ときどき日記 2008/11

2008年11月30日 日曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』09.「拭えぬ過去」

 アリー、顔見せだけに終わったクルジス襲撃と違い、本格的に再登場・参戦。
 改造機体の威力もあるのか、恐ろしく強く、刹那・ティエリア二人と同時に戦っても、一歩も引かないどころか圧倒さえしてみせる。
戦況が四対一になって初めて旗色の悪さを感じるぐらいの、個体戦闘力差。
 ソレスタルビーイングと敵対する勢力に優れたパイロットが多く、彼らが完全な連携を組んで襲ってきたら、マイスターズにまず勝ち目はあるまいが…幸いな事に、そういう乗り手は、アリーにしてもブシドーにしても我が強く、協力し合う事を苦手としている。

 ミスター・ブシドー。
この名前は、仮面姿になった事で悪ノリして付けた「自称」じゃなかったのか。
誰からもこう呼ばれている所を見ると、単に周囲から面白がって付けられたニックネームではあるまいが…コードネームみたいなもの?
 本人としては、普通にこれまで通りの名前で呼んで欲しかったのかなあ?
 「私色に染め上げて欲しい」「所望する」「合点承知(これはブシドーじゃないが)」…まあ、ブシドーとでも呼ばれなければ、ミスター・自意識過剰とか時代錯誤とか、もっと不本意な名前で呼ばれて居たろう言葉遣いの変さ。
面白いなあ。

 聞かれてもいないのに、自身の過去をライルに告げる刹那。
正直であり、チームワークのためにも隠し事をナシにしたいとか意図はあったんだろうけど、そう言われてライルに取れる対応は「怒り狂う」か「過ぎた事だし気にしない」のどちらか。
現状、前者はなかなか取りづらく、そうなると「許す」しかない(彼は悲惨な過去を吹っ切ってもいるようだが)。
 そこまで刹那が計算したとは思えないけど、こういう正直さは、大抵の場合「自分の気持ちを楽にする」効果しか上げないような。
 過去を打ち明ける事が出来ないティエリアとの対比、という意味が強いのか。

 宇宙への脱出を計画するソレスタルビーイング、それを読んでいるマネキン、水中への攻撃さえ利用して強引に大気圏脱出を図るスメラギ、狙撃により船の「破壊」ではなく(粒子展開中は難しかろうし)「進路変更」のみを図る作戦、宇宙での待ち伏せを予測して事前に刹那を出撃させておくスメラギのギリギリ一手読み勝ちで、今回は辛くも勝利。
 二期になってから特に、スメラギが…というよりスタッフが、成り行き任せではなく、見入らせられるだけの価値を持つ計画された・頭を使った戦いを よく描くようになった。
放送期間に休止を設けた事によるスケジュールの余裕が、良い方向に働いているのかな。

 せっかく印象的に再登場したコーラサワーだけど、戦いにおいては特に変わりなく、見せ場無し。
 まあ、今回はアリーと新キャラが戦いでの印象を持っていった感じなので、彼まで格好良く描く余裕はなくて当然か。



『あかね色に染まる坂』09.「あかね色のバースディ」

 主人公の世話を甲斐甲斐しくして、愛情を注ぐ妹・湊。
「妹萌え」な視聴者にとっては、理想的キャラクターか、と思われたが…
 今回の、「兄が隠しているエロ本のありかを知っている」のはまだしも「好みのグラビア女性まで察知」、それらを「全く気にすることなく理解して容認」するのは……
 都合良く理想的な妹像、として彼女を見ていたけど、ちょっと行き過ぎで、コワいなあ、とさえ。
 今回は、そういう本を初めて?見た優姫も、拒否や嫌悪の反応を示してはいなかった事から、この世界ではエロ本所持ぐらい誰にとっても大した問題じゃないのかな。

 湊、今回ラストで、一人の女の子として兄に抱く恋愛感情の萌芽を感じさせた。
…しかし、これまでは本当にそういう気持ちを持っていなかったのか、という事の方が不思議。
 ほぼ「母親」ぐらいのポジションで、兄を「肉親として」好きでいただけ?
 主人公は、露出が多い格好をした妹にドキドキしてみたり、単に肉親としては彼女を見ていないようだが。


2008年11月28日 金曜日

『CLANNAD AFTER STORY』09.「坂道の途中」

 体調が悪化してしまう渚。
 そういえば体が弱く、そのため1年留年している、という設定だっけ。
普段は余りにもフツーに過ごしているため、忘れてしまいがちだけど。

 死を間近に控えた不治の病、ではない…のかな。
急激に悪くなって いつ死ぬか分からない、という程 酷い状態ではなく、しかし回復してまた元気になるのがいつになるという目処も立たない、なかなかに厄介な状況。
 渚が辛いのは勿論だろうが、ただ見ている事しかできない周囲も、心穏やかな訳が無く。

 「卒業」は、学園ドラマにとって最大のイベント。
大抵の作品ではこの時を物語のクライマックスと考え、引いてきた事象に(どういう形であれ)決着を付け、未来への展望を示して「完結」となる。
 このアニメでも、渚の病気イベントを片付けるべく、「一時は学校を休んでしまったが、後半は頑張って出席を続け補習も受け、ギリギリで皆と一緒に卒業を迎える事が出来た」とするか、いっそ「卒業式を目前に逝ってしまう渚。楽しかった・辛かった彼女との思い出を胸に、皆は『卒業』していく」というぐらいの終わり方になるモノかと。
 「渚だけが再度の留年、学校に残りまた三年生をやる事になった」とするのは、パターンに無く、もの凄く意外であり、衝撃。
 彼女を置いて卒業していくレギュラーキャラの心残り、簡単には言葉で言い表せない様々な思いが湧き上がってきてポロポロと涙をこぼす朋也…こういう形で視聴者の胸を揺さぶる「卒業」の描き方もあるのか、と、ただ感心。

 布団から差し出された渚の手を握る朋也は、相手を気遣うようにおずおずと、しかし彼女の小さな手を握り込む掌から「元気さ」を伝えようとするかのように強く力を込める。
朋也からのプレゼントの縫いぐるみに顔を押し付け、胸が一杯になって泣いてしまう渚の表情も、素晴らしい。
今回に限らないけど、作画が冴えてるなあ。
 老教師と悪ガキ二人のエピソードは、地味にツボ。

 これまでの積み重ねが生きた、良いお話だった。
 これで最終回だったとしても、不満がないぐらい。


2008年11月27日 木曜日

『とらドラ!』09.「海にいこうと君は」

 レギュラーキャラ全員で、亜美の別荘へ。
 いつも馬鹿っぽい実乃梨が、相変わらず元気でアホな所も見せながら、しかしドキッとするほど真面目な、心の中心にある核のようなモノを感じさせてくれた。
 バカンス話に必要な要素である「恐がりのキャラ」描写から、青春時期故の不安や人生の味わいにまで、話を持っていくとは思わなかった。
それがまた、気恥ずかしくも心地良く、恋に向き合う真摯さを感じさせる真情の吐露で、そりゃもう満天の星の下 女の子と二人きりの時にこんな話を聞かされちゃ、相手が恋愛対象でなくとも「恋に落ちなければならないだろうドラマとしての必然性故に」と妙な義務感を背負ってしまうぐらい。

 元気少女・実乃梨としては、他者に安易に晒せない姿だったかと。
特別な場所・時の魔法もあろうが、竜児の事自体も「何でもないクラスメート」以上の特別な存在とは捉えているのか。
 それは…もしかして「親友である大河のカレシとして」という意味での特別さが大きいのかも知れないが。

 別荘のテラスで語り合うシーン、続く竜児と大河のカレー食シーンは、相当に繊細な演出が成されている。
 竜児と向き合って距離を取り座っている実乃梨、前後に重なるようにして体(足の裏と背中)を接触までさせる大河。
 同じアイス(味は違ったみたいだけど)を食べながら「うまい」「イマイチ」と感想が違う実乃梨、竜児が個人の嗜好に合わせて作ったカレーを付き合いで大河と共に本人まで一緒に美味しく食べる。
 星空の下でのファンタジックな非日常の雰囲気と、部屋の中で弛緩した・安心できる日常会話。
 ずっと先まで続いていく「日常」が見える相手との関係は、強固。
素敵なファンタジーが、一時的にはともかく、それにずっと勝利を収め続ける事は、難しい。
 漫画のセリフだけど、「一緒に朝飯を食べてうまいと思える相手であるかどうか、結婚にはそれが大切な事」。

 大河も、自分の心に気付き始めた様子があり、ちょっと切ない。
 故意に?馬鹿を晒す北村は、そういう大河の後押しをしようとしているのか。
今回ラストで起きたホラーな出来事も、彼が首謀者?


