ときどき日記 2008/03

2008年3月31日 月曜日

 レンタルで、映画『ベクシル-2077日本鎖国-』を見る。
 監督は、『ピンポン』の曽利文彦。

 映画『APPLESEED』でも感心させられた、そのままのCGではなく若干アニメ調に処理した…トゥーンシェーディング、でいいのかな?…画面が非常に美しく、「よくここまで」と感心するぐらい作り込まれていて、画面から目を逸らさせないだけのパワーがある。
 日本映画の枠を越え、技術的にはハリウッドとも勝負できるレベル。
 美形キャラの造形は良く出来ているんだけど、「味のあるオジサン」といったキャラになると、途端に不得手な部分が見えてしまい、残念。
「少女漫画家がムリして描いたオジサン」にも思える。

 主役級のキャラクターに俳優を起用してあるが、その声の演技は(予想通り)余り上手くないため、ややもすると「キレイなお人形さん」に見えるキャラに、「命と感情を吹き込む」という所まで行けず。
 特にCGキャラでは、声の演技力がとても重要なのに…

 物語。
 タイトルにもある通り、未来で起こる「日本鎖国」状態が、ストーリーの大きなカギになっている。
 しかし…このスケールが大きすぎ、映画の中では消化しきれていない。
いや、この作品なりに鎖国の内情を描いているのだが、明かされる真相はスカスカの雑なもので、劇中に見られるのは、日本でも ごく狭い範囲の出来事に限られている。
 これなら、「八丈島鎖国」ぐらいで十分だったんじゃなかろうか…それが映画のアオリ文句としてガツンと機能するかどうかは疑問だけど(八丈島の人ごめんなさい)。

 主人公らが直面する事態や敵を大きく設定し過ぎると、映画に現実感が無くなり、観客は自分と切り離された世界の出来事に思ってしまい、「ふーん」以上の反応を引き出しづらくなる。
 これだけ現実の日本と隔絶しているなら、いっそ、舞台を架空の世界にした方が納得させ易かったろう。
 『APPLESEED』は、そこいらを比較的上手くコントロール出来ていたように思うが、この作品では失敗。
 「孤立を恐れず、世界に対し断固とした姿勢を見せる日本」と「日本とモメる事を恐れ、日和見主義で通したいアメリカ」という、現実と正反対の国家関係は、有り得ないと思いつつ何だか可笑しかったけど。

 「ある事態」に陥っている日本の内情に対し、ヒロインは有効な手を打つことが出来ず、結局は「悪のボスを倒す」といった分かり易いレベルの作劇に終始する。
ボスが背負うドラマも安っぽく…日本鎖国、という異常事態の中心に居座る悪役としては、余りにも どうでも良い。
 こればかりのアクションを描きたいのなら、ストーリーは「ロボット犯罪組織と捜査官の戦い」ぐらいに抑えて構わないのでは?
 風呂敷を広げすぎたため、多数の綻びが生じ、キレイに畳む事も出来ず、肝心のアクションシーンを楽しんでもらう前に観客の頭を不満と疑問符で一杯にしてしまった。

 頑張って作り上げられた拘りの画面が勿体ない、「語りたい事・見せたい物・感じ取って欲しいテーマ」の絞り込みを怠った映画。
 この高い技術の器に、どんな凄い物語でも盛り込む事が出来たはずなのに…と思うと、ひたすら勿体ない。



『みなみけ〜おかわり〜』最終13話.「みんな揃って、ごちそうさま」

 長女の留学を巡るドタバタ…というより、ハンバーグ作りに関わる騒動が話の中心。
 料理の失敗を漫画的に描く際、よくやる「想像を絶するマズいシロモノが出来た」という見せ方はせず、焦げてしまった・材料を違えて微妙に変な仕上がりに、といったリアル気味の失敗を描いていたのが、珍しい。

 不安と寂しさを抱える三女の布団に潜り込み、一緒に寝てあげる次女は、初めてに近く姉らしい行動を見せたのか、自分の不安を三女の体温で紛らわしたかっただけか。
 長女を前にして、堪えきれず涙を溢れさせる三女の表情変化、二人が抱きついた長女の体を柔らかく見せる表現など、作画がとても良く、シーンを盛り上げる。
お陰で、話の内容としては特筆する程でもなかったと思うのに、何だか良いモノを見たような印象が残ってしまう不思議。

 ラスト、まだアニメのオリジナルキャラであるフユキに拘っていたのが、何とも。
 それも、「三女自身はフユキの部屋の表札前を無表情に通り過ぎていた」のに、スタッフの側から「フユキの手紙が届いていた」というイベントを挟み込み、無理矢理 思い出させ感情変化を起こさせる強引さ。
 このシリーズをフユキで締めたいのであれば(本当のオチは保坂だったけど)、彼を もっと作品の中心に据えて物語構成を考えるべきだったろうに。
そこは躊躇い迷い、中途半端な扱いに終始しながら、未練がましく作品内にその残滓を示そうという姿勢には、感心しない。

 全体に、原作がしっかりしているせいか、キャラクターは面白く、コメディーとしても たまに笑える部分があり、全体に作画も良かったが、「目的の はっきりしないオリジナル要素」に足を引っ張られ、スッキリと混じりっけがなかった無印に比べると、評価は落ちてしまう。
 作品として、まだまだ続けられる内容だと思うから、スタッフを無印に戻して、あるいは総入れ替えで三番目の制作体勢を築き、もしくは反省を踏まえるなら『おかわり』スタッフでも構わないので、続編を期待したい。



『true tears』最終13話.「君の涙を」

 見ながら、わーっと色々な考えが頭をよぎり、まとまらない。
 いい話だったしシンドイ話だったし、嬉しくもあり悲しくもあり…
三角関係は、興味を引きつつ展開していく最中は作る側もアレコレと波乱を入れて楽しく工夫できるが、まとめ上げる段にこそ構成能力と暖かさと非情さが必要とされ、取りこぼした者へのフォローも必要だけれど、やりすぎると「都合のいい話」になってしまうのでバランスの取り方が酷く難しく、大変だなあとか、とにかく色々雑多な考え。

 眞一郎の選択が、比呂美の方であって良かった。
それは、個人的嗜好として「幼馴染み属性」というようなモノがあるから、でもあるけど、こういう作品のパターンとして、妥当なラインへの帰着を避け、「奇矯なキャラ」を選ぶ傾向があるように思われたから。
 しっかりした女性には、「君なら、ボクが居なくても大丈夫」と言いやすい。
フラフラした危なげな女性に「支え」として入る方が、ドラマティックであり、据わりも良い。

 この作品で、比呂美が しっかりしていると言えるかどうかは、分からないけど。
固く閉ざした心の内側が見えてくるにつれ、弱さ・脆さ・可愛らしさが顕わになっていたので。
 部屋に呼んだ眞一郎のマグカップを、彼の手ごと引き寄せて中のコーヒーを飲んで見せ、「間接キス」を演出し、精一杯の親愛と無防備と許容と欲求と、子供な眞一郎にはとても扱いきれない「女」の面を晒す比呂美に、ゾクゾク。
こういう細かな芝居の付け方が、実に上手い作品だった。
 独立して生きることを決意するのは、まだ強いからかなあ、とも思うけど、乃絵も兄と別居になる選択を(望んだ訳ではないが取り乱す事もなく従容と)受け入れ、一人 生きることになったという意味では、変わらない。

 そういえば、この作品は「二組の、普通ではない兄妹の話」だったと言えなくもない。
眞一郎と比呂美は、結局 兄妹ではなかったが。
 愛情が介在していながら、血が繋がっているというだけで(『だけ』と言ってしまうのが職業病)、気持ちが成就する事のない純と乃絵…乃絵には「親愛の情」以上のものは無かったようだけど。
 眞一郎・比呂美が兄妹であった場合、二人は互いを諦め、乃絵兄妹と入れ替えて二組のカップルを作り、乃絵以外はそれぞれに心の傷を引き摺りながらも、上手くいったのだろうか。

 しっかりと歩き、去っていく乃絵の背中に向かい、「眞一郎とアブラムシ」の歌を歌いながらグズグズに泣き崩れる眞一郎。
この余りにも格好悪い姿が、一方の少女を選ぶための代償となっていく。
 「俺、全部ちゃんとするから」という格好良い、都合の良い言葉通りに終わらせず、みっともなく崩れる姿を晒させる事がスタッフの…眞一郎自身にとっても「誠意」となり、後味の悪い身勝手な話から作品を引き上げる。

 最後の最後に自分の涙を取り戻し、風に乗せ、祖母が昇った空に向かって散らしていく乃絵。
「私…涙、あげちゃったから」で始まった作品を閉じるのに、こうなるのは必然であり、考え得る限り最も腑に落ちる終わり方で(喜びの涙…も有り得たろうが)、ただ感心。
 こういうギャルゲー(原作ゲームとは全然違うみたいだけど)へのアプローチもあるんだ、と驚かせてくれる、特異な、情熱を持って作られた面白い作品だった。


2008年3月30日 日曜日

『おねがいマイメロディ すっきり♪』最終52話.「温泉ですっきり!?」

 邪悪な夫婦と激しいバトル展開…というような内容ではなく、ほのぼのと終わってしまう。
 キャラクターや基本コンセプトから考えれば、これまでのシリーズで割と盛り上がったクライマックスを迎えていた事こそ、不思議なんだけど。
 前回、視聴者から負け犬オーラを集める下りが可笑しかった。
『ピーターパン』と『ドラゴンボール』元気玉を合わせたような演出。
 負け犬の自分としては、負のオーラならいくらでも出せるけれど、今回要求されていたようなプラスの(?)エネルギーは協力できないっぽい。

 毎回、短い時間の中で、ワンアイディアを広げつつ、無駄な部分は極力刈り込み、楽しませてくれるシリーズだった。
 ラストの意味ありげなウサミミ仮面の言葉、次期シリーズの告知から、まだまだ『マイメロ』ワールドは続いていくのか、と思ったが…
予告では、画面の雰囲気が随分と変わってしまっている(3Dキャラ?FLASHアニメっぽい)。
 レギュラーキャラも入れ替わりそう。
 面白くなるのかどうか、取りあえず一話目は見てみよう。



『R.O.D -THE TV-』01.「紙は舞い降りた」

 東京MXで再放送が始まったので、見る。
 本放送でも見ていて、感心した覚えはあったが、サイン会の場で爆弾を巡ってのアクションまではともかく、続けて飛行機で…の下りを すっかり忘れており、初見のごとく楽しんでしまう。
脳が弱っていくと、こういう所は得だなあ。

