ときどき日記 03/11(前)

2003年11月15日 土曜日

『ふたつのスピカ』03.「星への一歩」

 宇宙学校の入学試験は続く。
 試験はすぐ終わって、勉強したり訓練したり恋愛したりの学園生活が始まるかと思っており、それでは…ちょっと単調になってはしまわないか、などと考えていたけど、なるほど、3人を一組にしての閉鎖環境適応テストか。
人数を凄く少なくしての『11人いる!』かな。

 アスミと同室になったのは、友好的で陽気な子と、排他的でクールな子。
ドミノを渡されての課題は、共同で何か作品を組み上げる事なのだろうか。
 いい加減な気持ちで試験に加わっていた受験生達が、イキナリ数組 脱落していくのが何とも。
「ボタンを押せばすぐ室外に出られる」気楽さが、今後 更に脱落者を増やして行くんだろうな。
 もっと厳しい環境に押し込めて逃げ場を無くし、観察して、パニックに陥った者をガンガン排除する事も出来たろうが…まだ中学を卒業したばかりの子供達に、そんな過酷な試験はナイか。
親に訴えられても困るだろうし(笑)。



『無人惑星サヴァイヴ』04.「私たち、どうなっちゃうの!」

 巨大ウミヘビとの戦い。
ジュブナイル作品としては十分な緊張感があり、面白く見られた。
 脱出艇を岩礁から動かす時や、ハッチを破ってウミヘビが艇内に侵入してきた時、気弱に見えたベルが、勇気を振り絞って恵まれた体躯を活かし、大活躍する。
それは悪くないけど…少々超人的な活躍過ぎて、都合良く感じてしまった部分も。

 便利な兵器・レーザーガンのエネルギーが早々に尽きてしまったのは良い。
こんな強力な武器があっては、危機感が薄れてしまうから(でも、都合によっては脱出艇の残エネルギーから再チャージ出来る事にするかも)。
 ハワードは、こんなモノを持たなくても、憎々しい性格だけで立派にキャラが立っているし(笑)。
 サバイバル生活は、彼のようなトラブルメーカーが居た方が、絶対に面白くなる。
改心せず、『宇宙家族ロビンソン』のドクター・スミスのように頑張って欲しい。


2003年11月13日 木曜日

『R.O.D -THE TV-』04.「中一コース」

 不法入国者(合法?)であるアニタが、なんで学校へ行かにゃならんのか。
世間体が気になるったって、日中は家の中に居させれば問題ナイようなものだけど。
 まあ、学園生活も描いてみたかったのと、後半の事件から見て この学校に通う事が物語にとって大きな意味を持つようになるから、だろう。
ねねねの優しさ、でもあるかな。

 そいで、この学園生活がまた、非常に面白く見られるのに驚かされる。
クラスメートのキャラクターも、彼ら彼女らとアニタの、ギャップと同年代故の共通性も、話の分かるロックンロールな内田 裕也似の校長も、面白がって潜り込んでくるミシェール長姉の馬鹿馬鹿しさ(何歳なんだ?)まで含み、アクション抜きの、学園アニメとしてさえ成立してしまいそうな勢い。

 ミシェール。
ねねねの警備という基本任務を忘れて他の仕事を入れようとしたのを妹達に注意されるや、枕に顔を伏せて意味不明の言葉を喚き散らし、アニタをシンパイして出掛ける所を「遊びに行きたいだけなんじゃ…」と咎めるマギーの言葉に、一瞬動きを止めるが聞こえなかったフリで部屋を出て行く無責任さを見せ、「有給休暇」を あくまで押し通そうとする図々しさなど、相変わらず眺めて楽しいキャラ。
 好きだなあ。
恋人にしたら、日々 激しく後悔させられそうなタイプだけど(笑)。
 「あひぃん」という情けない鳴き声(?)と、自らの頬をつまむ仕草を、毎回 必ず入れてキャラを立たせようとする小技がまた、巧妙。

 図書館での、久々の、緊迫感に溢れたアクションが素晴らしい。
 本棚の上に乗り、どこかの物陰から狙撃してくる敵を警戒するアニタ。
 まき散らした紙片を警戒装置 代わりとし、その反応で相手の位置を割り出そうとする所とか、通路には降りず棚上から階段へと高い所を移動する所、どことなく傑作怪獣映画『トレマーズ』を思い出してみたり。
 図書館の本を大量の紙片に換えていたが…
これは、元通りの本の状態に戻せるのかなあ?
無理だとすると、結構な損害のような…

 次回はいよいよ、アクション編に突入?



『GUNSLINGER GIRL』04.「人形 -bambola-」

 少女・トリエラと、その担当官であるヒルシャーの関係を描いた話。

 やっぱり、この作品から強く感じるのは、「少女と武器」であり「強力な戦闘力を持つ少女」という「絵」に説得力を与え、面白く見せたいし描きたい、という意図。
 言えば、少女達は戦闘用ロボットでも問題ない訳だし、生身にこだわるにしても、戦うためだけに作られ一切の過去もしがらみも持たないクローンやホムンクルスであって構わないはず。
生まれつき何も持たなかった少女(に似たもの)達が、人を殺す事と、担当官との関係の中から、次第に自我や感情に近いものを持ち始め、人間っぽくなっていく、という方向の物語であれば、悲惨だとか鬱だとかいう意見は少なくなっていただろう。
 でも、それでは作者は不満だった。
そういう設定の物語では自分の創作意図が満たされない、と感じた訳だよね。

