ときどき日記 2011/05〜12


2011年12月30日 金曜日

 申し訳ありません。
 コミケ、新刊は出来ませんでした。
コピー誌なりと出すべくギリギリまでやってみたのですが…ううう。

 会場へは行きますので、だらしのないテイタラクに「コラ」とか言ってやって下さい。
いや、そんな暇にお目当てのサークルを一つでも回った方がいいでしょうね。


2011年12月24日 土曜日

 訂正。
 コミケのスペース、ひらがなでなくカタカナの「ア」-31aでした。
東館です。
 確認ミス、申し訳ありません。



 WOWOWで放送された映画『マイネーム・イズ・ハーン』を見る。
 インド映画…らしいので、監督も主演も知らない人。
 米在住アスペルガー症候群の男性が、9.11を切っ掛けとして、大統領に会うため旅をする、というシンドそうな あらすじから、WOWOWで放送されなければまず見なかったろうと思われる。
 評価は高いみたいだけど、内容に乗れないならすぐ録画を消そうと、警戒しつつ鑑賞すると…

 いや、面白い。
 症候群ゆえ生活で生じる支障と、特殊な才能、そして正直で歪みのない心が生み出す融和・愛・感動。
ここいらが実に上手く描写されていて、素晴らしい。
 好意で出された料理に対し、「まずい」「もう二度と作らないで」と言ってのける主人公に、笑ってしまう。
それを柔らかく受け止めてくれる周囲の人々の優しさが嬉しい。
 だから、9.11以降の激変してしまったアメリカ環境が余計に辛い。

 不信と憎しみは、多くの重要なものを失わせる。
理解と愛は、より多くのものを結びつけ、強くする。
 「よくあるテーマ」ではあるけれど、それを描き出すため非常に上手くストーリーが構成されていて、ちょっと「ファンタジー」と言ってもいい(特に後半)映画内容を感動に変えていく。
 実際、何回かホロリと来てしまった。

 洪水への対策に、幼少期の思い出が生かされると良かったかなあ。
あんなものじゃ大規模な災害に対応できないのは当然で、「ファンタジー」から「嘘」にしてしまわないためには、そうせず正解だけど。
 女性が美人で嬉しい。
 大統領の顔は最後まで誤魔化すべきだったなあ…ちゃんと写すと全然似てないぞ。
 カメラワークが美しく、ハッとさせられる画面作りに目が引き付けられ、時間の長さも気にならない。
 現実はこんなに上手く行かない。
でも、このぐらいは上手く行く世界であってくれれば、ステキだよね。
 見て良かった、イイ映画だった。



 気付けばイブ。
 年末に来て、時間経過速度が加速気味。
 せっかくだから、ちょっと離れた美味しいケーキ屋までクリスマスケーキを仕入れに行くと言うと、ヨメに「今日、やってるかなあ?」と言われる。
……イブに休むケーキ屋は、どうかしてるだろ。
年商の相当な割合を今日と明日で稼ぎ出すはずだろうに。


2011年12月20日 火曜日

 長らく放置しまして、申し訳ありません。
 ひたすらに仕事と、恐ろしく時間を喰う子育てに忙殺されておりました。
 ぼちぼちリハビリしつつ、日記書きに復帰したいと思います。
…思うだけで実行が伴わない所が悩みの種。

 ああ、冬コミケに出ます。
31日・ア-31a・白昼書房、です。
 コピー誌なりと出すべく努力中、ですが、先行きは不透明。
 進行具合など、またご報告したいと。


2011年9月30日 金曜日

 日々、一生懸命働いているというのに、どうしてこんなに仕事が終わらないんだろう。
 すいません、一ヶ月ほど空いてしまいました。

 それで、現在またギリギリの進行が続いているため告知だけで申し訳ありません、今日か明日…ハッキリしなくてすみません…ワニマガジン社から新刊単行本「美乳少女と艶乳ママ」(Amazon)(一部内容参照)が発売になります。
 収録作品は、出版社様の自主規制に引っ掛かるギリギリの母ネタ、久しぶりな気がしなくもない女装少年ネタ、絵柄を変えてみようと苦闘した一本など、バラエティーに富んでいるというと良く言いすぎなら、とにかく色々詰め込んであります。
 11ページほどのあとがき的追加部分を含め、頑張ってみましたので、宜しければ是非。


2011年8月30日 火曜日

 単行本作業中。
 今日は表紙のカラーを、明日はここの原稿を渡してください、という風に区切られているため、何だか連日〆切があるような状態。
そりゃもう、早め早めに進めておけばこんな事になどなるはずなかったんだけど。

 僅かな隙間をついて『コクリコ坂』を見てきたのに、感想を書く暇もない。
今、机の上がPC機器等で一杯になっているため、キーボードは膝に乗せて打っているが、娘 起動中はやたら「抱っこ」を要求してくるため、膝が占拠され、文章入力が不可能になってしまう都合もあり。
 映画、青春物としては悪くない。
独立した一本の作品として見る価値があるかというと、うーん、それはこういうジャンルが好きかどうかに寄る。
 ちょっと落ち着いたら、またウダウダ書きたいと。


2011年8月14日 日曜日

 夏コミケ三日目、友人知人に会うべく一般参加だけでも出来ないか、と思っておりましたが、とても許されない仕事スケジュールの遅れ。
検討の余地もなく、断念。
 冬はスペース申込みを久々にしてみたいと。
場所を頂けるかどうかは疑問、というか、かなり厳しいとは思いつつ。

 参加される方は、何しろ暑いので体調に気を付けて、無理せず楽しんで下さい。
 お気を付けて〜。


2011年8月1日 月曜日

 酷い更新ぶりで、すみません。
 ワニマガジン社様からの単行本作業があるため、これからまた悲惨なスケジュールに入る予定。ううう。
いや、出版不況の折、本を出して頂けるのは本当に有り難いことです、頑張らないと。

 娘、以前からヨタヨタと歩いておりましたが、ふと気が付くと部屋中に播かれたトラップ(ほとんど娘本人が投げ散らかしたもの)を上手く回避し、余り転ばなくなりました。
 前はドターン、バターン、ドターンと派手にコケっぱなしだったのに。
確実に成長してるんだなあ。
 あと、嘘泣き……「涙を出さない声だけの泣き方」をするように。
コレはヨメとかヨメ妹さんには全く通用しないため、ほぼコチラにだけして見せる。
仕方なく抱っこしてやると、途端に「エヘヘヘ」な笑顔になるこの変わり身の速さ。
 「ママは厄介だわ、女同士だし、アタチの手の内を読んでくるから。その点パパは扱いやすいから好き。泣きマネで何回でもオロオロしてくれる単純さがステキ」とか思ってるんじゃなかろうか。
さすがにウソ泣きは分かるんだけど、両親共に厳しいんじゃ娘も息が詰まるだろうし、片方ぐらい甘くてもイイ…ですよね。


2011年7月18日 月曜日

『総天然色ウルトラQ』03.「宇宙からの贈りもの」

 WOWOWで放送されていたのを見る。
 内容自体は、二、三回シリーズを通して見ていると思うけど、カラー化された映像を見てみたくて。

 うーん、これはキレイだ。
危惧したよりずっと無理がない。
 画面内情報量の増加が著しく、一ノ谷博士が掛けているメガネのツルに施された細工まで分かる。
 何も知らずに見たら、時代を昔に設定して近年作られた作品と思うかも。
 せっかく手を入れるのだから、合成のアラなんかも消せたはずだろうが…それは修正した方が客に喜ばれるのか、逆に手作りの「味」が無くなるような勝手をするな!と怒られるのか。
自分は、踏み込んで、やれることを全部やったバージョンも見てみたい。

 ナメゴンの最後、こんなにも呆気ないんだっけ。
もう少し何かあっても…だけど、物語として「傲慢な人類による宇宙計画への、最初の警告」という事になっているのだから、意外なほど脆い怪獣にも意味があるかな。
 作中、唯一モノクロになった場面は「白黒テレビで」アナウンサーが原稿を読んでいる所、ってのが不思議な気分。

 どうせなら、『カネゴン』みたいな当時の風景を映した作品も見たい。
WOWOW、全話カラーで放送してくれないものか。
 続く『ウルトラマン』『セブン』も是非デジタルリマスターしたものを、ブルーレイで発売して欲しい(DVD版は既にあるけど)。
 この方法を使えば『ゴジラ』一作目もカラーに出来る、って事か。
しかし、聖典に近い巨大な作品だけに、拒否反応も出そう。


2011年7月17日 日曜日

『輪るピングドラム』02.「危険な生存戦略」

 今期一番の注目作品…だろう。
 幾原 邦彦が監督するのは、1999年の 『少女革命ウテナ』劇場版以来、という事になるのか。
 病弱で先が長くない妹と、その兄二人がメインキャラ。
慎ましい暮らしぶりや兄二人の妹に寄せる愛情、楽しげな水族館の様子から、余りにも無念な妹の死に繋げ、そこから…よく分からない存在により生き返らされた妹が「生存戦略」と叫び、自宅に送りつけられた他の人には見えないペンギンと共に、兄弟は妹を生き長らえさせるため「ピングドラム」というモノを探し出すよう言い付けられる。
 …飛んだなあ、一気に。

