ときどき日記 2007/08

2007年8月31日 金曜日

 映画『トランスフォーマー』を見る。
 『アルマゲドン』『パール・ハーバー』のマイケル・ベイ監督作品。
 アニメ版については真剣な視聴者でなく、シリーズを通して見たのは、アドリブ満載で爆笑ギャグ作品に化けていた『ビーストウォーズ』ぐらい。
なので、当然ながら「こんなの『トランスフォーマー』じゃない!」も「これこそ『トランスフォーマー』だ!」も言えず。
 マイケル・ベイらしい映画だなあ、と思うのみ。

 この監督の作品はいつもそうだけど、これも「映像の美しさに拘った、圧倒される大迫力の映画で、満足」と言えるし、「画面を賑やかにする事ばかりに神経が行って、内容が何も無い」とも言える。
 でもまあ、イメージだけど、『トランスフォーマー』を見に行くのに胸を打つ感動や人生の真実を期待する人も珍しかろうから、マイケル・ベイで正解。

 CG技術の進歩により、変形シーンが実に面白く撮れている。
今、ドコがどうなってロボット形態になったのか、具体的にはよく分からないけど。
 映画からの帰り道、行き交う車が、ふと変形しそうに思えてしまうぐらい、認識を浸食する説得力があった。
 ただ、ロボットのデザインや色にそれぞれ余り大きな特徴がないので、誰が誰なのか、正義と悪のどちらが勝ったのかさえ、分かりづらい。
 この辺、日本のデザイナーの方が、慣れている、というせいもあり、上手いと思う。
大河原邦男やカトキハジメ、出渕裕とか河森正治あたりにデザインさせていれば、こうはならなかったろう。

 ストーリーに、無駄、と思える部分が多いのは、「相変わらず」ではあるけど気になるところ。
 嫌な奴が居る特殊組織、主人公の持つメガネの意味を失わせる意図、ロボット戦を見たい観客の生理を置いて、どーでもいいキャラクター達の基地籠城戦を見せる所など、なんで こうしたかなあ、と思わせる部分が多々(ストーリーに応じた理由は分かるけど、そういうストーリーにした理由が分からない)。
 しかし、庭でロボット達がドタバタする長くて くどくてベタなギャグや、主人公のオカンが勘弁して欲しい部分へと平気で踏み込む無神経な言動を見せる所は、無駄だと思いつつも、ちょっと好き(笑)。

 ロボット群を、「頑張れば現用兵器で倒せる」相手に設定するのが、アメリカ的。
ミサイル数発で、ゴジラ(米版)を殺傷する考え方に通じる。
 「人類の…米軍の戦力を無効にしてしまう恐ろしい敵」っていうのを、彼の国はなかなか認められないのかな。
 『インデペンデンス・デイ』のUFOは強かったけれど、それは「シールド」技術があったからで、本体は実に脆いモノだったし。
 この映画の場合、操縦して戦うタイプのロボットではなく、現用兵器の攻撃が通じないとすると、人類はタダの傍観者になってしまうという都合もあるか。

 『ダイ・ハード4.0』でもそうだったが、スーパーハッカーは必ずデブでママ(グランマ)と同居してなきゃならない お約束がある?
 お姉ちゃん自身も解析力を持つキャラクターだったのだし、設定として能力値を上げれば、彼を出す必要はなかったと思うが。
 「ハリウッド映画には、『オモシロ黒人枠』が必要」って事なのかな。

 なんでわざわざ人間の多い街に向かうんだオプティマスプライム。
目的地は まだ先だったとは言え、どうせ戦うなら、移動せず迎え撃った方が良かったかと。
 ビルやら人間があった方が、「遮蔽物」として有効に使えるから?
彼らの都市が、『エヴァ』第三新東京市のように、そこで戦いが起こることを想定して作られているとすれば、「常識的に」そこを戦場として仕方ないが。

 ツッコミを入れようとすると果てしなくあるけれど…「おいおい」「そりゃないだろ」という部分まで含めて楽しむのが、マイケル・ベイ映画を満喫するコツ。
 お腹一杯になるぐらい充実したロボット・バトルは素晴らしく、現実世界に超常の存在が混入していくワクワク感も十分に味合わせてくれるため、評価は問題なく「面白かった!」になる。
 続編に備えてか、オプティマスプライム達の処遇をアッケラカンとしたモノにしてしまう開き直り方も、愉快。
 次回作では、ロボット群の個性を彫り込んで欲しいところ。
アニメ版では そうだったという、巨大ロボット達が ごく当たり前のようにアメリカ社会に溶け込んでいる様子を見せるのも、一興。


2007年8月30日 木曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』22.「誓約」

 基地を占拠して指導権を奪うべく、軍隊が乱入。
 『エヴァンゲリオン』でも思ったことだけど、独立性が高い…とはいえ所詮は政府管理下の一組織に過ぎない相手に対し、武力を持って接収、というような乱暴な手を使わなくても良いような。
 多少時間は掛かるけど、基地司令部の解任、あるいは転勤、不正をデッチ上げて失脚させた後、軍部(政府)からの人員の大量流入により、合理的に乗っ取ることは可能かと。
 まあ、年金関係の組織とかでさえ政府の指示を受け入れてくれない現実があり、強力な武装を持つ機関に対するコントロールが容易だとは言わないけど。
 司令官のカリスマ性に引かれて集まった人員ばかりな訳もなく、組織の、より上層部からの命令、という事であれば、受け入れる人間の方が多いのでは。
 この作品の場合、軍部の命令を徹底させる監視役として、軍隊を導入した、って事なのかな。

 アメリカに負ける約束になっていた、というのも、よく分からない。
 中国だってロシアだって、怒らせて構わない国ではなく、また こんな戦いでの勝敗を従容と受け入れてくれる大人な国家ではないだろう。
 それらの国に勝ってきたのだから、アメリカとも一発勝負してやれ、などと思わないものかなあ。
軍部が徹底抗戦を主張し、基地側は、パイロット達の危険と厭戦気分のため講和による終戦を主張する、というなら分かるけど。
 アメリカは、自分の国が負けたなら、この「戦争」そのものの無効を主張し始める恐れがあり、色々考え合わせると、アメリカがナンバーワン、日本が次点の地位を確保し、有利な立場で生きていく選択は、合理的?

