ときどき日記 2010/09


2010年9月30日 木曜日

『生徒会役員共』最終13話.「生徒会役員共!乙!」

 最終回にして初めてこのアニメを見たヨメが、「何なのコレ?キャラは可愛いけどアリエナイぐらいシモネタ全開じゃない!」と驚いていた。
まあ、正常な反応だというか、制作者が期待した・意図した通りのリアクションだろう。

 最後まで来て、「最後だ」という事を作り手自身、楽しむが如く、早めの最終回特別エンディングの後は、反省座談会(?)とか、魔法少女モノのウソ新番組予告を見せてくれた。
 ウソ予告は例がないでもないが、このままホントに作品を立ち上げられそうなぐらい気合いの入った映像になっているのが、パワーの無駄遣いで楽しい。
 やっぱり、作品としてのノリがシリーズ後半に行くに従って尻上がりに良くなっていたと感じられるため、余計、終わってしまうのが惜しいなあ。
同スタッフでの第二期制作を期待したい。

 …ところで、この最終回で最もグッと掴まれたのは、ホラーなテレビ番組(映画?)を見ているウチ催してしまったスズが、母親に「トイレに行きたいんだけど」と告げたところ、母親が両掌を差し出して「受け止めてあげる」というネタ。
母親としての(行き過ぎた)愛情と、気持ち悪さと、裏腹なエロさ、というものまで感じられて、もう何というかスゲエとしか。
 実際の話、親であれば幼少時の子供の大やら小について触ってしまうことを恐れていちゃオムツの交換すら出来ない訳で、「汚いなんて思わない、全然平気、私(親)が何とかしてあげなければこの子は泣くばかり」という気持ちが、娘成長の年月を経てもまるで劣化しなかった場合、どうぞ、と両掌を差し出す対応も極論すればナシじゃないような。
 ちょっとぐらい娘の成長を認めろ、とは思うけど…母乳入りの料理を当然のような顔で出す母親だから、無理だろう。
 スズの肉体的成長を阻害している原因には、「幼く可愛いベビー」で居続けてくれる事を望む母親の束縛というか呪縛というか、そんなモノがあるのかも。
その辺は、スズの成長遅れが親の精神的成熟を阻害している、とも考えられるし、どっちもどっちかな。
 しかしスガーンと脳髄に響くような凄いネタで、ここを起点に単行本一冊分ぐらい話が広げられそう。
 スズ母、いいなあ。
このお母さんを主な目的として、続きの単行本を買うべきか。
 (御指摘を頂きました。ここに出ているのはスズ母ではなく、スズの友達・轟 ネネだという事です…うう、初登場シーンありで紹介されてさえいたというのに、思い込みで間違ってしまいました。全然的外れなことを書いていて情けない。でもまあせっかくですし、馬鹿を晒すのもエンターテイメントかなあと思うので、元の文章を残しておきます)



『ストライクウィッチーズ2』最終12話.「天空より永遠に」

 書き損ねていたので…10話「500 overs」での、ちょっと意表を突く構成が面白かった。
 普通、反目し合う二人だったが対ネウロイ作戦で窮地に陥りやむなく手を組む、といったパターンにしそうなモノだけど、それはアッサリとクリアしてしまい、その後にクライマックスを持ってくる作り方が上手い。
 「予想は裏切って、期待は裏切らない」レベルの高いストーリーに出来ていて、感心。

 最終話は、伏線通り死の危機に見舞われる坂本、上昇した魔法力によりただ一人飛び立つ芳佳(ホウキ訓練が活かされているのは嬉しい)、ピンチに駆けつける仲間達、技術よりは正に「渾身の、魔力全てを絞り尽くす一振り」で成し遂げた真・烈風斬による逆転…と、気持ちの良いパターンが積み重ねられていて、燃える。
 こんな元気に飛べるなら早く助けに行けよ他のウィッチ達、とか、「??」と思うところはあったりするんだけど、力強く、真正面から盛り上げているので、気持ち良く乗ってしまう。

 坂本を取り込んで魔法力を使い始めるネウロイは極悪で凄いなあ、と思ったけど、大和をネウロイ化して決戦兵器にしようとする人類側の作戦を真似ただけ、とも言えるのか。
 この戦法が有効であると、残った他のネウロイに伝わったなら、これからの戦いは様相を変え、ウィッチ達は苦戦を余儀なくされそうだなあ。
 人類に対し友好的な(興味を持っている)ネウロイが、クライマックスで再登場するかと思ったんだけど、無し。
所詮、人とネウロイは相容れないのか。