 電波としか言い様がない内容で、飛躍が激しすぎ、普通なら「付いていけない」になる所だけど、日常生活の分かり易さとキャラクター感情の整理(一話目は、兄弟について「妹への想い」以外をカット)、異常なモノに対する「異常だ」というリアクションにより、寄せず離さず視聴者の興味を逃がさない作り方はもう、職人芸だなあ。
 ペンギンについて、どうやって家に来たのか、一般人からはどういう存在なのか、コミュニケーションは取れるのか等々、取りあえず必要な情報を説明ゼリフに頼らず見せる手際の良さ。
 妹への憑依人格については、何が何だか分からないけれど、異世界?で階段?を降りてくる際、細い腰を微妙に振って仄かなエロティシズムを醸し出す あざとさと脳髄への直撃加減で、もう「そういうものだ」と納得。
 視聴者を掴む(「遊び」を提供する)「生存戦略ー!」という意味不明ながら強烈なフレーズの作り方がまた、上手い。
何を考えてたら出てくる言葉なのかなあ、こんなの。

 ピングドラム、という言葉も意味不明。
最初、「ピンク」ドラムかと思った。
 「ピングー」ってペンギンのクレイアニメがあるけれど、そこから?
 「ドラム」は普通に楽器のことか、体積・質量単位のドラムなのか。
ドラム缶的なペンギンの体型を表す?
 やたらよく出てくる電車のモチーフに関係して、「トラム」なら分かるんだけど。
 そういえば電車と、一話目で子供達が話していた『銀河鉄道の夜』はリンクしてくるのかな。

 二話目で扱われた少女、ごく普通の女の子に見せながら、危険を冒してビルの壁を移動する「好きな男のためなら何でも出来る」行動力を発揮し、更にエスカレートしてストーカーとしか思えない事まで。
 「異常」なレベルまで溢れ出す愛の強さが、今作のテーマ?
主人公兄の妹に寄せる気持ちだって、兄妹の範囲を踏み越えるモノみたいだし。
 それは『ウテナ』でも描かれていた事ではあるか。

 幾原監督のイマジネイションは、相変わらず凄い。
「生存戦略」後の暴走しつつ生理的快感までもたらす画面作りなんて、ハリウッドの最上級クリエーターにだって類を見ない。
 『マトリックス4』とか作るなら、タマゲるような金額を提示してでもビジュアルイメージ設定に雇ってはどうか。
いや、この監督は乗らないと仕事しないタイプかな。

 世界の謎を解く手掛かりをチラチラと提示しつつ、それらが全てキレイに揃って大きな輪を成すようには「作らない」んだろうと思う。
 今作も、監督のいいように振り回されながら、楽しく見続けたい。


2011年7月16日 土曜日

『まよチキ!』02.「大好きになっちゃった!」

 原作未読。
 執事である近衛が、作品世界内では「男の子」に見えているらしいことに戸惑う、というか最初コレが理解できず、お嬢様と美少女執事の関係が百合っぽくて他生徒から人気を博しているんだろう、とばかり。
 「男の子だと思ったら実は女の子だった」意外性より、「最初から近衛の可愛さ全開で押したい」意図の方が勝ったのかな。

 お嬢様が男装して男の子として通している設定なら、割とあるような。
「家の厳しい掟により、生まれた女の子は18まで男の子として育てる事になっている(素性がバレたら家督相続権を失う)」とか。
 執事にこんな設定を付加するのは珍しい。
いや、『ハヤテ』じゃ女装が日常になってるし、そうでもない?
 執事に設定した意味は、彼女が お嬢様に絶対服従しており、そのお嬢様がドSの性格異常者だという所にある。
「愛」に因っているのか単に面白がっているだけなのか、次々企てを起こすお嬢様のお陰で、物語は転がっていく。

 今回見せた、身体測定での「本人達は大真面目」「ハタから見ると(性別を勘違いしているせいもあり)異常」というシチュエイションの生み出すドタバタが愉快。
 女の子はみんな可愛く、元気な演出と作画が気持ち良くて、何も考えず気楽に見られるアニメ。


2011年7月8日 金曜日

『ロウきゅーぶ!』01.「小学生がやってくる ヤァ!ヤァ!ヤァ!」

 原作未読。
 体育館に入ってみれば女子小学生がメイド服でお迎え、呆然とする主人公の対応を嗜好の違いと思い、急遽「お兄ちゃん」属性を付ける…
という辺りで、挫けそうになる。
 こういうのは、もうちょっとキャラが馴染んでから、せめて何故こんな格好をした方が良い・こうしなければならないと思い込んでしまったのか過程を描いてくれないと、視聴者サービスと受け取ることさえ難しく、電波系、あるいは「とにかくコレやっとけば視聴者に受けるはず」という侮った態度にも思えてしまう。
…いや、実際に喜ぶ視聴者もいるかも知れないので、侮った、ってのは言い過ぎか?
 超絶の作画でムリヤリ見せてしまうならまだしも、悪くはないが取り立てて良くもない絵なので、尚更戸惑う。

 主人公側は、コーチを引き受けるにあたり多少抵抗するけれど、小学生側はどうだったんだろ?
主人公を見て「頼りなさそう」「こんな人じゃ務まらない」と初見で思う、その印象が次第に変わっていく…なんてのがアリガチなパターンだが、最初から「メイド服でお迎え」ぐらいに歓迎しちゃ、ドラマが作り辛い。
 ハーレムのお話であり、葛藤とか融和なんてのは、あっても無くても構わないのか。

 少女達それぞれの才能を主人公が認めていく所は、意外と丁寧。
女の子達への個性の付け方も、目新しくはないが、割合しっかりしている。
 ダメな集団を立て直していく、お馴染みの流れに乗せた熱血気味スポーツ物に出来そうだけど、ハーレムが優先なんだろうな。
 見続けられない内容ではない、とは思いつつ、視聴継続の意欲は弱め。



 再度、映画『SUPER 8/スーパーエイト』。
 これを「映画を撮っていた少年少女が、彼らの世界を激震させる怪異に直面する話」だと思うから不満だけど、「死者を出し町も破壊される凄まじい事件を背景に取り込みながら、アホみたいな映画を撮り続けた少年少女達の話」と考えると、なんか納得。
 列車事故現場や軍隊の駐留という非日常も、完成フィルムで見ると「アマチュアにしては変に頑張ったシーン」としか見えないし。
 本編映画で最大の見せ場かも知れない列車脱線のスペクタクルが、彼らの完成フィルムでは使われず(使えず)、恐ろしく安っぽい仕上がりになっているのも、そう思えば意味があるんだろう。

 「もっといくらでもスゲエ映画が出来たはず!ドキュメンタリーにした方がまだマシだった…これだけの目に遭っておいて、フィルムにも収めておいて、出来たのがここまで下らないゾンビ映画か!(個人的には好きだけど)」という観客の呆れ具合を「オチ」に設定した、なかなか根性の悪い映画、なのね。


2011年7月2日 土曜日

『30歳の保健体育』最終12話.「はじめてのコンドーム」

 シモネタお笑いばかりのアニメだったのに…お約束としか言い様がない幕切れなのに、迂闊にもジーンと来てしまう。
 迷惑な四人だったけど、居なければ主人公二人が恋人になることなど出来なかったろうし、十分すぎるぐらい役割は果たしてくれたんじゃなかろうか。
「私は、あなたの三十歳の日の心の中にいた童貞・処女の幻影」。

 作画レベルがもっと高ければ、処女信仰童貞の願望をアホな形で具体化したような なつは、更に人気を取れたキャラクターじゃなかろうか。
双子の女神、女装が可愛すぎるマカロンも、良いポジションに居て魅力があった。
 もうちょっと、いい歳して彼女・彼氏が居ない人達に勇気を与えてくれる内容だと更に良かったかと思いつつ、あんまりそこに縛られすぎると物語としては面白くなくなる危険性が高く、「こんな彼女が居ればいいのになあ、オレならこの主人公より上手く付き合えるぞ」と思わせるだけでも意味はあったろうか。


2011年7月1日 金曜日

 うわー、すみません、掲示板に使っていたOTDがサービスを終了してしまったようです。
 そういう事が予定されてるとは全然気付いておらず、バックアップも新しい物については取ってなくて、せっかくの皆様の書き込みを、申し訳ありません。

 今後は、うーん、もう掲示板を作るよりはブログのコメント欄で替えてはどうかと思いまして、しばらくは様子を見つつそのように。
掲示板やっぱりあった方が良い、と思い至りましたら、どこかをまた借りるようにします。
 ほぼ日常のどーでもいい事しか書いておりませんが、Twitterも始めております



『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』最終11話.「あの夏に咲く花」

 シリーズ開始当初、もっと厳しい、ダークな、嫌な内容を予想していたため、そこいらには余り踏み込まないで終わったことに、物足りなさを感じつつもホッとする。
 誰でも考えたろう、「こうなって終わる物語なんだろうな」という、大体その通りのエンディング。
 なのに引き込まれ、面白く見てしまったのは、キャラクターそれぞれが的確に捉えられ・彫り込まれていたこと、不足無くドラマを描いていること、めんまの可愛さを全体のテイストとして通しきっていること、等々、丁寧でブレない作りの成果。

 苦悩する仁太よりも、屈折しきっていて賢いが鈍くビックリするぐらい抜けたところのある集が魅力的だった。
わざと可愛くなく、痛々しいぐらいに描かれた女装姿からは、逆にスタッフの愛情を感じたり。
 鉄道は、もうちょっと内面に迫って欲しかったかなあ。
あんまりやると、生者では唯一全開で明るく元気なヤツなのに暗くなりそうなのと、語ったあれぐらいで歪みの全部だ、って事でもあるか。

 物凄く楽しく過ごした子供時代が、それ故、残酷すぎる欠落によりいつまでも続く呪縛になってしまう。
「めんまが皆に会いたかった・別れを言いたかった」ストーリーだけど、「きちんと別れを…溜めた気持ちを言いたかった皆が再会を望んだ」とも言え、互いの想いが通じ合って昇華されていくクライマックスは正しく感動的。
 めんまの家族にもあと少しだけフォローが欲しかったけど、弟・聡志が生きて・成長していく事を認められたので、もう楽にはなっていたんだろうな。
親であれば、ある程度「悲しみ続ける自由」も認められるべきだし。

