ときどき日記 2007/12

2007年12月30日 日曜日

 コピー誌作業中。
根性のないことに、オフセット誌はまるで印刷所様〆切に間に合いませんでしたから、このコピー誌が唯一の新刊、という事になります。
 ネタは、『クイーンズ・ブレイド』の武器屋カトレアお母ちゃん。
 何とか、明日までに形にしたいと。

 ここ数年間、コミケの前日にゆっくり眠れたこととか、無いような。
 大晦日は、気温がかなり下がるようですので、会場にお越しの方は防寒準備をしっかりと、疲れから風邪など引かないよう、お互いに気を付けましょう。

 では、現地で。
 ぼくが ぼーっとした顔をしていて反応が酷く鈍かったなら、寝不足あるいは老化現象なんだな、と理解して、生ぬるい目で見守ってやって下さい。


2007年12月28日 金曜日

 映画『アイ・アム・レジェンド』を見る。
 監督は『コンスタンティン』のフランシス・ローレンス。
主演、ウィル・スミス。

 廃墟と化したニューヨークのビジュアルがとにかく素晴らしく、「誰も居なくなった街でサバイバル生活をやってみたい」願望のある人間には、堪えられない。
 サバイバル、ったって、食べられる植物を知ってるとかケガした時の対処法を学んでいるとか、そういう高度な技術を求められる状況は面倒で、DVDぐらい見たいから電気は来ていて欲しいし、レトルトやら缶詰で食料にも苦労しない環境が望ましい。
理想としては『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』の世界。

 そういう甘えたサバイバル野郎に、この映画は割合と優しい。
 これで主人公が危険と対面しなければ、「ぬるい夢」を描く作品として完璧なんだけど、それじゃ物語になり辛いのか。

 主人公が色々と迂闊。
周到なところを持ちつつも、「何でそんなミスを」と思わせられる部分も多くて。
こういう映画の お約束ではあるけれど。
 「敵」について、余り詳細に語られず、不明点が。
まあ、ゾンビ映画でも、ゾンビの発生理由や生態を明らかにしないタイプの作品があるからなあ。

 「敵」を、異質ながらも新たな秩序を持って生きていく新人類だと考えると、一人だけになった主人公(旧人類)が彼らにご無体な行いをするのは、正しいこととばかり考えられなくなってくる。
この辺りをテーマにしては、藤子・F・不二雄先生の短編『流血鬼』が素晴らしい。
 映画でも、少しはここいらを彫り込むかと思ったが…ほとんど触れられず。
かといって敵を相手に手に汗握るバトルアクションが繰り広げられる、という程でもなく、主人公の相棒の運命が最も盛り上がった箇所で、その後は物語に特に工夫なく、エンディングも物足りない。

 圧倒的に説得力がある大都市廃墟の風景。
主に、これを楽しむための映画だ、と割り切るのが吉。


2007年12月27日 木曜日

『装甲騎兵ボトムズ ペールゼン・ファイルズ』03.「分隊」04.「死の谷」

 キリコが所属する隊は、重要な任務を任せられる。
 …しかし、大部隊の命運を握るミッションだというのに、あんな僅かな人数で時間内に確実にこなしてこい、というのも無茶な話。
もうちょっと増員して良いと思うが。
 まあ、『ボトムズ』の世界観はこういう、厳しすぎる(非効率的な?)ぐらいのものだし、あんなにも戦力が隠れているとは予測していなかったみたいだから、仕方ないか。

 無能な隊員を一人加えることで、危機の設け方が非常に分かり易くなっている。
 このシリーズに、「嫌な奴」は出ているが、軍人としてこんなにも「無能」「疫病神」なキャラクターは初めて。
いや、関わった人間を不幸に巻き込みがち、という意味で、キリコも相当な疫病神だけど。
 『ボトムズ』世界で、ここまでダメダメな男が出てくると、つい裏に隠された「意外な真相」を予想・期待してしまう。

 3Dを駆使したATバトルに作る方も見る方も慣れてきたようで、前巻よりも違和感なく見られる。
 天井越しに、上に居たATを撃ち抜くなど、キリコの超絶戦士ぶりが多く描かれていたのは、嬉しい限り。

 一巻目で作品の行く末を不安視していたが、この二話はファンの期待に応えられる、出来の良い内容だったと思う。
 このまま、先に進むほど面白くなってくれるといいなあ。


2007年12月26日 水曜日

『げんしけん2』最終12話.「その先にあるもの…」

 前回あった、同人即売会場での笹原の「漫画家になれないのは、『漫画家になるにはどうしたらいいですか?』って他人に尋ねるタイプ」というセリフが、なかなかに正鵠を得ていて、深い。
 同様に、「売れないのは、『売れる漫画家になるにはどうしたらいいんでしょう?』って他人に尋ね回るタイプ」という事も言えると思うけど、それをやってるのは自分。

 「漫画描く」のと「漫画描く人になる」のと「漫画描いて生活する人になる」のじゃ、全部、全然違うから…というセリフも実感的。
 笹原、なかなか上手いことを言うし、作家に対し「プレッシャーを与える」でも「おだてて良い気分にさせる」でもなく、しかし「描き続ける動機付け」は しっかりして上げられる、という意味で、漫画編集に非常に向いているのかも知れない。