 漫画、アニメ…に限らず、物語は基本的には全部「絵空事」。
何でも、どうにでも出来る。
あらゆる事が出来、マイナス点のない「スーパーマン」(彼にはクリプトナイトがあるけど)を作り出す事も、簡単。
 ただ、それを安易に行う事によっては、物語上の「リアリティー」という、とてつもなく大事な物が代わりに失われてしまう。
 だから、少女達は「力」を得る代償に、様々な、普通の少女として生きる上で必要とされる物を奪われた。
 腕を、足を、味覚を、「生理」にする器官を、穏やかな学園生活を、人を殺す事への禁忌を、自分が幸福か不幸か判断する力を。
 それをしたのは、暴漢であり運命であり社会福祉公社であり、神であり、作者。

 『キューティーハニー』で、如月博士は自分が作り上げたハニーを、弾丸も跳ね返す鋼の身体と心を持つ戦士に作り上げる事が出来たが、意図して、そうはしなかったと語る。
代わりに、柔らかい肌と、傷付きやすい心と、嘘の記憶までも与え、出来うる限り「人間」に近付けた。
 彼女の運命を想う時、博士のこの行いは、「優しい」と思えるか「残酷だ」と思えるか、あるいは単に「マッド・サイエンティストならではの所行」か。

 ……などと、まとまりも無く考えつつ。
 今回は、クリスマスというイベントを挟んでの、少女達と担当官の近さや距離が よく描けていたと思う。
 生理がある事とか、「条件付け」の無さなど、少女達の中では まだしもヒトに近いトリエラの「生きてる実感」。
 娘に会いたい、というターゲットの言葉に、捕らえながら逃がしてしまう彼女。
少女らしい思考ではあろうが、彼は追われる身であり、首尾良く娘と会えたとしても その後どのくらい生きていられたのかは、分からない(プレゼントが送られたのを見ると、しばらく無事だったのは確かだけど)。
 保護した方が安全…と知りながら、命令違反をするトリエラの「生きている実感」を許したヒルシャーが、イイねえ。
 クマの縫いぐるみを活かしたトリエラの内面描写。
それがオチとして決まるのも巧い。
 銃撃戦にも緊迫感があり、面白く見られた お話だった。


2003年11月12日 水曜日

『まぶらほ』05.「できちゃった…」

 武士道娘・凛のキャラを立てたお話。
 これまでは、何でも真っ二つにしたがる女性版五ヱ門というだけだったが、内面は…いや、内面もほとんど五ヱ門と同じ思考形態だな(笑)。

 サービスのためのコスプレ・ショーが単純に楽しい。
当事者が、そうして見せ物になる事を酷く恥ずかしがる性格であるため、コメディー的色合いも濃く出来ている。
 「眼鏡ッ子」の定義について熱く語るのが、『G-onらいだーす』の木村 真一郎監督らしくて楽しい。

 凛が好意を寄せていた生物部部長に対しては告白に到らせず、気持ちをそのまま、主人公への想いに すうっとスライドさせる、なかなかに巧妙な仕掛け。
 苦労して作った お弁当が不味かった…というのは少々蛇足なような…
一人で作った訳ではないのだし、そんなに酷い味になる訳がないと思うが、要は「不味い弁当なのに残さず食べる(不器用な凛の気持ちを受け止める)主人公」という図式にしたかったんだろうな。
 ただ、転んで台無しにしかけた弁当を 残り少ない魔法で救うという、好意に値する行動を主人公は既に見せており、このダメ押しは無くても良かったかと思う。

 シナリオは、久しぶりに名前を見たような気がする、大ベテランの小山高生。
 コンテの巧さもあって、第1話以来の、面白く見られる内容だった。



『明日のナージャ』39.「盗らないで!私のお母さん」

 うあー、ローズマリー怖〜!
 ゾクゾクするダークな魅力。
現在放送中のアニメの中で、こんなにも「悪の輝き」を堪能させてくれるキャラクターが居るだろうか?
 「悪」というか、「狂」。
狂人は、狂っているが故に他者への強烈な吸引力を持つ。
 頑張れローズマリー。
どいつもコイツも陥れてやれ(笑)!
世の全てを憎み愛して、我がモノにするのだ!



『GUNGRAVE ガングレイヴ』06.「BIG DADDY」

 第1話と2話の内容のギャップに驚かされた事がしばらく跡を引いていたが、ようやく、これはこれで面白いかな、と思えるようになってきた。
 撃ちまくり痛快アクションシューティング路線は捨てて あるいはまだまだ後半まで取っておいて、ひたすらにチンピラマフィアの日常とか非日常とか友情とかを描いていく訳だ。
 上昇志向の強いダチ、穏やかなマフィアのボス、割に人間が出来てる取り立て組のリーダーなどなど、キャラクターの面白味が出てきたのが強い。

 しかし…これはDVDが売れる内容だろうか?
見ている分には良くても、ソフトの購入動機を与えてくれる「売り」が弱いような。
 アニメとしてはどうあれ、ゲームの強力なコマーシャルとして機能すれば良い、という考え方でも、地味〜な内容でゲームとは別世界だし。

 確かに、シューティングの面白さを出そうと思っても、第1話で分かったように「ただ闇雲に銃をブッ放していれば楽しくなる」訳では、ない。
 だからドラマを詰めて詰めて、銃を使うシーンも抑えて抑えて、「一発の重さ」を物語として演出していこうという意図だろうか?


2003年11月11日 火曜日

『スター・ウォーズ クローン大戦 』01.

