ときどき日記 2007/09

2007年9月30日 日曜日

『天元突破グレンラガン』最終27話.「天の光はすべて星」

 元々「熱血と根性が全てを決める」バトル模様だったが、精神力だけがモノを言う世界を戦場としたことで、もう やりたい放題。
 銀河(?)を手裏剣にして投げつけるアンチスパイラルには、笑ってしまう。
惑星を武器に使った『トップをねらえ!』より、スケールがデカいぞ。

 バトル模様は、何でもアリ過ぎで、どんな無茶な事でも言ったモノ勝ち、デカいハッタリをかました方の…というかほとんど「声が大きい方の勝ち」といった様相。
 分解された自分自身をビッグバン・エネルギーと同化させて超銀河(この時点では「天元突破」だった、と掲示板でご指摘を頂きました)グレンラガンに吸収させ、超絶パワーの源になるロージェノムなんて、「策士」などという次元を越えて、「いやいや、思い付いたからって何でも出来る訳じゃないだろう」と。

 デタラメとしか言い様がない戦いだったが、それを、血管がブチ切れそうな程 上げた高い演出テンションで見せきってしまう、この闇雲な突進力には感心しつつ、巻き込まれて、理屈を越えた次元で感動させられてしまう。
こんなにも血圧を上げさせてくれたロボットアニメは、そうは無い。

 主人公らは勿論だけど、アンチスパイラルも相当に熱血だったような。
 「好きの反対は、嫌いじゃなくて『無関心』」というように、螺旋の力に対抗するには、それより凄い力をぶつけるんじゃなく、「無気力、無関心、諦念」で満ちたベタ凪の海に他者全てを引きずり込む事では。
 螺旋族を否定するため、あらゆる努力を惜しまず、進化を続け、決して挫けない強い力で相手を打ち倒そうとする…って、ベクトルがちょっと違うだけで、彼らも結局 螺旋の民であり続けているような。

 怒濤の勝利に引き続き、間を置かずに目出度い結婚式、その最中に訪れるニアとの別れ。
目が回る忙しさの中、少々の寂しさを残しつつも物語はキレイに終わったかな…と思えば。
 ううう〜〜ん、後日談で、なんであんなゴツイ顔になっちゃったかなあロシウ。
シモンはまだしも、荒野をさすらったりして環境に鍛えられ、厳しい年輪が刻まれた、とか考えられるけど、ロシウまで青年時の痕跡すら留めないような顔にならなくても。
 これか!これが本当の螺旋の呪いか!
螺旋の力を用いる者は、いずれゴッツいオッサン顔になってしまう。
アンチスパイラルは、それをこそ恐れ、自ら進化と加齢を止める事で ようやく「オッサン顔の呪い」を免れていたのだ。
 …などと考えてしまうぐらい、別人の顔。

 やりたい放題やって、見事 壁を突き抜け、期待していたよりもずっと遠くまで行って見せてくれた、気持ちが良い、面白い、血を沸き立たせてくれるロボットアニメだった。
 同じように「熱い馬鹿話のド迫力」方向で、これより優れた作品を作る事は、泣きたくなるぐらい難しいだろうな。
 スタッフの皆様、良い作品を、ありがとうございました。



『DARKER THAN BLACK 黒の契約者』最終25話.「死神の見る夢は、黒より暗い暗闇か?」

 黒が抱える個人的な問題(人間関係)について、決着は付けたけれど、世界は大きく変わった訳でなく、まだまだ多数の分からない部分を残して、終局。
 そもそも、「契約者」というのが、何と・誰と、どういう形で契約を結ぶ事で異能力を発揮できるようになっていたのか、という根本的な所から曖昧なので。

 では つまらなかったのかというと、設定が完全には分からなくても、契約者の能力の多彩さ、代償に見られる そのマイナス因子、個々の能力者の個性と内包するドラマ…等々により、面白く見られるよう考えて作られており、さほど問題を感じずに済んだ。
 全体に作画レベルが高く、アクションの演出が冴えていたため、画面に引き付ける力が強く、目を逸らさせなかったのも大きい。

 脇役になるかと思われた女刑事・未咲に、かなり重いドラマを背負わせ、また仕事一筋バリバリのキャリアウーマン的な普段の姿に似ず、可愛い・女の子らしい一面をたまに覗かせる事で、「萌え」にも繋がるぐらいのキャラクター性を演出していた。
 ラスト、黒の「喪失」を感じる、重要な役割も担っていたし。

 人間っぽい(人間だけど)猫・マオが好きで、乱暴なオッサンかと思っていたが過去エピソードを見て評価がガラッと変わってしまった黄も、指で頬をつり上げて笑顔を作るシーンが忘れられない銀も、それぞれ魅力的だった。
 もっと、彼ら彼女らの活躍を見ていたかったな。



『祝!新シリーズ放送直前 !! 機動戦士ガンダム00披露宴 豪華芸能人が大集合SP』

 もう、今更言うことでもないけど、こういうシリーズ放送前特番みたいなのは、どうして無駄な芸能人呼んだり妙な料理を並べてみたりといった、ピントのズレた内容なのかなあ。
それで、肝心の新作については、ほとんど語られないし。
 オタクは、どれだけ中身が薄くたって文句言いながらもどうせ最後まで見てくれるから、ゆる〜いバラエティー番組風に作って一般人視聴者をこそ呼び込みたい、という狙い?
 しかし、こんな内容じゃガンダムの魅力を一般視聴者に伝える事なんて、とてもとてもムリ。

 『BSアニメ夜話』風に、土田ぐらいはそのままでも、岡田 斗司夫とか池田 憲章とか、マニアックな語りで人を面白がらせられるような人材を揃えて、新作の予告見ながら好きなことを語らせたり、招いた制作スタッフに対してツッコミを入れさせたりした方が、ずっと視聴喚起に繋がりそうに思うんだけど。
 富野 由悠季に新作ガンダムをどう思うか聞くとか(放送できないこと言いそう)。
うるさいガンダムオタク向けとしては、『機動戦士ガンダムSEED』の監督に、新作スタッフに向けたメッセージを頂いてみるのも面白そう。

 それでもまあ、取りあえずは『ガンダム』について、いくらか好意を持っている…んだろう芸能人を集めただけ、マシか。
 『エウレカセブン』だったか…シリーズ放送も終盤に入って流された「今から見ても分かるエウレカセブン」みたいな特番で、司会をしていた芸能人が堂々と、「このアニメ一度も見たこと無い」と言っていたのに比べれば。

 この特番だけじゃ、新作に期待できそうなのか そうでもないのかさえ分からないけど、一応は、放送開始を楽しみに待っていたい。


2007年9月29日 土曜日

 アニメーションの作画において、素晴らしいお仕事を成されてきた逢坂浩司さんが、亡くなられたそうです。
 『Vガンダム』『Gガンダム』『絢爛舞踏祭』…と、関わられた作品は多く、絵の魅力については今更言うまでもなく。
 まだ44歳という事で、とにかくその早すぎる死が惜しまれます。
 心より、ご冥福をお祈り致します。


2007年9月28日 金曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』最終26話.「終極」

 スサノヲとオニクスの激戦が繰り広げられるクライマックス…なんだけど、どうにも乗れない。
 オニクスが取った行動について、「よく居るタイプの、やたら人類を否定したがる誇大妄想狂」パターンでしか捉えられず。
 スサノヲらの個性や行動からして、オニクスの行いは決して「神々の総意」ではなかった…んだよね?
複製として作られたオニクスに、悪意のみが凝縮されてしまった、あるいは所詮 複製でしかない自分を肯定すべく他の全てを否定しようとした…とか?