 ただ、そういうバランスが取れた、「編集者が一番してはいけないことは?」と聞かれ「作家のやる気を無くさせること」と応えるような常識的な・フツーの・特色が無い編集さんには、現実として余り会った事がなかったり。
 笹原が夢で見ていた、持ち込みの原稿を見て「これが本当に君の描きたい物なの〜?」等と問い掛けるばかりで、作家に取り特にプラスにならないタイプの編集者は、メジャー誌で見た事があるけども。
 編集さんの事を どうこう言うのは、物凄く危険な気が今したため(遅い)、以下自粛。

 内定が出た嬉しい報告を、誰よりもまず荻上にする笹原。
その電話報告が、自分に対してだけであった事を知り、喜ぶが、嬉しい表情を周りに読み取られまいと懸命に噛み殺す荻上。
 今時の大学生とは思えない初々しさが、微笑ましい。
 この二人の未来をもっと見てみたい気がするけど、終わりなのか。

 「オタクな連中の青春」を描く物語として、あるいは可笑しく、あるいは身に詰まされて切なく感じる、面白い作品だった。
 まだ色々語れるけど、どうも話の内容が作品についてより、「わしの若い頃はのぅ」といった年寄りの退屈な昔話方向に傾きがちなので、ここまで。



 WOWOWで放送された映画『ウルトラヴァイオレット』を見る。
 監督は、『リベリオン』で鮮烈な…格好良さと馬鹿馬鹿しさが同居する、『マトリックス』を更に進めたような…アクションを見せてくれた、カート・ウィマー。
 主演・ミラ・ジョヴォヴィッチ。

 ミラ演じるヒロインが、髪型から顔立ち、全体の雰囲気、挙動の有り様まで、『攻殻機動隊』草薙素子を実写化したようなイメージがあり、美しい。
自身の悲劇を動機とし、弱い者を守り戦うキャラクター付けは、パターンながら見易くて結構。

 『リベリオン』から馬鹿馬鹿しさの度合いをグッと引き上げたような、何でもアリのアクションシーン。
ヒロインが強すぎて、手に汗握る、という部分はまるで無いけど、派手なので、それはそれなりに楽しめる。
 全編に使われたCGが安っぽいのは、残念。
この出来がもっと良ければ、画面的な説得力はずっと増したはず。

 問題なのは物語で、説明不足なため よく分からない。
多分、もっとくどくどと説明を入れたところで「よくあるストーリー」にしかならないだろうから、その時間をアクションに費やす判断は正しいのだろうが。

 キャラクターにも設定にも物語にも入り込むことは出来ず、見ている間「他の誰かが操作している格闘ゲームを眺めている」ような気分に。
 ストーリーなど気にせず、ながら見して、アクションの所だけ画面を注視するのが正しい鑑賞法…だろう。



『スケッチブック 〜full color's〜』最終13話.「ひとりぼっちの美術部」

 最終回だからといって特別に構えない、穏やかな終幕。
 「賑やかで大きなイベントを用意する」のと逆で、ヒロインが美術室に一人きり(後半、もう一人加わるけど)で過ごす、普段よりも更に地味な形で終わっていくのが、実にこの作品らしい。

 ただ、その中に、居心地の良い空間にも やがて訪れる終焉の予感を描き、「代わり映えのしない日常」がもたらしてくれる価値を浮かび上がらせている。
 仄かな変化を示す空、は、確かに成長であろうけれど、果てなく続いていくかに思える心安らぐ毎日の繰り返し、から踏み出す(出てしまう)一歩でもある。
 嬉しくあり、寂しくもあり。

 「要するに、高校生活版『ARIA』でしょ?」などと失礼なことを考えていたが、まるで違い、見続けていく内 味を増す、クセのあるキャラクター達の魅力も相まって、最後まで楽しませてくれた。
 で、この枠の後番組は『ARIA』なのか…
いっそ、『スケッチブック』とリレー交代で、「ブレイド・ヒーリングタイム」として、ずっと枠を占めていけば。


2007年12月24日 月曜日

『CLANNAD』12.「かくされた世界」

 眠ったまま悲劇的な運命を辿ると思われた風子が、元気で、何気なく出て来たのに、驚く。
 主人公らの記憶は戻っていないが、彼女の方は事態を正確に理解し、未来の予想までしてみせる。
 風子の担当パートは終わり、もう物語に関わってくることはない…と思っていたけど、意外とまだまだ、重要な役割を果たすのかな。
ことみ親の研究内容として語られた、多元宇宙論が関係している?



