ときどき日記 2011/02


2011年2月25日 金曜日

 仕事が遅れてアニメもロクに観られない。

 最近、娘が「あっかんべー」とかいう意味もないのにやたら舌を出すようになって、不思議。
つい「そんなに舌を出すのは、世界でもお嬢玉と不二家のペコちゃんとジーン・シモンズぐらいだ」と言ってしまう。

 娘のオムツ換えて、ズボンはかせようとすると、じっとするのに飽きちゃうのか逃げようとするので、押さえ込みながら「待って待って、おズボンはかせておズボンはかせてオジー・オズボーンはかせて」と言ってしまう。

 娘がアタマをゴーンと打って泣き出した時、宥めようと幼児語風に「はいはいはい、痛いでちょう、驚いたでちょう、ズキズキするでちょう、レイモンド・チョウ」と言ってしまう。
 全部、娘はおろか、若い衆の記憶にもない恐れのある人名ばっかりだなあ。
いや、誰だか分かったからって面白いネタじゃないが。


2011年2月20日 日曜日

『お兄ちゃんのことなんかぜんぜん好きじゃないんだからねっ!!』06.「兄、黒パンストの悪夢を見る」

 前回、今回と、異常なほど面白い。
今期お笑い路線は、『みつどもえ』も安定して出来が良いけど、コチラは声を出して笑ってしまう頻度が高い。
 ここ2回、作品中で、エロ妄想は日常的にあっても唯一…まだしも?マトモだった兄・修輔がメタメタになる話で、シリーズ中 僅かにしか使えない「壊れ始めの可笑しさ」が横溢している。
修輔が、『えむえむっ!』ドM主人公の変さ加減に猛然と追い付き、追い越してしまった印象。

 今回はBLに踏み込んだ内容。
こういうの、ありそうだけど意外と無かったなあ。
 主人公がうなされながら叫ぶ「人間の体はそんな事に耐えられるように出来てないんだってばぁ〜!」「その穴はそんな事に使う穴じゃないんだってば!」とかいう突っ込み?のセリフ、ストレートながら、それだけに余り耳にした覚えのないモノで、大笑い。
 妹の言う「BLはファンタジー」というフォロー?も、なるほど納得の説得力ではあるが。

 彩葉はまだしも、壊れゆく兄の惨状を「それはそれで」楽しんでいる様子の奈緒は、ホントに好きなのかどうか疑問に。
彼女は最初から歪んだ愛情表現を続けているのだし、まーこういう愛の形もアリか。
 主人公をペット扱いして接する繭佳と、どちらの業が深いのかなあ。


2011年2月19日 土曜日

 WOWOWで放送された映画『サロゲート』を見る。
 監督は『ターミネーター3』のジョナサン・モストウ、主演ブルース・ウィリス。
 身代わりロボット・サロゲートを用い、人間自身は家の中に引き籠もった状態で生活することが当たり前になった未来。不可解な殺人事件を捜査していたFBI捜査官は、やがて……

 映画『アバター』の遠隔意識操作ボディーを本人の姿に似せ、ほとんどの人間が使用して、地球上で普通に暮らさせている世界。
 でも、せっかくだから…なのか、サロゲートは本人より若かったりキレイだったり筋肉質だったりして、オリジナル体のコンプレックスを映し出すものになっているのが面白い。
 男が美少女になることも、女が渋いオジサンになることも容易く、外見だけじゃ何も分からない所は、『攻殻機動隊』義体を思い出してしまう。
現実で言うと、自分がある程度造形できるネットワークゲームのキャラクターか。
 こうなると、人を好きになる理由に「見た目」はほとんど関係なくなり、態度・性格など「内面」だけが問われるようになる…はず。
それは、ある人々にとってはスタートラインを揃えられる(好きに設定できる)という意味で公平な、理想的な世界だろう。
これぐらいの条件変化で「やったぁ」と思う人間は、内面もまあ大したモンじゃない気はするが。

 見ながら。
『フラクタル』も、こういう感じで基本設定を手際よく見せられれば良かったんじゃないか、と。
 生活様式を変えてしまう大きな科学技術が導入され、当たり前になっている世界。
その技術が持つメリットとデメリット、主人公がそれに対して抱く気持ちとそうなった理由、我々の現実と違う生活を楽しむ者達と「許せない」として反発する者達それぞれの有り様。
 これぐらいは、映画の前半で不足無く示されるので。
『フラクタル』でも、ここまで平易に分からせてくれれば、後はもうちょっとドラマやキャラクターを楽しめる方向に行けた…かも知れないのにな(そこら辺りも作り方が上手くはないんだけど)。

