ときどき日記 03/06(後)

2003年6月30日 月曜日

 映画『ザ・コア』を見る。
我ながら物好き(笑)。
 監督は、『エントラップメント』(割に面白かった)、『コピーキャット』(まあまあ)のジョン・アミエル。

 いやあ、気持ち良いぐらいにB級映画。
んー、ややもするとC級にまで行きそうな程。
 地球のコアが回転を止めてしまったため、各地に様々な障害が起きる。
そこで、『アルマゲドン』『ディープインパクト』などで毎度お馴染みの対処法を実施。
取りあえずアメリカが誇る最終兵器・核をブチ込んどけば どうにかなるやろ。たるんだ地核に根性入れ直したるんじゃあ!という感じで。
 まー乱暴極まりない。

 『アルマゲ』『ディープ』とほぼ同じような内容だが、企画のパクリとか何とか言うより、古き良き時代のB級映画そのまま、進化ナシ、と捉えるのが正しいだろう。
実際、この工夫の無さを見ていると『アルマゲドン』や『インデペンデンス・デイ』等 最近のSF大作のシナリオは、それでもよく考えられている方なのだ、という事が分かる。

 科学的な所にはもう突っ込まないけど、地底探検船に乗り込むメンバーのキャラが薄くてマトモに葛藤が生まれない事や、彼らが退場していく理由が「やむを得なかった」「他の乗員を守るため犠牲になった」より「間抜けだから自業自得」と思えてしまうダメさ加減は、もうちょっとどうにかならなかったのか。
 驚くほど大雑把な危機の乗り越え方にも唖然。
 あと、一番物足りなかったのは、地底船が発進していくシークェンスで「大統領の感動的な演説(笑)」が入らなかった事。
全人類的な危機なんだから、「地球のリーダー」たる米大統領が何か言わなきゃイカンだろうに。

 …とか、感想を書いてもなー、と思うほどB級。
 それにしては特撮部分にお金がかかっており、絵的には面白いシーンが結構、ある。
 どうせなら地底船発進基地に、『妖星ゴラス』のように意味無く怪獣でも出してくれれば良かったのに。
地底にペルシダー世界があって、悪辣な地底帝王を倒すべくレジスタンスの美女と一緒に戦うのが映画全体の3分の2ぐらいを占めるほど、メインテーマの見失いぶりを楽しませるとか。

 テレビ東京で、昼の2時ぐらいから、1時間半ほどの内容を容赦なくスパスパ切り刻まれて1時間弱にされ、タイトルも「SF・地球SOS!地底戦艦バージルの冒険」とか何とか似ても似つかない物に変えられて流されるのが ふさわしい内容。
 そういう映画でも貪るように見ていた頃を思い出して懐かしくなる、嫌いになれない、可愛い映画だとも思う。
 でもDVDは買わないな。


2003年6月29日 日曜日

『機動戦士ガンダムSEED』38.「決意の砲火」

 意外にも、パナマを落とされた事がショックだったらしい連合。
お前らの現戦力はどうなっとるんだ?
戦力は十分に確保してあるが、ただ重要な施設があるパナマには回してなかっただけ?
連合首脳部はアホ?

 別段 仲が悪かった訳では無かろうオーブを追いつめ、ついに戦端を開いてしまう連合。
 この判断も解せない。
オーブは かなりの軍事力を擁している国家なはずで、そこへ攻め込めるほどの余裕が連合にはあったのだろうか?
 経済封鎖等で政策的に追いつめ、連合への参加を強要する、というなら納得だが、イキナリ軍事力を用いてしまっては…
 暴力に膝を屈するよりは、と、オーブがザフトと手を組んでしまう最悪の事態を招く恐れさえある訳で、拙策に過ぎる。
 そうでなくても、ここの攻略に残り少ない戦力を回している内に、パナマを簡単に陥落させたザフト残存戦力が連合各施設に侵攻してくるかも知れないのだし。

 勢いに乗るザフトからの拠点防衛、そして戦力の立て直しと補充、その辺が急務であり、新たに敵を作るようなマネは避けるべき。
 …だと思うんだけど、全ては「連合首脳部がアホだから」で説明されてしまうのかなあ。

 総集編を挟みすぎてしまいストーリー展開が遅れた弊害か幸いか、今回はポンポンと物語が進んでいき、退屈させられる事なく見ていられた。
ディアッカがアークエンジェル側に回るに到る葛藤とか、どこからやって来たんだアスランとか、もうちょっと時間を取って良さそうな所もあったが、まあ考えさせずにガンガン進めていくやり方もアリだろう。