 レンタルで映画『スターレック 皇帝の侵略』を見る。
いやいや、『スター・トレック』でなく、『スターレック』。
惜しい、一文字足りない。
 フィンランドのトレッキーが撮った映画だという事で、元々はパロディーとして そのまんまの宇宙船が出ていたが、さすがにマズいとオリジナルデザイン(痕跡は強く残っている)に置き換え商品化したもの…らしい。

 CG部分には過度に力が入っており、多数の戦艦が入り乱れる宇宙戦闘シーンは、オリジナルシリーズでも無いレベルに達していて、見応えがある。
 しかし…CGの頑張り具合と、「さっき思い付いた」程度のモノとしか思えないグダグダ・ダラダラしたストーリーの落差は、凄い。
 時間を掛け、宇宙戦闘を作り込んでいる間に、どうして誰か気が付いて「昨夜三十分で書いた推敲もしていないシナリオに、このCG作業時間の百分の一でも時間を費やし、書き直すべきではないか」と言わなかったのかなあ。
 真面目な内容にする必要はなく、パロディーで良いんだけど、それにしたってネタが薄く、「ファンをにやりとさせる」部分も少ない。
登場キャラを全員「バカ」にしたらそれだけでギャグになる、と考えているようで、どうにも。

 「バビロン5」司令官がアホほど演説好き、というのと、ロシア(と手を組んだ主人公の軍勢)が地球を支配してしまう、米映画ではなかなか見られない展開は面白かった。
 とても良く出来た日本製の予告編(DVD収録)だけ見れば、本編に付き合う必要はない映画。
いや、短いようで長い人生、こういうダメ映画を最後まで鑑賞して時間を浪費してみるのも、また一興か。



『祝25周年!あのマクロスが帰ってくるぞSP !!』

 宮迫は、割とアニメが好きな(好きだった)芸能人なんだろうと思うが、この内容なら別に出演させる意味が無い。
ド深夜に放送していたこともあり、「『マクロス』に興味を持たない人が見る」可能性は極少ないだろうし、もっと絞り込んでオタク向け特番にしても良かったんじゃなかろうか。
 いや、今更、どうでも良いけども。

 番組内で紹介されていたが、『マクロス』は確かに、色々とエポックメイキングな作品だった。
 変形するメカはあっても、現用兵器に近い、実際に飛べそうな形状をした戦闘機が、滑らかにロボットへと変わるモノは無く、バルキリーの登場は当時かなりの衝撃。
『トランスフォーマー』直接のルーツは、この作品になる?
 「異星人の残した戦艦で戦う」「それが凄まじく巨大であり、内部に街を飲み込んでいる」「歌を戦いに使うアイディア」「恋愛をSFロボットアニメの中心に置く思い切り」…独自の魅力は、数え上げればキリがなく。
 殺し・殺される事になる軍入隊を嫌がる輝に対し、「どうして?戦うべきよ」と事も無げに言い放つヒロイン・ミンメイの性格付けも、「戦争がリアルではない世代(統合戦争があったマクロス世界の、ではなく、視聴者の世代)」の描き方として、「リアル」だったと思う。
 テレビシリーズは、作画の荒れ方も酷かったし、完璧な出来の作品だったとも言い難いが、その未完成さがまた、若さと同時代性を感じさせてくれたもの。

 特番内で放送された『マクロスフロンティア』第一話目?を見る。
 作画的なクオリティーが高く、懐かしい世界観に沿った細かな描写は嬉しい。
総監督の、思想的な病気さえ現れてこなければ、最後まで見続けさせるだけの吸引力を持つ作品になるだろう。

 3Dを駆使した戦闘画面は、凄いんだろうけど、特に宇宙での戦いが見づらく、誰が何をしてどうなったのか分からない部分も多々。
 手描きアニメの時代は、絵を描き込み、画面スピードを上げることで情報量を増やし、実写に近付けようとするアプローチが成されていたように思うが、CGでは、画面的に実写と そう変わらないぐらいの情報を込められるため、見せる物を「削る」「絞り込む」作業こそが重要になる。
 単に対象物を高速で動かせ、カメラを振り回して撮っただけのアクションシーンは、実写でも余り良い評価は得られない。
 「板野サーカス」は、単に力任せに動きまくる演出、では無いんだけどな。


2007年12月23日 日曜日

 WOWOWで放送された映画『どろろ』を見る。
 手塚治虫先生の名作を、実写映画化したもの。

 うう〜ん、可もなく不可もなく。
 良くない点としては…
 どろろが子供でなく、割といい歳の見た目ハッキリ女性だと分かるキャラ(柴咲コウ)に変更されているのは、まあ構わないとしても、それをシナリオとして消化し切れていない。
「捨てられた子供の気持ち」を代弁して啖呵を切る所など、胸にズシリと来るシーンになるはずだったのだろうが、もう「捨てられる」より「捨てる」ぐらいの年齢になって何言ってんだよ、という気持ちにしかならず。

 ラスト近くのテンションの下がり方が、凄い。
 エンターテイメントなら、悪役を悪役のまま死なせてやった方が良かったかと。
誰もが悲しみを背負っている…とかいう方向の物語にするにも、積み重ねが薄く、「最後まで来て無理矢理良い話にしようとした」としか思えず。
 途中、イメージ・ダイジェストのように「様々な妖怪と戦ってきました」を見せるシーンが、気分的に一番盛り上がったぐらい。
 浪花節も嫌いじゃないけど、それならそういう方向でもっと突き抜けて、韓流ドラマぐらいに力業の泣かせを入れなければ弱い。

