ときどき日記 2010/08


2010年8月28日 土曜日

『ストライクウィッチーズ2』08.「翼をください」

 坂本から必殺の剣技を教わろうとし、実力不足を感じて力が入りすぎてしまう芳佳、という導入だったので、ストラーカーユニットを上手く使えなくなるのは焦りがもたらす空回り故、と思っていたが…
 『ガンダム』アムロのように、パイロットのパワーアップに機体が付いてこられなくなっていたためか。
 この第二期では、これまでの戦力じゃネウロイに勝てない!と実感するようなエピソードは そう無いので、芳佳の戦闘力拡大はちょっと意外。
いや、「過度に放出される芳佳の魔法力を適切にエンジン出力へと変換できるユニット」というだけの事で、パワーアップの度合いはそれほどでもない、って可能性も。

 戦艦大和の登場が、色々と色々な意味で感慨深い。
 今回はまるで役立たずだったが…
それはネウロイのサイズが大きすぎたから、なのかな?
砲撃でネウロイ機体の大半を吹き飛ばすことは出来ており、もう少し小型の敵機であれば、コアごと消滅させるのも不可能ではなかろう。
 芳佳やリーネに作ってしまった大きな「借り」を、いずれ遂行されるのだろう作戦で、無事返せたなら燃えるなあ。

 今回のネウロイは、……爆弾がモデル?
 それを芳佳が、現実では実戦配備されなかった震電と一体化する事で撃墜し、絶望的な状況にあった友と艦隊を救う物語は、これまた色々と色々な意味で感慨深かったり。
 まあ、その辺は余計なことで、友の危機に艦のハッチを開いて未完のユニットで出撃する(腕組み欲しかったな)、ちょっと『トップをねらえ!』を思い出してしまう、熱い、燃える、面白い話だった。


2010年8月26日 木曜日

 昨日は、とにかく娘が不機嫌で、一日中振り回されっ放し。
 寝かすと泣くし、起こしても泣き、抱っこしても泣いて、ミルク飲ませても離乳食あげても、オムツ換えても風呂に入れても泣き通し。
 僅かに、抱っこして外へ散歩に出ると、泣きやんで回りをキョロキョロ見ている。
しかし、3〜40分の散歩を終えて帰れば、少し寝てはくれるけど、すぐ起きて泣き始める。
 もう、お手上げ。

 体力が付いたせいか、泣き声は凄い。
ご近所から役所に、異常な泣き方だ幼児虐待の恐れがあると通報されかねない大音響。
 ちょっと放っておこうかと思っても、娘は、顔を真っ赤にして歯を食いしばり、体をのけぞらせ震えるようにして泣くもので、さすがに放置できず抱き上げてしまう。
 お陰で仕事は一ミリも進まず、ヨメも自分もグッタリ。

 まだ一人遊びは出来ないし、刺激のない部屋の中じゃ退屈なのかなあ、とは思っても、〆切が近く、そうそう長く散歩に連れ出したり遊んであげることは難しい。
 ああ、世のお母さん達は、この困難な時期をどうやって乗り越えていくんだろ。

 …と、何だかブルーな気分になっていたけれど、今日は娘、打って変わって何故かゴキゲン。
よく寝るし、笑うし、一人でハイハイ(まだマトモには出来ないが)して遊んでいて移動可能な範囲も少しばかり広がった。
 昨日と今日でどういう条件の差があったのか全く分からない……「そういう気分だった」としか言い様はないのかも。
 明日の機嫌は予想も付かなくて恐ろしいけど、何とか、まだ頑張れそう。



 今 敏監督が亡くなる。
 『PERFECT BLUE』『千年女優』『東京ゴッドファーザーズ』『妄想代理人』『パプリカ』…
クオリティーが高く、強い個性に裏打ちされた作品群が印象深い。

 『東京ゴッド…』の、実写でも出来そうに、リアルに感じさせつつ、現実に撮影するには恐ろしく困難そうなシーンやアクションの作り。
 毎回、ドコへ連れて行ってくれるのか楽しみであり不安でもあった、バラエティー豊かな『妄想代理人』。
 好きだったなあ…どれを取っても、日本アニメーションの到達点を思わせてくれる作品ばかり。

 まだまだ傑作を世に送り出せたろうに、余りにも早く、この世を去られたことを惜しみたい。
 ありがとうございました、お疲れ様でした、安らかに。


2010年8月25日 水曜日

 衛星で映画『ディセント2』を見る。
 モンスターも気持ち悪かったけど、それより閉所・暗所恐怖症でなくとも悲鳴を上げたくなるような洞窟の雰囲気と、女達が織りなすイヤ〜なパーティーの内紛が怖かった、『ディセント』の続編。
 前作のニール・マーシャル監督は制作総指揮に回り、編集を担当していたジョン・ハリスが監督に。

 前作ラストの絶望的な状態から、理由も明らかにせず脱出しているヒロイン。
周囲に報告・警告できないよう、都合良く記憶も失って。
 役に立たない探索のプロ、行動の全てが無茶苦茶な保安官、余りに無計画な捜査活動…
 強引に洞窟へと連れ戻されたんだから「被害者」と言えるかも知れないけど、突然 走り出してパーティーを危機的状況に追い込むヒロインには、感情移入できないとか何とか言うより死ねばいいのに。
 何だか明るくなった洞窟に恐ろしさはなく、捜索隊の回りをウロチョロしているモンスターの間抜けさにはドリフ『全員集合』の お化けコントを思い出してしまう。
志村ー、後ろ後ろ。

