最後まで意味を持たないのに、逆に驚いてしまう。
てっきり逆転の手段として使うものだと…
 「時間ネタ」全体にしても、あんまり煮詰めて考えた様子は窺えず、不満。

 魔毛に掛ける罠。
途中で失敗した偽装を最後に持ってきた方が、まだしも良かったかと。
 アレよりずっと考えの浅い罠が、偶然と魔毛のアホさ加減に助けられて成功する、というのでは、爽快感も薄い。

 二つの部族の対立に面白味が無く、ルパン達が対立そのものには絡まないのに、結構な時間を費やしていて、飽きる。
 魔毛との戦い、だけでは二時間もたない、という判断から詰め込まれたものだろうが…
結局、部族抗争も、魔毛との対決も、不満足な形で終結しているような。
 特に魔毛は、余りにも いい加減な扱いで片付けられていて…旧ルパンのオリジナル話でも このぐらいで終わっていると言えばそうなんだけど…物足りない。

 作画は、非常に良い部分もあるが、相当に厳しい部分もあり、安定せず。
 クリカンの声はいつも通りながら、ゲストの女性声が余りにも素人過ぎたため、比較してマシに聞こえたのは、喜ぶべきか悲しむべきか。
 冒頭のカーチェイスはテレコムらしく、『カリ城』程ではないが、『風魔一族の陰謀』を思わせるコミカルさで良く動き、車を一個のキャラクターと捉えていて、楽しかった。
 「このキャラは絶対にこんな事はしない」と嘆きたくなるようなシーンが無かった…少なかったのも、救い。

 全体的に、例年通りのテレビスペシャル、という以上でも以下でもなく。
まあ、こんなものか。



『THE SKULLMAN』最終13話.「黒い寓話〜愛しきものは全て去りゆく」

 シリーズの途中から、どうも何がしたい、何を見せたい作品なのか分からなくなってしまい、集中力を欠いた視聴態度だったので、どうこう言う資格はないと思うが…

 この作品のラストは、あれで良かったんだろうか。
 単品として見るだけでは、納得のいく終わり方をしていなかったと思われるため、石ノ森先生の他作品に寄りかかっている、という所に価値を認めないと、かなり厳しいエピローグ。
 その割に、日本が分割統治されている異世界を舞台にしていた事で、ストレートに繋がる話にはなっておらず…「異世界での某組織の某幹部はこうやって誕生しました。正史とは必ずしも関わりありません」とする終わり方をどう捉えれば良いのか、どうも分からない。

 仮面を被り、ダークサイドに堕ちたキャラを見せて終わる、という意味では、『スター・ウォーズ』Episode1〜3に倣った作品。
 誕生した子供が、いずれ父親?を倒す宿命を背負った、某9番目の戦士を思い起こさせる所まで含み。
 しかし、某幹部は別段、改心して命を終えたわけでもなく…感じるのは据わりの悪さばかり。

 結局、『スカルマン』という作品だけの魅力で勝負することは出来ないと、スタッフが判断した、って事なのか。
そもそも某作品の方に強く心を引かれていた、本当はそちらを手掛けたかった、という気持ちで作っていたのか。
 うーん。


2007年7月26日 木曜日

『機神大戦 ギガンティック・フォーミュラ』17.「出征」

 日本があんまり他の国と対戦せず、戦っても決着が付かなかったりするのは、負かした国の技術や人員を我が物に出来る、という設定のため?
 特に人員については、基地に他国の人間が増えすぎると、現在 重要なサブキャラ扱いになっている中国二人組の影が薄くなってしまう恐れがある。
一戦闘ごとにキャラが増えていくのは、現状の人物配置でさえ十分に彫り込めていると言えない状況下では、拙いだろうし。

 だったらこんな設定、無しにすれば良いようなものだけど…
終盤の戦いに登場するギガンティックは、皆、他国の技術を吸収して既出の敵国を遙かに上回る強敵になっている、という流れにしたいからなのかなあ。
 それにしては、最大の敵になるかと思われるアメリカなど、最初から余所様の技術など必要ないぐらい超絶の強さを誇っている訳で、うーん。

 国家間の技術・経済力格差による どうしようもないギガンティックの戦力差について、神像自体はどう思ってるんだろう。
 極端な話、トラックの荷台に神像をくくりつけただけの物で走り回って負けた場合、納得できるのかどうか。
 人間側の都合で、勝負を投げ出して「また今度ね」にする事が許されているんだから、特に何も思うことは無いのかな。
 まあ この辺は、神像を使った戦争に隠された事情が全部明らかにならないと、見当外れな感想になってしまう恐れがあるんだけど。

 ベネズエラカリブ共和国の母娘パイロット。
 お母ちゃんのダンナさんと娘は、「人質」と捉えられていたようなので、利用価値のある貴重なダンナが病死するのを監視員が黙って見ていただけなのは、不思議。
 それと、長年に渡ってきたのだろう母娘の確執を、こんなにも僅かな時間で解消されてしまうと、確執自体が「大した事のない、軽いもの」に思えてしまう。
 どの国もそうだけど、パイロット達が抱える事情について、基本設定は面白そうなのに、時間の都合により駆け足でサラッと触れるだけに留まるため、彫り込みも展開も足りず、見る側の心にまで届き辛い物になっているのが残念。
思いきって、扱うパイロットを絞り込んだ方が有効だったかも。


2007年7月25日 水曜日

『ヒロイック・エイジ -HEROIC AGE-』16.「幾つの定めを超えて」

 ディアネイラ兄達を、戦いにおける障害として描いているが…
うーん、もうちょっとぐらい知性のある所を見せて欲しかったかな。
 賢く立ち回っても勝てないほど、人類と銀の種族軍の戦力差は開いている訳で、兄達は「ごく常識的な戦いぶりに終始」「臨機応変さに欠ける」「他者の意見を容れる度量がない」ぐらいで、十分かと。
 これまで憎むに足るキャラクターが居なかったのため、そういう意味で大いに価値あり、とは思うんだけど。
 改心するような人格付けでもなかろうから、最終的には処分、かなあ。

 彼らと対比させるべく、ディアネイラ側の有能さを彫り込まねばなるまいが、これが物足りない。
 敵ノドスを艦内に留まらせる判断など、兄達が下したものであれば「愚行」と断ぜられるものでは?
物語その物を味方に付けているキャラだから、全て上手くいってるけど。
 何とかもう少し、さすが!を見せて欲しい。

 人間体に戻ってなお、エイジから人らしい感情が感じ取れないのも、不満。
ディアネイラへの気持ちはともかく、同じレベルの力を持つノドス達と戦うことをどう捉えているのか、金の種族が定めた契約について納得できているのか…よく分からない。
 超越した視点を持たせた、文字通り人類の守護神たるキャラ、という事でもあろうけど。



