ネタバレ映画感想 

遠慮無く内容に触れておりますので、ご自分の責任でお読み下さい。

『宇宙戦争』

 せっかくトム・クルーズを港湾の凄腕クレーン作業員にしたのだから、クライマックスではドコかのクレーンを操作して、トライポッドをコケさせるなど、設定を活かして欲しかった所。

 トライポッドの動力源って何だったんだろ?
ボディー下に吊り下げたカゴに人間を入れ、遠足の途中でおやつを食べるみたいに、お腹が空いたらポリポリ食べちゃってたみたいだけど。
 人間の血肉をエネルギーにしている?
 旧『宇宙戦争』では、宇宙人を「血液の組成が貧弱」だと言っていたから、そこから、地球上に適応した体を作るため人類を吸収消化、というイメージに持って行ったのかな?

 人体を必要としていたのは、宇宙人か、トライポッドか。
どちらにしても、せっかくこういう、原作には無い設定を作ったんだから、展開にも活かせば良かったのでは。
 原作での人類の勝因・ウィルスを、コンピューター・ウィルスに置き換えるアイディア…それが お馬鹿さんなモノであっても…を見せてくれた『インデペンデンス・デイ』に比べると、ただそのまま引き写した(しかもあまりドラマティックな時点での発病でもない)この映画は、いかにも弱い。
だから…

 宇宙人が倒れる理由をバクテリアのせいにせず、吸収した人体に含まれる有害物質に中毒を起こして、とするとか。
普通に人間が食べる食料に添加されている、保存料・着色料・農薬・放射能など酷い有害物質、コレが宇宙人を倒す。
 「地球人は狂っている。自ら緩やかに死のうとしているのか」
「コイツら食べたらオレ達まで死ぬ。この星に居ても意味がないから撤退しよう」
といった判断により、宇宙人が地上から消える、ってのはどうだろ。
 いや、浅い文明批判だってのは承知で(笑)。

 長男は、やっぱり殺しておくべきだったような。
あの状況下で生きていられるはずが無く。
 正直、「生きていて良かった」と思えるキャラクターでもないので、御都合主義的に、せっかくのハードなストーリーを弱くしてまで助ける理由は、別に無いだろうに。
 ファミリー向けムービーとして、後味を良くする効果はあったけど…

 同じ、「問答無用な人類の敵」「理解不能の恐るべき脅威」を相手にしながら、イケイケで攻め込みアッサリ逆転勝利を成してしまう『インデペンデンス・デイ』と、自分たちだけでは全く無力であり続けた『宇宙戦争』を、9.11以前・以降という目で読み解く事も出来ようけど、それはどなたかにお任せ。
 全力を傾け「娯楽作品」として作られた映画を相手に、そういう事は、あんまり考えたくなかったり。


追記・
 宇宙人が以前、地球にやって来た目的を、「(食料である?)人類の種を蒔くため」と仮定すると(今時その説は…と思うけど、まあまあ)、今回の来訪は「収穫」という事で、理屈に合う。
種まきと同時にトラクターも埋めてしまう行動が理屈に合うかどうかは、ともかく。
 それならやっぱり、地球の種は有毒な果実をつけた失敗作、という扱いにした方がスジ。

 …という考えに反するけど…
 この映画の宇宙人が余りにも理解に苦しむ生態をしているのは、「理解できない存在」である事その物が、「悪夢の象徴」であるために有効だから。
 これが、人間の理屈で割り切りやすい思考形態をしていると、「訳の分からない物に追われ、夢の中で もがく恐怖感」を弱くしてしまう。
実際、宇宙人が、人の血を吸ったりカゴに捕まえたりと分かり易い行動をする後半部、不条理な怖さはかなり薄れている。


