ときどき日記 2011/01


2011年1月31日 月曜日

『GOSICK―ゴシック―』04.「金色の糸はつかのまを切り裂く」

 推理ネタは本当に大変で、自分で試しに考えても、恐ろしくセコい・細かい・解決しても爽快感がないようなモノか、種明かしに納得してもらえる自信がない無茶苦茶なモノになりがち。
 だから、ネタが優れていないとダメ、とは言い辛い。
 この作品の場合、本格推理というより、事件とその解決はヴィクトリカのキャラクターを際立たせるための意味が大きく、無理があろうが何だろうが別に構わないのだから、突っ込むのは野暮か。

 とは思いつつ、つい突っ込んでしまう。
 今回の一件目、血が付いたワイヤーを発見した時点で、もう視聴者のほぼ100%がトリック(といえるかどうか…現実に こんな事件あったよね)を読めてしまう。
「なんでこの世界の警察はこれぐらいの真相も看破できないのか」が、不思議なぐらい。
 ワザとらしく犯人の血が付いていたら、素直に受け取らず、逆に「捜査を撹乱する罠かも」と深読みしてしまいそう。

 二件目、こちらはトリックが分からず、期待して見たけれど……
「無理がある」路線。
 少女の死は、自殺?
病気か何かで数日後に死を控えている人間にしては、恐ろしいほど元気一杯に仕掛けをしていたが。
 「密室殺人の犯人は、同じ部屋で死んでいた」「この事件を難解にした密室…ドアの前で男を死なせる事は、犯人の意図するところではなかった」という発想は面白いと思いつつ、やっぱり無理過ぎて、うーん。
 ゾッとするぐらい男を憎んでいたのなら分かるけど、そうでないなら、絶望的な状況で死の恐怖など感じさせる必要はなく、最初から殺して放り込んでおく方が確実。
僅かにしても、男が救出される可能性はあったのだし。

 まあ、こういう突っ込み所を含めて、作品の面白さかな。
 手をケガした転校生は、一件目の事件と関係しており、あんな簡単な真相ではなく まだ裏がある、って事なのか。
 とにかくヴィクトリカが可愛いので、「推理なんていう些細なこと」は欠陥と思わず。


2011年1月30日 日曜日

『魔法少女まどかマギカ』04.「奇跡も、魔法も、あるんだよ」

 剣呑な雰囲気もありつつ、しかしまだ「魔法少女」という言葉が持つイメージに引っ張られて内容を楽天的に捉えようとしていたけれど、三話目、あの悲惨なマミの最期を見て、そういう気持ちは粉々に打ち砕かれる。
 ああー、こういう作品で、ここまでやるのか。
こんなところまで見せるんだ。

 「魔法少女」は一つのジャンルを形成しており、かなり色々なタイプの作品があるけれど、シビアさ・嫌さにおいて、ここまでのものは無いと思う。
単にパロディーとして嫌なストーリーを作った、とする作品はあるかも知れないが、真面目に、独立した物語で こんな徹底したものは。
 『セーラームーン』『カードキャプターさくら』『プリキュア』なんかも「魔法少女」に含めるとして、辛い戦いぶりや死を賭して戦うシーンはあれど、メインの対象が「女の子」であるせいか、現実味の薄い、ファンタジックな「死」に描写を留めることが多い。
 この作品では、深夜枠であり、男性視聴者が多かろうという目算によってか、殺し合いの中で訪れる突然で無慈悲な死…感動的な意味を持たない(持たせない)戦場での一兵士の死、として彼女の最期は描かれる。
 『寄生獣』で、「ばつん」と頭を食い千切られるショッキングなシーンを彷彿とさせる、実に嫌な死に方。

 一つだけ叶えられる願いについて、普通の作品なら誉められてしかるべき選択を成そうとする さやかへの提言も、なかなかに聞いた事がないもので、重い。
 魔法少女物へのアンチテーゼ、嫌がらせのようにも思えてしまうけど、単発のネタではなく、各要素が絡み合って意味を持ちつつあり、何かを描く必要に応じて考えられたものだと分かる。
 こんなズッシリと重い話を、軽い・フワフワしたデザインのキャラクターに演じさせているのは凄い。
表情の変化がなく常に可愛いマスコットキャラだが、恐ろしい状況に際しても可愛い無表情を通すキュゥべえが、この作品のキャラ全体を象徴しているような。

 結局、魔法少女になる事を選択する さやか。
そこに一切の胸躍る要素はなく、ああ……やっちゃった、と思わせる作り方。
 凄い潜在能力を持つと言われながら、まだ魔法少女にならない まどかは、いつ決心する事になるのか。
 その際の願いが「マミを生き返らせて」というものであれば、(叶えられるなら)随分と雰囲気が明るく・軽くなるけれど、そーゆーのはナシっぽいなあ。
 面白い。


2011年1月28日 金曜日

『フラクタル』03.「グラニッツの村」

 ああ、この作品、宮崎アニメや『ナディア』辺りをやりたいのかと思えば、いや勿論それもあろうが、『マトリックス』なのね。
 世界の大多数を占める機械文明に支配された領域に対し、それを拒絶する僅かばかり残された人間の集落がある。
圧倒的不利な状況に抵抗する手段は「武装テロ(ゲリラ活動)」であり、何も知らない一般市民(敵影響下にはある)を巻き込んで殺すことに彼らは逡巡しない。
 同型が複数登場し(儀式に参加していた方は人間?)、システムを乗っ取る行動を見せたネッサは、エージェント・スミスなのか。
自分の存在はデータ的な物なのだから、位置設定を書き換えることでドコへでも移動できるはず、と制限のない超越的発想を見せるのはネオっぽくも。
 両勢力を上手く繋ぐべく、預言者ババアやらフラクタルの設計者が登場して欲しいところ。

 今回もまた、突っ込もうと思えば果てしなく。
 一度つかまって開放されたばかりなのに、今度は「殺されるかも」と考えるクレインは不思議だけど、古い物を見るや一転、銃を構えて脅される…本当に殺される可能性が出て来たのも意に介さず はしゃぎ回り、星祭りではまた集まった人達に「助けを求めてみるか」と考える姿から、ストーリーの都合以外、「生きたキャラ」を感じるのは難しい。
 スンダは、カリスマ性があるとも頭が良いとも思えず、『未来少年コナン』ハイハーバーのオーロぐらい嫌われ者なのかと思えば、そうでもないのね。
「村の指導者の一人」なのか「良識ある人達からは煙たがられている」のか、まだしっかり描かれていないけど。
 星祭り……せいぜいで五十人ぐらいしか集まっていないよう見えた。
クレインの住む街にほとんど人が居なかったことから、世界の人口は恐ろしいぐらい減ってる?
それにしたって、せめて数百人・数千人規模でやらないと余りにも効率が悪そう。

 一番問題なのは、『コナン』ハイハーバーに当たるのだろう今回の村が、良いところにも悪いところにも…おおよそ魅力のある場所に思えなかったこと。
 宮崎監督のように、共同体幻想というか「とにかくココは素晴らしい所だ」と考えるアタマを、『フラクタル』制作者は持っていないんだろう。
ホントに『コナン』とか『ハイジ』『赤毛のアン』ぐらいからチョイと引っ張ってきたような牧歌的イメージしか示されず、ここからは「良いとも悪いとも思わない、制作者の興味のない場所」だという事しか伝わらず。
 まあ、『マトリックス』ザイオンも、ストーリーの都合以外に守るべき価値のある場所だと描けていなかったから、こちらを元ネタとするなら仕方ないのかな。

 かといってフラクタル世界を理想的に考えているとも思えず。
 突き進む現代文明を全肯定は出来ないけれど、わずらわしくもある濃密な人間関係の中で自然に囲まれて一昔前の文明レベルで暮らす事こそ正しい、とも思わない、それは今時の若い衆(自分の世代から?)の本音じゃなかろうか。
だから「嘘」は無いと感じる、でも作品としてはそれじゃ、その部分については何も語れない事になりかねない。
 そこは置いて・その果てに、他の語りたい事があるなら良いけど。

 それに比べると、今回クライマックスで見せられる銃撃戦には……作戦もなく飛び出しての攻撃で、返り討ちの死者を出し、襲撃された婆さん達も隠れようって素振りすらない不思議ドンパチではあるが、少なくとも「慣れ親しんだ『死』が軽いゲーム」ぐらいにはリアリティーや制作者の興味、面白くしようとする意志が感じられる。
 しかし…ここのところ、スンダがクレインを捕まえても何もしない、ノンビリした作風が続いたため、もしかしたら第一話でフリュネに加えられた銃撃は模擬弾やらペイント弾しか使われておらず、脅すばかりで殺傷目的じゃなかったのかな、などと考え始めていたのに、やっぱり実弾っぽいなあ。
 ここまでする連中なら、クレインを拷問して(二、三発殴るぐらいでも)情報を聞き出しそうだし、ネッサに迫りそうなもの。
 どういう雰囲気の作品にしたいのか、分裂して感じられるのは困る。
 いかにもレギュラーらしい太った三下も被弾していたし、「実は みーんな大丈夫でした」とする拍子抜けの解決法が次回、示されたり?

