ときどき日記 2008/06

2008年6月29日 日曜日

 お仕事で身動き取れず。
 火曜日…ぐらいには、また更新したいと思います。


2008年6月27日 金曜日

『図書館戦争』最終12話.「図書館ハ誰ガタメニ」

 うーん、ううぅーん…
 恋愛的な要素に決着を付けたのは、良かったと思う。
堂上が意識を回復するのに、もうちょっと派手なイベントも組めたと思うけど、何しろ「愛・恋」が中心にある作品なので、ヒロインが その気持ちを伝え終わった以上、「障害(動機付け)」として設定された堂上の病状をキープしておく意味はなく、スッキリ回復させて当然か。
 戦いで良化隊員を殺してしまった事による図書館側の窮地も、ヒロインが啖呵を見せたことで「窮地を作る役割」を終え、解決。

 物語としては まだ終わっていない。
表現に弾圧を加える世界そのものは、なかなか変えようがなく解決も難しいと思うが(制作者である「神」の豪腕をもってすれば簡単に解決できようか)。
 凄く意味ありげに出て来た手塚兄だけど、結局 取り立てて動きを見せず、どちらかというと図書館隊に協力してくれる立場に終わったのが拍子抜け。
彼が本格的に動き出すと長い話になってしまい、第一シーズンでは扱いきれないと判断された?
 いや、これらも、あくまで恋愛の「背景」であり、余り強く意味を求めてはいけないのだ、と分かっているつもりではありつつ。

 前回も書いたが、色々な部分にフックを仕掛けておきながら、しかし そのほとんどがダミーであったりトラップであるような、難易度の高い作品だった。
「軍隊だの銃撃戦だの表現の自由だのいった要素(お題目)に何の関心もない」視聴者の方が、問題なく、制作者の伝えたかったであろうモノを受け取れた…かな。
 特にマイナス点はないけれど強く引き付けられるに足る個人的要因もない、という理由で、大量に始まった今期のアニメの いくつかを次第に見なくなっていった自分が、文句を言いつつ最後まで見続けたのだから、ナニガシか それだけのパワーがある作品だったと思う。
 恋愛は脇に置き、この世界設定を徹底して煮詰め、国内で起きる管理された戦争状態と それに従事する人間達の心の内側を、深く、説得力を持って描き出す「アナザーストーリー」を見てみたい。
押井 守っぽくなりそうだなあ……


2008年6月26日 木曜日

 現在、ぼくのお仕事を手伝ってくれたりしています破邪くんが、DMMで漫画のダウンロード販売を始めました。
 懐かしいなあ、とか、そういえばそんな作家も居たなあ まだ生きてたんだ、とか、聞いた事もない(元々ぼくと同等にマイナーな上、かなり長く雑誌で新作を描いていません)けど まあ見るだけ見てやろう、と思われました方は、こちらへどうぞ(注・成人向け作品です)。


2008年6月25日 水曜日

『ドルアーガの塔 〜the Aegis of URUK〜』最終12話.「YOU ZAPPED TO…」

 正統派RPGアニメ、最終回。
 強大なボスキャラを相手に、万全とはとても言えない戦力でありながら、精一杯知恵を絞り、力を集結して決戦に臨む緊張感が、上手く演出できている。
 その中心に、常に主人公が居ることも、苦難の旅とその成果を強く感じさせてくれて、嬉しい。
おバカな話だった第一話の内容を、主人公に、今、自分がそこで見たような決戦の場に居ると感じさせることで、「夢を現実にしていく成長の物語」と まとめてみせるのも上手い。

 ドルアーガとの戦いで、イレギュラーな事態が起こっていたにしては、割と皆 冷静に対応しており、ちょっとモノ足りず。
「みんな成長した」と好意的にも取れようが。
第二部に備え、更に犠牲者を出す、という訳にも いかなかったのかな。
 強敵に止めを刺したのは、アーメイが命を賭けて打ち込んだ武器。
亡き彼女の強い意志が主人公達に力を貸してくれている、熱い展開で、燃えつつも ちとホロリ。

 若干の謎や未消化部分を残しつつ、キレイな終わり方だった、と満足して見終えようとしていれば…
えええ、こんなに思いっきり続くんだ。
ニーバやカーヤの不可解な態度を始め、チラチラと伏線を張ってはあったが。
 この先は、今シリーズで描かれたより上位ダンジョンな訳で、普通は難易度がアップすると思え、パーティーとしての人数を減らしてしまったニーバらは、どうやって踏破していくつもりなんだろう。
 スタート地点まで落とされ、仲間達とも はぐれてしまった主人公は、兄の後を追って再登頂を始めるのか。

 面白い作品だったので、第二部の放送開始を楽しみに待ちたい。
……再スタートまで一年ぐらい期間が開くのかな?
お話の細部は忘れてしまいそうで不安だけど。


2008年6月24日 火曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュR2』11.「想い の 力」

 「なんでゼロは、せっかく手に入れた天子を人質として有効に使わないの?そうする事によって彼らのイメージは悪くなるだろうけど、敗戦の色さえ濃いのに、そんなの気にしてられなくない?」とか「天子大事の余り、国(大宦官ら)に牙を剥いてしまった星刻を、何事もなかったかのように最前線で使っているのは何故?いかにも心が狭そうな大宦官が、彼を再び信用するとは思えないのに」といった疑問が、前回まで、あった。
 しかし、全てに完璧な物語を作るのは中々難しく、この作品はまた「怒濤の勢いで突き進み、意表を突き続けるストーリー」に大きな魅力があると感じているため、このぐらいの不思議な所は目を瞑るべきだろうし、さして引っ掛かる部分でもない、と思っていたが…