『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』

 いやあ、面白い!
 多人数のキャラクター達が入り乱れていて、「指輪を始末して世界を救う」という最終的な目的は一つでも、その前に立ちはだかる試練の種類は個別に全然違う、ともすればゴチャゴチャして分かり辛くなりそうな内容を、キレイに整理して、どこで・誰が・何を・何のために行っているのか、この最終作まで来ても問題なく描き分けられている事に驚く。
 もっと単純で登場人数が少なくても、「コイツ誰?」とか「何してるの?」などと観客に思わせてしまっている映画、多いからね。

 デジタル技術を駆使して映像を作る事が さほど珍しくなくなり、ある程度 制作費が掛けられるなら、相当に迫力のあるシーンが「誰でも」映画に入れられるようになった。
 しかし同時に、それに振り回されてしまい、確かに画面は凄いんだけど、映画全体に及ぼす効果がよく分からない、「ただそんなシーンが作りたかったから作った」のではないかと思われる作品が、多く見られるようにもなってしまった。
 誰の・どんな感情が乗った・ストーリーの中でどういう意味のあるシーンなのか、それが描けてない限り、単に「凄いデジタル技術のデモ」にさえ なりかねない。
 『ロード・オブ〜』では、そこに大変な注意が払われていて、個別のバトルや大合戦それぞれについて、「確かにここには、これが必要だ」と思わせてくれる意味と意義が きちんと付加されている。

 見渡す限りの軍勢同士による戦いの迫力は、前作に引き続いて圧倒的。
 今後、安易にこれを真似する映画が現れてくると思うけど、死ぬほど頑張らないと「『ロード・オブ〜』には劣る」、という評価しか得られないだろう。
 CGによる恐竜を ただ出してみても、面白さで『ジュラシックパーク』には敵わないようなもの。

 ピーター・ジャクソン監督は、広い所と狭い所、高い物と低い物、光と闇、美と醜を対比させつつ描いていくのが巧いなあ。
 特に、グチャグチャ悪趣味ホラー映画の出身だけあって、汚さ・醜さを描く事には長けている。
必要だから無理して、じゃなく、そういうモノを出すのが楽しそうだよね( ^_^ )。
 『スター・ウォーズ』がエポックメイキングだったのは、出来たてのようにキレイな宇宙船ばかり飛んでいた映画宇宙に、薄汚れた、実在感のある船・人・ガジェットを存在せしめた事「にもある」と思う。
 ファンタジー世界も、「チリ一つ無い」状態では さすがにないものの、『ロード・オブ〜』ほどに汚・醜を、しかも楽しげに、説得力を持って描いては 来なかったんじゃないだろうか。
それがあるからこそ、相対する存在としての清浄さ気高さ、美しさが生きてくる訳で。
 デジタル全盛の「嘘」の画面中に生々しいリアリティーを与えたのは、監督の特異な感性だったのかも知れない。

 誉めてばかりもナニだから、どーでもいいような文句を。
 フロド、役に立たなすぎ(笑)。
ず〜っとアウアウ言ってるだけだもんね。
最期までサムに助けられっぱなしで、本当の主人公はサムなんじゃないの?と思ってしまう。
 いや、「指輪の恐ろしさ」が描けているので、「それに負けず旅を続けられた」というだけで、主人公にふさわしい壮絶な心の強さを発揮しているのだ、とは分かってるけど。

 ゴラム、可哀想だったなあ。
最期は、邪悪な心に打ち勝って欲しかった所。
 でも、「いとしいしと」と一緒になれて、幸せそうな顔してたからイイのか。
 抱きかかえて死なば諸共にするのではなく、マグマに沈む中から手を伸ばして一瞬でも長く指輪を守ろうとする辺り、自分の命よりも大事な物(人?)だったんだね。