『鋼鉄神ジーグ』最終13話.「鋼鉄神になれ!!」

 とうに放送は終わっているけど、ようやく見終えたので感想。
 ストーリーとして見ると、無理があるし強引だし描き足りていない部分もあり、物足りない気持ちが大いに残る。
 しかし、こと「熱血」方面で評価するなら、暑苦しいぐらいに熱く、ラストバトルも「宇宙決戦」「敵超巨大要塞の猛攻」「次々に襲いかかる敵幹部」「犠牲を厭わぬ主人公らの戦いぶり」「奇跡の逆転勝利」などといった、最近では作り手側が恥ずかしがって、なかなか真正面から描かなくなったロボットアニメの黄金パターンを照れずにきっちり踏襲してあり、満足できるものだった。

 オールドファンとしては、旧ジーグの復活、新旧ジーグ揃い踏みで見せる無敵の強さ、辺りが、とにかく嬉しい。
 パワーで勝る新ジーグに対し、経験を積んだ戦上手ぶりを発揮する旧ジーグ…といった差別化があると、もっと楽しかったかな。
 年月を経て再会する宙と美和。
年老いた姿に変わってしまった引け目から、差し出した手を戻そうとする美和に、その手を追って両手で包み込む宙…というシーンが圧巻で、九州とそれ以外で時間の流れが変わってしまった設定は、ここを起点として作られたんじゃないかと思うぐらい。
 バトルのラストは、若い者に代わり、時間の流れに翻弄された この恋人達が、永遠に止まる時の中で結ばれようとする、というものであっても良かったろうか。

 「人が人を想う気持ち、それがある限り私達は負けない」というのが最後のナレーションだったが、そんな作品だったっけ?
力の限り突っ走る主人公だし、誤解と和解を描いていくような信頼関係をテーマにした内容でも無し…と思っていたけれど…
 ビッグシューターから放たれる「剣児を思う気持ち」を受け止め、我が物にすることで力を増していく、撃ち出す側・受け取る側、どちらが欠けても戦えない、互いへの信頼を基本にした、ジーグの特異な基本設定を活かす形で生み出されたテーマなのか。

 細かいことをゴチャゴチャ言わず勢いに乗って突っ走る、スーパーロボット物として正しい作品。
 面白かった。


2007年7月24日 火曜日

『Yes!プリキュア5』24.「新たなる5人の力!」

 シリーズも中盤に差し掛かり、新たなパワーアップ・アイテムを登場させるべく作られた、先週分と合わせての前後編。
 心の隙間に付け込んで、少女達四人までに不気味な仮面を付けさせ、操る、先週の物語はなかなか盛り上がった形で終わったが…

 うーん、かなり物足りない解決編。
 圧倒的優位に立っておきながら、プリキュア同士を戦わせる基本的戦略も採らず、ただ床の穴に落として それで良し、とする悪役の思考は甘すぎて、ガッカリ。
 5人が同居する虚構の学園で、みんな普通に仲良くしているのも、どうだろ。
思考停止により臭いものに蓋をした、偽りの平穏だ、という事なんだろうが、狂気とか危うさみたいなものが ほとんど感じられず。

 そこからの復帰も、ずいぶん簡単に行われ…
 視聴対象年齢は小学生ぐらいなのだろうから、あんまり突き詰めて、嫌な部分まで晒すハードな内容にする意味は、無いのかな。
 前回の内容から、もう少しぐらいは少女達を追い込む物語になることを、期待してしまったので。

 全員が心を一つにして展開するバトルは、それはそれなりに盛り上がっており、全員が乗っかって敵に突っ込む変なフィニッシュ用アイテムにも笑ってしまったから、決して つまらなかった訳ではない。
 物足りなかった、というだけ。


2007年7月23日 月曜日

『電脳コイル』11.「沈没!大黒市」

 ふとした切っ掛けで拾った不可思議生物が、子供の世話によって次第に巨大化し、街を大騒ぎに巻き込んでいく…怪獣映画でお馴染みのパターン。
正義側に育つなら『小さき勇者たち〜ガメラ〜』、害獣側なら『ガメラ3 邪神覚醒』や『ゴジラ×メガギラス G消滅作戦』になるだろうか。

 ダイチは、イリーガル巨大魚に対して思い入れがあったようで、その辺りを上手く彫り込むと「一夏の、少年の成長」を描けたかも知れない。
巨大魚に、幼くして亡くなったダイチ弟(勝手な設定)の名前を付ける、などして。
 まあ、そうすると「感動」を生み出せる可能性と引き替えに「辛気くさい話」になるし、三十分で処理しては中途半端な印象のみを残す恐れがあり、今回のような乾いた内容で通す判断も、正解。

 巨大魚による被害を もうちょっと見せてくれると、緊迫感が増したかな。
 ベランダで布団を叩いていたメガネ無しのオバチャンには、事件その物すら認識できていなかった訳で。
どころか、子供達にとっても直接的な被害は無く。
 「ごっこ遊び」の楽しさが、この作品の持ち味だし、あるような無いような緊張感も個性的で面白くはあるが。


2007年7月22日 日曜日

『スター・トレック 宇宙大作戦』01.「宇宙基地SOS」

 NHKBSで放送が開始されたもの。
 模型を使ったオリジナルの特撮シーンを、現代の技術でCGに置き換えている、というのが、このデジタルリマスター・リニューアル版の売り。
 うーん…とはいえ、原盤のデザインやアングルをそのまま継承しているせいもあり、パッと見た感じ、「新しくなった」とか「迫力が増した」という気分にはなれない。
 オールドファンとしては、ライブのシーンも含み、まだまだ技術的に未発達な段階で、精一杯の画面を見せようとしている所にこそ「味」があったんじゃないか、とさえ思える。

 しかし…ヒイキ目を抜けば、こちらの目で一生懸命に補正をかけないと辛い画面、というのもオリジナルには確かにあった訳だし、良くも悪くも「気にならない」変更に留めてあるため、問題視するような事ではない。
 どうせなら、登場するクリンゴン人を全員『ネクスト・ジェネレーション』以降の無骨なデザインに換えてくれると、他シリーズとの繋がりが良くなるかなあ。
そうなると逆に、『エンタープライズ』で苦労して入れたフォローが、無駄に、どころか矛盾にもなってしまうが。

