2003年7月30日 水曜日 |
『スクラップド・プリンセス』16.「川のほとりの二重唱」
窓の外には川が流れていて、風呂屋に行くと、一緒に出ようねって言ったのにいつもパシフィカが待たされたりする「神田川」生活が、記憶喪失によってもたらされた。
思えば、中世的ファンタジー世界かと見えながら、実は遙かな未来であるこの作品世界で、ネタに使われるのが中途半端に古い「神田川」であるのが何とも。
三十以上でなければ この歌を知らないんじゃないかなあ。なつメロとしてはともかく、リアルタイムでは。
『おねがい☆ツインズ』03.「他人かもしれない」
樺恋の家庭事情の紹介が、電話、しかもそれを受けた麻郁の語りのみで済まされてしまった。
養父の存在も、今まで過ごした家や学校の様子も全く「絵」としては示されず。
これは…意図的なモノなのだろうか。
必ずしも全てが真実ではない、とか?
思えば3人とも、今の家に来る前までの人生は あやふやなままのような。
以前の人生は何者かに捏造された記憶であるとか、現在の生活そのものがバーチャルなシミュレーター(マトリックスみたいに)による「ウソ」であるとか。
んー…でも、「萌え」アニメとしては、そういう謎解きはマイナスにこそなれプラス方向に働かせるのは至難のワザだから、やらないかな。
現在暮らしている場所、そこだけが物語の舞台であって、それ以外の空間は単に「情報」としてしか存在しない、だから気にしないで、という事かも。
『少女革命ウテナ』では、学園世界を文字通り「舞台」として扱っており、それ以外の場所を存在させない、極端な絞り込みを見せていたなあ。
とりあえずコレで、会社社長の娘として裕福な家庭で恐らくは過保護に過ごしてきたという、樺恋の設定紹介はお終い。
親代わりのオジサンが会社倒産の憂き目を見た事で樺恋の「帰るべき本来の場所」を封じ、しかも負債を抱えて逃走するためか今後は彼女との連絡は取れない、という事で男と一緒に生活する事への、年長者としての常識的な関与(妨害)の可能性を消し去る。
実に効率的で、巧い( ^_^ )。
正直、こういう「居心地の良い妄想系物語」では、「親」の存在って邪魔なだけだからね。
『タッチ』では親が来ない子供部屋を庭に設け、『天地無用』では父親不在であったり
居ても「常識を語る存在」ではなかったりする。
『ダ・カーポ』にも『グリーングリーン』にも親は出てこないし。
「今日、両親が留守なの」という言葉から、ちょっと えっちな物語は始まったりするよね。
樺恋が麻郁の膝に顔を伏せてる事であらぬ誤解を招くシーン、「狙ってるな〜」と笑われる事さえも客への「サービス」と計算する
あざとさと したたかさが見え、愉快。
次回は深衣奈の設定紹介かな?
『WOLF'S RAIN』26.「月光炉」
このアニメについては、実は途中で物語に対する興味を失ってしまい、以降は余り真面目に見ていない。
「楽園」を目指す狼達への理解とか、提示された世界に対する自分の納得度合いが
どうにも低く、結局 狼は人間の姿に「見えていただけ」なのか「本当に姿を変えていた」のかさえ分からない始末(場面場面によって違った?)。
アクションの出来には はっとさせられる所が多かったし、最後まで崩れない作画も
昨今の製作事情からすると驚異的ではあるが、個人的にそれ以上のものではなかった。
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2003年7月29日 火曜日 |
『D.C.〜ダ・カーポ〜』04.「桜の下のカナリア」
「学園のアイドル」という絶滅危惧種のような( ^_^ )女の子が、今回メインで描かれた。
ただ、圧倒的に可愛い外見をしている訳ではないので、これでアイドルなら主人公の義妹もツインテールの幼なじみも十二分に「アイドル」たり得るような。
…と思うけども、実際には「圧倒的に可愛い女の子」と「割と可愛い女の子」を絵的に描き分けられる作家なんて世の中に
そうは居ない。
「割と」の方が実質上のヒロインである以上、そちらの見た目を落として差別化を図る訳にも行かないし。
「アイドル」の設定上の魅力は、「気配りの細やかさ」に置いているらしい。
それを支えるのが、彼女が持つテレパシー能力。
…心が読めるからといって、その要望に応える(応えられる)とは限らないが。
実際に声に出して、アレしてくれコレしてくれと言われても、「うっさいなあ」と応えたりするのが
この年代の女の子で。
そういう、相手を気遣う優しさが、彼女を「アイドル」たらしめているのかな。
だったらテレパシー能力など持たなくても、元々男共からは人気を得る事が出来る女の子だったのだろう。
関係ないけどアレだよね、時折 女性達から「あんな女のドコがイイの?」と酷評される女性で、でも男達には人気があり、「男って表面だけしか見てないよね、あの女の腹黒さとか知らないのよ、バカだから」と評されるケースがある。
でも、そう言われる女性は、確かに男から人気を取れるだけの行動をしている事が多い。