 特に破綻した部分はなく、最後まで真面目に撮ってあるとは思う。
そのため、「原作を破壊された怒り」を感じさせられる事はないが、「笑うほど酷いので一度見てみろ」と友人に勧めさせる動機も与えてくれない。
 テレビで放送されたら何となく見ても良いかな、という、それ以上でも以下でもない映画。



『ULTRASEVEN X』最終12話.「NEW WORLD」

 全ての謎が解かれる最終回。
 「いかにも作り物っぽい都市や人々の様子から、最初から宇宙人により、セブンの能力を計測し、盗むため仕組まれた罠なのでは」とか「既に存在しないセブンを、地球人が電脳空間に擬似的存在として生まれ変わらせたモノ」だとか陳腐な想像をしていたが、実際は、更に どうでも良い内容。
 謎解きを投げ出さずケリを付けたのを褒めるべきなんだろうけど…こんな真相なら、別段明かしてくれなくても構わなかったな。

 地球人自身を地球侵略のため金で雇って働かせる宇宙人のシニカル話や、弱々しくて他惑星と戦うようなパワーを持たない宇宙人が…という話など、各話完結のバラエティー性にこそ、見るべきモノがあるシリーズだった。
 オールドファンとしては最終話のゲストを否定できないが、この作品単体では、余計な要素だと思える。
 別段、オリジナル『セブン』の世界と繋げる必要はなく、今作の魅力だった独自のダークさを最後まで貫いてくれる方が嬉しかったなあ、マーキンド星人の雇い主に迫るとか。

 よく考えると、『X』地球への他星人からの侵略が終わった訳でなく、セブンの力を失った後、どうやって戦っていくつもりなのか…
正史のシリーズによく見られた、「地球は我々人類の手で守り抜くべきなのだ」という決意も弱いため、余計その後が不安になってしまう。
 まあ、普段から閉塞感に満ちた世界だったようだし、宇宙人の支配を受けたからって何が変わる訳でもないのかな。

 大きな期待を持って見始めたシリーズではないので、印象に残るストーリーやシーンが いくらかあっただけでも、拾いモノとして喜べる。



『もやしもん』最終11話.「輝く菌未来」

 えっ、これで終わり?
まだ主人公らが過ごす日常の、それも取っ掛かりしか描いていないと思うのに。
 菌に関与できる能力を用い、バトル展開にも出来たかなあ。
「沢木、貴様が使役する菌は…ふん、1200程度か、ゴミめ。私の菌力は5万、相手にならんな。なっ何い!奴の菌力が跳ね上がっていく!10万…15万…奴は菌に愛されているとでもいうのか!」とかなんとか、まあ「ジャンプ」的パターンに。
そんなのが面白いかどうかは知らないけど。

 主人公の親友が、女装美少女に変身したのはともかく、主人公にキスまでしてしまう動機について、あんな簡単な説明では理解しきれない。
…のだけれど、同様に考えてか騒ぐ及川の口を、長谷川が唇でふさいで事も無げにしている所からして、この作品中ではキスに大した意味はないのか。
 「同性愛だ」とか言い出すと、ヤヤコシイ話になるし。
 まあ、酔っぱらい同士がよく ぶちゅ〜っとやっていたりする、アレと同じぐらいの意味合い?

 「ファンシーキャラクター化した菌を可愛く見せる」という、なかなか思い付かないし、思い付いても実行に移す勇気が持てない極端なアイディアを、的確に、効果的に描き出し、楽しませてくれた。
 人間も菌も、登場キャラクターそれぞれが個性的で魅力あるため、彼らが生み出すドタバタをもっと眺めていたい気持ちが強く、こんなに短く終わってしまうのが寂しい。
 続きは原作で読む、あるいはアニメの第2部を待てば良いのかな。


2007年12月22日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』12.「教義の果てに」

 刹那の母国(彼自身の国はもう無いが)で行われる、キャラ設定掘り下げ話。
 生身で、町へと出て行く刹那。
…捜査能力は低いのだし、ガンダム抜きで戦っても大して強くない事から、不穏な空気に包まれた街中になど出すべきじゃないと思うが。

 「ところがギッチョン」という言葉、耳にしたのはかなり久しぶりのような。
傭兵オジサンの個性に、「やたら死語を連発する」を加えて良いかも。
 アホなところがありつつ、戦闘能力の高さ(新型モビルスーツのお陰も?)を見せつけたグラハム。
モビルスーツ性能の差を考えれば、操縦の才能はガンダムマイスターを超えているのかも。
台詞回しのオマージュに笑ってしまう。

 メインストーリーの脇で、ゆるゆる進んでいく、ルイスによる対ママ「沙慈好感度アップ作戦」。
 ママの弱味を的確に突くルイスの戦術が素晴らしい。
「敵」のデータが揃っていたから、ではあるけれど、スメラギよりずっと戦術予報士に向いて見える。
 ただ、「予想以上の成果により、ママが沙慈に危険な好意を抱いてしまう」事と、「まだ現役で行けそうなママの美貌・沙慈の流されやすさ」を計算に入れていなかったのは、策士策に溺れる、かな。



