ときどき日記 2009/03
2009年3月31日 火曜日

『とらドラ!』24.「告白」・最終25話.「とらドラ!」

 竜児母は、苦労を表に出さない大人な女性だと思っていたけれど、息子への気持ちが突っ走って見せる表情は、聞き分けのない子供のよう。
自分の傷から始まっていたとしても、子供のためになる方向へ思い込みが強いのだから、一般的には「良い母親」に違いないが。
 普段から少女みたいな女性だけど、実の両親の前では「親」の側面が完全に消えて、「娘」に戻ってしまう。
こうして見ると、竜児と居る時はまだ「母親」であろうとしていたのが分かる。
 自分達を捨てて出ていった男の子供である竜児が、大河の手をしっかりと握って走っていく後ろ姿を見送れた事は、彼女の育て方が間違っていなかった証明であり、欠けていた心の一部を埋めてくれる出来事ではなかったろうか。
 それもこれも可愛らしく、いいキャラだったなあ。
竜児が独り立ち(結婚して独立)していったら、再婚を考えないでもない…?

 竜児と大河の恋の結末は、見ていて ちょっと照れるぐらいストレートに甘々。
結婚、とかいう話まで暴走するとは思わなかった。
『耳をすませば』を連想してしまったり。
 学生時代の恋愛の脆さは、「自分達は大丈夫」と無邪気に信じられてしまう事の危うさに寄っている。
「でも、この二人なら大丈夫」と信じたい。
 卒業後、二人がどうなっていくのか…というのも見てみたい気が。
『CLANNAD』とは また違う、モラトリアム終了後のドラマになりそうで。

 気持ちを確かめ合った大河は、てっきり竜児の家に転がり込むものかと。
 この作品では、少女達が恋を知る事で、甘えたり弱くなったりするのではなく(弱くなる部分もあるけど)、しっかり顔を上げ、プライドを持って生きていく様が描かれた。
それはとても格好良いもので、見終えても気持ちが良い。
 ただ…これが強すぎると、年月を経て ゆり先生のようになってしまう「危険性」があるため、注意も必要。
竜児母のように成長するなら、まあ個人的にそれはそれで。

 崩れない作画と、高い演出レベルに支えられ、ファンタジーにも安易な「萌え」にもブレず、小さな恋の物語を描ききった力作。
 どのキャラも魅力的であったため、終わってしまうのは寂しい。


2009年3月30日 月曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』最終25話.「再生」

 延々と続く刹那とリボンズの激戦には迫力があった。
 「分かり合えない」役割を振られたアムロが最終的にファーストガンダムそっくりの機体に乗って負けてみたり、やりたかった事は分からないでもないけれど、それを素直に歓迎できるかどうかは別の話。

 心を入れ替えた、あるいは「勘違いするなよ刹那、お前を倒すのはこの私だという事だ!」などと言いつつブシドーことグラハムが最終決戦に乱入してくるかと思ったんだけど、意外に出番無し。
 お姫様、国民に歓迎されつつ国に帰れるような何をした訳でもないような…
まあ、歌が世界的にヒットしたみたいだし、タレント知事が広告塔として有効だったように、彼女をトップに頂いておけば観光収入の増加が見込めるかも知れないか。
政治的には、良くも悪くも「別に何もしない」ので、居ても邪魔にはならず。
 フツーに生きていた上、ちゃっかりと、もしかして劇中で一番の幸せをゲットしてしまうコーラサワーが可笑しい。
もしかしてこの作品は、刹那達ソレスタルビーイングではなく、最初にガンダムに負けた彼が、のうのうとハッピーエンドに辿り着くまでを見せるためにあったのかも知れない。

 結局、イオリア・シュヘンベルグの計画は達成されたのかどうなのか。
どの辺りまで揺らぎやイレギュラーを織り込んで計画されていたのか、が分からないと、何とも。
 世界政府の樹立、以外は、ソレスタルビーイング登場以前の状況と余り変わらないような。
政府は、アロウズという形でなくとも、いずれ独自の軍事力を必要とするだろうし。
 だから、刹那らソレスタルビーイングの戦いはまだ終わらない、という事になるのか。

 興味深く、目が放せず、面白い部分の多い作品だった。
 野心的にキャラクターを彫り込んだりドラマを深めようとしたため、最終的に全てを掬いきれず、取りこぼしが「消化不良」と感じられたのは残念。
 アンドレイの心の動きなんて、このぐらいの時間や描写ではとても描ききれる訳が無く。
視聴者に内面理解を かなり委ねてしまっているため、「分かる分かる」と「何だコイツ」双方の意見が出て無理ない。

 第三期がある…と噂されていたけど、それは劇場版に変わったのかな。
まだ、映画が完全新作か総集編かも分からないが。
 木星から何かが来る?


2009年3月29日 日曜日

『CLANNAD AFTER STORY』総集編「緑の樹の下へ」

 淡々と進む総集編。
 こうして短時間にまとめて見ると、子持ちになっても幼く思えた登場キャラクター達の顔だけど、初登場時からは成長して描かれている事が分かる。

 「ハッピーエンド」の方のルートを歩んだ朋也が、これまでの事を回想する形。
バッドエンドの方も、不思議な記憶として持っているように語られる。
 アニメでは描かれなかった いくつものルートを、ナレーションとしてだけでもサラッと触れ、その果てにようやく辿り着いたハッピーエンドである、という風にゲームの形式をより踏まえた総集編とする方法もあったと思うが…ゲーム未プレイの視聴者には、更に分かり辛くなるのかな。
 本編エンディングのホンの少し後が見られ、朋也も渚も無事存在する世界である事が示されて、安心。

 丁寧な作画で描き出されたキャラクター達の魅力は素晴らしく、シリーズ最後まで集中して見る事が出来た。
 ゲームからのファンと、アニメのみの視聴者…アニメは どちらを向いて作るべきなのか、難しい判断なのだろうなあ、という事を感じさせてくれた作品でもある。


2009年3月28日 土曜日

『ルパン三世vs名探偵コナン』

 無理な取り合わせだと思ったが、スペシャルの「お祭り」としては、悪くない仕上がり。
 TVスペシャルでは、ほとんど鋭かったり格好良かったりする所を見せてくれないルパンだが、「脇役」に徹する事で馬鹿さ・情けなさを晒さず終えられている。
盗みの肝心な部分を妙なものに頼っていたり、破ろうとした鉄壁金庫が結局は五ヱ門の力押しで何とかなってしまったり、(コナンのフォーマットに合わせる必要があるからだけど)敵が酷く小物だったりで、この筋のままルパン一本で作品にしていたら、いつも通りダメダメな内容だったろう。

 謎解きは弱く、『コナン』一本のスペシャルにしたとしても、物足りなかったかと。
 お馴染みの人気キャラクター達が1つの画面に総登場する、お祭りイベントがメインの企画なのだろうから、今回はストーリーに余り凝らず、簡単な内容に留めて正解だったのかな。