 人気のある作品だし、坂本だけを実戦参加しない司令官あるいはコーチとして、第三期に備えて良かったと思うけど…
航空団の解散は前期ラストでもあった事だからともかく、芳佳の魔法力消失が痛い。
また別のウィッチ達により戦いは続いていく、とでも言うように、新キャラが顔見せをするエピローグも、(これはこれでまた新たな・面白い物語を作れそうだが)純粋な続編制作には不安を感じさせるところ。
 芳佳は、「一時的に枯渇していた魔法力が復活」で良いし、坂本を実戦で使いたいなら「融合の際にネウロイの力を半ば取り込むことで魔法力を復活させた、暴走ネウロイ化の危険と、人類・ネウロイ間の架け橋となる可能性を秘めた存在」として再登場させる手もあるかな。
 数年後の世界を舞台に、成長して自身の隊を率いるようになった芳佳が、未熟な新人達を時に厳しく教え導きながら、ハードな戦いに身を投じていく『ストライクウィッチーズStrikerS(呼び辛い)』もアリか。
 ネウロイの正体や芳佳父に関することなど、まだ積み残した謎はあるように思え(語られなければ未完成だ、という部分ではないが)、もうちょっと魅力的なキャラクター達に付き合って行きたい気分なので、第三期を期待したいところ。


2010年9月28日 火曜日

 最近、衛星放送等で割と雑に見た映画。

『デイ・オブ・ザ・デッド』
 『13日の金曜日PART2・PART3』『ガバリン』のスティーヴ・マイナー監督作品。
 実はジョージ・A・ロメロ監督『死霊のえじき』のリメイクなんだけど、そういえば軍事基地が出て来たとか共通点はごく少なく、今風に元気一杯 走り回るどころか天井を這い回ったり超人的パワーを発揮するゾンビへの設定変更もあって、「リメイク」にする意味がよく分からないなあ。
 死んだ瞬間「ゾンビになった」とハッキリ分からせるためか、CGで顔に腐敗痕?を浮かび上がらせているのは、手間を掛けた割に怖さを削ぐ役にしか立ってない。
いや……怖がらせようという意図はほぼ無い映画なのかな。
 大きな破綻はなく(破綻だらけと言えばそうなんだけどまあゾンビ映画だし)、いくらかお金も掛かっていて、それなりに最後まで見られるが、ジャンルへの愛情・執着は薄く感じられ、見終わった印象は弱い。

『ゾンビ・ストリッパーズ』
 ほとんど舞台はストリップ小屋で終わってしまい、登場人物も限られる、『デイ・オブ・ザ…』と比べてもケタ違いに低予算な、アマチュア作品かと思ってしまう映画。
なのに、『エルム街の悪夢』フレディーでお馴染みロバート・イングランドが出演してて、意外。
 内容はもう壊れまくっているため、ツッコミ所に不自由せず。
 腐敗が進むゾンビ・ストリッパーに男達が熱狂するのは、裸の女性という「生」と、ゾンビになって醸し出す「死」の匂いが、相反する危険な魅力となっているのか…そんな真面目に考察する内容じゃない!
 お金も技術も品も無いC級映画だけど、最後まで割合と楽しく見られるのは、ジャンルに対する愛情が過剰なほど溢れているから。

『宮本武蔵 -双剣に馳せる夢-』
 原案・脚本は押井守。
それらしく、『ミニパト』のように、怒濤の押井理論語りで全編を埋め尽くす内容。
 無茶なような説得力があるような理屈は楽しいし、実験的な画面作りも良いとは思うけど、「映画」として先を見せる力は弱く感じられ、三十分を過ぎた辺りから集中力がもたなくなってしまう。
 もうちょっと短くて良かったかな。