 『エヴァンゲリオン』に似ている点が多々見られる作品だけど、それは「パクっている」というより、「俺ならこうした」「こうするべきだった」「お前間違ってるよ庵野」という事を言いたいため、故意にやっている事なのかなあ、とか考えてみたり。
 20話「試練」で、精神汚染攻撃に対し、主人公らが強い意志と、仲間の存在で乗り越えて行く、あそこで強くそう感じた。
 分かり合えないことなんか無い、「気持ち悪い」などという終わり方はあり得ない、誰かが居てくれるのは嬉しいことだし、救いであるべき。

 よく分かる…というか、分かる気が、勝手に、する。
 というのも、『エヴァンゲリオン』を見終わって、余りの満たされなさに書いてしまった自分の、シナリオとも小説ともつかないシロモノが、丁度こんなテーマを訴えようとして、実に似た展開を迎えていたから(イタタタタ)。
 でも、『エヴァ』では、「分かり合える喜び」を、シリーズの途中でもう描いているんだよね。
その上で、更に深い所からの困難と絶望を見せていたのだから、こういうやり方では「不幸な深度まで到達させない事により、ハッピーに見せている」に過ぎない。

 訪れるクライマックスで、何か乗り越えていく…全く異なる優れた要素を見せてくれるのかどうか。
かなり不安だけど、期待もしつつ、見守りたい。



『ぽてまよ』08.「おかいもの」「WINTER HAS COME」

 この頼りない ぽてまよを一人で買い物に出すか、素直!
幼児並み(以下?)の知性しか持っていないし、事故に遭う危険性も多々あると思うんだけど…かわいい子には旅をさせろの精神なのか。
 素直には過保護な部分がまるで無く、どころか、ぽてまよが二階から落ちても特に騒がない達観ぶりなので、「何とかするだろ」と思っているのかな。
 実際、どうにか無事 帰ってきた訳で、彼は外見に惑わされない正しい対応を取れている、とも言える。

 前の話で語られた、みかんが素直を好きになった切っ掛け、に感心。
 昔、ぼーっとマラソンに参加していた みかんが道に迷い、戦力にならない順位でゴールしてしまい凹んでいた所を、事情など何も知らない素直が「お帰り」と迎えたこと、なのだが。
 もっと、素直の美点を大仰に…「雨の日、ケガした迷い子猫を懐に入れてあげる」的に見せるとか するかと思ったが、実にさりげなく、「たったそれだけ?」と「でも、人を好きになる始まりなんてこんなものかもなあ」とを同時に感じさせる、上手い作り。
 ベタベタに優しくさせると、素直のキャラクターに合わず。
 みかんの思い込み、という要素を強くし、しかしそれが素直の本質を捉えている、という描き方にするバランスが素晴らしい。
 時間をおいて「お帰り」を繰り返させる巧さには、ジーンと来る。



 ようやく、ぼちぼちと復帰。
 仕事のスピードが全体に落ち気味で、もうちょっと何とかしなければと焦りながらも、具体的な解決策は無く。
朝方でも軽くジョギングして、体力を底上げしてみるとか、そういう方向だろうか。


2007年8月22日 水曜日

『エル・カザド』21.「羽ばたく女」

 今更ながら このアニメは、旅を通じ、色々なキャラクター達が「仕事」や「果たすべき宿命」や「命」と引き替えにしてでも、護らなければならない大事なものがある、と気付いていく過程を描く作品なのね。
 事態の中心にいるエリスが、最もその気持ちから遠いのかも知れないが…いや、ナディのためなら何気なく命も賭ける所が見えることからすると、最初からそういう心境に到っているのか。

 ブルーアイズの変心。
もうちょっと緊張した事態下で、追い詰められた末に下した結論、という風に普通は描くものだろうが、鳥を捕まえようとするナディ達、盗聴したヒドい会話内容に怒るブルーアイズなど、どうにも絵としては呑気なため、切迫感に欠ける。
 でもまあ、それがこのアニメの持ち味。

 キャラクターは それぞれに重い背景を背負っているようだけど、余り悲惨な展開にすることなく、このまま不思議とノンビリした味を残して、クライマックスに向かってくれるのが良いかな。
 いっそラストは、ブルーアイズが所長になって探偵(よろず解決)事務所を開きました。
ナディとエリス、リカルドやリリオ、L・Aまでも所員として雇い、必要経費のかかりすぎに悩まされながら、みんなドタバタ仲良くやってます、ぐらいでも(笑)。
 その際、是非ブルーアイズには、元のメガネ・ドジお姉さんキャラに戻って頂きたい。



 まだまだ、悲惨な お仕事スケジュールが続いております。
 完全復旧までには、もうしばらくお待ち下さい。


2007年8月20日 月曜日

 テレビ朝日で先日放送されたアニメ『ふたつの胡桃』を見る。
 毎年この時期に放送されている、戦争をテーマにした単発アニメスペシャルの最新作。
 どうもこのシリーズは出来が良くなく、戦争の愚かさ悲惨さを描くのが目的なのだろうと思うが、ズレた描写が続いたりで、感心しない作品も多々。
 不安に思いつつ見たけれど、今回は、まずまず妥当な出来。