 ルパンとコナン、銭形と毛利探偵…といった組み合わせでの、会話が楽しい。
次元とコナンによるウソ親子の関係は、もうちょっと見ていたかったぐらい。
 不二子と灰原、ってのもあって良かったかなあ。
ラストで自身が語っていたように、年齢を戻す薬について不二子は凄く興味があろうから。

 スペシャル全体としては『ローマの休日』パターンで、ルパン側のベースとして『カリオストロの城』が入っている感じ。
 王女の姿に何かを思い出すルパン、という描写は、シチュエイション的な繋がりから『カリ城』クラリスの事だと思っていたけれど、ラスト、回想で、ほぼ映画のラストそのままの事情が語られていた。
『カリ城』以降の長編ルパンは、多かれ少なかれその影響下にあったものだけれど、こんなストレートに筋を使った物は珍しい。
スタッフが、素直にファンだったのか。

 次があるなら、まっとうに「ルパンから盗みの予告が出され、コナンが警備側に付いて対決する」ストーリーで見たいなあ。
 ただ、ルパンは怪盗キッドと ちょっと違うタイプのキャラクターなので、上手く絡ませられるかは分からないし、そんな知能戦を構成できるスタッフが居るかどうかが最大の問題。



『宇宙をかける少女』12.「虚ろなる巨像」

 久々にハイテンション・レバーが登場。
第一話以来?で、何だか懐かしい気分に。
 これ、強引だけども、だからこそ何度も、形を変えつつ繰り返し使う事で、面白味を引き出せそうなモノだったかと。
『宇宙をかける少女』と言えば、「ハイテンション・レバー」を思い出す、ぐらい印象的に使えたろうと思うと、何だか勿体ない扱い(これから連続使用するかも知れないが)。

 この作品は…個性の強い獅子堂姉妹それぞれの関わりと、「秋葉に初めての彼氏が出来た」ぐらいの小さな事件を扱うだけで、1シリーズもちそう。
レオパルドと秋葉のドタバタ恋愛(?)モノでも、ICP内部の謀略や腐敗に挑む いつきを描いても、「箱」に人間を規定しようという勢力とのバトルに絞っても、番外編でやっていた野球物で押し通してさえ、不足のないシリーズに出来そう。
 本来、どこを切り取っても面白くなるはずの作品が、互いの魅力を主張するために時間を奪い合って、相殺効果を上げているようにすら見えてしまうのが、残念。
 詰め込んだ内容を、「贅沢な作りで楽しい」と取るか、「何を面白くしたいのか、もっとギュッと絞り込んでくれ」と感じるかで、評価は大きく違うだろう。


2009年3月26日 木曜日

 Xbox 360で、『バイオハザード5』終了。
 毎度の事ながら、3D酔いに苦しめられながらのクリアだったが、画面のキレイさ故か、いくらかマシだったように思わないでもない。

 今作を特徴付ける「相棒」のシステムが良し悪し。
 プレイヤーが気付かないほど遠くや物陰にいる敵キャラでも、いち早く その位置を察知し、正確な射撃で倒してくれる。
ちょっと強力な武器を持たせておけば、プレイヤーが逃げたり隠れている間に、敵を全部片付けてくれるので、銃撃音が途絶えた頃になってノコノコ出ていき「終わった?ご苦労さん、じゃあ次のエリアに進もうか」とか言ってるだけで、ほぼオッケー。
 いや、相棒、すぐ目の前に敵が居るのにボーッと突っ立っていたり、倒れた味方チームの体を踏み越えて その先のアイテムを回収に行っちゃったり、とにかく銃弾を浪費しまくったりと、ビックリするほど使えない所もあるんだけど。
 とにかく凄いスピードでザコ敵を全滅させるため、「おいおい、少しはオレの分も残しておいてくれよ」という気分に。
場面に応じて、相棒の武器を取り上げたりすれば調整は出来るけど。

 ウェスカーが、『マトリックス』というか『ジャンパー』風の挙動を見せており、恐ろしさの質が…ちょっと違うような気はしつつ、厄介。
しかし、ちょっと逃げるとコチラを見失ってオタオタしたり、暗い所では よく見えないらしいといった、間が抜けているというか可愛い所もあり。

 チャプターごとに、趣向や背景美術など雰囲気を違えようと頑張っており、先に進むのが楽しい。
 ストーリーは、うーん、まあ『バイオハザード』。
合理性も意外性も無いけど、それがこの作品だし。
 今更、だけど、ちっとも怖くないので既にホラーゲームではなく、『トゥームレイダー』っぽい部分すらあるアクション・シューティングゲームと捉えるべきか。
 全体としては、買って良かった、期待を裏切らない出来だったと思う。


2009年3月24日 火曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』24.「BEYOND」

 最終決戦は続く。
 宇宙要塞への主人公母艦の着陸とか分かり合う人々とか、ファースト『ガンダム』っぽい要素がアチコチに入っているのは、意図してなぞっているのかリアル系ロボット物でクライマックスというと この形が最も妥当だからなのか。
 絶望的な総力戦の最中、主人公の叫び(覚醒)に応じて想像を絶するパワーを開放するロボット、という事では、つい先日 最終回を迎えた『ラインバレル』も思い出してしまう。

 イノベイターとイノベイド、複数の自軍勢力による抗争、不可思議な効果を発揮するGN粒子、等々を用い、イオリア・シュヘンベルグが立てていた計画は…
 ううーん、大体はシリーズ途中で言われていた事、そのまま。
それだけのために(それだけ、といっても大層な話だけど)こんな、一介の人間には、ヴェーダがあったとしても、把握しきれないぐらい巨大なプランを立てたのか。
 どこまで当初の計画通りで、どこからイレギュラーで、辿り着こうとしている結末はイオリアの意に沿う物だったのかどうか。

 そもそも、イオリアって何者?
 外宇宙にまで野蛮なままの人類に進出して欲しくない外宇宙エイリアン連合からの教育・矯正担当官、という辺りが妥当なラインだろうが、陳腐。
未来人とするのもナニだろうし。
 「そういう凄い人が居たんだから仕方ない」として、余り深く掘り下げずに終わるのかな。

 反論が難しい、理屈としては間違っていない言葉を並べ立てながら、結局は目の前のスメラギへの思いに負けて感情的行動に走るビリーが、テーマを体現しているのかも知れないな。
 人間は、正しい理屈とか完璧な計画の通りには、動かない。
非合理的な、感情優先の生き物だから。
 GN粒子による「分かり合い空間」は、人類の融和に大きな貢献を果たすだろうが、それで互いの内面が分かったからといってライルとアリーが仲良くなれる訳もなく。
ルイスは救えそうだけど、アンドレイは瀬戸際ギリギリかな。

 リボンズの虚を突いて逆転する、肉体を失ったリジェネとティエリア。
 意外ではあったけど、これはどの時点からの計画だったのか。
次回説明がある?



