ときどき日記 2009/01

2009年1月31日 土曜日

『空を見上げる少女の瞳に映る世界』03.「立ち向かうこと」

 カズヤとスズメによる渡河作戦自体はともかく、何のためにわざわざ目立つやり方で学校を抜け出し、昼間に川を渡る必要があったのか。
二人とも学校を休んで計画を実行すれば良いはずだし、放課後に行えば少なくとも教師の干渉は受けなかったはず。
 騒がれ、構われたかっただけなのか…「そういう障害にも負けず川を渡りきる僕達の愛はホンモノ」という激しい自己陶酔なのか。

 渡っている最中には、もっとイベントを組んで心の動きも追い、大変な行動だった事を実感させて欲しいもの。
「手が離れてしまいました」ぐらいしかアクシデントが無いし、見守る観客の視点から行動が描かれるため、主体となる二人の気持ちが伝わってこない。
 これで良いのなら、前回 時間を取ってカズヤの過去なんか見せる必要はなかったはず。

 世間に多大な迷惑と心配を掛けて ただ川を渡った二人の行動が契機となり、「みんなの未来を守ってくる」などと言い始め異世界の存在と積極的に関わろうとするヒロインも、意味不明。
 「ボチボチ話が動いてくれないと困るからヒロインには能動的に行動して欲しい」制作者側の都合ばかり見え、物語としてヒロインに決断を強いるようには出来ていないのに、無理矢理 走り出させてしまった。
 事態にヒロインを巻き込む直接的な方法など いくらでもあると思うが、友人の渡河が動機付けになる、という回りくどい構成にし、しかも失敗して説得力皆無に。

 ムントと手が触れ合った後のヒロインのセリフ、「一瞬、二つの世界が繋がって、双方に滞っていた巨大な力が、二人の手から一気に交差し、世界に流れ込んでいった」。
…何でこんな事がヒロインに分かるのか不思議だし、こう言われても意味がよく分からないし、かなり重要だったのだろう この出来事をセリフで説明して済まそうというのも感心しない。

 色々な事を投げ出しにしつつも「打ち切りエンド」っぽい終わり方だったので、本気で最終回かと思ってしまったが、まだ続くのか。
 うーん、作画には見応えがあるけれど、シナリオの不出来さ加減が酷い。
これ以上見続ける理由はない…かな。



『CLANNAD AFTER STORY』16.「白い闇」

 朋也達の部屋に集まってきた旧友達との会話。
 「親」になる朋也に、その心境を尋ねる春原。
実感がない、という答え。
 自分にも「親」になった友人は多くおり、まだ親たり得ない身として、同じような事を尋ねた事がある。
二十代の友人も、三十・四十代の友人も、変わらず答えは「よく分からない」だった(「嬉しい」「増える家族のためにも頑張って働く」というのは前提として)。
 自らの体の内に大きな変化が生じ、やがて大きなリスクを冒して新しい命を生み出す「覚悟」を否応なく持たなければならない女性に比べ、男が「親」になる実感を持つのは ずっと遅れてしまう。

 目指すべき大人が出てこないし、登場キャラクターらも高校時代で精神年齢が止まり、彼らを大人にするような環境は用意されない作品作りが疑問だったけれど、「妊娠・出産」というイベントに「誕生と死」を同時発生させて、大人になるべき状況であり、大人にならなければならない立場にあるが、その自覚を持たない主人公・朋也(…それは自分含む多くの視聴者と等身大だろう)に、ただこの一点で変化を強いる物語だったのか、と思う。
 本当にそうなのか、それが上手く行ったのかどうかは、まだこの後を見なければ分からないけれど。

 腕に抱きかかえた我が子と、衰弱しきった様子で横たわる渚以外、全てが白く消えて存在しなくなる出産後の世界。
 相手を安心させようと無理をしても笑ってみせるキャラクターである渚に、そんな余裕さえなく、表情が無くなってしまっている。
渚のセリフに、健気さや可哀想さを強調するモノはいくらでも考えられたと思え、視聴者の涙を振り絞らせる事は まだ数段階にわたって可能だったと思うが、そう「しない」判断が素晴らしい。

 新しい命を抱える喜びと、目の前で失われようとしている渚の命を同時に目の当たりにする朋也の顔に浮かぶ、嬉しさと悲しさと希望と絶望。
 命の炎がゆっくりと小さくなっていき、燃え尽きる、渚の表情。
 渾身の、演出と作画。

 泣けた。
 こういうのはズルい。
 でも泣いた。

 卒業というイベントに意味が無くなるからキャラクター達は成長するべきだ、と思いつつ、そんなドラマなんかどうでもイイから親子三人アホみたいな笑顔で「ボク達幸せです」とかのうのうと抜かす終わり方を望んでもいた、矛盾する心境だったのだけれど。
 あと何話ある物語なのだろうか。
どのようにしてこの辛い因果を閉じるのだろうか。
 「見続けていて良かった」と思わせてくれる作品であって欲しい。


2009年1月29日 木曜日

 映画『ティンカー・ベル』を見る。
 『ピーター・パン』に登場する妖精を主役に据え、その誕生と成長をCGで描く、スピン・オフ作品。
全4部作になるとか。
米ではDVDセールスのみで、劇場公開はされていない。
 監督は、『ポカホンタス2』『ライオン・キング3』など、ディズニーの続編劇場未公開物を手掛けてきたブラッドリー・レイモンド。
製作総指揮が、『トイ・ストーリー』『カーズ』のジョン・ラセター。

 どういう視点で見るか、だなあ。
 子供向け作品としては、鬱屈を抱えたティンカー・ベルが、頑張って「自分」を発見(確認)し、皆に認められる様子を描いており、悪い内容ではない。
 しかし、いい歳の人間が見ると…

 以下、内容に触れます。


 まず、本編である『ピーター・パン』と上手く繋がらないティンカー・ベルのイメージ。
物作りの才能がある、なんて描写は本編になかったと思う。
 このタイトルありきで通った企画なんだろうけど、これなら全く別の妖精の話、とした方が見易いような。

 色々と やりたい事を試してみたけれど、結局は「上」から言われた通りの道を選び、才能を活かしていくのが正解でした、とする筋に乗れない。
 「教育的」には、とても良いストーリーなのだろうが。

 妖精達の仕事を便利に、効率的に変えてしまったティンカー・ベルの行いも、どうなんだろう。
 「これで終わり」の作品としては特に問題ないけど、今回使った手法と機材によって、これまで長い時間を費やしていた「職人」としての妖精達の仕事が、一瞬で終わらせられるモノだと分かってしまった。
それを素晴らしい進歩と取るか、未来に危機を孕んだ事態と取るかは、観客の自由かな。
 全体にこうして効率化を図っていけば、新しい妖精は要らなくなる。
専門の才能が必要ないなら、人員を固定化させず流動的に使った方が効率良い訳だし、もっと量産化機構が進めば仕事に従事する妖精の数そのものからカットして構わない事になる。
実に今日的。
 そんな変革を、ヒロインであるベルに成し遂げさせる事について、制作者はどういう意図を込めてあるのか、あるいは意図を読み取るべきではないのか。

 ベルの冴えない仕事仲間男子二人が、出ていただけで印象弱い。
彼女を嫌う妖精と合わせて、彫り込めば面白くなりそうなのに、上手く使えていないのが残念。
それは、次作以降の展開になるのか。
 CGの出来は悪くなく、独特の世界観提示に引かれる部分があり、今作ラストで示された本編とリンクしそうな要素をどう料理するのか、に興味もあるけれど…うーん…


2009年1月28日 水曜日

 映画『007/慰めの報酬』を観る。
 主演がダニエル・クレイグに代わって二作目、通算二十二作目の『007』。
監督は『ネバーランド』『主人公は僕だった』のマーク・フォスターで、アクションの手腕には疑問があったけれど…

 そのアクションシーン。
 激しさ、パワフルさを強調するためか、早いカット割りを多用し、客観的に全体を写すアングルを避けており、確かに迫力はあるが「何がどうなっているのか分からない」という弊害も。
それは特に、前半部に顕著。
 慣れたのは制作陣(アクション専従スタッフ?)か観客か、中盤以降は見易くなってくる。

 そういう撮り方と、クドクド説明しない展開の速さにより、理解しきれない箇所が。
 ある場所に居た、ボンド以外の全員が撃たれたように見えたのに、何気なく生きているキャラが居たり。
どういう理由で生きていたのか、について、もうちょっとフォローがあっても…確かに不要と言えば不要な所だけど。
 ボート・アクションも、最後は どういう方法で勝ったのか、よく分からなかった。
 ホテルで受け取るトランクは、誰が、何の目的で預けてあったのか、というのも、大筋は分かるんだけど即座の理解はし難い。

 物語。
 シリーズで似た話を探すとしたら『消されたライセンス』ぐらいか。
 前作から引き続き、容赦なく相手を殺す「殺し屋」としてのジェームズ・ボンドが描かれる。
そりゃもう、上司から怒られるぐらい。
でも…考えてみれば、これまでもボンドは敵対してくる相手を大抵は殺している。
いくらか洒落ていたり「乗り物ごと破壊」といった見せ方をしているため、ここまで殺しがシリアスに扱われなかっただけで。
 物語を経て、傷ついたボンドの心は癒えたのかどうか、それは観客の解釈次第。

 黒猫を膝に抱いて撫でながら話をする、分かりやすいボスのスタイルを確立した悪の組織スペクターに代わる、新しい悪党集団の有り様が見えてきた。
トップが誰か分からないし、必要・計画に応じて集まる形式になっているのかな。
 一諜報員が相手に出来る敵ではなく、もしかすると彼らの悪巧みは、イギリスの国益にさえ叶うモノだったりするかも知れず、そうなるともう手の出しようがない。
 だからこそ、この「殺し屋」としてのボンドが活きてくるのか。

 亡きヴェスパーに対する気持ち、劇場で敵を識別する機転、等々、意外に繊細で頭の回るボンド像が魅力的。
 積極的に現場まで出向く行動力を見せ、無理解なようでボンドを理解する、「母親」っぽい?Mもイイなあ。
 『カジノ・ロワイヤル』の方が全体にバランスが取れていたと思うけれど、新生『007』二作目として悪くない出来。

 ただ…ただ、最初に見たのがロジャー・ムーア・ボンドで、伊達とお洒落と余裕ある格好良さをシリーズに求めるオールドファンとしては、面白くとも『ボーン・シリーズ』や『24』っぽくなってしまった『007』には、一抹の寂しさアリ。
 ここ二作は大ヒットしているのだから、この路線変更が正解だったのは認めつつ。
 次回作では、もう少しぐらい旧来のパターンを活かしてくれる内容になっていると、嬉しい。


2009年1月27日 火曜日

『宇宙をかける少女』04.「まつろはぬ者達」

 「もう泥棒するのは当然」とばかりに、冒頭から盗みの手伝いをしているヒロイン。
 前回 登場した機械モンスターがハッキリ脅威と認識され、それと対抗できるのはプログラム人格に問題はあるがレオパルドのみ。
気は進まないけど、彼を完全な状態にしなければ宇宙が危ない!という訳で、ヒロインは渋々と協力を続けているのでした。
 …といった感じの背景ではないかと思うけど、一応はしっかり説明し、もう4話目なのだから、このシチュエイションを活かした発展形のエピソードが入っても良いぐらい。
 確かにそういうのは古い・ダサイ・ありふれた構成かも知れないが、基本をすっ飛ばしても面白く見せられるほどには作品にパワーが足りていないので。

 犯行予告時にさえ正体を隠しているのに、有名でない事が不満なレオパルド。
 よりにもよって絶対に素顔を晒してはいけない状況下を選んで、わざわざ(意味なく)カツラを捨ててみせる いつき。
 ギャグの一部なんだろうけど、笑えないどころか、疲れる。
 特にレオパルドについては、普段アホキャラなのは構わないとしても、ボチボチ「やる時はやる」部分を匂わせるぐらいして欲しい。
盗みについて見事な計画を立案するとか。
このままだと、そういうネタを考えるのが面倒臭いからアホで居させ続けているのかと疑ってしまいそう。
 せめて、何かしらヒロインに認められるだけの「魅力」を持っていればなあ。