「宿題忘れたから見せてくれない?」という男の懇願に、普通の女の子は「嫌、自分でやってこないのが悪いんでしょ」と素直に答えたりするが、人気を取れる子は「仕方ないなあ、自分でやらないとダメだよ」などと言いながら笑顔で見せてくれたりする。
この場合、どちらが「バカな男」から好かれるかというと、当然ながら後者。
前者の素直さを「美徳」として受け止められるのは、相当 後になってからの事。
例え その優しげな子が、影では男達をあざ笑って舌を出していたとしても、見えない限り、無いのと同じ。
いや、実は男は意外とバカでもなくて、表面だけ取り繕ってる女の子は、「取り繕ってるな」と分かってたりするんだよね。
でも、「取り繕い」でも何でも、滅多に拒絶の反応を示さない子の方が、ガラスのアイデンティティーを持つ男達にとって話しかけやすく、お願いしやすく、またそのお返しという事で向こうからの頼みも引き受けやすい。
結果、コミュニケーションが密になり、「恋」「愛」まではともかく、相手に「好意」までは持ちやすくなる。
そうしてその子は、人気のある存在になっていく訳だ。
その「好意」「人気」が、必ずしも「彼女にしたい」「結婚して欲しい」という気持ちに繋がるとは限らないけども。
…えーと、本当に関係ない話だなあ(笑)。
戻して。
心を読める事が負担になり苦しんでいる女の子を描くなら、単純には えっちな妄想や悪意、どうしようもない悲しみや憎しみまで感じ取ってしまう事での辛さが分かり易いと思うが、それはちょっとシンドイ所に踏み込む事になるのでスルーしたいのかな。
気遣いを期待される事への疲れ、であれば、主人公も彼女を気遣いの人であるという認識は持っていた訳で、他者との差別化が弱い。
彼女の抱える苦しみが「そんなもんかな」程度にしか伝わってこないのが一番のネック。
ただでさせ要らないプロモーション・ビデオに邪魔されて放送時間が短いんだから、冒頭、桜の下でハミングするシーンを削ってでも、苦悩を描くべきだったかと。
いやまあ、あれはあれで綺麗なイメージにはなっており、意味無しとはしないが。
今回の女の子。
もうちょっと時間をかけて描けば、ずっと魅力あるキャラクターに出来たと思う。
前回のアンドロイドもそうだけど、駆け足で扱いすぎ。
個別の魅力は出し切れず、かといって彼女達との出会いを通じメインヒロインである義妹・幼なじみの個性を彫り込む役にも立っていない(ほとんど会話さえしない)ため、本当に「ゲームに出ていたキャラだから、出しました」という風に見えてしまう。
しばらくはこの「取りあえず紹介」パターンが続くのかな。
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2003年7月27日 日曜日 |
『機動戦士ガンダムSEED』42.「ラクス出撃」
砂漠の虎・バルトフェルドの生存がはっきりした。
…どうやって助かったの?
キラの時と同じく、「緊急シャッター」とかいう物が守ってくれた訳だろうか。
この分だと、ニコルもトールも実は生きてるんじゃないか。
もちろん、フレイ父もハルバートン提督もカガリ父もラクス父も存命。
西川声のミゲル・アイマンまで もしかしたら。
…と思わせるのは拙いんだけどね。
死が軽くなってしまうと、戦いの緊張感が無くなってしまうから。
ファーストシリーズで、「実はマチルダは生きていた」「ランバ・ラルが生き延びており、ハモンの喪失を『まあ、戦争だから』という程度で納得してホワイトベースの仲間に」という安い展開を迎えていたら、あれ程の名作たり得ていたかどうか。
『聖闘士星矢』みたく、死ぬ事が毎度お馴染みのイベントになって良いのかね。
その辺を除けば、今回の中身はそれなり。
アスラン父が戦争の狂気に取り憑かれており、実の息子でさえその犠牲にする事をためらわない辺り、カガリ父との落差が大きくて結構。
「救えねえ」という事で、死亡フラグが立った感じかな。
配下の兵達に、しれっ とアスランの救出という難事を押し付けるラクスの女王様ぶりも愉快。
罪のない笑顔で、兵達を死に追いやる言葉を口に出来るタイプだな(笑)。
自分の通信でザフト兵をどうにか出来る(戦意を削げる)と考えるオレ様ぶりも凄い。
無理難題に一瞬困惑した表情を見せるラクス部下、通信に気持ちを動かされるものの上官の言葉に正気を取り戻すザフト兵など、「ラクスって無茶」を表すリアクションが取れているのには感心。
ザフトからの追撃部隊が出てくる事は分かり切っていた訳で、ただ単に力ずくでの敵中突破はあり得ず、もしか虎が見事な奇策を用いたりしたら見直さなきゃならないけど どうしよう、と思ったがそれは全くの杞憂。
やっぱり何も考えていなかった( ^_^ )。
地上戦時との整合性が取れている…とはいえ そもそも、こんな無能者を艦長に据える意味はあるのか?
すっかりラクスとツーショットを決めるキラ。
それは、せめて見えない所でやったらどうか?