2008年11月26日 水曜日

『ONE OUTS−ワンナウツ−』08.「反則合戦」

 雨によるノーゲームを狙う東亜。
前回、計画通り雨が降り出したからには、もうこの試合について描く事も無かろうと思っていたが…
 雨降りが酷くなるまで時間のばしを図る東亜と、出来るだけ早く回を進めようとするマリナーズ側が、互いにルールブックの抜け道を探し裏を掻いて、丁々発止の反則勝負を始めてしまう。
 これも「野球」というのかどうか。
 『侍ジャイアンツ』で、相手だけでなくチームメイトまで敵に回し打線も守備も期待できない孤立無援の主人公が、打者全員をデッドボールでノックアウトし、試合続行不可能にして勝利を収める無茶苦茶な話があったのを、ふと思い出す。
 「スポーツマンシップだの正正堂堂だの知った事か!」とでも言うような、「野球」の概念からはみ出す奇策勝負で、笑ってしまった。

 更に、コレだけで終わらず、重なるプレッシャーでボロボロになった相手投手を打ち崩し、大量リードに追いつく点数を上げる辺り、展開が凄すぎ。
 相手チームのピッチャーは、数字がどうこういう事を気にする前に、監督の指令に公然と反抗してはクビになりかねないだろう、という所も含め、「そんなに上手く行くかなあ」だけれども、アイディアの重ね方は大したモノだと思うので、素直に感心。

 同点まで追いついた所で、今度はオーナーの工作が。
まだこの試合内容をヒネるつもりなのか。
 いやあ、野球でこんなに「遊べる」とは思わなかったなあ。



『屍姫 赫』08.「安らぎ」

 あー、ずっと見てきて気が付かなかったけど、このアニメの脚本は全部 會川 昇が手掛けているのか。
道理で、こういう鬱が入った話は上手い。

 屍姫の外見が余りにも普通の少女っぽくて、バケモノに変わる屍とは異質の存在に思えていたが、契約僧を亡くしタガが外れた途端、屍と同じようにモンスター化を開始。
姫達は、腕力脚力と生命力(死んでるけど)の強さのみ持ち、バケモノにまで変化が達した時の特殊能力までは備えない存在か。
 契約僧とより深く通じ合い、最終段階まで異形化を遂げさせ能力を全開にした上で、しかも自制心を失わせない…というのが屍姫の最強状態かな。
 どうも、効き目が薄い「銃弾撃ちまくり」の戦いは、一見派手なようだけど面白味に欠けているため、屍に引導を渡す「必殺技」的なモノがあっても良いかと。

 姫の中では、珍しいぐらい穏やかで優しい性格をしたミナイが辿る、悲惨な運命。
 最後、希望を与えられながら命?を終えたのは、主人公を辛い戦いに巻き込みたくない自発的な思いからか、「騙し討ち」に近く突然 殺られたのか。
どちらにしても、人間として逝けた訳で、それは最後の慰め。
 オーリとミナイでチームを組み、戦う、という展開もアリだったと思うが。
ミナイが、オーリに対する好意から独占欲まで表し始めると、ラブコメとしての展開も期待できるし。


2008年11月25日 火曜日

 衛星で放送された映画『ディスタービア』を見る。
 監督は『イーグルアイ』のD・J・カルーソー。
主演・シャイア・ラブーフ。その母親役としてキャリー=アン・モス。
 自宅の敷地内から出られない事情を抱える少年が、退屈紛れに自室の窓から ご近所を覗き回っていた所、住民の不審な行動を目撃する。

 冒頭の事故シーンは、必要だったかなあ。
それが原因となって主人公に情緒の不安定さが現れ、暴力行動を取ってしまい、監禁される事に…といった因果関係はあるんだけど、ただ単に凄くイヤな教師をブン殴った、というだけで構わないような。
 青春恋愛モノ要素も、特に最大のクライマックスに彼女が居合わせない事で、存在理由は薄い。
同じシャイア・ラブーフ主演『トランスフォーマー』の、無駄な青春シーンを連想してしまう。
 また…ヒロインが主人公を好きになる下りに、余りにもムリが。
主人公は、問題を起こして警察の監視下にあり、ヒロインの部屋や水着姿をコソコソ覗き見ていた上、彼女のパーティーに嫌がらせをしてみたりと、惚れられるような要因は「顔立ちがいい」とかそれぐらいしか思い浮かばないぞ(それで十分なのか)。

 不審な隣人について、正体が何のヒネりも無くそのまんま過ぎて、いっそ潔いぐらい。
 友達が危機的状況からどうやって脱出してきたか分からず、また余りにも空気が読めないイタズラを仕掛けてくるのにポカーン。
 この映画を成り立たせている小道具、「足に付けられたシステム」を、もっと効果的に使うかと思ったが…特にラスト近くでは ほとんど省みられる事なく、残念。

 不満は多々あるけれど、過大な期待をせず、ライトなB級映画を楽しむつもりで見れば、別に悪い出来ではない。
クライマックスは、それなりにハラハラさせてくれるし。
 鑑賞後、この映画の発想元であろうヒッチコックの『裏窓』が見たくなってしまった。


2008年11月24日 月曜日

『仮面ライダーキバ』41.「ララバイ・心を解き放て」

 クビになった健吾が、また元通り関西弁の気の良いお兄ちゃんに戻る。
 …ついていけない。
 元々こういうキャラクターであったのが、突然に傲慢で暴力的でイヤな人間になって現れ、そうなった事情について納得させてくれないまま、今回また路線が戻された。
 「作る側の都合」というモノが強く感じられると、登場人物を「ただのコマ」としか受け取れなくなり、ドラマも色褪せてしまう。

 音也と次狼らの友情?らしきものも、次狼だけならともかく他二人にそこまでの積み重ねがあったか、というのは疑問。
 名護、「常軌を逸したキャラ」から、ふざけ過ぎたシーン作りのため「馬鹿」へと地位を落としながら、時々まだ格好良く描こうとするシーンがあるのにも乗れない。

 セリフだけ、ワンシーンだけを取り出せば、十分面白かったり燃えたり出来る部分はありつつ、全体の流れで見ると どうもそれがチグハグ。
 ただ、こういった問題は平成ライダーの多くにあったもので、激走するストーリーの面白さやキャラクターが放つ強い輝きさえあれば、「細かい事」として看過して良い…ぐらいだとは思うんだけど。
現状、個人的に、愛恋沙汰の行く末にも物語の展開にも余り興味を持てていないのが、乗り切れない原因か。


2008年11月23日 日曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』08.「無垢なる歪み」

 事態を影で操るイノベイターの目的が明らかに。
 ああ、なるほど、イオリア・シュヘンベルグの計画にはいくつもの段階があり、刹那らソレスタルビーイングが果たす役割はもう終わっていた、と。
武力介入の連続による戦争根絶、という お題目など、フィクションとはいえ実現はとても不可能に思えていたため、「最初からその目的の完遂は期待されていなかった」「(非道な)地球規模軍隊の創設・彼らによる人類意思の統一を不可避なものとする事こそ、刹那らの役割」だという説明に、納得。
 『マクロス』でも、人類が宇宙に飛び出すため、地球統合政府の樹立を必要としていたなあ。
地球規模でのバックアップがなければ、宇宙へ本格的に乗り出すのは難しい、か。

 この計画が現実になるとしたら、果てしない宇宙のフロンティアに向けて無限に近いプランを立ち上げられる訳で、小さい地球上での争いなど無意味なモノになっていく(何もかも上手く行った場合には、の話。惑星間戦争もありえるが)。
 「来るべき対話に備える」という事で、異星種族との接触まで計画されている?
それは不幸な出会いになる可能性もあると思うんだけど、イオリア・シュヘンベルグはドコまで時の流れや宇宙の事象を読み切っているのか。
 イオリアは、好戦的エイリアンが突然に来襲して、人類が絶滅に瀕した未来の地球から、進んだテクノロジーを携え、次の時の巡り合わせでこそエイリアンを撃破するぞという目的を持って過去へタイムスリップしてきた未来人、と考えると辻褄が合うんだけど、それじゃ余りに安っぽいな。