 今回、第一話として放送されたのは、旧来の本国放送版・日本放送版どちらの第一話とも違う話。
 キャラや世界を紹介するにベストな選択だったかどうかは疑問だけど…エンタープライズ対ロミュランの『眼下の敵』チックな知能戦が見られ、面白い内容なので、それはそれでアリか。
 余りにも海戦を意識しすぎて変だったり、核爆弾が凄い兵器のように扱われていたり(光子魚雷がある時代に)、??を感じるところはあるが、40年も昔の作品だし、細かいことを言うのは野暮だろう。

 条約を破って侵攻し、同胞達の命を奪った「敵」に対し、どう対応するべきなのか。
 「敵」のスパイではないかと疑われる、確かにその血を引く「共にあるもの」への対応は、まず疑念か信頼か。
 勝利とその苦い代償、誰が幸せになれる訳でもない国家間戦争の帰結…
 今でも…今だからこそ胸に堪える、重い問いかけが含まれた話。
いや、人間は40年経っても(40年ぐらいでは)僅かの進歩も成し遂げられていない、と言うべきか。


2007年7月21日 土曜日

『School Days スクールデイズ』03.「すれ違う想い」

 エラい展開を迎える、と聞いた(原作ゲームのCMにも そういうシーンがある)んだけど、ここまで見た限りは、気持ちのすれ違いを細かく描く普通の学園ラブコメ、という印象。
 選択肢によっては そういう方向への進行もあり得る、というだけで、このアニメがそうなるかどうかは まだ分からない?

 主人公のアホさ加減…性欲衝動に突き動かされての暴走ぶりに、驚く。
 でもまあ、あのぐらいな年頃の野郎であれば、頭の中が そんな妄想で煮立っていても不思議無いのか。
 こういった、「特に優れた部分を持たない男の子が、『優しい』とかそれぐらいの理由で多数の女の子にモテる」作品だと、一対多の微妙な関係を維持するためでもあろうが、男の子は性欲など持たないかのごとき行動を取るのが普通なので、この「リアルな」主人公が異色に見えてしまうのかな。

 女の子との お付き合いは、「楽しい」ばかりでなく、「疲れる」ものでもある、というのが、なかなかに実感的。
 でもそれは、付き合い辛い部分のある言葉だけじゃなくて、世界と恋人になっても(程度の差こそあれ)同じ事だと思うが。



『シグルイ』01.「駿府城御前試合」

 原作未読。
 作者・山口貴由の作品は、『覚悟のススメ』や『悟空道』等を読んでおり、無闇な迫力がある画面と独特の言語センス、全体に「狂」を感じさせる強烈な個性に、引き付けられた。

 この第一話は…うーん、お得意の内蔵をさらけ出すようなザンコク画面があり、「狂」も感じ取れはしたが、ちょっと、かなり、静かなオープニング。
 これから、御前試合を進行させつつ、その裏側にある人間関係を彫り込んでいく事になるのかな。
 画面構成には拘りがあり、凝っている。
懲りすぎて、一瞬 絵としての主題を見失う事もあるけど、それは原作者作品からして、決して「スッキリと読みやすい漫画」ではないから、正しい演出かも。

 最初から心をグッと掴まれた、という訳ではないが、まだ様子がよく分からない事もあり、しばらく展開を見ていきたい。


2007年7月20日 金曜日

『ゼロの使い魔〜双月の騎士〜』01.「女王陛下のゼロ」02.「風と水の誓い」

 人気作の続編がスタート。
 前作のラストを想起させるシーンから始めてくれ、記憶力の弱い視聴者(自分)には親切で、嬉しい。

 ルイズ、すっかり才人にデレデレなんだなあ。
「ツン」の部分なんて、ほとんど見当たらない。
女好きさ加減を示す才人に対し、嫉妬の怒りを爆発させはするが。
 マジックアイテムの変なメガネは、どの程度までエロ妄想を浮かべると点滅するようになっているんだろう。
脱がしたところや、最後まで到達する事を思い浮かべると…なら、ルイズに怒られるのもやむなしだが、「胸が大きいなあ」とか「パンツ見えた」ぐらいでも反応するなら、もうその制止にはロボトミー手術でも施すしかないような。

 才人は、ルイズの体に対しては どう思ってる?
前作で、無防備な姿を晒す彼女に すっかり慣れてしまったとすると、反射的な欲情は抑えられている?
 「厳しい折檻を加えてくる相手」なので、男としてその体を どうこうしようとは考えられなくなっているのか。
でなければ、同じベッドに寝ながら何も起こさない「非常識さ」が、年頃の男としては不思議。
 才人には「ルイズと結ばれる」未来が想像できなくなっており、「いつか彼女は他の男と結婚する」事を普通に受け入れているようだし。
 可哀想な才人、可哀想なルイズ、恐るべきは加えられ続けるムチにより刷り込まれた学習効果。

 新たなシリーズを通し、二人の関係が どう変わって(あるいは変わらないで)行くのか、見守りたい。


2007年7月19日 木曜日

『エル・カザド』16.「怒る女」

 シリーズも後半戦に入ったと思うのに、相変わらずノンビリしているというか、間が抜けているとさえ感じられる話。
 ナディ、雇い主との契約を反古にしてしまったことについて、余り真剣に考えていないような。
それなりのバックを持つ元雇い主にも追われる身となり、頼るアテ無く いつ終わるとも知れない逃亡生活に入る事になった、それで困る一番目の事柄が「金欠」だというのが、呑気な この作品らしい。
 いや、金がないのは切実だけど、タコス屋でバイトしてる様子は、どうにも緊迫感に欠けていて。

 L・A…もっと恐ろしい奴かと思ったが、エリスにただ やられっ放しの姿を見ると、そうでもない?
執着する対象には手を上げられない、という心理的要因に寄るのかも知れないが。
 「怒り」の表現について、ほどほどで止める事を知らないエリスの徹底した乱暴ぶりに、圧倒された?
確かに、回し蹴りまで繰り出してくる戦闘力には、見ていても驚くばかりだったので。
相手が普通の人間なら、病院行きのダメージかも。



 雑談。
 『ゲゲゲの鬼太郎』の能力で、「妖怪アンテナ」というモノがある。
妖気を感じるとピピピと髪の毛が立ち上がる、ってアレで、寝癖が付いて髪が跳ねている人を見ては、よく「妖怪アンテナが立ってるよ」と言い表したもの。
 この表現は、いつからあるんだろう?
原作漫画版?アニメシリーズのどこからか?

