ときどき日記 2009/05
2009年5月31日 日曜日

 そういえば、『けいおん!』で、嫌がる梓にネコ耳を付けさせようとしていたけど…
 以前、出先の駅前で、高校生ぐらい、女の子ばかりのマーチングバンド部が演奏をしていたのを ふと見ると、何故か全員ネコ耳着用、歩き去る後ろ姿のスカートにシッポを付けている子も。
 何だろ、確かにネコ耳があると無いでは「萌え」度合いが大きく違う気もするけど、部の活動自体には全然関係ない軽コスプレのような。
音楽とネコ耳の間には何か融和性が…うーん……
 顧問含み学校側がよく許したなあ。
アニメに登場するような、砕けた先生だったのだろうか。
脱いだり、宜しくないイメージを喚起するようなものではなく、問題にする程ではないからか。
 生徒も、中には嫌がる子が居そうに思うけれど…事実はアニメより緩し。


2009年5月30日 土曜日

『けいおん!』09.「新入部員!」

 音楽に対して真面目な新入部員・梓の視点を通して、軽音部の ほわほわとした有り様を強調する話。
 これまで、ノンビリふんわりした内容のストーリーが多かったため、異色話のように思えるが…
彼女が軽音部で唯一すうっと馴染めた相手、ツリ目なところ始め共通点の多い澪が、部と仲間達を認めていく過程を、代わって辿る「エピソード・ゼロ」としての役割も果たしているのかな。

 軽音部、これだけ練習していなくて演奏が上手くなるものか疑問だったけど、そこは人間性や仲間達との関係の良さが醸し出す暖かな雰囲気や、音楽の楽しさを伝える事でカバー、って事なのか。
 部として正しくは「だらけた先輩達を立ち直らせていく梓」とする構成だと思うけど、彼女の方が自分を異物と感じ、先輩達(この作品の基本理念)を評価し、飲み込まれてしまう、ポジティブ(?)な内容。
音楽は色々な楽しみ方があるのだから、真面目一方に、求道的に、頑張ってやるばかりが正解アプローチ、でもないだろう。
先輩達の演奏に魅力を感じた、という事は、彼女自身の中に そういうものを求める気持ちがあったのだろうし。

 突っ張りながら、甘い物に弱い梓が可愛い。
 彼女と共に、唯の良くできた妹も部活に参加してくると思ったが、そうでもなく。
一年生部員が一人だけでは、部の存続が危ういような。


2009年5月28日 木曜日

『GUIN SAGA - グイン・サーガ』08.「狼王との出会い」

 数話分溜まっていた録画データを、消化。
 ううーん、やっぱり、酷く悪くはないが良くもない内容。
原作の面白さに大きく寄りかかり、退屈をさせる事は無いのだけれど、視聴者をグイグイ引っ張っていくようなパワーに欠ける。

 巨大な流動体生物・イドを用い、モンゴール軍を襲うグインの作戦。
 このイドについて、演出法は、「目にしてからではとても逃げられないスピードで軍勢を襲う」か「それ自体は回避不可能なほど早い訳ではないが、パニックに陥った兵士達の不手際により飲み込まれてしまう」辺りではないかと思う。
しかし、画面では、「早かったり ゆっくりだったり一定しないイドの動き」「イドは直線で進行するため、ちょっと脇道にいれば大丈夫」「なのに兵士の多くは ぼんやり突っ立っている内に やられる」といった見せ方。
 イドを どういう風に見せたいのか、怪異を目にした兵士達の心中をどのように感じて欲しいのか、余り考えずに作っているとしか。

 何となく敵陣に侵入成功するイシュトヴァーン、何となく狼王に付いて行くグイン、この辺りも弱い。
特に狼王については、助けられ、共に旅をする行程の見せ方が淡々とし過ぎており、目的地で別れるシーンに感慨が湧かず。
時間の都合で切り詰めるのは仕方ないが、せめて印象に残るシーンを しっかり描いて欲しい(例えば、差し出された生の鳥をグインがどう処理したのか、上手く見せれば視聴者の記憶に残しやすかったかと)。

 やはりまだ、「このアニメで初めて『グイン』の世界に触れる視聴者には、ヒロイックファンタジーとして そこそこ面白く見られるかも知れないが、可能ならば原作を読んだ方がずっと良い」という評価に留まる。


2009年5月27日 水曜日

 作家、栗本薫が亡くなる。
 『グイン・サーガ』を始め、『魔界水滸伝』『伊集院大介シリーズ』『ぼくらシリーズ』等、数多くの人気作品を書かれた方で、自分も一時期は、中島梓名義の評論も含め、かなり熱心なファンだった。
 伊集院大介の、胸に染みる言葉に、ささくれた心を癒された覚えが。

 アニメ化された『グイン・サーガ』の放送途中であり、後どれだけ続くはずだったのか分からないが原作未完のまま逝く事になってしまったのは、とても無念だったろう。
 リアルタイムで刊行を追い続けていたファンにとって、この喪失の衝撃は如何ばかりか。

 読書の時間が取り辛くなってしまったせいもあり、シリーズ途中で挫折してしまったが、結局、グインとは何者だったのか、分からずに終わってしまったのかな。
あるいは、いずれ創作メモのような物をまとめる形で構想が明らかにされる可能性もあるけれど…インスピレーションに突き動かされて書くタイプの作家さんだったようなので、全体構成は御自身でも完全に把握できていた(把握しようとしていた)のかどうか。
 パズルのピースを与えられ、残りを想像で埋める楽しみを残していってくれたのだ、と思えば、いくらか救われるだろうか。
いや、『グイン』の魅力は謎解きより、生き生きとしたキャラクター達の輝きにこそあったもので、作者自身の手により紡ぎ出される彼ら彼女らの未来にもう触れる事が出来ないのは、どうにも埋める事が出来ない悲しみだろうな。

 ありがとうございました。
 ご冥福をお祈り致します。


2009年5月26日 火曜日

『宇宙をかける少女』21.「小さな勇気」

 箱に閉じ込められる秋葉。
 人間から自由な行動や思考を奪う…と思われた「箱」の内部は どんなで、どのようにして自由意志を失わせるのか、楽しみにしていた。
アリガチでは『マトリックス』のような、電脳的ユートピアに意識のみ取り込む手。
箱の管理者が目指す方向へと思想教育を行い、自ら進んで内部に留まるようにする、とか。

 が、実際の作中描写では、箱の中の狭い空間にただ閉じ込められ、他の箱住人とチャットが出来る事、取りあえず食べ物等には不自由しないで済みそうな事、以外には特に利点がない。
お金と食事の心配が要らないネットカフェ個室か、親から文句を言われない自宅自室引きこもり、といった風情。
 相当に引きこもって仕事をしている自分としては、「こんな生活、考えられない」「外に出て、他者と交わってこその人生」などと立派な事は言わないけれど、それにしても楽しそうだとは思えず。
 もう少し、箱に入っている事へのメリットが無いと…(緩やかに、箱での暮らしに馴染むようマインドコントロールが成されている?)