『仮面ライダー電王』44.「決意のシングルアクション」

 書き損ねていたので、今更ながら。
 存在を危うくする戦いに巻き込めないと、モモタロス達と袂を分かつ良太郎。
全てを知りながら、それでもなお、良太郎と戦い続けようとするイマジン四人組。

 ここで、損しか無いのに良太郎と共に戦う理由を、的確にはモモタロスが「語らない」。
 一言で言えば、「俺達、友達じゃねえか」という事なんだろうと思うのに、その言葉はあくまで使わない。
 もどかしくはあるけど、的確だが簡単な言葉だけで関係の描写を済ませようとしたり、酷い場合には「愛だ」と言えば全てを説明付けられたと制作者が勘違いしている作品も珍しくない現状、想いを乗せた不器用なセリフと、もっと不器用な行動のみを用い、画面から「気持ち」を伝えようとする誠実な作劇姿勢に、胸を打たれる。

 電王の変身システムや、イマジンの(まだ多くは謎ながら)設定・行動について、変だなあと思わせられる所があり、最終回まで見てもキレイに解決できるかどうかは疑問だけど、とにかく、良太郎、モモタロスらイマジン、侑斗・デネブ…彼らが生み出す関係、この面白さだけで、十分に引き付けられる魅力がある。
 やっぱり、キャラクターこそ命なんだなあ。



 ううう、各方面にひたすら頭を下げつつ、来年はもっとしっかり仕事をしていきたいと決意する年末。


2007年12月18日 火曜日

『CLANNAD』11.「放課後の狂想曲」

 強烈だった風子のエピソードが片付き、また新たにキャラクターを彫り込み始めるのは大変だろうと思ったが、ことみを対象としても、個性と魅力の捉え方・演出が実に的確。
 ことみばかりでなく、彼女と気があっている様子の渚・椋もまた「ボケ」系統のキャラなため、差別化を計るのは、本来困難なはず。
しかし、見ていると、最も常識的…フツーに近いのが渚で、常識的でありつつ積極性が酷く弱いのが椋、「攻撃的」とも言えるぐらい周囲の人間を巻き込んでボケていくのが ことみ、という描き方になっている。

 本人が持つ「調子っ外れ」さ加減を、バイオリンの殺人的演奏にそのまま乗せ、外部へと発信させていく個性表現のアイディアが面白い。
まあ、「音痴」とか「料理と称して毒を作る」といった、傍迷惑な特性に繋がる描き方ではあるんだけど。
 ことみの持つ驚く程の悪意の無さ・頼りなさが、迷惑さを打ち消し、魅力へと変えていく。

 今回、椅子から素足で床に降りた ことみが、窓辺に歩み寄り、窓の桟でなくガラス部分に両手の五指を強く押し付け、その柔らかさと帯びた湿り気を用いてくっつけ、すうっと横にスライドさせ開けていく…ここが、ふわふわと実体を持たないかのような少女に「肉体性」を感じさせてくれ、何の えっちなシーンでもないのに見ていてドキドキしてしまう。
 作画の高いクオリティーと演出の細かさ、両方揃って初めて実現できる場面。
例えば作画が悪かったなら、「ナニ無駄なシーンを長々見せてやがる」という印象しか残せなかったろう。
 この作品は、割と頻繁に、目を奪う演出や動きを見せてくれるのが、嬉しい。


2007年12月17日 月曜日

 多分、22日ぐらいに新刊単行本「セレブの棲む家」が発売になります。
 ワニマガジン社様でのお仕事をまとめた物。
 タイトル通りセレブな奥様が登場する話も多くありますが、他にも様々なタイプの物語を収録してあり、どなたにもお楽しみ頂けるものと確信しております(せめて作者本人だけでも確信してなきゃ)。
 是非、よろしくお願い致します!


2007年12月15日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』11.「アレルヤ」

 作戦の失敗はともかく、自身のガンダムが秘密の形態を明らかにしてしまった事まで、スメラギの責任として糾弾するティエリアが可笑しい。
 戦術の失敗を、一兵士レベル(元々四機だけで構成されたチームとはいえ)で挽回しよう、というのは無理だけど、その場での戦い方は兵士に任されている訳で、そこを責められても。
 「静かに自責の念に堪え、次回作戦への反省材料とする」のではなく(そればかりではなく?)、「八つ当たりでもしないと心のバランスを保てない」辺り、ティエリアもまたガンダムマイスターとしては、未熟。
 チームのメンバーに理想のガンダムマイスターへと成長してもらうため、であっても、個人的な色合いも濃い作戦に同行し、アレルヤへの配慮を見せるなど、やっぱりツンデレキャラとしての面白味があるなあティエリア。