『仮面ライダーディケイド』09.「ブレイドブレード」

 この作品では何度も同じ事を書いており、もういい加減「そういう構成なのだ」と考えて見るべきだろうと思いつつも、やっぱり「凄く面白くなりそうな設定をサッと駆け抜けて終わらせており、勿体ない」。

 昇格・降格の激しい社内ヒエラルキー制度。
階級上昇に伴い、ムツキの人格がドンドン歪んでいくのが面白い。
 社長が持つ、会社利益のためには少数を躊躇いなく切り捨てる経営者論理。
下に付く社員達についても「所詮は給料のために働いている」と見下しており、それはそれで一視点として間違っていない訳だけど、最下層まで落ちても人の和を伴って這い上がってくるカズマには敵わず。
立場と基本的考え方の違いから対立する社長と一社員(社長に反発しつつも会社の力が無ければ戦えない)、という見せ方は、もっと時間を掛けて描けば、特に年長の視聴者に興味深い何かが出て来そうであり、くどいけど勿体ない。
 食堂で働く者達とカズマの間に生まれる仲間意識についても、あと少し描写があれば、もっと嬉しいモノになったと思えて。
 まあ、「もう少しもう少し」と思わせる段階で留めておくのが丁度良い案配、って可能性もあるけれど。

 何か考えていそうで、実は何も考えていないのかも知れない士。
テキトーなのに、割と全てを上手く転がしていく強運が楽しい。
 チラチラとその正体について伏線を引きつつ、まだまだ全貌を伺わせない。
彼の全てが明かされる時、世界の謎も解かれるんだろうな。


2009年3月23日 月曜日

 最近地上波放送で観た映画。
なので、重要なシーンがカットされている可能性があり、的外れな感想になっているかも。-

『幸せのちから』

 監督は『7つの贈り物』のガブリエレ・ムッチーノ。主演ウィル・スミス。
 息子と二人で厳しい生活を送る主人公が、証券会社の社員試験に挑戦していく。
 「どういう視点で見るか」により、大きく評価が違う映画。
苦難の道を辿る主人公に強く感情移入できるなら、その運命を我が物として共に悲しみ喜び、感動を味わう事が出来るだろう。
もうちょっと離れた所から、物語を見ようとすると…

 うーん、主人公がずっと苦しめられていた、自宅に抱え込んだ大量の医療機器について、ある時点で「色々あって全部売れたんだけど」扱いされるのに、ビックリ。
そこは、どうやって?を見たかった。
 他にも大勢の人間が入社試験を受けており、皆すごく頑張っているのに、主人公が どういう方法でもって特に成績を上げられたのか、が、よく分からない。
特に終盤は、それよりも「子供を抱えてホームレスに転落した父親の苦労」の方に主題がシフトしていて、それは確かに大変だったろうとは思うんだけど、それと「仕事の成績」は普通、反比例するはず。
「とにかく頑張ったら何とかなった」では、納得しがたい。

 追い詰められている気持ちを表したいのは分かるけど、主人公がタクシー料金を踏み倒して逃げたり、宿泊施設の前でブチ切れて怒鳴り散らしたりしていて、「彼は報われるべき人間だ」と思えず。
 嫁さんが、問題のある女のように描かれ、途中から最後まで登場しなくなるのも、どうだろう。
 ラストシーン、ウィル・スミスの泣きの演技にはホロリと来たし、決してつまらない映画ではなかったけれど、期待していたものとは かなり違うなあ。


『マインドハンター』

 監督は『ダイ・ハード2』『ロング・キス・グッドナイト』『ディープ・ブルー』のレニー・ハーリン。
主演のキャサリン・モリスは、見た事のある顔だと思えば、TVシリーズ『コールドケース』主演のお姉ちゃん。
 孤島で行われるFBIのテスト、そこで本当の殺人事件が起き、テストに参加した男女が危機に見舞われていく。

 レニー・ハーリンは出来不出来の差が激しく、つまらないモノは本当につまらないが、これはアタリ。
 そこそこの緊張感と、何でそこまで面倒な仕掛けを用いて殺さなければならないのか理解しがたい殺人鬼の馬鹿馬鹿しさが相まって、愉快な内容になっている。
 ヴァル・キルマーやクリスチャン・スレイターが出演している事で、どう考えても真犯人は…と思わせ、何重にも意表を突いていく(だいたいは読めるけど)展開も面白い。

 クライマックス、水中銃撃戦の力が抜ける描写と、水面下で見せる命を賭けた「ドキドキすべきか笑うべきか分からない」タイマン勝負が絶品。
コレだけでも映画を見て良かったと思えるぐらい。
 B級映画好きには、お勧め。


2009年3月22日 日曜日

『鉄のラインバレル』最終24話.「鋼鉄の華」

 悪の組織の意外な存在理由、真の敵と繰り広げる総力戦、ヒロインの死、熱い心に応え野放図なまでに力を解放する主役ロボット、大逆転勝利と奇跡の復活……終盤は、ロボット物を盛り上げる要素を これでもかと詰め込み、渾身のクライマックスを見せてくれた。
 頑張った内容だと思うし、それなりに楽しく見られ、ドコが酷く悪いという事も無いのだけれど、少々の乗りきれない部分を感じつつ。

 シリーズとして。
 開幕当初、「狂」を感じさせた主人公が面白かった。
改心して以降、普通と言うよりも優等生的な性格になってしまい、パワー不足に思えたのが残念。
まあ、扱いづらい性格のままで進めるのは難しかろうけど。
 他のキャラでは、石神社長が印象強い。
ショッキングな死を見せておいて、いつの間にか「生きていた頃と変わらない」存在感を主張し始める図々しさが、愉快。
せっかくデジタルな方向に変化させたのだから、決戦で「敵艦やロボットに『コンピューターウィルス』として社長コピーを送り込み、アホな条件を満たさないと操縦を受け付けなくさせるなどして、戦いを妨害する」とか すれば好みだったかな。
シリアスな雰囲気は台無しになるだろうが。

 キャラもドラマも設定も、まだ完全燃焼はしていないように思える。
それは、原作が継続中だという事と関係あるのかな。
 いずれ機会があれば、通して原作を読んでみたい。


2009年3月21日 土曜日

『ケータイ捜査官7』最終45話.「明日未来」

 ケイタに対して次第に心を開いていった、ツンデレの…いや最強の敵が最強の味方になるパターンでの魅力を全開にするゼロワンが、好きだったなあ。
力を尽くし、満足して、しかし非業の死を遂げる最後に、ホロリ。
 それはサードやセブンについても同じく。
 「人間ではないもの」の中に、「より純粋な人間らしさ」を感じ取る事で、人間は心を動かされる。
フォンブレイバー達は皆、個性豊かで、死も厭わず自らの役割を果たそうとしており、強く正しく可愛らしく切ない「人間」のあるべき姿を見せてくれた。