 これは、見ている側の年代や思考に寄っているのかなあ。
「こんな面白くもない箱に入っていられるかあ!」と思う人と、「分からないでもない」「嫌な事をシャットアウトできるなら、多少の難点はガマンできる」と理解を示す人に別れるのかも。

 秋葉に意識を取り戻させるイモの言葉、拳が当たっただけで異常が生じる箱。
日常的な つまらない事が切っ掛けとなって、確かに良いんだけど、それにしても持って行きようや演出が弱い。
 現段階では、制作者側に、この「箱」について、徹底した思考の煮詰めやテーマの絞り込みが出来ていないように感じられてしまう。
 個人に別れて箱にこもり他者を拒絶する このシステムと、悪役(?)側に見られた、料理をふるまい、鎧をといて素顔を晒し、疑似家族を形成しようとするかのような動きを対比させ、何かを描こうとしているんだろうとは思うが。
 秋葉は、まだ箱から外に出ておらず、彼女にとって非常にショックな出来事(死んだとは思えないけど)があった訳で、ここから「箱にこもる」事の真価を描いていく可能性もあるのかな。
しかし予告を見ると、そうでも…


2009年5月25日 月曜日

『仮面ライダーディケイド』18.「サボる響鬼」

 巡るライダー世界の最後が『響鬼』。
 アスムがヒビキの弟子になり、かなり鬼に近づいている様子は、ちょっと嬉しい。
 イブキもザンキも大量の弟子を従えている所から、この世界では、次世代の戦いに備えて人材を育成する事に熱心らしい。
…流派同士の勢力争いが起きている事を原因として、弟子の数が増えているのかも知れないが。

 ヒビキ役者がデビット伊東に。
テキトーでやる気に欠ける この世界の響鬼には、ぴったり。
オリジナル響鬼役の細川茂樹も、バラエティー番組等で見る限り、結構テキトーなオジサンみたいだけど。
 イブキ、ザンキ、トドロキは、ホンモノの役者さんが担当。
その後もライダーシリーズに よく出てくれているザンキ・松田賢二はともかく、他二人まで揃うとは思わなかった。
香須実役・蒲生麻由も、『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』に出演している所から、キャスティングは不可能でもなかったかと。
…妹、日菜佳役の方がもう故人になっているのは切ない所。

 「元々の俳優が演じている」「声だけ元の俳優」「別俳優に置き直されている」、この種別には、ディケイド世界を理解する重要な秘密(設定)が隠されているのでは、とか思っていたけど、響鬼世界を見ていると、そうでもないのかな。
 作中の謎は、少しずつ明かされつつも、なかなか全貌を明らかにしない。
そこいらは、この『響鬼』世界の旅が終わってから、本格的に取り組む事になる?


2009年5月24日 日曜日

『ザ・ウルトラマン』01.「新しいヒーローの誕生!!」02.「光るペンダントの秘密」

 衛星で放送が始まったので、鑑賞。
1979年作品。
 本放送で見ていたはずだけど、特に前半は ほとんど忘れてしまっている。

 第一話で、科学警備隊が設立される過程や、その隊長に就任する条件として新鋭攻撃機を引っ張ってくるアキヤマの交渉術、「何となく警備隊への入隊が許される」のではなく他部門からの転任として隊に加わる主人公、等、これまでのシリーズで不足していた部分を補う描写が見られるのは、嬉しい。
 しかし…ウルトラマンと主人公が融合する理由に納得できるモノが無かったり(事前の地球規模に及ぶリサーチで融合対象が決められていた、とか補完できなくはないが)、一話目の事件・怪獣の設定が隊やウルトラマンを紹介するのにベストなものとは思えない、危機感も面白味も薄い物だったりと、宜しくない所も多々。

 何より、ウルトラマンとしては重要であるべき怪獣が、第一話から恐ろしく どうでもいい、魅力に欠けるモノであるのは致命的。
 「恐竜を強くイメージしてあり、着ぐるみでは実現し辛いデザイン」とか「群れとして登場させる、特撮だと難しい表現」といったチャレンジはあると思うんだけど…
この怪獣のソフビ人形なんて、子供は欲しがらないだろう。

 続く二話。
 竜巻怪獣、という、これまた当時の特撮では非常に実現困難な特性を持たせてあり、「アニメーションならでは」の表現に挑んでいるのは分かるが、ドラマも含め、とにかくインパクトが薄く印象に残りづらい。
 内容。
サブタイトル「光るペンダントの秘密」から、ウルトラマンに変身するための条件や変身アイテムの重要性なんかが描かれるのかと思えば、全然関係ない、ムツミ隊員に送られたプレゼントの事(変身アイテムは「ペンダント」じゃないし)。
歴代作品も確かに こういう所があったけど…シリーズ中盤辺りに挟む緩んだ話のようで、もうちょっと基本設定を固めていく内容であって良かったかと。

 当時の水準として、特に悪くないが良くもない作画。
 ……年長のウルトラファンが余り憶えていない・見ていない作品であって、無理ないなあ。
シリーズ立ち上げ段階でのテンションの低さは、痛すぎる。
 今になって、ノスタルジーも込めてならば、そういう所も逆に楽しく見られたりはするんだけど。

 他のウルトラマン(U40人)が登場したり、巨大戦闘艦が飛び、宇宙へ旅立ったりするようなアニメならではのノリが現れてこないと、本作の評価はできないか。


2009年5月23日 土曜日

『涼宮ハルヒの憂鬱』08.「笹の葉ラプソディ」

 今期放送、初の新作エピソード。
 心なしか、キャラ絵がスッキリとしたような。
旧デザインにあったアクが無くなった…と言えば良い事のようだし、このアニメならではの個性が失われたように思える、と言うとマイナスのようでもあり。
何にせよ、大きな違い、という訳ではないのだが。

 キョンがみくると共に時を越える、タイムトラベル話。
冒頭で、七夕に引っ掛けて「願いが星に届くまでの時間差(今見える星は、過去に発せられた光である)」とか、「届いた先から帰る時は神様の力でアッという間」とする伏線まで引いてあり、上手い構成。
 みくるの「力」が、初めて具体的に見られた。
長門や古泉のように疑いようのない力と違い、唯一不思議だった「キョンが数年後の みくるを見た」事実にしても、「姉と示し合わせての芝居」と考えられなくもなかったから。
いや、今回だって、三年前という微妙な時間跳躍では街の風景に変化が見られず、ハルヒに似た子役を用意しての狂言だったとか疑えなくはないが。
 …他の二勢力に比べ情報の制御が行き届いている、とも言える?