 イオリアの理念に同意し、その計画を遂行するために集まったソレスタルビーイングとしては、「必要な時期に全滅せず、生き残ってプラン第二段階遂行の邪魔をしている」事を、どう受け止めて、乗り越えるのだろう。
 第一段階では、無関係な人間を巻き込もうと非情に行動してきた彼らが、それもまた計画の内にあると言われたアロウズの行いを否定出来るのか。
見物。

 イオリア・シュヘンベルグの計画、といっても、ヴェーダへのアクセス権を握るリボンズの言葉に過ぎず。
嘘が含まれているかも知れない。
 彼らイノベイターこそが計画の余剰存在であり、自身で、本来は無い「生きる目的」を作り出すべく、ヴェーダのプログラムを書き換え、未来にまで渡り自分達を必要不可欠な要素とした、とか。
 イオリアのプランには数十のバリエーションがあり、語られたのは、イノベイターに都合の良い その内の一つに過ぎない。
 まだリボンズも知らないが、こうしてソレスタルビーイングとイノベイターが計画にかける理念の違いをもって対立する事までイオリアにより想定されており、「その先」にこそ本当の目的がある。
 イオリアってナニモノなのか、全貌が明かされていないため、「人間としての限界を持たない、神に近い力を持つ」と設定すると、どうとでもここからまた物語をひっくり返す事が出来そう。

 今のところ、この話はティエリアの胸の内だけに仕舞われているようだが…
 胸といえば、パーティーで見せたティエリアの女装姿(性別はないんだっけ)が凄い。
何となくデザインが似てしまった全くの別キャラか、イノベイターによる女バージョンティエリアかと思ってしまうぐらい、声も姿も成り切っている。
 あの胸や腰つきは、特殊メイクによる増量なのか、いつも制服やサラシで抑えているのを取ると実は ああなのか、必要に応じて(乗機と同じように)変態可能なのか。
この姿さえ見せれば、ロックオン兄弟を落とす事など簡単…じゃなかろうか。
 リボンズとの緊張感漂うダンスシーンが楽しい。
端で見ていると「華麗なダンス」だったのかなあ、特にティエリアは恐ろしげな形相をしてたと思うが。

 再会する刹那とルイス。
 ルイスは、まだ遠くにいる彼について ちょっと不自然な気付き方をしたみたいだけど、ニュータイプの目覚め…じゃないだろうな。
刹那は彼女と血縁関係にある、事故により幼少時から行方不明になっていたハレヴィ家の長男だ、とか。
ルイスが激しい憎しみによりガンダムマイスターを見分ける直感力を身に付けた、あるいは義手に設けられた超感覚機能の働きという可能性も。
 ルイスに対しては、沙慈の現状も含め二重に話せない事を抱える刹那。
彼女が突然苦しみ始めた理由は、過去に負った心の傷から?それとも義手の拒否反応?
 顔バレしているビリーに見とがめられ、刹那は話もそこそこに逃走しなければならなくなる。
だから無防備に顔を晒すなと(^ ^)。

 久々登場のコーラサワーが嬉しい。
 彼の参戦は不本意ではあったろうが、その無邪気で無防備(と無知)な明るさは、シンドイ思いばかりしてきたマネキンにとって大きな慰めだったろう。



 衛星で放送された映画『ウィッカーマン』を見る。
 ニコラス・ケイジ主演。
 1973年に作られたイギリスカルト映画のリメイクらしいが、そちらは未見。
 行方不明になった娘を捜して欲しいという、別れた婚約者からの手紙を受け取った警官が、個人所有の島へと向かう。

 事故により目の前で亡くなってしまった少女の幻を何度も繰り返し見て、苦しむような人格である割に、とにかく非礼で乱暴な警官のキャラクターに違和感。
 事故死した少女と、行方不明の少女をイメージとして重ねようという演出意図があるんだろうけど、安っぽいショックシーンに使われた印象ばかり残って、「この少女だけは救ってみせる」とする動機付けには上手く結びついていない。
不明少女の正体(これも、何故まずこの可能性を考えないのか疑問なものだけど)が明かされると、事故死少女とはまるで違う価値が付加されてしまうため、更なるイメージ乖離を招いてしまうし。

 誰が見ても怪しい島の住人達、隠し事をしているのが あからさまな元婚約者から、事件の真相はいくつかのパターンが考えられたけれど…その中で最もありふれており、後味悪く、制作者の自己満足だけが強く感じられる謎解き。
いっそ「エイリアンによる誘拐事件でした」とか「事故に巻き込まれた警官が死の瞬間に見た幻でした」ぐらいの馬鹿オチにしてくれた方が、まだしも可愛げを感じられるぐらい。
 この警官がロクデナシに描かれている事でオチの理不尽さは弱くなり、しかし これもやむを得ない事かと世の無常感を受け取るには住民の生態描写が薄く…まあ、何がどうなろうと「どうでもいい」としか。

 ただの女教師に拳銃突きつけて自転車を強奪してみたり、問答無用で いきなり旅館経営者のオバサンをブン殴ってみたり、クマのぬいぐるみを着込んで全力疾走するニコラス・ケイジには笑った。
主演だけでなく、製作にも名を連ねているみたいだけど、一体この筋立てのドコに魅力を感じたのかニコラス。
 彼の そういう狂乱演技を見て楽しむには、良い映画。
 普通に考えると、見るだけ時間の無駄。


2008年11月22日 土曜日

『喰霊-零-』07.「呵責連鎖(かしゃくのれんさ)」

 取り憑かれた保険医を殺した事(自分達に隠し事をしていた事も?)で、級友達に責められる神楽。
 …神楽らの所属する組織は、どの程度まで存在を秘匿してあるんだろう?
それ自体は、全く隠していないのか。
 魔物達の存在については?
少女達はまるで知らなかったようだし、一般に公開しては社会不安も広がりそうだから情報は制限されていると思うが、組織は彼女らに割とテキトーな説明だけ聞かせ、「秘密にしてネ」ぐらいの口止めも行ったのかどうか。

 どうせ説明するなら、魔物の正体から組織の役割、神楽が保険医を殺さなければならなかった理由まで聞かせてやれば良いのに。
「友達の邪魔にならないよう、口を閉ざしていよう」と思うほど言い聞かせてやらなければ、そりゃフツーの女子中学生が、こんな理不尽な目に遭って、黙っていられる訳もなく。
 いっそ、記憶消去処理がベストの選択、とも(技術的に可能な世界かどうか知らないが)。
 いや、この作品世界では、魔物など「殺人鬼」どころか「変質者」程度の珍しさしか持たない?

 せっかく、「環境省所属の退魔チーム」という面白い、独特の設定を持っているのだから、「起きた事件への対処」についても、それに沿ったリアリティーが欲しかった所。
 「お役所仕事なので後処理は実に適当、責任など たらい回し、抜本的な対処は手遅れになるまで先送り」というのがこの作品なりの「リアル」だというなら、それはそれでアリだけど。
次回以降、そのツケをきちんと物語に表してくれるなら。



『CLANNAD AFTER STORY』08.「勇気ある闘い」

 資料室の主・有紀寧の、外見や普段の おっとりした態度からは想像も出来ない、不良達との関わりを描くエピソード、後編。
 偏見なく、誰にでも優しく接する事で、対立する どちらの陣営からも信頼を得ており、その言葉も重視される有紀寧は、意外と「極道の妻」的なポジションに向いているのかも知れないなあ。
それで幸せになれるのかどうかはともかく。

 中身はみんな気の良い連中ばかりだが、仁義だのメンツだのいった概念に拘り、川を挟んで睨み合い、大将同士がタイマンで決着を付けようとする不良達…って、相当昔のイメージのような。
現代風に悪いヤツらを描いては、話が成り立ち辛く、有紀寧が容易く関わる事も難しくなってしまう都合に寄るのだろうが。
 そもそも、このエピソードの中心となる有紀寧自身が…いや、この作品全体からして「リアル」というより「心地良い夢」寄りで形作られており、その基本路線に外れない嘘や誇張は許容されるべきか。

 有紀寧、最初から相手方の不良に「兄は亡くなった」と伝えていれば良かったように思うが、それをしなかったのは結局対立側を「信用」はしていなかったのかな。
主人公達にもあくまで伏せようとしていた所からは、ストーリー上の必要性、とも思えるけど。
 出ていけば平和に済むはずもなかろうに、春原の時は笑顔で見送ろうとし、朋也が代わって出ていくと泣き始める渚の態度が…不自然ではなくリアルですらあると思いつつ、うーん。
 替え玉として春原を立てようとし、彼が使えなくなったので朋也が飛び出し、殴り合いでボロボロにされた頃に変装有紀寧を登場させる。
三段構えの構成は構わないけれど、有紀寧の時にだけドラマティックな盛り上げを形作ろうとされても、うううーん。