 最終話では、ケイタの泣きの演技が圧巻。
 泣きながら、怒りを込めて犯人を殴ろうとするが、殴らない、長いシリーズで積み重ねてきたバディーとの絆喪失の大きさを感じ取らせる演出も、素晴らしい。

 番組開始当初は「サイバー犯罪と戦う捜査官と相棒ケータイのドラマ」として、発展性は限定されると思っていたが、実際は『パトレイバー』を思わせる(押井 守が参加している事からも)、キャラクターと基本設定さえ押さえてあれば後は かなり自由が許されている印象の、面白いシリーズだった。


2009年3月20日 金曜日

『CLANNAD AFTER STORY』番外編22話.「一年前の出来事」

 ああ、やっぱりこの作品は学園生活が良いなあ。
 ゲーム未プレイ者にとっては分かり辛い、納得し難い終わり方をしてしまった本編を補う内容になるのかと思ったが、基本的には関係ない昔話。
 でも、渚と杏を等価に描く…好意が生まれたのは杏の方が早かったぐらい…事により、「有り得たかもしれない本編とは違う未来」を感じさせ、ゲームではそういう攻略も可能なのだろうと思わせて「そういえばコレ、目的を変えて繰り返しプレイできるゲームが原作だっけ」と思い出させた点では、あの最終回のフォローだと言えなくもない。

 渚と杏の描き方は、正史に沿っているのかな。
 特に渚について、今回お友達になった少女は、回想や街中で顔を合わせる存在としても本編には登場していないような。
なので、些細な事から運命が分岐し、本当に杏をメインヒロインに据えた新しいルートが始まるんじゃないか、などと考えてしまう。
 杏は魅力あるキャラクターだから、それも是非 見てみたい。
ダメ男の尻を叩く彼女なら、父親と上手く関われず、高校卒業後の人生について しっかり考えていない朋也と、「カノジョとして」どんな風に関わっていったのか。
本編では余り触れられなかったけど、幼稚園の先生になった未来からして子供好きなのだろうし、汐が(いや、汐じゃないのか。二人の子供が)生まれても全然平気なはず。
 そういう物語も見てみたかったなあ……それならゲームをやれば良いのだろうが。

 しかし、ぼんやり ふんわりしていてクラスに馴染むのに苦労する渚を見ていると、自分がゲームプレイヤーだったら「あああ やっぱり放っておけない」と何度も渚ルートに入ってしまうかも知れない。
昔、『To Heart』プレイ時、マルチはもうクリアして攻略キャラを別に設定しているのに、気が付くとマルチをヒイキして彼女のルートに何度も入りそうになってしまったように。



『ミチコとハッチン』最終22話.「ありのままで走れ」

 ミチコにより、苛立ち紛れに子供・ハナへと暴力が加えられるシーン、シリーズ開始当初は結構見られた。
フィクションなのだし、良い悪いではないけれど、生理的にどうも受け付けず、何度も視聴を終えようかと考えたが…
 そういう所も含め、キャラクターの通り一遍でない捉え方に寄ると思う、簡単に表現できない何とも言い難い魅力により、最後まで見続けてしまった。

 キレイに終わらせるなら、ミチコは殺した方が良かったのだろう。
ハナ父は もうちょっとマシな男であり、ハナは家族と共に いくらかマトモな生活を送る、というぐらいが妥当な終わり方かも。
 しかし実際は…
 ミチコは罪を償うべく服役して生き残り、ハナ父は その行方を一言のナレーションで片付けられるロクデナシで、ハナは しょーがない男との間に子供など作って元気に生きている。

 「ヒロシをたずねて三千里」の旅の果てで出会ったのは、とてもその苦労に見合わない男。
しかし、二人にとって既に、互いの存在と、旅そのものが目的になっていたのだろうから、それは どうでも良い事、だったのかな。
 出会って別れた多くの人達と、ミチコが居てくれたからこそ、子供を抱え大変な生活でも笑顔で居られるハナが有り得た。
 結構シビアで、悲惨な所さえある作品だったと思うけれど、終わり方は実に爽やか。
 次に始まるのは、手に負えないほど逞しくなった二人の女に連れられて、ハナの子供がメキメキと成長する旅、だろうか。



 反省。
ひたすら反省。


2009年3月15日 日曜日

 『仮面ライダーディケイド』
 『ブレイド』の世界で、オリジナルで不満だった「企業所属のライダー」要素が描かれた。
 戦うのに上層部の決済印が必要だ、という「ファイナルフュージョン承認」『ガオガイガー』っぽい描き方は面白かったけど、昇進と降格を極端に行うのは、子供っぽいような(一応子供向け作品か)。
 次回で、どこまでこの設定を消化できるか…だけど、やっぱり「あと何話かあればなあ」になりそうな予感。
二話ばかりで使い捨てるのは勿体ない。

 という訳で、締め切り前スケジュール入り。
 金曜日には復帰したいと思っています。


2009年3月13日 金曜日

『CLANNAD AFTER STORY』22.「小さな手のひら」

 これは…どう捉えれば良いのか……
 異世界の少女とロボットは、渚と朋也の事だと思い込んでいたため、父娘だったのは意外。
ファンタジー世界で、自分は その世界その物であると娘が言い出した事によって、現実世界で、街の有り様と渚・汐の命が繋がっているような「リアルに考えると違和感ばかり」の設定を、何となく受け入れられるようになった。
 汐は、朋也と違い異世界から抜け出せないような事を言っていた所からすると、この異世界を起点として、そこでの死…終了が契機となり、現実世界での やり直しが始まって、何度かの軌道修正の末に「幸せな現在」が有り得るようになった、という事なのか。
 うーん、定かな理解は難しい。

 「幸せなルート」が始まってからずっと、それが満たされたものであればあるほど、いつ現実で朋也の目が覚めて、そこが病院のベッドである事に気が付き、小さく冷たい骸となった娘の姿を目にして「幸せなどもうどこにもない」と絶叫を上げるのか…恐れていた。
 そんな悲惨な、冷酷な描かれ方はせず、作品はハッピーなまま終わる。
 良かった。
「これこそ見たかった作品の姿」なのだし、笑顔を見せる渚と汐には、胸が温かくなる。
 でも、良くない。
何のために辛い重い悲しい物語を見せてきたのか。
その全てを背負い、受け入れた末にようやく至れる「何か」を描き出し、伝えたいからではなかったのか。

 死を一度見せる事による平穏な日常幸福の創出は、テーマに値するものかも知れないし、「どうであれキャラクター達に幸せになって欲しい」制作者の気持ちは、よく分かり、モノを作る端っこに居るものとして それを責めるのは間違いですらあろう。
 それでも、渚や汐の最期が本当に辛かったからこそ、「それが無かった世界」ではなく、「それが無ければ決して語り得なかったもの」を見せて欲しかった。