 何が無くなったのか客観的には分からない原因による跳躍不可の窮状を見ても、制作側が意図して「みくるも超常キャラクターの一人」だとは「感じさせない」ようにしているらしい。
 戦闘能力はゼロに等しいだろうし、時間に関する力にしても長門の方が より自由・完璧にコントロール出来るみたいだし、みくるが存在しなくても作品を成り立たせる事は可能(未来のみくるを含めると、実は事態を左右しているのは ほとんど彼女の陣営?)。
 じゃ、彼女は要らないのかといえばトンデモなく、「可愛い顔立ちに巨乳に癒し系の性格」という素晴らしいパワーを備えており、ハルヒ・長門だけでは不足してしまう多くの要素を作中で補っている。
その役割に比べれば、「未来人である」なんてのは些細な事。

 時空間を越え、未来と過去の長門が繋がった事を、「キョンの前だからメガネを取る」この僅かな演技だけで伝えてくる「SF」と「ラブコメ」の融合が素晴らし過ぎて、ゾクゾク。
 過去から未来へと人間を送る方法として、より原始的には氷漬けにでもして眠らせておけば良い訳だけど、部屋の時間を切り離し、三年後に改めてその時点の時間流と繋ぐ やり方は、スマート。
……なんで布団に寝かせたのかは分からないけど。
 そのSF的ワンダーと、「以前キョンが長門宅を訪れて話していた際、実は隣の部屋では自分達が眠って(時を止められて)いた」というコミカルなイメージが、楽しい。

2009年5月22日 金曜日

 衛星で映画『俺は、君のためにこそ死ににいく』を見る。
 製作総指揮・脚本が石原慎太郎だという事で、バリバリ右翼な内容を予想し、身構えていたけれど…
これを見て戦争を賛美したい気持ちになる観客は、まず居ないものと。

 内容は、「特攻の母」と呼ばれた女性を中心に、死を間近に控えた特別攻撃隊の若者達と、周辺の人々の姿を描いていく。
 個々のエピソードは、フィクション・ノンフィクションで既に知っている気分にさせる物が多い。
日本人ばかりでなく、韓国人特攻隊員の姿があるのは、こういう映像作品で珍しいように思えるけど。
 誰か一人の特攻隊員にスポットが当てられている訳ではないため、ドラマとしては淡々としていて、物足りない。
 客観的な視点が意識されているためか、右・左どちらのテーマ性、メッセージ性も弱く、いっそ「大日本帝国万歳!英霊に倣い、今の若者達も進んで祖国のため命を捧げるべきだ!」か「薄汚い日本人は謝れ!特攻なんて非道な作戦をとった事も含めて とにかく世界に謝り続けろ!」ぐらい極端な内容であれば、「歪んでいる」意味で もっと見応えのある映画だったかも知れないが。

 これは、あの戦争について何も知らない若い(若いとは限らないけど)衆に向いた映画。
 こんな出来事が本当にあったんだ、自分が特攻隊員だったら どうしただろう、そういう事を強要されない現在の日本は それだけでも幸せ、その幸せは無数の戦死者の上にあると理解して生きるべき……というような事を鑑賞後に思ったり、身近な人と話したりするなら、価値のある映画じゃなかろうか。
 同様の価値は、ドラマとして出来の良い『硫黄島からの手紙』でも得られると思うんで、そちらを見ても構わないけど。



「屋外でのマスク着用は不要」=他人への感染防止が目的−厚労省

 テレビでも、「マスクは予防目的で着用してもほとんど意味がないんですよね」「日本人は全く(笑)」というような事を平気で言い始めたけど、「感染を予防する、マスクの正しい着用法はこうだ!」「マスクの表面にはウィルスが付着している恐れがあるから絶対手で触るな!」「家に入る前にマスクを取ってゴミ箱に捨てろ!」とか、過剰なぐらい危機感やら恐怖感を煽っていたのは同じマスコミ(同じ番組)だったのに。
 自分達で自分達の信頼を損なって、何をしたいんだか。
本当にマスクが必要な人達に行き渡らない状況を何とかしたい意図…と思えなくもないにせよ、言い方ってモノが。

 いや、まだ若干花粉が飛んでいるようで外出時マスク必須の自分としては、薬局で売り切れが続いている現状に、本当に困ってるんだけど。
 しかし…「地球温暖化」「二酸化炭素削減」とかも、同じ構造かと疑ってしまう。


2009年5月21日 木曜日

『スター・ウォーズ/クローン・ウォーズ』08.「型破りなジェダイ」

 ジェダイが一人も登場せず、パドメとC-3PO、ジャー・ジャー・ビンクスで見せるアクション編。
 このテレビシリーズは、キャラクターを非常に有効に、有能に描いているため、うっかりと「実はジャー・ジャー・ビンクスも ただのアホではない」としてしまうんじゃないかと心配(?)したが、突き抜けた使えない奴ぶりが嫌ほど健在で、安心(?)。
さすがに、最終的には同じ水棲生物としての縁なのか巨大モンスターが手を貸してくれて、どうにか格好が付いたけど。

 パドメの船をスクラップにしてしまうジャー・ジャーの馬鹿さには、ちょっと笑ってしまう。
 しかし、「徹底して物語の足を引っ張るキャラクター」で居させ続けるのも、大変じゃなかろうか。
作品世界の創造主であるルーカスが そう設定している限り、勝手に、賢く、有益な存在に変える訳にもいかないのだろうが。



 地上波で放送された映画『パニッシャー』を見る。
 『アルマゲドン』『ダイハード3』の脚本を手掛けたジョナサン・ヘンズリーが監督。
 復讐に燃えるFBI捜査官の孤独な戦い。
 以前に衛星で、一度鑑賞済み。
 出番はそう多くないけれど…ロイ・シャイダーが見られ、それだけでも嬉しい。
老齢に達して なお力強く、頼りになりそうな彼を、主人公にしても良かったぐらい。

 家族が襲撃に遭い、全てを失う主人公、という所までは、普通に見られる。
が…その復讐が始まると、真面目にやっているのかどうか疑ってしまうような所が多々。
 主人公は、自分が死んだと思われている利点を最大限使い、実体を見せず敵を処刑していくものだと思えば、早早にマスコミの前に姿を現してしまう。
 捕まえた男の口を割らせようと主人公が行う、背中をバーナーで焼く拷問と思わせて実は焼肉しているシーンに、爆笑。
 悪の組織に仕掛ける大ネタも、ボスのヨメ周辺に細々と仕掛けをして組織内に浮気疑惑での いがみ合いを発生させる、手間が掛かる割にセコい作戦。
 フツーにバイオレンスな内容で良かったんじゃなかろうか(ラストは結局そうなるのだし)。
知恵を使って追い詰める主人公…に したかったのかな。