 結局この戦いって、連合の首脳部にいるアホのブルーコスモス勢力と、ザフトの主戦派であるザラ親父を、両方とも倒せば終わるのね。
 何というか、「戦争」が随分と単純に捉えられている気はするけど、それはそういう作品として考えれば、分かり易くてイイのかな。



『成恵の世界』最終話.「祭の夜」

 あちこちで非常に悪い評価を下されているのを目にしてからの鑑賞だったので、それはそれなりに見られた。
 なるほど、凶悪なワルモノが3人 地球に潜入してきて、彼らが ごくまっとうな「悪い方法」で成恵達を襲う、という内容で、ここまでの流れからすると違和感を感じるモノではある。

 原作は、「てろりすとぉ !? マンガが違いますぅ」(単行本3巻・P104)というセリフからも分かるように、こういうアリガチなバトル展開を巧妙に避けている。
この方面で勝負をかけると、果てしなく求められる作画のグレードアップと、強さのインフレ現象が待っているだけ。
 原作者は、それらを正面から描かず「日常」で包み込み、ピントをずらしたりバッチリ決まったりする「ほのぼの」と「感動」で締める方向を選んだ。
それが原作の「味」。

 アニメにする際に、テイストを変えてみせる事自体は構わないが…
原作と、少なくとも同じ程度には、面白い作品に仕上げるのが礼儀。
 が、この最終回は実に「よくあるパターン」であり、最後まで和人が活躍しない事でカタルシスにも欠けている(守る力は持たないが、それでも成恵と一緒に居たい、という意思を表す「カタルシス」はあるにせよ)。
 原作が現在も連載中なので、勝手な最終回は作り辛かったのかな。
しかし、もう少し「終わった」気にさせるエピソードは選べただろう。

 でも、原作を読んでいない友人は、「こんなモンじゃないの?何か悪いの?」と不思議そうだったので、特別の思い入れ無く見ている人間にとっては、別段 問題を感じる作りでは無かったのかも知れない。

 シリーズ全体的には、普通の出来。
 途中、意図してかどうかオタクの痛さを感じさせる部分があり それは印象に残ったが、その他は無難に作られていたと思う。


2003年6月27日 金曜日

 映画『マトリックス リローデッド』を見る。
 言わずと知れた大ヒット映画の続編。
 ええと、内容に触れてしまうので、以下はネタバレ映画感想のページで。
既に映画を見た、あるいは見てないけど事前に情報を入れる事に抵抗を感じない、という方のみ お読み下さい。



 続けて映画『X-MEN2』を見る。
 これまた大ヒットしたアメコミ原作映画の第二弾。
監督のブライアン・シンガー以下、1作目のスタッフと同じ顔ぶれで作られている。

 いやあ、面白い
基本設定の説明は1作目で終わらせているため、今回はキャラの魅力を彫り込み、対立のドラマを深める事だけを目指していて、大変に見易い。
 1作目で1度全部終わっているにもかかわらず、更にゴチャゴチャした設定を詰め込んでドラマの足を引っ張ってしまった『マトリックス』とは大違い。
 以下はネタバレ映画感想のページで。



2003年6月26日 木曜日

『ボンバーマンジェッターズ』39.「疑惑の健康診断」

 基本はコメディーである このアニメ。
大きくギャグ方面に振れる事もあるが、MAX絡みのエピソードはビックリするほどにシリアスだったりする。
 「バラエティー豊かなシリーズ」は、全体の構成に僅かでも不統一感があると容易に「いい加減な作品」へと堕ちてしまうモノだが、奇跡的なバランスで それを回避。
 こんなデザインのキャラクター(失礼)なのに、真面目な芝居を見せ、それがまた大人の鑑賞に耐えて、心に訴えてさえ来るのには驚かされる。

 生きていると信じる(信じようとする)マイティを探して、宇宙をさすらうバーディー。
孤独と友情の描き方が、イイねえ。
 彼に情報屋が、「風呂くらい入れよ、アイツ(マイティ)に嫌われるぜ」と意味ありげに告げる所もなかなか。
 ジェッターズ基地まで、と、バーディーのタクシーに乗る博士。
しかし、ジェッターズに戻る気持ちを見せないバーディーを見て、「道を忘れちまったタクシーに乗ってたってしょうがない」と、車から降りて歩いていってしまう。
ふざけた顔をしているのに、渋いなあ博士。