 前者は「『国を私する逆賊の大宦官 対 天子を守る正義の黒の騎士団』という図式を作り上げ、追い込まれた状況をも宣伝に上手く利用し、また勝利を確信し油断した大宦官から迂闊な言葉を引き出すため」。
後者は、「大宦官らは裏切りを忘れてなどおらず、しかし天子のため命を賭ける彼を戦いでは便利に使いつつ、最終的に天子ごと彼を処分するつもりだった」。
 もう見事に筋の通った理由付けが成されていて、「少々穴の空いたストーリーだ」と考える自分などの侮った気持ちごと ひっくり返す展開に、驚きつつ、ひたすら感心。
 二つの要素の複合ワザとして「追い込まれた星刻を自分達の陣営に取り込み(心を寄せさせ)、『恩』も売って、余所者であり中華連邦への指導力は容易に持てないゼロに代わり、国の主導権を握ってもらい、後々有利な状況を作り上げる」事まで、ゼロの視界に収めさせている。

 大宦官らを上手く動かすのに、彼らを支えるシュナイゼルの心を読んで反応を計算してあるのが、見事。
「彼に中華連邦(首脳部)をバックアップさせる」事で大宦官の慢心を誘っておいて、人民の蜂起を見せ、「国は人なり」の考えを持つ彼に、戦いから手を引かせる。
 チェスで、シュナイゼルの思う通り動かされた怨みを晴らす展開になっているのも、上手い。

 ……そんなに何もかも思い通りに動いてくれるか?という疑問も無くはないんだけど、このぐらい考えられた内容であれば、些細な話。

 嫌らしいまでの謀略を巡らせながら、自分達への利益を確定する天子の扱いを、シャーリーの「恋はパワー」なんていう ほわほわした一言で大きく変えてしまう緩さがまた、ルルーシュらしくて実に可笑しい。
 彼の戦う事への動機も、「ナナリーを守りたい」気持ちから出ており、そこだけは容易に裏切れなかったものか。
 この判断は、現状、とても良い反応を周囲から(特に女性陣から)引き出しているが…
最終的に、吉と出るか凶と出るか。

 前回、「ルルーシュが二人?」と強烈に引っ張った不可思議さには、アッサリ答えが与えられた。
有能だなあ、咲世子。
シャーリーへの対応は、後々面倒を起こしそうだけど。
 ルルーシュは学園を捨てた、と思っていたのに、イキナリ帰ってきてしまうのにビックリ。
それで、次回は ちょっと馬鹿話っぽいし…相変わらず、何が出てくるか予想できない作品。


2008年6月22日 日曜日

『仮面のメイドガイ』最終12話.「さらば愛しきメイドガイ」

 巨乳ネタに拘って突っ走ってきたギャグアニメ、最終回。
 つい前回までも同じテイストのままだったが、最後まで来た今回は、思い出したかのように、なえかが持つ「巨大な財産の相続権者」という設定に斬り込んだ、彼女を狙う敵が登場する比較的シリアスな話。

 意外にも?頭を使った計略を持って敵に当たるコガラシらの戦いぶりが見事。
 特に、「ドジっ子メイド」として最近は何だか「有能さ」と縁遠いキャラに成り下がっていたフブキに、珍しく活躍の場が与えられたのは嬉しい。
いや、酷い目に遭わされっぱなしなのも、それはそれで楽しかったんだけど。
 現れた、コガラシの同型女性形(?)キャラは、見た目通り、恐ろしい戦闘能力を発揮。
常に無敵であり、ルール破りの超常能力で他者を圧倒するコガラシが、こんなにも苦戦したのは、初めてだろう。

 先行きに不安な暗雲を漂わせつつ、しかし「コガラシさえ居れば、どんな事態でも強引に乗り越えられるんでしょ」という無類の安定感も感じさせられながら、とりあえずの終幕。
 ギャグのヒット率としては今期ダントツ一位に間違いない、とても楽しいアニメだった。



『紅 kure-nai』最終12話.「われ存在り」

 広大な九鳳院家邸宅に乗り込み、紫救出のため激戦を繰り広げる一行。
 三人だけの救出部隊にしては、並み居る警護陣を難なく捌いており、緊張感に欠ける。
アパートに現れた際、恐ろしく強いところを見せた、あの男達はどこに?
 警護の人数を少なく設定し過ぎては変だろうし、彼らが それなりに強いと主人公側に勝ち続けられる理由が無くなってしまうので、やむを得ないバランスかとは思うけど。

 恐ろしく強く、凶暴な敵女ボディーガードが楽しい。
このぐらいキャラクターがあると、倒すにもドラマがあって、見応えが生まれる。
 九鳳院兄も、もう少し時間を掛けて描けば面白くなりそうなキャラだったけど…ちょっと物足りない。

 主人公、体に埋め込んだ武装を、紫が攫われた際にも何故使わなかったのか、と思っていたが、制御が上手くできないのと、本人の意志として余り使いたくない(心の傷に直結する)武器である、という事なのか。
 ただもう一度 紫と会い、その気持ちを確認するために命を賭ける主人公は、イイ男で嬉しい。
保護対象である紫を預かりながら、平気で部屋に一人置いて学校へ行っていたシリーズ開始当初からすると、隔世の感。

 九鳳院家と、それが体現する「運命」から逃げず、留まって戦い、自分の人生を切り開こうとする紫の強さが素晴らしい。
…まだ子供が下す判断としては、余りにも渋いものだが。
 無理解を極めたジイサンと、家系の歪みを身に集約したような紫兄の居る家で、彼女の意志はどのぐらい貫けるものなのだろうか。
紫父が当主であるウチはともかく、彼が追いやられた後は、紫の健気な覚悟など押し潰されてしまいそうで。
 その時は、今より強くなっているはずの主人公が、また救出に乗り込む事になるのかな。