 軍団戦の迫力は凄くてグッタリ疲れてしまうぐらいだったけども、前作の城攻めで一度見ている内容のグレードアップ版なので、初見の衝撃とは違う感想になってしまう。
 前作で戦いのスケールをもっと小さく…10分の1ぐらいの規模に留めておけば、今作の凄さが引き立っただろうけど、それじゃ前作の充実感が薄くなってしまうか。
「毎度サービスし過ぎ」って文句言うのも変な話。
 差別化を図るべく、今作では諸葛孔明のような軍師を出し、策を用いて戦いを展開していく…という手もあったろうけど、それじゃ原作と違ってしまうよね(笑)。

 サウロン。
 目玉だけなのに、指輪を捨てられた時に「うわーー何ちゅう事すんねんーー!」とビックリしていたのが分かる、その表現の巧さは凄いと思うけど、何だか間抜けで大笑いしてしまった。
 割と哀れなヤツだったな。

 文句(?)終わり。
 エルフ兄ちゃんの無敵な強さには、笑ってしまう。
巨大ゾウ相手の戦いぶりなんてもう、人間ワザじゃない(エルフだって)。
 彼と組み合わせ、反目しつつも友情を結んでいく事でドワーフ、そこから跳ね返ってまたエルフのキャラクターを、キャッチボールのようにして彫り込んでいく手腕が見事。
 娘を送り出す瞬間のエルフ王が「父親」として見せる、抜群の表情。
イイ顔するねえエージェント・スミス。
 キャラも世界も魅力的だったもので、この映画限りで別れるのは辛い(前史にあたる『ホビットの冒険』を映画化するかも、って話はあるが)。

 まだ、まだ、まだ、とエピローグが続くエンディング。
長い、苦しい旅が終わった事実を、じっくりと見る者の胸に染み込ませてくれる。
 頑張ったホビット達4人に(フロドだけじゃなく全員相手なのがイイねえ)、最大限の礼を持って臨む人々。
ドコの街に行っても歓迎とねぎらいの言葉をかけてくれた、『ドラゴンクエスト』のエンディングを思い出してしまった。
やはりこの作品は、ファンタジーの原典なんだなあ。
 フロドが旅立っていくラストシーンは、寂しくもあるけど、これでイイんだろう。きっと。

 面白かった。
 いい映画だった。
 見られて幸せだ。




『マトリックス レボリューションズ』

 とにかく、前半はダルい。
うだうだ〜と、分かったような分からないような禅問答を繰り広げてくれたりして、見ていると眠くなってしまう。
 冒頭のネオが捉えられている所なんて、あんなに長く必要なかったのでは?
トレインマンも要らない。

 『マトリックス』ってそもそも、「メチャメチャ格好いい映像を撮りたい!」というのが制作動機であり目的で、何故そんな格好いい行動が可能か、を説明する手段として「虚にして実、実にして虚」のマトリックス世界が設定されたのだと思う。
 それが いつの間にか、ちょっとテツガク的に思える(思ってもらえる)設定をいじる事に制作者が面白さを見出してしまったような。
 大半の客は、もっとスッキリ分かり易く、エンターテイメント性の高い、カタルシスに満ちた物語をこそ、期待していたんじゃないだろうか。
少なくても、オレは、そう。

 特殊な能力を持つ敵スーパー・エージェント「マトリックス四天王」を、ネオが次々に倒していく(『キル・ビル』だな)。
その過程で、元エージェントのスミスと奇妙な関係が生まれ、「勘違いするなネオ。助けた訳じゃない。お前を倒すのはこの私、スミス以外であってはならないという事だ!」みたいな日本人好みのセリフも入れながら(笑)。
 このぐらいの おバカさんなストーリーで、勝負は映像に賭ければ良かったんじゃないかなあ。
 それはそれで「頭がカラッポだ」とか非難されそうだけど、そういう お利口な人は他の映画を見てもらう事にして。

 客はどんな刺激にも、どんな新しい映像表現にもすぐ慣れて「当たり前」にしてしまう。
 今回 前半のモーフィアス、トリニティらによる激しい銃撃戦にしても、敵が重力の方向を自由に切り替えるなど工夫をしてあるのだが…基本的には「もう見たコレ」「前回のバンク?」と感じられてしまった。
 毎回、新しいシチュエイションでの新しい戦闘表現を考え、実現するのは なかなかに至難のワザだろうな、とは思うけど。