 キャラクターにギャグからシリアスまで演じさせるについては、理詰めの作劇法もあって、もちろんそれはこの作品で縦横に駆使してあるが、それ以上に、キャラそれぞれへの「コイツはこういう奴なんだ」「ギャグをしてる時はこういう気持ち、シリアスの時はこういう気持ちなんだ」「だからそれぞれに矛盾など無い」という事の把握がきっちり出来ているのが感じられる。
 以前、「何の事件もない普通の日を、ジェッターズはどのように過ごしているか」という事だけを描いた話があった。
大きなイベントさえあればキャラなど薄くても何とか話の体裁は整うが、「何も無い日」を面白く見せるには、キャラをどれだけ掴んでいるか、だけが勝負になる。
 そして、この話がまた とても面白かったんだよね。

 キャラへの思い入れと深い理解、創造物に過ぎない彼らと真摯に相対する気持ち。
そういうものが このアニメにはあり、見ている人間にも伝わってくる。
それが、数多い「ガキ向けの馬鹿馬鹿しいアニメ」と この作品を、大きく分け隔てていく。
 個人で作る漫画や小説では こういう事がきっちり出来ているモノも多いが、集団作業であるアニメでは、シリアス一辺倒の作品でさえ、先週と今週で同一人物とは思えない行動をキャラが示す事も珍しくない。
キャラへの理解を統一する事は、とても難しいからね。
 『ボンバーマンジェッターズ』は、監督かシリーズ構成か、誰が頑張ってるのか知らないが、奇跡的にアレコレ皆 上手く行っている。
凄いなあ。
 面白い。



『宇宙のステルヴィア』13.「ふゆやすみ」

 久々に居心地の良い雰囲気が堪能でき、個々のキャラが見せる行動を楽しく眺められた お話。

 荷造りのタイムスケジュールをアリサの行動に頼りっきりだった志麻。
「朝方 放送されるテレビ番組のコーナーの移り変わりで、時計を見ないまま現在時間を計る(天気予報が入ったからそろそろ8時、とか)」ってのは誰でもやる、あんな感じかな。
 他人に頼り切る態度、しかも頼る相手が帰省するのかどうかさえ確かめていない うっかり加減、どう考えても自分が悪いのにアリサに逆ギレ気味な お子様思考(それを責めずに自転車を必死で漕いでやるアリサは大人だねー)。
久々に「分かり易い」、「ボケた」志麻が帰ってきた気分。

 しっかりカップルっぽくなっている晶とジョジョ。
それを やよいに指摘され慌てて否定するが、「いい子よね、ジョジョ君」という言葉には満面の笑みで頷いてしまう。
 素直で宜しい。

 やよいに「チャレンジ」するピエール。
玉砕したものの、後を引かず爽やかなのは好感度高い。
 彼からの告白を、「もう少し頑張れば、ピエール君にも素敵な彼女が出来るかもね」と、まるで他人事のように語る やよい。
…もしかして男の子に興味のない百合系統の人か?だとすると愛憎乱れる初佳への態度にも納得が…とか邪推(笑)。

 言われていた通り、「地球のアイドル」になってしまっている志麻、ついでに光太。
 うーん…ここまで人気者なら、ステルヴィアまで取材陣が押し寄せても良さそうだし、学校内にも、アンチだけではなくてファンを生み出していそうなモノだけど…
「浮ついた雰囲気になっては困る」と学校側が規制していたのかも知れないが、少々唐突な印象。

 専用機で日本までひとっ飛び、という特別扱いをしてもらう志麻と光太。
 政府組織などからしても2人は英雄なんだなあ。
だったら、政府からの表彰状授与とか、歓迎式典が開かれる事になっているとか、嬉しいんだか嫌なんだか微妙なイベントが組まれそうなモノだが。
 ここは、直接スペース・ポートまで光太姉が迎えに来ていた、という事にした方がスッキリしたんじゃなかろうか。

 日本の空港で出迎える弟。
 ここで、動揺させるような事をワザと言って姉の本心を伺い、同時に姉を任せるに足る男かどうか光太を値踏みして(その表情をじっと見つめる一瞬の「間」の演出が上手い)、「オッケー」と認めたらしくニッコリ笑い、改めて自己紹介してみせる、志麻弟の非常に「切れる」行動が素晴らしい。
 加えて、『ムリョウ』で大変魅力的に描けていた「超越者」としての姉、に相当する光太姉も、イイ感じ。
 佐藤 竜雄監督作品では、主人公達をからかう・見守る形を取る、脇の、特に肉親キャラが面白かったりするんだよね。

 セカンドウェイブの爪痕が残る地球。
宇宙で撃ち漏らした隕石や、大気圏で燃え尽きなかった破片が落ちたんだろうなあ。
 「シェルターがあったから」と志麻弟は言うが、一家はそこらの体育館に避難していただけだったような…
特殊な防護措置を施したシェルター・体育館だった?
重力制御が出来るのだから、施設を限れば、少々の隕石を跳ね返す事ぐらいは出来たのかも。

