ときどき日記 2008/05

2008年5月31日 土曜日

『マクロスFRONTIER』09.「フレンドリー・ファイア」

 メガネ男子・ミハエルの内面を描く話。
まだアルトやシェリルの過去についてもサラリとしか触れられていないのに、脇役…だろう彼を優先?
 主役クラスについては、何か大きなイベント…敵に囚われた際 問わず語りさせるとか、決戦を前にしたタメに使うべく、取ってある?

 ミハエルが抱える事情は、姉による友軍(不倫相手)への誤射と、引責自殺を原因とする、トラウマ。
なかなかヘビーな話だと思うが、イメージとセリフで軽く済まされたため「そういう設定か」と理解するに留まり、その心の傷をミハエルが乗り越えていく過程についても、通り一遍で説得力に欠ける。
 狙撃手は、大きな責任と、一瞬の判断ミスで仲間をも殺してしまう危険と、孤独を抱えた、特殊なポジションなので、そこいらをもっと面白く彫り込んで欲しかったところ。

 バトロイドに見舞う、ゼントラーディ女性のジャイアント・ビンタに大笑い。
この絵作りのセンスは凄い。
 しかし、ランカはなかなか売れないなあ。
外見ではなく「歌」が評価されている訳で、演奏を付け、街角でストリート・ミュージシャンの真似事でも させ続けた方が、話題作りとしても効果的かと。


2008年5月30日 金曜日

『図書館戦争』08.「策動セシハ手塚慧」

 まあ相変わらずというか、世界全体を包む状況や、手塚兄が抱く将来へのビジョン、それに反発するヒロインの気持ちなど、良くは分からない。
 武力闘争で戦死者を出したり、弾痕が点々と残る図書館から市民の足を遠ざけ、しかも それによる状況の抜本的打開がまるで望めないヒロイン側よりも、時間を掛けて力を手に入れ事態改善を図る…って事なんだろう手塚兄側の方に、理があるような。
 兄の何が良くないかというと、「ヒロインを陥れた」「会食の席で、ヒロインなど欲しくないと失礼にも明言した」「顔が悪役っぽい」など、感覚的な理由が多い。
双方、もうちょっと落ち着いて話し合い、互いの良い所を取り入れつつ理解を深めることは、出来ないモノ?

 そんな事より、ヒロインに対し、「か、勘違いしないでよね、アンタのためにやったんじゃないんだから。上官だから、職務だから仕方なく守ってやってるんだからね」とでも言いたげな態度を取る堂上に萌えるのが、正しい鑑賞態度かな。

 自分を騙していた男に対し、厳然とした態度を取り別れる柴崎。
その直後、特に感情を乱した様子が無く、「必要があるなら(誰とでも)寝られる」と平然と嘯く彼女に対し、「俺『も』一つグチを言うよ」と応える手塚は、柴崎の伺い辛い内面を鋭く読み取っており、意外な女性対応の巧さを感じさせてくれる。
 「出来れば晒したくなかろう弱い自分」を見せた柴崎への対価として、「大事な腕時計」を預ける手塚。
それに「質入れ」という散文的に過ぎる処分を施し、飲み代に換えてしまおうという柴崎は、やっぱり一筋縄でいかない強さを持っており、楽しい。
 …破壊したり どこかに捨てては取り返しが付かないが、質屋なら、あるいは状況や手塚の心境が変化した際、また質受けも出来ると考えて取った対応?
 そう考えても、まるでアホの子(「汚れていない」とも言え、それこそが多くの人の心を動かしていく要因となるのだろうけれど)のヒロインと違う「扱いづらさ」を感じさせてくれ、魅力的。


2008年5月29日 木曜日

『紅 kure-nai』09.「貴方と私と」

 紫が追っ手に発見され、追う側の事情も ある程度明かされた事で、これまで水面下に留まっていたような印象のある本筋が、ようやく動き始めた。
 ここからは、紫実家と、真九郎・紅香ら紫を守る者達との戦いに発展していくのかな。
 実家から派遣された追跡者達、せっかく紫を見つけたのだから、真九郎が留守の間に連れ出してしまえば良かったのに。
彼に対し、遊んでいるようなチョッカイを出しただけで帰ってしまうのも、不思議。
「逃げても無駄」というのを、紫に強く感じさせる狙い?

 7話では、環をメインにしたエピソードが語られた。
とらえ所が無さそうな彼女の、強さと弱さと女っぽさと どうしようも無さを綺麗事でなく描いてあり、強烈。
 失おうとしている男の気持ちを何とか繋ぎ止めようと必死で、現状 自分しか頼る者の居ない紫をナイガシロに扱おうとするセリフなど、ゾワッと来るほど「怖い」。
 この人間描写は凄いなあ…ここを見られただけで、この作品を見続けてきた価値があったと思えるぐらい。



『RD 潜脳調査室』08.「ノー・フレンド」

 まだ季節としては ちょっと早い、幽霊話。
 学園での怪現象と、ソウタが調査している電脳関係の事件が示された時点で、ほぼ誰でも先は読めるだろう、特にはヒネりの無い内容。
デカいヘルメットを被って電脳授業に対応するアナログ脳のミナモ、というように、「大半の人間の脳環境が現在とは違っている世界」を丁寧に描いてくれたのは優しいが、そのため更に、展開は予想しやすくなってしまう。

 意外なオチ、で勝負しようとしていないのなら、ホラー描写をもっと頑張って欲しかった。
 「ところで、さっきからずっと私達の後を付いて来てるその女の子、誰だっけ?」というような、「電脳化されていないミナモだけに見える本物の幽霊」を示して終わる、こういうストーリーのアリガチなオチパターンも、いっそのこと使ってしまえば良かったのに。
ミナモは不思議な感覚を備えた少女だけど、霊方向じゃないからダメか。

 今回は、ユキノがヒロインの話だったのか、と思う。
 怪談好きで、友達に話す際 怖い顔を作って脅かす事まで好きだが、超然としている訳ではなく、さすがに幽霊を目の当たりにすると怯えるユキノが、変に可愛い。
 凄い量の昼食、今回も食べているパフェ等で、あの体型を維持する極意を披露。
水着姿になった際、そうして大事に蓄積してきた脂肪資産も お披露目。
 金子 拓作監らしい、ぷよぷよの作画が気持ち良い(^ ^)。

 女性キャラが みんな巨乳な世界。
仲間内で一番小さいサヤカでも、他のアニメなら十分すぎるぐらいデカい。
 環境ホルモン等の影響で、ほとんどの女性の胸はイヤでも膨らんでしまっている…とか、設定がある?単にスタッフの趣味?
 作品世界では、「微乳」「貧乳」が絶滅危惧種とか。


2008年5月28日 水曜日

『ブラスレイター』08.「僕はもう弱者じゃない」

 ここ三話をまとめて鑑賞。
 うう〜ん、ゲルトが死ぬとは思わなかった。
てっきり、ジョセフと共に主人公の位置にあるものだと。
 ゲルト編を丁寧に描いたお陰で、今後デモニアックに変貌する人間達の内面描写…異形の者に変わってしまった苦しみと、溢れ出すほどのパワーと、次第に失われていく理性…等々、を、重なる部分では大きく省略できるようになったけれども。

 無自覚に、ではなく、明確な悪意と、自殺に追い込む意図さえ持って移民同級生に対しイジメを行う少年三人組が、憎々しい。
 彼らは、金持ちの親と、事態を揉み消したい学校側の庇護下にあり、同級生への非道な行為も不問に処される。
 あくまで常識的な対応を取る姉では、弟・マレクの心は救えず、悲しみと復讐への気持ちに身を焦がす彼を、デモニアック化させてしまう。
 「我が子の死」と「金銭」を交換してしまう極貧の母親とか、とにかく描写がシビアで重く、それに比べると「デモニアックに変身して加虐生徒らを虐殺するマレク」なんてのは、カタルシスにさえ感じられる。

 マレクの行動には(物語として)正当性があるけども、この作品としては彼に、生き残る資格を認めるのかどうか。
ゲルトの死で一度途切れかけた視聴者の関心を繋ぎ止める手腕は、さすが。
 もっと極悪に引っ張るには、虐めっ子側もデモニアック化させ、しかも戦闘能力をマレクより上に設定する事、だろうけど、そこまではしないのかな。


2008年5月27日 火曜日

『SOUL EATER - ソウルイーター -』08.「魔女メデューサ 〜大いなる凶き魂を持つ者?〜」

 マカとソウルでは まるで相手にならなかった強敵を、登場と同時に圧倒してみせるシュタイン(プラス マカ父)の強さが気持ち良い。
それに対し、飛び散った血液の一滴まで武器として個別の攻撃を行い、逆転を図る敵の能力も凄まじい。
 バトルの演出と作画が素晴らしく良いアニメで、引き付けられっぱなし。
シュタインがデスサイズを振るう際、軽く体を揺らして勢いを付ける細かさなど、もうタメイキ。

 朧気に見えてくる大きな敵(組織?)の姿。
 ここからは、その打倒に向けてストーリーが集約されていく…かと思えば、次回はまた お気楽話っぽいな。
 バカなギャグも非常に楽しい作品なので、それもまた楽しみ。



『コードギアス 反逆のルルーシュR2』08.「百万 の キセキ」

 ナナリーの新総督就任は、甘さと付け込みやすさから黒の騎士団にとってはチャンスか、とも思えるが…
ナナリーには欲や傲慢さといった判断を曇らせる負の素養が無く、周囲の人間の話をよく聞く、という意味では、逆に付け込み辛いのかな?
 ともかく、妹の登場は、ルルーシュにとって最悪の事態。
 戦う気力をすっかり失い、さまよい歩く前回の様子からも、本当に「妹命」なんだなあ。
肉親をも簡単に切り捨てる父親・皇帝への憎しみが、幼い心にトラウマとなって刻み込まれた、その父を否定したい心の働きが もたらしている反応、って部分も?