見せつけられるアスランの気持ちとか、考えてやれよ。
これもまた、「キラ・ラクスの2人は驚くほど無神経」というキャラ設定(?)に沿った行動ではあるんだけど。
何か企む表情を見せるフレイが、今後一番 期待できる要素かな。
暗躍するクルーゼの背後を突いて、泣きベソかかせてやって欲しい。
関係ないけど連合のモビルスーツ。
そのOSは、恐らくはキラが組んだモノを元にしてるんだよね(オーブでさえ手こずったOS開発が、連合に短期間で出来るとは思えない)。
だったら、こんな事もあろうかと(笑)OS中に、機能を無効化する隠しプログラムを仕込んでおいた、という事で、最終決戦を比較的簡単に済ます事も。
そのパスワードが「健康と美容のために、食後に一杯の紅茶」とかね(『銀英伝』ネタ)。
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2003年7月26日 土曜日 |
映画『踊る大捜査線 THE MOVIE2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』を見る。
言わずと知れた、人気テレビドラマシリーズの映画化第2作。
順当に面白かった。
個性豊かなキャラクター達ともう一度再会したい!というファンの気持ちには十分応えられる内容。
笑いあり、泣かせあり、迫力のあるシーンもありで、シリーズを気に入っていた人なら劇場で見ても損はないと思う。
…と、釈然としない誉め方をしてしまうのは、「想像を上回る面白さ」が見られなかったから。
テレビシリーズは勿論面白かった。
劇場1作目も、伏線の引き方、ドラマの集約させ方などで、巧いっ!と感心させてくれた。
そういうストーリー・テリング部分が今回ちょっと弱くて、複数の事件が重なるんだけど、コレもコレも要らない、前作のように全てを上手く絡み合わせる事が出来ないのなら、大きな事件だけに絞った方が良かったんじゃないか、と思ってしまう。
以下は内容に触れるので、こちらに移行。
『住めば都のコスモス荘・すっとこ大戦ドッコイダー』03.「ドッコイダーVSエーデルワイスでドッコイ」
うわー、あざとい。
なんじゃこのエーデルワイスのキャラクターは!
傲慢で不遜だけども、持って生まれた力故に孤独な幼少時代を過ごした事が深いトラウマを刻んでおり、他者に容易に甘えられないが、まだ子供であり誰かに頼りたい気持ちは強く持っている。
内面だけでなく外見的にも、ちょっと『コメットさん』のメテオを思い起こさせるな。
というか、かなりそのまま。時代的にどちらが先なのか知らないが。
これでは、放送終了後 満たされぬ思いを抱いて彷徨っていたメテオファンとか、単にヒネくれた女の子好きな人間は、うっかりと心を捕らわれてしまいかねない。
ごめん、それオレ(笑)。
ああ、いいねえ。
リンゴの皮をむけない不器用さがイイし、そのリンゴを小道具としてドッコイダーの勘違いに繋げていくのも、笑えるギャグにはなってないが構成として有効。
ラストでリンゴをむき、もう一度指を切ってしまうエーデルワイスに、バンドエイドを貼り付けて上げる主人公。
自分の、恐ろしい力を秘めた「血」に臆さず(知らないから、でもあるが)、優しく接してくれる彼の前で、傍目も気にせず大泣きする彼女には「やられる」。
キャラ的には、マッドサイエンティストのジジイをサポートする おっとりしたメガネの孫娘…実体は夢も希望もない姿をしたロボット…も
かなり良い感じだけど、エーデルワイスには敵わない。
うーん、作りが上手いなあ。
見習いたい。
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2003年7月25日 金曜日 |
『宇宙のステルヴィア』17.「たたかい」
プログラムの軽量化とオプション追加によって機動力を増したインフィーに乗り、敵を一機撃墜する志麻・光太。
思わず「やったぁ!」と声を上げて喜ぶ2人…
通常、「主人公達が戦う勇気を見せた」という事で称賛に値する行為なのだろうが、このアニメに限っては、「ああ、やっちゃった」という相反した気持ちも生じてしまう。
どうやら相手は無人機か、個性を持たない機械生命体の末端機体なのではないかと予想するけど、それは視聴者の視点であって、戦いに臨む彼女達はそんな事を推測している様子が無く、つまりは「もしパイロットが乗っているなら、殺してしまった」状態を「やったぁ!」と喜んだ事になるから。
「戦士」としての成長は、このアニメに限っては「嬉しさ」にストレートに繋がっていかない。
そこがこの作品の特異なポイント。
他者を傷つけた自責の念で鬱々とした精神状態に沈む初佳を、もう一度 仲間の所へと返し、志麻達とも対等な位置に立たせてくれた契機が「死を賭けた戦い」だったのも、皮肉な所。
その戦いそのものは、前回の流れから予測したような壮絶な復讐戦まで行かず、エイリアンが
捉えていたウルティマの乗員達に脱出を促すという、お馴染み拍子抜け・肩すかし展開で終わる。
前回が無くて、イキナリこれだったなら、エイリアンとも簡単に友好が結べそうなんだけどなあ。
せめて、以前の戦いで出たのが今回冒頭の負傷者だけなら…
けが人は、いつか自分を傷つけた相手を許せる事もあるかも知れないが、死者は…その死を悼む周囲の人間が
許せない・死者のためにも許してはいけない精神状態になってしまうから、スッパリと割り切った解決が難しくなってしまう。
視聴者の立場からしても、「同胞を殺した奴等と簡単に仲良くなるなよ」という気持ちで見てしまうし。
今後、どうなっていくのかな?