 現代の少女が、大空襲前の東京にタイムスリップする、という筋立てで、その時代の辛い生活を知らない子供の目線を通して世界を描くことにより、随分と分かり易く、破綻のない内容になっていた。
 戦時下の状況について、まだまだ描き足りていないとは思うけど、「理不尽に愛犬を取り上げられる」とか「お腹が空いてもロクな食べ物がない」辺りで、今の子供達にとっては十分「戦争ってイヤだなあ」と感じさせられるのかも知れない。
 クライマックスでは、実に無意味に(「無意味な死」という意味を持って)人がコロコロ死ぬし。

 ドラマとしては、「未来から来たヒロイン」という設定が、危機回避について価値を持っていないのが不満。
 もうじき大空襲が起こる、と知っていながら、その危険を周りに警告するでなく、唯一安全な避難場所についてさえ、ギリギリの状況に追い込まれないと口にしない鈍さは、「子供だから仕方ない」「別にエンターテイメントを目的として作られた作品じゃない」と考えても、ストレス。
伝えたのだが信じてもらえなかった、避難場所への道が全て炎でふさがれて…等々、少女の頑張りに関わらず危機状況へと追い込む方法なら、いくらもあったろうに。

 ヒロインの飼い犬と、過去少女の犬を入れ替えて現代に戻ってくる展開には、余り意味がなかったような。
ただ犬を失って帰るなら、「物見遊山」で終わらせないための戦争による喪失を示す演出、と捉えられたが…
 経験が夢でなかったことは、タイトルにもなっている胡桃の存在で明らかなのだし。
 まあ、「友達になった記念にアクセサリーを交換して帰った」ぐらいの扱いなのか。
自分が犬を飼っているせいで、つい気になってしまった。



 コミケ終了。
 参加された皆様、お疲れ様でした。
 ウチも、無理を押して出席したのですが、配布物を何も用意できなかった上、前日寝ていないため廃人状態で、訪れて下さった皆様とマトモに話も出来ず、おまけに仕事の都合で早めに帰らねばならない…という不義理を極めたような態度で、もうとにかく申し訳ありませんでした。
 次回こそは、必ずや…


2007年8月18日 土曜日

 まだ、お仕事中。

 何とかコミケでコピー誌なりと出したく思い、努力して参りましたが、もうどうにも時間が足らず、断念する事となりました。
 申し訳ありません。


2007年8月12日 日曜日

 ぼちぼちと締め切り前スケジュールへ。
 今月は、コミケにも一応は出るつもりなため、前倒しで作業しないと大変なことになりそう、というか、もう なっております。
 今週一杯…来週の月曜日ぐらいまで、更新はかなり難しくなるかと。
悪しからず、ご了承下さい。


2007年8月10日 金曜日

 レンタルで映画『デジャヴ』を見る。
 デンゼル・ワシントン主演、トニー・スコット監督。

 ほとんど前知識無く、タイトルとの関連から、「不思議な既視感に悩まされながら、それを利用して犯人の行動を先読みなどして捜査に当たる刑事の物語」とか「事件について、自分では覚えのない記憶が重なり、もしかしたら自身が犯人なのかも…と不安に感じる捜査官のお話」ぐらいかなあ、と思っていた。
 いや、大外れ。

 とにかく、予想を裏切る展開の連続。
それは、良い意味でも、悪い意味でもある。
安っぽくなるから これだけは止めておいた方がいい、と思う事も、期待を裏切り やってしまうので。
 という内容だから、出来るだけ情報を仕入れずに見るのが正しかろう。

 この映画は、例えば こういうタイプの作品に似ている、と感じたタイトルがあるけれども、それを上げると内容について大体予想が付いてしまうので、自粛。
 同じくデンゼル・ワシントン主演の『ボーン・コレクター』にも、少しだけ似ているかな。
 ハードな手応えの渋いドラマに仕上げる方法と、万人が楽しめるハリウッド・エンターテイメントにする方法。
映画の途中で、選択肢が二つ(実際はもっと多いけど)あったと思う。
実際の映画は後者寄り。
 それが悪い訳ではないけれど、うーん、自分としては、制約は制約として最後まで残し、その中で主人公らは精一杯出来る事をやった、しかし限界があった…ぐらいの終わり方だと好みだったかなあ。

 以下、内容に触れるので御注意。


 見えるのは良いけれど、自由自在に、というのは おかしくないか?
 その範囲を拡大する方法も、サッパリ分からない、って程ではないが、実感から遠い。
 犠牲者を救いたい熱意は理解するが、あんな無茶しては、自分の事故で死者を出してしまいそう(笑)。
 広範囲が何度も停電する傍迷惑さに、大笑い。
責任者の首が飛びそうだなあ。
 便利に、「何でもあり」に し過ぎると、かえって設定の、限定されているが故の面白さを殺すような。
特に、主人公が…の辺りは、やり過ぎ。
これなら、最初から「それに特化した装置」を出しておけば面倒がなかった訳で。
 哀しいけれど救いを残したラストは、良い感じ。

 全体に、先が読めない分、見ている間は退屈しない。
しかし、見終わってみると残る物は無く。
 お時間いっぱい楽しませてくれるハリウッド・エンターテイメントとしては、悪くない出来。