 アパートの住人達や、格闘技なら主人公より強い夕乃らが、ラストバトルに関わってこなかったのは残念。
 しかし、「全キャラで乗り込んでお祭り騒ぎ」とか「後腐れがないように屋敷を全部燃やしちゃえ」、「マスコミにスキャンダルを暴露して家の権威を失墜させてやる」といった、派手でも無理がある内容にせず、地味に地味に、キャラクター達の成長を描いて終わる判断は、誠実で心地良いもの。
 異色の、心に残るアニメだった。



『ドルアーガの塔 〜the Aegis of URUK〜』11.「ただ一枚の楯として」

 邪神ドルアーガとの激戦。
 人類側の攻撃を一切無効にするドルアーガの障壁を特殊アイテムにより破壊し、僅かずつのダメージを蓄積していくことで倒そうと頑張る主人公達だが、HPが99999ぐらいありそうな邪神に対し、渾身の力による一度の攻撃で削れる値はせいぜい10とか20ぐらい…というRPGの絶望的なラストバトルを思わせる戦い。
攻撃が効かない訳ではないが、とにかく硬い、敵キャラの見せ方が面白い。

 必殺の手段を持つニーバとパズズ(彼のは攻撃武器だったのかどうか)が、敵を目前にして己の功のみを求め、互いに潰し合っていくのが愚かしい。
一時休戦してドルアーガを倒し、その後でゆっくり、功績を誰の物にするかを賭けて互いに殺し合えば良いのに。
 二人とも、義のために立った訳ではないので(まだ目的の全ては分からないけど)、「取りあえず邪神を倒して人々を救う」といった選択肢を持たないのか。

 対して、自分自身を利するための欲望が弱い主人公は、それが故、仲間を一人喪うことで戦う気力を無くしかけるが、パーティーを、仲間達を、世の人々を守る「楯」になりたい、という無私の強い心と共に甦る。
 こうなったら、主人公は無敵…なのかどうなのか(^ ^)。


2008年6月21日 土曜日

『テレパシー少女 蘭』01.「蘭、テレパシー!〜ねらわれた街〜」

 放送開始をすっかり忘れていて、冒頭数分、見逃してしまう。
 放送局や時間帯から、つい『電脳コイル』を期待しそうになるが、そこまでヒネっていない、素直な…ちょっと古いタイプのアニメ。
今時、「遅刻しそうになったヒロインがパンをくわえたまま駆け出す」なんて描写を、ギャグ以外で平然と見せているし。
どうせなら、「焦っていたため四つ角で謎の少女とぶつかり、後にそれがヒロインのクラスへの転校生だと知る」伝統的な展開も入れれば良かったのに。

 作画クオリティーには第一話から少々の不満が。
「酷い」とは言えず、このままで最後まで推移しても作品として問題のないレベルではあるが、「絵だけでも視聴者を引き付けられる」パワーには欠ける。
 学校の様子、ヒロインの家庭環境、幼馴染みである美形少年との関係が、順を追って丁寧に描かれ、第一話として分かりづらい所が無く素直に情報が頭に入ってくるけれど、想定視聴対象年齢が低いせいか、いい歳の視聴者としては説明過多にも感じられ、引き込む力は弱い。

 ラスト、転校生が紹介され、ヒロインとの秘めた関係性が示され…
というのもパターンで、次回へ続くのか、と思えば、教室内で割と派手な超能力バトルが繰り広げられるのに、ビックリ。
 引きは強くなったけど、これだけの異常現象を起こしておいて、無理なく日常に帰ってこられるモノだろうか(時間が止められていたので周りは見てない?)。
 そこが気になるので、もう一話見てみようかな。


2008年6月20日 金曜日

『図書館戦争』11.「死闘!茨城県展警備」

 この作品を、男性で、特に世界設定や物語、銃撃戦のリアリティーなどに注視してしまう人間が楽しむには、とにかく割り切ること。
「今、制作者は作中の何を面白く見て欲しいと考えているか」を読み取ること、だろう。
 …と言いつつ、自分もよく その見方に失敗する。

 今回で言えば、割と長く見せられる銃撃戦の内容、何故か銃を使ったり使わなかったりする力押しの接近戦、正気を失っているようでありながら終了の合図一つですぐ引き上げる敵兵、展示物の前に立ちはだかって撃たれる隊長…といったような部分に、つい引っ掛かり、疑問や理不尽さを感じてしまう。
 しかし、言いたい事はそこいらには無く、「危険な戦いを明日に控え、自らは常に命を賭けて臨んでいる図書隊の任務よりも、笠原の喪失を恐れてしまう堂上」「その気持ちに、逃げず最後まで共に戦うことで応えようとする笠原」「懸命に頑張った(頑張りすぎた)成果に震える笠原を、抱きしめて受け止めてくれる堂上」といった、恋愛感情が絡む要素こそ、見せたい、楽しんで欲しい所なのだろう。
 焼けた銃身が雨に打たれて蒸気を漂わせる、なんて描写があるから、ついそちらに意味を求めたくなってしまうけれど。

 凶暴そうなイメージに反し、実は やる気がない良化隊員の内情は、現代的で面白かった。
 堂上は勿論だけど、隊長も死んでないんだろうな。
さすがに、死を描いた上で、その戦場を背景としてラブコメを展開されるのには付いていけるかどうか分からないし。


2008年6月19日 木曜日

『我が家のお稲荷さま。』11.「お稲荷さま。奉公に出る」

 超絶役立たず巫女姿少女・コウ、バイトで頑張るの巻。
 俗世との関わりが薄いため驚くほど世間知らずで、何をやらせても必ず失敗する才能を持つコウ。
戦って保護対象を守る、本来の役割については それなりの能力を持つようだが、他はとにかく、全滅。
 外見は可愛い…のだろうから、世界観的に、店舗で働けば彼女目当ての野郎共が集まってきて大繁盛、という事態も起こりえそうなもの。
女性客の多い甘味屋と、対人接触がないハンバーガー屋の店内作業、結局目的地にも辿り着けなかったピザ出前、といったラインナップでは、容貌を活かすことは出来ないか。

 結局、彼女を歓迎してくれるバイト先は示されず、役立たずなまま終わる。
ちょっと可哀想だなあ。
 巫女さんカフェで働けば良いのに。
ドジな所も「ドジっ子萌え」として、集客力アップが期待できるかと。
しかし、触ってやろうとかする不埒な客相手に、やり過ぎな懲らしめ方をしてクビ、といった終着点が容易に予想できてしまうが。
 もっと素直に、近所の神社ででも、お札やお守りを売るバイトをさせてもらうとか。
いや、系統が違う神社だと無理なのかな?
彼女は本物の巫女ではない?から、関係ない?