次回は予告で見る限り、ちょっと緊張が緩んだ話になりそうだけど。
インフィーのパイロットを未だに志麻達が務めているのは、その機体が持つ潜在戦闘能力が大きすぎるため、彼女らに代わるパイロットによる実験飛行や模擬訓練が公(おおやけ)になった場合、他のファウンデーションに要らぬ疑惑を植え付けてしまいかねないから、かな。
例え放射能の心配が無くても、核実験を行えば その国は非難を受けるように。
実際、運搬途中のインフィーを他ファウンデーションの生徒が、恐る恐る、といった様子で偵察に来た場面があった。
新規パイロット候補でも、シミュレーターで訓練飛行をして経験を積む事は出来そうなモノだけど、やっぱり「実戦経験者優遇」なのかね。
ウルティマを拿捕して異空間へと消えた半透明巨大物体は…『宇宙大怪獣ドゴラ』?(笑)
ついでに、『宇宙大怪獣ドゴラ』。
衛星で放送していたので この前 初めて見た。
ダイヤ強奪事件の犯人を追う展開や、謎の外国人の人を食ったようなキャラクターなどなど、意外に見応えがあって面白かったけど…最大の問題は、
この物語に怪獣が出てくる意味が、ほぼ無い
という事。
怪獣無し、全ての事件を人間が起こした事にしてハード気味に話を締めれば、十分
大人の鑑賞に耐えるモノになったと思う。
ドゴラに「怪獣」としての魅力が大きく不足している事もあって、余計「要らないなあ」と思わされてしまった。
特撮そのものは、現在の肥えた目で見ても「コレはどうやって撮ったんだ?」と感心するレベルの物があり、良い出来なんだけどね。
見終わってみると、今日 余り語られる事のない映画になっている事が納得できてしまう。
惜しいなあ。
映画『ターミネーター3』を見る。
監督はジェイムズ・キャメロンから代わって、後半 息切れするものの中盤までの緊張感は素晴らしい『ブレーキ・ダウン』、イマイチ食い足りないが
つまらない訳ではなかった『U-571』のジョナサン・モストウ。
うーん、うーん、そうだなあ、これが
『地獄の女バトル・ターミネーター』
とかいう後追いイタダキ映画だったら、文句なく絶賛して良いぐらいの出来だと思う。
でも、個人的に非常に高く評価している『ターミネーター』本家シリーズの最新作としては、あんまり誉める気になれない。
映画1作目では、予算含む非常に厳しい製作状況の中で、「驚異の能力を持つ殺人アンドロイドがひたすら追いかけてくる」恐ろしさを、感心するほど効率的な表現で描ききった。
2作目では、「その恐怖のアンドロイドが、今度は頼もしい味方になる」という大きな仕掛けを軸に、CG技術の進化によって表現が可能になった液体金属製の敵と、その能力を最大限に生かしたバトルを繰り広げ、全編に数多くの見せ場を設ける事に成功。
連なる3作目なのだから、どれほどの物を見せてくれるのか、という期待が、客には当然ある。
それに応えられる内容だったか…というと、正直、疑問。
同じ、だろう。前2作と。
ターミネーターが現れた理由も、追跡方法も、アクションも、戦いの結末も、既に見たようなモノばかりで、どうにもワクワクさせてくれない。
敵の女ターミネーターが余り恐ろしく見えないのもネック。
前作のT-1000の方が、よっぽど強く、嫌らしく感じられた。
「新型はこれぐらい強い」という設定などいくら作っても無駄で(内蔵武器が10億ある、というのなんか設定倒れの典型)、それを活かすストーリーやアクション演出の方が重要。
物語運びもB級色が強くなったような。
冒頭の少々都合が良すぎる出会いや、警戒厳重なはずの施設にアッサリと入場できてしまう所など、「まあ細かい事は気にするな」というB級テイストが全開。
キャラクターの心の整理も上手く付けられていない。
唯一、ジョン・コナーはもしかして、人類が絶滅に瀕する世界の到来を待ち望んでいたのではないか?と想像させる辺りは
興味深いが…
1時間40分という、今時この手の映画としては短い上映時間がネックだったのかも(『2』は2時間25分)
シュワルツェネッガーが出てさえいれば『ターミネーター』、という部分は確かにある。
しかしそれ以上に、ジェイムズ・キャメロンが撮るからこそ『ターミネーター』だったんだなあ。
彼がもし、『3』も監督していたら、どういう内容になっていただろう。
まあ、何らかの監督できない要因があったからこそ参加していない訳で(それは「もう面白い内容には出来ないから」かも知れず)、「もし」を問うのは無意味か。
大ヒットしたシリーズの新作を、受け継いで新たな監督が撮ったのだから、プレッシャーは想像以上にキツかったと思う。
「それにしては頑張った」と言える内容では、ある。
『ターミネーター』に求められる要素には、全て応えているのだし。
アクションの一部、特にカーチェイスシーンは非常に面白かった。
とにかく派手に道路際を壊しまくる所とか( ^_^ )。
年齢に構わず頑張るアーノルド・シュワルツェネッガーの勇姿も、嬉しい。
見る前には危惧していた、新しいジョン・コナーの俳優だが、見ているうちに
さほど気にならなくなった。
この映画では特に、ジョンが「いいトコ無し」なので、情けない風貌が役に合ってるとも考えられる訳で(笑)。
ラストは…賛否両論かな(最低あと2作は撮るって?)。
個人的には、これ以上続けると『猿の惑星』みたいにショボくなって行きそうなため、そろそろ終わりにして良いのでは…と思うが。
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2003年7月23日 水曜日 |
『エアマスター』17.「集え!ストリートファイターズ」
北枝金次郎に恋する男、長戸の狂いッぷりが強烈で、悪い夢に見そう(笑)。