 良かった、泣けた、嬉しい。
 良くない、こんなのダメだ。
 相反する考えが渦巻いて、結論として どうだ、というのは言えない状態。

 まだ次回、時間を巻き戻してのエピローグ(オマケ?)があるようなので、それも見てみないと。


2009年3月12日 木曜日

『とらドラ!』23.「進むべき道」

 クラスで二人だけ、進路希望を出せない竜児と大河。
それぞれの理由、竜児は、「母親のため、これ以上苦労を掛けたくないから」進学を断念しようとし、大河は「お金持ちで働く必要がなく やりたい事もないから」。
 ゆり先生による、「これから先の人生、自分は自分が決めたように生きていく他はないの。誰のせいにも出来ないし、誰も責任を取れない。だからもっとちゃんと考えて欲しいの」といった お説教が、染みる。
これが後半、二人を追い詰める回りの行動動機に繋がっていく構成。

 竜児に向けた ゆりの言葉「お母さんに反抗したこと無いでしょ?」には、ハッとさせられてしまう。
 母親の細腕一つで養われている負い目と、母親の世話をしなければならないという義務感(自分こそ保護者だとする錯覚?)が、彼の自由を奪ってしまっているのか。
…それは、一般的には「良い子だ」といった言葉で表現される心の有り様だと思うけれど。
 内心を押し隠して陽気すぎるほど陽気に振る舞う母親と、同じタイプを三人娘の中から探すとしたら、実乃梨だろう。
実乃梨がシングルマザーになり、年月を重ねたら、そのまま竜児母になりそう。
 竜児が実乃梨を好きになったのは、贖罪とか義務感とか、そこまで行かなくても、母親と似た「無理」を敏感に感じ取って力になろうとした、って所があるのかも。

 熱を出して寝込む竜児母。
それでも、辛いとかシンドイとか言わない強さが美しい。
惚れるなあ。
 大人になる事が「弱味を他者に見せないで過ごす強さを身に付ける事」だとすると、この作品中で彼女は唯一の大人。

 頼りにならない自分を責めて、歯を食いしばったコワい顔から、表情が歪んで泣き顔になる瞬間の竜児を見事に描き出す作画が、素晴らしい。
 不器用で言葉としては「大丈夫」としか伝えられないが、竜児の手を握りしめる小さな掌の力強さと暖かさ、そして目に一杯溜めた涙が、大河の気持ちを雄弁に物語る。
 器用で、精神的成熟度の高い亜美の、分かりやすい気持ちの伝え方は可愛い。
でも、それは高校生ぐらいには、しかも鈍い竜児に伝わり辛い「お子様相手には高度すぎる」モノで、かといって子供レベルに自分を引き下げられない亜美が可哀想で可哀想で。
芸能界のような大人社会(だろう)の方が、きっと彼女には生きやすいと思う。
今、必要としていたものは、そこで得られなかったようだけど。

 チョコレートを渡す ほのぼのシチュエイションから、一気に大河を追い詰める緊迫した状況へと変化。
「真犯人を告発する推理劇クライマックス」のようだ。
 大河を囲む四人の心情が、よく描かれていて、とにかく圧倒される。
実乃梨と亜美のケンカ回もそうだったけど、この作品では、気持ちがぶつかり合う瞬間を演出するのに、「客観的には面白いけど実際あの場には居たくない」と思わせるぐらい、リアルな空気を醸し出すなあ。

 大河に迫る実乃梨だが、こうして追い詰められる対象は実乃梨自身であっても、また亜美であっても不思議無かったはず。
 実乃梨は、ちょっとズルい。
自分は全てをさらけ出す勇気を示していないのに、親友に それを求める所が。
「大河を思っての事」だろうが、大河自身も同様に実乃梨を思っていたのだし、それを分からない訳でもあるまいに…
 まあ、こういうのは、先にキレた方の勝ちだったりするから。
 次回、この行動に出るに到った実乃梨の心境が語られるのかな。


2009年3月11日 水曜日

『宇宙をかける少女』10.「箱入りの娘」

 サブタイトルを確認しようとして公式サイトを見たら、あれ?まだ前回やった野球ネタ形式のまま?
今回チラリと前回内容に触れられていた事からも、「シリーズと全然関係ない番外編」ではなかったのだろうけど。
 全エリアで前回の放送が終わるまで、このままなのかなあ。
 また、近いウチ野球世界に戻る構成になっているとか。

 今回登場の、箱入り少女が面白かった。
 イメージとしては、ストレートに『魍魎の匣』か、人間を「個」として認めず機械組織の一部として扱う所からは『マトリックス』や『銀河鉄道999』でネジにされる事に近いのかも。
 「箱に入れられて制約を受ける(幸せを与えられる?)」少女の登場は、逆に「獅子堂家から『結婚』の強要などを受けながらも気ままな秋葉」「メイドロボットの体内からすぐ飛び出し自由に行動するイモ」「上層部の規制にまるきり従わない いつき」「コロニーという巨大な箱を自在に扱って個を主張しまくるレオパルド」といった、レギュラーキャラの奔放さと対になっている。
 ハコは、強奪された、とばかりは言えず、ある程度 説得に自ら応える形で連れ帰られたのだから、「彼女がそれで良いなら他者が口出しする筋合いじゃない」と諦める反応も有り得ると思うけど、「絶対、箱に入らない」彼女らにとってそれは自らの存在を賭けても許せない事だろうな。


2009年3月10日 火曜日

 Xbox360で、『バイオハザード5』をプレイ中。
 ゲームキューブで発売された『4』も、グラフィック的には相当なものだと思っていたけれど、さすがに次世代機、桁が違う画面の美しさ。
 水の表現や岩肌の質感、眩しい屋外からヒンヤリとした建物内の日陰に入る時 生じる、大きな明度差・空気の変わり方まで、細かく描き込まれ、演出されているのに感心。
 敵ザコキャラクターが、何か考えて行動しているように見えるのも、『4』から引き続き、結構。
不規則に飛び跳ねられると、つい「動くなよ、弾が外れるから」と言いたくなってしまうけど。

 一度クリアした面は、セレクトによって何度でも、自由に遊べるようになる。
しかも、途中で面から抜けられ、止めた時点までに手に入れていたアイテムは持ち出す事が出来る。
このシステムを利用すると、「簡単な面で銃弾などアイテムを稼いでおいて、難しい面にそれを持ち込む」クリア方法も。
 自分のような鈍い人間には、実に有り難い。

 AIで動く相棒・シェバは、敵を いち早く発見して正確な射撃で倒してくれる、有能な所と、拳銃弾ぐらいじゃ倒せない相手にも延々銃撃を加え、せっかく溜めた弾丸を勝手に使い果たしてくれる恐ろしく無能な所を持つ。
 しかしまあ、大抵の敵なら、プレイヤーキャラが逃げ回っている間に彼女が撃ち倒してくれるから、楽と言えば楽。

 なかなか楽しいと思いつつ、やはり3D酔いの呪縛からは逃げられず、一日に二面までが限界。
そのためクリアはもうしばらく先になりそうだけど、仕事も詰まっている事だし、ゲームのプレイ時間に限界があるのは良い事なのかも知れないなあ。