 でもまあ、後半のザイオン攻防戦は なかなか盛り上がり、面白かった。
力押しばっかりじゃなく、もうちょっと作戦なり考えてもイイんじゃないかと思いつつ、とにかく「過剰」な迫力があって。
 惜しいのは、この街に、守られるべき価値付けがきちんと出来ていない事。
記号として「人類最後の砦だから守られなければならない」という事になっているのは理解できるが、「こんなに魅力的な人達が居るから」「ここがやられたらネオが可哀想だから」などと思わせてくれる描写は、前作・今作と弱かったような。
 モーフィアスやナイオビ達が到着してからは、もうちょっと「価値」が付くんだけど、そこからは大した戦いが無いからなあ(ミフネは超人的に頑張ったけどね)。
 あと、モーフィアスとザイオン司令官の確執は どうなったの?

 対スミス戦も楽しい出来上がり。
「やりすぎ」の集大成。
 誰しも思う事だろう、そのまま『ドラゴンボール』実写版。
雨の水滴を弾きながらのバトルが美しい。『英雄 HERO』でも同様のシーンがあったな。

 この2大バトルを見るためだけでも、お金と暇があるなら映画館に足を運んでいいんじゃなかろうか。
 逆に言うと、ここいら以外の部分には、とにかく『マトリックス』という広げた大風呂敷を閉じようという意志を強く感じるだけなので、この作品の内容自体に深い思い入れがない人だとキツイかも。





 ネオが現実でまで力を使える事から、「現実」と見えた世界もまた、マトリックス仮想世界なんじゃないかと予想したんだけど、違ったか。

 ラストは「その者、青き衣をまといて金色の野に降り立つべし」みたいで、『ナウシカ』的。
 宗教的に見るなら、人々の「罪」を一身に受けて救世主・ネオが天に召された、という事になるかも知れない。
 しかし、結局スミスとの戦いに、ネオ自身の底力として勝利を収めていないので、何だか欲求不満。
せめて目の前のスミス一人にぐらい、単純に殴り勝って欲しかった。
 ギリギリで強敵・メタルクウラ量産型一体に勝利する『ドラゴンボール・激突!100億パワーの戦士たち』でも見習って。

 この3作目も、映像的に面白い所は多々あるんだけど…一本の映画と見て面白かったかというと、うーーん。
 3部作としての決着の付け方が釈然としないせいもあり、ストーリー的には「1作目で終わっていても良かった(同じ事だった)んじゃないか」、と思えてしまうのが残念。







『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』

 前作の「事件は会議室で起きてるんじゃない、現場で起こってるんだ!」は、比較的無理がない決めゼリフになっていたが、今作の「事件は会議室で起きてるのよ」「どうして現場に血が流れるんだ」などはCMで使う事を前提に考えられたのでは?と感じるほど、自然な流れからは浮いている。
 「現場に血が流れた」苦情を、ずっと地下室で過ごしてきた室井に言っても意味無いと思うが。
まあ、下々の意見を聞く気がまるで無い女管理官に言うのは、もっと無意味だろうけど。

 「湾岸署は血液を求めています」…も、必要かどうか分からないセリフ。
血液は別に不足していなかったよね。
 「吸血鬼」を誘い出すためのワナだったのか?とも考えられるけど、あの非常時に考える事ではないと思うし、警察署直前の献血車にわざわざ犯人が現れるなど、常識的にはあり得ない。