 まあ、不良達のリーダーを死語である「番長」だと捉え、ゴタゴタ考えずに割り切って見れば、悪い話ではないんだけど。
 殺傷能力さえ持つ渚母の新作パンには、笑ったし。
 次回以降、ようやく主人公に関わる本筋に入っていく…のかな。


2008年11月21日 金曜日

『魍魎の匣』07.「もうりょうの事」

 京極堂の長い長〜い お話。
 頑張って映像も加え、分かりやすくしようとしているのだと思うが、同じ所を楽に読み返せる小説と違い、こちらの理解ペースに合わせずドンドン進めていくアニメの特性上(録画データなら見返しは効くけど)、途中で頭にスッと入らない部分や聞き逃した概念があると、この話全体が「あーもう分からねー」で終わってしまいそう。

 「魍魎」というモノについて、上手く論理のアクロバットで説明してみせ、それが物語を理解するキーにもなっていく重要な部分。
この、何というか、知識が豊富で喋りも上手い人間に、「納得」より「論理構築能力の冴えで屈服させられる」ような不思議な気持ち良さが、自分の感じる原作の魅力。
 その辺は、原作未読の視聴者に伝わったのかどうか…
 座り込んで長〜く喋っているだけ、しかも回想や、「ここでこれまでの疑問を解消する」といった視聴者が最初から興味を持ってくれる内容でもない、そういうシーンを映像化するのは、困難を極めて仕方ないけど。


2008年11月20日 木曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』07.「再会と離別と」

 サブタイトル、再会と離別は、アレルヤとマリーの再会であり、ソーマとセルゲイの別れ、だけど、一人の少女の中で、マリーという本来の人格と再会し、植え付けられたソーマという存在と離別する意味もあるのか。
 ソーマの人格が割合とアッサリ消えてしまったのは、物足りない。
不本意な、作られた人格とはいえ、彼女は彼女なりに生きてきたのだし拘りもあったはずで、そう従容と座を譲れるものではないような。
 まだセルゲイを思う気持ちは「他人事」でなく残っているようだから、両人格が融合し、今はマリーが主導権を握っている、というぐらいの状況かも。

 セルゲイに、もうマリーを戦いに巻き込まないと誓うアレルヤだが、彼女は、ソレスタルビーイングにとって貴重な戦力だろうし、他に組織内で活かせそうな有効な才能も持たず、いずれはまたパイロットとして参戦する事になる…だろう。
それであってこそ、セルゲイは勿論、その息子やルイスらと今期になって設けた繋がりに意味が出てくる。
 連邦が のして来ているこの世界で、彼女が平和に幸せに暮らせる環境など、有り得ないし。
ああ、カタロンに引き渡して被災した子供達の世話でもさせる、という手はあるのか。
常に全滅の危険に晒されている組織ではあるが。

 ソーマの気持ちと、アレルヤの強い意志を理解し、戦死扱いにして帰投しようとするセルゲイが、イカス。
今回はもう、彼が良い所を全部持って行ったと言って過言でない。
 随分と昔の事になる、ステーション救出作戦での やり取りを憶えており、アレルヤに感謝の言葉を述べるのも、優れた記憶力・判断力と無骨・誠実な人格を感じ取らせてくれて、嬉しい。
 このアニメの中で、最も正しく、格好良いキャラじゃなかろうか。
 ソーマとの再会は、敵としてか、どちらかがどちらかの勢力に付く味方同士としてか。

 帰るべき国を失ってしまう お姫様。
しかし、アザディスタンの国内状況は現状、かなり酷いようだから、国民にとっては逆に暮らしぶりがマトモになる可能性さえ。
 彼女のアイデンティティーは この国に寄ってあった訳で、今後は何を求めて生きていくんだろ。
お家の再興…国民が喜ぶかどうか。
広く人類社会にとっての救済のシンボル姫になる…母国一つもマトモに指導できなかったのに。
刹那との恋に生きるか。まあそれぐらいなら。
 ソレスタルビーイングの中で、沙慈やソーマと共に、自分はこれからどうやって生きていけば良いのか、探す事になるのかな。

 沙慈、さすがにまだ戦う・殺す事を割り切れてなかった。
不覚悟で苛立たされはするが、人間らしい葛藤で安心も。


2008年11月18日 火曜日

 『とある魔術の禁書目録』は、主人公を記憶喪失にして続ける事に色々とムリが出て来ていると思うんだけど、そこを押してもこの設定を強行するだけ価値のある展開が、今後待っているんだろうか。
 などと思いつつ、お仕事スケジュールへの突入。
 木曜日にはまた更新が…出来る状態になっていると、いいなあ。


2008年11月17日 月曜日

『かんなぎ』07.「キューティー大ピンチ!激辛ひつまぶしの逆襲」(後篇)

 「しまった、先週分見逃した?」と思わせるのが狙い…なんだろうサブタイトル。
 中身も、既に何か気掛かりな事件が起きた後を描いてあり、思わせぶりにしつつ その詳細はなかなか明らかにされず、いかにも「後編」っぽい。
 サブタイトルは、この事件の原因となったモノの事なのね。
最初から伏線は引かれていたのか…といっても、コレだけ見てオチが予想できる人は凄すぎる。

 岩戸隠れしたナギを引きずり出そうと、行われる様々な事柄が楽しく、引き籠もったっきり(時々獲物を求めて出ていたけど)それなりに楽しく過ごしてしまうナギの図太さも、愉快。
 押し入れで えっちな本を見つけながら、それを仁に対する攻撃・交渉の最終兵器にしなかったのは、神様たる最低限の優しさか、まるで無自覚な所作から分かるように「これが何か?」という程度にしかその意味を解さなかったのか。

 信仰心?など集めようとするには、押し入れに籠もっちゃまるで逆効果。
ケガレが(見える範囲では)現れなかったから良いようなモノの、人々を守るという使命についてナギは、どれぐらい真剣に考えているのだろうか。
 …とか真面目に考える内容ではないな。
 普通なら思いつきで終わりそうなアイディアを、煮詰めて煮詰めて、「ほのぼのノンビリしていつつ見せ方はアップテンポ」という非常に難しい演出でもって描ききる、パワー全開の面白い話だった。
 サブタイトルの意味を実際に見せてしまうエンディングまで、凝っている。
 見終えて、もう一度最初から見返してみると、意味が分からなかった会話にキレイに筋が通っていると分かるのも、素晴らしい。


2008年11月15日 土曜日

『とらドラ!』07.「プールびらき」

 大河がストーカーに対して行った暴走・暴行を目にして、心を開いたと思われた亜美。
素直な良い子になってしまっては、逆に魅力が無くなるなあ、と危惧していたが…
 大河への地味〜な、ごくごく小さな嫌がらせを重ねて行うようになり、これまでより面白いキャラになったと感じられる。
 自身の恥ずかしい姿まで晒したのだから、大河達とお友達になりそうに思うけれど。
いや、これが彼女の「心を開き、嘘がない付き合いをしている」自然体なのか。
 そういえば、北村が亜美の事を心配しなくなっているし、実乃梨もごく普通に接している。
 やられる大河は迷惑だろうが、これこそ亜美の「友情」の表し方かも。

 実乃梨の呟く「ギニュー…特戦隊」という言葉の意味がしばらく分からなかったけど、大河の上げ底水着胸を見破っての「偽乳」って事ね。
いつもアホみたいに見える彼女だが、「その胸、詰め物でしょう?」とハッキリ口にしては、大河を傷つけるし他の人間に聞きとがめられるかも知れず、上手くぼかして他人には意味が分からない言葉にする辺り、随分と気遣いの出来る少女。
 こういうタイプのキャラクターは、基本的にさほど好きじゃないのに、実乃梨には「魅力」を感じられる。
通り一遍ではないキャラ描写の巧さと、ドラマの中での活かし方が良いんだろうな。