 グラスやバイザーを通す事で、村の皆が簡単にネッサを確認してしまう。
 ここは、どうやっても見えない・触れられない存在にしておくべきだったのでは。
それでこそネッサの孤独やクレインの価値、フラクタルと「それを受け入れない場所」の断絶が描けたろうに。


2011年1月27日 木曜日

『フリージング』03.「Accelerating Turn」

 一話目では相当にグロというか残酷な描写があり、どうなる事かと思われたけれど、話が進むにつれ普通レベルに。
 血が出たりはしつつ、でも、すぐ治る(敗れた服まで元通りになる)設定があるせいか、あんまり悲惨に感じない。
 物語がコメディータッチに振れてきたせいもあるだろうか。
サテライザーは、せめてもう少しクールで断固としたイメージにするのかと思えば、ツンデレと言うにもイキナリ崩れてしまい、すっかり弄られキャラ化。

 サテライザーに対し「辱めを与える」シーンが、パンツを下げて局部を露出させるという「恥ずかしい」もので、ちょっと笑う。
確かに酷いことやられてるんだけど、何というか馬鹿馬鹿しくて。
 行われる非道と、姉の姿にどこか重なるサテライザーを救うべく、能力を発動させるカズヤ。
三話掛けてココまで持ってきただけあり、不自然さが少なく、気持ちも分かりやすい。

 ただ…大きな特色(良くも悪くも)になると思われた残酷描写が影を潜め、地道に普通のストーリーを展開していくと、この作品ならではの魅力って何だろう?という気分にもなってしまう。
 まだ設定を消化する準備段階に過ぎず、本筋には入っていないのだろうから、それが見えてくるのはこれから、か。


2011年1月26日 水曜日

『Rio RainbowGate!』04.「シスターズ」

 前回は、「不気味な女」をコケにしまくるばかりの脱力ギャグ回で、余りのベタさ加減に「はは」ぐらい笑ってしまったり。
 ギャンブルらしさや駆け引きの面白さなど全く無い(最初から目指してない)作品ではあるけど、一応はディーラーとしての設定に拘っているのかと思えば、今回はクレー射撃勝負という変な方向へ展開。
 いつもの意味不明なイメージバトルが無く、そのまま進んで、標的を発射するタイミングを少しずらす事を「仕掛ける」と表現し、突然 相手が射撃を外して「私の負け」とか言い始める無茶苦茶な顛末で、笑うというかポカーン。
勝負には勝てたけれど、リオの人間的度量の広さを認めて自ら負けを宣言した…といった内容を表現したいんだろうけど、うーん、ううううーーーーん、まあ、このアニメであんまり深いことまで考えても。

 脱がすポイントのセレクトについて、真顔で解説するジジイが可笑しい。
何者だよ、どれだけ下らない人生送ってきたんだよ。
 予想を覆す…じゃ良い表現過ぎるな、「このぐらいか」とコチラが考えた遙かナナメ下というか異次元の発想を示し続けるのは、大変な気力体力だと思う。
 だから素晴らしいと言えるかどうかは難しい問題だが、まあ、変なアニメなのは間違いない。



 ヨメと些細なことで小ケンカして、そのまま娘ご飯の時間に。
 自分が娘を膝に抱え、ヨメが前からスプーンで離乳食を食べさせる、いつものスタイル。
親がコワい顔をしていては嫌だろうと思い、「はーい、ご飯よー」「いっぱい食べようねー」と殊更フツーに明るく声を出しつつ。
 食事時間であり、お腹が空いた様子もあったのだが……

 娘、全く食べない。
 スプーン一杯目から硬く口を閉ざし、「あーんして」の声にも耳を貸さず、しまいには顔を背け泣き出してしまう。
 「まだお腹空いてないのかな、じゃあ後でいいよ」と食器を片付けようとして…

 ふと、「親がケンカしてる、そこまでは分からずとも雰囲気がいつもと違う、っていうのを感じてるんじゃないの?」と思う。
 慌てて仲直り。
「ゴメンゴメン」「こちらもゴメン」実に簡単に関係を修復し、もう一度温めなおした離乳食を並べ、さっきと同じ格好でスプーンを口元に運ぶ。
 こちらの声も表情も大して変わってないよう思ったが……
 娘、今度はパクパク食べてくれる。

 分かるんだなあ。
幼児だし、そんな細かいことまで分かるまい、というのは大間違い、幼児だからこそ親の気持ちには敏感なのか。
 いやいや、あわや離婚かというような危機的状況ではなく、ホントに大した事のない諍いだったんだけど。
 思い出してみれば、自分だって、小さい頃、親がケンカをしている中で食事するのは嫌だった。
大きくなってからも、「ほらっ、食べなさいよ」的に機嫌悪く出された食べ物は、どんな料理だって食べる気になれないし、美味しく感じられるはずもない。

 「仲良くしなさい」「大人になりなさい」「ちゃんと親をやりなさい」と、娘に教育されている気分。
 ハイ、すみませんでした、頑張ります、今後ともご指導ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

2011年1月25日 火曜日

『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』03.「ライバル出現!兄妹大ピンチ!」

 「可愛い妹と幼なじみに想いを寄せられ、積極的行動にも出られて、モテモテで困っちゃう男の子の話」というのは間違いないところなんだけど、見ていて感じるのは、「萌え」でも「羨ましい」でもなく「恐怖」。
 女の子二人、目的のためなら手段を選ばない性格が共通しており、しかもその目的は必ずしも「修輔との恋の成就」ではなく、「体」…「強制的な肉体関係の締結」であったりする。
そこを大きなステップとして恋愛に発展する可能性も十分あるが、女子二人ホラー映画が大好きで、「修輔は苦手」という事実を知ってもまるで気にせず劇場へと引きずり込む様子から、相手を思い合っての恋愛、というのを目的としているとは考え辛い。

 その即物的行動は、女の子である、という一点さえ除けば飢えた馬鹿な野郎そのもので、大変に共感しやすい。
 しかし…こんなにも強烈に肉食系な行動ばかり取られると、草食系、とは言わずフツーの男の子でも引いて当然だろうな。
下手すれば○○○になって不思議ない。
 いや、それは全体を見通せる視聴者視点があって思うことで、事態のホンの一部しか見ていない修輔は、そこまで酷い状況と捉えていない?

 どちらかといえば お馬鹿キャラだと思われた奈緒に、冷静・冷徹な観察眼と判断力があったことに驚く。
面白がって自分達を付けてくる友達二人の存在を知りながら、放置し、それどころか利用さえしてみせる頭の回り方は、コワイぐらい。
 エロ本をコンビニで買うのに一大決心を必要とする兄になんか、とても太刀打ちできる相手じゃない。
 望遠鏡で常に修輔の動向を監視している彩葉と、互いにかなりの所まで手の内を読み合い、挑発もしながら、表面上は全く友好的な会話を展開する奈緒。
コワ過ぎる。
 状況を全て把握したら、修輔の寿命は一日ごとに大変な量 すり減るんじゃなかろうか。


2011年1月24日 月曜日

『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』03.「転校生はセカンド幼なじみ」

 幼馴染みを二人も…姉妹とかじゃなく、女の子同士は互いに面識すらない設定で出す作品って、珍しいなあ。
ファースト・セカンドで幼馴染みを世代分けする発想が斬新すぎ、笑ってしまう。
 「幼馴染みだから」という理由で男女でありながら同室を許す(真実は分からないけど今のところ)学校側の姿勢から、この関係には何か大きな意味があるのか。
 単に「原作者が幼馴染み属性持ちだから」かも知れないが。
 いっそヒロイン全員を幼馴染みにしてしまう、『シスタープリンセス』みたいな極端設定もアリ?

