ときどき日記 2010/06

2010年6月30日 水曜日

 エラく更新の間が空いてしまいました、すいません。
 仕事が悲惨だったのは勿論、娘が持ち込んだ風邪にヨメ、自分と次々罹り、コレが酷い喉の痛みを伴うものでマトモに水さえ飲めない状態になっていたりしまして。
娘の風邪はすぐ治って大事に至らなかったのが救い。

 加えて…
 先週からずっと頭皮が痛く、それは、初めて理容店で髪を染めてみたため、その染毛剤が肌に合わずかぶれたものと思っていたのですが、次第に広がって顔にまで赤い湿疹が出来始めました。
染毛剤ではなく、何かに かぶれたのか食品やストレスによるアレルギーか…とにかく仕事が一段落付くまではガマン、その後で医者に行く、等と言っているウチ、ふと見れば娘の顔にも赤い点が一つ。
 伝染した?
うわーエラいこっちゃどうこう言ってる場合じゃない!という訳で近所の皮膚科に駆け込む。

 診断は、帯状疱疹、という事。
 知ってますコレ?無知なもんで全然知らなかったのですが、皇室の雅子さんも罹患されていたそうで。
簡単に言うと、ずっと以前に退治したはずの水疱瘡ウィルスが執念深く体内に潜んでいて体力低下時期を狙いテロを起こしてきた、みたいなモノ(合ってますよね?)。
 後遺症として神経痛が残ったり、自分の場合顔に出来ているので目に悪影響が及ぶ恐れもある、という事で、仕事を休んで栄養を取り、とにかく寝て下さい、と言われたのですが……なかなかそういう訳にもいかず。
 原稿ペースを落とし(すいませんでした編集様)寝たり起きたりしながら、ようやく仕事終了。

 薬飲んで、ゆっくり寝て、症状は良くなった…ような。
 まだうつってはいないようだけど、ウィルスによる現象のため、幼児に水疱瘡伝染する可能性があり、娘さんとは接触を避けて下さい、と言われたのが何より悲しい。
抱きしめるだのキスするだのいった日常の不埒が一切出来ず、ヨメから「ハイ踊り子さんに手を触れないように、この線から前には出ないで」と遠ざけられてしまう。
 うわー、娘に触れないのがこんなにストレスとは!
スキンシップさせてぇぇぇぇ!ちゅーさせろぉぉぉぉ!
 呑気な話ばかりでなく、ある程度分担していた娘の世話の大部分がヨメ一人にのし掛かる事となり、大変。
 帯状疱疹、完治まではまだ時間が掛かるらしく、とにかく安静に、よく寝て体の抵抗力を上げるしか。


2010年6月23日 水曜日

『迷い猫オーバーラン!』12.「迷い猫、決めた」

 自分も漫画に描く時、よく考える、「今時ブルマーってどのぐらい好まれているんだろうか」と。
 小中高と、女子の体操服はずっとブルマーだったため、良い悪い好き嫌いを越え、自分の心の中にはブルマー型の受容体が出来ている(当然のように、セーラー服型、メガネ型のもアリ)。
だから、そういう服装登場に価値を見出すことが出来る。
 が、多感な(エッチなことで頭が一杯になっている馬鹿な)学生時代、身近に接触しなかった世代の人達にとって、コレはチアガールやバニーガールと変わらない、「フィクションの中で多く見る身近ではないコスチューム」だろう。
 これに強い思い入れを抱く気持ちは、理解してもらえるのかどうか…
メイド服やファンタジー半裸甲冑衣装が好き、というのと同等には分かる?

 女性は、やっぱりブルマー着用は嫌なモノなのかなあ。
公平を期すため男も、体育の授業は上半身裸とかフンドシ姿とか恥ずかしい格好で受けるから(もう自分には関係ないと思って!)、ブルマーを「文化」として残してもらえないだろうか。
 少子化が深刻な今日、性的嗜好が萌芽する可能性を、僅かでも摘み取るべきではないと思うんだけど…などと妙な理屈。