『バビロンA.D.』
 ヴィン・ディーゼル主演。
 二十分ぐらいはマトモに見たんだったか、ちーとも面白くならず、興味も持てない内容なので視聴終了。

『ファイナル・デッドサーキット 3D』
 『ファイナル・デスティネーション』シリーズ第四作目。
 シリーズ一作目は新しいホラージャンルを開くアイディアが面白く、二作目でネタのエスカレート具合や続編としての構成の巧さに唸ったが、三作目は気合いの抜けた内容でガッカリ。
この四作目は、二作目の監督デヴィッド・R・エリスが再度手掛ける、という事で期待して見た…けれど…
 「変な殺し方の見本市」だけになってしまうと弱いなあ。
殺しのルール(あやふやなモノではあったが)を曲げている所があるし、既出の方法を使って殺すのもマズい。
 ネタ切れを、グロさの強調で凌ごうとするのは『SAW』と同様。
 途中、面白いシーンも無いではないけど、徒労感だけが残るラストで大きく台無し。
 この辺でシリーズをファイナルにしては…と思っても、この四作目が結構当たってしまったみたいだから、まだまだ続くんだろう。


2010年9月27日 月曜日

『オオカミさんと七人の仲間たち』最終12話.「おおかみさんとマッチ売りじゃないけど不幸な少女」

 シリアスな学園抗争(?)バトルが繰り広げられる…かと思いきや一部を除き随分 間の抜けたドタバタに終始した前話までと大きく変わり、番外編というかオマケのような最終話。
 羊飼 士狼とのエピソードは、原作でもまだ継続中?
アニメの第二期があるなら、続きはそこで描かれることになるのか。

 ただ…個人的にこの作品は、各話完結の基本コミカルな寓意的要素こそ面白いと思っており、あんまりシリアスになると魅力が削がれるようで、鬼ヶ島高校との確執はこれきり終わりにしてもらっても結構。
 最終話のように単発に見えるエピソードを通しても、キャラクターの関係変化は描けるのだし。

 とにかく崩れない・高品質な作画が大きな魅力のシリーズだった。
 女の子達はみんな見目麗しかったけど、特に林檎の、可愛く幼い外見に反した「黒い」表情が楽しげに描かれており、一番印象的なキャラになった。
…彼女自身が抱える問題を見せる話は、葛藤が弱く関係改善も余りに簡単に過ぎて、物足りなかったけれど。
 多用されるナレーションは、慣れるに従ってこの作品固有の面白さ・味を醸し出してくれ、無くてはならないモノに。
ただ、個性を持ったナレーションを終始流しているが故、特にシリアスな場面で緊張感が欠けてしまう結果にもなったかな。


2010年9月25日 土曜日

『HEROMAN』最終26話.「フェイス FAITH」

 盛り上がる形式を取っていたし、悪い、とする最終話ではないと思うが…
物足りない。

 ラスボスは、普通にスクラッグの旧ボス・ゴゴール。
本星から更に戦力を増強した部隊が到着するものかと思っていた。
スクラッグって、地球に来た勢力だけで全て?
 侵攻惑星を破壊しつつ、星から星へと渡っていく、『ガメラ2』草体とレギオンを融合したような存在か。
 本当に「侵略者」「破壊者」としての存在だけでしかなく、理解できる内面とかゾッとする異質さは弱い敵。

 ウィルのドラマが完結していないよう見えるのは、残念。
超常的なヒーローマンを介してなら、元の人間姿に戻してやることも出来たんじゃなかろうか。
 同じく改造スクラッグにされてしまったニックは、憎しみを募らせてスクラッグを凌駕・支配する存在となり、真のボスとなって人類絶滅を目論み再登場…かと予想していたけど、それほど大事な扱いのキャラじゃなかったみたい。

 盛り上がるべきクライマックス周辺で、「苛立つマネをする馬鹿マスコミ」を見せた意図は?
ジョーイらの足を引っ張った、という以外、彼女らが失点を埋めるような行動を示す事はなく、かといって更に致命的な愚行を重ね最悪の状況へと導く訳でもなく。
「戦いの邪魔」扱いせず、単にヘリで飛び回りながら中継しているだけの人達に描いておけば良かったような。
 ああ、報道という「大義」のため命すら捨てる覚悟、という事で独善的ヒロイズムを満足させようとする、客観的に見れば傍迷惑なマスコミの姿と対比して、ジョーイの安易な(一人決めた死をも睨む)行動を戒め、真のヒーローに描きたかったとか?