 『3』を作る気満々のラストも、商売っ気ばかり感じられて、『1』とは全然違う意味で後味が良くない。
謎が残ってしまった気はするけど、解明に興味が引かれるようなものじゃなく、どうでも良いし。
 自業自得過ぎて笑ってしまう保安官の最期、残虐なモンスターが可哀想になることもある人間側の反撃方法、『1』を補完する(違う方向の作品にしてしまう)ラスト近くの展開…
面白いところもあるけれど、全体としては気合いの抜けた内容になっており、「暇つぶしに見るならそこそこ」以上ではないなあ。


2010年8月24日 火曜日

『世紀末オカルト学院』08.「まんま亜美〜ヤ!」

 シリアスと笑いの融合、を狙っているんだろうけど…
どちらも面白い!より、中途半端さを感じてしまう。
 二連続ビンタとか、マヤが持つ父親への屈折した思いとか、変に重く扱われていて、うーん。
 馬鹿キャラとしか捉えられない文明の悲惨な過去も、それで現在のダメさ加減を埋め合わせられるものではなく、笑って良いのか悲しい奴なのか判断し辛い上、それが魅力にも繋がっていない。
…作る側の都合からは、便利に使えそうだけど。

 チュパカブラ、人間が勝てなくはないものの群れになると厄介、という微妙な強さに設定されていて、楽しい。
つい最近、衛星で見た映画『ディセント2』のモンスターを連想。
 セリフで死亡フラグを立てまくりながら、平然と生き残ってしまう男性陣の逞しさ。
僅かにでも緊張感や危機感があれば、悲劇と喜劇性がより強く感じられたかも。


2010年8月23日 月曜日

『ストライクウィッチーズ2』07.「モゾモゾするの」

 極小のネウロイ侵入!
 小型・群体化したネウロイの攻撃にウィッチーズは為す術もなく、基地を蹂躙されて危機一髪!という所で、個別の破壊が難しかったネウロイが何故か合体・巨大化してくれたため、戦いやすくなり、コアを潰して無事勝利を収めたのでした…
という話になるのだとばかり思っていれば、とんでもない馬鹿話。
 これまでも、馬鹿な話だとしか思えない舞台設定や戦い方がありつつ、実は大真面目に展開してきた第二期シリーズだが、これは本当にアホな話。
第一期にも、似た感じの話があったなあ。

 ネウロイ、基地電気系統への攻撃はともかく、少女達のパンツ(ズボン?)にやたら潜り込みたがったのは何故なんだろ?
作品の都合は、ひとまず置いといて。
 破壊工作よりは偵察が任務だったため、基地・戦闘機・戦闘員について出来る限りの情報を集めようとしたものか。
 エネルギー関係の装置を破壊する能力を持ったネウロイだったとすると、少女達のパンツから放出される魔法力に引き付けられ、破壊できる物と思い込んで侵入していた可能性も(エネルギーを吸収して上空に送っていた?)。
実際は、簡単に壊せるような物でなく、逆にミーナのケツ圧に押し潰されてしまったが。
凄いなあ、パンツとお尻の間に割りばしを挟み、気合いでヘシ折る、なんて宴会芸ぐらい楽勝なんだろうな。

 基地上空に待機していたネウロイ戦闘パーツ?へと弾丸一発も撃ち込むことなく、戦いは終結。
 ミーナのパンツを脱がす際、皆が発する言葉が、単に不埒な行為と重なる意味を持つ辺り、シモネタから『みつどもえ』を連想してしまう。
 名誉ある200機目撃墜が恐ろしく不名誉な形で達成される伏線の回収にも余裕が感じられ、潔い、迷いのない馬鹿話で結構だった。


2010年8月21日 土曜日

『オオカミさんと七人の仲間たち』07.「おおかみさん地蔵さんとダブルデートする」

 ちょっと長いシリーズでは定番の、記憶喪失(精神退行化)ネタ。
一昔前は、これと「『ローマの休日』アレンジネタ」は、困った時必ず使われていたもの。
 それは良いけど、依頼を放り出し、依頼内容とも余りシンクロすることなくヒロインの記憶喪失を追いかけ始めるのは、良し悪し。
ああ、「すぐ近くにいたため、何となく知っているような気がしていた少女の内面に、始めて触れるデート」という意味では、依頼者が直面する事態と重なってもいたのかな。

 ドラマティックでも何でもない切っ掛けで記憶を失うのが、驚き。
そして、大抵は「記憶を喪失した状況を再現する」といった方法で回復するのに、別段 大きな精神的衝撃にも寄らず、病院で何となく記憶が戻るのには、もっと驚く。
 こういうストーリーのパターンを大きく外した作り。
この作品は、そうして既存のお約束を故意に無視することが多いけれど、効果的であったり無かったり。
 描きたい・描くべき目標には到達できているので、形式を整えるためだけに時間を使うのは無駄、という割り切りなのかも知れないが……