 そうなると、そもそも この巨神像達による戦いは、何のために起こされたものだったのか疑問に。
単に そういう本能を持っていたから?最後の一体になるまで戦う定めの『ハイランダー』もしくは『バトル・ロワイアル』?
 最終的に人類連合のような機構が誕生したらしい事からすると、人類の覚醒と平和的統合を促すのが目的?
しかし…それは結果的に、という事だったような。
ああ、出来レースによりアメリカの勝利が決まっていたのだから、イレギュラー因子無しでも「アメリカを中心に」人類は結束?できていたのか。
 何で頭だけで体が無いの?とか、どういう基準で埋められる(自ら埋まる)場所が決まったのか、戦いに八百長が行われている事についてはどう考えていたのか、等々、疑問点は一杯。

 内容が面白くありさえすれば、これらは気にならない程度の問題だが。
『エヴァ』で、使徒は具体的にどこの場所から来てるの?なんて聞かないように。
 巨神像などと意味ありげな物にせず、巨大なエネルギーを秘めた十数個の隕石にでもすれば、設定は簡単になったかな。
…相当 違う話には、なってしまったろうけど。

 『マクロス』で地球統合政府が何とか成立したのは、「人類全体への脅威」が存在したから。
なので、例えば『インデペンデンス・デイ』の世界なら、いずれまたエイリアンが来襲する時に備えて統合政府が成り立つ可能性はあるけど、このアニメでは、もう脅威が去ってしまっているため、維持は かなり難しくなりそう。
 そういう組織が出来たからといって、様々な問題が解決するとも思えないし。
 いや、「それでこれまでより良い世の中になるのだ」というのがこの作品世界なら、異を唱えるものではないけども。

 最終決戦が余り盛り上がらなかったのは、残念。
 「巨神像の人智を越えた実力」を見せて欲しかったんだけどな。
体組織の原材料がケーブルだからなのか、最後までミサイル撃ったりビームの応酬が多くて、うーん。
 かといって、最後にオニクスが見せた、何だか もやもやした体で戦われても、面白いかどうかは分からないが。

 全体に。
 他国の戦いを覗き見るばかりの話を連続させた時は、さすがに視聴意欲が減退。
そのため、主人公機のバトルが少なくなっており、この辺りはもう少し構成を考えるべきだったろう。
 物語は決着が付いているし、登場キャラクターもそれなりの個性を持って描かれているとは思うけれど、全てに於いて印象が薄く、しばらくすると『Gガンダム』や『エヴァンゲリオン』の強烈なイメージに負け、思い出せなくなってしまいそう。


2007年9月27日 木曜日

『ながされて藍蘭島』最終26話.「飛び出して、藍蘭島」

 妹を助けるため、命懸けで島を脱出した行人。
そこに待っていたのは、すぐ側の海域まで、男達が漕ぐ船で来ていた妹だった。
 物凄い急展開で、「全部 無駄な努力だったのかよ!」とか突っ込んで笑うべき部分なんだろうけど、ポカーンとしてしまう。

 女ばかりの藍蘭島のごく近くに、男ばかりの藍蘭島があった、という事なのか。
一瞬、「島をぐるりと回り込んだ裏側には、男ばかりの集落がある」とか考えたけど、島は狭くて、よく駆けずり回っていたから、それで気が付かないはずはないな。
激しい海流により次元断層が生じており、同じ島が女ばかり・男ばかりの二つの可能性を持って重ね合わされている…なんてSF的な設定は、意味が無いどころか余計だし。
 女藍蘭島から流されていった男達が、いつか女島に帰りたいと願いつつ、望郷の念を込めて同じ島の名前を付けたのが、男藍蘭島?

 しかし、もしか主人公が男ばかりの藍蘭島に流れ着いていたら、悪夢のような内容になっていたろうな。
女藍蘭島美少女達の性格をそのままに、外見だけ美少年にして取り揃えれば、女性視聴者の好みには合う?
 妹を主人公として、スピンオフ作品も描けそう。
 ただ…どうも、こう、女が一人も居ない筋肉隆々の飢えた野郎ばかりの島に、流れ着いた少女の運命は、リアルに考えると、ええと、ええと……(^_^;)

 結局「振り出しに戻る」終わり方。
特に大きな変化や進展はないけれど、この作品のラストにはそれが相応しいだろう。

 可愛い少女キャラクターが山盛りで、驚異的に高い水準で推移した作画のお陰もあり、目に楽しいアニメだった。
 ギャグのためであっても、不愉快なキャラや その行動を用いず、爽やかで、全体に上品な作りだったのも、好感触。
 藁人形への呪いを介してコミュニケーション(?)を取る、まちと あやねの姉妹には、笑わせられた。
「呪いで心臓マッサージを行う」アイディアの転がし方には、呆然としつつ、爆笑。
 魅力ある女の子達が これで見られなくなるのは、寂しい。
 最後の最後で、どさくさ紛れに新キャラを出してみたり、商業成績しだいで第二部は十分ありそうだけど。


2007年9月26日 水曜日

『さよなら絶望先生』最終12話.「なんたる迷惑であることか!」

 この加害妄想の話は、原作でも好きな内容なので、最後に(Aパートだけど)持ってくるセンスが嬉しい。
 「やたら被害者ぶる国が多い中、いい国じゃないか、この国は」という言葉に込められた、凄い皮肉と本意に、笑ったり考え込んだり。
アメリカと日本を足して二で割るぐらいで、丁度良いバランスの国が出来上がるのかも。

 突然、最後に挿入された『ルパン三世Part2』最終回へのオマージュだけが、「そういえば最後の話だっけ」と思い至らせてくれる、いつも通りの内容。
原作は継続中だし、ネタの羅列に終始する事が多い作品で、「最終回らしく」と言っても難しいか。
 ムリすると、原作者の前作『かってに改蔵』のように、壮絶すぎる物になってしまいそう。

 規制が緩いUHF局ならでは、ヤバいネタを頑張って画面にしてあり、楽しく見られた。
 「世の中に絶望して自殺に走る人間が居るのは、この作品の悪影響」とか言われなくて、良かったねえ。
いや、現状、シャレとか酔狂とか悪ノリとか、本当に容認され辛くなっているから。



『エル・カザド』最終26話.「輝く女」

 予想していたより ずっときちんと、キレイな形で終わった。
淡泊な気はしたけど、伏線には決着を付けてあるし。

 ただ…この作品に関しては「大きな物語」方面への興味がさほどでもなかったため、感動や感慨は薄い。
 「毎度、ストーリーなど進めずに、意味があるような無いような話を呑気にやっている」所にこそ、面白さを見出していたから。
 一話かけてエピローグを描く、この最終話の方が、物語としてはクライマックスだったろう前回までより、好みに合うぐらい。

 危険な賞金稼ぎと不気味な能力者、というヒロイン二人組を、そうと知っても受け入れてくれる老夫婦に出会えたというのに、また旅支度の二人。
 ナディは、受容してもらえることに嬉し涙を流していたので、エリスが要らないこと吹き込まなければ、居着いていたのかも知れない。
 でも…一つの街で暮らしていたエリスを、ナディが連れ出して始まった旅が、この物語だったのだから、今度はエリスが先導して旅立つ、新しい物語があっても良いのかな。

 ナディとエリスの掛け合い漫才が、一番の面白味だった。
 ブルーアイズは、最後に「やり手のキャリアウーマン」イメージから元の「メガネっ子 天然OL」に戻って欲しかったところ。
ローゼンバーグによく似た若い部下を従えて現れ、ちょっと複雑そうな内面を伺わせるなど、魅力を感じさせてはくれたが。


2007年9月25日 火曜日

『ぽてまよ』最終12話.「花」

 ほのぼの、ぷよぷよしていた このアニメも、最終回。
 しばらく前から伏線を引いてあった、ぽてまよの頭の植物が、ついに花を咲かせる。
 「喜び」を表す漫画的感情表現として、頭の上に花を咲かせる、という手法はあるが、現実に、誰にでも視認できる形で花開くとは…ぽてまよって、植物?
花の後に種が出来、そこから新しい個体が誕生したようなので、交配に寄らず単体で増える種族なのか。
 ぐちゅ子の様子からすると、「人間の好意を深く受け入れることで、次の世代を形作る」形態なのかも。
 でも、ぽてまよとシンクロして起きた変化だからなあ…発情期みたいなもので、「産種期」とでもいう時期がある?

 ぽてまよに大きな花が咲き、やがて散る、ファンタジックでありコミカルですらあるその変化と、「死」のイベントは、普通 結びつかないが…
 素直の母が夭逝するまでの過程を、今回は かなり丁寧に描いてあり、その母が愛した花と、若く美しいまま花が散るように亡くなる彼女のイメージを重ね合わせることで、ぽてまよの「死」に説得力を持たせ、感動的なシーンにまで仕立て上げてしまう、素晴らしいスタッフの職人芸に感心し、うっかり泣かされそうにさえ。

 意図通り視聴者を笑わせ、泣かせる、「演出の力」というものを強く感じさせられたシリーズだった。
 全話を通して絵コンテを担当した、監督・池端 隆史の才能に負うところが大きいだろう。

 何も無い、楽しいだけの作品に見せながら、各キャラに しっかりと成長や変化を示し、普段の愉快な表情だけでなく、思わぬ時 晒す素顔にドキッとさせてくれる、見応えのあるアニメだった。
 読み取ろうとすれば幾筋かテーマを読み取れようが…
でも、「楽しかった」で良いんじゃなかろうか。

 「可愛い」というのは、最強の武器。
相手に敵意や警戒心を抱かせず、距離を詰めて心の大事な位置を占めてしまえば、後はもう どうとでも出来てしまう。
 ぐちゅ子なんて、戦闘能力だけ見れば人類の脅威にもなる個体(切れ味鋭い鎌も持ってる)なのに、彼女を敬遠するキャラが居ないのは、「可愛い」からだろう。
 弱味を掴んだ ぽてまよ族は、「可愛さ」を遺伝的に次世代へ、そのまた次世代へと受け継ぎ、強化しつつ、ゆっくりと、しかし確実に数を増やし、いずれ人類に代わって地上に満ちていくのかも知れない。
 ……でもまあ、可愛いからイイのかな(笑)。