 そういう自分でも、アニメ作品、しかもこういう形でブルマ原理主義みたいなギャグを展開されると、若干引いてしまったり。
 アナクロな事を大真面目に言っている、という意味で、既に「女子は もんぺ着用」とか「女性はすべからくエプロンを捨て割烹着を身に着けるべし」というのと同等?
 前回、ブルマー馬鹿話で好き勝手な暴走を見せ、あと一話でどうやってまとめる気なのかと思えば、「滅多に見せない希の気持ち」をキーワードにして雰囲気を良い方向へと変え、何だかラストエピソードらしくキレイな着陸を見せる辺り、さすが。
演出パワーが大きいかな、佐藤 順一の巧さ。
 シリアス、大馬鹿話、ロボット物まで、一話ごとに手を変え品を変えテーマを変えて見せてくれたこの作品、最終話は「いかにも綺麗に終わったげな最終回の形」を描いていたのかも知れない。

 振り返ると、次回は誰を監督として何をするのか、サッパリ分からない所が次第に面白くなり、毎週の放送を楽しみに見るようになっていた。
 その代わり、シリーズとしてのまとまりは弱く、キャラクターの成長やドラマはほとんど描けていないと思うけど、元々そういう部分を売りにするジャンルの作品ではないのだろうし、良いのかな。
 一年もしたら、「毎回 監督を変えていた変な作品」という以上の、内容に対する記憶は ほぼ消えてしまいそう。
スタッフとしては、それもまた良し、それでこそ本望…か。

 第二期がもしあるなら、出来が良いと言われる矢吹 健太朗先生の漫画版を元にしてきちんと作るか、やっぱり今期のように奇策を用いて。
 一話ごとに制作会社を変える…のはさすがに不可能か、声優さんを毎回変えるぐらいなら可能?



 衛星で放送された映画『DRAGONBALL EVOLUTION』を、何となく見る。
 劇場予告だけでダメダメさ加減が伝わってきたため、関連する情報を何も知らず、今、書こうとして初めて気が付いたけど、監督は『ファイナル・デスティネーション』でお馴染みジェームズ・ウォンなのね。
『ザ・ワン』のアクションは、それなりに面白かったような印象があったが…

 公開当時、酷評された通りの映画で、特に付け足すような事はない。
 確かに、悟空を始めとした強烈なキャラクターや独特の世界観、長い時間を掛けて描くからこそ面白い「果てしなく強くなっていくカタルシス」「恐ろしく巧妙な伏線の回収」を、一本の、しかも実写映画で再現するのは困難を極めると思う。
 ここで取れる選択肢としては、「映画としての完成度を犠牲にしても原作イメージを大切に、ファンを喜ばせる映像化に徹する」か「原作を大きく変え、一般観客向けに独立した映画の面白さを追求する」のどちらか。
 この映画は後者だろうけど、独自の面白さ提供には完膚無きまでに失敗しているため、ファンを怒らせ、かといって一般層を楽しませる完成度からは程遠い、最悪の内容に。

 独自路線を選んだのだろうから言っても仕方ないが…これじゃ『ドラゴンボール』を原作に使う意味がなさ過ぎる。
 スタッフ、ちゃんと読んだのかなあ、原作を。
読んでない、あるいは読んだけれど面白さを理解できなかった、ならまだしも(いや、まだしもじゃないが)、映画を見ていると、「少しは読んだのに『つまらん、こんなんでイイなら、さっきオレが思い付いた適当なオリジナルストーリーの方が遙かにウケるはず』」と思って作ったような傲慢ささえ感じられる。
 企画に乗らないと映画を作らせてもらえない状況に追い込まれている三流監督、という訳でもないのだろうし、イヤなら断って良かった仕事じゃなかろうかジェームズ・ウォン。

 手から何やらを放ちながら悟空とピッコロが戦うクライマックスの映像は、それなり。
 「おとっつぁん、お粥が出来たわよ」「いつもすまないねぇ〜」「それは言わない約束でしょ」状態のピッコロに、爆笑。
 日本の漫画・アニメやゲームが海外で映像化された場合、成功するケースの方が貴重なのだから、そう考えれば怒るほどでもなく、「ああまたか」。


2010年6月21日 月曜日

『ウルトラマンA』最終52話.「明日のエースは君だ!」

 MXテレビでの放送が終わったので、ちょっと感想。
 最終回、ヤプールが再登場するのは、シリーズ最後らしくて嬉しい。
ただ…放った超獣がさして強くなくアッサリ倒されてしまうのと、これが本当の目的だったのか、と思えるA陥れ計画自体が余りに情けないものなので、盛り上がりには欠けてしまう。
 シリーズ途中で見せられた、世界中の子供を異次元へ大量誘拐する事で人類の未来を破滅に導こうとする、スケールの大きい企みの方が、最終回にふさわしかったような。