 何気なく済ますのかと思っていた、ISの学園に入学しておきながら何も知らない主人公、という不自然な状況が生じた理由が明らかに。
 「訳が分からん」と視聴者に言わせないよう、とにかく気を遣い、不足しないよう説明を入れて作品を作る姿勢は、悪いものではない。
 ただ…前回見せられた模擬戦闘など、機体機能や戦闘ルールを、起きた事態の後から説明するため、「後付け」みたいな印象になってしまって面白いとは言い難く、残念。
勝負の決着理由については、意外な条件で負ける物語上の都合から、仕方なかろうが。

 セカンド幼馴染み少女、中国代表であればもっとあざとく語尾に「アルよ」ぐらい付けさせても良かったような(チャイナドレスじゃないのは予告でネタにしてた…っけ?)。
パッと見、ただの日本人としか思えない。
 国際色でも付加しないと、既出の二人に食われてしまいそう。
まだエンディングでも走らせてもらってないし、扱いは軽いのかな。


2011年1月22日 土曜日

『フラクタル』02.「ネッサ」

 ふと『天空の城ラピュタ』の冒頭部分を見返してみる。
 民間飛行船に襲撃を掛ける、いかにも悪そうな空賊団。
手慣れた様子で腕の良さを伺わせ、客が持つ金目の物なんかには興味が無く、真っ直ぐに何かを目指している。
 謎の少女と、同室の男達。
少女の表情と食事を拒むところから、親子兄弟仲良しの旅行などでは有り得ない。
 空賊団を廊下で迎え撃つ男達。
油断したリーダーらしき男を、躊躇いつつ、しかし渾身の力で殴打し昏倒させる少女…芯の強さがあり、普段はそういうことをしない女の子だと分かる。
 この後、パズーが暮らす炭坑町の雰囲気や、彼が機械技師見習いらしい事が描かれ…
 メインキャラクターは冒頭数分間でほとんど顔を見せ、ごく簡単には設定も見て取れるようになっている。

 何より凄いのは、空賊団や男達が狙い、落下する少女の命を助け、少年と出会う切っ掛けとして、もう「飛行石」が登場していること。
 ムスカは飛行石に現れる栄光や力を追い求め、ドーラらは「お宝」という事で狙っていたものだが金品や人(パズー・シータ)の輝きでも十分かと考えるようになり、シータにとっては「呪い」ですらあって、パズーは最初から(欲望としては)興味がない。
飛行石を巡ってこの映画は動いていく、テーマと言っても良い最重要アイテムを、こんな最初からしっかり、しかも小型の石で文字通り「小出し」にして見せているこの巧さ。
 もしか「そんなに巧い?」とか「まあ別に当たり前の作り方じゃないの?」と思ったとしたら、それはこの映画が完璧に近い構成をしているから。
見る側に、作り手の苦労を感じ取らせる作品は、まだ改良の余地がある。
 シータは、飛行船搭載の小型飛行機で脱出しても良かったし、欲張れば最初からロボット兵を呼び出し その背に乗って飛んでも良く、『カリオストロの城』冒頭のように追跡者から逃げる地上カーチェイスで始めても良かった。
…が、どれも巧くは(現存するストーリーの流れに)嵌らない。

 作品構成の際、大きな物から小さな物まで無数に存在する選択のポイント・選択肢を、最も良いと思われるチョイスで埋め尽くすのが、傑作の条件。
ピクサー社の映画なんかでも、よくこれを感じる。
 しかしコレが、言うのは簡単、実現は至難で、智力・気力・体力を限界まで絞り尽くす苦難の作業の連続になる(自分なんかにも出来ない出来ない)。
 つい、「面倒臭い、どーでもイイや」「何だって変わらないだろ、客はそんな必死で見てくれる訳じゃなし」になり、極端には「有名作のパロディー・イタダキで換えちゃえ、意外と客は喜ぶし、労せずして『こんな感じ』のイメージを伝えられる」になりがち。
 そうなると、強力な著名作のパワーに、弱い自作が振り回される事態が起こり得て、構成を崩壊させてしまう危険性も。

 ……という事を、このアニメの第一話では感じてしまった。

 第二話に そういう傾向は無く、お話も、この回だけ見ればそんなに問題ない。
 不思議な力を持ち、迷惑だがコドモらしく可愛い女の子(ドッペル)と、主人公の関係を確立する話。
 ただ、前回メインで描かれたフリュネの存在感が驚くぐらい薄く、居ても居なくても良い…主人公が初めて出会う少女はネッサであった方がずっとスッキリする事から余計者にも感じさせてしまうのは、どうなんだろ。
 ネッサはフリュネのドッペル?という疑惑が持たれていたし、いずれこういう登場のさせ方をした理由は明らかになるのだろうが、それでも、二人も立て続けに女の子を出したことでは互いの存在感を薄くしただけであり、主人公が行動する動機付けを分散してしまうのも拙い。

 今作で描こうとしているのは、触れるものと触れないもの、リアルとバーチャルの差、それらを超えて意義や価値の有るものと無いもの、という所なのかな。
 現実の存在ではないネッサを、守る対象…一緒に居たい存在と感じ、連れ戻すべく走り出すクレイン、というのが今回のクライマックス。
そのシーンだけで彼の内面的葛藤は決着が付いている、とはいえ、救助対象のネッサが「自分で抜け出して」「何の屈託もなく」クレインの方へ走ってくるのでは、弱いような。
 ネッサへのアクションを起こす動機として、もっと巧妙に「何もして上げられなかったフリュネへの想い」を感じさせられると、流れも良くなったかなあ。

 家は分かっているし、簡単に捕まえられるシーンを先に見せていたクレインに対し、落とし穴を仕掛ける理由が不明。
前回に引き続き、三悪の女の子がとにかく子供っぽくて無駄な行動ばかり取りたがるから、か。
 ドッペルのネッサに触れる、というのをクレインが特別な事のように言っていたけど、網で捉えて持ち上げて運び去る事は普通に出来るのね。
床の上に立ち、階段も上れるし、「ドアを通り抜ける」ような物理現象を無視した行動は取れない仕掛けになってる?
それなら、「軍手を投げたらドッペルに当たる」?「その軍手を手にはめたらドッペルに触れる」?
まあこの辺は、フィクションだし細かい事言う必要なんて無いが。


2011年1月21日 金曜日

『みつどもえ 増量中!』02.「丸井家、もう一杯!」

 実質的な第二シーズンの一話目。
 王様ゲームで、どんな理不尽な命令を出すのかと思えば「他のヤツのケーキも食べたい」という意外に平和な内容で終わってしまう みつばが可笑しい。
 S属性って、ただ単に他者を酷い目に遭わせるだけじゃなく、「虐めて『あげる』(相手の被虐欲求に応える)」サービス精神が必要。
みつばは、「自分が気持ち良くなりたい」を優先しすぎており、まーまだコドモだというか、関係性を成り立たせるSでは無いのかな。
そういえば、前シーズンで杉崎母にS行為を強要された際も引くばかりでまるで対応できなかったし(アレは引くのが普通だけど)。

 みつばが何か食べる時の「むしゃこらむしゃこら」いう声が可愛い。
そりゃオヤジもバケツプリン与えてみたくなるわ。
 甘い物をあんなにバクバク食べていては、増量してしまうのも当然。
 でもまあ、女の子は多少お腹にお肉が付いて良いんじゃなかろうか。
みつばは時折行き過ぎたお肉に見えることもあるが…いや、いやいや許容範囲。



 昨日のうちにテレビ修理完了。
 電源関係が壊れていた模様。
 テレビが無い体感時間は異常に長かったけど、実際の所 迅速な修理対応だったんだと思う。
ありがとう…えーと、あんまり名誉なことじゃなかろうからメーカー名は出さない方が良いのかな。
 新型テレビは画面がキレーで嬉しい。


2011年1月19日 水曜日

『べるぜバブ』02.「子連れ番長はじめました」

 原作は掲載誌で既読。
 ただのヤンキーなケンカ物になりそうな所へ、裸の幼児と魔物設定を付け、テンポの良いギャグで味付けして独自の楽しい作品とした、原作は好きな漫画。

 アニメは…うーん、第一話を見逃してしまったのがいけなかったか、この第二話はとにかく作画が悪く、ちょっと笑ってしまうような絵まで入って、没入度は低め。
原作も、絵としてのレベルのみで勝負する作品じゃないけど(失礼)、それにしてもこれは……
 声には違和感を感じず。
演出も、特別なことは何もやってないが無難。
 三話目は作画が回復しているようなので、そちらを見ればまた評価が変わるかも。