2009年3月9日 月曜日

『獣の奏者エリン』09.「ハチミツとエリン」

 結構長く感想を書いていなかったような。
 エリン母・ソヨンへの処遇は、悲惨そのものだった。
闘蛇は、その育成が主業務である村にとって、戦の主要武器として他国に用いている国にとっても、重要な生き物である事は分かるけど、ちょっと変な死に方をしたら育成担当者も死刑、というんじゃ酷すぎ。
その割に、担当者が十分すぎる報酬を得ている訳でも無さそうだし…他に食べて行ける方法があるなら、こんな厳しすぎる仕事、跡継ぎが居なくなってしまいそう。
 闘蛇の世話から引き離された事を、「ほっとした」というように表現するソヨンが、印象的。
仕事として信念を持ち闘蛇を世話しているように見えた母親だけど、心中は、「兵器として育てられる闘蛇」を割り切れないエリンと同じだったのか。

 処刑シーンの緊迫感、死をも覚悟して母の元に泳ぎ寄るエリンの気持ち、ソヨンが見せる今後に禍根を残しそうな闘蛇コントロール技術と、怒濤の展開は視聴者を引き込む迫力あるモノだった。
 子供が見るには悲惨すぎ、また理不尽な展開であったと思うけど…「世界名作劇場」にも こういう要素はあったからなあ。
 「あのお母さんはどうして殺されちゃったの?」と子供に聞かれたなら、分かりやすく説明するのが なかなか難しそう。
「そういう疑問を持ちつつ見てもらう」のも、子供向け(?)作品の大事な役割。

 エリン、何だかんだあっても結局は村に残って闘蛇の世話係として成長していくのだろう、と予想していたが、意外と村外で生きていく事になるのかな?
 落ち込んで泣いてばかりいるエリン、を見せられるのはシンドかったので、一気に作品の空気を換えるジョウンの登場は嬉しい。
彼は、ガサツな熊オヤジかと思えば、細やかな気も遣える男で、エリンの心を掬い上げてくれる。
 ジョウンの仕事である、「死」よりも「生」を感じさせてくれる蜂の世話が、これまでの物語と対になっているようで(穴倉と、陽光溢れる花畑、という背景イメージも含め)、上手い。
 今回は、女王蜂についてのウンチクが面白いし、巣分けを行う女王蜂とエリン母を重ねる構成も、巧妙だった。



『機動戦士ガンダム00 2nd season』22.「未来のために」

 実はグラハムだったブシドーとの、決着。
 戦闘に掛ける時間自体が短かったせいか、操縦技量の差というよりはモビルスーツの性能差を感じてしまい、今ひとつ不完全燃焼感。
グラハムは、こんなんで納得できたのか?
 刹那は結局 彼を殺さなかったけれども、直後の戦いでは戦艦を三隻ほどまとめて両断し大量の死者を出した事からも、別段「不殺」に目覚めたとかいう訳じゃなく。
 グラハムは、刹那と決着を付けたい、という以外アロウズに所属する理由を持たない…と思うので、この後はソレスタルビーイング側として現れる可能性も。

 アロウズ、総力戦。
 その指揮官役として、何だかんだで割と長く生き残っている金髪豚オジサンが。
美形ばっかりの この作品には珍しく、身も心も愛されないオジサンで、せめてマネキンでも再度トップに据えれば良いのに、と思えば、あー彼女は反アロウズ勢力指揮官として挙兵するのか。
 「志ある者からはそうされても仕方ない」だけ非道な組織として、アロウズは描かれていたし、マネキンがそういう行動に出る積み重ねも分からなくはないけれど、ちょっと唐突な印象。
今回、危機一髪の状況下でカタロン登場とマネキン戦力参戦が続けて描かれるせいもあり、少々の「都合」を感じてしまう。
 アロウズの恐ろしさは、戦力面よりも「世界の大半から支持されている勢力である」という政治力にあったと思うんだけど。
いくらか搦め手で迫ったクーデター派でさえ無為に負けてしまったのに、武力蜂起でどうにかなるモノなのだろうか。
 マネキン、その程度の事は見越した壮大な戦略を立てて行動している?

 リボンズの回りにズラリと立ち並ぶ、イノベイター量産型。
こんなに居るんだ……全員に高性能モビルスーツが行き渡るのだとすると、アロウズ戦力どころの話じゃない。
 そのリボンズ、リジェネに撃ち殺されたように見えるけれども、これは、
1.脳量子波の逆流支配により、リジェネに願望を幻として見せたもの。
2.リボンズも何体か居る、あるいは量産型の基本意識としてコピーされているので、オリジナルは既に必要ない。
3.ここまで含めて全てイオリア・シュヘンベルグの計画通りであり依然問題ない。
といった所だろうか。


2009年3月8日 日曜日

『仮面ライダーディケイド』07.「超トリックの真犯人」

 『龍騎』の世界、取りあえず終了。
 仮面ライダー裁判制度は、最後に残った一人が全てを手に入れる、という意味でオリジナルの雰囲気を残していたかな。
 ただ…これまで三つの世界もそうだけど、やっぱり「新たに作り上げた設定」の魅力を引き出すには話数が少なすぎ、駆け足になってしまったのが残念。
たった今 殺されかけたというのに(事件が未遂だったため そういう危機状況にある自覚もないのだろうが)、横に気絶した女性を座らせたまま、ほのぼのした話を続ける編集部トリオ、といった無理のある・コミカルな場面が作られてしまうのは、とにかく時間が足りないから、だろう。

 無茶な真犯人の正体とトリックは、サブタイトルに書いてあり劇中でも突っ込んでいた通り、狙ってやった事だけども。
 せめて倍の、一世界につき四話構成ぐらい時間を取れれば、もっとゆっくりキャラや物語を描いていけそうなのに。
…そうなると意外に間延びしてしまうかも知れず、「もうちょっと…」と思わせる所で留めるのが丁度良いアンバイだという可能性もあるが。

 真犯人は、何に設定しても良さそうなものだけど、「アンデッド」としたのは、『ディケイド』と『ブレイド』両方のメインライターが同じ人(後者は中盤以降)だからか。
単に次回から、『ブレイド』の世界に入るからかも。
 オリジナルシリーズを見ている時、思っていた、せっかくの「企業所属による職業ライダー」設定を活かしていない、という不満が払拭される内容に…?