 謎の宇宙人をイジメる子供達に、「ウルトラ兄弟は弱い者イジメはしない。何もしない宇宙人の子供を、訳も無くいじめたりはしない」と説教しながら、超獣に対しては出現直後のまだ何もしていない段階で攻撃を開始する北斗に、ちょっと笑ってしまう。
まあ、超獣は生物というより兵器の分類であり、ミサイルの改心を求めて撃墜を躊躇う、ようなアホな事をしている場合じゃないだろうが。
 『帰ってきた…』では、「宇宙生物は現状で危険か否かに寄らず処分する」事をMATの通常業務としているような描写があった。
比べると、甘くなったもの…いや、アレは北斗個人の意見だという可能性もあるか。
「ウルトラ兄弟は」と言っていて、「TACは」じゃないし。

 最終回でAが(北斗が?)言い残して行く有名なセリフ、「優しさを失わないでくれ。弱いものたちをいたわり、互いに助け合い、どこの人たちとも友達になろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと。それが私の最後の願いだ」は、かつてもそうであったろうが今は尚一層、現実の厳しい世界に実現するのは酷く難しい理想論であり、だからこそ胸を打つ。
 『A』が、この言葉をしっかりと伝えるために構成された作品だったかというと…それは少々怪しいものだけど。

 振り返ると、やっぱりヤプール編が面白かったように思う。
どんなキテレツ侵略作戦が展開されても、「異次元人の考えることだから」で納得?出来たし。
 『A』は、内容の迷走…は言葉が悪いか、試行錯誤が目立った作品で、当初「ウルトラタッチ」という決めゼリフもなく二人でジャンプして変身していたり、強く印象に残っているため毎回だった気がする「空を割って赤い異次元空間から現れる超獣」という素晴らしいビジュアルイメージも実は数回きりしか見られない。
後半、レギュラーになっていた一般人姉妹が何の説明もナシに出てこなくなり、最初はかなり個性的に描き込まれていたTAC隊員達が次第に「北斗の報告を否定するためだけに居る人々」と化してしまうのも寂しい。

 何より、この作品を特別たらしめていた北斗・南コンビのうち南夕子の離脱が痛い。
熱すぎて暴走気味の北斗を、冷静で穏やかな南がなだめる構図は、なかなか上手くできていたと思うのに。
 また…各話完結が前提だから仕方ないけれど、彼女の設定に伏線が無く、去って行ったことに後フォローも無く、北斗一人でAに変身してもこれまでと全く変わらない、「南夕子なんて最初から居なかった」然とする扱いになってしまうのが悲しい。
 子供向けヒーロー物で合体変身パターン男女バージョンを扱うのは、難しいのかなあ。
「銀河に散った5つの星」での、遙かな宇宙を隔てたウルトラタッチを素晴らしい名シーンだと思うにつけ、不完全燃焼に終わったこの設定が残念。

 次回からは『タロウ』…だとばかり思っていれば、意外にも『ファイヤーマン』なのか。


2010年6月20日 日曜日

『いちばんうしろの大魔王』最終12話.「おしまいは完璧?」

 凄いダイジェスト、しかも既に一度通常版本編を見ていること前提の、を見せられているような、急速展開で最終回。
意味不明…という訳でもないけど、画面に理解が追い付かず、「面白い」という気持ちになれない。

 この作品の強味は、個性的・魅力的なキャラクターにこそあり、物語は、その次、であって構わないと思う。
が、シリーズ中でも時折、ラスト付近では顕著に「物語優先」な作り方が示され、キャラは、生きた楽しいセリフよりストーリーを進めたり説明するため「言わされている」言葉を多く放ってしまう。
 もっと、アニメ化する原作の範囲を狭めるか、大幅に省略・改変する事で、こういう事態は防げたんじゃなかろうか。
大変な無理をしてまでどうしても語らなければならない物語、とは思えなかったけれど。
 キャラは良いのに話がよく分からないアニメだった、という事で、じゃあ原作を読んでみようかと思わせるには有効な作りだったのかな。