 超人育成施設の破壊作戦。
 「仲間」に近づくことで、アレルヤが苦痛を受け正常な判断力を失う…というのをスメラギは把握していたのかどうか。
前回はそれが原因で捕獲までされたのだから、今回、単身潜入させるのは危険すぎかと。
 機関のビルを目前にして交わされるアレルヤとハレルヤの「狂」を感じさせる会話は、圧巻。
アレルヤが心の傷を乗り越え、強い意志をもって攻撃した…訳ではないのが不満だけど、それはまだ今後に成長の余地を残している、という事でもある。
 二重人格の解消を目標とせず、「能力」として同時発動を可能とし、単身ではとても操縦できない複雑な機構を持つガンダムが操縦できるようになる、とか。

 人革連。
鹵獲作戦を遂行するなら、今回のようにガンダム二機が地上で行動中、とハッキリしている隙を狙った方が効率よかったような。
 万が一、全機が地上で行動中だと、鹵獲不可能になってしまうから?
でも、現在 何機が地球に居るのか確認できないみたいだし、どのみち賭けに なってしまうはずだけど。

 腹黒そうな超人研究責任者に対し、隠し事への正確な推察を見せ、排除するセルゲイが格好良い。
 オジサンが要所を締めると、こういう戦いが主のアニメは、グッと面白く感じられるなあ。



 ひたすら仕事中。

 あと、ネットで予約してあったWii Fitが発売日に届き、連日体重測定中。
 体重計自体は持っていたんだけど、ダイエットを頑張っている訳でもなし、毎日乗る、という事はまず無かったため、画面にグラフで表され一日ごとに結構体重が増減している実感を持つのは、なかなか面白かったり。
デブだと思っていたのに、BMI値が「フツー」に留まっていたのも、意外。

 毎日計る事を考えると、Wii起動から体重測定までに(僅かながら)ボタンを押して画面を進めるプロセスがあるのは、善し悪し。
「ボードに乗っただけでスグ計れます」の方が、より負担無く済んだような。
 大して時間が掛かる訳ではないし、そのプロセスその物を「イベント」として楽しめば良いのかな。

 「うわ!しまった!昨日より体重が増えている」と測定されたら、そのままボード上で運動に移行して、不摂生を反省しつつ増加分をダイエットしている「気分」になれるのが、精神衛生上、良いところ。
 ヨガやら有酸素運動やら、どれも やってみると割合にキツく、汗をだくだく流す程ではないけれど、「運動した、頑張った」実感を持たせてくれ、楽しい。
 ボードを使わない室内足踏みジョギングは、すぐ飽きると思ったが、割合に楽しくて続けてしまう。
「床でドスドス足踏みしてないで、外に出て散歩すれば良いんじゃないの」と言われれば実にその通りだけど…「気楽に、構えず出来る」のが大きな優位点。

 買っても、面白いと思えず すぐに投げ出してしまうゲームが多いことを考えると、既に半月ほど、なんだかんだ利用しているWii Fitは、まずまず元を取っていると考えられる。
 …もっと頑張って運動利用すると、更に元が取れるゲームなんだろうな。


2007年12月10日 月曜日

 毎年キツイ年末進行ですが、今年はそれに単行本作業が重なり、もう全く身動きできない状況になっております。
 出来る限り ここの更新を行いたい、と思いつつも、とにかく時間に追われ、予断を許しません。
 この悲惨なスケジュールは、20日過ぎぐらいまで続く予定。
申し訳ありません、諸事情、ご理解いただければ幸いです。


2007年12月9日 日曜日

『機動戦士ガンダム00』10.「ガンダム鹵獲作戦」

 ガンダム各機の能力の高さは、セルゲイも知っていただろうに、完全な武装解除とかパイロットの戦闘不能(死亡)を確認せず、内部が無防備な輸送機にキュリオスを仕舞い込むのは迂闊。
コックピットを潰すとか、外装から電流を流し続けてパイロットの意識を奪う措置が必要だったかと。
 すぐにガンダムの分析が出来、ハッチを開けられるはずだったのだろうが…
しかし、「死んだふり」をして油断させ、船を破壊し、逆襲を掛ける作戦だってあり得る訳で。
 すぐ捕まってしまうアレルヤも情けないが、彼を評して語るティエリアの「万死に値する!」に笑わされてしまったから、いいや。
面白いので、これを彼の口癖に設定してはどうか。

 対ヴァーチェ作戦の、大出力火器が発射に到るまでのタイムラグを計算した回避行動は、合理的で嬉しい。
 至近距離から連続攻撃を加えるソーマ、パワーの差を機体数でカバーしようという拘束作戦、関節を固着し、搭載砲の動きさえ押さえ込もうという徹底ぶりは、老練な軍人が指揮する部隊の有能さを感じさせてくれる。
…輸送艦に仕舞い込む前に、キュリオスの関節も、粘着物質で固めておけば良かったんじゃ…

 キャスト・オフするヴァーチェ。
 長い髪の女性っぽいガンダムになる所からして、パイロットであるティエリアの実体も女性?
「あ、あんたなんか、まだまだガンダムマイスターとは認めてあげないんだからねっ!」というようなツンデレキャラ化してくれると、野郎のファンが増えるかも。
 担当声優が男性のような気はするけど、まあ人間誰しも欠点はあるもので(笑)。