 主人公が潜伏する(敵にバレてるけど)貧乏アパートの住人達とか、薄い緊張感を更に削ぐ役割しか果たしていないけど、結構 好き。
頑丈なだけの馬鹿ロシア人殺し屋も、楽しい。
 全体に、子供のイタズラみたいな話を真面目に撮った内容で、良い出来だとは言い難いが、憎めない。


2009年5月20日 水曜日

『こんにちは アン 〜Before Green Gables』07.「木枯らしとバラの花」

 決して悪くない、頑張っている内容だと思うけれど、MXで放送中のオリジナル『赤毛のアン』と並べて見てしまうと、どうしても物足りなさが残る。
良くも悪くも「普通」だというか。
 今回の、老婆・ミントンが抱える孤独と喪失感、それをアンが埋めていく描写にしても、余りに通り一遍であり、深みや味わいに欠けてしまう。
 ちょっと駆け足にドラマを消化しているようにも思えるし。
…オリジナル・アニメ版『アン』の進行ペースが、驚くぐらい ゆっくりだ、というせいもあろうか。

 とはいえ、頑固なバアさんの懐に飛び込むのが昔から上手かったアンの様子は楽しく、エリーザを娶っていったロジャーの、金持ちである自分の境遇に甘えない正しさ、「幸せにして上げる」ではなく「僕と一緒に苦労をしてくれないか」とでも言いたげな態度は男として中々格好良く感じられ、見所が無くはないんだけど。
 あともう一歩の踏み込みがあれば。
その一歩は、作品のレベルを まるで変えてしまう大きな一歩であり、誰にでも踏み出せるものではないのだろうが。


2009年5月19日 火曜日

『涼宮ハルヒの憂鬱』07.「涼宮ハルヒの退屈」

 時系列順の放送だから よく分かる、伏線とか、キャラクター心理の変遷。
 本放送時、何となく見過ごしてしまった「みくるの髪をポニーテールにしようとしてやめるハルヒ」というシーンは、前回、「ポニーテール萌えだ」と言ったキョンの言葉の影響から、だったのか。
 自我を崩壊させかねないような前回の事件を経ても、まるでハルヒの態度が変わらないのは、あれを単に「夢だった」と割り切っているからなのかな。
キョンの「献身的行動」により、日常に帰る事を望んだハルヒ自身の深層心理が、その日常を危うくしかねない異常な記憶を消し去ってしまった、とも考えられるけど。
 そういう あやふやな記憶に基づくポニーテール嗜好情報だろうに、ハルヒが強く気に留めているのは、キョンへの気持ちを窺わせて微笑ましい。

 ハルヒのキャラクター性や設定が余りにも強烈なので、そう捉えて良いか分からなくもなってしまうが、この作品は、キョンという冴えない主人公少年に対し、「宇宙人(?)・低血圧無表情少女」「未来人・巨乳おっとり少女」「超能力者(男だけど)」と、加えて「神に等しい無意識の力を持つ・ツンデレ少女」が想いを寄せてくる、ハーレム構造だと考えられる訳ね。
 そう思えば、この構造の中で一番楽しい境遇にいるのはキョンであり(一番シンドイ思いもしているにせよ)、やっぱり「この宇宙の中心にいるのはキョン」かと。
 ただ、今回の野球エピソードで、棄権を申し出るキョンに対しハルヒは「あんたがそれで良いなら私も良い」というような事を言っており、「キョンへの配慮」が感じられたりするので、彼が全ての中心にいる事を望んだハルヒにより、彼の立ち位置が定められているだけ、とも考えられるか。
ヒネた態度や知性からすると意外な程、ハルヒは純真で子供っぽかったりするため、「好きな相手は特別であって欲しい」気持ちが、キョンを中心に置いているかのような宇宙の構造を作り上げている可能性も。



 衛星で放送された映画『ベオウルフ/呪われし勇者』を見る。
 『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のロバート・ゼメキス監督による、CGアニメ。
アンソニー・ホプキンスやアンジェリーナ・ジョリーらが、外見を自身に似せられたキャラクターの声を担当している。

 原作となった叙事詩を知らず、そのため、予告編などから「英雄による化け物退治の冒険譚」なのだろうと思っていた。
そういう部分もありつつ、物語としては、人間の業に根ざす割合とシンドイ話。
 テーマを読み取りながら見るべきなんだろうけど、それと「面白さ」が直結しているとは感じられず。
特に、後半での戦いは、業を乗り越える(業に飲み込まれる)意味があるべきかと思うのに、派手なバトル方向に振れすぎていて、王の葛藤が伝わってこない。
「葛藤など無く、バケモノは倒すのが当たり前」で良いなら、テーマなど要らない訳だし。

 アンジェリーナ・ジョリーのキャラと見つめ合う(睨み合う)王の副官のカットが、分かったような分からんような。
これが映画全体を締めるラストカットで良いのかどうか。
 その辺は、日本で言えば「浦島太郎」や「かぐや姫」に多くを期待しすぎてしまうようなもので、見る側の問題なのかな。
雰囲気やバトルの迫力を楽しむ作品としては、別に悪くないと思うので。

 化け物退治を前に、何故か全裸になってうろつき回るベオウルフの股間を、ギリギリの所で酒瓶やら煙を用いて隠していく一連のシーンに、大笑い。
CGでやる事か!
 脱ぐ事に、「武器も防具も身につけず相手の油断を誘う」とか「化け物は悪意や敵意を見ているのであり、無防備な人間は見えない」といった理屈でも付いているのかと思えば、何も無く、「脱ぎたかったから」としか思えないのも凄い。
 ただ……そういう豪快で おバカさんなベオウルフのキャラクターが活きるテーマや展開ではなく、どうもチグハグな印象を受けてしまったが。

 アンジェリーナ・ジョリー・キャラクターは、危険な妖艶さに満ちており、野郎共が色香に迷っても無理ない。
 その「女」と「母性」、「包み込むような優しさ」と「自分以外の全てを切り捨てる非情さ」が入り交じった造形は素晴らしく、ここいらをもっと彫り込んでくれれば、好みだったかなあ。


2009年5月18日 月曜日

『真マジンガー衝撃!Z編』07.「伝説!バードス島の機械獣!」

 兜十蔵が早めに死ぬ、と原作で決まっていて、良かった。
実際は、もっと早く、イキナリ死んじゃうんだけど…しかし この監督に好き放題やらせていたら、甲児を放り出してジジイが超絶の操縦テクニックで機械獣軍団を蹴散らしていたかも知れず、最悪の場合「素手で」巨大ロボットを薙ぎ倒していた恐れさえある。
 人間大好き、人間が一番強い、というのが今川監督の基本姿勢。
 今週も、マジンガーに「生身で対抗したあしゅら男爵」を「片手で押さえ込む女」が活躍。
この女とマジンガーがガチで戦ったらどちらが強いのか……きっと女の方なんだろうな。