 「アンテナ」って、「電波を受けると立ち上がって反応するもの」じゃなくて、「立てておくと電波を拾ってくれるもの」。
だから、「妖気を感じると妖怪アンテナが立つ」という逆の発想は、どこから来たのかなあ、と。
 総毛立つ、とか、身の毛もよだつ、等といった表現を髪の毛に置き換えたのかも。
 妖気を探っている、という意味では、妖怪レーダー・妖怪ソナーといった表記だって良いような気がするが、リモコン下駄がホーミング下駄(これはちょっと意味合いが変わる…)にならなかったように、実感としての分かり易さ優先だったのかな。

 何でこんなことを書いているかというと、現在の若い衆にとっては、特に携帯電話での画面表示により、「電波の強い場所ではアンテナが立つ」という表現を昔より受け入れ易いんじゃないか、等と無益な事をふと考えてしまったから。
 テレビでも、割と前から、自宅アンテナの入りが どの程度か、画面のインジケーター表示で確認できるようになっているし。
 そう考えると、「時代が鬼太郎に追いついてきた」と言って良いのかも(笑)。

 以前の携帯で(今でも?)、棒表示が三本立っていることを「バリ3」と俗に言う事があったが、鬼太郎のアンテナにもバリ3状態があるのね。
「通常逆立つのは1本だけだが、3本同時に立ててレーダーのように相手の距離・方向・移動速度を計ることもできる」…これは知らなかった。
 やっぱり、時代が鬼太郎に(もういい)。


2007年7月16日 月曜日

 締め切り前スケジュールです。
 何だか今月は、とても忙しい…といっても こちらの手が遅いからで、仕事量その物は大したことないのですが。
 木曜日ぐらいまで、更新は難しくなるかと思われます。
悪しからずご了承下さい。


2007年7月15日 日曜日

『はぴはぴクローバー』01.

 動物キャラクター達が なかなか可愛く描けており、純粋な お子様達と、ヨコシマな大きいお友達なら大満足だろう。
 もう少しはブラックだったり、いくらか現実に対し皮肉な部分も含まれるかと思ったが、とても素直な作り。
 親が、子供に対し安心して見せられる、正しい内容。
それだけに、いい歳のオッサンには刺激が無さ過ぎるので、視聴はここまで。




『ひぐらしのなく頃に解』01.「サイカイ」

 あの恐ろしい、ダークでザンコクで嫌〜なアニメ(この場合ほめ言葉)が、まさかの帰還。
「良識ある」皆様とかに見られていたら、即日 放送局に抗議の電話が行って大変なことになりそうなモノだけど、幸いにもロクデナシ(ほめ言葉)ばかりが視聴者だったのか、多少のことは気にしない大らかな放送体制だったからか、大きな問題は生じなかったようで。

 物語は、ガス噴出による村壊滅の惨劇から20年後。
そういえばこんな人も居たなあ、の東京刑事が雛見沢を訪れる事で、始まる。
 ミステリー・マニア達の間で、封鎖されていた村の真相について、都市伝説のようなものが出来ているのが面白い。
まるっきり見当外れの無責任な噂もあろうし、鋭く真相を突いた部分もあるだろう。
 伝説の元となるノートを書いていたのは、ええと、毎度エピソードの途中で いつの間にか死んでいた お姉ちゃんか。
 村人は全滅のハズだし、このノートの存在がネット上に広まっているという事は…その源は所有者である刑事?
真相を明らかにするべく、知る限りの情報を匿名でリークしている、とか。

 いや、レナなのかな?
 レナ、美しく成長していて、結構。
もう三十路に入っているはず…大惨事から、どういう人生を送ってきたんだろう。

 次の雛見沢をどうこうと言っていたから、場所もキャラクターも一新してセカンドシーズンを始めるのかと思ったが、そんなはずもなく。
 同じ事を繰り返しているようで、少しずつキャラが変化したり真相が明らかになったりしていく、その次のステージに入る、という事ね。
 今期は、物語の最終決着まで描いてくれるのだろうか。
また、ドキドキしながら見続けよう。


2007年7月14日 土曜日

『もえたん』01.「マジカルティーチャー」

 魔法少女物…というのは体裁に過ぎず、「少女(幼女)の、つるぺたでプニプニした体に萌えるアニメ」というのが正解かと。
 魔法能力を得る切っ掛けがいい加減なら、その力の使い道まで適当その物なので。

 元々が英単語学習用のキャラクターだったのだから、いっそ30分 眺めている視聴者に、いくつか英会話を覚えさせてしまう事を目標に作る手もあったかな。
ちょっとだけは入れてあったけど、あれじゃ弱すぎ。
 ただ、「ためになる・学習」方向を強化しすぎると、つまらない、見ていられない作品にもなりかねない。
 「学習参考書に『萌え』を持ち込む」のは斬新だったかも知れないが、「アニメに『萌え』」は普通だし、「アニメでお勉強」も(効率的に成し遂げた作品はごく少ないにせよ)そう珍しくはないため、考えに考え抜いた末、作り出すのでもなければ、「よくある劣化魔女っ子物」風の仕上がりになって当然。

 どこが酷く悪い、という訳ではないけれど、特に面白い部分もなく、視聴継続の意欲は低め。
 取りあえず、三話目ぐらいまでは見るかな。



『CODE-E』01.「転校生と告白のこと。」

 感情が昂ぶると、機械に有害な電磁波を発してしまう特殊能力を有する、ヒロインの日常を丁寧に追った第一話。
 お陰で、その能力の露見に寄るのだろう転校を繰り返している事、それでも娘に愛情を注ぐ優しい両親と暮らしている事、ヒロインの人格が引っ込み思案気味になってしまった要因、気の良いクラスメートとの出会い、ヒロインに興味を感じ始める男の子との接触…というようなモノは、無理なく頭に入ってくる。

 難しい所で、一話に無理矢理 説明を詰め込み、急激に展開させると、視聴者を置いてきぼりにしてしまう恐れがあるけれど、かといってこんなにノンビリした導入部にも不満を感じてしまう。
 冒頭、落下した隕石と、ヒロインの間に何か因縁があるのだろうが…

 ここからならまだ、学園どたばたコメディーにも、特殊能力を活かしたバトルが連続するアクション物にも、出来る。
 どういう話になっていくのか、見守りたい。


2007年7月13日 金曜日

『ケンコー全裸系水泳部ウミショー』01.「ちゅらうみっ!」02.「興味・・・・ある・・かも・・・」

 原作未読。
 タイトルから、水泳部での ちょっとエッチな青春モノを想像したが、大体その通り。

 水泳の競技会を目指すなどして、いずれスポーツ根性モノっぽくもなって行くのだろうか?
二話まで見た限り、ギャルゲー的に個性ある女の子達を取り揃えてラブコメを展開する、その舞台として水泳部を用いているだけ、にも見えるが。
 何しろクラブ活動時は全員水着なので、画面サービス し放題。
 主人公の男の子が水に入れない設定なのも、「物語中でトラウマを克服して行く」流れのため、なのだろうが、「サービス優先、主人公(視聴者)はそれを眺めているだけで良い」という基本姿勢の表明か、とも思えてしまう。