 第二期冒頭、ロロを本当の弟だと思い込まされていたように、実はナナリーも妹ではなく、ギアスの力によって植え込まれた偽りの記憶だったり。
それでいうなら、母親が殺された記憶から、本物かどうか怪しくなってくるけど。
 心から日本人の側に立ってブリタニアの非道に怒っている訳ではないルルーシュは、ナナリーに関して何か衝撃的な事実が明らかになった場合、戦う意味を完全に見失うのかも。

 ナナリーの立場を危うくするような事は出来ない、しかし皇帝の前にヒザを屈し死んだように生き続けることも出来ないルルーシュが、採った手段は…
 ちょっとギャグっぽくさえある無茶なやり方だけど、絵としてのインパクトは大きく、何だか感心。
 次回から、舞台を中国(中華連邦)に移す?
そうなると、もうルルーシュが学園に戻ることは出来なくなるのか。
 これまでも、作り上げてきた設定やらキャラクターに拘りすぎず、景気よく片付けたりひっくり返したりする作品ではあったが、「学園」からはブレずに来たと思えるのに、それをも捨てていく展開には愕然。
いや、ルルーシュだけは学園に戻って これまで通りの生活を送り、中国の配下を遠隔地から操作して戦力を蓄えさせ、いずれ日本に呼び戻して…という流れも考えられる…?

 今、中国は、フィクションとしても描くのが難しい舞台だと思うけれど、この作品では どういう場所に見せてくれるのだろうか。


2008年5月26日 月曜日

『仮面ライダーキバ』18.「カルテット・心の声を聴け」

 これまで、戦っている動機がよく分からなかった渡が、その疑問を自ら口にし、乗り越えていく重要なエピソード。
 悩むについては、二話前の「記憶喪失のファンガイアを、そうと知らなかったとはいえ定食屋に就職させ、客もろとも店の人間全員が殺される事態を引き起こしてしまった」という重い成り行きを受けて、虚無感に囚われるものと思っていたが…
見ていると、どうもイクサにボコボコにされたのが怖くなったとしか取れないのは、残念。

 心の傷を乗り越え、もう一度戦う気力を甦らせる場面にしても…ポジティブな方向に駆け出そうとする主人公の姿なのだから素直に喜んでやりたいが、これまでの積み重ねが余りにも弱く、説得力に欠けてしまう。
父親の「本当にやりたい事だけやればいい」という言葉に対し、「イヤでたまらなくても、やらなきゃならない事がある」と渡は考える、とする手とか、色々考えられたのでは。
 この辺りの齟齬は、前回・今回の脚本を、放送開始以来 初めてシリーズ構成・井上 敏樹ではなく米村正二が書いている、という事も関係?
いや、この二話だけで見れば まとまりが良かったとさえ言えるんだけど、これまでのシリーズの流れからは ちょっと浮いているように思えて。

 壊れきって、物語の進行を邪魔する役割しか果たさない名護。
なんでここまで酷いキャラになってしまったんだっけ?
イクサの装着が脳に負担を与えているのか、元からこんなモノか。
 過去編で、少女の心から負担を(意図せず?)取り除く音也は、なかなか格好良い。
しかし、少女がバイオリンを諦めるのはともかく、現代でアーチェリーを志す事について伏線らしいモノも無く、唐突。
音也と次狼のアホな勝負を見て、ハスラーを目指したというならまだしも。
 また、過去と現代を重ねるなら、少女は、弦が切れてしまう危機一髪の状況を上手く回避する才能を見せた事もあり、「嫌々やらされていると思っていたが、私は、本当はバイオリンが好きだったんだ」と気付く展開にすると、上手く繋がるような。


2008年5月25日 日曜日

『炎神戦隊ゴーオンジャー』15.「炎神ストール」

 敵の新幹部登場。
 割と普通に飛んでいたような気がする炎神メカ達が、実は飛行能力を有せず、全部ジャンプでした、というネタに、笑ってしまう。
バーニアを駆使して自由な空中戦を見せた、初代ガンダムみたいなものか。
そういえば、今回はセリフで『ガンダム』ネタがチョイチョイ入っていたような。
 飛べない弱点を、メカ達が互いに協力する無茶苦茶な、しかしそれだけに熱い方法で克服し、自分達を見下していた敵機体をブチ抜いて倒す、アクションのカタルシスにトリハダ。
これがエンターテインメントだ!

 そのバトルが凄すぎて、新登場メカによる活躍は霞んでしまったが…
「今日は もう一段階、謎のメカによる戦いまである」という構成はサービスたっぷりで、子供達は喜んだんじゃなかろうか。



『仮面のメイドガイ』08.「その名は怪傑! いちご仮面」

 ヒロイン・なえかの重要な設定である「巨大な財産の相続者候補」という設定について、相続権争いをするキャラが登場するとか、財産を譲るにあたり その資格を有するかどうか判断するための試練を科されるなど、すぐに考えつくようなネタにはほとんど触れず、彼女の「巨乳」という特性に着目した・拘ったアホな小ネタで延々と引っ張る物語の作りようが、素晴らしい。
 ヒロインは、相続権設定ばかりでなく、周囲から人格や面相まで無視され、ひたすら「巨乳」のみを求められる。
馬鹿馬鹿しくも、可哀想。

 周囲の狂いっぷりが暴走しているので、非常識さのレベルが変わらないコガラシが、比較的常識を持っているように思えてしまう不思議。
 なえかの下着に緊急用の装備を無断で取り付けている、という今回のオチなんか、実際に危険な事態が多々発生している現状では、怒るよりも「ありがとう」ぐらいの処置ではあるまいか。


2008年5月24日 土曜日

 地上波で放送された映画『秘密結社 鷹の爪 THE MOVIE 〜総統は二度死ぬ〜』を見る。

 妙なギャグのセンスと、驚くべき低予算FLASH技法で話題になった、テレビアニメシリーズの劇場版。
映画では、その低予算ぶりを逆手に取り、画面の右側に常に「残り予算ゲージ」を出して、CGなどの凝った画面になると途端に激減し、予算を工面してちょっと増やし、スタッフがピザを食べてまた激減する、といった笑いのネタにしている。
 全体として、ギャグの作り方は、テレビシリーズそのまま。
案外と筋の通ったストーリーなので、見易くはあるんだけど、一時間以上の内容となると、所々笑いつつも さすがに少々疲れてしまったり。

 これで、『イノセンス』や『ゲド戦記』など、予算も手間暇も凄く掛かったアニメーション大作と同じ入場料を取り、しかも観客としては「『鷹の爪』の方が面白かった」という評価を下す場合がある、という所が、この作品最大の面白味かな。
テレビで見ると、その辺は弱くなってしまうが。


2008年5月23日 金曜日

『図書館戦争』07.「恋の情報探索」

 ヒロインが、書籍に対しネガティブな批評を書いている図書館員を責めていたのが、気になる。
 純粋で真っ直ぐでチョイおバカさんなヒロインの言動・行動として、「変だ」とは思わないけれど、これでは「国家に不都合な書籍を規制する」敵側の態度と変わらなくなってしまう。
 また…これが原作にある描写なのか知らないし、一キャラクターの言動を制作者の真意に重ねる問題もあるとは思うが、こういう題材はもうちょっとデリケートに取り扱うべきじゃなかろうか。
 …と、フィクションである創作物に枷を嵌めようとすることも、表現の自由に反する行動?(^_^;)
いや単なる感想だし。
しかしヒロインも思想を背負っていると言うより「アンタ気に入らない」程度の感情的反応だから…
 うーん、堂々巡りだなあ。