 ねねねの職業や性格、三姉妹それぞれの個性を きっちり示し、襲撃者を退ける三姉妹の「紙」能力を印象的に見せ、しかもアクションは二段構えになっている、という、シリーズ開幕を告げる第一話の作り方としては満点、いや娯楽度が高い分、それ以上とさえ言える出来。
 これ一本で完結するOVAだとしても、十分満足できるぐらい見事な構成。
 いやあ、凄い。

 この素晴らしい作品が、どうして後半、あんなにもグダグダになってしまったのか…
 とりあえず、前半、香港大バトルまでは見続けたい。


2008年3月29日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』第一部最終25話.「刹那」

 全編バトルの連続で、迫力のある内容だった…が…
 アレハンドロの乗機は、結局何だったんだろうか?
イオリア・シュヘンベルグの「墓」に隠してあった極秘の兵器?
 ジンクスが一度にドカッと登場した事からも、まだまだ隠された兵力はありそうなので、彼が普通に所持していた機体、とも考えられるか。
 ソレスタルビーイングの何人居るか分からない評議委員は、各員一機ずつ こういった超兵器を所持している、という設定だって、別に驚かない。

 実戦はリボンズ(アレハンドロに対し操縦能力をどのぐらいに見せていたか不明だが)、あるいは配下のパイロット(居るなら)に任せれば良いのに、単身 戦場に乗り込んでくるアレハンドロの気持ちも不思議。
彼が、経験を積んだ優れた戦闘要員である、という描写は ここまでにあったんだっけ?
 乗機の機体能力が桁外れに高い、とはいえ、戦闘のプロフェッショナルとして集められたはずのマイスターズと互角にやり合うのは、相当な才能を必要とするはず。
 「アレハンドロは、惜しいところで選考に漏れたガンダムマイスター候補。落選を根に持ち続けている」というなら、「ちっちゃい男だなー」とは思うけど、全てに筋が通るか。

 見た事もない超兵器に乗って参戦してきたアレハンドロを、各国パイロットや首脳部は、どう捉えていた?
景気よくジンクスもプレゼントしてくれた事だし、「敵の敵だから、味方」と単純に割り切っていたのだろうか。
 アレハンドロの目的が「新世界を俺色に染める」だったら…組織の全貌を誰も知らない(ように見える)ソレスタルビーイングの中核であるヴェーダを手に入れた以上、そこに自分の意志を反映させていった方が、効率よく意図を達成できそうなのに。

 どうも、アレハンドロが、自分の考えをベラベラ喋りながら刹那を殺そうとする画面に疑問符が一杯付いてしまい、乗り切れない。
 ヴェーダ上からリボンズを排除しようと迫るマイスターズに対し、ハッキングが終了するまで時間稼ぎをしようとアレハンドロが発進、ぐらいの理由付けでもあれば良かったんだけど。

 対アレハンドロ戦で大概ボロボロになったエクシアに、迫るグラハム。
…何というか視聴者の感想としては「ヒキョー」だし、漁夫の利を狙うザコみたいな扱いで、イメージダウン。
喋っている内容にしたって、感心しないモノが多いし。
 「万全の状態のエクシアとも、改造フラッグで互角に渡り合うグラハム」であって欲しかった。
 彼は復讐鬼となっており、思いが遂げられれば手段など選ばないのかも知れないが。

 セルゲイとソーマの疑似親子関係は、殺伐とした戦いの中、唯一ほのぼの要素で、嬉しい。
 ソーマとの因縁を引いた事で、アレルヤは第二部への生存を約束される。
「ハレルヤだけ死んだ」というのがよく分からないけど、体を半分ずつ使っていたのにハレルヤ半身へ被弾したから?
まあ、死んだ人格のハレルヤはシゴフミ配達人にでもなって帰ってくれば(違う)。

 世界は良い方に変わっていこうとしているのか、マイスターズの理想は僅かなりと叶ったのだろうか……という終わり方。
 未回収の伏線等、消化不良な部分はあるけれど、「テロリスト達の夢」が見事実現されて終わるのも正しい事がどうか分からず、「道半ばでの終了」は作品に相応しいのかも知れない。
 いや、当然ながら第二部に続くのは知っていて。
これはコレでアリかと。

 エピローグに、四年後として、また動乱の時代を迎えそうな世界やキャラクター達の様子が示される。
 「死んだと見せて実は生きていた」キャラが続々出て来そうだなあ。
コーラサワーだけは もう何でもアリだから、何度死んでも「いやあ、危ないところだった」と言って帰ってきて構わない。



『狼と香辛料』最終13話.「狼と新たな旅立ち」

 シリーズを通して、「商売」に関わる やり取りの描写は余り上手くなく、アイディアが掛かっているのだろう事や、意外さ爽快感を与えてくれようとしている事は分かるけれど、それを十分に楽しめたとは言い難い。
 ただこれは、商業基礎知識がまるで無い自分のような人間に、「違法ギリギリの手を使って株で儲ける方法」を説明するようなもので、本気で分かり易くしようとすると延々説明が続き、しかもそれだけの時間を費やしても見た人の感想は「へえ、そんなものかね」に留まる恐れがある。
それなら割り切って、最初から、分からない人には「よく分からないけどまあイイや」とだけ思ってもらえば良い、とする判断も間違っていないだろう。
 「そんなモノより、ホロの魅力を描き出す事に全力を傾けてくれ」というのが、自分含む多くの視聴者の希望だと思うし。

 老成しているようで少女のようでもあり、頭が良いようでおバカさんな部分を持ち、「種族の壁」を気にする事なく主人公に全開の(僅かにツンデレの)愛情を向けるホロは、素直に好感が持てる、ひたすら可愛いヒロイン。
いや…今回、命懸けで群れに立ち向かうホロに対し、「彼女の服を濡らさないよう一生懸命運ぶ」主人公の方が、「健気なヒロイン」の立場?

 作品の方向が、次々に襲い来る魔物達とホロのバトルストーリー・次第に勇者として覚醒していく主人公含む…というモノだったりしたら、二人の関係や会話の雰囲気がこうで有り得たかどうか分からず。
そう考えると、旅の商人という体裁、主人公の性格付け、世界の形や登場するゲスト(羊飼い少女など、明確に)まで、「ホロの魅力をガツンと立てる」ためにあった、と思える。

 すっかり引き付けられていたもので、ホロと(主人公も魅力の無い男じゃないんだけど、やっぱりホロ)お別れになるのは寂しい。
 原作は継続中のようだし、好評であれば、続編が作られる可能性もあるかな。


2008年3月28日 金曜日

 WOWOWで映画『ワールド・トレード・センター』を見る。
 オリバー・ストーン監督。ニコラス・ケイジ主演。

 ほとんど情報無しで見たため、ニコラス・ケイジが救助に活躍する内容かと思っていれば、ほぼ全編 生き埋めになったままで、しかも画面が暗くて誰がやっても余り変わらない役柄……いや、そういう状況でなお存在感を誇示できるのはさすが、と言うべきなのか。
 事実を元にしている事で、純粋に映画としては説明不足な点があり、「これ誰?」というキャラクターが突然出て来たりもする。
 しかし、主人公らの安否を知らされ、一喜一憂する家族の様子は上手く描けているし、自分を犠牲にする事も厭わず目の前の命を助けようとする男達の行動は、「分かり易すぎるお涙頂戴」と揶揄も出来るけど、素直に感動的。

 ただ…舞台となっているのがテロを受けたビルだ、という事を考えると、鑑賞後感はフクザツに。
 「地震で倒壊したビルに生き埋めになった男達の話」でも、ほとんど同じ内容には出来たんじゃなかろうか。
 人間が持つ恐ろしい面が米国内においてはっきりと姿を見せたあの時、あの場所に、人間の素晴らしさもまた強く示されていた、というテーマだとすると、題材に意味はあるが。

 9.11について語るのはとても難しくて、「アメリカがひたすら可哀想だ」とも、「悪の報いだざまみろアメリカ」とも出来ない。
 この映画では、そういう部分に出来るだけ踏み込まず、事件が起きた現場の話に限定して描いてある。
それでも、そうした作り方自体が、見た者に意図や志への疑問を感じさせてしまう、それぐらい難しい題材。
 そこまで含め、見た者に賛否様々な気持ちを生じさせる、という意味で、オリバー・ストーン監督らしい映画、とは言えるのかな。



『CLANNAD』番外編.「夏休みの出来事」

 番外編というから、本編とは繋がりのないアナザーワールドの話だったり、誰か脇のキャラ(渚両親の若い頃とか)を描く事になるのかと思えば、普通に前回の続き。
学園祭は終わっているし、主人公も無事告白を済ませている。
 違いと言えば…コミカルな色合いが強いこと、ぐらいだろうか。

 高校も三年になりながら、主人公も渚も、手を繋ぐだけでドキドキして、精一杯頑張っても息を吹きかけての間接キス(?)ぐらい、という、とてつもないレベルの純情可憐ぶり。
 純粋培養っぽい渚はともかく、男である主人公は もうちょっと、年齢相応の認識を…せめて普通に手を繋ぐぐらい…持っていて不思議ないと思うが…
幼くして母親を亡くしている事が、何か影響を与えているのだろうか。
いや、やりたい本能全開で鼻息荒く迫る男より、ずっと好感が持てるけれど。
 この「幼さ」こそ、「番外編」のユエン?