2007年8月9日 木曜日

『School Days スクールデイズ』06.「明かされた関係」

 うわー、こんなに酷い主人公は珍しい。
 普通、付き合っている女の子以外の子に好意を持つ・持たれるには、それなり以上の「分かる分かる」「そりゃ仕方ないよ」という事情があるものだけど、コイツの場合、「やりたい」本能全開だから、というだけ。
『うる星やつら』あたるが物凄く悪質になったようなキャラで、しかし、悩みや迷いが余り見られず自分が都合の良い方向へと突っ走る超絶の身勝手さは、いっそ清々しい。
 死んでも構わない、というより、死んじゃえばいいのに、と思わせてくれる事で、主人公と視聴者が同一化して生じる心理的負担が全く無いのも、気楽。

 性衝動バキバキ・バカさ加減絶頂の高校生時代、「やらせてくれない、めんどくさい彼女」より「スグやらせてくれる、扱いやすい女の子」を選ぶのは、現実的に考えると、まあ仕方ない。
例え、彼女の方が巨乳でも!
自由に触れない巨乳より、やりたい放題の普通(よりは大きい?)乳。
 いずれ面倒な事態になった際、殴られるなり刺されるなりの覚悟があるなら、自由にすれば良いんじゃなかろうか。
 ドラマ中のキャラとして見ると、やっぱり「死ねばいいのに」だけど(笑)。

 自ら宣戦布告をするような格好になってしまった言葉が、これからイジメられる事になるのかな。
 皆の怒りを、主人公が一身に集めて、ボコボコのズタズタにされる展開を希望。



『スター・トレック 宇宙大作戦』03.「地底怪獣ホルタ」

 シリコン生命体、という特異な、通常の医療行為が通用しない相手にもドクター・マッコイを差し向け、「医者なら何でも治せるだろう」とか無茶苦茶言うカーク。
そりゃマッコイも「私は医者だ、石屋じゃない」って、見事なアメリカン・ジョークで抗議するわ。
 エンタープライズには、相当数の乗員が居るはずで、鉱物についてドクターより詳しい人間も居ると思うが…頼りにしていると言うべきか、マッコイになら何を言っても良いと思っているのか。
 期待に見事応え、意外な工芸?の手腕を見せるマッコイが楽しい。

 連邦は、ホルタから見れば、ある日突然やってきて子供達を殺し資源を奪い取っていく、最悪の侵略者。
 ホルタとの共存は、人間からするとメリットがあるんだけど、ホルタには別に良い事無さそうな。
こんな条件で人間を許してくれるホルタって、恐ろしく知的で穏やかな生命体。
必要とする資源や命に対する考え方が、人類とは全く違う、と言うべきか。

 せっかくCGを用いてリファインするなら、ホルタの造形も変えれば良かったのに。
余りといえばあんまりな、色気のない、力一杯ぬいぐるみの姿なので。
 いや、そのダサさまで含め、味だとも思うんだけど。


2007年8月8日 水曜日

『ヒロイックエイジ -HEROIC AGE-』18.「勝利の日」

 前回、ターミナル・プラネットを力ずくで接収しようとする兄達を押し止め、ディアネイラが穏やかな交渉で航路を確保する…という事があった。
 人類に対し、特別に敵対的でない相手に武力を行使しても仕方ない訳で、「とにかく兄達を無能で、無益なまでに好戦的な存在として描きたい」意図に寄るものだろうけど、何というか こんなにアホに描かなくても良いのでは。
 前にも書いたが、戦況としては かなり厳しいはずで、「バカ」でなくとも「有能から遠い」だけで、人類の希望を預けるには不安なはず。
その上 性格的に傲慢、ぐらいあれば、十分憎まれ役の任は果たせそう。

 ターミナル・プラネットにしても、(銀の種族に脅迫されてか)地球側の通行は許さない、という意思表示をさせ、怒った兄達は単純に武力占拠を唱えるが、ディアネイラ側は、相手の立場を危うくしないまま自分達を通行させられる方策を講じ、エネルギーや物資の供与も条件に加えることで問題を解決してしまう…とか。
 どうも、「清く正しく真っ直ぐなディアネイラ」でキャラクターを通したいらしく、サイテーの兄達が頑張って こじらせてくれた関係を、聖女のようなディアネイラが解きほぐす、という基本パターンをもって物語を進めている。
お姫様はそれでも良いけど、せっかく艦長やらニルバールを配してあるのだから、彼らは知略を尽くすべきでは。
 「お姫様は、バカで好戦的で傲岸不遜な兄達よりマシでした」だけだと、弱く感じられて。

 今回、青銅の種族の幼生体育成惑星に対し、そうと知った途端、攻撃を停止する判断は、人として結構。
 「成長したら恐ろしい敵になる」という言葉は、兄達から発せられるべきだったかな。
徹底殲滅を唱えなかったようなのが、不思議。
 「アホか、アリの巣を全滅させる時に、卵は見逃そう、とか考えるボケがドコに居る」というのも、もっともな考え方(^_^;)。
 民間人・非戦闘員といった概念が存在するのかどうかも不明な、青銅の種族。
全滅させた方が憂いはなかろうし、中途で攻撃を止めた正気?が相手に理解されるかどうかも分からないけれど、相手のためと同じぐらい「戦う自分達のため」、人間の心を残して戦うには、重要な決断だったと思う。



 WOWOWで放送された映画『マダガスカル』日本語吹き替え版を見る。
 大都会の動物園で生きてきた、全く野性味を持たない動物たちが、やがて大冒険に…という3DCG映画。

 アメリカでは、かなりヒットした作品だと記憶している。
 とにかく映像はキレイで、ディフォルメされた動物たちがキャラクターとして印象的に描かれ、いくつか声を出して笑ってしまうようなギャグもあったが…
 うーん、笑いを追求した作品としては、突き放し方やブラックな味わいが中途半端で、友情物語とすると、どうにも「それでいいの?」という感情が先に立って、乗り切れず。