『CODE-E』最終12話.「破壊と再生のこと。」

 うーん…スロースターターで、ゆっくりゆっくり日常を描いていく話が嫌いではないけれど、さすがにそのまま最終話まで行ってしまうのは、どうだろう。
 しかも、最後まで来て、割と詰め込んだ形で「謎の勢力の介入」とか「ヒロインを監視する二人の背景」とか「その姉の方が生死不明」といった要素を出してくるもので、消化不良な、ドタバタした印象が残ってしまうし。

 取り立てて危機的状況やジリジリするほどの葛藤が無い、平穏で癒されるような日常の風景、をテーマに据えるなら、もっと「心地良さ」を演出しないと。
 ドラマを展開させようという意図があるなら、全体の構成を見直すべき。
ここまで12話、かなり緩めに見ても半分の尺で収まる内容だろう。
残り6話で、色々な、意味あるイベントを組めたはず。

 「電磁波体質」は名目、実質的に主題になっていると思う三角関係にしても、男が驚くほど無神経で とても好かれる人間に思えないことと、女の子一人が物分かり良く身を引いて ようやくヒロインとの仲が進展する、物語としては ちょっと都合が良い展開を迎えることで、気持ちを入れられない。
 とにかく時間をかけて描写してきたため、三角関係の一翼を担う少女や、ひたすらヒロインに優しい両親、「ボケた外国人転校生」としてのスパイ姉弟他クラスメート達、等々、それなりの個性を感じられ、もう少しカッチリしたドラマがあれば更に魅力を発揮させられたのでは、と思うと、惜しい。

 投げっぱなしの伏線が多く、第2部が予定されているのかも知れないけど…続きを見るかどうかは…


2007年9月24日 月曜日

『天元突破グレンラガン』26.「いくぜ ダチ公」

 戦友達の死を乗り越えて(タメとして)、ようやく発動するシモン・超銀河グレンラガン。
 ここから怒濤のカタルシス攻勢で決着を付けるのか、と思えば、もう一段階の危機。
アンチスパイラルにより、螺旋の民が その行く末に持つ破滅の定めを聞かされることで、シモンが闘争の意志を失いかけてしまう。
 危機→突破→更に大きな危機→突破、というのがクライマックスを盛り上げる基本構成、とはいえ、「その行く先はハッピーじゃないよー」という未来を示され、しかも主人公により それが嘘でないと証明されては、少々テンション落ち気味に。

 無限に存在する、可能性の未来に囚われてしまう、シモンら乗員一同。
 ブリッジに姿を現すアンチスパイラルに対し、単身立ち向かうブータが良いところを持って行く。
…というか、前回といい、活躍しすぎのような…「一寸の虫にも五分の魂」的な考え方で、「こんなチビ動物にもこれだけの螺旋の力が秘められている。全ての人間の力を合わせれば、もっと」と言わんがために?

 可能性として、「情けなくて尊敬に値しない兄貴・カミナと共に生きる世界」を垣間見るシモン。
それはそれで幸せだったのかも知れないが…
 本物のカミナと生き、死に別れた今となっては、もうその道は選べない。
そう教えるべく現れたのだろうに、「俺こそが本物だ」と言わず、どちらの自分が本物かシモンに選ばせる…それだけシモンを信じているカミナは、やっぱり「兄貴」として、格好良いなあ。

 箱の中に入っている限り、まだ生きているか死んでいるか分からない、生存の可能性もある、というような量子的考えを蹴飛ばし、箱を開けてしまうシモン。
 大事な仲間達も、カミナも、既に死んでいることは誰に決めてもらうでもなく、分かっている。
 しかし彼らは、事実としての死を乗り越え、シモンの胸の中、共に生きていく。
 理屈もヘッタクレもない、数値化不可能な「根性」「熱血」「友情」「馬鹿」が宇宙の真理をも突き破っていく…落ちたテンションを上げきるに十分な程、爽快なシーンに、胸が熱くなる。

 次回、最終回。
 キレイな着地か、力任せ・やりっぱなしの呆然とするような終わり方を、期待したい。



『おねがいマイメロディ すっきり♪』26.「らっきょですっきり!?」

 激辛のカレーを、みんなで必死になって食べる話。
 15分、という短い時間の制約を逆に活かし、本当にちょっとしたネタだけに物語を集約させ、最後まで突っ走らせてしまう思い切りが、楽しい。

 それだけなら、特に語ることもなかったけど…
ラスト、呼び出した お助けラッキョウキャラを、うっかり間違ってクロミが食べてしまったのではないか、とする疑念が示される。
 普通、「『ボクはここだよー』と無事なラッキョウくん登場」とか「慌てて吐き出したのでラッキョウくん無傷」というような ほのぼのした救いを用意するものだけど、そんなモン何も無いまま(ポリポリとクロミが彼を噛み砕く音まで響かせた上)バッサリと終わってしまうブラックさに、ビックリ。
 笑ったけど…コミカルな絵柄に似合わず、時々、凶器を振り回して流血沙汰を起こすアニメと同等か、もっとダークな内容になるなあ、このアニメ。

 見ていて、何だかラッキョウが食べたい気持ちになったから、亡くなったラッキョウくんも、広告的効果を上げたという事で無駄死にではなかったと納得し、成仏して欲しい。


2007年9月23日 日曜日

『仮面ライダー電王』34.「時の間のピアニスト」

 時間は記憶によって形作られる、というのが、この作品での理解らしい。
 こういう考え方に対し、「記憶なんてあやふやな、各個人の認識によってまるで変わってしまうような物にすがって何になる。やっぱり具体的なモノとして残す事であり、歴史に何らかの成果を刻む事だろう」などと、昔は思っていたものだけど、最近は、それもまた大きな意味で「記憶」なのかなあ、と。

 瀬戸大橋の着工を強力に推し進めた人は誰なのか、知らない人間にとって、あれは「誰かの成果」ではなく、「タダの橋」。
小泉の前の総理が誰だったか ふと浮かばない人にとって、その総理大臣は居なかったのと同じ。
 『スター・トレック ネクスト・ジェネレーション』の名作、「超時空惑星カターン」で語られた、滅びを目前にした種族による最後の切ない願い、「せめて、誰か一人だけにでも、自分達のことを覚えていて欲しい」の意味も、「記憶こそ時間」という考えによるものだろう。

 誰の記憶にも残っていない(「居た」記憶は周囲の人間が持っていたのだから、まるで無い訳ではないような…)ピアニストに、消え去ってしまう悲しみと、時間の中に我が身を取り戻す希望と、ピアノを聞かせてもまだ目覚めぬ若者に復活の可能性はどれぐらいあるのか、という危うさを感じさせる、非常に複雑な終わり方。
ピアニストにとって、若者が自分の復活する可能性を握っていてくれること自体、もう救いなのかも知れないが。

 デンライナーで、以前 見かけた乗客達(最近見ない…)は、ピアニストと同じく、いつか時の中に自分の存在を取り戻すまでの保留期間を車内で過ごしていたのだろうか。

 コハナ登場、第二回目。
 乱暴者ぶりを見せつけることで、良太郎にハナだと納得してもらっていたが、それは彼女に取り喜んで良いことなのかどうか〜。
 役者さんの都合を物語に織り込み、小さくなって逆にイマジンへの攻撃力はパワーアップしている、というようなギャグも入れることで、何とか消化しようとするスタッフの努力には、ただ感心。
当初の構想から全体のストーリーを変えなければならないかも知れず、脚本などの調整には、凄まじい苦労があったろうな。
 何とか、せめて最終回前には、大人ハナの復活を期待したい。


2007年9月22日 土曜日

 映画『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』を見る。
 テレビ放映終了後に、その終わり方への不満足さから映画が作られ、しかし その映画も未完成な出来で後に完全な形の映画が改めて公開された、異色の経緯を持つ作品が、テレビ・劇場完全版と二度も示されたラストシーンを またまた描き換えるべく(換わるのかな…?)、新たに映画四部作としてスタート。
 色々変わっているとは聞いていたが、要するにテレビシリーズの再編集版に過ぎず、全く新しく作られるという四作目以外は見なくても…と思っていたが…

 ああ、考えていたより遙かに変えられている。
新作画を大量に入れ、無機質な描写には効果的にCGを導入し、「現在」の作品としても十分すぎるほどクオリティーが高い。
 演出面の強化も、見事。
特に、「エヴァに乗って戦う恐ろしさ」が、非常に実感的に現されているのに、感心。
 テレビでは、この映画になっている部分まで、戦う恐怖は そう感じられず、内向的なシンジの性格や父親との確執を主な理由として、搭乗を嫌がっているのかと思っていた。