 取りあえず、原作を読んでいるため、アニメの鑑賞はここまでに。
 しかし、幼児であれば股間を出しててもアニメ化して問題ないのね。
だったら『いぬまるだしっ』を……



 頑張った自分へのご褒美として、って言い回しはどうなんだろうと思うけど、他人が言うと難を感じても、こと自分の場合は問題なんか感じないよね、という勝手な理屈の元に、入力端子がダメになったテレビを買い換える。
 新たな液晶テレビが届き、旧テレビ(恐ろしく重い)を渾身の力で台から下ろし、セッティングを終わらせて、自動でチャンネルを合わせるなど初期設定を終え、さーコレでアニメ等々を美しい画面で鑑賞できる…と思った刹那、新テレビの画面がプツンと消える。

 え?え?え?とリモコンのボタンを色々押し続けるが反応無し。
 よく見るとメイン電源が切れているので本体の電源ボタンを押すがこれも反応無し。
 コンセントを抜いてしばらく待って入れ直せと説明書に書いてある、その通りにしても無反応。
コンセントの差し込み口を変えてみても同じ事。

 仕方なく製造元に修理の申込み。
 故障と認められ、受け付けてはもらえたが、最短で来訪は明日。
何とか今日来てもらえませんか?と言うと、「今日修理を受け付けて今日伺う、というのはさすがに無理ですよ(笑)」。
 届いて10分弱で壊れるテレビを売られてなきゃそんな無理言わないよ!
 …なんて事は言わず、諦めて詳細を詰める。

 なので、明日までテレビが見られない。
 当然、溜まっている録画データの鑑賞も不可能。
残容量が不安なのに……
 まあ、「仕事しろ」って神様の思し召しか。
「ご褒美もらえるほど頑張ってないだろお前」とか、いや全くその通りで御座います。


2011年1月18日 火曜日

『放浪息子』01.「おんなのこって なんでできてる?」

 原作未読。
 デジタルならではの、水彩画のような淡い色合いで彩色されたキャラクターが美しい。
背景美術のレベルも高く、一カットずつが漫画カラーページの一コマみたい。

 非常に神経を使った画面をもって語られるストーリーは、負けずに繊細。
主人公である男の子が女装をする所なんて、僅かに加減を間違えただけで「男の娘的な萌え」か「変態バカ」のどちらかに陥ってしまうだろう。
実際、その両極端の方が描く上で楽だし。
 これを「思春期の、今にも壊れてしまいそうな心のバランス」を感じさせて映像化する、この技術……見る目の優しさ、かなあ…が素晴らしい。

 ただ、分からない訳ではないけれど、設定が突然に並べられたよう感じられ、まだ見分けが付きにくいキャラクターをザアッと出されたこともあり、少々混乱気味。
もっと易しい始め方もあったろうに、ちと残念。
 順次フォローが入り、世界はクリアーになっていくのだろうが。
 まあ、この混乱も、主人公少年が半分女装(これだけで十分可愛くて男の子とは思われないだろう)して駆け出すラスト近くの精神的混乱・鬱屈・暴走と、シンクロする意味を感じ取れなくもないか。
さして難しくない設定の作品だから出来ること。

 この良い雰囲気は、作画の良さに大きく因っており、絵が崩れると悲しくなりそうだなあ。
クオリティーを保のは並大抵じゃなかろうけど、頑張って欲しい。
 視聴継続。


2011年1月17日 月曜日

『これはゾンビですか?』01.「はい、魔装少女です」

 原作未読。
 幼馴染みか妹の美少女が起こしに来ないだけで、フツーに起床し、登校して日常生活を送る主人公。
ごくごく退屈な生活描写から幕を開ける…登校前、居間に一瞬「甲冑らしき物を身に付けた少女」が見える以外は。
 タイトルからシリアスではなかろうと思いつつ、笑わせに来ていない地味な流れに油断していれば、子猫を助けて車に跳ねられる瞬間「自分はゾンビだ」と妙な笑顔でカミングアウト(誰に?)。
 弾き飛ばされて木の枝にぶつかり服が脱げていく、ヤケクソな程のバカ展開で一気に雰囲気を変えてギャグに持っていく、この強引さが楽しく、心を掴まれる。

 予告で自ら突っ込んでたけど、ゾンビは「致命的な肉体の損壊も意に介さず動ける限り動き続ける」モノで、魔的エネルギーにより?破損してもすぐ治っているような様子からは、『3×3 EYES』无(ウー)の方が近いような。
死を気にしない、笑いにさえ用いる所は、『キャプテン・スカーレット』(主人公の生死に関する扱いが酷すぎる)も思い出したり。
 日光に当たると体が乾燥して…闇のネクロマンサー能力による庇護が薄れて?カサカサになる、というのは本人自覚があるみたいだから、授業中も「皮膚に病的トラブルがある」とか言ってカーテンを閉めてもらえば良いのに。
まあコレは、設定を絵で見せる、笑いに繋げる必要から こうしてるんだけど。

 主人公男子による魔装少女への変身シーンが、じっくり時間を掛けた、手間の掛かったものであるのが可笑しい。
 顔は元々「女の子」としても通用しそうだが、男らしく見せるべく、柔らかさの感じられない尻に描かれているのが、素晴らしいけど悲しいなあ。
「男の娘」としての人気も頂いちゃおう、とかいう妙な色気はなく、ギャグに徹してるのが爽やか。

 アクションの見せ場もあり、哀れなオチも決まって、欠けた所のない第一話。
 不謹慎な(笑)次回予告の絵も楽しく、気負わず見続けられそう。



 「好き」の反対は、「嫌い」じゃなくて「無関心」…
という言い回し、もう普通に使われてる。

 ふと思ったけど、それじゃ「嫌い」の反対は何なんだろう?
 「嫌い」の反対も「無関心」?
ちょっと変なような。
 でも「嫌い」の反対だけ「好き」ってのも、一方通行で不公平。
 「好き」も「嫌い」も、「感情の動きがある」という意味で(方向の違いはあるが)似ていると考えれば、「感情の動きがない」ことを表す「無関心」と対極にあるのかな。

 それなら、「暑い」も「寒い」も温度変化に対する感覚反応がある状態だとすれば、「普通」「丁度良い」「体温と同じ外気温なので体の境目が分からなくなってきた」が反対になるのか。
 「痛い」「快い」は外界刺激に対する反応がある状態だから、「無反応」が反対語?

 いや、そもそも「好き」の反対語として「無関心」と書いたら、国語の試験では点数もらえない…よね?
 最初から教科書的な定義の話をしてる訳じゃないので、各人が好きなように考えれば良いのか。

2011年1月16日 日曜日

『ドラゴンクライシス!』01.「さらわれた少女」

 原作未読。
 演出として、『エヴァンゲリオン』を下敷きにしているとしか思えない絵作りが、特に最初の方、目に付く。
違うアプローチ、いくらでも有り得たろうけど、「好きだから故意に」やっているのか、「意図せず似てしまうぐらい好き」だからこうなってしまったのか。
 男の子に向けて乗り出した女性の体を下側から捉え、胸を強調するシーンなんて、そのまんま。
 『エヴァ』も、16年前の作品。
古典、って程じゃないけど、何かを作る際、少々イメージを引いてきてもパクリだの騒ぐ対象ではなく、便利なアイテムを出す時は『ドラえもん』、三人組が攻撃を掛けてくる時は『ガンダム』黒い三連星「俺を踏み台にしたぁぁぁ!」が「当然」になる、それぐらいの位置に居るのか。

 内容は、普通の少年が謎を秘めた少女と出会う、ごくまっとうな第一話。
 ソサエティ、という作品内用語を使う際、「世界遺物保護協会」とする日本語を画面のどこかに表示する演出が、親切。
 クラスメートの女の子が前で「帰って来ない」と呟いているから、ここは男の子のマンション。
女の子がやってきたのは、大事そうに抱えた男の子のカバンを届けるため。
主人公がオネーさんや謎少女を連れて自分の部屋に帰ってきたのは、会話内容から、オネーさんの住居にまだ電気ガス水道が通っていないから仕方なく。
 …と、このシーンに限らず全体に、無意味に分かり辛くならないよう非常に気を遣って演出されており、好印象。
 そもそも別段 難しいストーリーではないのだが、親切に作られているため、余計 問題なく、謎少女の可愛さを楽しむことが出来る。

 純真無垢なローズ、オネーさんの強引さとオトナの色気、その辺への興味関心を主軸に、次回へと引っ張っていく構成。
作画が良いこともあってヒロイン二人の魅力は十全に展開できており、滑り出し順調。
 視聴継続。