 問題点を羅列するとキリが無く。
 まだ設定を小出しにしている段階なので、多少混乱した内容になるのは仕方ないが、それらに対し疑問を抱いたり反抗したりする、視聴者に近い視点を持ったキャラが居ないのは困ってしまう。
ヒロインがそうあるべきなのに、彼女こそ最も激しく物語の都合に左右されているようで。

 女の子二人が次第に脱がされていくサービスは、視聴者に喜ばれて結構。
 何気なくレオパルドの側にぶら下げられている多数のティーパック、高速コーナリングで彼の元に向かう路面電車…既出の細かな設定を発展させて使う部分に、面白い所もあるんだけど。


2009年1月26日 月曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』16.「悲劇への序章」

 大半が、軌道エレベーターに立て籠もるクーデター派と、攻め寄せるアロウズの戦いに費やされ、刹那らソレスタルビーイングの面々が余り登場しない、異色話。
 戦いも、実戦よりは「情報戦」の方にウェイトが置かれている、現代っぽい内容。

 クーデター首謀者のオジサンも、何も考えていない訳ではなかったようだが、まだまだ、「我々は正しい事を訴えているのだから、必ず伝わるはず」というような理想主義…甘さが見えてしまう。
 世界を制する相手に対し、義を持って誤りを正す事で勝とうとするなら、それをどのような形で、どうやって伝えるかが、最も大事。
その辺は、園田健一先生の漫画『砲神エグザクソン』に徹底して描かれている。

 クーデター派、放送衛星の一つぐらい乗っ取るか、自前で用意できなかったのだろうか。
政府・アロウズにより規制は引かれていようが、ネット上に無数の情報をばらまいてみるとか。
せめてソレスタルビーイングやカタロンと事前の打ち合わせをしておけば、もうちょっと有用なアドバイスをもらえた…かも。
 この世界の一般人は…マスメディアも?自分達が幸せである限り他者の事には興味がない、もしかすると幸せを揺るがす情報をシャットアウトする事に積極的ですらあるのかも知れず(クーデター派の演説に ただ迷惑そうな人質達の顔が印象的)、そんな彼らをただ信じるのは、楽天的すぎ。

 CGで加工したのか、オートマトンに人質がバリバリ撃ち殺される監視カメラ映像を、僅かな時間で「犯人はクーデター派」として描き換える政府・アロウズの手腕が、凄い。
仮に、生還した人質の内わずかな者達からオートマトンの暴挙が語られても、「人質を(不審な動きにより)クーデター派と誤認識した不幸な事故」「攻撃を受け機体が損傷して誤作動を起こした」「状況を混乱させようとするクーデター派が操る偽オートマトンの仕業」等々、いくらでも言い訳は出来るだろう。
 このやり口からすると、過去には非人道的な事もしているソレスタルビーイングなんて、どれほどの極悪人として報道されてるんだろ。

 猛烈な加速減速に耐えかねてか疑似トランザムの副作用か、口から血を流しながら頑張ったブシドーだけど、今回は(今回も?)邪魔者に過ぎず、すぐ退散。
 「こんな事もあろうかと」もう一基用意してあったメメントモリ。
なんて厄介な!


2009年1月25日 日曜日

『空を見上げる少女の瞳に映る世界』02.「逃げること」

 ???
このアニメの主人公って、不良少年?
 彼が抱える事情と、幼く見えるヒロイン友達との出会い、彼女がもたらした救い、そして結婚しようと決意するに至るまでの経緯を、ゆっくりたっぷりと描いていたが…
 ヒロインのキャラクター描写が まるで出来ておらず、ムントと呼ばれる少年もまだ影が薄く、異世界と現世界の危機については設定書を読み上げているような分かり辛い描写に終始している現状で、何にも優先して彼の内面を見せなければならない理由とは、何だったんだろ?

 この不良少年が、「ヒロインと結婚しようとしている」のなら、時間を取る意味も分かるけれど。
 友達が不良少年の心を救った、という事で、自分も何かしようと決意したヒロインが、困難な状況に直面しているらしいムントのため異世界へ旅立つ決心を(短絡的に)する、といった結びつきにも、まだ今はなっていないし。
 「何故、彼をこんなにも彫り込んでいるのかは、回を重ねていけば分かります」なんて話ではなく、知りたい事、知っておかなければならない事が膨大にあるはずの こういう作品で、「どうでもいい」としか思えない事ばかり優先して見せられるのは、作品自体への興味さえ薄れさせかねない構成の拙さ、視聴者の生理を無視した制作者の独善。
 何をもって、視聴者の心を掴もうとしているのか?

 作画は良いし、家の吹き抜け部分に現れるムント幻影のレイアウトには感心もしたけれど…
 ちょっと、厳しい。



『仮面ライダーディケイド』01.「ライダー大戦」

 冒頭、歴代ライダー達が集合し大活躍を…というかザコのようにポコポコやられてたけど…見せるシーンは、第一話だけあって やたら爆発させる頑張った撮影もあり、燃える。
 ストーリーは、突然の襲撃と世界的危機はともかく、最重要アイテムだろうベルトやカードケースをヒロインが そこいらで拾ったり、写真館の絵を見るや異世界に移動したりと、ムリヤリな印象は拭えず。
まあ、そもそも全く世界観の違う各ライダーを一つの作品に詰め込む、という企画その物が無理無理な訳で、流れるように自然な展開など最初から望むべくもないが。

 物語部分を強引に圧縮したお陰で、カブトや響鬼など、ディケイドから変身するライダーの活躍は、らしく(クロックアップが嬉しい)、割と ゆっくり見せられており、そういう意味でのツカミには成功していると思える。
そこが売りの作品なのだから、作り方に間違いはない。
 ディケイド形態での戦闘能力については未描写だけど、それは次回以降、各世界のライダーと戦うようになってからの お楽しみか。

 良い奴ではないがロクデナシでもなく、好戦的でも戦いを忌避している訳でもない主人公は、まだ薄い。
 「世界の全てを写真に写したい」基本動機は、旅を続ける作品に相応しいかな。
 『キバ』の お兄ちゃんは登場したが、さすがに『クウガ』オダギリジョーの出演は不可能だったらしく、代役(クウガが五代雄介ではない世界なのか)。
出来るだけオリジナルの役者さんが演じてくれるよう希望したいけれど、どの辺りまで出てくれるんだろう。
それも、作品への興味の内。

 ディケイドのデザインは…さすがにまだ「格好良い」とは思えないものの、写真で最初に見た時のショックは薄れ、異様な姿を上手く活かす演出が成されれば馴染んできそう。
 歴代シリーズを作品に取り込む やり方が優れていた『ウルトラマンメビウス』のような楽しさを期待しつつ(會川 昇がメイン脚本だと重くなるかも)、視聴継続。



『CLANNAD AFTER STORY』15.「夏の名残りに」

 う、うーん…
妊娠・出産という大イベントを前に、体の弱い渚の「死」という危機を孕んで、シリアスな展開が続いているが…
 どうも軽い。
「学園祭の演劇を成功させられるかどうか」と、さして変わらない重さに感じられてしまう。
 それは、仕事や病気や結婚の「本当にシンドイ所」をまるで描かない、ライトな作風に大きく寄るのだろう。

 渚両親の描き方が、良く取って「子供っぽい先輩」、普通に見れば「同年代の友人」に思えるのも、軽さの原因。
 瀕死の状態にある幼少時の我が子を、病院ではなく、毛布にくるんだだけで野原に連れて行くオヤジの感性は(それを止めず追いかけてさえ来ない母親も)、理解しがたい。
「奇跡」を描きたかったのだろうし、現代医学に頼っては死んでいた設定だ、という事を割り引いても、ちょっと唐突すぎ。
 体の弱い娘の事を心から思う気の若い両親、なんてモノをシミュレートするのは難しかろうけど…

 彼らに限らず、朋也の職場の上司や先輩、学校時代の教師(ほとんど出番のない老教師を除き)、朋也父に到るまで、「大人」が出てこない作品。
 朋也らが「こうなりたい」と目指す対象は存在せず。
せいぜいで、渚両親、先輩夫婦のような仲良しで居たいなあ、ぐらいだろう。
それは、学生時代の恋愛でも実現可能な…いや、その方が実現するのに容易な目標ではなかろうか。
 意図的にやっているのだろう そのお陰で、「ライトな社会人」「『夢』としてのキレイな夫婦生活(性生活を匂わせず、ほぼプラトニックに妊娠した印象)」そして「さほど重みのない『死』」を描く事が可能になっている。

 確かにそれは、「萌え」作品の その後としては、違和感がない(なさ過ぎる)ものだけれど。
軽さ・楽しさ・明るさが この作品の持ち味だし、悪い、と単純には言えない部分でもある。

 文句言いつつも、渚は好きなキャラクターなので、死んでしまったら凹みそうだなあ自分。
 ライトな作品らしく、「無事子供が生まれ、渚も元気で、一家はいつまでも楽しく暮らしました」という終わり方にしてもらえないモノだろうか。


2009年1月24日 土曜日

『とらドラ!』16.「踏み出す一歩」

 北村の恋、取りあえずの完結編。
 積み重ねてきたキャラクター描写が、大きなイベントに直面して実を結ぶ。
思い込みが激しく、押しつけがましくさえある迷惑な連中の暴走した行動は、同時に暖かく優しく、それを「愚かだ」と断ずるだけの者にはとても届く事が出来ない相手の心の深い所にまで染みていき、揺さぶり、事態を動かす。
 簡単にヒトコトで言うと、「青春だなあ」。

 意外と、心の底からアホだった北村が、可笑しい。
真面目に、一生懸命生きている人間ほど、壁にぶつかった際「ちょっとだけグレる」というバランスが分からずに、やり過ぎてしまうのかも。
 何でもズバズバ言うようで、恋愛に関しては過度に敏感な生徒会長も、可愛い。
 今時、「海外へ行く」なんてのは、必ずしも絶望的な事態となり得ないような。
ネットを通じて毎日画面付き通話をする事も、長い休みには互いに行き来する事も出来る訳だし。
高校生ぐらいの感覚では、「直接顔を合わせられない1日」は、永劫の長さと苦痛を伴い、耐えがたいモノなのかも知れないが。

 北村はこれでフリーになったのか。
そんな心の隙を狙う、というような行動を、大河は自分に容認できるのかどうか。


2009年1月23日 金曜日

『RIDEBACK-ライドバック-』02.「珠代上等!? S.L.F〜スプレッド・レッグス・フォーム」

 第一話でライドバック乗りの才能を感じさせたヒロイン。
それはホンモノだったのかどうか、能力が証明されている先輩女性とのレースを通じて描いていく、堅実で、燃える第二話。
 レースシーンが通り一遍でなく、工夫されたものだったのが嬉しい。
コースを何周かする事になっていたので、普通なら「ゴール直前ギリギリ鼻の差で勝つ」ぐらいの決着パターンにする所を、「相手が猫を避けきれず横転」として、しかもその結末に不満を感じさせないレース構成が、上手い。

 ライドバックはバイクの発展形…ぐらいに考えていたけど…
前回ラストで相当に高く遠くジャンプしたように見えても、機体は大破しなかったようだしヒロインも怪我を負っていない。
今回も、高い所から水に落ちたのに、損傷も故障もなく、完璧に稼働。
 現実のバイクなら、さすがにここまで頑丈ではないと思え(ちょっとコケただけで走りに支障が出る)、別種のテクノロジーが詰め込まれているのかな。
 あんな小さな機体でこれほどの性能があれば、この世界の車や戦車にはどんな能力があるのか、と思うけど、その辺のフォローはアリ?