 ああ、映画は、特に後半、示された特殊な世界の設定とか人間同士の対立にあんまり意味が無くなってしまい、ありがちなハリウッド方程式に乗せ、ムリヤリ盛り上げて終わらせようとしており、見終わった感想は「まーこんなもんでしょ」としか。


2011年2月18日 金曜日

『フラクタル - FRACTALE -』05.「旅路」

 飛空挺に乗り込んでいるメンバーの顔見せと、そこでコキ使われるウチ次第に自分の居場所と感じていく主人公の気持ちの変遷、フリュネとの関係深化、使いようによっては恐ろしい武器ともなろう厄介なネッサ能力の紹介を、イベントに乗せて描く話。
 …というような事をやりたかったんだろうけど、ネッサのイタズラがただ面倒なもので何のメリットもなく、雷雲に突っ込ませるなど下手をすると生命の危機にまで見舞われそうで(どの程度危険だったのか見ててよく分からないが)、フラクタルを憎みドッペルを嫌う、そのためには仲間の死でさえ厭わない人達の集団で受け入れられるに足るイベントかなあ?と疑問が。
 ネッサの利用価値を分かっているスンダはともかく、ブッチャーをフラクタル側に殺されたばかりのエンリやタカミーの反応は、もっと別の物であるべきでは。

 このアニメは、キャラクターの感情が その回その場で寸断されていて、繋がった一つの人格と思えない。
 平然と一般市民を巻き添えにババア達を殺しまくる、自身でもテロリストと嫌っていたはずの人達と行動を共にしながら、「自由」なんてものを感じる主人公の気持ちはサッパリ理解できず(理解したくもない)。
 相変わらずよく分からないフリュネは、第一話登場以降、記憶や人格を操作されている?それとも別人(今居るのは第一話以前のフリュネである、というような変な設定とか)なのか、単に制作者の都合で動いているだけの心がない人形だからか。

 古い機械が好き、という基本設定を使い、飛空挺のシステムに入り込みネッサのイタズラに対処して…しようとして存在価値をアピールする主人公。
 これも要するに『ラピュタ』。
オリジナルで「炭坑の機械技師見習いだったため(飛行機に乗っていた父親の薫陶もあり)、タイガーモス号で活躍できたパズー」というのは実に分かり易いが、「見た目分からないけれど…昔のプログラムだったので対処できるらしいクレイン」では、そういうならそうなんだろう、ぐらいに理解が留まり、実感的にならない。
 しかも、異常発生原因がシステム老朽化や落雷などの事故に因らず、「クレインと痴話喧嘩したネッサによる妨害」なので、彼が解決したところで「良くやった!」にはなりづらい。
 なのに結局、彼の古物好き・プログラムが分かる能力は、ネッサ事件を解決する役に立たないまま終わってしまうチグハグさ。

 全体の流れとしても何をやりたいのか不明確な作品だが、せめて一話一話に「今回はココがおもしろい」というポイントを設定して絞り込み、そこでは確実に点数を稼いで次回も見てもらう動機に変えてもらわないと。
 この話はシリーズ中でこういう役割があって作ったもの、というのは制作者の都合であって、その都合だけを受け取るよう無造作に投げ出されても、楽しめる視聴者は少ない気がするなあ。
 ああ、クレインのフンドシ姿で、せめて腐女子視聴者に喜んでもらおうとしたのか?



 この前、衛星で放送された映画『穴 / HOLES』を見る。
 監督アンドリュー・デイヴィスは知らない名前…かと思えば、セガール作品の中では出来の良い『刑事ニコ 法の死角』『沈黙の戦艦』、傑作だった『逃亡者』、微妙な内容の『チェーン・リアクション』『コラテラル・ダメージ』『守護神』を手掛けた人なのね。
結構見ているのに、どれも主演俳優の名前ばかり残り、監督は憶えてなかった(酷い)。

 有名な児童文学を原作にしている、という事らしいが勿論未読で、タイトルだけでは映画のジャンルさえ分からず、どんなもんだか不安を抱えての視聴。
 しかしコレが、面白い。
 刑務所のような少年矯正施設での生活が前半で描かれ、『ショーシャンクの空に』少年版になるのかと予想したが…
 うーん、何を書いてもネタバレになりそうだなあ。
 フツーに考えて出てくるストーリーじゃない、「三題噺」的に押し付けられた題材をアタマ捻って絡ませた物語、というような印象。
でもそれを「無理」と感じさせず、伏線の昇華と人間ドラマの絡み合いにより「感動」にまで仕上げてしまう手腕に、ただ感心。
「結局アレは何だったの?」と疑問に感じさせる部分がほとんど無いのは、奇跡的な組み上げの見事さ。