 パイルダー紛失(?)により、鉄塊と化してしまうマジンガー。
語り始められる因縁入り組む昔話。
……悪いクセが出て来たなあ。
 まだアクション主体だし、「パワー溢れるキャラクターの無茶苦茶な戦いぶり」は永井豪の作風にも合っているため、楽しく見られているが、ここから「盛り上がらない方向への暴走」が始まると、キツい。

 もしかして、まだ同じ一晩の内?(間違い。二日目だそうです)
鉄仮面軍団は、短時間に、熱海を占拠して、一回撤退し、警官に扮装してまた再上陸したの?
 『24』以上の時間の濃密さ。
このままだと、第一話で見せられたDR.ヘルとの決戦まで、この夜の内に終えてしまうんじゃないかと思える程。
 永井豪作品では、『おいら女蛮』が、一日で やたら沢山の事件を起こす漫画だった事を思い出す。


2009年5月17日 日曜日

『スター・ウォーズ クローン・ウォーズ』07.「ドロイドの決闘」

 行方不明になったR2-D2を、命令に違反してまで探すアナキン。
 「ジェダイにしては執着心が強すぎる」という事で、マイナス要因ともなろうが、強い信頼で結びついた人間とドロイドの関係は暖かく、嬉しい。
…不在中、代理ドロイドと組んでしまった事を言い辛そうにするアナキンと、機嫌を損ねたっぽいR2-D2の様子は、「友情」というよりか もっと深いモノに感じられて、変に可笑しかったが。

 その代理ドロイド、R3。
 恐ろしく使えないヤツで、何度もアナキンらに危険をもたらす。
R2が存在する有り難みを感じさせるための無能さだろう、と思ったが、それにしても極端。
 そういう彼(?)を、やたらに庇うアソーカの態度が不思議だったけど、まだ未熟なパダワンである自分の姿と重ね合わせていたのかな。
 彼女からの信任に応え、不出来なR3が見事な成長を遂げるクライマックスを期待して見れば……ちょっと意外な展開。

 思えば、ドゥークー伯爵麾下の部隊はドロイドが大半を占めているので、共和国軍よりも、ドロイドにとっては居心地が良いのかも。
使い捨てにされており、個体を大事に扱われるような事はないみたいだけど。
 非情さで言えば、貴重な情報を記憶したR2を取り戻すため、とはいえ、無謀にも思える戦闘にアソーカらを向かわせ、クローン兵数人の犠牲を出してしまうアナキンも、相当。
アナキンにとって、クローン兵の命など、ドロイド以下なのだろうか。
いや、クローンに限らず、普通の人間相手でも、こういう対応かな。

 体から出した折りたたみのアームで、分解された体を自分で組み立てるR2の有能さが、凄い。
タイマン勝負でも結構な戦闘力を見せ、今回は「R2-D2の格好良さ」がテーマだったのかと思わせる。
 強敵、グリーヴァス将軍を前に、不敵な笑みを浮かべるアソーカの表情も素晴らしく、相変わらず面白いなあ。



『バスカッシュ!』07.「ウイズイン・アウト・オブ」

 ギャラリーの熱狂を通して強引に盛り上げる展開。
それ自体は、上手いものだと思う。
 ただ…敵側が どの程度無理な(楽しくない)ルールを押し付けてきていて、主人公側が どれぐらいそこから逸脱した無茶をやっているのかが分かり辛く、語っている内容としては敵側の方が正しいとさえ感じられるので、少々入り込み辛い。

 「バスカッシュという競技の面白さ」を、まだ強烈に演出できていない(していない?)のが、一番の問題点。
 現実に存在するスポーツを題材にしても、何がその競技の魅力なのか、早い内に主張する事は必要不可欠。
ましてや、ロボットを使って行う架空のスポーツなのだから、どこが楽しく、どういう難しさがあり、主人公にはどのような才能と限界があって、どんな能力を持ったライバルと戦い何を要因として勝つ・負けるのか、特に作品立ち上げの段階では、繰り返し、分かりやすく、ドラマ中で感じ取らせていかないと。
 どうも、その辺りには余り興味がないように思える。
なら、「ロボット同士による集団殴り合い」ぐらい単純にしておく手もあったような。


2009年5月16日 土曜日

『宇宙をかける少女』19.「閉じた迷宮」

 箱人間の設定が、久しぶりにクローズアップされた。
 集合体の中の個人になっているためか、再会した秋葉の呼びかけにも全く応えず、彼女を「危険な侵入者」扱いしてしまうハコ。
 その箱へと、秋葉が閉じ込められる事で、ようやく「箱とは何なのか」「入れられた人間はどのような状態になるのか」が描かれる事になるのだろう。
彼女が外に出てくる方法により、他大勢の人間達を助け出す事も出来そう。

 このアニメは、登場キャラクターが多いし、世界設定も大量に作ってあるのだと思う。
そのためか、テーマに向けて全体を絞り切れていない印象があり、キャラクターの個性や雰囲気を楽しむには良くとも、物語性は弱く感じられる。
 箱人間エピソードは、作品を貫く核となるのだろうか。


2009年5月15日 金曜日

『シャングリ・ラ』06.「虚構戦線」

 登場していたキャラクター達の相互関係を ようやく把握でき、それらが交わり始める事で、ドラマとして見やすくなってきた。
 …けれども、今回の、炭素市場を舞台にした経済大変動(オロチによる襲撃)は、かなり分かり辛い。
「何を言っているのか全く分からない」程ではないにせよ、しっかり理解できたかどうかは自信なく、そのため面白かったとも感じられず。
 今後のドラマに大きな影響を与える(テーマとなる?)出来事だったのかも知れないが、だからこそ何とかもう少し分かりやすく演出して欲しかったなあ。
 経済絡みの、余り一般的ではない概念を映像化するのは、難しいのだろうけど。

 作画が崩れ気味なのは、厳しい。
修正が入るアップ時はともかく、ちょっとロングになると、身長の対比から おかしくなったりする。
 どうなれば終わる話なのか、まだ見通しが立たず。
特殊な世界の設定や、キャラクターそれぞれの立ち位置を、とにかく丁寧に…ゆっくり過ぎるぐらい…描いているようなので、それを活かす大きな展開が待っているのだろうとは思いつつ、現状 凄く面白かったり先を楽しみにさせる要素が薄く、ヒロイン魅力の弱さ(出所から始めるハッタリは強烈だったんだけど)もあって、ちと辛い。



 漁港に迷い込んだ鯨のニュース。
 時折 世界のアチコチから同様の事態が報告されるけど、本来、こういう時こそ、グリーンピースやらシーシェパードの出番じゃないのかなあ。
 常時シミュレーションを重ねて、迷い鯨はこうすれば安全・確実に助けられる、といった方法論を確立する団体であって良いはず。
特にシーシェパードは、捕鯨船攻撃船なんか出すより、こういった事態に対応し、鯨に負担を掛けず誘導・救出する船でも開発すれば良い。
 彼ら、現場には行ってるのかなあ?
まあ、居られても邪魔になるだけだろうけど。