 映画で見ると…これは怖い。
戦いは常に死と隣り合わせ、というより、紙一重の所を死が何度も通り過ぎており、乗りたくなくて当然。
 それにしても、最初にエヴァに乗った時など、「一歩 踏み出せた事で司令室から驚きの声が上がる」ような状況で、よく戦いに出したもの。
他に選択肢は無かったのだろうし、エヴァはテクニックよりシンクロ率で操縦するものだから、まず行動可能な状況に持って行けるかどうかが大事、ではあろうが。
普通、死ぬよなあ。

 ここまでは、「何も持たなかった少年が、他者との繋がりを少しずつ得て、外的な恐怖と戦う」お話。
 この後、そりゃ使徒も強くなって外的恐怖は増すけれど、それよりキャラが(監督が?)自分の内面の恐怖に直面し、結局はそれに勝てず押し潰されて終わる…
それが、テレビと以前の映画だったと思う。
 今回は、そうでない終わり方を見せてくれるのかどうか。

 予告や本編の所々からすると、同じ物語(世界)を繰り返そうとしているのではなさそうだから、今度こそ「これだ!これが見たかったんだ!」と思わせてくれるラストを、期待。
 …じゃあそのラストとはどういうものか、と言うと、テレビシリーズを見終えた頃には具体像を持っていたような気がするんだけど、もう今では自分にも分からない。
 だから今回、どれぐらいエンターテイメントな終わり方をしても不満足でブーブー文句を言いそうな気がするし、逆に、投げ出したような終わり方でも「これこそが『エヴァ』」と納得できそうな気もする。

 ずっと見続けてきた人間にとって、この映画シリーズは、「作品としてどう変わったか・変わっていないか」を楽しむものであり、「監督がどのぐらい変わったか・変わっていないか」を確認するものでもあり、「それを見る自分がどのぐらい変わったか・それとも あの日のままか」を、画面を通して受け取る事が出来る、希有な作品でもあるだろう。



『ながされて藍蘭島』25.「鍛えて、へなちょこ」

 もう とにかく、やたらに動き回る画面から目が放せない。
アクのある作画スタッフが多かったようで、キャラがふわふわと浮いているようだったり、常識的には考えられない挙動の体術を見せたり、特にバトルシーンでは、つい見ているコチラにも力が入ってしまうぐらいパワフルなアクションが満載だった。
 ジャンル分けとしては「格闘アニメ」じゃないと思うんだけど、この本気っぷりは凄いなあ。

 間に挟まれるギャグも、作画が冴えている お陰があり、好調。
 主人公の妨害を目論みつつ、自爆していくヒロイン達が可笑しくて、可愛い。
「すずの家に同居する」事を基本設定としている作品だけど、まち・あやねの迷惑姉妹と暮らしても、姐さん・りんをメインヒロインとしても、悪辣ながら攻略しがいがありそうな ちかげに恋愛感情を抱いても、それぞれ非常に魅力的に描かれているため、一作品として問題なく成立しそう。

 次回、最終回なのか…
 原作が継続中だし、もしかして続編を作ることにも備えて、主人公が島を脱出したまま終わったり、海流が変わって島が行き来不能の孤島でなくなる、なんて大事にはならないんだろう。
 主人公妹も、島の一員に加わる?


2007年9月21日 金曜日

『銀魂』74.「漫画家は原稿のストックが出来てこそ一人前」

 原作を読んでいるため、アニメは全然見ないんだけど、サブタイトルに笑うやら泣くやら反省するやらしてしまったので、見る。
 今回、扱われたネタの元になっている『こち亀』の秋本治先生は、〆切に遅れないばかりか、原稿のストックさえ作ってしまう、いやもう凄い方らしい。
…とても真似できない……

 アニメの内容としては、ほぼ原作で読んだ通り。
 緊迫した状況を台無しにする、ズレた回想のアイディアと暴走が可笑しい。
 30分をテンポ良く見せるには、もうちょっとオリジナルのアイディアを入れた方が良いのかも。
回想シーンの店長が現実に出てくるとか。


2007年9月20日 木曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』25.「嫩葉」

 怒濤の説明ゼリフで、物語の辻褄を合わせようとする…というより、「せっかく作った設定だから語っておきたかった」気持ちが強いのか…お話。
 アメリカの巨神像は特別なんだろうけど、それにしても この神々に、たかが人間の技術による機体修復ぐらいならともかく、「自身の複製を まるごと作れる」能力があるとは…
 それが出来るなら、頭の複製など作らず、体を自分で構成し、ロボット機体なんか拒否して勝手に戦えば良かったのに。
巨神像には元々、体が無い?
 疑問が多く、「これが真相だ」と言われても、意外さを感じるとか納得するとかいう反応は起こし辛い。

 設定は、「突飛だろうが唐突だろうが、語った瞬間に説得力を持ち、誰でも納得してくれるもの」ではない。
逆で、「それに視聴者が納得してくれるよう、世界と物語を構成しなければならない縛りが生じる、なかなかに厄介なもの」。
 密約だの複製だの新世界創造だの、ややこしくするばかりの設定は、別に要らなかったんじゃなかろうか。
全力で戦い合う世界中の搭乗者達によるドラマと、バトルにかけるアイディアさえあれば。
 それこそ難しい事だし、『Gガンダム』に似すぎてしまう恐れもあるけれど。

 他国のパイロット達が戦場に駆けつけることで、大きな展開があるかと思ったが…
例えば、スサノヲに統合された自国のギガンティック・パーツを、それぞれが操縦・強化して戦いに協力する、とか。
 まとめて輸送機で突っ込んで、終わり?
いや、まだ次回、何かやるかも知れないな。


2007年9月19日 水曜日

『らき☆すた』最終24話.「未定」

 学園物でラストに学園祭を持ってくるのは、やっぱり盛り上がるから、だろうか。
卒業式じゃ、ちょっとしんみりし過ぎる事を考えると、お祭りの中で終わらせれば、視聴後感が軽く、心地良いのは確か。

 レギュラーキャラ全員で目標に向かって頑張る話…ではあったが、この作品らしく、「根性」やら「熱血」とは縁がなく、努力のシーンはほぼ略して、成果を長く、楽しく見せてくれた。
 この最終回を見た後だと、オープニングの踊りは、学園祭開幕を飾るべく練習している途中の風景を見せた物だったのか、とも思える。
街で踊っているのは、帰宅途中での自主トレだったり。
 「OPで見られるキャラクター達が次第に顔を揃えていき、息を合わせた踊りを(完全な形で)完成させるまでの過程を描く作品だった」と考えると、取り留めもなく思えた このアニメに、筋が通らないでもない気がするから不思議。

 何のためにあるのか意図はよく分からなかった「らっきー・ちゃんねる」の二人も、コーナーの破壊を引き摺った形で本編に登場したが、関係は修復されず、特に的確なフォローもないままで、物足りない。
 「うやむやのうちに、また『女王様と下僕』的関係に戻りました」ぐらいのオチの付け方で良かったような。

 エンディングでの お兄ちゃん歌が、学園祭を舞台とした『うる星やつら2・ビューティフル・ドリーマー』の主題歌だったのは、本編とのリンクと言えるけれど、最終回に来ても この妙な「実写で歌う兄ちゃん」企画にナニガシかのオチを付ける事もなく、う〜〜〜ん。
 「兄ちゃんが、女性声優やスタッフに『いい加減にしろ』と突っ込まれる」とか、逆に「『これは萌えばっかり求めるお前らオタクへの嫌がらせだ!』と高らかに笑う」等、ベタでも何でもイイから、「終わった」感じが欲しかったかな。

 可愛い女の子達が送る、ほのぼのとした日常を描くシリーズで、何も難しいことを考えずに見られ、楽しかった。
 「これだけの戦力を、こういう戦略で使って、ここを重点的に攻めれば、オタな視聴者は喜ぶはず」という読みに沿って作り、予定通り…かは分からないけど…当ててしまう、この会社は大したモノだなあ。
しかし、冷静な視点でオタクを分析している、というより、スタッフが視聴者と一緒に喜んでいるし、時々ハズしている、と思える(思わせる)のがまた、上手い所か。


2007年9月16日 日曜日

 お仕事が詰まって参りました。
 という訳で、水曜日ぐらいまで、更新は難しくなるかと思われます。
悪しからず、ご了承ください。


2007年9月15日 土曜日

『DARKER THAN BLACK -黒の契約者-』23.「神は天にいまし…」

 毎回レベルが高い内容で、キャラも きちんとツボを押さえて描写されており、物語は謎を孕みつつ、過度に謎へと依存することなく展開していて、面白い。
 特にキャラクターについては、黒が暮らすアパート大家のバーサンとか、外国人居住者まで、段々と味が出て、好意を持って見られるようになっている。