 シャイア・ラブーフ主演。
 シガーニー・ウィーバーが、ちょっと意外な役を楽しげに演じている。
彼女もジョン・ヴォイトも、アクの強さが魅力にまでなっていて、善人キャラじゃないんだろうが憎めない。
 女教師役は、どこかで見たような…と思っていたけど、『霊能者アリソン・デュボア』の お母ちゃん・パトリシア・アークェットね。

 やりすぎに思えるエンディングまで、小難しい事を考えさせず気持ち良く見終えさせてくれる、意外な拾い物。
 たまたまか、テレビ朝日が見られる方は、今夜(明けて明日だけど)放送されるので、ヒマなら見ても良いんじゃなかろうか。


2011年2月17日 木曜日

 WOWOWで放送された映画『ウィッチマウンテン 地図から消された山』を見る。
 『星の国から来た仲間』をリメイクした、ディズニー映画。
オリジナルは、昔見た…ような気がするんだけど、何しろ古い話で内容はほとんど記憶にない。

 一言で表すと、「ディズニーのジュブナイルSF」という、それに尽きる。
 残酷さやドギツイ所が無く、上品な仕上がりで、親子揃って安心して見られる映画。
しかし、どこかで見たようなイメージの寄せ集めシーンが多く、オリジナリティーは勿論、「何か凄い物を見せてやろう」という気迫にも欠けている。

 超能力を持つ二人の宇宙人の子供を、タクシー運転手が追っ手をかわしつつ目的地まで運ぶ、という粗筋から予想できること以外、特に何も起きない。
 運転手に、子供達を運ぶことで埋められる「心の傷」みたいな物を設定していないため、どうして死の危険を冒してまで彼らを助けるのか、それによって何を得るのか(分かり易く得る物はあったが)、釈然としない。
こういうのもまた良くあるパターンなんだけど、どうせなら基本フォーマット通り欠陥無く作った方が無難だったかなあ。

 子供達が中途半端に大きく、しっかりしているので、運転手の必要性が余り感じられない。
兄妹のパワーで「銃弾なんか平気」「人間の追跡者など簡単に阻止できる」だけならまだしも、「超能力で車の運転も出来る」所を見せるのはさすがにマズい…本当に運転手は不要だと思われてしまう。
 大人が見るには物足りなすぎる内容だけど、驚きや感動、斬新さを求める人間はそもそも興味すら持たないタイプの映画だろうから、これで良いのかな。


2011年2月16日 水曜日

『IS 〈インフィニット・ストラトス〉』06.「ルームメイトはブロンド貴公子」

 フランス代表・シャルル。
一応は「美少年」として紹介されていたが、初登場時から誰がどう見ても……
 ドイツ代表は、カタブツ・質実剛健・軍人調と、自分が考えるドイツイメージに近く楽しい。
どちらかというとこの子を「男の子」として登場させた方が、いくらかそれらしく、強いギャップ萌えも演出できたろうに。
 シャルルは、男の子のフリをしていても女の子の顔を出しても「素直な可愛い良い子」であって、折角の設定的二面性が活かされておらず、残念。

 ヒロイン達をざっと紹介するのが最優先事項だったろうけど、それにしてもムリヤリ次々出している感が強く、シャルルとラウラなんか時期的に被ってしまい、今のところラウラが割を食って印象薄く見えてしまう。
物語スタート時から何となく教室内に居させて次第に存在感を増させるか、シャルルのエピソードが片付いてから登場させた方が良いような。
 まあ、ラウラについてはまだ「エンディングで一緒に走っていない」所から、彼女のキャラを立てる・ハーレムに編入するための事件はこれから起こされるんだろうが。

 物語をもっと強化すれば、ヒロイン達は「それに付随するもの」として整理でき、見易くも出来ようけれど、その辺りは酷く弱い。
 アリガチとはいえ設定に悪いところは無く、色々上手く噛み合ったなら『ストライクウィッチーズ』みたくなれそうなのに…
 いや、「可愛い女の子が大挙して主人公の回りを取り囲みキャーキャー言うのを楽しむアニメ」なのだろうから、このままで良く、他の何者にも化ける必要はないのかな。