 ライオンが持つ野生の狩猟本能を、友情で無理矢理に押さえ込み、消し去りました…というのは、良い話?間違った話?
 各動物の本来の性質など無視して(キリンやカバについては、そうでなければならない理由を描いていないし)、「仲良し動物たちが危機また危機を乗り越えて大冒険する映画」で、良かったんじゃなかろうか。
 難しい問題について少し描き、しかし突き詰めて「目覚めかけた、本当の自分になること」と「友情のため、期待される自分であろうとすること」との間に、余り深い葛藤は描かれず、不満。
 せめて最後は、友達のままで居るため、もう一緒には暮らせない…という選択になるかと思ったが、それも無く。

 ギャグとしたって、とにかくチャカチャカ動いてマシンガンのように喋って笑わせようとするタイプの作りが好きでないため、余り楽しくは感じられない。
 ただ、恐ろしく有能な指揮官の下、規律正しく行動するペンギン達の部隊は非常に面白く、彼らだけで一本映画が作れるのでは、と思うぐらい。

 全体に、多くを望まず、その場その場の笑いを求めるなら、それなりに楽しめる映画だろうか。



 ふと気が付けば、700万を超える ご来訪を頂いておりました。
ありがとうございます。
 この先も、ボチボチやって参りたいと思っておりますので、宜しければ末永くお付き合い下さいますと、幸いです。


2007年8月7日 火曜日

『電脳コイル』13.「最後の首長竜」

 昨日、『河童のクゥと夏休み』の感想で、『ドラえもん のび太の恐竜』のタイトルを上げたけど、その後で見た今回の話こそ、元ネタが『のび太の恐竜』じゃないかと思う内容。
人工物を仲間と間違え、一人ぼっちの恐竜が寄っていく…という意味では、ブラッドベリの『霧笛』。

 首長竜イリーガルが生きていたグラウンド(空き地)、普段は誰も入ってこないんだろうか?
電脳メガネをかけていない人間なら、入ってもその存在に気が付かないんだろうけど。
実際、建築業者には見えていなかったみたいだし。
 しかし、工事現場なんかでこそ、電脳的データを自由にやり取りできるメガネが有効なような。
旧い空間だ、という事で、更新されていない空間データがあったりすると危険だから?

 知恵を絞ってコースを選定し、移動作戦を実行しようという筋立てが、面白い。
 もうちょっと早い時間から移動を開始していれば、朝日に当たらず済んだのでは…というのは結果論。
 大きさを制限する機能に障害があり、巨大化を続け、その体に見合った量のメタバグを食べ続けるクビナガは、今回の事態が無くとも、いずれ生存の限界を迎えていたろう。
だから、その消滅は必然だった、と考えられるけど、そんな言葉はデンパにとって何の慰めにもなるまいな。
 特に、クールに接しようとしながら、最後には わあわあと泣き始めてしまうフミエの気持ちが切なく、ホロリと来てしまう、良い話だった。

 デンパが恐竜の事を考えて歩いていたら、恐竜イリーガルが現れた。
前回のヒゲも、体毛の事を意識していたら現れたものだし、魚形態のは…ええと、どうだっけ?
 イリーガルの具象化は、近くにいる、あるいはそれを知覚する人間のイメージに左右される、という設定なんだろうか。


2007年8月6日 月曜日

 映画『河童のクゥと夏休み』を見る。
 『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲』『同 アッパレ!戦国大合戦』ら、傑作をものにしてきた原 恵一監督作品。
泣かせ、という意味では、『電撃!ブタのヒヅメ大作戦』や『エスパー魔美 星空のダンシングドール』も好きな映画。

 予告編で見た印象を裏切ることなく、地味で、集客力には欠けるが、真面目に、丁寧に、誠実に作られた良作。
 キャラクターに華が無く、河童のクゥも初見で「可愛い」と言えるようなデザインに(意図的に)していないのは、やはり難点。
ふわふわとしたファンタジーではなく、割に重い部分にまで踏み込んでいる映画のため、美少年主人公や嘘っぽく可愛い河童ではテーマから離れてしまうと思えるし、映画を見ているウチにはクゥも十分 愛しく見えてくるんだけど…吸引力に欠けるのは仕方ない。
 いや、友人に勧めたところ、「キャラが嫌だから、映画館にまでは行かない」と言われてしまったので。

 タイトルから想像できる通り、基本ラインは『E.T.』や『ドラえもん のび太の恐竜』等と同じ物語。
 それを、所々で笑わせ、「上手い!」と思わせ、泣かせてくれる作品に仕上げる、演出の力量が素晴らしい。
 特に女性の描き方にハッとさせられる部分が多く、主人公を見送って涙ぐむ母親や、クラスメート・紗代子の大人っぽさ(大人になるしかなかった哀しさ)には、文章にすると かなり長くなる複雑な感情が介在しているものと思われるが、「絵」「動き」としてそれを一瞬で伝えてくる。
 対して、不器用でガキな主人公も、自分の昔の姿に照らし合わせて、泣けるほどリアル。

 この映画は、「不思議な生物と少年の出会い、そして別れ」を描くものだが、中盤以降、「不思議生物の存在により見えてくる、『人間』の姿」を深く描いてある。
ここにかなりの時間を取り、しかも『E.T.』クライマックスの自転車チェイスのように、アクションで爽快感を出して終わり、に「しなかった」意味が、胸にズシリと来る。
 だから、ラスト近くでのクゥのセリフが染みる訳で。

 主人公家の飼い犬・オッサンは、非常に良いキャラクター。
犬好きであれば(そうでなくとも)二回ぐらい、ホロリと来るシーンがあると思う。
 ただ、犬好きすぎると、主人公一家に「それはないだろう」と言いたくなる場面がある…かも。
後で十二分にフォローが効いているから、映画を見終われば問題ではないと分かるけれど、その場面から少しの間、物語に入り込めなくなってしまった。
そこまでの過剰反応は、監督も想定していなかったかな(^ ^)。