 ダメオヤジと元気少女助手で運営する探偵事務所など、ハードな世界観と合わないよう思え、一エピソード限り、使い捨ての設定になると予想したのに、しっかり作品に居着いてしまい、独自の位置を占めるようになってきた。
 今回のストーリーも、彼らの事務所に、「探偵」…というより「何でも屋」に頼むべき仕事が舞い込むことから、始まるし。

 色々なキャラの断片や、今後への伏線・キャラクターの過去を示しており、一話限りの物語としては完結しないまま終わるのか、と思えば…
 「本当の星空が失われた世界」という独特の設定を活かし、夜空を見上げる様々なキャラの気持ちを感じ取らせ、都市の明かりが消えていくことで「意外なほど多くの人が星空を(元の世界を?)待ち望んでいる」事を見せる、非常に巧いラストシーンを作り上げていた。

 黒に対し、弱味や、無防備な笑顔を晒す未咲が、ちょっと可愛い。
 容易には身内に見せない表情で、黒が「全くの部外者」の上、「日本人ですらない、外の国の人」という事も、彼女の警戒心を解かせているのだろうか。
 二人の間に恋愛感情が生じるには、凄まじく多くの障害を乗り越えていく必要があるな。
そういう関係にまで育てようとは、スタッフは、恐らく思っていないだろうが。


2007年9月14日 金曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』24.「対決」

 寄せ集めの機体となったスサノヲの戦いぶりは、もっと見たかったところ。
特性を更に複合させることで新たな武器に変えていくとか、せっかくの展開を活かして、色々できたかと思うので。

 日本旧パイロットの脱走はともかく、未知のギガンティック登場については…
 アメリカ側が卑怯な手を使って来ている訳でなく、戦いに負ける事で主人公らが巨大な損失を被る実感も無いので、戦況として、新戦力の介入を「大歓迎!早く主人公達を助けてあげて」と感じられず、「余計なモノが出てきた、ヤヤコシイ事になるぞ」とも余り思えず、どう受け取れば良いのか。

 ギガンティックの設定について、まだまだ あやふやな部分が多いのに、実は日本には もう一つ巨神像があったとか、前に見つかったモノを隠しておいて新たに発掘された方で戦っていた(合ってる?)とか言われても、混乱するばかりで面白さに繋がり辛い。
 像の数が限定されている事について、理由や意義が説明されていないため、もう一体あろうが、あと八百万(やおよろず)あろうが、余り変わらなく思える。
 何故、国土の狭い日本だけに巨神像が2体もあったのか(新しく登場した方はアメリカから譲り受けた物だと、掲示板でご指摘を頂きました)、それは この戦いの中でどういう意味を持っていたのか、については、この後 説明が成されるのだろう。

 …説明が足りなくても、理屈が通らなくても、ラストに向けて迫力ある凄いバトルが見られるなら、もうそれで良い…とも思うけど。


2007年9月12日 水曜日

『天元突破グレンラガン』24.「忘れるものか この一分一秒を」

 敵の本拠に殴り込みをかける超銀河ダイグレン、グレン団。
 が、そこに待っていたのは、絶望的な戦況と失われ行く仲間の命。
 勢いのまま突っ走ってきたシモン達が、勢い故に上手く自軍を止められず、最終決戦を前に敵陣へと突っ込み過ぎて自滅してしまう、という展開は、螺旋王戦の時にも見られた。
調子に乗る事で発揮するパワーがグレン団の全てであるとも言え、それが通じない、逆手にさえ取ってくる相手には、苦戦して当然。

 アンチスパイラル。
そのままでも圧倒的な戦力を持っていたはずで、「わざとやられたフリをして計略に誘い込む」なんて小技は必要ないような。
 それだけ螺旋の力を恐れているのか、僅かに希望を感じさせてから絶望へと追いやる事に、まだ強く意味を感じているのか。

 ダイグレンにエネルギーを満たすため、シモン・グレンラガンが参戦できない、という縛りの状況は、『ドラゴンボール』元気玉造成のプロセス、あるいは『ヤマト』波動砲発射前のよう。
 事前にエネルギーを溜めておけば良かったような気はするけど…螺旋力って画面的には「爆発する その場の勢い」とか「生じた逆境に対する怒りやら根性の暴走」というものなので、「こんな事もあろうかと、カートリッジに詰めておいた」とは いかないんだろうな。

 銀河海面へと沈降するダイグレンは、『ヤマト 完結編』のラストシーンを思わせる。
 ヤマトは、アクエリアスの海から未だ浮上して来ないが(来ない方が良いか…)、ダイグレンは見事な復活を見せて欲しいところ。



『仮面ライダー電王』32.「終電カード・ゼロ」

 リュウタロスがボコボコにされた事に、タロス一家の長(?)として怒りを滲ませ、デネブの願いにも応えてやるモモタロス。
任侠…というよりガキ大将的な男気があり、見ていて嬉しくなってしまう。
 侑斗に最後のカードを使わせる都合にも寄ろうが、今回はバトルにとても力が入っていて、見応えあり。
バイクでのアクションなど、何気なく、かなり危ない事をやっていたような。

 変身カードを使う度、侑斗が失っていたモノが明らかに。
 てっきり、「彼自身が持つ大切な記憶」か「寿命」ぐらいだろうと考えていたけれど、「彼に対する、周囲の人々の記憶(この世界に彼が存在する確立?)」だというのには、意表を突かれてしまう。
 デネブが常々言っていた「侑斗には友達が居ない」という言葉は、ヒネくれていて扱いづらい…逆手に取れば扱い易くもある…性格に寄るものと思っていたが、「忘れ去られていくから」でもあったのか。
 カードは全部無くなってしまった。
この後、どうするんだろうか。
 まあ、電王のパワーアップアイテムだって随分とあやふやな登場をしているし、「時間」「時間流を異にする世界」というような、基本設定さえ どうとでも書き換え可能にする便利な概念が存在する作品なので、心配ないだろうが。

 そういえば今回、ハナが出てこなかったような。
 次回、お子様ハナの登場も楽しそうだけど、もしかして何か役者さんの都合?
実写作品は、こういう所が難しい。


2007年9月11日 火曜日

『Yes!プリキュア5』31.「のぞみとココのラブレター事件!」

 ナイトメアに、新幹部が登場。
色気も何も無いオバサンで、プリキュア五人組と対照的。

 今更ながら、この作品は、学生である少女達と、企業論理のようなモノに縛られ、上に認められて出世(あるいは現ポストを死守)しようと必死な年長者の戦い、という図式を取っている訳ね。
「夢」と「現実」、「少女」と「大人」、あるいは「自己利益を求めない、純粋・単純な理想・希望」と「日々続く厳しい職業上のノルマ」との戦い。
 いい歳した人間の視点からすると、そんなふわふわした「夢」が、どうしようもなく強固な「現実の日々」に勝てるとは思えないんだけど、常に…多分 最後まで勝利を収め続けていくのだろう、という、そのこと自体が、この作品の描く最も大きな「夢」なのかも。

 のぞみはココに、こまちはナッツに好意を持っているけれど、男前人間モードの時はともかく、マスコットキャラ姿になると平気で抱きかかえて飛んでいたりして、頭の中で相手をどう捉えているのか疑問に思うことも。
目に見える姿によって態度をコロコロと変える…という方が少女らしく(人間らしく?)は あるが。
 ココやナッツも、普段は年長者に見え、教師という教え導く立場なのに、実戦となると まるで役立たず。
 元ネタだろう『セーラームーン』では、年長男性・タキシード仮面の参戦が一応あった事から、『プリキュア』は「少女達だけでの戦い」という事に強い意味を込めているのかな。


2007年9月10日 月曜日

 レンタルで映画『16ブロック』を見る。
 パワフルなヒーロー・イメージのあるブルース・ウィリスが、ショボくれたオジサンを演じる、というので、無理がありそうだなあ…と思いつつ見たが、さすがに役作りが出来ており、撮り方も良いのか、「うわ、この人 本当に老けたんじゃないか」と感じさせられるほどのリアリティー(実際、歳は歳なんだけど)。

 そういうストーリーやキャラクターに沿うため、体を張ったハードなアクション、という部分での見所は薄く、単純に撮っては不満を感じさせられそうな所を、「とっさの機転」「逆境に挫けない強さ」を主人公の大きな魅力として見せていく、物語運びの腕前が素晴らしい。
不利な状況を切り抜けるアイディアには、何度も感心してしまう。

 護送犯である黒人を相棒とするバディ・ムービーの形式を取っているため、そちらのキャラクターも非常に重要。
 「とにかく喋りまくるオモシロ黒人」は、ちょっと苦手としているんだけど、その喋りに物語的必然性を持たせてあり、寡黙なブルース・ウィリスの内面を代弁させる役割も担わせる巧さで、好感を持って見続けることが出来た。