『Rio RainbowGate!』02.「ゲートホルダー」

 恐ろしくドジな女の子が登場し、さんざ迷惑を掛けて回り、しかし彼女の起こしたイレギュラーによって完璧だったはずの敵に僅かな綻びが生じ、リオが勝利を収める……という話だったんだと思う。
 それはそれで良いんだけど、勝負の際に見せられたバトルイメージが、このドジな女の子のしでかした事と関係あるように見えない、というかサッパリ意味不明。
 イメージでは何が何だか分からず、それが終わった後、現実を示すワンカットのみで勝利の理由とする、つまり「イメージシーンは無い方が分かり易い」という困った作り方。

 致命的な欠陥だと思うが、ダメさが行き過ぎているため、異次元すっ飛びバトルの最中、つい笑ってしまう。
 「笑わせる」じゃなくて「笑われる」作り方なので、肯定は出来ないが…まあ結果的に「ココがこのアニメで一番面白いところ」になっているのだし、こんな反則技もアリか。



『フラクタル - FRACTALE -』01.「出会い」

 ノイタミナ枠、監督が『かんなぎ』の山本寛、という事で、今期でも注目度の高かった一作。
 異様な姿の父母・犬と普通に朝の食卓を囲んでいる主人公の強烈なビジュアルで、ガッと視聴者の心を掴むのは上手い。
続く賑やかなバザーでの友達との会話と、セキュリティーが来てドッペルが消されるや一転して閑散とする様子で、この世界の難しい設定をかなりの所まで「絵」で見せてしまう。
 ここいらは感心。

 突然メーヴェ(としか)に乗って現れる少女、追われて見せる空戦アクション、これも楽しいが…
 主人公に笑顔を見せて飛行機械から飛び降りる少女、この辺りから分からなくなってくる。
 彼女は、何のために飛び降りた?
追っ手から銃撃を受けてはいたが、絶体絶命の状況ではなく、しかも逃げおおせる見込みがあっての行動かと思えば ただ落下してケガして気絶して…何をしたいのかサッパリ。
 海に飛び込むか森にでも紛れるならまだしも。
 主人公の家で厄介になる都合から、そういう「凄腕」な印象にはしたくなかったのか。

 そんなに分かりづらい所に落ちたとも思えないのに、発見できない追跡者達は「間抜け」「無能」って事なんだろうけど、それにしても平気で銃撃を加えながらの追跡を行う連中が、セコい変装をして穏便に少女を捜そうとするのも、理解が難しい。
結局は強引に侵入・捜索するのだし。
 「コメディーリリーフだから可笑しい行動を取ります」という都合だけか。
 家の中で少女の服まで発見しておいて、主人公を詰問することさえなく、躊躇わず飛び去る三人組の頭の中なんて不思議すぎ。

 ヒロインを殺す可能性さえあった三人組が、ドアを閉めただけで侵入を諦めると思う主人公の呑気さ加減も、異様。
彼はドッペルばかりと暮らしており、それらは規制により不法侵入のような違法な行動が取れないので、つい油断してしまった…というならともかく。
 主人公は「普通の少年」って事なんだろうけど、「体を張って懸命に追っ手から逃がそうとする」事で僅かにも「主人公足る価値」を証明して良いんじゃなかろうか。

 ラスト、ヒロインが消えていたのは良いとして、間を置かず新たな女の子(データ的存在?)が登場するのは、どうだろ。
次から次へと美少女が現れる萌え作品ならともかく、元ネタの一つだろう宮崎作品で言うなら「『未来少年コナン』の冒頭、攫われたラナの奪回に失敗したコナンが、島に帰ってくると小屋にはまた違う見知らぬ美少女が…」という展開にしたようなもので、ちょっと構成が拙いように感じてしまう。
 この第一話で「主人公とヒロインの繋がり」を描いた(描こうとした)とすれば、まず「彼女の名を叫んで家の外まで走り出る」べきでは。
思い付いたデータの解析なんか後でも良かろうに。

 上記どれも、この後のフォローによって「なるほど納得」に変えられる可能性は、ある。
なので、だからダメ、とは言わないが…視聴者の心を掴むべき第一話で、「気掛かりなシーンを見せた」というより「穴がある演出を晒した」と感じさせてしまうのは、宜しくないような。
 宮崎作品、『ナディア』、『タイムボカン』三悪、等々から設定や絵的イメージを頂いて来てるのは、一般向けに分かり易くするため?
これも、今後どう転がして・面白くしていくか、見ていかないと何とも。
 踊らないOP・EDが残念。
ちょっと期待していたから…まあ、同じ事ばかりやっていたくないんだろうが。

 オリジナルストーリーでもあり、どういうお話になるのか、興味はある。
 当分は視聴継続。
ガンガン盛り上がっていって、目が放せない作品になると良いなあ。


2011年1月15日 土曜日

『レベルE』01.「An alien on the planet」

 原作既読。
 しかし…連載開始はもう十五年ぐらい前になってしまうのか。
内容については、昔読んだきりで、オボロ。
 一本筋の通った物語、というよりオムニバス形式で、「毒」というか「悪意(悪戯ぐらい?)」を強く感じさせるエピソードが多かったような。
 よくあるパターンには陥らず、ヒネって、暴走して、でも面白く読ませてくれるのが、作者の天才的なところ。

 アニメとしては無難な出来…かな。
 鋭い忘却力が幸いしてか、面白く見られた。
 密室の中、どこまでウソでどこからがホントか分からない会話を繰り広げるのが楽しい。
上手くまとめれば、余りお金を掛けず、実写ドラマや舞台劇にもなりそう。

 感想を書くかは分からないけど、最後まで見続けたい。


2011年1月14日 金曜日

『フリージング』01.「Untouchable Queen」

 原作未読。
 男の子はチョイと後ろに控えて応援する立場を取り、女の子が先に立って戦うパターンの物語…だろう。
 今更の例えだけど、愛情をエネルギーにしてパワーアップを図りつつバトルを続ける、ポケモン女の子版。
「女の子ゲットだぜ!」というセリフ、違和感がないなあ。

 割とよくある作品群の中で、このアニメを特色づけるのは、「必殺技で吹き飛ばす」といったフワフワしたファンタジー気味の戦いとは対極に、攻撃を受けた側に痛み・苦しみのリアクションがあり、死まで含む?肉体的損耗が起きる、という所か。
 女の子の腕が千切れるのは確かに強烈なビジュアルだけれど、だから良い…のかどうかは難しい。
まあ、再生も効くみたいだから、画面がドンドン悲惨になっていく訳じゃ無かろうが。

 作画は頑張っており、色っぽいサービスもアリ。
 にこやかな顔の裏側に何か怖いモノを呑んでいそうな生徒会長(考えすぎ?)が、好みっぽい。
 出来は決して悪くなく、先行きにも期待を持たせているとは思うが、美少女バトル物は様々なパターンを既に見てしまったため、余程 独自の展開を遂げない限り、途中で何となく視聴を終えてしまいそう。



『CONTROL〜犯罪心理捜査〜』01.「顔は真実を隠せない! 心理学でわかる事件の裏側」

 あんまり日本のドラマを見ないんだけど、「心理捜査」というタイトルに引かれて、鑑賞。
 うーん、まあ失望はしない、こんな感じかと思っていたから。
 マジシャンとして一流であるためには、ショウの後で「ちょっともう一回そのカード確かめさせて」と「言わせない」だけの、人間的迫力や貫禄や雰囲気を備えていることが必要。
このドラマ主演の藤木直人には、それが全く無くて、イイ兄ちゃんではあるかも知れないが、何かしらの凄味を感じさせる部分など皆無。
だから何を言っても裏側を感じさせず、「単純すぎる」「そんなバカな」「薄っぺらい」と視聴者に思わせてしまう。

 脚本自体も単純すぎ…無理があっても良いから、心理学者が居なければ絶対に解決しなかっただろう困難な事件を設定すべきだったかと。
このぐらい、フツーの警官でも気が付きそうな真相。
 僅かに面白かったのは、心理学者のセオリーを完全無視した方法で、松下奈緒が自殺志願者を止めるところ。
コミカルなシーンとしてちょっと笑ったけど、ここだけが楽しいようじゃ、タイトルに偽りあり。