 この作品は、「バトル物」に展開しそうな要素を多々持ちながら、いつも最終的に「間が抜けて呑気な、異常さを内包する日常」へと帰着する、妙に強固で安心なフォーマットと、何より個々のキャラクターの魅力を楽しむべき…なんだろう。
 シリーズ開始当初は面白味がちょっと弱いように感じていたが、各話の積み重ねにより、楽しげに日々を送るキャラを好ましく見られるようになってきた。


2008年6月16日 月曜日

『コードギアス 反逆のルルーシュR2』10.「神虎 輝く 刻」

 中華連邦側の手抜き土木工事利用作戦は、作品内伏線としては弱かったと思うが、つい先日の地震災害を踏まえると納得…とかいうのは不謹慎ですねごめんなさい。
 敵も味方も いくらか考えた行動を取っているので、戦いぶりを見ているのが楽しい。
 せっかく人質(?)に取った天子を、戦闘時、有効に使わないのは不思議。
もっと あくどい使い道を考えている?
 ルルーシュが二人、という展開に驚愕。
日本の方が替え玉…なんだろうけど、どういう仕掛け?
 毎度のことだけど、次回に引いていく力が凄いなあ。



 と、いった所で、締め切り前スケジュールに突入。
 金曜日ぐらいまで更新は難しくなるかと思われます。
悪しからずご了承下さい。


2008年6月14日 土曜日

 先行上映で、映画『インディー・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国』を見る。

 このシリーズには、強く思い入れがある。
 一作目は、受験を前にしたフラストレーション溜まりまくりの時期に見て、その巧妙さと恐ろしさと明るさとハラハラドキドキと意表を突く展開と、何より主人公インディー・ジョーンズの強く賢いキャラクターに魅了されたもの。
 二作目は、構成としてアラがあるんだけど、冒頭の逃走劇とトロッコ・チェイスは今見ても面白く、好き。
 三作目は…随分とファミリー向けな内容になっており、インディーが「逃げれば良いのに勝手に危険に陥っている」ような作りの拙さが目立ち、余り楽しめなかった。
今見ると、ショーン・コネリー爺ちゃんの抜けた楽しさや、「ご家族揃って見られる作品」としての魅力など、良い部分もあると思えるんだけど。

 年月は経ち、ジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグへの才能信頼度も相応のモノになっている現在、かなり悪い評判を耳にしていた事もあり、過大な期待は持たずに鑑賞。
 ああ、いや、割と面白いのでは。
『最後の聖戦』よりマシだと思うんだけど。

 確かに、ストーリーは荒い。
幾人ものライターの手を経てきたせいなのか筋が上手く裁けておらず、結局アレは何だったのか?何のためにこのシーンはあるのか?コイツは無駄なキャラじゃないか?ああいうネタの締め方で良いのか?等々、見終えて疑問符がドッと渦巻く。
 インディーはともかく、ヒロインまでオバチャン…おばーちゃんにしてしまったのは、いやオールドファンだと嬉しい部分もあるんだけど、若い観客にはキツかろうなあ。
ジジババばかりになってしまったカーク時代の『スター・トレック』劇場版や、『ULTRASEVEN X』で引っ張り出されたダンとアンヌの姿を思い出してしまう。

 真面目に取る場面ではなく、ギャグだと思いつつも、日本人にはちょっと無神経に感じられる場面があり、引っ掛かる。
「映画内年代のアメリカ人の認識」に照らし合わせると、こんなもんなんだろうとは思うが。
描かれていないけれど、インディーは、15年ほど前、ムー大陸の遺跡で発見した秘宝により体が強化されており、「これ」に耐性が出来ている、とか何とか、勝手に設定補完すれば良いのかな。

 不満もありつつ、インディー・ジョーンズらしさ…トンデモな秘宝、遺跡の危険な仕掛け、インディーを追う剣呑な集団、振るうムチ、決して「殺し屋」ではなく時折 敵に対してさえ覗くインディーの優しさ、苦手なヘビ、気味の悪い虫たち、延々と続く敵とのチェイス…このシリーズに望むモノは、この最新作にも大抵入ってるんじゃなかろうか。
 欠けさせる事なく必要な要素を入れたが故に、「新しさ」からは縁遠くなり、「既に見たシーンの寄せ集め」にも思えてしまうのは皮肉。
 それでも、倉庫での不死身ぶりが際立つアクションや、カー・チェイスと それに続く危機また危機は、十分楽しめるモノだったと思う。

 新たな「縁」に より強い葛藤を設定し、『最後の聖戦』と重ね、あの時の父の気持ちを更に深くインディーが知るとか、もうちょっと泣かせに出来たろうが…
その辺をスッキリ割り切ってしまう判断も、間違ってないかな。
 進んだCGばかりでなく、妙に安っぽいミニチュア撮影が入るのも楽しい、という所まで行くとヒイキの引き倒し。
 時代設定が新しくなっているせいか、ちょっと『三丁目の夕日』的(?)な、時代を感じさせる風景やイベントが登場する。
宿敵・ナチスが もう居なくなっているのは、残念だなあ。
 シリーズのファンには、あのキャラが・あの場所が…と懐かしく思わせるシーンがあり、嬉しい。