 『ガントレット』を彷彿させるクライマックスは、「正義」が主人公側にある限り、現代では携帯電話などを用いて外部に真実を伝達することで切り抜け可能と思われ、成り立たなくなっているんじゃないか…と考えつつ見ていれば、そういう状況を構成するにも理由が用意されており、納得。
 えらく評判が良いラストシーン。
そんな絶賛するようなモノかは分からないが、胸に染みるのは間違いなく、地味な映画の内容にふさわしい、静かな感動を与えてくれる。
 DVDに収録されている「もう一つのラスト」より、本編映画版の方が ずっと良い。

 リチャード・ドナー監督は、どんな映画でも大抵 上手くこなすなあ、と、今更ながら感心させられる、佳作。



『おねがいマイメロディ すっきり♪』24.「プリンセスですっきり!?」

 マイメロの願いにより、ピンクに染まっていく世界。
ピンクになったりならなかったりの境目がよく分からず、割合適当に他の色が混じっていたりする いい加減さが、この作品らしくて笑ってしまう。
 心の中までピンクになる事で、甘い気分になってしまい、そこいらに転がる街の人々。
更なる桃色のウェーブに、各個人の境目さえ溶けて一色に染まっていく様子は、呑気なようで恐ろしくもあり、人類補完計画か諸星大二郎『生物都市』のよう。
「夢のようだ…新しい世界がくる…理想世界が…」

 この作品で一番危険な存在は、邪悪なるモノやクロミなどではなく、カケラの悪意もなく世界を破滅に追いやるマイメロじゃなかろうか。
怒りや憎しみ・破壊衝動ではなく、「楽しいの大好き」「みんな仲良しで幸せなら良いのに」という気持ちに基づいて行動している事が、どうしようもなく厄介。
 ネガティブな動機を持つが故に、時折 他者の話を聞き入れ、成長の余地を持つクロミの方が、ずっと扱いやすい。


2007年9月9日 日曜日

『風の少女エミリー』23.「はなれてゆく心」

 ここまで、欠かさず見てきている。
 キャラクターの心情描写や、ドラマの持って行きように物足りなさを感じることは多いが、特に大きく拙い所は無く、基本ストーリーが『赤毛のアン』に よく似ている(原作者の自伝的小説が、このアニメの原作になっている)せいもあって、色々と興味深い。

 エミリー達、上の学校へと進学するのを切っ掛けに、イキナリ外見・内面共に成長。
急すぎて、ちょっと面食らってしまった。
 この辺は、『赤毛のアン』でも若干感じたことではあるけれど…こちらの方が唐突に感じる。
 昔からの同級生だった意地悪な少女との決着(?)が、彼女の盗作を発見したエミリーによる、ほとんど脅迫に近い行為で成されるのは、違和感。
現実はこのぐらい散文的なものか、と思いつつ、こういうエミリーの「成長」を見せられるとフクザツな気分で。

 エミリーが、原作者モンゴメリに近いキャラクターだとすると、アンは、欠点を抱えさせながらも「理想を加えて想像した少女」だという事が分かる。
 周辺状況についても、アンの方がよりドラマティックに、問題をスッキリと解決しやすいよう構築されている。
 テディの旅立ちを見送ろうと懸命に走るエミリーが、結局「間に合わなかった・最後に気持ちを伝えられなかった」という所など、パターンを崩して安易なドラマを拒否している意味では、よりドラマティックだと言えるかも知れないけど。
 原作小説とは かなり異なるアニメになっている様子なのに、単純に比較するのは間違いかな。


2007年9月8日 土曜日

『おおきく振りかぶって』22.「防げ!」

 毎回、平均して出来が良いため、感想が書きづらい作品。
 しかし、攻撃側・守備側双方による、心理・肉体特性の読み合いが、凄い。
一球一球こんなに考え込んで対戦していては、疲れないか?と思ってしまうぐらい。
 この世界には「まず間違いなく相手が打てない魔球」という便利なものは無く、それどころか三橋は、コントロールこそ抜群に良いけれど球威が無いため、決して「馬鹿」に描かれない相手チームに対し、考えの浅い適当な投球は敗北へと直結してしまうから、だが。
 ボクシングで言うなら「ラッキーパンチが当たった」みたいな事が ほとんど起こらず、緻密な組み立てで面白いんだけど、作っている方は本当に大変だろうなあ、と。

 三橋と阿部のみならず主人公チーム全員、いや その父兄や応援団、相手チームに到るまで、嫌らしい不快な人間が出てこず、みんな一生懸命で愛すべきキャラに描けているのが、気持ち良い。
 自信が無く いつもオドオドしながら、しかし阿部を信じ切り、その指示に全力で従う三橋は、確かに魅力的な「ヒロイン」。
今時、女性としてこんなキャラを出したら、妄想全開の男性向けゲームやアニメでも「都合が良すぎる」と言われそう。
 その「ヒロイン」の信頼に、勝利をもたらす(いい思いをさせる)事で応えるために、より強く賢くあろうとする阿部もまた、萌え作品では なかなか見られない程に正しく、真っ直ぐで、持つ魅力を理解しやすい男の子。

 友人と、この作品を えっち系同人誌展開するには、胸のデカイ百枝監督を脱がすのが良いか、マネージャーとか三橋の従妹を対象とするのが良いか、などと話しながら どうもピンと来なかったのに、「三橋がうっかり女の子になってしまい(あるいは隠していたけど元々女の子だった)、チームメイトから…」というネタを出してみたところ、ひどく しっくり来た事を思い出す。
 女性視聴者なら、オトコノコ同士のままで、そりゃもう萌えるモノがあるんだろうな。



『ドラえもん』ドラえもん誕生日1時間スペシャル「ドラえもんが生まれ変わる日」

 ドラえもんに元々は耳があったこと、色も同型のロボット群と一体だけ違っていることなど、基本知識を盛り込んだ話。
 ストーリーとしても、行方不明になったドラえもんにロボット誘拐団を絡め、目先を変えながら一時間の長丁場を引っ張っていく、なかなか考えられたものだった。

 長編になると「漢」らしくなるジャイアンが、今回も格好良いところを見せる。
誘拐団のコワモテに全く動じず、睨み返す気迫が凄い。
 セワシが、のび太の子孫らしいヘタレ加減を発揮しており、妥当な印象。
 誘拐事件を解決するなら、もっと向いた道具がありそうなモノだけど…この辺も長編のお約束か、くうき砲や通り抜けフープ等、出せる種類は限定されていた。

 完璧な状態で機能しており、「保護者」「教師」然として働く他のロボット達に対し、欠損を抱えているが故、人間と共に成長していく可能性を持つ「友達」に成り得たドラえもん。
 他の個体を貶めることに寄らず、ドラえもんを不当なまでに持ち上げることもせず、未来への希望で優位(独自)性を主張していく持って行きようが、嬉しい。

 ドラえもんを助け出す下りでは、のび太に、説得になど応じて欲しくなかったかな。
ダメなところまで含めて大切な友達だ、という気持ちを貫いてもらいたかったところ。
 ここいらの盛り上げに もう一押しあれば…でも、テレビスペシャルとしては十分面白く、感動的な出来だった。


2007年9月7日 金曜日

『瀬戸の花嫁』22.「傷だらけのアイドル」

 今期、一番笑えるギャグアニメではなかろうか。
 毎回キャラクターやシチュエイションを暴走させ、笑いに繋げてみせるセンスは、大したモノ。
 監督の前作が、外しまくった『ギャラクシーエンジェる〜ん』だったとは、とても思えない。
 今作は、原作の出来が良かったからか、監督と題材の相性が合ったからなのか。

 『ギャラクシーエンジェル』程には、まだキャラを破壊していない(破壊「しきって」は いない、ぐらい?)。
あの作品だったら、もう「実は燦は永澄を疎ましく思っている」とか「留奈が劇中で数回死亡」というような、破滅的ギャグを展開しているはずなので。
 燦の、グダグダながらも時折 凛とした姿を見せるところ、留奈のツンデレさ加減の魅力は、基本設定を死守しているからこそ、活きる。

 スタッフが乗り始めてから、ハズレの回というのが ほぼ無いのは、奇跡的。
 クライマックスに向けて盛り上がる…という作品では無かろうが、現在のテンションを維持して終わってくれれば、十二分に傑作だと言える。


2007年9月6日 木曜日

『機神大戦ギガンティック・フォーミュラ』23.「罪智」

 アメリカとの戦いに臨む主人公達…
だけども、ええと、彼らはどうしてこんなにまで戦いたいんだっけ?
 国策として(軍部の独走?)、負けることが決められている訳で、敗戦した場合は勿論のこと、勝利を得ても、待っているのは命令違反による処断では。
 また、「勝った」成果にしても、日本側の腰が引けていれば、違反行為があったとか何とか、理由を付けて「負け」にしてしまう可能性もある。