 光太と姉の、島。
 生い立ち、家庭環境が語られた事で、僅かに「ほとんどエイリアンに等しいほど謎のキャラ」だった光太が理解できるようになった。
この話、もっと早くに入れるべきだったんじゃないかなあ。
少なくても初キスよりは先に。
 コレがあってもなお、志麻は光太のドコが良かったのか、は分からないままなんだけど。

 「両親を喪い、歳の離れた姉に孤島で育てられた」事と、「超絶の能力を持ち、しかもそれを必要以上に隠したがる」事とは余り結びつかないような…
 実は、両親を亡くした事故(死因はハッキリしないが、2人とも同時期に亡くなったようなので、事故かと)で、本物の光太も死亡。
今居る光太は、姉の記憶に干渉して弟だと思い込ませている、ウルティマを襲ったのと同種族のエイリアン…とか?

 志麻を大歓迎しようと張り切る母親。
感情的すれ違いはどうした?と思うけど、そもそもは「何より大事で大好きな娘が遠くへ行ってしまう」事に対して拗ねる母と揉めていただけなので、一時的にせよ帰宅してくれる事には、特に母親は抵抗がない訳だ。
 予定通り休み中 実家に留まったなら、また、ステルヴィアに出発する時には、第1話と同等の大騒ぎをしたかも知れないが(笑)。

 気になる所もあるけれど…基本的には すいっ、と胸に入ってくる今回の脚本は、監督自身が書いていた。
 ここまでの積み重ねが不足している痛さは置いといて、このレベルをキープできるなら、監督が全てのシナリオを書いた『ムリョウ』ほどには面白くなって行けると思う。


2003年6月25日 水曜日

『キノの旅』
 3週間、感想を書いてなかったので、まとめて。
 このアニメは、「アニメとしての出来を云々する」よりも、「見終わって考えた事をダラダラ書き連ねる」方が鑑賞態度として正しい気がするので、そういう感じで。


11.「彼女の旅」
 前半は何だか断片的なエピソード。
 そのうち一つ、彼氏を殺された女がその犯人を、許したと見せて殺す。
彼女は、恐らく最初から犯人を許せてなどいなかったのだが、最も許せなかったのは時を経て、凶暴な性格だったはずの彼が「本当にいい人間になっていた事」だった。
 思い出した話として。
好きな女の子がいる、平凡な男の子が居た。
でも、彼女は他の男の子…野球部のエースで成績は上位、顔形も良い男の子に憧れているらしいと聞く。
失意のウチに、恋破れた男の子は恋敵を憎もうとするが、彼は男の目から見ても、とてつもなくイイ奴だった。
自分に無い沢山のモノを持ち、しかも好きな女の子の心まで奪っていった奴なのに、憎む事さえ許されない(そういう相手を憎む事で、自分がより惨めになるから)。
それは最も理不尽で、行き場のない怒りを生じさせる事かも知れないな。

 後半。
 自意識を消し去られてしまった事で、禁欲的になり、自分を元に戻してくれる「言葉」を探して旅をするうちに、賢者として尊敬される存在になった男。
彼を元に戻してくれる「言葉」とは…
 うーん、これは上手く感想がまとまらないなあ。

 前半の話と絡めると、「世の中、思ったようにはいかない」し、「思うからこそ、上手く行かない事態が発生する」というテーマになるのかな?
 恋人を殺された女は、犯人を憎みたいと思いながら憎めず、憎めなくなってしまった事を憎んで相手を殺してしまう。
 武器も殺し合いもない世界を作ろうと訴え、旅を続ける女は、その彼女を守ろうとする同伴の男が持つ武器によって大勢の人間が殺されている事を知らず、自分の旅が「平和」よりも「災厄」をもたらしている事を知らない。
 自意識を消し去る処理を男に施した国は、男が、消し去られた「自意識」を求めようとする「自意識」を持ってしまった事で、既に処理に失敗している。
男よりも後に作られた、自意識を捨てながらも命令一つぐらいは遂行させられる少女、でさえ、その任務遂行を思いとどまる姿を見せており、失敗。
彼ら自身にしても、追い求めた自意識を取り戻した事で人生に絶望し、ただ一つの命令さえ遂行できない事で存在意義を失ってしまう(少女は、自身も「賢者」になるという新たな目的を得たようだが)。

 彼ら彼女らと、キノとは何が違っているのだろうか?
キノの目的は、「生きようと思って生きている(旅しようと思って旅している)」事だけであり、その目的から外れる時は「死」であって どのみち「終わり」なため、生きている限り失敗がない。
 失敗は無いが大きな成功も無い、ズルい目的であるとも言える。
どの生き方を幸せと思うかは、個人の考え方次第かな。