 スポーンと抜けて明るく、超絶の水泳能力を持つ あむろは、なかなか魅力的なキャラ。
 外見と本性の間に、相当大きなギャップを用意してあるらしい みれいも、愉快。
 爽やかに青春っぽい主題歌が気持ち良い。
 えっちなサービスを売りにするなら、致命傷となる作画レベルの低下だけは回避して欲しいところ。


2007年7月10日 火曜日

 カラーの〆切が詰まり、酷い事になっておりますので、木曜日ぐらいまでは更新が難しくなるかと。
 うううう、眠い。


2007年7月8日 日曜日

『スカイガールズ』01.「候補者たち」

 なかなかに悲惨な背景を持つ世界。
 しかし、謎の侵略者と、戦いによる人口の激減は、要するに「うら若い女の子が、現実的に考えると無茶な格好で飛び回り、戦う」事に説得力を持たせるため、だろう。

 それにしたって、あんな体が剥き出しの装備で空を飛ぶのは、嫌だなあ。
高速で移動しても、ホウキなんかに乗っていれば、見た目、そう不安に感じないんだけど。
 硬質な機械のフレームに囲まれる事で、少女の体の弱さ、柔らかさを余計に感じさせるよう、演出できるからか。
 メカデザインの明貴美加は、モビルスーツ少女というコンセプトの生みの親だし。
 体にかかる荷重はどうする、とか、破片が降り注いできたら無防備だとか、マスクもしていないけど呼吸は?なんていう素朴な疑問に対する答えは、設定してありそう。

 まだ本当に発端のみなので、面白くなりそうかどうかも分からず。
 特に拙い部分はなく、作画は良質。
視聴を継続しつつ、様子を見たい。



『さよなら絶望先生』01.

 原作既読。
 『ぱにぽに』『ネギま』の新房 昭之監督が手掛けるだけあって、間の取り方や人を喰った演出、黒板の無意味な文字に到るまで、監督カラーそのまま。
 面白いか…というと微妙だが、原作第一話も大体こんなノリだったので、仕方ない。

 この辺りでは まだストーリーらしいものがあるけれど、原作が乗ってくるのは、キャラの成長だとかドラマ性をキッパリと切り捨て、週刊連載でよくもまあ、と感心するぐらい大量の小ネタ…時事ネタやブラックなジョーク、楽屋オチに、毎回のテーマと関係付けた「あるある」「なるほど」「そんなアホな」ギャグを羅列し始めてから。
 それらを映像化するのは、なかなか難しいと思う。
自分のペースで読める漫画に対し、自動的に映像が展開していくアニメでは、ネタを出すスピードが速すぎても遅すぎても笑いに繋がらなくなってしまうので。

 『ネギま』で、やりたい放題やって見せてくれた監督だから、原作自体を一素材と捉え、好き勝手に組み替え、別物として楽しませてくれれば、それで良いんだけど。
 キャラの配置も面白い原作だし、遊び甲斐はあるかと。

 イメージを壊さない、高品質な作画が嬉しい。
 ただ、えっちなサービス部分に割り込んでくるオッサンの実写カットは、謎だし、邪魔。
笑える訳でもないし。
 監督の手腕に期待して、視聴継続。



『電脳コイル』09.「あっちのミチコさん」

 夏と言えば、学園物では定番の肝試し話。
作られた仕掛けの他に、本物の超常現象が紛れ込んでいる所まで、基本に忠実な作り。

 肝試しを盛り上げる、事前の怪談大会。
 ダイチが語った内容は、ハラケンの、亡くなったガールフレンドの事情に重なってる?
 「メガネを掛けた子供の事故が増えている」というセリフが以前あった事と、事故で亡くなった子供がオイデオイデをして他の子を呼び込もうとしているイメージ、ハラケンの語る怪談の「気が付くと自分も真っ黒な怪物になっていた」少女のストーリーを合わせると、簡単に筋は通るんだけど、まだまだ捻って来るんだろうな。

 肝試しの仕掛け。
電脳技術を使えばかなりの事が出来るようなので、怖がっていた「響く少女の笑い声」なんてのだって、その気になれば子供達の手で作り出すのは容易かと。
技術というより、イメージの貧困さが原因かな。
 実際、画面に出て来た仕掛けは、肝試しというよりサバイバルゲームかシューティングゲームの様相だったし。
 日本人的感性に合わせるなら、化け物オンパレードは避け、地味〜に陰気に迫った方が効果的。
 ただ、あんまり本気で演出すると、年少の視聴者を怖がらせてしまうか。

 ウィスキーボンボンで泥酔した先生、恐怖の連続に叫びすぎて表情が年寄りのようになってしまうフミエとダイチ(お似合いだなあ)、狭い学校の廊下を無理して通るため頭頂部をチョイと傾げる可愛いポーズを取るサッチー等々、演出・作画的なネタも冴えている。

 姉の側に与しない理由を、「一刻も早く距離を取らないと、お姉ちゃんに人生を吸い取られそうで〜!」と泣きながら叫んで告白する弟。
ああ、強烈で強引な個性を持つ姉に振り回される弟の気持ちって、きっとこんな風なんだろうな。
 それなり以上に可愛い姉なのだし、自分の商売的には妄想も広げられる所なんだけど、弟は、そんなの「考えた事ない」というより「考えたくもない」のだろう。

 肝試しの裏側で展開される、美女二人の探索合戦。
 イサコが取った驚くべき行動の意味は?
いやあ、次回が待ち遠しい。


2007年7月7日 土曜日

『ぽてまよ』01.「ぽてまよ」02.「来襲!謎の生物 !!」

 原作未読。
 御形屋はるか先生は、「こちら側」からメジャーに行かれた方なので、その前のお仕事については、勉強のため・単にファンとして、読ませて頂いていた。
 ぷよぷよポテポテした質感を持つ、可愛らしいキャラクター描線が特徴。
 アニメになってもその感性は十分に生かされており、高いレベルの作画で、ぷよぷよしたキャラが走り回る様子を見ているだけでも、癒される。

 謎の生物ぽてまよは、一体ドコから、何のためにやってきた、何者なのか、等という疑問とは無縁の世界観。
いずれ説明があるかも知れないが、可愛らしさや微笑ましい雰囲気を楽しむのに、理屈が通るかどうかは余り関係ない。
 ストーリーも、あって無いようなものだし。