 車や戦車にも、人間型に変形する設定があるなら、きっと凄い性能を発揮するんだろう。
変形の設定がライドバックだけなら、「バイクだけが特別な世界」なんだろう。
 「人型に変形する(人に近い)方が強い・凄い」というのは、そんなの嘘だろー無駄な部分が出来るし可動部は脆くなるはず、という論理的な分析と別に、日本人でロボット好きであればもう皮膚感として「当たり前」。
 とても曲がれないはずのコースを、人型に変わる事でクリアしていく今回のクライマックスは、だから素直に納得できる。

 桜が咲く大学校内を走り抜けるライドバックには、バイクに乗るのに最も良い時期の爽やかさが感じられ、楽しい。
 外見に似ず意外と負けん気の強いヒロインに、引き付けられる。
 面白い。



『VIPER'S CREED-ヴァイパーズ・クリード-』03.「銃声-shot-」

 隊に寄せられる街の人々からの視線と、サイキの背景について少々彫り込む、妥当な内容…のはずだけど…
 「何故、サイキが罠に掛けられたのか」という、この話を形作る基本動機が ぼんやりしたまま終わってしまうので、実に消化不良。
テロ組織が、街を襲撃するのに邪魔なユニット・ヴァイパーを排除するため企んだ計画なのかと思っていたけど、個人的な怨みだった?

 サイキを体を張って庇うサクラコの行動も、まだ余りにキャラクター描写が薄い現段階で見せるには、不自然。
 彼女が、基地内で、逃亡中のサイキの行く先について聞こえよがしに喋ってしまうのは、てっきり「間抜けを装い嘘の情報で追っ手を誘き寄せておいて、その隙に…」といったプランになっているのだと思っていたが、「本当にうっかり者で知られてはいけない事を喋ってしまいました」が真相。
余りにもアホで、逆に意表を突かれてしまう。

 突然出てきて、サイキについてトウトウと説明してくれる無免許医。
彼と、チームメイトに事件の解決は任せきり、サイキは特に何をした訳でもない。
 「個人主義で他人など知った事ではない」ように描いてきたチームメンバーの「意外な面」を見せて、ギャップで魅力にしたい意図は分かるけど…
 サイキを陥れていた犯人を告発する…のだろう証拠は、弱い。
自白が無ければ、とても裁判にならないかと。
 こうして逮捕されては、会社のイメージダウンが避けられないと思うんだけど、それについては次回でもフォローされるのかな。

 うーん、コーヒーの砂糖に拘るサイキの描き方は良いと思いつつ、詰めが甘い、というより全体に作りが荒すぎる。


2009年1月22日 木曜日

『FLAG』03.「同行取材」

 とにかく地味。
 変形ロボット兵器・ハーヴィック、という設定を持ちながらも、熱くさせたり胸躍るような戦闘シーンなど少しも演出されない。
前回の、ただでさえ戦力差がある上、奇襲をかけたハーヴィックによりゲリラ一部隊が壊滅していく様子など、アニメというよりは本当に「戦場に据え付けられたカメラが映し出す無機質な戦いの記録」。
 それで意外と飽きさせないのは、大したモノ。
 登場キャラクターも、兵士達は「熱血ですぐ戦いを主張する」「冷静沈着に作戦を立案する」「臆病者」「何事か腹に呑んでいるような謎の男」といった造形パターンに則らず、新人の域を出た兵士として不自然さのない範囲で、それでも各員に差異を設けて個性的に見せる手腕が、素晴らしい。

 全編、誰かが持つカメラのレンズを通した画面になっているのは、変わらず。
 よく考えてみれば、他のどのアニメでも、ほぼ全てのカットは「カメラが写した風景」なのだけれど(夢や心の中を写しているような場合を除き)。
 誰が・どういう心境で・どのような意図を持って撮った映像なのか、という事を見る者に途切れず考えさせ、「密度が濃い」とも「シンドイ」ともいえる。
作る方の苦労が大変なモノなのは間違いない所。

 この時点ではまだ、手放しで面白い!と言い辛いんだけど、引き付けられるモノはあるし、先がどうなるか気になる。
 最後まで付き合ってしまいそう。
見続けていて良かった!と感じられる作品になってくれると、良いなあ。



『機動戦士ガンダム00 2nd season』15.「反抗の凱歌」

 今回は、刹那と姫様に気を利かした子供達がハンガーでパイロットと交わす会話が、印象的だった。
 子供達からの「(出撃しても無事に)帰ってくる?」「死んじゃうの?」という、ストレートすぎる、戦いに参加する者同士としては口にする事もない、口にするべきでもなかろう問い掛けに、戸惑いつつ嘘を混ぜない精一杯の誠意で「いやぁ、そいつは時の運というか何というかだなぁ」と応える若い兵士。
それを俯瞰する年かさの兵士は、「真面目に答えるなよ」と注意し、「ここは危ないから部屋に戻ってな」と子供らを いなす事で返答に換える(正直に言えばカタロンは戦力不足であり生還の見通しが立ちづらいはずだが、そんな事を正直に答えても子供を不安にさせるばかりで何の益もない)。
 子供・若者・年長者それぞれの視点の違いであったり、年期の差であったり、皆が本人としてはごく真面目に発している言葉の織りなす場の空気が、味わい深い。

 クーデターの伏線が引かれた…と思ったら、その話のウチに実行されるスピードに、驚く。
 反抗勢力は、この行動により、どの程度までの成果を上げようと目論んでいるのか。
強固な政治・軍事システムが確立しているのだろう世界で、武力や脅迫によって自分たちの意志を全て通す事は、難しかろう。
 裏の裏があるとしたら、「不平不満を持つ勢力を糾合し、まとめて処分するために計画された偽装クーデター」という所かな。
 起動エレベーターに損傷が生じ、折れてきて地上をなぎ払ったりすると、コロニー落とし並の被害が出る…?


2009年1月21日 水曜日

『仮面ライダーキバ』最終48話.「フィナーレ・キバを継ぐ者」

 人間からファンガイアになって非業の死を遂げたかと思えば簡単な説明で生き返った(生きていた)、嶋とか。
目に不調を感じ、失明するのかと思われた名護だけど、別にそういう事はなく回復。
これで良いのなら、「実は深央も元気に生きてました」で構わないはず。
 物語の構成として、最も大きな仕掛けであったはずの「父と子を隔てる、時の壁」が、実に何気なくヒョイと越えられてしまい、しかもそれがストーリーのターニングポイントたり得なかったのも意外、というか拍子抜け。
 父と子、母と子、兄と弟、といった肉親のドラマは喰い足りず。
そういえば、「音也に憑依される(オヤジ側の遺伝子が強力に目覚めた?)渡」というイベントがシリーズの途中に入っていたけど、アレはどういう理屈だったんだろう。

 現在と過去の二部構成が この作品の最大の特徴。
それは凄いチャレンジだったと思うし、三十分で描かれる(二本一話の作りではあったが)ヒーロー物で、これほど複雑な基本構成を持った作品も、例がないだろう。
 ただ、残念ながらそれが「上手く行った」とは思えず。
 このシステムから効果を引き出すには、とにかくまず脚本にかける時間が必要。
一話ずつ、そしてシリーズを通しても、因果を結び伏線を機能させ原因と結果を「驚き」や「納得」を伴って視聴者に理解させる、論理的思考を得意としたライターに手掛けさせる事も。
…TVベースでそれを可能とする人間には、思い当たらないが。
 面白いキャラクターを描く、ノリが良い、パワフルである…という優れた特性は、この基本構成と相性が悪く、才能を発揮する足枷にすらなりかねず。

 『バック・トゥー・ザ・フューチャー』で、無責任投げっぱなしなラストには、笑ってしまった。
ここまでアホな終わり方をしたライダーも、珍しい。
 ラストシーンから逆に思い返すと、この作品は全編コメディーからギャグ、ドタバタの物語だったのか、とも感じられ、そう考えると細かい事に目くじら立てる必要はない……のかな。
 気持ちを切り替え、異色作続きの平成ライダーの中でも最大の異色作になりそうな新ライダーに、期待。


2009年1月20日 火曜日

『獣の奏者エリン』02.「医術師のソヨン」

 徐々に、丁寧に世界観を示しつつ、エリンが秘める闘蛇医の才能を見せていく、無難な第二話。
 「子供向け作品」としては悪くない、と思いつつ…

 あの武人は、自分の闘蛇が魚を主食にしている事を伝えてなかったの?
 そういう嗜好や特性については、「入院治療」である以上、獣医にまず伝えるものかと。
 食事による中毒、なんて事もありうる訳だし、普段食べているモノについて詳しく聞いておかない獣医側も獣医側だけど。
ウチの犬が調子悪くして獣医に連れて行った時も、まず「何か変わったモノ食べさせました?普段どういうもの食べさせてます?」と聞かれるぞ。

 水路にヤギ殺しが入っていたのは、何故?
 不自然な入り方だった事から、誰かが故意にやったと考えられるけど、犯人捜しどころか問題にすらされない。
他の事はともかく、村にとって最も重要だろう闘蛇の命に関わる出来事な訳で、「まあいいや」では済まされないはず(済ませては世界観が揺らぐ)。
 犯人は、闘蛇医のオジサンか、結婚を前に不審なそぶりを見せていた女の子…という所だろう。
自分達の村に被害はなく、余所の闘蛇に毒が盛られただけだし、その責任にしても異分子であるソヨンが被れば済むので、平和な村内に波風立てたくない気持ちが優先されたのか。

 もっと、エリンが「子供だからこそ気付いた事」だと強調できる真相なら、良かったかなあ。
 エリン友達の女の子が見せる いかにも子供らしいリアクション、謝意を伝え村を去る武人に対し無表情なままの村長(何事かを飲み込んでいるからなのか、「そういう人」なのか)等、良い所もあるんだけど…



『空を見上げる少女の瞳に映る世界』01.「知ること」

 てっきりゲーム原作のアニメかと思えば、ちょっと変わった事情で作られたオリジナルアニメ、らしい。
 大地を突き抜けて「下」へ落ちていく巨大な柱、一面の水たまりに空が映り まるで宙に浮かんでいるような登校時の風景、等々、ビジュアル・イメージは非常に優れている。
 一話目だからか、京都アニメーション作品だからか、少女らの動作やバトル描写の作画に大変 力が入っており、見応えアリ。

 しかし…設定書を読み上げているようなキャラのセリフは、残念。
オリジナルのファンタジーだし、説明しなければならない…せっかく作ったんだから聞かせたい?設定が大量にあるのは分かるけれど、まだ内容に引き付けられていないうちに色々喋られても、右から左へ聞き流すばかり。

 「不思議な体験をしているヒロイン」「異世界で起きている異常事態」「ヒロインと、異世界の少年との初接触」一話目の内容としては、このぐらいで十分かと。
 「ヒロイン友人の幼げな少女がイキナリ『結婚する』と言い始める」事から、「結婚相手を自分の目で確かめよう、と考えるヒロインら」というイベントに発展するんだけど、コレは第一話に詰め込まなければならない要素だったのかどうか。
これからの物語で、大きな意味を持っていく出来事だろう事は分かるが、最初から異常事態を重ねすぎると、「この先はどうなる?」という興味より、「もう面倒臭い」といったマイナスの反応を引き出してしまう。

 キャラにも物語にも、まだ強く引かれる部分は無いが、画面作りの面白さで、しばらく視聴継続。


2009年1月18日 日曜日

 今年初の〆切スケジュール入り。
 出来るだけ火曜日にはまた更新できるよう、頑張ります。


2009年1月16日 金曜日

『源氏物語千年紀 Genji』01.「光る君」

 どういう作品になるのかと思えば、特に目立つアレンジはなく、ごくまっとうな『源氏物語』。
 この古典について、知らない人が始めて触れるには悪くないアニメかも…だけど、興味のない人間までも引き込むには、普通すぎて弱い第一話。

 監督の出崎 統は、かつてのようにどんな原作からでも「傑作」を作り上げるパワーには、さすがに欠けてきたみたいで、駄作連発という事は無いものの、「このぐらいの原作(企画)からは、当然このぐらいのアニメが出来るだろうな」と感じられる、まあ妥当な作品を作る事が多くなってきたような。
 逆に言えば、妥当な水準のモノは作り続けられている、という事でもあり、難癖付ける必要など無いのか…

 今更、普通の内容の『源氏物語』を見る必要は感じず、取りあえず三話ぐらいはお付き合いするが、「このアニメは見逃せない!」と思わせてくれる何かが現れてこない限り、そこまでになりそう。


2009年1月15日 木曜日

 衛星で放送された映画『地球外生命体捕獲』を見る。
 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』のエドゥアルド・サンチェス監督による、B級ホラー。