 可愛い、理想的妹キャラかと思われた芽衣が、意外にも世慣れた、若干「黒い」部分を見せる。
あの兄と血が繋がっているだけある…というか直情径行・自爆型の兄より ずっと策士。
 渚母のマズいパンを食べての感想が、「とっても美味しそう『でした』」とする、ウソが含まれない見事な言い回しであるのに感心。
 しかし、母がもうちょっと鈍くなければ、この表現に込められたトゲに引っ掛かりを感じたはず。
「こういう言い方をしても問題点には気付かない相手だ」と鋭く見抜いた上での言葉選びなら、更に賢く、「黒い」。
 このお母ちゃんは、ダンナの発言に傷ついていても、脈絡なく「好きだ」と言われただけで、すぐ前の事をコロリと忘れて喜んでしまうぐらい単純なので、芽衣の読みは全く正解なのだが。

 渚が「こちらの話です」と言う時の手の振り方、ベンチに座る時 スカートを腰の下に巻き込む女の子らしい動作…一々書くと果てがないぐらい、細かい、気持ち良い動きが連続。
作画のクオリティーは、毎度ながらとても高い。

 これで作品とお別れなのは寂しいが…
『アフターストーリー』が作られるようなので、見られる日を楽しみに待ちたい。


2008年3月27日 木曜日

 WOWOWで放送された映画『エラゴン 遺志を継ぐ者』を見る。

 間違っている所が無い、ファンタジーとして実に正しい内容の映画だと思うが、既存のパターンを裏切ったり乗り越えたりしている部分が ほとんど無く、見終わって物足りなさが残る。
 粗筋で言えば、「ドラゴンに乗る選ばれた少年が、悪の魔法使いをやっつける」というようなもの。
『ロード・オブ・ザ・リング』だって、まとめると「悪の魔王の力を封じた指輪を捨てに行く話」であり、これだけ聞くと、今更そんな内容の映画など見たい気分にはならないが、画面の端々まで見て取れる拘りと、キャラクターの良さ、ストーリー運びの巧さ、アクションの大迫力で、「面白い!」レベルにまで押し上げていた。
 だから、作りようによっては『エラゴン』も、十分に大人の鑑賞に耐える、出来の良い作品に仕上げることは出来たと思うが…

 長い原作をダイジェストした、というのがすぐ分かる、とにかく駆け足の展開。
重要そうなキャラが呆気なく片付いたり、出て来たばかりのキャラについて関心も薄い内に意外な出自が明かされたり…「タメ」が足りないもので、見ていて感情移入できず、「作り手の都合で強引にストーリーが進められている」と感じるばかり。

 この映画は、「ドラゴンと少年の関係」が最重要ポイントだと思う。
いかにして心を交わし、信頼関係を築き、互いの力を最大限に発揮できるようになっていくか、が。
 せっかくドラゴンを卵から孵したのだから、懸命に世話をする少年、育っていくドラゴン、大きくなりすぎたが故の苦労、共にあるため村を離れる決断…といったパターンのイベントで、短くても、絆を演出することは出来たろう。
 しかし…実際は、ドラゴンは一瞬で成長、さっきまでネズミ(?)を食べていたのに、途端に賢く、忠実になって、当然のごとく主人公と一体になり戦う。
単純なRPGぐらいの描写になっており、薄い。

 ドラゴンのCGは頑張っていると思うし、クライマックスのアクションにも迫力がある。
 何しろ「正しいファンタジー」なので、満足は出来なくとも、見終わった印象は悪いものでない。
 旅立ったきり今作には出てこない従兄や、倒してないボスキャラが控えており、続編を映画化していきたい気持ちは強くあるのだろう。
それを可能にするほど、当たったのかどうか。



『true tears』12.「何も見ていない私の瞳から」

 連続鑑賞で、ようやく放送に追いつく。
 主人公が同時に三人の女の子から想いを寄せられる、ハーレム物の骨格を持ちながら、気持ち良さや楽しさを前面に押し立てず、逆に気まずさ、息苦しさといった、「負」の方向にも行きかねない気分を強く感じさせる、独特のドラマ作り。
 ヒロイン三人は それぞれ個性豊か。
皆 魅力があり、主人公争奪戦を面白く見せてくれる。

 印象に残る場所を多く設けているのも、この作品の特徴。
主人公の部屋へと続く階段下の廊下、学校の鶏小屋の前、海沿いの堤防、祭りの舞踏の練習をする公民館…
 イベントと絡め、記憶に刻む作り方が、実に上手い。

 それらに引き替え、争奪戦のターゲットになる主人公に、余り魅力がないのは残念。
魅力がない、というか、ヒロインらを傷つけてフラフラしてばかりいる様子には、苛立ちさえ。
 もう少し視聴者に近く…悪感情を持たれないよう、「彼は悪くない、どうしようもなかった」と描く事は可能だったと思うが、ダメキャラにしてしまう事で、何かを見せようとしているのだろうか?
 次回、主人公が どちらを、どういう風に選び、どういう風に捨てるか、で作品全体の評価が変わってくるかも。


2008年3月26日 水曜日

『シゴフミ』最終12話.「シゴフミ」

 これは、制作者が迷いに迷った末、分解してしまった最終回…ではないと思う。
確信を持ち、目指した方向に突き進んで、どこかには到達した終わり方。
 ただ、何を、どう確信して、どのような地平を目指し、見る者に何を受け取って欲しいと考えて作ったラストエピソードなのかは、非常に分かりづらい。

 ドラマとしては、訴えられた父親も、余りに無責任な…責任を負わない少女のまま大人になったような母親も、大した意味を持たされない。
母親との再会は、フミカを大きく動機付ける要因になるかと思ったんだけど。
 フミカを好きな男の子や、その男の子を好きな少女、もう一人の配達人・チアキにしても、役立たずに終わる。

 こういう多重人格物では、「最終的に一つの人格になる」のがパターン。
同意の上で皆が一人の中に融合し還っていくか、邪魔人格を処分して(殺して)唯一の存在になる、辺りが妥当。
 そのどちらでもない終わり方は、珍しい。
 二人の少女が勝手に叫び合う内容が、日常に認める価値・生への希求と、ほぼ同一化していった事で、もう別れている意味はないとして合体するかと思ったんだけど。
 それぞれが、「親しい友達」としてすら関わり合わず、個別に生きていく事を選んでしまった。
「二人が近くにいる事で、『相手が』辛い思いをする」からこそ、相手のため離れていった、とも考えられる…かな?

 誰も自分を助けてくれない。
元は自分であった存在でさえ、一度離れては再び同一個体になる事なく、助けも与えてくれない。
 今、ここに居る、把握できる範囲の「自分」だけが、自分を救える、という事だろうか?
 非常に印象的だった、イジメを扱う6話「サケビ」の内容も、そういうもの。
 生命の最後のメッセージであるシゴフミが、毎回、さほど意味を持たない扱いだったのも、そう考えると納得できなくもない。

 そうは言いつつ…二つに分かれた人格の片一方を「シゴフミ配達人」なんていう、特殊にしても限度があるような役職に就かせ、しかしそれが この終わり方を迎える上では ほとんど関係なく思える、というのは問題。
単に「生き霊となって現世を彷徨い、様々な事件に遭遇する少女」でも良かったかと。
 作品最大の仕掛けである「シゴフミ」と、ヒロインが背負うドラマ・辿る運命とが乖離して見えては、さすがに拙い。

 面白いエピソードが いくつかあり、毎週楽しみに見ている作品でもあった。
 最後に微妙な評価になってしまったのは、残念。

2008年3月25日 火曜日

『ARIA The ORIGINATION』12.「その 蒼い海と風の中で…」

 最後に残された灯里に ようやく訪れる、プリマ昇格試験。
アリスが昇格したことで、他の二人にも次々機会が与えられていく。
 昇格の機会を得るについて「厳密な基準」というものは無さそうなので、試験を行う上司との関係性が重要か。
そうなると、反抗的であったり社風に合わないゴンドラ捌きを見せる子は、機会に恵まれにくくなりそう。
…そもそも、何かと反抗的な気質の子は この世界でのプリマに向いていなさそうだし、個性が社風に合わなければ他の会社に移った方が全員幸せだろうけど。

 試験の最後に、どういうプリマになりたいか問われた灯里は、自分達のカンパニーへとアリシアを連れて行く。
 年長者としては、後輩から「あなたのようになりたい」と言われるのは、とても嬉しい事だと思う。
互いの関係が良好であった事を確認できるし、自分が積み重ねてきた仕事は正しかったと思える上、その成果が次世代へと そのまま受け継がれる希望も持てるのだから。
 でもそれは、後輩にとって先輩を「追い越せない」し「追い越さない」枷を嵌める事にも繋がりかねない。

 アリシアなら、自分達が築き上げてきたカンパニーの、その先に行こうとする灯里をこそ、認めて欲しかったなあ。
といっても、プリマにとって「その先」ってドコなのか、具体的には分からないんだけど。
 アリシアは、優秀であり他者に優しく、余りにも理想的な上司過ぎて、後続の者から、反抗して乗り越えようという気概を奪ってしまう。
それは、幸せか不幸せか。

 いや、「そういう、優れた作品」なのだから、ゴタゴタ言わず穏やかさと居心地の良さを楽しめば良いのは、分かってるけど。
アリス・藍華・灯里と、余りにも波乱無く、ずっと目指してきたイベントを終えて行くもので、ちょっと物足りなく感じてしまった。
 今になっても そんな事を言っているのは、まだこの作品の見方が分かってない、というコトかも。


2008年3月24日 月曜日

 DVDで映画『ザ・シンプソンズ MOVIE』を見る。
 お馴染み長寿テレビシリーズの劇場版。
 テレビは、そこそこの話数 見ていると思うが「欠かさず」という程ではなく、シリーズのファンに向けた小ネタなどが分からないままの鑑賞。

 いや、面白い。
 劇場版だからと力が入りすぎる事なく、下らなかったり悪質だったりするギャグが びっしり詰め込まれ、そのヒット率も、そこそこに高い。
 何度か、やられた!と思う見事な伏線の引き方があり、感心。
まさか あんなネタを、後々まで引くとは思わないよなあ。
 「家族の愛」がテーマになるだろうが、説教臭くならず、ホーマーはギリギリ最後まで どーしよーもないキャラクターで、だからこそ感動は深くなる。
 リサについて、意地悪なオチを設けなかったのも、後味が良くて嬉しい。

 あ、勿論、音声はシリーズのオリジナル声優さんによる吹き替えを選択。
 試しに聞いてみて、所ジョージらの吹き替えも、しばらくすると それはそれなりに聞けるようになってくると感じたが、やはりキャラを強引に自分のモノに出来るほど上手い訳ではなく、耳に馴染んだプロ声優さん達に敵うはずがない。



『みなみけ〜おかわり〜』12.「もう一口が辛いのです。」

 アニメオリジナルのキャラクター・フユキ、転校により退場。
 お馬鹿で呑気で居心地の良い この作品の中では、あからさまに異質の存在で、正直 好きなキャラだとは言えなかったが…
そんな評価を受けることぐらい予め分かった上で、スタッフは彼を投入したのだと思う。
 自作キャラで人気を取りたいなら、超絶グラマーな年上のお姉さんとか、天才幼女とか、男性キャラにしても、快活な美少年に設定する、BLの変形で男とばかり思い込んで冬馬に惚れるヤヤコシイ男子にする等々、メインキャラの個性がしっかりしている分、その隙間を狙うなり誰かと絡ませるなり何とでも出来たろう。