 この作品に於いては、パンパン銃を撃ちまくるバトルに どうも馴染めなかったが、内部から、搦め手で体制を突き崩そうという「裏切り者」、しかもレギュラーキャラクターの兄貴、が登場することで、何だか受け入れやすい物語に。
こういうドラマや人間関係は、女性視聴者に好まれそう。

 ただ敵対して銃撃戦を繰り広げるばかりでは、確かに状況の打開など望めるはずもなく、「裏切り者」達の考えも(まだ全ては分からないが)間違い、とは言えない…かも。
 今後、難しい局面が出てくるかと思うけれど、単純なヒロインは対応できるんだろうか。
色々なことを賢く考えすぎて身動き取れなくなってしまった友人・柴崎からの問いに、単純で明快な言葉で答え、意図はせずだろうが正しい(日が差す明るい)道を指し示したヒロインなら、上手く切り開いていけるのかな。



『ドルアーガの塔 〜the Aegis of URUK〜』07.「片羽と踊れ」

 ええと、一話目以降、感想を書いてなかったんだっけ。
 結局、迂闊にも裏第一話を見逃してしまったため、開幕を あんなにすっ飛んだ内容にした意図(悪い、と言っているのではない)は上手く受け取れないままだけれど、その後に続く物語は、「冒険ファンタジー」として実にまっとうな、誠実な組み立てで、面白い。

 決して無敵には強くない、しかし心の強さと正しさは人一倍の主人公が見せる成長の物語として、語られるストーリー。
前回、老兵と共に戦った時もそうだったが、他者の意見を抵抗無く取り入れる主人公の素直さと度量は、この後、まだまだ強くなる可能性を感じさせる。
 パーティーメンバーもまた、万能でも優等生でもない欠陥を持ちつつ、固有の能力が局面によっては「凄く使える」事を見せてくれ、性格付けの魅力も含めて、楽しい。

 明るめの主人公パーティーに対し、兄パーティー一行は、シリアスで、ダークな側面も抱えていると感じられ、「熱血バカ」ではない旅への姿勢が興味深い。
 今は、危機一髪の所で主人公らを助けてくれる役割だが、いずれ敵対する事にも…?

 現在、塔のどの階層を昇っているのか(昇ってるんだよね?)、毎回の冒頭ででも見せてくれると分かり易い。
「それすら分からない不安感」を、面白さに入れているのかな。
 ただ、塔が巨大すぎ、昇っている実感が余りにも薄く思えて。


2008年5月22日 木曜日

『狂乱家族日記』06.「狂気の博士と宴の二幕」

 ドタバタ大騒ぎの、正しく「狂乱」が主題の作品なので、多少引っ掛かる所があっても気にせず楽しんで見るべし、という鑑賞態度がようやく分かってきたせいか、面白くなってきた。
 白猿を計略に嵌めずとも、これだけの戦力を有する家族であれば、油断さえしなけりゃ正面から戦っても天空の城ぐらい落とせたんじゃなかろうか、とは思うけど、白猿歓迎パーティーの馬鹿騒ぎとか「知能的作戦」の雰囲気を、凶華が楽しんでみたかったのかな。

 前回見せられた、ツンデレ…というより傲慢デレ、神デレな個性を発揮する凶華が可愛い。
 各キャラの描き分けが上手く行くようになってきた。
不可思議な登場人物の中でも、飛び抜けて謎の多い月香は、何でもアリのオチ収拾要員、といった役割?

 罪のないコメディー、と見るには重すぎる要素が時折、チラリ。
白猿達を殺した血まみれの手を見せる雹霞(兄弟殺し?)、世の全てを厭い血を吐きながら しかし愛を求める博士、その愛情が得られたと思えた瞬間 彼に訪れる無惨な(幸せな?)死…
「あっはっは」で済ませるには、ちょっとズシリと来てしまう。
 その重さと、馬鹿馬鹿しい無責任さのバランスが、この作品を独特の色合いに染めているのだが。



 WOWOWで放送された映画『モンスター・ハウス』を見る。
 3Dアニメーション作品。

 開幕当初、出てくるキャラクターがみんな強烈…というよりイヤな奴らばかり。
 モンスター・ハウスに住むゴウツクなジジイは勿論、なんでこんなヤツと主人公は仲良くしているのかよく分からないダメダメな友達、優等生に見えて腹黒いヒロイン、無能な警官コンビ、イラつくベビー・シッターと劇中最悪の個性を持つそのボーイフレンド…
主人公は、「好感の持てる少年」とまで言えないものの、まずまずこんな所か、と思えるんだけど、とにかく他がヒドい。
 彼ら彼女らが、不気味なモンスター・ハウスと絡みつつ物語を展開させていくのだが…

 見ている内、次第にキャラクターに対する印象が変わっていくのが、面白い。
「コイツにこんな面があったとは」という意外性で、後半は上手くストーリーを引っ張っていく。
 キャラだけではなく、舞台となるモンスター・ハウスに抱く気持ちも、謎が明らかになるにつれ変えられていくし、ラストでは、「ホラー」という この映画のジャンル分けまでも ひっくり返す、無茶な展開を見せる。
 とても凝った、よく考えられた構成。

 楽しさを追求したエンターテイメント映画だと思うけど、テーマを読み取るなら「外から眺めるだけでなく、相手の内面に入ってみなければ、本当のことは分からない」だろうか。
 さして期待せず見たせいもあるだろうが、とても面白かった。


2008年5月21日 水曜日

『RD 潜脳調査室』07.「手と手で」

 飼い犬と自分の関係を、親子や兄弟だと捉えたり、親友と考えることも珍しくはないと思うが、だからといって「犬たちと同一化したい」とまで思い始める人は、ちょっと行き過ぎ。
 一応、男がそう考え始める過程を描いていたが、うーん、説得力あったかなあ?
 犬にしてみても、欲しいのは「可愛がってくれる飼い主」であって、同類にばかり居てもらっても、生活に困るかと。
 まあ、そういう理屈の通じない、若干「異常者」気味の…いや、思い入れが強すぎる上、電脳的な障害の出ている人だった、という事か。

 Production I.Gで犬バカ、となると、必然的に(?)押井 守監督を連想してしまう。
監督としては、こういう犬との接し方は、どうなんだろ。
 このレベルで文句を言うのは贅沢すぎると思いつつ、ちょっと作画に緩みが出ているように思え、残念。


2008年5月20日 火曜日

『マクロスFRONTIER』07.「ファースト・アタック」

 壮絶な宇宙戦。
猛スピードで展開されるドッグファイト、撃ち出される無数のミサイルが描く光(煙)跡、とても敵うとは思えない強さの敵巨大戦艦、人型に変形して戦闘力を上げる人類側戦艦…それらに被さりシーンを熱く盛り上げていくヒロインの歌。
 これがマクロスだ!と言う以外無いバトルの連続。
 桁外れの砲撃・破壊能力を持つデストロイド(掲示板でご指摘を頂きました。正しくはケーニッヒ・モンスターというそうです)の大活躍も、嬉しい。
単体でコレだけ凄さを見せつけてくれた事は、かつて無い…のでは。

 以前なら劇場版のクオリティーでなければとても目にすることが出来なかったレベルの画面が、テレビシリーズで見られる驚きとシアワセ。
 3Dよりも手描きの作画を喜ぶ自分にさえ、不満を感じさせず、「ならでは」の良さを楽しませてくれる演出と画面構成が素晴らしい。
 これでまだ7話なので、スタッフが力尽きさえしなければ、ラストバトルでは もっと凄い物を見せてもらえるんじゃなかろうか、と思うと、ワクワクしてしまう。



『炎神戦隊ゴーオンジャー』14.「毎日ドキドキ」

 敵女幹部が人間の女性に変身し、ヒーロー側と接触する、お約束の話。
 ケガレシア…及川奈央の素顔が なかなか美しくて、楽しい。
せっかくなので、修行にかこつけて(蛮機獣に絡め温泉展開でも)、もうちょっと大きな男性視聴者向けサービスのカットがあって良いような気はするが、子供向け番組に何を求めとんじゃコラァと言われればその通り。

 こういうパターンでは、接触によりヒーロー・敵側双方に感情変化が起こり、今後の展開に影響を与えるもの。
 今回の話では…うーん、微妙。
ヒーロー側が、割と移り気でいい加減な範人であり、敵側が「汚れ」を是としているのに彼はケガレシアを「清らか」と表現してしまった事により。
ラストで微妙な表情を見せていたところからすると、ケガレシアの心の奥には、美しさを喜ぶ気持ちがある?
 男女とも、この出会いを切っ掛けに、好意を持ち合える自分へと変わっていく…のかな。
 ドラマを期待すると肩透かされる事のある作品なので、まだ先は読めないが。