 カートゥーンチャンネルで放送が始まった、米製アニメ。
 ディレクターは『デクスターズ ラボ』『サムライ ジャック』の人。
あー、キャラクターの挙動など、実にそれらしい。
コミカルさはグッと押さえられ、シリアスな雰囲気になってはいるが。

 トーントーン(『帝国の逆襲』氷の惑星でルーク達が乗っていた生物)のような生き物の背に立ち、決然とライトセーバーを抜き放つヨーダが格好イイ。
 その鳴き声も爆発などの効果音も『スター・ウォーズ』そのままなので、雰囲気に浸り易い。
 ドゥークー伯爵一派が、このアニメでの敵になるのかな。
でも、次の映画に続く限りは、倒せないで終わりそう。

 この画風なので、枠線抽出を強くした3Dのアニメ風レンダリングが全然違和感ない。
 ストーリーは…何しろ1話が5分だけだから、クローン大戦にアナキンも駆り出されました、というそこまでで お終い。
6本ぐらい まとめて放送してくれないだろうか…
 面白くなる事を期待しつつ、見続けるかな。



『D.C.〜ダ・カーポ〜』19.「幸せな時間」

 一線を越えた兄妹(血縁じゃないが)の、日常。
 あんまり露骨にはしゃぎ過ぎると、そりゃまあ他者の目も厳しくなるよね。

 前回の音夢のセリフに呼応するように、「音夢ちゃんだけは駄目!」と叫ぶ さくら。
うん、怖い怖い(笑)。
 普通なら、気持ちの成就で物語自体が終わりそうなモノだけど、まだしばらく続くらしい所を見ると、設定の根幹に関わる展開が今度、まだある?


2003年11月10日 月曜日

『ポポロクロイス』06.「ガミガミ魔王の城」

 金田 伊功(戸隠伊助)氏、懐かしいなあ。
憧れ、一時は この方の絵のマネばっかりしていたモノで。
 フォロワーを含め、一派閥、一時代を築き上げたアニメーターさんだと思う。
 でも、最近は余り追随者を見ないな。
こういう派手なハッタリとか、「変な」タイミングで見せようとする(自由な作画を許す)アニメが少なくなった、という事だろうか。
 正統な後継者として現在でも元気に活躍中なのは、今石 洋之氏ぐらい…?
 どうせなら、弾き飛ばされたピノンが、三段ロケット並みに体の下部を切り離しながら上昇を続けて大気圏を離脱するぐらいの「狂った」暴走も見たかった所(『ドンデラマンチャ』では本当にこんな事をやっていた)。

 内容。
 ああ、ガミガミ魔王、久しぶりだなあ。
すっかりイイお父さんになっちゃって。
 自分自身が困ったオッサンだったのに、子供達に対しては、食事中はテレビを見る事も許さない厳格な父親に。
 でも、デザートを欲しがられれば素早く応えてパンの耳を揚げたモノを出し、初めて家に連れてきた子供達の友達のために 夕食はすき焼きにしてあげようと考える子煩悩ぶり。

 しかし、嫁さんはドコに?
ナルシア記念館なんか作っちゃってるけど、嫁さんは怒らないのかなあ?それとも とうの昔に逃げられた?
 …などと思っていれば…
 ああ、何と、捨て子を拾って(押しかけられて)育てていたのか。
血の繋がりもない いわば赤の他人に対して示す、実の親よりも深いほどの愛情。
泣ける。
 魔王は親を失った子供達を救い、そして子供達は、自分たちの存在によってナルシアを失った魔王の心を癒したのだろう。

 良かった良かった、みんなシアワセそうで良かった。
どっこい生きてる、頑張ってる、まだまだ往生せんぞ!という魔王の物語を、懐かしい顔ぶれの原画陣(長谷川眞也など、近年の実力派も居るが)で絵にする事によって生まれる、メタ的 相乗効果。
 見終わってとても満たされた気分になり、励まされたような気持ちにさえさせてくれる、優しい、嬉しいお話だった。



『円盤皇女ワるきゅーレ 十二月の夜想曲』06.「メーム夜間飛行」

 宇宙製の入浴剤が不良品で、入った全員が若返ってしまう話。
 物語を転がす最初のアイディアとしては良いと思うんだけど、後が…
 そこから起きるドタバタをメインに描くのならメームの中途半端な しみじみ劇は余計だし、逆にメームのドラマを中心に据えるのなら他のキャラは子供に戻さないか、戻しても扱いをもっと軽くするべき。
 双方描こうとして、どちらも消化不良に終わってしまった印象。

 家事を受け持てるのが自分だけになってしまい、奮闘するが…悲惨な結果ばかりのワルキューレ。
皇女であった頃には家事などする機会が無く、地球に来てからは普段 幼女のメンタリティーに戻ってしまう事でこれまたスキルをつけるチャンスが得られなかったのだろうから、仕方ないか。
 その不味い料理を、ただ一人「美味しいよ」と言って食べる和人。
イイ奴だねえ。
 幼児・和人と彼を世話するワルキューレの逆転関係、そしてショタな魅力に惹かれた周囲のキャラクターが争奪戦を始め…という辺りだけでも、一本お話が出来たんじゃないだろうか。
 何だか、勿体ない内容だった。



『神魂合体ゴーダンナー!!』06.「夢の終わり」

 ゴオとミラの再会、という非常に重要なシーンを持つ回だったと思うのだが、その前にベッドに横たわるマックスの姿を見せた事で、ゴオには心の準備が出来て良かったかも知れないけど、視聴者に与えられる衝撃は随分と弱くなってしまったような。
 そもそも、ミラについては擬態獣の体内から現れてくるシーンが それなりに「おお!」と思わせられるものになっていたのに、その後しばらく彼女に関して「お預け」を喰わされていた訳で、今になってゴオと対面するイベントを組むのなら、それだけのインパクトがあるシーンにしなければ拙い。

 マックスのエピソードと、ミラの登場は完全に分けてしまっても良かったのでは。
マックスを先に処分(^_^;)して、その後に現れたミラは果たして大丈夫なのかどうかで、基地内が大揉めするとか。
 でも、マックスは今後も重要なキャラとして出続けるのかな。
マックスはゴオへ、ミラは杏奈へと、大切な人を奪われた憎しみを向けて戦う、邪神魂合体する悪のゴーダンナー乗りとして立ちはだかるとか。

 途中の講義で行われた巨大人型ロボットの有効性についての、ちーとも科学的じゃないけど(笑)、心情的には非常によく分かる説明に、深く頷く。
 そうそう、「神」も「魂」も、人型にこそ宿りやすいモノだよね。


2003年11月9日 日曜日

『君が望む永遠』06.