 意味ありげなナレーションが成されていた事から、今回の依頼主達のデート模様についてはいずれ描かれる?
いや、本筋に関係あるとは思えず、このまま放置か。
 可愛いから良いけど、ああいうストーカー的な女性と付き合うと、いずれ問題が起きそうな予感。
「傘を貸して自分は濡れて帰る」程度には好意を抱いていた(その場で好意が芽生えた?)相手であり、まあ良いのかな。
 この作品、好意が行き過ぎて迷惑行動さえ取っている女性を、否定的に「描かない」所があるような。


2010年8月20日 金曜日

『けいおん!!』20.「またまた学園祭!」

 ヒロイン達の音楽に対する努力、というモノを、ほとんど描かない…避けている、ぼやかしているアニメ。
目に見える範囲だと、部室でお茶飲んでダベって、後輩に嘆かれているだけ、に思える。
 感動は、努力と引き替えな事が多く(簡単な描き方であり)、そこを飛ばしては、盛り上げ辛い。

 学園祭に向けても、せっかく「クラスの演劇と被って練習の時間が減少、体力・精神力的にも不安」という障害を用意しながら、苦労を描いたのは舞台度胸と演技の方。
 ヒロインらが怪我をしながら根性で演奏する…ような事はなく、記憶喪失になったり転校を控えていたり身内の病気・死去もなく、廃部を賭けて集客数を問われるドキドキもない。
 あるのは、「在校中、最後の(五人揃っての)公式なイベント」という事ぐらい。
 MCも特に感動を狙っておらず、いつも通り間の抜けた、ノンビリしたもの。
 これで盛り上げられるはずがない…んだけど…

 ちょっとホロッとしてしまうぐらい、盛り上がるのが凄い。
 丁寧に丁寧に追いかけてきたヒロイン達の日常があり、心の動きがあり、その積み重ねが大きな大きな力になっているのか。

 部室に帰り、もう無い「これから」を語り合うシーンには、ホロホロ。
 特に学園物には、時間経過をさせる物・させない(誤魔化す・開き直る)物がある。
人気作なのだし、途中から進級、進学をトボけてしまって別段 問題なく、「何回夏休みを過ごしてるんだ!」でも構わなかったと思う。
 しかし、そこを逃げなかったことで、みんなと一緒に過ごした楽しい時間の終わりを、しっかり、心に染みるよう描くことが出来ている。
 これだけで、たったこれだけで泣かせられるんだなあ。
「気楽に、頭をカラッポにして見られるアニメ」を「気楽でも何でもなく、頭を絞って積み重ねて作った」スタッフの誠実な努力があって始めて、なし得ること。

 これは、新しい『世界名作劇場』なのかも知れない、などと思う。
 何でもない日常を、愛しく、かけがえのない物として描き、「人生って悪くない」を伝えてくれる。
実際は『世界名作劇場』でも、数作しか到達していない完成度じゃなかろうか。
 親が出てこない、一般社会との繋がり描写も希薄、徹底して人間のダークサイド(シンドイ部分)を描かない、という所はあるけれど、そこがまあ「新しい・今風の」作り方。
それでいて、この作品のように濃密な人間関係が描けるのなら、構わなかろう。

 今回が最終回で良いように思いつつ、次回はまた緩んだ話?
 それでこそ この作品らしい、か。
 最後は卒業式、という事になるのかな。


2010年8月18日 水曜日

『学園黙示録 HIGHSCHOOL OF THE DEAD』07.「DEAD night and the DEAD ruck」

 取り残された幼女を主人公達が助ける、原作でも好きなエピソード。
 「絶望」を描くことが多いゾンビ物の中で、「希望」や「人間の美しさ」を表すのは…ここまで正面切っては珍しい。
悲惨な状況下で、ゾンビとなった人々を殺して(始末して)まで、主人公達が生き残るに値する存在である、と示す重要なイベント。
 まあ、救出対象がエラく可愛い幼女だということで、助けるべき価値は、「人間愛」以外にも「作品としての都合」とか色々感じ取れてしまうが。

 短い内容を三十分に延ばすため、変なオリジナル要素を入れないのは結構だったが、バイクでの走行距離が変に長く感じられたり、塀が低すぎに描かれているせいもありゾンビが主人公の足を掴もうとしないのは、不自然に思え、残念。
 何となく、幼女の父親を刺し殺した家の住人達は、ゾンビに押し入られて全滅したように思い込んでいたが、アニメで見て、原作を読み返しても、どうなったかは描いてないのね。
やったことは非道だけれど、居住空間も、食料・水など生活必需品も限られており、いつまで籠もっていれば良いか分からない不安な状況では、余所の人まで受け入れる余裕が無いのは仕方ない、と言える。
カルネアデスの板か。


2010年8月17日 火曜日

 一口感想。

『みつどもえ』07.「ガチで愛してしょうがない !?」
 一話の「チクビ」ネタからずっと、勘違いを笑いに繋げるパターンが多いような。
アンジャッシュ的、というか。
 子供向けヒーロー物『ガチレンジャー』への情熱を語っている矢部の言葉を、自分のパンツに欲情した変態の妄言と勘違いしてしまう ひとはが、可笑しかった。