 「遠慮がちで他人と積極的に関わろうとしない」個性の設定では、とにかく動かし辛い。
 それでもフユキを画面に登場させるべく、三姉妹の方を彼に向けて動かし、しかし他のキャラのように彼を「コミカルに、酷い目に遭わされる」扱いとはしなかったため、作品の基本パターンに歪みさえ生じてしまった。

 三女にとって彼は、「(この作品に大勢居る)視界からシャットアウトするほどの馬鹿」ではなく、しかし「強く価値を認められる人間」でもなく、「基本的に長姉以外には余り感心が無い彼女にとり、例外的に気になる、理由も分からず苛立たされる相手」。
だから、彼に存在意義を持たせるには、三女ともっと絡め、それによる互いの変化を描くこと、だろう。
 今回は、その集大成たる別離だったのだから、熟慮してドラマを作るべき。
 借り物競走にしても、指定をフユキが唯一持つ「お父さん」などにせず、「お母さん」「お姉さん」「友達」といった題材にすれば、いくらかの葛藤やここまでの成果が現れたかも。

 ファンからは「殺す」と言われたかも知れないが、フユキを千秋の淡い初恋の相手とし、感動的な別れを演出する事も出来たはず(空の表札を黙って眺める千秋など、積み重ねがあれば泣けたろう)。
 「ああ、オリジナルキャラを作品に突っ込んだ事で、これをやりたかったのか」が明確に分かれば、後はそれが良く出来ていたか不出来か、その意図を好きか嫌いか、といった評価に移行できる。
 何をしたいのかよく分からないまま退場、という意味では、フユキとスタッフの姿勢は被って見えてしまう。

 彼の転校があるため、続けての長女の海外留学話に、より緊張感が無くなる。
 いっそ、「長女留学疑惑で皆が大騒ぎして、結局勘違いだと分かった時には、誰にも気付かれずフユキが転校していた」ぐらい冷遇すれば、それはそれで意味があったかな。


2008年3月23日 日曜日

『炎神戦隊ゴーオンジャー』06.「乙女ノココロ」

 もう本当に、腰が抜けるぐらい極端に内容が無い作品。
子供が考えたような…ではなく、子供が全く問題なく楽しめるよう、努力して作ってある。
 それにしても、前回描かれたグリーンのバイト話など、油断していると うっかり「イイ話」系の働いている理由付けをしたくなるもの。
徹底してそういった部分を排除する作劇は、逆に感動的ですら。

 暑苦しい…というか、若干うざったいレッドの造形も、凄い。
コイツは、「仲間を引っ張っていく」より、怒られ矯正されてマトモな人間に近づいていくべきレベルの未完成さ。
 イエローに対し、「好意を抱いている男性」ではなく「娘に嫌われても仕方ないぐらい過保護な父親」として接しているのが、凄い。
読唇術での勘違いドタバタなど、余りに下らなくて、それはそれで笑ったり。

 『ガオレンジャー』以来の、ちゆ12歳に鋭いツッコミを入れてもらうコトで更に楽しく見られる作品、じゃなかろうか。



『墓場鬼太郎』最終11話.「アホな男」

 ねずみ男って、単細胞生物並み?不老不死なのか。
それなら、どんな金儲けの計画を繰り出すより、ヒゲを原料に薬を作って売りつけ続けるのが、ベストかと。
 ただ…薬を服用した者は、ねずみ男並みの強欲さを発揮しており、妙な特性まで受け継がれるとなると問題も。
服用者はヤクザであり、元々ロクでもない人間だった可能性はあるが(周囲に態度急変による驚きがなかった所からすると、コレが正しいかな)。

 このエピソードより、前回の話の方が、作者・水木しげるを登場させ、鬼太郎含む妖怪達が全員消えた所で終わっているため、最終回としての据わりは良いような。
 いや、今回の話だって、「死んだ者が不幸とは限らない、生きていくことが幸せばかりとも限らない」という水木テツガクを表しており、味わい深いモノだったが。
「千年に一歩だけ歩く鳥」なんていう、どーでも良さそうなものを見物して子供のように喜んでいられるのは、大人達が、死んだコトで何に追われる必要もない ゆったりした精神状態になっているからか。

 毎度毎度、奇妙な、ストーリー的お約束のパターンに沿わずサッパリ先読みできない物語が展開され、楽しませてくれた。
 どのキャラクターも、時折ゾッとするような「人間」との断絶性を感じさせるため、好きかどうかというと難しいけど、恐ろしく強烈で魅力的ではあったと思う。
 視聴率は好調だったようだし、続編も考えられるんじゃなかろうか。
…脚本家オリジナルでこういう話を作るのは難しいだろうから、ヒーローとは縁遠い鬼太郎時代の原作に、まだストックがあるなら。



『機動戦士ガンダム00』24.「終わりなき詩」

 アレハンドロ、もの凄いモビルアーマーに乗って登場。
 こういう兵器がある、という伏線はあったんだっけ?
ジンクスもそうだけど、余りにも唐突に新戦力が参入して来るため、驚くよりは有難味を薄く感じてしまう。
この後、リボンズが更に強力なモビルアーマーに乗って現れて不思議無いし、マイスターズが全員新型ガンダムに乗り換えても、当然に思える(破損ガンダムのコアを残してある所からすると、改造強化?)。
 まあ、オリジナルでもビグザムやジオング登場の伏線があったかというと、そうでもないが。

 ジンクスとか、元々はどういう計画に基づいて作られた機体だったんだろ。
 アレハンドロが今回乗っていたモビルアーマーは、ヴェーダのハッキングに成功したから使えた物?
でも、ジンクスはそれ以前から自由に出来ていたのだろうし、うーん。
 これほどの戦力(まだまだあるかも)を勝手に使えるなら、私設軍隊で世界制覇が十分可能に思える。
地上の陣営に恩を売っても大して得は無さそうだけど、アレハンドロ、何を目的としてジンクスを渡したのか。
 ああ、ヴェーダを支配下に置いておかないと、ナドレによりソレスタルビーイング・モビルスーツは無力化されてしまう恐れがあるのか。

 戦況は悲惨で、敵味方共に死者多数。
 プトレマイオスのブリッジ・クルー、決戦を前に隠す必要が無くなったから、でもあろうが、内面を明らかに和気藹々としていて、所謂「死亡フラグ」を立てまくり。
男女二人…ええと、ツエーリとシェラか、が逝く。
 最期はそれなりに盛り上げていたし、女を守っての死かと思えば、守れていなかったとする苦い終わり方も染みる。
 ただ、ツエーリが体を機械化していた、という突然の設定開示には、何か意味が?
『ヤマト』真田さんのように、機械化した手足に仕込んだ爆弾で逆転するとかなら良いけど、そうでもないし。
「せっかく作ってあった設定なので、最後に見せました」というだけか。
 いや、ルイスの再生できない腕がいずれ機械化される伏線?

 「俺、この戦いが終わったら大佐にプロポーズするんだ」といった、お笑い死亡フラグ無しで片付いてしまうコーラサワー。
ちと物足りない…というコトは、まだ生きてる?
 しっかり「死んだ」と思わせる演出を施したキャラが再登場したことは、このアニメではまだ無い…よね。
 死は死として厳然と貫くのか、このままじゃ第二部が寂しくなりそうなので物語的盛り上がりを優先し、次々「死ぬかと思った」などと言いつつ復活を遂げていくのか。


2008年3月22日 土曜日

『H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜』最終12話.「H2O」

 主人公の目が突然 見えるようになった、という、巨大なイベントを実に何気なく済ましてしまったのが、このアニメ最大の問題ではないか、と考えてきたけど…
 前回、「目が見えるようになった」事実そのものが揺らぎ、全て主人公の幻、思い込みだったのでは、とする驚きの視点が提示されたことで、一気に面白くなるか、と思われた。
 が…
その辺は曖昧なまま。

 幼児返りしてしまった盲目の主人公が求めるまま母親となり、生涯?世話をしていく悲痛な覚悟を持って、故郷を出、彼が母親と暮らしたアパートに引っ越していく はやみ。
 喜びのない生活をしていた彼女にとり、酷い重荷を背負わされた、と思えるこの状態でも「幸せ」なのかも知れない、と思えば、いつか彼が記憶を取り戻し愛情が甦る日を信じる彼女にはハッピーエンドだったのかも。
ここで終わっていれば。

 ところが、主人公の追憶と重なっているのか、踏み切りの中に入った少年を助けようと はやみが飛び込み、電車にはねられて死亡。
飛び込んだ少年とは、「過去の主人公」だったのか「現在の見も知らない少年」だったのか、両方か。
その際の事故で少年は死んだのか助かったのか。
 どうもよく分からない。
 どういう意味があるのか理解しづらい事故死だなあ、とにかくアンハッピーエンドにしたいのか、と思えば、突然に超常的な力で彼女が復活して強引すぎるハッピーエンド。
 ……ついていけない。
 事故に関わる全ては、主人公の脳内だけで起きていた事、とも考えられるけど、それでも解釈しきれない部分が多々。

 テーマを読み取るなら、「世界は、それを受け取る人の心の持ちようでどうにでもなる」という事か。
「世界は、神である制作者の思い通りになる」とも感じてしまうが。
 途中、面白い部分もあっただけに、ここまで来てのグダグダさ加減が残念。


2008年3月21日 金曜日

『CLANNAD』22.「影二つ」

 自分の存在が、両親に夢を諦めさせる原因になっていたと知り、ショックを抱えたまま文化祭当日を迎える渚。
 しかし…この経緯は、「何か悪い要因」などではなく、「いい話」系統じゃないのかなあ。
「そんな子に産んだ・育てた憶えはない!」と言い放つ親と、「ウルサいなあ、好きでアンタ達の子として産んでもらった訳じゃないよ」と言い返す娘、といったドライな、割と現実にアリガチな親子関係であれば、「こんなにも子供を愛した、親から愛された事がある」と思い出す・知るのは、逆に家族を「修復・再生」する切っ掛けとなって不思議無い。