 女性管理官を無能に描きすぎたのも、気になる点。
 特に すみれが撃たれた所で、全員に引き上げを命じる意味が分からない。
パニックに陥ってもいたのだろうけど、せめて誰かに尾行させて良かったはず。
 また、女性連れで非常に目立つ2人組の行方が、その後 急に分からなくなるのも解せない。
無数の監視カメラ群は何をしていたのか?
 お台場に通じる全ての交通機関を封鎖する役割、後になるとかなりな責任を負わされそうな判断なので、室井に下させた方が良くなかっただろうか(そもそも、レインボーブリッジを封鎖するほどの大事件だったのかどうかも疑問だが)。
 彼女にももう少しドラマを与えてあげると厚みが出来たかなあ。
エリートであり続ける事を親から強制された鬱屈とか。
 余りそういう所に踏み込まないのが『踊る』の特色ではあるんだけど。

 5人の犯人達が、上が室井に代わった途端に捕まり始めるのも、うーん…
彼の下だと所轄がこんなに働きやすい、という事を端的に表して居るのだが、ちと極端すぎるような。
 うち3人が乗ったトラックを青島が走って追いかけるのも謎。
横にあった車を使えば良かったのに。
 確かに、ここから派手なカーチェイスに突入すると、かえってこの作品らしさは薄れるが。
 犯人達が わざわざ車を止めて話をしてくれるのにしても、「彼らの油断から出た行動」というより「シナリオとしてテーマを明確にするため会話が欲しかった」ための処置と見える。
 最期に特殊部隊が現れるのも唐突だけど…
普通にカタルシスのある逮捕劇からは ちょっと外すのがシリーズの持ち味だから、それは良いかな。

 署長のミニコント、前回の領収書処分は単純に笑えたが、「不倫」となると相手が居る事でもあり、引っかかる部分が出来てしまう。
もうちょっとバカバカしい行動で皆から呆れられた方が。
 また、領収書の件はストーリーに絡んでいたので生きていたけども、不倫捜査の進展を割とシリアスな場面中でも語っているため、緊迫感にブレーキがかかるマイナスの結果になっているのは残念。
 「行きなさい」「はい」は好きだけどね。

 ストーリーの大きな部分は散漫。
でも、細かな部分のコミカルな作りについては、特にファンなら非常に楽しめる。
 実際オレは、上記のような不満を感じつつも、ずっと映画が終わらなければ良いのに、と思うほどキャラクター達との再会を喜んでいた。
 余計な期待感が取れた所で、DVDなどで見返してみると、もっとスッキリ楽しめるんじゃないかという気もする。

 色々文句を言いながら、でも入場料分損をしたとは ちっとも思わない。
エンターテイメントとして、客を楽しませたい!という気持ちが伝わってくるから。
 大当たりしているようなので、再々度の続編が企画されるだろう。
2年後ぐらいを目処に、作ってくれると嬉しい。
 出来たら…物語にバラエティーを持たせられる、テレビシリーズの再開が一番嬉しいかな。


 戻る




『マトリックス リローデッド』

 いやあ、笑った笑った大笑い。
 1作目のアクションも、特にネオが超絶の能力に目覚めた瞬間からはギャグの域に入っていたが、今作はもう、最初っから お笑い。
 特に、CMでさんざん流されている、質より量で勝負の集団エージェント・スミス戦は爆笑の連続。
ネオの必殺技である、
「エージェント・スミス・ホームラン」(鉄の棒でエージェント・スミスをかっ飛ばし、戦闘場外まで飛ばす)
「エージェント・スミス・ストライク」(エージェント・スミスの一人を投げつけて、10数人のエージェント・スミスをなぎ倒す)
「エージェント・スミス・エスケープ」(面倒くさくなったため空を飛んで彼らから逃げる。最初からコレをやれよ!)
などが炸裂するから!(笑)

 アクションにかけたアイディアの量は尋常じゃない。
会議を繰り返し、出せるだけのアクションのネタを集め、見栄えの良いモノ、格好良いモノ、他では見た事がないモノを優先して採用していったのだろう。
それを入れる事で、ストーリーの流れが少々おかしくなる可能性があったとしても、「まあ細かい事は気にするな」という考えではなかったろうか。
 いや、それで良いんだよね。
客は見栄えのする、スカッとする「絵」を見たいのであって、お話は二の次。