 ギャグとしては、爆笑の連続、とまで いかないが、チョイチョイ声に出して笑ってしまう部分があったので、上等かと。
 とにかく可愛さが命の作品だろうから、作画水準は最後まで落とさないで欲しい所。


2007年7月6日 金曜日

『ムシウタ』01.「夢ノ始マリ」

 原作未読。
 うう〜ん、分かりづらい、入りづらい第一話。
 まるで訳が分からない、という事はなく、ムシに憑かれた?人間に対処する組織がある世界で、それと敵対する勢力があり、その中身はかなり複雑そう…といった情報は読み取れるんだけど、もうちょっと整理して、分かり易く伝えることも出来たような。

 作画は高品質だし、キャラのリアクション芝居など演出的に面白いところもあるが、「凄いアクション」で まず視聴者を引き付けようという構成ではなく、「萌え」で押し切っちゃえ!とする作りとも思えず、世界観が伝わり辛いのでは、ツカミは かなり弱い。
 意図的にこういう形を選んだ第一話だと思う…放送本数過多の現状でこういう形を選ぶメリットが、「原作既読者以外をターゲットにしない」強い意志の表明以外にあるのか分からないが…ので、第二話以降、初見の視聴者にも分かり易く、どういう方向で面白くなる作品なのか伝えてくれる事を、期待。



『ななついろ★ドロップス』01.「運命はなにいろ?」

 正統派魔法少女物。
 しかし、視点がマスコット・キャラクターである羊のぬいぐるみにあり、その正体が実はヒロインとクラスメートの少年だ、というのは少々の差別化。

 不慣れな魔法少女を導いていくのがマスコットキャラの役割だと思うのに、羊・ユキは つい先ほど姿を変えられ、任務を課せられたばかりなので、事情に不案内、というのも珍しい。
…都合に応じて(レクチャーを受けたから?)、たまに魔法関係の知識を見せたりするが。
 あり得ない事態に対し、恐るべき順応性を発揮するヒロインに、ユキは引っ張って行かれてるぐらい。
魔法文字を初見で読んだりしていた事から、ヒロインは元々魔法世界の住人だ、とかいう設定があるのかも知れない。

 少年が理不尽な運命を背負わされる切っ掛けが、少々強引なのは気になる。
ヒロインにぶつかって水を掛けられた すぐ後、謎の男とも ぶつかって、取り違えられた缶ジュースを飲んだ事により…というモノなので。
 いずれ、実は全て遠大な計画通りの事、というような理由付けが成されるのかも知れないけど。
 せめて、少年側に何らかの負い目(魔法界に損害を与えてしまった、とか)があったり、こんな状況でも喜べる内的要因(ヒロインの事が前から好きだったから一緒に居られてドキドキ等)があれば、受け入れやすい。
 まあ、ライトなコメディーなのだろうし、細かい事は考えないで良いのか。

 キャラは可愛いく、別段 大きなマイナス要因が無いため、特に「魔法少女成分が不足気味」の人には向く内容。
 取りあえず視聴継続。


2007年7月5日 木曜日

『ぼくらの』13.「地球」

 少年少女らが命を賭けて戦わされている、その宇宙(多元宇宙)スケールの全体像が、朧気ながらも明らかになる話。
 なるほど、並行進化の淘汰を賭けた戦いだった訳ね。
多様性を保つため、近い進化を遂げたもの同士で戦わせている、という事は、珪素生物が進化したような地球と戦う事はないのかな。

 押し寄せてくる侵略者(何者かが差し向けた戦闘ロボット)から、地球を護るための戦いだと思っていた(薄々気が付いていた者も居る)子供達は、見方を変えれば自分達の方こそ恐るべき侵略者となる事実に、戸惑う。
 ロボットを操縦した者は死ぬルールだけでも酷いのに、この現実はキツ過ぎるものだろう。

 余りにも非情な状況なので、逆に「この戦いを仕組んだ何者かは、悪くない」方向で考えてみる。
 地球人、あるいはパラレルワールド地球人の進化程度からして、遙かに超越した科学力を持つ高次元の存在が、この戦いの主催者。
もう、「神」と言って良いかも知れない。
 人類社会にある宗教の、割と卑近な神の概念からすれば、まだしも公平なルールに基づいた戦い。
 淘汰を行う際…例えば箱船に乗り大災害から生き残る人間を選定する(選んだ者以外皆殺しにする)のに、神の意志で「生き残るのは、『私』への信仰が深く、『私』の基準からして正しく生きているこの者達」とするのと、それとは関係なく、仕組まれたものであっても戦って勝ちさえすれば、生き残るチャンスを与えるのと、どちらが いくらか公平だろう。
 特に「信仰を問わない」辺りは、なかなかに得難い神としての資質アリだと思う。

 その戦いを、肉体的能力に寄るものではなく、多少の文明差などチャラにしてしまうぐらいのオーバーテクノロジーで作られた巨大ロボットに乗せ、行わせるのも、公平。
 どうもジアースが汎用の戦闘能力を持っているようで、少々有利な気はするけど、与えられるロボットがランダムに決められているとするなら、仕方ないところ。
 人類側には、特に日本人に「長年に渡る『巨大ロボット物』というフィクション作品による、戦闘シミュレーション知識の蓄積」がある、というのも、有利。
いや、「巨大ロボットフィクション作品の文化」を持つよう進化を遂げた地球同士の戦い、かも知れない。
 政府も、操縦者となる子供達には、義務としてロボットアニメを、出来るだけ多く見せておいた方が良いんじゃなかろうか。
戦いのヒントが掴めるかも知れないので。

 神の代理人・コエムシは、とてもじゃないが可愛く優しいキャラクターではないけれど、どのみち「自分達人類と同等の生存権を有した者達を排除して、生き残れ」と伝える以外に無い訳で、非情なルールを身に染みて理解させる事の方が優しさなのかも。
 今回、死に瀕したマキに、夢だった「弟と共にある瞬間」を(幻でも)プレゼントする辺りは、随分いい奴じゃないか、と。
それともアレは、マキが勝手に見た幻、あるいはジアースの能力を活かして自ら勝ち取った一瞬の幸せだったのかな。

 もう多数の死者を出してしまっている この作品で、ハッピーエンドは難しい…と思っていたが、パラレルワールド的な考え方を用いるなら、何とか出来なくもない。
 主人公らの属する宇宙と、ほとんど全く変わらない…微細な違いとして例えば「宇白兄が妹に優しい」宇宙を選び出し(そういう意図的選択が可能と仮定して)、そこを護るためジアースで他の宇宙全てを排除し、最後に自分達も自爆して果てれば。
 死傷者の少ない…宇宙によってロボット戦を経た数に差があるようだから、運が良ければ、こんな悲惨な戦いがあったことさえまだ知らない状態で、「自分達と変わらない存在を宇宙に残す」事が出来る。
 自分達と、別宇宙の「自分達」を、同一の存在として理解できるかどうかは、テツガクの範疇に入る話だから、割り切れる・割り切れない、それでハッピーエンド・とんでもないバッドエンド、どちらなのかは個人の考え方次第だが。