 タイトル通り、男達がエイリアンを捕獲するんだけど、その決定打となった捕獲方法が「落とし穴」という知的とは言えないもので…いや、意外とこういう原始的なやり方こそ有効なのかな。
 エイリアンの外見から行動まで、とても恒星間飛行を成し遂げて地球まで飛来する科学力を持つ、人類への巨大な脅威となる知性を備えた存在とは思えない。
それは、『インデペンデンス・デイ』『サイン』登場のエイリアンもそうだったが。
 バルタン星人やメトロン星人のようなデザイン・性質をしていれば、ナニガシか異質の知性を備えていそうには見えるだろうが、「『生理的に』イヤで不気味な相手」とは成り得ず。
この辺りに、アメリカ人が異文明の持ち主に抱く基本的見解があるのかも知れないけれど、まあそれはそれとして。

 低予算映画、という事で、ほぼ一軒家のみ、登場人物も数人のみで話が終わってしまう。
主人公らが過去に受けた体験にしても、映像は無く、セリフで語られるのみだし。
「地球の危機」的なモノも示されるけど、これまたセリフだけ。
 『ブレア・ウィッチ〜』は大当たりしたんだから、その監督の新作と言えば、制作予算をもっと引っ張れたのでは?
『シックス・センス』のシャマラン監督が、どれだけ金があっても「特撮・CG」関係を見せ場にしようと考えず、凝らないのと同じく、こういう安い撮り方が性に合っているのか。

 捕まえられてヒドい目に遭わされるエイリアンと、それに負けず劣らず悲惨な事になっていく男達。
グロな所もあるけど、全体に悪趣味ながらコミカルなタッチが見られ、エイリアンと人間で○○を引っ張りっこする所とか、下らなくて笑ってしまった。
 無警戒で学習能力の薄いバカ男達(何回逃げられてるんだ!)と、負けずに頭が悪いエイリアン(チュパカブラ程度じゃないか)による、アホみたいな戦いが、B級映画好きには たまらない。
ツッコミながら暇つぶしに見るには、まあ良いかと。



『ケータイ捜査官7』35.「ケイタのはつゆめ」36.「ともだち」

 35話。
 千葉繁・上海亭主人、この辺りをオープニングで見た時点で、少なくとも脚本は押井 守である事が分かる。
 内容は…『パトレイバー』の「特車二課 壊滅す」。
セルフパロディーだ、と言うにも余りに そのまま過ぎ、特に前半は『パトレイバー』の脚本をまんま流用して、登場人物の名前だけ書き換えたんじゃないかと思うぐらい。
 アンダーアンカーがドコに立地しているのかは知らないが、特車二課ほど辺境にあるのでなければ外に食事に出ても良いはず。
レギュラーキャラの人格も、『パトレイバー』に合わせるべく不自然に曲げられており、「既存のシナリオがキレイに嵌る作品だったから使った」のではなく、かなりムリヤリ使用されている事が伺えてしまう。
 もう少しアレンジしても良かったのでは?
 …まあ、笑ったんだけど。
 今回の脚本料は、規定の半分も払えば十分だと思うな。

 今更ながら、シリーズの基幹を成す回以外、担当の脚本・監督に相当の自由が許されている(と思われる)作品。
『パトレイバー』の ごった煮感覚に近いのかも。
 気楽に見られる こういうバラエティー回の方が、好きだなあ。


2009年1月14日 水曜日

『VIPER'S CREED-ヴァイパーズ・クリード-』02.「新兵-unknown-」

 傭兵部隊に、新人が配属されてくる。
 理想に燃える初々しい青年、と見せて、父親とは違う形で街を守ると言い続けていた事から、てっきりテロ組織側の潜入工作員かと。
まだその可能性は消えてないけど…多分そこまでヒネらず、純真な兄ちゃんのままなんだろうな。
 「作戦外の行動を勝手に取ったため、死亡する」というぐらいハードな話になるのかと予想もしたけど、コレも外れ。

 しかし、「作戦行動としては終了となり、他の隊員は引き上げる」「そのまま放置すれば街に大損害を出したろう敵を、独自の判断で行動した主人公らが倒す」「だがそれは命令無視であり、賞賛には値せず、出した被害について賠償さえ求められる」物語のパターンが前回と まるで一緒。
 上司らの無能(冷たい職業的判断)を描き、打算的なチームの中、孤独で報われない戦いを繰り広げる主人公らを立てようとする意図は分かるが…

 硬派な物語にしたいのか、と思えば、今回、隊員らが出動する際…『謎の円盤UFO』『コン・バトラーV』等々でお馴染み、ダストシュートのようなモノに人間が飛び込んでメカ発進の場所まで直通する通路、コレがわざわざ隊員の人数分設けられており、所謂「ワンダバ」みたいな絵面を見せられるのに驚くやらコケるやら。
どうせなら通路の途中に自動でコスチュームに着替えさせてくれる仕掛けがあるとか、バイクのシートまで直通なら良いんだけど、そこまで便利ではない…という中途半端さが何とも。
 普通にエレベーターで出動フロアまで移動して構わないし、「経済効率」を一番に考える会社のシステムとして妥当。
スタッフの遊びなのかな。

 前回のラストから引いて、コワい顔していながらコーヒーにやたら砂糖を入れる甘党の主人公が可笑しい。
 全体に、ある程度アニメを見続けてきた視聴者にとって「想定の範囲内」な事しか語っておらず、物足りなさが残る。
踏み込んだ「この作品ならでは」の、早い提示を期待したい所。


2009年1月13日 火曜日

『宇宙をかける少女』02.「異界からの使者」

 とにかくもの凄い勢いで突き進むストーリー。
 物語やイベントを詰め込むためなのか、カットとカットの間が相当に略されている。
それでも話を分かりやすくするには、順当な流れの中から不要と思われる部分を抜いていく事、だろう。
 しかしこのアニメでは、描かなくても分かってもらえる箇所だけでなく、無ければ理解に支障が出てしまう出来事や過程、心の動きさえも大胆に、少々無神経に削っており、何がどうしてこうなったのか、見ていて分かり辛い。

 特にレオパルドと仲良くなったりはしていないと思うのに、何故その必要なパーツを取りに行ったのか。
嫌がる様子もなく、犯罪だと知りつつ楽しげに施設へと盗みに入るヒロインの心情は、理解が難しい。
 「ノリで考え無しの行動を取ってしまうキャラクターだ」という事かも知れないが、それなら見合いも、生徒会に問い詰められた時も(警察でもない相手に秘密を守る理由がない)、「ノリ」で応えて良いはず。
大概はマトモなリアクションを取りながら、こんな所だけ暴走する女の子です、と言われても、納得しづらい。
 レオパルドの世話を焼く謎の少女には、生徒会室で助けてもらった恩義があるようだから、その流れで?
邪魔な友達を気絶?させられた怨みも、同時にあるはずだけど。

 振り落とされそうな物語のスピード感は、確かに独自の「味」なのだと思う。
ただ…実際に振り落とす視聴者を多く出してしまっては、拙い。
 陽気なメイドナビ・イモちゃんは可愛いし、レオパルドの歪んだキャラクターも面白いのに。
 まだ「何が、どのようにして面白くなっていく作品なのか。どこに注目していれば良いのか(今回は、中心になるかと思われたレオパルドの登場シーンも酷く少ない)」の提示さえハッキリ出来ていないのは、辛い所。



『機動戦士ガンダム00 2nd season』14.「歌が聞こえる」

 今回は、治療タンク?で目覚めた おやっさんが、歩いて部屋を出てみると目の前に穏やかな山岳風景が広がっており、振り返ればボロボロになって着陸したトレミーが…というシーンで叫んだ「なんじゃこりゃあぁぁぁ」に大笑い。
 最初、この人はソレスタルビーイング所属の地上医療施設に移されてたんだっけ?と思ったけど、そんな余裕がなかったのか、船に積みっぱなしだったのね。
前回の作戦が失敗していたら、眠らされたまま気が付いたら死んでいた、という事態も有り得た訳で、戦う者の宿命とはいえシンドイ話だなあ。

 刹那の心に希望とトラウマと…とにかく巨大な影響を与えた、幼い頃に見たガンダムのパイロットは、リボンズ。
そういえば、アレには誰が乗っていたのか、という疑問を ここしばらく忘れていたが、彼だというなら納得。
 幼少時の刹那は見逃した、という事は逆に、他の目撃者(まだ生存者が居たなら)を全て抹殺したという事にもなるのか。
 ソレスタルビーイングに刹那を加えさせたのもリボンズの差し金、だったら、他のもっと様々な事にも彼が関与している可能性が。
イオリア・シュヘンベルグの計画、とされるものも、どこまで本当に彼自身の意志が残っているのか分からないなあ。

 自作の歌を子供達と合唱する、お姫様。
戦うつもりが無かった沙慈らが否応なく巻き込まれていくのに対し、祖国奪還のため・子供達のためと いくらでも大義名分を得られる立場にありながら、あくまで他者を害する行動に手を染めない姫様の強さ?頑なさ?は、凄い。
 平和を祈る歌…だったのだろうが、それが救ったのは狂戦士・アリーの命。
ここで片付けておいた方が後々の面倒はなかったと思うんだけど、いずれ「生かしておいて良かった」と思わせてくれる展開が待っているのかな?単に皮肉な運命の巡り合わせを描いただけか。
 この歌に刹那の殺意を止める働きがあるとすると、今後、彼が(トランザム状態が)暴走を始めた時に、戒める役割を果たしたりして。
『西遊記』孫悟空に対する緊箍呪みたいな。
 いや、広く戦闘意欲を失わせるパワーがあるなら、『マクロス』みたいに歌唱兵器という手もアリかな。
ニュータイプ共振的トランザム時空展開中に、相手の脳へ直接 歌を叩き込むとか。


2009年1月12日 月曜日

『RIDEBACK-ライドバック-』01.「深紅の鉄馬」

 原作未読。
 前知識無しで見始めたので、最初は「バレエにかける少女のドラマ」なのかと思ってしまう。
それぐらい、舞台で見せる演技の描写を頑張っていたから。
 オープニングで、バイクに乗って疾走するヒロインの姿を見せ、そのバイクが少しずつ変形して人間型に変わっていく…ここでようやく「ああ、ロボット物なんだ」と理解。

 第一話の主題は、ロボット物としては当然ながら、ヒロインとロボットの出会い。
 冒頭のバレエシーンは余談か…と思わせて、思うまま体感的に操縦できるロボットの乗心地を踊るような動作とスピード感で表し、「戦いの中で身を守るためやむを得ずロボットに乗り込む」という よくあるパターンにせず、「ロボットを自分の体の一部のように扱い、足に怪我を負う以前のように行動できる」事がもたらしたヒロインの鬱屈した心情からの開放を、カタルシスであり感動として見る者に伝える、珍しく、巧い構成。

 バイクのようなロボット操作感の表し方が、楽しい。
搭乗型ロボットの元祖であろうマジンガーZは、オートバイのハンドル操作に似た操縦法として設定されている。
バイク変形ロボ、という事では、『メガゾーン23』『モスピーダ』の流れに連なるものか。
 世界情勢が不穏な様子なので、いずれヒロインは戦う事になるのかも知れないが…
機械が好きそうなバイクロボ部活の人間とか(『ああっ女神さまっ』辺りに出て来そう)、誰も死なない・殺さない第一話の作り方がとても心地良く、このまま「変なメカが日常的に側にある青春物」として物語ってくれても良いような。

 面白い。
期待を込め、視聴継続。



『鋼殻のレギオス』01.「意識を持つ都市」

 面倒な世界観や現状の説明を飛ばし、まずバトルから見せて視聴者の興味を掴もう、という考え方は正しいと思う。
 突然にポンと光景が変わるのも、何が起きてる?と感じさせて画面に集中させるのには有効…かも知れない。
 しかし、学園内に画面が移り、レギュラーとなる…のだろう多数のキャラクター達がドドッと出され始めると、もしかして余り上手くない構成なのか、という疑問が。