『HEROMAN』20.「ミッシング」
 今回からまた新たなエピソードが語り始められたけど、一番の見所は「ジョーイの女装」なんだろうな。
 期待されていたネタであり、満を持して見せた…のかと思うが、アッサリしており、衣装への拘りや羞恥の描写は弱く、ストーリー的にも大した意味が無くて、拍子抜け。
いや、可愛いことは可愛かったけどね、もっとあざとくやって良かったろう。
 一緒に女装したサイもそれなりに可愛いことで、対比もちょっと弱かったかなあ…彼は男姿のまま、ジョーイとカップルに見せかけて互いの反応を描いた方が楽しかったかも(やりすぎると海外展開で障害に?)。

『MM9』06.
 期待の樋口 真嗣監督回だったが、「小津をやってみたかった」以外のことは伝わらず、残念。
 ここのところ数学者お母ちゃんの活躍が目立つけれど、そんなに魅力的なキャラクターだとは思えないので……

『セキレイ〜Pure Engagement〜』06.「婚グ言葉」
 変更点も含め、原作の魅力を活かしたい・キャラクターをきちんと描いてやりたいアニメスタッフの気持ちが伝わってきて、好印象。
 月海は可愛いなあ。

『生徒会役員共』07.「だんだん大きくなってくわ/津田くんはボーイズラブ」
 原作一巻を読んだ範囲ではそうでもなかったんだけど、アニメ版を見ていると、チビのスズが可愛く思えてくる。
 背が小さくて幼く見える、というコンプレックスを除けば、マトモだからなあ…生徒会女性陣他二人の煮詰まった異常さと比べればケタ違いに。
 この作品、主人公の周りは美少女で固められているが、残念なことに、とてもじゃないけど恋愛対象とは成り得ない個性の持ち主が多い。


2010年8月16日 月曜日

 今更だけど、BSで放送された『スター・ウォーズ』時系列順放送を見て雑感。
 映画シリーズの制作を『Episode4』から始めた理由については色々あるんだろうが、『Episode1』もほとんど同じ骨格を持っており、ここから始めて問題なかったような。
その場合、構成を大きく見直して、幼少期アナキンが成長してパダワンになるまで、ぐらいは描かないと、物足りなくはなったろうか。
 取りあえず三部作で一区切り、と考えると、アナキンがダース・ベイダーになって終わるんじゃ、引きは強くとも気ぃ悪いのは確か。

 『Episode6』
 イウォーク族の陽気な音楽からエンディングに繋がるのが好きだったのに、ちょっと しんみりした音楽に差し替えられて不満だった。
しかし、こうやって6作続けて見ると、エピローグは「ルーク達の勝利」と同時に「アナキンが人として迎えた最期」を強く描いているよう思え、悲劇と救済を感じさせて、そちらには合っているのかな。

 非道の限りを尽くしてきたダース・ベイダーが、皇帝にイジメられるルークを見て父性愛に目覚め、命懸けの反抗をするシーン。
簡単すぎる、物足りない、と思っていた。
 ここは、迷う心の弱さから皇帝に付け込まれ、その支配・影響を受けてダークサイドに引き込まれたままのアナキンが、正しく生きる息子の強いフォースを受け、中和されて皇帝の邪悪なフォースから抜け出せた結果、本来のアナキンに戻った、と考えるべきか。
 電撃を受けて瀕死の状態にあるルークの姿に、ジェダイ聖堂で自分が無惨にも殺してしまった多数の幼いパダワン達が被り、正気に戻っていると、より救われる感じかなあ。

 ボバ・フェットは人気キャラだけど、二世代に渡って最期が恐ろしく呆気ない。
特に二代目『Episode6』での間抜けすぎる死に様は、泣ける(皇帝もそうだし、このシリーズは強敵の最期をアッサリ片付ける癖がある)。
 もっと強く有能に描いてあげることは出来なかったのかなあ。
でも、『Episode6』では、ジャバ宮殿自体が本筋に関係なく無駄だから、膨らませてもナニか。
OPテロップに「ルーク達はジャバから無事ハン・ソロを取り返し」という一文を入れれば、それで済む程度。
いや、あの下り嫌いじゃないんだけど…『Episode2』での冒頭延々続くエアカー・チェイスなんかも、楽しくはありつつバッサリ切り捨てて構わないシーン。

 ヨメが背負子に娘を入れて歩いているのを見ると、ヨーダを背負って修行した時のルークみたいで、つい「大きさは関係ない」「やるか、やらぬかだ」「我慢が足りん、ママには教えられん」などと言ってしまう。