2010年6月19日 土曜日

『HEROMAN』12.「ストーカーズ」

 一応はヒーローマンの活躍があるものの、日常話、と言っても良い内容が、これで三話続いた。
ジョーイとリナの関係や、見守る(邪魔する?)周囲のリアクションなど、それはそれで楽しいけれど、うーん……
 これを、シリーズ開幕で見せられたなら、特に違和感なかったかも知れない。
実際は、日常から非日常へと移行する過程を大幅に飛ばし、突然のヒーローマン誕生、並行して宇宙人による侵攻が開始され、とりあえずの撃退まで戦いが続く詰まった内容の作品になっており、その緊張感が一気に途切れることによって、「中だるみ」とも感じられてしまう。

 ここ三話…もしかして次の話まで含め、半分の二話もあれば描ける中身では。
 新たに登場したジョーイ姉が、無神経で弟をオモチャのように考える魅力の薄い(個人的に好みではない)キャラであるのも、残念。
厄介でありながら縁が切れない様子など、作り物でなく「現実の姉のイヤさ加減」は良く演出できていると思うけれど。
 『ドラゴンボール』ドクター・ゲロのように、ヒーローマンを苦しめる新発明を繰り出す天才、ではないかと予想したドクターミナミが、回を重ねる毎に やられ役のザコと化していくのもまた残念。

 こうなると、スクラッグ第二陣、あるいは新たなる敵が登場するまで、ジョーイ達の脅威は「米政府」という事になるのかな。
エージェントが、物分かりの良さそうな理解者然としているため、これもまだ危機感には欠けるが。
 原作・スタン・リーの他作品では、『ファンタスティック・フォー』ほど脳天気でなく、『超人ハルク』ほど敵対せず、国家権力の有り様は『X-メン』ぐらいの扱いか(どれも映像化作品ぐらいでしか知らないのにナニだけど)。


2010年6月17日 木曜日

 仕事が一段落…するちょっと前から、風邪を引いたのかヨメが体調を崩し、続けて娘も発熱。
九度三分。

 赤ちゃんは元々体温が高いものだし、八度や九度の熱を出すことは別段 珍しくなく、小児科医だって忙しいのだから四十度を超える熱が出たとか血を吐いたとか、危険な症状が出た時以外は余り手を患わすべきではない、と、昔は思っていたが……
 いざ自分の娘が、産まれて初めて発熱し、少々苦しげな様子を見せると、そんな判断力なんかあったモンじゃない。
 医者から「この程度で病院来るな馬鹿」と言われたら謝って帰れば良い事。
素人判断するのは危険、もしかして、万が一、数千億が一、何か大きな病気の端緒だって可能性もあるし。
 等々、親・初心者丸出しの会話をヨメとしつつ、一路病院へ。

 小児科医は、娘を診察した後、
「ええと、初めてのお子さんですか?」「赤ちゃんが八度や九度の熱を出す時は、体内で病気と闘っているという事で、そんなに心配する必要ないんですよ」
と、だいたい予想通りの事を諭すように優しく言い、「風邪でしょ」と診断。
 ああ良かった、過保護な、判断力の低下した馬鹿親で済んで良かった。

 医師から処方された薬が、大人でも飲み辛い粉薬だったため、またドタバタ。
離乳食さえまだ全然食べないのに、こんなもんどーせーっちゅーんじゃ!と思いつつネットで調べると……なるほど、こういう手があるのか。
 方法は分かっても実践が難しく、試行錯誤しているウチ、気が付くと娘は何故か ほぼ平熱に。
えええええええ。
 油断せず、出された分の薬は飲ませたいと思うけど。

 色々で今日は仕事にならず、疲れる。
 良かった、コレがギリギリな〆切の最中でなくて。


2010年6月12日 土曜日

 娘、まだ自分の名前も認識できているかどうか分からず、ましてや絵本なんか読んだって、意味なんか理解できようはずもないが、読んで聞かせている間は絵をじっと見て、耳を傾けている…ように思える。
「はいお仕舞い」と言って本を閉じると、途端にむずがりだしたりもするので、一応、ナニガシかの関心は持って聞いてるんだろう。