 今回は、貧乳に悩み、詰め物水着に喜んで「お嫁に行く時、持って行く」などと口走る大河も、弱い・素直な部分が全開で可愛かった。
貧乳や幼児体型が大好き!むしろそういう女性しか愛せない!という野郎も世の中には相当な割合でおり、別に悩む必要は無いと思うんだけど…今は「自分が北村好みの女の子で有り得ているかどうか」だけが問題なのか。
 大河、水中で竜児により胸に直にパッドを詰め込まれた件については、さすがに返礼の暴行を加えはしなかったのかな。
屈辱、とは感じたみたいだけど、一切の悪意無く、ただ彼女のためを思っての行動である、という事はさすがに理解できたのか。
「恥をかかないで済んだ感謝」と「人の胸触りやがって殺したい」という気持ちが相殺し合って、ようやくゼロって計算?
 寝起きでポーッとした姿、溺れてパッドが外れパニックになった際の表情など、作画も良い感じだった。


2008年11月14日 金曜日

『タイタニア』06.「シラクサ星域会戦」

 余り見分けが付かなかったタイタニアの一族に、キャラクターを感じ取れるようになり、思惑や対立が面白く見られるようになってきた。
 藩王アジュマーンは、『銀英伝』ラインハルトほどの絶対的カリスマ性に欠けていると思え、また公爵達は王への忠誠より野心に富んでいるよう感じられるため、無敵のタイタニアを撃破するなら、その辺りの隙を上手く突いて内紛を誘う手だろうか。
ヤン・ウェンリーだと、「自国の利益のためなら、相手国の国民を内紛に巻き込んで構わないのか」という部分に引っ掛かり、自由に行動できなかったかも知れないが、もうちょっと思想的に軽そうなファン・ヒューリックなら…

 艦隊戦のアイディアは、『銀英伝』からそうだけど、「そんなんで上手く行くかなあ」が多い。
 今回の、ファン・ヒューリックによるワイゲルト砲を用いた奇策を、被害を受けた側だったタイタニアが逆に取り込んで使う作戦にしても…
 そもそも、不良品大砲を、なんでこんなに大量生産してあったんだろ?
「ある特殊な使い方をすると壊れる」のではなく、「一発撃ったら必ず壊れる」大砲では、なかなか使い道がなく、生産の認可も下りないような。
 また、敵艦隊が密集隊形を取らず、しかも長距離射撃による殲滅戦に徹していた場合、まるで無駄な準備に終わっていただけでは。
 ワイゲルト砲は異常なほど頑丈に出来ている、というのでなければ、射撃を喰らって破損したら最後。
機動性は要求されないし「一撃」以外攻撃できなくて構わないので、恐ろしく強固な外装で覆ってあるとか、対策を取らないと(ファンの作戦ではそうなってたっけ)。

 ワイゲルト砲が、安価で大量に用意できるなら、これからの艦隊戦には、取りあえずワイゲルト砲部隊を加えておいた方が得策。
 まあ、この世界でのタイタニア以外の軍人は、常識的戦法に囚われて柔軟性を欠き、多くの場合それが敗因となるようだから、ムリなのか。
 そして…今回の戦いでテーマになっているのは、「素晴らしい戦術アイディアの冴え」ではなく、「恥とするべき敗戦からでも何か有益なものを掴んで立ち上がるタイタニアの恐ろしさ」だろうから、作戦の巧拙だけを語っても仕方ないが。

 やっぱり、タイタニア対ファン・ヒューリックが早く見たいんだけど、原作で あんまりそういうシーンが無かったような。
 アニメのオリジナルで、そこいらを面白く見せられるぐらい、脚本の腕があるだろうか。


2008年11月13日 木曜日

『ミチコとハッチン』04.「のら猫のミルキーウェイ」

 一話目を見て、どういう話になっていくのか、と思っていたが…四話目まで見ても しっかり理解できた、とは言えず。
ラブコメだとか勧善懲悪アクションを目指していないのは、そりゃ当然分かるんだけど。
 タイトルからも、女二人の関係が主軸であるのは確かだろう。
まだ「年齢差から母娘」にも「年齢差を越えて友達」にもなり得てない、と思える二人が、これからどうなっていくのか、に注視して見続けるべきか。

 善人ではないが、人の命など何とも思わない程の悪人でもないミチコが、今回、他者を見捨ててしまう事に驚く。
土地のルールには逆らえず、またハナの保護者であらねばならない立場を自覚してきたが故の、苦渋の決断かな。
 しかし、彼女は銃弾には「当たらない」キャラクターとして軽快に描かれているし、警官達もまるで相手にならないぐらい豪快な性格付けなので、違和感も。

 これまた善人・悪人どちらでもないゴウツクな中華屋のオヤジ、ミチコに対し屈折した思いを抱く女警官など、一筋縄でいかないキャラが多数。
 ドコへ行くか分からない物語は、魅力でもあるが、大きく不安にさせられる要素でもある。


2008年11月11日 火曜日

『今日の5の2』06.「カンサツニッキ」「ジャンケン」「ユウダチ」「ナツマツリ」

 リョータの耳を噛んだカズミが、「耳、指よりいい感触」と観察日記に付けていたのは、第一話で歯の痛みを紛らそうと色々なモノを噛んだ際に彼の指までイケニエにした事を踏まえてか。
 この作品、基本的に一話完結で前後のつながりは弱いように見せながら、時折こういう事をやったりする。

 今回、夏祭りのエピソードでは、このシリーズの基本がリョータとチカの淡い恋にあると、改めて知らせてくれた。
 浴衣は女子全員が着ており、「下着を着けてない」というデマに踊らされるなら全員に注意を呼びかけるべき所を、リョータはチカにばかり執着、他の女子に目もくれない態度で、意識をしてかせずか「彼女は自分にとって特別な存在」だと物語ってしまう。
 リョータが ちょっと大人っぽく(?)自分に気を遣ってくれたのは、アホな誤解からだ、と知って呆れながらも、チカが彼の手を握って見せたのは、こういう事が理解できたから、なんだろうな。
 ジャンケンしてワーワー騒いでいるような無邪気な男子に対し、女子の精神年齢の高さを伺わせ、上手い。

 そうはいっても、雨の中、泥だらけになって はしゃぎ回る馬鹿な男子に付き合い、自分達も泥まみれになる程度には、女性陣もまだ子供なんだけど。
 いや…これだって、「最初に飛び出した体育会系の女の子・ナツミ」「一人残されるのがイヤで最後に飛び出した眼鏡の子・メグミ」以外の二人からは、仄かに「計算」を感じ取れなくもないが。
 ナツミのヘソが取られるのを心配して隠れていた遊具から飛び出すカズミは、冷めてるのか熱いのか、大人なのか子供なのかよく分からず、でもそここそが面白い、魅力な所かな。


2008年11月10日 月曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』06.「傷痕」

 カタロンの情報を話してしまったが故、自責の念に苦しめられる沙慈。
 彼を弁護するなら…まあ仕方がないというか。

 砂漠での行動に慣れているとも限らないソレスタルビーイングの一員(沙慈)に、気軽に車を貸してしまうカタロンメンバーも迂闊。
それでも、セルゲイ艦が偶然上空を通りかかりさえしなければ、何とか町まで辿り着けたのだろうが。
 セルゲイに発見されては、例え車に乗っていたのがカタロンの買い出し部隊であろうとも、拘束され、尋問から拷問(セルゲイはやらなくてもアロウズは遠慮しまい)の末、基地の情報を聞き出されていたろう。
 いや…カタロン構成員なら、逃げ切れないと悟った時点で自爆でもしたのかな。
ああ、外へ出る役割を現地人のみにしておけば、見つかっても さして怪しまれないか。

 元はと言えば、第一シーズン時の「組織の機密絶対厳守」という原則が、ソレスタルビーイング内部で守られなくなって来たのも原因。
以前であれば、まず「沙慈を船に連れ込ませない」対応だったろうし、乗せるなら「ソレスタルビーイングへの加入が条件」であり、仮に人道的見地から乗船させたとしても、沙慈が抱える事情(連邦から追われている?)まで考慮せず、ドコか適当な施設近くで速やかに放り出していたはず。
 カタロン基地に置いて行かれる事を、戦いへの参加を徹底して忌避していた沙慈が喜ぶ道理は無く。
連邦側の報道しか知らなかろう彼にとって、この組織なんか極悪無比のテロ集団かと。
 カタロンも、彼をどうするつもりだったんだろ。
いずれ、連邦非加入の国家、例えば姫様の母国へ送り届けてやる予定だったとか?
 そういう説明も、沙慈に していなかったのでは。