 遙と水月と茜。
彼女達が何の屈託もなく話し、ふざけ、笑い合えた昔から今回の物語を始め、「3人が失った大事なもの」を残酷なまでに示した。
 「あたし達がケンカなんかする訳ないじゃん」という、やがて訪れる未来を知るべくもない頃の水月のセリフが、染みる。

 水月がずっと求めていたものは、落ち込んでボロボロになった姿ではない、楽しげな高校時代のままの孝之だったろう。
 茜が求めたのも同じように昔のような姉であったろうが、事故から3年を経た今、「昔のままで時が止まってしまった」姉が帰ってきた事は、眠り続けるより救われるとは言え、悲劇にしか感じられまい。
 同じように取り戻したいと願う2人が手に入れた「最も欲していたもの(時代)」の現れ方が こんなにも違ってしまっており、それ故に互いの確執は より深くなっていく。

 可愛い後輩に憎まれる水月も辛かろうが、憧れ目指してきた水月を、事情を知り憎しみを抱く事さえ出来ない姉の分まで背負って憎ま「なければならない」立場に追い込まれた茜は、もっとずっと辛いのかも。
 水月に投げる茜の「楽になんかさせない!」というセリフの深さ。

 遙の病状の深刻さを、病室に入ってきた孝之の顔を見た時の反応の遅れと、「なんかね、一日がすごく早いの」というセリフを繰り返す事でさりげなく表すのが、実に巧い。
 こんな症状を見せられ、しかも不安げな遙に頼られては、「おまじない」の要請を無下に断る事も出来まいなー。

 娘のため、ただ頭を下げて孝之に見舞いの継続を頼み込む遙の父。
自分の前言を翻している事、身勝手な願いだという事の責任も みっともなさも自覚しており、それでも娘のために。
 ちょっと、泣ける。
 メンツだの何だの言ってる場合じゃない。娘にしてあげられる事がこれだけなら、自分はどう思われても、という必死さが伝わって。
 それに、「遙はぼくの一番大切だった人ですから」と応える孝之。
この辺も巧いなあ。

 遙も水月も茜も、女の子達の心情は実に細やかに描写されている。
が、主人公である孝之の気持ちは、遙に突然 自分から告白をした第1話から、意図的に 少々ぼやかして描かれているように思う。
 それを、周辺の状況や彼に寄せる他のキャラクターの思いを詰めていく事で、「空白」とも「不愉快」とも感じさせない作り。
なるほどねえ。

 誰も悪くない。
悪いのは「事故」と「時」だけ。
 面白い。



『ボボボーボ・ボーボボ』01.「「毛魂」と書いて「スパークリング」と読ませたい」

 見た目通り、しょーもないギャグが てんこ盛りで、いかにも「ジャンプ」小学校低学年向け路線作品。
原作未読。
 鼻の中にオバサンが住んでるとか、オジサンが鼻の穴のシャッター閉めて もう今日は終わりだよとか、もっとセンスアップすると『ハレのちグゥ』の体内異次元ワールドにも繋がるんじゃないかと思う不条理さだけど、現状の描写では、天と地ほどの開きがあるなあ。

 あんまり下らなくて何度か「はは」とか笑ってしまったが、忘れないように気を付けて見続けるようなアニメじゃないだろう。
 アニオタには関係ない、正しい想定視聴者層である子供達にだけ喜んでもらえれば それでオッケー、という作り。


2003年11月8日 土曜日

 冬コミケ、無事 受かりました。
 12月30日、東地区・Y-26、白昼書房です。
 さあ、頑張って本を作らなくちゃ。



『プラネテス』06.「月のムササビ」

 ハチマキの見合い話になると思っていたが、主題はニンジャ……
 今回の内容は、全然 面白いと感じられなかった。
テンポが悪く、ギャグ話としては笑えず、人情話としては染みるモノが無く、「月面」を活かしたアイディアも見せ方の悪さのせいか感心せず(米たにヨシトモがコンテだったのだが)。

 評価を低くしてしまった大きな原因は、つい最近、未読だった原作漫画の単行本を一気に読んだから、かも。
 あの厳しさと激しさと狂熱と、そんなものを見た直後では、どうしても今回の「ぬるさ」が気になってしまう。
 これはこれとして、切り離して見れば面白かった…のだろうか?