 リナはまだしも、ジョーイ姉であるホリーがラストバトルで果たす役割が弱い。
パターンながらスクラッグに捕らえさせ、人質扱いにしてジョーイの戦う理由に加えれば…というのは既にやってるんだっけ。
 活躍が弱いのは教授もサイもだし、チームの一員に加えたはずの女先生なんか存在自体を忘れてしまいそう。

 この作品は、ジョーイがヒーローになるまで…というか、「ジョーイはヒーローになった」とすれば制作意図は達せられる、終わって良い物語だったのか。
 ヒーローマンは、ジョーイ父のイメージから作られた(父が力を貸してくれた?)超常存在だろうから、父と子のストーリーとしては「ヒーローマンをジョーイが乗り越えていく」事で完結して欲しかった。
ジョーイがヒーローマン状に変身し…とか、そういう展開を期待したけれど。
 ヒーローマンはジョーイが形作っているのだろうから乗り越えるもヘッタクレもなく、また今日的に「最後まで一緒に戦う」のが間違いだとも言えないが。
 ヒーローとして死んだ父親の記憶は、勇気もくれるのだろうが、自身ヒーローになろうとするジョーイの心に影を落とす「呪縛」ともなっている辺り、スタン・リーっぽい捉え方かな。

 ドクターミナミの脱獄は当然の予想範囲内だけど、決戦に間に合わせないと余り意味がないような。
第二期を見据えての事、なのか…悪役としてもそんなに魅力的ではなく、別段嬉しくはないが。
 米政府からの逃亡編とか、構成として「無駄」を感じさせる所が多かったのも、残念。
テーマへの絞り込みをもっと強力に行って欲しかったな。
 決して つまらない訳ではない、しかし、頑張っている作画や演出が第一話から醸し出していた「凄いアニメになるかも」という期待感に不足無く応えられる内容だったかというと、個人的には、うーん。



『天装戦隊ゴセイジャー』31.「ネバーギブアップ!ゴセイジャー」

 「粘菌特別便」という、本来の視聴者である子供にはなかなか通じにくそうな駄洒落ギャグに笑ってしまう。
 今回は、膜インによる「人間こそが地球を汚している元凶」とする、一昔前の悪ボスがよく語っていた人類への糾弾セリフがあった。
なので、もう最終回が近いかと思えば、そういう訳でもないのね。

 劇中で指摘されたのは地球環境汚染に関するものばかりだったが、例えば尖閣諸島での騒ぎなんか、膜インら、更に言えばゴセイジャーはどう捉えるんだろ?
 人類の未熟さ・危険度合いの現れ…かなあ。
 ところで、人類を見下ろすような、より高次の存在だったら、今回日本はどのような対応を取るのが正解だったと言うのだろうか。
「同じ種族同士で争うなど愚か」とかいうフワフワした理想論じゃなく、現実的対応として何を正解とする?
「互いにもっともっと話し合ってより良い解決法を探るべき」…いやいや、そんな綺麗事はイイから、今すぐ取り得る「素晴らしい」と高次生命が誉めてくれる選択肢を知りたい。
 まあ、既に実際の日本が取った対応は相当に……だったが。

 ゴセイジャーは人類を信じてくれるんだけど、「未来の地球はきっとステキな世界になる」とは、なかなか信じられず。
 自分など、「君達が大人になったら、きっと素晴らしい地球に…」とヒーロー物等の劇中で言われていた(言われ始めの?)世代だが、あの頃から人間は少しでも良い存在になったんだろうか。
 ヒネて言えば、自分達が世界を良く出来ていない大人だと自覚しているが故、「次の世代の君達は頑張って良い世の中にしてくれ」と、制作者は若干無責任にお願いしているのか。
 どうしようもない現実を直視しないのは間違っており、しかし美しい理想を忘れて生きるのもまた正しいと言えず、その間で常に揺れ動き葛藤し続けるのが「人間」というものかな。
いやー、これも結構なフワフワした綺麗事だなあ。


2010年9月23日 木曜日

『みつどもえ』12.「君に届かない」

 毎回安定して面白いんだけど、前回登場した杉崎母がとても良かったなあ。
 みつばがSである、という話を娘から聞いて、異様な情熱でイジメられたがるのが可笑しい、というかちょっとエロいやら怖いやら。
 みつばは確かにSだろうが、誰に対してもどんな状況でもそうする程に異常ではなく、戸惑う彼女に嗜虐的である事を強いる杉崎母の方が、余程サディストであるよう感じてしまった。
 しかし、自分の娘もSな嗜好を持っているだろうに、そちらで欲求を満足する訳にはいかないのかなあ。
さすがに娘相手には無理か…娘は母親の「正体」について気が付いていない様子だったし。

 美人でスタイルが良く、にこやかで優しくて子供に好かれている、ほぼ完璧な母親でありながら、なかなかに歪んだ内面を持っている杉崎母は良いキャラ。
でも、次回最終回だし、アニメではもう出てくるまいなー。
 ネタとして頂いておいて、いつか煮詰めた形で自分の漫画で使いたいと(そればっかり)。


2010年9月22日 水曜日

『生徒会役員共』12.