10.「機械人形の話」
 珍しい、分かり易い普通の、ちょっとだけ仕掛けがある話で、それ故に あんまり感想が湧いてこない。
 メイドロボットに「奉仕される」悦び、ってのはオタク向け作品でよく見るけど、ご主人様ロボットに人間が「奉仕する」悦び、というのは余り見た事がない。
全く逆のベクトルを持ちながら、もしかすると同じようなモノなのかも知れないなあ。
 オレは面倒くさがりなので、奉仕してもらう方が全然ありがたいけども。


09.「本の国」
 「批評家」「作家」という単語に特別な意味をもたせている辺りは、どことなく押井 守世界の「演出家」の扱いを彷彿とさせられる。
あるはずのない「世界の全てを書き記した本」なんてのは、「天使のたまご」相当かね。
 夢が現(うつつ)か現が夢か、という構成も、それっぽい。

「私たちに批評家になれって言うの?あんな最低の人種に!」

「蘊蓄を垂れるだけの輩、したり顔で本を採点して悦に入っている連中、作品をけなして偉くなった気でいる者達、奴等(批評家)は人の楽しみに水を差す
亡者共です!」
 物議を醸しそうな(笑)セリフが多く、色々と考えさせられた。
考えて、実は結構な長文を書いてたんだけど、長いだけでサッパリまとまらないので削除。
 この日記に書いているのは「批評」などとはお世辞にも言えない、単なる「感想文」であるけれども、出来る事なら「人の楽しみに水を差す」だけの文にはしたくないなあ。
などと思う。
 それは意外と難しい事なのだが。



 『キューティーハニー』が実写映画になるらしい(ヨコヤマ さん、情報をどうも)。
ああ、聞いていた噂、本当だったんだ。
余りにもウソっぽい話だったんで、以前に聞いた時には半信半疑だったけども。
 そうすると、特撮だかコンテだかで樋口 真嗣が参加する、という話も本当なのかな。

 庵野監督関連では、『トップをねらえ』の『2』を作るとか、その監督は鶴巻 和哉に替わるとか、それが終わったら本気で『エヴァ2』をやるんだとか、噂「だけ」なら色々と。


2003年6月23日 月曜日

『ASTRO BOY 鉄腕アトム』12.「よみがえったジャンボ」

 スカンクの逮捕、先生が語るジャンボとの思い出、その中での歌。
ここまで見た段階でストーリー全体の予想が付いてしまうが、今回はヒネり無く、全くその通りに進行。
 とはいえ、作画も演出も手堅く、感動話としては過不足のない出来。
 ジャンボが、スカンクたちにより入力されたプログラムを無視して行動したのを、単に「心があるから」としてしまわず、光の明滅によって作動する基本電子回路の働きによるもの、とした(しかし先生の歌声に聞き入っていたようにも見える)ギリギリ「機械」と「心ある者」との境目に留めるバランスが素晴らしい。

 前回の、ロボットサーカスの話は良い出来だったけど、ロボットがまるっきり「人間」に描かれている辺りは善し悪しで。
アトムの特殊性が死んでしまいそう。
 ロボット達は皆、とうの昔に心を持っている。
しかし人間達はそれを認めず、お茶の水博士でさえ認識出来ていない、とか?



『妄想科学シリーズ・ワンダバスタイル』12.「妄想は科学を超えて」

 化石燃料等を使わずクリーンな方法で月を目指す、という「無意味」な目的に向かって突き進む事に「意味」があったシリーズだが…
 途中から、九十九の成長、みっくすJUICEとの絆、ロボットであるキク8号の気持ち、等々を、結果としては描けなかったが、間がもたないためか僅かに描こうとする意図が散見され、ナンセンスの面白さが大きく失速してしまった。
迷わず「無意味」をやり通すには、やはり覚悟とか確信、才能が必要なのだと思う。

 何がしたかったのか九十九母、誰が作ったのか月面のステージ、月到着以降は出てさえこなかった九十九父、など消化不良な要素も目立つ。
 これらが「無意味」という事?
でも、キャラやドラマのリアクションで「無意味」を面白さに転換出来ないなら、それは「無価値」に等しくなってしまう。