 真面目に・一生懸命に・優しい気持ちで作られたアニメ。
 哀しくはありつつ、見終わって感じるのは爽やかさ。
 面白かった。


2011年6月28日 火曜日

『C』最終11話.「control (未来)」

 自分が経済に疎いせいか、作品としての説明が不足しているのか、最後の方はちょっと分かり辛かった。
 公麿と三國、二人の争っている理由がよく分からず…
 三國の考えでは(客観的に見ても)、未来を担保にしてでも現在を支えなければ他の国がそうなったように日本その物が消失する危険アリ、という事なんだよね?
特定の誰か、例えば貧困層や老人などに負債を押し付ける形にし、彼らを消してしまう事で大勢を守ろうとした、ぐらいなら「倒すべき相手」と考えるのも分かり易いんだけど(不特定な人間に負担は強いていたが)、代案が無いまま…あやふやな物ならあった?…闇雲な行動をする公麿は、余りに無責任に感じられて気持ちを入れるのは難しい。
 「希望を失った人ばかり残って形骸化した国を存続させるより、みんな一緒に消えてしまうべきだ。『このまま何もせん方がええ(日本沈没)』」というなら、理解できるが。
 そう思うのは、自分が年取って、三國の側…体制維持側?の人間になったから、なのかな。

 日本は残ったものの、そこは主人公の見知った(主人公を知っている)日本ではなく、少子化が解消したのか子供が溢れる=未来が多く担保できる世界になっていた。
 ちょっと虚しくも感じられるけど、主人公の未来は奪われた訳でなく、頑張ればきっとここから新しく作っていけるのだろう。
 金融街も残ってしまったし、相変わらず消失の危険はあるように思えるけど…まあ、ここからはまた新たなストーリーか。

 開始当初、面白そうに感じた、資産がパワーになるバトル形式だけど、「なるほど!」「そういう戦い方があったか!」といった感心が無いまま進み、実感にも欠けてしまったため、演出で押してくる部分以外はイマイチ。
 代わりにアセットのキャラクターが良い感じに描けており、特に主人公と、彼の未来を体現するという真朱の関係に引き付けられる所が多く、楽しかった。
彼女は、主人公が考えたように彼の娘なのだろうか。
奥さんの姿…の可能性も。
それなら、焦らなくたって後でいくらでもキスできたね。
 三国が使うQも、ボーっとして表情変化に欠けるのが可愛げで結構。
本気戦闘モードに入るとバケモノ姿になる、ってのも面白かったが、何しろ変貌ぶりがコワイのでオタク層の受けはどんなもんだろ。

 次第に強敵と当たりつつ、どう見てもラスボス然とした三國と、そして真坂木に代表される無限に近い力を持った「金融街」そのものと戦っていくインフレバトル物と単純に予想していたため、ラスト近く、経済恐慌防衛戦に時間を多く割いたのは意外。
 君麿が経済的勝利を収めていくことで羽奈日の歓心を、文字通り「買える」ようになり、しかし虚しさや限界を感じてしまう…として彼女の存在は大きな意味を持つのだろうと思っていたが、それほどでなく。
 よくあるパターンからは外れた物語。
 とはいっても、最後に三國とのバトルが設定されていたし、未来を失った羽奈日は君麿を強く動機付けている。
予想は裏切りつつ期待には応える、なかなか高度なストーリー構成…ヒネてるとも言える?

 江原の子供復活が嬉しい。
大丈夫、ビンボーでも(彼の考える生活レベルに比して、って事で赤貧とは縁なしだろうが)子供とやっていけるよ、子供が居るから耐えられるよ、頑張ろう。
 真朱がとても良いキャラだったから、彼女をヒロインとして…もうヒロインか…素直なポケモンバトル的世界観で、種族を越えた恋愛感情が育っていくお話を見てみたい。
 不思議なハイヤー、「経済活動は生き物であり、戦い」をそのまま具体化する金融街の有り様、未来を形にしたアセットとその強さレベル、現実に流入しているミダスマネー…イメージとして面白いところは多く、多少分かり辛い所があっても見続けさせるパワーがあった。


2011年6月26日 日曜日

 映画『SUPER 8/スーパーエイト』を見る。
 監督は『M:i:III』『スター・トレック(2009)』のJ・J・エイブラムス。
 スピルバーグ作品にオマージュを捧げた作品、という事で、スピルバーグ自身もなかなか実現できなくなっている映画の楽しさを味あわせてくれる作品に仕上がっているのでは、と期待しつつの鑑賞。

 …そういう期待からは、外れた映画。
 確かにスピルバーグ作品でお馴染みのお膳立てや見覚えのあるようなシーンが並べられるけど、それはそれだけの事。
懐かしかったりはしつつも、「だから面白い」という境地まで繋げられている部分が少なすぎ。

 以下、なるべくボカすけれど、どうしても内容に触れてしまうので、未見の方は御注意。


 「謎」っぽく勿体ぶられる異質の存在に、魅力が薄い。
『クローバーフィールド』は、それも狙いだろうから構わなかったが、全体像を余りハッキリと見せず、フォルムとして捉え辛い姿に気持ちを入れて見るのは難しい。
 行動として、「不思議なボクらの友達」でも「倒すべき恐ろしい敵」でもない描き方が、中途半端に感じられて、うーん。
例えば、町の人を数人殺した後で主人公に出会ったETを…悪辣な人類からの被害者的側面を持った『宇宙戦争』エイリアンを、客はどう思えば良いのか。
 問題提起する作品じゃなかろうに、ここいらはもう少しエンターテイメントとして割り切って欲しかった。

 詰め込みすぎて、消化不良になっている箇所も多い。
 父親世代の対立は物語に余り関係なく、仕事人間なので息子と一対一ではどう接して良いのか分からない主人公父、にまとめて良かったかと。
 タイトルにもなっている、主人公達が偶然撮ったフィルム、その内容確認は遅すぎて無意味になってしまい、事件の進展・解決に結びつかない。
 物語を動機付ける重要な役割だろうに、アッサリしすぎている極悪人の始末。
彼らを最後に片付けることで贖罪・停戦の証にしないと、対立構造が上手く解消できない。
これじゃ『アバター』で悪役の「顔」になっている元大佐が、物語半ばで死んでしまうような据わりの悪さ…その後は誰をどうすれば終わる戦いなのか分からなくなってしまう。
 謎キューブを主人公が持ち帰る事に意味がほとんど無いのも惜しい。
あれを最重要パーツに設定して、謎存在・軍人達両方が主人公を追いかける、辺りが収まりの良いパターンなのに。
 不満点は数多く。

 逆に、良かった所は、とにかく子供らしくバカな男の子達。
デブ(モテない自覚が泣かせる)と爆破マニアチビのキャラクターは素晴らしい。
もうちょっと熱い友情も描けたかと思うけど…まあこれぐらいがリアルか。
 ダメダメな映画撮影の風景。
「凄いモノを撮ってやる・撮っているんだ」という過剰な自負と完成品のギャップ、でも楽しげ(本人達は苦悩している?)な様子から、そういう時代が自分にもあったなあ、と懐かしい気分に。
 だから、『スタンド・バイ・ミー』映画撮影版みたいにして、SFやアクション要素を抜き、もっと家族との葛藤や幼い恋、まだ子供である自分達ではどうしようもない現実の重さを、映画を通して昇華したり受け止められるようになったり、といった物語でも良かったような。

 ゾンビメイクを施されて尚キュートなヒロインには、男の子を命懸けで行動させるだけの価値がある。
 頑張る男の子は、理屈抜きで応援したい気持ちにさせる輝きを放つ。
 心を縛り続ける母親の死と決別するシーンでは、(上手くそこに集約できた物語ではない、とはいえ)ホロリ。
「自分の大切な・楽しかった思い出」を、「辛い事しかなかった滞在」の記憶に加え、持って行って欲しい、という意味が?
上手く伏線にするには、実はキューブが変形して作られていたもので、あれ無しでは全体が機能を果たせない…としても。
それなら共鳴・吸着設定を使う事で謎存在と主人公の出会いも早くできるし…

 この映画はあくまで「男の子が女の子を好きになり、少しだけ成長する」お話であって、SFやアクションはオマケ。
オマケ以上の物を期待すると、ちょっと驚くぐらいの肩すかしを食らってしまう。
 かといって『スタンド・バイ・ミー』と受け取るには「オマケ」に時間を取られすぎていて少年達の彫り込みが足りず、どうにも中途半端。

 『M:i:III』『スター・トレック(2009)』もそうだった…相変わらずエイブラムス作品は、引き付けられる良い所を持ちつつ、全体が荒い。
 駄作と切って捨てられないけれど、傑作とは言い難い、「ジュブナイルとしての佳作」が妥当かな。


2011年6月25日 土曜日

 『刑事コロンボ』のピーター・フォークが亡くなる。
 『コロンボ』は、シリーズを通して何度も見ているのに、放送されているとついまた見てしまう、とても好きな作品。
当時、珍しかった倒叙の推理形式と、練り込まれたストーリー、何より、強烈に傲慢であったり哀れを誘ったりする犯人達を受け止め・受け流しつつねじ伏せるコロンボのキャラクターが魅力だった。