 が…それにしては分かり辛いセリフやキャラクター、展開も多く見受けられ、そこは大きくマイナス点。
 SFを読み慣れていれば さほど難しい内容ではないと思うけど…一般客層には理解してもらえたのだろうか?
 「ネオを排除する」目的が暴走してしまうエージェント・スミスは分かる。
でも、酒好きで女好きのプログラム、なんてのが出てくると、どう捉えれば良いのか混乱してしまう。
設定は分かったけど、実感的には分からない感じ。

 ラスト近くの、多分に観念的でワザと分かり辛くしているのではないかとさえ思える会話など、押井 守から悪い影響を受けてしまったよう。
 サバトのような祭りを行い、内部に反ネブカドネザル勢力を抱えたザイオンには「守るべき価値」を感じられなかった。
そこでのシーンが全体に退屈だった事もあり、早く全滅すればいいのになあ、とさえ。

 1作目で余りにも強い印象を残すアクションを見せてしまった事が、逆にネックになっているかと思える所も。
 人間の周りをカメラがぐる〜りと回り込む「マシンガン撮影」は、その独特さ故にオリジナル公開後 あちこちで真似され、パロディーにされ続けてきた事もあり、正当な続編でパワーアップした画面を見せられても反射的につい笑ってしまうので、純粋な迫力を減している(高速道路のクライマックスなんか大笑いした)。

 結局、ザイオンが存在する「現実」と思われた世界もまた、「マトリックス」の内なのだろうか?
その辺は「謎」として、完結編まで引くのかな。

 正味の話、ストーリーとしては「早く完結編を見たい!」とまで思わないんだけど、製作者は3作目のクライマックス・アクションにこそ大きな自信を持っているようなので、それはやっぱり大スクリーンで見ておきたいなあ、と思う。


 戻る

『X-MEN2』

 ガンダルフことイアン・マッケランが扮するマグニートーが格好イイ。
磁力を操る能力を使い、厳重な監禁場所から脱走するアイディアと画面作りの面白さ、居並ぶ特殊部隊を倒すのに、胸に付けた手榴弾の安全ピンを磁力で抜いて自爆させる悪辣さ。
 そういう最大の強敵と、共通するミュータントの敵に対しては共闘する興奮。

 しかし、X-MENの「ピカード」ことエグゼビア教授。
機械設備の助けを借りて、とはいえ、発揮する、
「気に入らないヤツら皆殺し能力」は凶悪すぎ(笑)。
 早めに処分しておいた方が、人類・ミュータント双方のためでは。
 ミュータントへのロックオンは「数が多すぎる」と時間がかかったのに、人類は意外に短時間に標的に出来てしまうのが不思議。この世界では、既に人間よりミュータントの方が多数派?

 エグゼビア・スクールへの強襲と崩壊は、「もう帰れない平和な日々」を思わせて、衝撃的でありエキサイティングだった。
 が…映画ラストでは
学校に帰っている?その存在は政府の知る所となったのでは?さすがに何事もなかったかのように そこでは暮らせないと思うが…教授が「関係者全員の記憶と記録を消した」のかな?。

 「ジーンの死」は…さっきまで普通に飛んでた飛行機がイキナリ故障するのはヘンだし、何も機から降りずに力を使っても良かった気がするし、ストームの力で機体を持ち上げてもアイスマンが押し寄せる水を凍らせても助かったように思うが、意図が分かるのと こういうパターンとしては納得できる方である事と、醒めて言うとシリーズが続くなら再登場するに決まってる事とで、まあイイか という気分に。

 同じ制作陣で作られる限り、3作目の完成度も期待できそう。
…だけど、ブライアン・シンガー監督はボチボチ降りそうな気がするなあ。


 戻る

最新のときどき日記へ

ときどき日記・目次へ