 一応、誘惑に負けない精神修行をメインにした話だったが、悟りを開いたのは滝に撃たれていた蛮機獣の方で、範人は修行の最中「恋の誘惑」にもコロリと負けてしまう。
 しかし、「恋のパワーこそ人間の大きな原動力」だというのか、「純粋に雑念だけで心を一杯にすれば、強く精神集中しているのと変わらない」という理屈か、押しまくって勝利を掴んだのは範人。
 容易くパターンを読ませない…無茶苦茶さが楽しい作品。


2008年5月17日 土曜日

 悲惨な進行に入りますので、火曜日ぐらいまで更新は難しくなるかと思われます。
 あしからずご了承ください。


2008年5月16日 金曜日

『RD 潜脳調査室』06.「ラブ・レター」

 デジタル全盛を迎えている世界で、「紙媒体の本を読む」というアナログな行為から始まる お話。
 アナログの良さを訴えていて、年寄り視聴者としては、色々感慨深かったり。
「最後に便箋を付けてある本」だから良いのであって、「読み終わったらメールを打てば良い携帯小説」では、意味合いが変わってしまう(そういう新しい文学の有り様も認めるが)。
 デジタルの良さ、も、両者を対比させるためには もう少し強く打ち出して良かったかな。
真理が自由に活動できる背景…この作品世界そのものが「デジタル・最新技術の恩恵」によって成り立っている訳で、今更か。

 ミナモ、個人が書いた手紙を読みたいというのは、さすがに悪趣味気味。
他人様が抱いた感情、まで感想に含めずとも、「私は読み終えて、こういう手紙を書きたくなった」で十分に感想として成り立つかと。
 ストーリーとしては、一冊の本を通じ、時間を超えて、ミナモが(意図せず)真理と恋人の気持ちを再び結びつける、よく考えられた構成。
『エスパー魔美』が、頻繁にこういう「引き合わせ」能力を発揮していたなあ。


2008年5月14日 水曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュR2』06.「太平洋 奇襲 作戦」

 ルルーシュが、記憶を操作されたままだとスザクに思わせつつナナリーと通話しなけらばならない、かなり追い詰められた場面。
 ナナリーとのみ共通する思い出や概念を踏み台に、意味のない世間話のように見せかけつつ、妹だけに意図するところを伝える…というセリフの組み立てが出来ていれば凄かったんだけど、言うのは簡単ながら自分でも「例えばこうすれば良い」を考え付かないぐらい難度の高い脚本になってしまうので、無茶(^_^;)。
 実際にはロロに助けられ、裏技で無事 目的を果たす。
 しかし…監視機関(前回崩壊したルルーシュ回りの、ではなく、ナナリーもしくはスザクに付随する)による盗聴は無かったのかなあ?
ナナリーの立場は「総督」であり、その通話を許可も取らず盗聴するなど不敬な行いか。

 今回は、空中を舞台に、黒の騎士団によるナナリー奪回(誘拐)作戦が実行された。
 奇襲による騎士団の圧倒的優勢から、伏兵が集結してのブリタニアの逆襲、主戦力たるカレンの敗戦と直面する死、そこから「こんな事もあろうかと」用意されていた飛行強化ユニットを装着し反転攻勢、しかしナナリーをスザクに確保され戦略的には敗北…
とにかく短時間に目が回るほど忙しく状況が変化し、そのスピード感は、もう流行らない言い方をすれば「ジェットコースター・ムービー」以上。

 カレンのナイトメア、「接近戦では無敵」の兵器を備えながら、距離を取られると酷く不利…という弱点をひっくり返す間接攻撃ユニットが新開発・装備され、騎士団の戦力は大きくアップ。
このぐらい してくれないと、凄腕パイロットが多すぎるブリタニアに、敵うはずもなく。
 絶望的状況から、強化ユニットとの合体、それを用いての大逆転、という展開は、「新型メカ登場」のハッタリとカタルシスに満ちており、ロボット物の醍醐味を満喫させてもらった。
 そうそう、『コードギアス』は、ルルーシュの復讐物語であり、多数のキャラクターを見事に捌いた集団劇でもあり、友情と信頼と構築と敵対と裏切りと喪失のドラマでもあるが、「ロボット物」でもあるんだよね。


2008年5月13日 火曜日

『仮面ライダーキバ』16.「プレイヤー・非情のルール」

 ちょっとは人情の絡んだ終わり方になるかと思えば、情け容赦のない内容。
 仲良しになったファンガイアが記憶を取り戻し、キバの敵になる…ぐらいは当然 予想していたけど、「体に刻まれた渡との楽しい生活のため、一瞬なりと攻撃の手が鈍る」程度の事はあるかと。
それどころか、仄かな恋愛感情が芽生えかけていた定食屋の娘さえ、躊躇わず殺害。
 余りの非道さに…組織にはファンガイアの顔写真とか残ってないの?そういうデータを警察に届けるか一般に公開して、せめて取り逃がしっぱなしの不手際を埋める努力ぐらいしたらどうなのか、渡も渡で、事情を知らなかったとはいえ彼の責任で定食屋が壊滅状態になった事に僅かでも自責の念があるなら、しばらくは立ち直れないはず…とか、この手の話で考えてはイケナイ事まで考えてしまう。
 後味悪いなあ。

 因縁を背負い、嫌いあっている者同士が共闘してまで挑んだ過去戦で、音也と次狼が呆気なく負けてしまうのも、どうなんだろ。
 せめて、惜しくも逃げられたとはいえ大打撃を与え、ファンガイアが記憶を失う要因を作った、ぐらいの成果は上げさせてやっても。
 過去の戦いが、どうせ勝てやしない、見るだけ時間の無駄、といった扱いになっているのは、やっぱり大きなネック。

 イクサが乗るメカ・パワードイクサー登場。
 しかし…これは格好悪くないだろうか?
まるっきり重機そのもののデザインはまだしも、発揮する機能が「機動がエラく早いショベルカー」ぐらいにしか見えず、ファイナルアタックの内容にしたって「背中に背負った爆発物タンクをショベルで掴んでブン投げる」という格好悪いシロモノ。
 これは…子供に受けるだろうか?
今後の使い方や見せ方によるのだろうとは思うけど。
 「ファンタジックで不思議なキバの戦力」に対し、「現実をベースにしたイクサのメカ」という対比?



『ファイアボール』06.「ゆるぎないこころ」

 以前、王国周辺に人類軍が駐留している、というセリフがあったけれど、キャラ二人、場所は室内限定のコミカルな会話劇なので、「物語」が進展するとは考えておらず。
 うわー、人類軍が王城に攻撃を掛けてきた。
防衛システムが次々に破壊されていくよ。

 もの凄い危機的状況。
 攻め込まれたら、ドロッセル達はどうなるんだろ。
人類の怒りの標的となりバラバラに分解されるのか、人類の下僕として働かされるのか、意外と王城への幽閉ぐらいで許してもらえるのか(これなら今まで通り話を続けられる)。

 ゲデヒトニスが、これまで見せたことのない攻撃能力を発揮し、「お嬢様、もう安心で御座います、人類軍五十万人、ワタクシが軽くヒネってまいりました」とか何気なく言って事態を収拾するかも知れず、先は読めない。


2008年5月12日 月曜日

 WOWOWで放送された映画『ハッピーフィート』を見る。
 監督は、『マッドマックス』『ベイブ/都会へ行く』のジョージ・ミラー。

 擬人化した動物を主人公に据えた3DCGアニメは、若干食傷気味。
ペンギンがメインのモノにしても、『サーフズ・アップ』があるし。
 なので、どんなもんかなあ、と思いつつ見たが…
 ああ、面白い。
『ダンボ』であり『醜いアヒルの子』でもある、仲間たちとは まるで違う個性を持ってしまった主人公が、やがて自分だけの道を見つけていく物語。
 挫けない主人公は力強いし、友達になるペンギン達もアホで楽しい。
厳しく美しい極地の自然が見事描き出され、「ペンギンが踊ってもなあ」という予断を覆すパワーのある歌と踊りは見応えがあり、こちらの体もリズムに乗せられてしまう。

 このまま、ペンギンの群れの中で物語を終えておけば…せいぜい「悪者動物」との対決・撃退に留めておけば、問題なく「面白かった」と言える作品。
 しかし後半、困難に直面した主人公は、どうにかそれを解決すべく、無謀としか言い様がない行動に出て…
 ここから一気に視点が変わり、ラストまで、うーーーん……という展開を迎える。