 前半は面白かっただけに、残念な終幕。
 キク8号の調子ッ外れな楽しさと可憐さだけは最後まで変わらなかった事が、唯一の収穫か。


2003年6月22日 日曜日

『機動戦士ガンダムSEED』37.「神のいかずち」

 ザフトによるパナマ侵攻。
 んー?連合の主力はパナマに展開していたんじゃないの?
残存兵力を集めただけのザフトに押されていたようだけど。
 ナチュラルの怒りを喚起するにはアラスカの壊滅だけで十分、パナマでは「連合反撃の開始」をアピールしないと、市民の抱いている「怒り」が「絶望」に変わり、戦意を萎えさせてしまうだけだと思うが。
 どういう事になってるの?
量産型の初投入もあった事から、連合はアレで本気だった?
なら、描かれ方として、アラスカとパナマの戦力比には大して差がなかったようにしか受け取れない。
 連合は今、「どこかに戦力の大量温存をしており、余裕」なのか、「ザフトの底力に顔面蒼白」なのか。
 大局が掴み辛いなあ。

 今回は、飛び立ったアスランのジャスティスがパナマ戦線に投入され、キラとは違う方向を選んだ(選ばされた)彼の生き方・戦い方が示されるものと期待したが、それは無し。
 連合量産機の実力を見せ、それらを圧倒する事でジャスティスの無敵ぶりをアピール。
それなら、フリーダムで格好の良い登場を見せたキラとの対比も出来たかと。

 日常…というかまあ立脚点がしっかりしている環境下でこそ輝いたフレイが、異常事態下に置かれる事により、まるで存在意義を失ってしまった。
 彼女をさらったクルーゼの意図が未だに明かされないからなあ。
「父親」との関連性はどうなってるんだろう?まさか本当に、あのセリフは楽屋オチのギャグだったって訳じゃないよね(汗)?



『スクラップド・プリンセス』10.「偽王女の小夜曲」

 2話で構成された話の後編。
 廃棄王女を追う立場であるマウゼル教・異教検察官のオジサンの登場。
 パシフィカのニセモノである王女が統治する辺境の隠れ里。
そこで行われる謎の儀式と危機。
 面白くなりそうだと思ったんだけど…

 実際には、淡々とストーリーを消化しているだけ、という印象で、面白くは感じられなかった。
 隠れ里の儀式目的。
自分の存在理由を知る偽王女。
明らかになる神官(?)レナードの真意。
裏切られていた事を知る村人達。
 どれもこれも、かなり大きなイベントであって当然な出来事だと思うが、本当に淡々と通り過ぎていく。
 顕著なのはレナード退場の仕方で、仮面を飛ばされ、情けないオッサンの素顔をむき出された事に動揺して低い崖から落ち、ほうほうの体で逃げ出して、お終い。
カタルシスも何も無く…まあ、殺しては後味悪いだろうが、それにしても…

 異教検察官のキャラクターは面白かったのだし、全然ダメとは言わないが、とにかく喰い足りず、「まあ、こんなものかな」という印象のみが残ってしまう。
 それは今回だけの事に限らずシリーズ全体にも言え、このままでは、放送が終了した途端に見ていた人の脳裏から消えてしまう、弱い作品にもなりかねない。



 『ステルヴィア』追記
 初佳は、自分が負けないためなら、どんな手段を使っても、ケガをさせてでも相手を蹴落とす人間に「生まれた」のではなく、「そういう風に自分で自分を変えてしまった」という理解はどうか。

 具体的には、やよいをケガさせてしまった事件の際、実は初佳は懸命に彼女を助けようとしていた。
が、当事者であった彼女だけが知るその場の理由により、それは どうあっても、例え彼女が身代わりにケガをする事を選んでいたとしても、成し得なかったのだ。
 しかし彼女は誰にもそれを話す事なく、やよいにさえ誤解されたままで通す。
「助けられなかった」事だけが事実。
「理由があったから」というのは言い訳。

 自らを責める余り、彼女の心は自分を、
「助けられる相手も助けなかった」
「自分を負かしそうな相手だったからワザと助けなかったのだ」
「自分は他者を蹴落としてでも立場を守ろうとするエゴイスティックな人間である」
と定義する所まで追いつめてしまう。

 本当はそうではないのに、自らの定義に沿って(そこから外れる事は、「裏切り」。定義を守り続ける事だけが「贖罪」)行動しようとする余り、志麻を「襲って」「ケガさせ」「蹴落とさなければならない」と思い込んでしまった。
 やよいのケガで、彼女よりももっと傷ついたのは、初佳だったのだ。

 …と設定すると、初佳を許す事に説得力が出来るなあ、とか(笑)。

 物語に組み込むなら、やよいの事件と同様の状態に初佳が置かれ、それを助けるべく飛び出していった やよいが初めて事件の真相を知る、というような形かな。



 昨日、記述した古書店社長のコメントが出る(情報元・最後通牒・半分版)。
 既に書いたけど、一番に責を問われるべきは、原稿を持ち出し、売り払った犯人だ。
という事を踏まえた上で読んで…