強い男(女も)に異常性を付加するのは『北斗の拳』『グラップラー刃牙』などで よく見られる手法だが、この作品での異常さは飛び抜けていて、ひたすら圧倒される。
「キャラが立ってる」とかいう生易しい次元の話じゃない。
エアマスターの無敵さも見応えあったんだけど、今回はもう、長戸に尽きてしまう。
エンディングのラストカットまで独占する暴走ぶりだったし( ^_^ )。
凄い。
『スクラップド・プリンセス』15.「力と謀略の歌劇」
ドラグーン形態になったシャノンと、神罰執行形態を取るシーズの戦いは、怪獣映画のようで非常な迫力があった。
作画枚数も掛けていたようだし。力が入ってるなあ。
物語は、このまま一気呵成にクライマックスまで流れ込むものと思っていたが、一度パーティーはバラバラになってしまうらしい。
パシフィカなんか、この期に及んで のんきな事に(笑)記憶喪失だもんね。
せっかくパシフィカが王都に入ったのだから、過去のしがらみを見せ、王宮のドラマにも関与させる事で、クライマックスまで
もうちょっと引っ張るのかな。
『おねがい☆ツインズ』02.「肉親かもしれない」
「樺恋のお兄ちゃんか、もしくは弟の人」というセリフが何とも( ^_^ )。
すぐ失神してしまうなど、弱々しい女の子のようだから、自分を保護してくれる存在として「兄」を求めるように思うが。
ああ、でも被保護者(弟)を得る事によって、自ら強くなろうとする心の表れもあり得るか。
というか、まだイメージを限定したくないシナリオのバランスなんだろうな。
双子なら、生まれた時間差は僅かしかないのだから兄でも弟でも関係ない、とも言えるし。
どうも、「かれん」という言葉の響きと肉親関係から、『シスタープリンセス』の「可憐」を連想してしまって(笑)。
少女2人の学校はどうなってるのか?とか、関係者に現状の連絡はしないのか?という疑問、そこいらを含めて
まず3人とも持っている情報の交換を徹底して行うのが常識的行動、という気はする。
が、まあ、第2話時点で全てを説明しようとするとゴチャゴチャして分かり辛くなってしまう恐れがあり、まずはキャラを見せていこうとする姿勢もまた、正解だと思う。
ただ、心情的な絡みがまだ十分でない段階で「一家離散」イベントを起こされても、一緒に居るべき理由が、未だ言葉だけの「血がつながってるかも知れないから」だけでは弱すぎる…
と思ったけども、ああ、そうかあ、「主人公が、彼女達の作ったお弁当を食べる」事を「つながり」にしたのか。
上手いねえ。
『千と千尋』で、両親は食べ物の盗み食いをする事でブタになり、消えかけた千尋はハクが差し出した赤い実を食べる事で、その世界の理(ことわり)を体に入れ、初めてそこに在る事を許される。
「食べる」事は、「その食に代表される対象を受け容れる」事。
主人公・麻郁は、彼女達が作った、しかも嫌いなカボチャが使われている お弁当を「食べる」ことにより、彼女達の存在を「受け容れた」訳だ。
前の晩に深衣奈が作った夕食を意地でも口にしない麻郁を見せておけば、より
ここでの変化が分かり易くなったと思うが…まあ、些細な事かな。
『LAST EXILE』16.「Breakthrough」
掲示板で説明を頂き(ありがとうございます)、マトモに見られなかった分のストーリーを埋める事は出来たのだが、さすがに細かなニュアンスまでは無理で、そのためか上手くドラマを繋げて認識できない。
王都があんなに簡単に陥落して良いのだろうか?
皇帝も、さしたるドラマ無しに死んでしまったようだし。
特に不満に思ったのは副長・ソフィアで、この一話の内に、皇女であると乗員に知らせて艦を離れ、王都に戻り父親に進言するが聞き入れられず、それどころかその刺客に殺されかけ、最期の姿を見る事すらなく父の死を迎え、城を脱出して次期皇帝になる運命を知る。
…あらすじを聞かされているような。
怒濤の展開、といえば確かにそうなんだけど、もうちょっと各部肉付けをしても良かったのではないかと。
シリーズ前半を短めにまとめて、この辺りに時間を掛けるべきだったんじゃないかな、と今更だけど思う。
別に前半がつまらなかった訳じゃないので、難しい所だけど。
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2003年7月21日 月曜日 |
『D.C.〜ダ・カーポ〜』03.「バナナっなんですねぇ〜」
恋愛シミュレーションゲームにおいて、ロボット少女キャラクターが登場するのは、『ToHeart』マルチという偉大なる先達もおり、さほど珍しい事ではなくなったと思うが…
それにしても、普通に人間として出ていたキャラクターについて、「猫を助けようとして木から落ち」「意識不明状態に陥り」「たまたまその姿に似せて開発中だったロボットを代わりに学校へ行かせる」という、何というか力業の二乗、三乗を見せられると、ビックリするやら呆れるやら。
もう、笑ってしまう( ^_^ )。
いくら何でも…彼女の親がロボット工学の権威(ゼンマイ動力なんか使ってるのを見ると、マッドサイエンティスト?)である事をこれ以前に見せてくれるとかして、少しだけでも心の準備をさせて欲しかった所。
これじゃ、「そんなアホな〜」としかリアクションの取りようがない。
…まあ、登場ロボットはこの作品において、マルチほど大きな意味を持つキャラにならないのだろうし、扱いは軽くして、「バカバカしさに笑ってしまう」反応を視聴者に起こされても構わないつもりで描いているのだろうが。
「ドコでも鍋をつついている姉妹」と同じリアリティー・レベルかな。
この子を「攻略」する場合、最後はどうなる?