 一ページに一匹ずつ、リアル気味な動物の絵を描いてある絵本があり、それには特に文章が付いていないもので、「ラッコ」なら「海に棲む動物でね、お腹の上に貝を乗せて、石でコンコンコンコン割って、中身を食べるんだよー」、「馬」なら「走るのが速いんだよ。背中に人を乗せてパッカパッカ走るの。牧場とか行くと乗せてもらえるかもね、乗りたい?」などと、自己流の勝手な解説を付けて聞かせる。
 「コアラ」「クマ」「ダチョウ」など、大抵の動物には適当な解説が付けられるが…

 「マントヒヒ」……ええと、ええと、どういう動物だっけ?
毛がマントみたいに見えるからマントヒヒ、だったかな?
うーん、これ以上には知識が無いぞ。

 「バク」……えー、昔の、中国だっけ?の人は悪い夢を食べてくれる動物だと考えていた…んだよね?
現実のバクは、うーん、何食べるんだろ?
アリ食うのはアリクイだし、ええとええと…

 動物に対する自分の引き出しの少なさを今更ながら自覚。
勉強しなきゃー。
 しかしこの絵本、最後のページに描かれている動物が「マンモス」なんだけど、これだけ他とエラく毛色が違うというか時代が違いすぎるというか、解説する際「もう絶滅していて、居ない」という一言を付け加えなきゃならないぞ。
ああ、「他の動物さんたちも絶滅しないよう、みんなで気を付けないとイケナイね」と言って締めくくって欲しい意図かな?


2010年6月11日 金曜日

『けいおん!!』10.「先生!」

 意味ありげな予告から、大人の恋をしている さわ子が描かれるのかと思ったけど、軽音楽部の面々と同じく勘違い。
 「男の影」が本当に薄い作品だなあ。

 僅かに垣間見せられるDEATH DEVILメンバーの学生時代は、ほのぼのと柔らかく楽しげであり、もう一つの『けいおん』物語を想像させる。
それは同時に、現軽音楽部の面々の未来をも想像させる、という事。
 彼女達も、いつか仲間の一人が結婚する時には、放課後ティータイムを再結成して演奏…しそう。
 作品のエピローグとして、そういう展開があっても良いかな。
いや、そういう「男の影」はナシか。

 自分の授業がない間も、学校の用事で休むヒマが無い さわ子。
 生徒は、意外と鋭く教師の真価を見抜く。
普段とは大きくギャップがあるDEATH DEVIL姿を知られても、なお皆から好かれるのは、彼女が懸命に装っていたウソの顔など皮一枚の事に過ぎず、そこを(そこばかりを)見られていた訳ではないから。


2010年6月9日 水曜日

 今朝方、疲れ切ったので仮眠を取ろうと娘の横に倒れる。
 目を閉じていると、娘がもそもそと動く気配。
枕元に置いてある、プラスチックでできた、ごく小さなタンバリンにビーズを詰めたようなオモチャを手にとって振っている気配。
振るのに勢いが付いてきて、風を切るような音が耳に届く。
 …危険は感じるんだけど、何しろ疲れているもので、まさかまさかウチの優しいお嬢玉が親に対してそこまでヒドい事はしないだろうと考えてて目を閉じたままいると……

 顔面殴打。
手にガッチリ握り込んだオモチャを あたかもメリケンサックのように使い、更に二度三度と殴打!殴打!
 疲れてるとか言ってる場合じゃなく、飛び起きる。

 さすがにこんな事されたら、相手がドコの誰であろうとブチ切れて怒り散らしたろうと思うが、ポカーンとした後、何の悪意もない笑顔を見せてくる娘にだけは怒れない。
怒ったって、意味が分からずギャン泣きで返してくるだけだし。
 「お陰で目が覚めました、ありがとうございました」と言いつつ、仕事に戻るのみ。
 抵抗も出来ない、か弱い親への暴行は、ホントに控えてくれないだろうか。
まあ、精神注入棒で指導を受けたと思えば……思えないけど。


2010年6月6日 日曜日

『HEROMAN』10.「アプローチ」

 復興される街の様子と、リナの奮闘ぶりを中心にした、谷間エピソード。
 リナ誘拐、という事件は起きるけれど、第一話以来の、「車上で危機に陥るリナ」シチュエイションを介して、ジョーイと縁を結ぶ切っ掛けとする意味合いの方が強そう。
とはいえ、ヒーローマンに行方不明の人間を捜査する力は無いのだろうし(電気を操る能力を拡大し、リナ固有の体内電流を探知するとか、彼女の携帯のありかを探るとか、出来なくもない?)、偶然ジョーイが車を目撃しなかったら、可愛く肉感的なリナのこと、18禁同人誌のような目に遭わされていた危険性は否定できないところ。