 「そういう団体じゃない」のは、承知で。


2009年5月12日 火曜日

 仕事中。
ううううう眠い。


2009年5月10日 日曜日

『けいおん!』06.「学園祭!」

 学園祭当日。
 恥ずかしがりで恐がりな澪が、ステージに向けて抱く不安を中心に(平静を装いつつも紅茶のカップがガタガタいってしまうシーンとか、ギャグと不安のタメを両立させていて巧い)、それが開放されていくクライマックスの演奏に繋げる、気持ちの良い内容。
 京都アニメーション作品、という事で期待された演奏の演出は、ライブステージの様子そのものよりプロモーションビデオ風のイメージを優先し、少女達の心の高揚感を伝える画面になっていた。
 以前のエピソードで歌詞を読み上げた際は、大丈夫かなあと思ったものだけど、こうして音楽に乗せ、実際歌ってみると、意外と良い感じ。
これもまた音楽のマジック、かな。

 「声がガラガラになっている」まま一話全部通す、唯が可笑しい。
ネタを広げ、声質を活かして、相撲取りのマネをするネタに感心。

 パンツ見せたって、お嫁に行けない事はないぞ澪。
どちらかといえば、「澪はオレの嫁」的な事を言い出すギャラリーが激増しそうな予感さえ。
そういうダメな野郎共を、彼女自身が恋愛対象として捉えられるかどうかはともかく。
 この性格付けは実に遊びやすそうで、夏のコミケでは、彼女自身が目にしたら即死しそうな内容の本が大量発生する事だろう。


2009年5月8日 金曜日

『亡念のザムド』04.「此の世に響く耳鳴りの数々」

 もう四話目だから今更だけど、MXテレビで放送が始まり、嬉しい。
PS3での配信、という変わった形の視聴方法しかなく、ハードを持たない人間には見る事が出来ず、ソフト化を待つのみかと思っていたため。
 そういう無茶を強行するだけあって、作画など画面クオリティーは高い。
「まるっきりのファンタジーではなく、現実と地続きのような部分も多いが、違う」世界観を徹底すべく、建物や乗り物からカップなど小道具まで、かなり拘って作り込まれていると感じられる。

 一話ずつの密度は薄いと思わないけれど、ストーリーの進行速度は遅く、四話目まで来ても、「具体的にどこを・何を目指している作品なのか」「どうなれば終わる物語なのか」分かり辛い。
いや、客を置き去りに全力疾走していくアニメよりは、ずっと良いが。

 こういう状態で、中心になるべきは「キャラクターの魅力」。
これが弱いのは、残念。
 混乱から、自分が背負った力と向き合おうとする主人公は、正統派な心の変遷だとは思いつつ、その切っ掛けとなる事件や変心具合が どうも段取りっぽく感じられ、感情移入度は低い。
 主人公に対し、必要な情報は与えてやれば良いのに なかなかそうしない船のクルー、特に、疑問に暴力で応える女船長には、キャラを立てるパターンだと思いつつ、余り好感を抱けない。
色々と世界への疑問を感じて見ている視聴者まで、「制作者が」突き放したように感じてしまうためか。

 文句を言いつつ、しかし、手を抜かず一生懸命作っている事が伝わって来て、つまらないとは思わず。
 『ナウシカ』『ラピュタ』等 宮崎作品に似たシチュエイションやデザインが出てくるのは、意図してなのかな。
 まだバラバラの物語ピースが一つになり、盛り上がっていく事を期待して、見続けたい。


2009年5月6日 水曜日

 衛星で放送された映画『パーフェクト・ストレンジャー』を見る。
 ハル・ベリー主演。ブルース・ウィリス共演。
 幼馴染みの死の真相を探る女記者が、犯人の疑いがある男の会社へと潜入する。

 ううう〜ん、「あなたは絶対ダマされる」といった日本のコピーが悪いのか、早いウチにネタは割れてしまう。
「観客が愕然とする意外なストーリー」を狙う作品として「よくある内容」。
別段マニアでなくとも、いくらかフィクションに触れている観客であれば、またこのパターンか、と思ってしまうだろう。
 仕掛けがバレたって、物語そのものが面白ければ見られるけど、これはそこまでの出来ではなく、見終えて振り返ると「ここは切って良い、無駄なシーンでは?」と思える部分さえアチコチに。

 能力はあるけど厄介な、ヒロインの相棒・マイルズだけ、好きかな。
 ハル・ベリーにもブルース・ウィリスにも、役者自身の魅力以上のモノは感じられない。
さして斬新でも衝撃的でもないラストのため、主演二人のキャラクターまで犠牲にするのは、正しいと思えず。


2009年5月5日 火曜日

『戦場のヴァルキュリア』05.「クローデン奇襲戦」

 分かりやすいツッコミ所が沢山あって、そういう意味では楽しい。
 ハネブタを見つけた、通っている獣道がある、そこまでは良いとして、それが敵の基地に繋がっていると どうして確信できたのか。
部下の誰かを走らせて確かめさせるのが最も簡単だけど、ウェルキンの有能さを見せたいなら、「ハネブタのフンに混じった未消化なモノを見つける」「それは、敵軍が使用しているレーションの痕跡」「栄養状態の良さから、かなり大量に食べている。基地の倉庫から盗み食いしたものと推察」といった思考形態でも辿らせれば。
 …そもそも、獣道があろうが無かろうが、森を抜けて敵基地側面に出る事は さして難しくなさそうだけど。

 陽動と突入部隊に分ける作戦はともかく、陽動は無敵戦車に頼りっぱなしだし、突入に到っては、戦闘プロフェッショナルでもない女の子に先陣切って突っ込ませ、多数の駐留兵士相手に「どうにかしてくれ」ぐらいの大雑把に過ぎる内容。
これだったら、「闇雲にエーデルワイスで突っ込み、車体が損壊する前に連続砲撃により敵部隊を殲滅する」でも、同じようなものでは?
 フィクションなんだから、都合の良い戦闘条件を整えれば良い。
「基地側面の張り出した崖」を崩して岩塊を敵部隊に降り注がせるとか、「上流の堰」破壊により基地を水攻めにする、等々いくらでも。
それで、孔明やヤン・ウェンリーの劣化モノマネキャラのフリは出来るかと。

 僅か数名の、 さして有能とは思えない部隊に混乱し、何一つ的確な指示を出せないまま撤退だけはアッサリ決める敵指揮官も、不思議。
ダメなオジサンとしか思えないんだけど、周囲からは「名将」扱いされるのが、また不思議。
 敵将の思考を…こんな無計画な戦いを仕掛けてくる少人数部隊がある訳無い→相当 大規模な部隊が後ろに控えており、消耗戦にも勝てる自信があるに違いない、といった、賢いが故の過大評価に導かせるとか。