 『メンタリスト』『ライ・トゥ・ミー』『クリミナル・マインド』みたいなのは、日本じゃ難しいのかな。


2011年1月13日 木曜日

『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』01.「兄と妹のヨコシマな日常」

 原作未読。
 誰しも思うだろうが、前シーズン放送されていた『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』と似通った、もしかして視点を妹の側に置いて『俺の妹…』を語り直すのか?と誤解してしまいそうなタイトル。
 当然ながら全く関係なく、こちらの内容は、兄を誤った道に引きずり込もうとしてハニートラップを仕掛け続ける困った妹を中心に据えた、ドタバタ。
 隙があったらパンツを見せてサービスしようとする制作姿勢が、いっそ清々しい。
結構際どいシーンが多いんだけど、余りいやらしくならないのは、さほど色気が無い(失礼)キャラクターデザインと、笑いが先に立つ作り方のお陰。

 「男の子がベッドで目覚める」ところから始めるのは、萌え物の黄金パターン。
しかし、ここまであからさまに「誘惑して手を出させよう」とするヒロインは珍しいなあ。
憧れのシチュエイションを通り過ぎ、草食系男子なら、内面を知った途端 怖じ気づきそうな恐ろしさ。
 性愛関係への憧れ?が強く、暴走してしまうヒロインのバカっぷりは、『B型H系』を思い出させる。
単にプラトニックな恋人同士ではなく、血の繋がった兄妹として踏み越えてはいけない絶対的常識の一線がある、というのがこの作品の大きな特色……だと思ったけど、一話目で「義理」だと判明。
 うーん、せめてもう少し「実兄妹」で引いても良かったような。
近親の禁忌はギャグに使っても強力な設定だと思うから。

 デフォルメが効いた、線の少ないキャラクターデザインで目の下に迂闊な線を入れると、「やつれている」「歳を取っている」記号に見えてしまう。
 裸体のアチコチにタッチの実線を入れる処理は、ちょっと古いかな。
 色気だけで勝負する作品ではなく、ギャグメインなのだろうが、女の子の可愛さはあって良い、あるべき要素。
もう少し神経を配っても。

 見ていて、何度か笑ってしまった。
 気負わず肩の力を抜いて、見続けたい。


2011年1月12日 水曜日

『みつどもえ 増量中!』01.「狙われた子供たち!日本滅亡カウントダウン!」

 原作未読。
 前期が大変に面白かったので、つい期待してしまう第二期の開幕。

 第一話からイキナリ番外編(劇中劇)で、主要キャラの顔見せや設定の確認なんかをやる気が全く無いのに、笑ってしまう。
 作中で何度も語られ、ひとはのキャラクターを表す最重要アイテムである『ガチレンジャー』。
これまでにも内容をチラチラと見せられたことはあったが、一話丸ごとこの作品のために費やすとは思わなかったなあ。
 その中身は、かなり古い特撮番組をネタにしたパロディーの連続で、最近の「比較的よく出来ている(破綻の場所が昔と違う)」特撮ヒーロー物しか見ていない若い視聴者に喜んでもらえたかどうかは……
夢オチでも良いから、三姉妹をガチレンジャーに編入する、あるいは悪の組織に狙われる対象として据えれば、それだけで第一話としての価値になったろうが。
 若くて、古い番組のことは知らない、フツーに『みつどもえ』を見たかった視聴者には、不満の残る出来だろう。

 でも。
この悪ノリにバッチリと付いていける、対象に考えられているのであろう年齢の自分としては、今年に入って一番笑った内容。
 頑張った作画で「ショボい特撮」を再現するセンスが楽しい。
ロングになると、バスを運転していたヒロインが、ゴツイ体のスタントマンになったり。
登場するガキのセリフが余りにも棒読みだったり。
ヒーローに殴る蹴るされるシーンでは、敵ぬいぐるみに人が入っていない、カラッポだと分からせてくれたり。
 ショボい!凄い!

 ポンポンと軽い扱いで子供を殺すのがスゲエ。
こんなに子供を殺したヒーロー物も例がないような。
 ガチレンジャーの必殺技(?)、メリケンサックを嵌めて集団で敵怪人をひたすらドツキ回す、絵的に地味ながら極悪な攻撃に、腹が痛くなるほど笑った。
 恐ろしく無反省なラストも凄まじい。
溶かされたのはともかく、爆発やバス事故に巻き込まれて死んだ子供は生き返らないだろ(笑)。

 エラい物を見てしまった。
ツボに嵌る人間にはたまらない、それ以外の視聴者はポカーンとしてしまう、問題作。
 個人的には、期待以上の第一話。
今期も最後まで見続けたい。


2011年1月10日 月曜日

『魔法少女まどかマギカ』01.「夢の中で会った、ような…」

 これはアニメオリジナル企画なのか。
 気掛かりな夢から覚めたヒロインが、学校で謎の転校生と出会い、不可思議な事件に巻き込まれていく……ごく基本的なパターンのお話。
 ちょっとムリヤリ気味ではあるが、一話目でバトルシーンにまで持っていくテンポの良さは結構。
 戦いの迫力と、異様な空間をきっちり「異様」に仕上げるイマジネーション・演出力により、主にビジュアル方面で視聴者の心を掴もうとする導入。
 新房 昭之監督作品では、『絶望先生』なんかで相当に実験的な画面作りをしており、今作で異空間をイメージするのに経験が生きている…のかな。

 それでも、それだけならまず「ある程度印象に残る魔法少女モノ」だろうが、キャラクターデザインを、まず『ひだまりスケッチ』を思い浮かべる蒼樹うめが手掛けている所に、最大の異様さがある。
 のほほんとした顔のキャラが、結構シリアスな芝居をしている据わりの悪さ。
 見ていてどうにも馴染めないんだけど、これは「簡単に馴染ませない」ためにそうしたモノなのだろう。
が、「何のため」「それが今後どういう効果を上げるのか」は、まだちょっと分からない。

 作画は良好。
 ストーリーは、ここまでだと、先を楽しみに思わせられるほど語れてないと思う。
 もうちょっと見てみないと、何とも。


2011年1月9日 日曜日

『GOSICK-ゴシック-』01.「黒い死神は金色の妖精を見つける」

 原作未読。
 誉めるなら「テンポが良い」と言えるけど、ちょっと「視聴者の共感を得ないまま先を急ぎすぎている」印象。
 主人公の設定を僅かな説明で済まし、不思議な女の子と曖昧に近づき、殺人事件とその推理に特別の重みが無く、キャラ自身が疑問に思いながらのヨット遊び…しかし出航はせず更なる事件捜査のため?他の大型船へと。
アレヨアレヨの展開で、特に分からない所はないモノの、気持ちを入れて見ることが難しい。

 少女との出会いと、最初の推理までで第一話にして良いようなモノだけど、残念なことには推理内容が弱く、文章ならまだしも絵にしてしまっては、視聴者誰もが「こういう方法で殺されたんでしょ?」と思うその通りヒネり無しのため、少女を見る視点は「この程度の推理が出来たからって何?」程度に留まり、賞賛に移り得ない。
 だから、少女のキャラクターで印象づけるべく、世間知らずな様子や外出に はしゃぐ姿の可愛らしさによる「萌え」補強が必要だと考え、先を急いでしまったのか。

 推理は、この後も大体これぐらいの内容なのかな。
 それはキャラを立たせるための「手段」だと捉え、「凄い頭脳を持っている」…事になっている少女をメインに見て、面白がるべきか。
退屈して床をゴロゴロ転がるヴィクトリカは、確かに変で、可愛かったが。

 もうしばらく見てみないと、何とも。


2011年1月8日 土曜日

『夢喰いメリー』01.「夢現」

 原作未読。
 こちらは『IS』と真逆に近い作り方で、現実の人間関係や主人公が持つ能力を僅かに紹介した以外、説明を抜き、ビジュアルイメージとアクションにより掴もうとする第一話。
だから、何がどうしてどうなったのか分からない所があるけど、「分からなくて良い」のだろうから気にしない事にして。

 作画は良いし、描き込んだ背景がもたらす現実と夢幻の雰囲気も楽しい。
早いテンポで見せる演出も悪くない…が…
 この作品はコレだ!と一目で分かる・印象づける強烈さには欠けている。

 夢を当てられる能力以外フツーだろう主人公と、異質なメリーの出会いが第一話の最重要ポイント……だろう。
主人公が落ちてきたメリーの下敷きになる、という、ごくまっとうな学園ラブコメでもありそうな接触が最初では、ちょっと弱いような。
 主人公の迎える危機について「そう言ってるからそうらしい」ぐらいにしか感じ取れず、そのため助けに(ではなかろうが)現れたメリーのインパクトも弱い。
事情は語らずとも、悪夢としての理不尽な恐ろしさが演出できていれば、メリーの登場をもう少し強いモノに出来たかと。