 それは、「作品としての問題」というより、「見た自分の側の意識」による所が大きいのだろう。
 例えば お伽噺、「桃太郎」。
自国人が他国へと出向き、悪い その土地の住人を成敗して、故郷に宝物を持ち帰り、ハッピーエンド…
 この物語を事前には全く知らないまま、「アメリカ製映画」あるいは「中国製映画」として、現在、初めて内容に触れた場合、作品自体より、自分が知るその国の情報と印象のため、ちょっと素直に見られるかどうか自信ない。
 「お伽噺に、そういう妙な考えを持ち込むのが間違い」だと分かっていても。

 要らない事さえ振り落として見られれば、戦いや破壊ではなく、「踊り」で全てを…解決不可能だと思える困難でさえも…解決していく、まとまりの良い映画。


2008年5月11日 日曜日

『紅 kure-nai』06.「貴方の頭上に光が輝くでしょう」

 意味がない話だなあ、と思いつつ、エラい笑わされてしまった。
真面目一方の作品ではなく、調子っ外れな、コミカル部分もあると分かってはいたけど、ここまで本筋から脱線したドタバタのミュージカル(?)を見せられるとは予想せず。
 闇絵と夕乃の音痴ぶりが凄まじく、それも一発ネタで終わらず延々と音程を外した歌を聴かされるので、見ているコチラも正しい音階を見失いがち。
 しかし…才色兼備っぽい夕乃が、ここまで無自覚な音痴とは。
前回見せた体術の見事さ、意外なほどの容赦の無さ、美しさからのギャップで、魅力アップ…と言いたいけど、やっぱりダウンだなあ、あの音痴は許容量を超えて酷いわ。
 声優さんも、こんなに長く音程を外して歌うのは、逆に大変だったのではなかろうか。

 紫を陰から見守っている弥生。
職務に忠実な厳しい顔から、時折 普通の優しい女性としての「本性」を見せてはいたが、今回で決壊。
 こんな女性だったなんて(笑)。

 大変面白かったんだけど、この後、シリアスな話をやられても素直に乗れるかどうか分からない、それぐらい本筋を壊すエピソード。
 大丈夫かなあ。
 いや、この作品の本筋って、意外とココにあるのか?



『炎神戦隊ゴーオンジャー』13.「侠(おとこ)気マンタン」

 普通(?)「男」か「漢」と書くところを、「侠」と わざわざ書く事からもう明確な、任侠者登場作品。
 こういうタイプのヤクザというか極道に、今の子供たちは馴染みがあるのかなあ?
昔は、それはそれなりに こういう男が出てくる映画やらドラマがあった…気がするけど、最近は、せいぜいでこうしてパロディー的に扱われるぐらいしか、出番がないような。
Vシネマなんかでは多い?…でも、子供が見る可能性は低いし。
 ああ、『水戸黄門』とか時代劇には今でも出てるのかな。

 イタタタタな、その極道の、不思議ちゃん娘。
オリジナルの小倉優子が、もう「コリン星出身」設定から脱却している(しようとしている?)今頃になって。
 この親子に見せ場を喰われ、今回登場の蛮機獣は酷く影が薄い。
ドスを使う極道に対し、拳銃使い、という対比を考えたのだろうと思うけど。
 客人である極道オヤジが変身してゴーオンジャーと戦う展開で問題なかろうに…それだとラストのオチが死んでしまうか。

 せっかく連が頑張ったのに、極道オヤジとの最終決着は娘自身が つけてしまう。
「娘、それだけの気合いと力があるなら、最初から自分でオヤジと対決しろよ」と思うけど、「運命は結局、自分の力で切り開くべき」というテーマがあるのだろうか。
そんな難しい事を考える作品じゃない、って気もするが。
 親子の絆を修復してくれた(?)恩返しに、巨大メカ戦で、蛮機獣が撃ち出してくる弾丸を人間大の親子が全部ドスで跳ね返してくれる、とか、もっと悪ノリしても良かったかな。


2008年5月10日 土曜日

 映画『ミスト』を見る。
 『ショーシャンクの空に』『グリーンマイル』に続き、原作スティーブン・キング、監督フランク・ダラボンで送る最新作。
 原作既読だけど、かなり前のことなので、濃い霧が立ちこめる雰囲気と所々のシーン、ラストぐらいしか憶えていない。
 前二作も好きだが、今作はホラーであり、監督の性質と噛み合うのかどうか期待・不安半々で見た(監督は、モンスター・ホラーの怪作『ブロブ』の脚本も書いているけど)。

 理不尽な恐怖に晒され、常識的には全く理解できない状況の中、段々と全てを受け容れて必死で生き延びる道を探し始める人間たちの描き方が、実に上手い。
「何だか分からないモノに追い回され、事態を受け入れる事なんて出来る訳がないけど、とにかく逃げまどっている」のが『クローバーフィールド』で、コチラの方が「今日的」だとは思いつつ、しかし『ミスト』の方がドラマとしての構成や人間心理の追い方は丁寧。
 平和な時なら、ちょっと気にくわない奴だ、変な人だ、で済んだはずの人々が、極限状況では その「僅かの違和感」を恐ろしく増大させ、彼我の生命の危機へと直結させてしまう。
「バケモノよりか、人間の方が怖い」撮り方は、さすがダラボン監督。

 いや、勿論モンスターも恐ろしいんだけど。
 その多くはハッキリとした姿を見せず、霧の中から突然に人間を襲う、正に「死」の具現化。
小型のモノはともかく、大型モンスターに、主人公たちは全く対抗することが出来ない。
 そもそも主人公たちは、勇気があったり正義を愛していたり、知力・戦闘力に優れていたり…いつでも正しい判断が出来るような「選ばれた人々」ではなく、ごく普通の、自分達と変わらない、客観的に見ていると「ああ、どうしてそんなに間が抜けているかなあ」と思わされる失敗を繰り返す人達。
 彼らの どうしようも無さが、こんな状況下では多分、見ている自分も同じぐらい愚かな…あるいはもっと最悪の…行動しか取れない人間だとリアルに感じさせ、閉塞感と恐怖を倍加させる。

 『ショーシャンク』で、「開放により生まれる希望」を描いていた監督が、この作品では まるっきり傾向を変え、真逆のテーマさえ描き出して見せる。
勇気と愛情を持って下した決断の、負の側面、とも言えようか。
 凄い。
凄いんだけど、個人的には、うーん……

 震えが来るような恐怖を見事に演出してあり、ホラーとして一級品の出来。
ホラーというか…恐ろしさの質は、一部『硫黄島からの手紙』での「戦場の狂気」に通じる部分があり。
 面白かった。
そして、疲れた。



『マクロスFRONTIER』06.「バイバイ・シェリル」

 故郷・ギャラクシーの危機に際し、上手く言葉を選びつつ救助を要求するシェリルが、格好イイ。
単なる歌手ではない(これまでもそうだったけど)度胸と頭の良さを伺わせて、魅力アップ。
 ランカを芸能プロダクションにスカウトしようという男に対し、まだ腹の底から賛成は出来ていまいし、信頼して良い相手なのかどうかも不明確だろうが、「兄」として出来る精一杯の事として、誰に対しても下げたくなかろう頭を下げてみせるオズマも、惚れるぐらい漢っぽい。
というか、「不器用なお父さんっぽい」のかな。

 襲撃され、ほぼ壊滅状態にある…と推測されるギャラクシー船団。
フロンティアにも敵の偵察部隊?は襲来していたが、先にギャラクシーに本格的攻撃が行われたのには、何か理由が?
「歌」を物語のキーにしているとすると、シェリルの不在が関係してるとか。
 フロンティアの私設軍事機関のような組織は、ギャラクシーに居なかったのだろうか。
 この辺の設定は、特に出し惜しみされる事無く順次説明してくれているので、それが重要事項なら、いずれ語られるだろうが。


2008年5月9日 金曜日

『図書館戦争』05.「両親攪乱作戦」

 昔ながらの人情喜劇パターン。
「上京した若者が、故郷の両親にウソの(過大な)生活状況を報告していたが、その両親が確認のため上京すると言い出した事から始まるドタバタ」。
 どうせなら、「図書館では私が一番の出世頭」「堂上という部下が居て、使えないので困っています」「格好いいカレシと、近く婚約の見込み」なんて無茶な手紙を書いていて、それを本当だと両親に思わせるべく周囲を巻き込んで一芝居、って展開だと、更にベタ。

 子供のウソなど親はとうにお見通し、という、これまた お約束通りの終わり方。
母親は真実を知らないまま…なのかな?
 無理にオリジナリティを主張する事のない、パターンの旨味を引き出した作り方で、見易かった。
…こうなると、特殊な世界設定が必要なのかどうか、益々分からなくはなってしまうが。


2008年5月8日 木曜日

『RD 潜脳調査室』05.「スーマラン」

 登場した、シュバルツというキャラクターは、サングラスに拘るところと無言でドコまでも追いかけてくるところ、単純に名前の響きから、『ターミネーター』のアーノルド・「シュワルツ」ェネッガーをイメージしたものか。
 実践型格闘コミュニティの強者、という事で、最初は格闘ゲームのキャラクターみたいなものと捉え、実在しないのかと思っていた。
 現実でも居る…という事なんだよね?
当然のように握手を求めてくるファンが居たところからすると。
 いや、電脳空間(メタル)と現実の区別が付かなくなっている世界だから、間違えた?
非常によく似合うコスプレの人を見ると、写真を撮ったり握手をしてもらいたくなったりしてしまう、そんな気持ち?