 現状、ロクな戦力を持たないカタロンは勿論、ソレスタルビーイングも一杯一杯な状態で、余計な乗員である沙慈になど時間を割く余裕がないのは当然。
 しかし、非戦闘員である沙慈は、カタロン基地に収容していた幼い子供達とさして変わらない存在で、戦士としての覚悟をただ求めても、無駄。
よく教え諭す、あるいは「無自覚に機密を喋る」人間として警戒して扱わなければ。
 ……というのが、沙慈を弁護する方向からの意見。
そんなに彼を庇う必要も無いけれど、自分が沙慈の立場なら、他に選択肢はあったのかなあ、とも思えて。

 沙慈には、後ろを振り返らず現場から逃げ出させる事も出来たろうが…上記の自分のようなウダウダした言い訳などせず、カタロンに戻り、正面から苦しみ、どこかへ向かい走り出す様を描こうとする制作態度は、「優しい」とさえ言えるもの。
 第二シーズンは、戦う術も能力も覚悟も持たなかった彼の成長物語、という位置付けにも。
 ルイスと最悪の「再開」を果たす彼は、トリガーを引き絞る事が出来るのだろうか。

 コックピット越しに言葉を交わしながら(イメージだろうけど)、アリーと戦った・追われた様子もなく何事もなかったかのように帰投する刹那に、驚く。
姫様を連れている訳で、その安全が第一であり、一目散に逃げ出した、という事だろうから、「随分 冷静な判断が出来るようになった」と言えようか。
 セルゲイからの心遣いに感謝しながら、彼の望みとは正反対の方向に進んでいこうとするソーマ。
軍から身を引いてセルゲイの養女になり「超兵」ではなく「人間」としての幸せを甘受する、という生き方もあろうに、不器用な事だけど、それが彼女の魅力、かな。
 ルイスを見るや、「乙女だ」とか妙な事を呟くアンドレイ。
ソーマに惚れてくれれば、スミルノフ一家の問題がキレイに解決すると思ったのに、上手く行かないもので。

 もう、出て来て何か言う度に笑ってしまうミスター・ブシドー。
回りも ちょっと持て余しているというか、「ハイハイ、もうアナタは好きなようにして下さい」扱い。
 いいポジションだなあ。



 衛星で放送された映画『キングダム 見えざる敵』を見る。
 『ハンコック』のピーター・バーグ監督作品。
 サウジアラビアで起きたテロ事件を捜査するため、FBI捜査官が現地へ向かう。

 冒頭のテロ事件描写、クライマックスの銃撃戦に、リアルな迫力があり、引き込まれる。
 サウジアラビア国内で、酷い制約を科され、自由な捜査が許されない様子も、面白い。
「コッソリ宿舎を抜け出した主人公が重要な証拠を掴み一気に事件を解決する」といった便利な「ウソ」が入らない、誠実な作り。

 自分は、サウジアラビア、という国について深い知識を持っているとは言えず、映画のタイトル部分で駆け足に歴史を物語ってはくれるが、十分に理解できたとは言い難い。
そういう人間でも普通に楽しめ、「ああ、そうなんだ」と思わせられる知識も得られ、アクションではハラハラさせてくれるので、エンターテイメントとして悪くない作りなのだと思う。

 サウジ側協力者とFBIの間に形作られる「友情」…とまで言えるかどうかは分からないけど…が嬉しい。
それでも、最終的に主人公が放つ言葉と、テロリストが残したメッセージは、重く厳しい未来を予感させる。
 FBI側が、もうちょっと「人間」として描かれていると、好みだったかなあ。
悪のテロリストを射殺して何の動揺もなく、極限の緊張状態下でも民間人を誤射する事などない、いかにもアクション映画の主人公然としていて、描こうとしている…と思うテーマからの乖離を感じてしまう。
 かといって、誤射しまくり、仲間はみんな死に、事件の解決さえ出来ずドス黒い怒りや憎しみだけを抱えて主人公が帰国する、といった無闇にシンドイ内容なら良かったかというと、そうでもないんだけど。
 難しいテーマを扱いつつ、面白い、なんて奇跡的なバランスの映画は そう多くないと思う。
「テーマ優先で面白くない映画」よりは、「エンターテイメント」の方が好きかな。


2008年11月9日 日曜日

『鉄のラインバレル』06.「明るい夜」

 主人公の心が、友達の死で一度ポッキリ折れ、随分と扱いやすくなった。
組織の有り様や敵の正体、ラインバレルとは結局何なのか、等々まだ納得できない部分はあろうかと思うのに、素直にJUDA入り、馬鹿馬鹿しい隠し芸大会にさえ前向き。
 ただ、思い込みが激しいダメ人間故の暴走ぶりや危うさ、裏返しのダークサイド全開的強さこそ、浩一の特性だと思ってきたので、そこいらが無くなり、大人しくなってしまうと、「普通」すぎて物足りないかも。

 今回は、息抜きの無駄話、という所。
レギュラーキャラの性格付けは、お陰でかなり分かりやすくなった…のかな。
普段の顔とは違う面を見せたのだろうから、次回以降の通常話を見るのに、余計混乱させられた部分もあるような気はするが。


2008年11月8日 土曜日

『CLANNAD AFTER STORY』06.「ずっとあなたのそばに」

 寮母である美佐枝の不思議な過去を描くエピソード、後編。
 動物の恩返し的な物語は、昔からよくあるし、原作会社の以前のシリーズにも同様のものがあった。
 うーん、ただ、人間に化けた動物が まるっきりヒトの思考形態を持っているのに、ちょっと馴染めず。
もうちょっと「ヒトではない」部分が見えれば…
 いや、そのままで居れば美佐枝の愛情を一身に受けられたのに、身を引き、側に居ながら ただ彼女の幸せを願う…なんていう「愛」の有り様は、人間にはなかなか真似できない事か。

 女装姿が無駄に可愛かった少年の存在が、永遠に失われてしまったのは、美佐枝はじめ女性陣にとっても、男性陣にとってさえ損失。
でも、「女装」だし「少年」だし本来「ケモノ」だし、何重にも倒錯している訳で、人心を誤った方向へと転げ落とさないためには、これで良かったのかな。



『喰霊-零-』05.「頑想 -かたくなのおもい-」

 黄泉と紀之の間を取り持とうと、チームを上げてドタバタする話。
 これ自体は、特に出来が悪い訳でなく、呑気な話として見られるのだが…
黄泉によるチームメンバーの殺害、という強烈な部分を先に見せられたせいか、どうも視聴に気合いが入らない。
 「この平穏な日常が、どうして過酷な未来へと繋がっていくのか」という興味でシリーズを引っ張っているのだ、と分かってはいるけれど。
三話目以降は、ごく普通の魔物退治アニメとしか感じられず。
 ボチボチ、ダークサイドに堕ちる切っ掛けぐらい明示しても良いのでは。

 ふと思ったけど、シリーズ冒頭で見せられた、他チームの全滅と神楽らの惨殺は、フェイクなのかな。
敵の大ボスを引きずり出すために打った大芝居、というのはどうだろ。



 ありがたい事に、冬コミケのスペースが取れました。
 火曜日・N-11a ・白昼書房
です。
 何とかマトモな本を出すべく…これから頑張ります。


2008年11月6日 木曜日

『とある魔術の禁書目録<インデックス>』05.「十二時」

 う、う〜ん…理解は出来るんだけど、納得はいかない部分が多々。
 まだ出会って間もないのにインデックスのため命まで張ろうとする上条は、「そういう性格なのだ」として。
 実はインデックスのためを思えばこそ、涙を呑んで記憶消去を続けてきた、という追っ手達。
それにしては、彼女に随分とご無体なマネをしていなかったっけ?
 彼女に、実は君の頭の中はこういう状態にあり、処置をしないと危険だ、と きっちり説明はしたのだろうか?
 上条にも、最初からそう伝えれば良かったような。
詳細は省くとしても、「彼女は病気であり、治療を受けないと命が危ないので連れて帰りたい」ぐらいの事は。

 「記憶容量が一杯になる」と言われていたけれど、「そんな事はありえない」という新たな説明が。
この辺、視聴者には判断のしようがない事。
 「宇宙はエーテルで満ちている」と作中で言われれば、そういう宇宙なんだと理解するしかないが、後に「そんなはずないだろ」と設定をひっくり返されても混乱するばかり。

 インデックスを傷つけて辛いとベラベラ喋り出す女、彼女に対し延々と説教をかます上条。
どうせ喋るなら、斬りつける前に、まず事情説明をすれば良いのに。
 上条を気絶させて確保し、インデックスを呼び出せば、本部にでもドコにでも連れ帰る事が可能だったかと。
逃げられる可能性が無くもないアパートに、彼女を居させ続けた理由がよく分からない。
まだそんなに固い絆が結ばれていると思えなかったから、であり、それを確認できた後は、別れを告げる時間を残してやりたかったからか。