 アクション。
頑張っているのは確かだけど、この作品ならではの面白さを感じさせるには物足りない。
 夢の中だろうに、戦い方が肉弾戦の格闘技なのは、何か意味がある?
あやふやな夢だからこそ、頼れる確かなモノは己の肉体のみ、とか。
 性格付けに凄味が見えない以上、時間を取ったアクションでもっと迫るべきだったろうが、ここがさほどでもないため、メリー自体の印象が弱くなってしまい、「彼女が気になるから次回も見る」視聴者を作れているかどうかは疑問。

 文句を書いたけど、「ここが売り!」はまだ見えないもののクオリティーの高いアニメではあり、次回以降グイグイ面白くなっていくなら十分視聴を継続したいと思える。
 もう少し見ての判断で。


2011年1月7日 金曜日

『IS(インフィニット・ストラトス)』01.「クラスメイトは全員女」

 原作未読。
 派手なロボット空戦シーンで開幕し、「おっ」と思わせるのは、基本的ながらも有効な作り方。
特に、この第一話本編にはマトモなアクションが無く、普通に良くある萌えアニメだとしか感じられないので、尚更。

 内容……うーん、これを悪くは言い辛い。
これこそが「基本」だから。
 初めて顔を合わせるキャラが多い(視聴者が入り込みやすい)新入学のシチュエイションから始め、何故だかエラく知識が薄い主人公の視点で、この学校はどういうモノか・何故女の子ばかりなのか・主人公の特異性は何…といった基本設定を紹介していき、ざっとヒロインらの顔見せを終わらせる。
姉・幼馴染み少女との関係は分かるし、高慢天才少女に睨まれる流れも そう不自然じゃない。
 バトルへの展開も悪くない…が…

 「えっ?ここまでで終わりなの?」とは思わせられてしまった。
 設定紹介を半分程度に減らし、入寮の下りを削る、それじゃサービスが足りないというなら入寮から始めて学校シーンを次に回す、という事にすれば、天才少女とのバトルも少しは入れられたような。
 それは「ロボットバトルに大きな意味がある作品」の場合で、「萌え」中心であれば、半裸の幼馴染み少女と同室になっての お色気ドタバタ(転んだ拍子に胸を掴む的な)をもっと拡充すべきかと。

 この内容を、第一話三十分の半分、せめて二十分ぐらいにまとめていたなら、悪くない。
残り時間で作品の「売り」「これから面白くなる部分」を、ストーリーに沿ってアピールできるから。
 実際の第一話は、「何としても第二話を見させてやる」ための絞り込みや周到さや気迫に欠けており、高い作画レベルや女性キャラの外見に大きく頼っている。
 惜しいなあ。
意味不明であったり、下手すると「意地でも第二話を見たくなくさせてやる!」方向に頑張った開幕のダメアニメが珍しくない現状、決して悪いものじゃないんだけど。
 良い編集部にこの内容で持ち込んだら、「何を見せたい第一話なのか」問われ、「それをもっともっと強力に押し出し、他の部分…特に単なる説明は二話以降に回して構わない。書き直してきて」とか言われるだろう。

 上品すぎる、大人しい、アピールに欠ける始まり方だとはいえ、つまらない訳でなく、次回以降面白くなっていくことに十分期待が持てる出来。
 段々良くなっていくとイイなあ、視聴継続。


2011年1月6日 木曜日

『君に届け 2ND SEASON』00.「片想い」

 変わらず原作未読。
 第一シーズンの出来が良く、笑わされ、泣かされ、感情を動かされまくっていたので、続きが見られるのは嬉しい。
気持ち良いキャラクター達との再会を素直に喜びたい。

 開幕(まだ開幕前?)を総集編…前期のストーリーを振り返る話から始めるのは親切な作りだけど、視点・語り手を、ヒロインではなく、その「敵」でさえあり途中からはほとんど出なくなった くるみにさせているのが珍しい。
だから、彼女が知らないことは語られず、前シリーズラスト近くのイベントなど無かったよう。
 恋仇であった時もそうだけど、こうして くるみ視点で気持ちを入れて見ると、彼女は決して悪い子でなく、イイ子だなあ。
この作品中では腹黒キャラ扱いだけど、このぐらい普通に考える事じゃなかろうか(悪だくみを実行したのだけは庇いにくい所)。

 爽子と出会うより先に告白していれば、風早は彼女になびいたろう。
「そんな気持ちで見てなかったから、イキナリは…」であっても、「恋人になる可能性を前提としてのお友達にステップアップ」とする契約を締結できてさえいたなら、意外に不器用っぽい風早は爽子に目を向ける余裕を失っていたはず。
 実に可哀想。
そこが、魅力に繋がる訳だけど。
 彼女は、風早に「恋人」であったり「男性」であるより、「自分を理解してくれる相手」で居てくれる事を求めており、それは恋仇と同時に くるみが心を開きさえすれば親友たり得る爽子にも求められる要素のため、ある程度 充足されてしまうのが、彼女の闘争心を鈍らせてしまった要因か。

 スタッフに大きな変更はなく、今期も高いクオリティーで楽しませてくれるものと思われる。
 ドラマチックにするための不幸成分は、なるべく少ない方が良いなあ。
いや、千鶴の失恋なんか結構辛いエピソードとなるはずが、柔らかく、爽やかにさえ描いて見せてくれたんだけど。
 幸せな物語であって欲しい。
 最後まで視聴継続。


2011年1月5日 水曜日

『Rio-Rainbow Gate!』01.「ゴッデス オブ ヴィクトリー」

 その姿を見ただけで客がカジノで勝ててしまうディーラー、って、役に立たないというか店側にとっては損失のような。
 と思ったけど、店内における客の勝ち率をかなり辛くしておいても、「彼女さえ現れれば勝てる」という伝説というか劇中で言われている通り「勝利の女神」が存在するなら、それが噂になって客を呼び寄せてくれる可能性があり、広告費として多少の出費は構わないのか。
カジノ側が、「偶然のようにバラけて起こる大当たり」を「彼女の登場と共に起こす」設定にすれば、損も全く無いのだし。
 客寄せとして強力であろう彼女に子守なんかやらせるのはマイナスだけど、一日中店内に居られては困る事情を考えれば、納得。
 しかし、彼女がディーラーを務めているゲーム台では、勝率はどういう事になってんだろ?

 ストーリー。
 これで真面目に作ってるんだとしたら驚き。
誘拐…じゃなく少女の縫いぐるみ窃盗?を衆人環視の元、ゲームで決着しようという考え方が宇宙人並みのキテレツさで、そのゲーム内容も、シリアスでなくイメージ勝負なのは構わないとして、「意味が分からない」もの過ぎ、ポカーン。
多少は「なるほど」があっても……
 余りの超展開ぶりに笑ったりはしてしまったけど、それが狙いだったのかなあ?

 今回の内容が「狙い通り」だったのかは、もうちょっと見てみないと分からない。
 三話ぐらいまで見ての判断で。



 イメクラでは、ストッキングを破るプレイというのがオプションであると聞く。

 ところで、ウチでは娘のオムツを、横からテープで留めるタイプから、運動量の増加に伴いパンツタイプに変更した。
 コレは、はかせる時は勿論 普通のパンツのように両足を通して引き上げる訳だけど、脱がせる時は、やっぱりパンツのように足元から抜く事と、両脇の縫い目に沿って切り離しテープタイプのようにバラす事とある。
特に、排出量が充実しすぎてしまった場合、脱がせていると足にお土産を頂く危険があり、大抵はバラす。

 ウチではこのオムツ切り離しを、「オムツ破りプレイ」と呼び、ビリビリ〜ッと手で切り裂く瞬間「いやぁぁ〜ん、やめてぇ!やめてよぉぉエロヲヤヂ!」と勝手なアフレコしながら楽しんでいる。
 ……ウソです、楽しんでません、もうシンドイです。
毎日毎日、日に何回も、仕事中だろうが食事していようが眠かろうが関係なく、だからなあ。
 さすがに慣れて、交換作業を機械的にやれるようにはなってきたけど、出来れば誰か替わってくれないものか。
いや、しかし「喜んで替わります」などと言う妙な野郎になんか娘を触らせてたまるかぁ!とも思うし。
 そうしてバカ親の役にも立たない苦悩と、オムツ破りプレイはビリビリ〜ッと続く。