 女性キャラだけでも数人が登場したけれど、印象に残ったのは、低血圧タイプで通常なら無口なはずが大声で悪態をつく意外な姿を見せた少女、ぐらいで。
 余り多人数を一気に出しても、憶えてもらえないどころかゴチャゴチャした雰囲気になってしまい、効率的とは言えず。
 第一話は、対モンスターバトルと学園生活、どちらかだけに絞ってしまっても良かったろう。
この二つの状況の関係が次第に分かってくる構成自体も、視聴者に少々の理解力を要求するものであり、これをそのまま活かすなら余計に内容の絞り込みが必要だったかと。

 過剰なサービスは、迷惑と変わらない。
 見終えて頭の中で整理してみれば、別に難しい内容でもなく、理解は容易なんだけど、「そうしてでも付いて行きたい」と思わせる第一話にするのが最優先な訳で。
 そのためには、何が、どういう風に面白くなっていく作品なのか、という方向性の強力な提示が最も有効。

 つまらないとは思わないので、しばらく見続けてみようかな。


2009年1月11日 日曜日

『獣の奏者 エリン』01.「緑の目のエリン」

 原作未読。
 見ていたら、通りがかったヨメが「エリン」をどう聞き違えたのか「ペリーヌ?」と言うので、ペリーヌ物語のドコに こんなでっかいトカゲの出てくる余地があったんじゃあ!とか突っ込みながら鑑賞。

 NHKらしい、「世界名作劇場」っぽくもある、地味〜な第一話。
 闘蛇、という架空の生き物が存在する世界の様子について、かなり詳しく設定してあるようで、その世話を行ってきた村、村の中で異分子として見られつつも闘蛇の面倒を見る事については長けている異邦人の母、まだ幼いながら母の血を引き飼育へのカンのような物を持つヒロイン・エリン、といった物語に必要な要素を、手際よく、分かりやすく描いてあるのは見事。
 行方不明になった闘蛇の子供を捜し出す事で、存在感を主張し、将来への可能性を見せるエリン…という見せ方は、基本的ではあるが、物語の始まりとして受け入れやすい。
ただ、そんな大事な闘蛇なのに各所に見張りを置いたりしてないのか?とか、居なくなったと思ったらまず最初に檻の中を徹底して捜索するものじゃないの?といった疑問もあるけれど。

 闘蛇が、生活に役立つ家畜ではなく戦いに使われる「兵器」である事、世界が不穏な状況にあるらしい事から、少女の成長は かなり過酷なモノになりそうな予感。
パターンとしては、まず母親との別離が待っていそうだけど、どうなんだろ。
 冒頭ナレーションで語られる伝承が、独自の用語を交えていて、理解どころか聞き取る事も危ういものであるのは、効果がない上に不親切。
こういうの、もう止めれば良いと思うのに…

 強く心を掴まれた、というような第一話ではないけれど、真面目に手を抜かず作られている事は分かり、切る理由が無いので、しばらく視聴を継続したい。



『鉄腕バーディー02 DECODE』01.「After All」

 三ヶ月の休止期間を経て、始まる第二部。
 さすがにまだ前期の内容は記憶に新しいが、復習的に軽く おさらいをしてくれるのは、親切で結構。
 前期最終回で終わりならともかく、こうして続いてみると、クライマックスでの街の破壊や人死には、相当に悲惨なものであった事が分かる。
それをレギュラーキャラが余り深刻に受け止めていないのは、重くなりすぎないギリギリのバランスかな。

 バーディーは、まだ しおんであり続けていた。
歌のCDを出したりドラマCDで展開したり、という商業面のメリットは考えられようけど、アニメ版では「余計」と言っても良い設定。
 今期は使いこなす事が出来るのかどうか。

 ずらりと、地球に潜入してきた悪党共が紹介され、今後の激しいバトルを予感させる第一話。
 幼馴染みと地球で再会する、バーディー。
前期が つとむの恋の話だったから、今期はバーディーの心情的ドラマが中心に据えられるのかな。
どうも敵側に回りそうなキャラだけど…

 作画は好調。
ほわほわ〜としたエンディング絵が印象的。
 とても面白かった前期の内容に、並び、越える出来になってくれる事を期待し、最後まで見続けたい。



『ドルアーガの塔〜the Sword of URUK〜』01.「ギルガメスの塔」

 半年の期間を置いて、始まった『ドルアーガ』第二部。
劇中でも、前期最終回から半年が経過しているらしい。
 塔の下まで落とされたレギュラーキャラクター達は、邪神を倒したというのに その手柄を王に取られ、褒賞を受ける事もなく、失意の日々を送っていた。
……だったら何もこんな扱いの悪い街に残り続けなくても、と思ったが、ニーバ、カーヤの行方が気掛かりで全てを忘れてゼロからやり直す、という訳にもいかないのか。

 続編シリーズを立ち上げ直すのに、まず凹んだ心境・状況から始めるのは お約束。
キャラクターを元居た位置に戻すだけで浮揚感・高揚感をもたらす事が出来、勢いを付けて新しい物語に入って行かせられるから、だろう。
 この作品なら、「『勇者』として人々からの尊敬を集め、女性にモテ、美味しいモノを食べて怠惰な日々を過ごしていた」というような、逆に大きく恵まれた位置から始めても、「心はいつも満たされず、冒険と、行方不明の二人を求めている」として、旅立たせる事は出来たろうが。

 すっかり仲良く…ラブラブに?…なっているジルとファティナが、意外。
本当に好き合っているのか、失われた大きな心の穴を互いの存在で埋めようとしている段階か。
 まだ全員ではないが手際よく既出キャラの再確認を行い、新キャラを顔見せして、新たな冒険の幕開けを感じさせる第一話。
 前シリーズを越える面白さを期待しつつ、視聴継続。


2009年1月10日 土曜日

『CLANNAD AFTER STORY』13.「卒業」

 以前、この作品について、主人公が学校を卒業し、就職までする、萌えを扱う作品としては珍しくモラトリアム期間を抜けて厳しい実社会に直面するアニメだなあ、と書いたけど…
 「主人公の就職」と「まだ猶予期間にある渚」の間に当然起こると思っていた問題は、ほぼ発生せず、拍子抜け。
「頑張ったから偉い」というような評価がまるで成されない仕事の現実、渚のためと思い懸命に働く事で彼女との時間が取れなくなっていく辛さ、それを理解しようと務めながらも一人きりの学生生活と合わせて孤独が募り 距離が開き始める渚の心……そういうモノが描かれるかと予想していたので。

 実際は、職場は驚くぐらい理解のある優しい人ばかりで、割にすぐ仕事に慣れた主人公は さしてシンドイ目に遭う事もなく。
渚との時間はそれなりに取れているし、互いに思い合う2人の間には隙間が出来る事などない。
 主人公が辛い目を見るのは、社会との軋轢ではなく、「逃げ続けていた家庭内の問題」を原因とする事件。
 仕事を持たせ社会人にしたのは、「結婚しよう」という主人公のセリフに幾ばくかの重みを加えるため?

 父親が犯罪者となっても変わらず接してくれる上司・先輩達と、継続できる仕事。
結婚の承認を賭けて行われる野球勝負。
 それがこの作品の持ち味であり、心地良さでもあるけれど、起こるイベントは「モラトリアム期間の夢」といった所で、厳しい現実とは無縁。
 これでは、主人公を卒業させた意味があるのかなあ、と思っていたけれど…

 高校の校門で渚を待つ仲間達が、当然のように制服を着用しており、渚はもちろん主人公も制服を着たのを見て、納得。
 まだ「卒業」なんて、していなかったのか。
 ただ学校へ行かず働いて対価を得ているだけであって、渚が卒業するまで学生時代は決して終わらないし、終われない。
 今回で、ようやくモラトリアムが終わり、社会に直面できる(しなければならない)ようになるのかな。
 …まあ、次回以降も作品内の空気が激変する事は、無いんだろうけど。

 仲間内だけの卒業式で、立派な挨拶を行う渚に、ホロリ。
 顔をぬかるみに擦り付け、泥だらけにしてまで渚との結婚を許してもらおうとする岡崎も、漢だなあ。
 渚父は、結局自ら折れて「打たせてやった」んじゃなかろうか。
実力差はそうそう簡単に埋まるはずがなく、父が試したのは「娘のために必死になれる根性があるか」であり、娘の幸せだけを願う親としては、主人公が実力で打てるようになる未来まで結婚を延ばし「不幸」にしてしまうのは本意でなかろうから。


2009年1月9日 金曜日

『黒神 The Animation』01.「三位一在」

 原作未読。
 これはまた、驚くぐらい高いクオリティーで作られた第一話。
 前知識ゼロの状態から見始めたので、人生に飽いているかのような主人公は何を考えているのか、世話を焼いてくれているドジな女性との関係は、連日異常な数の死者が出ているが それに慣れてしまっているようで人々は特に騒ぐ様子もなく 破損した車がそのまま路面に放置されている異様な街中の光景はナニユエ?主人公が必死で追いかける列車の女性は、謎の少女とその襲撃者はナニモノか…
疑問と興味を持たせる作り方が上手く、しかもそのかなりな割合について「現時点での回答(決定した正解とは限らないが)」を示す手際の良さには、驚き。

 未完成なまま放置された(意図的に寸断された?)海へ向かう道路。
海上で二方向へ分かれ、その一方はすぐ道が途切れてしまっている、この背景画は、ドッペルゲンガー(ライナー)に出会うと片一方は死んでしまうというシステムを表すものか。
夕暮れ、そこに灯がともっていく様子は、ファンタジックで美しい。
 「海辺に立ち殺気を込めバットを振り続けるレインコートの大男」といった不穏なイメージを提示し、「事件」を予感させて先を見させていく作り方も、実に上手い。

 第一話とはいえ作画も素晴らしく、少女とレインコート男の体重を乗せた格闘戦には、見入ってしまう。
実に美味しそうにラーメンを食べる少女とイヌの作画も、楽しい。

 日常側で主人公を想う立場になりそうな同級生少女、主人公を慕う お隣の幼女が、ポンポンと片付けられてしまうのには、さすがに愕然。
死と常に隣接する、ダークなストーリーが展開されていくのか。
 幼女の、呆気なく悲惨な死に様が凄すぎる。
真横から車が突っ込んできて、次の瞬間、犠牲者の姿が消えている…という見せ方は、映画『ファイナル・デスティネーション』以来?

 何しろツカミが強力で、次回も見ずには置けない。
 単純なバトルではなく、「謎」を巡る話になっていくのかと思うが、まだ原作は完結しておらず、どこまでこのアニメで明かされるんだろう…
 期待を込め、視聴継続。



 今更ながら、市川治さんのご冥福をお祈り致します。

 シャーキン、ガルーダ、ハイネル、リヒテルら、強く、誇り高く、美しい悪役の声をやらせたら、この方の右に出る者は居ませんでした。
怜悧で理知的な声は、忘れられません。
 『マクロス』ボドルザーや『第08MS小隊』ノリスら、無骨な武人の声も見事にこなされていたという事を、見ていたのに全然気が付かず、調べて初めて知り、その幅の広さにただ驚くばかりです。
 素晴らしい演技を、ありがとうございました。



『明日のよいち』01.「サムライ来る!」

 原作未読。
 剣術一筋のサムライ的主人公が、山奥から都会に出て来て、下宿する事になる一家と初顔合わせしていく。
 うーん…過不足なく、しっかり出来ている第一話だったと思うけど、何というか「こういうパターンの第一話、基本タイプ」といった作り方で、強く印象に残るオリジナリティーが無い。
題材その物は、そんなに珍しくない訳で。
 ラインとしてはこのまま。
ここに何を足して何を引けば「この作品ならではの魅力」を醸し出す事が出来るのか……まだこの内容では「作家・編集者共に頭を絞って行く、堅実な叩き台」という段階。

 サムライ主人公に、もっと強烈な個性が欲しかった所。
アリガチながら すぐ切腹しようとするとか武士道をヒドく狭義に捉えている訳でもないし、女性への接し方も「生まれてこの方 縁がなくぎこちない」という程でもなく、巨乳には興味があるみたいで、ごく普通の男の子。
 四姉妹も、更衣室に飛び込まれた(ここはサービスだけでなくドラマ的必要からも下着姿にするモノでは…)次女ぐらい、もっと激烈に主人公を嫌っても良いかと。
それはまだ次回以降で?