ロボット少女をロボットのままで受け容れて愛を育んでいく事になるのか、ロボットに蓄積された主人公との記憶を
意識不明から覚めた人間少女に移植し、両方を兼ねた存在となる彼女を選ぶ事に?
人間少女の命の灯が消え、ギリギリで救い出したその記憶をロボットの方に入力し、より人間に近くなったロボット少女とくっついて終わる手もあるか。
『仮面ライダー555』25.
シリーズも折り返し地点に到達したためか、一気にストーリーが動き出す、見応えのある話になっていた。
あー、あの地中学校はスマート・ブレイン社の地下にあったんだー。
駅から、きまぐれに見知らぬ道を歩いてる内によく知っている大通りに出たような、頭の中で整理が付いた感じ(
^_^ )。
それにしても、弱いなラッキー・クローバー。
オルフェノクって、見た目ほど強くないのかね?
変わった武器を使う新人プロレスラー程度?いや、もうちょっと弱いかも。
普通人でも、その恐ろしげな外見に気圧されず、武器を押さえ込んでから3、4人でタコ殴りにすれば、十分勝てそう(笑)。
地下で新しいベルトを作り出そうとしている元社長。
その実験のため、教室に迷い込んできたまま長い間放置されてきた色々な意味で可哀想な工事の人達を犠牲にするとは。
救われない魂をしている、という事か。
『明日のナージャ』24.「オーレ!太陽の闘牛士とフラメンコ」
アニメで、しかも枚数制限がキツイと聞く東映動画の作品で、フラメンコに魂を込めていく話を、踊りに説得力を持たせて描くとは思わなかった。
もちろん音楽にも、ストーリー自体の盛り上がりにも助けられてはいたが、踊りの動きだけでも何かを感じ取らせる執念の作画には心を動かされる。
『プリンセスチュチュ』ではバレエの魂を力強く描き、「あんな物ナニが面白いんだか」という(オレだけの?)偏見を打ち砕いてくれたが、『ナージャ』のこの一本も、フラメンコの激しさ・凄み・パワー・情熱を伝えるに十分な物だったと思う。
シリーズ開始当初の、足元さえおぼつかない踊り方とは段違い( ^_^ )。
これなら、物語中で「見せて、お金を取る踊り」とされていても納得できる。
アニメは、動いてナンボ、を実感させてくれる、価値ある話だった。
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2003年7月20日 日曜日 |
『機動戦士ガンダムSEED』41.「ゆれる世界」
アスランが自軍を捨てようかと迷う理由付けが弱いような。
ラクスの行動と言葉、父親の態度、キラとカガリへの気持ち、親友を殺した…と一度は思い込まされる行動に到った戦争の狂気、などから、厭戦の気分になる事は理解できるが、だからといってアークエンジェル&残存オーブ軍に所属できるものか?
フラガの「軍人が自軍を抜けるってのは、君が思ってるよりずっと大変な事なんだよ」という言葉で表したように、そんなに単純に割り切れるものでは無いと思う。
んー…「キラへの強い愛が理性を超えさせた」と考えればようやく納得できるんだけど、そんな理解で良いのかな。
次回、オヤジと対面する事で、更に問題が深化していくのだろう。
ナタルは、アークエンジェル級戦艦にキチガイガンダム乗り三人組を乗せて、元同僚達を追跡する任務に就くのだろうか。
うん、これは、追うモノ、追われるモノの葛藤が深く描けそうで、面白くなりそう。
クルーゼに籠絡されようとしているフレイも、いずれは敵側に回るんだろうな。
『機動戦士Vガンダム』のカテジナみたいに狂っていく?
新オープニングを見ると、アークエンジェル勢とラクスが合流しそう。
反戦を訴えるシンボルとして、ラクス・カガリ、2人のお姫様が使われるのかな。
各勢力の様々な事情が入り乱れてくると、ヘタするとゴチャゴチャしそうではあるけど、見所も増えるだろう。
シリーズ前半は宜しくない内容の話が多かったが、それでも積み重ねは積み重ねであり、それがようやく生きてきた、という事か。
ところで、意味ありげに顔を隠したザフト軍人がコーヒーを飲んでるシーンがあって…
アレは砂漠の虎?生きていた?
いや、生きてたからどうだという人じゃないけども(笑)。
今のシナリオ運びなら、それなりに意味のあるポジションに据え、活かしてあげられるかな。
さすがにフォロー不可かも?
『住めば都のコスモス荘・すっとこ大戦ドッコイダー』02.「流行色は紫でドッコイ」
メチャメチャ動きまくる、という訳ではないが、上手いアニメーターさんを集められたらしく作画品質が高いのはポイント。
予告で見る限り、3話目も崩れないようだし。
ギャグは…うーん、脱力系?