 次回からは頭を切り換えて見たい…と思えば、次は原作でも強いインパクトのあった話。
 原作の「厳しい宇宙」であって初めて生きる、辛く哀しく優しいストーリーだったと思うのだが、アニメ版の「緩やかな宇宙」でも十分な完成度を保てるものだろうか。
見物。



 国民年金のコマーシャル。
 江角マキコは嫌いな女優さんじゃないんだけど、この中での高圧的な態度は、キライだな。
彼女が悪い訳ではなく、CMのプランナーや、辿ればクライアントである官庁のバカさ加減が悪いのだが。
 しかし、コレを見て、年金への不安が払拭されたり、今まで払わなかった人間まで「そうだ、払わなきゃ」と考える、とはとても思えない。
 「ムカつくなあ」とか「こんな無自覚なCMを流している辺り、いずれ破綻するのが余計に明白」と拒否反応を起こさせる可能性は高くても。

 朝方のテレビで年金関係の話題が取り上げられており、年金流用のプロジェクト失敗について意見を求められた担当のお役人さんが、「失策を個人の責任にするのはどうかねえ。国としての方針に原因があり、遡れば国民全体の責任でしょ」と述べていたのに笑う。
正直で宜しい。
 江角マキコにも、これぐらいホンネを喋らせたらどうか?
年金への不安を口にする若者に一発、グーでパンチを喰らわして、
ゴチャゴチャ言わんと金払えコラァ!とか。

 …という訳で、投票権のある人は忘れず選挙に行きましょう。
 出来る限り、創作・表現の自由も理解してくれる候補者に入れたいものです。
いや、それは必ずしも自分の仕事の都合だけでなく(汗)、あらゆる創作者を守り、彼らが創った作品を楽しむ我々の権利をも守る事に、繋がるのですから。


2003年11月7日 金曜日

 レンタルで映画『リベリオン』を見る。
 監督は、『スフィア』とか『トーマス・クラウン・アフェアー』などの、今ひとつパッとしない脚本を手掛けていたというカート・ウィマー。
 主演は『太陽の帝国』の少年役が一番有名だろうクリスチャン・ベール
 監督も主演も それだけで客を呼べるバリューが無かったせいか、余り知られずにロードショウされたが、見た人からは割に好意的な評価が聞かれた映画。

 内容。
 「感情」が害悪として一切禁止された世界。映画や音楽、芸術作品などの制作・鑑賞は、国家の指導者により厳しく統制されていた。
 当然ながらレジスタンス活動が行われるが、それに対しては、クラリック(聖職者)と呼ばれる特殊機関の人間が容赦のない弾圧を加えた。
 主人公・プレストンは最も優秀なクラリックだが、彼の心に次第に変化が…

 という あらすじから分かるように、お話としては相当にムチャ。
 「感情」を取り締まる、なんての、どうすればいいんだか。
実際、映画上でも、「それは感情的じゃないの?」と思える行動を、他のクラリックでさえ取ったりしている。
 うーーん、こんな抽象的な弾圧をしている国家にしなくて良かったんじゃないかなあ。
テーマを読み取ってもらえるような深い描写も無いのだから、単に、極悪非道な独裁者に泣かされている国民、という図式にするだけで。

 主人公が駆使する、この映画オリジナルの戦闘術が、ガン=カタ。
「相手の銃撃が自分の体に命中する確率が最も低い場所に、常に移動しつつ攻撃を加える事で、数十人の武装した兵士を相手にしても自らは全く傷付くことなく、全員を撃ち倒す事が可能になる。これこそがガン=カタなのだ」
「いや…っていうか、えー…あー…なるほど分かりました」
 もう、納得するか、ここでDVDの再生を止めて寝てしまう以外に選択肢が無い、凄まじく強引な設定。
 古今、おバカさん系ヒーロー映画の主人公達は、全員このガン=カタをマスターしていた訳だ。
だから、自分は広場の真ん中に突っ立っていても敵の攻撃は決して当たらず、物陰に隠れているザコ達だけがバカバカ撃ち倒されていく事態が起きていた、と。

 これも、『マトリックス』の電脳世界と同じく、「人間離れして格好いいアクションシーンを撮りたい」という目的に対し、何とか説得力を与えようと考え出された設定。
 だから、まあ、早めに「抵抗」は諦めて、納得してあげるのが得策。

 このガン=カタが、目論見通り非常に格好良く映像化できているのには感心。
アクション自体はちょっと少な目なんだけど。
 主人公、強すぎ。
ダンスを踊るような動作、キメ過ぎるポーズ、無駄に振り回す拳銃、これが実にイカス。
 ラストバトルの「楽しさ」は、『マトリックス』後追い映画の中でも出色の出来。
…原典を超えてさえいる部分も。
 地味〜なストーリーで それなりに積み重ねてきたモノが、馬鹿馬鹿しさ満点のアクションが始まると全部ご破算にされてしまう、その「破壊」のカタルシスもガン=カタを引き立てている。

 『マトリックス』でのバトルを、楽しんで見られた人にはお勧め。
 「感情」を統制する国家とは…とか、難しい事をつい考えてしまう人には あんまりお勧め出来ないかな。



 今更だけど、テレ朝でやっていた『全国一斉IQテスト』、録画しておいたものを ついさっき見ながら一生懸命やってみた。
 ルチ将軍の、ジャスト10分の1だったのが嬉しい(バカっぽい)。

 そういえば、中学生の時、朝からIQテストが行われるというのに遅刻してしまい、もう皆が始めている教室に入って行った事がある。
 どーしたものでしょうか?と聞くと先生の答えは、
「今から、やれ」
 えー?でも もう何だか半分ぐらいまで進んでますよ、と食い下がると…
「IQの測定をやると伝えておいた その日に、遅刻して来てしまうってのが、正しいお前のIQレベルだ。だから今から始めても問題ない」
と。
 なるほど、それもそうですね
上手い事言うなあ、と非常に納得がいき、そこからテストを受けさせてもらった。
 あの時の測定結果は、きっと笑うぐらい低かったんだろうな。


2003年11月6日 木曜日

 明けて、今朝は、野球とバレーの延長によるスケジュール調整のため、『R.O.D -THE TV-』も『GUNSLINGER GIRL』も休止に。
 …『Gilgamesh』みたいに、放送時間をイキナリ繰り上げた上に2本連続放送、というメチャクチャな形態を取られるのに比べれば、マシかなあ……とでも思うしか。
 シリーズはきちんと最後まで放送してくれよー、枠の都合で話数中抜けになりました、なんて事が無いように。