 過大な期待はせず、爺ちゃんが やたら頑張るアクション映画だと思って見ると、丁度良い。
 個人的には、好き。
DVDかブルーレイで、いずれ見返してみたい。


2008年6月13日 金曜日

『図書館戦争』10.「里帰リ、勃発」

 う、う〜ん…この作品は毎度そうなんだけど、どのポジションから、どのぐらい真面目に見たら良いのか、悩まされてしまう。

 自分にとってフツーの姿勢で見ると…
 戦いを避けようとする地方図書館の有り様は別に間違っていないと思える。
「戦わなければ自由が守れない」設定ではあろうが、その戦いは必ずしも「銃を持って撃ち合い」でなくとも良いはずで(話が通じる相手かどうかはともかく)。
 「イキナリ撃ち合う」のと「それ以外の選択肢を探す」のとは、少なくとも思想的に対等であるはずなのに、後者を陰湿なイジメを行う集団や玄田の糾弾にオドオド対応するオバサンという卑近で卑小なイメージに落とし、分かり易くし過ぎるのも感心しない。

 耐えに耐えてきたヒロインの反撃方法が、職務への真摯さで認めさせたり相手の窮地を救うような人間的度量に寄るものではなく、どちらかというとヒキョーな、虎の威を借るものであったのに、ガッカリ。
これなら、イジメ集団を前に食堂の壁を拳でボコボコに打ち抜き、「この人を怒らせたら殺される」という本能的恐怖を感じさせることで事態を収めた方が、余程スッキリしたろう。
 それだと「ヒロインへの恐怖」に留まり、彼女が去った後はまたイジメが復活すると思えるため、「アタシが中央に帰って目が届かなくなっても、連絡さえもらえば いつだってアナタ達の査定を下げられるのよ」と脅すヒキョー者に自らを貶めることで、残る者達を守ろうとした?
しかしそれなら、「連絡をもらえばいつでも茨城まで飛んできて、アンタ達の骨を二、三本粉砕してやるわよ」でも同じ事のような。

 自らの力に寄らないヒロインの戦い方に倣い、その尻馬に乗る形で、どさくさ紛れに言えなかった言葉を相手にぶつける茨城図書隊員女子。
コレもどうなのか…
 自分達のためにガマンを重ねてくれるヒロインの姿に、自らの不甲斐なさをようやく自覚し、彼女を守るべく戦う気持ちを取り戻した、とか何とか、それらしい形にするのが常道かと。
 もしかしてメガネ女子隊員が図書館を二分する事態の黒幕だった…とか、ヒネったネタを予想したけど、そうでもなさそう。

 と、いう文句は、男性視聴者として見た場合の話。
 細かい事を抜きにすれば、イジメに耐えるヒロインの姿は、「彼女の内面を正しく理解し、初めて抱き寄せ その胸で泣かせてくれる男前上官」というロマンティックなシーンのためにあったのだと思え、ロクデナシ女達は きちんと懲らしめている訳で、特に不満はない…のだろう、多分。
 しかし、女性視聴者にしても、例えば学校でイジメられていた境遇を「アタシの親は校長先生の友達だから、言い付けてアンタ達を退学にしてもらう(内申書を悪くする、ぐらい?)わよ」で解決するヒロインを、肯定的に見られるものだろうか……


2008年6月12日 木曜日

『狂乱家族日記』09.「神と死神の宴」

 「神」を自称する凶華と対抗させるに、「死神」というポジションはアイディア。
 ただ…前回 初登場の死神自体が凶華への対抗意識を持つキャラクターなのに、彼女に憑依する形を取り殺意を秘めた(?)凶華の妹まで一遍に出してしまうのは、ちょっとヤヤコシかったかも。
 二話構成を取るなら、各人一話ずつを使って紹介していっても良かったような。

 凶華妹が憑依体であり、凶華自身も体を抜け出して死神に憑依しパワーアップを図った事からすると、彼女らは元々実体を持たない?
そうすると、凶華は、そしてその体はナニモノだったのか。
 意図的に体を抜け出せるなら、もっとナイスバデーのお姉ちゃんにでも取り憑き、凰火を誘惑する手も…まあ、今のままで愛されているようだからそんな必要は無いのか。

 「くっふふー」と笑うのがクセで、危険な戦闘力を持ち、仮面の下のアザに女の子らしいコンプレックスを抱えながら、凶華との間に(凶華にとっても珍しく)「対等の関係」らしきモノを成立させてみせる死神は、なかなか魅力的なキャラ。
 今後のストーリーへの関わりを、楽しみに待ちたい。



『ドルアーガの塔〜the Aegis of URUK〜』10.「夏の終わりに」

 RPGで最も根源的でありながら、突き詰めて聞いてはいけない疑問、「何のために戦い、何を求めて魔王を倒そうとしているのか」が示される。
 何かしらの目的意識を持っているレギュラー陣に対し、主人公は、自身の目指すところを上手く答えることが出来ない。
「父の不名誉を濯ぎたい」はそれなりの理由付けだと思うけど この作品中では肯定されず。
 主人公に問い掛ける、「ドルアーガがあなたに何か悪さをしましたか?」という言葉に、ハッとしてしまった。
RPGであれば、プレイヤーは「悪の王を倒し世界に平和を取り戻す」のが前提条件として当然なので、そこに「何故」を求められても、答えに詰まって無理ない。