 まるで賢そうに見えないのに実は恐ろしく頭が切れ、うっかりした一言も聞き逃さず矛盾を突いてくる嫌らしさがあり、犯罪を解決することには容赦がない。
しかし優しく、可愛らしく、好きにならずにはいられないチャーミングさを持つ。
 「ロンドンの傘」空港で、荷物を取り違えて女性客に迷惑を掛けオロオロする姿から、間の抜けた部分は演技でなく(演技ばかりではなく)天然。
 「殺意のキャンバス」ラストで追い詰められた犯人画家により描かれた、コロンボの本質を写し取ったのだろう、たまらなく優しい笑顔をした肖像画が印象的だった。
 好きな所とか書き出すとキリがなさそうだな…このキャラクターは、ピーター・フォーク以外では(少なくとも現存するレベルでは)成立させられなかったろう。

 ついコロンボの話ばっかりになってしまうけど、『名探偵登場』のハードボイルドさや、本人役で出演した『ベルリン・天使の詩』、自分はこれが最後に見た出演作である『NEXT -ネクスト-』、日本のCMでバーテンに扮した姿も忘れがたい。

 推理・ドラマ史に永遠に残るだろう名刑事(警部補)を、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り致します。
 「ああ、すみませんもう一つだけ」と言って帰ってきてくれないものかな……


2011年6月24日 金曜日

 WOWOWで放送された映画『告白』を見る。
 『下妻物語(面白かった凄く好き)』『嫌われ松子の一生(ピンと来ない)』『パコと魔法の絵本(未見)』の中島 哲也監督作品。
 原作未読。
内容について全く知らなかったので、「再生に到る感動作」か「(『どっか〜ん!』が印象的なCMから)爆弾の登場する、精神をギリギリ追い詰めたサスペンス」だと思っていた。
 こういうお話だとは……

 冒頭、松たか子演じる女教師の長ゼリフで状況が少しずつ明らかになっていく構成に、感心。
 淡々と、穏やかに、丁寧に語る口調の奥から、次第に覗いてくる狂気。
 色々なキャラクターの口を借りて語られる内容により、ストーリーは多面的に進められていく。
大きく捉えて、この映画は「松たか子教師」か「壊れた男子生徒」どちらかの物語だと言えようか。
二人とも、他の人間との断絶が恐ろしいぐらいに深く、まず分かり合えない所が共通している。
 …女教師の方は、複雑怪奇なようで実は単純な男子生徒を、理解して・読んでいたみたいだけど。
理解が、そう簡単に和解や再生・感動に換わっていかないのが、この映画の一筋縄でいかないところ。

 人間の、主にダークサイドの心理に迫っていく物語は、求心力が高い。
 女教師の冒頭告白シーン最後から、特に後半、恐くて怖くてチワワのように震えっぱなし。
 松たか子コエー。
あの顔がこんなにも恐ろしく・気持ち悪く見えるとは。
『リング』貞子とか『呪怨』白塗りお母ちゃんなんて、彼女に比べたら抱きしめても良いぐらいの可愛らしさ。

 怖さに震えるのは、きっと自分の中にもこの女教師と同じ部分があるから。
ヘラヘラ過ごしている自分の、見たくなかった絶望の深淵を覗き見せられてしまう恐ろしさ。
外的脅威に襲われるより、オノレが脅威に変わりかねない可能性を感じさせられる方が怖い。
 この女教師の立場に追い込まれた時、自分ならどうするか。
娘に何かあったらそりゃもう(以下自主規制)。
 その際、外野から与えられる「そんな事をしても娘さんは喜ばない」的な紋切り型の言葉など、何の効果もないんだろうな、いや一周回ると意外に聞き飽きたそういう言葉が救いになるのか、うーん。

 独自の美学で貫かれた映像が素晴らしい。
 別にふざけたシーンでもないのに「ボヨヨ〜ン」とか妙な効果音が付けられるのに、笑ってしまう。
 モロモロ含め、好き嫌いが激しく出そうな映画。
どちらにせよ、一見の価値はあると思う。
 個人的には、劇場の大スクリーンで見せられたら足が震えて帰れなくなってたかも知れないため、テレビで見て正解。
「何が怖いのよう?エンターテイメントじゃない?」と平然と語るヨメがまたコワイ。


2011年6月20日 月曜日

 娘、部屋の中をトコトコとはずっと前から歩いてたんだけど、何しろ危なっかしく、すぐコケ、スーパーの子供スペースに立たせてみるとすぐ泣き、窮屈だからか靴を履く事にさえ猛烈な抵抗を示すため、もう少し しっかりするまで外を自力歩行させない方が良かろう、車通りが多かったりもするし危険じゃないか、という事で、移動は抱っこかベビーカーで行い、様子を見ていた。
 しかし、いつまでもそのままでは…と思い、昨日 決心して、犬散歩の際に歩かせてみる。
 不安がって泣くんじゃないか、すぐ抱っこをせがむんじゃないか、二十メートルぐらい嫌々歩いてくれれば上出来だなあ、と予想しつつ。

 いや、歩く歩く。
ガッチリとコチラの手を握りしめ、予想外に確かな足取りで歩く歩く。
 不機嫌になることもなく、交通の激しいところや路面の悪い場所などを抱っこで運んだ他は、嫌がらず、何やら喋りつつ全部自力で歩いた。
 こんなに歩けるようになってたなんて!
ここまで体力が付いてたなんて!
 驚きと、感動。
 過保護な親でゴメン。
もっと早く挑戦させるべきだったなあ。

 じゃあ今日も歩行練習を、と思えば雨。
 挫かれるなあ…雨具買ってないので、また明日か。


2011年6月19日 日曜日

『デッドマン・ワンダーランド』09.「酸化促進剤」

 原作未読。
 うーん、無理がある。
裁判が無理だし刑務所の設定も無理、そこでの暮らしぶりや不思議なシロについてほとんど常識的な突っ込みが無い描き方も無理で、特殊能力バトルに持っていくのも……
 現実とは違う世界を舞台にしており、そういう意味での無理はいくらあっても良いんだけど、ただ一回の競技で大量の死者を出し過ぎとか、既に特定され襲撃まで受けている部屋でデッドマン達がまだ反攻計画を練っている不可思議さなど、特殊な設定を踏まえてもよく分からない。

 ただ、そこいらを「そういうものだ」として受け入れてしまえば、とにかく引きが強く、次々に緊張感のあるイベントや裏切られる「既存キャラクターの真実」が語られていくため、この後は・その次はどうなるのか、という興味を煽られ、見るのを止められない。
実際、第一話から見ていなかったこの作品を、9話まで一気に見てしまった。
 不条理な運命、不合理な能力バトル、どちらにもおよそ耐えられそうにない常識的な主人公が、内容への感情移入やハラハラ感を増加させる。
彼にもまあ、一応は刑務所だというのに呼び出しに応じず我が身を無意味な危険に晒してしまうなど、「??」と思わせる部分はあるんだけど。

 強いような弱いようなシロが可愛い。
ほとんどのキャラが信用できない、何かしら裏を持っているこの作品世界で、彼女の真実は恐らく相当に厳しいものじゃなかろうか。
 分からないことは作中に相当量あるんだけど、どこまでが意図された「謎」であり、どこから「ストーリーの都合だから変に思うだろうけど余り気にしないで」なのか不明。
まだ原作は連載中みたいだし、どのみち全ては解明されないのか。

 シリーズ開始当初、凄く高かった作画レベルが、次第に落ちているのは残念。
まだ「悪い」という程ではないが。
 取りあえず、理不尽なストーリーの先を楽しみに見ていきたい。


2011年6月18日 土曜日

 レンタルと、後の放送されたWOWOWで映画『涼宮ハルヒの消失』を見る。
 三時間近くもある長い映画だけど、初見ではダレる事なく一気に見た。
 WOWOW録画鑑賞時は、まとまった時間が取り辛いせいもあり、三十分ぐらいずつ区切って日を分けて見たが、こうするとほとんど負担無く感じられる。
 今更…だけど、テレビシリーズの「エンドレスエイト」を二本程度にまとめ、残り6話に分けて放送すると丁度良いぐらいの内容だったんじゃ。
 劇場用として予算を掛けて製作されたお陰か(京アニはテレビでも手を抜かないが)、特に作画面の充実ぶりが凄く、功罪相半ば、いやこれはコレで良いのかも。
 「エンドレス…」の八回繰り返されるウンザリ感が、長門に発生する機能異常を やむを得ないものとして見る側に伝えてくれるし。

 感想としては、そりゃもう「長門萌え」としか言い様が無く。
彼女を魅力的に描くための映画、と言いきって良いぐらい。
 入部届を返された瞬間に見せる表情の崩れ方は、前後のつながりを無視して見てさえ観客の心をかき乱してくれる程に、入魂の作画!
「ごく当たり前の内気な少女」長門が恋の叶わないことを知る、このシーンこそ映画のクライマックスか。
 声優さんも、通常長門の「超常能力を背景としての無表情」と、今回の「何に対しても自信を持っていない静かな少女」を、さして多くないセリフを通し見事に演じ分けていて、感心。

 タイトルから予想していた通り、ストーリーは、ヒロインが消失し彼女を中心に成り立っていた世界が「祭りの終わり」を迎える意味で、『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』と似ている。
あの映画は、ラムと決別しようとするメガネが白眉で…いや関係ない話。

 テレビシリーズで見せられてきた、アレもコレも伏線だったのか、と思わせられる所があり、唸る。
「笹の葉ラプソディ」は凄く重要なエピソードなのね。
 この映画で引かれたまだ閉じていない伏線もあり…キョンを助けに来たキョンとか…まだ終局には間が?
 かなりカッチリ構成された作品のようだけど、全体について最初にどのぐらい考えて・決めて作り始めたのかなあ(印象的なイベントを、後付けで伏線に用いている部分もあろうが)。
 朝倉涼子の復活が嬉しい。
有能で公平で優しい理想的クラス委員長姿は勿論だけど、異常性を顕わにした所も、恐くありつつ魅力。
長門の部屋でキョンを問い詰め、気持ちを見通すように「ふぅーん」というシーンの表情変化とか、素晴らしい。
どういう世界でもキョンを殺したがるのは、ぐるり回って考えると作中で一番キョンを愛しているからかも知れない……いや違うな。