2011年2月15日 火曜日

 娘に、白い紙とボールペンを渡してみたところ、猛然と絵を描き始めたのに驚く。
 いや「絵」というか、ボールペンを叩き付けたり紙上を ぐり〜と滑らしたりしただけの意味不明な(本人にしても「あら、何だか黒い跡が付いてるわ」以外の意味はある訳ない)ものだけど。
 見ようによっては、「地球と月」「山間の湖」「サメ」と受け取れたりする力作なモノで、「天才!」とか言いながら大喜び。
…バカ親の他は誰だって、「やたら念入りにやったボールペンの試し書き」にしか見えまいが。
 抱っこした状態で仕事していたりするものだから(仕事内容がナニなので余り宜しくない、とは思いつつ)、絵を描く、という事に早めに興味を抱いたのか、と思ったけど、一歳を過ぎた頃になると落書きしてフツーみたいだなあ。

 いつか、「将来は漫画家になりたい」と言い出したら、どうしようか。
 うーん、まあパパ程度でも仕事として続けられてるんだから意外と甘い職業ではあるんだけど、真面目にやろうとするほどプレッシャーがキツくて押し潰される人の多い、頑張ったら報われるとは限らない厳しい業種でもある。
 気が早すぎる、というのを置いても、その辺の話がもしかしてリアルになる十数年後には、編集者が居て出版社があって書店に流通させる既存の枠組みは大きく変化している可能性があり、今考えたってムダか。
 「パパみたいに、電話で情けない声出して謝ってばかりのカッコ悪い仕事はしたくない」と言われそうな気もするし。


2011年2月8日 火曜日

 怪奇現象!
リモコンに手も触れていないのに、液晶テレビのチャンネルが勝手に変わったり、たまげるぐらいボリュームが上がったりする。
 よく見ると、テレビの脇に掴まり立ちする小さな影があり、本体横にある操作パネルをポチポチやっていた。
お嬢玉かぁぁぁ!

 最初は多分、全く意味が分からずパネルのスイッチに触ってしまってただけと思うんだけど、今では、カチカチ押してから画面を覗き込み、「チャンネルが変わっているか」確認してるような素振りを見せる。
 ご近所から怒鳴り込まれそうな音量にされたのにビックリして、慌てて手元のリモコンで音を小さくすると、娘は不満げな顔でパネルを操作し再度大音量化、負けじとこちらもリモコンで小さく、すると今度はチャンネルを変えられて……
何の戦いだよ。
 もう、どんな番組を見たって内容に集中できやしない。

 怒っても何故怒られたのか理解できないだろうし。
実力行使とばかり、テレビから引きはがしてヨメ膝の上に投げ込み自席に戻りホッとして見ると、もう娘が高速ハイハイで帰ってテレビの横に居る恐ろしさ。
 パネルの上にガムテープを貼ってみたけど、「邪魔」とばかり剥がされてしまう。
 どーすりゃいいんだか(^_^;)。

 そういえば、何回目かは悲しくて言えないけど、誕生日。
 ヨメからのプレゼントとしては、バレンタインにクリスマスまで合わせ、テレビ横の厄介なグレムリンの形を取って一生分もらった気分。


2011年2月4日 金曜日

『フラクタル - FRACTALE -』04.「出発」

 細かく突っ込もうかと思ったけど、余りにも行き当たりばったりで穴が多すぎ、キリがない。
 大切な存在らしいフリュネが銃撃戦の最中ノコノコ出て来たのに慌ても止めもしないババア達、思いつきで彼女を攫って帰るのはまだしも部屋に監視も付けないスンダの一団、余りの変貌ぶりにキャラとしての連続性すら危ういフリュネ(別人か、洗脳を受けたんだと思った)、ここ二話ばかり彼女のことなど頭に大して無かったろうに突然 必死で近づこうとするクレイン……
ドイツもコイツも考えていることが分からず、ただ状況と脚本の都合に流されたアホみたいな行動しか取らないため、魅力ゼロ、というかマイナスでさえ。

 単純明快キャラ・ネッサぐらいかな、何かしら価値を認められるのは。
 無条件で主人公が大好きという、萌え作品文法に乗っけた女の子が一番輝いて見えては、マズいような。
 彼女にしたって、自分と同じ姿の少女を会場で目撃した事に少しぐらい疑問を持っても…まあクレインも気にしてない程度のことみたいだし、いいのか。
あの少女が、ドッペルであるネッサのオリジナルだとしたら、画面だけじゃまだまだ理解できないドッペルと人間の関係を、詳しく説明するチャンスだったと思うのに。