 夜中にノコノコと出ていって、映画『マトリックス レボリューションズ』を見る。
 言わずと知れた、大ヒットシリーズの完結編。
 んーーと、絶対見に行くと決めている人も多かろうし、そういう場合には面白かったかつまらなかったかさえ聞きたくないだろうから、以下はページを分けて


2003年11月4日 火曜日

『D.C.〜ダ・カーポ〜』18.「二人だけの秘密」

 1話丸ごとかけて、告白の成就を描いた話。
 非常に微妙な心の軌跡を丁寧に追っており、面白く見られた。
 音夢の一途で切ない胸の内が語られ…それだけでなく、「さくらちゃんだけは嫌ぁーっ!」という叫びなど実にこう、既に可愛いばかりではなく「女」を感じさせ、ちょっと怖かったりも(笑)。
 しかし義兄の相手が他の誰だって嫌だろうに。
浮気したらエライ目に遭わされそうだな。

 コトの翌朝の、気恥ずかしさと気まずさまで よく描けていたかと。
 これでシリーズ完結でもおかしくない内容だったけど、まだしばらく続くんだなあ。
さくらの逆襲も含み、もう一山ある?



『ポポロクロイス』05.「炎の聖域の冒険」

 お城の魔法使い(とは言えないか)・ウララが再登場。
ドジで未熟な魔女っ子という特性を持つため、ヒロインとしての資格はルナよりかある…と思うんだが(えこヒイキ)。

 火事に見舞われた道具屋を助けようと、ためらい無く炎の中に飛び込み、しかし人形を道具屋と見間違える失敗のため、ルナとマルコに先に助けられてしまう。
そこでもう一度「道具屋の大事なもの」を思い、ソロバンを手にするピノン。
 行動に派手さが無いため目立たず、城下や城の者達にも感心はしてもらえなかったが、道具屋本人にだけは深く感謝される。
彼の事を理解しているからこそ、取れた行動。

 田中芳樹の『アルスラーン戦記』で、「騎手が馬より早く走る必要はない。同様に王も、臣下の者より必ずしも優れた能力を持たねばならない、とは限らない。『この人のために働きたい』という気持ちに他の者をさせられる、それこそが最も求められる資質」というような、凄まじくうろ覚えだけど、セリフがあった。
 ピノンは、力が強い訳でも、魔法が使える訳でもないが、勇気があり、優しく、「正しい」心がある。
「一人では何も出来ない」事を知っており、精霊を含む周囲の者の心を、困難に打ち勝つべく一つにする力がある。
 それこそが、王たる者の資質。

 また、頑張るピノンの姿は、このアニメを見る子供達にも勇気を与えていくだろう。
正しいジュブナイルだなあ。
 王家の秘められた力が目覚めて どうとかなるよりも、このまま、平凡で内気だが真っ直ぐな少年の頑張る姿を描いてくれる方が、個人的には嬉しい。



『ヤミと帽子と本の旅人』05.

 ずっと見ているけど、イマイチよく分からないアニメ。
 いや、筋だけなら何とか追えない事はないんだけど、得心がいかないというか。
 一人の女の子を追いかけて、色々な本の時代、色々なドラマの中に主人公達が入り込む、という構成からすると、美少女大量増殖版『タイムボカン』シリーズ、と思って見てイイのかな?

 ストーリーについては、制作者も余りこだわっていないのだと思う。
 この作品の最大にして唯一の「売り」は、とにかく出てくる女の子達が可愛く、麗しく、耽美に、そして肉感的でエッチに描かれている事。
演出で、というよりも あくまで「作画的に」。
 作画が高いレベルに保たれている限りは、目に楽しく、見続ける事が出来る。
これが崩れてしまったら、そこまで。



『フルメタル・パニック? ふもっふ』09.「仁義なきファンシー」

 生徒会書記の美樹原蓮は、実はヤクザの娘だった。
…という所から始まる、乱暴者な隣のヤクザに虐められている弱虫 美樹原組を宗介が鍛え直す話。

 基本ラインが、以前の「弱虫ラグビー部を鍛える話」と同じで、どちらかというとラグビー部の方が、弱虫→強烈な兵士、の落差が生きていたため、2度目になる今回のインパクトは…少々、弱い。
 シリーズの並びとしては、今回の方を先にしてラグビー部が後、とするのが良かったような気も。
 ただ今回は、ハイテクを駆使したボン太くん着ぐるみ(パワードスーツ?)によるファンシーバイオレンスな殴り込み、という「売り」があり、生身の人間を特訓・強化するに留まった以前のエピソードよりもインパクトのある部分が「無いでも無い」のが難しい所。

 いや、取り立てて難点がある訳ではなく そのままで十分楽しく見られる内容だったんだけどね。
平均して面白いと つい期待するレベルがエスカレートしてしまい、スタッフには気の毒だと思う(『プラネテス』も、そうだな)。
 それだけ出来の良いシリーズだという事で。


2003年11月3日 月曜日

『君が望む永遠』05.