 今回ラスト、自動の防衛機構が働き始め、剣呑な動きを見せるインデックス…という展開は、面白かった。
「のんきな被保護者」から「恐るべき脅威」への変身。
 次に何が起こるか分からない、という意味では、興味深い作品。
しかし、起きた事態に説得力が欠けている場合アリ、というのは困りもの。
 取りあえず、大きく物語が動きそうな次回を楽しみに。



『とらドラ!』06.「ほんとの自分」

 裏表のある女・亜美、解決編(?)。
 彼女は、裏の顔が驚くぐらい悪質、ではなく、裏表の落差を利用してヒロインらを追い込んだりする訳でもない。
それは確かにリアル気味だけれど…小さい体で恐ろしく凶暴な大河、無闇に明るくポジティブな実乃梨などと比べると、まだキャラクター付けは弱い。
 彼女を縛っていたストーカーの恐怖から解放されてしまったが、ここからは表裏が混ざり合った更に薄い性格になるのか、より遠慮なく極悪な自分を露出するようになるのか。
他二人のヒロインに負けない魅力あるキャラクターになってくれると、嬉しい。

 ストーカーに対しては、警察に訴えるか、芸能事務所に所属しているなら そこに相談してみれば良いような。
せめて北村にぐらい…
 亜美は、恐怖に竦み上がっていたみたいだから、中途半端な対応を取ってストーカーを怒らせ、暴行を加えられる・刺されるような最悪の結末を迎える事を想像して、何も出来なくなっていたのか。
 大河がストーカーをコテンパンにするのは、彼女の性格からも、特に強そうでもないストーカー(だという情報も知らないし)の外見からも、当然。
 亜美に友達が居たなら、このぐらいの事、普通にやってくれたかと。

 極端な大河の対応から勇気を(蛮勇を)もらい、猛ダッシュで駆けだし、コワい自分を剥き出しにしてストーカーをボコボコにする亜美。
「彼女のために」誰かが何かをして上げた訳でなく、しかし結果的に彼女の心は解放されていく、ドラマの作り方が爽やかで楽しい。
 最初から、彼女が持つ二つの面の内、「恐ろしい」方をストーカーに向け、「取り繕った仮面ではなく彼女が元々持っている可愛さ・優しさ」を大河らに見せていれば良かったのに。
いや、大河・実乃梨と分かり合うには、いい面だけでなくダークサイドも含め全てをさらけ出す事が必要かな。


2008年11月5日 水曜日

 WOWOWで放送された映画『ストレンヂア -無皇刃譚-』を見る。
 安藤真裕の初監督作品。ボンズ制作。
 戦乱の時代、ある国で、異国の武装集団に追われる犬連れの男の子が、恐ろしく強い名無しの男と出会い、庇護を求めて目的とする場所まで共に旅をし、やがて……

 映画として短くまとめるため、かなりアチコチを刈り込んである。
ほとんどセリフだけで語られる男の子の事情、必要最低限で終わる名無しの辛い過去描写、武装集団の面白そうな面々もほとんどは深く触れられる事無く…虎杖部下の若武者が姫に抱く恋心とか、描けばいくらでも時間が取れそうな所を、本当にギリギリまでバッサリ切り落とし。
 テレビシリーズ12話ぐらいあれば、もっと色々な所を膨らませられたろうなあ。
 でも、削ぎ落として削ぎ落として、本当に描きたかった所だけを しっかり残したこの映画の構成は、悪くない。

 犬好きとしては、可愛く、強く、男の子に忠実でけなげな犬が、ツボ。
 物語を盛り上げる「道具」として、途中の適当な所で殺すのではないかと危惧していたため、最後まで主役級の大活躍を見せてくれるのが嬉しい。
 犬を、男の子と二人一組のキャラクターとして、人を信じる事が出来ない時期の男の子と名無しの間を繋ぎ、素直な面を表現させる作りも、上手い。

 次第に結ばれていく男の子・仔太郎と名無しの絆も、気持ち良い。
 裏切る、利用するような関係が多いこの作品中で、唯一無償の行為。
…いや、最初は仔太郎が示す報償目当てだったかも知れず、後には、名無しが心の傷を乗り越えるため、彼を救うのは絶対必要な行為だったのだろうが。

 次々死んでいく、戦う男達が、思いに殉じ、後悔なく逝くのが不思議と爽やか。
 野心を叶えられるかどうかの瀬戸際まで行く虎杖、姫を娶る夢まであと一歩だった重郎太、好敵手と命のやり取りが出来れば幸せだった羅狼。
重い、決して許されない(自分で許せない)傷を、今度は全てを賭けて仔太郎を救う事で、僅かなりと埋めようとする名無しにしても、戦いで命を落とそうが後悔はなかったろう。
 対照的に、「戦わない」卑怯な男達は、ドイツもコイツも無残な非業の死を遂げてしまう。
 戦いで全編を埋め尽くす作品として、実に明確な制作姿勢。

 作画は美しく、力を込めた剣劇に見応えがあり、飽きさせないよう それぞれのバトルについてキャラの状況やシチュエイションを変える演出も素晴らしい。
 山寺宏一や大塚明夫ら実力派声優に囲まれて、主演が長瀬智也ではどうか…と心配したけれど、意外に上手い演技を披露してくれ、安心。

 難しい事を考えさせず、アクションの迫力とキャラの魅力で一気に見終えさせ、「面白かった」という感想を残す、エンターテイメントとして とても良くできた映画。



『ONE OUTS−ワンナウツ−』05.「希望」

 リカオンズ、勝利。
 勝つために東亜が駆使する手練手管について、「なるほど」もあるけど多くは「そうかなあ?」であり、同時間枠の『カイジ』で見られた計略の面白さに比べると弱い…と思っていたが…
 チーム内の裏切り者よりも、敵チームよりも、遙かに恐ろしくイヤなキャラクターである球団オーナーが登場。
試合に勝つ事について、単に「勝利を収める方法」への興味から、「このイヤなオーナーを どのようにして凹ませるか」へと、意味が変わってきている。
 こうなると、手段・方法に厳しくアイディアが求められる割合は少なくなり、作りやすいし、見易くもなる。

 チームの人数が一人減ったら逆にみんな頑張ってエラーしなくなった、とか、ピッチャーのクセが盗めたらガンガン打てるようになった、久々にピッチャーを任せられたらバットをへし折るような球を投げられた…というのは、やはり弱い。
 ここに、今回最後の方で見せられた「恐ろしく冷静に人間を観察している東亜」という部分を加味して、ようやく、「熱血で勝った」のではなく、「コイツなら自分が期待する成績を収めるだけの能力がある」と踏んで、更に「精神的に上向かせ勢いに乗せる」事により勝利に繋げていく、それだけ計算があったと捉えるべきか。

 長いシーズンを戦っていくためには、東亜一人で出来る事に限界があり、どうしてもチームの力に頼らなければならない局面が出てくる。
チームメイトがそれに応えてくれるだけの力を持っているのかどうか、早いウチに試し、例え持っていなくても最大限力を発揮できるよう状況を作る必要アリ。
 そのためには、この「賭け」に等しい行為も必要だった、という事かな。


2008年11月4日 火曜日

 WOWOWで放送された映画『シッコ SiCKO』を見る。
 『ボウリング・フォー・コロンバイン』『華氏911』のマイケル・ムーア監督作品。
 お馴染みドキュメンタリータッチの作風で、今回はアメリカの医療問題を扱う。

 前半は淡々とした調子で進み、これぐらいならNHK辺りでも撮れなくはない内容か、と思っていたが、後半、国に対する「嫌がらせ」のため収容施設に出掛けてから、映画として面白くなってくる。
 9.11で命を賭けて働いた人々の、米での報われない境遇と、迎えるドラマティックな展開で観客を引き込む手腕は、さすが。
 しかし、真面目なドキュメンタリーとしては「面白すぎ」「演出しすぎ」と言える内容なので、この人の映画に好き嫌いが強く出るのも、当たり前だろうな。

 カナダやイギリスの医療保険制度について、優れているように描いており、見ていると「へー、そうなんだ」と素直に受け容れそうになるが…
ネットで ちょっと調べた程度だけど、それはそれで様々な問題を抱えているようであり、単純にカナダ万歳、イギリス最高、とはいかない。
 国家保険制度が進んだ国の「影」と、最悪に思えてしまう米制度がもたらす「光(国の有り様に対するプラス面)」の部分まで描けば、より深く、観客に考えさせる事が出来たかと。
 「アメリカの保険制度」について「アメリカ人に」問題提起するのが狙いの映画だろうから、仕方ないか。