 再度、凶悪な性格が表面化するアレルヤ。
ソーマを いたぶったりしているから、敵の殲滅に失敗してしまう。
 おまけに、一パイロット相手にベラベラと自分のことを喋ってしまうし。
敵パイロットの機体にブラックボックスが搭載されており、最後の会話を録音したそれが後に回収されたなら、マズい事にもなりそうだけど…まあ、もう「極秘で完璧なガンダムチーム」という前提は崩れている訳で、今更か。

 命を賭けてセルゲイらの脱出を助ける人革連のパイロットが、格好良い。
キュリオスと共に自爆していれば男前のままで散れたろうに、迫る死を前に恐怖で取り乱す様を見せては台無し…なんだけど、その格好悪さが人間として「リアル」。
 非道なアレルヤに怒りを燃やすセルゲイ。
うーん、こちらの方が主人公っぽいなあ。
 次回、アレルヤの抱える事情が描かれることで、感情移入のバランスを変えてくれるのだろうか。

 全てが上手く行かない、グズグズの戦いだったが、意図して描かれたその戦いの面白さがきちんと演出されており、見入ってしまう。
 チーム(軍隊)として連携が取れている人革連軍に比べ、バラバラなままのソレスタルビーイング・ガンダムチーム。
もうちょっと相互理解が必要じゃなかろうか。
 「弱点をカバーし合わなければ勝てない」事が身に染みて分かったはずのこの戦いを、その切っ掛けにするのかな?


2007年12月5日 水曜日

『スケッチブック〜full color's〜』10.「出会いの先」

 絶賛したり、内容から深い感銘を受けたり、という作品ではないと思うが、ほのぼのとした日常の描き方と、どこか抜けたキャラクター達が織りなすコミカルなドラマに笑わせられ、癒されてしまう、良品。

 時折、こう詩的なイメージがあって、今回冒頭でヒロインが呟く「長い試験が終わって、顔を上げてみたら、辺りの色が変わっていた」というセリフなど、生活から言葉を切り出すセンスの良さに感心してしまう。
 自前の水筒からお茶を飲みつつ、ふとした変化に感動し、日々を言祝(ことほ)いでいくヒロインに説得力を持たせて描き出すには、作者自身にも そういう素養が必要。
原作者は必要十分にそれを持っている、という事なのだろう。

 妙にテンションを上げ校舎裏写生会を意味づけていた先生が、突然カバンから枕を取り出しベンチに横になって漏らす、「自分を欺くのも限界が来た、後は好きにやってー」というホンネになると、内心を正直に言葉にし過ぎていて、詩的を遠く離れ言っちゃならんエリアに。
 そういえば、自分の高校には校舎裏スグに大きな川が流れていて、河原もあったのだが、学生で居た間(今に至っても)一度もそこに降りてないような。
「必要」が、まるで無いからなあ。

 遠くまで引率するのが面倒だから、という動機ではあるけど、特別でない裏山の中からでも美しさを見出し、楽しみなさい、とする先生の考え方は、「普段行かない場所のキレイな景色を見て当然のごとく感動する」より、もしかして多くのことを教えているのかも知れない。
 いや、先生自身はそんな教育的なことまで考えていないと思うが。



『電脳コイル』最終26話.「ヤサコとイサコ」

 やっぱり、謎解きが先行し、ドラマが従になって終わってしまったような印象。
 示された世界の全体像は、かなりよく考えられている、興味深いものではなかったかと思う。
だから、「そこそこ」「まあまあ」ぐらいのアニメだったら、この終わり方でさして問題を感じなかったろう。
 しかし、ここまで見せられてきた個々のキャラクターが持つ魅力と互いの関わり方、電脳空間を親しみやすく「子供のごっこ遊び」を延長したものとして楽しく示す手腕など、それだけを目指しても他作品ではなかなか実現できない高いレベルにあったので、それらを差し置いてまで、「謎解き」を優先して終わってしまう作り方を、勿体なく思う。

 ヤサコとイサコの関係は、距離を詰めていく過程を不足気味に感じつつ それなりに描けていたが、とにかく終盤、フミエやダイチ・黒客メンバーの影が薄く、残念。
 フミエとダイチによる幼い恋の進展とか、アキラが姉に負けない「男の子」になって行く(意味を持たすなら、負けっ放しでも)様子は、是非見たかったところ。

 ヤサコについて、前の学校でイジメを行う立場に居た?という情報が示されるが、さしたる葛藤も克己もなく、放置で終わってしまうのに拍子抜け。
かなり重要な要素だったと思うのに。
 イジメ対象と交わす僅かの会話や、イサコに対する態度で、全てを含め「ヤサコの成長」として終わらせた、と取れなくもないが…
 ラストで彼女が見るのは電脳ペットの幻(?)であり、友人達の元に駆け込んでいく、今を生きていく姿では「ない」、というのも、なんだか消化不良な気分にさせられる要因。
いや、デンスケは、他の人間キャラを凌駕するぐらい良い・泣かせるキャラだったと思うけどね。