 恋愛方面に鈍そうなジョーイや、あと一歩の勇気が出ないリナ、両者が意思の疎通を出来ていないのは仕方ないけれど、割合大人っぽく見えるサイまで関係に気付いて・配慮してやれないのは困りもの。
 兄を見送った悲しみを振り切り、いや…それをバネにして?心理状態を安定させるにはジョーイの存在が不可欠と考えたからか、積極的に迫るリナが可愛い。
話す時間を得るため、ジョーイと共に走るとまで言い出すリナは、ポジティブでちょっと格好良く、惚れる。

 改造された体を(傷ついた心も)隠すべく、去って行くウィル。
『仮面ライダー』だねえ。
再度、スクラッグの侵攻があった際には、人間でもスクラッグでもない事で勝敗を分ける存在になれる…かも。
 まだ立ち位置がハッキリしない米政府は、ジョーイ達の味方となるのか敵か。
エージェントっぽいお兄ちゃんは理解者になりそうだけど。



 衛星で放送された映画『13日の金曜日』を見る。
 2009年に、マイケル・ベイが製作に関わってリメイクした作品。

 オリジナル・シリーズも、それなりに真面目に作ってあった最初の方はともかく、無理に続けようとして「前の映画で完全に死んだはずのジェイソンを再登場させるため、無節操に生き返らせる」を連続したため生じた開き直り設定「不死身」が常態化してからは、ホラーというより悪趣味コメディーの色合いが強く、それはそれで嫌いじゃないけど少なくとも怖さを魅力には数えられなくなっていた。
 楽しんでいるように見える『エルム街』フレディと違い、ジェイソンは実に淡々と殺しており、殺人を義務あるいは業務と考えているっぽいのが、ユニーク。
 大都会へ行ったり寄生生命と化したり、未来世界で宇宙船に乗ってみたりフレディと戦ったりと、考えつく限りのキテレツ展開を終え、リメイクの形でクリスタルレイクへと帰還。

 大した期待を抱いて見た訳ではないが、うーん、それでも面白くはない出来。
 ジェイソンを新たなキャラクターとして捉え直し、描こうという気概など見えず。
ホラー描写は、シリーズ中・後半の ゆるんだレベルに終始し、かといって笑えるような所も無い。
 せめてシリーズのファンに対するサービスでもあれば良いが…ジェイソンがホッケーマスクを入手する場面なんて、どれだけでも遊べたろうと思うのに、驚くほど思い入れのないシーンにしかなっていない。

 何も考えず、単にシリーズ中のダメな一本だと思って見れば、失望するほどでもなく それなり。
 しかし……この程度にしかできないなら、リメイクする意味はあったのかどうか。


2010年6月5日 土曜日

『B型H系』10.「金城家の一族 セレブな兄のキラキラな秘密!/恋する途中?私の男(コスダ)に手を出すな!!」

 山田が初体験の小須田を慰める練習をしている時のセリフ、「いいのよ、早くても」「始める前に終わっちゃったのね、気にしないでよくある事よ」に、笑ってしまう。
心から言ってくれるならともかく、練習の成果としてうわべの笑顔を浮かべてこう慰められても、余計傷ついてしまうような。
 こんな言葉を吐くヒロインも珍しい、いや、この作品では日常茶飯事か。

 山田は、やりたがるばかりの馬鹿女の思考形態を持ちながら、現実にはあと一歩の勇気が出ない処女であり、一途な純情少女でもある、このギャップが面白いなあ。
 「大勢の男をH友に持ちたい」というのは、裏返すと「自分をそういう相手としてのみ考えてもらって構わない」という事でもあり、そこを越え、自分に真剣な気持ちを抱いてくれる小須田に対し、どう反応して良いか分からなくなる山田は、可愛い。
愛情というものを価値として認めない(怖がる)彼女には、どういうトラウマがあるのか描いて欲しい気はするけど、ちょっと重くなりそうで(下らない理由かも知れないが)、この作品の基本ラインから外れてしまうかな。