爆笑は出来ないものの、時折「ははっ」というぐらい微妙には笑えたりして、2話にしてこの作品のセンスに体が馴染んできた・慣らされた事を感じる(
^_^ )。
不快な所が無いし、今回登場の幼女、年増SM嬢 両凶悪宇宙人の、力が抜けるキャラクター造形も悪くない。
脱力ギャグの大炸裂(どんなだ?)か、十分作れそうに思うシリアス方向に流れたカタルシス話を期待して、見続けよう。
『グリーングリーン』02.「露天風呂ですってんころりん」
寮の露天風呂を舞台に女性陣の裸を大量に披露する、シリーズ序盤「ツカミ」のエピソードだったのだろうから、もうちょっと作画を頑張って欲しかった所。
主人公の男友達三人。
妹バカ、おしゃれ気取りバカ、ただのバカ、とキャラが立ってるのは結構だけど、彼らにかまける余り
ヒロインである少女達、のみならず主人公さえも存在感が薄くなってしまっている。
うーん…このバカ達が次に何をしでかすのか、という期待感で見られる所まで持って行くなら凄いけど…股間にバナナをぶら下げて食堂に躍り出るサイテーの場面はともかく、女湯を節穴から覗こうとするシーンなんか「普通」であり、騒いでいる内に板ごと倒れて女子に見つかってしまうオチまで含め、さほど面白いとは思えなかった。
視聴者がこの手のアニメを見る際に期待する路線から外れ、「バカを極める」苦難の道を選ぶなら、易きに流れず、「どうだ!こんな凄い行動するバカ見た事無いだろ!」の連続で圧倒して欲しい。
某サイトで、『美少女戦士セーラームーンSuperS』164話のサブタイトルとして、
「黄金水」
と書かれていた。
コケそうになり、なんじゃこりゃあギャグのつもりか?とよく見ると、改行が挟まっていたからで全体としては、
「黄金水
晶出現!ネヘレニアの魔力」
と書いてある(公式ページ)。
あービックリしたあ。
そりゃあそうだろ自分、常識で考えろよ常識で。職業病か?
えっと、黄金水というのはこれの事なので、事情の分からない小さなお友達は間違ってもお父さんお母さんに聞いたりしないように。
「あなたの余命は 17 年 6 ヶ月と 3 日間 です」
公認寿命予測テストでの結果。
うん、長すぎも短すぎもしない、まあまあ そんな所だろうな。
と、変に納得。
…かと思えば、ヨメにもやらせた所、余命は10年ちょっとと出る。
オレとあんまり変わらない項目の選択をしたのに、何が要因でこんなに短くなったのか?
性別の差?
まあ、医者から真顔で告げられた余命ではなく、ゲームみたいなモノだからね。
設問の意味がよく分からない所さえあるし。
考えても仕方ない。「ふーん」程度に受け取るのが吉。
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2003年7月19日 土曜日 |
『おねがい☆ツインズ』01.「双子が3人?」
前作『おねがい☆ティーチャー』でドラマを展開したのと同じ場所、同じキャラクターも脇に出しながらの新作。
意図的に説明をしていない部分を除く おおまかな人物の性格や状況設定が分かり、シリーズとして目指していくのだろう方向も示された、過不足のない第1話。
一つ屋根の下に複数の男女が同居し、三角関係四角関係を形成していく、というのはまあよくあるパターンで、「妹(姉かも)」を出すのも、クラシックでは『みゆき』から、近作では『シスタープリンセス』などという極論まで経た現在、さほど珍しいモノではないが、この作品では恋愛感情の対象とするのが肉親「かも知れない」ドキドキ感を出していくのが狙いかな。
社会的地位の差、国籍の違いなど、かつて恋愛の障害とされたものの多くが、最近では、「無くなった」とまで言えないが、致命的な要素ではなくなりつつあると思う。
人類に残された最後のフロンティア(笑)が、「肉親」への、度を超した愛。
壊れ気味の『シスプリ』を除き、妹(姉)を恋愛の対象として見る事は、一般社会的にはタブーだろう。
同居する2人の少女の内どちらかは主人公の肉親だという、その辺を上手く使いながら、片方に好意を持ち接近した所で、「こちらが肉親かも」と思わせる情報を小出しにして距離を維持し、ラブコメ展開を
もたせられるな。
『ラブひな』では、幼い頃の写真に写った女の子を恋愛対象として(?)捜す事が目的だったが、ここでは写真の女の子は肉親である事になっており、逆に恋愛対象から外される訳だ。
肉親である事を示せば三角関係の解消は簡単。
女の子2人の内、どちらかが実は「女装男の子」であり写真の男の子。
主人公一人だけが2人と血のつながりを持っていない、とか。
SF要素も絡んできそうだから、超常的な方法が許されるなら、「実は写真に写っていたのは両方とも女の子(『11人いる!』のように幼生体時は雌雄同体で、成長に伴い女性になった)。なので、主人公とは
どちらも他人」に出来る。
近親婚でも構わない、そうでなければ正常な子供が生まれないDNA特性を持った種族である、とすると、兄妹でも問題ないな。
目の色が同じ、というのに着眼すると、女の子の1人が他2人の「母親、もしくは娘」であり、時間的異変によって同一時代に存在している、という手もあるか。
…うーん、でもどれも「萌え」作品としては宜しくないね(笑)。
『バック・トゥー・ザ・フューチャー』の写真のように、何らかのイベントを経る事で写真の内容が変わっていく、という見せ方も。
そもそも、写真の2人が本当に肉親であるのかどうかも分からないのだが。