 繰り返すが、この作品に対する不満は主に、「もっと面白くなったはずだ」「これで満足して見終わるには、途中までスタッフが見せてくれた可能性が大きすぎる」という、過度な思い入れと傍迷惑な期待に寄る。
 友情もアクションもバトルの迫力も謎解きも、見た事が無いようなビジュアル・イメージまで詰め込まれている作品で、この上まだ何か求めるのか!と言われると、全くその通りなんだけど。
 すぐ再放送が始まるみたいだから、見返してみて、理解しきれなかった部分を補完しようと思う。


2007年12月2日 日曜日

『CLANNAD』09.「夢の最後まで」

 風子編、終章。
 本当は病院のベッドで寝たままなのだが、意識だけが抜け出して学校に通い、ヒトデ型の彫刻を作っては学生に渡し、姉の結婚を祝ってくれるよう頼んでいた風子。
…触ることが出来たし、彼女自身 食事も出来たようなのに、「幻でした」とする設定には、無理がありすぎるぐらいだと思うけど…

 それを、おバカさんながら一途で可愛らしい風子のキャラクターと、どうしようもなく周囲の人々に忘れられていく悲劇、姉の結婚に向けて盛り上げる渾身の演出で感動的にすら見せてしまう、スタッフの力業に感心。
 結局、風子はこの後、相当に悲惨な運命を辿っていくのだろうが、仄かに希望を示す、優しく切ない終わり方も良い。

 ここ数話、一生懸命に風子を彫り込むことで、彼女はかなり魅力的なキャラクターとして見る人の印象に残せたと思う。
 その代わり、他のヒロイン達は渚以外ほとんど描かれておらず、次回以降、攻略対象を変えて物語を再スタートさせるのが、なかなかキツそう。


2007年12月1日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』09.「大国の威信」

 宇宙空間の戦いで、「後ろから襲う」という作戦には どれほどの意味があるのかなあ、と思うけど、それは『銀英伝』でも良く用いられていた概念だから良いとして。
 戦術予報士お姉ちゃんが絶対の自信を持って作戦立案したのだろうが、圧倒的なパワーを持ちつつも、総数四機しかないガンダムチームとしては、固まって来る敵に対して小細工せず戦いを挑み、敵陣の只中に斬り込んで数の差を逆手に取り同士討ちをも誘ってみる、ぐらいが妥当だったような。
挟撃したければ、対峙してからでも、キュリオスの超絶運動性能で後ろ側に回り込むことは出来たろうし。

 陽動・挟撃部隊にはスピードが要求されるだろうに、ヴァーチェを出す意図も謎。
いや、モビルスーツの性能はまだ未知数なので、意外とヴァーチェはパワーにモノを言わせた恐ろしい機動性を発揮できるのかも知れないが。
 エクシアは戦力として余り頼りにならない、という事実もあるのか。
 …と、難癖は付けられるけど、互いの手の内の読み合いは楽しく、初めて危機的状況に陥るソレスタルビーイング一行も、追い込んだのが軍人のオジサンだという見せ方にも、興味を引かれる。

 ドラマ的には、突然 泣いているグレイスに対し、取って付けたように話しかけ自分語りをするロックオン、と、やっぱり余り感心しない。
 いくら何でも、前回チョイチョイと拠点を攻撃しただけでテロが収まりはしないだろう、と思っていたのに、どうも沈静化したみたいで、拍子抜け。
 お姫様も、刹那の情報は他に漏らさないでくれたのね(急に援助がもたらされる事になったのは、その情報目的?)。

 まあ、ロボット物なのだし、バトルが面白ければ それでかなり「良し」に出来る訳で、次回、ソレスタルビーイングによる反撃が見所に満ちたものであるよう、期待。



『ULTRASEVEN X』08.「BLOOD MESSAGE」09.「RED MOON」

 8話。
 赤いコートの女による、連続殺人事件が発生。
 …超常的な殺され方はしていたんだろうけど、基本的にこういう事件は警察の管轄じゃないのかなあ。
この世界に、常識的な警察が存在しているのかどうかは知らないけど。
 頑張って構成した話、だとは思うが、こういうストーリーで意表を突こうとすればするほど、「意表を突く場合のパターン」に嵌ってしまい、どこかで見覚えのある内容になってしまう。
今回も、『殺しのドレス』とか、割合メジャーなタイトルと酷似。
 憐れな宇宙人に対し、躊躇わずアイスラッガーをもって断罪する、断固としたウルトラセブンには、笑ってしまった。

 9話。
 ううう〜ん、これも小道具や、現在と過去が絡み合う筋立てにより、凝った話として見せたい気持ちは分かるんだけど…
興味を引けるほどのストーリーではないし、現れてくる真相も「それが?」ぐらいの感想しか喚起されないもので、ちょっと厳しい。
 毎回、どの事件でも犯人は宇宙人だろうに、「実は犯人の怪人は宇宙人だった」として終わる意図も分かり辛い。
「犯人は普通の人間だった」の方がずっと意外かと。


ときどき日記・目次へ

07/11の日記を読む