2009年3月6日 金曜日

『とらドラ!』22.「君のいる景色」

 前回の全面対決に続き、実乃梨と亜美の関係がイイ。
 どちらも「ウソ」を外に出し、本当の自分を隠している二人な訳で、実乃梨にとっては大河よりも亜美の方が、深く理解し合える相手なのかも知れない。
ちょっと心を開けば親友になれる可能性があるのに…近親憎悪というのか。

 竜児は、何も知らなかったから正直者で居られた。
「大河の本心」を知ってしまった途端、ウソをつかなければならなくなった。
 竜児より多くを知る実乃梨や亜美は、ウソで身を守ろうとし、更に「大人」である大河父はウソを自在に用いて相手を傷つける。
大人でありながら正直者な竜児母や ゆり先生は、余り多くを知るように見えず(特に竜児母は、もしかして「綻びのないウソをつき続けている唯一の大人」かも知れないが)。

 毅然とした、強い大河が、格好良い。
 実乃梨も亜美も、扱いづらそうな女の子だとは思いつつ、キツさも脆さも歪み方も可愛らしさも引っ括めて、魅力的。
 女の子が輝いている作品は、素直に、イイなあ。



 今年は、先月の初めぐらいに酷い症状が出て以来、ほとんど「そういう時期」である事さえ忘れそうになるほど平穏無事だったため、すっかり油断していたが、昨日から怒濤の勢いで花粉症発症。
 「もしかして体質改善に成功したんじゃないの」などと、毎年、穏やかな体調の間は性懲りもなく考えてしまうのだけれど、今年は特にそうで、受診もしていなかったから医師処方の薬が無く、急場凌ぎに市販の鼻炎止めを飲む。

 そりゃもう、劇的なぐらいピタリと症状は止まった。
同時に、副作用である激しい眠気と喉の渇きもまた体を襲い、昨日は一日ほとんど寝て過ごしてしまう。
 自由業で良かったなあ、会社員とかだったら、職場ではどうなってたんだろう。
 この副作用に重ねて、うっかり酒でも飲んでしまうと、辞職した某大臣の会見以上に醜態を晒す事になりそう。


2009年3月4日 水曜日

 地上波で放送された映画『チーム・バチスタの栄光』を見る。
 ああ、コレこういう内容だったんだ。
医療ドラマかと思っていたけど(そう言えなくもないが)、そこで起きる事故を巡る、推理モノみたいな形式。

 事件、第一の真相は、竹内結子の差し出した手がナチュラルに無視されてしまう所で、割と簡単に分かってしまう。
 真相が二段構えになっているのは、工夫。
これも、「一番怪しくなさそうな奴が犯人」というセオリーに則っており、アッと驚くほどではないけれど…
犯行動機をサイコな所に置くのは、どうだろう。
それで良いなら、関係者全員が犯人に成り得る訳で。
後は、「どういう手段でやったか」を設定するだけ、になってしまう。

 ただ、手術シーンの緊張感は なかなか良く出ていて、心臓の鼓動が戻らない現場に立ち会った事で、ショックを受けて泣き出すヒロイン女医の気持ちも、無理なく伝わってくる。
 竹内結子演じる女医の、ちょっと変わったキャラクターが面白い。
脇に付いている野際陽子が強烈で、一緒に出ているシーンでは喰われ気味だったけど。
 阿部寛は、ハマり役である「人を人とも思わない傲慢で悪辣な男」を嬉しげに演じていて、他の作品キャラと混同しそうになりつつ、やはり見ていて楽しい。
 事件自体より、この二人の掛け合いが魅力となっているため、続編が作られるのも当然かな。


2009年3月3日 火曜日

『FLAG』09.「ゲルと大地」

 このアニメの感想として、もう何度か書いたと思うけど、地味。
 以前、武装勢力が根城とする遺跡にロボット兵器ハーヴィックで突っ込み、激しい戦いを繰り広げた回があるけれど…その印象としては「やっぱり地味」となる。
 では、この地味さが「つまらなさ」とイコールなのかというと、決してそうではない所が この作品の特色。

 突入作戦の描き方として、派手な銃撃戦や、危機的状況を救うチームの機転、仲間を助けるべく発揮する個人の英雄的行動など、普通なら面白くするために必須であろう項目を、ことごとく排除。
 作戦はあくまで淡々と、事前の計画通りに進められ、アクシデントによりハーヴィック一機が損傷を受けてしまうけれど、そこから予測される いかなるアクションともアドベンチャーとも無縁に、パイロットは機体に執着することなく脱出して お仕舞い(だからといって機体を何とも思っていない訳ではない、というのは、後に念押しされる)。
 うっかりすると「工夫のない、つまらない話」になりそうな所を、スタッフは承知の上で、「視聴者が期待するような燃えるバトルシーンを見せず、しかし気を逸らさせず進めるにはどうすれば良いか」にギリギリ知恵を絞ってあって、ただただ感心。
恐ろしくストイックな作りだなあ。

 今回は、緊迫した戦場や軍事基地からも離れ、ヒロインが遊牧民達と触れ合う息抜きのストーリー…と思えば甘く、登場キャラクターの背後にドラマがしっかりと付けられていて、見終わった胸に、簡単な言葉には出来ないモノが残る。
 遠からぬ死を知りながら、土地を離れない老婆と、医師。
「土に根付いた命」を思わせ、振り返って、任務のためそこを(国を)訪れた軍と、傍観者でしかありえないヒロインの立場を、再認識させてくれる。

 作品の構造として、ヒロイン・白州の映像を、後に赤城が見て当時を振り返る、ような所がある事からすると、白州はいずれ死ぬ、あるいは いかなる形でか現地に残り続ける、という形になるのかな。



『宇宙をかける少女』09.「Q速∞」

 もう余り集中しては見ていない不熱心な視聴者だから、内容について理解していない部分は多かろうと思うけど、それにしてもコレが すっ飛んだ話なのは分かる。
 21世紀を再現したノスタルジー・コロニーに左遷された いつきと、野球勝負にかこつけてアイテムを集めようとしている秋葉ら、という構図なのかと最初思ったが、何もかもこれまでのストーリーとは繋がらないようで。

 「お馴染みのキャラクター達が、性格はそのまま・あるいは極端な改変を施され、本編と異なる世界で自作パロディーを演じる」番外編……に成り得ておらず、女の子達は、外見こそ保っているが内面は相当に異なるキャラだと感じられる。
 題材としている野球の扱いにしても、馬鹿馬鹿しいギャグにはしてなく、かといって燃える熱血モノでもない、中途半端。
 消化不良なラストも感心しない。
 …コレは何がしたかったんだろう?