主人公を高校生プログラマーにしたのは、今日的であり融通も利かせられる設定で、巧い。
彼の働きによって収入を得、少女の一人が食事の支度など家事をまかない、もう一人は…何をするのか知らないが…
3人居てようやく成り立つ「家族」として描き、居心地を良くしてみたり、それが恋愛感情によって壊れようとしてみたり、かな。
色々ふくらませられそうで、巧いねえ。
個人的には、余り鬱な展開にせず済まして欲しい所。
前作 後半はキツかったから。
今後に期待。
『獣兵衛忍風帖 龍宝玉篇』13.「青天瓢瓢」
最終回。
3つの勢力による乱戦模様が描かれたが…もう一つ盛り上がりに欠けてしまった。
どの勢力にも、目指す お宝にも、獣兵衛にさえ気持ちが入れられなかったため、ただ画面を眺めているだけに終わる。
獣兵衛。
「超然としている」というよりも、「感情の動きが足りない」ように見え、余り魅力を感じられない。
敵忍者の造形は面白い事もあったが、対する獣兵衛の戦わせ方に工夫が足りず、ゲストキャラを始末するための「方便」という機能を淡々と果たしていたように感じてしまう。
川尻監督による劇場版と全く別物であるのはともかく、独立した作品として見ても、食い足りない気持ちだけが残る。
別段 酷い出来だという訳ではなく、全体を通して そこそこ見られるレベルではあるのだが、心に引っかかる所がまるで無く終わったため、少しすると存在そのものを忘れてしまいそう。
うーん…佐藤 竜雄監督、やはり『ステルヴィア』と2本同時進行で監督を務めるのは難しかった、という事か。
『宇宙のステルヴィア』16.「うたがいのなかで」
志麻、ステルヴィア船に乗り込んできた他校の生徒を見て「アストロボールの時のムカツク人ぉ〜!」なんてセリフを言ってたけども、そんなキャラだったかなあ?
意外と根に持つタイプ?( ^_^ )
通信のタイムラグが起きている間中、真顔でスクリーンを見つめ続ける志麻。
生真面目さが出ていて それはそれで良かったけれども、その行為を「無駄」というように先生に言われた際、「うるさいなあ」と応える。
…こんなキャラだったかなあ?
ここに限っては、光太の「浮気相手」である先生からの提言、という事で、態度が余計に頑なになったのかも知れないが。
ステーション襲撃によるショックで、表情が固まったままになってしまう りんな。
志麻を目の前にして、ようやく緊張感が途切れたのか泣きじゃくる所、「緊急事態」がキャラのリアクションを通じて伝わってきて、巧い。
こういう下敷きがあるからこそ、ステーションに残された人員を救出するミッションにも緊迫感が出る。
しかし…戦死者が出るとは思わなかった。
当初はシリーズ中一番のイベントになると思われたグレート・ミッションでさえ、見た目 一人の死者も出さなかったというのに、ここで出すとは。
人の命が失われていく冷たい現実に涙を流す志麻。
「のほほん」とした物語はここで終わる。
確かに、これで俄然 盛り上がってきた、と感じるが…
これまでの ぽえ〜んとした内容にはもう帰れなくなってしまった事に、志麻と並んで衝撃を受けてしまう。
主人公達が皆 よい子であっただけに、尚更。
人類同士の いがみ合いでドラマを引っ張るものと予想していたが、ウルティマを襲撃したのはエイリアンのようだ。
単純に、「話し合いが通じず、イキナリ人間を殺しにかかってくる非人道的な敵なのだから、こちらも相手を殺すしかない」…というようなバトルの高揚感で見せる物語にはならないと思うんだけど、では今後どうするつもりなのか。
否応なく戦いに巻き込まれていく少年少女のドラマ、に、なって行くのかな。
最初から それを目的としたシリーズの構成だったとは思えないが…
最終回まで見終わってみないと、全体としては何とも。
まだ、「実はエイリアンの兵器で死人は出ていない。壊れた機体の乗員は、エイリアン機に転送収容されている」として、平和な方向に持って行く事も不可能ではない……?
『エアマスター』16.「戦え!深道ランキング」
既出のキャラクター総登場による街角バトルトーナメント開催。
ランキング24位なのに驚異的な強さの男。
この割合で行くと、ベストテン圏内に居る奴等はどれほど強いのか?
…という期待感が、「数字」で表現されると とても分かり易くなる。
『ドラゴンボール』のスカウター数値、『幽☆遊☆白書』の戸愚呂による「80パーセントの力で…」というセリフとか妖怪のクラス分け、みたいなモノで。
「強さ」は、ある程度以上になると、「割と強い」「強い」「かなり強い」「すごく強い」「メチャメチャ強い」「デタラメに強い」みたいにニュアンスとして、あるいは敵対する相手 個別のキャラクターに寄る「強力さ」アピールでしか伝えられなくなってくるため、誰でも分かる「戦闘力1万よりも10万の方が強い」「ランキング24位より17位の方が強い」という表現形式が使われ、「それよりも主人公が強い!」という見せ方をするのかな。
あうあう、ようやくお仕事が一段落。
まだ終わった訳ではないですが、一段落。
あっちもこっちも ごめんなさい。
これからは、お盆進行(通常より締め切りが早くなる)とか、夏の聖地(有明)への巡礼準備が重なってくるため、更新が不定期になるものと思われます。
悪しからず ご了承の程を。
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