 日本の保険制度は、アメリカと比べて、カナダやイギリスと比べて、どれだけ良く、どれだけ悪いのか、ふと考える契機となってくれる、興味深い映画。
 「匿名で寄付をしたよ」って、映画の中で言ってしまうのは、このオジサンも意地が悪いなあ。


2008年11月3日 月曜日

『ゲゲゲの鬼太郎』81.「決闘!妖怪ハンター対針女」

 悪い妖怪女と、ハンター爺さんの激闘。
 針で相手の影を縫い止め、攻撃してくる針女。
影を晒すまいと常に日陰となる谷間に小屋を造り、唯一対抗できる武器・その針を原料とする砲弾を鋳造する爺さん。
 奪い取った爺さんの片腕影を怒りに任せ責め立てる針女、その痛みに耐えつつ、それがあるから女の気配を感じ取れるという爺さん。
 勝利を確信した針女に対し、決戦で見せる鬼太郎の機転、全てを賭けた爺さんの一撃による逆転のカタルシス。
 「悪い妖怪をやっつけたぞ!これで山も平和になる」だけに終わらない、針女の涙、相手への敬意さえ感じさせる爺さんの言葉。

 死力を尽くす双方の戦いが、アイディアを込めて描かれ、鬼太郎を圧倒するキャラクター性を持つ爺さんの魅力(人間だけど妖怪四十七士に入れて構わないぐらい強烈)、狩り・狩られる人間と妖怪の不思議な絆が相まって、見応えのある、面白い内容になっていた。
 こういう話があるから、『鬼太郎』は見逃せない。


2008年11月2日 日曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』05.「故国燃ゆ」

 ソレスタルビーイングがカタロンと接触。
もうちょっと緊張関係があるかと思ったが、存外にフレンドリーな、平和な会談模様。
 柔らかく拒絶されてまでも協力関係樹立を諦めないカタロン。
何しろロクな戦力を持っていないようだから、「悪代官を敵に回しているため、武芸に優れた旅のお侍さんを食事や暖かな布団で歓待し、何とか自勢力に引き込もうとする、自分達だけではまるで無力なレジスタンス町人・農民」という図式なのか。
 この世界は基本的に、「性能の差が戦力の決定的な差ではないことを教えてやる」とする考え方が通用せず、性能差が多くを決めてしまう。
それでも、近くのGN粒子散布塔や、砂の海を用い、地の利があるカタロンがギリギリの抗戦を試みる様子とか見たかったけど、今回メインは「『被害者』から『加害者』へと転換する沙慈」という所にもあるので、善戦されてはそれが ぼやけるのか。

 その沙慈。
 ソレスタルビーイングと共にある事について、それなりには割り切ったのかと思っていたが、意外と まだ全然。
まあムリからぬ事で、普通の人生を送ってきた男の子が、契機となる出来事があったとはいえ、「テロリスト」の仲間になろうとは そうそう考えられまいか。
 カタロンの施設を脱出しても、無一文(だろう)で見も知らぬ異国の町に辿り着いて、そこからどうするつもりだったんだろう?
取りあえず大使館を探し…でも指名手配扱いになっている事は想像できていたろうし…うーん、単に生理的嫌悪から来る発作的な行動かな。

 捉えられ、セルゲイに情報を話してしまう沙慈。
 拷問を受けたり、そうでなくとも協力者と勘ぐられ、自らの立場を危うくしてまでカタロンを庇う筋合いは、彼には確かに、無い。
彼の非ではなくても、その言葉によって子供含む多くの人間が殺された事実は変わらず…この重荷は、彼をドコに連れて行くんだろう。

 「極悪なアロウズに情報を知られてしまったため虐殺が起きた」ように描いているけど、セルゲイが対処を一任されていた場合、どうしたのか。
降伏勧告と非戦闘員の受け容れ…ぐらいしたかも知れないけど、最終的に基地を壊滅させるのが、体制側軍人としての責務かと。
 自分自身で引き金を引くか、無人機械に任せるか、という違いで相手を非難するソレスタルビーイングには矛盾を感じるが、感情的には分からないでもない。
そういう矛盾を意図的に織り込んでストーリーが展開される作品なので、かなり色々な事を考えながら見ていかないと、作り手が本当に言わんとしている事を見失いそう。

 心ある全ての人間にとっての敵・極悪なアロウズが存在する事で、複雑な事情が絡んだ第一シーズンより話がずっと分かりやすくなった。
 その代わり、「現実の世界をいくらか反映する物語」からは遠ざかってしまったが。

 集団に対し非協力的で、ワンマンアーミーの言葉の意味について親切にもウダウダ話してくれるブシドーが、可笑しい。
すっかり、前シーズンでのコーラサワーを越えるネタキャラと化してしまったな。
 セルゲイの養女になる事を決断するソーマ。
そうするとアンドレイは、「お兄ちゃん(弟?)」になる訳か。
ソーマ、上手く彼に甘えて懐柔すれば、スミルノフ家の問題を一挙解決できるかも知れないんだけど、彼女にとってそれは戦いで猛烈な戦果を上げる事より遙かに難問だろう。


2008年11月1日 土曜日

『天体戦士サンレッド』05.

 特撮ヒーローモノのパロディー、というより、酷く所帯じみている悪の組織をメインにした「冴えない奴らのちょっとイイ話」を見せている作品。
 怪人軍団風のキテレツな姿形を抜きにすれば(街の人々も誰一人気にしないし)、組織の行動は常識的すぎるほど常識的。

 ええと、悪の組織・フロシャイムの目的は、一応 世界征服になってるのかな。
それに向けての積極的活動なんて、何もしていない気がするけど。
 サンレッドも、自分に直接関係がない世界征服活動については あんまり関与してこない雰囲気なので、ドコか ちょっと離れた場所で悪巧みを実行すれば済むような。
 フロシャイム「川崎支部」の話みたいだから、この世界では町ごとに悪の支部があり、怪人が配置されていて、それぞれに使命を持って行動しており、川崎支部の目的は「打倒サンレッド」なのか。
また、町ごとに こんなアホほど強いご当地ヒーローが居るとすると、悪事なんか上手く行く訳がないな。

 最高に面白い!とか、爆笑!というようなアニメではないけれど、不思議とクセになり見続けてしまう。
 間が抜けているようで、サビの部分は妙に格好良い主題歌も、聞き続けていると耳に残り、カラオケで歌ってみたい気分に。



『あかね色に染まる坂』05.「あかね色のファーストデート」

 映画を見に行った際、エンドクレジットで席を立とうとする準一にかけた優姫の一言、「ちゃんと作った人の名前も見るのよぅ!」が好感度高い。
すぐ次に何かの予定が入っている場合はともかく、どうせヒマなら、最後の最後まで映画を見て欲しいモノ。
 いや、見慣れるとテレビアニメのオープニングを飛ばし、ヘタするとエンディングも見ないで終わる人間が、エラソーに言う事じゃないか。

 怪獣映画を見て涙を流し、ワルから(第一話に続き)助けられた事に素直に感謝し、帽子の回収と引き替えに風邪を引きかける準一にパニックを起こす…全力で魅力をアピールする優姫が可愛い。
ツンデレの美味しい部分、ここに極まれり。
 ツンデレは賞味期限が短い。
「ツン」ばかりでは魅力にならないし、「デレ」な姿を晒しながら主に物語上の都合によりまた「ツン」に戻る、という過程を繰り返していると、次第に本来の魅力が摩耗し、最悪の場合「精神が病んでいる、面倒な女の子」にさえ見えてしまう。
 優姫も、ここいらからしばらくの間が、もっとも輝く時期ではなかろうか。

 そういう優姫よりも、兄と彼女の事を思ってデートから身を引き、体調崩しかけの兄に対し適切な(一緒に居た年月による貫禄を感じさせる)処置を執る湊が、今回一番 良い部分を掠ったキャラなのかも。
 変に妹を重視しているアニメだなあ。
「妹こそヒロイン」とする作品もあるけれど(それも好きだけど)、このアニメは一応、優姫と主人公の関係を描くのがメインだと思うのに、作っている側の気持ちは湊にこそ多く込められているような。
 その危うさが、シリーズ後半、主人公はどちらを選ぶのか、というドキドキに上手く繋がると、面白くなりそう。


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