 語られている漫画界の隅っこに居、しかも、とてもじゃないが職を代表して何事かを語る資格を有していない者としては、コメントを控えておきたい。
 興味のある方はご一読を。


2003年6月21日 土曜日

『宇宙のステルヴィア』12.「こくはく」

 クリスマス・エピソード。
 無邪気に「みんな恋人とか居ないの?」と問いかける りんなと、無言で通す皆のリアクションが愉快。
 あちこちで「恋」の予感が生まれ始めるのは単純に楽しかったが…

 町田初佳の暴走による障害未遂事件が大きな問題となっており、過去の同様事件と絡めて、彼女が許されるまでがメインで描かれた。
 退学処分も検討される彼女。
しかし、あの練習試合(?)の模様は そんなに危険に見えなかったんだけどな。それは危機演出の出来が関係しているのか。
 以前に志麻の手によりステルヴィア・メインコンピューターのハッキングが行われたが、その件は大事にならず ほぼ不問に処されたように記憶している。
この学校は規則違反に随分と寛容なんだなあ、と思ったのに、今回は厳しい扱い。
 「責任ある上級生」が行った、「被害者」を出す恐れのある事件で、しかも「再犯」、それがあるいは故意に起こした事ではなくとも、「感情的に相手を傷つける恐れのある人間」である、と判断された事がその要因だろうか。

 初佳が抱える心の闇は…単にコンプレックス?
生まれつきの天才であるよりも、努力をして這い昇った秀才である事の方に価値があると、努力も出来ない凡人は思うんだが。
 頑張った末の限界を自覚できる秀才だからこそ、そこを易々と乗り越えていく天才に憎しみを覚える。
…そういうものかも知れないな。

 彼女に対して志麻が抱く感情は、「憎まれている」事への戸惑いと不安だけ?
生まれついて優れた能力を持っている事を思い、それが他者を傷つけてしまう可能性もまた擁している事を自覚すべきでは?(上手く描かないと「思い上がり」になるが)
 しかも彼女が気持ちを相談する相手が、更に高いレベルの天才である光太、というのも どうか。
 疑問が一杯なので、キスに繋げていく展開にも気持ちが入れられない。
ヘタすると、「秀才・凡人を踏みつけにして、天才同士が勝手に幸せになっている」とさえ思え、逆に反発を招きかねないだろう。
 うーん、せめて志麻の思い上がりが顕著だった時なら このエピソードはもっと意味を持ったろうが、今になって挟んでくる事には疑問が。

 初佳を「許したい」と思う やよい。
この辺りの心の動きも、もう一つ掴み辛い。
 やよいを傷つけた事件で、初佳が反省をしておらず(反省をしていたとしても)同じ事を繰り返してしまった、という事を考えるなら、「許さない」対応も友情かと思うが。

 クリスマスは「奇跡」が許されやすい時。
志麻と初佳、更には 光太とやよいの心が、痛みを伴う事件を経る事で逆に救われ、報われていく「奇跡」を描きたかったのかも知れないけど、余りにも練り込み不足な内容のため不達成。
 まだ全てに「結果」が出ておらず「過程」の段階なので、今後の展開によっては全てに納得がいく可能性もあるか。



 出版社に預けてあった漫画原稿が、会社倒産後、作者に無断で古書店に売り払われる事件が起きている

 もう、何というか、言葉に困るほど酷い話だ。
 もしか当該古書店で生原稿を購入した、という人が居るなら、作者自身か その先生が仕事をなさっている編集部に連絡をして、事後の相談をして欲しいと願う。
少なくとも、購入時の値段では引き取ってくれるはずだから。
 どうか、「漫画家を助けてやるんだ」と思って。

 一番悪いのはもちろん、原稿を売り払った犯人だが…
古書店の対応も、ちょっと、どうだろうか?
 事情が判明した以上、ある限りの原稿は、買い取り時の値段(プラス手数料があってもいい)で作者本人に、最優先で売り戻して上げるべきだろう。
 目先の得より、これで被る店としてのイメージダウンがもたらす損害を考えて欲しかったなあ。
 漫画家も読者も忘れないよ。
誠実さも、不実さも。
 せめて今からでも、尊敬に値する対応を願う。


2003年6月20日 金曜日

『エアマスター』12.「名のれ!ファミレスラーズ」

 面白い。
イロモノゲストっぽかった崎山香織がこんなにイイキャラになるとは。

 以前の3話かけて展開したキャラ総出演街中大バトル大会もそうだったけど、忠実すぎるほど忠実にセオリーが守られている作品。
強敵の登場があり危機があり、フラストレーションがありピンチがあり葛藤があって、タメにタメた所で、パワーを解放していくカタルシスを一気呵成に見せる。
 そのカタルシスが、通常なら数値「100」ぐらいで十分 客が満足してくれる所を、今回の香織による暴走マイクパフォーマンスのように「1000」ぐらいグイグイと押し込んでくるため、満足満腹を通り越して圧倒されてしまう。