 日本側が負けたい理由は、「勝つか負けるか分からない(勝てる見込みはないと考える)戦いに賭けるより、約束に基づく確実な成果を求めた」のか、「こんなロボットバトルに勝って名目だけの主導権を手に入れても、腹を立てたアメリカが『うっかり』核ミサイルでも数発『誤射』してくれば国が無くなる。怒らせないのが得策」と考えたからか。
 前者なら、主人公達がアメリカに勝てた場合、それによりもたらされる実利に免じて、違反行動を大目に見てもらえる可能性は、ある。
後者の場合、勝とうが負けようが、後の運命は絶望的。

 主人公は、アチコチの戦場を覗き見して、必ずしも爽やかな戦いばかりが繰り広げられている訳ではない事を、知っているはず。
どちらかというと、戦いを忌避したい気持ちになる方が自然なような。
 「ここまでやって来たんだから、最後までやり抜きたい」と考えた?
 大人しくしていても処分されるみたいだし(この理由もよく分からない、非人道的な誕生経緯が問題?)、どうせなら生命と共に与えられた使命を全うしたいのか。

 本国の指令すら無視して暴走する米パイロットを放置すると、基地の皆、引いては一般市民にも被害が及ぶ恐れがあるからかな。
実際には、えらく正々堂々戦うパイロットだったが。

 不細工な姿に変わってしまうスサノヲ。
「禍々しい姿」と見せたいのであれば、アニメーターの「気持ち」を込められる手描きの絵であるべきだったろう。
CGだと、本当に ただパーツ(データ)を寄せ集めて一体のロボットにしてある、としか見えず、格好悪いという以外の印象にはなり辛い。
 しかし、その戦いぶりを凄絶に演出できれば、評価を「格好良い」に変えることも可能。
 圧倒的戦力を持つジュピター2と、どう戦うのか…
 どうもロボットバトルの組み立て方としては、面白かったことが少ないこの作品だが、さすがにクライマックス戦なのだから、盛り上げてくれると期待。



『らき☆すた』22.「ここにある彼方」

 大体は いつも通りの断片ネタ披露だったが、後半、イキナリ真面目な「泣かせ」を入れてくるのに、驚く。
この作品で、そういう事をやるとは思わなかったので。
 亡くなった こなたママが霊体(イメージ?)となって家に帰ってくる、という内容。
 ポイントとしては、ママの声が島本 須美だという事。
この声をもって優しく切なく語りかけられると、年寄りは そりゃあ無条件に涙腺に来てしまう。
 特にこのアニメについては、戦略的に「泣かせ」を仕掛けてきている事が想像され…いや、どの作品だって計算無しで視聴者を泣かせられるはずは無いんだけど、「物語の必然性があって泣かせを入れた訳じゃない」というか…だから、うかうかと乗せられてしまって良いのか、とも思いつつ、ジジイは涙もろくなっているので仕方ない。

 予告での『カリ城』と『ナウシカ』ネタに、笑ってしまう。
 「気流が乱れて上手く飛べないのー」というセリフの元ネタが分からず、「何のアニメから?」と問うてくるヨメに、「さすがに これぐらいは『常識』じゃない?」と返してしまう自分は、自分の特異さを弁えているフシがある こなたより、ずっと悪質なオタクなんだろうな。


2007年9月5日 水曜日

『CODE-E』08.「色仕掛けとすれ違いのこと」

 三話目ぐらいから、録画を連続鑑賞して、ようやく放送に追いつく。
この作品に関しては、そういう視聴態度で良かったのかも、と思う。
 何しろ物語の進行速度が遅く、特に最初の方は、ヒロイン・千波美が持つ電磁波体質が いかに扱いづらく、迷惑なモノなのかを示す事だけを主題に、何話も使ってしまっている。
 闇雲にストーリーを進めれば良いというものではなく、キャラクターをしっかり描き、説明ゼリフに頼らず設定を視聴者に理解してもらうのは、確かに大事なんだけど…

 それにしても、限度というモノが。
 ここまでの物語を展開するのに、普通のアニメなら、四話もあれば十分かと。
 今になってさえ、「ヒロインを監視する謎の外人クラスメートが転校してくる」「また別の勢力も、ヒロインを狙い介入を開始しそう」という程度にしか、能力に関する方向では動きがないし。

 じっくり描いて来た お陰で、キャラクター達の個性は感じられるようになっており、三角関係にも説得力が無くはない。
 ただ、少女らの魅力が伝わってくるのに対し…どうも、男の子のドコに美点があるのか、よく分からない。
顔立ちが良い(のだろう)以外は、変わり者の研究バカってだけのような。

 ここまで来て、先のストーリーがまだ予想できない、というのは凄い事なのかも知れないが、逆に言うと、具体的には何を楽しみに思って見続ければ良いのか不明確、という事でもある。
 取りあえず、三角関係の進展と、ヒロインを狙う者達の目的(大体想像が付くけど)…辺りに注目しつつ、見続けようか。


2007年9月4日 火曜日

 映画『ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団』を見る。
 大ヒットシリーズの第五弾。
 相変わらずの内容で、画面作りや魔法関連のイメージ、ストーリーに面白い部分はあるが、もう一歩…と思える所も多く、食い足りない印象。
 後半に大きな仕掛けがあった『アズカバンの囚人』以外、毎回そんな出来なのだから、「そういう仕上がりなのが、この作品の個性」と捉えるべきか。

 前作でも登場した東洋風少女・チョウが、やっぱりあんまり可愛くなくて残念。
ハーマイオニーと比べ、遙かに見劣りする役者を使っては、なんでハリーがチョウを選んだのか、説得力が薄れてしまう。
 ストーリー面で、恋が成立する様子を きっちり抑えてくれるならともかく、原作は知らないが少なくとも映画のスタッフには、「ハリーの恋」なんてものを描こうという意志は全く無い、としか思えず。
 他にも色々と彫り込まなければならない要素は多かったのだし、こんなに無意味な扱いをするなら、いっそ、英断として、この恋の下りを映画シリーズから まるごとカットしてしまうやり方もあったかと。
 …それで、原作ファンや原作者が納得するかどうかは知らないけど。

 内面描写としても、初登場のルーナの方が、まだ深く描かれている。
 ルーナ役の役者さんが美少女だった事と、ハリーと共に見えないモノを見る共感具合からしても、彼女が恋の相手になるなら楽に納得できたのだが。

 元々「言い掛かりを付けよう」とする意図があったから、とはいえ、ハリーの魔法使用を咎める魔法省には無理が。
 これまでだって平気で使ってきたのだし、そもそも魔法関連の人間達には、「絶対に正体を知られてはならない」という意志が欠如していたような。

 新任オバサン教師が、実に憎々しく描けており、感心。
懲罰のための書き取りを、文字通り「刻み付ける」やり方で行わせる辺り、皮膚感として嫌さ加減が伝わってくる。
 このオバサンが強烈すぎ、それに比べるとヴォルデモートなんか、「遠慮無くぶつかって、力の限り戦えば良い」相手なだけに、扱いやすいとさえ。
 今回の映画で最大の敵は、オバサンだったと思う。
 だから、オバサンを最終的に どのぐらい懲らしめられ、酷い目に遭わせられるかが、エンターテイメントとしての出来を決める。
 ここは…不満。
こういうやっつけ方なら、何もギリギリの状況で行わなくて良かった訳だし、ちょっと悲惨でもあり(殺されていて不思議無いのでは?相手が理知的だから大丈夫?)、「ざまあみろ!」という爽快感からは遠い。

 余りにも存在感が薄く、その他大勢の一人みたいになってしまったマルフォイが、哀しい。
 最強のライバルとして、ハリーと反発し、争いながら、最終的に「勘違いするなハリー!お前を助けた訳じゃない、我が家の不名誉を濯ぎたいだけだ!」という訳で一時的にも共闘関係が成立するような展開を、シリーズの最初では期待したのに。
 そういうのは、日本的考え方なのかなあ。

 スネイプ先生の悲惨な過去が、何とも。
 かなり嫌な記憶の断片だったんだけど、フォローを入れつつキレイに片付けることは出来るのかどうか。

 クライマックスのバトルは、迫力があり、面白く見られた。
 まだまだ戦力として弱いハリー達、これから決戦に向け、レベルアップしていくのかな。


2007年9月3日 月曜日

『ゲゲゲの鬼太郎』22.「ニセ鬼太郎現る!!」

 戦力を全て奪われた鬼太郎に代わり、目玉のオヤジが頑張る、珍しい話…といっても今シリーズは 、こういう異色の話が多いような印象だけども。
 以前には、オヤジがバイトなどして頑張る話があったっけ。

 今期…見逃した話もあるので分からないが、ちゃんちゃんこについて、「祖先の霊毛で編まれている」という説明はあったんだっけ?
 いくらか鬼太郎を好きな人間には常識でも、子供達は どうだか疑問に思え。
 「不思議な力を持った服」とする理解で問題は無いし、霊毛って何なのかとか、語ると面倒なのは確かだけど。
 リモコン下駄はまだしも、鬼太郎の髪の毛まで、独立して目玉オヤジの要請を受け付ける判断力があり、今期は能力についてかなり独自の解釈が成されているのかも知れない。
…いや、これらも前からだっけ?
 その都度、設定については拡大や縮小が成される鷹揚な作品だから、細かい事言う必要はないのかな。