 渚も、両親が自分の存在を邪魔になど思っていない、という事ぐらい、日々の生活から常に感じていたはずだろうに。
なら、父母が当時の夢を投げ出しても構わないぐらい自分を愛してくれていた、と知って、自分という命が持つ「価値」を強く確信して良い。
 親の愛を実感できていない『エヴァンゲリオン』碇シンジとかなら、父親がかつてこういう行動を取っていた(現在もそのままである)と知れば、驚き戸惑いと共に、まずは「嬉しさ」を感じると思う。
 互いに近すぎたが故、逆に傷つく要因になってしまった、という事だろうか。

 こんなにも良い子に育ってくれたなら、両親とも、自分達の夢を諦めた甲斐があったかと。
「ハア?そんなの知った事じゃないわよ。それより小遣い頂戴よ」と言い始める娘じゃ、ガッカリだろうから。
 いや、それはいい歳して「親」の気持ちがまだ分からない自分だから思う事で、この両親であれば、そのぐらい軽く受け流して生きたいように生きていってくれる事をこそ、喜ぶのかも知れないが。

 演劇。
 あんなにも冒頭部で もたつき、事態がよく分からない愁嘆場をまず演じてしまっては、劇の内容に引きずり込むのが酷く難しくなりそう。
内容が、親子の愛を描いた浪花節なら、マクラとして機能した可能性はあるけど。
 どうせなら劇の内容を全部見せて欲しかったなあ。
団子大家族の歌まで含めて。

 「終わってしまった世界」劇中で、少女が作り上げたガラクタ人形は、自らの肋骨でヨメが作られたアダムとイブになぞらえ、「夫(伴侶)」という事なのだろうか。
それとも、誰も居なくなって彼女だけを残した「世界」を「夫」として(彼女の周囲に展開される美しい風景からも、世界からは悪意より、彼女への愛情を感じる)、生み出した「子供」なのか。
 自分以外、他の存在(夫・子供)を契機として、既知の狭い範囲から抜け出し遠く旅をし、最後に(みんなで?)歌う、という物語は、「家族の再生」をテーマとしているとも思える。

 この作品自体、「家族の再生」を大きなテーマに据えているのだろう。
 主人公の家庭は崩壊しているし、ことみは事故で失った両親への罪悪感を持ち続け、智代も危うく家族を失いかけており、風子は ただ一人の姉のため常識の範囲を超えて頑張る。
家族としては幸せすぎに思える渚さえ、試練を受ける事になるし。
 ただ…杏と椋姉妹の家庭環境は描かれず、春原も可愛い妹と楽しい関係を築いていて、全てを「家族」に関係付けるのはムリだけど(前者は、姉妹どちらかが主人公に選ばれていれば、もう一方がそれをどう受け入れたかで家族…姉妹の有り様を描く事は出来たろう)。

 真正面から全力で渚に告白する主人公。
今更とは思いつつ、気恥ずかしくも嬉しい。
 いつか主人公は父親との確執を乗り越え(もう乗り越えた?)、彼女と新しい家族になる…のかも知れない。

 自分のエピソードが終わっても出張っていた風子は何だったのか、とか、伏線未回収の部分は有りつつ、面白い、楽しい、登場キャラクターみんなを好きになれる、良いアニメだった。
 いや、次回番外編にまだ続くのか。


2008年3月20日 木曜日

 映画『ジャンパー』を見る。
 『ボーン・アイデンティティー』のダグ・リーマン監督。ヘイデン・クリステンセン主演。

 テレポーテーション、という超能力は、物語上、便利だし非常に面白いものだと思いつつ、潜入・逃亡に向けた力であり、戦闘力としては なかなか使いようがないものだと考えていた。
 その認識を吹き飛ばしてくれる、瞬間移動バトルの楽しさ、それを盛り上げるために突っ込まれたアイディアの多さに、驚く。

 「精神集中の後、テレポート」といったテンポを悪くする過程を踏まず、「ヒョイと気軽に、何度でも連続して、しかも果てなく遠くまでジャンプ出来る」とした事で、能力の印象は一新。
高所から敵に向かって飛びかかりつつ、体が落ちていく間に何度もの短距離ジャンプを繰り返し、敵からの攻撃を回避、対応のタイミングまで狂わせて襲撃、というシーンなど、ビジュアル・イメージの素晴らしさに ただ感心。
 ある程度の大きさがある物も移動させられる、という設定で、余所から運んできた大質量と運動エネルギーを持つ物質を そのまま敵にぶつけて攻撃する発想も、面白い。

 ジャンパーに敵対する…生理的・宗教的?憎しみを持って追い続ける組織。
 脳に電気的負荷を掛けるとジャンプできない、機械を使いジャンプ痕を辿ってジャンパーの移動先まで追跡可能、といった、「異能力者が居る世界で、彼らを追う者達が編み出した対抗手段」として、ある程度 説得力のある方法が、楽しい。
 ショットガンででも撃った方が簡単なような気もするけど…
ジャンプ先が どのような地点か分からないので無関係な者を巻き込む恐れがある、とはいえ、ジャンパーの関係者を殺すことなど何とも思わない非情な組織なのだし。

 ジャンパー能力については、かなり考えた様子があるのに、ドラマや人間描写については驚くぐらい薄い。
SF娯楽アクション物に、そんな深いドラマは期待しないが…
 主人公が考えの浅いアホな若者で、他者の金品を盗み出すことに何ら罪の意識を持っておらず、そこから成長もなくアホなまま終わってしまうのに、ガッカリ。
こんなロクデナシを相手にしているんじゃ、ジャンパーを狩る組織の方に理がある。
 主人公、「最初は個人的欲望のためだけに能力を使っていたが、次第に力を持つものとしての『義務』に目覚める」とか、せめて「時折、気まぐれに人助けをする」ぐらいの善い面は見せて欲しかった。
 自分が社会的に悪事を行っている自覚が無く、追われる立場になっても慎重さが無い、こういうキャラでは…確かに「アホな若者」としてのリアリティーはあるんだけど、魅力に欠け過ぎ。

 盗んだ金で豪遊に連れて行ってもらい、真相を知ってまでドコに惹かれたのか主人公を好きになる お姉ちゃんも、魅力ゼロ。
 もう一人のジャンパーは、身勝手さとエキセントリックさの突き抜けが楽しかったが、クライマックスでの「今そんな事やってる場合か」仲間割れを行うことで、物語進行には邪魔な印象に転換。
 ハンターのサミュエル・L・ジャクソン…よくこんな役受けたなあ…最終決着が投げられすぎていてガックリ。
 お母ちゃんは、結局何のために出て来たんだろ。
続編に備えて?

 映像が面白いので、見て損したという事はないけど、もう少しだけでも物語やキャラクターについて考えてくれないと、見終わった瞬間に内容を忘れてしまいそう。


2008年3月19日 水曜日

『シゴフミ』11.「メザメ」

 シゴフミ配達人・フミカが死にたがる…消えたがる理由が、よく分からないなあ。
彼女が別行動を取ることで、人間体・フミカに何か障害が出ているならともかく(記憶喪失が それ?)、別々に生きていけるならそれで構わないような。
 銃で人を撃った事が切っ掛けとなり、片方が昏睡状態、もう片方がシゴフミ配達人になるという異常事態が起きたのに、もう一度 銃を撃たせることで何かの解決になるんだろうか。

 こういう事態を、というか二つの人格を生み出す原因となった父親のエピソードがもう終わっており、シリーズとして後片付けに入っているような印象なので、物語への興味は薄い。
 二重人格誕生の秘密・親父への問責も含め、最終三、四話ぐらいでまとめて描いた方が良くなかったろうか。

 配達人フミカの運命、父親を訴えると言い始めた人間フミカの真意、母親?の登場と、最後に一騒動起きそうな伏線は引かれているから、最終話に期待を持って…良いのだろうか?


2008年3月17日 月曜日

 ドタバタと お仕事中。
 水曜ぐらいまで、更新は難しくなりそうです。
悪しからずご了承下さい。


2008年3月15日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』23.「世界を止めて」

 トランザム・システムは、スピードアップのみなのかと思えば、三倍の出力を短時間だけ得るモードだった。
ガンダムシリーズで、「通常の三倍」は、お約束。
 それにしては、刹那以外、余り上手く使いこなせていないような。
一対多数、しかも全員エース級パイロットとの戦いでは、アリー戦と違い、短時間で圧勝できる戦い方は不可能だから、そう見えるだけか。

 機体に損傷を受けてからでは、出力が上がろうとも万全の力を発揮できない可能性が高く(実際、キュリオスは直撃を受けている)、そう考えると、最初からトランザム・システム全開で戦った方が良かったかも。
モードの発動限界時間が来た時点で、無防備にはなってしまうけど、どのみち三倍活動中の優位性に賭けるしか勝てる見込みは無い訳だし。
 キュリオスとヴァーチェを組ませ、互いのバーニアを全開にして可能な限り敵を落とせる射線上に移動、砲撃、また移動を、時間一杯繰り返すとか。
 そういえば今回は、スメラギの(余り役に立たない)戦術は示されていたのかな?

 執念と怨念がぶつかり合う戦場で、最後まで諦めず戦ったロックオンが、格好イイ。
 千切れ飛んだデュナメスの銃に直接射撃システムを繋ぎ、命と引き替えにして怨敵を倒そうとする、スナイパーらしい?決着のアイディアも面白い。
 モビルスーツを、得手も不得手もある戦闘パーツの集合体、として扱う所からは…ファーストでもそういう所はあったが、特に『第08MS小隊』を思い出してしまう。
 最後の一撃は、アリーの命を奪ったのだろうか。
ロックオンも、「確実に死んだ」描き方ではないので、また出てくる可能性があるな(酸素欠乏症やら記憶喪失という設定を背負って?)。

 それにしても、今回もまたアレハンドロとリボンズは、ヴェーダの前で、宇宙服を着て過ごしていた。
 トイレとか食事、どうしてるのかなあ?