 極寒の地で、パーティーメンバーの体温流出を防ぐ便利な魔法の使用に比例して、魔法使いの精神力が疲弊していくのはリアル。
 空を飛ぶ敵に対し、「コチラも魔法で飛んで対抗」というような安易な手段を取らず、必死で氷壁に掴まりながらの不格好な戦いに終始するのが、面白い。
かなり降下したと見えて、主人公、足手まといを引き摺りつつ問題なく登頂を果たしたのは、ちょっと拍子抜けだったが。


2008年6月11日 水曜日

『RD 潜脳調査室』10.「至高の話手」

 冒頭、教室内のミナモら仲良し三人組の動作が実に細かく描かれていて、見入る。
「肩越しに後ろを通る友人と手を合わせる挨拶の動作」なんて、頭の中だけで考えていても なかなか出てこないかと。
演出家の経験に寄っているのか。
 ゲストキャラである お兄ちゃんが、やたら「〜系」を連発する特徴的な喋り方をしていたのも、印象的。
この兄ちゃん個人のクセなのか、作品世界の若い衆に(ある程度)流行っているモノなのか。

 海で見つけたよく分からないシロモノを、問題があれば広範に影響が出るメタルに繋げてしまう判断は、迂闊としか。
危険を承知で中身を確認しようとする、割と非人道的な行いだったのか。
 エライザは、廃棄されていた?今回ラストのように、自ら望んで海の底へ赴いた?

 ソウタは、エライザに何をされたのか。
「まだ実性体験に乏しい青年」であれば、その隙を突いて どうとでも扱えるかと思うが、ソウタは意外と遊んでる…遊ばれてる?からなあ。
少々のことでは動揺しないと思える。
 まあそれでも人間、心の奥底に秘めた(少々歪んだ)願望はなかなか表に出せないモノで、そこいらを読み取られて攻撃されたら、ひとたまりも無いか。
 エライザ…チャットプログラムと言われ、「言葉を操る」事に多大な自信を覗かせているのだから、ソウタとの短い会話から彼の他者に知られたくない内面を的確に読み取っていくとか、そういう凄味が見られるとより楽しかったかな。
言うのは簡単、実際シナリオにするのは凄まじく大変だろうけど。

 『2001年』と『アリス』を混ぜたようなセットの雰囲気が、面白い。
 交わされる会話も、少々難解でありながら楽しかったが、キーワードであろう「地球率(律?)」の概念がよく分からず、そのためラストでのエライザによる選択も理解しきれなかったのが残念。
地球を一個の生き物と捉えて、水の波動からその意志を読み取り、「会話」をして行きたいと考えた?
 だいたいパターンが読めてしまう、単純でつまらない人間などと違い、地球は、意志を言語として理解するだけでも どれだけの時間が必要か分からず、エライザにとっては歯応えのある、会話を成し遂げれば自己の能力を飛躍的に伸ばしてくれるだろう、やりがいのある相手なのかな。

 それにしても電理研、今後 危険を生み出す可能性がゼロではないエライザなのだし、破壊するか、接続を全て切って金庫にでも放り込んでおいた方が面倒が無い気はするけれど…ホロンも人間扱いされているように、「人工知能」にもかなりの人権が認められている世界だから、そう無茶も出来ない?


2008年6月10日 火曜日

『ファイアボール』10.「終着駅」

 王城、雨漏りも直せないほど経済的に…資材的に困窮していたのか。
それでよく人間達と戦えたもの。
 いや、対人間戦役で資材を使い果たした、という事?

 「透明ステルスメイド」という、かつて無い新しい概念の、役に立つんだか立たないんだかよく分からないメイドさんの有り様が素晴らしい。
3Dモデルをこれ以上 作りたくないがために考えついたアイディアかも知れないが、「実は、部屋中に無数に控えているけれど、ドロッセルにはぶつからないようにしているため、気付かれないまま」とするアイディアの転がし方に、感心。
 面白いなあ。



 ありがたいことに、夏コミケ、受かりました。
 8月17日(日)・東地区 プ-25b・白昼書房
です。
 さあ、頑張って本を作らないと。



『コードギアス 反逆のルルーシュR2』09.「朱禁城 の 花嫁」

 情報量が多すぎて、なかなか全体を把握しきれず。
 星刻が天子に寄せる気持ちとか。
伏線はあったんだろうと思うけど、しっかり追いかけ切れていないので、唐突にも感じてしまう。
完結後にでも、最初から見直した方が良いんだろうな。

 ニーナが、周囲に次々と因縁を付ける厄介な役割で再登場。
まあ、この子は元々そういう素養を持っていたが。
 「ユーフェミア様大好き」「殺したゼロを許さない」という事で、姿勢が透徹している分、現在の立場や色々なしがらみから、100%自由には動けなくなっている他のキャラクター達より、「純粋」と言えるのかも知れない。
「純粋」と書いて「バカ」と読む、ってネタもあるけど。

 チェスではなく、相手の心理を読み合う戦いにおいて、ルルーシュよりもシュナイゼルの方が上手。
 シュナイゼルは、もうゼロの正体を見抜いているのかな。
 ルルーシュを抜いて、劇中では最も腹黒いキャラかも知れず、どこまで彼の計画通りで、どこからイレギュラーなのか、考えながら見るのが楽しい。
シュナイゼルに比べると、いかにも人が良さそうで抜けて見える第一皇子は勿論、皇帝でさえ割と分かり易い お父ちゃんじゃないか、と思えてきたり。

 しかし、学園の方はどうなっているんだろ?
ルルーシュが欠席している事は、すぐ分かってしまうだろうに。
 ヴィレッタがどうにか偽装してるのかな。
風邪をこじらせて、肺炎で、長期欠席です、とか。
 それとも、カレンに語りかけた「全てが終わったら、一緒にアッシュフォード学園に帰ろう」という言葉とは裏腹に、もう帰る気は無いので誤魔化す必要を感じていないのか。
 ああ、中華連邦を手中に収め、ブリタニアを粉砕し、自分と妹の生存権をしっかり確保してからなら、日本、あるいは全てを支配する勢力の指揮権を他者に譲渡し(権力自体には余り執着が無いと思える)、また学園に戻っても良いのか。
その時、まだ現在のような、「帰りたい」気分にさせてくれる学園が残っているのかどうかは、分からないが。