 前回、ろくろっ首の恋物語も、パターンながら非常に気持ち良く見られる内容で、楽しかった。
 この妖怪を、ドジっ子の萌えキャラ化してくるとは思わなかったなあ。
 このぐらい可愛い外見と性格をしていれば、首が伸びるぐらい大した問題じゃなく思える。
首が伸びないだけで、内面を見ると、そこらの妖怪を遙かに超えてバケモノじみている人間が、その辺に うんざりするぐらい居るのだし。


2007年9月2日 日曜日

『天元突破グレンラガン』23.「行くぞ 最後の戦いだ」

 ここ数話分まとめての感想。
 怒濤の勢いで、月のアンチスパイラル戦に勝利するシモン達。
 細かい事を考えさせず、血管がブチ切れそうな高いテンションに視聴者を巻き込んで、勝利を納得させてしまう作品パワーは、本当に凄い。
 毎度、相手の本体を乗っ取ってしまう戦い方は、どうかとも思うけど…
これが『グレンラガン』固有の戦闘方法なのだから、「徹底している」と言うべきか。
 ドリルを相手のボディーに無理矢理ネジ込んだだけで、「さあ、お前はもうオレのモンじゃあ!」とする考え方は、頭が悪い男として実感的に分かり易いし。

 結局、シモンら上層部を突き上げた一般市民らについては、作品的お咎めナシなのか。
 そりゃ、「お前ら、俺達 指導者に勝手な要求ばかりしやがって。反省して謝れ!謝らないと助けてやらないぞ!そのまま死ぬか?んん?」なんて言い始める、やたら根に持つ主人公は見たくないが。
 こういう展開にするのなら、恐怖に怯え、助けを求める市民達、というぐらいに留め、「悪意」を感じさせない方が良かったかと。
 今頃は、また壊れた家の補修とか、休業した間の損失補填を政府に求めてるんじゃないか、と思えて。

 シモンの死刑判決は、撤回されたんだっけ?
その上に脱獄と、政府に無断での武力行使等々、罪状は重なっているはずで、ここいらの判断も どうなってしまうのか。
 ロシウの方が、「クーデターを目論見、政府を恣意的に動かし、無実のシモンを追い込んだ罪」を背負う事で、全て帳消しに?
 いや、まだ成立から間もない国家で、建国と、重ねて救国の英雄を裁く事など出来るはずもなく、不問に処されて当然なんだけど。

 渾身の作画によるパンチでロシウを殴り飛ばし、これまでの経緯を清算するシモンの「漢」っぷりが、この作品らしい。
 次回からは、キャプテンハーロックになったシモン率いる、殴り込み艦隊の激戦が見られるのかな。



 今頃になって、録画してあったアニメスペシャル『ミヨリの森』を見る。
 冒頭五分ぐらいで、もう挫けかけたが、中途半端じゃない、かなり極端な駄作ぶりに、つい最後まで見てしまう。

 ダメな所は果てしなくあり、徒労感すら。
 大きく言うと…
今時、ダム建設を凄まじく単純に割り切って「悪」と描いてしまうのに、ビックリ。
 一昔前なら こういう話もあり得たろうが、そんな単純なものじゃない、というのは、子供でも分かる事だろうに。
このアニメの視聴対象年齢は、小学生以下限定?

 ダム建設の事前調査を止めさせるべく、講じる対策が、架空生物総出演で業者を驚かせて追い返す、という短絡的すぎるシロモノなのも、驚き。
 逆に、物珍しさに引かれ、彼らの捕獲を狙ってマスコミやハンターが押し寄せるようになると、困らないか?
まあ、そういう「社会の、ごく一般的な対応」とは無縁の作品だけど。

 酷く無責任で不愉快な、ヒロイン母の造形が凄い。
ここまで徹底して嫌な母親描写というのも、珍しいだろう。
 「給食費なんか払わない」世代の、手前勝手なオバサン像としては、実にリアル…だと思う。
 いくらか人間的にマシと思わせて、娘にハッキリ「お前って嫌な奴だな」と言い渡す人格を持ち、冒頭のみの登場で最後まで娘に会いに来ない父親も、相当なモノ。
 その二人に育てられたため、恐ろしく身勝手で頭の悪い娘に育ってしまうヒロイン、という持って行きようには、大変な説得力がある。

 ジブリ作品には まず登場しないタイプの嫌キャラ達で(『千と千尋』の両親は、人格者でなかったにせよ、それでもこの境地からは ほど遠い)、そういう意味では独自性があったと言える。
…そういう独自性を何故他の作品が目指さないのか、という疑問について、スタッフはもう少し考えるべきだったろうが。

 宮崎駿作品等で素晴らしい美術を手掛けてきた山本 二三が監督を務めているだけあって、背景は美しい。
その美しさ故に、演出の伴わない背景美術は ただのキレイな絵だなあ、と強く感じさせてくれる。
 作画には乱れがあり、テレビスペシャルとしては こんなものだろうが、劇場にかけられるレベルとは言えず。

 日本最高峰のジブリスタッフ、という強力な戦力を持つ有利な条件下にあった、とはいえ、『ゲド戦記』の方が、まだしも「見せ場」を作ろうとしていたし、何か深いテーマを歌い上げている「フリ」は出来ていたと思う。
「比較的」って話だけど。
 アニメ監督未経験者に、イキナリ2時間とかの作品を任せるのは無謀だよ、という、ごく当たり前の結論。


2007年9月1日 土曜日

『電脳コイル』14.「いきものの記録」

 先週も特番で これまでを振り返っていたのに、また総集編か…と思わせて、意外と重要な、「電脳コイル」というタイトルの意味にも迫る話だった。

 それはそれとして、フミエの弟・アキラの視点で語られる、姉による虐待の記録がムゴくて、笑ってしまう。
 アキラが姉を大きな障害と感じているのは、エネルギーに溢れすぎているフミエに対して抱く、被害妄想もしくはコンプレックス、という面が大きいのだろうと思っていたが、実際 日常的に酷い目に遭わされてるのね。
朝食の食パンに、納豆をかけられる嫌がらせ(こうやって食べる人も居そうだが)など、毎日続けられるとストレスの総和は相当なモノになりそう。

 フミエも、外見としては可愛いのになあ。
これじゃあ、弟にとって「憧れの姉」どころか、「一刻も早く袂を分かちたい邪魔な存在」でしかない。
 その反動か、姉でさえなければ良いとばかり、あらゆるタイプの女性に好意を感じ始める、節操のないアキラが、逞しくて可笑しい。

 姉の虐待現場を、動画で残しておくのはどうだろ…
こういうのは、成長による記憶の風化と美化により、段々許せるようになってくるモノなので、記録を時折リプレイして確認していたりすると、一生 心の傷が癒えないような。
 フミエにデータを見つけられたみたいだから、いずれ消去される、あるいは都合良く改ざんされてしまうのだろうが。



『らき☆すた』21.「パンドラの箱」

 毎週 楽しく見ているんだけど、意外な展開とかキャラクターの関係変化とか、そういうものが無いので、感想は書きづらい。
 「女の子達が可愛い」「ココとココのネタは笑った」というぐらいだから。
そういう風に見て欲しくて、作っているアニメなのだろうが。

 修学旅行といえば、学園漫画では一大イベント。
出来るだけ引き延ばして色々なネタを組み込むものだけど…後半十五分のみ、というアッサリした扱いで終わるのに驚く。
 まあ、旅行により場所と気分を変えて進展するのは、主に「停滞状態にあった恋愛関係」なので、そういうモノに縁のないヒロイン達には、余り意味がないイベントなのか。
 かがみが、夜、男の子に呼び出され、ドキドキして出向いてみれば…驚くほど色気のない要件。
いやー、これだけ可愛い子が沢山居て、カレシ持ちが一人も居ないなんて、ファンタジーだと思う。
 男性向けの「夢」を描く萌え作品では、「何でこんなヤツが」と思える冴えない男の子がモテモテになり、「どうしてこんなイイ子が」と思わせられる可愛い女の子が恋愛に疎い。
その逆にすると、単に「現実」と化してしまい、夢も希望も無くなるから、かな。

 エンディング。
実写で登場する男性声優さんの頑張りに、時折笑ってしまうけど…
 女性キャラが他愛もなくカラオケで歌い興じる、以前のものに比べると、特に萌え作品でやる事としては、大きく減点。
 悪ノリは構わないが、視聴者がそれを喜んでくれるかどうか、については、もうちょっと考えた方が良かったのでは。
 いや、自分以外、みんな喜んで見ている、というなら構わないけど。


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