2010年8月14日 土曜日

 BSで『999』の特番を連日放送していたので、ふと考えた娘との勝手なアフレコ会話。
娘「パパ、999のパスを上げまちゅ」
父「え?お父さんなのにドクター・バンじゃなくて鉄郎?」
娘「999に乗って機械の体をタダでくれる星に行きなちゃい」
父「んー、まあこの体の老化も激しいしねえ、娘と長い旅に出るのもそれはそれで」
娘「あたちは他に用があるから乗りまちぇん」
父「一人旅?」
娘「あと、この999は特別急行で終着駅までノンストップでちゅから」
父「途中の思い出ナシ?」
娘「効率化のため無人車両だからクレアはおろか車掌さんも居まちぇん」
父「寂しい!」
娘「それで、終着駅の惑星メーテルに着いたら…」
父「メーテル?な、なぜ君と一緒の名前な」娘「いいから、もうそういうのいいから。ショックだとか言いたいのかも知れないけど、同じセリフをバカな男の子から何十回も聞かされてビンタとかされてるあたちの身にもなってちょーだい。飽き飽きちてるの。面倒だからハッキリ言うと、機械の体なんかくれないから。ネジにされるだけだから。まーパパとかトイレの配水管とめるネジぐらいにしかなれないと思うけど、合図があったら景気よく外れて嫌がらせに水漏れでも起こしてちょーだい。その後は回収とか不可能なんで、ネジのまま宇宙のどっかに飛んでって、死にたいと思っても死ねないから考えるのをやめたりしてればいいんじゃないの」

 そういえば特番では『999』について著名人のコメントを取ってあったけど、ついでに槇原敬之からも……



 コミケ開催中。
 去年の冬に続き、今回もお休みなので、何だかこう仲間はずれみたいに思えて寂しい。
 明日は、男性参加者で殺人的混みようを見せる三日目。
 参加なされる方は、水分補給と休憩を意識して忘れないよう、無理せず、お気を付けて。


2010年8月13日 金曜日

『ストライクウィッチーズ2』06.「空より高く」

 組み体操ばりにウィッチ達を組んで作り上げた多段式ロケット、この笑ってしまうような馬鹿馬鹿しいビジュアルを、大真面目に、必然性と説得力を持たせ、「おお!」と声が出るぐらい盛り上げて見せてくれる、これこそ『ストライクウィッチーズ』、と思わされるエピソード。

 超高々度にコアを持つネウロイに対し、頭と能力の限りを尽くして対抗するウィッチーズ。
ちょっと『エヴァンゲリオン』を思わせる、アイディアの掛かったストーリー。
 エイラとサーニャの関係にスポットを当てた内容でもある。
 未来予知、というエイラが持つ能力の大きな利点と、敵からの攻撃を防ぐ必要がないまま過ごしてきたため、誰かを「守る」のが不得手になってしまった欠点が示される。
これを、単独で哨戒任務に就くことが多いため強力な攻撃力を備えるサーニャの特性と組み合わせ、一本の物語に仕上げる構成力に感心。
 クライマックスで、エイラが不慣れなシールドを維持する必死さや、意外なところで役に立つ未来予知能力が見られれば完璧だったが、その辺はもう望み過ぎか。

 地味に、ジンジャーティーを飲んだウィッチーズがそれぞれ異なるリアクションを取るシーンは良かった。
当たり前のようだけど、これが基本、これが出来ないで多人数のキャラを描き分けられるハズなど無く…出来てないアニメは多い。
 能力の限界をブッちぎってサーニャを追うエイラと、その気持ちを引き上げる芳佳。
無茶苦茶ながら「こうでなければ!」であり、力任せに感動的。
 エイラの故郷を思わせる葉を土産に持ち帰るサーニャが、ラストシーンの伏線(感情の繋がり)になっている巧さ。
攻撃を受けて破損し不要になった最下部を機械的に切り離すネウロイと、全員協力して遙か上空を目指すウィッチーズが好対照。
 最後、つい「君はどこに落ちたい?」と言わせたくなったんじゃないかと思うけど(流れからして無理がないし、自分なら、そう)、そんな愚を犯さなかった自制心も素晴らしい。


2010年8月12日 木曜日

「ファイアボール」新シリーズ制作決定

 おお、なんか凄く嬉しい。
 続編があるとは思わなかったなあ。
絶望的な状況下での「良い知らせ」が明らかになる?
 一話ごとに随分時間が経っているようだから、その間を埋める形(『ひだまりスケッチ』のように)でもエピソードは作れるか。
 「良い知らせでございますが、人類軍を一撃で壊滅状態に追い込む超兵器が完成いたしました」として、戦況を一期に好転させ、その後、従来通りの呑気な話を続ける手も。


2010年8月10日 火曜日

 衛星で映画『モンスターVSエイリアン』を見る。
 ドリームワークス社製。
 監督は、『シャーク・テイル』監督の一人だったロブ・レターマンと、『シュレック2』監督の一人であるコンラッド・ヴァーノン…どれほどの力があるのか不安な取り合わせではある。

 予告で見て、興味を引かれるイメージはありつつも、モンスター・チームの編成が、巨大女・生きたゼリー(?)・ゴキブリと合体したマッドサイエンティスト・半魚人・超巨大毛虫、という選んだ根拠のよく分からないもので、面白くできるのかどうか、と思いつつ見たが…
 ああ、なるほど、「一昔前よく見られたB級モンスター映画の定番」という括りで揃えられている訳ね。
 ゼリーの誕生シーンが『人食いアメーバの恐怖』で、懐かしさに笑ってしまう。
あの映画、リメイクの『ブロブ』も含めて好きだったからなあ。
 ムシザウルスは、『ゴジラ』なのだと何となく思っていたけれど、実は…いやまあ、一応ネタバレに配慮してココまで。
よく見りゃすぐネタは割れるか。