 取りあえず、四姉妹やクラスメートを交えてのラブコメが、この作品の見所になるのかな。
いずれ、主人公の剣術を活かしたバトル展開もアリか。
 アニメになるだけ人気を博した原作なのだし、キャラの魅力が出て来て、物語が転がり始めれば面白くなっていくのだろうとは思いつつ、どうにもこう、視聴継続の意欲が低め。
 三話ぐらいまで見ての判断で。


2009年1月8日 木曜日

『鉄腕アトム』01.「アトム誕生」02.「アトム対アトラス」03.「ロボットサーカス」

 1980年に放送開始された、アニメ版『アトム』第二弾。
 当時、リアルタイムで見ていたが、余り感心した覚えが無く、2003年版『ASTRO BOY 鉄腕アトム』の方が遙かに良い出来だと思いつつ、MXテレビでの放送が始まったので30年近く間を開けての鑑賞。

 いや、今見ると結構面白いなあ。
 天馬博士の亡き息子代わりとして生まれ、ロボットである悲劇によって博士から離され、お茶の水博士に助けられるまでを この三話で描いている。
これが非常に丁寧であり、原作では、短く切り詰めるため「癇癪を起こしてアトムを捨てた」ようにも見えてしまう天馬博士(マッドサイエンティストだし、それはそれで良いんだけど)が、最初から きちんと「苦悩する人間」に感じられるのが、素晴らしい。

 このアニメでの天馬博士は、とにかく「親」である事に向かない人物として描かれる。
 息子への強い愛情を持ちながらも、自分の仕事を優先してしまう所があり、対外的なメンツを重視し、幼い(外見は亡き息子と同じでも、実際はまだ生まれたばかり)アトムの失敗を容認し続ける事が出来ない。
 アトムに対し怒りを爆発させてしまう自分の態度を、博士はすぐ反省し、詫びるのだが、またアトムが失敗すると どうしても怒りを堪えきれず。
 親に向かない…というか、天馬博士は1人だけで両親の役割を果たす事が出来ないだけで、父親の怒りから我が子を守る「母親」役さえ居れば、このままでも「家族」として問題なかったろう。
 とにかく、どこにも悪意が存在しないだけに、その悲劇性は深まっている。

 最終的に、アトムとの別離が、博士自身の意志に寄る放逐ではなく、「サーカス団長の犯罪的ロボット攫い」だったのは、子供向け作品として妥当だとは思いつつも残念。
 酷く辛くなりそうではあるが、博士の内面を、もっとギリギリまで追い詰めて欲しかった。

 このアニメオリジナルの要素である、アトムと相似形でありながら「オメガ因子」を持ち、人間に反抗し、殺す事さえ出来るロボット・アトラスのドラマも、シリアスでなかなか。
 極悪なスカンクに酷い扱いをされながら、彼を「オヤジ」と呼び、何とか役に立って認めてもらおうとするアトラスのケナゲさが泣ける。
 メイドロボット・リビアンにより感情的に救われながら、彼女の死により陥る絶望と、湧き上がる復讐心。
お茶の水博士と出会う事によって陽の当たる場所に出て行くアトムとは、対照的。

 重いドラマに見所はあるが…時代なのか、所々いい加減な描写が目立つ。
 第一話で作業車が暴走を始める切っ掛けは、「スイッチをカチャカチャやってたら簡単にコンピューターが壊れた」というものだし、第二話で船を沈めようというスカンクの計画にしても、氷山を使うような回りくどい事をせずアトラスに直接船体に穴を開けさせれば簡単なはず。
 第三話、アトムがサーカスを抜ける方法も…うーん、まあ力ずくで契約書を破り捨てたりするよりはアイディアだけども…

 二話まで、脚本を手塚 治虫先生自身が手掛けており(その後も数本担当)、一話はコンテと作画にさえ参加。
アトムを新しい形で甦らせたい、という、先生の熱意の表れだろうか。
 ハリウッドCG映画版も近く公開になる事だし、記憶に薄いこのアニメシリーズ、しばらく見続けてみようかな。



『屍姫 玄』01.「光の道筋」

 アレ?何で番組欄でこのタイトルに「新」って付いてるの?
と思うぐらい、タイトルが微妙な変化なら、内容はもっと微妙な変わり方。
オープニングも同じだし…
 一応は、新キャラが登場した事と、これまでのように散発的でなく敵集団との戦いが激化していくのだろう事、何より、眞姫那の契約僧となった旺里が、戦いの渦に大きく巻き込まれ、自ら立ち向かっても行く所が前シーズンとの違い…なのかな。

 バカな新キャラは面白いと思うし、女の子達も可愛くは感じるんだけど、ダークな世界観で起こるシンドイ事件の連続に、ちょっと疲れ目。
バトルの描き方に工夫や意外性が弱く、爽快感に欠けているのも辛い所。
 といっても、「それこそこの作品の魅力だろ」と思う視聴者は多かろうし、内容に乗っている時は自分もそう考えていたので、見ているこちら側の気の持ちようかな。
 事態に流されるままで影の薄かった旺里が、眞姫那と正面から向き合い、互いに影響し合いながら成長していく…のだろう、その辺りを見所に、もうしばらく視聴継続。



『VIPER'S CREED-ヴァイパーズ・クリード-』01.「独眼-cyclops-」

 海面が上昇し、世界の多くが水没した終戦後の未来を舞台とする、ロボット・バトルアクション。
 冒頭の世界観ナレーションは要らなかったかな。
そのぐらいの事、本編中でもキャラの口を借りて語らせているのだし。
 開幕後しばらくは主人公が誰かも分からず、オペレーター女性が最近着任した様子を唐突に回想として挟んであったりして、親切な作りとは言い難い。
主人公…中心になって活躍する男にしても、独眼で顔に傷を持っており、『攻殻機動隊』のサイトーを若くしたような容姿で、普通ならサブキャラ扱いだろう。

 変形バイクチームのメンバーとそのオペレーター女性達は、それぞれ自分勝手な性格をしており、チームワークらしさが無くて馴染み辛い。
 主人公・サイキが異常な情熱をもってロボット兵器を追いかけるのも、兵器の危険性と守るべき街の様子が(第一話だから仕方ないとはいえ)見えてこない事で、実感的にならない。
 「硬派」は良いんだけど、視聴者を突き放す作り方は、ちょっと拙い。

 それでも後半、サイキだけがロボ兵器を単身 追いかけるシチュエイションに入っていくと、かなり分かりやすくなってくる。
 要するにこれは『ボトムズ』な訳ね。
大戦後の世界、心に傷を持ち恐るべき戦闘力を備えた無口な主人公、独善的な登場人物達…
 『ボトムズ』放送中に考えたロボット物の設定で、自分も「路面からエネルギー供給を受けて稼働するロボット」はどうだろうかと思っていたなあ。
 戦績により報酬が決まり、リスクは自分持ち、しかしどれだけ損害が出ようと自分の責任範囲でないなら我関せず、という辺りは『エリア88』だろうか。
こんなシステムで、厳密な作戦や役割分担もないままチームに行動させて、これまでよく敵ロボを食い止められていたモンだ。

 CGで描かれるバトルシーンには それなりの迫力があり、キャラクターの作画も悪くない。
 専属オペレーター・サクラコの目を通し描かれる、主人公・サイキの強さと脆さと魅力、その辺りが作品の価値を決定付けそう。
ダラダラ話を重ねていくようだと、厳しい。
 取りあえず、もうしばらく見てみよう。


2009年1月7日 水曜日

『まりあ†ほりっく』01.「戯れの接吻」

 原作は、単行本2巻ぐらいまで既読。
「百合」ジャンルに対するパロディー、というか「悪意」すら感じる設定やキャラクターの描き方が面白く、何があろうと挫けないヒロインの逞しさを楽しませて頂いた。

 アニメ、監督・新房昭之が意外なような納得のような。
 筋だけを抜き出してみると割合フツーな原作を面白くしているのは、原作者の個性であり、「歪んだ」(もちろん誉め言葉)世界の見方。
なので、フツーの制作者が まっとうにアニメ化してしまうと、原作の長所やら「毒」が薄れてしまい、凡庸な作品に成り下がってしまう恐れがある。
 原作者と感性を共有できるかどうかは分からないけれど、個性的である事は間違いない新房監督に手掛けてもらえれば、最悪「新たな魅力」を付加した作品には出来るだろう。

 第一話を見る限り、原作の優れた所を強調して伸ばし、不要な所は切り詰めてテンポ良く展開する事に成功しており、これなら原作ファンでも納得できる内容ではあるまいか。
 時々入る、ちょっとアートな感じの一枚絵や背景画は、浮世離れした女学園の雰囲気と、鞠也の耽美なキャラクターを強調するのに貢献している。
 図太く強烈なヒロイン・かなこの変態的リアクションが愉快で、鞠也は悪辣で美しく描けており、誰にでも容赦なく毒舌を吐きかける超越メイド・茉莉花には笑ってしまう。

 面白くなりそうだなあ。
 先行きを楽しみに、最後まで見続けたい。



『はじめの一歩 New Challenger』01.「新たなる一歩」

 第一期テレビシリーズ、スペシャルを経て(OVAもあったらしいけど未見)、新規シリーズの開幕。
 原作は、不勉強な事に このあたりから読み始めたような記憶。
大変面白い、燃えるボクシング作品であり、アニメも非常に良くできていたので、シリーズの再開は嬉しい。

 これまでと監督が替わっているのは、少々の不安要素。
そのためか、第一話のノリに僅かな違和感。
 作画も、高品質ながら微妙に不安定な部分が…
 まあ、これだけ高いレベルで頑張って作られている作品にケチ付けるのは、贅沢に過ぎる訳だけど。
 スタッフが乗ってきて、これまでに増して迫力のある試合シーンが展開されるのを楽しみに。
最後まで視聴継続。



『続 夏目友人帳』01.「奪われた友人帳」

 三ヶ月の間を置いて、始まった第二期。
 この作品の魅力である「危険と隣り合わせでありながら ほのぼのした妖怪との交流」そして「夏目とニャンコ先生の微妙な友情」が描かれ、新規第一話としては妥当なスタート。
 女性?キャラが艶っぽく、ちょっとした動作に色気があったりして、休止期間を挟んだだけある作画の良さは嬉しい。

 原作アリだし、休止期間は僅かだという事もあり、ここから新たに見始めた人は少ないかと思うけれど…
 ヌシと人間男性との交流、封印されるに至った経緯などが大きく略されているため、ちょっと分かり辛く、感動に繋がり辛い。
確かに、「もう何度も見せたパターンでしょ」とは思うが。
 まあ、「第一話」というより「第十四話(前期十三話に続く)」と取るべきもので、ウダウダ言う事じゃないか。

 頻繁に感想を書くかどうかは分からないけど、前期と同じく、最後まで見続けたい。


2009年1月6日 火曜日

『宇宙をかける少女』01.「孤高の魂」

 「SF漫画」というものが、特に新人漫画家の持ち込む題材として編集者から非常に嫌われた時代があって、それは「現実に存在しない独特の設定について解説すべく延々説明ゼリフが入り読者をウンザリさせてしまうばかりで物語が進まない」か「説明も無しにSF的設定をポンポンと登場させ物語を強引に進めてしまい読者を置いて行ってしまう」の どちらかに陥る事が多かったから、だと思う。
 適度に世界観や設定についての説明を入れつつ、キャラクターを強力に提示して、一応はドラマらしいモノも見せる…というのは、相当に難しい事。

 特に、この作品のような、原作無し、ほとんどの視聴者が知識ゼロの状態で見始める場合、第一話で何をどこまで理解してもらい、どのポイントを「面白い」と思わせて次回への期待を繋がせるか、という絞り込みが かなり厳密に必要。
 新しかったり独自だったりの「何か」が無いなら「SF」の形を取る意味が無く、しかしそういう事物はポンと放り出しただけでは見る者を???という状態に追い込みがちで…それはもう余り力が無いか面倒くさがりの編集者であれば「この漫画やめて別のネタで描かない?」と言いたくなるぐらい困難。