 キャラクターは「異常」であり「異質」で「やりすぎ」、しかし客の心をガッチリつかむ抜群のバランス感覚とストーリーテリング能力により、内容に引き込まれて目が離せない。
 凄いや。



 ああ、ウチって感想サイトとしての傾向、「厳しい」ですか(杉の木工房 様・2003.6.17)。
 どちらかというと「うるさい」「ゴタクが長い」「見苦しい」辺りが妥当な評価かと考えますが、実際そう言われると落ち込むと思われますので(笑)、「厳しい」で結構です ありがとうございます。

 杉の木工房 様は、一言で表すなら「マイペース」という所でしょうか?



『成恵の世界』10.「コスプレ大作戦」

 成恵の意向を無視、デートでいきなりアニメショップに入り、コスプレ系イベントに参加する和人。
イタタタタタ!
深夜にこのアニメを見ている視聴者層にとっては、ヒトゴトではない程「痛」く感じられる行動ではなかったか。
 いや…最近はどうなのかな?
「アニメファン」というのは、「バイク乗り」「釣り大好き」、もっと近くは「アイドルの追っかけ」ぐらいには拡散浸透して、認知され許容された趣味となり得ているのであろうか。
 ワシが若い頃には…まあ年寄りの繰り言はイイや(笑)。

 コスプレのイベントに向けて、徹夜で懸命な裁縫作業を行う成恵と はじめ、丸尾 達。
お祭りを控えた高揚感、のようなものが上手く醸し出されていて、なかなかに楽しかった。
 疲れ切った状態で はじめが語る「疲労が頂点に達するとね、脳内の神経が刺激されて、本人も知らないパワーが覚醒するのよ!」というセリフ。
あー、分かる分かる。
 オレも仕事中、しんどくて眠いのが限界を迎えると、脳内にドーパミンだかエンドルフィンだかが分泌され、急に「楽」になって疲労感が吹き飛び、作業ペースが急上昇する場合がある。
ワーキング・ハイ、というか。
 ただ、そんな状態はせいぜい10分程度しか持続せず、その後には本物の疲労が津波のように襲いかかってきて まともに体も動かせなくなってしまうが。
 劇中でも、成恵を見送ったはじめと丸尾を脳内麻薬成分の分泌終了という事態が襲い、プツンと糸が切れたように白目をむいて倒れる描写があり、「あー、分かる分かる」と笑ってしまった。

 物語としては、「一生懸命にコスプレ衣装を作る」事と「イベントで大喝采を浴びる」事が上手く繋がっておらず、「頑張ったのだから報われるべき」という気持ちに視聴者をならせている事で酷く不自然とまでは感じさせないで済んでいるが…少なからず強引。
 原作2話分の内容を一本にまとめた事で、描ききれなかった部分が残ってしまったのか。
 原作では、「変身後の衣装でイベントに出たのは成恵(プラスはじめ)だけ」であり、「CDデビューを狙うだけの打算的な他参加者達の中で、客を全て和人に見立てて、楽しませるべく振る舞った」とする事で、審査員から評価された理由付けが成されていたのだが。



『妄想科学シリーズ・ワンダバスタイル』11.「遠い星から来たサチコ」

 地球外生命体に異様な執着を見せる花形は、てっきり「精神支配を受けている」ものと思われ、それをエスカレートさせた侵略物、あるいはもっとギャグ要素を強化した内容になると予想して見ていたが…
 感動物?
それは無理がありすぎるような…

 「月へ行く」事をシリーズの柱としてきたのに、さしたる盛り上がりもなく それを達成、後のフォローで何事かを見せてくれるのかと思えば今回は番外編的な内容(地球外生命体が物語を締めるキーになる?九十九がファースト・コンタクトを求めて宇宙に出て行くとか)。
 何がやりたいんだか よく分からないなあ。
キクのカウントダウンも何を示していたのか不明だし。
 次回、最終回なので、キレイにまとめるよりは、シリーズ開幕当初の弾けたノリを見せて終わってくれる事を期待。


2003年6月19日 木曜日

 悲惨な日程、とりあえず一段落。
久しぶりに、余りの眠気のため、一本の線を引き始めた時に眠り、引き終わる頃に目が覚める、という瞬間睡眠を体験。
 とりあえず まとめて寝てから、通常営業に戻して行きたいと思います。


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