 ハッピーエンドに辿り着けそうもない宮野も、イイ。
真剣に小須田の恋の相談に乗りながら、涙を浮かべている様子なんて、フツーの作品なら正規ヒロインに格上げぐらいのイベント。
 相談相手への恋が芽生えてしまう僅かな可能性に賭ける、ダーク、というには余りに いじらしい必死さがまた愛しい。



 最初の目眩以来、断続的に耳鳴りが続いていたが、数日前、また目眩がして、再度耳鼻科を受診。
 しかし耳は良く聞こえており、目の動きも正常だそうで、「所見なし」、薬さえ出なかった。
 医師から、また来るなら目眩が起きている時に来てくれ、と言われたけど、そうなっている間は歩くどころじゃないのに……
とは思うが、医者からしたら正常時に来られても、「熱が収まり、喉の痛みも引いてから病院へ来て『風邪だったかどうか診断してくれ』」と言われるぐらい無茶な話なんだろうな。

 神経内科の受診を勧められたので、従ってみる。
 CTでアタマを輪切りにされたり、色々な検査を受けた、結果は異常なし。
 脳に問題でもあったらエラい事なので大丈夫だと言われるのは嬉しいが、原因を特定して治療・快癒といかないのは困りもの。
 まー心配する必要はないでしょう、体調が崩れ気味なんじゃないですか、という医師の言葉を信用して余り気にしないようにしよう。

 あ、この文章は年寄りの病気自慢みたいなモノなので、ご心配なく放置して頂けると有り難いです。


2010年6月2日 水曜日

『迷い猫オーバーラン!』09.「迷い猫、泳いだ」

 水着サービス話。
 巨乳、という事になっている乙女の胸が、カットにも寄るけど まだ控え目だと感じてしまったのは、『クイーンズブレイド』カトレアとか、限度を超えた胸を見過ぎてしまったが故。
 なかなか難しいキャラクターである、文乃の魅力を彫り込もうとする話でもあった。
ただ…うーん、無人島に遭難、という何でも出来るシチュエイションを設けながら、そこいらは寸止め気味に終わっており、物足りない。
 まあ、二人の関係が進んでしまったら終わる作品、でもあるんだけど。

 希に対し、夏のイベントに満足できたか・他に何かやりたい事はないか聞くシーンで、「あああキャラが正しい答えをしなかったら、また八週間も同じストーリーを見せられる」と思ってしまったのは、某アニメによりザックリと刻まれたトラウマのため。
 海に行きたい、という希の気持ちから始まった遠征なのだから、彼女の夢を叶えることでエンディングに繋げた方が、まとまりは良かったろうか。
でもまあ、主人公への独占欲が弱そうな希としては、彼と文乃の距離が縮まり「幸せ」に近づく一夏の出来事、が創出されることも、望の一部ではあったのかも知れない。

 前回、『咲』の監督自身に自作のパロディーをさせる(望んでやったのかな)のは、面白かった。
 一話ごとに監督を違えるシステムを、無茶苦茶だと思っていたし今でも思っているけれど、それ故の、次回何が起きるのか分からない楽しさ、みたいなモノは確かにあるなあ。


2010年6月1日 火曜日

 友人宅の愛犬が、突然亡くなる。
 ずっと前、その一家が留守にする三日間だけ預かったことがあり、わずかながら「ウチの子」だったもんで、結構なショック、少しばかり泣いてしまう。
 特に娘が産まれてからは、友人宅まで顔を見に行く余裕もなく過ごしたのに、この落ち込みよう。
本当にウチの子である駄ダックスフンドが死んじゃったら、どーなるんだろうか。

 娘は、ぼちぼちと離乳食を始める。
 開始後一週間ほどになるが、とにかくまるっきり食べないもので、ヨメ四苦八苦。
米おかゆ以外のカボチャなども試しに食べさせようとするけれど、やっぱり嫌がり、ごくごく小さいスプーン二匙も食べない。
 娘自身のペースがあるのだから焦らず ゆっくり…と思いつつ、どうしても焦りや必死さが出てしまい、娘に要らない緊張を強いてるのかも知れないなあ。
 娘より、自分達の方に親としての「成長」が求められている感じ。


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