 力自慢の半魚人、なんて、ケタ違いのパワーを持つ巨大女とムシザウルスが居るチームじゃ活躍のさせようがない、と思えば、ちゃんと活きるシーンを用意する周到さが嬉しい。
 脳が無いせいかアホみたいなゼリー・ボブは、ゴキマッドサイエンティストと対比するためだけに居る…訳ではなく、モンスター中で一番楽しいキャラな上、後半では素晴らしい(アホみたいな)機転を見せてくれる。
「型に嵌められて製品になるゼリー」だからこその発想か(ボブの出自は全然違うが)。

 モンスター達が外見に似合わぬ思いやりや優しさ…人間らしさを現してくるのと逆に、人間達は異質なものを受け入れない狭量さ・汚さを見せ、どちらが「モンスター」なのか、という問いかけがあって、巨大女・スーザンは「常識に沿っている事を良しとする幸せっぽい暮らし」より「自分らしく居られる人生」を選び取っていく。
 馬鹿な話のようで、この辺りはしっかり語れており、ちょっと感動的ですらある。

 正しく懐かしく怪獣物を思い出させてくれる巨大戦闘は、迫力があって楽しい。
エイリアンUFO潜入後のドタバタに、昭和の『ガメラ』を想起。
基地内でスーザンが運ばれるリフトは『エヴァンゲリオン』っぽい。
 スーザンの視点、を強調しているためか、巨大感よりも「良く出来たミニチュアセットの中で暴れている」と感じさせるカットが多いような。
街中から橋で展開するアクションには、ワクワク。

 ハードルを高く上げて見る映画ではないけれど、最後まで飽きる隙のない、楽しくて可愛い、良い作品じゃなかろうか。


2010年8月9日 月曜日

 衛星で映画『ハリー・ポッターと謎のプリンス』を見る。
大ヒットシリーズの6作目。
 監督は、前作『不死鳥の騎士団』と同じくデヴィッド・イェーツ。
 公開から時間が経っているため、容赦なく内容に触れてしまうので御注意。

 予告で見られた、「ついに人間世界までもヴォルデモートの脅威が及び始める」シーンに大きく期待していたけれど、それは映画冒頭部分だけで本編とはほとんど関係なく、ハリー達の行動にも影響しない。
 相当に多くの部分を、恋愛描写に費やした映画。

 しかし…ハーマイオニーとロンが くっつくとは思わなかった。
ロンって、特にこの映画シリーズでは「気のイイ奴」という以外、取り立てて良い所のないキャラなのに。
 それでも、一途にハーマイオニーを思う気持ちが通じて…とかいうならまだしもだけど、ポッと出た他の女性キャラに目移りするだらしなさで。
 ハリーとの間に複雑な三角関係を構築するためかと思えば、彼は彼で、行きずりのウェイトレスにチョッカイ出しかけた後、誰だっけ?の女の子とイキナリ良い仲に。
 ロン・ハーマイオニー・知らない女の子の どうでも良い三角関係は、驚くぐらいどうでも良い告白イベント?で解決・進展。
 前作のハリーと東洋人少女の描き方もそうだけど、この監督は恋愛描写が壊滅的に下手。
そういう事に関心が無いのだと思う。
 キャラクターの魅力を損ない、迫るヴォルデモートの恐怖とかハリーの焦燥感とか、クライマックスに向かう気持ちを弱くしてしまうばっかりなので、このつまらない色恋沙汰はザックリ削ってしまう方が良かったなあ。

 ハリー、今回は無闇にマルフォイを疑ったり、借り物教科書のお陰で良い成績を上げながら申告せず、それどころかハーマイオニーから隠そうとするなど、小物臭が凄い。
前作で何も出来なかった無力感から来るもの…なんだろうけど、この映画ではその辺の描き方も上手くないから。
 クライマックスでレギュラーから死者を出してしまうが、「事前の計画通り」が強く感じられ、悲劇性は薄い。
実は生きていても全く驚かない。

 今作で良かったのは、一人苦しみ続けるマルフォイか。
もっと馬鹿で考えの薄いキャラだと思っていた(映画版では)ため、意外な人間性。
 やはり、父の愚行を正すべく、やむを得ずハリーと手を組んで「ホグワーツ最強のコンビ」を結成し、ヴォルデモートとの戦いに臨む…といった展開が見たかったなあ。

 校長が、望んで苦難に立ち向かいながら すぐ情けない姿を晒すシーンでは、「それほど恐ろしい・苦しい事なのだ」を表したいんだろうけど、妙に馬鹿馬鹿しくて笑ってしまう。
 ラスト近く、ハリーの持つ教科書の主が誰なのか突然明かされるが、そこに興味が集中する内容にはなっていないため、ああそうですか。
それにしても、恐ろしいオリジナル呪文まで書いてある教科書を置きっぱなしにしてあったのは、どういうつもりなんだろ。

 原作ファンが血を吐くほど、この映画では内容が改変…改悪されているみたい。
 完結まであと二作、同じ監督で行くのかぁ。


2010年8月8日 日曜日

『MM9』05.