 子供達を狙う他国の?工作員が登場。
 自分達の宇宙を賭けて戦わされている、なんていうベラボーな話、そうそう信じられるはずが無く、どうにかして巨大ロボットの技術を手に入れたい、と現実的に考える者達が出て来るのは、分かる。
 それとも、「この機会に滅びる事こそ人類の宿命」なんていう思想を持つ連中なのかな。



『ZOMBIE-LOAN ゾンビローン』01.「死神の目」

 冒頭から、落ちている人間の手を踏んづけてメガネっ子がコケ、大量に抱えていたパンを撒き散らし、その前には意味ありげな男の子が二人立っていて、彼らを見つめるメガネには何か不可思議な能力があるらしい…というような雑多な情報が示される。
 まあ、「パンをくわえて駆け足で登校していたら曲がり角で男の子とぶつかった」パターンの変形ではあるけど、最初は情報量を抑え目にしないと、「この先はどうなるんだろう」という興味より、「面倒臭い」と作品自体を敬遠させる気持ちにさえさせてしまう。

 第一話なので、多少無理が出るのは仕方ないが、「たまたま犬ゾンビ狩りに遭遇するヒロイン」とか「家に帰れば、たまたまヒロインへの処遇で言い争っている義父母?を目撃」とか、偶然を多用しすぎていて、元々現実味とは縁遠い物語を更に作り物っぽくしている。
 ヒロインの特殊能力についても、視聴者が疑問や興味を持つ前にセリフだけでダダーッと説明してしまうため、面白いも面白くないも感じようが無く。

 特殊能力を持つヒロインの苦悩、突然出会った二人の男の子に寄せるヒロインの気持ち、男の子二人の設定…どれか一つに焦点を絞った方が見易くなかったろうか。
いや、これぐらい一話で消化できなくはないと思うが、語り口が上手くないなら、語る内容を整理するのが有効。
 パターンではあっても「ゾンビ犬を退治する」所を第一話のクライマックスに設定し、そこに向けて全体を再構成した方が、スッキリしたと思う。

 作画的には特に魅力を感じず、全体に漂う(アクションに余り興味が無さそうなところからも)「女性向け作品っぽさ」にも馴染めないため、ここまでに。


2007年7月4日 水曜日

『School Days スクールデイズ』01.「告白」

 原作ゲーム未プレイ。
 こっ恥ずかしい学園ラブコメ作品として、無難なスタート。
 テンプレート通り…とも言えてしまうが、女の子達は可愛く描けているし、特に取り得の無さそうな男の子を「実は密かに女の子達の間で人気がある」という設定にして、視聴者に「夢」を見させてくれる構成も手堅い。

 通常、二、三話ぐらいかけて描きそうなストーリーをギュッと一話に圧縮してあり、切なさ・いじらしさ・青春っぽさといった感情を、駆け足な内容自体より、視聴者の中にこれまで蓄積された似たパターンへの連想に訴えることで、成り立たせているような。
 作画レベルは高く、屋上の鉄柵に押し付けられる女の子の体の表現など、なかなかに えっち。
 今回ラストで、意味ありげに数人の女の子が姿を見せており、三角関係が四角、五角に展開していきそうな予感を醸し出す。

 全体に、悪くはないけれど特別な個性も感じられず、しばらくは付き合おうと思うが、最後まで…かどうかは分からず。
 と、いう作品にしか見えないのに、何だか原作は、この第一話からは想像も付かない展開を迎えるとか。
 どーゆー事になっていくのか、ちょっとその意外な展開までは見続けたい。



『ドージンワーク』01.「はじめての×××」

 原作は、ほんのちょっと読んだぐらい。
 その印象でしか語れないが、随分と気合いが…アクとか毒が抜けた内容になっているような。
「調子に乗るな」とヒロインが凄むシーンなど、何となく流してしまってはギャグとして成立しない。

 オタク風の痛い・あるあるネタが入っているため、それはそれなりに見られるが、作画の頑張りも弱く、そう広い層には受け入れられそうにない。
ターゲットであろうオタク層こそ、アニメとしてのクオリティーに過度なぐらい厳しいんだけどな。
 エンディングの踊りも、今やると どうしたって『ハルヒ』や『らきすた』辺りと比較されてしまうため、中途半端な出来にしかならないなら、全く違う演出で見せる選択もあったかと。

 普通なら、本編終了後、せいぜい数分間程度オマケで付ける扱いだろう声優さん自身が登場して繰り広げるトークコーナーが、放送時間のほぼ半分、10分以上展開されるのに驚く。
 こんなもの長々見せられても…と思っていたが…
 いや、女性声優さん二人の ゆる〜いトークは、ヘタすると本編より面白い。
同人誌を作ろうという企画に対し、「私は都の美術コンテストで優勝したことがある」と心強いことを言う声優嬢が、更に聞くと「実はソレは彫刻刀を用いた版画での受賞」だった、という微妙なオチを着けてくれるのに、大笑い。
 笑い、という点では、アニメ本編より ずっとレベルが高い。

 トークコーナーを楽しみに、しばらく視聴継続してみようかな。
 そういう姿勢なので、アニメ部分への感想を今後書くことがあるかどうかは、不明。


2007年7月3日 火曜日

『ヒロイック・エイジ -HEROIC AGE-』13.「時空流の戦い」

 うーん、前に「登場キャラが、そこそこ賢くて常識的なタイプばかりで面白味に欠ける」とは書いたけど、それは「バカを出せ」という事とイコールじゃない。
 人類社会のため、最善と信じる方策を講じているのだが、それが主人公らの行動を阻み、物語進行の足を引っ張ってしまう…という方向性を持ったキャラクターを登場させる事も、可能だったかと。

 また、ディアネイラ兄達を まるっきり無能力者扱いしているが、木星を爆破して もろともに敵を倒そうという考え方に限っては、そんなに間違ってもいないかと。
太陽系惑星を犠牲に、脅威を跳ね飛ばそうとする作戦は、『さよならジュピター』『トップをねらえ!』等でも お馴染みのモノだし。
 自軍の犠牲を省みていない思いつきの行動、とか、出征目的自体を揺らがせかねない行為、という事で、愚挙ではあろうが。
 拳銃一丁で戦車隊と戦うぐらいの戦力差がある訳で、自分ちの住居である高層マンションを爆破しコンクリート片を戦車の頭上に落としてでもダメージを与えないと、勝ち目など無いだろう、とは思う。

 ただ…
 兄達を「バカ」に描かず、こういった思考に基づき やむを得ず極端な手段を取った指揮官、としてしまった場合、今度はディアネイラの正当性に疑問が生じてしまう。
 ディアネイラ側が どれほど優れた作戦行動を これまで取ってきたか、というと、余り覚えがなく。
 「略奪者」で「自軍被害を無考慮」で「アホ」の兄達と比べれば、取り立ててマイナス要因が無いだけ人間的にマシ、って話では?