 ミナモを ひたすら追ってくるシュバルツは不気味…と言いたいところだけど、妙に明るいBGMがかけられ、破壊的な行為も行わないため、コミカル。
 無抵抗な民間人にさえ平気で暴行を働いていたのに、ミナモにはそうしないのが不思議。
ホロンは彼に攻撃を仕掛けたから反撃されたが、基本的に女性は襲わない仕様になっているのか。

 今回は、「レプリカ」という単語でストーリーが統一されているように思う。
 完璧な…男性が好むボディーラインを持つ、誰かの(数人の)レプリカであるホロン。
彼女は、自分のようになりたいなら、と、ミナモに義体化を提案。
 有名メーカーのサングラスと、本物より出来が良いこともあるそのレプリカ。
 登場したシュバルツも本物ではなく、格闘データだけを移植した偽物。
 偽物であるシュバルツは、本物が持つ個性であるサングラスに拘り、結果、暗くされた店内で視界を失う(何故か本物のシュバルツも同時に負けたみたい)。
 ホロンは人間・ソウタに「身を捨てた一撃」をアドバイスするが、それを実戦した彼女はシュバルツの強烈な反撃で戦闘機能を喪失。
人間だからこそのリスクを考える戦い方により、ソウタは逆転のチャンスを掴むことが出来た。
 非常に考えられた構成で、感心。


2008年5月7日 水曜日

『SOUL EATER - ソウルイーター -』05.「魂のかたち〜最強職人シュタイン登場?〜」

 早くも、恐ろしい強敵・シュタイン登場。
マカとソウル、ブラック・スターと椿、二組が全力で掛かっても まるで相手にならない その強さは、圧倒的。
 魂を攻撃力に変えるこの世界で、相手の魂の特性を瞬時に見抜き、自身を そのアンプたる「武器」と同じ性質に変化させることで攻撃を無力化する、シュタインの能力を突き崩すことは至難。
 最強のボスキャラ、ぐらいの相手だけど、こんな序盤で倒してしまうのか…と思えば、ああ、そういうオチね。
確かに、彼から学べる事は多かろうし(素直に教えてくれるのかは知らないが)、まだ片付けるには惜しいキャラ。

 しかし、シド先生がゾンビにされてしまった事実には変わりないんだけど、それについては不問?
本人も自身の境遇を気にしてないみたいだから、こちらがどうこう考える必要はないのか。
 そういう、ダークでブラックで非人道的(^ ^)なカラーを持った作品だし。
※掲示板でご指摘を頂き、Wikipediaで調べると、シドのキャラクター紹介欄には「過去、「眉間に女神事件」(経緯は不明だが、死人の眉間に自由の女神が刺さった事件)によって死亡、後にシュタインによってゾンビとして蘇った」とある。
忘れてたけど、シュタインが殺した訳ではなく、ゾンビにしただけなのか。
…それでも、非人道的とは言えそうだけど。


 バトルの演出や作画に渾身のパワーが乗せられており、見ていても力が入ってしまう。
 面白いなあ。



『ブラスレイター』05.「疎まれし者」

 チーフライターが小林 靖子だ、という事もあってか、かなりダークな『仮面ライダー』を思わせる作品。
血液感染?で凶暴な悪魔が増えていく所など、脈絡無く怪人が登場している(ように見える事がある)本家平成『ライダー』でも、使えるネタじゃなかろうか。
 バイクアクションやモンスター・バトルでは、3Dを駆使しつつ迫力を持たせて画面を構成するのに成功しており、見応えあり。
この辺、さすが板野 一郎監督、かな。

 明快・爽快な物語だとは言えないが、人間関係やドラマの作り方など、地味〜に面白い。


2008年5月6日 火曜日

 WOWOWで放送された映画『西遊記』を見る。
 2007年作品。
フジテレビで放送され、SMAPの香取 慎吾主演で好評を得たテレビシリーズの、劇場版。

 テレビ版は、賛否両論あったと思う。
作品に、物語やテーマ性を期待する人には、概ね不評。
多くを求めず、バラエティー番組の一コーナーを占める ぬるいコメディードラマだと思って見た人なら、まあまあ、好き、という評価を得られたろう。
 この劇場版も、テレビシリーズと同じ作り。
なので、期待しすぎるとガッカリする。
 お金を掛けて撮った、バラエティー番組の一コーナーだから。

 CGは かなり頑張っており、悟空が見せる空中戦など、迫力のある場面あり。
 俳優さんによるアクションは…うーん、これも頑張っているとは思うんだけど、CG加工・ワイヤーアクション・早回しなど、技術を使って迫力を増す撮り方が余りされておらず、物足りない。
内村の体のキレは、こういうのが好きなだけあって、さすが。
 脈絡も物語としての必然性も無いけど、挟み込まれるコメディーシーンは、そこそこ可笑しい。

 悟空らが、超絶パワーを発揮したり常人にも劣る弱さになったり、都合によりコロコロと変わる。
 キントウンに乗って猛スピードで空を駆け巡れるのなら、砂漠で飢えたりしなくて済むのでは?
他の『西遊記』の解釈では、まず旅自体が修行であること、悟空らは三蔵法師を尊敬しているので師が嫌がる「楽」な行為を封じていること、で納得できるんだけど、どちらかというと法師を馬鹿にしているフシすらある、「仲間(なまか)」関係の中では、雲に乗って食料を仕入れに行かない理由が見当たらず。

 「ありがたいお経を取りに行く旅」という目的など、もう完全な方便になっているのだから、「気の合う仲間とのバックパックツアー」に描くなら、それに合わせて新しく物語の整合性を取る必要があるんだけど…
 いや、気が付けば多くを望みすぎている。

 それはそれなりに見られたが、テレビで、退屈な場面では台所にお茶など入れに行きつつ見るのが、丁度良い鑑賞姿勢かな。



『コードギアス 反逆のルルーシュR2』05.「ナイト オブ ラウンズ」

 上手いっ!
視聴者を煽り、衝撃的な展開を用いて、次回を見ないではいられない気分にさせる作り方がもう、とてつもなく上手い。

 満を持してのナナリー登場。
てっきり、ルルーシュにより囚われの地から救出される役割だと思ったのに…いや、敵の手に落ちている訳で、助け出されるべき立場には違いあるまいが…想像もしない地位を得て、ゼロにとっては「敵」として帰ってくるとは。
 ナナリーとしての意識を完全に保っているのか、ルルーシュがそうであったように記憶を弄られているのか。
 彼女が帰ってくることで、「弟」の地位を脅かされるロロはどう出る?

 ナナリーの救出は、後期シリーズを通しての面倒事になりそう…だと思うけど、この作品は、大きな障害に見えたモノを意外と早めにアッサリと片付けてしまう事もあるので、油断できない。
 教師として・監視役としてルルーシュの側に居るヴィレッタは、ヤヤコシイ存在だと思っていたが、ルルーシュに弱みを突かれ、呆気なく陥落してしまったし(まだ関係が固定されてはいないけど)。
 彼女が指揮するルルーシュ監視体制。
厳しく見張っているようで、今回は穴だらけ(ああ、監視者全員にギアスを使ったんだっけ?)。
 振り返ってよく考えてみると、結構 ヘンな所のある作品でもある。

 でも、とにかく突き進んでいく勢いが凄まじく、物語を切り開いていく「今」の輝きが素晴らしく強いため、少々の事は気にならない。
 ロロを「ボロ雑巾(言葉の選択が上手い)」になるまでコキ使おうとし、スザクと緊張感がありつつも白々しく妙に可笑しい再開を果たして、今回はC.C.を追いかけてのドタバタ劇も演じる(意外な体力の無さ)ルルーシュの魅力は、強烈。