 今更ながら、ハルヒの第一声「ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい」という募集要項?のウチ、他は全て集まってきているが「異世界人」だけは居ない、と思っていたけど、キョンのことなのね。
 長門もハルヒも、キョン一人のために世界を作り上げているに等しいところから、うーん、キョンって何者?
そこには何かストーリー的な仕掛けがあるのか、「ごくごく平凡な、この作品を読んで・見ているアナタと変わらない男の子ですよ」が最終的な答となるのか。

 彼が・彼女が居てくれるだけで世界は輝きを増し、不思議と感動と奇跡に満ち、毎日がお祭りのようになる。
そういう相手を失うことによっては、無味乾燥な日常と対面せねばならなくなり、日々は途端につまらなく、灰色に。
 好きになるのは誰でも良かったはずが、一度好きになってしまえば、もう他の誰にも代わりは務まらない。
 恋する相手は、恋をしている期間中に限り唯一絶対の存在。
 相手は、「恋をしている自分の(主観的)世界」を統べる神にさえ等しい。
 他者をどれだけ傷つけても、周囲にどれだけ迷惑を掛けても、ただ彼・彼女との恋の成就のみを願う、その厄介さと面倒臭さと馬鹿らしさと美しさと、どうしようもない人間の業と、だからこそ感じる人の愛おしさ。
 SFのようだけど実は、そういうものを描いてるのかなあ。

 この続きは、またテレビシリーズとして展開するのか、今後は劇場版として作り続けられるのか。
何しろ人気作だから、これで終わり、という事は無かろう。
 恋のため?ハルヒと長門は異常行動を見せた。
後は みくるだけだから、そういう話が作られるのかな…既に時間違反行動を積み重ねているのかも知れないが。


 同人誌で以前、ハルヒがキョンの子供を妊娠する未来の話を考えていた。
その時、使おうとしていたキョンのセリフメモが出て来たので、どうせ描かないだろうし、ちょっと。
 いつ書いたのか忘れたけど、ウチの娘が生まれる前後の事だと思う…としか思えない。
そういう意識がバリバリ。
 作品に合わないとか、キョンはこんなこと死んでも言わねーよ馬鹿、というご意見は尤もですが、まあまあ。
 では、以下。

 子供が出来るっていうのは、宇宙人や未来人や超能力者に会うのと同じぐらい、いや、もっと凄い奇跡だ。
無限の可能性を秘めた「宇宙」を作るのと同じ事なんだから。
 例え自分が生み出した「宇宙」でも、自由に、思い通り出来ると考えちゃイケナイ。
 不安も不満も苛立つこともあるだろうけど、一緒に生きるんだ。一緒に育つんだ。
 親の顔色をいつも伺い、ご機嫌を損ねないか理不尽な目に遭わされないかビクビクしている「宇宙」に育てるな。
お前が逢いたかったのは、そういう相手じゃなく、お前が望んでいたのは、そんな「宇宙」じゃないはずだろう。
 半人前のオレ達に出来る事なんてたかが知れてるが…
一杯笑わせてやろう。
持ってるモノは何でもやろう。
「この親の…母親(ひと)の子供として産まれてきて良かった」と思わせてやろう。
 いつか、生きてここに在るのは幸せだ、と感じて欲しい。
お前と出会えたオレのように。



 恐ろしく間が空いてしまいました。
 何をしていたかというと、必死で仕事してました…が…
 すみませんすみませんもっと頑張りますごめんなさい。


2011年6月4日 土曜日

『緋弾のアリア』08.「魔剣」

 原作未読。
 小さくて体の凹凸が少なく、ツインテールで高飛車な娘、という、釘宮声で喋ることを前提に作られたとしか思えないヒロイン・アリア。
彼女の魅力で突き進む作品、かな。
 人柄だけで無能…ではなく時々超絶の能力を発揮する主人公少年と、可愛いが厄介な白雪も、面白いキャラではあるが。

 第一話の、とにかく追い詰められた状況から物語を始め、引き込んでおいて、何故こうなったかを順次語っていく作り方は、結構。
 特殊設定・武偵について…うーん、まあ、無理はある。
これが無いと絶対に成り立たない作品かというと、そうでもない気がするけど、この設定一つ納得してもらえれば後はその延長として全部受け入れてもらえるはず、という目論見アリか。

 アクションは、面白かったりそうでもなかったり。
今回なら、沈んでいく白雪の恐怖とか水の冷たさ、流れの強さ、そういう所を描こうとはまるでしていないため、水没が段取りにしか思えず、開放のカタルシスも弱い。
そんな部分より「キスしちゃった」シーンを喜んで欲しい、そこを喜べる層に向けたアニメだ、って事か。
 上手い部分もあるんだけど、全体としては独自の強みに欠けており、「過不足のない作品」という辺りの評価に留まる。


2011年6月3日 金曜日

『電波女と青春男』08.「ツィオルコフスキーの祈り」

 原作未読。
 男の子が女性だけの家庭に同居、そこの娘や、クラスメートの美少女達に囲まれ、楽しい暮らしが始まる…というハーレム物のフォーマットに沿った基本内容ではあるが、メインヒロインとなるステイ先家庭の娘・エリオの強烈さが凄い。
 キャラを印象づけるため、なかなか顔を見せないのは演出テクニックの一つだけど、バリエーションとしても「ずっと布団で簀巻きになっている」アイディアは出てこないなあ。
昔話の、鉢かづき姫を思わせたり。

 足から上が全部布団で覆われて見えない事により、覗く生足の艶めかしさが妙に強調されている。
足フェチには たまらないモノがあるのでは。
 抵抗出来ない(する気もない?)エリオの簀巻き姿は、不埒な妄想を湧き立たせ、「このままで…」の同人誌が沢山出そうな予感。
 そういう彼女が初めて素顔を見せるシーンは、演出・作画共に気合いが入っており、美しい、という感想を主人公と共感できる。
 エリオのキャラクターを立てるため、それだけで一話目はあったと思え、絞り込んだ、上手い構成に感心。

 ただ…これは今に至るもそうなんだけど…
 「布団にくるまっている」事を感じさせる音響フィルターによってエリオの声は聞き取り辛く、しかもその内容が電波なモノだったりするため、余計に理解が難しい。
聞き直しても分からない所が多々あり、まあいいやと諦めてしまう事も。
 主人公も聞き取れていないなら構わないけど、そうでないなら、嘘でも もう少し音声をクリアにしてくれるか、下に字幕を出す、主人公が発言を繰り返すなどした方が…いや、実際そんな重要な事は喋ってないんだろうが。

 エリオ母・女々は、アラフォーにしてせいぜい二十代の容姿を保持し、色気過剰で「からかう」というより「本気で主人公を落としに掛かっているのでは」と思える美女。
 こんな美人に迫られたら、思春期の男の子は迷惑を装いつつも嬉しいはずなのに、主人公の採点で、叔母との接触がほぼマイナス点になっているのがおかしい。
叔母だから女性として見られないのか、年増は一切趣味じゃないのか、視聴者と違って主人公には「年齢に相応しい本当の叔母の容姿」が見えている、あるいは…
言動や行動の危うさ、極限状況にある娘との距離の取り方、自分への露骨すぎる性的アプローチ等々、総合すると「この女性と関わるのは危険」「迂闊に手を出すと破滅しか見えない」と考え、自衛のため彼女との接触を「害」と捉えている?
 同人展開が楽そうなキャラクターではあるけど、楽すぎ、そのまますぎて、かえってエロ妄想が湧いてこず、意外と描くサークルは少ないのかも。

 長身のクラスメート・前川も強烈。
 やたら着ぐるみ姿なのは本人の趣味だろうから良いとしても、世間一般からの乖離っぷりは布団蒸しのエリオとどっこいであり、彼女が忌避される対象となっていないのは不思議。
友達が多そうでなく、みんなと仲良くとは考えていなさそうなので、学校で村八分扱いだが彼女自身が気にしてないだけ?
 時々クラッとしているのは何故かと思えば、虚弱体質なのか。
着ぐるみで動き回るには相当の体力が必要なような……

 流子は…これだけ強烈で、言えば電波気味の女性キャラの中では、普通。
異常さも、目立つ問題行動もなく、まあまあ常識の範囲内に収まる思考形態かと。
 他の「電波女」に囲まれていると、彼女だけマトモに見える。
 といっても、「萌え作品の文法上において」という注釈が付き、実在する女の子の行動としては常道を外れる部分があるけれど。

 作品として、キャラの会話内容が多く「気の利いたもの」になっており、サラッと聞き流せる会話文とは違っている。
これが独自の魅力を生み出しているのと同時に、聞き取り辛い分かり辛いマイナスの側面も。
婆ちゃん(そういや真顔でキャトルミューティレーションを語ったり、婆ちゃんも電波女だ)の友達に関する定義談話なんてのは、結構面白かったなあ。
 作画に時折崩れが見られるようになったのは、残念。
キャラのアップ時はクオリティーを保っているし、これで文句を言うのは贅沢だろうが。

 語り口が上手いかというと必ずしもそう言えず、女々と山本(安代)・婆ちゃんの関係とか舌足らずで物足りない所もあるけれど、不思議な面白さがある作品。
 形式がキレイに整っていても興味を持てない作品があり、少々ガチャガチャしていても惹き付けられる作品がある、このアニメは、個人的に後者。