 以下、映画の重要な内容に触れるので、未見の方は御注意。



 マスコミにバレた瞬間、もう一緒に暮らせなくなる未来が確定するのは、こういう物語での鉄則。
主人公はともかく、両親まで、なかなかそういう所へと思い至らないのに、驚く。
 とはいえ、探しても他の河童は見つからず、一家に「安心してクゥを預けられる、自然溢れる故郷」は無かったようで、タイミング良く「仲間の元に帰す方法」が設定された『E.T.』や『のび太の恐竜』みたいには行かないのか。
 それにしても、テレビ出演までさせてしまうのは、迂闊。
隠しきれないなら逆に堂々と公開した方が…と考えたのかも知れないけど、大勢の好奇の目に晒したら、何が起こるか分からず。
 一緒に暮らす内に、「家族」という認識になってしまったのかな。

 クゥに腕を取られてしまった おじさんは、ちょっと気の毒。
彼自身には何の悪意もなく、それが家宝であったのは確かなのだろうし。
 納得して譲渡したのかなあ。
流れから、その後「返して」と言い辛くなったのか。

 主人公を虐めるクラスメートの男の子達も、本当は別に悪い子じゃないんだろう。
「河童は居ない」と嘘をついて自分達から隠し、しかしマスコミに騒がれて ちょっと浮かれている主人公を見ると、面白くないのは分かる。
 主人公だって相当に不器用で、対外的な関係の築き方も上手くないため、仮に、彼を虐めたクラスメートの誰かがクゥを拾っていたなら、同じように友好的でなく対応していたかも知れない。
そして、そのクラスメートは、クゥとの間に友情を培っていたかも。

 携帯のカメラを構える通行人達、というのが度々、印象的に使われている。
 「酷い言葉を投げ掛ける」ではなく、「無関心」でもない。
携帯を向けるのは、相手を「観察対象」や「後で話題・自慢にするための事物」としてしか見ていない事を示し、新しいディスコミュニケーションの形を示すのに有効な絵。
 皆、悪い人ではないのだと思う。
他者の痛みを思いやり、もし自分が写される立場だったら、と想像する力が欠けているだけで。

 クラスメートも、街の人々も、少しだけ運命が変わっていたら「クゥの家族」になっていたかも知れない。
もう一歩踏み込んで、他者を思う気持ちがあれば、せめて紗代子の立場には なれていたろう。
 しかし、その一歩は果てしなく遠い。
 「俺を見つけてくれたのが おめえ達で良かった」と、言ってもらえる自分達に皆がなれば、クゥの居場所を奪った街の有り様も、変わっていくのだろうが。

 でも…
「テレビカメラを壊す」「カラスを爆散させる」能力を自分がテレビで見ていたなら、とても人間の中では暮らさせられない危険な生き物、最低限、どこかの施設に隔離して「保護」すべき…とか思っていたろう。
 人とは、救われない生き物で。

 別れが、宅急便の車によってもたらされるのは、現代的。
 着いた先に、同じ妖怪は居るが、河童はついに見つからないシビアさも、また良い。
 主人公、送り先の住所は分かっているはずで、頑張ってお金を貯めて会いに行くことも不可能ではないような。
当分の間は、クゥの行方を捜そうと一家を監視するマスコミの目があるだろうから、うっかりした行動は取れまいが。


 色々なことを考えさせられる、価値のある映画だった。
 機会があれば、見て損はしないと思う。


2007年8月5日 日曜日

『天元突破グレンラガン』19.「生き残るんだどんな手段を使っても」

 ロシウ、今更シモンの真意を測ったり試したりする意味も無かろうから、本気で処刑するつもりなのかな。
 確かに、シモンでは「地下施設への避難」とか「事前に計画しての巨大宇宙船の建造」なんていう対抗策は思いつかなかったろうから、作戦立案・実行能力はロシウが上。
ただ、こういうタイプは、完璧と思われた計画に綻びが生じ、自信を失ったら脆い、というのがパターン。

 聖人の物語でも無し、シモン、このまま処刑されはしないだろう。
投獄されているヴィラルと協力して脱獄、あるいは都市に残る仲間達の手引きで、もしくはヨーコ等外部勢力により…何とでも。
 グレン団の戦いは、結果的にもっと強大な敵を呼び込む事となり、絶望的な状況を招いた、という意味で、断罪されて仕方ないものか。
 息を殺すようにして地下で生活し続けるのと、どちらが幸せだったのかは、難しいところ。
「どんな暮らしだって、死ぬよりはマシ」というのも、間違っていないので。

 勝てば英雄、負け(っぽい状況に追い込まれ)れば、望みもしない戦いを勝手に巻き起こし市民に犠牲を強いた極悪人…というのが、指導者への評価。
 別に感謝して欲しくて戦ったんじゃない、とはいえ、何もせず現状を享受しているだけの者達から憎しみを込めて糾弾されては、戦う気力が萎えてしまいそう。
「グレンラガン無しでは戦えない」戦況に、いずれ持って行くのかも知れないけれど、取りあえず量産型だけでも勝利を収められる様子を見せる追い込み方が、面白い。

 ロシウによる徹底した管理体制が引かれ、螺旋進化の道を失い、ただ無気力に生きるだけになってしまった地球を捨て、シモンらが巨大宇宙船を奪い取って宇宙に出、ドクロの旗を揚げて「宇宙海賊」を名乗るようになると、『キャプテンハーロック』っぽくなるなあ。