 今回、時間を跳躍してベルクロスを襲おうという攻撃は面白かったが…
余りに何度も(本当は二万回?)、「攻撃→ダメでした」シーンを見せられるため、お腹一杯に。
 同じ事ばかり繰り返しても無駄な訳で、ベルクロスが どの時間、どの位置に存在するかの情報を持っている事を利用し、特定の「ベルクロス存在」位置に向け、「ベルクロス存在」時間にそこへ一斉到着するよう調整し、槍(あるいは代替武器)を数十本あらかじめ投げておく、とかいう作戦を考えれば。
…『ジョジョ』っぽい攻撃だけど。
 確率的な攻撃らしいので、物理的に槍の本数を増やしても無駄、なのかな。
数十本の槍があっても、「確定した過去としてベルクロスがそこに存在した」事実を覆されれば、そこまでだし。

 凶暴なベルクロスしか見えず、「エイジ」が何を考えて戦っているのか、まるで分からないのは不満。
彼に振り回される他のノドス達の方を、まだしも応援したくなってしまう。
 元々エイジ姿でも、感情移入を誘うような描き方はされていない事から、そういう風に見て欲しいとは思っていないのかも知れないが。

 それでも、兄弟が次にどんな愚策(とされるもの)を用いるか、とか、ノドス・バトルは どういう形で決着するのか、ディアネイラが主導権を握れば(いずれそうなるんだろう)「見事な戦法」で人類を勝利に導けるのか、等々、先が見たくなる要素はある。
 今回で、シリーズの折り返し地点なのかな?
 今はほとんど役に立っていない人類が、きちんと戦力になって銀の種族と戦う…あるいはもっと大きな敵(金の種族?)に対し共闘するような、燃える展開を望みたいところ。



『ウエルベールの物語』最終13話.

 とにかく緊張感に欠けているし、提示された「問題」も何となく解決してしまう物ばかりで、視聴者を引き込む仕掛けの弱いアニメだった。
 「巨大戦艦を敵国が建造中、これが完成したら敗戦は必至」という危機的状況に際し、「それじゃ潜入して破壊したらどうだろう」などという思いつきを実践してみると、特に危なげなく破壊成功。
…そんなに警備は穴だらけだったのか?
 攫われた姫様を助け出すにも、警戒厳重だろう城に、適当な計画で容易に侵入。
 これほど簡単なのなら、戦争になっても、敵国の国王や王子や重臣を次々暗殺することで内政を大混乱に陥れ、終戦に持ち込めるのでは。

 ヒロイン達が旅の目的地に辿り着けておらず、使命を全う出来てないのに、取りあえず戦争を回避できたから良し、とする終わり方も どうだろうか。
 『ヤマト』で、イスカンダルには着けなかったが、地球の技術陣が独自に放射能除去装置を開発してくれたから まあいいや、みたいな。
 目的が「戦争回避」にあり そこに到る手段や経緯はどうでも良かったとしても、物語の主眼が「王女と盗賊、二人の全く違う女性が苦難の旅を通じて友情を育んでいく過程」にあるにしても、やっぱり消化不良な印象は拭えず。

 いくらか謎っぽく引いてきた快楽殺人王子の行動動機が、実に妥当というか、意外性の無い「普通」のものであったのは、拍子抜け。
 サンガトラス国王に さほどのキャラクター付けが無いため、第二部に続くのなら、このキャラクターは悪役として必要だったと思うけど…割合アッサリ片付けてしまって、良かったのだろうか?

 ヒロイン達は それなりに魅力的だったと思うし、緊張感皆無の旅も それはそれで気楽に見られたが、第二部まで付き合える作品かどうかは…


2007年7月1日 日曜日

『美少女戦麗舞パンシャーヌ〜奥様はスーパーヒロイン!〜』最終13話.「穏やかな最終回」

 低予算を極めたような内容で、出てくる怪人・宇宙人など、東急ハンズかドンキホーテで売っているようなマスクを被っているだけだし、レギュラーの役者以外ほとんど誰も登場しない回があり、そんなに忙しいとは思えない猫ひろし神様さえ滅多に呼べなく(呼ばなく)なる騒ぎ。
 そこを逆手に?取り、工夫で何とか見せようなどとは考えず、逆に安っぽさ全開のバカ話を繰り広げる開き直りに、随分と笑わせてもらった。

 特撮(と言って良いモノか…)のヘナヘナさや、キャラクターの行動・言動について、作中では滅多にツッコミが入らないため、視聴者側で「何でだよ」「ソレは無いだろ」「そんなアホな」と言いながら見る事を求められており、子供よりは、もうちょっと大きなお友達向けだったろうか。
 そもそも、「子持ちのお母さんが恥ずかしい格好に変身して しょーもない敵とダラダラ戦う」内容を、お子様が喜んで見るとは思えないが。
 いや、戦えばまだマシで、買い物や食事の支度のためだけに変身したり、バカ夫婦(一応二人とも変身しているとはいえ)のベタベタらぶらぶデートを延々見せられたり、といった、子供が喜べる訳ない構成も度々。

 スーパーヒロインのセコい組合が登場し、パンシャーヌへの糾弾を始めるなど、発想として面白いところも多かった。
その組合で、罷免にすら値するスーパーヒロインとしての違反行動を咎められ、絶体絶命の窮地に陥ったが、「変身前は変身後と別人格と見なし、規則の適用を受けない」ルールを活用して無罪を勝ち取る…馬鹿馬鹿しいながら説得力ある法廷物としての面白さ(褒めすぎ)があり、なかなか。
 総じて脚本は、簡単そうで描き出すのが非常に難しい「通り一遍ではない下らなさ・安っぽさ」を毎回感じさせてくれ、大した物だったと思う。

 絶賛するには抵抗があるけど(^ ^)、毎回楽しみに見ていた作品のため、短く終わってしまったのは寂しい。
 マンネリになり、苦し紛れに破綻した、トンデモないネタを捻り出し始めてからが浦沢脚本の真髄だと思うので、せめてもう一クール続けて欲しかった。


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