 『魔人探偵脳噛ネウロ』(アニメはもう見ていないので、原作について)の雑談。
 強力な敵集団が出現し、バトル物の様相を呈してきた この作品。
なのに、ネウロは最近、食料である「謎」を食べることが出来ず(謎解きから遠い展開になっているので)、パワーダウンにより苦戦を強いられている。
 このままだと、ギリギリまで追い詰められる事が考えられ…

 そこで、こういうのはどうか。
 絶体絶命の事態下、自分に対する弥子からの「好意」を感じ取るネウロ。
そういう気持ちを向けられる覚えが無く、しかも自身の実体は人間から遙かに遠いのに、と不可解そうなネウロ。
どうして自分がそういう気持ちを抱いてしまったのか、本人にも説明が出来ない弥子。
 「人が人に寄せる想いが、謎を生み出す。人間とは、謎の塊。その中でも『恋』こそ、永遠に解けない最強の『謎』」
という訳で、その「謎」を食べ、驚異的なパワーアップを果たすネウロ。
 しかし、純度が高いそのエネルギーは、強烈に彼の体を蝕む「毒」でもあった。

 とか。
 こういう、何というか「キレイ事」みたいな展開は、この作者、絶対やりそうに無いけども。


2008年3月14日 金曜日

 地上波で放送された映画『それでもボクはやってない』を、今頃見る。
 痴漢の冤罪をかけられた男性と、周囲の人々の戦いを描き、裁判の現実に迫る。

 仕事しながら見ようと思っていたのに、最初から内容に引き込まれ、恐ろしさにガクガク震えながら鑑賞終了。
系統が違う恐怖だけど、そこいらのホラー映画より遙かに怖い。
 自分がこういう疑惑をかけられたなら、家宅捜索…まで行かずとも、取り調べで職業を答えた時点でもう、無罪判決を勝ち取るのはムリだろうな。
「そういう漫画を描くのは、そうした欲求を強く内側に溜め込んでいるから」とか言われたら、まあ納得してもらえる言い訳は難しく。

 裁判の維持、どころか、まるっきり犯罪者扱いの拘留や、厳しい取り調べにすら耐えられる自信はないので、早々に「やってないけど、やってる事にしてもイイです」と認めてしまいそう。
 いくら冤罪だと言おうと、痴漢で前科一犯、と知られたら、女性編集からは蛇蝎のごとく嫌われるだろう。
割と自由が許される この商売でさえ、仕事に支障が出かねない。

 劇中の裁判。
 真実を明らかにしようと真剣に聞いてくれているようでありながら、その実、まるっきり取り合っていない裁判の有り様が恐ろしい。
 最初から判決が決まっている、『スター・トレック』カーデシア社会のような裁判では、途中出てくるどんな証言も証拠も、意味を成さない。
「やっていないからといって、無実だとは限らない」とか無茶苦茶だって言える訳で。
 絶対 痴漢をやってない証明など、その時間 電車に乗って女性の側に立っていた事実がある限り、何をどうしたって不可能。

 もちろん、痴漢は犯罪であり、実際にやった犯人なら○○○○切り落としの刑に処しても構わないと思う。
 男性側の弱さを利用して、女性にウソの痴漢被害を訴えさせ金を取ろうとした男が捕まったけど…犯人の若さや将来性を考慮し、ここは一つ、死刑で。

 『ジョーズ』を見た後、海で泳ぐのが怖くなるように、混んだ電車に乗るのが怖くなる、力の籠もった映画だった。


2008年3月13日 木曜日

『シゴフミ』10.「デアイ」

 途中まで、これが『シゴフミ』だという事を忘れてしまうぐらい、死後の手紙とか関係のない話。

 いつもそういう部分はあるんだけど、今回はまた、強引に、意図する方向へストーリーを進めようという気持ちばかりが感じられ、首を捻ったり。
例えば、特に大きく不審な点はないのに「未成年者略取」と決めつけ、男を抑えに掛かる警備員。
男が元務めていたゲーム会社に連絡を取ったことで、晴れたらしい その嫌疑(現職警官が普通に犯罪を犯す時代、元の勤務先が判明したからってどうなる訳でもなかろう)。
 別に運転困難そうな道でもないのに、わざわざ人めがけて突っ込んでくる車も不自然だけど、コレは自分も漫画で使ったことがある(便利な)シチュエイションなので、文句を言う資格がない(^_^;)。

 ただ、「本当にやりたい事をやれず、何も持たない、意味のない人生」と思っていたが、ふとした事で「価値あるモノを沢山抱えた、悪くない人生だ」と気付く、物語の言わんとしている所は悪くない。
 男が絵を描く仕事だったため、より身近な話に感じられてしまう。
 可愛い女の子を守って死ぬ、なんてのは、冴えない男にとって これ以上望むべくもない、最高の最期じゃなかろうか。
そういう意味では、彼は幸せだったと言えるだろう。

 「ゲーム」を通して、「死を目前に生きている実感を持てた男」と、まだ「死ぬって、要するにゲームのセーブをせず電源を切っちゃうようなモノなのかな」という理解に留まる少女。
 ちょっと皮肉な描き方ではあるけれど、このぐらいの年齢の子供が「死」を正しく理解できないのは仕方ない、と思え、視聴後感が暗くなる訳ではない。


2008年3月11日 火曜日

『H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜』10.「小日向」

 すっかり、ほのぼの熱々 若干鬱陶しいぐらいのカップルになっていた琢磨と はやみに降りかかる、大きな波乱。

 親の因果が子に報いた形での憎しみの連鎖など、乗り越え、捨てるべきと考えていただろう琢磨なのに、自分の母親が関わる事態になると、途端に逃れられず囚われてしまう。
この小ささ、狭量さが、実にリアル。
 「誰に対しても優しい」ように描いてきた主人公を襲う、相当に厳しい試練で、さほど厚みがなかった彼を一気に「人間」として魅力的に見せられるようになるかも知れないが、着地を誤ると、作品自体に致命傷を与えかねない危険な賭け。
 主人公の目が再び見えなくなりそうな予兆が示されており、それと絡めて、何とか綺麗にまとめる手だろうか。

 傷心の ゆいが可哀想で、可愛い。
 これからは、農業一筋に生きていくのかなあ。
いや、またイイ男を捜したいとも言っていたけど。
 すぐグーで殴られる虐められヒロイン・はやみだって少々変わっていたが、アリガチな「大金持ちで苦労知らずのお嬢様」タイプではなく、額に汗して農作業を行う、勤労高飛車少女・ゆいの造形は、この作品最大の特異性かも知れない。



 今年は大量の花粉飛散がある、という話だったのに、全然平気で、もしかしたら体質改善が上手くいって花粉症が良くなったのでは、などと喜んでいたのは遠い昔。
 十日か二週間かもうハッキリしないけど、そのぐらい前から激しく発症。
 ハナミズとクシャミと目のかゆさとダルさで仕事にならないため、仕方なく薬を飲むと激烈な眠気に襲われ、一日、昏睡したり起きて ぼーっとしたりを繰り返し何も出来ず。
 どーせーっちゅーんじゃ。

 毎年 進歩もなく、こんな話ばっかりで申し訳ない。
 しかし、ほとんど家に引き籠もり空気清浄機を付けっぱなしにしている自分でさえ、この有様。
仕事や学校で外に出ねばならず、花粉に晒される同病の方々の苦しみは、如何ばかりか。

 全部 杉の木を切り倒す資金にしてくれるなら、消費税を15パーセントぐらいまで上げても やむなしと考える今日この頃。
 道路特定財源だって、「道路と花粉症対策特定財源」にしてくれるなら、一般財源化しなくて構わないぐらい。
杉の山をブチ抜いて高速道路を通せば一石二鳥…などと愚にも付かない事を考えるのは、薬で頭が上手く働かなくなっているからなんだろうな。
 いや、いつもこんなモノか(杉に関わる お仕事の方、ごめんなさい)。


2008年3月9日 日曜日

『機動戦士ガンダム00』22.「トランザム」

 機体の性能差が無くなってみれば、マイスターズは地球軍パイロットに苦戦続き。
 アリー相手に敗色が濃かった刹那だが、「こんな事もあろうかと」イオリア・シュヘンベルグがGNドライヴに仕込んでおいてくれた超性能モード…敵が追いつけない加速により翻弄する戦い方はまるで『レイズナー』V−MAX…により、圧勝。
 ちょっと唐突なパワーアップなので、爽快感を感じるより、戸惑ってしまう。
多少は伏線らしきものを引いておいた方が良かったような…そうすると先の展開を読まれる恐れもあり、難しいところだけど。

 これで、しばらくは機体性能を完全に引き出したマイスターズが優勢になり、ジンクスは数と作戦により対抗、いずれ彼らも限界性能を発揮、あるいはドライヴを二機搭載した新型を作る(合体型?)、特殊な兵器を開発する等でトランザム・システムを凌駕し、そこいらでぼちぼちマイスターズに新型ガンダム登場、という流れ?
それじゃ工夫がないか。

 しかし…ジンクス登場時の軍パイロットにも思ったけど、これまで「機体の反応が悪すぎる」という嘆きは聞かれなかったのに、機械性能を速度面で上げる事によって、そこまで強くなれるものなのかなあ。
「アクセルを踏んだ瞬間、300キロぐらいまで加速できる車」は、確かに凄いだろうが。
 ある戦闘機と、その倍のスピードが出て旋回性能も高い戦闘機となら、普通に戦えば後者が有利…という理屈?
 「敵の動体視力が追いつかないスピードで移動する」というのは、そうして戦うパイロットに異常な能力値の高さを要求するし、体への負担も もの凄いかと(グラハムも苦しんでいた)。
 機械的補助により脳の反射速度と認識率を遙かに引き上げれば、操縦は可能だろうけど…エンジンパワーが上がった、というだけの描き方に見える。
 刹那が秘めていたパイロットとしてのポテンシャルは、想像を絶するレベルにあった?

 世界中を敵に回している状況だろうに、うかうかとアリーの接近を許してしまうトリニティ三兄妹。
意外と、迂闊。
取りあえず一発喰らわせて、相手機体の戦闘力ぐらいは奪ってから話を聞いても良かろうに。
せめて、全員ガンダムに搭乗して迎えるべき。
 まあ、実戦の場数は そう踏んでいないと思え、追い詰められて判断力も鈍っている上、ソレスタルビーイングの全体像が分からないため もしかして「味方」「協力者」の接触という可能性もあり、迂闊とばかり言うのは可哀想か。
 『00』の世界広しといえど、あんなにもアッサリ場の信用を裏切り、殺しに掛かってくるのは、アリーぐらいなものだろうし。

 という訳で、トリニティ次兄、続いて長兄も退場。
 長兄、アリーに押さえ込まれた時、末妹に「自分ごとコイツを撃て、ガンダムも破壊しろ」と命じれば良かったのに。
それにすぐ従えるだけの覚悟を妹が、更には自分自身も、持っていたかどうか疑問だけど。

 刹那らマイスターズと、地球側モビルスーツの対立の中、トリニティ三兄妹の動向が勢力の優位を決定する要因になるかと思っていたため、この呆気ない壊滅は意外。
物語のスピードも、加速していると思える。
 残ったのは、ルイス一家に非道を働いた末妹だけ…
そのままだと「生き残る価値」を持っていないと思うが、その通り、近く三兄妹揃っての退場となるのか、前非を悔いて成長のチャンスを得るのか。
ルイスか沙慈に復讐を遂げさせてやるのが筋だろうけど、そこまで命が もつかどうか…
 末妹、ロクな女じゃない、と感じてきたのに、こうなると可哀想になってくるから不思議。

 眠るイオリア・シュヘンベルグに銃弾を叩き込むアレハンドロ。
彼自身も後ろからリボンズに撃たれ、退場しそうでドキドキしてしまう。
 それにしても彼ら、ヴェーダへの介入により起きたドラマ進行から見て、かなり長い間、宇宙服を着てあそこに立っていた事にならないか?