2007年8月4日 土曜日

『ぽてまよ』05.「春眠暁を覚えず」「春の嵐」

 作画が安定して良いこともあり、キャラが可愛く、ギャグのヒット率もかなり高い(大笑いするギャグではないが)上、ネタの羅列に終わらないよう、一応はドラマ…個性あるキャラクターの日常が、世界観に即して不自然でなく描けている。
 前回は「親と別離する子供の寂しさ」、今回は「過保護と放任」辺りがテーマに据えられているのかな。
漠然とネタを流しているだけに終わらせず、一話毎に意味付けをしようという意図が感じられ、これもまた面白い。

 姉・みかんへの所有欲(頼りない姉への保護欲?)が強い弟、登場。
これでメインのキャラは勢揃い、かな。
 クラスメート三人娘は、これまで余り印象に残っていなかったけれど、今回は随分と印象深い活躍…ボケを見せてくれた。
本筋には絡まず、「一方その頃」みたいなネタを示し続けるのが、彼女らの役割?


2007年8月3日 金曜日

『クレヨンしんちゃん 真夏の夜にオラ参上!嵐を呼ぶ電王VSしん王 60分スペシャル』「仮面ライダー電王VSしん王だゾ」

 最初の方は うっかり見逃してしまったが、スペシャルの目玉だろう『電王』の部分は見られた。
 なかなかに凝った内容で、実写のキャラクター達を『クレしん』風にデフォルメし、本物の俳優さんがアフレコする形で登場させており、楽しい。
 ストーリーとしても、『電王』のフォーマットに乗せつつ、馬鹿馬鹿しさ満載。
イマジン達の口癖がセリフとして織り込まれていたり、しん王変身時のギミックがそれらしかったりと、パロディー的な懲りようも。

 しんのすけのイマジンとして登場する ぶりぶりざえもんに、ホロリ。
「喋ろうとすると砂になってしまう」のは、仕方ないだろう。
 しかし、小さな子供達には、何故ぶりぶりざえもんが喋らなくなってしまったのか、分からないのでは?
 この作品の名物キャラなのだし、そろそろ新しい声優さんを決めても良いような、しかし このまま最後まで声のないキャラで通して欲しいような、フクザツな気持ち。

 書き損ねていたけど、『電王』本編でも劇場版への橋渡しとなるエピソードを二週間連続(次回も?)で放送しており、かなり頑張って盛り上げようとしている事が感じられる。
 こんなに本編と映画が強力にリンクする『ライダー』は、初めて?
最終回のバリエーションを先行して見せた劇場版『龍騎』とか、パラレルな「最終回のその後」を見せる『剣』があるし、『アギト PROJECT G4』では本編とのリンクも見られたが。

 予告で見ても楽しげな雰囲気があり、深刻な内容が多かった これまでの平成劇場版の中では異色の、お祭りを思わせる(東映まんが祭り?)仕上がりになっているのでは。
 何度も呼び出される良太郎が可哀想で、事情を知っている未来から呼んでくれば良いのに…と思うけど、立ち塞がる強敵のため、彼が未来にも存在できるかどうか不明確になっているのかな。
 「幾人もの自分を、時を越えて呼び出し、酷使する」ネタは、『ドラえもん』「ドラえもんだらけ」を連想させる。
今、SFストーリーを作ろうとして、「『ドラえもん』が元ネタでは無い」、と思わせられる物を考え出す方が、至難のワザだろうけど。


2007年8月2日 木曜日

『天元突破グレンラガン』18.「聞かせてもらうぞこの世界の謎を」

 しばらく感想を書いていなかった。
 前半のクライマックス、テッペリン攻略・対螺旋王戦は、怒濤の盛り上がりだった。
 テッペリン・ガンメン形態の巨大感は圧倒的だったし、恐ろしいほど強い螺旋王の描き方が良く、諦めず戦い続けるシモンの闘志によりもたらされた、ドリルパワーの勝利も爽快で、実に正しいロボットアニメの最終回だったと思う。

 ここ二話は、「信じ合う仲間達が命を賭け勝ち取った『人間らしく生きる権利』の、その先にあるもの」を描いている。
 僅か七年でここまで科学文明が発達するか?とは思うものの、かつての仲間達が置かれている状況には、意外に思うものがありつつ、不満は無く納得できてしまう。
キャラクターの捉え方が上手い、という事なんだろうな。

 切れ者のナンバー2に収まったロシウが、イイ感じ。
適当で乱暴で計画性に欠けたり、専門分野以外には興味なさそうな旧グレン団の中、マトモに政治が出来そうなのは彼だけ。
 都市がここまで発展でき、取りあえず大きな問題なく市民生活を送らせているのは、彼の必死な働きに寄るものだろう。
 シモンには、人としての魅力があったとしても、物事を計画的に・要領よく運ぶ能力が無さそう。
 その代わり、ロシウには(部下達からのものを除き)人望を寄せられる素養が薄く…二人の関係は劉備玄徳と孔明に似ているかな。

 まだ生物同士の戦いだった螺旋王との戦いに対し、全く人間味のない月からの来訪者。
 攻撃・防衛力が凄いのも困りものだけれど、周囲を巻き添えに自爆する最後が、一番厄介。
地上の生物を殲滅する目的なのだろうから、実に理に適った行動だが。

 非常時にこそ、試される人の関係。
 思考を浸食されたニアは仕方ないとして、シモンとロシウの対立は、なかなか扱いが難しいものになりそう。
まあ、捉えておいたが逃げられた、という形にして、逆にシモンを重責から開放し、行動の自由を確保してやるつもりだ、とする事も出来るし、もう少し見てみないと。