 アリシアと、朴念仁のウェルキン、精神的成熟が感じられるファルディオによる、淡い三角関係を中心に見るべきなんだろうけど、敵兵士を結構殺していると思うが葛藤の見られないヒロインの描き方含め、「戦争」要素が足を引っ張っている。
 原作ゲーム(未プレイ)は「戦争」ありきで始まっている企画だと思うため、そこにも魅力や楽しさを感じられるよう、頑張って欲しい。



『GUIN SAGA - グイン・サーガ』05.「宿命の出会い」

 第一話放送時は、アニメとしての内容に不満があったものだけど、見慣れたのか、スタッフが乗ってきたのか…「原作の面白さに大きく因っている」のは当然として…楽しく見られるようになってきた。
 イシュトヴァーンは もうちょっと危険な匂いを放っていて欲しいとか、全般に緊張感が欠けているとか、時折 意味を計りかねる演出やストーリー改変がある(原作の要素を切り詰めすぎて見せようとしているためか)といった不満は、まだあるが。

 それでも、無茶苦茶に強いグインは頼もしく、少しずつ明かされていく世界の様子や、大きく動き始めたストーリーは魅力的で、引き込まれる。
 素晴らしく良い…とまで言えないけれど、安定した作画も嬉しい。
空を覆うエンゼルヘアー(よく知られる形状と違い羽みたい)のファンタジックなイメージは、美しかった。

 過剰な期待はせず、『銀英伝』鑑賞時と同じ気持ちで、見続けていきたい。


2009年5月4日 月曜日

『仮面ライダーディケイド』15.「超モモタロス、参上!!」

 劇場版への橋渡しをする都合があるためか、この『電王』世界は、キャストから作品世界まで、ほぼテレビシリーズと同様。
色々にヒネってくる『ディケイド』歴代ライダー・ワールドの一つとしては、逆に異色。
 前・後編として見て…
これも珍しく、凝った筋が無い。
事件その物も、取りあえず一段落は付くものの、「劇場版に続く」形になってしまうし。

 では、つまらなかったのかというと…
これが凄く楽しかったから不思議。
 モモタロスらイマジンズの個性豊かな掛け合い漫才だけで、いくらでも愉快に見られてしまう。
凝った筋立てのために彼らの輝きが鈍ってしまうような事があったなら、その方が大きく不満を残しただろう。
 やっぱり「キャラクターこそ命」なんだなあ。

 強大な敵と戦わせずとも、デンライナーに ちょっとした事件…「デンライナー食堂に時間保健所が衛生検査に来る」とか「キンタロスの初恋」などという…を放り込むだけで、シチュエーション・コメディーとして何本でも話が作れるのでは。
 良太郎は大きな存在だったし、役者さんの演技やイメージも含めて『電王』世界を確立するには欠かせなかったけれど、どうしても今後 出演が難しいなら、今回のように他の役者さんがイマジンズの依代を務めても、演技力と声優さんの吹き替えとツボを押さえたシナリオさえあれば、違和感なくシリーズを継続できるんじゃなかろうか。
 第二期テレビシリーズもアリだと、個人的には。

 『シンケンジャー』に続き、小林靖子シナリオ・アワーだった。
巧いなあ、この人は。



『侍戦隊シンケンジャー』12.「史上初超侍合体」

 殿様と家臣の侍…「主従関係」というのは戦隊シリーズに相応しくなく、早いウチに崩れて「横並びの仲間」になっていくだろうと予想していたが、上下、偉い人とその言う通りに行動しなければならない部下、といった「嫌」な封建的考え方ではなく、互いに信頼し、それぞれがその立場における責任を全力で果たす形での主従、として、納得のいく・正しい提示に成り得ていた。
 かなり、感心。
さすが小林靖子は巧いなあ。


2009年5月3日 日曜日

『東のエデン』04.「リアルな現実 虚構の現実」

 ぼんやりと語られてはいたけれど、物語の主題となる、百億円使える携帯を用いたゲーム(救世主育成プラン?)について、はっきりしたルールや勝利・敗北条件が示された。
 百億円は凄い金額で、普通だったら一生掛かっても使い切れないだろうが、モタモタしていたりバカな用途に景気よくバラ播いたりしていたら、その「一生」が本来の寿命より相当に早く終わってしまう。
 この莫大な予算を使えば、かなり大きな事も出来る…でも国を救うには、まるで足りない。
いや、一兆あっても難しいか。
逆に、「日本を滅ぼす」「人口を半分ぐらいまで減す」なら、何とか出来そう。

 多くの人間を継続的に救い続ける病院システムを構築した今回の医師が、目標を達成した事にならないんじゃ、何をもって「国を救った・正しい方向に導いた」と判断できるのか、分からないなあ。
 意外と、国を混乱と絶望に陥れる「魔王」になってしまう方が、人々に「日本人」としての意識を呼び起こし、連携と友愛の心を芽生えさせる方向では、正しいのかも。
そういう考えに基づき、『機動戦士ガンダム00』ソレスタルビーイングは活動していた訳で……上手く行かなかったけど。
 ミサイルを撃ち込んだのは、こんな思想を持ったセレソン(記憶喪失前の滝沢自身だというのがパターン)だったり。
ああ、事前に時限式でテロ計画を仕込んでおき、記憶喪失後のイノセントな自分が それらから世界を守る事で、自作自演の「救世主」になってみる手もアリか。
それもまた、主催者の好みには合わないだろうが。

 選ばれた十二人のうち、既に命を落とした刑事はロクデナシ、一人はサポーター、となると残るセレソンは十人。
 このゲームの主催者が「神」とか、それに等しい力を持つ知的生命体だとして、虚飾の国と化した日本(世界?)を滅ぼすかどうか決める前に、アブラハムが「神」から引き出した、十人の正しい者をソドムの内に見出した場合どうするのか、に対する答え、「滅ぼすまい。その十人のために」(旧約聖書 創世記)、この条件は満たされるのか、これから試されて・確認されていくんじゃなかろうかと妄想。
 医師は、正しい人間で有り得たか。
正当な方法ではとても設立できなかった病院施設を、賄賂を渡し有力者に動いてもらって実現させた、という意味では、目的が正しくともグレー、かな。
 彼が正しい者でなかった場合、既に十人の条件を満たすのは不可能。
 まあ、それはコチラの妄想基準の話だし、主催者は変人の大金持ち(故人かも)らしい上、これから「正しい人」ばっかり出て来たって物語はつまらないだろうから、そんな「真相」が設定されている可能性など皆無だけど。