2008年3月8日 土曜日

 声優の広川太一郎が亡くなる
 誰だってそうなんだけど、この方はまた、声質も演技も他の人では代わりがきかないオンリーワンの声優さんだったので、衝撃は大きい。
 二枚目で華麗・紳士的なロジャー・ムーア(大好き)、無茶苦茶アドリブを詰め込んでいた三枚目のマイケル・ホイ、双方の吹き替えが印象深い。
『ムーミン』スノーク、『ヤマト』古代守、『キャプテン・フューチャー』カーティス・ニュートン、『名探偵ホームズ』ホームズ……氏の声で命を吹き込まれ、長く心に残る事になったアニメ・キャラクターは、数多い。
 つい最近も、『ゲキレンジャー』で、一話限りの敵キャラに、元気で「見〜つけ見つけ、赤坂見附」とか言ってみちゃったりなんかしちゃったりして声を入れていたのに。

 68歳は、まだ早い。
もっともっと、楽しませて欲しかった。
 ありがとうございました。
 ご冥福をお祈り致します。


2008年3月6日 木曜日

 映画『ライラの冒険 黄金の羅針盤』を見る。
 予告編を見た時から、傑作!という事は無さそうだなあ、と思いつつの鑑賞だったが…

 まあ、だいたい予想通り。
 冒頭から、世界観の重要な要素を長いナレーション頼りで説明しようとするのに、めげる。
こういう作り方をする作品が面白かった試しは、ほとんど無い。
 長い…らしい原作(未読)を消化するためには仕方ないんだろうけど、観客の生理や理解を置いてきぼりに、無理矢理ストーリーを進めようとばかりしており、面白いもヘッタクレもない。
どういう目的に向かい、どういう方法を採ったものが、どう成功し あるいは失敗し、どういう結末を迎え、それがどう次のエピソードに繋がっているのか、疑問符ばかりが果てしなく湧いてきて、ちっとも物語に乗れない。

 ライラが、初対面のヒゲおじさんに「クマを仲間にした方が良い」とか言われ、特に疑いもなくクマの元に行き、大事らしい彼の鎧の行方を羅針盤でチョイと見て教えてやった所、「君のためなら命懸けで戦おう」というような事を言われて旅の仲間に加える…という下りなど、他人がプレイしている お使いRPGの画面を眺めているような気分。
生きた人間の反応や、物語の作り方としては、薄すぎ。
 まあ、「お伽噺」と考えれば、「キビ団子一個もらったぐらいで命を賭け桃太郎のために戦う犬・猿・キジ」という展開とよく似ており、文句を言う筋合いではないのかな。
 ただ、骨組みはそうでも、そこにキャラクターの感情や必然性を重ね、説得力のあるドラマに仕上げてこその「映画」じゃないの?とは思えて。

 氷の橋を渡るライラのシーンで、途中まで時間を掛けてハラハラを演出しながら、「崩れ始めた橋を必死で駆け渡るライラ」という、宮崎アニメなら大きな見せ場にするだろう肝心の部分をカットして「いつの間にか渡り終えてました」とする編集に、驚く。
 ただでさえ時間が足りないんだから、そこを切るなら、氷の橋の下りをまるごと切れば良いのに。

 あんなに何でも教えてくれる便利な羅針盤があるんだから、もっと賢い事態への対処法がありそうなもので。
「自分のために使ってはならない」とか「使用すると、難度に応じた心の力を消費する」とかいう制約でも設けた方が、良かったような。

 この世界の住人と いつも一緒に居るダイモンは、「魂である」という設定が活かせていたかどうかはともかく、「仲良しのペット」として可愛い。
 ゆったりと異世界の空を飛ぶ飛行船の画面的説得力、クマたちの毛皮の質感等、CGへの凝りようは、なかなか。
 ニコール・キッドマンの妖しい美しさに、ドキドキ。
 ライラも、後半、ハッタリだけで駆け引きを行ったり、敵の大軍を前に見得を切って唾を吐き捨てるなど、可愛さとは縁遠い骨っぽさを見せるようになると、眺めるのが面白くなってくる。
 詰め込みすぎたエピソードを思い切って整理し、キャラクターの魅力を第一に考えて作り直せば、十分に観客を引き付けられる内容になったろう。

 『ハリー・ポッター』だって、第一作から映画として面白くできていたかというと疑問なので、『ライラ』も、回を重ねれば面白くなる可能性は、ある。
 しかし…ファンタジーのシリーズがいくつも作られている現在、選んで『ライラ』を次作以降も見る気になるかどうかは、疑問。
 という以前に、本国での興行成績から、続編の制作はかなり難しくなっているらしいけど。


2008年3月5日 水曜日

『シゴフミ』09.「サイカイ」

 フミカ過去編が終わったので、今度はチアキを…という訳なのか、彼女の実体に迫る。
 見かけ通りの年齢ではない、と言われていたけど、生きていればもうお婆ちゃんの年齢だとは。
チアキの内面は まるっきり少女のままに思えるが、体の老化さえ無ければ精神も若いまま居られるモノなんだろうか…っていうのが やたら気になるのは、自分がジジイになってきた証拠かも。

 強い愛も自己犠牲も示してもらったのに、他の相手と結婚して子供まで作ってしまうのが『タイタニック』等アメリカ的。
日本では、「たった一つの愛に殉じた」という考え方が美しいとされるためか、チアキのカレシは生涯独身を貫いてしまう。
 肉体が時と共に老いてしまう普通の人間なら、精神状態も変化していくはずで、「若い時の愛」だけを思って一生を過ごすのは難しいと思うんだけど…
それでも、愛を実感して涙を流すチアキに「良かったねえ」と感じてしまうのが、逃れられない自分の日本人的感性。

 フミカより、チアキの方が良い話だったんじゃなかろうか。
少なくとも個人的には、好み。
 まあ、フミカの話はまだ閉じていない、継続中である、という違いはあるけれど。



『ARIA The ORIGINATION』09.「その オレンジの風につつまれて…」

 アリス、学校を卒業。
 とは言っても、学園内でのエピソードは、少なかったような。
卒業に当たり、制服の第二ボタンを求められ取り囲まれてしまうぐらい実は人気があったのなら、それを伺わせるストーリーをもっと沢山作っても良かったろうか。
 やり過ぎ、学園モノっぽくしてしまっては、「見習三人組の物語」としては弱くなる恐れがあり、難しいところだけど。

 帰り道、後ろ向きで歩くアリス。
 以前も、「自分に妙なルールを適用して真剣勝負のように歩く」クセが示されていたが、まだやってるのが子供っぽくて、可愛い。
 卒業を機に、これも終わりになるのかな。

 アテナと一日ゴンドラで回るアリスだが、それはテスト(確認の儀式と言うべきか)をも兼ねていた。
 アリスがプリマ・ウンディーネを目指して発揮する情熱や執念、挫折と絶望の底からの復帰…といった「合格」にカタルシスを演出するタメが弱く、「ついにやった」よりは「呆気なくなれちゃった」という印象。
弛まぬ練習を積み重ね、元々の才能の上に努力を加え続け、ここにまで到ったのだ、とは分かるけれど。
 それでも長くシリーズを見続けてきた視聴者として、よく知った、ちょっと気持ちを表すのに不器用な女の子が、一つステップを昇り理想の自分に近付けたことは、素直に嬉しく、ホロリと来る。

 ただ…アリスは「ズバ抜けて天才的」という訳ではない(年齢に比しては凄くても)と思うので、灯里・藍華より先んじてしまったのが、気になる。
三人同時合格でも、良かったかと。
 それぞれ時期をずらす事で、焦りや感動を演出する構成なんだろうけど。
 鬱屈なくアリスの合格を喜ぶ二人が、胸に暖かい。
「ああ、コレで三人の間にワダカマリが生じて、友情が危なくなる」とか考えてしまった自分は、汚れている。



 迷惑メール。

> Subject: 覚えていますか?私、貴方が好きなんです。
>
> 私のこと、覚えていますか?
> 勇気を出して、このメールを書くことに決めました。
>
> 私、貴方のことが好きなんです。
> ずっと好きで、その思いが消えないんです。
> それを伝えたいんです。
>
> いきなりこんなこと言われても、私が誰だか
> 気付かないですよね?
> 誰だろう?そう考えていますよね?
>
> このメールの差出人として、
> 貴方がいま思い浮かべている女性達の中に
> 私が一瞬でも登場してくださったら嬉しいけど。
>
> http://sukisuki〜
> ここに、貴方に対する私の思いを全て書き記しておきました。
> メールでは長くなりそうだったので。。
> 読んでいただければ、
> 「ああ、あの女が自分にこんな気持ちを持っていたのか」
> と分かってもらえると信じています。。
>
> ここまでの段階で、私は今、
> 凄くドキドキしています。
> 自分の気持ちがどう受け止められるのか。。
>
> このメールを送ろうか、このまま捨ててしまおうか。。
>
> もし、貴方がこれを読んでいるということは、
> 勇気を出して、送信ボタンを押したということです。。
> あなたに私の勇気。。届くかな?