 ブーブーと文句を言い続けるばかりの一般市民達には、フォローの入れようが無いような。
ゲーム『シムシティ』なんかをプレイしているとよく感じる、「文句があるならお前がやって見せろ!」という気持ちに。
 ただ、ヨーコなど、街から去っていった者もいる訳で、人の上に立つ事を自ら選んだなら、それだけの責任を負うのは仕方ないだろう。
 シモン達は、彼らにもう一度「護るべき価値」を見出せるのか、あるいは「お前らのために戦ってるんじゃねえよ」方向で納得するのか。

 敵ならば、どれほど強大であろうとも「ドリルで天まで突き抜けろ!」という勢いで片付けられるんだけど、人同士の考え方の違いは、それで済まず。
 ちょっと難しいところに入ってきた。
全部キレイに片付けて、また単純に「面白かった!」という気分で見終わらせてくれるのだろうか。


2007年8月1日 水曜日

『スター・トレック 宇宙大作戦』02.「400歳の少女」

 ドラマの内容としては、今見ると「普通」なんだけど、体がやられて すっかり怒りっぽくなってしまいながら、命綱の通信機を奪われた上、イライラさせられるような事を言われたり暴力を振るわれたりしてなお、あくまで説得して子供達の考えを変えさせようとするカークの「大人」な部分に、感心。
 マッコイには切れてたクセに(笑)。

 子供達が幼い遊びをしなくなり、多少なりと思慮深くなって「大人」に近づくことで、たちまち死が訪れる絶望の星では、「大人になることも、決して悪くない」事実を身をもって示すのが、救い。
 「数が居ようと、所詮は子供の体力。ブン殴って押さえ込み、力ずくで言うことを聞かせれば良いのに(それが子供達の命を救うことにも繋がる)」と短絡的に思ってしまった自分は、正しい大人とは言えず。反省。



 迷惑メール。

> Subject: なにやっとるん?あんたのお母ちゃんよ。
>
> 久しぶりにメールしてきたと思ったら、この子は。
> まぁ、ええわ。
> ええ機会やからなあんたに前から話さんといけんこと思っとった話があるんよ。
> カミングアウトするから落ち着いて聞きや。
> あのな・・・
> あんた、実は貴族の血を引いとるんよ。
> プレイボーイ貴族ドン・ファン家、そこの血があんたの体の中には流れとるんよ。
> いや・・・お母ちゃんがドン・ファンとやったんちゃうよ。
> そんなん無理やん?
> 細かい事は今度帰ってきたときに話すけどな、お母ちゃんが本当に話したいのはそんな事じゃないんよ。
> あんたはヤレる男の血筋を引いとるってことや。
> なのにあんた・・・いまだにセコセコ働いてるやろ?
> その事なんよ。
> あんなしょうもない仕事やめてしまい。な?
> 働く必要ないんや、あんたは貴族やからな。
> あんたには生まれた時から女をたらしこむ素質が備わってるんよ。
> これからはヒモになれる女探して、それで食うていけばいいんよ。
> 一人や二人じゃあかんで、せめて八人くらいは囲うんやで。
> そんでな、お母ちゃんいいところ見つけといたんよ。
> ここや。
> http://www.〜
> あんたの為にえらい探したで。
> あんたはお母ちゃんの言う通りやれば大丈夫や。
> お父ちゃん来年で定年退職やろ、うちの世話してくれる分も囲うんや。ええな?
>
> それでな、お母ちゃん今の日本の社会情勢を調べたんよ。
> そしたらビックリや。
> 今の女はよう働いてお金稼いどるから結婚する気がないんよ。
> そりゃ今の収入のあんたと結婚して養ってもらおうなんて思うはずないわな。
> 結婚してあんた共稼ぎしようもんなら、あんたより女の方がいいお給料もろうとるなんて恥ずかしい結果になるんよ。
> キャリアウーマンいうのは恐ろしいやろ?
> だからあんたは最初っからそんな事で張り合っちゃあかんのよ。
> その代わりな、金持ってる女は淋しい人生送っとるんよ。
> 「結婚する気ないけど淋しい」らしいんよ。
> あんたはな、そういう女のヒモになればいいんよ。
> あとは、その女の部屋に転がり込めばあんたがおらんと淋しくて何でも言うこと聞くようになるがな。
> どこの女もそんなもんなんよ。
> お母ちゃんもお父ちゃんをそうやって養ってきたんや。
> ええな、あんたはヒモの存在の大きさを教え込むんやで。
> 誰もヒモなしでバンジージャンプなんかやらんやろ?
> そんくらい大事なんやヒモは。
>
> ええな、ここやで!
> 貴族なんやからな、気高いヒモになるんやで。
> http://www.〜
> 他の平民に先越されんようにせんとあかんで。
> わかったらはよ行き。
>
> 追伸:
> 来年の正月は帰ってくるんか?


 久々に凝った、長文の、しかし下らないメールで、笑ってしまった。
 息子に対し、ヒモになることを大いに奨励する母親…イヤだなあ(笑)。
 ヒモって非常に難しい・大変な職業(?)。
「成り行きでそうなってしまった」ならともかく、狙った相手のヒモにスイスイと収まる能力を持っているなら、そこいらの会社で、そこそこの役職にぐらいは、就ける人間なのだと思う。
 8人もの女性と、ヒモの関係を問題なく維持するのは、並の神経を持った男では とても務まらない激務。
言われている通り「プレイボーイの資質」でも持っていない限り、体と精神を悪くしてしまう。

 しかし、「誰もヒモなしでバンジージャンプなんかやらんやろ?」という、オカンギャグの再現は見事。
オカンはよくこういう、空気が読めてないし面白くもない、ヘタすると子供の神経を逆なでするばっかりのギャグを言うからなあ。


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