2008年6月8日 日曜日

『R.O.D -THE TV-』11.「さよならにっぽん」

 MXの再放送で鑑賞。
 見るのは二度目だというのに、アニタと久美の別れの場面でホロリと来てしまう。

 久美を陰で支える徹が良い奴。
深夜の学校で、久美に告白しつつも、まだ恋愛感情に不慣れな彼女によりアニタとの「友情(よりは強い感情なのかな)」に負けて振られ、しかし夜道、彼女を送っていくため校門の前で待っていて上げる その優しさと健気さに、ジーンと来る。
今回、久美に、アニタへの別れを告げさせてやるため、体を張って自転車で走り回る男気もステキ。
 成長したら更にイイ男になるんだろう、と思わせられて、こういうキャラクターを作り上げられたスタッフにまた感心。

 10話で印象的だった、長年新作が書けないままの ねねねを叱責するベテラン作家に対し抗弁する、担当編集者・リーのセリフ。
「私は担当として菫川先生を見てきました。だから、先生がどれだけ苦しんできたかは知ってるつもりです」「書きたいと思いながら方法が掴めずに悩んだり、それでも諦めないでやってきたんです。その苦しみ自体は読者に関係ない。だけど、僕等がそのことを嘲ってはいけないんじゃないでしょうか。本を作る、仲間として」
 これだけ言ってもらえたら、書けない状態からでも立ち直るな、というか立ち直らざるを得ない。
どんな作家さんと編集さんの関係も、根っこの所では、こういう気持ちで繋がっていたなら、いいなあ。
 もっとも、リーはこの後、ねねねの信頼を大きく裏切ってしまうのだけれど。
でもそこからもう一度裏切って…
 まあ、世の中フクザツ。
人間ってのは業の深い生き物で。



『仮面ライダーキバ』20.「夜想曲・愛の救世主」

 今回、渡人格の出番は ほとんど無し。
 ラストで元に戻ったことを、静香は喜んでくれたが、恵からは全否定されてしまう可哀想さ。
でも…確かに、「周囲に気を遣わせてしまう、能動性に欠ける(変な能動性は時折あるけど)」渡より、「積極的に他者と関わり、傲慢で無茶な言動・行動により周囲の状況を動かしていく」音也の方が、物語は作りやすいだろうし、個人的にも見易かったり。

 各話の基本構成としては、音也が関連して・あるいは関連せず過去の事象により生み出された厄介な状況が、現在の渡を取り囲み否応なく動かし、キバにより因果(定めの鎖)から解き放たれていく、というのを想定していたのかな。
そう考えると、今回の話で、過去編で登場しないファンガイアに対し、現在に出張してまで音也が因縁を結び、決着を渡に丸投げしてしまったのにも、納得がいく(いや勿論、憑依の本当の理由は今後語られていくんだろうけど)。
 戦えない恵に対し、関わらせるには音也の方が向いていたろうが、前のエピソードで戦う気力を失い、そして立ち直った渡にも、何かしらの言葉を掛けさせることは出来たような。

 倒したファンガイアから現れる光(魂?これがファンガイア本体?)は、すぐキャッスルドランにより吸収しないと巨大化する?
 初見の、良くないインパクトに慣れたせいか、パワードイクサも特に抵抗無く見られる。
「背負ったタンクをブン投げる」攻撃は、やっぱりどうかと思うけど。
 人間との間に愛情を否定するチェックメイトフォー・クイーンが、渡の母親?
キバット(二世?)を従えていたり、余りにイカニモな描き方なので、まだもう一回ひっくり返すのか。

 ダブルライダーキックは、理屈抜きで燃えてしまう。
 物語の内容からは、恵変身のイクサと共闘した方が繋がりは良いような気もするけど…
恵は、「まだ弱い自分を認める勇気」を得て、これから強くなっていく端緒に着いた、という事か。
 今回は、名護も随分とマトモな人格に描かれていたので、同じ目標を仕留めるため一時手を組む(ような形になる)のにも、抵抗がない。


2008年6月6日 金曜日

 大元帥・野田 昌宏先生、逝く。
 SFの光がロクに届かない田舎町で、『キャプテン・フューチャー』(翻訳)を一生懸命追いかけて読んだものです。
 『スターウルフ』『銀河辺境シリーズ』を楽しみ、『レモン月夜の宇宙船』のアイディアに感心し、『銀河乞食軍団』にはワクワクして、『スペース・オペラの書き方』を読んで何だかSF作家になれそうな錯覚に陥ったのも、懐かしい思い出。

 この人に、どれだけSFの素晴らしさを教えて頂いたか、知れません。
 ありがとうございました。
 心より、ご冥福をお祈りいたします。
いや、どこか遠い宇宙の彼方で、本当の大元帥職に就かれたのだと信じて。


2008年6月5日 木曜日

 今月は、予定にないお仕事が入って、大変に忙しいです。
 そのため、今月いっぱい、更新はかなり不定期になるものと思われます。
すみません、ご了承を。
 取りあえず7日まで、更新は難しくなりそうです。
 うううう眠い。


2008年6月3日 火曜日

『仮面ライダーキバ』19.「フュージョン・オーラの嵐」

 あれ?
『電王』は、弱気な主人公に他者が憑依して激変する「多重人格ヒーロー」だったけど、『キバ』も同じ形式を取るんだ。
 他に取り憑く候補は居ないと思うから…お父ちゃんと たまに交代する二重人格モノになる?
 それなら最初から、キバが次狼ほかのモンスターと融合変形する際、体を乗っ取られる…まで行かずとも、人格に多大な影響を受け思考形態が変わる、ぐらいの設定にしておけば良かったのに。
 現在、父親がどうなっているのか分からない事から、何かしらの複雑な事情があって憑依現象が起きているのだろうけど。