2011年6月1日 水曜日

 トシのせいで手が遅くなってしまったためか やたら手間取るお仕事と、何より育児に延々と時間を費やしてしまうため、なかなか自由行動が許されず、今期始まった新アニメ、まだ一話も見ていないものがあったりするテイタラク。
 ようやく見られても、泣いたり笑ったりイキナリ何事か叫んだり、歩いて転んでモノを掴むや振り回し非常事態を起こしては親に悲鳴を上げさせる、厄介なエンジェルが起きている間は落ち着いて内容が把握できる訳なく。
ドコを見逃しても大した影響のないバラエティーならともかく、アニメや特撮だと、「後でゆっくり、真面目に見よう」と思い、後回しにして鑑賞時間が取れないまま。

 親になる・子供が出来るって、「これまでの人生にプラスして子供が居る状態」なんて甘いもんじゃなく、「『親』という新しい生き物への変化を強要される事」なのね。
こりゃあ、生半可な覚悟じゃ、歪んだ姿勢を矯正されるにも似た全身が軋んで生じる変態の痛みに、もう無理と投げ出したくなる訳だ。
 ウチはまあ、お嬢玉が恐ろしい程に可愛いらしい(バカ親視点)からどうにか頑張れているけども。


2011年5月21日 土曜日

 WOWOWで放送された映画『エルム街の悪夢(2010年版)』を見る。
 84年に公開されたウェス・クレイヴン監督の同名ホラー映画を、マイケル・ベイ製作でリメイクしたもの。
 殺人鬼・フレディが支配する夢の世界、そこで殺された人間は現実でも死んでしまう。
次々殺されていく若者達は、どうにか死の罠を逃れ、逆襲に転じようと試みるが……

 オリジナル版は、「夢で殺す」新しい・スマートな殺人アイディアと、鉄の爪を付け火傷だらけの顔をしたフレディというキャラクターの面白さ、鮮烈な夢のビジュアルに加え現実との境目を曖昧にする演出の巧さがあって、文句ない傑作だった。
 映画を見てからしばらく、毎夜 眠れない…ほどではないが、布団の中で恐ろしい夢のイメージがいくつか甦ってしまったもの。

 リメイク版。
 何よりまず、フレディに幼児性愛の特性を付けたのが嬉しくない。
生理的に不快さを感じさせたかったのかも知れないが、「ゲスな男」にしただけでスケールはグッと小さくなってしまい、ゾッとする邪悪さとも無縁に。
 ストーリーは大筋オリジナル通り。
 ただ、シリーズとしてずっと見続けてきたせいか、現実から夢に変わる瞬間の恐怖、というモノがどうも弱く感じてしまう。
もっともそれが非常に上手く描けていたのはオリジナルでも一作目のみ。
ウェス・クレイヴン監督が後に手掛けた『ザ・リアルナイトメア』でも実現できているとは言い難く、才能ある監督が絶頂期の短い間にのみ作り上げられる、奇跡のような作品だったのかも知れない。
『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』を押井 守以外の監督で(現在の押井監督でも)リメイクしたって、あの「夢」の感触は再現できないだろう、そういうものかな。

 特撮・CGを必要以上に「駆使せず」、あくまで現実と入り交じる映像レベルに夢の世界を捉えたのがオリジナルの優れたところ(予算・技術の都合もあったろうけど)。
二作目以降、ビジュアルが派手になるにつれ画面は特撮見本市の様相を呈し始め、怖さが無くなってしまった。
 このリメイクでも、イメージとして面白い部分は色々ありつつ、それが恐怖に直結しない…どころか「楽しさ」にさえ繋がってしまっているのが難しい。
 「死体袋に入った友達」のシーンが、美しくもショッキングでもない描き方に変えられていて、残念。
あそこ、好きなのにい。

 眠いのに眠ってはいけない苦しみ、の辺りも弱かったなあ。
 フレディの役者がロバート・イングランドから変わってしまったのも、嬉しくない(年齢的な問題はあろうが)。
つまらなさそうに事務的に殺す『13金』ジェイソンとは違い、殺人を楽しんでいる様子なのがフレディの特徴。
新しいフレディには恐ろしさも愛嬌も欠けていて、映画全体の印象まで薄くする。
 オリジナル・シリーズも、一作目以外はこれぐらいの内容だったと思え、そういう意味で酷く出来が悪いとはしないけれど、『13日の金曜日(09年版…これも製作がマイケル・ベイ)』と同様、まあ無理してまでは見る必要がないリメイク。


2011年5月20日 金曜日

『30歳の保健体育』06.「はじめての騎上位」

 原作未読。
元々の元はハウツー本なのかぁ。
 一話目を見て、「童貞を笑いものにするシモネタ脱力系ギャグ」かと思い、売りになるはずだったろう お色気シーンへの規制が厳しい事もあり(冴えない作画も)、録画はしつつ二話目以降を見ないまま置いてあった。
まとめて消すかどうか考えつつ、一応続きを見てみると…
 ああ、ヒロイン・なつのキャラクターが強く出てくる辺りから面白くなるのね。

 これだけ可愛い女性であれば、引っ込み思案であろうが少々の拒絶フィールドが張られていようが乗り越えて迫ってくる野郎は居そうなもの。
「神経過敏バリヤー」なら「無神経アタック」で突破でき…『1・2のアッホ!!』なんてもう誰も憶えてないだろうなー。
 純粋な世間(男性)知らずとして年月を重ねており、処女をこじらせた余りのネジ曲がった扱い辛い人格になっていないのは、良いねえ。
 男なら、「高すぎるプライドや理想が邪魔をして」「積極性に欠けていたため」「何となく」「おバカさんだから」といった理由でイイ歳になるまで童貞で居るケースは珍しくないが、女性、しかもそこそこレベルが高い場合(例え乳首に毛が生えていようと)、処女のまま通すには理由の設定が必要…という思い込み。
AKフィールド、という特殊能力を獲得するに到る、キツい出来事があった?
…生まれつきこんな余計な能力があったから男が近付けなかった、とする逆パターンも有り得るか。

 男の方に兄弟の神が付き、応援・妨害をする、というのはアリガチだけど、弟の方が所謂「男の娘」ぐらい可愛いのが面白く、童貞の悪化が著しい場合には(あるいは趣味嗜好があれば)、「これはコレでアリ、むしろ女などより!」と納得する可能性もあったなあ。
 女性の方にも姉妹の神が付いて、内省的になりそうな女性本来の性格をつついて明るいタッチにし、見易くしているのは上手い。
 ハッキリ拒絶されても挫けず頑張った駿は、エラいなあ。
これだけのガッツがあれば、もっと早くカノジョが出来ていそうな…背水の陣・窮鼠猫を噛むの気持ちでギリギリの根性を発揮したものか。
もっとも、次のアプローチまで日数を置きすぎており、「相手が なつだから上手くいった」けれど、こんなに放置しちゃフツーはもうチャンスなど無いようにも思うが。

 強く出し過ぎると見辛くなったり悲惨にもなるけど、30まで童貞・処女だったが故の歪み、みたいなモノはもう少しあっても。
頭の中身も行動も、高校生、せいぜい大学生ぐらいにしか思えないので。
 どこまでを描くアニメなんだろ。
「保健体育」部分を進めていくのは、テレビじゃ難しそう。
ここまで、ハウツー的な描写はほぼ皆無なのだから、その辺を期待(心配?)しても意味ないか。
 気楽に見られるので視聴継続。


2011年5月19日 木曜日

 WOWOWで放送された映画『戦場でワルツを』見る。
 イスラエルの手描きアニメ映画。
手描き、といっても、フツーのアニメとは雰囲気が違い、目・鼻・口や体のパーツパーツを分割して管理し、「動き」を表現している事が多いような。
FROGMAN等によるFLASHアニメの感触。

 内容は、レバノン内戦に関するもの。
 兵士として従軍しながら、ある時期の記憶を失っている事に気付いた主人公は、その補完を求め、同じ記憶を共有する戦友達を訪ね歩く。
 現実の戦闘状況を背景としているが、観客に知識があることを前提に作っており、映画内での説明は皆無に等しいため、かなり分かり辛い。
自分ぐらいの薄い知識しか持たない人間でも、サッパリ分からない、という事はなかったが。
 ただ…戦況に即して映画の訴えたいことを正しく受け取るには、それなりの素養が必要。
そうでないと、「戦争は良くないよね」ぐらいの表層的な理解しかできない可能性があるから。

 被験者が子供の頃の写真を十枚見せ、その中に一枚だけ「移動遊園地に居る被験者」を合成で作って入れておくと、他の本物の記憶に混ざって「ありもしない遊園地の思い出」を語り始める、という話が面白かったなあ。
 当然ではあるがヒーローなど存在しない物語で、淡々と戦い、淡々と死んだり生き残ったりする。
戦車上で突然の襲撃を受けた兵士が、一人生き残るも他の戦車隊には見捨てられ、敵の最中で死を覚悟するが相手は「全滅させた」と油断して探しもせず、夜まで待って闇に紛れて海へと入り長距離泳いで逃げ出す下りは、格好良さも悲惨な敗走の危機感も無く、だからリアルな緊張感に満ちており見入ってしまう。

 虐殺や死体を映し出すシーンなど、実写で描いては悲惨に過ぎる可能性がある所も、抽象化された「絵」である事により、観客は余計な情報に気を散らさず、テーマへと向かうポイントだけ受け取る事が出来る。
 また、リアルタイムの現実ではなく「回想」なので、デフォルメ・省略が無理なく行えるアニメーションを用いて語る手法も、大きく意味があったろうか。
…ラストで実写映像が挟み込まれる、その生々しさに対比すると、余計そう感じる。
 淡々と終わってしまうし、「観客に考え込ませようとしている」内容でもないと思え、見終わった印象はガツンと強いものではないが、独特の画面タッチと相まって忘れられず、後からジワジワ効いてくる映画。


2011年5月10日 火曜日

『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』04.「白の、リボンのワンピース」

 原作無し。
 検索に、間違えて「あの花の名前を僕はまだ知らない」と入れてしまった。
もっと長いのね。
 「あの日見た花」が物語のキーになっている訳では、今のところ、無し。
めんまの霊体出現には、『時をかける少女』で重要な小道具だったラベンダーの花のように植物が関わっている、という事実がいずれ明らかになるならともかく(SFじゃないからなあ)、なかなか憶え辛いタイトルじゃなかろうか。
 「花」というのは、「恋」「好意」「夢」あるいは「残酷さ」「傷」「血(死)」を表しており、幼いそれを何という言葉で表現すれば良いのか未だ分からない、という意味がある…?