 期間限定、だと思う、公式HPトップまで変えてある。
 この話単体で終わるのではなく、何らかの形で今後に影響を及ぼす、伏線として機能するような内容だったのか。
単に制作側「サービス精神」の、もの凄い空回り、でなければ良いなあ。


2009年3月2日 月曜日

『機動戦士ガンダム00 2nd season』21.「革新の扉」

 この作品は、紛争に介入して停戦させ、社会システムとして世界を改革していく物語なのかと思ったけど、次第に「個人(種?)としての革新」が描かれるようになってきた。
 それも、宇宙へと生活の場が広がった事により自然発生的にニュータイプが現れたのと違い、イノベイターが変えていく、イノベイター自身も変わっていく、という所が大きいような。

 心の内の問題としては、怨み・憎しみなど、人のマイナス面に飲み込まれた者は それに足を取られて変われない、としているのか。
 自分を庇って命を落とした兄よりも、野望を優先する留美。
 こき使われたのかも知れないけど、取りあえず拾ってくれた相手だろうに そんなに酷い殺意を向けなくても、ネーナ。
 二人とも、哀れな、非業の死を遂げてしまう。
特に留美は、世界が変わる事を望みつつも自らは小さな殻に閉じこもり、歪んだ感情を煮詰めるばかりで、革新も目の当たりにせず死んでしまうのは可哀想だったなあ。
「アナタが頼りないから私はこんな風になってしまった!」という逆恨み気味の怒りをぶつけるのは、富野作品っぽい女性キャラかも。
 いや、二人とも、何気なく再登場する可能性はあるが。

 刹那への殺意を抱きながら、ギリギリ心の均衡を保つロックオン弟は、まだ「こちら側」。
 ネーナを無情に、残虐に処断し、高らかな笑いを響かせつつも、「これまで生きてきた心の支え」を失って幼児(少女ぐらい?)退行を起こし、本来の彼女であれば進んだはずがない修羅の道の途上で立ちすくみ、どこへ行けば良いのか分からなくなっている自分に気が付いたのか、絶叫を上げるルイスが、作品テーマを体現する。

 刹那は、アリーに再対面したら、どういう態度を取るんだろう。
彼を殺す事を目標に戦ってきた訳じゃないから、通過点の一つとしては、戦い、撃破しても平気なのか。
 マリナ姫の、理想に流れ過ぎる平和主義は、苛立つ部分もあるけれど、「ただ戦い、殺し、その果てに道を失ってしまった者達」を救う光になり得るのかも知れないな。


2009年3月1日 日曜日

『鉄腕バーディー02 DECODE』07.「We Will Meet Again」08.「Falling in Love with Love」

 7話。
 タワー内部で見せるバーディーの戦いが、もの凄く独特な作画で描かれた。
 何人かで担当したのだろう、シーンごとに大きくバラツキがあり、総じて動きは面白かったものの、「キャラ表に似せる事を意識しない」度合いが強烈な人の絵では、コレ誰?と思わせる顔立ちに。
 敵ロボットが、いくつかの四角で構成されただけの簡単な形に描かれるシーンがあり、何だか笑ってしまう。
まだ動きの骨組みを描いた時点の作画だったのか、意図した省略であり これで完成なのか、判断が難しい。
 パワフルなアクションは素晴らしく、整えようとしていない分、バーディーの感情がダイレクトに伝わってくる部分もあり、個人的には楽しかった。

 自分を世話してくれたヴァイオリンに、強く母親のイメージを重ね、そのため現実とはかけ離れた記憶を作り出してしまうバーディーが切ない。
 「記憶の美化」というモノで、自分などの中にもあるんだろうなあ。
データ補正を掛けたのか、ウソを取り払って本当の経験を映し出してしまうシステムが、冷たくて無粋。
 自己の任務範囲を超えて…だろう、バーディーを守ろうとするヴァイオリン。
バーディーが、彼女を「まるで母親」に記憶補正するだけの理由は、あったんだ。
 元気で前向きではあったけれど、客観的に幸せであったかは疑問なバーディーの幼少時代を潤してくれた、ナタルとヴァイオリン。
そのヴァイオリンの実像を知ってなお、「好き」と言うバーディーの気持ちが、嬉しい。

 今更ながら。
 人間型以外のエイリアンはセリフと口パクがまるで合っておらず、何でかなあ?と思っていたけれど、「彼らは実は独自の、人間とは かけ離れた言語を口から発しており、翻訳機を通し変換する事でコミュニケーションしている」という描写なのね。
逆に「人間型については丁寧に合わせてある」からこそ描き出せる、何気ないSF。

 8話。
 脱走した少女を追いかける、ホームドラマのような お話。
 それはそれで気持ち良く見られ、メインのストーリーに関わるかは疑問だけれどこういう内容も良いなあ、と油断していれば、ラストでガクンと落とされる。
 劇中でナタルが語っていた「いつまでも側には居られない」というような言葉は、本人もまだ先の事を言っているつもりだったろうが、早くも現実に?
 前期、つとむは、失恋?こそしたものの相手の命まで失う事はなかったが…ナタルはもう「殺されるだけの理由」を自主的に積み重ねてしまっており、生き残れるかどうか…



 地上波放送を録画してあった映画『ミッドナイト・イーグル』を、今頃見る。

 墜落した爆撃機を巡るアクション、という基本アイディアは面白い。
その現場に向かう主人公を、戦闘や任務遂行のプロではなく、登山に通じたカメラマン達に設定するのも、面白く出来そうな要素。
 しかし、実際の映画では それらを上手く活かせておらず、特に「戦闘のプロではない主人公達がいかにして危機を回避し、乗り越えていくか」に掛けるアイディアの量が絶望的に不足しており、「運が良かった・何となく」で済ませてしまう。

 何度襲撃を受けても「何となく」無傷で済む主人公らに比べ、装備を調え現場に臨んだはずの自衛隊員部隊がアホみたいに殺され、あっという間に全滅するシーンでは、さすがに絶句。
 何としてでも爆撃機を確保しなければならない状況に、ヘリで現れた自衛隊員達が、「危険だから」というだけで着陸せず、イチかバチか飛び降りるような事もなく、地上への援護攻撃もナシで、主人公らに武器の補充すらせず、ただ帰っていくのも凄い。
 自衛隊を格好良い戦闘プロ集団に描いてヒーローにする必要は無いけど(それにしては薄いヒロイズムとかあったり)、ここまで無能に描く理由もなく。

 ラストの事態解決手段がまた、???
 これだけ精密攻撃が出来るなら、ヘリからポイントを指示し、敵だけを排除する事も出来たのでは。
 子供と最後の通信をする、『アルマゲドン』っぽいシーンを作りたかっただけ?とさえ思えてしまう。

 テレビで見る分には、こんなモノかなあ、という出来。
 特にテーマも描けてないのだし、いっそ吉田栄作演じる自衛隊員を主人公に据え、アイディアは無くとも派手な銃撃戦で見せるエンターテイメントにした方が、見易かったろう。



 ついでに、衛星で放送された映画『伝染歌』も見てみる。

 コレは、恐怖以外のナニかを描こうとする映画だったのかな、Amazonレビューの好評なヤツとか読んでみると。
 「ホラー」だと思って見たから?とにかくダラダラした、意味を感じられない導入部で すっかり集中力が途切れてしまう。
AKB48のライブ風景とか、サバイバルゲームの様子は延々映すのに、「女の子が最初に不可解な自殺をする」キモになりそうなシーンは、短く、つまらなく、いかにも興味なさげに撮られている。

 俳優が みんなボソボソ喋るため、セリフを聞き取り辛いのにも参った。
 女の子は可愛いと思いつつ、それだけではさすがに厳しく、30分ほど見た所で視聴終了。


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