 有り得ない話だけど、ちょっとロマン(笑)。
 「美人社長に一晩付き合ってお楽しみの後、お小遣いまでゲットしちゃおう!」とかいう、胸焼けがするようなメールに混じっていると、爽やかですらある。
 いや、迷惑には違いないが。


2008年3月3日 月曜日

 WOWOWで放送された映画『スネークフライト』を見る。
 「飛行機の中で大量の蛇が暴れ出し、パニックに」という粗筋からして、賢い映画にはなりそうにないなあ、と思っていたが、予想通りかそれ以上の馬鹿馬鹿しい内容。
 色々とドラマを背負っていそうな乗客を出していながら、内面には触れたり触れなかったり。
思い切りよくポンポンと殺してしまうのに驚かされる。

 「ヘビ襲撃の恐怖」について、様々にパターンを工夫してあるし、エスカレートしていく描写も悪くない、とは思いつつ…
 以前、『デッドフライト』という映画を見ており、その内容が「飛行機の中で大量のゾンビが暴れ出して大パニック」「護送中のFBIが同乗」「クライマックスのネタも同じ」というモノだった(普通に考えて『デッド…』の方が『スネーク…』をパクったのだろう)ため、後で見た『スネーク』に新味が薄くなってしまったのが残念。
悪趣味と下らなさと悪ノリ加減は、C級映画である『デッド』が上だったように思うし。

 それでも、さすがに『デッド・コースター』『セルラー』のデイヴィッド・エリスだけあって、飽きさせず最後まで見せるパワーはある。
 可哀想な犬と、その犬に無茶をしたロクデナシおじさんの哀れな最期が印象に残る、佳作。



『ゲゲゲの鬼太郎』47.「妖怪大裁判」

 長いシリーズでも珍しい…んじゃなかろうか、裁判の話※。
 とはいっても、米ドラマであるような本格法廷バトル、という訳ではなく、子供にも分かり易く「悪役」を据えてスッキリと決着が付く構成。

 絶望的な状況を逆転させてくれる、ねずみ男の漢気が嬉しい。
今期の ねずみ男は特に、イイ奴だよね。
 鬼太郎のため協力を惜しまない妖怪達が気持ち良いし、危機一髪の所を助け、「勘違いするな鬼太郎、お前を助けた訳じゃない、お前を倒すのはこの私でなければならないという事だ」というような「悪辣な敵」から「強敵と書いて『とも』と読む」への転換を告げるセリフを述べる、ぬらりひょんまでも格好良い。
 脚本は三条陸で、前回の無闇にイカス演出を施された子泣き爺からも分かるけど、キャラクターそれぞれへの理解と思い入れがあり、「劇中で一人一人を輝かせてやりたい」情熱が強く感じられて、見ていて嬉しい。

 しかし、妖怪裁判。
『墓場鬼太郎』だったら、言い訳する余地もなく有罪だろうな。
 いや、あのキテレツな世界観だったら、あればかりの非道は問題にされない?


※掲示板でご指摘を頂きました。
 『鬼太郎』には、原作で裁判の話があり、アニメでも毎期のレギュラー・エピソードになっている(例えばここの第三話)そうです。
 全然憶えていない…


2008年3月2日 日曜日

『H2O 〜FOOTPRINTS IN THE SAND〜』09.「穂積」

 前回の、殊更に萌えを強調し、無駄とまで思える手間を掛けたノリノリ馬鹿話…と見せて実は…も面白かったが、今回も、ふわふわとした好意が結実していく様子を真面目に丁寧に描いていく、出来の良い内容。
 選ばれる はやみより、譲ろうとする ひなたの心情にスポットを当てるのは正しく、お面を付け素顔を見せず舞いながら涙を流すクライマックスに、ホロリ。
 ツンデレ…というより、おバカデレといった色合いが強い、ゆいが可愛いなあ。
暴走した勘違いから、主人公の告白を校舎裏で待ち続ける所など、可哀想になってしまうぐらい。

 はやみに対する酷いイジメが、拍子抜けするぐらいアッサリ無くなった…と思っていたが、それは子供達の間だけのことで、大人達にはまだ怒りや憎しみが渦巻いているのね。
 どういう展開をもって、この状態を解消していくんだろう。
彼女が自己犠牲で村を救い、村人の認識を改めさせる…とか?



『仮面ライダーキバ』06.「リプレイ・人間はみんな音楽」

 二つの時代での相似した事件が平行して描かれ、双方に同じ人間・小道具を登場させ、親と子の関係を描くことで、「隔たっている時間」と「連続性」を上手く感じさせるのに成功。
番組開始当初は複雑すぎて分かりづらく、視聴者もスタッフも慣れないストーリー形式だったが、回を重ねる毎に、作りが上手くなっていると感じられる。

 惚れた女のためなら何でもする、馬鹿と酔狂が行き過ぎて、逆にちょっと格好良くなってしまった音也が面白い。
中途半端じゃないキャラってのは、なかなか描けないもので。
 息子・渡については、まだ魅力を演出するところまで行かないが…
それでも、ダメダメだった番組開始当初からすれば少しずつ上向いた気持ちを持ち始めており、好感が持てる。

 ザンキさん…次狼が毎度顔を見せ、男っぽく渋い(たまに馬鹿馬鹿しい)演技を見せてくれるのが嬉しい。
彼が、時を越えても老けた様子を見せないのは、長寿の種族だからか、閉じこめられていた間は加齢しないのか。
 長期に渡るらしいキャッスルドラン幽閉(?)に意味があるとすると、ファンガイア達が22年間活動していない…と思われる事にも、同じ理由が付くのかな。

 以前のファンガイアは音也に対する執着、今回は2体とも ゆり・恵母娘へのストーカー的な偏愛を持っていた。
 音也は勿論として、渡も「理想とするバイオリンを作りたい」という事への異常とも思える執念がある。
 この作品の登場人物は皆、熱狂的な…ちょっと狂ったとさえ言える情熱を何かに対し抱き、突っ走っている。
これを「血の気が多い」と言うと、ヴァンパイアに絡めた表現になるだろうか。


2008年3月1日 土曜日

『機動戦士ガンダム00』21.「滅びの道」

 暗躍する…というか、事態の決定権を握る、アレハンドロとアムロ…いやリボンズ。
疑似GNドライヴ搭載三十機を三大陣営に渡した黒幕は、彼ら?
ヴェーダへの接触は今回が初めてだったようだけど、それ以前からソレスタルビーイングの技術や戦力を自由に出来る、権限を持っていたのかな。

 量産機の、数を頼んだ猛攻に、追い詰められるマイスターズ二組。
 兵士達、機体反応が良くなったからといって、イキナリ銃撃が避けられる…というものじゃないと思うけど。
各陣営のトップガンが搭乗しているはずなので、その辺は、さすがと納得しておくべきか。
 機体性能差が無くなった途端、苦戦する刹那らは情けない、と思ったが、相手も優秀なパイロット揃いなのだし、19対4の圧倒的不利な戦況で かなり善戦した、というのは凄いことなのかも。

 お姫様絡みの夢を見る刹那。
…そこまで好意を持つに到るイベントがあったかなあ?
まあ「一目惚れ」だってある訳だけど。
システムダウンした状況で幻に見た姫様は、刹那に死んで楽になるべく誘っており、「好きな相手」というより「死神」。
 普通の人間じゃない?というような伏線を引かれるティエリア。
サイボーグ?アンドロイド?
 ティエリアを庇って重傷を負った模様のロックオン。
まだ退場には早いと思うが。
ガンダムの攻撃により負った傷は再生治療できない、という話もあるし、ケガの程度はどうか。
 二重人格が発動しないアレルヤは、酷く影が薄くて可哀想。

 助かるかも…と思ったけど、非情にも死体となった姉に対面させられる沙慈。
 父、姉の最期からすると、彼もまたジャーナリストを志すのかな。

 上官に割合可愛がられている様子のコーラサワー。
今回は大活躍したが、何だか近いうちに、「俺、この戦いが終わったら彼女にプロポーズするんだ」とかいう死亡フラグを立てそうな。
 量産機への搭乗を拒否するグラハムと考え合わせると、何かしらの罠が仕掛けられ、量産機が全部破壊されるイベントが待っていたり。
 しかし、まだセルゲイを殺すには惜しいから、違うかな。

 色々とイレギュラーな出来事が起きている気はしつつ、「それもコレも全ては死海文書に書かれ…いやヴェーダの計画通り」なのかどうなのか。
道を外れるとカーナビが経路再探索するように、起きた状況に合わせて目的へと到る計画を常に立て直している?
 量産機の投入による戦闘の激化、それによりマイスターズが排除されたとして、残るのは、より強力な破壊兵器を手に入れた陣営同士による一層危うい均衡…ここまでを許容して得られる成果とは、何なのか。
「本気で戦争の根絶を狙っている」って事はないはずで、そうなると、「人類の意識の(肉体も含む?)変革」「人類全体を次の段階へとステップアップさせるための試練」といった、SF的な目的ぐらいしか。



『狼と香辛料』09.「狼と羊使いの子羊」

 商売について先読みをしたり裏を掻いたりして、主人公・ホロ含む商人達が激しく利益を争っているらしいが、そのやり取りは分かったり分からなかったり。
 前回見せられた、テーブルその物を傾斜させておいて天秤を操作する、というのは、実際やられたら有効だし凄いトリックなんだろうけど、画面的ハッタリが足りないせいか「セコい」印象に(いやセコくて良いのかな)。

 作品を支える大きな魅力となるべき「商売」に、さほど引き付けられず。
旅の先行きは見えないし、「人間に仇なそうと誘う邪悪なホロの同族」や「ホロを仕留めようと主人公らの後を追ってくる狼ハンター(今回登場の羊飼い少女?)」等といったシリーズを通した仕掛けもまだ現れず。
 それでも、全く問題なく楽しく見続けられるのは、何を言うよりまずホロが可愛いから。

 ホロは、少なくとも数百歳なのか。
それにしては、老成したり達観した部分が少なく、「ちょっと頭が回り、経験をいくらか積んだ少女」ぐらいの精神状態。
 数千歳の寿命を持つ種族(なのかな?)としては、現在でもまだまだ少女期にあるから、だろうか。

 雑談。
 「10015歳」と言うと何だか若い気がするが、「10052歳」と言うと、途端に中年っぽい感じに…ならない?自分だけ?
一万歳超えての40年ぐらい、誤差の範疇だと思うのに。
 「一万歳」というのが、人間の感覚から言うと全くリアリティーのない数字なので、末尾二桁のみを実感的に捉えてしまうため、だろうか。
 この前、テレビでデーモン小暮が年齢を聞かれ、「十万と、四十…ムニャムニャ歳」と答えていた。
十万は平気で言えるのに、末尾一桁を言うのは抵抗あるんだ。


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