 ドコから始める物語にするのか、難しかったと思うが、フツーに めんまが一緒に居る日常からスタート。
最初ちょっと事情が分かり辛い所はあるけれど、大部分が誰でも分かる日常描写に費やされていることもあり、「彼女はどういう存在?」に興味を集中させることで整理。
 主人公の現状がなかなかキツい事になっており、明るく元気で可愛い めんまを側に付けていないと、見るのにシンドイ思いをさせてしまう恐れもあったか。

 不思議少女(存在のことだけでなく、考えや行動も)めんまの魅力が物語を大きく引っ張っていく。
 彼女の死が、他の子達の人生に大きな影響を与え、狂わせたと言っても良いのに(だからこそ?)、ポジティブな彼女の行動と言動がもう一度その心を重ねさせていく。
この構成が面白いなあ。
 彼女の願いは、妥当なところで主人公の再起なのだろうか…でも、これは劇中で既に一度口にしているが。
 主人公にとって彼女は、姿が見え声が聞こえるだけでなく接触も可能なのね。
彼女から性的刺激を受けている様子もあったが、一つ部屋で何日も暮らしている訳で、可能かは知らないけど「その先」は考えないのかな。
ザックリ切れて未だ血を噴きだしている心の傷口の原因である少女相手だけに、「可愛いから やれるだけやっちゃえ」と開き直るのは難しいか。
それが出来る主人公であれば、学校に行ってるだろうし新しいカノジョすら作れるかも。

 結構ダークな物語を予想し、身構えていたけれど、めんまと、これまた元気一杯ポジティブ思考な ぽっぽの登場が、内容を思ったよりずっとライトに、見易くしてくれる。
 いくらか変化・成長を遂げた者達は幸福になっておらず、幼いままのメンタリティーを持つ二人は(客観的事実としてどうかはともかく)幸せそう。
 ゆきあつが見せたトラウマの化膿ぶりが痛々しい。
夢として「細身で女性のような体付き」に描いてあげるのは難しくなかったと思うが、鍛えている様子を劇中しっかり描いており、そこにウソをつかず筋肉質なラインに見せてしまう制作側の誠実さが、何とも。
 あなる(ヒドいアダナだ)は可愛くいじらしく、幸せになって欲しいなあ。

 実写映画化に向いてそうな素材。
でも、実写じゃこの艶やかさを出せないんだろうな。
 そう簡単には収まるまいが、彼ら彼女らが元の「仲間」に戻っていく道筋はかなり示されており、気持ちの良い終わりへと繋がっていくことを希望。
 最後まで見続けたい。


2011年5月8日 日曜日

『C』04.「conversion(転換)」

 ノイタミナ枠なので原作無し。
 お金がテーマになる物語、という事では、現実を舞台にシビアなストーリーが展開されそうに思うけれど、裏返して『ポケモン』『デジモン』のようなモンスター代理バトル物にしてしまう発想に、感心(でもまあ『カイジ』だって現実よりダークファンタジー寄りと言えなくもないか)。
 どちらかというと、「『ポケモン』を全く大人向けに作るとどうなるか」という所からスタートしているのかも知れないが。

 自分もそういうの考えたことあって、でもバトルの勝利条件や勝ったらどういうメリットがあるか等の部分が難しく、「モンスターを美少女にし、男性マスターと恋愛関係が進む話にすればそれで良いんじゃないか」という所までしか行けなかった。
 お金をHPであり攻撃力として扱う…単純なようで合理的、コレは出てこなかったなあ。
 加えて、主人公とペアを組む使役モンスター(アセット)をツンデレ化しそうな美少女キャラに設定。
恋愛…まで行くかは分からないけど、主人公が現実で好意を持つ?女性と、微妙な関係にできそう。

 金融街では、将来の可能性を金額に換算、バトルの初期戦力とする。
主人公、結構稼げる人材だった、って事なのか。
 バトルで負けたら、貸し付けられた金額を強制的に取り立てられ破産し、絶望して死ぬ…のかと思えば、そんな簡単ではなく、大学の講師は「子供が居なくなる」形で哀しい清算。
さして給料をもらっていないらしい彼が持つ、最も大きな将来的資産は、子供達だったんだなあ。
 主人公親は何を担保にしてたんだろ。
彼もまた「子供が消える」清算方法だったけれど、自分の死をもって「自己破産」により責任を一身に留め、息子を守った、とか。

 バトルは、絵的に面白くはありつつ、駆け引きや勝利方法が、もちろん分からなくはないが「そんなもんかなあ」ぐらいに留まり、ハラハラしたり爽快感を感じるほどでなく。
実のところ、ここいらには制作者の興味が薄いんじゃないかと思える。
 独自の設定、クセのある登場人物、主人公とアセットの関係・戦い方と変わり行く世界や金への考え方、父親の謎、最終的にどうなって終わる物語なのか…興味を引く、グイグイ膨らませられそうな要素が多く、今後の展開が楽しみ。
 最後まで見続けたい。


2011年5月7日 土曜日

『新鮮感動!未来のアニメパワー〜オリジナル4作品一挙放送!』

 「平成22年度の文化庁事業である『若手アニメーター育成プロジェクト』から誕生した子供から大人まで楽しめる4本のオリジナルアニメ」として、まとめて劇場でも公開された作品群。
 BSで放送されたので、見る。

『キズナ 一撃』
 本郷みつる監督作品。
 『クレヨンしんちゃん』なんかでお馴染み、ワザと荒らしたタッチの作画。
キズナを しんのすけに換えれば、『クレヨン〜』番外編の一本としても成り立ちそう。
 アクション主体のドタバタギャグ。
キズナの小さな体から繰り出される攻撃に、きっちり作画的説得力が乗せられており、それだけで見応えがある。
 ジジイが「ウソ」として語るエピソードの中で、「四人組少女がバンドを組む話」があって、僅か一分程度のモノだけどもツンデレ風少女とかポジションとして楽しそうでもあり、『けいおん!』イタダキ企画としてはホントに作っちゃうのもナシじゃ無いなあ、と。
 本編も、実力を見せないキズナ父や、帰って来なかった母、戦闘時と普段でギャップがもの凄いキズナの「萌え」など描いて膨らませられそうな所が多く、シリーズ化は十分アリ。
でもまあ、「これで終わりは勿体ない」で終わらせるのが良いのかも。

『おぢいさんのランプ』
 『カリオストロの城』テレコムによる作画。
 アクションが派手な『キズナ』に続くと、超絶地味な作画内容が衝撃に感じられる。
逃げ場のない日常芝居が丁寧に繰り広げられ、描く大変さを考えると気が遠くなってしまう。
 三十分以下の時間内で、人間一人の人生と時代の移り変わりを、状況説明や内心を語るナレーションに「頼らず」、不足なく描く巧さに感心。
 夜の暗さとランプの「火」による暖かい明るさ、電灯の強力な眩しさなど、重要な部分に気を遣った演出も素晴らしい。
 ダークサイドに転落して当然か…と思う重い展開ではあったけれど、「挫けない人の強さと、そうして得られる人生の充実感」を示して終わる物語が嬉しい。
 見終わって、省略された・語られなかった部分、雑貨屋バアサンの人生や、その時々の奥さんの気持ち等、色々と想像してしまう、余韻のある作品。

『万能野菜 ニンニンマン』
 少女向けアニメ…のようでいて、大きなお友達にも向けた内容。
 特に、夢で現れる軟体ヌメヌメお母さんの触手が妙に色っぽくてドキドキ。
男の子が、こんな変な夢見て夢精でもしてしまったら翌朝は母親の顔が見られなくて大変…あ、これで一本漫画が描けそう。
 そういやミルクの妖精?なんて、メタファーというか そのまんまじゃないか。
 不思議キャラ達と「出会う方法」はともかく、「別れる方法」が、なかなか少女アニメでは有り得ない、合理的だけど うううーんなモノで、想像してしまうとエロというか何というか。
 物語は他愛なく、シリーズの第一話(もしくはパイロット版)として必要十分。
 一本で完結するストーリーとしては、設定されたヒロインのトラウマが解消されず終わってしまい、物足りない。
事件と絡めて、時間内に取りあえずの解決を見ることは、そんなに難しくないような…
 でもまあ、シリーズで見たい作品。
軟体お母さんだけでも(しつこい)。