 冒頭、家の都合でムリヤリ見合い・結婚させられそうになるヒロイン、という分かりやすい事件の取っ掛かりを見せたのだから、それから逃げ回る、あるいは強制的に結婚相手と対面させられる、といった辺りを主題に、主要キャラクターや最低限の設定を見せていくのがフツーの作り方。
 実際は、途中で結婚云々とは関係のない事態が発生し、ウヤムヤになってしまう。
 せめて、「第一話で偶然出会った男の子が、その結婚相手」とか「結婚をあくまで拒否すべく、本気で好きになる相手と出会う」ぐらいの事を起こせば、まとまりは良くなったろうに…
 いや、コロニーの人工知能・レオパルドとヒロインがボーイミーツガールした、って事で、ここから変形ラブコメを繰り広げるのかな?
そういえば、シリーズ構成の花田 十輝は、『アイドルマスター XENOGLOSSIA』も手掛けている。

 クライマックス。
突然 小型艇キューティーアームズに乗せられ、何故かコロニー外にある巨大な「ハイテンション・レバー」なるものを入れるよう求められるヒロイン。
彼女に脱出を促す いつきだが、「このまま地球に落とす訳にいかないでしょ、お願い」というだけのヒロインのセリフで事態を全て納得し、自分と同じ動作を取るよう指示して共にレバーを倒し、危うく地球への「コロニー落とし」を回避する。
 ここだけで……
ハイテンション・レバーって何?この世界ではコロニーや機械装置には常備されており説明の必要はないもの?それにより危機一髪の事態を回避できる可能性があると いつきは納得できたの?何で あんなにデカく作った?
というような疑問が。
 細かい事については追々説明を加えていくとしても、「ハイテンション・レバー」ぐらいは ここまでの劇中で一般的な機能を見せておくべきだったかと。
妹から逃げるべく、ヒロインが車のレバーを入れて猛加速するとか。

 元気なヒロインと、相方のイモ、扱いづらいレオパルドによるテンポの良い会話は、楽しかった。
 新しかったり一工夫加えてあったりして、「これは見た事無いなあ」と思わせるビジュアルの提示は素晴らしい。
作画レベルが高く、女の子が可愛いのも好印象。
 この感想を書くために再度本編を見返してみると、そんなに分かりづらい事はない…と思えてくる。
初見で難しく感じるのは、詰め込み過ぎによる弊害かな。

 第一話で???だった部分に順次フォローが入り、尻上がりに面白くなってくれる事を願い、視聴継続。



『帰ってきたウルトラマン』29.「次郎くん怪獣に乗る」

 MXテレビで放送中。
『帰ってきた』は、リアルタイムで見た最初のウルトラシリーズだという事もあり、印象深い作品だが、今週放送されたこのエピソードも忘れられない一本。
 宇宙ステーションを貝殻に見立て、ヤドカリ状の怪獣がその中に潜り込み、地表に落ちてくるというアイディア。
それと、クラスメートの女の子が大事にしていた寄木細工の箱を無くしてしまった次郎少年のドラマが絡んで、物語は展開されていく。

 サブタイトル通り、怪獣に くっ付いた宇宙ステーションから出られなくなってしまった次郎が、その中で死の不安に怯えながら寄木細工の仕掛けを開けていく所や、その中に入っていた秘密のモノのイメージが独特。
 「あんなもの」大事にとって置いてどうするんだろ?と子供の頃見た時は思ったものだけど、今になると、味わい深かったり。
そういえば、次郎には母親が居ないんだよね。

 多分、そんなに深いテーマ性を持って作られた話じゃないと思うけど、読み取るなら、「考え無しの行動でも(だからこそ)、責任はついて回る」という事だろうか。
 次郎は、ふと興味を引かれて持って帰ってしまった寄木細工を、行方不明にする事から派生した事件で、命の危機に見舞われる。
 郷は、その寄木細工を開けるのに熱中する余り、隊長から何度も叱責され、大きな危険を冒して次郎救助に向かわねばならなくなる。
 また、怪獣ヤドカリンも、ふと目に付いた宇宙ステーションに潜り込んでしまったが故、特に危険ではないし人類への害意も持たない怪獣だというのに、割と悲惨な殺され方をしてしまう。
 話が逸れるけど、ヤドカリン、ちょっと可哀想だったなあ、宇宙に帰してやるだけでも良かったんじゃなかろうか。
『帰ってきた』の世界では、「怪獣=危険」という常識が浸透しているためか、行動や特性を見極めるより先に、「とりあえず怪獣は殺す」と決まっている様子。
まあ、それが現実的な対応だとは思いつつ。

 次郎が寄木細工を開けていく事で怪獣を倒すヒントを得る(ステーションから怪獣を追い出す、という思いつきも、関係しているといえば言えるけど)、中から出てきたモノがドラマを締めるのに有効なアイテムである、とかすると、もっとキレイに まとまった話だけれど、寄木細工自体はマクガフィンでも構わないぐらい劇中で有用に使われているし、「必ずしも全体が一つに融け合っていない」所が この話を自分が特別に憶えるに到った要因でもあるので、難しい所。
というか、こんな昔の話に今更どうこう言われても。
 寄木細工の持ち主である少女は、結構 可愛い子だったように憶えていたけれど、今見ると……
ここは、美化した記憶のままで良かったかなあ。


2009年1月5日 月曜日

『みなみけ〜おかえり〜』01.「年の初めの」

 人気作品の、第三期?放送が開始された。
 キャラクターデザインは、『おかわり』と同じ。
他スタッフも同じ…かと思ったが、監督・シリーズ構成は変わっている。

 オリジナルのキャラクターを加えるような事をせず、ノンビリまったり「変」な空気がよく醸し出されていて、ごくまっとうに楽しい。
「カップ焼きそば現象」には、なるほどと思ったり、暴走を始める現象の定義に そりゃ違うだろと笑ったり。
 アバンやエンディングの後が やたら長いのは、今回限りの変形パターンか、これが定型になるのか。
アバン・CM前・CM後・エンディング後、という事で、本編を四分割するのなら、基本四話構成だった『今日の5の2』と似た形式。

 第一話から、作画が酷く不安定だったのは残念。
『今日の5の2』が、ずっと高いレベルを保ち続けていたので、余計 崩れが目に付いてしまう。
寝起きの夏奈の動きなど、素晴らしく上手い部分もあったのだけれど。
 予告を見ると、次回は良くなっているようだから、今後は安定していってくれるよう期待したい。
キャラクターの可愛らしさがベースとなって、初めて成り立つ作品だからなあ。

 当然ながら、最後まで視聴継続。



『SUBMARINE SUPER99』01.「深海探査艇、消滅!」

 原作は既読…だけど何しろ昔の事なので、記憶はオボロ。
 MXテレビで始まった新番組だが、元はCSで2003年に放送されたシリーズらしい。
 この作品が『99』で、銀河鉄道が『999』、『火聖旅団 ダナサイト999.9』というタイトルのものもあるし、松本 零士先生は「9」を並べるのが好きなんだなあ。

 作画には崩れも目立つけど、まあ普通。
 拙いのが脚本や演出で、非常にモタモタした物語に見えてしまう。
 延々と(短く切り詰めるならともかく) あからさまな死亡フラグを立て続ける主人公の兄と父親に、苦笑。
 主人公達の船に忍び込もうとした敵スパイ2人が、海面からデッキ上まで勢いよく飛び上がるのは、超人的パワーを感じさせたいのだろうと思う事にしても、その派手な水音で主人公兄に潜入を気付かれてしまい、ライフルで撃たれて何もしないまま逃亡、という展開は、「アホ」としか。
ここいらでもう、真面目に鑑賞する気力を失ってしまう。
 視聴終了。



『機動戦士ガンダム00〜たまたま見忘れた人たちに捧ぐ〜』

 今週は通常放送が お休みで、タレントを呼んでのトークを交えた総集編的な特番。
 土田がホンモノのガンダム好きだという事もあり、出演者全員が番組のファンかどうかは疑問ながら、それはそれなりに見られる内容になっていた。

 グラハムの珍奇な言動を並べて見せてくれたので、何となく前シーズンではマトモなキャラクターだったように思い込んでいたけれど、元々変な奴だという事が良く分かった。
なるほど、これなら今の姿とストレートに繋がる…ああ、いや、今期はまだグラハム、出ていないんだっけ?
 誰か突っ込むキャラを横に置いた方がボケは生きる、という芸人らしい指摘に、なるほどと納得。


2009年1月4日 日曜日

『FLAG』01.「フラッグ」

 てっきり新作アニメだと思って見ていたが、調べてみるとバンダイチャンネルでの初放送は2006年6月。
もう三年近くも前に作られた作品なのか。
 原作・総監督が高橋 良輔だというのも知らず、驚く。
 アニメ雑誌を読まなくなったせいか、情報が遅いというか薄いというか、何も知らないなあ自分。

 カメラマンであるヒロインの視点を通し、不穏な情勢下にある小国の事情に斬り込んでいく物語…なのだろう。
 キャラへの影の付け方や動作の演出など、強く実写を意識した作り。
 『ボトムズ』AT大ぐらいのロボットも出しながら、とにかく雰囲気は地味。
 全てのカットが、物語中に登場する「誰か(ほぼヒロイン、たまに男性カメラマン)」のファインダーを通した画面として演出されているのが、大きな特徴。
これでシリーズ最後まで通すんだろうか?
思いつきはしても、実際にそれで作品を作るのはなかなか大変だから、楽をしたいなら敬遠すべき手法。
 この困難な演出法を選んだ事が、いずれ大きな意味を持ってくる…はず。

 政治・軍事の描き方は、地味ながらリアリティーがあり、『ボトムズ』『ガサラキ』の流れにある…というより押井 守作品っぽさを感じてしまう。
 ロボットも、車状態に変形して走行する場面では、「これぐらいならありえそう」と感じられる。
 ただ、設定をきちんと詰めて考えてある事は分かったんだけど、その説明に一話丸ごとを使ってしまい、物語は「ヒロインがこれから危険な地域に入って行きそう」という発端部のみで終わり、次回への引きが弱い。
ヒロインに感情移入させ、彼女の運命に注視させる…ような作りでもないし。

 必要な情報は提示されており、分かり辛い所も無いが、題材的に、視聴者を選ぶアニメになりそう。
 シリーズ構成・野崎 透の作品とは肌が合わない事が多く(『ガサラキ』は辛かった)、不安もあるけれど、総監督への信頼で視聴継続。



『WHITE ALBUM』01.「そう、あの時はもう、スイッチが入ってたんじゃないかなあ」

 噛み合わない会話が成されたり、キャラクターが次々に説明不足な状態で登場する不親切な作りは、不出来な作品だから、ではなく、意図したものなのだろう。
 第一話は、初登場のキャラクターをいかに分かりやすく描き、印象づけ、視聴者に基本設定を理解してもらって、次回以降に期待を繋がせるか、に制作者は心血を注ぐものだけど、イキナリ数話飛ばして途中から始まったような内容。
「既に皆様お馴染みのキャラ」であれば、このストーリーで問題はなかったろうが。

 特異な、「変」な演出がポンポンと入り、驚かされる。
効果的だったかどうかはともかく、見ている者をハッとさせはしたろう。
 次回への引きが弱いのは、問題。
恋愛が絡むドラマになるのは当然だろうけど、「どういう方向で面白くなる作品なのか」を、もっと強く匂わせて、視聴者の心を掴まなければ、特にこのような親切とは言えない第一話では、続けて見てもらうのが難しい。
 作画が最初から不安定なのも、厳しい所。

 この第一話を見て、「これは面白い!」あるいは「何だコリャこの先はどうなるんだ?」と思った人だけ付き合ってくれれば良い、万人に見てもらう事は、最初から期待して作られていない作品だと思う。
 自分には向かない予感がするので、視聴終了。



『ウルトラギャラクシー 大怪獣バトル NEVER ENDING ODYSSEY』01.「レイオニクスハンター」

 前シリーズは、確かに少々の含みを残して終わったけれど、続編が作られるとは思わなかった。
作品として好評であったのか、元となる商品であるカードゲームが絶賛稼働中であるお陰か。

 前作のストーリーを細かい所は忘れかけているけど、第一話の段階では問題なし。
 最初だけあって、CGには力が入っており、宇宙船整備ドックの様子・脱出アクションなど、かなり頑張っている。
 まだ、心を鷲掴みにされるほど興味を引かれた、とは言い難いが、前作もスロースターターだったので、小出しにされてきた新しい要素の展開に期待しつつ、ゆっくり見続けようか。