2011年1月4日 火曜日

『おとめ妖怪 ざくろ』最終13話.「おわり、燦々と」

 ちょっとバタバタ終わってしまった感じがあって、全てに時間が足らず、決してつまらない訳ではないけれど、粗筋を聞かされたような印象が残ったのは残念。
 敵キャラの心境の変化を大事に描かなければならない所だったが、感情移入するまでは行けず、「分からなくもない」に留まってしまう。
 バトル描写も、元々それを主眼に置いた作品ではないと思いつつ、盛り上がりに欠けてしまい、物足りない。

 が…レギュラーキャラクター、7人の男女の絡みは、かなり上手く描けた作品。
 以前の話で、利劔が雪洞・鬼灯の名前を間違えてしまった所。
失礼を詫びる利劔、慣れており「分からなくて当然」と問題なく流そうとする双子、しかし丸竜は最初から二人を見分けていたのにと申し訳なげな利劔、彼がそんな繊細なことにまで目を配って・読み取っていたのに驚きつつ「丸竜様は特別」と嬉しそうな双子。
通常のペアでない組み合わせにより、普段描けない各人の個性や心の奥深くまで表に出せており、素晴らしい。
 総角と蛍が水没の危機に見舞われるシーンなんかも、その場に「居ない」パートナーとの絆を感じさせる会話の妙があって、感心。
 ここいらが鋭く、心地良く描かれているため、敵の存在やバトル描写がどうあろうと、作品評価に余り関係してこない、というか、最後まで小さな事件しか起こらずキャラの関係性をメインに見せて欲しかったぐらい。

 原作は連載中みたいだし、一段落しつつもまだまだ続けられる終わり方。
 女の子達はみんな可愛かったし、頼りなく描かれた丸竜が「男」を見せるカタルシスもまだ不足しており、第二期があるなら是非見てみたい。


2011年1月3日 月曜日

『ヨスガノソラ』最終12話.「ハルカナソラヘ」

 見逃した話もあるため、見当外れな感想になる恐れもあるけど……
 うーん、凄いアニメだった。
一応は地上波で、ここまで露骨に性交渉描写を入れた作品も珍しい。
 大抵は寸止めしたり、ぼかしたり、コレはつまりそういう事かと感じさせるに留めるものだけど、演出上の制限こそ加えられていたが、誤解しようのないその物を描いてある。
 しかも、最後の方では兄妹の近親関係にまで到っており、都条例施行後は放送が危ぶまれる…自主規制の対象になる可能性が高そうなため、この辺が世に出すギリギリのタイミングか。

 「ただ単にエッチっぽい絵があれば良いんでしょ?」という投げやりな作り方でなく、(原作ゲームのお陰もあって?)そうなるに到る経緯や、行為に入ってからの行動・会話に気を遣ってあるため、作画の良さと相まってエロな空気感が醸せており、なかなか。
 …それを地上波で放送して良かったのか、こんなに頑張るなら「こちら側」に来て徹底してやれば更に凄くなったかも知れないのに勿体ない、とは思う。

 攻略キャラクターを移す際、予告でハッキリ「これから他のルートに変える」旨 通知されるのが、分かり易くて可笑しい。
 こういうパターンのアニメでは仕方のないことだけど、それなりの個性や魅力を持つ女性キャラに比べ、主人公である悠は、ルート毎に好きになる相手をコロコロ変えてしまうことで、優柔不断、主体性が欠けているように思えてしまう。
まあ、この手の作品で、主人公に強烈な個性を付ける必要なんか無い…余計でさえある訳だけど。

 最後、妹ルートは、一度 枷が外れて自制が効かなくなった所も描きつつ、しかし世間との関わりから「理性的・常識的」に振る舞うしかできなくなる切なさや、絶望の末の愛が見られて、なかなかに好み。
 色々な終わり方が考えられたと思うが、意外にぬけぬけとした、明るいとも言えるエンディングで、安心。
 実は溺れたところで兄妹二人とも死んでおり、その後は「幸せで有り得たかも知れない世界の夢を見続けている」だけ……とも考えた。
水の中から誰が助け上げたのか分からないし、イキナリの海外逃避、時間がまるで無かったかのように散らかったままの二人の家、ラストシーンで他者の気配がない(居ることは居たか)列車内を見ていると、現実ではないものとしているよう思えて。
 しかし、そういう意図ならもっと思わせぶりに出来たはずなのに していない同級生達の会話からすると、違うのかな。

 とにかく、「問題作」。


2011年1月2日 日曜日

 BSの特番『徹底検証!ぼくらのウルトラマン伝説』を見る。
 黒部 進らの出演も嬉しいけど、ホシノ少年がオッサンになった現在の姿を見せてくれるのが珍しい。
 ついでに『帰ってきた…』次郎少年の行方も知りたかったな。
取りあえず『セブン』までの話題に限定してあるこの番組では、無理か。

 スペシウム光線発射ポーズの誕生について、当事者談話があったのは嬉しいところ。
 設定から煮詰めたのではなく、撮影現場で試行錯誤しつつ決めたんだなあ。
 それにしても、ウルトラ水流で両手の平を合わせたり、八つ裂き光輪の手裏剣を投げるような格好はまだしも、スペシウム光線発射のポーズは、特に光線の合成がない素のままでは相当に奇妙であり、下手すると間が抜けてさえいて、よくコレで行こうと決断したもの。
十字に組み合わせた手の、後ろにした方の、しかも手の厚み部分から光線が出る、という発想は凄すぎる。
フツーに考えても出てこないだろう。

 ついでに。
 『宇宙戦艦ヤマト』の究極兵器・波動砲は、誰が考えたんだろう。
 基本的に兵装は実在する戦艦を参考に設定されているヤマト(煙突ミサイルとか例外もあるが)で、戦艦大和はもちろん、他のフィクション作品戦艦にもこんな武装はない…知らない。
 エネルギーを120%までも溜めて溜めて、破裂寸前まで溜め込んでから一度に開放し、先端から凄まじい勢いで放出された奔流が、どんなものでもブチ抜いてしまう、その代わり放出後は本体に力が入らなくなってフラフラ、というのは、特にバカな男にとって非常に納得しやすい、実感的に「分かる分かる」と思わせられる設定で、素晴らしい。
 見てから思えば、戦艦が備える最大の兵器として必然とも感じられるんだけど、何も無いところからコレを考え出した発想の飛び方には、驚嘆。
 波動砲が無くてもヤマトは有り得たろうが、艦の持つ魅力やキャラクター性は相当に落ちてしまったはず。

 も一つ。
 ガメラ、って、ゴジラの後追い企画だから「口から火を吐く」はアリで、亀の特性から甲羅にアタマや手足を引っ込めるのもアリだけど、引っ込めた穴から炎を噴きだして回転しながら空を飛ぶ、というアイディアは、実在の亀をいくら見ていても思い付けるモノでなく、一体どのぐらい酒を飲んで脳の常識部分を麻痺させたら出てくるモノなのか(誉めている)。
 ボツになったSFドラマから流用された設定だという、それにしてもスゲエなあ。

 時代を超えて残る作品には、こういう「どうしてそんな事を思い付いたのか」と驚かされる発想があるモノなんだねえ。


2011年1月1日 土曜日

 2011年、あけましておめでとうございます。

 大晦日は、娘の誕生日を祝いつつ、夜から頭痛に見舞われ、リビングにバッタリ倒れたお腹の辺りに犬がピッタリと寄り添ってくれたので、その暖かさに気持ち良く眠ってしまい、目が覚めればもう越年後、1時過ぎ。
 娘は当然ながら既に寝ており、年をまたいだ瞬間の「あけましておめでとう」が言えなかったなあ、と残念。
 ただ、起きた時、頭痛がすっかり治まっていたのは嬉しかった。
犬、ありがとう、お前のお陰だって気がする。
 ヤツは年中無休で駄犬ぶりを見せるけど、たまに、本当に困ったり凹んでいると、事態が分かっているかのような態度を示すことがあって侮れない。
 犬は今年で八歳、人間年齢にすると自分と大して変わらないんじゃなかろうか。
長生きしようなー。

 という訳で、ただでさえ駄文を書き散らしているだけの日記なのに、最近はその更新さえままならない有様で、まことに申し訳ありません。
 今年は多少落ち着いて…過ごせるといいなあ。
それもこれも娘しだい。
 良ければ、たまに覗きに来て頂けますと嬉しいです。


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