 シノが、下半身を撫で下ろしながら、ど忘れした夢の内容について「ココまでは出ているんだが」と言い「それはドコから出る予定なんだい?」と突っ込まれる所、あんまりにも下らなくて爆笑。
 原作が乗ってきたせいかも知れないけど、アニメのスタッフも「こういう笑い」の料理に慣れてきているよう思え、ギャグのヒット率は上昇気味。
 惜しいなあ、次回で最終回なのか。
まあ、第二期も有り得るが。

 主人公の妹、コトミが馬鹿で非常に良い。
 前回、兄と向かい合って入っているコタツが暑いと言って、短パンを脱ぎ、続けてパンツまで…というギャグは、あーやって こーやれば自分のネタに取り込めそうだなあ。
 「受験に落ちる」のではなく「兄妹で禁断の道に堕ちる」夢ばかり見ているのもスゲエし、「一日一エロ」を目標にしているとか兄に平然と語ってしまう神経も凄すぎる。
内面は壊れまくっているとしても、外見は可愛い訳で、兄が一時の激情に流されたら どーするつもりなのか。
兄妹で……なんてタダでさえヤヤコシイ関係なのに、こんな厄介な妹と一線を越えるのは恐ろしすぎ、兄というよりオスとして絶対不可侵領域的に忌避してしまう?
 いやー、凄く良い。
 だが、来客相手の差し入れに「おふくろの味」を出そうと母乳を混入させてしまうスズ母は、更に頭ズガーンと。
いける、これで一本描ける。


2010年9月18日 土曜日

 深く反省……ただただ反省。

 ふと気が付くと、リビングの隣にある自分の部屋へと、ドア隙間から白い顔が覗いている。
『呪怨』俊雄くんかと思い、「うわぁ」と声を上げてよく見れば、娘。
 ハイハイするようになったので、「このままだといずれ布団周りを離れ、こっちの部屋まで這って来るのでは」と言っていたけれど、こんなに早く来られるようになるとは思わなかった。
 最初はお腹を床に付け、体を引き摺るように移動していたのが、もうお尻を高く浮かせ、軽快に移動できるようになっている。
『クレヨンしんちゃん』ひまわりが「タッタッタッタッタ」と言いながら高速移動するけれど、ホントにあんな感じ。
匍匐前進させたら、なまじの海兵隊員より早いのでは。
 成長スピードに驚くばかり。

 ただ…
それは嬉しいことであると同時に、「ちょっとでも目を離すと、どこへ行って何をするか分からない」という不安要素の増大でもあり、親の(特にヨメの)負担は激増。
 立って歩けるようになったら…更に新たな「大変さ」が現れてくるんだろうな。
 子育てって、ルーティンワークにちょっと慣れてきた頃、子供の成長に伴って全く新しい局面に突入し、試行錯誤しながらその子に合わせた・自分達なりのやり方をまた確立して行かなければならないのね。


2010年9月11日 土曜日

 衛星で放送された映画『G.I.ジョー』を見る。
 有名なアクションフィギュアからイメージを膨らませたストーリーを、『ハムナプトラ』『ヴァン・ヘルシング』のスティーヴン・ソマーズ監督が映画化。

 子供、もちろん男の子が、人形片手に「ギューンギューン、ドドドド、うわー大ピンチ、バキューンバキューン、大逆転勝利ヤッホー」とか言いながら妄想している、その内容を大体そのまま映画にしたような筋。
余りにも子供っぽくて意外性も何も無く、バカみたいな作品。
 …という「誉め言葉」で全て表せそう。