 先が読めず、想像の余地が多々あって、面白いなあ。



『けいおん!』05.「顧問」

 今回は、何よりもメガネ女教師が普段の おしとやかな仮面を脱ぎ捨てて見せる、階段から廊下激走・障害物三段階突破のアクションが白眉。
香港映画かと。
 続く、パンクな外見で音楽をやっていた事を指摘されるシーンは、名推理で犯人を追い詰める「探偵物」のクライマックスのよう。
 「ワイルド」になって好かれようとする所も含み、思い込みの激しさで暴走しドコまでも行ってしまう女教師のキャラクターをドカンと立て、強く印象付ける事に成功しており、上手い。

 唯、ギターの演奏を憶えていくには もっと激しい苦労があるかと思ったが、「指の皮がむけた」事をもってそれに換えており、ライトな描き方で通している。
どちらかというと、少しばかり努力と根性が介在する様子を直接示す方がドラマを作るに簡単なはずで、そこいらを ふんわり省略しつつ、最低限「頑張りはしてたらしい」と感じさせるセンスは、大したモノ。
 軽く音楽に触れていく少女達の日常を見せるのが、この作品の主軸。
学園祭での演奏も軽く落とすのか、ここは京都アニメーションの本気を見せるのか、楽しみだなあ。


2009年5月2日 土曜日

『涼宮ハルヒの憂鬱』05.「涼宮ハルヒの憂鬱 V」

 単に再放送なのか、新作も続けて始まるのか、と話題になった、あらためて放送。
 なんでこういう面倒な、分かり辛い事をするのだろう、「うっかり新作を見忘れて欲しい」から?なら ご期待に応えてまるごと見忘れて差し上げるべきなのかなあ、などとヒネくれた事を考えたりしていたけれど、見始めてみると、やっぱり面白くて内容に引き込まれてしまう。

 今回放送の特徴である、「時系列に沿った並べ替え」が効果を上げている。
録画データを全部保存してあったり、ソフト化されたもので見れば、視聴者側で並べ替える事は可能だったけれど、自分は そうした事が無いもので、何だか新鮮。
 本放送で、「憂鬱」な部分がシリーズ全体に散らばる形になっていたハルヒだが、連続したストーリーになってみると精神的変化が非常に分かりやすい。
 長門や朝比奈らの態度の変わりようも把握しやすく、注意力と記憶力に難がある困った視聴者(自分)でも、一段階深く物語を理解できる。

 本放送は本放送で、「次に何が出てくるのか全く予想できない」面白さがあり、少しずつ、色々な所から作品の全貌を見せられていくワクワクもあって、良かったけれど。
 両放送に渡る この楽しさは、「本放送は時系列に沿い、再放送の際、順番を入れ替えてみました」では味わえず。
 何だか最初から、この あらためて放送を前提に作り始めたアニメなんじゃないか、などと思ってしまうぐらい(いや、ソフトを全部購入して見てくれるのが制作者には一番嬉しかろうけど)。

 5話まで見ながら…
 本放送時も書いたように、この世界は、ハルヒではなく、キョンを中心に構成されていると思える。
「自覚のない『神』の厄介な精神状態を支えうるのは自分だけ」って、本人が「神」である程の負担はなく、しかしその存在は世界に不可欠であり、(キョンは素直に認めないけれど)自意識を満足させるに足るものではなかろうか。
 また、長門・朝比奈らも彼に個人的好意を寄せており、古泉でさえ秘密を打ち明ける信頼を見せる(重荷を押し付けてきたとも言えるが)、このモテっぷりは「彼が中心の世界」っぽい。
 …それは、主人公男子がモテモテになる「萌え」作品の基本骨格、「えらく都合の良い『世界』だなあ」を読み取っているに過ぎないのかな。

 そういう方向から考えるなら。
 ラブコメを作ろうとする際、まず主人公男女を設定し、そこにチョッカイを出してくる美少女・美少年を登場させ、すぐに「主人公二人は幸せになりました」で終わらせないための物語的障害を設ける。
ライバル美少女・美少年は、役割として主人公らの関係を危うくしながら、しかしそれを決定的に破壊すると作品世界そのものが崩壊してしまうため、そこまでは到らない。
 これは、まず強烈な涼宮ハルヒというヒロインを作者が思い付く所から創造された作品宇宙について、登場人物達が自覚的に行動している物語、なのかも。
 そういえば登場人物皆、ハルヒの一段階上に、彼女を特別たらしめた本当の「神」が居る、という可能性について考えないのが不思議だなあ(考えてたっけ?)。
それはさすがに禁則事項なのか。


2009年5月1日 金曜日

 地上波で放送された映画『少林少女』を見る。
 監督は『踊る大捜査線』の本広 克行、主演・柴咲コウ。
 余り宜しくない評判を聞いていたので、どんなものかと思いつつ見たが…
なるほど、コレは宜しくない。

 客の予想(期待)を裏切りたい、と考えて作ったストーリーなのだろうか。
 タイトルから『少林サッカー』を連想するため、少林の達人であるヒロインが始めるラクロスで『少林ラクロス』と言えるスーパーパワーの試合が展開される事を期待してしまうが、それは物語終了後、オマケのように見せられる程度。
 後半は、邪悪な敵と連戦して打ち破っていく普通の「拳法物」になっていくんだけど、前半で時間を掛けて描かれるラクロスチームとの友情や、少林的チーム強化とは関係なく、ヒロイン一人で(拳法使いの助っ人は居る)進む。
これも、ボス敵との超絶バトルで とにかく圧倒的に盛り上げてくれるならまだ見られたろうが、唐突に「愛」とかいったポカーンとする事を語り始め、頭が疑問符でいっぱいになるばかりの決着では、盛り上がれるはずもなく。

 『少林サッカー』と『カンフーハッスル』を合わせたモノから、注意深く面白い部分を取り除いたような内容。
この二作品を作り上げたチャウ・シンチーが、『少林少女』エグゼクティブプロデューサーらしいけれども、それでどうしてこうなるんだか。
 柴咲コウは「少女」と思えないし、もっと極端にCGを入れでもしない限り「少林」の達人と認識できるはずがなく。
まあ、昔は良くあった「無理のある設定のアイドル映画」だと思えば、構わないのかな。

 香港映画のダメな部分を凝縮したような、グダグダで笑えないギャグも、凄い。
 本広監督は、『踊る…』は勿論、同じくグズグズなギャグが連続しても、後半で伏線を活かしたエンターテイメントになっていく『サマータイムマシン・ブルース』なんか、好きだったんだけど。
 制作費も宣伝費も それなりに掛けた映画だろうに…

 新人が編集者に必ず言われる事、「この作品で一番何を言いたい(ドコを楽しんで欲しい)のか」について、絞り込みがまるで出来ていない、というか「故意に散漫にした」ような映画。
 基本フォーマットを壊し、なお面白く見せるには、徹底した練り上げが絶対必要。
「こうやってみたらどうだろう」程度の思いつきで撮っちゃ、ダメ。


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