 黒の騎士団が いかに頑張ろうとも…スザクだけでも持て余しているのに同等の?戦力を持つナイトが6人も登場するし、V.V.はまだその実体も明らかにならず、切れ者っぽい皇子が控えており、このシーズン一杯を使っても皇帝にまで辿り着けるのかどうか。
…物語の都合によっては、ナイトオブラウンズなど一気に片付けるかも知れず、皇子にしたって必ずしもルルーシュの敵になるとは限らない訳で、皇帝までの道筋をパアッと開く可能性もあるが。
 そもそもこれは、どうなれば終わる話なのか。
日本奪還?皇帝打倒?
まあルルーシュが死ねば、間違いなく終わるだろうけど。

 早く続きが見たい、とにかく面白い作品。


2008年5月5日 月曜日

『仮面ライダーキバ』15.「復活・チェックメイトフォー」

 過去と現在を繋ぐネタとして、ありそうでこれまでに無かった「記憶喪失」が使われた。
 その対象が、強大な力を持つ上、自らが定めたルールに従って「ゲーム」を行い、成功・失敗に応じて自分で自分に賞罰を与える、狂った厄介な性質の持ち主。
更に、次狼の種族の仇、という因縁まで加わる。

 面白いんだけど、「次狼の仇」設定は、無くても良かったかな…
現代でその仇とキバが、ガルルフォームを取り、戦ったのに、次狼として特に反応を示さないし。
フォームになった時でも意識があるのか、とか、現代の次狼が過去から継続した記憶を持つ次狼なのか、も分からないけど、どうせ今回は戦ってトドメも刺せないのだし、ガルル以外のフォームを使った方が流れは良かったろう。

 この話は、渡が、相手をファンガイアと知らないまま関わりを持ち、最終的には悲劇的な結末を迎える、というパターンか。
前もあったなあ。
 「過去と現代をファンガイアで繋ぐ」基本構成は、それを使い面白く見せるパターンもいくつかは考えられる(既に大半が使われている)けれども、次第に「厳しい縛り」となり、作品から自由度を失わせてしまいそうで、不安。
 「過去編では、絶対にファンガイアを取り逃がさなければならない」というのも、作る側にとって嬉しくない絶対条件ではなかろうか。

 渡から、「アレルギー」設定を失わせてしまう事で、個性が酷く薄くなってしまった。
「ヴァイオリンを作りたい」人生の目的は分かるんだけど、それは対ファンガイアの主題と(今のところ)余り関係なく、強烈な個性を持つ お父ちゃんに比べると、その行動や行く末に興味を感じ辛い。
 名護との複雑な関係を通じてキャラクターを立てる手、だろうけど、名護の劣化・弱体化が余りにも早く、激しくて、これまた興味が薄い。

 全体的に…早く次回を見たくさせたり、シリーズの展開に期待を抱かせる部分が弱いような。
 制作者が何か大きな仕掛けを考えてあるなら、早めに投入して欲しい所。


2008年5月4日 日曜日

『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』05.「ベラルゴシティの罠」

 ウチの環境ではBS11が見られず、番組の存在は知っていたモノの、鑑賞はMXで放送されるようになってからが初めて。
 『メビウス』で好調なところを見せ、『ULTRASEVEN X』でも面白いエピソードを何本か作り上げた円谷の新作なので、期待していた。

 が…「ウルトラマンが登場して怪獣をやっつける」パターンではなく、カードゲームを原作(主展開商品)にしているようで、主人公がカードを用いて呼び出す怪獣、大抵はゴモラがウルトラマン代わりに毎回 他の怪獣と戦う、変則的な内容。
 舞台も地球ではなく架空の惑星。
一般市民が登場せず、キャラクターは宇宙船乗組員と謎の主人公のみ。
 売りである怪獣バトルはともかく、ライブのシーンではロクにセットも組めておらず、やたら背景に空を撮して何とか誤魔化そうという努力が。

 とにかく厳しい予算の中で作られた事が伺える作品。
開始当初は、物語に引き込む力も弱く、いつ視聴を終了しようかと思っていたが…
 見続けている内、割と面白くなってきた。
 主人公と宇宙船乗りZAP SPACYの確執、そして和解という、パターンながら王道の作り。
感心するほどでもないが…怪獣バトルに見られる逆転のアイディア。
失われた主人公の記憶と、彼に敵対する謎の女性キャラの登場。
 それはそれなりに楽しく見せてくれる。

 OPに出てくるウルトラマンらしき存在は、いつ姿を現す?
 全13話なので、最後まで見続けようかな。



『マクロスF』05.「スター・デイト」

 初代『マクロス』のリメイク…というかリ・イマジネーションというか、懐かしい要素を入れながら「現在」ならではの新たな地平を目指す作品として、とてもキッチリ作られている。
 オリジナルでは、軍人・早瀬未沙とアイドル・ミンメイに別れていたヒロイン像を、今作ではアイドルとアイドルを目指す少女に。
主人公らも「軍の下請け」といったポジションに変えたのは、監督の精神状態が影響している?
 平和な時代が続いたためか、軍から事態への即応性が失われている、という設定は、何だか納得できてしまう所だけど。

 ヨメも、オリジナル・シリーズは いくらか見ているはずだけど、今作を見ながら「そういえば戦ってた相手の巨人達はドコに行ったの?」と聞かれ、「そのまま一緒に暮らしている者も居れば、マイクローン技術により人間大になった者も居る(ランカにもその血が)」と説明しつつ、そういえばその辺は ちょっと不親切かなあ、と思っていたが、前回・今回で分かり易く、絵をもって見せてくれた。
 宇宙船の限られた居住空間・資源の中、巨大なまま生活させるのは色々無駄なような…
それらも全て織り込んで作られた船だから、問題ないのか。
 コロコロと大きさを変える戦闘部隊員も居ることから、牧畜を行ったり、歌手として巨大な声量で歌う(ゼントラーディーが歌を!)など、大きさによる利点がある時のみ、元の姿に戻っているのかも。

 前回、ランカが「私の彼はパイロット」を歌うところで、ちょっとホロリ。
オリジナル・シリーズで最初に聞いた際、間の抜けた歌詞に笑ってしまったりしたモノだけど、今では『マクロス』サーガを代表する、印象深い曲の一つになっている不思議。
 「この歌により、オールドファンの心に変化を生まれさせることが出来る」という事実が、もう「歌の力」。

 今回、街中でのランカの歌に、ストリート・ミュージシャンが合わせて楽器を奏で、多くの人が集まってくるシーンがあり…「歌の力」を素直に、力強く信じる作品テーマは健在で、嬉しくなってしまう。
 その歌により、敵巨大昆虫(?)が暴れ始める、という事では、今作は「歌」にまた別の意味を持たせようとしているのかも知れない。
 自律思考能力のない昆虫は、歌(それに似た周波数の音波)によりコントロールされていて、ランカの歌が同様の効果を発揮する?
敵との「歌合戦」で、歌声にパワーのある側が、無数に飛来する昆虫のコントロール権を握る、とか(笑)。


2008年5月3日 土曜日

『ゴルゴ13』04.「プリティ ウーマン」

 第一話でもベッドシーンはあったが、ほとんどシルエット処理で、だからこそ規制の厳しいテレビ東京でも放送できたものかと考えていたけれど、今回、はっきりと女性の胸を露出しての同様シーンがあったのに、驚く。
 ここまで許されるようになったんだ。
 深夜枠だからか、絵柄も内容も どう考えたって子供が見るモノじゃないから、お目こぼしか。

 ベッドシーンのサービスは結構だけど、今回は作画が大きく乱れていて、喜べるような仕上がりではなく(原作の作画でも「サービス」と言えるかどうかは…)。
 ゴルゴの顔が妙に幼く描かれていたのには、トホホ。



 WOWOWで放送された映画『叫』を見る。
 黒沢 清監督作品。

 役所広司が主演である事からも、『CURE』『ドッペルゲンガー』『回路(これは主演ではない)』の流れに連なるタイプの、「恐怖」や「不安」に訴えかけてくる作品。
 ただ…これまでの作品と比べると、段違いにコワくない。
映画の象徴であろう赤い服の女が、余りにもハッキリと顔…葉月里緒奈…を晒してしまっており、その普通にキレイな顔立ちと、自分の正体が何者であるか分かり易く喋ってくれることで、「理解できない存在の恐怖」はゼロ。

 登場人物達の心理に異変が生じる前に起こる地震とか、ヒロインとか、深読みすれば出来ない事はない『CURE』のような要素もあるんだけど、見終わって「何か理屈を通さないと不安」な気持ちが残らないため、あんまり考える気にならない。
 ショッキングな画面や音響に頼ったり、殺人鬼に追い回されるような分かり易すぎる作品ではなく、「見ている内、観客の心に広がっていく漆黒の染み」を主題にする、黒沢監督らしい映画。
なので、もうちょっと構成を考えてくれないと、「ええと、それが何か?」という気持ちで見終わってしまう。