2009年1月3日 土曜日

『魍魎の匣』最終13話.「魍魎の匣、あるいは人の事」

 長〜い謎解きゼリフの間をもたせるために、だろうが、現実か回想か妄想か混乱するような演出が成されており、それ自体には確かにハッとさせられる効果があるけれど、ややこしい話を余計ややこしくしているマイナス面もあるような気が。
 ほとんどのキャラを美形にしてしまうセンスに付いていけない部分はありつつ、「耽美」な美意識で全体を統一したのは、一作品としてアリだとも思う。

 崩れない作画と一貫した演出で、雰囲気を最後まで保てたのは良かった。
 お話は…うーん、仕方ないんだけど13話は長く、謎解きをされても最初の方の細かい事はもう忘れていたりして、特に原作未読の視聴者には優しくなかったかも。
まあ、気になるなら原作を読めば良い事だが。

 このクオリティーを維持できるなら、続く原作もアニメ化して欲しい所。
 作品により、キャラクターデザインや監督を変えてみる手も。


 ついでに、実写映画版『魍魎の匣』も衛星で見た。
 原作の骨組みだけを借りた別物で、そう割り切って見れば楽しい部分もあるが…よく喋るアホの関口には、終始違和感。
 中国ロケのお陰か、現代日本では田舎に行ってもなかなか探し出せない風景が映し出される。
それは懐かしいし、見入りもするんだけど、せっかく撮ったからなのか風景がやたら長く画面を埋めている印象があり、その分 詰まってしまったストーリーは端折ったものとなって、面白さを感じ辛い。
 原作未読で見るのなら、この映画版よりアニメ版の方が良いな。


2009年1月2日 金曜日

 映画『WALL・E/ウォーリー』を見る。
 ピクサー社による3DCGアニメーション作品。
監督は、『トイ・ストーリー』『ファインディング・ニモ』『レミーのおいしいレストラン』のアンドリュー・スタントン。
 人間が誰も居なくなった地上で、700年もの間ゴミを片付け続けて来たロボット・ウォーリーは、ある日、地表に向けて降下する宇宙船を目にした。その中から現れたのは……

 毎度、この会社の作品を見る度に同じような事を書いている気がして、また繰り返しになりそうだけど…
 とにかく高品質な、良く出来た、考え抜かれた映画。
 何となく撮った、意味のないシーンがただの一つも無いのに、驚く。
実写と違い、カメラを構えただけでは何も撮る事が出来ないCGアニメなのだから、それは当たり前のようにも思うけれど、同条件の他社製CGアニメや日本製手描きアニメでは、「ここは流れで入れただけの意味無しカットだな」と思わせられる場面、少なくないので。
 お前の漫画はどうなんだ?と言われれば、そりゃもう意味どころか必要性さえ疑問なコマが多々。
 ワンシーンずつ、妥協なく考えを煮詰めて煮詰めて、意味や意図や「遊び」を必ず入れる事により「所詮は作り物」と客の気持ちを冷めさせてしまう隙を生じさせず、密度の濃い、吸引力の強い作品を作り上げる。
言うのは簡単だけど、実践するのは塗炭の苦しみ。

 巨大宇宙船内で行われる廊下・チェイスの迫力と多彩なアイディアに、感心。
それは、脱出艇を巡る一連のアクションもそうだし、クライマックスの流れは言うに及ばず。
 しかしこの映画では、何より主演2人…2ロボットの「演技」が素晴らしい。
 セリフに頼らず「動き」で感情を驚くぐらい豊かに伝えるウォーリー。
空いているイスの隣側を手で軽く叩き、「座って」と訴える所など、ユーモラスで可愛らし過ぎ、泣けてしまう。
 卵形だし目はモニター表示だし肘どころか足すらないし、人間とは程遠い造形のEVEなのに、そこらの「美少女キャラ」よりずっと魅力的に見えてくるのが不思議。
もし同様の映画を日本で作るなら、彼女はもっと人間に近いデザインになったろう。
 人間に限らず、動物でも人形でも微生物でも単なる石ころでも、「動かす」事でキャラクターとして見る者に認識させ、魅力をアピールさせられるのがアニメーションの力。

 2人(もう「2人」でいいや)の関係を描くのが、映画のテーマ。
 突然の出会いから、誤解、和解、別離、再会…好意が育つ過程があって、やがて大きな事件により2人は大きく揺さぶられていく事になる。
 両者とも、素直に応援してやりたいキャラに描けており、嵐の運命に翻弄される様にハラハラしながら、ラストでは涙腺を刺激されてしまう。
 生まれも育ちも まるで違う2人が織りなす、互いへの理解と敬意と好意の…簡単に言えば恋の物語。
 エンターテインメントとして、素晴らしく良い出来だと思う。



 と、ここからはネタバレな上、映画自体の評価とは余り関係ない話。
未見の方は御注意を。

 ウォーリーが直ったのは、何故?
基板ごと交換になったのでは?
記憶はHDDに溜めてあり、上手く繋がっていなかった回路がEVEの電気ショックにより開通したため、元に戻ったとか?

 ウォーリーのため任務も捨てる、と表明するEVEに対し、「そんなのダメだよ」と諫めるウォーリー。
…でも、彼自身はEVEの後を追いかけるため、地表を掃除するという任務を捨ててきているし、それを後悔している様子もない。
この矛盾はどう捉えれば良いのか。
 「恋する男ってそんなものじゃない?」と言われれば確かにそうなんだけど。
 前述したように、何となく作った部分など無い作品のため、ここにはどういう意図を込めているのか、受け取り損ねたのかなあと思って。
 EVEの任務は「届ける」所までで終了しており、それをどう扱ってどう判断するかは彼女が与り知らぬ上部機構の業務。
だから、既に「任務を達成するため頑張っている」のではなく、「自分の意志でやり遂げたい事があるから行動していた」と考えると、ウォーリーと動機は変わらず、2人が力を合わせるのにも納得できるが。

 コレは本当に本編と関係ない話。
 巨大宇宙船内の人間達…幸せだったよね?
あんな環境で幸せなのか、人間として生きていると言えるのか、というのは現代人の感覚であり、それなら現代人だって原始人からすると「何が楽しいのか変な箱を一日中見ている、食べ物は妙な交ぜ物したパックを機械で温めて食べるだけ、ちょっと出掛けるにも機械に乗って自分の足を使わない、それで生の充実なんて感じられるのか?お前達も原始時代に戻って狩りをして洞窟で暮らし生を謳歌するべきだ」かも知れないけど、そう言われても困る訳で。
宇宙船内は、人類史上初めて労働から解放され24時間全くの自由が許されていたと思え、文学とか絵画、芸術一般が凄く進化していたかも知れず、そこを出してしまうのが正しいかどうかの判断は誰にも付かない。
 それも、勘違いしている艦長以外、地球に行きたいと考える人間すら居なかったのに。

 とか、ウダウダと考えていて、そういえばEVEはなんでEVEというネーミングなのか、と思っていたら…
そうか、神に与えられた楽園の暮らしから、厳しい外の荒野へと、人間(アダム)を導き出したのがイヴだった。
 善悪ではなく、そこから現代に続く「人類」の歴史が始まったのだ、って事を考え合わせると、意味が上手く取れるなあ。
 だったら、WALL・Eは「Eの壁」…エデンの壁?もしくはEVEを守る壁なのかな。
ゴミをまとめて壁状に積み上げるロボット・E型、という色気のない意味しかないのかも知れないが。

 EVEを乗せた宇宙船が大型船ドック内に着艦した際、アーム固定と共に人工重力が働き始め、体が急に重くなったウォーリーがアームの上に転がり落ちる、というSF的描写をしておきながら、クライマックスでは「宇宙空間で宇宙船が傾いた」から「片側に全てのモノが滑り寄り始める」非科学的な、しかし視覚的に凄く分かりやすい演出を選ぶスタッフなので、ドコを切り取っても筋の通った意味があるはずと思え、だから延々と、主題とは関係ない事を考えてしまう。
 それは、「見応えがあった」という事。



 年末、31日、年越し蕎麦用のエビ天を買いにスーパー内の総菜専門店に行った。
 エビ天は売り場にズラリと並べられていたのだが、他のパック詰め総菜と違って勝手に取る事は出来ず、側に付いている店員二人に必要な本数を言って、袋に詰めてもらい、それをレジに持っていって会計、というシステム。

 自分の前に二人ほど客がおり、店員はそちらに付いていたので、終わるまで横で待つ。
待つうち、新しく二人ほど客が来たが、実に常識的な判断をしてくれて自分の後ろに何となく並ぶような形を取ってくれた。
 先に来ていた客のエビ天詰めが終わり、フリーになった店員がこちらに来たので、「あ、すいません、エビ天を、ええと三本、お願いします」と言ってみたが、ごく自然に無視され、すぐ後ろの客に対し「いらっしゃいませ、何本お入り用でしょうか?」と声を掛けている。
 あれ?声が小さかったのかなあ?と思い、もう一人の店員の手が空いてこちらへ来た際、少し大きめな声で「すいません!あのー!」と言うが、これも無視され、店員は後ろの客に声を掛ける。

 「オレも客だぞこの野郎無視すんのか店長を呼べ店長を!」と思うより早く、
「そうか、もしかして自分は他の人に見えていないのでは」
「コミケだな、実はコミケ会場で倒れて救急車で運ばれ今でも意識不明状態が続き、魂だけが抜け出して無自覚に日常的行動を取ってしまい、ここに来てるんだ。もしかしたら既に死んでいるという最悪の、しかし割と良くあるパターンも有り得る」
「家を出る時、フツーにヨメと会話できた気がするので、会場で一人倒れたのではなく、帰り道の車が事故ってしまい二人して死んだ可能性が。ああ徹夜明けだったからなあ居眠り運転したとか、ヨメには可哀想な事をした」
というような考えが脳裏をよぎる。

 しかし、先に寄った本屋の包みが手にある事からも…いや現実的に考えれば当然ながら、そんなはずはなく。
 籠もった声でボショボショ喋るモノで言葉が相手の耳に届かず、また影が薄いから黙殺されてしまっただけの事。
良かった良かった……良かった?
 現実とフィクションを混同してしまうのは悪い兆候だなあ、などと思いつつ、頑張って買い物する気力を挫かれて、帰宅。
 今年はもうちょっと存在感や中身のある、無視されない人間になりたいと思います、トホホ。


2009年1月1日 木曜日

 年末年始に放送された映画『がんばれ!! タブチくん!!』三部作を見る。
確か公開当時、ウチ二本ぐらいは映画館まで見に行った憶えが。

 原作漫画はエラく面白かったんだけど、アニメ版の方は当時でも ほとんど笑えず。
四コマ漫画ならではの(それにしても破格な)テンポの良さ、すっ飛んだアイディアが上手く演出できていないのが敗因。
 その代わり、主演・西田敏行の声も含めて憎めないタブチのキャラクターを強く押し出し、奥さんの可愛さもあり、例えモデルとなった関係者を知らなくても野球への興味すら薄くても、何となく楽しく気持ち良く見られるよう、仕上げられている。
「ミヨコ、ちょっとソコにお座り」「座ってるじゃないの」というタブチ夫婦の会話は、今でもウチでよく使うネタ。

 出演声優が豪華だったりはするが、画面のクオリティーはテレビアニメ並、といったところで(小林治の個性が色濃く出ている所には見応えアリ)、漫画の大ヒットがあったとはいえ これが三作も続けられる程当たるとは、何というか呑気な時代だったんだなあ。
いや、そう言いながら自分も三部作全部を再見してしまうぐらいには、好きな作品なんだけど。
 『あゝツッパリ人生』で、球場を改造機械化してインチキするオーナーの、コントロールルームにあったモニターの画面は、『未来少年コナン』インダストリアの計器によく似てる、と今更な話。



 2009年、あけましておめでとうございます。

 昨年中は一方ならぬお世話になりました。
 今年も、恐らくは色々とご迷惑をお掛けしつつ、仕事したりウダウダした文章を書いたりして行く事になるかと思われます。
宜しければお見捨てなく、長いお付き合いを願えれば、これに勝る幸いはありません。


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