 まだ死んでいなかったのか・ルークが再登場。
 今回は、「ウエディングドレスの女を殺す」ルールで遊んでいたようだが…
前回、渡は「大切なものを守る」気持ちでキバへの変身・戦いの継続を決意したはずなのに、その次の回でもう人間がポコポコ殺される場面を見せられると、うーん。
 本当のところ、「見ず知らずの人間の死」というのは渡にとって「大切なもの」ではない…のかも知れないんだけど、そういうヒーローはどうなのかなあ。
(掲示板でご指摘を頂きました。ルークの再登場は過去編なので、渡が事件を防ぐ事は当然ながら不可能。現在・過去がゴチャゴチャになってました。言い掛かりの難癖を反省)

 すっかり異常者になっていた名護が、今回はフツーに登場。
 …ゲストライターの脚本を、上手くシリーズに取り込めていないような。


2008年6月1日 日曜日

 WOWOWで放送された映画『300<スリーハンドレッド>』を見る。
 監督は、『ドーン・オブ・ザ・デッド』で映画デビューしたザック・スナイダー。

 見ながら思い出していたのは…
 田舎に帰った際、親類の子供達に会うと、ヒマそうなオッサンが珍しいのか、遊んでくれと寄ってくる事がある。
 男の子は、「戦って、自分が勝つ」タイプの遊びを求める事が多い。
ボクが戦隊の必殺武器オモチャで撃つから、オッサン苦しんで死んでみせて、というような。
 もっとストレートで面白かったのは…手をゲンコツにして突き出して、と言うので、その通りにしたら、男の子が自分の拳をそこに真正面からぶつけてくる。
それを、何度も何度も、子供は渾身の力で(といっても、大した力じゃない)繰り返す。
 拳と拳をブチ当て合うだけの遊びの、何が面白いのか。
ルールもサッパリ分からないけど、多分、痛いと口に出すか、自らの拳を先に引いた方が負けなんだろう。

 こちらも少しは痛いけど、子供の方はもっと痛かろうに、顔を歪めながらも拳を繰り出すのを止めない。
 きっと、頭の中では、「自分よりデカいオッサンの拳を、自らの正義の鉄拳がブチ砕く」勝利のシーンが、繰り返し再生されてるんじゃなかろうか。
 「強くなりたい」「勝ちたい」というのは、アホな男達の基礎を成す本能。
 『刃牙』風に言えば、男なら誰でも一度は世界最強を目指す、って事で。

 強ければそれでいいんだ、力さえあればいいんだ。
 いやいや、戦いで命や体を危険に晒すなんてバカな事だ、とか、戦う相手側の立場にも なって考えるべき、というのは実に真理だけど、戦いを始める時や勝ってる時は そんな事チラとも思わないクセに、負けたり、自ら降りる時に初めて考えるのでは、自己正当化の理由に過ぎない、とも言えたり。

 という訳で、関係あるのか無いのか分からない話が長くなったけども、映画の内容。
 簡単に言うと、「300人の無茶苦茶強い男達が、もの凄い数の敵を相手に戦いを繰り広げる」っていう、これだけ。
それが無闇に面白く感じられるのは、自分の中に、強い者への憧れがまだあるからか。
 全力で突き進んでくる無数の兵士をまとめて跳ね返す膂力、いくら敵を切り裂いても切れ味が鈍らない槍、決して貫けない楯…まあ嘘だな、と思うんだけど、エラく力の入った楽しい嘘なので、ちっとも気にならない。
 鍛え上げた筋肉が生み出すパワーの表現は素晴らしく、『ドラゴンボール』の映画は、『マトリックス』みたいに華麗なアクションではなく、こういう汗臭い画面にして見せて頂きたい。

 ただ無条件に強いのではなく、スパルタの男達は、産まれた時 体が弱いと断じられればそこで殺されるし、成長の過程でも幾度となく死に直面させられ、生き延びるために他者を殺すことも経験する。
えらくキツい、厳しい鍛錬の年月を重ねている事が、「必殺技を編み出すために特訓した」ような説得力を生じさせ、その強さを納得させてくれる…
 いや、それでも無茶なぐらい強いんだけど。

 対する敵も、人海戦術に留まらず、ゾウやサイからニンジャまで、キワモノを次々に繰り出して対抗。
 敵ボスが『ジョジョ』のキャラクターに見えるのは、『ジョジョ』の方が こういう文化の影響を受けているから?
ペルシャ側が負けてる時なんか、「あんまりだァァ〜」とか言って泣き出しそうで。
 全体的に「漫画みたいな」映画なんだけど、ペルシャ王が乗って現れる移動台座など、余りにも馬鹿馬鹿しくて、でもそれだけに映像としては 目にした事の無いシロモノで、何だか嬉しくなってしまう。

 ワンショットずつ、「絵」としての完成度を追い求めたような、拘りの画面が美しい。
実写俳優を使った「漫画」にも見えるけど、原作はグラフィック・ノベルらしいから、映像化の方向としては正しいのだろう。

 スパルタの男達が1万人もいれば、フル装備の全米軍を相手にしても勝てそう。
あの楯なら機銃掃射も平気だろうし、あの槍なら戦闘機ぐらい撃墜できるはず。
 見終わって元気の出る、「スパルタァァーッ!」とか劇中で繰り返された鼓舞の叫びを真似したくなる、愉快な映画。
 ゲンコツ勝負の男の子に見せてやったら、喜ぶだろうか。
でも、血がドバッと出るしザンコク描写も多いから、お母さんにはイヤな顔をされそうだな。


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