 笑える部分が多いのは、今作の特徴。
 特に、実在の人間ではないはずの赤い服の女が、フツーにドアを開けて出ていったり、『スーパーマン』のように悠然と空を飛んで見せたりするシーンは、とにかく「もの凄い絵」で、爆笑。
 伊原剛志の登場最終シーンなど、ここまで地味に積み重ねてきたモノが一気に意味を失う、強烈な破壊力を持った馬鹿馬鹿しさがあり、唖然とした後、大笑いしてしまった。
 『回路』でも見せられた、ワンショットで高所から飛び降り自殺する人間を見せるショック・シーンが、この映画では「割と大丈夫でした」というオチに終わるのも、変に可笑しい。
 『ドッペルゲンガー』で一番 印象的だった、「物言わず座ったままの自分のドッペルゲンガーに油を掛けて燃してしまう」場面並みの、「こんなのアリ?」シーンが いくつも見られたのは、別に皮肉ではなく、監督のイマジネーションが素晴らしいという事。

 ホラーとしては、怖くないので失敗作。
 でも、「黒沢映画らしさ」が全編に溢れているため、ファンなら十分に楽しめる内容…って、全作品見ている訳でもない自分が言うのもナニだけど。


2008年5月2日 金曜日

 映画『仮面ライダー電王&キバ クライマックス刑事』を見る。
 平成ライダーで、二本の劇場版が作られるのは、『電王』が初めて(『キバ』も この夏公開の映画で、二本目になる。ああ、『THE FIRST』『THE NEXT』はどういう分類に…まあいいや)。
 『電王』は、とにかくキャラクターが個性豊かだった。
キャラの個性だけで言うなら、『龍騎』や『555』も強烈ではあったけど、『電王』は作風が明るく、ポジティブさを感じさせ(実体は必ずしもそうでないが)、幅広い視聴者層に受け入れられ「好かれた」のが、こうして続編を制作させた要因か。

 映画の内容は…
デンライナーの中に警察署(?)が作られ、お馴染みのメンバーがイマジン犯罪の捜査を行っている、という設定。
テレビの続編としても、シリーズの途中に挟まれるエピソードとしても上手く繋がらず、「警察と協力関係にある」という部分にしたって真面目に考えると不可解なので、困った時の「パラレルワールド」設定、と理解しておくのが妥当だろう。
 警察っぽいイメージを付加しているのが今作の特徴。
だけども、やっている事はテレビ通り「イマジン退治」であり、組織のルールに縛られたり手掛かりから全貌を推理したり、といった刑事物らしさは特に無い。
 そういった部分を背負う、新人刑事キャラを登場させてはいるが。

 お馴染みの『電王』レギュラーズに加え、その新人刑事、そして現在放送中の『キバ』を出演させているため、若干物語が分散気味。
 新人刑事が抱える父親への思い、など、良太郎自身の記憶として まとめる事が出来たような(テレビと多少矛盾しても)…
 キバを出したのが良かったのかどうかは、この映画に何を期待して行ったか、に寄る。
別段『キバ』が嫌いな訳もないが、『電王』の新エピソードをこそ見たかったもので、バトルシーンでキバに ある程度 花を持たせようとする作り方は、ちょっと不満。
 さすが脚本・小林靖子は巧く、新規要素を最大限ソツなく捌き、特に新人刑事パートなど感動的に終わらせてさえいるんだけど。

 良太郎とイマジンズ、ハナやオーナーの活躍ぶりは、ファンの期待に応え、乗り越えさえするもので、楽しく、嬉しい。
特にハナ(大人姿も見たかったなあ…今更か)のパワフルさが気持ち良く、彼女が あと何人か居れば電王など必要ないと思えるほど。
 ハッキリした個性を持つイマジンズは、「コイツはこんな事しないだろ」という不満が全く無い描き方で、とても大事に、愛情を込めて扱われており、見ているだけでシアワセ。
 リュウタロスの お弁当イベント、心から喜んで食べている様子が胸に染みる。
もっと、「お弁当を切っ掛けにピンチを跳ね返す」ぐらいの重要アイテムとして扱っても良かったかな。

 元々劇場版として作られた作品ではないためか、少々画質の荒さが目に付いたのは、残念。
 テレビシリーズのファンに、「あの大好きなキャラクター達は、今でもどこかで元気に暴れ回っているんだろう」と感じさせてくれる、嬉しいプレゼント。
 エンディングの撮影風景で、出演を終えたのだろう俳優さん達が、潤んだ瞳を見せていたのが印象的。
 良い作品だった。



『図書館戦争』04.「図書司令官ヲ奪回セヨ」

 図書隊は、武器の携帯から発砲、交戦による殺人まで許可されているのか?そうなると まるっきり軍隊と変わらないな…
と思っていたが、一応、武力行使は図書館敷地内に限られる、という条件が付いているらしい。
 恐らくは、図書隊・弾圧側共に、出来る限り殺さない形の攻撃が求められているんだろう。
その規制は弾圧側の方が緩かろうけど…それでも、余りに多くの死人を出しては国民も黙っていまいから。
国民の意見が反映される政治形態なのかどうか、知らないが。

 図書館側の資金って、割と潤沢?
イキナリ土地買収まで出来るぐらい(最初からキャンセルを織り込んだフェイクの買収かも)。
 現実では、図書館って決して余るような資金を有する施設ではないと思うけど、この世界だと、軍隊を持ち武装を整えヘリまで駆り出す凄さ。
 その資金が税金から出ているのだとすると…
書籍の取り締まりがどのレベルまでなのかにも寄るが(『華氏451度』のように、全ての本が消されようとしている程 酷い状況には到っていない)、国家がまだ上手く国民をコントロールして「害毒となる本だけを取り締まっている」と信じさせていたなら、図書隊の存在は「税金の無駄」と捉えられる恐れアリ。
 いや、作品内現実として図書隊がかなり自由な資金や武力の行使を認められている様子からすると、国民も、必要に応じたコスト負担だと理解しているのかな。

 基地司令の義足に発信装置が付けられていたのなら、無駄話に偽装したヒロインのメッセージは、無意味?
先行して おおまかに場所を伝えていたことで、電波発信にすぐ気付いてもらえた、という所はあろうが。
 人質に取られ、いつ殺されるか分からない極限状態の緊張感。
基地司令らの無事な確保を絶対条件とする、突入作戦の難しさ。
こういったモノが実に弱く、全てが大事に至らず何となく片付いてしまうのに、肩透かし感。
 手塚は、「この作戦が終わったら、告白の返事を聞かせてくれ」とでも言わんばかりにフラグを立てていたので、死亡する?と思えば全然問題なく無事だし。

 殺伐として すぐ人が死ぬ作品を期待している訳ではないけど、「緊迫した雰囲気」さえ薄くて、ちょっと不満。
 「ノイタミナ」枠らしく、「男性ばかりの職場で、持ち前の明るさと根性でもって状況を切り開き、成長していくヒロイン」をコミカルに見せる事をこそ、テーマに据えているのかな。


2008年5月1日 木曜日

『我が家のお稲荷さま。』04.「お稲荷さま。収穫する」

 自分を封じ込めていた家を怨まず、せいぜいで「そういえば腹立たしい」ぐらいの気持ちにしかならない、人智を越えた感覚の持ち主であるクーが面白い。
 それはそれで楽しい事もあったから?
長い寿命から考えると、大した年月閉じこめられていた訳ではないから、気にしないのか。

 掲示板で教えて頂いていたが、クーって男の姿にもなるのね。
『らんま』では、男女に化ける(正確には、男が女性の姿に変身してしまう)設定をもって、「美少女の姿で男の行動を取るギャップ」を演出していたが、クーは本当に「未分化」「性別の概念がない」感じ。
そのため、萌えとか そういうモノとは縁遠い。
 かといって、格好イイ、男前かというと そうでもなく、魅力のアピールという点では、現状ちょっと弱く感じる。

 低血圧気味の巫女・コウは可愛いけれど、皿を割りまくる枚数が「ドジっ子」とか何とかいう限界を超えて「迷惑」に感じられてしまう。
家計に余裕がない、という描写がまた、彼女を邪魔者に思わせる。
 主人公宅も、困っているならコウをキッチンから追い出せば良いのに。
そうすると、彼女が日常で存在理由を見失いかねないのと、長い目で見て家事能力の上達を待っている、って事なのか。

 毎回バトルを入れなければならない物語じゃないと思うんだけど、戦いの場でこそヒロイン二人は輝くようなので、やむを得ず。
 それなら、場当たり的でなく、シリーズを通しての大きな敵や戦いの構成が、そろそろ見えてきて良いかと。


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