 空白の扱いになっていた、遙の事故から3年の間に主人公と水月が辿った軌跡。
 激しい自責の念から高校の卒業式にも出ず、無精ヒゲを生やし、廃人のような姿になって ただ部屋に引きこもり続けた主人公。
 気持ちの乱れから水泳の成績を落としてしまい、望んでいた進路に進めず、主人公の世話を焼く事だけを生き甲斐としていた水月。
 2人とも人生そのものが台無しになってしまった訳で、なるほど、これはかなりシンドイ描写。
「視聴者に対する」贖罪としては、かなりなモノだろう。

 時系列に沿い、ここのシンドイ期間を経て楽しげな同棲生活に到れば、そのまま すいっと主人公達を赦せたと思うんだけど。
 先に「?」と思わせる場面を見せ、その後で「実は何故そうなったかというと…」と説明していく作劇法はある。
その利点は、見ている人に興味を感じてもらいやすい事で、欠点は、感情や状況の「間」が跳びすぎていると付いてこられない(付いてきてくれない)視聴者を生み出してしまう恐れがある事。
 この作品の場合は…主人公はともかく、女の子は魅力を持って居続けた事と、それほど長い「引き」では無かった事で、ギリギリ興味のキープに成功した…だろう。
 このアニメそのものが、凄く楽しい話、という訳ではないため、地道に展開して視聴者のストレスが蓄積するばかりになるのを避けるべく、こうした構成の工夫をもって「ああ、なるほどね」と思わせる事で、気分を変えさせ、ガス抜きにしよう、という考えがあったのかな。

 主人公と水月を信じ切っている茜が可愛いねえ。
その後どうなるか、が既に示されている事で、切なくもある。
 悪いのは遙のお父ちゃんか…
と思うけどしかし、眠り続ける遙を病室から連れ出そうとしてしまう、精神に異常を来す寸前にまで到ってしまった主人公を見れば、オトナとしては主人公を拒絶して「救って」上げるのが義務かも。
 …ただ、茜にも事情を話しておけよ、とは思うな。
茜の大好きな「お兄ちゃん」が異常行動を取ってしまった、と伝えるのが躊躇われ、結果として何も話さない事を選んだのだろうか。

 ここまで追いつめられた後だと、主人公と水月がデキてしまうのにも納得がいくなあ。
 「もう失うモノがない」と思う事で部屋の鍵をかけないままだった主人公のクセが、茜の信頼までも失わせてしまう悲劇。

 シンドイ内容だけど、良く出来ていて興味を引き付けられる。



『神魂合体ゴーダンナー!!』05.「空から来た少女」

 宇宙ステーション生き残りの少女・ルウが、父親の死を乗り越え、憎い仇である擬態獣を倒すまでを描いた。

 お話としては きちんと出来ており、ルウが可愛い事もあって、楽しく見られたが…
 やっぱり、まだ主人公格の人間達を強力に押し出せていないのに、新キャラを出して それがメインの話を作るのは早い、と思ってしまう。
ヒーロー・ヒロインの馴れ初め…は分かってるが、その後 結婚しようと決心するに到る重要な過程が跳んでいるから。
 ブリッジ・クルーも「その他大勢」扱いのままだし。

 今回は、ルウという異分子を基地内に投げ込む事で、彼女のロボットを完全な形に修理したいと思う整備員や、優しい「母親」の対応を見せる所長(35歳らしい)、ルウのため「父親」のような表情になるゴオ(設定では29)、など、他のキャラクターの反応がシミュレート出来てはいたが。

 ゴオの過去や、ミラの死の顛末は、ようやく次回 語られる…?

 ルウ父の遺体の回収も出来ず、か。
海中を漂う破片の描写があり、父親の「必ず帰るから」という最後のセリフを伏線とすると、父親を取り込んだ姿で擬態獣が再生するとか、そういう展開もアリ?
 ただ暴力的に人類の脅威だった擬態獣が、人間を取り込んで対人コミュニケーションを可能とした事により、良い方向にも悪い方向にも進化して行くとか。
 「誰かが想い続けてくれる内は、人に、本当の死は来ない」という言葉が、ミラの復活をも睨んで、今後のキーになっていくんだろうな。


2003年11月2日 日曜日

 レンタルで映画『呪怨』を見る。
 監督は、同名作品のビデオ版『1』『2』から引き続き清水 崇。
 主演が奥菜 恵。

 ビデオ版『呪怨』を、発表当時に見た時は、かなり怖かった。
余り見た事がないぐらい不条理な内容であり、その割には物理的に見た目が恐ろしい霊(?)という、新鮮な内容が衝撃で。
 ただ…ラスト近く、怖がらせ方が「過剰」になった所は やりすぎに思え、逆に笑ってしまったり。

 続けて見たビデオ版『2』。
ゾッとするイメージも多々あったが、こちらはもう全編に渡って「やりすぎ」感が漂い、「お母ちゃん、頑張りすぎ」というツッコミを誘われてしまう。
 呪いが伝搬していく展開も、ほとんど無関係な人にまで拡がって行くに到り、過剰さが限界に達してしまって、怖い、というのと違う感想に。

 これが怖い、と感じるツボは、各個人によって微妙に違うのだと思う。
 個人的には、「何気なくある、居る」というのが怖い。
全くコミュニケーションを取れない、「気のせい」と「居る」の境目ぐらいの状態、在るか無いか不確かなものが。
 遊んでやってた犬やネコが急にピタリと動きを止め、何も無い所をその目線がスーッと追っていく、アレなんか怖いねえ(笑)。

 逆に、もうそこに「在る」のが確かになってしまうと、さほど怖くない。
 井戸の底から上がってきた貞子は、「もう一回井戸の底まで蹴り落としたったらエエやんか」と思えて。
 相当に怖い『女優霊』も、ラストに到っては…「掴まれるなら、相手も殴れるのでは?」「話し合う努力をしてみれば」と思い、恐怖感が激減。
 ゾクゾクした『回路』にしたって、霊と話はさせない方が良かったなあ。
 酷かったのがヤン・デ・ボンの映画『ホーンティング』で、霊が乗り移った鳥の像が動き出そうとするのだが、そこをヒロインが鉄の棒で殴打!一瞬ひるんでまた動き出そうとした像を更に殴打!もう一回殴打!…負けてしまった像は動くのを諦めてしまう、という、霊よりかこのヒロインの方が怖い、コントみたいなシーンがあった。