 秘密のスーパー部隊に所属する主人公が、超絶装備を駆使し、恐るべき破壊兵器を用いる悪の組織と戦う。
 どこかで見たようなシーン、イタダキ物の展開、お約束の連続だけど、頭をカラッポにして見るにはコレぐらいで良い、いやコレでなくっちゃ。
 秘密兵器も秘密基地も悪の計画も、ロクに説明が無くて「??」だったりするけれど、細かく考えなければ「そういう世界」な訳で問題なし。
 正式名称を名乗った途端、出番が終わってしまう悪党共は、「続編で大活躍します、お楽しみに!」という事か(そこまでヒットしたかは知らないが)。

 パワードスーツを着込んでのカー・チェイスが、楽しく撮れている。
それに比べると、ラストはちょっと物足りないんだけど、まあまあ。
 「こんな映画」に、これだけお金を掛けられる、アメリカってイイ国だなあ。


2010年9月8日 水曜日

 娘、ハイハイがだいぶ上手になってきて、ふと気が付くと寝床から遠く離れ「わあっ」という所まで行っている。
 何でも口に入れてしまう困った時期はまだ到来していないらしく、そこだけは凄く助かる。
しかし、いずれは必ずそうなるみたいだから、危険物を選別・撤去しておかないとなあ。

 遊ばせようと、ヨメがインターネットの評価をさんざ調べて「コレは気に入るだろう」と購入した赤ちゃんオモチャがあるけども、娘は、それが入っていたプラスチックの商品ケースにばかり興味を持って、オモチャ自体は絶賛放置中。
 今、娘が気に入っているモノは、「薬局でもらった団扇」「ウェットティッシュのケース」「詰め替え用ウェットティッシュの袋」「机の上に置いてあるミリペン」こんな所。
イカニモなオモチャを そこそこ買い、寝ている周りに並べてあるのに、どれにも余り興味を示さない。
 難しいなあ。
いや、安上がりだとも言えるのか。

 娘を抱っこして机に向かっていると、置いてある お気に入りのミリペンをガッと掴んでしばらくヒネくり回した末、ポイと床に捨ててしまう。
仕方ないので拾い上げて机の上に戻すと、また掴んで ちょっと見て床にポイ。
トホホと思いながら拾うと、今度は娘が手を差し出して直でミリペンを渡すよう要請するから、そうしてやると、受け取った瞬間 床にポイ。
 あああ、何だよーと娘の顔を見てみると、こちらをジッと凝視しながら「ホラ早く拾いなさいよ」「拾ったら渡しなさいよ」「また投げるから」みたいな表情をしている。
 えっ、うっかり落としてるんじゃなくて拾わせて遊んでるの?
 ど……ドS?女王様の資質発現?

 残念ながらパパはこういうプレイにあんまり歓びを感じないんですよ、お姫様。
 「お姫様?」
 ああっ!失礼しました女王様。はい、ミリペンで御座います、どうぞ。


2010年9月5日 日曜日

『仮面ライダーW』最終49話.「Eにさよなら / この街に正義の花束を」

 園咲 琉兵衛の野望は潰えた。
 色々言っていたけど、結局は「喪われた家族の再生」や「大きな犠牲を払った事に値する成果」を求め続けていた、という事なのか。
 浦沢直樹『MONSTER』の中に、「これが食卓というものだ。俺は金を儲けるためならなんでもやった。俺は…金を手に入れて何がやりたかったんだ…ただこういう食卓が欲しかっただけなのに…」というようなセリフがあるけど、最後はそういう気持ちじゃなかったろうか。
一度死に、妄執から解き放たれる事でようやくその境地に至れたのかも知れないが。

 フィリップ…来人を笑顔で見送る園咲一家に、ジーン。
 琉兵衛が試練を与えて鍛え、シュラウド・文音が陰に日向に助け、冴子が命を賭けて救った若菜が、自らの体を犠牲に甦らせた来人。
彼の幼い死をもって大きく狂い始めた家族(いや、それより前からか)は、彼の復活と、「家族よりもっと大事なものが出来て独り立ちする息子」を送り出す…それは、家族の正しいあり方じゃなかろうか…事により再生する。
 野望は潰えても、フィリップの心の中に「園咲家メモリー」を残し、彼と家族が一体化する事には成功したと言える。
 苦しい事も悲しい事もあった戦いだが、フィリップの記憶には最後に見た家族の笑顔だけが残り、それはどんな強力なガイアメモリーよりも、これから続く彼の人生を支えていってくれるのだろう。