 語りたい事など無いのに、何かテーマがあるようなフリをしようとしている作品、少なくとも今のところは。
「語りたい何物も持たない」という事こそ、自分達の世代を表す際、テーマになるかも知れない大きなものではあるけど、そこまでメタな構成は無理そうだなあ。
 空虚な内面を埋めようとしてか、雑多な情報を未整理・未決着なまま放り込んであるのが、受け取り方を無用に難しくしている。
 キャラか物語かアクションか「萌え」か、残り話数をかけて描く方向をどれかに決め、それ以外の部分をスッパリ切り捨ててしまえば、まだまだ面白く出来る可能性は十分あると思う。
それを願ってまだ見続けるけれども……



 ある日の下らない会話。
 娘を抱っこしつつ。

自分「お嬢玉〜もうすぐバレンタインデーだねえ。バレンタインデーってのはね、女の子から大好きなパパにチョコレートをあげてもいい日なんだよ」
ヨメ「ウソを教えるのはどうかと。好きな男の子に、でしょ」
自分「パパ以外の男の子にチョコあげちゃうとね、神様から罰があるの。その夜のウチにね、男の子の家が燃えちゃうんだよ、コワいね」
ヨメ「おい」
自分「神様の仕業だからかなあ、証拠が残ってなくて犯人は捕まらないみたい。そんなの可哀想だから男の子にはあげちゃダメ、ね?」
ヨメ「『でもアタチ幼稚園のA君とB君とC君とD君にもうあげちゃったぁ』」
自分「四人も?そりゃマズいよ、一晩に四件もやるとさすがにどこかにはミスが発生しちゃう」
ヨメ「やっぱりお前が犯人か」
自分「まあ、まあ最悪、パパに一番大きなチョコくれたら納得しようかなあ」
ヨメ「『ゴメーン、うっかり全部あげちゃったから残ってないのぉ』」
自分「こんな世界滅べばいい、このっ、この街全てを紅蓮の炎で包んで!」
ヨメ「『ママにもらえばイイでちょー』」
自分「ママからかぁ…そりゃもらえないよりは……でも表に『義理』って書いてあったらどうしよう」

 娘はいつも通り、ポカーンと聞くばかり。
 大きくなったら「つまんない」とか突っ込まれるんだろうなー。


2011年2月1日 火曜日

 衛星で放送されていた映画『アリス』を見る。
 『不思議の国のアリス』を映画化したものは沢山あるが、これはチェコ映画で、ヤン・シュヴァンクマイエルという人が監督。
聞いたことない監督だし、どんなもんかと期待せず視聴。

 うわー、凄い。
原作『アリス』からして幻想的でありシュールな物語だけど、こういう映像化が出来るとは思わなかった。
 気持ち良さと気持ち悪さの間にある違和感。
これが感性に合う人はホントに好きになり、合わない人はもう映画の最初から受け付けないだろう。
 1988年の映画だからCGとか気の利いた技術は使われておらず、セットや模型アニメで頑張っているぐらい。
画面的に凄く良くできて「いない」のがまた、違和感を加速させて面白くしているよう思える。

 物語は、大筋で原作に沿うが、でも相当違う。
『ドラえもん』みたいな異世界への入り方をして、落語の『頭山』を思わせるネタ(我慢強すぎだろアリス)もあり、駆け回るウサギは破れ目からオガクズをこぼし続ける不気味な縫いぐるみで、マッドハッターと三月ウサギのイカレっぷりは洒落にならないレベル。
 現実…なのだろう場面でも、紅茶が入ったカップに少し離れたところから小石を放り込み続けるアリスの異様さがスゲエ。
チェコにはこんな遊びでもあるのかな?
 出てくる食べ物は全部マズそう。
そればかりか、ジャム?に押しピンが入ってたり、パンには釘を打ってあったり、監督は食べ物が憎いのかと思うぐらい。

 アリスは、「美少女」と言えるかは分からないが可愛い。
 スカートから覗く足を妙に艶めかしく撮ってあり、靴下が脱げてしまうシーンなど少女足フェチの方は大喜びじゃなかろうか、いやそういう嗜好じゃないんで知らんけど。
 ナレーションを入れる際、アリスの口元が大写しになるのも、妙にフェティッシュ。

 ツボに入ってしまい、引き出しの取っ手が取れる度に笑い、意味不明なキャラクター達にも喜んでしまった。
 が、『アリス』大好きなヨメは最初の方だけ見て「もういい」という評価だし、娘は何故か映画を流している間 泣きっぱなし。
誰にでもお勧めできる映画、じゃないなあ。
 ティム・バートン『アリス・イン・ワンダーランド』より遙かに安く上げられた映画、だけど、気持ち良い気持ち悪さや今晩夢に見そうな強烈さでは、こちらが断然上。


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