 大怪獣シッポンが暴れ回る、「こういうのが見たかった!」話。
 怪獣の現状をレポートするテレビ画面にL字型の枠が出て、そこに避難勧告やら被害状況の文字情報が表示される、台風や地震発生時にお馴染みの演出が、『ガメラ』と同様、「怪獣世界のリアリティー」を思わせて嬉しい。
 怪獣のCGは、さすがに映画並みとはいかず、苦肉の策を思わせるところも多かったけれど、これだけ頑張っていれば十分に乗ってあげられる。

 気特対は現地に出掛けず、独自の情報ソースすら(本来は)無いため、仕方なく全員手分けして各局のテレビ中継をウォッチ。
NHKや日テレ、フジなんかはともかく、テレビ東京らしき局を見続けて「相変わらずアニメ」とか言ってる人、無駄すぎ。
 予算も権限も人員も足りないのに、成果は求められる職場の悲哀が、これまでの話より上手く出せていて楽しい。
 ネット情報をアテにするのも、現代の物語としてはリアル。

 怪獣の行動形態や特性から、進路予想と正体の推定を行い、自衛隊に警告する気特対。
…これまで見てきた中で、最も有能な姿。
 怪獣と昆虫とは全然違うものだと思うけど、そこから拡大して正体を推し量って良いものか、とか、進路予想の元になったポイントをドコから見つけ出してきたのか(民俗学的アプローチ?)、という疑問はありつつ、まあソコは怪獣物のパターン。

 シッポと思われた怪獣の一部が「局部」であると判明し、途端にモザイクをかけるテレビ局。
 気特対が提案する恐るべき消極的な怪獣対策案…メンツを賭けた自衛隊による対処法の方が、怪獣物としては妥当に思えてしまう。
 状況が終了しても「目出度し目出度し」で終わらず、徹夜で報告書の取りまとめに入らねばならないお役所仕事の大変さ。
 正直、ここまでのシリーズは余り楽しめておらず、そろそろ視聴脱落しようかと思っていた所だったが、今回は継続の気力を湧かせるに足る面白さだった。



『アマガミSS』06.「トマドイ」

 先輩編の結末・四話目を見逃してしまったため、どういう終わり方…ハッピーエンド・アンハッピーエンド・投げっぱなし…をしたのか分からず。
まあ妥当に、行く末の幸せを予想させる終わり方、だったのかな。

 五話からは、これまでもチラチラ登場していた主人公の「友達」、薫がヒロインに。
それはそういうサッパリしたキャラとしての魅力があり、悪くない。
 彼女に割ける話数が限られている(全員四話構成?)ため、友達から関係が変化していく心理的描写が足りない気はするけど、酷く不足している程でなく。

 で…この子にはヘソキスをするのか。
ヒザの裏よりは、高校生男子としてあり得なくもないパーツ選択、かな。
その分のインパクト不足は、主人公による舌使いテクニックと、男の子の頭を包み込むように女の子が服を被せてしまう ちょっとイイ感じのシチュエイションでカバー。
 この作品は、数多くある恋愛シミュレーションゲームをアニメ化したものの一つであり、ストーリー運び自体にはさほど特別な所は無いけれど、キャラ毎に一度は入る(のだろう)馬鹿エロキスシーンが大きく特徴的。


2010年8月6日 金曜日

『HEROMAN』19.「サバイバル」

 怪奇植物について、色々に想像していた。
スクラッグの置き土産、スクラッグの残骸を元に米軍が独自で開発したもの、ヒーローマンと同じく ある個人の思い入れ(悪意)が不可思議な切っ掛けで超常存在化したダークヒーローマン、被害者であり善人面した研究所員(人間ではない?)が仕掛けた大きな罠……
 実際は、特にヒネり無く米実験生物の暴走、みんな困ってます、という事で。
ちょっと、拍子抜け。

 恐ろしくデカいヤシガニが普通にいる島、なのは、何かの伏線?
そういえばスクラッグの宇宙船も巨大植物をベースに造られているような雰囲気だったし、このエピソードはシリーズ後半で意味を持ってくるのかなあ。
 ヒーローマンも苦しめた戦闘能力がある訳で、この植物を完全な統制下に置けたなら、スクラッグの再襲撃に十分対応できそう。
メカ一辺倒…なのだろうドクターミナミと対する形で、バイオテクノロジーのマッドサイエンティストを設定しても良かったろうか。

 大小に形体を変えられるヒーローマンの特性を活かし、触手から抜け出して、クライマックスでは逆転に繋げてみせる、この工夫は楽しかったけれど…
前後編まとめて一話、三十分で終わらせられる内容だったような。
 まあ、女性陣の水着姿サービスは確かに価値あるが。
 スクラッグ編終了後、「つまらない」訳ではないものの、ちょっと間延びしているように感じられ、その割に結局「時間をかけて描くほどの内容じゃない」エピソードが多く、残念。