 シリーズ全体を振り返って。
 「二人で一人のライダーになる(一人は抜け殻になってしまう)」「頭の中で検索したら何でも分かる」…設定には実感的に分かり辛い、扱いが難しそうな部分もあり、当初はどうなる事が危惧していたが、そのメリット・デメリットをきちんと示し、ドラマとして活かす事で上手く消化に成功。
最終回、一人で変身するライダーに物足りなさと寂しさを感じさせるまで、浸透させてしまった。

 熱い話、変な話、アイディアを感じる話など、バラエティーの豊かさを感じさせてくれるストーリーも素晴らしい。
 何より、静と動・熱血と冷静、両極端な主人公二人のキャラクターが素晴らしく、悩んだり傷ついたりしながらも互いを信頼し前へと進んでいこうとする姿には、何度も感動させられた。

 終盤、グダグダになって行く事が多い平成ライダーシリーズで、こんなにキレイに終わったのは珍しいような。
それは、恐ろしく複雑な設定や複数の謎など、ややこしくする構成を「取らなかった」成果でもあろう。
消化不良感ばかり残しがちな「謎」とか、もう胸焼けがしてるんで、この作り方は正解だったと思う。
 楽しい、面白い、大好きな作品になった。
 良作をありがとうございました。



『仮面ライダーオーズ/OOO』01.「メダルとパンツと謎の腕」

 う、うーん…それはそれなりに楽しく見られたけれど、「面白い!次回が待ち遠しい」と感じさせるツカミは弱かったかなあ、と思う第一話。
 いずれ意味を持ってくるのだろうが、主人公が家庭や人間関係・固定した職場を持たないため、立脚点が明らかにならず、怪異に対するリアクションも理解し辛い。
普通の人、では有り得ない、超然とした…というか茫洋とした?キャラクターだから、視聴者に感情移入してもらう必要はないのかな。
世界を旅している様子だったり、ちょっと『クウガ』五代 雄介っぽくも。
 「腕だけ」の怪人はイメージとして愉快だけど、物言いから何から、どうも『電王』イマジンを連想してしまう。
モモタロス、か。
ラストで人間としての実体を持ったこともあり、今後は差別化が図られていくのだろう。

 メダルでの変身で機器から声が出るのは予想内だったけど、歌が入るとは思わなかった。
「歌は気にするな」って、そりゃ気になるよ(笑)。
楽しげで、オモチャ売れそうな予感。
 自動販売機状のマシンに特殊メダルを入れると、バイクに変形するギミック。
それは良いけど、主人公がメダルを落としてしまった自販機も、何気なく変形自販機だったような。
何か目的があって設置してあった物なのか、それともこの世界の自販機業界は巨大企業の独占状態になっており、全部(変形しない普通の自販機も)あのデザインなのか。
 それに合わせ、缶が変形して小型動物メカになるのは、『響鬼』ディスクアニマルを思い出して懐かしい。

 小林 靖子作品では、『電王』の一話目なんかもっと「???」であり(最終回になっても解消しない疑問さえ)、先行きに不安があったモノで、それに比べれば全然問題なく順調な滑り出し。
 人間でないモノが人間として振る舞う違和感、は、面白く描いてくれそうだなあ。

 『オーズ/OOO』って事で、「オズの魔法使い」に引っ掛けた展開はどうか。
 主人公の側に立つ(のだろう)イマジン状の存在を三体に増やし、それぞれ脳の無いカカシ・心の無いブリキの木こり・臆病なライオンを思わせる個性付けにする。
 最終的に、根無し草だった主人公に、守るべきものと帰るべき家が出来、「お家が一番」と言えるようになる、とか。


2010年9月3日 金曜日

『MM9』08.

 前・後編で語られた、気特対の女性と、研修のためやってきた防衛省の男との微妙な関係を描く話。
 周辺のリアクションや、男を「敵でも味方でもない、イヤな奴」と捉える さくらの視点など、面白いところもあったけど…
この作品でしか成立し得ない内容ではなく、二話もかけた割には「怪獣」を通した人間関係の変化が見られないなど、物足りない。
 まあ、怪獣に襲われて危機一髪の女性を男が命懸けで救い出し、それを切っ掛けに好意が育っていく、といった分かり易い、よくあるパターンをやりたくない作品なのは、基本コンセプトからも明らかだけど。
「やりたくない」は分かっても、「その代わりにこれをやりたい!ここが面白い作品なんだ!」といったアピールが弱いなあ。


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