 劇場版『呪怨』。
 この作品の特色として、呪いの霊体が、実に具体的な姿で出てくる。
白塗り四つんばいの お母ちゃんと、同じく白塗りパンツ一枚の子供という。
特撮は…まるで使っていない訳ではないが、少ない。
 生身の人間の、「出し方」「見せ方」によって怖さを感じさせる仕掛け。
 そりゃあ、目を覚ましたら布団の上に真っ白な子供が座って居て、ベッドの上の方からは真っ白な お母ちゃんが怖い顔で覗き込んでいたら、相手がだろうが生きた変な親子だろうが、嫌だよね(笑)。
 そういう見せ方なので、過剰に登場させては拙い。
本当に物理的に、殴るとか蹴るで反撃できそう、あるいは話し合いが…相手が聞く耳を持つかどうかはともかく、「意見」だけはできそうに思えて。
 そのぐらい「居る」のが確かなら、現実の凶暴なヤクザや、刃物を持った異常者の方が「怖い」んじゃないかと。

 いや、そうは言いつつ、アチコチ怖〜いイメージはあったんだけどね、劇場版。
逃げ場のある自宅のビデオで見て これ程なんだから、映画館で見たら足がガクガクするまで震え上がったかも。
 だから、見て損したとは全然思わない。

 …でも、やっぱり「やりすぎ」。
 ラストの謎解き(?)のような まとめ方は、余分。
ドラマとしては締まった感じになるけど、そういうものの無いまま、ブチ切れたように終わる方が不安感は増したと思う。

 人は、「分からないもの」が怖い。
分かってしまえば、「それはそれだけのもの」に換わる。

 映画の再生中、クライマックスの所でイキナリ……ウチの部屋のカーテンがバサッと揺れた。
窓やドアを閉め切った部屋であり、エアコンも動かしていないし、一人きりで見ていたのに。
ここに住んで2年以上になるが、そんな風にカーテンが揺れるのを見た事がない。
 不思議だが本当の話。
 …そうそう、このぐらいのサジ加減が「怖い」んだよね(笑)。



『美少女戦士セーラームーン』05.

 元々余り外向的ではない少女・亜美の、傷つきやすい繊細な心情を上手く描き出したお話。
アニメ版でも、ここまでデリケートな題材は扱っていなかったのでは?

 うさぎの「友達じゃないみたい」という言葉。
本人は「本当は友達なんだから遠慮しなくていいのにぃ」と思って発したのだが、亜美には「本当は友達じゃないから名前で呼ばないんだよね」と言われたように思え、距離を感じてしまう。
実にデリケートなオトメ心。
 少女の心の機微を捉える、小林 靖子の巧さ。

 実写版『セーラームーン』は、開始当初思われた「キワ物」に落ちず、非常に丁寧に堅実に回を重ねており、見るに耐える内容になっている。
…主演少女達の演技には難があるけど、まあ、可愛いからそれは大目に見て(笑)。
 劇場版『セーラームーンR』独自の解釈である、「4人のセーラー戦士達は皆、心に傷を抱えている」「それが、天真爛漫で邪気が全く無いうさぎの存在によって、救われる」「だからこそ、戦士達は うさぎを中心に一つになる事が出来る」という関係性を引いたドラマ作り。
実に巧いと思う。
 アニメは「絵」であり どれだけでも派手な事が破綻無く出来るので、その方向に突き進んでも良かろうが…どうしても限界がある実写版という媒体を考慮し、「地味」「生身」という所にこそ力を入れ、生きた少女達の姿をより生かしてみせる方向を選択したのは、正しい。
 演技力の問題から( ^_^ )、極力 難しいセリフを喋らせないようにして、しかし構成の工夫によりカッチリしたドラマを作り上げてみせる、脚本レベルの高さにも感心。

 意外。面白い。


2003年11月1日 土曜日

『プラネテス』05.「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」

 いくつものエピソードが並行して進み、最後で一つに集約されていくタイプのお話で、労作だったと思う。

 ただ…これは宇宙を舞台にする意味がある話だったのかなあ?
バレたら逃げ場がないのに宇宙船で活動するスリ、必然性も示さず船内で撮影をする低予算映画のクルーなど、ちょっと無理も感じてしまう。
 せめて一家心中を考える家族が立ち直る経過に、何かしら宇宙に出した利点が活きていれば良かったのだろうが…

 普段の話が余りに高いレベルなため、「まあまあ」という出来だと相対的に「ダメ」に見えてしまう皮肉。
 その辺のダメアニメの一本として放送されたなら、十分「傑作!」「よく考えてある」という評価を得て不思議ない内容だったとも、思うのだが。



『ふたつのスピカ』01.「打ち上げ花火」

 原作は未読。
 ファンタジー寄りの人情物として悪くない内容で、ホロリと来る所もあった。
 余りにカッチリと出来上がりすぎていたため、「短編を見終わった」ような気持ちになってしまう。ここで終わりでも良いような。
 これからは、無念の事故で亡くなった被り物幽霊と、少女の成長を絡めて描いていくのだろうか。

 どうもこう…企画として ぼんやり自分が考えていた話と今回の話が大筋似ているため、大変 参考になった多くの部分と、先に しかも考えていたより遙かに巧くやられたから こちらでは使えなくなった部分と(笑)、ここはもうちょっと…と思った僅かな部分があるんだけど、それを書いても、常にも増して主観的な分かりづらい文章にしか出来ないだろうな。
 今後に大きく期待、という事で。


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