2010年8月3日 火曜日

 映画『借りぐらしのアリエッティ』を見る。
 脚本が宮ア 駿で、米林 宏昌の第一回監督作品。

 前半、アリエッティ達の暮らしぶりを描くところは、素直に面白い。
『ハイジ』や『赤毛のアン』で実証された、「生活をきちんと描いていけば、それだけでも視聴者の興味を繋ぎ止められるはず」を実現できているよう。
 小人が病弱な男の子と容易に交流しないのも良いし、頼り甲斐のあるアリエッティ父・文明に「毒され切った」ような母も楽しい。
 小道具にかけられたアイディアの量が尋常でなく、それだけでも見応えがあり、小人の暮らしを実感させてくれる物理現象や音への拘りにも感心。

 が…中盤、男の子が小人達との関係を無理矢理進めようとするのに、唖然。
のび太あるいは出木杉かと思えば、ジャイアンだった、というような行動形態で、心が離れてしまう。
 その後、庭でアリエッティに告げる言葉も酷い。
 彼が病弱であり、命が短いものとして焦って・怯えている、虚無的になっている、という事を考えても、「だからって何しても良い訳じゃないだろオマエ」。
本当、「悪気が無くても人は殺せる」という感じ。
 悪意から行動する人間も小人もおらず、しかしどうしようもなく擦れ違っていく様子が作品テーマなのだろうが、そう思うのと面白いと感じるかどうかは別。

 後半に起きる危機とその解消は…ピクサーなら小人ならではのアクションを連続して、分かり易いエンターテイメントにしたろう。
 実際は、大した危険に遭遇せず、ソフトに解決する(根本的には解決しない)ので、どうにも食い足りず。

 見終わって、薄味だなあ、という感想。
宮ア 駿監督であれば、このままの内容でも、ガツンと来る、後々まで思い出せる「絵」をいくつか演出したかと。
 全体にレベルは高く、プロの仕事だと思うけれど、「ソツがない」というイヤな言い方にもなってしまい、ガチャガチャだった『ゲド戦記』よりも記憶に残り辛い。
五年ぐらい経ってジブリ作品を思い出そうとした時、これは忘れていそう。
 劇場公開でなく、構えず見られるテレビスペシャルぐらいにしておけば、評価はもっと良かったかも知れない。


2010年8月1日 日曜日

『ストライクウィッチーズ2』04.「かたい、はやい、ものすご〜い」

 今回は、シャーリーとバルクホルンの関係がメイン。
芳佳達は背景扱い。
 レギュラーの中に忘れかけている子も居るため、こうやって少しずつキャラにスポットを当てて彫り込んでくれる構成は有り難い。

 新型ジェットストライカーユニットのパワフルさが楽しい。
既存の機体を遙かに凌駕する性能を発揮し、強化されたネウロイと互角に戦うには必要か、と思わせて…
 新機体の優れた所と、やがて現れてくる問題点を描き、使用を禁止されながらも出撃しなければならない状況を作り、大活躍と危機を見せて、越えられないはずの速度の壁をド根性で突き破りバルクホルンに追い付くシャーリーの姿でクライマックスの感動を演出する。
こういう物語パターンとして全く不足がない、満点の出来。

 ジェットストライカーの未完成な部分を、自分の責任に感じるバルクホルンは、潔くて格好良い。
 直感だけに基づいたルッキーニの言葉を素直に容れるシャーリー、というシーンに、二人の強い信頼関係が読み取れて上手い。
 パンツ乱舞はいつもの事として、乳揺れなどサービスも多く、楽しい内容だった。



 幼児が二人、部屋に閉じこめられたまま置き去られて亡くなった…いや、殺された事件が、シンドイ。
 詳細を聞けば聞くほどシンドイ。
 インターホンで外に向かいママと呼びかけ、助けを求めていた、なんてのはもう辛すぎて聞いていられない。
 ウチの娘を強く抱きしめ、少々迷惑そうな顔をされながらも、その柔らかさと暖かさと命の感触で、ようやく安心させて貰っている騒ぎ。

 前にもこんな事件があったけど…何とかならなかったのかなあ、と、今更意味の無いことを考えてしまう。
 子育てが面倒臭くなったり苦痛になったりする気持ちは、よく分かる。
「いっそ殺しちゃえば楽になる」と「考えてしまう」所までは、誉められた考えじゃないが理解できる。
 でも、ふと脳裏をよぎるのと、実行に移すまでの間には、遙かに遠い距離があるはず。

 せめて子供を路上に置き捨てる事は出来なかったのかなあ。
それなら、誰か気が付いて警察にでも連れて行ってくれるだろう。
 育児放棄にはなるけれど殺してしまうほどの罪にはなるまいし、行政が相談に乗ってくれれば施設で預かってもらえる可能性もある。
 「産んだ責任を取って(権利を行使して?)殺す」愚挙よりは、「無責任に捨てる」愚かさの方がずっと良い。
「子供のために」ずっと良い。

 そこまでも考えが到らないのか。
 子供を独立した命でなく自身の延長と捉え、伸びすぎて うっとおしい髪を切る・爪を切るのと同じ考え方で行っていることだから、「生き続けさせて自分と関係ないところで幸せになれば良い」なんて思えないのか。
 そんな分かったような考えを絶する、恐ろしい母親の姿を伝える事件の続報もあるけど……

 今は、二人の子供が、穏やかで安らかでお腹一杯満たされた所に居るよう、祈るのみ。
 頼むよ、神様なんてのはこういう時のために居るものだろう。


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