『たんすわらし。』
 Production I.G制作、黄瀬 和哉 初監督作品。
 黄瀬 和哉…という事で期待される超高密度作画とは真逆の、簡略化されたキャラクターによる ほのぼのアニメ。
しかし、見ていればレイアウトや日常動作など、非常に高いレベルにあるのが分かる。
 「物足りない・華のない顔」にデザインされたヒロインが、ハッとする変貌を遂げるシーンの的確さとか、全体を抑えているが故の良さ。
 これ、ヒロインがOLだという事もあるけど、OLを視聴対象としてノイタミナ枠辺りでシリーズ化すれば当たりそう。
地味で代わり映えのしない日常が、不思議なキャラクター達の乱入と、何より彼ら彼女らにより生じさせられたヒロイン自身の心境変化により、輝いて・楽しく見えてくる、ココを丁寧に描けばオトナ女性の共感を呼べるものに出来るだろう。
 唇が肉感的な容貌担当少女(?)が、イイなあ。
料理が得意な板前少年も一家に一人欲しい…とか思わせられたら、作品の術中に嵌っている。

 四本通して、変に分かり辛くしたり実験的にせず、きちんとエンターテインメントしてくれてるのが嬉しい。
 今後もこの試みは続けていくそうなので、新たな作品群を楽しみに待ちたい。


2011年5月6日 金曜日

『日常』05.「日常の第五話」

 原作は、ホンのちょっと読んだことがあるか…ぐらいでほぼ未読。
 京都アニメーション制作、という事でクオリティーに期待してしまうが、見事に応える内容。
シャープでなく垢抜けない(失礼!当然ながら「悪い」という意味ではない)原作絵の雰囲気を上手く再現し、高いレベルで心地良く見せてくれる画面作りの巧さは、さすが。

 「日常」っていう、検索には不向きなタイトルがよく通ったもの。
 自作のロボット少女と暮らす天才(とはとても見えないが)幼女とか、仏像好きな恐ろしいほどのマイペース女子校生、天然モヒカン少年に、重火器を駆使する女子校生など、とてもじゃないが「日常」とは言えない。
 かといって「SF」「ファンタジー」まで飛び切った内容でもなく、確かにドコかありふれた「日常」に片足を付けた内容ではある。

 原作じゃ、どういう処理になっているのか知らないが…落としかけたウィンナーを追いかける一瞬を引き延ばして描いたり、女子校生同士の全速力校舎内追いかけっこを長く続けるなど、一話に一回ぐらい執念の演出と作画で、何気なく描いてしまえばもう「日常」としか言い様がないシーンを、感心から呆れ、笑いへと変えて見せてくれる。
地力のある制作体制だから出来る、アニメならではの強引でパワフルな笑いの作り方。
 地味ながら、手間の掛かりそうな画面効果を使ってあったりするのもスゲエ。

 博士が可愛いなあ。
「はかせだニャン」は確かに萌え、というか幼女がネコ耳付けて「ニャン」とか言っているのを肯定的に評価する時「萌え」「可愛い」以外どー言えば良いのか。
 ゆっこは、通常の学園コメディーに登場すれば「強引で周りを振り回す女の子」だろうが、この作品の不条理で非日常なパワーには抗しきれず、度々負けて酷い目に遭っている。
自分のペースに友人達を巻き込もうとして、叩いて被ってジャンケンポンやコックリさんを仕掛けるけれど、「拒絶」という なかなか有り得ないリアクションを示されてしまう意外性が可笑しい。

 気楽に見られるアニメ…だが、油断できない作品でもある。
 面白い。


2011年5月3日 火曜日

 テレビで放送された映画『黄金の法』を見る。
 大川隆法が主催する宗教団体・幸福の科学、四本目の映画。
 映画一作目『ノストラダムス戦慄の啓示』は見た…ような気がする。
特撮をそれなりに頑張っていた…っけなあ、もう記憶がオボロ。
ストーリーとか、無いと言って良い程度のモノだし。
 『ヘルメス−愛は風の如く』『太陽の法 エル・カンターレへの道』、本作以降作られた二本の映画は見てないかな。
今、調べて分かったけど、なるほど、ヘルメスについて、多分映画二作目で(この団体としての)説明が終わってる訳ね。
だから、四作目でヘルメスがエラく重要な、凄い存在として扱われているのだろうが、二作目を見てない人間には???と疑問符ばかり。

 主人公の家の庭に突然落ちてきたタイムマシンへと乗り込み、未来人少女と共に色々な時代を旅するのが、メインストーリー。
 時間旅行の途中、ヘルメス・仏陀・キリスト他 歴史上の有名人物と次々出会うのだが、主人公が彼らと深く関わる訳でなく、かといって傍観者として彼らの生き様や考え方を適切に切り取る訳でもなく、独自の見方に基づき「こういう人達が居ました(居たとされています)」というのをポンポン提示するだけ。
 一応は、タイムマシンの不調やら現代に帰れなくなるかも!というストーリー上の仕掛けはあるが…
帰れなくなりかけるのは主人公がワガママ言い出したからだし、そもそもこの少年・少女が何を考え・何を求めて時間を旅しているのか理解できず、お話に入れない。

 物語としての出来はともかく、もうちょっと、こう、「幸福の科学とはこういう教義を持つ宗教だ」を、せっかくアニメなのだし子供にも分かり易く説明する内容なのかと思っていたが、一見さんお断りぐらいの独自設定と異次元思想に満ちており、入れない。
この映画を素晴らしいと思える信者になれ!という事こそ、この宗教の目的なのかも知れないけれど。
 ラスト、恐ろしく唐突に「これら歴史上の偉大な人物と同じ(越える?)偉大な方が現代にもいらっしゃる、それこそエル・カンターレ(大川隆法)である」という事で締めるから、まー言いたいことはコレだけか。
 偉人達の優れた資質をよりパワーアップして持つのがエル・カンターレである、とか、時空を越えて悩める彼らの人生をエル(以下略)が導いた事にするとか、俺様映画にしたって、もうちょっと気の利いた構成がありそうなもの。
偉人達を襲う悪の波動に対し、絶体絶命の局面でエル(以下略)が現れ、論外な強さで退治して世界中から崇拝を受ける、ぐらい徹底した内容にして、せめて信者だけでも拳突き上げて喜べるよう作ってやれば良いのに。
 未来で、幸福の科学が世界の中心的な位置を占めるようになっては「いない」様子とか、妙に冷静な視点があって。

 一般的意味での面白さは最初から期待していなかったので、時間を無駄にしたのは事実だけど、自己責任。
 もっとムチャクチャに弾けてくれると嬉しかったかなあ。
エル・カンターレに話を持っていく部分さえ除けば、よくある「何を面白いと思って欲しくて作ったのか分からないアニメ」の一本に過ぎないから。


2011年5月1日 日曜日

『アスタロッテのおもちゃ!』03.「すれ違いのパーレン」

 原作未読。
はー、原作タイトルは『ロッテのおもちゃ!』なのか、商標に引っ掛かる関係で変えたのかな。

 とにかく作画に力が入っていて、アスタロッテや お世話係の女性達、明日葉に直哉まで、無闇矢鱈 可愛い。
ここまで強力なストーリーがないこの作品にとって、性格付けやリアクションに加え、演出・作画の頑張りによってアスタロッテを…他の女官達も…可愛く魅力的に見せるのは、視聴を続けてもらう手段(あるいはこれこそ目的なのか)として必要不可欠。
 第一話から長い入浴シーンがあったり、美少女乳搾りが行われたり(画面には出ないが)、ぱんつをチラチラ見せたり、明日葉がノーパンだったりという色っぽい仕掛けも、同様。
 何をもって作品を見続けてもらう動機とするのか、きちんと絞り込まれているのは結構。

 お話自体は、割合よくあるハーレム物。
 23歳男性主人公が10歳の妹持ち…かと思えば、娘?というのは独自色か。
13歳の時の子供、ではフツーに考えると無理があるため(射精して受精させる事自体は可能な年齢かも)、何かしらの特殊な設定ありだろう。
 娘がアスタロッテと同じ年齢で、そのため「子供の扱いに慣れている・上手い」からアスタロッテの歓心を得ることが出来る、というのは説得力のある持って行きよう。
 だからこそ、アスタロッテを恋愛対象に見るのは難しそうでもある。
大体がボーッとしている感じのお兄ちゃんだし…よく子供を作れたなあ。

 負担無く気楽に見られるアニメ。
 作画は引き続き頑張って頂き、あんまりシリアスにしないでもらえると嬉しい。
 視聴継続。



『もしドラ(もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら)』03.「みなみは人の強みを生かそうとした」

 原作未読。
 話題は聞いたことがあり、凄く売れているのも知っているが。
 ドラッカーも勿論読んでおらず、内容も全く知らない。

 野球に別の発想・論理を持ち込み、女子マネージャーが作戦参謀のようになって勝利を収めていく話…だと勝手に思い込んでいたけれど、そういう訳じゃないのね。
 三話まで見た限り、元々ある程度の実力を持っている野球部が、人間関係や練習法など様々な問題を抱えているがために力を十分に発揮できないでいたけれど、マネージャーの努力や たまたまや必然でもって次第に効率的に機能し始め、本来あるべき力を取り戻す、って感じなのかな。
 ドラッカーからの提言として語られている内容は、そんな独創的であったり衝撃的でなく、言われてみれば ごくごく当たり前の事ばかり。
分かっているけど実行できない、その方が良いと思っても躊躇ってしまう事を、経営学の観点から洗い出し、改めて「やった方が良いんだよ」と語るところに大きく意味があるのか。

 マネジメント、という本を野球へと使う所にテーマがあるので、野球をどう面白く描くか、辺りは弱い。
野球部の廃部を賭けた試合を設定するとか、憎々しいライバルチームを出す、といった仕掛けはしておらず。
 ストーリー面だけでなく、演出・作画共に過剰な気合いは入っておらず、緩い印象。
 そのため、気楽に見られて良い、あるいは、どうも集中力に欠けてしまう、どちらかの感想になるんじゃなかろうか。
自分は、後者。
 つまらない訳ではないので抵抗もあるけれど、今期は見ておきたいアニメが多く、ここまでに。


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